元検事の市川寛さんのことは多くの方がご存知だろう。
市川さんは佐賀地検の三席検事だった11年ほど前、農協の組合長だった被疑者の男性を取り調べ中に「ぶち殺すぞ!」と恫喝するなどし、自白調書に署名させて起訴に持ち込んだ。しかしその後、良心の呵責に苦しんだ末、組合長の公判で自分の暴言を告白し、無罪判決が出ることに寄与。さらに弁護士に転身後、この事件を冤罪として取り上げたテレビ番組に実名顔出しで出演し、亡くなった組合長の親族に土下座して謝罪したことから一躍、全国的に有名になった。以来、「検事失格」という著書や講演などを通じて検事時代の経験を世に伝え、検察組織の問題を当事者の視点から体験的に語れる人物として注目を浴びている。

そんな市川元検事と、名前の読みがまったく同じ市川宏(イチカワヒロシ)さんという現職検事がいる。現在は東京地検の検事と東京高検の検事を併任しているが、2007年春から2009年春までは広島地検の検事だった。この広島地検時代、当欄で何度か紹介した東広島市の冤罪事件の捜査と公判を担当したという人である。

筆者は、何も冤罪事件の捜査や公判に関わったからといって、そのことだけで個々の検察官をあげつらうつもりはない。検察官にも自分ではどうしようもない「めぐり合わせ」というものがあると思うからだ。たとえば、冒頭の市川寛元検事の場合もその著書「検事失格」を読む限り、無実である組合長の男性に自白を強要したとはいえ、この事件の捜査に関わったこと自体はご本人の力では不可避だったように思え、同情させられもした。また、自分が同じ立場だったらどうなるだろうか、とも考えさせられた。

ただ、東広島市の冤罪事件を取材する中、市川宏検事がこの事件で果たした役割については、残念ながらそういうふうに善解するのが難しくなった。懲役10年の判決が確定して現在は服役中の飯田眞史さんが無実であることに、実は飯田さんを起訴した市川宏検事自身が気づいていたのではないかと思えるようになったからだ。それに加え、この事件では捜査当局が別の真犯人が存在することを窺わせる証拠を隠蔽している疑いすら感じるようになったからだ。

筆者がそう思う理由はいくつかある。とくに重要なのが、警察は飯田さんの逮捕後もなぜか共犯者がいると確信し、飯田さんに「黒い車」を貸した人物を捜し回っていたことだ。飯田さんは事件当時、「白い車」しか所有していなかったのだが、捜査当局は犯人が「黒い車」に乗っていたと確信する何らかの証拠を収集していたのである。そういう事実が取材で判明したのだが、飯田さんの知人によれば、「この事件は一人では無理な犯行なんだ」と明言する捜査員もいたという。しかし、そういう話が飯田さんの裁判では、「なかった話」にされているのだ。

捜査と公判を両方担当した市川宏検事なら、その真相を間違いなく知っているだろう――そう思い、市川宏検事に対する取材をずっと考えていた筆者が大きなチャンスに恵まれたのは昨年末のことだった。東京地裁である事件の公判を取材していたら、たまたま市川宏検事がこの公判の立会を務めていたのだ。そこで筆者は公判終了後、市川宏検事に挨拶し、名刺を渡させてもらい、後日改めて手紙で取材を申し込んだのだが……。

結果からいうと、残念ながら取材は実現しなかった。飯田さんのことを冤罪だと確信して取材をしている旨と共に市川宏検事に教えて欲しいこと、取材源の秘匿には最大限の配慮をすることなどをまとめた取材依頼の手紙は計3回出したが、そのたびに市川宏検事本人ではなく、錦織昌夫さんという広報担当の検察事務官から電話がかかってきて、「検事個人では取材に応じられない」と断られた。そこで仕方ないので、市川宏検事が立会いを務めていた公判が終わった後、東京地裁の廊下でそれとなく声をかけてみたのだが……。

「申し訳ありません。個人では対応できないんです」
市川宏検事はそう言って、頭を下げ、一緒に公判の立会いをしていた同僚検事とエレベーターに乗り込んで行ったのだった。

以来、市川宏検事とは会えていないが、筆者の記憶に今もよく残っているのが、この時の市川宏検事の妙にオドオドした態度である。最初に挨拶した時はいかにも無愛想で、筆者のことを見下しているような様子も窺えたのに、この事件に関する取材を申し込んだところ、態度が一変したのだ。これはやはり……という印象を受けざるをえなかった。

その著書「検事失格」によると、今でこそ公の場で自らの経験をもとに検察問題に関する発言を積極的にしている市川寛元検事も弁護士転身後、テレビ番組に出演して組合長の親族に謝るまでの時期は自分が佐賀の暴言検事とバレやしないかとずっと心配していたという。そんな感じで市川宏検事も現在、広島の冤罪検事として有名になることを恐れる心境なのだろうか。そうであれば、ぜひとも早くカミングアウトして楽になってもらえるよう、筆者も努力しなければならない。

(片岡健)