「親父が死んだんだ」
携帯に弟から電話があって、もちろん驚いたのだが、驚愕、はなかった。
82歳になって、アルコール依存から抜け出せず、正月に訪ねていっても、すでに酔って寝ているのがここ数年、常だった。
「お前は何か、最近書いているのか?」
そんな言葉を投げかけてきても、それ以上、会話が続かない。
もっと以前、健康だった頃だって、迷惑をかけられるばかりで、助けられたり励まされたりしたことは、ほとんどない。
父という者は、自分にはいない者、と、すでになっていた。

「じゃあ、とにかく行くわ」
弟にそう言って、家に向かう。
家に入っていくと、父は布団にくるまっている。酔って寝込んでいる時と、同じだ。
母が、テーブルの前に座って、ぽつねんとしている。
やはり、織り込み済みなのだろう。酔って寝ていることが多く、起きている時には奇妙な行動を取る。そこから、ただまったく動かない状態に移行しただけだ。
最近は食事も摂らなくなり、医者から栄養剤をもらっていたが、ここ数日は、それさえも拒絶していた。
父と母の二人暮らし。死んだということに気づいて、弟に連絡したのは、母だ。
母は私にも電話したようだが、それには気づかなかった。

死んでいることは、明らかだった。
どこか、公的な機関に連絡すべきだろう。区役所に電話する。
「今日は休日なので、区の嘱託の医師はお休みなので、明日お電話してもらえますか」
そんな答えが返ってくる。まさか、明日まで、放っておけないだろう。
警察署に電話する。
「私どももすぐに伺いますが、119番して救急車を呼んでください」
そう指示される。救急車の濫用が言われる今日この頃。死者のために119番するのは気が引けたが、従わざるを得ない。
「救急車ですか? 消防車ですか?」
繋がると同時にそう訊かれる。すでに死亡しているのだと、事情を説明し、住所を伝える。
「すぐに救急車を向かわせますので、心臓マッサージをしてください」
すでに体は硬くなっていたが、言われるままに、父の胸を押す。

救急車が到着し、救急隊員に心臓マッサージを任せる。
瞳孔、脈拍、心拍が確認される。
「死亡を確認いたしました」
時刻とともに、そう告げられる。搬送の必要なし、と隊員が本部に連絡する。
弟や妹も来ていたが、取り乱す者はいない。

その間に警察官も来ていて、事情を聞かれ、こう言われる。
「自宅で亡くなった場合、検死が必要となります。遺体を警察でお預かりすることになりますが、警察では運べませんので、葬儀屋さんに頼んでください」
家族に迷惑をかけ続けてきた父のために、莫大な費用をかけて盛大な葬儀をするつもりはなかった。あらかじめ、リーズナブルな家族葬をしてくれる会社を調べてあったので、そこに連絡する。

こんな場合、あらかじめ選んでおかないと、警察が葬儀社を勧めてくる。それに従ったがために、莫大な借金を背負い込むことになったという例がある。
今さら言うまでもなく、警察と利権は仲良し。警察とボッタクリ葬儀屋は、グルなのだ。

リーズナブルな葬儀社であるために、内容は細かく決まっている。
病院で亡くなった場合、病院から自宅か安置所、そして火葬場、と搬送は2行程だ。
自宅から警察へと搬送が加わると、別料金が発生する、という。それくらいは、しかたがないだろう。

結局その日、医師の都合で検死は翌日に持ち越された。
葬儀社は、遺体を安置所に運び、翌日、改めて医師のところに運び、検死を終えると再び安置所に運んだ。
警察は遺体を預かってくれないのか?
「ここだけの話ですけど、警察というのは傲慢です」
明快な、葬儀社の担当者の答えを聞くと、それ以上は質せなかった。
搬送の行程がやたらに増えたために、料金は4万円も増えたが、あくまでも警察が傲慢なせいなのだろう。

司法解剖に回される場合もある、と傲慢な警察から言われたが、「心不全」で問題ない死、と確認され、検死は終わった。
検死の料金が、4万円かかった。
東京の23区内では、監察医制度があるので、料金はかからない。
家族は、死に納得している。検死は、犯罪が絡んでいるかどうかという、公の目的のためにすることだ。頼んだわけでもないのに、なぜその費用を家族が負担しなければいけないのか。

県庁に電話して、問い質してみたが、役人言葉が返ってくるだけだ。
親の死を隠しておいて年金をもらい続けていた例が話題になったことがあったが、きちんと対処している者を、なぜ「公」はこうもいたぶるのか。
だが、こんなことは序の口で、その後には、坊主との闘いが控えている。

(FY)