「松井の場合は、両膝を手術したこともあるが、本当はホームランバッターの宿命で、巨人にいたころから背中を痛めていた。思い切りスイングできないと判断したのだろうな」(スポーツ紙記者)
2012年12月27日(日本時間28日)、松井秀喜選手がニューヨーク市内で記者会見し、現役引退を表明した。

「本日をもってプロ野球人生に区切りを付けたいと思う。チームが勝つために自分が何をするか、それを一番考えていた。寂しい気持ちもあり、ほっとした気持ちもある」と述べ、日米合わせて20年のプロ生活に終止符を打った。
「日本球界からの誘いはあったと思う。オリックスや楽天からも確かに打診はあった」(プロ野球関係者)

巨人の10年間で最優秀選手(MVP)、本塁打王、打点王に各3度。2002年に50本塁打を放ち、満を持して28歳で米球界への挑戦を表明した。このときに巨人ファンから「ファンを捨てるのか」とパッシングに遭う。だが当時、同僚だった清原から「俺はお前を誇りに思う」と激励のファックスを送られて奮起した。
「松井の本塁打の弾道は、ほぼ45度に一直線にあがっていくもの。日本人にはありえない軌道を描いていた」(スポーツ紙記者)

なんといっても日本選手で初めて、大リーグで30本塁打をクリアした功績は、讃えられるべきだろう。
巨人の白石興二郎オーナーは「将来巨人のユニホームを着てチームを指揮したいということなら、ありがたい。もろ手を挙げて歓迎したい」と話した。
また、松井が、かつて巨人を飛び出るときに引き止めた渡辺恒雄球団会長との意見交換を希望していることも、ファンにとってはいいニュースだろうが、あれだけ巨人を出るときに批判した経緯を松井は許せるのだろうか。
「それにしても、松井を放り出した巨人はその後、長く4番が定着しなかった。原のあとの4番としては、あまりにも存在が大きかった」(ファン)
ひとつの時代が終わった。また新しいスターの出現を期待したい。

(鹿砦丸)