妹に、石屋に払う石塔の代金を立て替えてもらおうと思ったが、メールは届かず、電話は通じなかった。石塔を建てようと強く主張したのは、自分は教会で結婚式を挙げた妹だったのだが。

だが、そんなことをしつこく催促するのは嫌なので、信頼関係の強い方に用立ててもらって、石屋への支払いは済ませる。
ちなみに、この石屋は、気持ちのいい人物だった。
生まれてすぐに亡くなった私の姉の遺骨も墓所には納められているので、その戒名も彫ってほしいと頼んだ。
「ええ、かまいませんよ」
料金内で行うことを請け合った後で、石屋の主人は付け加えた。
「お母様もよく、亡くなったお子さんのことは、よくおっしゃっていましたから」
えっ、そうなのか、と驚く。
私たち子供の前では、そのことはほとんど口にされなかった。

ふと、母親の子供への秘めたる愛情は、すべて亡くなった姉に注がれていたのか、と思う。
命を授けてもらい、衣食住を満たしてくれて、学校に行かせてくれたのだから、親には感謝すべきだと思う。
だが、親から愛された、という感覚はどうしても持てない。
とにかく、学校で何があったのか、といった類の会話が一切なかった。他の家庭のことは分からないから、そういうものだと思っていた。
通信簿は見せていたが、いい成績であっても、喜んだり褒められたりすることはなく、つまらなそうな顔をするだけだった。

まあ、それで、よかったと言えば、よかったのである。
喜んだり褒められたりすれば、調子に乗って学校の勉強ばかりしてしまう。
私程度の頭脳で学者になることはないだろうが、東京電力あたりに入って、「原子力は安全です」などと言っていたということは、十分にありうることだ。
今の私があるのは、母のおかげだ。
それでも漠とした寂しさがあるが、亡くなった姉に愛情が注がれていたのなら、なんだか得心がいくような気がする。

一週間ほどして、妹からメールがある。
「メアド間違ってた。正解はこちら」
続けて正しいメアドが、書いてあった。
「ごめん」の一言もない。

母親も、「ごめん」「ありがとう」を言わない人だった。
親の会社を手伝っていた一時期の間に、母親の書いた地図で集金に行った。
その地図が間違っていて、ずいぶん迷ってしまう。
「だって、劇場の横だから、分からなかったの?」
帰ってからの、母の言葉が、それだった。
行き先は有楽町で、劇場はいくらもあった。

親は子供に教えることはできないが、子供は親のようになる、とはその通りだ。
私もある年代まで、「ごめん」「ありがとう」が素直に口に出せない性格だった。
「ごめん」と言われれば、人は許す。
「ありがとう」と言われれば、それをまたしてあげようと人は思う。
この二つが言えないということは、幸福を自ら逃していることだ。
母は、最近になってやっと、この二つが口に出せるようになってきた。
思えば、可哀想な人生であった。

(FY)

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