ネーンに撮って貰った1枚。私とブンミー和尚さん

大通りで他の寺から来る列を待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆ビザ獲得!

タイ領事館窓口で引換券を出す頃、ちょうどネイトさんもやって来ました。お互い難なく受取れて握手。初めてのノンイミグレントビザ。私でも取れたんだ。何か凄いことやったような気分。

私とネイトさんはホッとして雑談が長くなる中、明日の托鉢をネイトさんが撮影してくれることになり喜んでいると、藤川さんが早く買い物に向いたかったようで、「早よせんかい!」とイライラしている。全く勝手な人だ。テメエは喋りだしたら長いクセに。

合流し一列縦隊で進みます(Photo by Nate Badenoch)

ネイトさんは「明日の朝6時にチェンウェー寺に伺います」と言われてここで別れました。

我々はトゥクトゥクで、私が2ヶ月前も立ち寄ったショッピングセンターへ。
藤川さんが「英語ネーンに買うてったろ!」と言ってオーワンティン(瓶詰め粉末)とコンデンスミルクを買う。藤川さんはタバコを選び、これが早く欲しくて来たのだろう。

私はサンダルを買い、タバコ代を立て替えたりして、それぞれの値段が分からなくなったが、「物価はバンコクの半分ぐらいやが、電化製品はバンコク並みに高いな!」と言う藤川さんがビエンチャンの物価を探る好奇心を持った買い物を終えてワット・チェンウェーに帰ります。

信者さんが待つ路地に入って、一掴みのもち米を受けます(Photo by Nate Badenoch)

信者さんもサンダルに膝を乗せて辛い体制です(Photo by Nate Badenoch)

トゥクトゥクで帰ると隣の寺で止められてしまう。「もう少し先」と言おうとしたところ、「歩けば近いやろ!」と藤川さんはサッサと降りてしまう。私は方向音痴だが、降りた位置が分かっていた。藤川さんが隣の寺まで来ているのに方向を間違える。勝手なことを言っておいて間違えることこの旅だけで何度目だろう。

帰るとすぐ、ネーンが私を呼びに来た。「サンカティに纏って、出かける準備して!」と急がせる。

「葬式でもあるのかな」と思うも今回は藤川さんは呼ばれず私が呼ばれ、他にネーンが二人、ブンミー和尚さんと4僧でトゥクトゥクに乗って、向かう先はどこかのお寺らしい。そこで見たものは過去、私が通って来た道でした。

田舎っぽい風景の中の托鉢。低感度フィルムによるAUTOか強制無発光の為、被写体ブレが起きています。フラッシュが効いている被写体は陰が明るめに出て、ブレが小さめになっています(Photo by Nate Badenoch)

◆寺から向かった先は!

そこでは頭を剃ったばかりの20歳ぐらいの若者2人が白衣を纏って並んで立っていました。得度式である。私は比丘として彼らを迎える立場となったのだ。
「撮ってやりたいなあ」と思うが、それができない立場がツラかった。

ここまでは誰も私が日本人とは分からなかった様子。他の比丘は20僧ぐらい居たが、読経中にブンミー和尚が私に「カメラあるか?」と言う。ビザ取りに行ったままの頭陀袋だったので一眼レフを出すと、「違う、小さい方!」と言われてコニカのビッグミニを渡そうとすると、頭陀袋にカメラのストラップが引っ掛かって落として慌ててしまい、周りの比丘達が笑いだした。

集落ごとに信者さんの列があり、比丘と列と重なります(Photo by Nate Badenoch)

何を撮るのかと思ったら、向かいに座ったネーンに渡したブンミー和尚さん。つまり、「読経中の我々を撮れ!」と命じたのである。カメラを2台も出したところで、周囲は私が日本人と分かった様子。「ワット・チェンウェーの日本の比丘」といった雰囲気が漂う。

ここでも客寄せパンダになっていた私であった。お布施は2000キープを受取る。寺の外ではお祭り騒ぎ。出家者を送る親族の徳を積む機会だろう。薄汚れたシャツを着た4~5人の幼い子供らが裸足ではしゃいで駆け回っていて、映画で観るような発展途上国らしい風景だった。

比丘は裸足、信者さんも裸足で待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆体調に異変!

ワット・チェンウェーに帰って、英語ネーンに買って来たオーワンティンとコンデンスミルクをプレゼント。素直に喜ぶ澄んだ目がやっぱり綺麗である。夕方の読経の時間には皆が講堂に集まりました。私はここに来てから馴染んだラオス訛りの読経を耳に収めていました。

ビザを貰って安心してから一転、今日の昼食後から何か腹具合がおかしく長引いていることに気付く。パンシロン飲んだが夜になっても胃がスッキリしない。下痢が始まり、更に寒気がしてきた。風邪かな。今日も英語ネーンやデックワットが温かいオーワンティンを持って来てくれる。身体温めようと飲むも、気持ち悪さが治らない。寝るのはいつもと変わらない夜の9時頃だが、サッサと眠りにつくよう蚊帳に入って寝てしまおう。

陽が昇り始める頃、托鉢も終わりに近づきます(Photo by Nate Badenoch)

ところが深夜12時に目が覚める。脈が速く熱がありそうだ。これはヤバいぞ。真っ暗の中、頭陀袋からバファリン捜し、置いていたポラリス(ミネラルウォーター)で飲んでまた寝る。

朝方4時過ぎ、藤川さんが早くも片付けしている音で目覚めた。この寺を後にする準備して講堂へ座禅組みに行ったようだ。私はもう少し寝て5時過ぎに起きると一応熱は下がっている。ネイトさんに撮影頼んでいるのに今日は無理かと思っていたが托鉢には行けそうだ。

この方もやっぱりもち米、タイ東北部とラオスはこんな光景になります(Photo by Nate Badenoch)

◆我が托鉢の撮影!

ところが6時回ってもネイトさんが現れない。朝早くに呼ばれても寝坊も仕方無いかと諦めかけたが、列になって托鉢に向かう頃、ネイトさんがバイクでやって来た。すぐコニカのビッグミニ渡し、フィルム36枚撮り1本撮りきるようにお願いします。前から後ろから撮っている気配は感じるが距離が遠過ぎる。

広角レンズだし、もっと近い距離でアップ目が欲しいところ、私以外も撮ってるし、途中で「ネイトさん、もっと接近して!」と不謹慎にも大声を出してしまうが、撮ってくれただけでも有難い。寺へ帰ってから感謝を伝えて、朝食に向かう。また熱が出て来たようだ。食欲は沸かないが、ひと口でも多く頑張って食ってバファリンを飲む。昼までに下げないといけない。またしばらく眠ることにしました。

チェンウェー寺での夕方の読経、この寺は若い比丘とネーンばかりでした

ノンカイに向かう準備の為、ネイトさんは乗って来たバイクで一旦居候先に戻りました。

11時近くまで眠っても全く食欲が沸かなかったが、昼飯もまた一口でも多く食べておく。眠っていた間に藤川さんはシーツを洗濯したらしい。使った物は綺麗にして返すのは当然だが、私はグロッギーで出来なかった上、迂闊にも考えが及ばなかった。クテイの掃除だけやったが、使った寝具はそのまま折り畳んだだけ。これはこちらの比丘達に申し訳なかった。

広い講堂内、読経は40分ぐらい続きます

ブンミー和尚さん先導の読経が続きます

英語ネーンも学問とともに仏門で修行の身

◆ラオスを後にしてノンカイへ戻る!

午後1時に出発予定だったが、ブンミー和尚さんが朝からニーモンに行かれて別れ際には会えなかったことが悔やまれる。おじいさん比丘や英語ネーン達、デックワットには体調悪くて最後に何もしてやれなかったが、感謝の気持ちは何とか伝えて、藤川さんとネイトさんと共に拾ったオンボロタクシーに乗ってタイ・ラオス国境の橋へ向かいます。

出国手続きをしてラオスを後にする。最後に体調崩したが想い出の地になった。皆、心優しい良い人ばかりだった、タイ領事館の連中以外は。またいつか来れるだろうか。バスで橋を渡ってタイ入国手続きも簡単に終わり、ネイトさんが居るから言葉は何とかなると思うと心強かった。無事にタイ領土に入ると、故郷に帰って来たような安心感に包まれる。後はどんなに遠くても日本のおばあちゃんのアパートまで、歩いてでも帰れるような錯覚に陥る。

それにしても、すぐ座りたくなるほどダルく体力が落ちている。バファリンも正露丸も効かない。大丈夫か俺。ネイトさんの今後の進路を見届けてからペッブリーに帰らねばならないのだ。まず、この発熱と下痢を伴なう体調不良は何なのか。回復しなかったらどうなってしまうのか。そんな不安を抱えながら、トゥクトゥクに乗ってワット・ミーチャイ・ターまで50バーツ。門を潜って新たな展開へ、ネイトさんを含む3人のお泊り願いに向かいます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』