久しぶりに、三里塚の裁判闘争をふり返ってみた。21歳から25歳にかけて、足かけ4年におよぶ裁判闘争は、わたしにとって論理的な勉強をする時期だったかもしれない。学部は文学部で現代文学(卒論は武田泰淳の「史記」)だったし、どちらかといえば感性的に運動に参加したほうである。未決の獄中1年のあいだに、刑事訴訟法や資本論の読書、ドストエフスキー、高橋和巳を読破したことは前に書いた。

未決拘置の卒論ともいうべき冒頭意見陳述は、京大教授佐藤進さんの『科学技術とは何か』をもとにした、今でいえばポストモダン的な資本制の近代合理主義批判だった。資本主義のもとでは、すべてが数量化されるがゆえに三里塚のような開拓農の苦労が個別には理解されない。そこに農民たちの政府への不信が組織されたのだと、かなり説得的な論述になった。思い起こせば、獄中の1年ほど勉強した時期はなかったなぁ、である。

 

秋葉哲さんの談(HP「懐古闘争の記録」より)

◆3・8分裂と裁判の終了

判決が出たのは、1983年の3月である。おりしも三里塚芝山連合反対同盟の分裂が明白になり、論告求刑の日(2月公判)はマスコミのカメラの放列を浴びたものだ。判決の当日は、傍聴券をめぐって北原派の支援と熱田派の支援が睨み合う事態となって、わたしたち被告団もなかなか裁判所に入れない有り様だった。フェンスを挟んで殴りあいも起きていた。それに公安刑事が介入しようとする。逮捕者こそ出なかったが、やはり内ゲバは良くない、とこの歳になって思う。

判決時の裁判長は民事畑の人で、訴訟指揮はきわめて温厚、反対同盟の三幹部に対する気遣いも素晴らしかった。「秋葉さんの畑は、やはり園芸農業なのですか?」と、秋葉哲救援対策部長が最終陳述を終えたあとに、語りかけた記憶がある。それでも判決を言い渡すときは、かなり緊張した語調になっていた。それを考えても、いい人だったんだなと。

◆裁判は体験するべきです

最初の裁判長は荒木さんといったが、なかなかロマンスグレイの見栄えがする方で、わたしは嫌いではなかった。訴訟指揮は弁護側に対しても、検察側に対しても厳しかった。ロイヤー(法律家)というのは、若い学生にとってすこぶるカッコいい存在だった。

4回生から裁判と法律に接したことになるが、他学部聴講ではいくつか法学部の選択科目を選んだものだ。後年、アパートの敷金問題(敷金の没収と多額な修繕金の請求に対して、内容証明を出し敷金を奪還)、あるいは出版社の契約不履行事件で本人訴訟をした時に、訴訟法の知識は大いに役立った。大学進学の時に母親から「法学部がいちばんツブシが利く」と言われたのは、こういうことだったのかと思ったものです。したがって出身学部を訊ねられると、文学部法律学科刑事訴訟法専攻と答えることもありますね。あるいは文学部経済学科マルクス主義経済学専攻とか。

裁判と縁が切れない鹿砦社のデジタルサイトならではのこと、いまもわたしは法律的な知識に恵まれている。これは悪いことではない。各種の法律および判例には、人類の叡智が詰まっているのだと思う。たといそれが、正義感やバランスを欠いた裁判の判決であっても、裁判官や裁判員の苦渋がにじみ出ていればいいと思う。いまわたしは、死刑制度をめぐる本を執筆中です。法律といえば、憲法「改正」が政治の焦点になるのだそうな。あらためて、日本国憲法を読み返しながら、その論点を探ってみたいと思う。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)