何年も前に一度だけ『紙の爆弾』に登場して部落差別について述べ、それっきり再登場は無い「評論家」の呉智英は、かつて『宝島』で可笑しな発言をし、続けてあの『朝まで生テレビ』という番組に出るようになって奇妙なことを言い出した人だ。その当時、彼の変な言動は『噂の真相』によく揶揄されたものだ。

特に呆れたのは部落差別についての発言だった。呉はスタジオで「天皇がいるから差別があると言った人がいるけれど、南アフリカ共和国には天皇がいないけど差別があるじゃないか」と興奮した調子で喚いていた。

人種差別のように外見が異なるわけでもないのに、同じ人種と民族で差別があるから、そういう説がある。これをどう考えるかはともかく、前提を知らずに人種差別の問題を引き合いに出すとは、無知どころでは済まないお粗末さだ。
ところが、こんな人がまだ評論家として活動しており、では少しは進歩したのかというと、相変わらずであった。

93年、当時官房長官だった河野洋平氏が「談話」の形で従軍慰安婦問題について遺憾の意を表明したが、10月16日の産経新聞は、この「河野談話」への疑義を投げかける朝刊1面大見出し4面もの分量を使った「スクープ記事」を掲載した。慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠になった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手したところ、内容に疑問があるというものだった。

この記事は、聞き取りがずさんだと言うだけで否定になっていないという反論もあるが、記事への評価については置くことにする。問題は、これについてなぜか「アサヒ芸能」から意見を求められた呉智英である。彼は相変わらず頓珍漢もいいところの発言をしたのだ。

呉は記事の内容について検証をすべきなのに、作家の吉田清治が77年に発表した『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)という著書を持ち出した。そして、戦時中に日本軍人が朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にしたという記述が創作であると言う。
この話は河野談話とは関係が無い。そもそも産経の記事は、談話の前提となった日本政府独自の証人聞き取り調査について、ずさんだという内容である。

また、呉は続けて「外国と戦争をして、敵国の女性を拉致して売春婦にする例はあります。日本人も敗戦後は、ソ連兵に何万人も強姦されています」と言うが、売春を強制されることと強姦では意味が違うし、もしそうした意味なら、ソ連が日本人女性を何万人も売春婦にしたということになってしまう。

さらに呉は、当時、日本は朝鮮を併合して植民地化していたから、朝鮮人は敵国どころか日本人だったのであり、「同じ日本人女性に銃剣を突きつけて、強制で慰安婦にするなんて考えられません」とか、「しっかりとした歴史知識があれば、強制連行がなかったという問題に対して、すぐに反論できることです」とか、意味不明なことを言う。「主張」ではなく「問題」に「反論」するのか?「強制連行があったと非難される問題」なら、まだ意味は通じるだろうが、それでは話の趣旨とは逆になってしまう。現に、呉は続けて「『河野談話』は崩れたので、今後日本政府は、否定するべきでしょう」と言っているのだから。

また、この「『河野談話』 は崩れた」というのにしても、おかしな表現である。河野談話の前提とか根拠についてという意味なのだろうか。だとしても変だ。否定するかどうかは、その崩れたことが趣旨の根幹に関わるものかどうか、という点が問題になる。一部の訂正ではなく否定というのだから当然だろう。その問題への検討が無い。

このように、「評論家」の呉智英という人は、意見とか論の内容がどうなのか以前に、それを考えるための組み立て方において、基礎中の基礎すら出来ていないのだ。つまり、何かを考えて結論を導き出すこと総てに、まるで向いていない頭の構造の持ち主である。

(井上 靜)