誰が書いているか明らかにされていない有名なブログといえば、まず「きっこのブログ」で、これはスタンスが一定でないため複数人によって書かれていることはまず間違いないと言われている。

もうひとつは「世に倦む日々」で、これは独りで書いていると観られているが、その主とは「ノンフィクションライター」を自称する藤井誠二ではないかとの説がある。

この「世に倦む日々」は、ネット上に登場した当時、なりふり構わないトラックバックによって宣伝しまくっていたものだ。そして、「渋面憧れブログ」「エセ左翼ブログ」と評されている。

というのは、まず、ブログの内容と無関係なのに、なぜか渋い中年男の顔写真を何枚も貼り付けていて、おそらく書いている人がそうした顔に憧れているのだろうと思われ、そして、もっぱら左派の主張に共感する内容であるが、その一方では身体を張って権力と闘っている人たちを口汚く中傷し、また、ここぞという場面で左派に敗北主義を刷り込もうとする、という内容からである。

そうなると、最も一致しているのは藤井誠二だろう。サイトを見れば、彼が渋面に憧れていることが一目瞭然だ。しかし、それはあまり重要なことではない。問題なのは、そのなりふり構わない宣伝手法と、主張の奇妙な一致である。

「世に倦む日々」がトラバされまくったのと同時期に、藤井誠二による自著宣伝が図々しい形でトラバされていた。それは、あの光市母子殺害事件の騒動の当時である。このさいマスメディアによりヒステリーが煽られたことは周知のとおりで、遺族をテレビに出すなど背景には権力から働きかけがあったはずだと指摘されたが、それと同時に「世に倦む日々」は「死刑は廃止してはならない」と主張し、弁護団が死刑廃止を裁判で訴えてもいないのに、死刑廃止につながるような弁護活動をするのは「安田弁護士の怠業」であると罵った。

権力から迫害されて中傷や脅迫も受けながら働く安田弁護士には、そのころ『紙の爆弾』で中川編集長がインタビューしているが、あれほど懸命に頑張っていることに対して、仕事を怠けているとは、ふざけた話である。

それと時を同じくして藤井誠二は、事件について取り上げたサイトに、同弁護士らを誹謗するコメントをしながら、同時に自著の宣伝を貼り付けていた。この『殺された側の論理』という題名は、本多勝一の名著『殺される側の論理』のパロディだが、スタンスは真逆で、本多の著書が戦争や差別により抑圧された者の立場から行為者を告発しているのに対し、藤井の著書は「論理」と題しながら感情論でしかなく、しかもその被害感情があまりにもステロタイプであると指摘されている。

こうした滑稽な権力依存志向を、左派ぶった主張と同時に見せるのは、「世に倦む日々」と藤井誠二以外に見当たらない。だから、藤井誠二が「世に倦む日々」を書いているという噂が立つのである。

さらに、藤井誠二は『週刊金曜日』の常連だが、この雑誌は佐高信の影響で、ずっと石原都知事批判をしていたのに、「しんぶん赤旗」のほうがより強力な石原批判を展開して注目されると、共産党攻撃をしはじめたことは周知のとおり。同誌のある編集者に聞いたところ、当時の佐高は、共産党が支持を増やすなら石原を応援するほうがマシだという態度だったそうだ。

そして今、「世に倦む日々」は、秘密法反対の集会に出たら共産党だけ熱心さが足りないと非難し、なぜかというと自分の主観的印象。そして、猪瀬辞任の途端に、次の選挙で共産党が先の選挙にも出た宇都宮弁護士を担いだら、また自民の勝ちだと言い出した。まだ何も動きがない状態でもうこのような佐高金曜日的な言質である。

ただ、実際に「世に倦む日々」を藤井誠二が書いているかどうかということは問題ではない。そのような左派ぶった悪意が、表面に欺かれて注目されてしまうことが問題なのだ。だから今後は、ネットでも出版でも、健全な批判精神と論考を、育んでいかなければならない。

(井上 靜)