新型コロナウイルス騒動の勃発以来、中国のことを発生源と疑う人たちが反中感情を強めている。この現象は私に対し、以前取材した1人の中国人のことを思い出させた。

林振華(りん・しんか)、37歳。母国中国の名門高校を卒業後、日本で経済を学ぶために来日した「親日家」だった。しかし、国立の三重大学に在学中、母子3人を殺傷する事件を起こし、現在は死刑囚として名古屋拘置所に収容されている。

中国のエリートはなぜ、日本で転落したのか。林は裁判で死刑が確定間近だった2018年9月下旬から10月初旬にかけて、私の取材に応じ、来日以降の顛末を計6通の書簡に綴った。林が起こした事件はメディアでも大きく報道されたが、書簡には世間に知られていない事実も多く記されていた。今読み返しても、有名事件の貴重な資料と思える内容だ。

そこで当欄で前後編2回に分けて紹介したい。

◆人の命を殺めたら、命で償うのは当然

〈被害者やその関係者に対して、ただ申し訳ない気持ちで一杯です。相手は何の罪もない人たちです。自分の一番安心して寛ぐはずの家で殺されて、または怪我して怖い思いをして、または大切な人も失って悲しい思いをして、そう思うと、私自身も言葉を失うぐらいつらくなります〉(※〈〉内は、計6通の書簡のいずれかから引用。以下同じ)

林は自分が起こした事件について、書簡でそう振り返っていた。真摯な反省の気持ちが込められた文章ではあるが、林が起こした事件は擁護しようのない大変悲惨なものだった。

2009年5月1日の夜、三重大学の学生だった林は愛知県蟹江町の会社員・山田喜保子さん(当時57)宅に侵入して金品を物色中、帰宅した喜保子さんと鉢合わせになり、持参したモンキーレンチで頭部を殴って殺害。さらに次男のケーキ店店員・雅樹さん(当時26)も帰宅してきたため、その場にあった包丁で刺し殺した。

その後、今度は三男の会社員・勲さん(同25)が帰宅してくると、用意していたクラフトナイフで首を切りつけ、手首を電気コードなどで縛り上げて拘束。最終的に現金約20万円や腕時計を奪い、逃走したのだった。

そんな事件は警察の初動捜査の不手際もあり、長く未解決だったが、林は2012年に三重県で自動車を盗んで逮捕された際、DNAの型が山田さん宅で採取されたDNAと一致。容疑を認めて逮捕され、2015年2月、名古屋地裁で中国籍の被告としては初めて裁判員裁判で死刑判決を受けた。そして2018年9月、最高裁に上告を棄却され、死刑が確定した――。

林はこの裁判の結果について、書簡にこう綴っている。

〈裁判について、私は不満や納得できないことはありません。人の命を殺めてしまったら、命で償うのは当然です。両親が面会に来た時、「弁護士先生の言う通りに」と念を押されなかったら、私はたぶん控訴しませんでした〉

この時期、林はすでに死刑が確定することは確実な状況だったから、裁判での情状を良くするために反省している芝居をする必要はない。罪を償うため、本気で死刑を受け入れる覚悟を決めていることが窺える。こんな男がなぜ、殺人犯となったのか。そもそも、日本に留学してくるまでに、どんな人生を歩んだのか。

林が「転落の軌跡」を綴った6通の書簡

◆国際舞台で活躍したかった

林は中国の山東省生まれ。両親は2人とも気象庁で働いており、その間に生まれた一人っ子だった。少年時代は〈ガリ勉で本の虫〉だったという。

〈私は中学の時、特に中三の時、毎日夜12時まで勉強しました。高校はスパルタ教育で悪名高い?全寮制校でした。朝5時から夜10時まで教室に缶詰めです。土日も授業で一、二カ月に一度の頻度で家に帰れる、そんな具合です〉

この過酷な進学校で、林の成績は常に学年10位以内。当時、将来の目標は大手の商社マンか、銀行マンになることだったという。

〈国際的舞台で活躍する人間になりたいと思いました。そのため、特に英語の勉強に力を入れてました〉

高い志を持って努力していた林は、将来を誓い合った恋人もいた。だが、2003年10月の高校卒業時、選んだ進路は日本への留学だった。

〈私が中国にいた時、日本はまだ世界二位の経済大国でした。その時も不思議に思いました。こんな小さな国から、一体どこからそんな富を生み出す力があるのかと。あと、日本の漫画やアニメも大好きでした〉

そんな記述からは林が大きな希望を抱き、来日したことが窺える。ところが、現実は最悪の結末を迎えたわけである。

〈両親が貯金を果たして私に留学の夢を叶えさせました。なのに、私はその期待を裏切りました。そう思うと心が痛いです。抉られるように痛いです〉

両親のことを思い、林が自責の念に苦しむ様子がよく伝わってくる。

◆万引きで人生が暗転

日本に憧れていた林だが、実は高校卒業まで日本語を勉強していなかった。そのため、当初は京都で日本語学校に入学したが、勉強には苦労したという。

〈一緒に日本に来た子たちはみんな中国で六年間日本語を勉強したので、日本語がペラペラです。最初からすごいハンディキャップでした。私もその現実を認識しているので、勉強に力を入れました。最初に買った本が広辞苑です。毎日ラジオを流しっ放しで訛りを直し、語彙を増やしました〉

努力が実り、短期間に日本語を身につけた林だが、〈一つ誤算がありました〉と振り返る。経済的問題だ。

〈私は日本に来た時、32万円を持参しました。2004年3月末、日本語学校では次の半年間の授業料を請求されます。金額は30万円です。それを支払って、私は突然一文なしになります。その時私はすでにバイトを始めましたが、給料は4月末まで待たなければなりませんでした。その間を食い繋ぐことができませんでした。何日も、何も食べない日もありました〉

林は当時、飢えをしのぐため、コンビニのゴミ置き場を漁り、賞味期限切れで廃棄された弁当を食べたこともあった。そしてついに誘惑に負け、スーパーでおにぎりを万引きした結果、店員に捕まり、警察沙汰になってしまう――。

筆者が原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』分冊版第13話でも、林の「転落の軌跡」は詳細に描かれている © 笠倉出版社/片岡健/塚原洋一

〈それ以来、いつも優しかった先生たちの私を見る目が変ったのです。今考えてみると、お金がない時、素直に友人に頭を下げて借りればいいのですが、当時、私は自尊心が強かったため、それができなかった。目線を避けるために、私は極力教職員室にいかないようにした。周りの友人とも疎遠になった。毎日授業が終わると、バイト以外の時間は部屋に引き篭もった〉

孤独な人間となった林だが、その年の大学受験では静岡大学に合格した。が、落とし穴が待っていたのだ。

◎親日家だった元エリートの中国人死刑囚、書簡に綴った「転落の軌跡」
【前編】
【後編】

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の第13話では、林振華を取り上げている。

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