《薬物?で保険金殺人 知人3人に十数億 容疑の金融業者 あすにも家宅捜索》

産経新聞東京本社版の朝刊一面にそんな見出しが大々的に踊ったのは1999年7月11日。埼玉県本庄市の金融業者・八木茂氏(当時49)はこの日以来、保険金目的で債務者の男性たちを殺害した疑惑を多数のマスコミに繰り返し大々的に報道され、「渦中の人」となった。結果、八木氏は保険金目的の殺人事件2件、殺人未遂事件1件で起訴され、無実を訴えながら2008年に死刑判決が確定。だが、あの凄絶な報道合戦から15年になる今、この事件の虚構が次第に暴かれつつある。

八木氏の再審請求即時抗告審で、東京高裁は昨年12月、95年に八木氏らが保険金目的で毒草のトリカブトにより毒殺し、利根川に捨てたとされている工員の佐藤修一さん(当時45)について、保管された臓器をもとに死因の再鑑定をすることを決定。八木氏の弁護団は通常の裁判のころから、佐藤氏の死因は「溺死」だと主張していたのだが、この主張は元々、複数の有力な法医学者が佐藤氏の臓器から検出されたプランクトンをもとに分析した意見に基づいていた。弁護団によると、再鑑定で佐藤氏が「溺死」だったと認められるのは確実で、ひいてはその死の真相が「川に飛び込んだ自殺」だという弁護側の主張が法医学的にも裏づけられ、再審開始決定が出るのは間違いないという。

ただ、そう言われても、八木氏の再審が認められるという話に現実味を感じられる人は少ないはずだ。捜査段階に八木氏をクロと決めつけた報道があまりにも凄まじかったからだ。だが、実際のところ、八木氏の裁判では、信頼に足る有罪証拠はただの1つも示されていない。それと共に八木氏を犯人と決めつけた裁判前の報道の多くが嘘だったことが動かし難く明らかになっているのである。

たとえば、新聞の初期報道によると、上記の佐藤氏は95年に利根川で遺体が見つかった際、死因は「不明」だったとされていた(読売新聞東京本社版00年10月20日朝刊など)。だが、実際には、警察は当時、司法解剖の結果も踏まえて佐藤氏の死因を「溺死」と断定しており、そういう捜査報告書も存在した。それが4年後、99年に八木氏の保険金殺人疑惑が報じられるようになって以降、捜査当局は佐藤氏の死因がじつは「溺死」ではなく、「毒殺」だったと結論を変えたのだ。

ちなみに当時、佐藤氏の死の真相が「毒殺」と判明した根拠として、保管されていた佐藤氏の臓器からトリカブトの成分が検出されたという捜査情報が報道されていたが、あれは一応事実だ。だが、トリカブトは毒草として有名な一方で、その根はブシやホウブシなどの名で医薬品の成分になっており、とくに漢方薬には非常によく使われている。それにも関わらず、八木氏の裁判では、佐藤氏の臓器から検出されたトリカブトの成分がそういう医薬品に由来する可能性を調べた証拠が検察側から一切示されていないのだ。

一方、確定判決によると、八木氏は佐藤氏以外の2人の被害者に対する殺人、殺人未遂事件では、愛人女性に指示して連日、大量の風邪薬と酒を飲ませて衰弱させる手口を用いたとされている。その結果、元パチンコ店従業員の森田昭氏(当時61)は衰弱して99年5月に死亡し、元塗装工の川村富士美氏(同38)も急性肝障害などの傷害を負ったというのが確定判決の認定だ。この2人の事件について、マスコミでは捜査段階から「風邪薬」を凶器に使った前代未聞の殺人事件であるかのようにセンセーショナルに報じられていたが、裁判でもその通りに認定されているわけだ。

だが実際には、この2件の「風邪薬事件」についても、裁判で明らかになった実相は報道の情報とかけ離れている。

たとえば、八木氏の疑惑が浮上した当時の報道では、森田氏が亡くなったことにより八木氏らは3億円を受領したように報じられていた(産経新聞東京本社版1999年7月12日夕刊)。しかし実際には、八木氏らは関氏の死亡保険金について、支払いの請求すらしていなかったのだ。

一方、川村氏については、5月に入院した際に「一時意識不明」の重体に陥っていたように報道されていた(産経新聞東京本社版1999年7月11日朝刊など)。しかし、これも誤報で、実際には川村氏はこの時、意識はしっかりしており、医師には「入院の必要はない」と判断されていたのである。

また、マスコミはほとんど報じていないが、この2人は元々酒好きで、連日午前4時ころまで飲酒するような生活をしていたうえ、実は覚せい剤を使用していたことが裁判で明らかになっている。2人は風邪薬を毎日飲まされたからではなく、酒づけの乱れた生活と覚せい剤の常用によって衰弱死したり、体調不良に陥ったと考えても何らおかしくなかったのである。

昨年12月、東京高裁が佐藤氏の死因に関する再鑑定の実施を決めた際、八木氏の弁護団は会見で、再審開始になれば、森田氏や川村氏の事件でも八木氏が無実であることを証明していきたいという意向を示していた。つまり、再審が始まれば、15年前に八木氏を犯人と決めつけたマスコミ報道の嘘も公判廷で次々に露呈する可能性がある。

産経新聞の「スクープ」により八木氏の疑惑がマスコミに連日報じられるようになった日からまもなく15年。この事件がいかに虚構であるかについて、今後も報告していく。

(片岡健)

★写真は、八木氏が営んでいた金融会社「国友商事」の跡地。報道合戦が行われたいたころは連日、多数のマスコミが集まっていた。

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