阪神大震災から23年 「自然の力に人間は到底及ばない」と自覚し続けること

1995年1月17日早朝に発生した「阪神大震災」から23年になる。震災の記憶を「風化」させてはならない、と神戸などでは毎年行事が行われる。はたして震災の記憶を「風化」させないことにはどのような意味があるのだろうか。またそれは可能だろうか。

◆悲しみは20年程度で消えるものではない

「阪神大震災」だけではない。おそらくは1995年から日本は地震の活動期にはいり、その後20年ほどのあいだに大地震が頻発した。ここ半世紀ほど経験のなかった震度6級の地震が北海道、岩手、福島、新潟、長野、島根、熊本(それ以外にも震源地はある)と全国で発生している。

記憶の「風化」は揺れの経験者や被災者には起こらない。忘れようにも体に染みついた揺れへの恐怖心や、被災による悲しみは20年程度で消えるものではない。被災の苦しみは後遺症や生活困窮となり現在進行形でも被災者を苦しめている。困難の渦中にあるひとびとにとっては「風化」どころではない。

他方、大地震を経験せず、東日本大震災も映像や報道でしか触れなかったひとびとは「震災」をどう感じているだろうか。もちろん一様ではないだろう。共感力の優っているひとは、自分の身に何が起こらずとも情報からだけでも自然災害へのある種の「畏敬」や被災したひとびとの苦難を、わがこととして感じ得よう。あるいは自分も揺れを体感しても、すぐ近くで苦闘しているひとたちに思いをいたすことができないひとが、震災直後からいたことは、1995年の西宮と大阪の意識格差から思い出される。


◎[参考動画]阪神淡路大震災当日 東灘区、灘区の様子(hanahana1187 2015/01/16公開)

◆「もうええ加減、会社出てこられへんの?」 

「もうええ加減、会社出てこられへんの?」 震災から3日後に大阪市南部にある中小企業に勤務する知人は西宮の自宅へ連絡を受けていた。1月17日早朝の大地震発生直後、テレビは即、大阪、京都の震度を報じたが、なぜか神戸の震度だけはしばらく抜けていた。京都で揺れを感じたわたしは「神戸だ」と直感し、親戚、知人に安否を確認すべく電話をかけまくった。幸い直接の知人には、犠牲者や怪我人はいなかった。が、その数分後から関西地方を中心に有線電話はほとんど使えなくなった。

阪急神戸線は大阪(梅田)から西宮北口までは運行していた。その先神戸方面へは不通だった。大阪(梅田)駅周辺には目立った被害は確認できない。地震の直後にビルの屋上で作業用のクレーンが倒れた映像が繰り返し放映されていたが、大阪中心部の被害は、その程度だった。阪急電車が西へ動き出すと景色は少しづつ変化を見せた。ブルーシートを屋根に被せた民家の姿がところどころにみられるようになってきた。武庫川にかかる西宮大橋を渡ってからは街の姿が一変する。何年か前に本通信に書いたが、西宮北口駅周辺は「爆撃を受けた町」の様相だった。

知人は本当であればそこから2駅宝塚方面に乗り換えると、駅から近い場所に住んでいたが西宮北口から宝塚へ向かう電車は運行していないから、徒歩で向かった。新しく建てられた住宅は外見上無事に見えるが、古い民家は軒並み全壊で、崩壊した文化住宅にはまだ救助の痕跡すら見当たらなかった。まだ荼毘に付されない亡骸がそここに埋まっている。そんな状況が地震発生3日後の西宮だった。

阪神高速道路が横倒しになり、新幹線の高架が何か所も崩れ落ちている映像はその日のうちに全国に放映された。それでも大阪から電車で特急なら15分、距離にして15キロの被災者に向けて「もうええ加減、会社出てこられへんの?」と声をかけるひとが震災3日後に実在した。

そのひとにとって「阪神大震災」はどう感じられたのだろう。彼にとっては、身近な知人が被災していても、町が火に包まれ、寒空の下路上に家から逃げ出したひとが途方に暮れていても、特段心に感じるもののない光景だったのだろう。そのようなひとに「感じろ!」と詰め寄っても意味はない。感じられないひと、心動かないひとに「こんなに酷いんだよ、こんなに困っているんだよ!」と丁寧に話せば話すほど、そのひとの心中はますますしらじらと冷めてゆく。「風化」どころではない「不感」である。


◎[参考動画]阪神大震災 1995年(平成7年)1月17日(kinnsyachi2012 2017/09/25公開)

◆「人間が自然を制御できるはずがない」

どうして、「阪神大震災」の記憶を語り継がねばならないか。どうして「風化」させてはならないか。その回答は単純だ。

「人間が自然を制御できるはずがない」

この分かり切っているようで、やもすると日々の生活で勘違いしそうな大原則を思い起こすことが、今日ますます重要になっているからだ。だけれども、不幸なことに、日本列島は「阪神大震災」のあと、数々の大地震を数年おきに経験している。原発4機爆発首都圏4000万人避難の可能性も検討された東日本大震災まで起きてしまい、東日本は地震と津波だけでなく放射能汚染にもさらされてしまった。

過剰にすぎるいいかたになるが、もう揺れは日常なのだ。そしてひとびとはその危険性と恐怖をむしろ「忘却」しようと無意識に「日常」をこしらえる。もちろん毎日、毎日怖がってばかりいたら精神が持たないし、穏やかに暮らすこともできない。でも「阪神大震災」を「風化」させるな、というのであれば、「正しく怖がる(物理的、精神的に準備する)」ことしか被災者以外のひとにはなすすべがあるだろうか。犠牲者を追悼することに異議はない。それはしかし震災に限ってのことではないはずだ。

「自然の力に人間は到底及ばない。そんな程度の生物であることを自覚しなおそう」とでも明確に伝える方が「風化」を嘆くより意味があるかもしれない。


◎[参考動画]阪神大震災発生当日 西明石から被災中心地へ(yankayanka 2015/01/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点
新年早々タブーなし!『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

2018年もタブーなし! 新展開の鹿砦社LIBRARY(新書)続々刊行!

 
2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

◆『紙の爆弾』は「昔から“硬派”です」

「『紙の爆弾』、硬派になって来たね」。「最近の『紙爆』まともじゃん」とわたしを社員と勘違いした人からよく声をかけられる。

たしかに発売中の2月号は「2018年、状況を変える」が特集で、➀自民党内「安倍3選阻止」と野党再編、➁“合憲”でもNHK受信料問題への「対策」、➂市民の「告発」と「裁判」で悪法を正す、➃森友疑惑追及で「国家私物化」を止める、➄「今」の憲法を変えないための2つの運動、➅退位を機に「天皇制と元号」を考える、➆政権保持に利用される朝鮮問題の真相、➇日朝国交正常化とよど号メンバー帰国と、どこからみても「まとも」なラインナップが表紙を埋める。

さらに「ついに職員2名が提訴『三菱子会社パワハラ問題』」、「権力と闘うための『武器としてのポルノ』」、「富岡八宮司殺害事件『神社本庁に問われる責任』」、「問題の背景にアメリカ『クリミアの自決権』」と特集以外も、社会問題から国際問題まで広いフィールドで関心を惹かれるラインナップがならぶ。

『紙の爆弾』は月刊誌として、立ち位置が揺るぎなく固まったように感じる。と松岡社長に言うと「紙爆は昔から“硬派”ですよ」と半分冗談めかした顔で答えるけども、本格派情報月刊誌に成長した『紙の爆弾』にはぜひ、内容においても発行部数においても『噂の真相』を凌駕してほしい、と期待している読者も少なくないだろう。

 
総理大臣研究会『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(鹿砦社LIBRARY001)

◆鹿砦社LIBRARY(新書)続々刊行!

他方、昨年西宮の鹿砦社本社に久しぶりにお邪魔したら「鹿砦社LIBRARY(新書)」と表紙にデザインされた見本が目に留まった。「まさか『新書』出すんじゃないでしょうね?」と松岡社長に聞くと「新しいことやらないとね。来年からこれ出すんですよ」と、「なにをわかり切ったことを聞いているんだ」、と言わんばかりの口調。そりゃ『紙爆』の評価は安定してきたし、「リンチ事件」では孤軍奮闘を続け、それなりに名前が広まって入るだろうけど、「鹿砦社に『新書』ってちょっと似合わなくないかな」と心の中で「?」をつけたけども口にすることはできなかった。

「仕事が早くないと出版界ではつとまらない」。それを地で行くようにもう4冊の「鹿砦社LIBRARY(新書)」が本屋さんに並んでいる。わたしは頭が古いので「新書」の原イメージはいまだに「岩波新書」で(その他にも山ほど「新書」は出版されているのを知っているのに)緑、赤、黄色、内容と出版時期によって分かれている、あの質の書籍と鹿砦社が結びつかないのは、当たり前であり、わたしの頭が固すぎただけだった。

鹿砦社が「新書」を出せば「鹿砦社色になる」のは当たり前だ。記念すべきシリーズ第1弾は『歴代内閣総理大臣のお仕事』(内閣総理大臣研究会編著)だ。この本は社会科が苦手な高校生には「日本史」や「現代社会」の参考書として役に立つだろう、と一読して感じた。

 
亀山早苗『アラフォーの傷跡 女40歳の迷い道』(鹿砦社LIBRARY003)

もちろん「新書」の制限があるので大学受験レベルの知識すべてが網羅されているわけではないが、「歴代内閣総理大臣」を初代の伊藤博文からたどることによって、「なるほど、そういうことだったのか」といくつもの発見があるだろう。社会人の方にもちょっとした教養のプラスに役立つかもしれない「小選挙区制って問題だらけだけど、導入したのは非自民の細川内閣の時だったっよね」などと披歴したら、いやな奴と思われるだろうが、そういう発見が随所にある。

『絶対、騙されるな!ワルのカネ儲け術』(悪徳詐欺の手口を学ぶ研究会編著)は、これぞ「鹿砦社LIBRARY(新書)!」と納得できる、キワモノの連続だ。怪しい書名に怪しい内容。でもこれすべてリアルストーリだから面白い。記事が2頁ごとと短いので、活字が苦手な方でも苦なく読めるだろう。

『アラフォーの傷跡』(亀山早苗著)は40代前後の女性だけをターゲットにした、人生の中間報告書集だ。著者がじかにインタビューして「不倫」、「恋愛、「仕事」に悩みや問題を抱えていた30代の女性が、それぞれその後どんな生活をおくっているのか。女性の取材者だからここまで迫ることができたのだろうと思わされる、性的な話題も包み隠さず報告されている。同世代の女性への応援や激励となるほか、スケベ親父がよからぬ智慧を仕入れるのにも適したテキストだ。

◆鬼才・板坂剛は帝国ホテルのロビーで三島由紀夫の幽霊と会った!

 
板坂剛『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(鹿砦社LIBRARY004)

『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(板坂剛著)は、三島の研究者(ファン?)として著名な板坂氏だから書くことが許された「特権」だろう。本人がどう思うかはわからないけども、齢(よわい)70にしてフラメンコダンサ―兼指導者の板坂氏の人柄は「アナキー」そのものだ。

腰まで伸ばした真っ黒な髪と贅肉のない体、キレのある動きから彼の年齢を言い当てることのできる初対面者は少ないだろう。そんな板坂氏だから逸話には事欠かないが、若い頃は一時某党派に短期間属していたとの噂もあるが、生き様は「正統派アナキスト」。そして『三島由紀夫は……』でも史実には忠実ながら、板坂氏だから書ける三島の胸の内を探った物語が展開される。驚くのは板坂氏が帝国ホテルのロビーで三島の幽霊と会ったことがあり、言葉まで交わしているとの告白だ。

4冊だけでも、硬軟取り混ぜて読者を飽きさせない「鹿砦社LIBRARY(新書)」にはこれからどんなシリーズが続くのだろうか。今年も鹿砦社は元気だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

悪徳詐欺の手口を学ぶ研究会『ワルのカネ儲け術―絶対、騙されるな!』(鹿砦社LIBRARY002)

李信恵という人への違和感、現在の「反差別」運動への懐疑 ――1・18鹿砦社vs李信恵「鹿砦社クソ」訴訟第2回弁論にあたって―― 鹿砦社代表・松岡利康

来る1月18日午前11時から、李信恵被告による相次ぐ「鹿砦社クソ」発言に対する名誉毀損訴訟第2回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。この期日には被告側の答弁がなされることになっています。

在特会や保守速報等に対する訴訟によって「反差別」運動の旗手ともて囃されている李信恵被告が、裏では大学院生リンチ事件に関わり、当社に対しては連続して「クソ」発言を繰り返すということをなぜ、李被告をもて囃す人たちは目をそむけ黙っているのでしょうか? それは「反差別」運動にとってもマイナスでしかないと思うのですが。

会社や社員を誰よりも愛する私としては、李被告による「鹿砦社クソ」発言は到底許せるものではありませんし、取引先への悪影響を懸念して、やむなく提訴に踏み切りました。以来さすがに当社に対する「クソ」発言は止まりましたが、私が李被告に会ってもいないのに喫茶店で睨み恐怖を与えたかのようなツイートをし、係争中にもかかわらずさらに私を貶めるような発言をしています。どこの喫茶店なのか、問い質しましたが返答がありません。それはそうでしょう、会ってもいないのですから……。

李信恵のツイート

私が李信恵被告の顔を見たのは、リンチ被害者の大学院生M君が李被告ら5人を訴えた裁判の本人尋問(昨年12月11日)が初めてでした。「反差別」運動の旗手として祀り上げられた人物とはどんな顔をしどんな雰囲気を醸しているのだろうか? 興味津々でした。意外にも、社会運動の旗手として君臨するような輝いたイメージではなく、顔色は酒焼けしているのか悪く、目の輝きはなく目つきもよくありませんでした。この人が「反差別」運動の旗手なのか――尋問も聴いていると、明らかに事実と異なる嘘を平然とついていました。「反差別」運動のリーダーたる者、嘘をついてはいけません。

李信恵という人は、M君に対し5人でリンチを加えた現場にいてその場の空気を支配し、ネット上で流行語になった感さえある、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」とリンチの最中に言ったり、半殺しの目に遭ったM君を寒空の下に放置して店を後にしたりした、その人です。こんな人が一方では「人権」を声高に叫ぶのですから、世も末です。

このリンチ事件に出会い、ずっと調査や取材を進めていく過程で、李被告に限らず「反差別」運動(「カウンター」‐「しばき隊」)の周辺の人たちの言葉が殊更汚いことは気になっていましたが、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という言葉に極まった感があります。

私は1970年代以降、この国の部落解放同盟による、いわゆる「糾弾」闘争などを経過し、私なりに「反差別」のなんたるかについて考えてきました。「糾弾」闘争への疑問が語られ始めた頃、師岡祐行さん(故人。当時京都部落史研究所所長)と土方鉄さん(故人。元『解放新聞』編集長)の対談を行い、両氏とも「糾弾」闘争の誤りを指摘されていたことを思い出します。土方さんは喉のガンの手術の後で、絞り出すように語られていました。この対談は記録にも残っています。1992年のことです。その後、さすがに解放同盟も反省したのか今では「糾弾」闘争をしなくなりました。

差別と闘うということは崇高なことです。真逆に「反差別」の看板の裏で平然とリンチを行うことは、差別と闘うという崇高な営為を蔑ろにし「糾弾」闘争の誤りを繰り返すことに他ならないと思います。それもリンチはなかったとか事件を隠蔽し、当初の反省の言葉さえ反故にして開き直っています。これが「反差別」とか「人権」を守るとか言う人のやることとは思えません。いやしくも「反差別」とか「人権」を守るというのであれば、みずからがやった過ちに真摯に立ち向かうべきではないでしょうか?

私(たち)は、大学院生M君リンチ事件に出会い、これを調べていく過程で常に自問自答を繰り返してきました。私(たち)がM君を支援しリンチ事件の真相を追及するのは是か非か――答えは明らかでしょう。リンチの被害者が助けを求めてきているのに放っておけますか? 私(たち)はできませんでした。あなたはどうですか?

私たちはすでにリンチ事件について4冊の本にまとめ世に出しています。事実関係はもう明白です。最新刊の『カウンターと暴力の病理』にはリンチの最中の録音データをCDにし付けていますし、リンチ直後のM君の凄惨な写真も公にしています。これを前にしてあなたはどう思いますか? なんとも思わないのなら、よほど無慈悲な人です。こんな人は、今後「人権」という言葉を遣わないでいただきたい。

李信恵という人に出会って、私は「反差別」運動や「反差別」についての考え方が変わりました。「人権」についてもそうです。平然とリンチを行う「反差別」運動とは一体何ですか? 被害者の「人権」を蔑ろにして「人権」とは? 

◆鹿砦社は「極左」出版社ではない!

李信恵被告の当社に対する罵詈雑言のひとつに、当社が中核派か革マル派、つまり「極左」呼ばわりしているツイートがあります。70年代以降血で血を洗う凄惨な内ゲバを繰り広げた中核‐革マル両派と同一視され、その悪いイメージを強調されることは、由々しき名誉毀損です。

李信恵のツイート

この際、いい機会ですから、このことについて少し申し述べておきたいと思います。

「極左」呼ばわりは、李被告と同一歩調を取る野間易通氏や、李被告の代理人・神原元弁護士らによって悪意を持ってなされています。「極左」という言葉は公安用語だと思いますが、いわば「過激派キャンペーン」で、鹿砦社に対して殊更怖いイメージを与えようとするものといえます。彼らが私たちに対し「極左」呼ばわりするのは何を根拠にしているのかお聞きしたいものです。

鹿砦社には、私以外に7人の社員がいますが、誰一人として左翼運動経験者はいません。私は遙か40年以上も前の学生時代の1970年代前半、ノンセクトの新左翼系の学生運動に関わったことがありますが、大学を離れてからは生活や子育てに追われ、運動からは離れていますし、集会などにもほとんど行っていませんでした。ノンセクトだったから運動から容易に離れられたと思います。考え方は「左」かもしれませんが、いわば「心情左翼」といったところでしょうか。社員ではなく、『紙の爆弾』はじめ鹿砦社の出版物に執筆するライターは左派から保守の方まで幅広いのは当たり前です。

また、鹿砦社は、1960年代末に創業し、当初はロシア革命関係の書籍を精力的に出版してきましたが、現在(1980年代後半以降)はやめています。昨年1年間で強いて左翼関係の本といえば、100点余りの出版物の中で『遙かなる一九七〇年代‐京都』(私と同期の者との共著で、いわば回顧録)だけです。

これで「極左」呼ばわりは、悪意あってのことと言わざるをえません。

さらに、M君リンチ事件について支援と真相究明に理解される方々の中にも、さすがに「極左」呼ばわりはなくとも「ガチ左翼出版社」と言う方もいますが、これも正確ではありません。

1970年代の一時期、当時どこにでもいたノンセクトの学生活動家だったことで、40年以上も経った今でも「極左」呼ばわりされないといけないのでしょうか。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)

新春黄金キック! WINNERS 2018.1st

パカイペットの隙を突いて鋭く入る左ストレート
パカイペットの壁を乗り越えたい波賀宙也、積極的に攻める

パカイペットは元・BBTVバンタム級チャンピオンで、2016年1月、瀧澤博人を左ミドルキックで圧倒TKOし、昨年1月は志朗とファイトマネー総取りマッチを行ない、志朗を蹴りで苦しめながらラストラウンド残り1秒で倒されるも、名は知れ渡る激闘を展開。

波賀宙也は元・WBCムエタイ日本スーパーバンタム級チャンピオンで、昨年からの4連敗中から脱出したいところ。波賀は相手を研究し狙った右ヒジ打ちで少々額カット成功。波賀が距離を詰める圧力をパカイペットがいなし、要所要所でのパンチと蹴りは、隙を狙う上手さを感じさせます。互いが相手の持ち味を封じた展開でしたが、僅差でパカイペットが勝利。

パカイペットの突進を止めた波賀宙也の前蹴り
右ローキックから石川直樹の主導権支配が始まる
組んだら離さない力で捻じ伏せてヒザ蹴りでダウンを奪う石川直樹

 

石川直樹は離れた距離での蹴りから次第に得意の首相撲に移ると、相手を捻じ伏せるように押さえ、顔面へのヒザ蹴りで2度のダウンを奪って判定勝利。タイ選手相手に得意の体勢で圧勝出来たことには存在感はより大きくなった石川直樹、今後のムエタイランカー戦となっても組み勝つ姿は見られるでしょうか。

石原將伍はスウィーレックの蹴りや首相撲の距離であっても怯まない術を持っての戦い。組まれても強引にパンチの距離を取り戻し打ち込む強引さで圧倒。チャンピオンになってよりアグレッシブさが増した勝利でした。

初回早々からパンチでラッシュしたOD・KENが一気にダウンを奪い、ダメージ残る柴田を仕留めて完勝。何も出来ずに終わった柴田春樹、ブランクが空く影響もあったか、今後も他団体交流戦でなければ対戦相手が居ない中、巻き返しに期待です。

2000年生まれで、やがて18歳になるバンタム級の馬渡亮太(治政館)は、長身からくる足技と左のヒジ打ちで10歳年上の田中亮平(市原)と激戦の末、ダウン奪って判定勝利。1位で前チャンピオンの瀧澤博人(ビクトリー)との対戦や、現チャンピオンのHIROYIKI(藤本)への挑戦も期待される今いちばん注目の新人上位ランカーです。

下がり始めたパカイペットをパンチで追う波賀宙也

◎WINNERS 2018.1st /
2018年1月7日(日) 後楽園ホール 17:00~20:35
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆56.5kg契約 5回戦

パカイペット・JSK(タイ/55.7g)VS 波賀宙也(立川KBA/56.5kg)
勝者:パカイペット・JSK / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:仲49-49. 桜井50-49. 少白竜50-49

◆52.0kg契約3回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/51.9kg)
VS
ラタケット・パンダクラタナブリー(タイ/51.0kg)
勝者:石川直樹 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名30-25. 宮沢30-26. 少白竜30-26

本領発揮した石川直樹、2度目のダウンを奪う
左ストレートで仕留める石原將伍、ゆっくり倒れるスウィーレック

◆59.0kg契約3回戦 石原將伍

日本フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー/59.0kg)
VS
スウィーレック・パンダクラタナブリー(タイ/59.0kg)
勝者:石原將伍 / TKO 2R 1:56 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

◆ヘビー級3回戦

日本ヘビー級チャンピオン.柴田春樹(ビクトリー/93.0kg)
VS
J-NETWORKライトヘビー級4位.OD・KEN(ReBORN経堂/90.0kg)
勝者:OD・KEN / TKO 1R 0:50 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:宮沢誠

スウィーレックの蹴りに対し、構わずパンチで攻めた石原將伍
開始早々からパンチで圧倒したOD・KEN、何も出来ないまま終わった柴田春樹

◆63.0kg契約3回戦

ヨーペットJSK(タイ/62.8kg)
VS
日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/62.8kg)
勝者:ヨーペットJSK / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-28. 仲30-28. 宮沢30-28

◆68.5kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.15kg)VS 憂也(魁塾/68.5kg)
勝者:憂也 / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:宮沢29-30. 仲29-30. 少白竜28-30

◆ライト級3回戦

日本ライト級2位.直闘(治政館/61.0kg)VS 同級3位.内田雅之(藤本/61.0kg)
勝者:内田雅之 / 判定0-3 /主審:椎名利一
副審:宮沢27-30. 桜井27-30. 少白竜27-30

◆54.0kg契約3回戦

日本バンタム級2位.馬渡亮太(治政館/53.9kg)VS 同級6位田中亮平(市原/53.6kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名30-27. 桜井30-26. 少白竜30-27

◆62.0kg契約3回戦

日本ライト級10位.興之介(治政館/61.6kg)
VS
まさきラジャサクレック(ラジャサクレック/62.0 kg)
勝者:まさきラジャサクレック / KO 2R 3:02 / 主審:宮沢誠

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級3位.阿部泰彦(JMN/55.0kg)
VS
NJKFバンタム5位.古村匡平(立川KBA/最終計量55.65kgで減点1)
勝者:古村匡平 / KO 2R 0:46 / ハイキックで10カウント / 主審:少白竜

上記はランカー以上の結果。
他、2回戦2試合は割愛します。

《取材戦記》

「新春黄金キックだ!」がパンフレットに書かれていた興行タイトルでしたが、正月は連日続くタイトルマッチの緊張感があった昭和のキック、あの時代の正月が本当の“新春黄金キック”だったように思います。

ライト級に上げて事実上の初勝利となる40歳になったばかりの元・日本フェザー級チャンピオン.内田雅之(藤本)。ダウン奪って判定ながら快勝し、勝利して2人の幼いお子さんをリングに上げての撮影、以前から触れる話ではありますが、リング上でこんな親子の撮影を多く見るようになりました。

アンダーカードでは、過去に王座挑戦経験もある阿部泰彦(JMN)は、やがて40歳になり、現在2歳のお子さんが居て、試合中の騒然とした中でも我が子の声がはっきり聞こえると言います。そして父親の戦う姿が一生記憶に残るまで戦いたい気持ちを持っているそうですが、この日は残念ながら、一発のハイキックで珍しくもKOで敗れ去ってしまいました。あと2年ほど頑張れば夢は叶うか。そんな些細な応援もしたくなる差し迫った阿部選手の戦いです。

2018年の新日本キックボクシング協会は、年間10回興行の中で、次の興行は3月11日(日)17時より後楽園ホールに於いてMAGNUM.45(現在カード未定)が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

「『同時代音楽』― 廣松渉研究会」の記憶 

昨年出版された松岡利康+垣沼真一編著『遥かなる一九七〇年代―京都』を読んでいたら、巻末に、懐かしい『季節』誌の表紙画像が並んでいました。

『季節』5号、6号、7号(エスエル出版会)
『季節』8号、9号、10号(エスエル出版会)
 
『同時代音楽2-1』(ブロンズ社1979年)

1980年代、5号、6号あたりから『季節』誌と関係ができていった、東京の「『同時代音楽』―廣松渉研究会」について、以下、主に府川充男『ザ・一九六八』(白順社、2008)から引用しながら思いだしてみます。

私がこの読書会に参加したのは「廣松渉研究会という名称」となってからのことでしたが、それまでの経緯を、府川氏から引用しておきましょう。

「高橋(順一)に遣ろうかと呼掛け、早大の運動仲間水谷洋一や更に白井順も加わって此酒場(「新宿三丁目の酒場セラヴィ」)を中心に行われた読書会が「廣松渉研究会」の前身である」(府川『ザ・一九六八』)

「高橋(順一)と早大時代の運動仲間水谷、音楽ライターの後藤美孝等に読書会でもしないかと持掛けた。/「何を遣ろうか」/「デカルトから遣り直したい」/そう言えば坂本龍一も交ぜろと言っていたのだが、スタジオ・ミュージシャンとして売れ出していた頃で結局一回も来なかった。慥か最初はハイデガー『存在と時間』で先ずは「読書会の勘」を取戻そうと云う事になった。続いてデカルト『方法序説』『省察』『哲学原理』等と併せて勁草思想学説全書の所雄章『デカルトI・II』や永井博『ライプニッツ』、岩崎武雄『カント』等を読んだ。取分け所雄章の『デカルトII』は現象学の先駆の如き存在としてデカルトを読込む可能性を示唆していて新鮮だった」(同上)。

 
府川充男『ザ・一九六八』(白順社2006年)

1970年代にもなると、マルクス読みの作法にも変化があらわれてきていました。それまでマルクス読みの「異端」とされていた宇野弘蔵の「マルクス経済学」の方法や、「関係論」にもとづく「実体観」からマルクスを読み込んだ廣松渉の「物象化論」などが、むしろマルクス読みの主流となってくるなかで、からっとマルクスを読むことも可能となっていた。

一般に流通していたアドラツキー版を「”偽書”に等しい」とし、70年代、河出書房から訳書と原書の豪華箱入り2冊セットの廣松版『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』まで出版されていた時代でした。

「疎外論から物象化論へ」のフレーズで一世を風靡した廣松渉の、大風呂敷のゆえに年代を飛び越えたかのような「四肢的存在論」は、詩心を排除し徹底的に抽象化することでかえって、「曖昧な」現代世界も人類史上の他の諸世界と遜色ない「人間」世界とみなすことを可能にした。だからこそ「絵に描いたようなはっきりした世界」だけを特別あつかいしてきたそれまでの「疎外論」「人間主義」「主体性」などへの批判としても通用したのだろう。

もともと「学校の授業」などとは無関係に、当時のマルクス経済学の「宇野(弘蔵)理論」にハマっていた私は、いわば「武者修行・腕試し感覚」で法大の経済学専攻修士課程に在籍していました。廣松渉が東大教師になる前、一年間だけ法政にきていた時期とたまたま重なっていたので、『ドイツ・イデオロギー』を扱った哲学専攻の廣松ゼミの単位も取れたのでした。

法政時代の「マル経」専攻の友人たちのなかには高校時代に府川氏のグループだったひとも何人かいました。しかし、もともと音楽マニアだった私は『音楽全書』(『同時代音楽』の前身に相当する)誌の巻末にあった「廣松渉研究会の参加者募集」の呼びかけをみて、参加したのでした。新宿の喫茶店『プリンス』の地下、多いときには隔週くらいの読書会だったと記憶しています。

「途中から白井順も参加してきて、デカルト以前の中世的世界像の輪郭を辿る為にアレクサンドル・コイレ『コスモスの崩壊』等も繙いた。第三世界論の議論になった時には湯浅赳男『民族問題の史的展開』『第三世界の経済構造』、いいだもも『現代社会主義再考』等を題材にした。此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった。『マルクス主義の地平』『世界の共同主観的存在構造』『事的世界観の前哨』『資本論の哲学』等の読書会を次々と遣ったと記憶している」(同上)。

「此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった」(府川充男「「六八年革命」を遶る断章」、さらぎ徳二編著『革命ロシアの崩壊と挫折の根因を問う』)。

70年代の、廣松のこの感覚での受容のされかたは、なかなか対象化されていません(かろうじて、70年代を区切りに「廣松さんの場合は個人のアイデンティティから人々を解放したし、山口(昌男)さんの場合は共同体の持っている価値とか規範の重みから人々を解放した」という大澤真幸『戦後の思想空間』があったし、最近岩波文庫化(2017)された『世界の共同主観的存在構造』への熊野純彦による「解説」も、同じ熊野じしんによる「講談社学術文庫」版(1991)への解説と比較すると変わってきているとはおもいますが)。

詩心ゼロの文体。立ち位置の必然性のなさ。読者にうっとり感情移入させない主人公設定(学知的立場?)。少なくとも私にとっては廣松のこの部分こそが画期的だったのです。

▼白井 順
1952年生れ。法政大学大学院(修士)修了後、高橋順一、府川充男、坂本龍一などと共に「廣松渉研究会」に参加。著書に『思想のデスマッチ』(エスエル出版会)など。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

《殺人事件秘話11》公判担当検察官が真犯人の目撃者を隠ぺいしたロス疑惑

報道を通じて誰でも知っているような事件であっても、その実相は案外知られてないことが少なくない。その最たるものが、あのロス疑惑だ。

80年代に日本全国の注目を集めたこの事件では、妻を保険金目的で殺害した疑いをかけられた三浦和義さんが裁判で無罪判決を勝ち取ったが、洪水のような犯人視報道の影響で今も三浦さんのことをクロだと思っている人は少なくない。

しかし実を言うと、三浦さんの裁判では、検察官が「三浦さん以外の真犯人を目撃した証人」を隠していたことが明るみに出ているのである。

◆報道の影響で今もクロだと思い込んでいる人が多いが……

のちに「ロス疑惑」と呼ばれる事件が起きたのは、1981年11月のことだった。輸入雑貨商だった三浦さんは妻の一美さんと共に仕事と旅行を兼ねて米国ロサンゼルスに滞在中、駐車場で2人組の男に銃撃され、金を奪われた。一美さんは頭を撃ち抜かれて意識不明の重体に陥り、三浦さんも足を撃たれて負傷。その後、一美さんは一年余りの入院生活を送ったが、回復しないままに亡くなった。

そんな悲劇に見舞われた三浦さんは当初、重体の妻にけなげに尽くす「美談の人」としてマスコミに取り上げられていたが、1984年になり、事態が一変する。週刊文春が同年1月から始めた「疑惑の銃弾」という連載で、三浦さんが一美さんの死により1億5000万円を超す保険金を受け取っていた事実を指摘し、銃撃事件は三浦さんが保険金目的で敢行した自作自演の妻殺害事件である疑いを報道。これに他のマスコミも一斉に追随し、三浦さんは妻を殺害した疑いを連日、大々的に報道されるようになったのだ。

三浦さんはその後、妻殺害の容疑で逮捕され、一貫して無実を訴えながら一審・東京地裁では無期懲役判決を受けた。しかし、二審・東京高裁で逆転無罪判決を受け、2003年に最高裁が検察の上告を退け、無罪が確定する。元々、めぼしい証拠は何もなく、第一審の有罪判決も三浦さんが「氏名不詳者」に妻を銃撃させたとする無理な筋書きだったから、無罪判決は当然の結果ともいえた。それでもなお、今も三浦さんのことをクロだと思い込んでいる人が多いのは、膨大な犯人視報道の影響に他ならない。

だが、先にも述べたように、実際には、検察官はこの事件で、三浦さん以外の真犯人を目撃した証人を隠していたのである。

◆真犯人の目撃証人を調べていたのは公判担当検事だった……

日刊スポーツ2008年2月24日付

裁判当時、三浦さんを支援していた男性によると、その目撃証人は、事件現場の駐車場で働いていた男性Sさん。弁護側は控訴審段階に現地で雇った探偵の調査により、Sさんの存在を知ったという。

「Sさんは『日本の捜査当局の調べも受け、犯人が現場から車で逃げ去るところなどを目撃したことを話した』と明かしてくれたので、弁護側は当然、検察官にSさんの調書の開示を求めましたが、検察官はそのような調書の存在を頑なに認めませんでした。しかし、裁判官がSさんを公判に召喚することを示唆し、検察官はようやく調書を開示したのです」(男性)

こうして、三浦さん以外の真犯人を目撃した証人の存在が公判廷で明るみに出たのだが、それと共に重大な事実が発覚したという。

「調書の存在を認めなかった公判担当の検察官自身がこのSさんの調書の作成者だったのです。裁判官はこれをきっかけに検察側に不信感を抱き、裁判の流れは一気に逆転無罪へと傾きました」(同)

このことを知っているか否かで、三浦さんやロス疑惑という事件に関する印象はずいぶん違うはずだ。私はかねてよりこの事実を知っているので、三浦さんのことは当然シロだと思っているし、ロス疑惑はマスコミや捜査機関によるデッチ上げの事件だと思っている。

◆三浦さんの死亡時にも卑怯な物言いをした山田弘司元検事

ロス疑惑の捜査、公判を担当した頃の山田弘司検事(1988年発行の「司法大観」より)

ところで、この証拠を隠していた検事については、許しがたいことが他にもある。というのも、三浦さんは2008年にサイパンを旅行中、日本で無罪確定した殺人の容疑で米国捜査当局に逮捕され、移送されたロス市警で非業の死を遂げたが、その時にこの検事はマスコミに対し、次のようなコメントを寄せていたのだ。

「日本での無罪判決に、釈然としない思いの人がいるのも事実。もう一度、実質的に審理されれば、有罪、無罪の結論はどうだろうと、理由が示されて、納得する人も、もう少し多くなるだろうと思っていた」(朝日新聞東京本社版08年10月12日朝刊)

「20年近く戦った相手だが、こういう事態となり、広い意味での『友人』だったという感じがした。ご冥福をお祈りしたい」(読売新聞西部本社版08年10月12日朝刊)

死んだ三浦さんが反論できないからこその卑怯な物言いである。

この検事の名は、山田弘司(こうじ)氏。三浦さんの公判を担当後は東京高検公安部長、函館地検検事正などを経て、最高検公判部長だった04年9月、58歳で辞職。その後しばらく杉並公証役場で公証人として働いており、このコメントを発したのもその頃だ。

私はこの6年後、山田氏のもとを訪ね、この三浦さんに対する卑怯な物言いや、真犯人に関する目撃証言を隠していたことに関して追及したが、山田氏は曖昧な言葉でごまかそうとするばかりで、自分の犯した過ちに誠実に向き合おうとする様子は見受けられなかった。

こういう人間が出世するのが検察という組織なのだろうか。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

平成の「30年」は早かった ── 島国が大言壮語をしている猶予は長くない

12月中旬郵便局によったら「このまま52円で使えるのは1月7日までですからご注意ください。それ以降は10円プラスの切手が要りますから」とカウンターで年賀状を販売している方が購入者に説明していた。「年賀状は数が多いですから、『企業努力』で安くさせて頂いております」と余分な説明も耳に入った。マニュアルにある説明文句なのだろうか。郵便局が「企業」になった(された)ことをまだ、首肯してうけいれられないわたしにとっては「なにが『企業努力』ですか?」と嫌味の一つもいいたくなるけれども、窓口で勤勉に業務をこなしている方に「郵政民営化」の罪は微塵もないわけで、文句を言いたいのであれば、総務省か、小泉元首相あたりにぶつけるのが筋だろう。

◆「平成30年」は早かった

その郵便局で「平成30年」と大きく書かれたポスターが目に入った。今年は昭和が終わってから30年目だと(誰でも知っていそうなこと)気づかされた。わたしにとって、この30年は早かった。4、5回転職し、2回裁判をして、両手に余る親戚、知人を看取り、ある小さなカジノでは1ドルが40万円に化けて、2千冊ほどの本を転居時に廃棄し、5000㏄エンジンのクライスラーでニューヨークからワシントンD.C.までハイウエーを走っていたらパトカーにスピード違反で追いかけられ(たけれども途中でUターンしてその時は煙に巻いた)のをはじめに、5か国で交通違反に引っ掛かり、3回ほど死にかけた。それでもお陰様で心身ともガタを実感しながらも、わたしは生きている。

◆島国の「少子高齢化」と地球規模の「人口爆発」

昨年12月23日の京都新聞では、2017年に生まれた新生児が統計を取りはじめた1899年以来最少だった2016年より約3万6千人少ない94万1千人とみられ、2年連続で100万人を割り込むことになった一方、17年の死亡者数は戦後最多の134万4千人(前年比約3万6千人増)で、死亡者数から出生数を引いた人口の自然減は過去最大の40万3千人(同約7万2千人増)と推計されることを報じられていた。この島国の人口は政府が予測していた速度よりもかなり速いスピードで減少を続けている。わたしの予想と現実が近づいてきた。

日本の人口推移(出典)2015年までは総務省「国勢調査」(年齢不詳人口を除く)、2020年以降は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(出生中位・死亡中位推計)

他方地球全体でみると、国連によれば2017年の総人口は約76億人と推計され、2030年には86億人、2050年には98億人、2100年には112億人に達すると予想されている。

世界人口の推移(出典)内閣府が引用掲載している国連統計より

目の前では「少子高齢化」がますます顕著になっているけれども、地球規模では「人口爆発」が進行しているということだ。100億人がこの地球上で平和裏に暮らすことができるだろうか? 一部大量生産大量消費国では人口増が終わり、少子化に転じるかたわら、大量生産のために労働力や資源を供給する国では人口爆発が起きるのは、資本主義の宿命であり、これを解決しようとすれば冨の偏在を解消し、たとえば、われわれが使っているエネルギーを現在の半分以下にする、といった大規模変革がなされなければ状況は変わらない。

「少子高齢化」などじつは小さな問題だ。人口爆発の前では、平成が30年になろうが、年賀状に1月7日以降は10円切手を貼らないと送り返されてこようが、私が2回裁判をしようが、すべてが終焉に向かう。資本主義の基本「搾取」の対象が数的に爆発してしまい、一方AIやIPS細胞、東京五輪などと眠たいことをいっている勘違いした「進んだ文明」では、逆に決定的な労働市場不足が生じる。働く場所がなくなってしまうのだ。あるいは不可思議なことに労働力不足も生じよう。その兆候はすでに現れており、空前の好景気といわれる現在、失業率は低止まりしているがゼロにはならない。そして中小企業や運送業の人手不足は深刻だ。

現象としては、求職者と企業のアンマッチに見えるかもしれないが、そうではない。大資本は抱えている正社員の削減を図るべく「労働力」を「コスト」と計算しはじめている。資本主義は空間的、物質的に広がっていかないと維持できない(成長しないと破綻する)から貸借対照表には黒字を計上するために、「人間」を削るしか目下大資本には人口爆発に対抗する術が思い当たらないのだ。

そして文明的視点から断じてしまえば、そもそも「企業」という労働形態に「ヒト」のすべてが馴染むはずはないのだ。地球が静止しない動体であるように、国家や社会を生物と仮定すれば、この島国においては、圧倒的に欠乏している食料自給率を上昇させるべき(つまり第一次産業)仕事にこそ多くの若者が従事するのが自然である。

◆大言壮語をしている猶予は長くない

「国家100年の計」だとかなんだとか大言壮語できる牧歌的な時代は、既に終焉しているのであって、いまごろ月探査機を計画してもなんのメリットがあるというのか。そういう的外れで、自滅的な方向に無自覚な政権の下で暮らさざるをえないわれわれは、どうやって日々生活をすべきなのだろうか。どのようなことを「やめて」、なにを「なすべき」なのか。

わたしは2050年にこの島国の統治形態は崩壊すると考えていたが、2011年以降2030年その予想を繰り上げた。理由はご想像いただけよう。なにを「なすべき」か、「なさざるべき」か。あれこれ考える猶予はそう長くない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える
【新年総力特集】『NO NUKES voice』14号 脱原発と民権主義 2018年の争点

《鹿砦社特別取材班年頭座談会》『カウンターと暴力の病理』の反響とこれから

松岡 昨年はお疲れ様でした。『カウンターと暴力の病理』は大反響で、発売直後は「しばき隊」は完黙(完全黙秘)状態でしたが本年もよろしくお願いいたします。

A あれにCD付けるアイディアは社長が発案しはったんですか?

松岡 それは「企業秘密」ということで。

B 「鹿砦社どこまで突っ走るの?」って仲間のフリーライターから面白半分に聞かれるんですけど、ここまで来たら一応の区切りまでは突っ走るってことでしょうか?

C もちろんでしょ。だから「サイバー班」から上がってくる情報の分析方法も格段に進歩したでしょ。

E 基本「特別取材班」は「M君リンチ事件」がもちこまれたところからスタートしましたよね。だからM君の一件が片付くまでは、「周辺事態」にも目配りしないと、ってことですかね。

A いやー。正直なところ、自分はちょっと精神的に疲れてるんですわ。

D どうしたの? 毎晩飲み歩いてるじゃない?

A 李信恵とか野間易通とかの書き込みのサマリーが、毎日「サイバー班」からあがってくるやないですか。あれ読んでたら「何がしたいんか、この人ら」って正直思いますよ。

D まあ無理はないだろな。俺もいい加減連中のお供には飽きが来てるし。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

E それでは困るでしょ。まだまだM君の裁判は続くんだし。李信恵の判決後には記者会見を開くのに、M君や鹿砦社は一切無視のマスコミにも一撃くらわさないと。

C 暮れに毎日新聞の後藤由耶(よしや)記者に公開質問状を送ったけど回答はありませんでしたね。

A 毎日新聞もどうかと思うわ。取材対象に癒着してしもうて。あれやったら記者と取材対象やなしに、ただの友達やんか。

D まあ、毎日新聞にしろ、朝日新聞にしろ、原則違反の取材姿勢がはっきりしたから社長から遠からず「突撃命令」が出るんじゃないの。

B え! また「突撃」ですか?

松岡 今回はBさんとCさんにお願いします。

C は、はい・・・。

D まぁ、若いうちに直撃や、現場は踏めるだけ踏んでおいた方がいい。

A そういえばDさんはいまだに「直撃」はゼロですね。

D そのかわり君らの文章の校正は全部俺がやってるぜ。

一同 はあ、それはそうです。

B 『カウンターと暴力の病理』の最後で社長が「隠し玉はまだある!」って宣言してましたよね。

松岡 あれっ。まだ皆さんには送っていませんでしたか?

D 社長、あれは俺に任せたってことだったじゃないですか。

松岡 ああそうだった。Dさんよろしくお願いいたします。

D 「爆弾処理」承りました。毎度ながら今回の爆弾に「しばき隊」は腰を抜かすだろうな。

A どないな内容なんですか?

松岡 まあ、見てのお楽しみということで。ちょっとだけヒントを言うと、「しばき隊」のかなりコアとみられている・・・

D 社長、ストップ!これはメガトン級の衝撃取材だからゲラができるまでは特別取材班内でも秘密にしましょう。

松岡 そうですね。今年は私も徐々に一線から退いて、社長業に専念する方向で行こうと思っています。

B 本当に我慢できますか社長?「しばき隊」関連ではないけど『紙の爆弾』最近評判がうなぎ上りですね。

C うんうん。鹿砦社の仕事してるって話すと「紙爆か? 頑張ってるな」って全国紙の記者の評価も上がって来たよね。僕は「紙爆」の仕事回ってこないけど。社長、僕にも書かせてくださいよ!

松岡 中川(『紙の爆弾』編集長)に相談してみてください。

C  (なんだ、そっけない)

A ところで例の絨毯爆撃の効果はどないでした?

E かなりのものだったらしいよ。住所不明で帰って来たのは1人だけで、1人は「受け取り拒否」だったって。

C 「受け取り拒否」なんかした人には、当然直撃取材が待っているわけですね。

松岡 その人は北陸の人でね。有名人でもないから取材費使って「直撃」するのはどうしようかと考えています。

E 北陸といえば、あの宗教関係者だ!

A しかおらへんやろ。

D 小物はほっときなよ。それより今年はM君や鹿砦社だけじゃなく、対「しばき隊」の新たな訴訟の情報があるよ。

C 聞いてます。聞いてます。それも複数でしょ。

D 安田浩一がさ「こういう記事を書いて最終的に喜ぶ人間の顔がわかるんです」とかなんとか言ってたけど、俺に言わせりゃ「じゃあ連中が喜ぶようなことをするなよ」ってだけのことなんだよね。「不都合な事実」は隠蔽しようとする。でも起きたものは仕方がない。事実は事実でしょ。「しばき隊」は隠蔽せずに、「これはここがまずかった」って反省すれば、ことはそれで簡単に済んだんだよ。けど奴らはそうはしない。だからたちが悪いんだよな。有田もそうだけど。四国の合田夏樹さんは、俺はっきり言って思想的には全然合わないよ。彼は保守でしょ。安倍の支持者で原発にも賛成。でも人間は誠実なんだよな。だから話は通じる。それに有田の選挙カーで職場や自宅を「訪問」されてる。こんな事件聞いたことないぜ。

B 合田さん事件については新たな証拠も入りました。いずれ読者に公開できますね。

松岡 皆さん今年も昨年以上の奮闘を期待します。よろしくお願いしますね。

A 社長、年末年始の出費がかさんでいまキツイんです。ちょっとだけ前借お願いできませんか?

D やめときな。若いくせに前借の癖なんかつけたら、ろくなことにならないぜ。誰かさんみたいに50歳超えてもSNSしか居場所がなくなったら嫌だろう? バイトでもしなよ。

A キツイなー。けど説得力あるわ。「誰かさん」みたいにはなりとうない。夜勤のバイトしますわ。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

南北会談と映画『シュリ』──「民族統一」を阻んでいるのは誰か?

本日9日、南北朝鮮の国境、板門店で南北会談が行われる。韓国は2月に平晶オリンピックをひかえ、朝鮮は米国をはじめとする経済制裁にあえぐ中、両国の直接会談は、いっときの「モラトリアム」かもしれないが、理由はどうあれ歓迎すべきニュースだ。

昨年は朝鮮側から韓国側への亡命を試みた兵士が2名いた。銃撃を受けた1名は重傷を負ったが命はとりとめ、入院中だ。「K-POPが聞きたい」と病床で話しているという。板門店は何度か訪れたが、あの厳戒態勢の中でよく、亡命を敢行したものだと、兵士の決意には恐れ入る。

◆祖国分断の諸相

国境が海上にしかない島国に暮らしているわたしたちが、想像できないような地上の国境は世界にはいくつもある。かつて東西ドイツ国境の緊張もそうだったし、インド-パキスタン国境で繰り広げられる、双方が敵意むき出しの「儀式」のような様子も深く印象に残っている。中国とベトナムの国境も一時緊張状態にあった。

静寂時の板門店を韓国側から訪れると、そこは、緊張と商業主義の混在した場所だ。会談が行われる安っぽい建物は南北国境線上にあるが、観光客でも建物内の朝鮮国敷地内に入ることができた。毎日にように訪れる観光客の姿を、朝鮮側の兵士は望遠鏡で注意深く観察していた。

韓国の友人の多くは、「祖国の分断をいつかは解消したい」とわたしに語る。「世界最後の分断国家の子」と名付けた個展を日本で開いたのも韓国の友人だった。わたしは朝鮮国民に会ったことはあるけれども、友人と呼ぶほどの付き合いのある人はいない。日本にたとえれば、箱根あたりの南北で国境線が引かれ、引き裂かれた民族。冷戦取終結により、溶解した「ベルリンの壁」や、ソ連崩壊後多くの国が独立したのに反して、極東では、誰の意思によるのだろうか。いまだに同じ民族が分断を余儀なくされている。

◆誰のための、何を目指す「経済制裁」なのか?

「北朝鮮のミサイルの脅威」を連日垂れ流し、拉致問題をスパイスのように散りばめイメージづくりされる朝鮮民主主義人民共和国から、この冬には例年にない数の簡素な木造船、もしくは木造船の残骸が日本海各地に流れ着いている。わたしはその理由が国際社会による朝鮮への「経済制裁」にあると想像する。いわゆる“Sanction”(サンクション=経済制裁)はこれまでも、国際政治の場で幾度も繰り返されてきた。けれども、「経済制裁」が、その対象国の権力者に打撃を与えた実績をわたしはまったく知らない。そもそも、「経済制裁」を行うのが妥当であるのかどうかが、はなはだ疑問なケースは、イラン、イラクやキューバをはじめとして枚挙にいとまがない。誰のための、何を目指す「経済制裁」なのか。その理由の大半はここ半世紀ばかり「米国の利益」とほぼ重なる。

朝鮮に対する「経済制裁」も金正恩氏には痛痒でもなんでもないだろう。彼の恰幅(かっぷく)の良さは相変わらずだし、(わたしも好ましくないと同意する)独裁体制が揺らぐ気配はどこにもない。「経済制裁」は対象国の庶民生活を直撃し、権力者にはまったく無影響である(独裁的な国であればあるほどその傾向は強まる)ことを、わたしたちは日本海に流れつく、簡素な木造船の破片から、その中に横たわる亡骸から感じ取ることができないものだろうか。

映画『シュリ(Shiri)』(1999年)

◆映画『シュリ』の卓越なストーリー

1999年に韓国で撮影された『シュリ(Shiri)』という映画がある。ストーリーはややわかりやすすぎるきらいはあるものの、分断国家の悲劇を描いた作品として当時韓国では史上最高の観客動員数を記録した。朝鮮の精鋭部隊工作員が韓国の国防組織の人間と接触するうちに恋仲になるが、2000年に開催されるサッカーワールドカップに参加した南北両国の首脳を朝鮮側の部隊が爆破し、統一のための「革命」を図ろうとし、それが果たされない。そんなストーリーだったと思う。

「民族が分断されて何十年。政治家どもたちだけがいい加減な芝居を演じてきた。祖国統一のために、俺たちは政治家ではない新しい革命を必要としている」

たしかそんなセリフを朝鮮側から韓国に侵入した特殊部隊の隊長が、韓国の国防部隊主役に投げかけていたような記憶がある。『シュリ』のなかで、朝鮮の部隊は韓国だけではなく、みずからの国の元首もスタジアムごと爆殺することによって、民族統一を図ろうとしていたストーリーが卓越だった。終焉に向かう前に何人もの朝鮮兵士が窮地に陥ると殺される前に、「トンイルマンセイ(統一万歳)!」と声をあげながら服毒自死するシーンもあった。

当時の韓国大統領金大中は2000年に平壌を訪問し、金正日総書記と会談をしている。金大中が平壌空港に降り立ったとき、金正日は自ら出迎え、最大限の敬意を表している。日本でも在日コリアが涙しながらその様子を目にし、喜びに酔いしれていた(一部冷めている人もいたけれども)姿はまだ覚えている。韓国からの留学生も夜を徹して祝っていた。だから『シュリ』の描いたストーリーは劇場内では刺激に満ちたものだったが、それが現実を動かす力になりえたか、と言えばそうではなかったろうし、当時はそんな情勢でもなかった。

独裁国家の精鋭部隊が、忠誠を貫くべき国家元首を、「民族統一」の障害物として爆殺を敢行しようとするストーリーには引き込まれたが、2月には平晶オリンピックが韓国で開幕する。もちろん物騒な騒ぎなど微塵もなく、この機会に南北両国の凍てついた関係に少しでも融和の兆しが現れるよう、こころから切に願う。


Shiri (Shiri’s Ending)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

新年早々タブーなし!『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

《殺人事件秘話10》冤罪・東広島女性暴行死事件 隠された「別の真犯人」の証拠

捜査機関が被告人に有利な証拠を隠す「証拠隠し」は、冤罪が起きる原因の1つとして批判されてきた。私が過去に取材した様々な冤罪事件を振り返っても、捜査機関による「証拠隠し」の疑いが浮き彫りになった事件はいくつもある。

中でも印象深いのは、10年余り前に東広島市の短期賃貸アパートで会社員の女性が探偵業者の男性に暴行され、死亡したとされる事件だ。私は取材の結果、この事件を冤罪だと確信するに至ったが、取材の過程では「別の真犯人」の存在を示す証拠を警察、検察が隠している疑いも浮上しているのだ。

◆短期賃貸アパートで見つかった遺体

東広島駅近くの短期賃貸アパートで被害女性(当時33)の遺体が見つかり、事件が発覚したのは2007年のゴールデンウィーク中のことだった。遺体はバスルームで発見されたが、服は着たままで、水をはった浴槽に頭から突っ込んでいた。顔面や頭部に鈍器で殴られた跡が多数あり、上唇が裂けるなどした無残な状態だったという。

被害女性の遺体が見つかった短期賃貸アパート

女性は事件発覚の少し前、現場の短期賃貸アパートを契約していたが、そのことは一緒に暮らす家族すら知らないことだった。ただ、事件後に女性の携帯電話がなくなっており、警察は当初から顔見知りによる殺人事件だと疑っていたようだ。そして事件発覚から約2週間後、1人の男性が殺人の容疑で検挙される。広島市でコンビニを経営しつつ、副業で探偵業を営んでいた飯田眞史さんという男性(同51)だ。

なぜ、飯田さんは疑われたのか。事情はおおよそ次の通りだ。

被害女性は事件前、妻子ある男性と不倫関係にあったのだが、そのことが男性の妻にばれ、トラブルになっていた。そして事件発覚の10日余り前、電話帳で探偵業を営む飯田さんの存在を知り、相談にのってもらっていたという。

警察が捜査を進める中、被害女性の携帯電話の発着信履歴や東広島市内のファミレスの防犯カメラ映像などから飯田さんが事件当日も被害女性と会っていたことが判明。さらに現場アパートの室内から飯田さんのDNAも検出され、警察は飯田さんを容疑者と特定したのだ。

飯田さんは逮捕後、事件当日に被害女性と会い、現場アパートに立ち入ったことは認めつつ、殺人の容疑は一貫して否認した。飯田さんによると、被害女性が家族にも告げずに短期賃貸アパートを契約したのも飯田さんの助言だったという。

「被害女性は、不倫相手の妻から慰謝料のほか、印鑑登録証明書の提出を求められており、印鑑登録証明書に記載された住民票の住所から不倫相手の妻に自宅を知られるのを嫌がっていました。そこで短期賃貸アパートを契約し、住民票の住所を一時的に移せば、印鑑登録証明書に記載される住所は短期賃貸アパートのものになると助言したところ、被害女性はその通りにしたのです。そして私は事件当日もアパートの室内で、被害女性に示談書の書き方を教えてあげていたのです」(飯田さんの主張の要旨)

しかし、飯田さんはこのような言い分を警察、検察に信じてもらえずに起訴され、裁判でも広島地裁の第一審では懲役20年の有罪判決を受ける。広島高裁の控訴審では、犯行時の殺意が否定され、傷害致死罪が適用されて懲役10年に減刑されたが、上告審でも無実の訴えを退けられ、懲役10年が確定。現在も山口刑務所で服役生活を強いられている。

飯田さんが服役している山口刑務所

◆被告人には一見怪しい事実があるにはあったが・・・

私がこの事件を取材したきっかけは、獄中の飯田さんから冤罪を訴える手紙をもらったことだった。飯田さんは当時、広島高裁に控訴中だったが、調べたところ、飯田さんには怪しいところが色々あるにはあった。だが、よく検討すると、色々ある一見怪しい事実は、飯田さんが犯人であることを何ら裏づけていないのだ。

たとえば、飯田さんは事件の数日後、埼玉で暮らす不倫相手の女性に現金書留で100万円を送っており、このお金について「事件当日に被害女性から預かったものだが、(不倫相手の女性には)車の購入資金として送った。被害女性には、あとで自分の預金から返せばいいと思った」と説明していた。これなどはかなり怪しさを感じさせる事実だが、よくよく調べてみると、飯田さんは金を送った不倫相手の女性に口止めなどはしておらず、金の送り方も現金書留を使っているなど非常に無防備で、犯人らしからぬ点が散見されるのだ。

また、現場アパートの室内から飯田さんのDNAが検出されたという話については、鑑定資料が血痕なのか、ツバなど血痕以外のものなのかで争いがあるのだが、いずれにしてもきわめて微量のDNAがテレビのスイッチに付着していただけのことだった。飯田さんは事件当日、被害女性に示談書の書き方を教えるためにアパートに立ち入ったことを認めており、このDNAはその時に遺留したと考えても何らおかしくない。

そもそも、飯田さんは被害女性と事件の10日余り前に知り合ったばかりで、被害女性の顔面や頭部を執拗に攻撃し、殺害しなければならない動機があったとも思いがたかった。そんなこんなで私はこの事件について、次第に冤罪の心証を抱くに至ったのだ。

そして取材を進める中、期せずして浮上してきたのが、捜査機関による重大な「証拠隠し」の疑いだ。それはすなわち、飯田さんとは別の真犯人が存在することを示す事実がありながら、警察、検察が握りつぶしたのではないかという疑惑である。

逮捕によって閉店に追い込まれた飯田さんのコンビニ

◆警察が「複数犯」を前提に「黒い車」を探していた謎

「警察はなぜだか、飯田さんの共犯者を探していました」「そういえば刑事が話を聞きにきた時、『あれは一人ではできない犯行なのだ』と言っていました」

私の取材に対し、飯田さんの周囲の人たちは異口同音にそう言った。つまり、警察は飯田さんを容疑者と特定しながら、この事件を複数犯の犯行だと思っていたということだ。

一体なぜなのか。謎を解く鍵は次のような証言だ。

「刑事から『飯田に黒い車を貸さなかったか?』と聞かれたので、貸してないと答えたら、その刑事、今度は『あなた以外で誰か飯田に黒い車を貸せるような人はいないか?』と聞いてきたのです。とにかく刑事は『黒い車』にこだわっていましたね」

これは飯田さんの知人男性から得られた証言だが、同様の証言は他でも複数得られた。これはつまり、警察が何らかの証拠に基づき、この事件は複数犯によるもので、犯行には黒い車が使われたと考えていたということだ。ちなみに飯田さんが乗っていた車の色は「白のスカイライン」である。

私は、おそらく事件現場周辺の「防犯カメラ」の映像などを根拠に、警察は犯人が複数存在し、犯行に黒い車を使っていたと断定していたのだろうとにらんでいる。そこで実際、事件現場周辺でそのような防犯カメラの映像を警察に任意提出した会社などがなかったか探してみたが、残念ながら現時点で見つけられていない。

私は今後もこの事件の取材は続けるつもりなので、もしも気になる情報をお持ちの方がいれば、下記の私のメールアドレスまでご一報頂けたら幸いだ。

kataken@able.ocn.ne.jp
※メール送信の際、@は半角にしてください。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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