《脱法芸能60》吉松育美VS谷口元一裁判(20)谷口氏の証人尋問7

谷口氏への反対尋問が続く。

西川洋司弁護士 あなたのパールダッシュという会社に小泉麻耶さんという方が所属していたということは間違いないですか?

谷口元一 所属しておりません。

西川洋司弁護士 かつて、所属していたことはありますか?

角地山宗行弁護士 異議あり。関連性のない質問です。

西川洋司弁護士 似たような事件の報道があったので、それが事実かどうかを。質問を変えます。甲41号証を示します。阿部慎之助さんと、小泉麻耶さんの記事が『週刊文春』に載ったことは知っていますか? ここに出てくる小泉麻耶さんがかつてパールダッシュの仕事をしていたことがあるということは間違いない?

(プロ野球の読売ジャイアンツの主将、阿部慎之助とアイドル女優・小泉麻耶の不倫疑惑を報じた『週刊文春』(2014年11月6日号)で、小泉が元所属事務所幹部から性行為を迫られ、神奈川県内の警察署に被害届を提出していたと指摘していた)

谷口元一 所属しておりません。

西川洋司弁護士 今していないのか、過去も一度もしていないのか? 

谷口元一 パールダッシュには所属していません。

西川洋司弁護士 ケイダッシュには所属している?

谷口元一 所属しておりません。

西川洋司弁護士 一度もしてない?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 ケイダッシュが出資するグループ会社には所属しているということはない?

谷口元一 過去にグループ会社のどこかは覚えていませんが、所属していたことはあると思います。

西川紀男弁護士 谷口さんね、冒頭に、あのマット・テイラーさんとの裁判があったと。それで勝負したとおっしゃいましたね。間違ったら、堪忍してください。それ、きちんと証人申請した人が全部、証人となることを拒否したんですが、そのことと谷口さんとは関係ないんですか。もっと聞きましょうか。圧力かけて降ろしたということはないですか?

谷口元一 本当にないです。

西川紀男弁護士 ない? あ、そうですか?

西川紀男弁護士 あの、谷口さんはね、先ほど、吉松育美さんの腕をつかんではないという風におっしゃいましたかね。否定していた。

日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(FCCJ公式チャンネル2013年12月16日公開)

谷口元一 はい。

西川紀男弁護士 そうですか? 間違いない?

谷口元一 はい。

西川紀男弁護士 吉松さんは、「何をすんのよ。キャー」と言って、声を上げたということをおっしゃいましたが、あなたはそういう声も聞いてないですか?

谷口元一 聞いてません。

西川紀男弁護士 あなたが吉松さんに対して新しいマネージャーを付けるからという趣旨の発言をしたことはありますか?

谷口元一 ありません。

西川紀男弁護士 ない? ないんですか?

谷口元一 ありません。

西川紀男弁護士 ほう。元TBSのアナウンサーの川田亜子さん。この方が自殺したという話を吉松さんのお父さんにしたことはありますか?

谷口元一 覚えてないです。

西川紀男弁護士 覚えてない? ほう。谷口さんね、自殺したのは練炭だっていうけど、この練炭を前日、買ってこいと言ったのはあなたではないんですか?

谷口元一 ないです。

西川紀男弁護士 あの、久光製薬でおじいさん同士が親友だということを久光製薬の問題ですけどね、おじいさん同士が親友だということは、あるんですか? あなたのおじいさんと久光の会長ですね。これはどうですか?

谷口元一 うちの祖父はもう3年ぐらい前に死んでいます。

西川紀男弁護士 いつでもいいです。親友であったことはあるんですか。

谷口元一 覚えてないです。

西川紀男弁護士 国際文化協会の話で谷口さんが上の方にね、上というのはミスパリらしいんだけども、ガンガン電話しているというような議事録があるんだけれども、そういう事実もないんですか? 先ほど全部否定しているから。ないということになるんでしょうけども、ないんですね? 確認しますけど。

谷口元一 はい。

西川紀男弁護士 私、分かりにくいから、もう1回聞かせて下さい。何で吉松さんのね、実家のご両親にまでこの電話をする必要があったんですか? もう1回聞かせて下さい。

角地山宗行弁護士 異議あり。異議あり。

西川紀男弁護士 異議じゃない。もう1回聞かせて下さい。

裁判官 あともう1回聞きましょう。申し訳ないですけど、重複尋問ばかりなので。時間があるからといって、最後までやる必要ないですから。

西川紀男弁護士 はい。承知しております。どうですか?

谷口元一 伝言をお願いしただけです。

西川紀男弁護士 谷口さんね、これは意見になるかもしれないけど、まだ異議が出るから、私、話最後にしますけどね。吉松さんは一生懸命やっとこさミスワールド、ミス・インタナショナルの王冠を取ったわけですよ。あなたのような権力のある方がなぜここまで追い詰めるのか。かわいそうじゃないですか。

角地山宗行弁護士 異議あり。

西川紀男弁護士 分かってます。異議ありますか。終わります。


◎[参考動画]日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(日本外国特派員協会2013年12月16日公開)

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

◎事実の衝撃!星野陽平の《脱法芸能》

芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす!『芸能人はなぜ干されるのか?』
反骨の砦に集え!月刊『紙の爆弾』!

《誤報ハンター05》清原和博をめぐる最悪の誤報は一昨年3月の『FRIDAY』記事!

マスコミは覚せい剤取締法違反(所持)で2月2日に逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者が「いつから、どのルートで覚せい剤を常習するようになったのか」「誰の影響でドラッグ漬けになったのか」ということばかり追及している。だが、メディアたちは2014年に「インターネットFRIDAY」の3月13日付の記事こそ「誤報」として断固として追及し、やり玉にあげ、その取材姿勢を糾すべきだ。

ここには、「独占告白 番長・清原和博「薬物疑惑の真相、全部しゃべったる!」として清原が「インシュリンは毎日打っているが、麻薬っていう意味での薬物はいっさい関係ない」と言い分を一方的に紹介しつつ、「2型糖尿病」の診断書まで会員には、写真として公開しているのだ。これを「覚せい剤推進記事」と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

もし、捜査が進んで清原がこの2014年3月の時点で「覚せい剤を打っていたら」この『FRIDAY』は、すぐにでも休刊すべきだ。それくらい罪が重い報道である。

それにしても、この週刊誌は、清原が「シャブを抜いた」とする足立区の病院まで取材が届かなかったのか、もしくは警察の情報が入ってなかったのか。
「2014年1月からという時間軸なら、清原が覚せい剤の常習者なのは、警察とつながっている記者であればまず耳に入っている話で、それをわざわざ否定してみせるのは清原となんらかと癒着があったとしか考えられませんね。もしくは、『番長日記』として現役時代から清原のモノローグを掲載していた期間の罪ほろぼしで清原の味方をすることになったのか。いずれにしても『FRIDAY』が清原の『ドラックをやっていない』話を垂れ流したのは世紀の凡ミス。『週刊文春』が3月13日号で清原の薬物疑惑を報じたので、ライバルとしては逆に張れ、とばかりに『清原の味方』をしたのだろうがね。そもそも、清原が入院していたときの担当医、ニンニク注射を打っていた医師だって血液検査をしたときに成分分析で「覚せい剤の疑惑」がわかってた可能性だってありますよ。そちらをマスコミは注目すべきで、覚せい剤の入手ルートの解明は警察がやるべき問題」(スポーツ新聞記者)

『FRIDAY』は、読者への贖罪を含めて、緊急に「清原を擁護した」医師を追及すべきである。

「今回の清原の逮捕では、警察とどれくらいパイプがあるか、スポーツ新聞やテレビ局の報道を見ていればよくわかる。記者としても警察とのパイプがどれくらいあるかが問われているのだ。今のところ、逮捕場面に遭遇して動画で撮影できたTBSや毎日新聞は情報量でリードしている。それもそのはずで、TBSも毎日新聞も、警察だけでなく、相手がヤクザ雑誌の記者だろうと、場末のキャバクラだろうと『情報をくれる人は神さま』というスタンスでネタ元を大切にして、地を這うような取材をしていますからね」(同)

それにしても、もはや「権力への追撃」や「腐敗にメスを入れる」という切り口からは、『FRIDAY』は遠くなった。もし、今のままエロ本のごとく女のヌードを垂れ流すのなら、すぐに月刊にして、事件取材や政治の取材をやめよ。現場でもまったく記者を見なくなったが、仮にいたとしても邪魔なだけである。

「いいんじゃないの。今年いっぱいでどうせ『FRIDAY』と『週刊女性』はなくなりそうだからさ」(同)

確かに、なくなる雑誌に激怒している時間が惜しいような気もする。清原ネタをどこまで追及するのか.『FRIDAY』と、確かにもはや休刊が確定的だと囁かれている『週刊女性』には、メディアとしての矜持を見せていただきたいものだ。

(伊東北斗)

◎《誤報ハンター01》芸能リポーターらが外しまくる「福山雅治」の結婚報道
◎《誤報ハンター02》誤報の横綱『週刊大衆』よ、白鵬はまだまだ引退しない!
◎《誤報ハンター03》「テロの危機」煽れば増える「警備利権」と警察天下り
◎《誤報ハンター04》『週刊女性』の幼稚なミス発見。週刊誌の劣化が始まる!

タブーなき反骨の砦!月刊『紙の爆弾』!

沢村忠デビューから満50周年!日本キックボクシング興行界の巨人たち

今年は1966年(昭和41年)4月に日本でキックボクシングの初興行が行なわれて“満50周年”を迎えます。そこで、この競技の発祥から置かれた立場の移り変わりを愚痴を込めながら独断と偏見で振り返りたいと思います。

◆発祥前史は1959年に遡る

「野口修さんと写真撮るのは初めてかもしれない」と語った石川顕氏。キックの生みの親と日本一の実況でキックボクシングを盛り上げたコンビのツーショット

キックボクシングが生まれる以前、その前身(あくまでも大雑把な経緯ですが)ともいえるのが1959年に行われた日本で初めてのタイ人同士のムエタイ試合でした。そして、1964年にはプロボクシングのプロモーターだった野口修氏がムエタイに着目し、日本の空手家3人を引き連れてタイに乗り込み、ムエタイ選手との試合をバンコクで行いました。こうした流れがその後のキックボクシング発祥に繋がっていきました。

その数々の歴史と前身の経緯を含め、一昨年8月に伊原プロモーション代表の伊原信一氏がキックボクシング創設50周年記念式典を都内ホテルで行ないました。創生期からの懐かしい顔ぶれの中、若い女性は現在のトップスター江幡ツインズに群がり、時代の狭間を感じる光景でした。

試合VTRと共に実況を始めた石川顕アナウンサー。キックファンにとって34年ぶりの石川さんの名調子

◆1967年2月のテレビ放映は野口氏のしつこいTBS通いで始まった!

日本キックボクシング協会設立後、野口氏が半年以上かけてほぼ毎日、TBSテレビの運動部へ売り込みに出向き、キックボクシングの将来性を熱く語ったり、話す相手がいない日でもソファーに座った日々で「あの人今日も来てるよ」と囁かれても、そのしつこさに折れたTBSテレビが「1回やってみるか」と放映を1967年2月26日に開始しました。

そこから沢村忠の活躍でキックボクシングブームを巻き起こし、当初は国内に新風を巻き起こす順風満帆たる船出から始まりました(キック創設50周年記念式典で司会を務めた元・TBSアナウンサー石川顕氏の語り口より一部引用)。

その後は紆余曲折を経て約15年続きましたが、マンネリ化した日本vsタイの試合もブームは去り、アメリカンプロ空手を取り入れるなど再浮上を狙っても長く続かず、老舗・野口プロモーションも力尽きた感じで興行から遠ざかりました。

◆テレビ放映無き後──地上波テレビ以外の媒体を模索し続ける

「キックボクシングの実況の中で、私がいちばん褒めた選手は伊原信一選手でした」と語る石川アナウンサー。伊原氏の生い立ちをよく知っているからこその優しさだ

団体分裂で分散しつつも業界全体の底力が粘り、赤字経営の苦難の年月を経て何とか小さな軌道に弾みを付け、一時的にテレビで取り上げられる特番はあっても、プロボクシングの世界戦すらゴールデンタイム放映が危ぶまれる時代に入り、一般家庭の茶の間にKO劇を轟かせた時代の再来は不可能な現在。しかし、地上波テレビには及ばぬも、逆に衛星放送やインターネットなどの通信網は利用価値ある時代に入っていきました。

◆プロボクシング界から“邪道”と言われた時代の後、K-1に対しては嫉妬する時代へ

キックボクシングが初めて放送された試合は、沢村忠……ではなく、藤本勲氏の試合。セミファイナルの藤本氏が先に放送された試合順の結果

こんな経緯に至るキックボクシングの創設後のブームの時代、プロボクシング界からは“邪道”と言われた時代がありました。そんな時代の後にアメリカンプロ空手の普及やシュートボクシングの創設があり、特に後のK-1において、今度は逆にキックボクシング界がそれらを“邪道”と言う時代に移り、そんな後発のブームに追われる立場になりました。とはいえ、そのブームに便乗するキック関係者が多くいたのも事実です。

便乗はせず、声には出さぬも、そのイベント人気に嫉妬する関係者も少なからずも存在しました。「キックボクシングなんて発祥自体が間違っていたんだ。最初からムエタイに倣っていたら組織も構築していたろうに」と言う意見があったり、「キックボクシング創生期にきちんと構築した組織創りをしておけばプロボクシングと肩を並べるメジャーな競技になっていただろう」という意見もありました。

◆「キックボクシングは不滅です」──“打倒ムエタイ”を掲げ続けた50年

そんなキックボクシングにおいて、数々の世界王座はあるものの、どれもマイナーな存在の中、最高峰と言われる王座に行き着くのは、やはりムエタイとして存在するタイ国ルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアム認定の王座。これらはいまも不動の世界王座です。

富山勝治(目黒)vs稲毛忠治(千葉)を彷彿させる懐かしい顔合わせ、藤本勲(目黒藤本)会長と戸高今朝明(千葉)会長

その王座を奪取した日本人は過去50年間で、ラジャダムナンのみで4人。藤原敏男、小笠原仁、武田幸三、石井宏樹。今後の50年間で、キックボクシングが完全にムエタイを超える実績を積み重ね、更なる魅力と権威を増した競技に成長していけるか、キックボクシングそのものが衰退するか発展していくかは今後の舵取りに掛かっているでしょう。

キックボクシングは新興格闘技ではなく、すでに50年の歴史を持つ“打倒ムエタイ”を掲げてやってきた格闘競技です。「キックボクシングは不滅です」──。長嶋茂雄氏を真似た訳ではないでしょうが、キックの帝王・沢村忠氏も引退式でこう語りました。

キックボクシング創設50周年記念式典でお会いした方々は創成期からの顔ぶれが中心でしたが、この人たちがいてこそ、今がある。これからの50年後に向け、業界全体で打倒ムエタイを果たし、そのプライドを持ってキックボクシングをスポーツの帝王へと成長させていきたいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎ムエタイ日本人の壁──活躍する在日タイ人選手と来日タイ人選手の裏事情
◎芽が出始めたムエタイ新時代──タイで通用する若手選手が続々出現!
◎ティーンズチャンプがキック界を刷新する?──2015年回顧と2016年展望
◎強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル

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『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』出版記念で小出裕章さんを囲む会!

2月5日、大阪中央区谷町6丁目の隆祥館書店で「『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』毎日新聞出版記念イベント 小出裕章さんを囲む会」が行われた。隆祥館書店の5階にある会場には立ち見が出るほどの人が集まり、2月初旬の夜だというのに窓を開けないと熱気で息苦しいほどの満員状態だった。

◆「たね蒔きジャーナル」が報じ続けた「真実を語る原子力研究者」小出さんの声

2016年2月5日大阪谷町6丁目の隆祥館書店にて

2011年3月11日以前、原子力発電の問題に関心のない人々の間ではそれほど名前が知れ渡っていたわけではない小出さんは事故後ほどなく「真実を語る原子力研究者」として、その存在が急速に際立ちはじめる。

MBS(毎日放送)ラジオ番組「たね蒔きジャーナル」は福島原発事故の現状や課題、困難さや危険を生中継で小出さんが解説する時間を設けた。他の大手メディアには小出さんのような明確に原発に反対する研究者が登場することすらほとんどない中、日々変化する状況へ小出さんの解説や意見は別格に鋭く、人々は恐怖を感じながらも畏敬の念で彼の解説に注意を払うようになった。「たね蒔きジャーナル」における小出さんの解説は毎日放送の電波が届く関西圏だけでなく、それを録音した人々がYoutubeやSNSに投稿するなどして、全国、全世界へと広がった。

一方毎週末には全国各地で小出さんの講演会や勉強会が開かれた。常人には想像もできない猛烈な勢いで日本全国を駆け巡り、講演を行い、質問者には時間が許せば最後の1人まで丁寧に答える小出さんの姿は「反原発伝道師」のようですらあった。国内だけではなく米国、台湾、韓国などからも招かれ講演に出かけられている。

当時小出さんは「今は私にとって『戦争』ですから」と語っておられた。その「戦争」は京大原子炉実験所を定年退職され、長野県に移住された後も小出さんを「戦地」から解放してくれはしなかった。この日の会場となった隆祥館書店満員に姿を見せた小出さんは小さな鞄に「安倍政治を許さない」と書かれたバッチを付けていた。

◆『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』は京大退職後、初の書き下ろし

2016年2月5日大阪谷町6丁目の隆祥館書店にて

2015年3月に京都大学原子炉実験所を定年退職されてから、初めての書き下ろしとなる『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』では原発事故への言及ももちろん豊富だが、事故後発生した社会的な出来事、とりわけ「戦争」に向かう数々の断面をジャーナリストのように指摘されていることが際立っている。

前述の「たね蒔きジャーナル」をはじめとして小出さんが定期的に出演した番組が全て今は「無くなっている」こと。それは実質的に自分の出演が理由で番組自体が消滅させられた(可能性がある)と考えること。マスコミの退廃極まりない現状への直接の批判。そして小出さんが「原子力マフィア」=犯罪集団と呼ぶ行政、政治、企業、マスコミが画策する原発維持=核兵器製造技術保持と、福島第一原発事故の風化を目論む策動。そして文字通りの「戦争」へ邁進する安倍や自民党への容赦ない批判と警鐘。

この日の講演ではマイナンバー導入について「人が名前ではなく番号で識別される」ことを小出さんは危険視し、嫌悪することが語られた。穏やかな言葉ではあるがスクリーンに映し出された画像の中には「まことにこの国は狂っている」、「自分の身に危険が迫った時は、既に抵抗する人の可能性は奪われている」ともあった。

原子力の専門家小出さんは、依然として「原子力非常事態宣言」が発令されたままの2016年2月、「反原発」と同じほどの比重で「戦争」の到来の危機を語った。いつも通りの穏やかな語りと笑顔から立て板に水のように紡がれる言葉は、残念ながらその内容が年々悲観的に傾きつつある。

原子力研究の専門家であると同時に、小出さんはご自身が仰るとおり「徹底的な個人主義者」であり「反戦・反差別主義者」だ。でも論文でない限り小出さんの著作は、語りの様に優しい言い回しで綴られる。

◆隆祥館書店は久方振りに「書店」の意気込みを感じさせてくれる本屋さんだった!

2016年2月5日大阪谷町6丁目の隆祥館書店にて

この日の集まりが行われた隆祥館書店は決して大きな書店ではない。講演前、隆祥館書店二村知子氏は「アマゾンや大規模書店の展開により小規模の書店は経営が非常に厳しく閉店が相次いでいる。しかしテレビや新聞が伝えない事実でも書物であれば真実が書かれている。伝えられる。書店としての社会的責任を果たして行きたい」と書店の社会的責任を挨拶として述べられた。隆祥館書店はこの日のように書物の著者を招き講演や座談会などをこれまで既に100回以上行っている。小出さんも講演の冒頭「小さな気概ある書店」の存在に言及された。

言われてみればそうだ。私自身が書店に個性や魅力を感じなくなってどのくらい経つだろう。書店の魅力は売り場面積の広さではない。書架に並ぶラインナップが「ウム」と唸らせてくれるかどうかが、かつては決め手だった。大規模書店には個性が乏しい。初めて訪れた隆祥館書店は久方振りに「書店」の意気込みを感じさせてくれる本屋さんだった。だから小出さんも応援に駆け付けたに違いない。


◎[参考動画]小出裕章氏「原発と戦争を推し進める愚かな国、日本」出版記念講演会(2015年9月19日毎日ホール)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎菅直人VS安倍晋三裁判──請求棄却判決の不当とねじれ過ぎた真実
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎2016年のジャパン・カオス──2026年正月に記された日系被曝難民家族の回想記

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川谷絵音と間違えられ迷惑を被る『SEKAI NO OWARI』Fukaseの心境はいかに?

街角で『ゲスの極み乙女。』の川谷絵音とまちがえて言われてしまい、迷惑を被っているミュージシャンがいる。ビジュアル的には中性的で、確かにパッと見は似ている、『SEKAI NO OWARI』のボーカルのFukaseだ。

「Fukaseは、街中でも変装せずに堂々としていることで知られています。先日も彼女である益若つばさと一緒のところを週刊誌に撮られて、『悪いことをしているわけではないので』とにこやかに2ショットを堂々と撮られていました。ところが最近は『外出しにくい』とメンバーやスタッフに漏らしています。なにしろ出歩けば『Fukaseくーん!』と嬌声が飛ぶのはいつものことだが、年配の主婦などは、ひそひそと顔をつけ合わせた上に『あのベッキーの相手の人?』などと勘違いが始まるから、困ったもの。先日も大田区の某スーパーでひとりで買い物をしているところ、年配の主婦たちに囲まれて『どうして浮気したの?』と怒られていた話が伝わってきています」(芸能ジャーナリスト)

Fukaseは実は川谷と交流があり、今回、週刊誌にベッキーと川谷絵音(えのん)との不倫記事が出た直後、1月8日には『えのんくんにどんな報道があろうと、俺は、彼らの作る音楽が素晴らしいから、俺は彼らの作る音楽を支持する』と川谷を“擁護”するツイッターを更新。

『偽善者ぶんなよwお前も心の中ではゲスの極みって思ってんだろ?ゲスの極み乙女だけに。』とファンに挑発的な書き込みをされて『貴方のような、クソつまんない駄洒落を言う方よりは、えのんくんの事をちゃんと考えてると自負しています。』と返している。

「川谷とFukaseは、スケジュールさえ会えば、お互いの家を行き来するほど仲がいいのですが、これだけFukaseが川谷のせいで『間違えられて説教ばかりされる』と、会いたくなってきますよ(笑)。川谷の歌の歌詞じゃないけど、『私以外、私じゃないの』ではなく『絵音以外、絵音じゃないの』と本心では集まるファンに言いたいのではないでしょうか」(同)

不思議なことに、川谷がFukaseにまちがえられても「おとがめなし」となるという話だ。やはりあけすけに恋愛したほうが受ける時代なのか。もはや時代の寵児となり、曲を出せばヒットが間違いなしの二人の『恋愛』の行く末は、どこにあるのだろうか。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎ハイセーヤスダ-秋葉原に跋扈──ヤクザが去って韓国ローティーン「JKK」勧誘の嵐
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化
◎国勢調査の裏で跋扈する名簿屋ビジネス──芸能人の個人情報を高値で売買?

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虚言を検証することなく「号外」として出す読売新聞の無知蒙昧

天敵のようにこの島国の政府、メディアから看做されている「朝鮮民主主義人民共和国」が、自称「水爆実験」を行ったのは1月6日だった。読売新聞は号外を出し、聞くところによると同日夕刻NHKテレビは7時のニュースを通常の30分から1時間に広げて報道したそうだ。

朝鮮の核実験は過去にもあった。その都度朝鮮のプロパガンダも含めこの島国のメディアはあたかも「明日にも核ミサイルが飛んでくる」かのごとき報道をした。その際に本質的には関係のない「拉致被害者家族」のコメントを添付することを忘れはしなかった。それは今回も同様だ。2001年に小泉首相が電撃訪朝し、結果として拉致被害者の一部が帰国出来て以来、拉致被害者帰国へ向けた日本政府の効果的な働きかけは私が見るところ皆無だ。

「圧力と対話」などという成立しない矛盾を平然と掲げ恥じることなく、多くの国会議員の左胸には青いバッチが見て取れ得る。「拉致被害者」は政争の具に使われている、と察知したかつての「家族会事務局長」蓮池透氏は「家族会」から離れた。弟の薫氏が羽田空港に降り立った時、彼の胸にある金正日バッチを指さし、悲しい時間を忘却するように弟を指弾した蓮池透氏は呪術から解かれたように柔和な表情で、朝鮮との関係や原発問題(彼は福島第一原発3号機に勤務する東電社員であったが定年を待たずに退職している)を語るようになった。

蓮池透氏の態度の変貌にこそ我々は学ぶべきではないか。「信用に値しない」仮想敵国が自国の国民向けに発表した時点で「北朝鮮水爆実験」の号外を出す読売新聞社の価値判断基準はどこにあるのだ。仮想敵国の勝手な言い分ならば少なくとも過去同様の検証があって後の断定でなければ間違いの可能性はないのか。朝鮮は毎日のように韓国との緊張の高まり、戦争の可能性をニュースで流し続けているけども、毎度毎度のプロパガンダを本気で取り合っていればこれまでに何百回南北間で戦争が起きていなければおかしいではないか。

当日私に知人から何通かのメールが来た。「北朝鮮が水爆実験?大丈夫か?」との疑問に私は「今発表されているのは朝鮮本国の言い分だけであり、米軍機が上空で核種の取集を行っているが過去と異なり現在のところ何の核物質も検出されていない。これが核実験の可能性は排除できないが、極端な話単に多量のTNT爆薬を集めての『偽装核実験』の可能性も排除できないと思う」と回答した。

2日とおかずに米国政府は朝鮮が「水爆実験」と発表した事件が「水爆実験」ではなかったとする見解を明らかにする。安倍首相も水爆実験を否定する。で、読売新聞は「号外」の誤報をいったいどのように抗弁したのであろうか。私は読売新聞「程度」のレベルの低い反応をするメディアを軽蔑するので彼らの報道を検証する気すらない。彼らの報道には何の思想も一貫性もない。そのことを恥に思わないのかとだけ聞いてみたいのだ。

常に天皇制に依拠する自民党権力に寄り添いながら、中国、朝鮮を仮想敵国視しながらも、その「虚言」を検証することもなく「号外」として出す。このような行為を日本語で「無知」、「破廉恥」と呼ぶ。

そこで形式ばかり配慮されるのは「拉致被害者」の家族だが、政府は「北朝鮮憎し」の世論喚起のためだけに彼らを利用しつづけているだけで、本気で拉致被害者の帰国を実現する気などさらさらない。しかもその背後に本来は強く意識されるべき日本の朝鮮半島侵略行為という重大な歴史についての配慮など微塵もありはしない。

日本と韓国の間には「日本国と大韓民国の間の基本関係に関する条約」(通称「日韓基本条約」)が1965年に締結されている。戦時(侵略)補償について極めて不平等な「日韓条約」が存在する。「日韓条約」締結を巡っては日本・韓国両国の国民の間で激しい反対運動が展開された。この条約が日本の戦争(侵略)賠償を十分に行うものでなく、条約に盛り込まれた以外の全ての請求権を韓国に放棄させるという「不平等条約」だったからだ。しかしながら不充分であっても一応の補償をしたのは事実ではある。

他方、日本が侵略した当時は1つの国の一部であった朝鮮に対しては、今日に至るまで戦争(侵略)賠償は1円もなされていない。「日韓基本条約」では朝鮮半島における唯一の政府を韓国と決めつけている無茶もあり、「拉致問題」を議論する前提としての「戦後処理」すら終わっていないのが日本と朝鮮の関係だということが、この島国の多数の国民には知られていない。

朝鮮の核開発に私は反対だ。また朝鮮の政治が世襲的独裁体制であることも好感しない。だが、日本政府があたかも「北朝鮮より日本は自由ですよ」と垂れ流すプロパガンダにも大きな嘘が内包されていると感じる。朝鮮での軍事パレードや一連の政府行事に動員される市民は、おそらく「強制」であって拒否する権利などないだろう。

では、正月の「一般参賀」に皇居を訪れる日本人はどうだろうか。強制もされていないのに日の丸を持って「自らの意思」で皇居を訪れ「天皇陛下万歳」を叫ぶ。この姿は明治憲法で「大元帥」(戦争の最高指揮官)として中国侵略、第二次大戦開戦を行った昭和天皇が存命時から一向に変わらない姿だ。

朝鮮の専制は酷かろうが、日本のこの様はどうだ。ドイツでヒットラーやナチスをいまだに有難がり「カギ十字」を振る大衆が居るか。イタリアでムッソリーニの子息を有難がり戦争時代を懐かしむ馬鹿がいるか。「自由」と言いながら朝鮮と何変わらぬ風景を皇居や靖国神社で毎年繰り返している(そこへ向かう大衆の数は増えているという)この島国は朝鮮を笑えるか、批判できるか。 

朝鮮の核実験には言わずもがな反対だが、原発4機を爆発させていながら再稼働に突き進むこの島国の為政者と経済団体の感覚は朝鮮の無茶さと同等だとすら言えまいか。

さて、7日以来大騒ぎの朝鮮による「実質的ミサイル打ち上げ」騒ぎには深く言及する気さえ起らない。理由は既に米国が確認している通り「人工衛星」2つが確認されており、打ち上げられた物体が「ロケット」であることが明らかだからだ。

それを「ミサイル」だと大騒ぎする国際世論、マスコミには「馬鹿だ」と一言だけいっておく。

踊らされてはならない。「馬鹿」どもに。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《脱法芸能59》吉松育美VS谷口元一裁判(19)谷口氏の証人尋問6

吉松さん側の訴訟代理人、西川洋司弁護士による谷口氏への質問が続く。

西川洋司弁護士 谷口さんは芸能界に携われて何年ぐらいなんですか?

日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(FCCJ公式チャンネル2013年12月16日公開)

谷口元一 25年ぐらいですかね。

西川洋司弁護士 そうすると、当然、タレントのマネジメントとか芸能界の動きというのはお詳しいわけですね。

谷口元一 詳しいかどうか分かりませんが、今まで働いております。

西川洋司弁護士 パールダッシュの社長を務められていることは間違いない?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 パールダッシュやケイダッシュの所属タレントに関して、スキャンダル記事が出たことは過去にありますか?

角地山宗行弁護士 本件と関係がありません。

西川洋司弁護士 スキャンダル記事に関する、スキャンダル記事一般的な影響に対する認識を聞きたい。出たことはありますか? あなたの事務所の所属タレントの方が週刊誌やスポーツ紙にスキャンダル記事を載せられたことはありますか?

谷口元一 どこまでがスキャンダルでどこまでが報道なのかが判断しかねないです。

西川洋司弁護士 スキャンダルかどうかはともかく、そういった記事で所属タレントさんの仕事に影響が出たということはありますか?

谷口元一 ないと思います。

西川洋司弁護士 まったくない? ここの会社に所属するタレントさんで、新聞記事や週刊誌の記事で……。

角地山宗行弁護士 異議あり。本件と関係のないことです。

西川洋司弁護士 (スキャンダル)記事とかで仕事が減ったタレントさんとかがいるっていうのを見たり、聞いたりしたことはないんですか?

谷口元一 ありません。

西川洋司弁護士 まったくないんですか?

谷口元一 私どもマネージメントする者に関しては、仕事の上下は自分たちの実力だと思っておりますので、周辺のマスコミに左右されないようなマネージメントをしておりますので、そのような認識はありません。

西川洋司弁護士 あなたの所属タレントは、そうかもしれないし、あなたのところの会社は立派な事務所なのかもしれませんけども、そうでもないような事務所とかの所属タレントさんで、(スキャンダル記事の影響で)仕事が減ってるのを見たっていうことを25年の経験でないですか?

谷口元一 仕事が増えるか減るかというのは誰が判断するか分かりません。私どもは自分たちのプロデュースした、事務所のタレントの人間だけを気にかけます。

西川洋司弁護士 あなた(調査会社の)PSCという会社はご存知ですね?

角地山宗行弁護士 異議あり。本件と関係のない質問です。

西川洋司弁護士 こういう調査をどれくらいされているのかを聞きたかった。あなたのご主張でテイラーさんの住所を調べるという動きでPSCという会社に調査依頼をかけたということは間違いない?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 あなたの方から直接調査依頼をしたということで間違いない?

谷口元一 弁護士さんと相談してその会社を紹介してもらいました。

西川洋司弁護士 弁護士の紹介でということで? そうすると、今回、この会社に依頼をしたのは初めて?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 過去に調査会社に依頼をしたことはない?

谷口元一 ありません。

西川洋司弁護士 調査報告書はご覧になりましたか?

谷口元一 見ましたが、隅から隅までは見てないです。その、ちょっと見ただけで。

西川洋司弁護士 その調査報告の原本は今、どこにありますか?

谷口元一 分かりません。

西川洋司弁護士 代理人に預けている?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 甲33号証を示します。3ページ目の次が5ページになっているんですが、あなた4ページ目を見たことありますか?

谷口元一 覚えてないです。

西川洋司弁護士 覚えてない? 執行事件でテイラーさんの住所を調べたものとして提出された記録でも4ページ目が抜けているんですけれども、それはまったく知らない?

谷口元一 間違ってこれ……。

西川洋司弁護士 『週刊新潮』の記事では、この抜けているページのところが、居酒屋に入っている内容として入ってるんですけど、『週刊新潮』の記者がこの調査報告書を見たっていうことはないですか?

谷口元一 あの、すべて集めたものを、何が入っていたか覚えてません……。

西川洋司弁護士 代理人から調査報告書のコピーはもらっている? 今の調査会社の報告書のコピーはあなた持っている?

谷口元一 持ってないです。

西川洋司弁護士 動産執行を依頼したということは、間違いないですね?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 動産執行はよほど高額な品物か、多額な何百万単位の現金とかがない限りは、執行としてはほとんど意味がないという説明は聞いたことはありますか?

谷口元一 ないです。

西川洋司弁護士 何かテーラーさんは動産で多額の金塊だとか札束だとか絵画だとかそういうものを持っているっていうのは聞いたことがあるんですか?

谷口元一 私どもから詐欺でお金を取るぐらいだから、膨大なお金をプールしているんじゃないかとは思っていました。

西川洋司弁護士 具体的に何かあるっていう情報は持っているわけですか?

谷口元一 ありません。

西川洋司弁護士 と、今の話はあなたの想像ということですね?

谷口元一 でも、お金が返ってこないので。

西川洋司弁護士 代理人から動産執行は費用ばかりかかって回収は難しいですよという説明を聞いたこともないですか?

谷口元一 ないです。

西川洋司弁護士 甲35号証を示します。今の調査した日のレンタカー特約記録なんですけど、その証拠をあなたは代理人から見せてもらったことはありますか?

谷口元一 覚えていません。

西川洋司弁護士 まったく覚えてない? この証拠が出て、テイラーさんは調査報告書と違って、もっと早い時間に家を出ているという主張を吉松さんの方からしているということは聞いたことがありますか?

谷口元一 知りません。

西川洋司弁護士 何も知らないんですか?

谷口元一 はい。

西川洋司弁護士 どういう主張をされているのかということも知らないんですか? 調査報告書の内容が本当かどうかっていうのを問題になっているというのを裁判でそこが主張が対立しているというところは何も聞いていない?

谷口元一 まったく興味がありません。……裁判所の執行官が動産執行を行なったという認識をしておりますので、細かい経緯はまったく気にしておりません。

西川洋司弁護士 ただ、本件の訴訟でそこが問題になったというのも聞いてもいないんですか?

谷口元一 気にしていません。

西川洋司弁護士 聞いてはいるけど、気にしてないんですか?

谷口元一 覚えておりません。

西川洋司弁護士 調査会社に9時までテイラーさんが帰らなかったのが事実だったとか、そういう内容が正しかったかどうか確認したということもないわけですね?

谷口元一 ありません。 (続く)


◎[参考動画]日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(日本外国特派員協会2013年12月16日公開)

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

◎事実の衝撃!星野陽平の《脱法芸能》

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冤罪死刑囚たちの獄中書画が浮き彫りにした極限世界の凄絶な人間模様

筆者はこれまで様々な冤罪事件を取材してきたが、その経験を通じて思うのは、冤罪取材では被告人本人の話を聞くのが何より重要だということだ。被告人が白であれば、被告人の話をもとに事実関係を調べるのがたいていは一番効率的で、確実だからである(当然だが、それは被告人の主張を鵜呑みにするという意味ではない)。

そういう意味で、あまりに理不尽な立場に置かれていると思うのが冤罪の死刑囚たちだ。

死刑囚は懲役囚に比べ、外部との交流が厳しく制限されている。面会や手紙のやりとりが認められるのは親族や再審請求の弁護人などごく一部の人だけで、支援者や報道関係者との接触が認められることはほとんどない。そのため、冤罪の死刑囚たちは自分の無実を世間に訴える機会を著しく制限された状態で、いつ処刑されるかわからない極限的な生活を強いられている。

そんな事情もあり、筆者はかねてより、冤罪死刑囚たち本人の声を何らかの形で世間の人たちに直接伝えることができないかと考えていた。それを具現化したのが、このほど鹿砦社より発行された編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ――冤罪死刑囚八人の書画集――」だ。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)

◆冤罪死刑囚八人の貴重な書画

本書では、筆者が冤罪だと確信する計八人の死刑囚を取り上げている。冤罪の死刑をテーマにした本はこれまでに色々あったが、本書の特徴は、冤罪死刑囚たち本人の手による様々な書画を紹介していることだ。筆者自身は冤罪死刑囚たち本人と直接接触できないため、企画段階では書画の収集に苦戦するのではないかと予想していたが、結果的に多くの心ある人たちの協力が得られ、貴重な書画が多数集まった。

そんな中、まず心揺さぶられたのが、三人の冤罪死刑囚が本書のために獄中で書き下ろしてくれた手記だった。その三人とは、埼玉愛犬家連続殺人事件(1993年発生)の風間博子氏、鶴見事件(1988年発生)の高橋和利氏、山梨キャンプ場殺人事件(1997年発生)の阿佐吉廣氏(いずれも東京拘置所に収容中)。わが子への思いをあふれさせた風間氏の手記、故郷の年老いた母親との再会を一途に願う阿佐氏の手記には、一読者として純粋に胸が熱くなった。一方、自分を冤罪死刑囚に貶めた警察、検察、裁判所に対する「満腔の怒り」を綴った高橋氏の手記はなんとも言い難い迫力に満ちていた。

その他に取り上げた五人の死刑囚たちは、すでに雪冤を果たせぬままに獄死している。しかし五人が生前に残した書画からは、極限世界の人間模様が生々しく浮かび上がってきた。

「冤罪処刑」の疑いが根強く指摘される飯塚事件(1992年発生)の久間三千年氏は、処刑の三カ月前に綴っていた遺筆で再審無罪を確信する思いを示していた。獄中で脳腫瘍に冒され、凄絶な最期を遂げた三鷹事件(1949年発生)の竹内景助氏は、無実を見抜いた伝説の弁護人・布施辰治氏に宛てた書簡で、過酷な密室取り調べの全容を克明に綴っていた。30年に渡り、敬愛する支援者に感謝の絵を贈り続けた帝銀事件(1948年発生)の平沢貞道氏や、両目の光を失いながら無実を訴え続けた三崎事件(1971年発生)の荒井政男氏、獄中で8万字の控訴趣意書を書き上げた波崎事件(1963年発生)の富山常喜氏らの凄絶な生きざまも各人が生前に残した書画から圧倒的な迫力で伝わってきた。

◆冤罪処刑の全過程を記録した法務省の内部文書も掲載

本書では、制作過程で入手できた久間三千年氏に対する冤罪処刑の全過程が記録された法務省の内部文書も掲載した。この冤罪処刑に関与した裁判官、法務官僚、捜査責任者、国会議員たちへの直撃取材も慣行し、取材結果は彼らの実名を公開しながらレポートしている。この取材を通じて、久間氏への冤罪処刑が驚くほど機械的に行われていたことも明るみになった。

三鷹事件については、日本評論社の元社長・会長で、竹内氏の弁護人・布施氏の孫である大石進氏(三鷹事件再審を支援する会世話人)が事件の実相や竹内氏の実像を活写した原稿を寄稿してくれ、また、山梨キャンプ場殺人事件については、毎日放送の記者時代から数多くの優れたテレビドキュメンタリーを制作してきた里見繁氏(関西大学社会学部教授)が追跡取材の記録をもとにこの事件がいかに理不尽な冤罪であるかを詳細にルポタージュしてくれている。

国家がひた隠す冤罪死刑囚たちのリアルな姿が本書によって、少しでも多くの人に伝わってほしいと願う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎新井竜太死刑確定囚の獄中手記を全公開! 裁判員裁判初の「冤罪」主張へ
◎発生11年の兵庫2女性バラバラ殺害事件──今も残る「くみとり便所」の謎
◎再審取り消し決定文書にもパクリ疑惑!──冤罪説が根強い鹿児島「大崎事件」
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑

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SMAP中居が本当に精神的にふさぎこんだら、だれが責任をとるのか?

『SMAP』が1月18日に「SMAP×SMAP」(フジテレビ)で謝罪したメンバーに対して「メンタル的に混乱しており、静養が必要だ」という声があがっている。心理カウンセラーが語る。

「ファンに向けて謝罪していた最中に、言葉を失い、絶句した香取慎吾がファンたちの間で心配されているようですが、私が一番、心配なのは中居正広です。スタジオに入ってくるシーンから見ていますが、目の瞳孔が開きっぱなしで、乾いているようにも見えます。目線も上下、左右に泳いでいます。これは、不安というよりも『この場にはなるべくいたくない』という拒否衝動が見えます。くわえて、話をなんとか早く終わらせようとして、巻き舌になっている。明らかに何かに怯えているように見えましたね」

『SMAP』独立、分裂騒動は、国会で安倍晋三首相が民主党の斎藤嘉隆議員の質問にこたえて「多くのファンの方々の期待や願いに応えて、グループが存続することは良かったと思います」とした。

「もはや『SMAP』の動向は、景気にすら反映しそうな雲行きですよ。スポーツ新聞に解散と書かれた12日から、日経平均株価がずるずると下がり続けていますから、当然、中居のメンタル状態も国民が気にしているところでしょうね」(経済ジャーナリスト)

実際問題、中居については、悩んで変な占い師などに頼るよりも、メンタルクリニックをすすめたがいいという声も。

「何か吐露したいことがあれば、この際、有能な精神科医にぶちまけてしまって、リスタートしたほうがいいと思う」とファンの声。一部の報道では「公開処刑」とささやかれた謝罪シーンだったが、「子供をこんな事務所に預けている親の顔が見てみたい」という辛辣な声もある。

果たして、中居が本当に精神的にふさぎこんだら、だれが責任をとるのだろうか?

独立を画策した女性マネージャーか、ジャニーズ事務所か、はたまたマスコミか。この騒動では、4人の『鬱病』予備軍を作ったにすぎない。4人とは、もちろん『ジャニーズ事務所の走狗』として、4人に残るように説得した木村拓哉をのぞく4人です」(識者)

ロックバンド・氣志團の綾小路翔が、『謝罪会見』後にSMAPの中居正広と番組収録で会ったことを明かし「きっとご自身の事でも相当に大変な中、寧ろ出演者の方々や我々へのお心配りが細やかで、頭が下がる思いでした」と普段通りだったとやたら強調しているのも不自然。これから中居のメンタル状態からファンは目が離せないだろう。

(伊東北斗)

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◎事実の衝撃!星野陽平の《脱法芸能》

芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす!『芸能人はなぜ干されるのか?』

ムエタイ日本人の壁──活躍する在日タイ人選手と来日タイ人選手の裏事情

「ここを越えてこそ真のムエタイロードが始まる」日本人の壁となる在日タイ人選手。日本国内団体でデビューし、段階を経て勝ち上がってきた日本人選手にとっては、ムエタイの奥深さがまずここに立ちはだかります。ここでのタイ人選手は、日本国内チャンピオンやランカーと対戦し、テクニックで優って、ムエタイ王座や世界レベルの王座を目指す日本人の壁となる存在になっています。

ガンスワン・サシプラパー(左)は元・ラジャダムナン系スーパーライト級チャンピオン、在日選手。治政館ジムでトレーナーを務める。日本での試合も豊富(2014年10月26日)

古くは竹山晴友に初黒星を付けたアルンサック・ユーバンルン、90年代、小野瀬邦英に敗れるまでは日本人選手を重い蹴りで翻弄したチャイナロン・ゲオサムリット、立嶋篤史に切られて敗れる不覚もアグレッシブなファイトが好評だったユタポン・ウォンウェンヤイ、元ムエタイチャンピオンの実力を発揮、大塚隼人には敗れるも、多くの余裕の勝利を重ねてきたガンスワン・サシプラパー、キックの伊原ジムで選手兼トレーナーを務め、プロボクシングでの来日では後のWBA世界スーパーフェザー級チャンピオン、内山高志(ワタナベ)とも戦ったムアンファーレック・ギャットウィチアンといった、キック界では存在感ある選手で、他にも厄介な壁は多くいました。

◆“在日タイ人”と“来日タイ人”

「これを越えないとムエタイランカー以上との対戦は認めない」なんていう制度などありませんが、ファン目線では日本選手に打開して欲しい壁でした。ここでのタイ選手は本場での第一線級から退いていても、試合間隔が長く空かなければ実力は充分でしたが、来日期間が長くなるほどモチベーションも下がり、練習不足、スタミナ不足が目立つ体型や試合内容が見られる選手もいました。これらのタイ選手らは、常連ファンから見れば、試合出場が無くても頻繁に会場で見かける顔でもありました。業界関係者の中では彼らは“在日タイ人”と呼ばれ、ちょっと古い法律の下では3ヶ月滞在可能の興行ビザで来日し、延長許可を得て最大6ヶ月滞在し、試合出場を中心に、招聘されたジムでの技術指導者として実力を発揮されていました。

グルークチャイ・ゲオサムリット(左)は元・ルンピニー系ジュニアフライ級チャンピオン、この試合のみの短期来日。ムアンファーレック・ギャットウィチアン(右)は元・ラジャダムナン系フェザー級チャンピオンで伊原ジムに滞在していた在日選手。後にプロボクシングのタイ国ラジャダムナン系スーパーフェザー級チャンピオン(1999年7月24日)

これに対し、“来日タイ人”と呼ばれる短期滞在ムエタイボクサーがいます。タイの殿堂スタジアムなどで頻繁に出場する日程を組まれながら、ちょっとの合間をぬって日本で試合をする実力派タイプ。経費削減の意味合いもあったりしますが、ほんの2泊3日や3泊4日でやって来て試合して翌日には帰国するパターンが多いようです。こんなトップクラスの選手に勝てる期待大の選手は梅野源治選手ぐらいかもしれませんが、大概はムエタイの凄さを見せ付けて帰って行くので、より本場で人気ある忙しい選手という印象が残ります。

プロボクシングの世界タイトルマッチでやって来る場合も同じですが、マスメディアを巻き込むこれほどの大きい試合は契約上10日ぐらい前に来日して身体を慣らし、公開スパーリングや予備検診、前日計量、調印式を経て試合、勝っても負けても怪我がなければその翌日は休養(観光?)してまたその翌日頃には羽田か成田空港から帰国します。

これらはひとつの具体例ですが、キックの試合出場とジムでの技術指導者としてタイ人選手を招聘する場合、そのジム会長かマネージャーやコーディネーターがその選手のためのビザ取得のために方々への手続きを重ね、必要書類作成に時間を費やします。来日タイ人選手はタイのジムオーナーやプロモーターの支配下にあり、交渉先はそのオーナーなど。在日タイ人選手も同様ですが、第一線級を退いているので長期滞在を許されたり、或いはフリーになっていれば、選手個人交渉となったりします。

1980年頃から2000年ぐらいまでは不法就労が増え、申請許可が一段と厳しくなっていった時代がありました。現在も書類調査は同様に厳しい審査と思いますが、以前は無かった公的な立場のタイ国ムエスポーツ協会への申告で渡航先試合出場認可を得るなど強力なステップが増えたことや、タイ経済が発展してきたことによる不法就労の減少で、日本外務省の規制緩和もあり、一般中流家庭以上が日本での2週間以内ビザ無し観光も可能になり、各分野とも取得し易くなったかもしれません。現在はもう少し長い期間の興行ビザが下りる場合もあり、他には技能ビザの他、結婚や滞在実績などによる永住許可もあり、そういう縁や実績を持つ元選手やジム経営者も存在します。

ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオン、パーヤップ・プレムチャイが日本ウェルター級チャンピオン、向山鉄也(ニシカワ)を大木のような左ミドルキックだけで圧倒、現役チャンピオンの神秘さが漂った。短期滞在(1986年11月24日)

昔はムエタイ選手に限らず、若い女性やフィリピンなど他国の同様のパターンで来日後、滞在期限を超えても帰国せず不法就労するなどの後、強制送還となり、その後再来日は当分難しくなって、更に国家間の規制が厳しくなっていった傾向が続きました。

以前少々触れましたが、現在タイ・ボクシング法では試合間隔を21日以上空ける事とKO負けの場合は30日空ける事が義務付けられています。その試合間隔義務を逃れるため、タイ国ムエスポーツ協会を通さない申請で、極秘渡航して試合するパターンもあるようですが。インターネット社会の恐ろしさで、しっかり報道されることでどこでも閲覧出来、バレて出場停止を受ける選手もいたようです。

沢村忠、富山勝治、稲毛忠治、多くの日本人と戦い、バンコクでジムを開いた頃のチャイバダン・スワンミサカワン氏(1988年9月13日)

昭和の時代、TBSテレビでゴールデンタイム放映されていた時代の日本系キックボクシングはタイからやって来た選手が1回のビザ最大3ヶ月ほどの滞在で5、6試合ほど消化し、時期は重なりつつも交替で次のタイ選手が来日するパターンが長年に渡って続き、キックボクシング黄金期を支えた時代がありました。

チャイバダン氏の右が立嶋篤史(当時16歳)、その前がアルンサック・ユーバンルン、前列右から2番目がチャンリット氏、彼も在日タイ選手だった。前列左端、黒シャツが堀田(1988年11月10日)

荒っぽさで有名なサネガン・ソーパッシンは試合以外でも、目黒界隈で喧嘩して暴れたエピソードがあったようですが、晩年は日本人女性と結婚するなど落ち着き、おとなしい礼儀ある人になっていました。チューチャイ・ルークパンチャマというルンピニー系ランカーの強い選手もいましたが、初の日本系出場では1回の来日で7試合ほど出場、最後は帝王・沢村忠をも倒していきました。富山勝治、稲毛忠治も下したチャイバダン・スワンミサカワンは引退後、日本人と最も交流が深く、後にバンコク郊外にジムを開き、多くの日本人が修行の場とし、立嶋篤史がタイ初遠征したジムでもありました。

近年プロボクシングでは多くの無気力試合などで、ひんしゅく買ったタイ人ボクサーも少なからずいましたが、「勝って得るもの無し、負けて失うもの無し」といった選手は勝つ努力は無く、出場の役目を果たすだけの試合しかしないかもしれません。キックにおいては今後も続くムエタイボクサーとの交流は、日本人の壁となって試練を与えたり、指導者してムエタイチャンピオンを育てたり、いろいろな人間模様のドラマを生んでいくでしょう。近年は在日タイ人が主催する準ムエタイ興行も開催されたり、活動の幅が広くなりました。今後の日本キック界を支えていくのは40年前と変わらず在・来日タイ人たちの陰の力かもしれません。

WPMF世界スーパーライト級王座決定戦で石井宏樹(目黒藤本)と対戦したゲーオ・フェアテックス(2014年2月11日)
ヨーユット・ビーファミリーネオ(右)は元・ルンピニー系フェザー級4位、在日選手としてキャリアは長いが、倒れるシーンも増えてきた(2014年2月11日)
梅野源治(左)と対戦するタイ人選手は皆、気を引き締めて来日。ルンラット・ナーラーティクンは元WMC世界スーパーバンタム級チャンピオン、ラジャダムナン二冠王。短期来日(2015年2月11日)
デンサヤーム・ルークプラバートは元・ルンピニー系バンタム級チャンピオン、在日選手。頑丈な体格で圧倒する試合から最近は打たれてダウンするシーンも増えた(2015年2月11日)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎芽が出始めたムエタイ新時代──タイで通用する若手選手が続々出現!
◎ティーンズチャンプがキック界を刷新する?──2015年回顧と2016年展望
◎強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル
◎キック新時代を牽引するRIKIXジムの「NO KICK NO LIFE」

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