出口見えぬコロナ感染爆発 改めて、改憲よりもコロナの災害指定・そして日米地位協定の見直しを! 広島からの報告 さとうしゅういち

2022年の到来とともに、突然、オミクロン株主体の感染爆発がスタートした広島県内。県内全域がまん延等防止措置の対象になりました。

1月の10日からの週はそれでも、感染者数が500-600を行き来して「これは、ひょっとしたらオミクロン株は意外とピークアウトが早いのかな?」と淡い期待を筆者もどこかでしていました。

「勤務先の介護施設(広島市内と広島市に周囲を囲まれている安芸郡内の2カ所)でも、これ以上感染者数が増えれば、ご家族とお年寄りの面会が禁止になってしまう。そうすれば、また、お年寄りが急激に衰えてしまう。この程度でピークアウトしてくれないかな。」

だが、その期待は1月16日の日曜日に広島県内で1212人という、凄まじい数字の前に吹っ飛んでしまいました。

以下は広島県内(県内)、隣接する岩国市(岩国)、そして感染爆発「震源地」の疑いが濃厚なアメリカ軍岩国基地(基地)の感染者数です。

広島駅北口の県のPCR臨時スポット、1月16日に筆者撮影

     県内-岩国-基地
12/01~20 00-00-00
12/21   00ー00-01
12/22   02-00-01
12/23   03-01-00
12/24   01-00-00
12/25   05-01-00
12/26   01-01-00
12/27   01-01-08
12/28   01-01-05
12/29   03-07-80
12/30   06-07-27
12/31   23-08-23
01/01   21-14-00
01/02   57-13-00
01/03   40-44-50
(岩国基地は3日分をまとめて発表)
01/04   109-62-47
01/05   138-70-182
01/06   273-81-115
01/07   429-61-91
01/08   547-77-71
01/09   619-80-05
01/10   672-45-12
01/11   588-71-71
01/12   652-79-34
01/13   805-54-29
01/14   997-79-26
01/15   1280-67-0
01/17   973-59-0
01/18   900-45-8
01/19   1042-65-5
01/20   1569-37-77
01/21   1532-46-33
01/22   1585-52-13

◆岩国市長が「酒類の提供停止を求めない」矢先にまた急増 基地感染者数

1月16日以降、正月明けのころよりは、岩国基地の感染状況はいったん落ち着いたように思えました。そして、20日、岩国市の福田良彦市長は、岩国基地に対して「酒類提供停止は求めない」と発言されました。だが、その発言の矢先というべきか、同日、岩国基地の感染者数が77人という数字が発表されました。岩国基地の「人口」は約1万人です。22日までの1週間あたりの人口10万あたり感染者数は約1360人です。前週が約2060人です。ピークは過ぎつつあるといえばあるのですが、だからといって、対策に手を抜いて良い状況ではないでしょう。広島県民も山口県民もまん延等防止措置で酒類は我慢している。飲食店も儲からない状況になっている。しかし、米軍には大甘なのが岩国市長です。

福田市長は、2008年に、基地拡張反対派の井原市長を打倒して就任。基地拡張受け入れと引き換えに基地拡張にともなう交付金を受け取ってきました。そういう経緯があるとはいえ、あまりにも情けないです。

日米地位協定の壁はたしかにある。しかし、市民の生命財産を守るべき市長が、最初から腰が引けてどうするのでしょうか?市長はガツンと日本政府に対して、米軍にも日本人同等の対策にご協力いただくように物申すべきです。それを政府が受け止めて、日米地位協定廃棄も辞さぬ構えで米側と交渉する。そういう構図をつくるべく市長にはがんばっていただきたい。

◆ついに面会が禁止、重苦しい雰囲気の介護現場

筆者が勤務する老人ホームでは、1月16日頃から、ついにご家族とお年寄りの面会が禁止になりました。これだけ、感染爆発がひどいとやむを得ないといえばやむを得ない。しかし、コロナ災害がはじまって2年。筆者は多くのお年寄り、それも、身の回りのことが自分で一定程度できていたようなお年寄りほど、急激に衰えていくケースが多いのを目撃しています。

さらに、広島市内の老人ホームでは、所内でのレクリエーションも中止となりました。これは、面会禁止とあわせて、ダブルパンチになります。

もちろん、ひとたびクラスターが発生すれば大変なことになるのは事実です。いっぽうで、ご家族とお年寄りの両者がワクチン接種済みなら、対策をとりつつ、面会はあったほうがいいのではないか?という感覚もわたしは持ちます。オンラインでいいじゃないか?というご意見もあるでしょうが、やはり物理的に近くで、というのも大事ではないかとも思うのです。いずれにせよ、ピークアウトが早くきてほしいとねがうものです。

また、これだけ、感染が拡大すると、普通の風邪や頭痛でもコロナ疑い、また、家族の関係で濃厚接触者扱いとなって、出勤できないような職員も、介護現場でも、また、いつもお年寄りがお世話になっている医療機関でも増えています。現場は非常に重苦しい雰囲気に覆われています。

◆地域の交通にも打撃、迫られる交通政策の議論

感染拡大は県内の交通にも影響が及んでいます。

人口20万の呉市でも連日のように、感染者が100人を超えており、人口比では広島市を上回る場合もある爆発ぶりです。広島市に通勤する人も多いですし、逆に呉市役所や呉市内の工場に広島市から通う人も多くおられることも影響しているとみられます。

呉市では昔は市の交通局がバスを運行していました。しかし、いまでは、交通局がなくなり、市内の交通は基本的には民間にまかされています。しかし、民間会社は利益にならなければ運行はしません。呉市に吸収合併された旧音戸町も例外ではありません。そうしたなかで、結局、市の交通政策課が地元のタクシー会社に委託して一日14便(往復あわせて)を運行してもらっています。

◎音戸さざなみ線
https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/28/seikatubus-ondosaihenngo.html

小中学生の通学やお年寄りの買い物・通院には欠かせません。では、運転手の感染に伴い、乗合バスが減便になりました。

このたび、運転手3人が感染し、一日6便に減便。急きょ、ジャンボタクシーを調達するなど、対応していますが、子どもやお年寄りの生活に影響が出ています。

コロナのあとも、地域の交通をどう維持するか?ということも重大な課題です。ステイホームですでに、打撃を受けている交通事業者も多い。しかし、他方で、池袋暴走事故を契機に国や自治体も免許返納を高齢者に奨励している。いまや、身体そのものは元気で、仕事自体はできても、運転に関する身体の機能には自信がない、という年配労働者も地方にはとくにたくさんおられる時代です。年金が足りないから各種派遣社員で働くという人も多い。そういう時代に、どのように移動手段を確保するか?県内でも議論が急がれます。

◆他地域から個人の炊き出しボランティア現れる

広島市内でも、コロナ災害による減収で困っている方がおおくおられます。住民税非課税の方への給付金も、ようやく、1月末あたりに書類がくるかどうか。給付までは時間がかかります。こうした中、1月22日、他地域から個人のボランティアで広島市内の公園で炊き出しをされた方がいらっしゃいます。食事の提供を受けたという男性は「30人くらいが、列に並んでいた。カレーライスはおいしかった」と報告してくださいました。今後もこの方は月一回程度の炊き出しを予定されています。

◆改めて、改憲よりもコロナの災害指定・そして日米地位協定の見直しを!

「コロナ対策のためにも緊急事態条項改憲だ!」

こうした方向で自民、維新はもちろん、参院選までには立ち上がることが確実な小池・玉木新党「国民ファースト」あたりまで暴走しかねない情勢です。

しかし、いますべきことは、まずは、コロナは災害指定をおこない、困っている人を大震災や大水害の被災者同様に行政が衣食住を支援するべきです。憲法を変えるのではなく、25条はじめ、いかすことが大事です。また、日米地位協定の見直しを今回の米軍震源の感染爆発を教訓に本腰をいれて進めるべきです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

50年前の記憶 1972年2月1日の出来事 鹿砦社代表 松岡利康

50年前の今頃、私は同志社大学の学費値上げ阻止闘争のバリケードの中にいた。それは、それまでに盛り上がった学園闘争などに比べると小さなものではあったが、私たちにとっては全身全霊を懸けた〈決戦〉だった。

 
全学無期限封鎖に入ったことを知らせる立て看板

決戦は2月1日だったが、1月13日の全学学生大会で無期限封鎖を決議し、来るべき決戦に備え意志統一し緊張感のある日々だった。

少なくとも私は、この50年間、時にだらけたり時に絶望したり、いろいろなことがあったが、その闘いを貫徹できた矜持を持って生きてきたつもりだ。

学費闘争、あるいはその前後の沖縄─三里塚闘争、連合赤軍事件については、先般発行し現在発売中の『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾増刊)に長く拙い文章を綴り、詳しくはこちらをご覧いただきたいが、想起すれば、いまだに頭の中が錯綜する。連合赤軍事件が表面化したのも、逮捕され獄中に在ったさなかだった。

60年代後半から始まった全国学園闘争の波も引き、前年71年の沖縄─三里塚闘争も多数の逮捕者を出し、喧伝された「激動の70年代」も出鼻を挫かれた恰好だ。しかし、このことは上記書でも強調しているが、71年の闘いは地味で霞んでいるように思われているが、決してそうではなく、現在に比べれば、遙かに盛り上がったことを、あらためて申し述べておきたい。

全国の私立大学、また国立大学の学費大幅値上げに対する抗議と抵抗も一定の盛り上がりを見せたが、いつのまにか萎え、最後まで闘いを持続していたのは、さほどなかった。

しかし、ここを何としても体を張って阻止しなければ、学費値上げはどんどん拡大するという認識だったが、これが当たったことは、その後の私立、国公立問わず学費値上げの事実を見れば歴然だろう。信じがたいかもしれないが、当時国立大学の学費は年間1万2千円、つまりひと月千円であるが、物価の水準も上っているとはいえ、その50倍ほどになっている。

私立大学にしても、現在年間100万円ほどにまで膨れている。私が入学した1970年、入学金3万円、施設費3万円、学費6万5千円、計12万5千円だったが、こちらも10倍ほどに上っている。

しかし、68年の中央大学では学費値上げの白紙撤回を勝ち取っている。私たちは、これを見て、学費値上げは必ず阻止できると信じ、身を粉にして闘った。つまり、私たちが「革命的敗北主義」「敗北における勝利」の信念のもと先頭になって闘いを貫徹すれば、たとえ私たちが一時的に敗北したとしても、必ずや私たちの闘いに触発された学友が続くであろうと信じてやまなかった(が、時代はもう変わっていて、逆に運動は脆弱化し、その中から政治ゴロや簒奪者らの介入や跳梁を許すことになった)。

弾圧を報じる京都新聞72年2月1日夕刊

あれからあと数日で50年になろうとしている。──

2月1日に、かつての学生会館(今は取り壊され寒梅館となっている)前に結集し、この50年に各自どのように生きてきたか語り合いたい。私の人望のなさのせいで何人集まるか判らないが、人数の問題ではない、あの闘いを共に貫徹した誇りを甦らそうではないか!

蛇足ながら、1969年に創業した鹿砦社は、その前日の72年1月31日に設立(株式会社化)している。この時のメンバーは『日本読書新聞』(現在廃刊)にいた天野洋一(故人)、前田和男(『続 全共闘白書』編集人)らである。

◎2月1日当日の概要は別途掲載の案内をご覧ください。締め切りは過ぎていますが、参加希望の方は今からでも私にご一報ください。(松岡利康)

2・1学費決戦50周年の集い案内

日本禁煙学会・作田学理事長を書類送検、問われる医師法20条違反、横浜地検が捜査に着手 黒薮哲哉

請求額は約4500万円。訴えは棄却。煙草の副流煙で体調を崩したとして、同じマンションの隣人が隣人を訴えたスラップ裁判の「戦後処理」が、新しい段階に入った。

日本禁煙学会の作田学理事長に対する検察の捜査がまもなく始まる。この事件で主要な役割を果たした作田医師に対する捜査が、神奈川県警青葉署ら横浜地検へ移った。

それを受けて被害者の妻・藤井敦子さんと「支援する会(石岡淑道代表)」は、24日、厚生労働省記者クラブで会見を開いた。

◆藤井さんの勝訴、診断書のグレーゾーンが決め手に

 
告発人の藤井敦子さん

事件の発端は、2019年11月にさかのぼる。藤井さん夫妻と同じマンションの2階に住むAさん一家(夫・妻・娘の3人)は、藤井さんの夫が自宅で吸う煙草の副流煙で、「受動喫煙症」などに罹患したとして、4500万円の損害賠償を求める裁判を起こした。しかし、審理の中で、提訴の根拠となった3人の診断書(作田医師が作成)のうち、A娘の診断書が無診察で交付されていた事実が判明した。無診察による診断書交付は医師法20条で禁じられている。刑事事件にもなりうる。

さらにその後、A家の娘の診断書が2通存在していて、しかも病名などが微妙に異なっていることが明らかになった。同じ患者の診断書が2通存在することは、正常な管理体制の下では起こり得ない。これらの事実から作田医師がA家の娘のために交付した診断書が偽造されたものである疑惑が浮上した。

横浜地裁は3人の請求を棄却すると同時に、診断書を作成した作田医師に対して医師法20条違反を認定した。また、日本禁煙学会が独自に設けている「受動喫煙症」の診断基準が、裁判提起など「禁煙運動」推進の政策目的で作られていることも認定した。この裁判では、日本禁煙学会の医師や研究者が次々と原告に加勢したが、なにひとつ主張は認められなかった。

また審理の中で、原告の1人が元喫煙者であったことも判明した。

その後、控訴審でも藤井さんが勝訴して裁判は終わった。

◆広義の「スラップ訴訟」、訴権の濫用に対する責任追及

 
2月1日発売!黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

このスラップ裁判に対する「戦後処理」を、藤井さん夫妻らは刑事告発というかたちで開始した。告発の対象にしたのは、診断書を作成した作田医師、3人の原告、それに弁護士である。今回、青葉署が書類送検したのは、このうちの作田医師のみである。

告発人らの主張は、作田医師の医師法20条違反は、刑法という観点からは虚偽診断書行使罪に該当するというものである。事実、そのような判例は存在する。「作成罪」ではなく、「行使罪」としたのは、前者が時効の壁に阻まれたからにほかならない。

ちなみに作田医師が3人の診断書に付した「受動喫煙症」という病名は、WHO(世界保健機関)が決めた疾患の国際分類である「ICD10」コードには含まれていない。つまり「受動喫煙症」という病名は、日本禁煙学会が独自に作ったものである。従って保険請求の対象にもならない。化学物質による人体影響を診断する正確な病名は、化学物質過敏症である。これについては、「ICD10」コードには含まれている。

近々に藤井さん夫妻は、スラップ訴訟に対する損害賠償裁判(民事)も提起する。今度は民事の観点から関係者の責任を追及する。最初のスラップ訴訟を提起した根拠が、疑惑だらけの診断書であるからだ。それを前提に作田医師らが、自論を展開したからだ。

また弁護士に対する懲戒請求も視野に入れている。弁護士職務基本規程は、「弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない」(第75条)と規定しているからだ。

スラップ訴訟の「戦後処理」は、これから本格化する。

【藤井敦子さんのコメント】

「わたしたちは分煙には賛成の立場です。しかし、根拠なく喫煙者に対して高額訴訟で恫喝するなど過激な行為は容認できません。横浜地検が今後、この事件をどう処理するかは分かりませんが、今後も引き続きラジカルな禁煙運動に対しては警鐘を鳴らし続けます」

【石岡淑道代表のコメント】

「多くの医師の規範となるべき作田医師は、医師法20条違反を犯しながら見苦しい言い訳に終始しています。反省も謝罪もしていません。どんな弁明をしても、その行為は正当化されるものではないと考えます」

※なお、この事件については、筆者の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)に詳しく書いている。2月1日に書店発売になる。

【参考記事】煙草を喫って4500万円、不当訴訟に対して「えん罪」被害者が損害賠償訴訟の提訴を表明、「スラップ訴訟と禁煙ファシズムに歯止めをかけたい」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』2月1日発売開始!

《NO NUKES voice》【沈黙】汚染水海洋放出問題に直面している請戸漁港〈上〉 鈴木博喜

「汚染水を海に流されて本当に良いんですか?」

場違いな質問に誰もが顔をしかめた。そして、うつむき加減になった。

JR新日本橋駅近くにある福島県のアンテナショップ「日本橋ふくしま館 MIDETTE(ミデッテ)」(東京都中央区)に〝常磐もの〟が並んだ。今月14日から3日間にわたって開催された「第1回冬のふくしま常磐ものフェア」。福島県双葉郡浪江町の請戸漁港で前日に水揚げされたカレイやメバルなどの海産物の販売会だ。「食の安全・安心に加え、品質の高さや美味しさなど県産品の魅力を発信する」(福島県県産品振興戦略課)のが目的で、2月も原釜漁港(相馬市)や小名浜漁港(いわき市)で水揚げされた海の幸が販売される。

初日は復興大臣も視察。その前に行われた定例会見では「復興庁としても、しっかり福島県産品の魅力を、地元が企画しているイベント等をしっかり後押しをしていかなければならない」、「しっかりと食の安全・安心、特に科学的な根拠に基づいた安全性の正しい情報を発信していくことが大事」と〝風評払拭〟を強調した。

「道の駅なみえ」でも提供されている請戸の魚をPRする場に、原発汚染水の海洋放出問題を口にするなど確かに場違いだ。県職員の1人は「ここは県の施設なので、そういう発言はできません」と苦笑した。しかし、目をそむけてばかりもいられない。政府が昨年4月13日に発表した基本方針では、来年にも海洋放出が始まる。東電は約1キロメートル沖合に海洋放出のための海底トンネルを設置するべく、地質調査などを進めている。福島県の内堀雅雄知事も「風評対策」を口にするばかりで反対を明言せず、海洋放出を事実上容認している。事態は着々と前進しているのだ。

しかし、誰もが「こんなところで聞いてくれるな」という表情を浮かべるばかり。販売応援に来ていたいわき市の男性は「そりゃもちろん、海に流して欲しくはないですよ。だけど国が決めちゃったことだから……。頑張っていくしかないですね。難しい問題です」とあきらめ顔で答えた。

「国が決めちゃったことだから」

都内の福島県アンテナショップで行われた「常磐もの」の販売会。汚染水海洋放出について尋ねると、関係者は一様に口が重くなった=東京都中央区

請戸の漁師も、正月2日に行われた請戸漁港の出初式で筆者に同じ言葉を口にした。

「そりゃ海に流されたら困る。困るけど、相手は国だからな。国が決めたことに俺たちがナンボ言ったって通るわけねえべ。通らないものをいくら騒いだって、俺たちがアホみたいだろうよ」

出初式では、漁船が次々と沖合に出て日本酒で船体を清め、海の上から苕野(くさの)神社に向かって1年の無事を祈願した。「ほれ、あれが原発だよ」。漁師が指差す先には福島第一原発がはっきりと見えた。請戸漁港とは約6キロメートルしか離れていない。汚染水の海洋放出は死活問題のはず。相馬双葉漁業協同組合請戸地区代表の高野一郎さんは神事前のあいさつで「原発から6キロメートルの地点にある請戸漁港は反対しかありません。全漁連、県漁連と姿勢を同じくし、どこまでも反対を続けていきます」と述べた。だが、実際には表立って反対を表明する漁師はいない。逆に「『汚染水』と言わないで欲しんだよ。そう表現されることが何より風評被害を招くんだ。あれは『汚染水』じゃなくて『処理水』なんだ。『汚染水』を海に流すわけじゃないんだから」と筆者に語る漁師すらいるほどだ。「『処理するから大丈夫』と国が言うんだから、俺たちはそれを信じるしかないじゃないか」。

浜通り全体があきらめムードに覆われているかのよう。水産物卸売業者(浜通り)の男性社員も、ミデッテの一角で「国がやっていることだから、反対してもしょうがないという想いもある」と話した。

「『風評被害を生じさせないようにする』と国は言うけれど、こちらとしては正直なところ半信半疑。原発事故がそうであったように、実際に海に流してみないと分かりません。海に流した結果どう転ぶか分からないし、反対したところで『どうせ流すんでしょ』という想いもある。どうせいろいろと言ってもしょうがないのだから、だったらせめて最善を尽くしてくれ。そんな想いですね」

「実際に海洋放出してみて、それでどう転ぶかによって本音が聴けるんじゃないですか。風評被害が生じたら『話が違うじゃないか』となるだろうし……。結局、出たとこ勝負じゃないですか。前例がないのだから。海に流して良いとも駄目とも言いようがないですね。多くの皆さんが尋ねられても困るんじゃないですかね」

この男性は、漁師たちの正直な想いも代弁してみせた。

「漁師は漁師で高齢化と後継者問題に直面しています。身体が動く限り海に出て、自分の代でおしまいという漁師は少なくないですよね。どうせ自分の代で終わるのであれば汚染水問題なんか別に良いや、自分が漁をやっている間だけ補償金をもらえさえすれば良いや、という人もいると思いますよ。海洋放出に反対を言い続けたとして、果たしていつまで補償を受けられるか分からないですしね」

実際、請戸のある漁師は「漁業補償を(全体で)何十億ともらっちゃっているからなあ……」と苦笑した。あきらめムードを後押ししているのが金ということか。これでは政治家に「最後は金目でしょ」などと言い放たれても仕方なくなってしまう。

あきらめてしまい黙して語らぬ漁師たちを鼓舞し続けている人がいる。浪江町の「希望の牧場・ふくしま」で200頭を超える〝被曝牛〟を飼育している吉沢正巳さんだ。「俺が1人矢面に立ってドン・キホーテになるんだ」と請戸漁港に街宣車を走らせている。(つづく)

今月2日、請戸漁港で行われた出初式。「国が決めたことに俺たちがナンボ言ったって通るわけねえべ」とあきらめ顔で話す漁師も

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、50歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

ムエタイの隠し味 “ナンマンムエ” 堀田春樹

◆試合の友“ナンマンムエ”

本場ムエタイや日本でもキックボクシングの会場に来れば何となく漂う香り。更に控室まで足を運べば分かる独特の匂い。大方の選手が使う、タイオイルという身体に塗るタイ製スポーツオイルがあります。

“タイオイル”はタイ語では発音上、カタカナ表記すれば、“ナンマンムエ”。文字から読めば“Namman Muay ナーム・マン・ムエ”。 “ナーム・マン”に当たる言葉が“油”を意味し、“ムエ”はボクシングを意味します。これが多くの選手が洗脳されていく魔法のオイルなのである。

タイオイルを擦り込む。名チャンピオンは名トレーナー、ガイスウィット(左)は上手かった(1991年4月21日)

◆マッサージ効果

試合準備に際し、前の試合が早いラウンドでの決着も大いに有り得るので試合時間に余裕を持って準備に掛かり、トレーナー等セコンド陣にタイオイルを身体に擦り込んで貰うことになります。

ムエタイマッサージは、元・選手等の腕力あるトレーナーが、うつ伏せに寝た選手の背中と脚、仰向けに寝た胸、腹と脚を強い握力でタイオイルを擦り込んだり、体重掛けてグイグイ圧したりするので、見た目には凄く気持ち良さそうである。でも揉むのではなく擦り込むのが正しいらしい。

「ムエタイ選手は試合準備に掛かると、バンテージを巻いてタイオイルでマッサージされたら、“痛い”という概念を失くしてしまうんだ。だから怪我したことも忘れるし、どんなに強いパンチや蹴り、ヒジ打ちやヒザ蹴りを食らっても我慢することが出来る。経験を積んでくると皆そうなるよ!」というタイのベテラントレーナーの名言である。

試合前の緊張の中、最もリラックスできる束の間かと見えるも、選手側はタイオイルを全身に擦り込まれると皮膚表面がカーッと熱くなり、「これから闘いに臨むのだ!」と闘争心が湧くと言います。

経験者の話では、タイオイルでマッサージ後、手に取れる多めのワセリンにちょっとだけタイオイルを混ぜて、 身体をピカピカに輝かせる為に、更に塗り込むように軽くマッサージするという隠し技もあるという。皆やるから隠し技とはならないが、これで相手の前蹴り等を滑らせる。その為、ムエタイ選手の前蹴りは、トランクスのベルト部分を狙うようになったという説もあるようです。

この後、顔にワセリンを塗って貰い、試合前最後のトイレに行き、トレーナーにノーファールカップを強烈にズレないように縛り付けて貰い、オーナーが祈りを込めながら頭にモンコン、腕にパー・プラチアット(いずれも日本式に言えば御守り)を授け、ガウンを纏うと選手はもう逃げられない(逃げる奴はいない)、行く道は特攻のリングのみとなります。

この刺激強いタイオイルは皮膚の弱い顔と脇の下と股間には塗らないよう注意が必要で、タイオイルをちょっとでも触れた手で、トイレに行って小便を済ませた後に、数分後から試合中までオチンチンがヒリヒリするという経験をした選手も居ることでしょう。

イタズラでワザと股間に垂らした意地悪なトレーナーを目撃したことありますが、「焼けるように熱くて、試合後に見たら先っぽが火傷みたいに爛れていました。」と話す選手もいました。

目に入ると瞼が開かないほど強烈な傷みに襲われるので、顔にタオルを掛けてマッサージを受ける場合も見受けられます。皮膚が弱い選手やアトピー性皮膚炎を持つ選手は使わず、ワセリンだけで済ませるようです。

旧・ルンピニースタジアムの控室スペースでのタイオイルマッサージ。長年タイオイルが染み着いた木の台も名物である(1992年9月15日)

◆ルール的には……

一般用クリームタイプ

タイオイルはムエタイ試合で使用するオイル版と、一般人でも打ち身や筋肉痛などに効果的なクリーム版があります。昔はガラス瓶のオイル版しかなく、各スタジアムやムエタイ用品店に売っていたが、ムエタイ人気が国際的になってきて、外国人が絡むムエタイイベントの際には積極的な売り込みがあったと言われます。現在もタイのどこの薬局にも売っています。

記載されている内容物はクリーム版(100g)で 75バーツ(約250円)。
サリチル酸メチル 10.20%、メンソール 5.44%、オイゲノール 1.36%。

オイル版(普通サイズ瓶120cc) は88バーツ(約293円)。
サリチル酸メチル 31.0%、メンソール 1.0%、オイゲノールは未記載。

[左]古き時代のガラス瓶タイオイル。[右]最近のタイオイル

タイオイルの歴史は製造会社の創業から見て90年ほどのようです。昔の名選手も現役時代はしっかり使っていたようで、戦後、スタジアム建設と共に普及して来たのものと考えられます。

日本でのキックボクシング興行では大概がタイオイルの使用は可能です。元々ムエタイから取り入れたもので、キックボクシングでは細かいルールは無く、禁止とは成り難いでしょう。しかし、K-1などのビッグマッチ興行に於いては「もしかしたらタイオイルは使用禁止かもしれない」という覚悟を持つ選手とその陣営も居るようです。

タイ陣営の場合、ベテラントレーナーやプロモーターは「タイオイル禁止だったら、試合しなくていい!」と出場拒否、即刻帰国すら念頭に置いているプライド高い重鎮も居るようです。

その試合ルールではなく、過去に会場の都合という場合がありました。結婚披露宴や各種会合パーティーが通常のセレモニーとする会場ではタイオイル禁止だったりします。床の絨毯が汚れたり、臭いが取れない、修復が高額になるなどの事情。それは前もって知らされるも、選手にとっては「普通の体育館使ってくれ!」と願うことでしょう。

プロボクシングでは身体に塗る物はワセリン以外は使用禁止。細部まで徹底した項目があるのが厳格な競技の証ではあるが、寛容な例外も少々あり(入れ墨対策等)。

かつて1984年(昭和59年)の話であるが、タイオイルを塗ったら、控室を覗いたファイティング原田さんに「何だこの匂い、臭いな!」と言われたことがある、プロボクシングへ転向した元・キックボクサーが居たが、おそらくJBCから完全な拭き取りを命じられたことでしょう。

手慣れた陣営がタイオイルを擦り込むマッサージ(1989年1月9日)

◆蘇える闘争本能

知らないで間違った使い方していたとか、塗る際にやるべきこと、やらない方がいいこと、そんな効力があるのかといった意見は、あまりタイ選手や経験豊富な先輩から見たり聞いたりした経験が無い選手や、トレーナー等が改めて知ること多い奥深さもあるようです。まだ経験浅い人は、ベテランから教わっておくことは必要でしょう。

選手には好まれるタイオイル。セコンド陣もその効能を分かっている上、しっかりタイオイルに触れる立場だが、関係者がスーツ姿や高級鞄を持ったまま控室を訪れる際は注意が必要。うっかりタイオイルの零れた台に座ったりしないこと。つい付着してしまった場合、拭い取ったぐらいでは臭いやベトベト感が落ちないのである。

選手に近づいた際、メンソール系の匂いがしたらそれはタイオイル。「何だこの匂い、臭いな!」とは言わず、興味があったら一度買って、選手になった気になって塗ってみるのも面白いでしょう。引退した選手もタイオイルは想い出深い存在のようです。あの匂いを嗅ぐと試合前の控室からリングに向かう道が思い浮かび、闘争本能が蘇ってくるという経験者は多く、潜在意識には一生残ることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

《NO NUKES voice》再稼働後初の伊方原発広島裁判! 「わたしたちのような体験をする人を万が一にも出してはいけない」被災地福島からの避難者が訴え さとうしゅういち

1月19日、広島地裁で伊方原発運転差し止め広島裁判の第26回口頭弁論が開催されました。次回の口頭弁論は3月14日(月)14時半から、次々回は6月8日と決定しています。

伊方原発運転差し止め広島裁判原告側のチラシ

この裁判は広島を中心とする住民が四国電力伊方原発3号機の運転差し止め裁判をもとめて、2016年の3月11日、3・11からちょうど5年の日に提訴。今年で6年になろうとしています。証拠調べ、論点整理も大詰めを迎えました。

伊方原発については、以前、ご報告したとおり、原告側が求めていた運転差し止めの仮処分申し立てが11月に棄却されてしまいました。そして、12月に再稼働が強行されています。

この日は、コロナ対策のため、原告側はいつもおこなっている裁判所への行進はおこなわず、正門前で記念撮影をするだけにとどめて、裁判所に入りました。

◆避難者の福島敦子さんが「命の訴え」

この日の裁判で、原告のひとりで、福島からの京都に母子3人で避難した福島敦子さんが意見陳述をおこないました。福島さんは、福島原発事故避難者京都訴訟の共同代表もつとめています。この伊方原発広島裁判は広島県民でなくても、伊方原発から800km圏内、ほぼ全国、どなたでも参加をいただける裁判です。

意見陳述の前に、裁判長は「感染状況を踏まえて短めに」と促しました。これに対して福島さんは、「これは命の訴えです」と、強調したのが印象的でした。

◆「死ぬときは死ぬんだ」があいさつがわりの福島市の避難所

福島からの京都に母子3人で避難した原告のひとり、福島敦子さん(写真中央)

福島さんは南相馬市から避難してきました。原発の爆発当時は川俣町、そして福島市へと避難。しかし、その福島市のほうが、南相馬市よりも線量が高かったのです。

3月13日に福島市飯坂町のホールに福島さんは、二人の娘と避難します。そのとき、ホールには800人もの避難者がいたそうです。福島さんは、「入ってくる人々が寝ている娘の頭を踏みそうになり、私はずっと娘の頭をかばい続けました。」とそのときの混乱ぶりを表現しました。

物資も不足し、毎日が重く張りつめた空気の中で、「『死ぬときは死ぬんだ』があいさつだった避難所の生活は忘れられません」と振り返ります。

◆京都では「その日を精一杯生きる」ことで過ぎる

4月2日に福島さん母子は京都に避難。福島さんたちは「スクリーニング済証」を携帯していないと病院にもいけない、避難所をうつることさえできなかったのです。被曝した人間として移動を制限されたのです。しかし、いっぽうで、「この証明書は、外部被曝に限られた(OKという)証明書であって、内部被曝の状況は今もわかりません」と福島さんは、訴えました。

京都の学校では下の娘さんは苗字が福島ということもあって、「フクシマゲンパツ」とあだ名をつけられることもありました。福島さん親子の生活は「その日その日を精一杯『生きる』ことで過ぎていきました。」

現在も原発から放射能が流出しつづけていますが、事故の具体的な理由や責任が追及されないまま、被災した人々は日々の生活に疲弊し、とくに福島さんら「区域外避難者が復興の妨げ」という風評被害と向き合っていかなければならなくなった、と振り返ります。

◆父をがんで失い、自らも脳腫瘍、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」に共感

福島さんは、お父さんを前立腺がんで2020年9月になくし、また、自身も脳腫瘍が発覚して、来月手術の予定です。

福島さんは、「伊方原発の再稼働は、地元や広範な瀬戸内周辺住民の不安と日本国民の原発に対する懸念の声を全く無視した人権侵害であり、公害問題です。」と強調。いっぽうで、黒い雨訴訟広島高裁判決で内部被曝がより危険であることが認められ、確定したことに注目。「内部被曝には外部被曝とは異なる危険がある」と訴えました。

そして、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」のスローガンを掲げて闘うこの裁判に、福島原発事故避難者として大いに共感し、原告となって闘うことを決意した、のです。

福島さんは、最後に「もう、私たち避難者のような体験をする人が万が一にも出してはいけないのです。」「司法が健全であることを信じています」「日本国民は、憲法により守られていることを信じています。」と裁判長に対して訴えました。

◆火山や地震、四国電力の反論に説得力なし

この日は、火山や地震のリスクについての主張の交換が、文書で原告と被告(四国電力)の間で行われました。口頭弁論のあとの報告会で原告側弁護士から以下のような報告をいただきました。

火山については、阿蘇山からの火砕流が過去の噴火で到達していた可能性については四国電力も可能性を認めざるをえなくなっています。しかし、案の定、四国電力はその可能性は低い、としています。だが、そもそも、VEI(火山爆発指数)6-7の大噴火はいつ起きるかまったく予測できないのです。

地震についても、四国電力は、中央構造線断層帯の場所は伊方原発からみて、沖合にあるから大丈夫、という主張です。しかし、実際には震源となる断層は原発から800mくらいのところまで迫っているという説も有力です。

日本列島にフィリピン海プレートが潜り込んでおり、そのために、陸側の沖縄の西側の沖縄トラフや九州中部、別府湾などは、伸長応力、すなわち引っ張られる力が加わって、地殻が裂けて、落ち込む場所になっています。それにともなう地震も多く起きています。おなじような現象が伊方原発付近でも起きている可能性は高いのです。単に断層があるだけでなく、そうした大きな地殻変動の現場に伊方原発はなっている可能性が高いのです。また、水蒸気爆発への備えや、避難計画についても、四国電力側の甘さが目立ちました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈4〉脱落者・離脱者をどうするか? 横山茂彦

連合赤軍が凄惨な同志殺しに至った原因として、革命左派による離脱者処刑が挙げられる。赤軍派と革命左派が合同する以前に、革命左派は山岳ベースから離脱した男女ふたりを処刑しているのだ(印旛沼事件)。

その処刑に当たって、永田洋子(革命左派)は森恒夫(赤軍派)に相談をしていた。そのとき、おなじ問題(坂東隊に帯同していた女性が不安材料だった)を抱えていた森は、永田に「脱落者は処刑するべきやないか」と答えている。

これが永田洋子と坂口弘ら革命左派指導部の尻を押した。両派は「脱落した同志の処刑」という、きわめて高次な党内矛盾の解決をめざしたのである。この高次な党内矛盾の解決が、やがて党の組織的頽廃をもたらすことには、まだ誰も気付いていなかった。

◆いいかげんな赤軍派・真面目な革命左派

ところが、二名の処刑を実行した革命左派にたいして、赤軍派は処刑を実行できなかった。「行動をともにする中で解決していこう」という坂東國男のあいまいな方針のまま、ついに彼女を隊から追い出すことで「解決」したのである。処刑を「解決」方法と考えていた森は、しょうがないなぁという反応であったという。森は殺さなかったことで、明らかに「ホッとしていた」のである。

そうであれば、まだ「処刑」によって生起される深刻さ、組織的な頽廃を森は予見していた可能性がある。

いっぽう、革命左派は森の提案どおり処刑を実行した。この違いを、植垣康博は「いいかげんな赤軍派にたいして、革命左派は生真面目だった。その違いだった」と語っている(『情況』2022年1月発売号)。

◆印旛沼事件が最初ではなかった

連合赤軍事件(同志殺し)の呼び水が印旛沼事件だったとして、二人の処刑がアッサリと決まった。というのも、じっさいには事実ではない。

革命左派においては、この事件の前にも「処刑」を検討していたのだ。永田洋子のゲリラ路線に対して、公然と反対する同志がいたのだ。

この同志は職場で労働争議を抱えた女性で、労働運動を基盤とした党建設の立場から、党の戦術をゲリラ闘争に限定するのに反対していたのだ。もともと革命左派は、地道な労働運動を基盤にした組織である。川島豪-永田洋子ラインのゲリラ路線は、70年安保の敗北をうけた新左翼の過激化にうながされたものであって、従来の組織路線とのギャップが生じていたのだ。

この女性同志の原則的な異見に、永田洋子は「権力のスパイではないか」との疑念を持つのである。

前回の記事で、筆者は瀬戸内寂聴の言葉を引いて「可愛らしい女性だった」という評価を紹介した。そのいっぽうで、他人の心情を察する能力が彼女の特性でもあった。この「心情を察する能力」はオルグする能力であるとともに、相手を見抜く力、すなわち猜疑心が豊富であることを意味している。

のちに永田洋子は、夫である坂口弘を見捨てて、妻子のある森恒夫と結婚する。そのほうが「政治的に正しい」という理由を公然と表明して。これは猜疑心ではなく、するどい嗅覚をもった政治的判断である。元革命左派のY氏は、この永田の乗り移り主義を、指導者の川島豪から同輩同志の坂口弘へ、新しい指導者森恒夫へと、権力にすがっていく嗅覚であったと語っている。われわれは永田のこの変遷に、指導者の権力維持が粛清を生むという、連合赤軍事件のもうひとつの面を見せられる思いだ。

ともあれ、永田の猜疑心は女性同志がスパイではないかと、疑いを持たせることになる。坂口もこれに同調し、ひそかに処刑が検討されるのだ。

けっきょく、処刑の結論が出ないまま推移し、革命左派は真岡銃砲店猟銃奪取事件の弾圧で逃亡を余儀なくされる。のちにこの女性同志は、連合赤軍事件の公判を傍聴し、みずからへの「スパイ冤罪」と、当時の革命左派指導部の混乱を確認することになる。彼女もまた、きわめて真面目な革命左派らしい活動家だった。

◆森恒夫の動揺

じっさいに革命左派が二名の処刑を実行すると、森恒夫は動揺した。側近の坂東國男に「革命左派が同志殺しをやった。あいつらは、もう革命家じゃない」と語ったという。

くり返しておこう。革命左派においてスパイ疑惑が発生し、処刑を検討していた。革命左派も赤軍派も脱落者と不安分子を抱え、森が「処刑すべきではないか」と意見する。革命左派が二名の殺害を決行し、赤軍派は処刑を果たせなかった。

ここで森に革命左派への負い目、気おくれが生まれたのである。革命左派は進んでいるが、赤軍派は立ち遅れている。という意識である。

◆両派の組織的な交流

71年の秋から、赤軍派と革命左派の組織的な交流がはじまる。

婦人解放運動を組織のひとつの基盤にしていることから、革命左派には女性が多かった。家族的な団結を党風にしていたかれら彼女らは、山岳ベース(当初はキャンプ地のバンガローなどを使用)でも和気あいあいの雰囲気だったという。

爆弾製造に精通した赤軍派の植垣康博(弘前大学理学部)らが爆弾製造の講習をおこない、革命左派の女性活動家たちがそれを習う。しかしこのとき、キャンプに宿泊した植垣は、つい女性の体に手を伸ばしてしまう。のちに生活レベルの総括を要求され、男女の問題から個人の弱さが批判される素地がここにある。若い男女が狭い場所に、身体を押し合いながら寝泊まりしているのだ。性的な問題が起きない方が不思議というものだ。70年代後半に三里塚の団結小屋でも、この痴漢・女性差別問題は頻発している。

71年の12月に、両派は山岳ベースで本格的に合流する。当初は軍事部門だけの合同(合同軍事演習)だけだったが、森恒夫も永田洋子も銃を前提とした「せん滅戦のための建軍」をめざし、そのためには建党が課題としてされたのである。

ここにわれわれは、ひとつの岐路を見出すことができる。軍事を優先したがゆえに、組織的な統合をはからねばならない。そもそも軍事は高次な政治レベルにあり、そうであれば赤軍派でもなく革命左派でもない「新党」が必要とされるのだ。

その組織名はしかし、なぜか「連合赤軍」であった。理由は簡明である。世界革命路線の赤軍派と、反米愛国路線の革命左派は、そもそも政治路線の異なる組織の「連合」だったからだ。

後年、この「路線的野合」が、党の統合のための「思想闘争」を必要とし、なおかつ両派の主導権争いから粛清(同志殺し)が行なわれた。と、獄中指導部は批判(総括)したものだ。野合組織の路線的な破産であると。

たしかに、理論家の総括としてはこれでいいのかもしれない。しかし路線の不一致が解決されていたとしても、山に逃げるしかなかった指名手配犯だらけの組織は、脱落者を防止する「思想闘争」を必要としていたのである。

◆水筒問題

まず最初に、両派の合同段階で対立が生じた。赤軍派が新しい山岳ベースに革命左派を迎えたとき、かれらは水筒を持参していなかったのだ。山登りには水筒が必須である。

水筒が必要なのは山登りだけではない。もう10年以上も前になるが、洞爺湖サミットに自転車キャラバンで環境問題を訴える「ツーリング洞爺湖」を準備したおりのことだ。水筒(ボトル)を忘れてきた仲間に「連合赤軍は水筒問題から同志殺しの総括になったんだぞ」と笑い合ったことがある。長距離走やラグビーなどの球技でも、水分補給は勝敗にかかわる。

じつは革命左派が水筒を持参していなかったのは、かれらが沢登りを得意としていたからだ。沢を登っているかぎり、水に不自由することはない。だがこの水筒問題は、革命左派から主導権を奪う赤軍派(森恒夫)の格好の材料にされたのだった。

◆総括要求

数の上では少数の赤軍派(森恒夫)が、M作戦と爆弾闘争でつちかった力量をしめし、家族的で和気あいあいとした革命左派を、まるごと糾合してしまおうとする野心があったと、語られることが多い。

半分は当たっているが、のこりの半分は森の負い目にあったというべきであろう。脱落者を処刑できなかった赤軍派とはちがって、革命左派はすでに二人の同志を殺しているのだ。
いっぽう、水筒問題で批判された革命左派が逆襲する。

赤軍派の女性が指輪をしてきたことを「武装闘争の訓練をする山に、指輪は必要ない」と批判するのだ。その批判はエスカレートし、そもそも「どういうつもりで山に来たのか」という難詰に発展する。これが「総括要求」となったのだ。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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参院選2022の対立軸は、「維新」の「世代間闘争を装った新自由主義(竹中主義)」vs「れいわ」の「ガツンと財政出動で生活安全保障」 さとうしゅういち

2022年は参院選が行われます。ご承知のとおり、参院選は政権選択の選挙ではありません。

しかし、筆者は、今回の参院選においては、「勢いをました政治勢力が政権与党である自民党への影響力を強める」大事な選挙である、と考えます。言い換えれば、岸田総理は今回の参院選で(自民党以外で)のびた勢力の政策を一定程度、取り入れて政権運営をする可能性が高いということです。

とくに、軸を打ち出しているのは「日本維新の会(以下、維新)」と「れいわ新選組(以下、れいわ)」はないでしょうか。

立憲民主党さん、日本共産党さん、市民連合さんについては、安倍政権および菅政権までなら、安倍政権暴走ストップ、広島ならくわえて河井批判という錦の御旗を求心力としておられました。ただ、安倍・菅退陣、そして河井案里さん・克行受刑者失脚で共通の旗を失い、連合(日本労働組合総連合会)さんと日本共産党さんの確執を軸に混迷しておられます。しっかりしていただきたいが、現に混迷しているのは事実です。正直、軸が見えてきません。先方から各種選挙の候補者への支援要請などいただけば、野党共闘の大義のため、筆者もそのつど対応はさせていただいていますが、もっと軸をはっきりさせていただかないと、わたし自身の支持者の方への説得も難しいと感じています。

◆世代間闘争を装った竹中主義 こきつかえない人は切り捨て・弾圧

日本維新の会の軸は、「世代間闘争」を装った新自由主義、いや、竹中主義といえるでしょう。最初は、旧民主党の基盤だった自治労批判でウケました。実際に、非正規公務員の就職氷河期世代が「正規公務員に天誅!を加える」という維新に喝采を送っておられました。大阪市交通局所属の非正規公務員の若者が、維新・橋下さんに媚びて労働組合・大交を陥れるための偽装工作をするという事件も、2012年には発生しています。

その後も、「シルバー民主主義を打倒」し、「高齢者向けサービスを削れば」大阪も日本もよくなる、という趣旨の主張をされてきました。そして、いっぽうで、高校の無償化などを実施して若手・子育て世代のウケをとっているのも事実です。

しかし、維新の産みの親といえるのは竹中平蔵さんです。大阪市役所はいまや、竹中平蔵さんが会長をつとめるパソナからの派遣社員が多くの仕事をしていることで有名です。

いまは、維新の支持者の多くは、大手企業勤務の上層のサラリーマン(旧同盟系の労働組合員とも重なる)が多いこともしられています。要は生産性至上主義で人間を測っている方が多いということです。生産性のない、高齢者は切り捨てる。一時期「維新」の公認候補だった長谷川豊さんなどは、人工透析患者も切り捨てる発言をされています。

若者のことも、優遇する「こき使う」対象としか見ていないわけです。実際には竹中平蔵さんに代表される年配の「えらい人」がこき使える若者のために高校は無償化するわけです。また、上級サラリーマンの溜飲を下げてもらうために、「小さな政府」による負担減を打ち出すわけです。

しかし、高齢者向け・障害者向けサービスサービスを削れば、いわゆるヤングケアラーの若者の介護の負担は増えます。また、教育無償化といっても、維新は教員給与カットとセットです。また、市長に意見した校長先生への弾圧とセットです。この結果、大阪で先生をめざす若者は、兵庫や京都や奈良や和歌山に流出しています。それでも、「若者をこきつかえれば」いいのでしょう。こきつかえる人はこきつかい、こきつかえない人は切り捨てたり弾圧したりするわけです。

◆自民党以上に自民党改憲案的社会へばく進

また、維新は自民党以上に大政翼賛会的な政治へ突き進んでいます。2021年12月27日、大阪読売と大阪府(吉村知事)は包括連携協定を結びました。まさに、維新とマスコミの一体化です。戦時中の日本と似たような状態を大阪限定で実現したのです。自民党でも裏での癒着はあっても、ここまで堂々とした翼賛政治はしません。自民党憲法草案のとくに緊急事態条項はまさに、大政翼賛会的な政治を再現するものですが、維新は改憲なしに大阪で完成へ向けてばく進しています。

◆「れいわ」の「ガツンと財政出動で生活安全保障」こそ、維新への対抗軸になりうる

れいわの政策は、まとめれば「ガツンと財政出動で生活安全保障」です。当面は、徹底した財政出動であなたの所得を引き上げ、あなたの負担をへらす。維新に対抗するにはこれしかない、と筆者は実感しています。なぜか?

たとえば、れいわ新選組は「公務員をふやす」「非正規公務員は正規に」を掲げています。これなら、「正規公務員を斬りまくる維新に一定程度共感されていた非正規」の方も、「自分も正規公務員になれるのであれば」と考え直していただける可能性が強いと感じます。筆者自身、連合・自治労組合員だった経験から、組合や旧民主党さんあたりがまずいのは、「現状維持イメージ」が強いために、非正規労働者のみなさまの共感を得られにくい点だと痛感していました。財政出動で「非正規を正規並に」待遇を引き上げることを堂々と筆者も訴えていきます。

また、れいわは教育無償化とセットで、学校の先生をきちんとした給料で確保すること、現場の創意工夫を生かす点も維新との大きい違いです。一方で、年配者に対しても「教育無償化は、祖父母、父母世代の老後不安の解消にもなる」という点を強調していきます。逆に高齢者向けサービス、障害者向けサービスも、ヤングケアラー含む若手の負担の軽減につながる、という点も強調していきたいものです。

憲法についても、れいわはコロナ対応には改憲はいらず、災害指定すればよい、とのスタンスです。災害から復旧・復興という位置づけになれば、きちんとした補償や生活再建策、自治体や医療・介護などの現場支援策への財政投入もできます。正直、安倍晋三さん主導の「アベノマスク」の失敗をみるかぎり、総理に権限を集中させる緊急事態条項よりは、現場が仕事をしやすいように支援する災害指定のほうが優れているでしょう。

◆「新自由主義先行実施」の広島だからこそ、ガツンと維新への対抗軸を打ち出したい

広島の野党(維新以外)はこの2年ほど、河井批判で求心力を保っていました。しかし、完全に賞味期限切れになり、衆院選2021、安佐南区県議補選では大敗しました。

広島の場合は、以前にもご紹介したとおり、大阪(維新)に先行して、90年代末から新自由主義を進めています。職員の採用を異常に抑制。市町村合併を進め、全国でも2番目に大きい市町村減少率となっています。保健所も全国平均は半減ですが、広島は3分の1に減っています。こうした中で西日本大水害2018では、公務員が少なすぎて、吸収合併された旧市町村地域を中心に復旧・復興が遅れました。

また、自治体の窮状につけこんで克行受刑者が、議員や首長にカネの受け取りを迫った部分もあります。もちろん、なにがあっても買収に応じてはダメですが、地方分権という名の自治体切り捨てをやめさせ、きちんと財源を保障していくことは大事です。

こうした広島の実情にあわせて、他の野党さんも新自由主義にガツンと財政出動で対抗する方向でがんばっていただきたいと思います。ただし、他人が変わるのを待つより、自分が行動です。広島では筆者自ら、先頭に立つ覚悟です。


◎[関連動画]2022対立軸は「維新」の間違った「世代間闘争」vs「れいわ」の「ガツンと財政出動で暮らしの立て直し」さとうしゅういち 介護福祉士・元県庁マン

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈3〉森恒夫と永田洋子 横山茂彦

◆国際根拠地論

三島由紀夫も落胆した69年の10.21(国際反戦デー)の不発のあと、赤軍派中央委員会では、塩見孝也による「国際根拠地論」が提案される。キューバへの渡航、アメリカの左派勢力との合流。要するに、海外亡命である。そのための手土産として、首相官邸を数十名で占拠する方針が採られた。この計画の準備が、大菩薩峠の福ちゃん荘での軍事合宿だったのだ(53名逮捕)。

国内での武装闘争の行き詰まりが、海外渡航の準備をうながしたのである。そしてそれは、よど号ハイジャック事件(北朝鮮渡航)として決行される。田宮孝麿らの幹部が北朝鮮に渡る(本来の目的はキューバだった)いっぽう、大衆運動としても海外渡航がはかられた。

すなわち、元赤軍フラクの藤本敏夫が事務局長をつとめるキューバ文化交流研究所を媒介に、赤軍派系・ブント系の学生をふくめた「サトウキビ刈り隊」が組織され、数十人単位がキューバに渡航したのである。この事実は、あまり知られていない。のちに「サトウキビ刈り隊」は公安当局の「スパイ説」流布により、キューバ当局から強制送還された。

◆あいつぐ弾圧と指導部の逮捕

こうした派手な闘いは、公安当局の猛烈な弾圧をまねいた。塩見孝也、高原浩之ら赤軍派の指導部があいついで逮捕されたのだ。赤軍フラクから脱落していた森恒夫が、この時期に台頭してくることになる。

国内指導部では、古参の堂山道生だけが健在だったが、森とは反りが合わない。やがて堂山は組織を去っていく。森に言わせれば「俺が論争に勝ったから、堂山が去っていった」ということになるが、重信房子がそうは考えなかったという。その重信房子は唯一、森に批判的なことを言える立場だったが、アラブ行きの準備で、国内残留組の指導には関われなかった。

こうして森恒夫が組織の中枢で、とくに中央軍を私兵的に統括するようになるのだ。大会が開かれないという理由で、中央委員会も開かれなくなる。森の独裁的な指導のもとで、ペガサス作戦(獄中指導部の奪還)、ブロンコ作戦(日米同時蜂起)は実現できなかったものの、マフィア作戦(銀行強盗)だけが実現されていく。

革命左派においても、苛烈な弾圧は組織が身動き取れないところまで来ていた(69年12月に川島豪が逮捕される)。70年の12月18日に交番を襲撃して、柴野春彦が警官に射殺され、翌71年2月に真岡の銃砲店で猟銃を奪取。この事件が、公安当局の猛弾圧を招くことになるのだ。

◆獄中指導部奪還作戦の挫折

赤軍派においても、ペガサス作戦として検討された獄中指導部奪還は、革命左派においてはかなり現実的なものとして計画されていた。獄中の川島豪が転向を装ったり、銃砲店での猟銃奪取は具体的な計画に沿ったものだった。

キューバを目的地に海外渡航を実行した赤軍派にたいして、毛沢東主義の革命左派は中国を念頭に、海外渡航作戦を検討していた。それは50年代に、朝鮮戦争の関係で共産党がレッドパージに遭った際、徳田球一(書記長)が中国に渡航・潜伏したのをモデルに考えられたものだった。

それにしても、猟銃を奪取したのはよいとして、どうやって獄中指導部を奪還するつもりだったのだろうか。まったく現実性がなかったわけではない。外国の領事館の要人、皇族の誘拐が検討されていたのだ。最終的には、横浜拘置所から裁判所まで護送されるのを狙ってという作戦に落ち着いたが、猟銃奪取後の猛烈な弾圧はそんな計画が具体化するのを許さなかった。

その国外脱出論は、国内での活動の困難を感じた永田洋子によって、自分たちの中国渡航案として組織に提案される。日本国内では、禁猟期に猟銃を撃っただけでも通報されて、軍事訓練も行なえないからというものだった。この案は、のちに赤軍派にアジト網を提供されることで、国内での活動の見通しが立つとともに立ち消えになる。

◆両派の初会合

前述した交番襲撃事件(1名射殺される)は、革命左派を新左翼界隈のステージに押し上げた。赤軍派の獄中幹部から称賛が送られ、殺された柴野春彦は武装闘争の英雄とされたのだった。

これを受けて、赤軍派と革命左派の最初の会合がひらかれた。赤軍派からは森恒夫・坂東國男、革命左派は永田洋子・坂口弘・寺内恒一である。のちの連合赤軍の指導部である。このさい、森恒夫が永田の海外渡航案を批判することで、革命左派の中国行きはなくなった。

このとき、森恒夫は革命左派の指導者が永田洋子なのか坂口弘なのか、それとも寺内恒一なのか、わからなかったと後に述べている。革命左派の幹部三人が、ともに理論的な突出力がなかったことを、この森の感想は言い当てている。

河北三男が組織を去り、川島豪および古参党員が身動きができなくなっていた革命左派は、トコロテン式に、指導力の未熟な永田をトップにしたのである(幹部による党内選挙)。

森恒夫という人物については、元赤軍派の関博明氏から聞いたことがある。何ごとも「お前はどうなんだ?」と追及するタイプで、その一方では年下の者たちには「親父さん」と、好かれていたという。のちに森が獄中自殺したとき、かれらは権力による謀殺を疑ったという。

永田洋子は、自殺した森よりも悪辣に表現されることが多いが、のちに交流のあった瀬戸内寂聴によれば、可愛らしい女性だったという。相手のことをよく観察し、心理を読むのに長けていたというのは、当時のメンバーの証言である。

◆銃と爆弾

革命左派が銃砲店を襲い、猟銃を奪取するのは初会合の翌年の2月17日である。この革命左派の銃器奪取が、じつは森の戦術思想に大きな影響を与えることになるのだ。

赤軍派は梅内恒夫という、爆弾の神様の異名をとるメンバーを軸に、植垣康博らが爆弾製造の専門班として武装化をはかっていたが、銃器を手に入れることは出来ていなかった。そのいっぽうで、M作戦だけが順調にいき、赤軍派の兵站を豊かにしていた。

森の戦術思想を変えたのは、はからずも爆弾闘争の成功だった。

すなわち、71年6月17日(沖縄闘争)で、中核派のデモ隊の背後から赤軍派が爆弾を投擲し、爆弾闘争に成功したのだ。機動隊員に多数の負傷者が出ている。この爆弾闘争が71年には、ノンセクトをふくむ新左翼各派の爆弾闘争の爆発につながる。

この爆弾闘争はしかし、無関係の一般市民をも巻き込みかねない。無政府主義の武装闘争ではないかという疑問が、森の脳裡に生じたのだ。目標が不正確な爆弾闘争ではなく、殺し殺される情勢のもとで、勝ち抜けるのは銃と兵士の結合であると。この銃物神化の思想は、永田洋子のものでもあった。

やがて、関東でM作戦の成果を挙げていた坂東隊いがいの赤軍派中央軍は、軒並みに逮捕されてしまう。赤軍派の戦力の低下は、革命左派との距離を縮めた。カネと銃器を交換する案が、両派を緊密な関係にさせるのだ。

そしてもうひとつ、両派を急接近させる事態が起きる。両派ともに、組織内部に脱落者や不安分子(不満分子ではない)を抱えていたのである。死という壁が、両派にせまっていた。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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米国が台湾で狙っていること 台湾問題で日本のメディアは何を報じていないのか? 全米民主主義基金(NED)と際英文総統の親密な関係 黒薮哲哉

赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めた演壇に立つ2人の人物。性別も人種も異なるが、両人とも黒いスーツに身を包み、張り付いたような笑みを浮かべて正面を見据えている。男の肩からは紫に金を調和させた仰々しいタスキがかかっている。メディアを使って世論を誘導し、紛争の火種をまき散らしてきた男、カール・ジャーシュマンである。

 
蔡英文総統と勲章を授与されたカール・ジャーシュマン(出典:全米民主主義基金のウェブサイト)

マスコミが盛んに「台湾有事」を報じている。台湾を巡って米中で武力衝突が起きて、それに日本が巻き込まれるというシナリオを繰り返している。それに呼応するかのように、日本では「反中」感情が急激に高まり、防衛費の増額が見込まれている。沖縄県の基地化にも拍車がかかっている。

しかし、日本のメディアが報じない肝心な動きがある。それは全米民主主義基金(NED)の台湾への接近である。この組織は、「反共キャンペーン」を地球規模で展開している米国政府系の基金である。

設立は1983年。中央アメリカの民族自決運動に対する介入を強めていた米国のレーガン大統領が設立した基金で、世界のあちらこちらで「民主化運動」を口実にした草の根ファシズムを育成してきた。ターゲットとした国を混乱させて政権交代を試みる。その手法は、トランプ政権の時代には、香港でも適用された。

全米民主主義基金は表向きは民間の非営利団体であるが、活動資金は米国の国家予算から支出されている。実態としては、米国政府そのものである。それゆえに昨年の12月にバイデン大統領が開催した民主主義サミット(The Summit for Democracy)でも、一定の役割を担ったのである。

◆ノーベル平和賞受賞のジャーナリストも参加

民主主義サミットが開催される前日、2021年12月8日、全米民主主義基金は、米国政府と敵対している国や地域で「民主化運動」なるものを展開している代表的な活動家やジャーナリストなどを集めて懇談会を開催した。参加者の中には、2021年にノーベル平和賞を受けたフィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサも含まれていた。また、香港の「反中」活動家やニカラグアの反政府派のジャーナリストらも招待された。世論誘導の推進が全米民主主義基金の重要な方向性であるから、メディア関係者が人選に含まれていた可能性が高い。(出典:https://www.ned.org/news-members-of-us-congress-activists-experts-call-to-rebuild-democratic-momentum-summit/

この謀略組織が台湾の内部に入り込んで、香港のような混乱状態を生みだせば、米中の対立に拍車がかかる。中国が米国企業の必要不可欠な市場になっていることなどから、交戦になる可能性は少ないが、米中関係がさらに悪化する。

◆国連に資金援助して香港の人権状況をレポート

香港で混乱が続いていた2019年10月、ひとりの要人が台湾を訪問した。全米民主主義基金のカール・ジャーシュマン代表(当時、)である。ジャーシュマンは、1984年に代表に就任する以前は、国連の米国代表の上級顧問などを務めていた。

ジャーシュマン代表は、台湾の蔡英文総統から景星勳章を贈られた。(本稿冒頭の写真を参照)。景星勳章は台湾の発展に貢献をした人物に授与されるステータスのある勲章である。興味深いのは、台湾タイムスが掲載したジャーシュマンのインタビューである。当時、国際ニュースとして浮上していた香港の「民主化運動」についてジャーシュマンは、全米民主主義基金の「民主化運動」への支援方針はなんら変わらないとした上で、その活動資金について興味深い言及をした。

【引用】NED(全米民主主義基金)は、香港の活動家に資金提供をしているか否かについて、ジャーシュマンは「いいえ」と答えた。同氏は、NEDは、香港について3件の助成金を提供しているが、それは国連が人権と移民労働者の権利についての定期レポートを作成するためのものだと、述べた。(出典:https://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2019/12/14/2003727529

 つまり全米民主主義基金が、国連に資金援助をして香港の人権状況を報告させていたことになる。国連での勤務歴があり、国連との関係が深いジャーシュマンであるがゆえに、こうした戦略が可能になったと思われるが、別の見方をすれば、全米民主主義基金は、国際的な巨大組織を巻き込んだ世論誘導を香港で行ったことになる。その人物が、香港だけではなく、台湾にも接近しているのである。

カール・ジャーシュマンが景星勳章を授与されてから1年後の2020年8月、中国政府は香港問題に関与した11人の関係者に対し制裁措置を発動した。その中のひとりにジャーシュマンの名前があった。他にも米国系の組織では、共和党国際研究所のダニエル・トワイニング代表、国立民主研究所のデレク・ミッチェル代表、自由の家のマイケル・アブラモウィッツ代表の名前もあった。(出典: https://www.ned.org/democracy-and-human-rights-organizations-respond-to-threat-of-chinese-government-sanctions/

◆米国の世界戦略の変化、軍事介入から世論誘導へ

意外に認識されていないが、米国の世界戦略は、軍事介入を柱とした戦略から、外国の草の根ファシズム(「民主化運動」)の育成により、混乱状態を作り出し、米国に敵対的な政府を転覆させる戦略にシフトし始めている。その象徴的な行事が、米国のバイデン大統領が、昨年の12月9日と10日の日程で開催した民主主義サミットである。

トランプ大統領は、大統領就任当初から、「米国は世界の警察ではない」という立場を表明するようになった。同盟国に対して、軍事費などの相応な負担を求めるようになったのである。

その背景には、伝統的な軍事介入がだんだん機能しなくなってきた事情がある。加えて、米国内外の世論が伝統的な軍事介入を容認しなくなってきた事情もある。

 
アントニー・ブリンケン(出典:ウィキペディア)

バイデン政権が発足した後の2021年3月4日、アントニー・ブリンケン国務長官は、「米国人のための対外政策」と題する演説を行った。その中で、対外戦略の変更について、過去の失敗を認めた上で、次のように言及している。

「われわれは、将来、費用のかかる軍事介入により権威主義体制を転覆させ、民主主義を前進させることはしません。われわれは過去にはそうした戦略を取りましたが、うまくいきませんでした。それは民主主義のイメージを落とし、アメリカ人の信用失墜を招きました。われわれは違った方法を取ります。」

「繰り返しますが、これは過去の教訓から学んだことです。 アメリカ人は外国での米軍による介入が長期化することを懸念しています。それは真っ当なことです。介入がわれわれにとっても、関係者にとっても、いかに多額の費用を要するかを見てきました。

とりわけアフガニスタンと中東における過去数十年間の軍事介入を振り返るとき、それにより永続的な平和を構築するための力には限界があることを教訓として確認する必要があります。大規模な軍事介入の後には想像異常の困難が付きまといます。 外交的な道を探ることも困難になります。」(出典:https://www.state.gov/a-foreign-policy-for-the-american-people/

実際、米国軍は2021年8月、アフガニスタンから完全撤廃した。そして既に述べたように昨年12月、バイデン大統領が民主主義サミットを開催し、そこへ全米民主主義基金などが参加して、その専門性を発揮したのである。

◆第11回世界の民主主義運動のための地球会議」が台湾で

しかし、実態としては米国政府が本気で非暴力を提唱しているわけではない。ダブルスタンダードになっている。事実、外国で「民主化運動」なるものを展開して、国を混乱させた後、クーデターを起こす戦略がベネズエラ(2002年)やニカラグア(2018年)、そしてボリビア(2019年)で断行された。香港でも類似した状況が生まれていた。米国の戦略は、当該国から見れば内政干渉なのである。

筆者は、台湾でも米国が香港と同様の「反中キャンペーン」を展開するのではないかと見ている。火種は、米国側にある。香港と同じような状況になれば、中国も反応する可能性がある。

今年の10月には、「第11回世界の民主主義運動のための地球会議」が台湾で開催される。主催者は、「民主主義のための世界運動」という団体だ。しかし、この団体の事務局を務めているのは、米民主主義基金なのである。(出典:https://www.ned.org/press-release-11th-global-assembly-world-movement-for-democracy/

【参考記事】全米民主主義基金(NED)による「民主化運動」への資金提供、反共プロパガンダの温床に、香港、ニカラグア、ベネズエラ…… 

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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