司法当局は今なお隠ぺい中 岡口基一裁判官「半裸写真投稿問題」の関係文書

自分の白ブリーフ姿をインターネット上に公開していることで知られる東京高裁の岡口基一裁判官が、ツイッターで自らの半裸写真を投稿したことについて、戸倉三郎東京高裁長官(現在は最高裁判事)から口頭で厳重注意を受けたのは昨年6月のこと。岡口裁判官はその後、この件に関して東京高裁内で「膨大な資料」が作成されていることをツイッターで明かし、再び物議を醸した。

私は、司法行政文書開示請求によりこの資料を入手しようと試みたが、それによりわかったのは、裁判所はこれまで思っていたよりはるかに不誠実で、モラルの低い役所だということだった。

問題の文書の存在を明らかにした岡口裁判官のツイート

◆退けられた開示請求

〈俺の処分の時に作られた膨大な資料は廃棄されずに保存されているだろうか・。ダビデエプロン画像の拡大コピーなど〉

岡口裁判官がツイッターでの半裸写真投稿を戸倉長官に注意されたのち、そんなツイートをしたのは昨年9月22日のこと。私はこの投稿を見て、同27日付けで東京高裁に対し、岡口裁判官が言うところの「膨大な資料」の開示請求を行った。岡口裁判官の半裸写真投稿問題が東京高裁内でどのように取り扱われたかにおおいに関心があったためである。

しかし約3カ月後、東京高裁から文書で届いた答えは、「開示しない」というものだった。そして開示しない理由は、次のように綴られていた。なお、この文書は同年12月21日付けで、戸倉長官名義で作成されている。

〈文書中には、特定の個人を識別することができることとなる情報及び公にすると今後の人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがある情報が記載されており、これらの情報は、行政機関情報公開法第5条第1号及び同条第6号ニに定める不開示情報に相当することから、その全部を不開示とした。〉

私は、この説明をまったく納得できなかった。何より、当の岡口裁判官が自分の処分に関する資料が東京高裁に存在することを公表しているのだから、「特定の個人を識別することができることとなる情報」が含まれていようが、そんなことには何の問題もない。公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあるという話にも何ら具体性がない。要するに戸倉長官は面倒くさいから開示したくないだけだろう。私はそう思った。

ただ、私はこの時点で、この不開示決定に対する苦情申出の手続きをとっていない。最高裁に対し、そのような手続きをとる手段があることは知っていたが、そういうことをしても徒労に終わる場合が多いことを過去の経験から知っていたからだ。

しかし、その後、私はあるきっかけで苦情申出の手続きをとることになる。

疑惑の主である最高裁判事の戸倉三郎氏(裁判所HPより)

◆場当たり的に虚偽の説明か

今年5月11日、私は、弁護士の山中理司氏がツイッターで行った投稿により、とんでもない事実を知った。それによると、山中弁護士は私より一足早く、昨年6月29日付けで東京高裁に対し、「東京高裁が平成28年6月21日付で岡口基一裁判官を口頭注意処分した際に作成した文書」の開示を請求していた。ところが、戸倉長官は同年8月2日付けで山中弁護士の開示請求を以下のような理由で退けていたのだ。

〈作成又は取得していない〉

要するに戸倉長官は、私に対しては「存在するが、開示できない」と答えていた文書について、山中弁護士には「そういう文書は存在しない」と答えていたわけだ。では、なぜ、このように戸倉長官の答えが食い違っているのか。答えは明白だ。

山中弁護士が開示を請求した時点では、岡口裁判官は自分が口頭注意処分を受けたことに関する「膨大な資料」が東京高裁に存在することをまだツイートで公表していなかった。そのため、戸倉長官は山中弁護士の開示請求については、そのような文書は〈作成又は取得していない〉として開示しなかった。要するに嘘をついていたのだ。

戸倉長官らの疑惑を黙殺した情報公開・個人情報保護審査委員会の答申書

一方、岡口裁判官のツイートにより「膨大な資料」が存在すると判明後に私が行った開示請求については、戸倉長官も〈作成又は取得していない〉とごまかすことは不可能だ。しかし、それでもなお、「膨大な資料」を開示したくないから、「特定の個人を識別することができることとなる情報」が含まれるなどという言い訳を考え出し、開示を拒んだのだ。

このような不誠実な対応をされたら、戸倉長官は司法行政文書の開示申出があるたび、場当たり的に虚偽の理由を考えて不開示にしているとみなすほかない。そこで私は、この時点で不開示決定を受けてから5カ月近くが過ぎていたが、最高裁に苦情申出をすることにした。苦情申出は3カ月以内にしなければならないが、「正当な理由」があればこの限りではないためだ。

ところが――。

「戸倉長官が司法行政文書の開示申出があるたびに場当たり的に虚偽の理由を考えて不開示にしているとみなすほかないことを示す事実を知ったため」という理由で苦情申出をした私に対し、最高裁の今崎幸彦事務総長は「苦情申出人の主張する事情は、苦情の申出の動機というべき事情であり、苦情申出期間を徒過したことの正当な理由にならない」と主張してきた。戸倉長官が場当たり的に虚偽の理由を考え、司法行政文書の開示請求を退けてきたのが事実か否かについては、何の言及もなく、あまりにも不誠実な対応だった。

そして去る10月23日、最高裁から諮問を受理し、審議を行った情報公開・個人情報保護委員会(委員長は髙橋滋氏、その他の委員は久保潔氏、門口正人氏)も同日付けで作成した答申書により、この今崎事務総長の主張を認め、私の苦情申出を退けた。つまり、戸倉長官が場当たり的に虚偽の理由を考え、司法行政文書の開示請求を退けてきた疑いについて、第三者的立場である情報公開・個人情報保護委員会も黙殺してしまったのである。

私は今回の東京高裁や最高裁、そして情報公開・個人情報保護委員会の対応は容認しがたいので、今後も岡口裁判官の半裸写真投稿問題に関する「膨大な資料」の開示を目指し、しかるべき措置をとる。今後何らかの成果が得られたら、この場で再び報告する。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号!

私の内なるタイとムエタイ〈15〉タイで三日坊主Part.7 巣鴨で春原俊樹さんと

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

 
初対面となる私の知人との紹介が続く藤川さんの旅の途中、私以外の世話人も同様に藤川さんに紹介され友達の輪が広まったことでしょう。これが藤川さんの思惑で、延々続いていくのです。

◆春原さんと御対面!

11時少々回って巣鴨駅改札で御対面。春原さんは「初めまして、春原(すのはら)と申します」と比丘に対するには上手くないワイ(合掌)をして御挨拶。

「話は聞いとるよ、ほな行こか!」と予定していた方向の、とげぬき地蔵商店街へ歩き出す藤川さん。先行く藤川さんの後方で、「言うの忘れてましたけど、比丘は挨拶を返さないので悪く思わないでください」と後ろを歩く間に春原さんに伝えました。

私がタイのお寺で藤川さんと再会した時も、昨日の習志野ジム宿舎での朝の挨拶も、藤川さんはちゃんとした挨拶を返していません。私も最初は違和感がありましたが、比丘は俗人に対し、挨拶を返す必要が無いので、その事情を聞いて初めて理解しました。それは一般的に正しくないかもしれませんが、そういう仕来りの下、仏門の日常があると把握しておかねばなりません。

「ああそうなんだ、聞いておいて良かった」と春原さん。

藤川さんは歩きながら春原さんに気さくに話しかけ、「普段どんな所行っとるん?辰吉は眼悪うしたやろ、まだ試合はやれるんか?」と、春原さんの仕事に合わせた会話を続けてとげぬき地蔵尊近くのレストランを見つけ、早速入りました。

11時開店の様子でサラリーマン客はまだ居らず、お参りに来てたおばちゃんたちが数人いる程度の空席が目立ちました。“3名様”を呼ばれてテーブルに着き、藤川さんは「何でもええから注文して!」と自分からメニューを見ず、我々が気を利かせステーキや中華、焼き魚類の定食を3人前、刺身の盛り合わせを1皿注文。合計で4000円ぐらい。

さて誰が払ったでしょう?いちばん年上の藤川さん、二人の仲介役の私、この場でいちばん金持ち春原さん、あるいは割り勘! あるいは……!?

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

◆日本のレストランで見た仏教の習慣!

おばさん店員さんによって運ばれて来るお盆に載った定食をまず春原さんに「このお盆のまま藤川さんに手渡ししてください。テーブルに置いたままでいいですから」と最初から手渡しの儀式をお伝えしました。

「比丘は勝手に食べ物に手を付けてはならず、俗人から手渡しされたものしか手を付けてはならないので、今後、藤川さんや私に対し、タイで同様の機会があるかもしれないので、覚えておいてください」と生意気にも少し年上の春原さんに指導する私でした。

「面倒な儀式でしょ! つい忘れると藤川さんは小声で“オイオイ”と呼んだりヒジで突くんですよ、腹立つときは放っておいてやろうかと思いますよ」と私が言うと、ひとつひとつの発言によく笑ってくれる春原さん。

食事中突然、厨房からひとりの大学生風の女の子がやってきました。ミャンマーから来ている留学生で、このお店でアルバイトをしていて「料理をタンブンさせてください」と言う留学生。この子の支払いによる喜捨です。

それを受け入れた藤川さんは「手を出して!」と言って、留学生の手の平に、仏陀のお守りをポトンと落とし授けました。ワイをして感謝する留学生。彼女にとって徳を積む機会となったのです。個人の信心深さによりますが、これは珍しいことではなく、日本では徳を積む機会の無い信心深い東南アジア系の仏教徒は、黄衣を纏った比丘を見つけるとどこだろうと進んで喜捨に向かいます。周りのお客さんは不思議そうな表情。

1時間も喋っていると昼を回り、サラリーマンを主に満席になってきて、春原さんが「喫茶店に移動しますか」と言って立ち上がりレジに向かいました。比丘を除く我々2人分の代金を払おうとすると「あの子が払いましたよ」と厨房を指差すレジのおばさん。

春原さんが「お坊さんには喜捨でいいけど、我々は一般人だから」と言っても「全部お坊さんへのタンブンですから御心配なく」と厨房からさっきの留学生が笑顔で応えました。春原さんと私は「申し訳ない、我々の分まで」と恐縮ながら、留学生に“我々流”に御礼を言って出て来ました。

店を出た後、藤川さんが「あの子、時給800円ぐらいかな、飯代が4000円ぐらいやったやろ、ワシらの為にあの子は5時間ぐらいタダ働きや、申し訳ないと思うやろ、4000円言うたらタイでは一般的な2~3日分の日当やな(1994年当時)、そやから一層修行して世間に還元していかなならんのや、回りまわってあの子にも還っていくんやから」と言う言葉が重かった。“奢り”ではない、この留学生の信心深さに責任を感じる我々でした。

藤川僧と春原さん (1994.6.29)
巣鴨駅前にて。私と藤川さんのツーショットを春原さんに撮って貰う(1994.6.28 撮影=春原俊樹)

◆経験値で仏教を諭す!

喫茶店に場所を移し、もっと雑談続ける我々。藤川さんの話は人としての真っ当な生き方論ではなく、己の経験話。俗人の頃、一時出家の頃、現在と波乱万丈の話は尽きません。

「好き勝手生きてきたワシのような生臭坊主、絶対悟りの境地に達することないやろうと思うんや、何でか言うと、今だに夜中眼っとっても裸で寝とる女に喰らい付いていく夢見ますんや、ハッハッハッハ!」。

「お坊さんと言っても男ですからねえ」と春原さんも納得の大笑い。

「藤川さんはこんな感じで手紙でも面白いこと書いてくれるんですよ」と私が言うと、藤川さんは「こいつなあ、“面白い手紙期待してます”って書いてよこすんやけど、ワシはタイのお寺で、吉本の芸人の修行しとるんやないんやで! 仏道の修行しとるんやで、敵わんな、ワッハッハッハ!」とまた笑わす。

春原さんには「比丘が人前で大笑いしたり、長話ししてはダメですよ」と駄目出しをして欲しかったところ、こんな話聞いていれば春原さんは笑ってばかりで凄く楽しそう。

「寺の様子見るのが楽しみになってきました。もちろん藤川さんも凄い真剣になるんでしょうけど、そんなギャップも見たい」と、ボクサーの試合とプライベートの違いを覗くようにビジネス魂が出る春原さん。

私が「今日、春原さんに来て頂いたのは、私の得度式の撮影をお願いしているので、なるべく撮りやすく出来るよう前もって藤川さんにお会いして頂きたかったんです。月の上旬は春原さんが忙しいので、私は10月中旬以降に寺に入って得度式は月末までにお願いするかと思います。」と藤川さんにお願いすると、
「お前、どうせ仕事も無うて暇なんやろ、10月なんて言うとらんと来月頭にでも来い!」と人のプライド傷付けるようなことを言う。しかしよく喋るなあ、アッシーへ、練習生へ、春原さんへ。「もう京都へ行ってくれ!」とは私のひとりごと。

◆最後の準備へ!

出会いから合計3時間ぐらい話し充分仲良くなった頃、春原さんはそろそろ編集部へ向かう時間です。藤川さんは娘さん夫婦が居る故郷の京都へ向かう為、我々は東京駅へ、春原さんは「今日は凄い楽しかったです。ありがとうございました。ではまたタイでお会いしましょう、お気をつけてお寺まで帰ってください」と手を振って職場へ向かわれました。藤川さんに飲み物だけ渡し新幹線に押し込み、ようやく解放。あとは10月に向け、アパートの家賃や旅の予算を蓄えに最後の準備に掛かります。藤川さんは日本滞在期間、京都で同様に友達の輪を広げていることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈14〉タイで三日坊主Part.6 藤川僧と立嶋篤史

10ヶ月ぶりの対話。藤川僧と立嶋篤史(1994.6.27)

本当に東京に来やがった藤川のオッサン。だんだん私の言葉使いが汚くなったのもこの頃から。まあ私の出家に関わるお願い参りの御奉仕であり、お付き合いはしたものの、好き勝手言うジジィに、この頃から心の中で「藤川クソジジィ」と呼んでいる私でした。まだ御本人には「藤川さん」と呼んでいましたが……。

◆ アッシーと再会!

習志野ジムに着くと中へ藤川さんを御案内。先に来てジムを開けていた、このジムでトレーナーを務めるメオパーとサッカセームレックというタイ選手2名は、さすがに信心深く跪いてワイ(合掌)をしました。やがて他の練習生や樫村謙次会長もやって来ました。前もって会長に連絡をお願いしておいたアッシーも後からジムに到着、ドアーを開け入って来ると二人はどちらがともなくニッコリ笑顔で10ヶ月ぶりとなる再会。アッシーとしてはもう忘れかかっていたかもしれないが、会うことが出来なかったタイでの試合後、そんな空間を埋めるような捲くし立てる会話が続きます。

この1年間で藤川さんはまた坊主に戻る人生の節目、アッシーはあれから5連勝中の日本ではトップの立場。もちろん本人はトップのつもりはなく最高峰へ向けてのまだ低い通過点でも、キック界は彼に注目の時期でした。“対話”を1時間ぐらい続けた二人。一般的ではないアッシー特有の立場に対する苦言や激励となる説法は何だったか、藤川さんのお店の時同様、私は居るだけでほとんど聞いてなかったですが、キック界初の“年俸1200万円”のアッシーに対し、若くしてトップにのぼった人間がその後どうやって生きていくか、そんなクドい説法をしたのかもしれません。

嫌な顔はせず笑顔も溢しながら対話を続けたアッシーくん、こんなクソ坊主に付き合ってくれて有難う。心新たに今後のキック生活に役立ってくれればいいと思いつつ写真を撮り、少し練習風景を見た後、メオパーに「今日は泊まっていけ」と誘われ、習志野ジム宿舎となる近くの2Kアパートへ移りました。明日昼近く11時頃に巣鴨で春原さんと会う予定で、私にとっては自分のアパートまで一旦帰るより、ここに泊めてもらった方が大助かり。

アパートに移動中、藤川さんが「アッシーは以前タイで話し合った時と少し感じが違ったなあ、タイで会った時の方が素直で純粋な感じを受けたんやが」。

私は「それはタイで羽目外してた時と、普段キツイ練習するジムに来るのとでは接し方が違いますよ。今日は来客者の藤川さんとの対面でもあるし、来月は試合が控えた身ですからジムに来るのは気持ちが違いますよ」。

藤川さんは「そうか、まあワシの思い過ごしならそれでいいんやが。とにかくまた落ち着いたら、また来年会うとしたらどう成長しとるか楽しみやな」。

次回はゆっくりと、再会約束もしたようでした。

初のツーショット、残念ながら俗人時代のツーショットは無い。髪ある藤川さんを撮っておけばよかった(1994.6.27)

◆ タイ人の習慣

メオパーらは夕食の準備に掛かります。なかなか器用で調理が上手いタイ風料理。藤川さんが居る前で我々の食事が用意され「ハルキもこっち来い!」と食卓に招きます。藤川さんは片隅でお茶だけ差し出されて飲みながら座って見ているだけ。
メオパーもサッカセームレックも、ここに泊まっている17歳の練習生も普通に夕食を摂ります。私はちょっと藤川さんを気にしつつも、腹減ってるので遠慮なく頂きました。

藤川さんには目もくれず、「御代わりあるぞ、いっぱい食え!」と練習生と私に勧めるメオパー。比丘がいても何も遠慮はしません。藤川さんにとってはタイでは入る機会のない“湯舟に浸かる”風呂も使わせて貰い、寝床は三畳間にひとつだけベッドがあり、メオパーはそこを藤川さんに譲りました。

翌朝、メオパーとサッカセームレックはムエタイ関連の仕事の為、アパートを出て行きます(彼らは興行ビザで来日し、試合とトレーナー業をメインに務めています)。その前にメオパーは藤川さんのベッド脇に朝食を用意し、「これから仕事に行ってきます。ごゆっくりしていってください。この先良い旅になりますように」と言ってサッカセームレックと二人でワイして仕事に向かったそうで、私はちょっと遅れて目覚めて朝食を摂る藤川さんに「おはようございます」と挨拶し、「ウン」としか言わない返答の後、そのメオパーらの様子を聞きました。

朝食後、「それに比べてお前は何や、昨晩ワシの前で堂々と飯食いやがったな、冷たいやっちゃなあ、覚えてろ、ヘッヘッヘッヘ!」と、冗談ではあるが、私を困らせるのが趣味になってきた藤川さん、意地悪いクソ坊主である。

ここに泊まっていた17歳の練習生は学生だったかアルバイトしていたか忘れましたが、この日は休日でアパートに残っていました。それをいいことにまた説法を始めた藤川さん。まだ喋り足りなくてストレス発散しているのが見え見えです。身に成る話であっても、聴かされる方は鬱陶しいことこの上ない為、長居しては彼が気の毒と察し、早々に出かける準備を済ませ、私が練習生に御礼を言って藤川さんとこのアパートを出発。

昨日のアッシーは藤川さんと言葉のキャッチボールをして対話となっていたものの、今日の17歳練習生は説法の問いかけに、「ハイ、ハイ、」とただうなずくだけ、どれだけ飽きて退屈で「いつまで続くんだろう」と思ったことだろう、ちょっとの時間ではあったが、せっかくの休日に申し訳ないことをしたなあと、私一人反省。

名トレーナーとスリーショット、左がサッカセームレック、右がメオパー(1994.6.27)

◆ 元営業マンの発想

今日がいちばん会って欲しい春原さんとの初対面。時間も若干早く、八千代台から巣鴨を通過し、池袋のビックカメラ辺りまで連れて見て周りました。

私は日頃の単なる買い物の街、藤川さんの目には「この辺の建物と土地は売るなら幾らかな!」なんて言い出す、さすが元地上げ屋の血が騒ぐ発想。しかし比丘の身で何たる発言か。

更に藤川さんは、「昔、関東大震災が起きて焼け野原になった時、この駅前周辺の土地に “この土地は○○の物”と書いた看板立てて復興前に自分の土地にしてしもうた奴が居って、いいかげんな役所の判断のまま今の池袋駅前の区画が決まったんや」と言い出す。「それ本当ですか?」と私。上岡龍太郎のウソかホントかわからん話に笑福亭鶴瓶が「そんな訳あらへんやろ!」と突っ込むようなネタに似た笑い話。

「お前ももし今度、関東大震災でこの周辺が崩壊したら真っ先にこの辺の土地に看板立てて有刺鉄線張って“ここは堀田の物”と書いて奪ってしまえ、一気に億万長者やぞ、ワッハッハッハ!」

まずこの時代の鉄筋高層ビルが建つ中、また関東大震災が起きてもそんなこと成り立たない。しかしそんな発想が浮かぶこと自体、私には無い知恵である。このジジィやっぱり凄い。

やがて11時頃に会う約束してあるワールドボクシングの春原さんと昼食を共にする為、巣鴨に戻りました。私の得度式の為、タイの寺に来て頂く訳ですが、こんな生臭坊主に春原さんはどんな駄目出しを入れてくれるのでしょう。何かワクワク感が沸いてくるのでした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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元少女の控訴審が始まる千葉18歳女性生き埋め事件 見過ごされてきた冤罪疑惑

一昨年4月、千葉県で18歳の女性が友人との些細なトラブルから畑に生き埋めにされ、殺害された事件は、センセーショナルに報道された。だが、昨年11月~今年3月に千葉地裁で行われた3人の加害者の裁判員裁判で、うち2人が「冤罪」を訴えていたことは案外知られていない。

かくいう私はこの事件について取材を重ね、2人が実際に冤罪であることを確信するに至っている。2人のうち、一審の無期懲役を不服として控訴した犯行時18歳の女A子(20)の控訴審が今月21日より始まるが、それに先立ち、見過ごされてきた冤罪疑惑を報告する。

◆加害者3人のうち2人は「冤罪」を主張

まず、事件の経緯を簡単に振り返っておく。

事件のきっかけは、被害女性が卒業アルバムの貸し借りをめぐり、元々は友人だったA子とトラブルになったことだった。裁判の認定によると、被害女性に腹を立てたA子は、肉体関係のあった男・井出裕輝(23)に相談し、金を奪って殺害する計画がまとまった。それから井出が自分の手を汚さないよう、パシリにしていた友人の男・中野翔太(22)を殺害の実行役として誘い込んだとされている。

そしてA子、井出、中野の3人は2015年4月19日、A子の友人である鉄筋工の少年(当時16。のちに少年院送致)も犯行に引き入れると、被害女性を車で監禁。そのうえで両手足を結束バンドで緊縛して暴行したり、財布などを奪ったりした挙げ句、翌20日深夜0時過ぎ、成田空港近くの畑で生き埋めにして殺害した――それが、裁判で認定されている「事実」だ。

生き埋めの実行犯である中野は、起訴内容の大半を認め、先月10日に最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。一方、井出とA子の2人は被害女性を車で監禁したり、暴力をふるったりしたのち、現場の畑に掘った穴に被害女性を入れたことまでは認めながら、生き埋めについては中野との共謀を否定。いずれも一審・千葉地裁の裁判員裁判では、この「冤罪」の主張を退けられて無期懲役判決を受けたが、現在は東京高裁に控訴中だ。

生き埋め現場の畑。事件直後は多数の畑が手向けられた

◆散見される「冤罪」と示す事実

さて、この事件については、これまで世間一般では、冤罪の疑いが全く指摘されてこなかった。かくいう私もこの事件について、冤罪の疑いを抱いたのは今年になってからのことだ。

首謀者とされる井出は、「被害女性を畑で穴に入れ、脅かすつもりだったが、殺すつもりはなかった。中野が1人で暴走して、被害女性を埋めてしまった」と主張しているのだが、いざ調べてみると、これこそが実際に事件の真相だと示す事実が散見されるのだ。

その1点目は、加害者らには、被害女性を殺さなければならない確たる動機が見当たらないことだ。何しろ、事件のきっかけとされる被害女性とA子のトラブルは、せいぜい「被害女性が共通の友人から借りた卒業アルバムを返さない」という程度のことだった。犯行の首謀者とされる井出は事件前に被害者と面識がほとんど無く、生き埋めの実行犯である中野に至っては、事件前は被害女性と会ったことすらなかったのである。

また、井出と中野は10代の頃からの付き合いだったようだが、この2人とA子は事件の数週間前に知り合ったばかりだったという。仮にA子が被害女性を殺害したいほど憎んでいたとしても、A子のために井出や中野が殺人というリスクを冒すとも考え難い。

2点目は、犯行に引き入れられた鉄筋工の少年によると、井出と中野は被害女性を監禁した車の中で「ジョン」「ケイ」と偽名で呼び合っていたということだ。この事実は、畑に掘った穴に被害女性を入れ、脅かすだけのつもりだったという井出らの主張を裏づけている。井出と中野が最初から被害女性を殺害するつもりなら、偽名で呼び合い、身元を隠す必要などないからだ。

3点目は、中野が畑に掘った穴に入れた被害女性に対し、スコップで砂をかけ、生き埋めにした際、その場にいたのは中野だけだったということだ。井出はその少し前、畑に掘った穴に入れた少女を見張っておくように中野に指示したうえ、自分は車を別の場所に駐車するためにA子や鉄筋工の少年と一緒に現場を離れていたのだ。

仮に井出やA子が元々、被害女性を生き埋めにするつもりだったなら、そんな大事なことを中野1人だけに任せ、現場を離れるというのは不自然だ。

そして4点目は、これが最も重要なポイントなのだが、中野が被害女性を生き埋めにした時のことについて、裁判で次のように証言していることだ。

「1人で見張りをしている時、掘った穴に入れていた被害者が泣き出したので、焦って砂をかけてしまったんです」

この中野の証言は、突発的な出来事に焦るあまり、予定になかった「生き埋め殺人」を独自に敢行したと認めた内容に他ならない。実を言うと中野は軽度の知的障害を有しており、合理的な行動ができないところがあるという。

にも関わらず、裁判員裁判だった一審では、井出やA子が事前に中野と被害女性を生き埋めにすることを共謀していたと認定されたのだが、すでに指摘した通り、そもそも3人には被害女性を殺害する確たる動機が見当たらない。井出やA子が被害女性を生き埋めにすることを中野と共謀していたという筋書きは、明らかに辻褄が合わないのである。

中野や井出が収容されている東京拘置所

◆実行犯が語った「真相」

私は今日まで中野や井出と面会を重ねたほか、A子とも何度か手紙のやりとりをした。その中でも実行犯である中野への取材にはとくに時間をかけたが、中野が私に語った真相は案の定というべきものだった。

今年の春、私は東京拘置所で中野と初めて面会した際、「中野さんが井出さんから『埋めろ』とか『殺せ』という指示を受けた事実はなかったんじゃないかと思っているんです」と単刀直入に告げた。すると、中野は「そういう事実はなかったですけど」と驚くほどアッサリと認め、こう続けたのだった。

「井出は僕に対し、『人を埋める場所ない?』と言っているから、アウトじゃないかと思うんですよ」

そこで私は「井出さんは中野さんに対し、そういうことを『脅かす』とか『死なない程度に埋める』くらいのつもりで言ったとは受け取れませんか?」と問いかけてみたのだが、中野は「そういう解釈はできないと思うんですけど」と言った。

一方で私が、「中野さんは裁判で、『慌てて埋めた』と言ったようですが?」と質すと、中野は「殺すつもりはなかったんです」などと言う。とまあ、中野は言うことが二転三転するのだが、決してはぐらかしているわけではなく、頭の中で事実関係を整理して話すことができないようだった。

よくよく話を聞いてみると、結局は「焦りだけで何も考えられなかったんで・・・」というのが、中野が被害女性を生き埋めにした時の心境のようだった。つまり、事前に井出やA子と生き埋めまで共謀していた事実はやはり存在しないのだ。

井出やA子は、本人たちが認めている監禁や暴力行為だけでも強い批判に値する。しかし、事実関係を見る限り、この2人が生き埋め行為については冤罪であることは動かしがたい。11月21日から始まるA子の控訴審がもしも逆転無罪という結果になれば、世間の人々はあっと驚くだろう。しかし、私はそうなっても不思議はないと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号!
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

安倍〈対米完全服従〉政権──理屈も条約も憲法も「どうでもよい」の真意

トランプと安倍が会談し、その要旨は〈①核・ミサイル開発を進める北朝鮮の政策を変えさせるため、圧力を最大限に高める、②トランプが日米間の貿易不均衡の是正を要求。安倍は経済的対話を通じて成果を出すと説明、③トランプは米国製武器の輸入拡大を求め、安倍も意欲、④安倍が提唱した「自由で開かれたインド太平洋戦略」実現に向けた協力強化で一致。中国への懸念が念頭〉の4点だったと報じられている。

◆ここに理性があるとはどうしても考えられない

トランプが来日すれば「成り上がり実業家」として、商売の話をしてゆくに違いないと多くの人が予想した通り、今回の来日でトランプが日本に迫ったのは「貿易不均衡の是正」(米国産製品をもっと買え!)と、「対北朝鮮全ての選択肢」(戦争も排除しないぞ! 戦争になったらお前ら日本も加勢しろよ!)さらにそのためにはもっと「米国の武器を買え!」との要求だった。安倍は「はいはい、わかってまんがな、親分」とトランプの命令すべてを受け入れた。

別段驚くに値しない、予定通りの「セレモニー」ではある。にしても「すべての選択肢」には明確に「武力攻撃」=「戦争」も包含される。この島国に住む多くの人は本当に「戦争」を許容するのだろうか。望んでいるのだろうか?「北朝鮮の政策を変えさせるため、圧力を最大限高める」のであれば、すでに旧友好国中国との仲も不安定になっている朝鮮が「暴発」する可能性はますます増大する。「暴発」を意図して米国をはじめとするその「友好」周辺諸国がひたすら朝鮮に対する圧力を高めることに腐心しているとしか私には思えない。ここに理性があるとは、どうしても考えられない。

 

◆かくも不可解な安倍政権の対米完全服従姿勢

「もっと武器を買え」と言われて「はいはい、その通りでございますね。幾らでも買わせていただきますわ」との「公約」を先の総選挙で安倍は一度でも口にしただろうか。日米関係は最上にして不可侵の国是だと安倍は妄信している。誰に教えを請わなくても、祖父岸信介が A級戦犯で、本来は連合国により「死刑」を執行されても不思議ではなかった身から、どうしたわけか無罪放免された。それにとどまらず最高権力者にまで、引き揚げてもらった連合国(とりわけ米国)への「恩義」が人格形成に関わっているのだろう。仮に連合国が岸に「死刑」を執行していれば(死刑制度の是非についての議論は別にして)安倍は総理ににまで登りつめることはなかったろうし、安倍のかくも不可解な、対米完全服従姿勢が生じたか、にも疑問符が付こう。

ちょっと抽象的なようだけれども、この相関性を自分に置き換えて考えてみると、あちらさんが、いかに「逆らえない」相手かを想像することができる。連合国の思惑(岸信介の放免)がなければ「今の自分はなかった」。これは安倍にとって取り去ることのできない自己規定の前提と言ってよい。

だから現実も理屈も条約も憲法も、安倍にとって実は「どうでもよい」のだろう。
私たちにとっては比類なき不幸である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

ドナルド&シンゾーが強要する「コインロッカー難民」厳重警戒社会の不快

東京駅に着くと、人混みはいつものことながら、駅のそこここで、外国人観光客に対応している駅の職員や係の姿が目に付く。揉め事の主たる原因は「コインロッカーの封鎖」だ。


◎[参考動画]“異色”補佐官イバンカ氏に熱狂 片や冷やかな海外(ANNnewsCH 2017年11月3日公開)

◆はじまりのオウム地下鉄サリン事件

あれはたしか、1995年オウム真理教の地下鉄サリン事件以降からだったのではないだろうか。一時は駅のゴミ箱が撤去された。以降、要人来日やサミット開催の時に「コインロッカー封鎖」は「あったりまえ」のように行われるようになった。

その否々(是非ではない)はともかく、私たちはもう「厳重警戒」に慣れてしまっているので、ぶったまげるほどのことではないが、事情を知らずに「運悪く」観光旅行にやってきた海外からのお客様にとって迷惑千万だろう。東京駅地下のコインロッカーコーナーには、トラブルを予想して担当者が配置されていたが、傍から見るところ海外からのお客様は英語が母国語ではなさそうで、担当者との間で意思疎通は全く成立していない模様。

大人を折り曲げたら1人入りそうな、大きな旅行鞄を2つも3つも持っての移動は想定していなかっただろうから、お客様にすればホテルへのチェックインまで「どうしてくれるのだ!」という苦情になっていたのだろう。そして残念ながらコインロッカーだけでなく、手荷預かり物所も「閉鎖」されている。

この「厳重警戒」に当たるに駅員さんや警備員さんもさぞご苦労が多いことと拝察されるし、そんなことを知らずやってきた観光客(国内外とも)には「迷惑」以外の何物でもない。


◎[参考動画]President Trump in Japan. President Donald Trump plays golf with prime minister Shinzo Abe (CHANNEL 90seconds newscom 2017年11月5日公開)

◆ドナルド来日で水かさが上がる「厳重警戒」のほうが気持ち悪いぞ!

どこぞの国のロシアの援助で当選したとの報道も絶えない大領領が来日している。首都圏の電車やバスは、年から年中「テロ特別経過中」だけれども、最近の彼らいうところの「テロ」は欧米で爆弾や銃だけでなく自動車を使うという、発想の転換による手法も用いられている。じゃあコインロッカーを封鎖しても無駄じゃないの「経済」的に損じゃないの?

東京を見回してごらんよ。

爆弾や薬物を使って「何事か」を準備している人がいるようには、さらさら見えない。そんな団体聞いたこともないし、近年起こる「凶悪事件」のほとんどは個的理由に帰結するように思えてならない。もちろん「あらゆる犯罪は社会的意味を持つ」とのテーゼは今日でも有効だとは思う。だから事件が起きてから「ああだの、こうだの」言い募ることは誰にでもできる(しかしその「ああだの、こうだの」が有効で次なる事件を事前に制止できた例は寡聞にして聞かない)。

それよりも毎年水かさが上がるこの「厳重警戒」のほうが気持ち悪く、実際に迷惑だ。偉大なる大統領さまは瑞穂の国の首相閣下と「ゴルフ」に興じられた由。夜は銀座での会食。銀座はその店だけでなく、近所が(歩道を含めて)立ち入り禁止になっていたぞ。制服警官からなんど「職務質問」受けたことだろう。まま、私たち庶民には関係のねー話でごぜーやすので、親方二人鳩首会談うまいことやってくださいなまし。


◎[参考動画]トランプ大統領来日 横田基地スピーチ Donald John Trump a visit to Japan(nbsc006 2017年11月4日公開)

◆「パナマ文書」と「パラダイス文書」──脱法資本主義と無縁の私たちの自由は?

あれこれうるさいなと思い、ちょっと不機嫌に目を覚ましたら「パラダイス文書」の文字が、朝刊1面に踊っていた。あれあれあれ。また出たぞ。「パナマ文書」はそっけないけど「パラダイス文書」はいい響きだ。

オフショアに税金逃れできる企業は一握りだよね。朝刊では、丸紅、住友商事、日本郵船・大阪ガス、三井住友火災保険、ソニー、生命保険、ソフトバンク・グループ、東京電力、KDDI、UHA味覚糖の名前があがっていた。その他総数日本関連で1056件の記載があるらしい。

コインロッカーの閉鎖に閉口している市民や旅行者。オフショアやタックスへイブン(租税回避地)とは金輪際無縁なわたしたち。ちゃんと読み解いてくれる分析者はいないものか? ロシアの核兵器はNYワシントンに向けられていて、米国ICBMもモスクワやサンクトペテルブルグに焦点を定めている。でも、そういう対立と別の水脈で(どうやらそれらは「国際金融」と呼ばれるそう)片側の大統領が誕生する。国家や資本の概念が徐々に確実に変容している。自由な個人にとっては、なんとも複雑で不快な時代である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

われわれの「いちご白書をもういちど」―― 11・12(日)同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂(児童文学作家)さん講演会へのご参集をお願いいたします! 鹿砦社代表・松岡利康

今や児童文学の世界で確かな地位を築かれた芝田勝茂さんは、私の学生時代の2年先輩にあたります。1970年代前半のことですので、遙か昔のことです。

芝田さんは1968年に同志社大学(文学部国文学専攻)に入学、この頃は、70年安保闘争、教育学園闘争華やかりし時代で、芝田さんも時代の渦に巻き込まれていきます。そうして70年に入学した私と出会い、一時期を共に過ごし、70年代初めに盛り上がった学費値上げ阻止闘争、沖縄-三里塚闘争を共に闘いました。

芝田さんは71年の三里塚闘争(成田空港反対闘争)で逮捕され、以後長い裁判闘争を強いられます。しかし、裁判と生活のために京都を離れ上京、働きながら徐々に児童文学の作品を書き始めます。そうして1981年『ドーム郡ものがたり』でデビュー、83年『虹へのさすらいの旅』で児童文芸新人賞を受賞、そして90年『ふるさとは、夏』で産経児童出版文化賞を受賞し、以降40点近くの作品を出版、児童文学作家としての地歩を固めていきます。

また、私も学費値上げ阻止闘争で逮捕-起訴され、裁判と生活に追われ、芝田さんともなし崩し的に連絡が途絶えていきました。最初の作品『ドーム郡ものがたり』の出版直後一度東京でお会いした記憶がありますが、学生時代以来会ったのはそれ一度でした。

今回、学生時代から45年、81年に一度会ってからも35年ほど経って、なにかの巡り合わせか、同志社大学が年に一度行うホームカミングデーに学友会倶楽部主催の講演会にお招きすることになり再会しました。これも運命でしょうか。

「学友会」とは、各学部自治会、サークル団体を統括する自治組織で、60年安保、70年安保という〈二つの安保闘争〉をメルクマールとして全国の学生運動、反戦運動の拠点となり、同志社大学はその不抜のラジカリズムで一時代を築いたところです。残念ながら2004年に自主解散し、かつてそこに関わった者らで作られたのが「学友会倶楽部」です。いわば親睦組織のようなものですが、かつての記録集を出版したり、5年ほど前からホームカミングデーで講演会を行っています。

芝田さんは、当時運動に関わり逮捕-起訴された者のほとんどが身バレすれば社会的に不利益を蒙り生きにくくなることからそうであったように、出身大学名や学生時代の活動なども誰にも語らず過ごして来たそうです。

今回、学生時代のことを語るのは「最初で最後」だということですが、共に一時期を過ごしたこともあり、興味津々です。われわれにとっての「いちご白書をもういちど」といえるでしょうか。

この講演会に間に合わせるべく、私なりに当時のことを書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』という300ページになる分厚い本を上梓しました。この底流となっているのは芝田さんと共に過ごした70年代初めの物語と記憶です。こちらもご購読よろしくお願いいたします。

なお、11・12芝田勝茂さん講演会ですが、入場料は無料、先着100名のご参加の方に、単行本に未収録の芝田さんの短編小説3篇を収めた小冊子を進呈いたします。貴重です(将来的にプレミアがつくかもしれません〔笑〕)。

11・12(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書

《殺人事件秘話06》松戸女子大生殺害 礼儀正しかった凶悪殺人犯の「ズレ」

社会を騒がせた凶悪殺人事件の犯人と実際に会ったり、手紙のやりとりをしてみると、案外弱々しい人物だったり、礼儀正しい人物だったりすることが少なくない。数年前に何度か手紙のやりとりをした松戸女子大生殺害事件の犯人、竪山辰美(事件当時49)もそうだった。

もっとも、竪山の場合、大変礼儀正しい印象の手紙を書いてくる一方で、ある大きな「ズレ」を感じさせる人物でもあった。

◆「凶悪犯と思われても仕方ない」

「私の人物像は凶悪というほかないように描写されても仕方ないと思います。そう思われても仕方ない事件を起こしたのですから」

これは、現在は無期懲役囚となった竪山から4年ほど前に届いた手紙の一節だ。私が「報道などでは、あなたは凶悪というほかない人物であるように描写されているが、本当はどんな人物なのか取材させて欲しい」と手紙を出したところ、当時裁判中だった竪山は返事の手紙にこんな自省的なことを書いてきたのだ。

その手紙には、丁重な取材お断りの言葉が綴られ、私が手紙をやりとりするために送った切手シートが「お返し致します」と同封されていた。正直、この律儀さには感心したが、一方で竪山が凶悪殺人犯であるのもたしかだ。

竪山は2009年10月、千葉県松戸市で千葉大学4年生のA子さん(同21)が暮らすマンションの一室に押し入り、包丁で脅して現金5千円とキャッシュカードを奪ったのち、A子さんを刺殺。さらに証拠隠滅のために部屋に火を放った。

強盗や強姦の前科があった竪山は当時、1カ月半前に服役を終えたばかり。出所後はA子さんを襲う前も強盗や強姦を繰り返していた。千葉地裁の裁判員裁判では2011年6月、「更生の可能性は著しく低い」と断じられて死刑判決を受けたが、それも当然のことだと思われた。

だが2年後、竪山は東京高裁の控訴審で、殺害された被害者が1人であることなどを根拠に無期懲役に減刑され、再び世間を驚かせる。私が竪山に取材依頼の手紙を送ったのはその頃だった。

竪山が裁判中に勾留されていた東京拘置所

◆「殺意については、冤罪という気持ち」

私は竪山が死刑を免れ、安堵しているだろうと思っていたが、手紙には冒頭のような律儀な言葉と共に裁判への不満も綴られていた。

「解剖結果の鑑定そのものが間違いであるという他の医師の鑑定書があるにもかかわらず、それを控訴審は証拠として取り上げず、証人尋問すら却下されたのです。死刑が問われる事案でありながら、あまりにもずさんな裁判であったと思っています」

竪山によると、A子さんに対して殺意はなく、誤って刺して死なせたのが真相という。そのため、控訴審判決で解剖医の鑑定を根拠に殺意を認定されたことが不満らしかった。それにしても、死刑判決に不満を言うならまだしも、死刑を回避した控訴審判決に不満を言うとは、死刑判決を望んでいた被害者遺族が聞いたら激怒するのは間違いないだろう。

その後、インターネット上で配信されていた竪山の裁判に関する記事を送ったら、この時も返事の手紙に丁寧なお礼が綴られていた。一方で、「私にしたら殺意については、冤罪という気持ちです」という恨み言が改めて綴られており、私は複雑な気持ちになった。

私はこれまで様々な凶悪事件の犯人と会ってきたが、その中に「悪人」だとしか思えないような人物はいなかった。しかし、善悪の基準が現代の一般的な日本人とズレているように思える人間はたまにいる。竪山はその代表的な人物の一人だ。

竪山に死刑が宣告された千葉地裁。その死刑判決は控訴審で破棄されたが……

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

地方から東京へ! 西日本有数の大型イベント岡山興行シリーズ

リティグライ(右)のミドルキックは読み辛い上手さがあった © 岡山ジム

過去3回、岡山ジム興行は、首都圏イベントに負けないビッグマッチを続けました。2014年9月28日、倉敷山陽ハイツ体育館で第1回興行が行われ、タイ国ラジャダムナンスタジアム認定ウェルター級タイトルマッチを開催、外国人チャンピオン、ジョイシー・イングラムジム(ブラジル)にWPMF日本ウェルター級チャンピオン.田中秀弥(RIKIX)が挑むも判定で敗れ去りました。

2015年9月20日、第2回興行では、WPMFダブル世界タイトルマッチを行ない、スーパーフェザー級で町田光(橋本)が、ミドル級でT-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺)が、WPMF世界王座奪取に成功。

2016年10月9日、第3回興行では、WPMF三大世界タイトルマッチという豪華版となって町田光(橋本)と宮元啓介(橋本)が激闘を勝ち抜き、町田は初防衛成功、宮元はWPMF世界スーパーバンタム級王座を奪取しました《翔センチャイジム(センチャイ)はWPMF世界ライト級王座奪取成らず》。

そして本年10月15日の第4回興行、メインクラスでは岩浪悠弥(橋本)と地元の女子トップファイター、白築杏奈(138 KICKBOXING CLUB)がWPMF世界王座挑戦に至り、タイ国二大殿堂のひとつ、ルンピニースタジアム王座に、勝ち上がるのは難問ながら、そのルートが敷かれるルンピニージャパン2階級王座決定戦、その他アンダーカードでは、天才児と名高い2名の安本晴翔(橋本)と中村龍登(橋本)が出場しました。

リティグライ(左)が得意のミドルキックで岩浪悠弥を攻める © 岡山ジム

前日計量は岡山・水島ジムで行われ、プロフェッショナルの部、全員が一回目の計量でパスしています。

タイから、タイ国プロムエタイ協会副総裁、WPMF副会長のブンソン・クッドマニー陸軍大佐が立会人として招聘されてのビッグイベント。ブンソン大佐はタイ国のムエタイ競技ルール、レフェリーの最高権威の方です。

◆リティグライvs岩浪悠弥

岩浪のハイキックがヒットする場面もありつつ、リティグライのタイミングいいミドルキックのヒットが主導権を支配し、完封に近い流れでフライ級に続き2階級を制覇。

◆ノーンビウvs白築杏奈

ノーンビウは初の海外試合で15歳という若さのせいか本来の動きに持っていけず、白築のムエタイ対策と闘志が上回った展開でした。白築が王座奪取。試合後、控室でノーンビウは会長である父親に思いっきり引っ叩かれており、ムエタイ特有の厳しさが現れていたようでした。ノーンビウ陣営は強く再戦を望んでいる様子でした。

白築杏奈vsノーンビウ。白築(左)の積極的な試合運びが勝利を掴む © 岡山ジム

◆翔貴vs田中将士

首相撲からパンチの激しい打ち合いの後、翔貴の強烈な右ハイキックで田中将士は頭から崩れ落ち立ち上がれず。翔貴が王座獲得。

翔貴vs田中将士。翔貴(右)が右ミドルキックで攻め、次の技へリズムを掴む © 岡山ジム

◆喜入衆vs橋本悟

第2ラウンドに橋本の右ストレートで喜入がダウン。その後、激しい打ち合いを展開しながら僅差のラウンドを支配した喜入が2-1の勝利となりました。喜入衆が王座獲得。

橋本悟vs喜入衆。僅差で勝利した喜入衆(右)、内容は激しいものだった © 岡山ジム
安本晴翔vsラムブーンチャイ。評価が高かった安本(左)の攻勢 © 岡山ジム
安本晴翔vsラムブーンチャイ。安本が勝利を掴む © 岡山ジム

◆ラムブーンチャイvs安本晴翔

ラムブーンチャイに優れたムエタイ技はあるものの、日本では評価され難い展開で、安本はパンチとローキックを何度もヒットさせるインパクトで勝機を導きました。タイ陣営は、安本の将来性を高く評価していたようです。

◆ペットコークセーンvs中村龍登

本来、パンチの強いペットコークセーンは、あまり打ち合いに行かず、速い蹴りとヒザ蹴りの上手さなどのムエタイ技で中村をいなし堅く勝利を掴みました。

◎第4回岡山ジム主催興行 / 10月15日(日)倉敷山陽ハイツ体育館11:00~
主催:岡山ジム / 認定:JAPAN KICKBOXING INNOVATION、WPMFタイ国本部
放映:11月中に倉敷ケーブルテレビにて放映予定

◆メインイベント WPMF世界スーパーフライ級王座決定戦 5回戦

リティグライ・ゲオサムリット(元・WPMF世界フライ級C/タイ/51.4kg)
     VS
挑戦者WBCムエタイ日本フライ級チャンピオン.岩浪悠弥(橋本/52.0kg)
勝者:リティグライ・ゲオサムリット / 判定3-0 (49-47. 49-48. 49-47)

マイクで師匠に感謝をアピールする白築杏奈 © 岡山ジム
中村龍登vsペットコークセーン。前蹴りで距離を取る中村(左)、自分の距離を保つのは難しかった © 岡山ジム

◆WPMF女子世界フライ級タイトルマッチ 5回戦(2分制)

チャンピオン.ノーンビウ・シットヨードシアン(タイ/50.8kg)
     VS
挑戦者.白築杏奈(NJKF女子ライトフライ級C/138 KICKBOXING CLUB/50.7kg)
勝者:白築杏奈 / 判定0-2 (49-49. 47-49. 48-49)

◆ルンピニージャパン・フェザー級王座決定戦 5回戦

1位.翔貴(岡山・水島/57.15kg)vs5位.田中将士(上州松井/56.85kg)
勝者:翔貴 / KO 1R 1:36

◆ルンピニージャパン・ウェルター級王座決定戦 5回戦

1位.喜入衆(MuayThaiOpenウェルター級C/フォルティス渋谷/66.55kg)
     VS
橋本悟(MuayThaiOpenスーパーライト級C/橋本/66.25kg)
勝者:喜入衆 / 判定2-1 (48-47. 48-50. 48-47)

◆バンタム級3回戦

ラムブーンチャイ・ゲオサムリット(タイ/53.15kg)
     VS
安本晴翔(橋本/53.52kg)
勝者:安本晴翔 / 判定0-3 (28-30. 29-30. 29-30)

◆スーパーバンタム級3回戦

ペットコークセーン・ゲオサムリット(タイ/55.0kg)
     VS
中村龍登(橋本/55.15kg)
勝者:ペットコークセーン / 判定3-0 (29-28. 30-29. 30-28)

中村龍登vsペットコークセーン。ペットコークセーン(右)が巧みな攻めで優位に立つ © 岡山ジム
立会人となったブンソン陸軍大佐の認定宣言 © 岡山ジム

◆67.0kg契約3回戦

ジン・シジュン(韓国/67.0kg)
     VS
タップロン・ハーデスワークアウト(タイ/66.6kg)
勝者:ジン・シジュン / 判定2-0 (29-29. 29-28. 30-29)

他、プロ9試合は割愛します。

プロの部の前にはアマチュア大会「SMASHERS」中国地区大会7試合が開催されています。

《取材戦記》

取材に行っていないので、情報を頂いての単なる感想になりますが、地方で行なわれるビッグイベントに、本場タイ国からブンソン・クッドマニー陸軍大佐が立会人として来日されたことは価値ある存在でしょう。こういう立会人は、実は世界戦などの重要なタイトルマッチのシンボルとなるものです。止むを得ず代理人となる場合もありますが、名のある組織管轄下でのタイトルマッチには欠かせない存在でしょう。

今回はタイから招聘された選手4名(この日の試合の為の短期来日タイ選手)は全員勝利を狙っていましたが、日本側のレベルアップもあり、侮れない存在になっていることも事実である日本側の実力です。

回を重ねる毎にイベントの成長も伺えるようで、来年は何が起こるか、地方から首都圏への挑戦が更に強まるでしょう。

※このイベントは岡山ジム広報担当・大島健太氏から頂いた情報と画像、“来日タイ側陣営”から頂いた情報と画像を引用、使用しています。画像の著作権はすべて岡山ジムとなります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

7日発売『紙の爆弾』12月号 選挙制度・原発被災者救済・米軍基地問題…総選挙で抜け落ちた重要な論点
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

大阪司法記者クラブ(と加盟社)、そして全マスコミ人に訴える! 報道人である前に人間であれ! 

11月1日、大阪司法記者クラブに鹿砦社代表として記者会見申し込みに訪れた松岡が、申し込みから実質2時間程度で”拒否”された事情は本コラム11月2日でお伝えした。松岡はこの経緯に納得できなかったので、11月2日再度同記者クラブの幹事社である朝日新聞の采澤嘉高(うねざわ・よしたか)記者に電話で尋ねた。

―――――――――――――――――――――――――――

松岡 鹿砦社松岡と申します。昨夜は失礼しました。昨夜電話いただいた時に打ち合わせ中で聞き取りにくかったこともありまして……。すみません、会見の件なのですけど、聞き違いかもしれませんが「全社一致でやらない」ということになったのですか?
采澤 そうです。
松岡 「全社一致」は加盟社が「全社一致」ということですか。
采澤 そういうことですね。
松岡 加盟社は20数社ほどありますね。
采澤 クラブにいるのは13社なんです。
松岡 13社の方が集まられて、采澤さんが説明されて「やらない」ということになったわけですね。
采澤 そうですね。どの申し入れについてもそうですね。やり方は同じです。
松岡 13社全社集まられた?
采澤 そうですね。たまにいないところもありますけど。いることになっている時間帯に呼び掛けていますので。
松岡 ある社に聞いたのですか、采澤さんが話されて質疑などはなかった。それで資料は詳しくは見ていないとおっしゃっていたのですが。
采澤 それはその方が見ていないだけであって、資料はクラブ内のホワイトボードのところにありますので、見ようと思えば誰でも見られるようになっています。もしその場で資料など見なかったにしても、あとで資料を見て、やはり会見をお願いしたいなということであれば、社によっては言ってくることもありますし、そういう流れですね。
松岡 会見しないことにするのは采澤さんの判断でなされた?
采澤 いえいえ、皆さんで集まってそういうことにしようと。私一人で判断できることではありませんので。
松岡 皆さんのご判断ですね。私としても自分の問題ですのでショックでした。しっかり調べて決めていただきたかったという気持ちはありますね。
采澤 そう思いになるのでしたら各社に個別にアプローチしかないですね。私が幹事社としてできることはもう終わってしまいましたので。どうしても希望されるのであれば各社に聞いていただくしかないとは思いますね。いただいた情報は全部提供してありますし、本も見られる状態にしてありますので。
松岡 ちなみに采澤さんご本人はこれはあまり大したことはないというご認識なんでしょうか?
采澤 いえ、大した問題か大した問題ではないかではなくて。事件1つ1つご本人にとっては大事な問題ですので、大事で大切な問題だと思っていますが「報道するような内容ではない」なと思っただけです。
松岡 例えば本をめくると最初に大学院生がリンチされた写真が出ていると思いますが。
采澤 ありますね。
松岡 あれでも「大したことはない」と。
采澤 「大したことはない」などと私は一言もお話していませんよ。そこははっきりさせておきますけど。「報道する内容ではない」と思ったということです。
松岡 それはどういう意味ですか。僕はあの写真を見て凄くショックだったので、それからこれは助けてやらなければ、思ったんだけど。M君の写真を見て(リンチの場面の録音書き起こしも一部本に収録してありますが)、あれは「報道するほどの問題ではない」というのは理解できないですね。
采澤 だから本を出しているんですね。
松岡 李信恵さんたち。他の裁判をやっている人たちがリンチにも関わっている。李信恵さんは記者会見をやられて、われわれは「報道するほどの問題ではない」と言われると、いかがなものかと思いますね。
采澤 「報道するほどの問題ではない」というか程度を低く見ているのでは一切なくて、「報道するような内容ではない」と思っているだけです。情報として重要とか重要じゃないではなくて、もう「報道するような内容ではない」と思っただけですね。
松岡 そうですか。それは残念なことですね。
―――――――――――――――――――――――――――

さすが天下の朝日新聞記者である。立て板に水の受け答えは頭脳明晰、瞬時の判断に長けている才を窺わせるが、騙されてはならない。

ヘイトスピーチと称される「言葉」により傷ついた被害者の皆さんは気の毒だ。その点李信恵が複数の提訴に踏み切った判断に取材班は、それ自体には異議もない。であるから「言葉」により傷ついた者が「報道」の目玉になるのであれば、「言葉」に加え複数人による長時間の〈暴力〉にさらされた被害者はより一層心身に傷を負っていることは当然であろう。

けれども、朝日新聞采澤記者はその被害を「報道する内容ではない」と直感し、司法記者クラブに同席する他社の記者も同意している。この判断こそマスコミが”腐った塊”に他ならないことを議論の余地なく示す。松岡が「重大ではないととらえているのか」のかと聞くと「重大ではないなどとは言っていない。重大だろう。だけれども報道する内容ではない」とサラリと言ってのける脊髄反射。ここに修復不可避な致命的論理矛盾があるのだ。

世には「マスコミ論」や「マスコミ批評」といったジャンルの学問分野や雑誌を中心とした「マスコミ・ジャーナリズム」を研究・評論・批判する人々がいる。取材班も折に触れ大手マスコミ批判に言及する。しかし、原則的に考えれば日本では「マスコミ論」、「マスコミ・ジャーナリズム」批評などは所詮そのすべてが意味のないものであることが上記のやり取りの中で凝縮的に明示されている。

マスコミは常に腐っていて、愚民観を内在しながらそれ以上の愚を無自覚に犯し続ける。「権力監視機能」などは幻想であり、一般市民よりも高度な情報や判断力を個々の記者や集合体としての新聞社、テレビ局などが常時蓄えて、それが市民に提供されるなどと考えていたら大いなる誤解だ。

マスコミは口にするのも憚られるような形容詞でしか表現できない”低俗”な娯楽(愚民化に最適な兵器)を主に、「ニュース」や「情報番組」と命名した「断片的で真実には迫らない、誤解を誘導する」情報の散布に熱を上げる。稀に真実に迫るドキュメンタリーなどを放送するが、それは視聴者に対するアリバイ作りと、組織ジャーナリズムの中にごく僅か生息する”普通”の感覚を保持している番組制作者に対する、いっときの「ガス抜き」を与えているにすぎない。優れたドキュメンタリーは、四六時中垂れ流している「娯楽」公害で「愚民化」に余念のない連中の免罪符的意味しか持たない。

われわれはマスメディア研究に重層な歴史的蓄積があることを知っている。知っていて敢えて断ずる。「今日、日本においては、いかなるマスメディア批評も批判も無効である」と。マスメディアは”腐った塊”に他ならず、”腐った塊”は、論を立て、表現を変えあれこれ論評したところで所詮は”腐った塊”でしかないのであり、詩的なノスタルジーや、実現可能性のない「期待」を抱くことなどに寸分の意味もない。

われわれ自身が「無効」と断じている「マスコミ批判」は書きたくないが、やはり言及せざるを得まい。「記者クラブ」は「Tsunami」(津波)、「Karōshi」(過労死)、同様「Kisha club」として国際的に用いられている、日本発の特異文化である。「Kisha club」についての他国研究者の研究論文は多数あるが卑近な例でいえはWikipediaに下記の記述がある

〈Institutions with a kisha club limit their press conferences to the journalists of that club, and membership rules for kisha clubs are restrictive. This limits access by domestic magazines and the foreign media, as well as freelance reporters, to the press conferences.

While similar arrangements exist in all countries, the Japanese form of this type of organization has characteristics unique to Japan, and hence the Japanese term is used in other languages.〉

(取材班訳:記者クラブは所属社以外へは固く門戸を閉ざしている。雑誌、外国メディア、フリーランスは入ることができない。同様の同意事項は他国にもあるが、日本の形態は特異であるので日本語のまま他国でもこの言葉が用いられる)

記者クラブは取材される対象と記者を癒着させ、緊張関係を奪ってしまう機能を果たす。総理官邸で行われる記者会見の様子を読者もご覧になったことがあるだろう。大勢の記者はひたすらパソコンに発言を打ち込む”速度競争”のために両手をキーボードの上で躍らせるだけで、核心を突く質問など出ない。記者クラブは”報道カルテル”と言い換えてもよく、”情報の談合”が行われる場所でもあり、所属すると必然的に記者としての素養が〈堕落〉してゆく役割も担う。末端で堕落した(させられた)記者が動き回る社のトップは定期的に安倍と会食を共にする。マスメディアに「腐るな」というほうが無理なのだ。

そうでない、との反論があるのであれば11月1日、2日に鹿砦社が直面した〈排除〉について整合性を持ち弁明してもらわなければならない。采沢記者の「報道する内容ではない」との即断とそれに全く議論の起こらない大阪司法記者クラブ。不条理ではあるが異常ではない。これが記者クラブマスメディアの真髄、そこに居る記者の誰ひとりとして不条理とは感じない。

そのような人間が集め、加工した情報だけがマスメディアから流布される。賢明な読者諸氏はもうお気づきであろう。ことの深刻さはM君や鹿砦社排除にとどまらない。われわれの日常すべてが、恣意的に加工された情報ばかりに囲まれている。「そんなもんでしょう」と、習い性である異常を微塵も感じず開き直る報道現場の人間たちの弁明には磨きがかかる。彼らが無意識に”愚民観”を隠し味に加え流布する情報に日々低線量被曝のように洗脳される人々。その終着駅にはどんな光景が広がっているだろうか。誰が喜ぶ社会だろうか。右も左もなく「しばき隊」などは情報商品としてつとに消費され尽くし、ごみ箱の中にすら記憶としても残滓はないであろう。

ヘイトスピーチも同様だ。何度繰り返すがわれわれは差別には絶対に反対する。表出する差別は当然反対だが、差別は心の中にも宿る。表出する差別を無理やり抑えれば、より一層陰湿な差別が形を変え弱者を痛めつけのではないか。無責任なマスコミはもう暫くすればヘイトスピーチなどなかったかのように、全く報道しなくなるに違いない。

われわれは「M君リンチ事件」や「鹿砦社排除」を極めて強く注視する。同時にその視線の先には誰しもが無縁ではありえない規格外の破綻が待ち受けていることを予感する。「しばき隊」諸君も含めて。

われわれは、M君のリンチ直後の顔写真を見て、それが「差別」に反対し「人権」を守ると嘯く者ら(李信恵被告ら)によってなされたという冷厳な〈事実〉に対し、人間の感覚を失くし無感覚になった大阪司法記者クラブ(と加盟社)、と共に全マスコミ人に訴えたい! 報道人である前に人間であれ! と。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)