元五輪選手が内閣府に東京五輪について問い合わせたら、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室担当者から驚きの発言が! 田所敏夫

地方在住のK氏は、ご自身がオリンピック出場経験を持つ。長年熱心にスポーツ指導に当たっている方だ。マイナー競技のため、もともと練習環境が良いとは言えず、コロナ禍においてはもちろん特別な優遇を受けることもない。K氏は元々オリンピック選手育成を目標の一つに活動を続けられてこられた方である。つまりわたしのような「五輪反対」論者ではない。

しかし、1年以上感染予防対策を厳守しながら、地道な練習指導が余儀なくされるなか、K氏は選手や家族、地域の方々の健康を守ることが最重要と考え、指導を続けてきたが、コロナ感染拡大下での、オリンピックの強行開催に疑問を抱き始めたという。ちなみにK氏が五輪に出場した時代は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)がまだ治療薬も発見されていない時代で、細かな注意が与えられた記憶があるという。

五輪開催が現実となりつつあり、政府の対応に疑問がわいたK氏は、直接政府に意見を述べようと、頻繁に目にする感染防止の広告に記載されていた『内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室』に電話をかけて自らの思いを伝えた。

このやり取りは、録音を含め匿名を条件にK氏からご提供いただいたものを、わたしの文責でまとめたものだ。元の会話は20分を超えるが、中心点だけをまとめた。会話節々に見られる、担当者の逡巡と、本音。そして担当者の最後の発言に注目していただきたい。

◆オリンピックはこのままやるんですか?

K氏 今はコロナが大変ですよね。インターネットに内閣官房の「コロナに気を付けましょう」という広告が出てくるので、確かにそうだなと見ているのですが、一方で、オリンピックはこのままやるんですか?

内閣官房 私の知っている範囲では、そういうふうに報道されていると思います。

(K氏が地方に住んでいるけれど、気を緩めずに感染予防対策を守っていることを説明)

K氏 オリンピックはやるんですか?

内閣官房 私は内閣官房の新型コロナ感染症対策を進める部署にいるので、オリパラをどういうふうに開催するかを決定する部署とは別の部署です。私も報道ベースでしか存じ上げないのですが、現時点では残念ながら開催されるということは知っているというところです。

K氏 今「残念ながら」とおっしゃいましたけれども、感染対策をしていらっしゃる方からすれば、日本の中でも「動かないで」と言っているのに、海外から10万人も来たらコントロールできますか。

内閣官房 個人的な見解ですけれども、なかなか難しいと思います。(略)

◆病気に役所の垣根は関係ありません

内閣官房 我々はオリパラの直接的な対策を主唱している部署ではなく、水際対策でしたら厚労省さん中心、オリパラの具体的な運営は丸川大臣のところとなっています。

K氏 お役所的にはお仕事の分け方があると思いますが、病気に役所の垣根は関係ありませんので、病気が増えてきた時には、結局対応しなきゃいけない人がしなくてはいけなくなるのではないでしょうか。今電話に出ていただいている方がなさっていることがおかしいと言っているわけではないんです。政策というのは、基本は同じところを向いていなかったら一生懸命やっていたって、それが成立しないのではないでしょうか。特に感染症で私たちが知らないような体験をしているわけで、それを従来通りの「自分の仕事はここまで」とか「自分の職掌はここまで」と、みんなが言っていたら、結局最後は誰も責任を取れなくて大変なことになってしまうということになりませんか。

内閣官房 おっしゃる通りかと思います。

K氏 かと言って、内閣府にお勤めの方は、内閣府のお仕事の範囲でしかできないことはわかります。お役所に勤めている方の厳しさはわかるんですけど、建前でどうにもならないところまで来ていませんか。やめた方がいいと思います、こんな時にオリンピックなんて。感染予防から見たら、オリンピックなんて言語道断ですよ。(略)

◆示しがつかないと思います。運動会などもできない状況ですから

K氏 感染広げたら人の命に関わるかもしれないという意識をもって生活してるんです。家の近所のお店もいっぱい潰れてますよ。その片一方でこれからオリンピックやるって「狂ってる」と思います。「狂っている」という言葉に同意してくださいというわけではないですけれど、感染予防ということから言ったら一生懸命お仕事なさっているところの筋と違いますよね。

内閣官房 私は、政治家の方々が決めたことを粛々とやっていくというのが公務員の立場なので、あまりとがった意見を申し上げられないのですが、個人的にはおっしゃる通りだと思います。示しがつかないと思います。運動会などもできない状況ですから。

K氏 ええ、運動会も盆踊りもみんなやめているわけですよ。それらをやめているのに、昔の東京オリンピックの時と時代も状況も違うのに、普段よそから人を入れないよとやっているのに、世界的にもデルタ株が広がってきているのに。イスラエルがマスク着用の義務をまた復活したでしょ。屋内だけでなく屋外も着用義務を始めましたよね。イスラエルって成人ほとんどがファイザーのワクチンを打ってるわけですから、ワクチンが効かなかったということでしょう。

内閣官房 はい。

◆私もどうかと思います……

K氏 日本は65歳未満の一般の人でワクチンを打ってる人は少ないと思います。ワクチンが効くかどうかもわかりませんが、そこへ人がドッと入ってきたら感染がバーッと広がるのは、火を見るより明らかだと思うんです。予見できない災害というものはありますが、オリンピックで人がたくさんやってこられるということは、素人が見ても「絶対爆発するな」と予見できるわけです。内閣府の感染予防の担当の方からご覧になっても多分それは共有していただけるんじゃないかなと思うんです。

内閣官房 はい。

K氏 何かおかしいですよね。

内閣官房 そうですね。おっしゃる通りだと思います、個人的には。

K氏 お忙しい電話に出ていただいている方にこれ以上私の気持ちをぶつけても申し訳ない。一生懸命なさっているのに。

内閣官房 いえいえ、改めまして感染症対策に日頃から熱心に取り組んでいただいているということが、このお電話を通してよく理解できました。最近はマスクをしないで歩いている方も見かけるので、そういう中でも熱心に取り組んでいただいてありがとうございます。

K氏 お忙しいのに長い時間ありがとうございました。こういうことをちょっとわかっていただきたくて。

内閣官房 個人的にはよくわかります。私もどうかと思います。ぜひ有権者の方々にはしかるべきところに投票していただきたい、本当にそう思います。

K氏 ありがとうございました。

◆「ぜひ有権者の方々にはしかるべきところに投票していただきたい」

「ぜひ有権者の方々にはしかるべきところに投票していただきたい」録音を何度も聞き直したが、担当者は明確にそう発言している。「しかるべきところ」に投票行動が行われていたら、こんな事態にはならなかった、あるいは「こんな事態を招いた政権ではないところに投票してほしい」と理解するのが妥当だろう。貴重な音源を提供してくださったK氏に、深く感謝するとともに、「崩壊したダム状態」であるこの国の現状を再度直視したい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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東京五輪強行開催で引き起こされる事態 ── 国民の生命危機への責任が菅政権を襲う 横山茂彦

国民の8割近くが「延期」か「中止」を求めている東京オリンピック・パラリンピックは、無観客(1都3県)で強行開催されることになった。今からでも遅くない、コロナ禍で国民をパンデミックにさらす五輪を中止せよという声は少なくない。

だがこの至極当然で正当な声も、政治の原理と資本の運動の前には通じないであろう。オリンピックが「平和の祭典」、あるいは「人類のスポーツの賛歌」であるとする大義名分の実質が、国威高揚の政治的な場であり巨大ビジネスイベントである以上、世界資本主義(グローバル経済)の存立の一端を揺るがすには至らないのだ。

それは、ぼったくり男爵と呼ばれる人や、五輪貴族と言われる人々の利権が個人的なものではなく、資本の国際的なネットワークの中にあるからだ。

そこで、われわれは単に中止を訴えるだけではなく、オリンピックの理念がいかに歪められ、平和の祭典の名のもとに一部の人間たちが利権をむさぼっているかを、本通信で明らかにしてきた。

講道館の創始者の名前を冠にした財団を隠れ蓑に、膨大な資金が闇に消えていることを、JOCの経理部長の自殺は示唆している。この犠牲者の死を無駄にしないために、ジャーナリズムは巨悪を探り出すのでなければならない。

◎嘉納治五郎財団の闇 犠牲者があばく収賄劇 ── 追い詰められた菅義偉の東京オリンピック(2021年6月15日)

◎会見で何も語らなかった竹田JOC会長の贈賄疑惑が日仏外交問題に発展する日(2019年1月24日)

五輪にかかわる国内企業のなかでも、スポンサーではなく寄生虫のように利権をむさぼっている会社がある。一日数万円という高額の日当を設定しておき、そこかに安価な非正規の労働力をあっ旋することで、中抜きをしているのではないか。その企業のトップは、自民党政権に強力な影響力を持っている男なのだ。この男が経営者として中抜きをしているかぎり、日本の若い世代は希望のない人生を送るしかないであろう。

◎やはり竹中平蔵は「政商」である──東京五輪に寄生するパソナのトンデモ中抜き(2021年6月5日)

そもそも、スポーツの秋に開かれない、真夏のオリンピック・パラリンピックとは何なのだろうか? マラソン走者は完走後にかならず「もどす」という。このアスリートの体調が悪化する異常なレースは、CBSをはじめとする全米放送ネットワークをはじめとするコマーシャルのためのものなのである。

オリンピックに出場するアスリートたちは「オリンピアン」「メダリスト」という称号を獲得するために、選手生命を縮めなければならないのだ。健康をも度外視した競技をスポーツといえるのだろうか。

◎アスリートに敬意がない真夏の炎天下オリンピックマラソン 視聴率のために選手を犠牲にしていいのか(2019年10月4日)

無内容に感情的、情緒的な反対論を唱えたところで、現在の歪められた五輪を批判することにはならない。

あえてオリンピックの原点に立ち返り、商業主義や国家主義(ナショナリズム)を排するものにする。少なくとも近代五輪の精神である「参加することに意義がある」(クーベルタン男爵)を復活することこそ、人類にとってスポーツが生存する上での本能的(生理的)なテーマであり、スポーツマンシップという競技者・競争者を讃える平和の精神の獲得につながる。この理想をもって語るとき、はじめて歪められた五輪を糺すことができるのだ。

◎やっぱりオリンピックは政治ショーだった(2018年2月15日)

専門家の予測によると、8月には東京都のコロナ新規感染者が2000人をこえるとされている。札幌で開かれたマラソンのテストレースでは、県当局の声援を遠慮してほしいとの呼びかけにもかかわらず、沿道は応援客で埋まった。

大規模施設は無観客(小規模では有観客という謎)としながらも、上述した五輪貴族たちは1万人が開会式に詰めかけるという。無観客・テレビ視聴せよという、ほとんど日本で開催する意味のない大会になったいっぽうで、利権をあさる「関係者」たちは新国立競技場の客席を埋める予定なのだ。

この光景を観て、われわれ日本人はアメリカ資本および五輪利権者たちに屈従する、わが国の現状に愕然とするであろう。いみじくも菅総理は、50数年前の記憶(東京五輪でのバレーボールや柔道)を、いまの少年少女たちにも見せたいと語った。2021年五輪はしかし、日本人の屈辱の記憶となる可能性が高い。それも競技においてではなく、主催者でありながら日本人客が参加できないという開催形式においてなのだ。

◆感染者を隠ぺいする

このかん五輪組織委員会は、ウガンダ選手団の飛行機同乗者、フランスの大会関係者、エジプト、ガーナ、スリランカ、セルビアの選手が感染していたことを隠ぺいしてきた。そればかりではない。なんと、選手村に勤務する職員が感染していたことを隠ぺいしていたのだ。しかもその職員たちは集団で飲食していたことが明らかになった。

いや、個々の選手が不注意なのではない。職員が単に飲食することが悪いのではない。コロナウイルスの猛威が収まらず、ワクチンの手配がままならない(失政であろう)なかで、感染者が出るのは当たり前というべきであろう。そんな状況で、人々の密を生み出す世界的なイベントを強行することにこそ、責任がある。それはすでに「政治責任」であると指摘しておこう。

いよいよ秒読みに入った、オリンピック・パラリンピック開催。時々刻々と、その強硬策がもたらす災禍、およびその政治責任を報じていくことを約束しよう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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《スクープ》IOCのバッハ会長は、広島には呼ばれていない! 田所敏夫

◆橋本聖子・大会組織委会長の言う「広島と長崎から平和のメッセージを発信してほしいという依頼を地元からいただいている」は本当か?

7月9日付けデイリースポーツによれば、「感染拡大が続く中で、前日(7月8日)に来日したバッハ会長は16日に広島を、コーツ調整委員長が長崎を訪問する予定となっており、東京からの移動することなどに批判が集まっている。橋本(聖子)会長は『根本原則は平和。被爆国である日本が、広島と長崎から平和のメッセージを発信してほしいという依頼を地元からいただいている』と強調した」という。

さて、橋本会長の言う「広島と長崎から平和のメッセージを発信してほしいという依頼を地元からいただいている」は本当だろうか。7月9日午後、広島市役所に電話取材を行ったところ「市としてIOCバッハ会長の招聘をしている事実はないので、県に問い合わせてほしい」と県の「平和担当プロジェクトチーム」をご紹介いただけた。早速同部署に電話で取材すると担当者からは以下の通り回答を得た。

◆バッハ会長から直接広島来訪の要請はなかった?

田所  橋本聖子五輪組織委員会の会長が、広島から招聘されたのでIOCのバッハ会長は広島訪問の調整をしていると一部で報道されていますが、IOC会長のバッハさんに広島県は広島訪問を要請なさっているのでしょうか?

担当者 従来からバッハ会長が広島を訪問したい、という意向は伺っておりましたので、時間があれば広島にお越しいただきたい、ということはお願いしてきました。

田所  従来というのはいつごろからですか?

担当者 オリンピックに向けて2020年開始の予定でしたが、その聖火リレーの前にも『広島に行きたい』というお話を伺がった記憶があります。

田所  東京五輪の招致が決まったのは2013年です。2013年からあまり遠くない時期からIOC会長が広島訪問の意向があった、ということでしょうか?

担当者 いえ、2020年に近くなってからだと思います。

田所  4、5年前ではなく、昨年は延期されましたが、昨年近くになって『広島を訪問したい』という意向が示されたわけですね?

担当者 直接要請されたわけではなく、そういう要望をお持ちであると報道を通じて聞いていましたので……。

田所  バッハ氏から直接広島来訪の要請はなかったわけですね?

担当者 直接はなかったです。

◆バッハ会長はいつごろ広島訪問の準備をしていたのか?

田所  去年も広島県はご準備なさっていたのでしょうか?

担当者 去年は準備の段階にもいかないところで、『五輪延期』となりましたので、準備をしていたわけではありません。

田所  昨年はそれぐらいぎりぎりのタイミングだったのですね。今年はどうだったのでしょうか?

担当者 今年は5月に聖火リレーがありまして、その頃に『会長は広島に行きたがっている』ということを伺っていたものですから。

田所  ちょっと待ってください。『調整している』というのは広島県の方がバッハ氏を招聘するのではなく、IOCがバッハ氏のスケジュールを調整している、ということですね?

担当者 そうです。

田所  いま、また東京には『緊急事態宣言』が出ていますがバッハ会長は東京から広島にはいつごろ訪問の準備をなさっていますか?

担当者 先月IOCが発表されたのは7月16日に広島に来られる予定で調整中と伺っておりますので。

田所  16日というのは『広島が来てください』と招聘したのではなく、IOCが日程調整中という意味ですね?

担当者 広島側としてもバッハ会長の意向を受けて『是非広島に来てください』とはお願いしております。

田所  『バッハさんの意向を受けて』ということですね。広島側からバッハ会長に『広島に来てください』というアクションが最初にあったわけではない、ということですね?

担当者 そうです。

◆橋本聖子組織委会長が語っていたことはほぼ嘘だった

つまりIOC会長という「権力の椅子」に座った人間に意向は、日本政府はもちろんのこと、広島県には「無言で圧力」をかけていたのだ。これほど被爆者として屈辱的なことはない。

橋本聖子組織委会長が、口から出まかせに語っていたことはほぼ嘘だったのだ。地元広島県には「もう少し毅然とした態度」を期待したいと、思わぬでもないけれども、結局自分で「暴く」しかないのであろう。

薄ら寒い2021年7月だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号
『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

私たちには忘れられない日がある! 〈7・12〉、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧から16年に思うこと 鹿砦社代表 松岡利康

今から16年前の2005年7月12日早朝、母親が新聞を持って血相を変え、私が目覚めようとしているところにやって来て、「あんたが逮捕されるみたいよ」と言い、眠気眼で朝日新聞朝刊の一面トップを見ると「出版社社長に逮捕状」の文字が躍っています。と、神戸地検特別刑事部の一群が、甲子園球場の近くに在る私の自宅を襲いました。家宅捜索が始まりました。

おそらく、メディアのカメラが林立し多くの記者らが取り囲んだ家宅捜索の異様な光景を見た人は驚いたことでしょう。自分の逮捕を新聞で知るという、笑うに笑えない経験をしましたが、これから悪夢の日々が続くことになります。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊
松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊
[右]勾留が長引き、無念の事務所撤去。相互支援の関係にあった西宮冷蔵の方々が引き受けてくれた。荷物は同社の倉庫に保管された。[左]「日々決戦」の額が床に……
松岡が192日間勾留された神戸拘置所

◆神戸地検と朝日新聞が仕組んだ茶番劇

元検事の話では「風を吹かせる」という言葉があるそうです。検察が特定のマスコミにリークし世間を驚かせ話題にするということのようです。

しかし、私たちの出版社のような地方小出版社に、一面トップを飾るほどの値打ちがあるのかと思うのですが、刑事告訴した者、検察権力、朝日新聞などに思惑があり、それが一致したということでしょう。刑事告訴した警察癒着企業(旧アルゼ、阪神球団)の強いプッシュがあったことが窺えます。

当時のアルゼの社長は警察キャリアでした。アルゼはパチンコ・パチスロメーカー大手のジャスダック上場企業、阪神球団も、あまり知られてはいませんが、兵庫県警の暴対幹部から下部警官まで多くの警察出身者の天下り企業でした。

逮捕後、192日間という予想以上の長期勾留で身体的、精神的にも参りました。逮捕されたのは7月、保釈されたのは翌年の1月20日でした。このかん、本社は閉鎖・撤退を余儀なくされましたが、ただ一人残った中川志大(現在取締役編集長)の踏ん張りで“徳俵”に足を残すことができました。

松岡逮捕直後、『噂の眞相』岡留安則編集長(故人)が吼えた! 『週刊朝日』2005年7月29日号
神戸拘置所が在る神戸市北区ひよどり台を解説する10月31日付け朝日の記事。偶然に勾留中に掲載
松岡は神戸拘置所で年を越し、保釈されたのは2006年1月20日だった

◆「人質司法」は今も変わらない

「人質司法」の弊害は当時から指摘されていましたが、16年経った今でも変わっていません。容疑を認めなければ釈放されることはありません。認めたら認めたで、釈放はされますが、裁判では不利になります。

私は公判ごとに3度保釈請求を行いましたが、ことごとく却下、一番ショックだったのは12月の公判後の保釈請求が却下になったことで、これで拘置所で越年し正月を迎えることが決定したからです。理由は「証拠隠滅の恐れ」です。

最近、カルロス・ゴーンの弁護人の高野隆弁護士の、その名もずばり、『人質司法』という本が出版されましたが、裁判所が「人権の砦」だというのであれば、こんな反人権的で人間を身体的、精神的に痛めつけ追い込む「人質司法」は改善すべきでしょう。

[右]一審神戸地裁は、懲役1年2月、執行猶予4年の有罪判決を下した(毎日新聞2006年7月4日夕刊)。[左]同じ裁判長は同じ週に明石・砂浜陥没事故で行政に無罪判決、高裁で差し戻され誤判が確定(朝日新聞7月8日朝刊)
7月4日松岡一審判決当日のテレビ画像。右は佐野裁判長の画像と“名言”
神戸地検と連携し大々的な”官製スクープ”を展開した朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者

◆神戸地検と連携し“官製スクープ”を展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は私との面談を拒否するな!

本件“官製スクープ”を神戸地検と連携し展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は、その後一時中国瀋陽支局長を務めた後(10周年の際、意見を聞こうと探し回ったところ中国に渡っていました)、大阪社会部司法担当キャップに就いています。

昨年、15周年ということで何度も面談を申し込んでも、逃げ回っています。私は当事者中の当事者ですよ、あの“官製スクープ”で会社も壊滅的打撃を蒙り、私自身も192日も勾留され有罪判決も受けました。

15年経ち私怨も遺恨もありません。ただ、“官製スクープ”の裏側を直接聞ければいいだけです。

日本を代表する大手メディアのジャーナリストなら、堂々と会い、私と対話せよ! 私の言っていることは間違っていますか?

日本で活動する外国人記者の関心も大きく、招かれて外国人記者クラブで会見

◆私たちを地獄に落とした者らの不幸と教訓

アルゼ(現ユニバーサル)創業者オーナー岡田和生、海外で逮捕を報じるロイター電子版2018年8月6日号

私たちを地獄に落とした者、旧アルゼの社長・阿南一成、同創業者オーナー岡田和生、神戸地検特別刑事部長・大坪弘道、同主任検事・宮本健志……「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以ですが、その後、再起不能なまでのどん底に落ちています。

16年前、社会的地位も名声も、私などと比較するまでもありませんでした。

「因果応報」──人をハメたものは必ずハメられるということでしょうか。

保釈された後、刑事(懲役1年2月、執行猶予4年の有罪)、民事(600万円の賠償金)共に裁判闘争を闘いましたが、最終的に敗訴が確定しました。特に民事で、一審300万円の賠償金が控訴審で600万円に倍増したことはショックでした。刑事で有罪判決が出ていましたので、これを見て民事の控訴審判決を下したとしか思えません(刑事と民事は別というのはウソです)。

しかし、私たちは、それでも残ったライターさんや印刷所など取引先のご支援により、奇跡的ともいえる再起を勝ち取ることができました。ともかく一所懸命でした。

ちなみに、神戸地検は製本所(埼玉)や倉庫(埼玉)、取次会社、関西の大手書店などを訪れ事情聴取を行っています。ふだん「言論・出版の自由」を声高に叫ぶ取次会社には頑と拒否して欲しかったのですが、協力に応じ資料も提出しています。

一方、阿南、岡田、大坪、宮本らは、栄華に酔い、裏でよからぬことを企てていたのでしょう、不思議と次々とスキャンダルに見舞われ事件に巻き込まれ、地位も名声も失い再起不能な状態にまでになっています。お天道様はお見透しです。

阿南一成アルゼ社長(左)、社会的問題企業との不適切な関係で辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。この直後の1月20日、松岡が保釈された
岡田、ユニバーサルから追放。『週刊ポスト』2019年3月18日号
松岡に手錠を掛けた神戸地検・宮本健志主任検事、栄転先で不祥事、降格・戒告処分。徳島新聞2008年3月26日付け
神戸地検特別刑事部長として鹿砦社弾圧を指揮した大坪弘道検事の逮捕を報じる2010年10月2日付け朝日新聞

ところで、私たちはここ5年余り、「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」の被害者支援と真相究明に関わってきました。リンチ被害者M君が加害者らを訴えた訴訟はすべて終結しました。当社関係では来る7月27日に対李信恵訴訟控訴審判決を迎えます(もう1件係争中)。どれも満足のいく判決内容ではありませんし、被害者M君は満足のいく賠償金も得られず、大学院博士課程を修了しながらも希望に沿わない仕事で糊口をしのいでいます。他方加害者の一人、李信恵は法務局関係や行政などにも招かれ講演三昧―─なにかおかしくはないですか? M君がかわいそうです。

しかし、「鹿砦社事件」といわれる、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧で、あれだけペシャンコにされても、自分で言うのも僭越ですが、愚直に頑張ったことは確かです。愚直に頑張っていれば、必ず報われることを思い知りました。一方で事件を画策した者らは上述したとおりです。弾圧は苦しかったけれど、この事件で得た最大の教訓です。

つまり、今は李信恵らは、リンチ事件を大手マスコミの力を得て乗り切り、「反差別」運動の旗手のように栄華に酔っています。私にしろM君にしろ、悔しいですが、社会的地位も名声も李信恵には及びません。私が法務局関係や行政などに招かれ講演することなどありません。

しかし、鍍金はいつか必ず剥げます。あれだけ卑劣で凄惨なリンチに関わった者が、大手を振って、まことしやかに講演するなどということは、常識から言って考えられませんし、あってはならないことです。

今こそ鹿砦社の雑誌‼

格闘群雄伝〈20〉少白竜──二つの時代を戦い、リングに立ち続ける男!

◆第一次全日本キック時代

少白竜(=田中正一/元・全日本バンタム級1位/1962年3月9日、神奈川県平塚市出身)は、戦績を37戦18勝(18KO)17敗2分とする、5回戦ではラストラウンド終了のゴングを聞いたことが無かった。アグレッシブに攻めるがスタミナ切れで負けるパターンは多く、勝っても負けても早い回のKO決着必至の男だった。

再デビュー戦で水越文雄と対戦。旧・全日本キック経験者同士(1989年9月24日)

少白竜というリングネームはデビュー戦前の予定表を見て「これ誰だろう?」と思ったら自分だったという少白竜。当時のジムのトレーナーが付けたもので、合気道の創始者、植芝盛平師範から由来するものという。

現役を引退して数年後に再起する選手は何人も存在するが、少白竜は昭和50年代の全日本キックボクシング協会と平成の全日本キックボクシング連盟で戦い、その中間を跨いだ選手である。

キックボクシングを始める切っ掛けは高校一年の時、ブルース・リーや空手バカ一代を見た影響で格闘技に興味を持ち、少年マガジンの「紅のチャレンジャー」という漫画でキックボクシングに憧れ、伊勢原市にあった萩原ジムに入門。

1978年(昭和53年)2月10日、ライセンス制度も確立しない時代で、16歳になる1ヶ月前のデビューだった。1年半で5連続ノックアウト勝利を含め10戦程すると、すでに注目を集め、全日本フェザー級3位にランクされていた。

ランカーらは殺伐とした時代に合ったパンチパーマや強面が多かった。少白竜は内向的ながら、強面猛者達に初回から猛攻をかけ、とても内向的とは思えないという周囲の評判だった。

そんな強面の中では、高樫辰征(みなみ)に1ラウンドKO負け。小池忍(渡辺)には1ラウンドに2度ノックダウンを奪いながら、転んだところを蹴られて負傷TKO負け。甲斐栄二(仙台青葉)とはライト級で2ラウンドにパンチ強打で倒されるKO負け。

1981年元日には酒寄晃(渡辺)の持つ全日本フェザー級王座に初挑戦。さすがに50戦を超える獰猛なゴリラみたいなベテランの強打に屈した。

「酒寄さんはとにかく強かった。パンチ避けられたと思ったら、素早く違うとことから蹴られ重いパンチでわずか2分あまりで倒されました!」というが、この時点でまだ18歳。この先が有望視されるのは当然だった。

少白竜は後列左から2番目。赤土公彦を倒したことで年間最優秀殊勲賞獲得(1992年1月25日)
[写真左]赤土公彦と2度目の対戦。少白竜はやっぱりラッシュも同じ手は食わない赤土(1992年1月25日)/[写真右]交流戦で、時代の流れを感じさせる室戸みさき戦(1992年3月28日)
成長著しい東海太郎(=川野辺顕啓)のセコンドに付く少白竜(1992年11月21日)

◆目指す方向の違いとブランク

しかし、この年の竜馬暁(我孫子)戦でKO負けした際、胸にパンチ貰ってから咳が止まらず試合後入院。思わぬ肺結核に罹っていた為、長期休養を余儀なくされた。幸い安静にするだけで短期で完治したが、体重はかなり落ち込み、パワー不足で引退を決意。しかし再起が不可能ではなく、当時の全日本キックボクシング協会が低迷を脱する計画でマーシャルアーツ(全米プロ空手)化してしまい、方向性が変わったことでモチベーション低下したことが一番の要因だった。

たまたま引退前にはそのマーシャルアーツルール試合は2度経験していた。韓国選手欠場による代打出場での翼五郎(正武館)戦は、1ラウンド2分制の6回戦。ヒジ打ちヒザ蹴り禁止で、腰から上に8本以上蹴らないと段階的に減点で、パンタロン風ロングパンツを穿くシステム。ルールに関係なく乱打戦になると思われたとおり、パンチでノックダウン取って取られての判定、ルールが影響したが、少白竜にとって珍しく引分けた試合だった。

韓国に遠征した試合では、行ってみればWKA東洋フェザー級王座決定戦。李子炯に、これこそ慣れぬルールに阻まれKO負け。目指したキックボクシングを戦えぬ引退後は業界と疎遠になり、トラック運転手で一般社会に溶け込む生活を7年過ごしていた。

[写真左]新開実と対峙。中央のレフェリーは山中敦雄氏(1993年1月17日)/[写真右]一度倒している新開実には倒されてラストファイトとなった少白竜(1993年1月17日)
最後の試合となった新開実戦へのリングイン(1993年1月17日)

◆第二次全日本キック時代

1989年(平成元年)1月、萩原ジムを引き継いでいた東京町田金子ジムから「今度ウチの選手の指導に来てよ!」と金子修会長から誘われ、久々にキックボクシングの匂いに誘われジムを訪れた少白竜は、地元近くの伊勢原市に谷山ジムがあることを聞き、後に谷山ジムに素人のフリしてさりげなく見学に訪れた。

それでも何となく格闘技経験者のオーラは分かるもの。谷山歳於会長に「昔、何か格闘技やってたの?」と聞かれたことで昔話が弾み、家が近いこともあり早速コーチを頼まれてしまった。

だが、その3ヶ月後の7月には、後楽園ホールのリングに上がっていた。練習生より動きが良く、スパーリングでも3回戦選手に負けなかったことから谷山会長に「一回でいいから試合に出てくれないか!」と言われて「一回だけですよ!」と約束して、以前よりウェイトは落ちていたが、無駄なぜい肉の無いバンタム級での再起となった。

その聖竜(武州信長)戦では打ち合いに挑む姿は以前と変わらずも2ラウンドKO負け。すると悔しさから「もう一丁!」と申し出て2ヶ月後、水越文雄(東京町田金子)と対戦。これもKO負けながら勘は戻りつつあった。

翌年1月、元・チャンピオンの亀山二郎(正心館)をパンチとヒジ打ちで初回に豪快KO勝利。1990年7月、チューテン・シッサハパン(タイ)にはヒジ打ちで倒される敗戦も動きは全盛期に戻っていた頃だった。

1991年4月には世代も代わった若い新開実(岩本)を1ラウンドKO勝利。同年9月には全日本フライ級チャンピオンの赤土公彦(ニシカワ)とノンタイトルで対戦。長期王座に君臨する赤土公彦と戦えることに光栄に感じ、これをラストファイトと決めての一戦だった。だが開始からアッパーを強烈にヒットさせて猛ラッシュ。スリーノックダウンを奪って初回KO勝ちのベストファイトと言える内容。これで完全燃焼と思っていたところが、この結果で周囲の期待も高まると次はタイトルマッチを組まれてしまい、辞めるにも辞められなくなってしまった。

翌1992年1月、再び赤土公彦と空位の全日本バンタム級王座決定戦を争った。ハードな本業の疲れから胃潰瘍に罹り練習量も減っていたが、また早いラウンドで倒そうという猛攻は赤土に読まれ、カウンターを食ってKO負け。酒寄晃戦以来の全日本王座挑戦はまたも1ラウンドで逃した。

ラストファイトは1993年1月。一度倒している新開実(岩本)に初回KO負け。谷山ジムの看板選手として現役継続して来たが、後輩の東海太郎が育ってきたこの時期、ようやくリングを去る選択肢を選び、正式に引退となった。

◆リングが呼んでいる

引退後はレフェリーの大ベテラン、サミー中村氏に「次の試合いつだ?」と聞かれ、「やっと引退しました!」と応えると「じゃあレフェリーやってよ!」と誘われ、リングが俺を呼んでいるといったような因果に身を任せ、全日本キックボクシング連盟でレフェリーとしてデビュー。

画像の主役はレフェリー。身のこなしは抜群の少白竜の裁き(2019年11月9日)

後には団体が細分化されると交流戦が増え、昔から所属団体に偏る裁定が起こりがちだった為、2006年に山中敦雄レフェリーを中心にJKBレフェリー協会を発足した。確立したJBCには程遠いが、公平忠実な外部組織として要請があれば各団体へ派遣され、審判団として活動している。

少白竜はノックアウト必至の激闘を繰り広げた時代のトレーニングを今も欠かさない。

「ジムでもミット蹴りだけじゃつまらないんで、まだまだマススパーリングとかやってます。キックは飽きないんですよ。楽しくて!」と語る。

「新空手やオヤジファイトに出場しませんか?」という問いには「もう試合はやりませんよ、痛いの嫌いですから!」と笑うが、戦う本能は現役のように若いまま。心の中の生涯現役を貫く元・選手はここにも居たようだ。

現在はベテランレフェリーの高齢化に対し、自ら好んで批判を受け易いレフェリーを希望する者がいないのが現状。レフェリーを志す信念を持った若者を発掘し育て上げるまで、まだまだリングに立ち続けなければならない少白竜氏である。

裁く側となって中央に立つ少白竜(2019年12月11日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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天皇制はどこからやって来たのか〈33〉昭和天皇――その戦争責任(8)「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます」 横山茂彦

戦後に天皇の戦争責任が本格的に問われるのは、1975年を待たねばならなかった。しかし当の昭和天皇は、みずからの政治責任・戦争指導責任に敏感だった。昭和24年12月19日の拝謁では、田島道治宮内庁長官が当時の皇太子を早く外遊させるべきだという昭和天皇に理由を尋ねたところ、昭和天皇はこう語っているのだ。

【皇太子への譲位の意志】
「講和ガ訂結(ていけつ)サレタ時ニ 又退位等ノ論が出テ イロイロノ情勢ガ許セバ 退位トカ譲位トカイフコトモ 考ヘラルヽノデ ソノ為ニハ 東宮チャンガ早ク洋行スルノガ ヨイノデハナイカト思ツタ」と語ったと記されている。

これから自分の退位や譲位も考えられるが、そのためには皇太子(明仁)が海外訪問をして、即位するための準備をすることが必要なのだ、というのである。皇太子への譲位を考えているよ、という意味にほかならない。

ところが一方で、昭和天皇はこの直後にこうも語っている。

「東宮ちやんは大分できてゝいゝと思ふが、それでも退位すれば私が何か昔の院政見たやうないたくない腹をさぐられる事もある。そして何か日本の安定ニ害がある様ニ思ふ」と述べ、

当時まだ若い皇太子に位を譲れば「院政」と言われ、日本のためにならないのではないか。というのだ。ようするに、退位や譲位はまだ早いと。退位を迷いながらも、皇太子の成長に頬をゆるめる。父親としてのまなざしも感じられるところだ。
いっぽう国民からの視線は、やはり隠忍自重を旨としているようだ。以下は静養に御用邸を使うこと、宮殿がうしなわれた宮城での住まいについてである。国民の苦しい境遇が「ひがみ」を持つのではないかと言うのだ。その「ひがみ」が自分の信用を落とすのではないかと心配している。

【別荘での静養】
昭和26年12月19日の拝謁では、昭和天皇が葉山御用邸での静養について、「退位論など唱へる人達、生活ニ困った人 特ニ軍人など戦争の為ニひどい目ニあつた人から見ると私が葉山へ行くなど贅沢の事をしてると思ふだらう」と懸念を示し、「それは境遇上のひがみと思ふが、そういふ人のある事を考へても行つていゝか」と田島長官に尋ねたと記されている。

【住まい】
昭和24年8月30日の拝謁では、昭和天皇は御文庫(住居として使っている防空施設)の改築・新築について、こう述べている。
「今ハ皇室殊ニ私ニ対シテ餘リ(あま)皆ワルク思ツテナイ様デ 一部ニハ退位希望者アルモ 大体ハ私ノ退位ヲ望マヌ様ナ時ニ 私ガ住居ヲ大(おおい)ニ新築デモシタ様ニ誤伝セラルレバ 私ハ非常ニ不本意デ、イハバ(いわば)一朝(いっちょう)ニシテ信ヲ失フ事ハ ツマラヌト思フ」

【終戦の詔勅の本意】
そして田中道治は、戦争責任に関する天皇の本音を聞いてもいる。昭和26年8月、静養先の那須御用邸で拝謁したさいに、昭和天皇は「長官だからいふのだが」と前置きしたうえで、終戦の日に放送された「終戦の詔勅」の内容に触れたというのだ。
「あれは私の道徳上の責任をいつたつもりだ。法律上ニハ全然責任ハなく又責任を色々とりやうがあるが、地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易であるが、道義上の責任を感ずればこそ苦しい再建の為の努力といふ事ハ責任を自覚して 多少とも償ふといふ意味であるがデリケートである」と述べたとされる。

そのまま理解すれば、退位して楽な生活をするのもいいが、道義上の責任を感じるからこそ、天皇の地位にとどまって責任を償うのだ。ということになる。見た目はカッコいいが、かなり体裁を意識した発言という印象だ。

昭和26年12月13日の拝謁では、独立回復を祝う式典で述べるおことばの文案を検討する中で、昭和天皇はこう語っている。

「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬといふ事も書いて貰ひたい」と述べ、田島長官が「それは織り込みますれば結構でございますが、余程六ケ(むつか)しいと存じますが、どこかに其意味ハ出なければならぬと存じます」と返している。じつは退位をしないかわりに、天皇と田島は、国民への公式の謝罪を検討していたことがある。

◆発見された天皇による、国民への謝罪(草稿)

天皇の「国民への謝罪詔書草稿」を、田島が起草していたのだ。書かれたのは昭和23年前後と推定されるが、それは東京裁判の判決が下った時期でもある。草稿が発見されたのは2003年のことだ。

 

【原文】
朕、即位以来茲ニ二十有余年、夙夜祖宗ト萬姓トニ背カンコトヲ恐レ、自ラ之レ 勉メタレドモ、勢ノ趨ク所能ク支フルナク、先ニ善隣ノ誼ヲ失ヒ延テ事ヲ列強ト 構ヘ遂ニ悲痛ナル敗戦ニ終ワリ、惨苛今日ノ甚シキニ至ル。屍ヲ戦場ニ暴シ、命ヲ職域ニ致シタルモ算ナク、思フテ其人及其遺族ニ及ブ時寔ニ忡怛ノ情禁ズル能ハズ。戦傷ヲ負ヒ戦災ヲ被リ或イハ身ヲ異域ニ留メラレ、産ヲ外地ニ失ヒタルモノ亦数フベカラズ、剰ヘ一般産業ノ不振、諸価ノ昂騰、衣食住ノ窮迫等ニヨル 億兆塗炭ノ困苦ハ誠ニ國家未曾有ノ災殃トイウベク、静ニ之ヲ念フ時憂心 灼クガ如シ。朕ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧ヅ。身九重ニ在ルモ自ラ安カラズ、心ヲ 萬姓ノ上ニ置キ負荷ノ重キニ惑フ。
然リト雖モ方今、希有ノ世変ニ際會シ天下猶騒然タリ身ヲ正シウシ己レヲ潔クスルニ急ニシテ國家百年ノ憂ヲ忘レ一日ノ安キヲ偸ムガ如キハ眞ニ躬ヲ責ムル 所以ニアラズ。之ヲ内外各般ノ情勢ニ稽ヘ敢テ挺身時艱ニ當リ、徳ヲ修メテ禍ヲ嫁シ、善ヲ行ツテ殃ヲ攘ヒ、誓ツテ國運ノ再建、國民ノ康福ニ寄與シ以テ祖宗 及萬姓ニ謝セントス。全國民亦朕ノ意ヲ諒トシ中外ノ形成ヲ察シ同心協力各 其天職ヲ盡シ以テ非常ノ時局ヲ克服シ國威ヲ恢弘センコトヲ庶幾フ。

【訳】
 私が即位してこの二十数年、朝起きて夜寝るまで歴代の天皇や祖先、国民の期待を裏切るようなことがないよう、勉めてきたが、時勢の流れに支えきれず、周辺諸国との善隣平和な関係を失い、列強諸国と戦争状態となった。そして、遂に悲痛な敗戦となり、そして今日の見るに耐えない災難が甚だしい状況になってしまった。
 国民が死体を戦場にさらし、命をその職や受け持ちの範囲で散らしたが、そのかいもなく敗れてしまった。その本人やその遺族の皆さんのことを思うと、まことに憂いに痛む思いが止められない。
 戦闘で傷つき、戦災を被り、あるいは、身柄をまだ外国に抑留され、財産を外地で取り上げられたりする例もまた、数えきられない。おまけに、一般産業の不振、諸物価の高騰、衣食住が困窮して、膨大な苦痛は、日本が始まって以来の災難と言ってもいい、ひとり静かにこの事を思うと、憂い心が焼ける思いだ。
 私の徳が無い為にこのような結果となり、深く天下に謝罪するものです。身は皇居に在るのだけれども、とても落ち着いてはいられない。心を国民のもとに置き、責任の重さに心惑う。
 しかし現在まだ、歴史始まって以来の変化に遭遇して、世間はまだ騒然としている。自分だけ潔く退位することは、責任から逃れるだけで、逃げ出すことは責任をとることにならない。
 現在の国内世界情勢を考えると、国家国民の為に挺身し、その時代の難問題に当たり、徳を修めて禍を寄せ付けず、善を行って災いを掃い、国の再建国民の幸福に寄与することを誓い、それをもって、歴代天皇や国民に謝罪することにさせて下さい。
 国民の皆様、再び、私の誠の意思を理解し、国内国外情勢を察して、一致協力 それぞれの仕事に励み、この非常事態の世の中を乗り越え、国の力を広げ回復することをお願いしたい。

ここでも、退位して責任を投げ出すのは無責任であるから、国民のために挺身したい。国民も一致協力して国の再建に尽くしてほしい。というものだ。

◆原爆はしかたなかった

そのいっぽうで、昭和50年には「国民への謝罪」の内実が問われる事態も起きた。記者会見で「原爆は仕方なかった」と口をすべらせたのである。記者会見は昭和50年10月31日に日本記者クラブが主催し、皇居宮殿内の「石橋(しゃっきょう)の間」で行われたものだ。

このシリーズの冒頭に挙げた「(戦争責任という)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。」につづく答弁になる。

秋信記者 天皇陛下にお伺いいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲を無駄にすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年と都合三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、お伺いいたしたいと思います。

昭和天皇 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。

軍部および天皇が原爆投下を知っていた(テニアン方面への諜報活動)という説については、別稿に改めたい。戦後天皇制はやがて、皇太子(明仁)の民間人との婚儀という、幸福のオブラートに包まれながら、象徴として定着していくことになる。そのさいに始まった宮中守旧派との暗闘は、今日もなお皇室を覆っている。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

命の淵にいる人たち ── 集中治療室(ICU)で見た光景 田所敏夫

大きな扉が閉まっている横のインターホンで、中にいる者の親族だと告げる。アルコールで手を洗い、マスクを着用して、「防護服」というのはおおげさではあるが、滅菌処理が施された薄い布をまとう。

まいにち何回か訪れているからか。医療従事者の皆さんは、わたしの姿を確認すると、はじめてこの場所に入るひとに向けるような、細かい注意を口にすることはなく、お互い会釈を交わしながらベットに向かう。

◆集中治療室に踏み入れるたびに

20ほどあるベットに横たわっている患者さんは、いっときも目が離せない状態のかたばかりだ。だからここは「集中治療室(ICU)」であることを、毎回足を踏み入れるたびに実感させられる。

心電図、血中酸素濃度、心拍数を測定するモニターの警報音が、あちこちで間断なく聞こえる。わたしが到着したベットの上の、もうかれこれ10日近く意識のない身内の血圧も、相変わらず怪しげだ。首、手首、横腹など数えたら7か所に管や点滴が入っている。

警報音が鳴る。また血圧が落ちている。ブランケットを持ちあげて、手先と足先を触ってみたら、猛烈に「むくんで」いる。ずいぶん昔に一度だけ偶然接した、水死体の姿とそっくりだ。手のむくみはすさまじい。

「むくんで」いるから、還流を促すために「さする」、「なでる」などすれば改善する状態ではない。腎臓を中心とする代謝機能の低下が末端の「むくみ」となっていることは、二日前にお医者さんから説明をうけた。口には酸素を効率よく肺臓に運ぶための管もはいっている。こんな状態で言葉を発することなどはできるはずもないことをわかりながら、「どうや?」、「しんどいか?」と声をかける。

◆「承諾書」にサインをする

きのうの深夜、病院から電話があり、「腎臓の機能が落ちているから『透析』をはじめたい。異存はないか?」と聞かれた。「もちろん異存はありません。お任せします」とこたえた。そうだ、透析がはじまっているはずだから、「承諾書」にサインをしなければならない。ICUの看護師さんはいつも大忙しだから、部屋を出てから、事務の人に相談することにしよう。

怪我、病気、加齢。理由は様々な命の淵にいるひとたちが、必死の看病を受けている。失礼に当たるのでなるべく視線を向けないように注意しているつもりだが、ここで亡くなったかたは、看護師さんたちがからだをきれいに清めている。もう何人この部屋で亡くなったかたの姿に接しただろう。ICUは大部屋だから、親族の方々は、周りを気にしている。身内が亡くなっても大声で声をあげる場面には接したことがない。

どちらにせよ、ここは「のっぴきならない場所」だ。わたしが日に何度もおとずれたからといって、できることはなにもない。ただそばにいてやりたい、と思うだけで、近くにいるしかない。

◆毎日のように気を失いかける

また慌ただしくなった。気管切開ははじめてだ(隣のベットの患者さん)。手術室までの移動の余裕がないのだろう。カーテンで仕切られているが、見舞いの目の高さから、緊急処置の様子を伺おうと試みれば、みることができる。不謹慎だからこの場は辞すべきだろう。「また来るからな」。返事が返ってくるはずもない身内に声をかけてICUから外に出た。

わたしは妙な体質の持ち主で、この体質と付き合うの長年苦難している。若いころは、意識すればオン/オフの切り替えができたのだが、いまはほおっておくと、体調の悪い人や、精神がつらい人の症状の一部が、勝手にわたしの中に一定時間侵入してきてしまう。病棟に行けばたいてい38度近い発熱をしてしまうし、ICUに入ると、毎日のように気を失いかける。当然体温も上昇し、発疹がでることもある。けれどもわたしは感染症に罹患しているわけではない。病院からはなれてしばらくすると、、発熱も下がり、発疹も消える。これはどこの病院に行っても同じなのだ。

上記の備忘録のようなものを記したのは、一昨年の1月だった。まだ、わたし自身の疾病よりも、身内の看病に忙しい日々だった。あの病院に入院しているひとを、いまは見舞うことはできない。もちろん理由はコロナ感染予防のためである。ほんのしばらく前の記憶のように思われる、あの日々は現実から遠くなった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない
テーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

この秋、政権交代は起きるのか? ── 『紙の爆弾』最新号を参考に、都議選後の政局を俯瞰する 横山茂彦

都議会選挙はおおかたの見方をくつがえし、自民党は議席を伸ばせなかった。結果的に、自公両党で過半数に及ばなかった。

惨敗を予想された都民ファーストは、小池知事の土壇場パフォーマンス(入退院後、即座に始動)によって自民と第一党の座を争い、地域政党としての地位を不動のものにしたのである。

大阪維新の会(大阪府)や減税日本(愛知県)、沖縄社大党(沖縄県)などとともに、日本における地方政党の意義を刻印したといえよう。

その結果、ぎゃくに小池都知事が都民ファ・立民・公明・無所属による議会多数派を形成することになったのだ。

【自民党の独自調査による選挙予測】
解散前 予想   選挙結果  2013年の議席
自民   25  48~55   33      59
公明   23  14~23   23      23
都民ファ 46   6~19   31     ――
立民    9  20~26   16      18
共産   18  17~23   19      17
維新    1   1~1    1       2
無所属   5   2~3    4       1
※立民は生活者ネットの1議席をふくむ。

それにしても自民党は何をどう間違えて、上掲のごとき予測の錯誤をおかしたのだろうか。そもそもメディアの意識調査(下掲)では、都民の2割の支持も得られていなかったはずだ。

自民党 19.3%
立憲民主党 14.0%
共産党 12.9%
都民ファーストの会 9.6%
公明党 3.4%
日本維新の会 3.4%

平時の選挙であれば、町内会などの組織独占力にまさる自民党が、投票に行く少数者という支持基盤で、難なく勝てたかもしれない。

その平時の選挙戦術が「結果を出せる政治」「国会議員と首長、地方議員の三位一体」という、いわば田舎選挙でしかないことは、選挙当日の速報(《速報》2021年都議会選挙 都民ファーストの善戦、自民党の復活は不十分に)で解説したとおりである。自民党はオリンピックの是非やコロナ禍対策が問われる、政治の「風」に弱いのだ。

そして麻生太郎の「(小池知事の入院は)自分でまいた種でしょうが」、安倍晋三の「反日的な人たちが東京オリンピックに反対している」という発言が、文字どおり「墓穴を掘った」のである。

いっぽう、メディアや論者の大半も「都民ファーストの大敗」「小池の密約による国政復帰」論に流されてしまった。

自民党二階俊博幹事長との密会、水と油だった菅総理との会談など、じつは東京五輪の打ち合わせでしかないものを、すべて政局と読み取ったがゆえの誤報であり誤導である。

はては「小池知事が都議選公約で、オリンピック中止をぶちあげる」という奇説まで飛び出すありさまだった。あまりにも政治センスがなさすぎる。

今回の都議選の焦点は、6月28日付の記事(小池都知事「入院」の真相と7月4日都議会選挙・混沌の行方)で述べたとおり「都議選挙に応援演説も何もせず、このまま様子見をするのか。都議選挙の見どころは、小池知事の動静に決まった。」だったのである。

しかしながら、政治は何幕もつづく劇場である。

小池知事が「わたしは国政に復帰するとは、ひと言も言っていません。どうして、みなさんが書くのだろうと」(6日の記者会見)と本人が否定したからといって、国政復帰の線がなくなったわけではない。

希望の党の失敗があるとはいえ、国務大臣をつとめたベテラン政治家である。そしていったんは都議選挙での勢いを駆って、旧民主党などを糾合しながら、近い将来の総理候補に登りつめた人である。都知事と地域政党の顧問で、その野心がとどまるはずがない。

そこで、今後の小池百合子が日本初の女性宰相に登りつめる道すじがあるとすれば、どのようなものだろうか。秋の政局とあわせて解説していこう。

『紙の爆弾』最新号(8月号)には、山田厚俊の「9月解散の菅戦略を明かす」が掲載されている。この記事の「小池百合子の自滅」は、執筆時期から上述した読み違いを踏んでいるが、9月解散が自民党内の焦点をとしている。

山田の立論はオリンピック・パラリンピックの成功をうけて総選挙に踏み切り、その勝利をもって総裁選挙に臨むというものだ。菅の政権維持戦略は、まさにこれしかないのだ。

だがこの戦略も、都議選の結果をうけて公明党の山口那津男代表から「解散は遅い方がいい」という注文が入った(7月6日)。

総選挙の前に総裁選がくると、山田が指摘するとおり、菅が選挙の顔では戦えないという党内議論が出てしまうのだ。

かといって、総選挙での敗北はそのまま、菅を退陣に追い込むのは間違いない。安倍晋三が空前の長期政権をたもったのは、選挙に強かったからにほかならない。選挙に勝てない総裁など、政党にとっては鴻毛よりも軽いのだ。

それが東京オリパラの失敗によるものか、コロナ禍の再度のパンデミックによるものかは、今のところわからない。

だが、9月の上旬までにコロナ禍がワクチンによって収束し、オリパラが成功裏に終了しないかぎり、もはや菅の続投はないだろう。それが総選挙(衆議院選)における自民党の大敗によるのか、総裁選による「菅おろし」によるものかはともかく、確実に菅政権は崩壊する。

問題はすでに、菅退陣後のことである。

『紙の爆弾』最新号には、横田一の「重要選挙4連敗・菅政権に近づく終焉」が掲載されている。この記事の後段の「枝野幸男が五輪中止の旗振り役になるのか」「次期衆院選挙での構図」に興味をひかれた。

横田によれば、いくつかの先制的な要件を政府に突き付けることによって、オリンピックの強行開催への政治責任を仕掛けているという。くわしくは本誌を読んでいただきたいが、菅政権にとっては致命的である。そして政権交代が起きるとしたら、枝野首班は間違いないところだろう。

いずれにしても、9月には任期満了解散にともなう特別国会・臨時国会が開催される。そこに菅義偉総理がいるのか、それとも新しい首班がいるのか。

ここでは自民党が辛うじて議会多数を保ったとき、それが自民・公明・維新ほかの党派との連立政権となりかけたときの想定もしておこう。

そこには、小池百合子が推す何人かの衆議院議員がいるのかもしれない。二階俊博が五輪の打ち合わせと称して、小池と何度も会っているのはその布石にほかならない。

場合によっては、コロナ禍による政治危機を突破するための、それは立憲民主もふくめた大連立(挙国一致内閣)になるのかもしれない。その光景が今年なのか、それとも数年後なのかはわからないが、大連立の頂点に女性宰相が君臨するのを、個人的には歓迎したい。そこから、少なくとも男性支配の政治に変化が起きるからだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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国内の地方に伸びるマンモニズムの魔の手 ── 平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG〈1〉 小林蓮実

わたしが東京での活動を継続しており、そのなかで「よど号」メンバーの支援もしていることを以前お伝えした。彼らは朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌直轄市の端に「日本人村」をかまえて暮らしながら、帰国に向けた活動をおこなっている。そんな彼らから、『紙の爆弾』6月号に寄稿した「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」の感想が送られてきた。今後このコーナーに、彼らとの「往復メール書簡」を時々、アップしたい。

左から魚本公博さん、森順子さん、小西隆裕さん、若林盛亮さん、赤木志郎さん、若林佐喜子さん

◆「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」に対する魚本さんからのメッセージ

「よど号」ハイジャックで朝鮮に在住する魚本公博です。

私は地方出身ということもあって、地方問題に関心があるのですが、『紙の爆弾』6月号に掲載された小林蓮実さんの「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」、大変面白く読ませていただきました。

政府の地方政策は、2017年に地方制度調査会が打ち出した「中枢都市圏連携構想」に端的に示されているように、新自由主義的発想で各地の中核都市を中心に都市圏を形成し、そこにカネとヒトを集中して効率化を図るというものでした。

問題なのは、そこに米系外資を入れ、彼らに、その効率経営を任すということにあり、地方自治体が管理する水道事業などの運営権を民間に譲渡するコンセッション方式の導入が奨励されたことです。

菅政権も、この方式を踏襲し、「活力ある地方を創る」としながら、「大企業で経験を積んだ方々を、政府のファンドを通じ、地域の中堅・中小企業の経営人材として紹介」とか「コーポレーション・ガバナンス(企業統治)を進める」などとしています。すなわち、これは地方の銀行や企業の新自由主義的改革を進めながら、地方自治体自体を企業統治の方法で経営し、それを外資に任すということであり、こうなれば、地方自治は消滅し、地方は米系外資に牛耳られることになり、更には大阪維新が言うように、これが「地方から国を変える」ものとして、日本自体が米系外資・米国に牛耳られるものとなります。

しかし地方・地域は、必死に努力しているのであり、そうした策動を乗り越え、地域住民自身の力で、衰退を克服し、地方・地域を守っていくと私は思っています。

小林さんのルポは、その思いを証言するもので、非常に元気づけられました。取り上げられた南房総市・大井区の区長をされている芳賀裕さんの見解や努力もそれを垣間見させるもので、とくに「顔の見える関係を育むことが重要」との意見は大事なことだと思います。いずれにしても、「地方・地域」は自民党の売国的策動に対決する最前線の1つであり、今後とも、地方・地域に根を下ろした小林さんの現地報告を期待しています。

平壌「日本人村」にて、カラオケで「いい日旅立ち」を熱唱する魚本さん

◆「連携中枢都市圏構想」の罠

わたしは水道民営化の問題も、『紙の爆弾』に寄稿したことがある。

2015年に都市圏の名称が「地方中枢拠点都市圏」から「中枢都市圏連携構想」に変更された。総務省は次のように説明する。「『連携中枢都市圏構想』とは、人口減少・少子高齢社会にあっても、地域を活性化し経済を持続可能なものとし、国民が安心して快適な暮らしを営んでいけるようにするために、地域において、相当の規模と中核性を備える圏域の中心都市が近隣の市町村と連携し、コンパクト化とネットワーク化により『経済成長のけん引』、『高次都市機能の集積・強化』及び『生活関連機能サービスの向上』を行うことにより、人口減少・少子高齢社会においても一定の圏域人口を有し活力ある社会経済を維持するための拠点を形成する政策です。本構想は、第30次地方制度調査会『大都市制度の改革及び基礎自治体の行政サービス提供体制に関する答申』を踏まえて制度化したものであり、平成26(2014)年度から全国展開を行っています。」

そもそも、もはや経済成長を求めることに現実味はない。2019年の1人当たりGDPは33位だ。また、高次都市機能とは、行政・教育・文化・情報・商業・交通・娯楽など、サービスを提供する都市がもつ、広域的に影響力のある高いレベルの機能とされている。これは実態としては、市町村でまかなえない部分を近隣が補い、それでも不足する部分をやや遠方のエリアが補っている。千葉県南部でいえば、千葉県の左寄り真ん中のエリアまでいけば、ほぼ不足はない。それでも足りなければ、北部、それでも足りなければ東京という感じだが、日常的には南部で事足りる。芳賀氏は「スーパーシティは不要」とも述べていた。あとは、「生活関連機能サービスの向上」でもSDGsでもそうだが、資本主義や経済の文脈で語られ、実際には利権と搾取、格差拡大に結びつけられがちだ。そこに、地方の資源をむさぼろうとする企業や人が群がる。パソナが淡路島を乗っ取る様子についても、わたしは同誌に寄稿した。マンモニズム(拝金主義)の魔の手は現在、地方を握りつぶそうとしている。

それに対し、行政の対応はさまざまだ。だが、現場では対抗し、自分たちにとって本当に心地よい社会をつくろうと奔走する人が多くいる。仲間とつながろうと活動しているわたし自身も、その1人であるつもりだ。金銭ばかりに頼らずとも、野菜を作り、田んぼを手伝い、物々交換をする。作れるものは作る。このようなライフスタイルに参加するメンバーを拡大し、支え合いながら、私たちは食べて生きていくことができるはずだ。

ちなみに、3回の訪朝経験が、現在に生きている部分もある。たとえば、共産主義国が何を重視し、何を目指し、どこまで人々を支えているのか。(国内では地元の小商いによって)「外貨」を獲得して地元に還元する発想も、そこから学んだものでもある。

機会があれば、自分が生活するエリアの活性や理想的な社会を現場から実現しようとしているローカリゼーションの実践者の方々とさらにつながり、情報交換や連携をしたい。Facebookなどから連絡をもらえると、うれしい。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性運動等アクティビスト。個人的には、労働組合での活動に限界を感じ、移住。オルタナティブ社会の実現を目指しながら日々、地域に関連する、さまざまな人の支援などもおこなっている。月刊『紙の爆弾』2021年8月号には「『スーパーホテル』『阪急ホテルズ』ホテル業界に勃発した2つの『労働問題』」寄稿。Facebook https://www.facebook.com/hasumi.koba/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

五輪・原発・コロナ社会の背理〈7〉 黒船を待つ ── われらの内なる奴隷根性 田所敏夫

カレンダー上ではついに7月に突入した。今年、7月のカレンダーは判読するのが難しい。「東京五輪」開催を前提に、休日がいくつかずらされているからだ。鹿砦社が龍一郎氏に依頼して作成しているカレンダーでは、19日が「海の日」で休日となっているだけであるが、ことしに限っては「東京五輪」開催に合わせてほかの月の休日を含め、大幅な変更が行われるらしい。馬鹿げているからそのいちいちは検証しないが、読者諸氏もあと2週間ほどすれば、急な休日発生に驚かれることであろう。

◆われらの内なる奴隷根性

それにしても、人間という生物がここまで愚かで、退化の速度が速いとは想像もしなかった。日本だけに焦点を当てれば「知性」、「想像力」、「理性」、「科学的態度」の劣化はさまざまな局面で著しく、「この国民は長くは持つまい」と感じてきた。

しかし、わたしのなかにも欧米信仰のような幻想は残っていたのだ。たとえば「東京五輪」開催については、欧州のいずれかの国あるいはWHOだか何だか知らないけども、国際機関のいずれかが「感染拡大の危険性があるから開催すべきではない」との態度を示してくれるのではないか、との甘い期待があった。

やはりそれば、欧米信仰であり、わたしの奴隷根性の発露であった。深く自己批判せねばならない。よくよく考えるまでもなくWHOのまとう政治性やIMFやWTO、UNICEF、UNESCOなどの欺瞞についてはとうの昔に気が付いていたではないか。20世紀最後半に発生したアジア通貨危機は、結果としてIMFの指導下で収束を図られることとなったが、当時IMFの重責を担っていた人物の中にアジア通貨をコントロールできる人間が複数入り込んでいた事実は、既に数多くの書物や研究で判明している。

UNICEFはいつからあんなにも派手に、駅前広場やショッピングモールで募金活動を始めていただろうか。世界中のテレビに公告を出し、ネット上でも猛烈な広告を展開するあの団体は、これまでの地域紛争の際にどのような役割を果たしてきたのだろうか。ボスニアヘルツェゴビナ紛争の際、UNICEFの責任者の中に、軍事産業と関係のあるものが居なかったか? 「世界遺産」の看板商法に忙しいUNESCOは、本当のところ何を目指す団体なのか? まったくその価値がわたしには理解できない「SDGs」の推進に熱心なようだが、彼らの功罪を測ったら、思わぬ方向に天秤が振れはしないか。

極めつけは「G7」だ。かつて「先進国首脳会議(サミット)」と自称したことのある、この思い上がり集団を、批判する人たちは「帝国主義者どもによる戦争準備会議」、「帝国主義者の分配割合調節会議」と批判したものだが、先に英国で行われた「G7」を見るにつけ、批判する人たちの表現は、あながち外れているとはいえないようだ。

一国として「東京五輪」の開催に疑問を呈したり、ましてや反対する国などなかった。それどころか共同声明で「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の克服に向けた世界の団結の象徴として、安全で安心な形」での東京五輪開催を支持するとした。

ドイツやフランスも「G7」には入っている。こんな連中に何かを期待してしまった己の不明を再度恥じねばならない。極東の島国で行われる「五輪」の直接影響は「G7」加盟の他国には深刻には及ばないだろう。「なら次の冬季五輪は北京だから、牽制の意味でもトウキョウにやらせようよ」との白人どもの本音が聞こえてきそうだ。

◆21世紀は「背理の世紀」

21世紀は「背理の世紀」と名付けても良いのかもしれない。毎年のように震度7クラスの地震が発生し、豪雨災害が各地で起こる国。そして10年前には人類史上初の「原発4機爆発事故」を起こした国。その事故現場から250キロほどの場所で、まもなく「東京五輪」が開催される。

東京から少し西に行った神奈川や熱海では、20名以上の犠牲者が懸念される豪雨災害がまた発生した。そんなことはお構いなしに「東京五輪」への参加者は続々入国している。後世(もし、「それ」があればだが)今次の「東京五輪」は、わたしたちが大日本帝国による、第二次大戦突入の無茶苦茶さを指摘するように、その愚をなじられるだろう。歴史に顔向けのできない行為へ加担することは、人間として恥ずべき行為だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号
『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉