読売新聞社と大阪府の包括連携協定、残紙問題が提示する読売グループの実態、読売に「道徳」を語る資格があるのか? 黒薮哲哉

昨年(2021年)の12月27日、読売新聞社と大阪府は記者会見を開いて、両者が包括連携協定に締結したことを発表した。大阪府の発表によると、次の8分野について、大阪府と読売が連携して活動する計画だという。特定のメディアが自治体と一体化して、「情交関係」を結ぶことに対して、記者会見の直後から、批判があがっている。

連携協定の対象になっている活動分野は次の8項目である。

(1)教育・人材育成に関すること
(2)情報発信に関すること
(3)安全・安心に関すること
(4)子ども・福祉に関すること
(5)地域活性化に関すること
(6)産業振興・雇用に関すること
(7)健康に関すること
(8)環境に関すること

(1)から(8)に関して、筆者はそれぞれ問題を孕んでいると考えている。その細目に言及するには、かなり多くの文字数を要するので、ここでは控える。

◆読売が抱える3件の「押し紙」裁判

多くの人々が懸念しているのは、大阪府と読売が一体化した場合、ジャーナリズムの中立性が担保できるのかとう問題である。もちろん、筆者も同じ懸念を抱いている。

しかし、筆者は別の観点からも、この協同事業には問題があると考えている。それは読売グループの企業コンプライアンスである。大阪府は、同グループによる新聞の商取引の実態を調査する必要がある。

結論を先に言えば、新聞販売店に搬入されている新聞の部数に不自然な点があるのだ。俗にいう「押し紙」問題である。現在、読売新聞社を被告とする「押し紙」裁判が3件起きている。しかも、東京本社、大阪本社、西部本社のそれぞれが裁判の被告になっている。いずれも販売店の元店主が、「押し紙」による損害賠償を求めている。

「押し紙」とは、簡単に言えば、新聞社が販売店に対して買い取りを強要する新聞のことである。しかし、読売本社は一貫して、「押し紙」をしたことは一度もないと主張してきた。読売の代理人を務めてきた喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)も、一貫してそのような考え方を表明してきた。

新聞販売店で過剰になっている新聞(残紙)は、新聞販売店が折込広告の受注枚数を増やしたり、本社から支給される補助金の額を増やすことなどを目論んで、自主的に注文してきた部数であるとする立場を貫いてきた。そのために残紙を指して、「押し紙」とは言わない。「積み紙」と言う。用語にもこだわりを持っているのだ。

残紙の回収風景(本文とは関係ありません)

◆ABC部数と実配部数が乖離している可能性

大阪府が調査しなければならないのは、読売新聞社と新聞販売店のどちらに残紙問題の責任があるのかという点ではない。それは裁判所の役割であって、大阪府は関知できない。

問題は、読売側に非があるにしろ、販売店側に非があるにしろ、公表されている新聞の部数(ABC部数)に疑義がある点なのである。実配部数(実際に配達している部数)を反映していないのではないかという疑惑があるのだ。

残紙を抱え込むことで、事業規模を実際よりも大きく見せていれば、広告主(折込広告、紙面広告)が経営判断を誤ることになりかねない。

調査の焦点は、読売グループの残紙である。残紙が確認できる読売の販売店が複数存在することは紛れない事実である。たとえば現在進行中の3件の「押し紙」裁判の資料を、裁判所の記録係で閲覧すれば、それは簡単に明らかになる。(誰でも閲覧可能)。

またABC部数を解析することで、ABC部数と実配部数に乖離があるかないかを推測することもできる。

次に示すのは、大阪府の大阪市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)である。着色した箇所は、部数がロック(固定)されている期間を示している。

読売新聞 大阪市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

通常、新聞購読者の数は日々変化する。しかも、「紙新聞」離れが進んでいるので読者数は極端な減少傾向にある。ところが上の表に見られるように、大阪市における読売新聞の場合、当たり前に部数がロックされている。読売本社が販売店に販売している部数が、1年から数年にわたり固定されているケースが頻繁に観察できる。
 
たとえば生野区の場合、2016年10月から2020年10月までの4年半にわたって、ABC部数が6083部にロックされている。1部の増減もない。その原因が読売本社にあるにしろ、販売店にあるにしろ、広告主(折込広告、紙面広告)は不信感を抱くだろう。PR戦略に不安を感じかねない。常識的にはあり得ない現象であるからだ。

参考までに堺市のデータも紹介しておこう。

読売新聞 堺市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

広告主は、ABC部数などのデータを参考にして、紙面広告の媒体を選んだり、折込広告の印刷部数や折込枚数を決めるわけだから、新聞の実配部数(実際に配達している新聞)を把握しておかなければ、経営判断を誤る。大阪府自身も広報紙『府政だより』の広告主(新聞折り込みで配布)になっており、正確な実配部数を把握する必要がある。

ちなみに次に示す熊本日日新聞の熊本市におけるABC部数は、新聞の商取引が正常であることを示している。わたしが知る限り、同紙は自由増減制度(販売店が、自分の判断で注文部数を決める制度と権利)を保証しているから、部数のロックが1部も観察できない。表の上で、着色対象になる期間がまったくない。

熊本日日新聞 熊本市におけるABC部数の変化(2016年4月から2020年10月の5年間)

「押し紙」裁判は、読売本社と販売店の係争(業界内の問題)であり、両者で決着すべき問題だが、残紙問題に折込広告や紙面広告がからんでくると、業界の壁を超えた大問題になる。残紙が広告主のPR戦略と経営判断に影響するからだ。かりに読売グループにコンプライアンス問題があれば、読売関係者が児童や生徒に読み書きや作文を指導するのはふさわしくない。彼らが「道徳」を語るべきではない。

大阪府の吉村洋文知事は、この点を踏まえて新聞の商取引の実態を調査すべきではないか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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《NO NUKES voice》核兵器禁止・原発ゼロの決意で原爆供養塔前から2022スタート 元旦8時15分は「はだし供養」 さとうしゅういち

2012年以降の毎年元旦の8時15分、筆者は広島市中区平和記念公園内の原爆供養塔前に行き、はだしになって黙祷。公園内の慰霊碑をめぐりながら、核兵器禁止・原発ゼロへの決意をあらたにしています。

ありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養

「元旦はだし供養」というイベントです。このイベントは、被爆者で元国鉄マン・講談師の緩急車雲助さん(本名・久保浩之さん、2020年逝去)が創始者です。

久保さんと筆者は2003年のイラク戦争反対運動で知り合いました。その後、疎遠になっていたのですが、2011年12月、あるイベントで偶然、再会しました。

「佐藤、よかったら参加しないか?」

そう声をかけていただき、2012年元旦から参加しています。(写真はありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養)

◆元旦はだし供養の由来

元旦はだし供養は、久保さんが、南アフリカ共和国のマンデラ大統領(故人)がアパルトヘイト廃止への協力を要請するために日本に派遣した使節団の若い女性たちをつれて平和公園を案内したことがきっかけでした。

くつを脱いで歩きはじめたのを見て衝撃を受けたことがきっかけです。

平和公園で久保さんが「地下一メートルには今も人骨が眠っている」と説明すると、南アフリカ共和国の若い女性は一斉に靴を脱いだそうです。

久保さんがびっくりすると彼女たちは「アフリカでは同胞の上を靴では歩きません。」
と答えたそうです。

「彼女たちに頭を殴られたような衝撃を受けた」という久保さん。

彼がそれ以来、せめて元旦の8時15分、はだしで原爆供養塔にお参りし、慰霊碑をめぐろうと呼び掛けたのが始まりです。久保さんがお元気な時代は、終了後、平和公園対岸の本川町集会所をお借りして甘酒を飲みながら新年の展望を語り合いました。

久保さんが体調を崩されてからは、イベント後の交流会はできていません。しかしながら、供養塔参拝、慰霊碑巡りだけは欠かさず有志が、誰から呼び掛けるともなく続いています。

◆平和公園を裸足で歩くとドライアイスのような熱さで被爆者を追憶

元旦は、温暖な広島でも雪に見舞われることもおおくあります。平和公園を裸足で歩くと、「ドライアイスのような熱さ」を感じます。あまりにも温度が低すぎるから、逆に火傷をするような熱さを感じました。

また、歩道よりは車道(元旦の朝の平和公園はまったくといっていいほど車は通りませんが)のほうがあるきやすいことも記憶しています。車のタイヤでつるつるになっているからです。

2017年の元旦はだし供養

在りし日の久保さんとともに公園内の慰霊碑をめぐり、1945年8月6日、被爆者が灼熱の地面の上を裸足で逃げ延びたことを思い出したものでした。

ただし、いまは、わたしも、黙祷のときだけ、裸足になり、その後はくつをはいて公園内の慰霊碑をめぐらせていただいております。また、参加者の高齢化にともなって、イベント時間短縮のため、参拝する慰霊碑も、近年では韓国人慰霊碑と旧二中(現・広島観音高校)慰霊碑のみになっています。


◎[関連動画]元旦はだし供養 「我々の世代がもっと正面へ出なければならない」と決意(2017年、この年が最後の完全な形でのイベントとなった、そのときの様子)

「義勇隊の碑」

かつては参拝していた慰霊碑に「義勇隊の碑」があります。

この碑は、現在の広島市安佐南区川内にあたる川内村のひとたちが、義勇隊という形で、市内中心部のこのあたりで建物疎開の作業にあたっておられて全滅したことを追悼するものです。この影響で、川内村は男性が非常に少ない人口比だったことも知られています。

◆2022年は6人で決行

さて、2022年の「元旦はだし供養」は、6人で行われました。わたしは、バスで広島市東区の自宅を出発。8時前には平和公園に到着しました。

原爆供養塔

わたしは、まず、原爆ドーム前を通過して元安川沿いを南下し、元安橋をわたって平和公園入りしました。

原爆の子の像の前にはまばらですが観光客もおられました。そして、原爆供養塔前に到着しました。

原爆供養塔には、身元がわからない原爆犠牲者の方、身元が分かっても引き取り手がない方ら7万柱のご遺骨が眠っています。最近でも2004,2005年に南区の似島から遺骨が多く出ています。ここは、戦前・戦中は大日本帝国陸軍の検疫所があり、そこに多くの被爆者がかつぎこまれたためです。

この供養塔に遺骨を運び込むドアの前にある線香立ての内部がコンクリートで埋められるという事件が昨年後半、発生しましたが、復旧していました。これは、民間の方から寄贈です。

供養塔の前で待機していると、ぼつぼつ人が集まりました。総勢6人。中には10年連続参加というNHK職員の方もおられました。この方は、以前はカメラをかついで取材をしてくださいました。平和担当を外れたいまも私人で参加してくださっています。

供養塔の次に参拝した韓国人慰霊碑は、もともとは平和公園のすぐ外にあたる場所で、被爆死した朝鮮王族(軍人だったため戦死の扱い)ことにちなんでできた慰霊碑です。ただ、公園の外にあることが差別的に見えるという議論が盛り上がり、現在の場所に移転した経緯があります。

広島にも被爆時には多くのコリアンの方がおられ、犠牲になりました。命が助かった方も日本国籍を戦後に一方的に奪われたために、日本に住んでいる被爆者が受けられるような援護策を受けられていない状態でした。韓国在住の方については、一定の解決をみましたが、朝鮮に住んでおられる方については日朝に国交がないためにいまだに見捨てられたままです。

[左]はだしになって、黙祷のあと、献花をおこないました。[右]そして、韓国人慰霊碑、旧二中慰霊碑の順でめぐり、黙祷、献花をおこないました
二中慰霊碑

◆先輩方を尊重しつつ若手主導で「復興」したい

さて、このイベントは2017年を最後に「多くの慰霊碑の前で黙祷と献花をおこないその後に本川町集会所で交流会」という「完全な形でのイベント開催」ができなくなっています。あれから5年がたってしまいました。2023年には、なんとか、「核兵器禁止・原発ゼロ」の決意をグラウンド・ゼロから元旦、あらたにするという趣旨のイベントを「復興」したいと思います。もちろん、先輩方を尊重しつつですが現実問題、先輩方の活動が難しいなら若手ががんばるしかありません。

最後にその2017年の交流会でのわたし自身の発言を再録し、わたし自身への戒めともしたいとおもいます。

「貧困、格差が独裁や戦争を生んできたのは歴史の教訓。庶民の暮らしを守る
政治に切り替えていかねばならない。そのために全力をつくす決意だ。」
「我々の世代があまりにも久保さんたち上の世代に甘えすぎたのではないか?」
「わたしも四十を超えた 。三十代の頃はまだわたし自身もどこか甘えがあった。」
「我々の世代がもっと正面へ出なければならないと思う。」
と提案をさせていただきました。


◎[関連動画]元旦はだし供養2022を前に

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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《1月のことば》越えてゆけ 今を 少しだけ前へ ちょっとだけ前へ 鹿砦社代表 松岡利康

《1月のことば》越えてゆけ 今を 少しだけ前へ ちょっとだけ前へ(鹿砦社カレンダー2022より。龍一郎揮毫)

2022年を迎えました。
新たな年、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

コロナ禍が2年も続き、社会は疲弊しています。
1年ならまだしも2年となると私たちの会社も大きな影響を受けました。
昨年、とりわけ後半は大変でしたが、皆様方のご支援により、なんとか年を越せました。

本年、まだコロナの動向は不透明ですが、コロナなどに負けず、この困難を越えてゆかねばなりません。

「少しだけ前へ ちょっとだけ前へ」。

本年も、魂の書家・龍一郎の言葉と力強い筆致に力をもらい頑張っていきましょう!
昨年は私たちもコロナに負けそうになり少しへたりましたが、本年は心機一転、反転攻勢に打って出ます!
旧に倍するご支援をお願いいたします!(松岡利康)

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「生命」が輝いていた日々 田所敏夫

生きた。生き抜いた。それだけで充分価値があった。生き抜いた「生命」はもちろんのこと、残念ながら生物的には終焉を迎えた人々の「精神」にすら、それが輝いていた日々を思い起こせば「充分価値があった」のだ。

希薄で触感に乏しく、手で触っても質感・凹凸すらを感じない。色は不明確で、匂いもしない。それがこの時代の主流派(メインストリーム)の共通項だ。地球温暖化のために「脱炭素社会」を目指す一団であったり、「SDGs」とかなんとかいう国際的欺瞞を堂々と掲げている連中は全員その一味だと考えていい。

「新自由主義」は金融資本がやりたい放題狼藉を働くために、「米国流」と称する基準の世界への押し付けじゃないのか、と目星をつけていたが、「新自由主義」もどうやら質的変化を遂げたようだ。その正体、曖昧ながら反論を封じる回答が「SDGs」ということのようである。

近年耳にしなくなったが、「南北問題」という設問(あるいは課題)があった。地球の北側に裕福な国が集まり、おしなべて南側のひとびとは貧しいこと、を指す言葉だ。「南北問題」は解決したわけではまったくない。問題の位相が南北だけではなく、東西にも広がり尽くし「北側」の国の中にも貧困がどんどん拡大しつつある。「グローバル化」を慶事の枕詞のように乱発した連中は、相変わらず同じ題目を唱え続けているのだろうか。「南北問題」つまり「階級格差」の世界的拡大こそが、今日の困難を端的に指し示すひとつのキーワードであろう

その端では「国連」をはじめとする国際機関が、中立性や科学を放棄し、目前の銭勘定や政治に翻弄される姿も顕在化する。ほかならぬ「災禍の祭典」東京五輪を控えて、「わたしは五輪終了まで一切五輪についてコメントしない」と勝手にみずからを律した。

ここで多言を要せずとも、「東京五輪」がもたらした「返済不能」な負債は、財政問題だけではないことはご理解いただけよう。コロナウイルス猛烈な感染拡大の中、開催された「東京五輪」は、開催直前にIOCの会議にWHOの事務局長が出席するという、わたしの語彙では説明ができない狼藉・混乱の極みと、価値の喪失を堂々と演じた。ここでバッハであったり、テドロス・アダノムといった個人名を取り上げてもあまり意味はない。「五輪」をめぐる利益構造への洞察と徹底的な批判だけが言説としては有効だと思う。

「東京五輪」は単に災禍であった。あれを「それでもアスリートの姿に感動した」などと評する人がいるが、社会を俯瞰する視野をまったく持たない悲しい輩である。

選手村の食事が大量に捨てられたことが報道されたようだが、そんなことは当然予想された些末な出来事の「かけら」に過ぎず、小中学校の運動会が規制され、修学旅行が取りやめになるなかでも「世界的な大運動会」を恥じることなく行ったのが、「日本という国」であり、「東京という都市」だ。「レガシー」という言葉を開催のキーワードに使っていたようだが、資本の論理で巨大化したIOCと称するマフィアは、健康や感染症の爆発的拡大と関係なく「五輪」を今後も開きつづける、と「東京五輪」開催で高らかに宣言をしたのだ。それが連中の「レガシー」だ。

WHOもIOC、国連。一切が利権により不思議な律動を奏でる今日の世界。液晶の向こうには何でもありそうで、本当はなにもない日常。「繋がっていないと不安」な精神は逆効果として個人の精神をますます蝕み「繋がること」と「疎外」が同時に成立する不可思議。なにかの「終焉」が足音を早めると感じるのはわたしだけだろうか。

生きた。生き抜いた。それだけで充分価値があった。生き抜いた「生命」はもちろんのこと、残念ながら生物的には終焉を迎えた人々の「精神」にすら、それが輝いていた日々を思い起こせば「充分価値があった」のだ。

本年も「デジタル鹿砦社通信」をご愛読いただき、誠にありがとうございました。2022年が読者の皆様にとって幸多き年となりますよう、祈念いたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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2021年回顧【拾遺編】天皇制・工藤會・三里塚…そして1971年の記憶 横山茂彦

◆天皇制と皇室はどう変わってゆくのか?

眞子内親王が小室氏と結婚し、晴れて平民となった。小室氏が司法試験に失敗し、物価の高いニューヨークでは苦しい生活だと伝えられるが、それでも自由を謳歌していることだろう。

小室氏の母親の「借金」が暴露されて以来、小室氏側に一方的な批判が行なわれてきた。いや、批判ではなく中傷・罵倒といった種類のものだった。これらは従来、美智子妃や雅子妃など、平民出身の女性に向けられてきた保守封建的なものだったが、今回は小室氏を攻撃することで、暗に「プリンセスらしくしろ」と、眞子内親王を包囲・攻撃するものだった。

ところが、これらの論難は小室氏の一連の行動が眞子内親王(当時)と二人三脚だったことが明らかになるや、またたくまに鎮静化した。眞子内親王の行動力、積極性に驚愕したというのが実相ではないだろうか。

さて、こうした皇族の「わがまま」がまかり通るようになると、皇室それ自体の「民主化」によって、天皇制そのものが変化し、あるいは崩壊への道をたどるのではないか。保守封建派の危機感こそ、事態を正確に見つめているといえよう。

年末にいたって、今後の皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)の動きがあった。

有識者会議は12月22日に第13回会合を開催し、減少する皇族数の確保策として、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰する案の2案を軸とした最終答申を取りまとめ、岸田文雄首相に提出したというものだ。

女性皇族の皇籍はともかく、旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰という構想は、大いに議論を呼ぶことだろう。

それよりも、皇族に振り当てられている各種団体の名誉総裁、名誉会長が本当に必要なのかどうか。皇族の活動それ自体に議論が及ぶのでなければ、単なる数合わせの無内容な者になると指摘しておこう。

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◆工藤會最高幹部に極刑

工藤會裁判に一審判決がくだった。野村悟総裁に死刑、田上不三夫会長に無期懲役であった。弁護団は「死刑はないだろう」の予測で、工藤會幹部は「無罪」「出所用にスーツを準備」だったが、これは想定された判決だった。

過去の使用者責任裁判における、五代目山口組(当時)、住吉会への判決を知っている者には、ここで流れに逆行する穏当な判決はないだろうと思われていた。

福岡県警の元暴対部長が新刊を出すなど、工藤會を食い扶持にしている現状では、警察は「生かさず殺さず」をくり返しながら、裁判所はそれに追随して厳罰化をたどるのが既定コースなのである。

いわゆる頂上作戦は、昭和30年代後半にすでに警察庁の方針として、華々しく掲げられてきたものだ。いらい、半世紀以上も「暴力団壊滅」は警察組織の規模温存のための錦の御旗になってきたのである。

たとえば70年代の「過激派壊滅作戦」は、警備当局によるものではなく、もっぱら新左翼の事情(内部ゲバルト・ポストモダン・高齢化)によって、じっさいにほぼ壊滅してしまった。この事態に公安当局が慌ててしまった(予算削減)ように、ヤクザ組織の壊滅は警察組織の危機にほかならないのだ。

いっぽう、工藤會の代替わりはありそうにない。運営費をめぐって田上会長の意向で人事が動くなど、獄中指導がつづきそうな気配だ。

[関連記事]
《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[前編] 4つの事件の軌跡 2021年8月25日 
《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[後編] 「暴力団」は壊滅できるのか? 2021年8月26日 

◆三里塚空港・歳月の流れ

個人的なことで恐縮だが、われわれがかつて「占拠・破壊」をめざした成田空港の管制塔が取り壊された。歳月の流れを感じさせるばかりだ。

[関連記事]
三里塚空港の転機 旧管制塔の解体はじまる 2021年3月25日

◆続く金融緩和・財政再建議論

今年もリフレに関する論争は、散発的ながら世の中をにぎわした。ケインズ主義者が多い経産省(旧経済企画庁・通産省)から、財務相(旧大蔵省)に政権ブレーンがシフトする関係で、来年も金融緩和・財政再建の議論には事欠かないであろう。

[関連記事]
緊縮か財政主導か ── 財務次官の寄稿にみる経済政策の混迷、それでもハイパー・インフレはやって来ない 2021年10月16日

◆渾身の書評『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』

年末に当たり、力をこめて書いた書評を再録しておきたい。

他の雑誌で特集を組む関係で、連合赤軍事件については再勉強させられた。本通信の新年からは、やや重苦しいテーマで申し訳ないが、頭にズーンとくる連載を予定している。連合赤軍の軌跡である。請うご期待!

[関連記事]
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と 2021年11月24日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈2〉SM小説とポルノ映画の淵源 2021年11月26日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈3〉連合赤軍と内ゲバを生んだ『党派至上主義』2021年11月28日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明 2021年11月30日

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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病床で痛感した病より怖い「災害報道」の弱体化 田所敏夫

わたくしごとで恐縮であるが、本年は予定しない入院を複数回余儀なくされた。通院回数や検査の回数が年々増加するのは、加齢故に現状維持のためには致し方ない。もう慣れた。

◆「警戒レベル5」で募るのは、不安より不満の声

ただ、予定しない数日の入院の際に、医療とは関係のない奇妙(今日にあっては「当たり前」ないのかもしれない)な体験をした。わたしが居住している地域は地上波のテレビやAMラジオが受信しにくい。拙宅にテレビはないが、この地域でテレビを視聴するためには、ケーブルテレビなどのサービスを利用しなければ、地上波は受信できない。

たまたまの入院と同時期に記録的な豪雨の雲が、この地域にも到達した。4人病室、カーテンで仕切られた空間の中で、病院が準備したテレビを1000円のカードを購入して見ている口々に心配の声が聞こえてくる。わたしを除く全員がテレビに夢中になっていたとき、既に携帯電話には「緊急速報」が何度も鳴り響き、その情報は最初「警戒レベル3」であったものが数時間で「警戒レベル4」にあがり、ついには病院近辺の複数地域に「警戒レベル5」が出されたことを伝えていた。耳障りな警報音が、複数の携帯電話から病室に響き渡る。

「警戒レベル5」は気象庁によれば「災害が発生又は切迫していることを示す」もっとも警戒を要するレベルの警報だ(これより程度の高い警報は、現状ない)。だから頑丈な病院に入院していても、家族や知人の心配をして、より詳しい情報を求め同室の皆さんはテレビを見ていたのだろう。だが、どの声も不満をつぶやくものばかりだ「こんなん、テロップ出しただけで、わからへんやんか」、「なんで普通の番組やっとんや。特別番組に切り替えんのや」自分の携帯電話に送られてきた「警戒レベル5」が示すエリアには、わたしの自宅があるの町名も含まれている。

「直ちに命を守る行動を」と横のベッドから漏れ聞こえてきた音声を聞きながら、はて、こんな緊急時にどうしてNHKテレビやラジオはそれこそ娯楽番組を放送していないで、何度でも警戒警報が出されている地域に呼びかける放送をしないものか。

◆「直ちに命を守る行動を」と報じつつ、あまりに呑気なマスメディア

この際自分の目で確認しようと、1000円のテレビ視聴カードを購入してまずNHK総合テレビ見た。この時大雨は西日本を中心に広い地域にわたり、多くの河川氾濫も起こっていた。だから警報が出ている地域も複数県にわたっていた。

それにしても「直ちに命を守る行動を」要請されているのは、何十か所もあるわけではない。河川氾濫や土砂崩れによる道路寸断のニュース画面が繰り返し流される一方、「いま」危機を迎えている地域への呼びかけは、極めて抽象的だ。

民放にチャンネルを変えても放送内容は大差ない。ではラジオはどうかと、病院内に設置されている入院患者用のパソコンでネットで地元のラジオが聴取できるサービス「radiko」からNHK第一放送を聞いてみる。NHKラジオもやはり通常通りの番組を放送していて「直ちに命を守る行動を」との状態にしては、呑気なものである。

そこで、せっかくパソコンを触っているのだから、ネットで情報を調べてみた。入院中の病院近くの複数の市や町に「警戒レベル5」が出されている。そこには町名のほか何世帯が警戒の対象かも記載されている。繰り返すが「警戒レベル5」は「もう避難できない人は最悪に備えて、家の中で比較的安全な場所に身を寄せて」とも表現される警報だ。近年地震だけでなく、大雨による水害や山の崩落が毎年発生しているからであろうか、あるいはこの時の大雨被害がかなり広域にわたったためか、詳しい避難情報はテレビ・ラジオからは得ることができず、ネットがなければどうしようもないのではないか、と気になった。

◆手術と同じくらい恐ろしかった「災害報道」の弱体化

次の日病室で同室の人が見ているテレビの声が漏れてきた。話口調から民放の番組のようだ。「それでは今回のような災害の際に、お住まいの場所にどんな警報が出ているかを知る方法をお伝えします」とアナウンサーらしき男性の声は「ネットで『気象庁』と検索すると、このように詳しい警報の情報が出てきます」(このあたりのコメント内容は記憶が完全ではないが)とこともなげに説明をはじめた。わたしはテレビから離れて30年ほどになる。それでも外出先で短時間テレビに接することはあり、その都度「知らないことばかり」の画面を無感動に眺めているのだが、この時は違った。

テレビはもう、命にかかわる災害発生時にも情報を頼る相手ではなくなった。それを知り「ここまで来たか」と衝撃を受けた。ラジオも同様だ。NHKは各県に放送局を設けているのだから、その気になればかなり細やかな情報提供は可能だろうに、もうはなからテレビやラジオにはそんなつもりはないらしい。「非常持ち出し袋にはラジオを入れておきなさい」と昔から教わったが、この地域ではそもそもAMラジオ電波が届きにくい。そのうえ電波を受信できても肝心の避難情報が放送されなければ、ラジオを持っている意味はないだろう。

テレビも同様。すべてを「ネットで」と誘導するのが今日当たり前のようだが、「災害時にネットへアクセスできるかどうか」この基本的な問題が度外視されてはいまいか。スマートフォンだって基地局のアンテナが倒れたら使えないし、そもそもネットはおろか、パソコンを使わないかたがたにはどうしろというのだろう。

手術も恐ろしかったが、同じくらい「災害報道」の弱体化には恐れ入った数日間であった。情報技術やインターネットは“進歩”したようだが、災害時におけるこのような報道姿勢は「退行」以外のなにものでもないのではないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
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全米民主主義基金(NED)による「民主化運動」への資金提供、反共プロパガンダの温床に、香港、ニカラグア、ベネズエラ…… 黒薮哲哉

「スタンピード現象」と呼ばれる現象がある。これはサバンナなどで群れをなして生活しているシマウマやキリンなどの群れが、先頭に誘導されて、一斉に同じ方向へ走り出す現象のことである。先頭が東へ駆け出すと、群れ全体が東へ突進する。先頭が西へ方向転換すると、後に続く群れも西へ方向転換する。

わたしが記憶する限り、スタンピード現象という言葉は、共同通信社の故・斎藤茂男氏が、日本のマスコミの実態を形容する際によく使用されていた。もう20年以上前のことである。

ここ数年、中国、ニカラグア、ベネズエラなどを名指しにした「西側メディア」による反共キャンペーンが露骨になっている。米中対立の中で、日本のメディアは、一斉に中国をターゲットとした攻撃を強めている。中国に対する度を超えたネガティブキャンペーンを展開している。

その結果、中国との武力衝突を心配する世論も生まれている。永田町では右派から左派まで、北京五輪・パラの外交的ボイコットも辞さない態度を表明している。その温床となっているのが、日本のマスコミによる未熟な国際報道である。それを鵜呑みにした結果にほかならない。

写真出典・プレンサラティナ紙

◆メディアは何を報じていないのか?

新聞研究者の故・新井直之氏は、『ジャーナリズム』(東洋経済新報社)の中で、ある貴重な提言をしている。

「新聞社や放送局の性格を見て行くためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批評するときに欠くことができない視点は、『どのような記事を載せているか』ではなく、『どのような記事を載せていないか』なのである」

新井氏の提言に学んで、同時代のメディアを解析するとき、日本のメディアは、何を報じていないのかを検証する必要がある。

結論を先に言えば、それは米国の世界戦略の変化とそれが意図している危険な性格である。たとえば米国政府の関連組織が、「民主化運動」を組織している外国の組織に対して、潤沢な活動資金を提供している事実である。それは「反共」プロパガンダの資金と言っても過言ではない。日本のメディアは、特にこの点を隠している。あるいは事実そのものを把握していない。

「民主化運動」のスポンサーになっている組織のうち、インターネットで事実関係の裏付けが取れる組織のひとつに全米民主主義基金(NED、National Endowment for democracy)がある。この団体の実態については、後述するとして、まず最初に同基金がどの程度の資金を外国の「民主化運動」に提供しているかを、香港、ニカラグア、ベネズエラを例に紹介しておこう。次の表である。

全米民主主義基金(NED)はどの程度の資金を各国の「民主化運動」に提供しているか

次のURLで裏付けが取れる。2020年度分である。

■香港:https://www.ned.org/region/asia/hong-kong-china-2020/

■ニカラグア:https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/nicaragua-2020/

■ベネズエラ:https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/venezuela-2020/

これらはいずれも反米色の強い地域や国である。そこで活動する「民主化運動」に資金を提供したり、運動方法を指導することで、「民主化運動」を活発化させ、混乱を引き起こして「反米政権」を排除するといういのが、全米民主主義基金の最終目的にほかならない。

◆反共プロパガンダのスポンサー、全米民主主義基金

日本のメディアは、皆無ではないにしろ全米民主主義基金についてほとんど報じたことがない。しかし、幸いにウィキペディアがかなり正確にこの謀略組織を解説している

それによると、全米民主主義基金は1983年、米国のレーガン政権時代に、「『他国の民主化を支援する』名目で、公式には『民間非営利』として設立された基金」である。しかし、「実際の出資者はアメリカ議会」である。つまり実態としては、米国政府が運営している基金なのである。

実際、全米民主主義基金のウェブサイトの「団体の自己紹介」のページを開いてみると、冒頭に設立者であるドナルド・レーガン元大統領の動画が登場する。

同ページによると、全米民主主義基金は「民主主義」をめざす外国の運動体に対して、年間2000件を超える補助金を提供している。対象になっている地域は、100カ国を超えている。

その中には、ウィグル関連の「反中」運動、日本では悪魔の国ような印象を植え付けられているベラルーシの運動体、キューバ政府を打倒しようとしているグループへの支援も含まれている。ひとつの特徴として、反共メディアの「育成」を目的にしていることが顕著に見られる。

■キューバの反政府運動への支出 https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/cuba-2020/
 
レーガン大統領(当時)が全米民主主義基金を設立した1983年とはどんな年だったのだろうか。この点を検証すると、同基金の性格が見えてくる。

◆ニカラグア革命とレーガン政権

1979年に中米ニカラグアで世界を揺るがす事件があった。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が、親子3代に渡ってニカラグアを支配してきたソモサ独裁政権を倒したのだ。米国の傀儡(かいらい)だった独裁者ソモサは自家用ジェット機でマイアミへ亡命した。

米国のレーガン政権は、サンディニスタ革命の影響がラテンアメリカ全体へ広がることを恐れた。ラテンアメリカ諸国が、実質的な米国の裏庭だったからだ。とりわけニカラグアと国境を接するエルサルバドルで、民族自決の闘いが進み、この国に対しても政府軍の支援というかたち介入した。その結果、エルサルバドルは殺戮(さつりく)の荒野と化したのである。

中米諸国の位置関係を示す地図

わたしは1980年代から90年代にかけて断続的にニカラグアを取材した。現地の人々は、革命直後に米国が行った挑発行為についてリアルに語った。ブラック・バード(米空軍の偵察機)が、ニカラグア上空を爆音を立てて飛び回り、航空写真を取って帰ったというのだった。

レーガン政権は、ただちにニカラグアの隣国ホンジュラスを米軍基地に国に変えた。そしてニカラグアのサンディニスタ政権が、同国の太平洋岸に居住しているミスキート族を迫害しているという根拠のないプロパガンダを広げ、「コントラ」と呼ばれる傭兵部隊を組織したのである。

レーガン大統領は、彼らを「フリーダムファイターズ(自由の戦士)」と命名し、ホンジュラス領から、新生ニカラグアへ内戦を仕掛けた。こうした政策と連動して、ニカラグアに対する経済封鎖も課した。日本は、米軍基地の国となったホンジュラスに対する経済援助の強化というかたちで、米国の戦略に協力した。

しかし、コントラは、テロ活動を繰り返すだけで、まったくサンディニスタ政権は揺るがなかった。

そして1984年、革命政府は、国際監視団の下で、はじめて民主的な大統領選挙を実施したのである。こうしてニカラグアは議会制民主主義の国に生まれ変わった。その後、政権交代もあったが、現在はサンディニスタ民族解放戦線が政権の座にある。

全米民主主義基金は、このような時代背景の中で、1983年に設立されたのである。もちろんサンディニスタ革命に対抗することが設立目的てあると述べているわけではないが、当時のレーガン政権の異常な対ニカラグア政策から推測すると、その可能性が極めて高い。あるいは軍政から民生への移行が加速しはじめたラテンアメリカ全体の状況を見極めた上で、このような新戦略を選んだのかも知れない。露骨な軍事介入はできなくなってきたのである。

◆米国の世界戦略、軍事介入から「民主化運動」へ

それに連動して米国の世界戦略は、軍事介入から、メディアによる「反共プロパガンダ」と連動した市民運動体の育成にシフトし始めるが、それは表向きのことであって、「民主化運動」で国を大混乱に陥れ、クーデターを試みるというのが戦略の青写真にほかならない。少なくともラテンアメリカでは、その傾向が顕著に現れている。次に示すのは、米国がなんらかのかたちで関与したとされるクーデターである。

筆者が作成したものなので、すべてをカバーできていない可能性もある。ここで紹介したものは、一般的に熟知されている事件である

これらのほかにも既に述べたように、1980年代の中米紛争への介入もある。1960年のキューバに対する攻撃もある。(ピッグス湾事件)このように前世紀までは、露骨な介入が目立ったが、2002年のベネズエラあたりから、「民主化運動」とセットになった謀略が顕著になってきたのである。

◆アメリカ合衆国国際開発庁からも資金

このような米国の戦略の典型的な資金源のひとつが、全米民主主義基金なのである。もちろん、他にも、「民主化運動」を育成するための資金源の存在は明らかになっている。たとえば、米国の独立系メディア「グレーゾーンニュースThe Grayzone – Investigative journalism on empire」は、アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)が、2016年に、ニカラグアの新聞社ラ・プレンサに41,121ドルを提供していた事実を暴露している。反共プロパガンダにメディアが使われていることがはっきりしたのだ。

また、同ウェブサイトは、今年の11月に行われたニカラグアの大統領選挙では、サンディニスタ政権を支持するジャーナリストらのSNSが凍結されるケースが相次いだとも伝えている。 

わたしは、香港や中国、ニカラグア、ベネズエラなどに関する報道は、隠蔽されている領域がかなりあるのではないかと見ている。それはだれが「民主化運動」なるもののスポンサーになっているのかという肝心な問題である。

仮に海外から日本の「市民運動」に資金が流れこみ、米国大統領選後にトランプ陣営が断行したような事態になれば、日本政府もやはり対策を取るだろう。露骨な内政干渉は許さないだろう。中国政府にしてみれば、「堪忍ぶくろの緒が切れた」状態ではないか。ニカラグア政府は、現在の反共プロパガンダが、かつてホンジュラスからニカラグアに侵攻したコントラの亡霊のように感じているのではないか。

エドワルド・ガレアーノは、『収奪された大地』(大久保光男訳、藤原書店)の中で、ベネズエラについて次のように述べている。

「アメリカ合州国がラテンアメリカ地域から取得している利益のほぼ半分は、ベネズエラから生み出されている。ベネズエラは地球上でもっとも豊かな国のひとつである。しかし、同時に、もっとも貧しい国のひとつであり、もっとも暴力的な国のひとつでもある」

米国のドルが世界各地へばらまかれて、反共プロパガンダに使われているとすれば、メディアはそれを報じるべきである。さもなければ政情の客観的な全体像は見えてこない。間接的に国民を世論誘導していることになる。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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《NO NUKES voice》「もんじゅ」動燃総務部次長・西村成生氏怪死事件の真相 「これは自殺ではない」妻のトシ子さんが今も闘い続ける理由 尾崎美代子

『NO NUKES voice』30号に、1995年12月8日、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)で発生したナトリウム漏れ事故の社内調査を担当した動力炉・核燃料開発事業団(以下、動燃)の職員・西村成生氏の怪死事件について書いた。以前より気になっていたが、12月14日付デジタル鹿砦社通信で報告した「あらかぶさん裁判」のメーリングリストで、妻のトシ子さんが今も闘い続けていることを知り取材を始めた。

◆「これは自殺ではない」

もんじゅのナトリウム漏れ事故後、動燃は、現場を撮影した2本のビデオ(「2時ビデオ」(12月9日午前2時撮影)と「4時ビデオ」(12月9日午後4時撮影))について、問題部分をカットしたり、存在を隠してマスコミに発表、それが発覚するやマスコミから激しい非難を浴びるようになった。そんな中、特命で内部調査を任されたのが、当時総務部次長の西村成生氏(当時49才)だった。

12月23~24日現地調査した結果、問題の2時ビデオが、事故後すぐに東京本社に届けられていることが発覚、調査チームは25日、その事実を大石理事長に報告した。しかし、大石理事長は国会に呼ばれた際もそれを公表しなかった。年が開けた1996年1月12日、政権交代で新科技庁長官に就任した中川秀直氏が、会見で2時ビデオが動燃本社に持ち帰られ、幹部が見ていた旨の発言を行った。そのため、動燃は急きょ会見を開くことになった。

会見は、1回目に広報室長と動燃幹部が、2回目に大石理事長が行ったが、この席でも大石理事長は、2時ビデオの存在を知ったのは1月11日と嘘をついた。3回目の会見に引きずりだされた成生氏は、先の理事長、幹部らの発言に合わせる形で、本社幹部が2時ビデオの存在を知ったのは(理事長が知った前日の)1月10日と発言した。

会見終了が午後10時5分頃。深夜1時頃、成生氏は、13日敦賀で会見を行うため大畑理事とホテルにチェックインしたことになっている。その後動燃から成生氏宛に5枚のFAXが届き、浴衣姿の成生氏がフロントに取りに来たとされている。早朝約束の時間に成生氏が来ないのを不審に思った大畑理事が、成生氏の部屋を入ったところ、机に白い紙があり、周辺を探したところ、非常階段の下にうつ伏せに倒れている成生氏を発見したという。

連絡を受けたトシ子さんは、病院に向かう途中、車のラジオで、成生氏がホテルの8階から転落、遺書があったことから自殺と断定されたと知った。「遺体はどんなに酷いだろう」と不安な思いで霊安室に入ったトシ子さんは、8階から転落したとは思えない、損傷の少ない夫の遺体を見るなり、驚くと同時に直感した。「これは自殺ではない」。

1995年、東海事業所管理部部長時代の西成成生さん。この年、東京本社に異動となり、もんじゅ事件の特命を命じられた

◆政治的に利用された成生さんの死

不可解な点はそれだけではなかった。ささやかな葬儀を準備していたトシ子さんに、動燃は「車が6台入れるように」などと注文を付け会場に変えさせられ、葬儀には田中真紀子はじめ大物議員など著名人が1500人も参列、まるで「社葬」のようだった。驚くのは、そこで読まれた大石理事長ら関係者の弔辞が、それぞれ繋がるように意図的に作られたような内容だったという(詳細はぜひ本文を読んで頂きたい)。

「成生さんの死は政治的に利用されているのかもしれない」。トシ子さんの疑惑はますます強まった。一方、成生さんの死後、マスコミの動燃批判は一挙に沈静化した。

ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに動燃はあれこれ注目を付け、「社葬」のような葬儀が執り行われた。費用600万円は西村家が支払った
 
西村トシ子さん

葬儀から数ヶ月後、理事長秘書役で成生氏と大学の同窓生だった田島氏から、成生氏の死について説明したいと連絡があり、トシ子さんは田島氏と大畑理事と会った。

田島氏が書いた「西村職員の自殺に関する一考察」は、成生氏の自殺が、前日の会見で、2時ビデオの存在を知った日にちを前年12月25日というべきところを1月10日と間違えたことを苦にしたというものだった。

「そんなことで死ぬかしら」。トシ子さんは納得いかなかった。それに5枚のFAX受信紙はどこにいったの? そこには受信した時間が刻時されているはず…。トシ子さんがその件を尋ねると、大畑理事は慌てて席を立ち姿を消した。

一方、「一考察」のなかに驚くべき事実が判明した。そこには、トシ子さん宛の遺書に書かれた内容が記されていた。田島氏が「一考察」を書いたのは1月15日。しかしトシ子さんは自分に宛てられた遺書を、1年近く誰にも見せていなかったのだ。ますます深まる疑念…しかし成生氏の死により国策で進められた夢の原子炉「もんじゅ」は、延命を遂げることとなった。紙面の関係で、本文で割愛したその後繰り広げられた訴訟について紹介したい。

動燃理事長秘書役(当時)だった田島氏が書いた手書き文書「西村職員の自殺に関する一考察」
同上

◆遺体が語る真実

トシ子さんは1年後、成生さんのカルテを作成した聖路加国際病院の医師に連絡した。医師も連絡を待っていたという。というのも、医師によれば、病院に運ばれた成生さんの遺体は、死後10時間は経過していたという。それでは深夜1時にチェックインすることはできないことになる。しかもホテルは宿泊帳の開示を拒んでいる。

警察と東京都監察医、動燃の発表では死亡推定時刻はAM5時頃、聖路加国際病院のカルテでは死亡確認時刻AM6時50分、その時の深部体温は27度だった。深部体温とは、腸など身体内部で外気などに影響を受けにくい温度で、そこから死亡推定時刻が測れるという。法学者らは5時から6時50分の約2時間で、深部体温が37度から27度へ10度も下がることはありえないという。そこからトシ子さんは、監察医により死体検案書に虚偽事実が書かれているとして虚偽私文書作成、3通の遺書に記された「H8.1.13(土)03:10.」「H8.1.13(土)03:40.」「H8.1.13、03:50」の筆跡が成生氏の字ではないが、これは死亡時刻を遅くする第三者が加筆したものとする私文書偽造で、動燃の田島氏と都の監察医を訴えた。しかし、1998年10月、不起訴となった。

2002年、トシ子さんは東京都公安委員会に「犯罪被害者等給付金」を申請したが、翌年「支給しない」とされた。しかし、この過程で事件当時、中央警察署が作成した「捜査報告書」「実況見分調書」「写真撮影報告書」「死体取扱報告書」や、鑑定医が作成した「死体検案調書」などの提出物件を見て、公安委員会は弁明書と裁決書を作成したことがわかった。警察と動燃の説明が一切なかったので、トシ子さんはこの過程で初めて、警察の捜査がどのようなものだったかを知った。トシ子さんはこの裁決書を見て、不服だったので行政訴訟をしようとしたが、請け負う弁護士はいなかった。

2004年10月13日、トシ子さんと息子2人は、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に対して、成生氏の死が自殺というならば、自殺に追いやった、防げなかった安全配慮義務違反があるのではとして、労災として損害賠償訴訟を提訴した。

証人尋問で大石元理事長は、原告側弁護人に「2時ビデオ」が本社に来ていたとの報告を受けた日にちについて聞かれ、「記憶にない」と証言。ほかの質問にも「知らない」「覚えていない」を繰り返した。2007年5月14日、東京地裁で敗訴、2009年東京高裁は控訴を棄却、2012年1月31日、上告も棄却された。

2019年10月、山崎隆敏さんに福井県内の原発を案内された。もんじゅは敦賀市内から更に奥まった白木地区にひっそりたたずんでいた
 
2019年10月、福井県敦賀市白木地区を訪ねた。海岸沿いで会ったおばあさんは「あのそばにうちの畑があった」ともんじゅを指差した

◆未遺品返還訴訟へ

2015年2月13日、トシ子さんは、東京都と警察に対して、中央署警察官等が関与した成生氏の全着衣、マフラー、5枚のFAX受信紙、遺書を書いた万年筆など「未遺品返還訴訟」を東京地裁に提訴した。成生氏の死亡後、遺族にはカバン、鍵、財布、コートしか返却されてなかった。裁判で、捜査にあたった2人の警察官が証人尋問に立ち、「遺品は全て返しているはず。中央署にはない」と証言。現場にかけつけた警察官らが、成生氏の死を『自殺・事件性なし』と判断していたため、部屋の実況見分などを行っていないことも判明した。2017年3月13日、東京地裁はトシ子さんらの請求を棄却、9月13日東京高裁は控訴を棄却。しかし高裁判決は、一部の遺品は大畑元理事に渡っていた事実を認定した。トシ子さんは2018年2月22日、日本原子力研究開発機構(旧動燃)と大畑宏之元理事に対して、未返還遺品請求を提訴した。大畑氏は、訴状が届いた数日後死亡したため、訴訟の被告は大畑元理事の遺族に引き継がれた。

7月5日、成生氏の死亡後、成生氏の動燃内机の封印に関与した3名の被告の証人尋問が予定されたが、2名は意見書を提出、田島氏は体調不良で出廷しなかった。トシ子さんは法廷で「遺体の状態から、主人はホテル以外の場所で遺書を書かされ、暴行を受けて亡くなったと思います。夫は生きる権利、私は知る権利があるのに、何回裁判をやってもそれが顧みられません。憲法の基本的人権が侵害されないように裁判をしていただきたい」と訴えた。

しかし、9月30日、東京地裁はトシ子さんらの請求を棄却、現在トシ子さんらは東京高裁に控訴している。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

12月11日発売!〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

〈原発なき社会〉を求めて
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総力特集 反原発・闘う女たち

[グラビア]
高浜原発に運び込まれたシェルブールからの核燃料(写真=須藤光郎さん)
経産省前の斎藤美智子さん(写真・文=乾 喜美子さん)
新月灯花の「福島JUGGL」(写真=新月灯花)

[インタビュー]山本太郎さん(衆議院議員)×渡辺てる子さん(れいわ新選組)
れいわ新選組の脱原発戦略

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」原告共同代表)
「子ども脱被ばく裁判」 長い闘いを共に歩む

[報告]乾 喜美子さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
経産省前のわたしたち

[報告]乾 康代さん(都市計画研究者)
東海村60年の歴史 原産の植民地支配と開発信奉

[報告]和田央子さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
福島県内で進む放射能ゴミ焼却問題
秘密裏に進められた国家プロジェクトの内実

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
「もんじゅ」の犠牲となった夫の「死」の真相を追及するトシ子さんの闘い

[インタビュー]女性ロックバンド「新月灯花
福島に通い始めて十年 地元の人たちとつながる曲が生み出す「凄み」

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
検討しなきゃいけない検討委員会ってなに?

[報告]森松明希子さん
(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表/原発賠償関西訴訟原告団代表)
だれの子どもも“被ばく”させない 本当に「子どもを守る」とは

[書評]黒川眞一さん(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)
森松明希子『災害からの命の守り方 ─ 私が避難できたわけ』

※     ※     ※

[報告]樋口英明さん(元裁判官)
広島地裁での伊方原発差止め仮処分却下に関して

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈14〉避難者の多様性を確認する(その4)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈23〉最終回 コロナ禍に強行された東京五輪

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈後編〉放射能汚染水の海洋投棄について〈2〉

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
「エネルギー基本計画」での「原子力の位置付け」とは

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
問題を見つけることが一番大事なことだ

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
《追悼》長谷川健一さん 共に歩んだ十年を想う

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
チャーリー・ワッツの死に思う 不可解な命の重みの意味

[報告]佐藤雅彦さん(ジャーナリスト/翻訳家)
21世紀の国家安全保障のために原発は邪魔である!

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈14〉現状は、踊り場か後退か、それとも口笛が吹けるのか

[報告]大今 歩さん(高校講師・農業)
「脱炭素」その狙いは原発再稼働 ──「第六次エネルギー基本計画」を問う

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
コロナはおーきく低下した。今後も警戒を続ける
対面会議・集会を開こう。岸田政権・電力会社の原発推進NO!
《北海道》藤井俊宏さん(「後志・原発とエネルギーを考える会」共同代表)
特定放射性廃棄物最終処分場受入れ文献調査の是非を問う
《北海道》瀬尾英幸さん(北海道脱原発行動隊/泊村住人)
文献調査開始の寿都町町長選挙の深層=地球の壊死が始まっている
《福島》黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
内部被ばくが切実になっているのではないか
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟)
脱炭素化口実にした老朽原発再稼働を止め、原発ゼロへ
《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
衆議院選挙中も、原発止めよう活動中―三つの例
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
老朽原発廃炉を勝ち取り、核依存政権・岸田内閣に鉄槌を!
《中国電力》芦原康江さん(島根原発1、2号機差し止め訴訟原告団長)
島根原発2号機の再稼働是非は住民が決める!
《玄海原発》豊島耕一さん(「さよなら原発!佐賀連絡会」代表)
裁判、県との「対話」、乾式貯蔵施設問題
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理の責任を糾弾する!
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『科学・技術倫理とその方法』(唐木田健一著、緑風出版刊)

反原発川柳(乱鬼龍さん選)

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《2021年キックボクシング回顧》「キックの鬼」沢村忠さん逝去、キック団体再編……コロナ禍の影響だけではない ムエタイ節目の時代へ! 堀田春樹

◆コロナが続く!

昨年拡大したコロナ禍による影響は今年も続きました。長期には至らぬも緊急事態宣言により延期や終了時刻を早めの設定と、観衆50パーセント以下の制限などは12月上旬まで響きました。

コロナウイルスに罹る選手もわずかながら居た中、濃厚接触者となった選手も一定の待機期間を設ける必要の為、無症状でも中止カードも発生するもどかしさもありました。

タイからの選手が来日不可能で、タイトル戦が絡む国際戦が停滞。こういった外国人選手の来日が閉鎖され、プロボクシングでも世界戦の延期が相次ぐ事態がこの12月でも発生しました。秋頃からコロナ収束の兆しが見えてきた中では観衆制限が緩められつつあり、新たにオミクロン株が蔓延し始める油断ならない現状も、今後は感染急拡大が無い限り、以前のような開催が待たれています。

NJKFで続く会場内の注意喚起(2021年6月27日)
沢村忠さんは最後までファンを大切にした人(2009年4月19日)

◆キックの鬼・沢村忠さん永眠

3月26日に亡くなられた沢村忠さん。4月1日のスポーツ報知一面で、「元・東洋ライト級チャンピオン、沢村忠さんが肺癌の為、亡くなられていた」という報道がありました。引退して44年。キック界から離れ、メディアには殆ど姿を現さずも、未だスポーツ新聞の一面で取り上げられるほど大きな存在感を示しました。身体の具合が良くないとは情報筋で聞いていたものの、ついにその日が来たという虚しさが残るキック関係者は多いでしょう。
昨年3月に名レフェリーだった李昌坤(リ・チャンゴン)さん、5月に藤本(旧・目黒)ジムの藤本勲会長が相次いで亡くなられ、ここ数年で野口プロモーションと目黒ジムの重鎮が逝ってしまう話が多いところで、創生期の語り部が少なくなる虚しさが残りました。

◆国崇と健太が100戦達成!

4月24日に国崇(=藤原国崇/41歳/拳之会)が100戦目を迎え、11月21日で102戦57勝42敗3分の戦績を残しました。健太(=山田健太/34歳/ESG)も9月19日に100戦目を達成し、62勝(18KO)31敗7分。二人はいずれもNJKFとWBCムエタイ日本王座獲得経験あるベテランです(戦績はNJKF発表を参照)。

国内に於いて100戦超えは昭和時代では藤原敏男氏をはじめ名チャンピオンが数名居て、国崇と健太は昭和時代以来でしょう。しかし現在は3回戦が主流で、一概には比べられない時代の格差は有るものの、現在の選手層の中には50戦超えは結構多いので、どこまで戦歴を延ばせるかの興味も湧くところです。

[左]岡山で活躍の国崇101戦目のリングは後楽園ホール(2021年9月19日)[右]健太は安定した試合運びで戦歴を積み重ねた(2021年6月6日)

◆今年のキック団体(協会・連盟)の変化は

今時は業界が統一されない限り、何も驚かない時代です。過去に有った団体や個々のイベントプロモーションも形を変えつつ進化してきたのがここ数年で、2010年1月にスタートした「REBELS」は存在感が大きかったイベントでしたが、今年2月28日で幕を閉じ、「KNOCK OUT」に吸収され、統一という形でビッグイベントは続いている模様です。

既存の団体に留まっていては鎖国的で、エース格でも存在感が薄く「RIZINに出たい、ONEに出たい!」等のビッグイベント出場アピールが多く、団体トップだけでは飽き足らないのが選手の本音。

「これではいけない」とマッチメイクに苦しむ各団体幹部の平成世代は結束力も生まれ、団体交流戦も活発に行われていますが、客観的に見ればこれが一つの圏内のキックボクシング界で、昨年末から比べて大きな変化は無いものの、今後も交流戦から緩やかな進化が続くでしょう。

ルンピニースタジアム(まだ屋外)で行われた女子試合(2021年9月18日 (C)MUAYSIAM)

◆崩れ行くムエタイの伝統

タイ国に於いては日本と違い、ほぼ毎日興行が行なわれていたバンコクで、昨年3月のコロナ感染爆発からスタジアム閉鎖が続き、ムエタイ界はかなりの打撃を受けました。

2016年10月のプミポン国王が崩御された際でも30日間の自粛期間でしたが、目処の立たない長期に渡っての閉鎖は各スタジアムに於いては史上初。

更にはコロナ禍の影響だけではないムエタイは節目の時代に来たのか、今年9月中旬からの規制緩和後も、ムエタイの伝統・格式が崩れてきた現象も起こりました。

古き時代はリングや選手に触れることも許されなかった厳格な女人禁制のムエタイは、1990年代から徐々に緩む中、地方では女子試合が行われるようになり、二大殿堂のルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアムだけは厳格さが近年まで変わらなかったところが、今年9月18日にはルンピニースタジアムで、プロ初の女子の試合が行われるようになり(コロナ禍で当初は屋外特設リング、現在は本来のメインスタジアム)、こんな前例が出来れば、汚点とまでは言えなくとも、設立以来65年間も守ってきた規律を破ってまでもやる必要があったかは疑問で、もう二度と消せない歴史が残ってしまいました。

「女子試合は時代の流れとしても、ラウンドガールがリングに上がるのは格式高いルンピニースタジアムとして如何なものか!」と失望する日本のキック関係者も居るほど、まだある威信の崩れがムエタイの権威を貶めている様子です。これも新しい時代として受け入れるしかないのか。そして今後の展開はどうなるのか。日本のキックボクシングを含めて次回の“2022年の展望”で書いてみようと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」