《殺人現場探訪02》 宮﨑勤事件──現地で息をひそめて生き続ける人たち

 
朝日新聞2008年6月17日号外

1988年から1989年にかけて東京と埼玉で4人の幼女を次々に連れ去って殺害し、遺体を食べるなどの凶行に及んだ元死刑囚の宮﨑勤(享年46)。

被害女児の骨片を入れた段ボール箱を女児の自宅玄関前に置いたり、「今田勇子」名義で報道機関に犯行声明を送りつけるなどの異常性が当時、社会を震撼させた。

そんな宮﨑も2008年6月に死刑執行されて世を去ったが、私が東京・あきる野市(事件発生当時は西多摩郡五日市町)にあった宮﨑の実家跡地を訪ねたのは死刑執行からちょうど7年の年月が過ぎた2015年の夏のことだった。

◆宮﨑宅は「有料駐車場」になっていたが……

「そこは今、駐車場ですよ」

そう教えてくれたのは、道を聞くために入った最寄り駅・JR武蔵五日市駅前の交番の制服警察官。彼は現地までの道順についても、机の上に地図を広げて、親切に教えてくれた。

現地に到着すると、宮﨑の家は建物が取り壊され、宮﨑が多数のビデオや漫画を所蔵していた有名な「オタク部屋」も跡形もなくなっていた。そして広々とした更地には、たしかに有料駐車場だと示す「P→1日¥1,000」という立て看板が設置されていた。

家屋はすべて取り壊され、有料駐車場の看板が設置された宮﨑の実家跡地
宮﨑の「オタク部屋」があった場所。砂が盛られた理由は不明だ

ただ、有料駐車場とはいっても管理人などはおらず、コインパーキングのように自動精算する仕組みになっているわけでもない。料金を入れる小箱が立て看板のかたわらに置かれているだけである。周囲には畑と民家しかない。地元の人のものらしき車は数台止まってはいたが、この場所を車で訪ね、1日1000円の有料駐車場を利用する人がそう多くいるとは思いがたかった。

駐車場利用者の料金支払いは善意に委ねられている

通りかかった地元の女性は、声をひそめてこう語った。

「(宮﨑の)家族はもうこのへんに住んでいないみたいです。ただ、親戚の人たちは今もこのあたりに住んでいるんですよ」

周辺を見て回ると、たしかに「宮﨑」と表札を掲げた家があった。さらにふと見ると、パトカーが近くに止まり、制服警察官が車内から私の様子をうかがっていた……。

先ほど道を聞いた交番の制服警察官たちが、私のような野次馬が宮﨑の親族に迷惑をかけないかと監視にやってきたわけである。宮﨑の父親が事件後に自殺したという話は有名だが、生き続けている親族たちは事件から30年近く経ってもなお、警察がそんなケアをしなければいけないほど深い傷を負っているということだろう。

息をひそめて生き続ける親族たち。この人たちも紛れもなくこの事件の被害者だ。


◎[参考動画]宮﨑勤死刑囚に刑執行(2008年6月17日放送フジテレビ「ニュースJapan」より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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ラオスからタイへの旅[2]プーミポン国王逝去直後バンコクの昼と夜

 

昨年の秋、タイに行って来た。タイミングとしては、プーミポン国王(ラーマ9世)が10月13日に逝去して、まだ日が浅かったので、かなりの人の服装は黒かった。4割くらいは喪服だったのではないか。

タイで有名な観光スポットの「ワット・ポー」にも行ったし、かの有名なメコン川の水上バスにも揺られてみたが、一番の見所は、やはり早朝の朝6時からオープンしている「問屋街」だろうと思う。頭が切れる連中は、ここに来てTシャツやトレーナーを200円くらいで大量に買い付け、日本のオークションサイトで2000円くらいで売っている。まさに1800円の利ざやだ。これを練金術と呼ばずして、なんと呼ぶ?!

ぼく自身は、タイへの憧れは強い。自身、近年は海外取材を増やして英語やタイ語もテキストを購入し、鋭意、習得に取り組んでいるが、さすがに50歳をすぎると頭に入ってこないのが悲しい。

ところで、日本からタイへの直接投資額は世界でも群を抜いており、タイ投資委員会(BOI)によれば2016年1月から9月期は317.4億バーツ(185件)で2位のシンガポール(266.5億バーツ)以下を大きく引き離している。この状況下、日本人ビジネスマンは多数、タイにやってくると確信し、彼等の役にたつ情報をより多く配信したいが、いかんせん媒体は少ない。

さて、タイの人たちはおしなべて「親日的」だが、最近じゃあこの親日的なムードに水を差す詐欺が増えているという。それが「タイ風俗不動産詐欺」だ。

「リッチそうな旅行客を見つけては『ゴーゴーバーの物件が近く空きますよ。倒産した会社の物件なので、200万円という破格の値段で買い取れます』と甘い言葉で囁く。そして、契約してしまい、いざ営業しようという段になって、本物のゴーゴーバーのオーナーが登場し、『お前、俺の店で何をしてくれるんだ』と問い詰める。本物のオーナーが絡んでいるのがポイントです」(タイにいる日本人ジャーナリスト)

それでも、タイは観光で食っている国だから、ツーリストポリスに駆け込んで「タイの詐欺師に○○かもられた」と申告すれば、何割かは戻ってくる可能性が高い。観光立国とはそういうことだ。

夜になるとまたタイは別な顔を見せる。夜は金もちが遊びに顔をだす。まるで夜行性の昆虫のごとくだ。

 
 

バンコク市内では、さまざまなセレブが遊んでいるといわれており、ナイトマーケットでは雑貨からつまみ、伝統工芸品などさまざまなものがところ狭しと並んでいるが、スリにも気をつけたほうがいいだろう。観光客は、タイでは「カモ」なのだ。

だがそのことをさしひいても、タイは美しい街だし、物価は日本の3分の1だ。リタイヤして住みたい国の上位に常に食い込むというこの国に、いまいちど行ってみたいと思う。

政治的には、プーミポン国王が亡くなり、安定しないのではないか、と囁かれているようだ。この国はいつの時代も軍隊の政治と民衆の政治がぶつかり合い、前国王が調停に入っておさめてきた。

タイの人たちにとって「戦争で一度も侵略されていない」のは誇りであり、国力が伸びてきた原因のひとつ。周辺のベトナムやミャンマーは、常に戦争で疲弊してきたから。いずれにしても、タイの魅力はまだつきない、紹介しきれないところは、また別の機会に語る。

◎ラオスからタイへの旅[1]「ラオスに何があるのですか?」

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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  日本最後の遊郭飛田新地、そこに暮らす人びと、数奇な歴史、新地開業マニュアルを取材した渾身の関西新地街完全ガイド!

《大学異論47》「無償化で改憲」は寝言 大学は80年代の環境に戻せばよし

教育無償化実現に向け、自民党内の議論が活発化してきた。財源に関しては、使途を教育に限定する「教育国債」発行案に加え、社会保険料率を上乗せし無償化に充てる「こども保険」創設案が浮上。無償化の対象をどうするかも課題となるが、憲法改正に向けた思惑も絡み、意見集約は見通せない。

◆屁理屈と思惑ばかりの「大学無償化」議論

「教育国債」は安倍晋三首相(党総裁)に近い下村博文幹事長代行や馳浩前文部科学相が発案。総裁直属機関の下に「恒久的な教育財源確保に関する特命チーム」を設立、導入を検討している。

国債に頼ることで現役世代の負担増を回避できる一方、将来世代に借金を先送りすることにつながる。無償化の範囲については、大学などの高等教育に重心を置くが、それだけで数兆円単位の財源が必要とされる。

一方、「こども保険」は、小泉進次郎農林部会長らによる「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発案。働き盛りの若い夫婦らへの支援を念頭に、保育・幼児教育を無償化する内容で、想定する対象が下村氏らと異なる。

◎教育無償化、議論活発に=「こども保険」も浮上-財源や対象が課題・自民(時事通信2017年4月2日)

よくここまで屁理屈を考え出すな、と感嘆する。でも、そうでありながらあまりにも見え透いていて、本音が丸出しの浅知恵だなぁと、罵声の一つも飛ばしたくなる。最近急に沸き起こっている「大学無償化」議論についての感想だ。

今さら何を朝令暮改の妄言を自民党が語りだしたのか。それはあまりにも切実かつ、急を要する大学学費の高騰による、社会的弊害の広がりと、学費支弁者(基本的には親)の悲鳴を無視できなくなったことが、表面上の理由だ。しかし、一部議員の本音はそこにはない。下村元文科大臣や、民進党の細田豪志が言うように「改憲後の憲法にそれを書き込みたい」とう、馬鹿もたいがいにしろ、としか言いようのない、罵倒するにも形容詞や語彙が見つからないほどの薄汚い思惑も包含されている。

◆学費値上げで不要だった「改憲」がなぜ、値下げで必要なのか?

たしかに、日本の大学学費は高い。所得に比しても異常に高い。これは大問題であり私はなんらかの手段で公立、私立共々の学費を低減すべきだと考えてきた。しかし、現在奴らが語っている「大学無償化」は私の主張と似ているようで、その実まったく趣旨が異なる。自民党内では「こども保険」という名の新税を設けるか、「教育国債」を発行して無償化を図ろうとする議論があり、これに維新で院政を敷く橋本への同意を求めている。さらに下村らは「憲法にそれを書き込んで政策実施を早めたい」と、腰を抜かすようなコメントをしている。細田も同様だ。

何度考えても私の貧弱な語彙から、こやつらを罵倒する適切な言葉が思い浮かばないが、あえて言えば「寝言は寝てから言え」となろうか。どうして大学の授業料を無償化する如きの「政策」で憲法改正が必要なのか。なら、なぜかつてはほとんど無償に近かった国立大学の学費を年額60万円近くまで値上げするのに「憲法改正」は不要だったのか。単純化すれば連中の主張は、値下げには改憲が必要で、値上げに改憲は不要となる。そんなものどちらも「改憲」とは全然関係ない。読者諸氏はまだご記憶だろうが、民主党が政権を取った際、公立高校の無償化を実施した。あの時に「改憲」が話題になっただろうか。「改憲」など全く話題にならず公立高校授業料の無償化は実施されたじゃないか。

◆簡単な解決策は「独立法人化」を廃止し、昔の国公立大学に戻すこと

憲法は国のありようや、目指す国家の姿を描くもので、同時に国家権力の暴走を防ぐための最高法規だ。そこへ一政権が政策レベルで実行可能な施策を書き込んでいたら、毎年「改憲」をしていても追いつかないだろう。「こども保険」や「教育国債」などを導入しなくとも、まずは国公立大学(法人)の学費を低減できる簡単な施策がある。

その第一は現在導入されている「独立法人化」を廃止し、昔の国立大学に戻すのだ。今の国公立大学には「理事会」に経済人が山ほど乗り込んで、「商人」の計算で大学が運営されるようになってしまった。また学長の権限が不当に拡大され、教授会自治もなきものにされている。「学生自治」などはすでに歴史の教科書の中にしか存在しない。「独立法人化」を文科省はまず撤回しろ。そして1980年代以来進めてきた国公立大学への各種締め付け政策をすべて、元に戻して1980年当初の授業料に戻すのだ。

当時と現在で消費物価の大きな違いはないが、国公立大学の授業料は現在の半額以下だ。これでも国立大学としては高額だが、まずは30年前に戻せば少しは経費支弁者の負担も軽減する。

▼[図表1]国立大学と私立大学の授業料等の推移(文部科学省)

[図表1]国立大学と私立大学の授業料等の推移(文部科学省)

◆いまの大学の惨状はこれまでの「改革」が引き起こしたにすぎない

この惨状は、ひたすら米国式の教育システムを参考に文科省が進めてきた、大学管理と学生虐めが導いた結果である。国立大学を独立法人化しなければならない理由など、庶民の側からは皆無だったのに「改革」と謳い文句をつければ、なにかしら新しい価値のある政策だと勘違してくれるだろうという、役人根性丸出しの間抜けな文科官僚どもが暴走した付けに過ぎない。付言すれば「独立法人化」にとどまらず、実質国が親元の奨学金の運営団体であった「日本育英会」をはじめとする5団体を「日本学生支援機構」に統合したのも愚作の極みといえよう。「日本学生支援機構」発足前から「日本育英会」が無利子の奨学金だけでなく、「2種」と呼ばれる有利子奨学金を導入した「罪」も強く弾劾されなければならない。

文科省は「学びたい学生がいかに学べるが」などを模索するといった発想は微塵もなく、大学を自由競争に放り込み、いらぬ口出しはするくせに金は出さないという、性悪根性の政策しか立案しない。無駄もいいところ、「グローバル化」と時代遅れも甚だしく巨額の補助金をちらつかせながら大学に競争を強いり、まったく不毛な金をばらまいている。

◆究極の教育無償化策は「出向・天下り天国」文科省の解体

文科省官僚の「狼藉」も目に余る。現役官僚のうち241名、実に現役職員の10%以上が国公立大学法人に「出向」している。途中退職して私立大学の職員にひき抜かれるものもいるから、文科省の役人は「出向・天下り天国」だ。

中学校の先生の大半が過労死ラインを超える残業を毎月強いられているという。先生たちは昔からあんなに忙しかっただろうか。そんなことはない。定年近い中学校教諭に聞いたところ「21世紀に入ってからですね。雑用が増えましたよ。雑用です。生徒の教育と直接関係ない資料作りが一番の負担です」と言われていた。

いかがだろうか。このように見てくると、文科省という役所が、何ひとつ国民に有益な政策や施策を行う能力がない人間の集まりであることが判明する。究極の教育無償化策は、まず「文科省解体」からだろう。

▼河野太郎「文科省国立大「現役出向」241人リスト#1 問題は天下りだけではない。これが“植民地化”の実態だ」(2017年5月6日=文藝春秋2017年4月号)

[図表2a]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2b]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2c]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2d]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)
[図表2e]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《殺人現場探訪01》吉展ちゃん事件──息子を悼み続ける両親と迷惑な陰謀論者

「今、お墓のあった場所を公開しているのは警察関係の方と報道関係の方だけで、一般の方には公開していないんですよ。ご両親は今もお参りに来られているんで、いやな思いをされたらいけませんからね」

2014年3月12日、東京都荒川区南千住の円通寺。私は、住職の男性の言葉に驚いた。失礼ながら、あの「吉展ちゃん」のご両親がまだご存命だとは思っていなかったからだ。

円通寺。吉展ちゃんの遺体が遺棄された寺として非常に有名

◆半世紀以上も現場で息子を悼み続けた両親

 
当時の指名手配書(夢野銀次さん2014年10月24日付「銀次のブログ」より)

1963年3月31日、台東区入谷で暮らす工務店経営者一家の長男・村越吉展ちゃん(当時4歳)が身代金目的で誘拐され、その後殺害された「吉展ちゃん事件」は当時、「戦後最大の誘拐事件」と呼ばれた。

捜査は難航したが、警視庁は1965年7月4日、別件の窃盗事件で服役中の小原保(同32歳)を営利誘拐などの容疑で検挙。小原の自白により、円通寺にあった「池田家」の墓の下から吉展ちゃんの遺体が発見された話は有名だ。

しかし、私が円通寺を訪ねた日は事件から半世紀を超す年月が過ぎていた。まさかご両親が今もお参りに来ているとは――。

「お二人とも今は80代だと思います。でも、つい先日もいらっしゃったんですよ」

円通寺境内には「よしのぶ地蔵」も設置されおり、こちらは一般の人も拝むことができる

◆現場を非公開にした理由──迷惑な陰謀論者たち

 
毎日新聞1965年7月5日付一面(岩垂弘さん「もの書きを目指す人びとへ――わが体験的マスコミ論」第46回より)

住職の話を聞きながら、私は高齢のご両親が息子の死を悼み続けた年月に思いを馳せ、柄にもなく少し胸が熱くなった。が、住職はそんな私の感傷的な気分を打ち消すような、こんな話も聞かせてくれた。

「物見遊山で墓を見に来られる一般の方の中には、陰謀論的な冤罪説を主張される人たちもいるんです。『小原は洗脳されて自分を犯人と言っているだけだ』とか『小原は足が不自由だったから差別されたのだ』とか言ってくるのですが、われわれとしては『勝手にやってください』と言うしかありません。小原の供述により、うちのお墓からご遺体まで見つかっているのですからね」

たしかにこういう変な人たちがいれば、寺としても遺体が見つかった墓のあった場所を一般公開するわけにはいかないだろう。

私は報道目的なので、遺体が隠された墓を見せてもらえたが、住職によると、すでに「池田家の墓」そのものは他の場所に移設されたという。その墓があった場所では、代わりに吉展ちゃんを供養するための小さな地蔵が祀られていたが、手入れが行き届いており、親族がよくお参りに来ていることが窺えた。

吉展ちゃんには安らかに眠ってもらいたい。

吉展ちゃんの遺体が見つかった墓があった場所。小さな地蔵が祀られているが、一般には非公開

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《建築漂流02》 黒の威容・霊友会釈迦殿

 

東京タワーを右手に桜田通りを北上し、飯倉交差点、つまりは右折すれば東京タワーにたどり着くその交差点を過ぎるとき、左手奥に見える異様な建造物。都心のタクシードライバーは、これに関する知識をきっと用意している。好奇心旺盛な乗客がそれを目にすれば「あれはなんだ!」と質問するに違いないからだ。

霊友会釈迦殿(れいゆうかいしゃかでん)は、その名の通り宗教法人霊友会の本部施設であり、同会ホームページによれば「釈尊との心の会話を交わす場として建立」され、そこでは「在家のつどい、妙一会お花まつり、節分会など、さまざまな行事が行われている」とのことだ。「特徴ある釈迦殿の外観は“合掌”をイメージしています」とも記されている。

竣工は1975年(昭和50年)。延床面積は25,720㎡。地下6階、地上3階の鉄筋コンクリート造。設計施工は竹中工務店。同社設計部の岩崎堅一と絹川正が設計を担当した。岩崎堅一は、有楽町センタービルディング(通称“有楽町マリオン”)や横浜市大倉山記念館といった大規模な設計に携わる建築家であり、受賞歴も多い。また、武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部建築学科教授を経て現在は名誉教授を務めるなど、若手育成にも関係する人物だ。

この建造物の特徴として、まずはその“巨大”さを挙げるべきだろう。「ピラミッドの巨大さは、ただ体積が大きいのみならず、それがほとんど実用性を感じ得ない“モニュメント”であることによってより強く感じられるのだ」という話を聞いたことがあるが、釈迦殿についても同じことが言えるのではないか。私がこれを指して“建造物”と呼ばざるを得ないあたりからもその巨大さを感じ取ってもらうこともできるかもしれない。

 

造りとしては、大屋根を支持する28本の柱が目を引く。それらは道を形づくっており、したがって参道の役割を果たしている。柱や床材には御影石(花崗岩)が用いられており、ピカピカに磨かれた石の重みがダイナミックで荘厳な空間を支えている。御影石もその種類によってずいぶん趣が違うものだが、ここに用いられているのは中国の山東省を産地とする“中国マホガニー”もしくは米国サウスダコタ州の“ダコタマホガニー”ではないだろうか。いずれも安価なものではない。参道空間の天井は低く、また装飾はシンプルに統一されており、どこかミニマルな思想を感じさせる。これは、重い扉を押し開けた先にあるメインホールとのコントラストを生むための構造であり、法悦への導入だろう。

実は10年ほど前にもここを訪れたことがあるのだが、そのときの道連れ、自称“B級映画ハンター”によれば「宗教団体はとにかく信者を集めなきゃいけないから、まずはヴィジュアルで攻めてくる」のだという。なるほどそんなものなのか知らん。

 

▼[撮影・文]大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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リングの名脇役、リングアナウンサーの任務!

コンタキンテさん。江頭2:50とコンビを組んでいたこともある芸人さん。取り組む真面目さ素直さは抜群
お宮の松さん。たけし軍団の一員。格闘技の試合経験もある芸人さん

リング上で興行の顔となるリングアナウンサー、選手コールだけなら楽なものですが……。リングアナウンサーというお仕事は、リング上で選手をコールするだけではありません。それだけの起用で呼ばれる巨匠もおられますが、大概は掛持ち雑用が伴います。

場合によってはタイムキーパーも任されます。その他、激励賞の送り主名の読み上げ、採点結果の確認、公式記録の記載、1分間のインターバルでの両選手戦歴経歴の紹介など、団体や競技によってマチマチですが、いろいろな雑用もこなさなければなりません。

◆進化あるリングアナウンサーの存在!

ボクシングを含め、過去にはいろいろなタイプのリングアナウンサーが存在しました。個性あるコールは、物真似上手な人でなければソックリには真似出来ない技術があります。そして上手い下手より、その競技や興行の顔となる存在になることが大事な役割とも言えます。

新風を巻き起こしたのは、選手紹介に戦績を加えたのが日本ボクシングコミッションでリングアナウンサーを務めている冨樫光明さんでしょう。コールのリズムとイントネーションが力強く、更に経歴を加えるなど変化を付けて進化を続けました。そんな影響を受ける他競技もあり今後、他者がこれを越える新たな展開を見せることは難しいかもしれません。

タイではリングサイドアナウンサーによって、淡々と手短に両選手同時入場時に選手紹介が行なわれていますが、ワイクルー(ムエタイの戦いの舞)無しで、こんなシンプルさの興行をやってみたいという日本のプロモーターも居て、そんな進行の早そうな興行も観てみたいものです。

また最近は、リング上での選手紹介だけでなく、文字通りアナウンサーとしてインタビューも行なえる技量も必要な場合もあります。そこでは台本(進行要綱)に書かれた台詞を読むのではなく、競技に精通し、選手の経歴を知った上で、その場のアドリブで話を進める機転が必要な場合もあります。しかし、長くボクシングやキックボクシングを観ていても、選手コールは出来ても、なかなか深イイ内容のインタビューが出来る人は少ないところです。

細田昌志さん。今や記者より記者らしい取材力を持つ放送作家
日野実志さん。NJKF事務スタッフから始まった芸人ではないリングアナウンサー
風呂わく三さん。2007年のNJKF新体制から起用された劇団員さん

◆リングアナウンサーの苦悩

選手に贈られる激励賞(祝儀袋)をその後援者が、突然リングアナウンサー席に来て、「頼むよ!」とポンと置いて行ってしまう、リングアナウンサーを単に雑用係と見下して行く観客もいて憤慨することもあるようです。

かなり前の出来事、インターバル中、リング上でウォーキングするラウンドガールを、くどいほど何度も紹介する某リングアナウンサーがいましたが、後々他のジム関係者から事情を聞くと、ある筋の組員が後方から何度も「もう一回やれ」と指示されていたという、一概にリングアナウンサーを責められない事情もあるので、話は聞いてみないとわからないものでした。

20年ほど前、リングアナウンサーではなく、リング下のサブアナウンサーの失態で、勝者を間違えてコールしたことがありました。ジャッジペーパーの確認ミスで、一旦敗者に渡った勝利者トロフィーを返却させ、真勝利者に渡したことがありました。すぐに控室に行って両選手に謝罪したようですが、ジャッジペーパーの確認は複数人でやるべき事態でした。

試合前から選手名を間違えることも間々あることですが、主催者任せの資料に頼らず、自分の足で選手に聞きに回る配慮も必要です。

目まぐるしく機転を利かせて進行するリングアナウンサーなど連係するスタッフは、威圧を受けたり、ミスがあったり、予定に無い余興が発生するパニックになりがちなこともしばしばです。これを乗り越えられるのが経験値となりますが、先人の指導を受けられないまま運営に関わるスタッフの入れ替わりが激しかったりで、同じ失態を繰り返すこともしばしば、傍から長く見ているとそんな状況も見受けられます。

◆リングアナウンサーを勧めたくはないが……

最近のリングアナウンサーは役者さん、劇団員さんなど芸能関係から起用されることが多く、一般人から募集されることは少ないですが、単なる司会業とは違い、やってみると面白い。カッコ良く目立ち、やり甲斐ある任務と言えるかもしれません。現実は上記のようなパニックに巻き込まれつつ、報酬も高くありませんので、決して勧められる任務ではありません。しかし、採用されることは難しいとても貴重な仕事です。こんな任務に興味あり、自信ある方は人づてに挑戦してみるといいかもしれません。

次の機会には、こんなキックボクシングの奇妙な世界に入り込んだ名リングアナウンサーの面々を紹介してみたいと思います。

生島翔さん。元・TBS生島ヒロシさんの次男さん。今年3月から登場。伊原代表の御挨拶の後のプレッシャーかかるマイク投げにもしっかり対応

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』6月号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

検証「みれぱ」としばき隊、カウンター〈4〉「みれぱ」岡本朝也の剽窃疑惑

 
 

 
特集シリーズ、検証「未来のための歴史パネル展」の第4回目をお届けする。今回はこれまでの経緯のご紹介とは異なり、日本の学問の在り方と社会運動という大きな壁に直面する内容だ。一般読者には聞きなれないことばかもしれないが、「みれぱ」において「剽窃(ひょうせつ)」と疑われる点が少なくない箇所が見受けられる。そしてその疑惑の中心人物が岡本朝也だ。

◆「剽窃」定義のガイドライン

そもそも「剽窃」とはなんだろうか。本稿は若干このコラムには珍しく「硬い内容」になるが読者諸氏にはご容赦頂きたい。

剽窃(plagiarism, forgery)とは、他者の書いた文章・論理・言葉などを、自作として使用する行為である。つまりコピペ・盗用である。わずか一部であっても、自分の言葉と他人の言葉は峻別しなければならず、他者の執筆した文献や文章などを使用する際は、引用・区分または別記表記などで峻別する必要がある。

言うまでもなく、引用符を付けず自分が書いた言葉かのように記したり、または、誰かの書物を自分の成果とすれば「学問に対する背信行為」であり、これを犯した者は学者生命が絶たれて然るべきものとされる重大な非違行為だ。これはアカデミズムの世界にいる人には常識であるが、逆に言えばそれ以外の世界の人にはあまり知られていない概念である。

2014年に、小保方晴子の博士論文盗用問題が騒がれたことがあったが、あれは極めて悪質で明瞭極まりない「剽窃行為」である。下記のとおり各大学がガイドラインをもうけている。

〈関西大学〉
http://www2.kansai-u.ac.jp/econosc/hyosetsupdf.pdf
〈早稲田大学〉
https://www.waseda.jp/fpse/pse/assets/uploads/2014/05/20170330_AvoidingPlagiarismJAP1.pdf
http://www.waseda.jp/fpse/gse/assets/uploads/2016/04/652ddf06da2b53baaed45b6238e189e6.pdf

◆パネル展(みれぱ)の剽窃調査

では、具体的に「B君の原案」と「現在、『みれぱ』パネル展で使用されている現物」を比較することにより、疑念を解き明かしてみよう。

ここでは3つの項目について確認を試みる。「①実際の文章の酷似度合」「②実際に使われているパネル資料」「③論理構成」である。

最初にパネル展で使用された「竹島/独島問題」のB君の原案と現在使用されているパネルの単純比較を行う。[図表1]は「B君の原案と「みれぱ」のパネル」の内容で、「B君案」と「現・使用の「みれぱ」資料」の酷似可能性を指摘するのみに留まる(以後、詳しく説明)。

黄色■■■の部分は文章自体、水色■■■は過去原案が加味された部分、緑色■■■は当時岡本と打合せ段階で双方が合意を得て割愛したが付記された部分、という区分法をとる。
  

[図表1]酷似部分
 
 

上記の通りB君が作成した文章を「そのまま」使用した箇所は多くはない。語尾や言い回しには若干の差異がある。この類似点だけで剽窃と決めつけるのは危険だろう。ただし、留意すべきは、この表記に至るまで(このシリーズで前回までにお伝えして来た)B君と岡本のやり取りの内容だ。岡本はB君に大方の研究・調査を行わせたのちに、B君を追放している。したがって、この場合紹介文章の類似性もさることながら「コンテクスト(文脈)」の検討も加えられる必要がある。人文科学に包摂される歴史学は社会科学とは異なり、FACT(事実)に高度な厳密性が求められるため「似ている」状況が発生することは起こり得る。であるからこそ「コンテクスト(文脈)の類似性」、「論理構成の類似性」の検討が意味を持つ。

◆パネル文から「コンテクストの酷似性」「論理構成の酷似性」を検証

では実際に展示されたパネルはどのような内容であったのであろうか。[図表2a]がB君が作成した原案、[図表2b]が実際に展示されたパネルだ。

[図表2a]B君原案
[図表2b]実際に展示された「みれぱ」パネル資料
 
 

以下、B君原案と「みれぱ」パネル資料の「コンテクストの酷似性」「論理構成の酷似性」検証を行う。[図表3]で取材班が「剽窃疑惑」を抱いた根拠を示す。ここでは変数を細かく切り、変数それぞれの関係を整理し、具体的に検討したい。

[図表3]コンテクストの酷似性、論理構成の酷似性

[図表3]において明らかなことは、「コンテクストと論理構成が完全に一致している」という結論である。コンテクストと論理構成は、書き手によって十人十色に分かれるものである。「完全一致」はいかにも不自然かつ剽窃の疑いを持たざるを得ない。

◆なぜB君の原案が使用されているのか?

では、なぜ剽窃に至ったのか。2つの可能性が推測される。「B君が書いた原稿は、彼がM君を擁護していることを理由にアカハラを受けた後、岡本は改めてゼロから独自で執筆をせず、そのまま校正に回し、修正したものを現在使用している」か「B君原案を元にアレンジを加えた」のいずれかだ。

B君は岡本と5~6回にもわたり、原稿のやりとりをしており、校正に回せる段階に到達していたことは、前回の本検証記事〈3〉で岡本自身が認めている。そして校正に回せると分かるや否や、事件以降M君を支援するB君の存在は、しばき隊、カウンターからのパネル展に対する援助を受ける際に支障になるがゆえに排除したものと考えるのが自然である。

具体的に剽窃行為疑惑がどのような人的手続で、誰が加担したのかまでは定かでない。しかし現に調査結果として「剽窃疑惑」という結論が導き出された以上、論理的に考えれば「B君の原案をそのまま校正に出し、それを修正し、使用されている」か「B君原案を元にアレンジを加え、校正にかけ、使用されている」のいずれかがを想定することが妥当である。

B君が岡本とのみ、原稿打合せをしていた事実がある以上、岡本が主犯格で彼の一存で剽窃的行為が行われたのではないかと推測される。

そしてこれは重要な要素であるが、近年多くのポスト・ドクター(博士学位取得者)たちが職探しに窮困している。このパネル展開催も、たとえば大学教員採用の際に「社会活動」として「業績一覧」に記入すれば、1つの貢献と見なされ、常勤講師・准教授・教授といったような「アカデミックポスト」への就職の一助としてポイントとなる。勿論、採用側が「B君の原案が校正に回せる段階になって、リンチ事件の被害者であるM君を支援していたことを理由に不当に排除し、その原案がそのままパネル展側に搾取され、岡本らがそれを校正にかけ、再編集を経た上で、紛い物の社会貢献活動をしている」ことを知り得ることはまずあり得ない。「みれぱ」を記事化した毎日新聞(本検証記事〈1〉参照)を見れば明らかだ。

以上述べたことを要約すれば次の通りである。

① 運動維持のためならば、リンチという多大なる人権侵害を受けた人(犯罪被害者)を守ろうとする者にすら、アカハラを行い、パージする
② 運動維持のためならば、剽窃すら行い、科学を裏切る
③ そしてそのような者が大学教員として幅を効かせている

ということである。また、B君から見れば「アカハラを受けた上に、剽窃までされた」という事に他ならないのだ。現在もなお、関西大学社会学部のホームページには、岡本朝也の名前が非常勤講師として記載されている。岡本は現在もなお、大学の教壇に立っているのだ。B君への圧迫と排除、アカデミック・ハラスメントの実態を知れば、類似のことを今後も行う可能性が極めて高いと言わざるを得ない。関西大学当局および関係学会においては、大学内部で発生した事案ではないものとはいえ、適切な対応を望みたい。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)
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世界の盆栽フリークは埼玉をめざす──第8回世界盆栽大会inさいたまの盛況

 

『第8回世界盆栽大会 in さいたま』に行ってきた。開催していたのが4月28日から30日までと限定されていたにも関わらず、世界中から「盆栽フリーク」が大挙してやってきて、歩くのも混乱が生じるほどの好評だった。

盆栽は、中国で生まれ、日本へは遣隋使・遣唐使に始まる中国の先進文化導入のプロセスでもたらされたと考えられている。

中唐の詩人、白楽天は、洛陽に構えた住宅につき、その住宅のなかに盆花を暖室に入れるという詩句を挟んで、当時の呼称と冬の激寒からの保護法を観察したとされる。また、鎌倉時代には、『西行物語絵巻』の中で、方丈(僧侶の居住棟)の縁先を飾る盆山(石付き盆栽の呼称)をうつしとどめたことは場所としての寺院、様式としての石付きの二面で、盆栽が登場した由来を雄弁に語っている。

さいたまには「盆栽村」がある。これは、東京から被災して逃れてきた盆栽職人たちが作った村だ。かつて東京の団子坂(文京区千駄木)周辺には、江戸の大名屋敷などの庭造りをしていた植木職人が多く住んでいたとされる。

明治になってから盆栽専門の職人も登場。関東大震災(1923年)で大きな被害を受けた盆栽業者が、壊滅した東京から離れ、盆栽育成に適した土壌を求めてこの地へ移ることになる。1925年には彼らの自治共同体として大宮盆栽村が生まれ、最盛期の1935年頃には約30の盆栽園が存在した。

 
 
 
 

大宮盆栽村は、いまも名品盆栽の聖地として知られ、日本だけでなく世界から多くの愛好家が訪れている。そうした縁から国際的な大会がさいたまで行われているのだが、今は「BONSAI」は、中国やタイ、ミャンマーやメキシコあたりで爆発的な人気を誇っている。

「盆栽を教えてくれる職人を講師として送って欲しい」という要請が、世界の各国から殺到しているのだ。だから実は「盆栽職人」になりたがる人たちは日本人よりも外国人のほうが多い。

盆栽村にちらばる園に行ってみるといい。外国人たちがさまざまな言語を駆使して、盆栽の手入れをしている。彼らは仕事で生計をたてるのだから必死だ。物見遊山で盆栽を見にきた私たちとはまったく真剣さがちがう。

 

さて、日本の盆栽は、幕末の開港をきっかけとして、世界規模で展開されていた植物探査(プラントハンティング)の波にのり、西欧に運ばれた。しかし、それらの奇異を誇示する姿は、盆栽になじみがなかったことを背景に「自然に反する奇異なもの」という印象をばらまいたようだ。しかし、それから日本では、美術盆栽、自然美盆栽へと向上し、西欧人も関心をしだいにもってきたので、ひとつの文化を形成した。

1964年、東京五輪と1970年の日本万国博覧会に際して来日した世界の人たちは、特設された盆栽水石の名品展を訪れて、帰国した将兵へのみやげ話として盆栽へのあこがれを語った。なお、その自慢げな話しの裏には、自分の国には存在していない日本的な芸術観への開眼が感動とともにこめられていただろうと推測できる。

会場では、盆栽が売られていたが、数十万円もする盆栽がつぎからつぎへと売られていた。

どうも「BONSAI」を世界遺産として登録する動きがあるらしいが、ぜひ実現してほしいし、日本文化が広がるきっかけになれば幸いである。

 

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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検証「みれぱ」としばき隊、カウンター〈3〉 岡本のアカハラと「みれぱ」の欺瞞

 
 

 
検証「未来のための歴史パネル展」の第3回目をお届けする。「みれぱ」共同代表の岡本朝也によるリンチ事件被害者、M君に対する行動については前回触れた通りである。今回は、実際にパネル展を開催するにあたって、岡本が何をしたかをご紹介し、このパネル展そのものの欺瞞性を問う。

◆大学生B君はなぜ「みれぱ」から排除されたのか?

今回の新たな登場人物がB君(仮名)である。2014~2015年当時は、大阪在住の大学生だった。M君リンチ事件については、事件発生当初から先輩格の被害者M君の側に立ち、支援をしてきた人物である。周囲の「大人」たちが運動内部の権力構造に屈服し、M君を裏切る中、年若いB君が良心を捨てず、最後までM君を裏切らなかったことは、醜悪な話だらけのM君リンチ事件に関連する話題の中で、一抹の清涼剤ともいうべきエピソードである。まだこの国には見どころのある若者がいるものだと、取材班も頭の下がる思いだ。鹿砦社は事件直後のM君やB君の窮状を知らず、1年以上も社内に「加害者側」の人間、それも最も悪質な二次加害者の一人を抱えていた(当人以外知らなかったこととはいえ)のだから。

◆「M君の支援をした」ことを理由に、B君を排除した岡本朝也

B君は、自らの勉強、研究の研鑽も兼ねる目的で、「みれぱ」のパネル製作に関わる。そこで「竹島問題」の項目を担当することになったB君は、一所懸命に勉強し、資料も収集し、パネル用の文章を仕上げた。次に紹介するのは、2015年5月5日のB君と岡本のLINEでのやり取りである。画像の中ではM君とB君の実名が挙がっている部分のみ、修正を付している。

岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り1-2
岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り3-4
岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り5-6
岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り7-8
岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り9-10
岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り11-12
岡本朝也(白い吹き出し)とB君(黄緑の吹き出し)のやり取り13-14
 
 

 
画像はあくまでやり取りの一部であるが、もはや説明は不要であろう。岡本は「M君の支援をした」ことを理由に、B君を排除したのである。これよりも前から、岡本は酒席等でB君に対し「パネル展を取るか、Mを取るか、どっちか選べ」などと複数回にわたり詰問していたという。昔、「あそこの家は部落だから、あの子と遊んではいけない」、「あそこの家はチョーセン人だから、あの子とは遊んではいけない」というようなことをわが子に言う不見識な親がいたが、岡本の所業はこれと全く同じものではないか。開始段階でこのような悪意に満ちた排除を行い、それを隠蔽し平然とパネル展開催を繰り返すのが岡本ら「みれぱ」の真の姿だ。「何よりも大事なことは歴史修正主義者と戦うこと」だと「みれぱ」代表者の岡本は言っているが、岡本自身が「リンチ事件隠蔽」、「B君排除の隠蔽」という「歴史修正主義」を率先して実行しているではないか。

「みれぱ」は学術研究の場である。共同代表者二人は研究者であり、顧問には関西学院大学教授の金明秀も名を連ねている。さらに「みれぱ」は自らの「パネル作成のポリシー」においても「学術的記述を目指します」「学術性を優先します」と明記している。

岡本はその学術研究の場である「みれぱ」において、学生であるB君に対し、「大学講師と学生」、「パネル展代表者と一参加者の学生」という権力関係の強弱を背景にした排除を行っている。それも「リンチ事件の隠蔽」という極めて悪質な動機づけによるものだ。岡本のB君に対する「排除」は、研究・教育の場で極めて重大視される「アカデミック・ハラスメント」に該当する。

M君リンチ事件の加害者や二次加害者への「忖度」にいそしみ、被害者M君を支援したことを理由に研究・勉学の機会を求めた学生B君を排除し、なおかつその「不都合な事実」を隠蔽しながらパネル展の開催を続けている。これが「未来のための歴史パネル展」の実態なのである。「みれぱ」は次のようなポリシーを掲げている。

「人権を尊重します」「侵される側、虐げられる側、マイノリティの側の視点を優先します」空念仏とはこのことだ。岡本朝也以下「みれぱ」関係者は暴力を肯定し、自らが実践した「歴史修正主義」をこれまで隠蔽してきたのだ。崇高な理念は結構だが、これでは欺瞞じゃないか。

「リンチ事件被害者M君を支援したこと」を理由とした岡本ら「みれぱ」によるB君排除は、「運動体内部の多数派」による、数と権力を背景とした少数意見の排除、封殺という点で、M君リンチ事件と同根の問題性が極めて色濃く表れている。

これだけでも十二分にふざけた話であるが、「みれぱ」の問題はこれに留まらない。本連載に関して「鹿砦社、潰れたらええな」、「文句あったら言ってこいやあ」とフェイスブックに書き込んだ人物が現れた。「潰れたらええな」と喧嘩を売られて、鹿砦社が黙っていると思っているのか!(つづく)

[追記1]
この件については、従前よりM君に同情的な立場からリンチ事件に関心を寄せている「ウォッチャー」の「将鼓」氏が、4月21日に取材班に先立ち自身のブログで問題提起をされている。併せてお読みいただきたい。
将鼓氏「某事件と”パネル展”」

[追記2]
当初、本特集シリーズは4回シリーズでお届けする予定であったが、本文中にもご紹介したように「鹿砦社、潰れたらええな」などと喧嘩を売る者が登場するような不測の事態が発生したため、急遽シリーズを延長することとなった。

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GW最終日、晴天の若狭湾で500人超の「5・7高浜原発動かすな!現地集会」

5月7日、福井県高浜原発前で「5・7高浜原発動かすな!現地集会」が行われた。新緑の美しい季節、山並みには藤の花の薄紫や、遅咲きの山桜がいたるところに見られる。若狭湾の天候は晴天。絶好の観光日和といいたいところだが、「再稼動抗議行動日和」となった。

 

◆昨年とは明らかに様子が違う高浜原発1、2号機

高浜原発の正面玄関前で抗議

高浜原発周辺には、東京、福井、滋賀、京都、神戸などから大型バスで、また自家用車や自転車で目算500名ほどの人が集まった。高浜原発に近づくと1、2号機の様子が昨年と明らかに違う。足場が組まれ大掛かりな作業が行われている。この日高浜原発の正門は三重のゲートが閉じられ、ご丁寧に新品の鉄条網までが巻かれていたが、地元の人によると、最近平日は1日何10台もトラックが出入りを繰り返し、たいそう慌ただしい様子だという。

大阪高裁の「人間性、論理性皆無」な山下郁夫裁判長により再稼働が認められた3,4号機ではなく、既に稼働40年を超える1、2号機の継続運転を企む関西電力が、もうくたびれ果てて本来ならば廃炉にしなければならない事故・故障必至の老朽原発の「補強工事」を行っているのだ。

取水口付近から見た高浜1、2号機

◆集会、デモ終了まで海上には警備船、上空には福井県警のヘリコプター

海上を警備する船舶

高浜を訪れると、過去すべて悪天候にたたられていたので気が付かなかったのかもしれないが、この日は海上には2隻の警備船、そしてはるか上空には、ゲート前の抗議行動から、集会、集会後のデモ終了まで常に福井県警のヘリコプターが飛んでいた。税金の無駄使いであることを指摘しておく。当然機動隊員は常にデモ隊につきまとう。

◆形ばかりの関電「コミュニケーション課長」

正面ゲートから1キロほど離れた広場から正面ゲートに向かいデモが始まった。この日の警備には若手女性の警察官が多数動員されていたのが印象的だった。若手女性警察官の実地訓練のつもりだろうか。デモ隊が原発正面ゲート前に到着すると、中島晢鴛さん、木原壯林さん、柳田真さんら4名が関西電力、コミュニケーション課長吉田氏へ申し入れを行った。

「コミュニケーション課長」と珍しい、あたかも物わかりの良さそうな肩書の吉田氏は直立不動で瞬きもわずかに、申し入れ書を読み上げる各氏を睨みつけ、文章を手渡す際には形ばかりの深い礼で応じた。しかし、その顔には一切の感情もうかがえない。まったくの無表情、つまり形ばかりの「要請文受け取り」だということは、そばで見ていて、一目瞭然だった。話をする気さえないのであれば「コミュニケーション課長」などという紛らわしい肩書など作るな! 関西電力!

原発正面へ向けデモ出発

◆福井原発訴訟(滋賀)原告団長、辻弁護士が「高浜原発大阪高裁決定」を斬る

正面ゲート前での抗議行動が終わると、高浜町文化会館に移動して全国からの参加者の発言や報告が行われた。そして大阪高裁で福井原発訴訟(滋賀)原告団長の辻義則弁護士が「高浜原発再稼働を進める大阪高裁決定を斬る」と題して、かなり詳細に決定の問題点を解説した。

大阪高裁の決定は要するに、「規制基準」を絶対のものとして持ち上げ、住民側の意見を一切聞き入れない不当極まりない、過去の判例に照らしても逆行・反動以外の何物でもない無茶苦茶な決定であることが解説された。山下郁夫という裁判官は安倍晋三並みの人間のようだ。

◆デモ隊を好意的に迎えてくれる通り沿いの住民たち

集会後は文化会館から高浜駅に向けてのデモだ。このコースは狭い民家の間を通過するのが特徴で、私自身は過去に何度か歩いたことがある。その折には文句をいう人がわずかにいたけれども、窓からデモの様子を眺める人、わざわざ玄関の外に出てきて手を振ってくれる人などが印象的だった。この日は好天も幸いしてか、これまでにもまして好意的に迎えてくれるデモコース沿いの住民が多かった。デモ隊に手を合わせている高齢女性の姿は特に印象深かった。

町を練り歩くデモ隊を好意的に迎えてくれる通り沿いの住民も多かった

◆ふざける小学生たちが教えてくれた安倍晋三ら推進派の幼稚性

そして、デモの解散地点高浜駅に着いた時のことだ。駅前は小さなロータリだが、デモ隊が最後の声を上げている姿を小学生数人が道の逆側で見ていた。小学生は物珍しそうにデモ隊を見ながら「原発反対」とか「原発賛成」と小声でふざけていたが、デモ隊が声を出さなくなると、一斉に「原発賛成!原発賛成!」と大声を出しながら路地の中に駆けていった。

あの小学生たちにとっては原発よりも、大声をあげて道を練り歩くデモ、大人の姿が珍しかったのだろうか。それとも小学校や家庭ですでに「原発」信者に仕立て上げられているのだろうか。

その姿を反転して考えてみると、たとえば大阪高裁の山下郁夫や電力会社の経営陣、原子力規制委員会、さらには経産省、安倍晋三らはつまるところ「小学生」だということを高浜駅前での小学生たちは教えてくれた。そうか。奴らは子どもか。なら怒鳴りつければいいんじゃないか。

◆再稼働反対の行動は「5・12高浜原発動かすな!福井集会」へと続く

なお高浜原発3,4号機再稼働に反対する行動は5月12日まで連続で行われる。8日は高浜町、大飯町、小浜市に申し入れ。9日は若狭町、美浜町、関西原電本部、原子力規制委員会(敦賀)申し入れ。10日は敦賀市、南越前市、越前市申し入れ。11日は池田町、鯖江市申し入れ。そして12日は越前町、福井市へ申し入れのあと「5・12高浜原発動かすな!福井集会」へと合流の予定だ。移動の間毎日各地でデモも行う。参加される方の再稼働阻止に向ける熱意に敬服するばかりだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』最新号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!
〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』