宮沢賢治の宇宙観と透明感と共に──災禍少なく爽やかな1年でありますように

日付が一つ進んだからといって、自然界に何ら変化があるわけではない。我々が今日世界の支配的時間軸として使っているのはグレゴリオ暦こと「太陽暦」である。他にも「太陰暦」や「ヒジュラ暦」など世界にはいくつもの時間の物差しがある。「暦」によって祝賀の日も当然異なる。

まあ、そういった面倒くさい話は抜きにしよう。昔ほどではないにしろ、日本にとって「お正月」は現在でもやはり一年を通して特別に違いない。

喪中の方々を除いては、とにかく「おめでとうございます」だ。今日に限っては「口うるさい」私も邪魔くさいことは言わない。

新年あけましておめでとうございます!!

さて、お正月である。柄にもなく読者の皆さんに私からのささやかなプレゼントをお届けしたい。といっても人からの借り物だけど・・・。

生徒諸君

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史 と
増訂された生物学をわれらに示せ

おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか

宮沢賢治

私は宮沢賢治の宇宙観と透明感が好きだ。押しつけがましかったらご容赦頂きたい。

たぶんかなわないだろうけども、読者諸氏に災禍少なく爽やかな1年でありますように。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

いつも何度でも福島を想う

 

新年のご挨拶

昨年は「デジタル鹿砦社通信」のご拝読、ありがとうございました。

本年も、皆様方のご期待に応え、もっと激しく展開したいと思っております。
既存のメディアが権力のポチ化し劣化していく中で、私たちは独立独歩、
タブーなき言論を堅持する決意を更に固めています。

旧年に倍するご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

2015年1月1日

「デジタル鹿砦社通信」編集部/執筆者一同

読者の皆様、本年は大変お世話になりました。幸多き2015年を!

ほとんど想像するのが不可能である人々の群れがある。その方々はたぶん、世間で言われる「普通」より敏感な感性の持ち主で、個性が強い人達だろう、というくらいは見立てがつく。しかし、正直なところその方々の真の「属性」のようなものが掴めない。

私がその姿をあれこれ思い浮かべているのは、ほかでもない「デジタル鹿砦社通信」の読者、つまり「あなた」のことだ。勘違いしないでほしいが私はあなたの年齢や思想傾向、性別などを個人的な趣味で知りたがっているわけではない。

本コラムを読むにあたって、鹿砦社トップページをまず開くと、「デジタル鹿砦社通信」と並んでいるのがいかにも似つかわしくない「ジャニーズ研究会」の見出しが目に入る。どうにも奇異なこの組み合わせだが「ジャニーズ研究会」の読者数はここだけの話、腰を抜かしそうな数にのぼるそうだ。そしてその読者像はだいたい見当がつく。

他方、毎日(毎日ではなく、「時々」であっても)本コラムを読んでくださっている「あなた」の姿は、こちら側からは想像するのがひどく難しいのだ。

毎日更新ながら一貫した主張があるわけでもなく、極めて深刻な冤罪事件から、週刊誌では読めない芸能ネタ、またパロディーや、アジビラかと見まがう内容までを拝読いただいている「あなた」。「あなた」はいったい、どんな方々なのだろうか。

こんな疑問が湧いたのにはそれなりの理由がある。本コラムは2011年に開始され、幾度か執筆陣の入れ替えなどを経て、本年8月から現体制で再スタートしている。現体制での発足後半年にも満たないわけだが、無事年を越せることについて、「あなた」をはじめとする関係各位に年末のご挨拶を申し上げたいのだ。

不肖私ごときが他の執筆者の方々になり替わわるのははなはだ僭越と分かりつつも、本年このコラムをご拝読頂いたことに対して御礼を申し上げたい。

「鹿砦社」というアナーキーな出版社が許容してくれているから本コラムは成立しているが、それにもまして拝読頂ける「あなた」があってのことである。

だから、私は「あなた」のことに興味がある。「あなた」がわかれば、来年はもう少し「あなた」に興味を持っていただけるように、「あなた」に知って頂けるように、「あなた」に怒ってもらえるように、そして「あなた」に笑っていただけるように工夫が出来るのではないかと。

でも、誤解なきようお断りしておかなければならない。仮に「あなた」が分かっても、私は(きっと他の執筆陣も)工夫することはあれ、主張を変えることはないだろう。

自由な言論の領域がみるみる狭まる時代の中で、何のタブーもなく、方針もない本コラムは世間から「尊敬」される存在でありたいなどという勘違いは端から微塵も持ち合わせていない。むしろ権力者や大きなツラをした連中から「鬱陶し」がられ「顰蹙を買う」存在を貫徹したい。

本年は大変お世話になりました。皆様にとりまして幸多き2015年となりますよう祈念いたします。来年も「デジタル鹿砦社通信」をより一層よろしくお願いいたします!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

いつも何度でも福島を想う

 

田所敏夫の《大学異論》──もうひとつの大学を求めて
○140819《01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
○140820《02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
○140821《03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
○140822《04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
○140823《05》私が大学職員だった頃の学生救済策
○140824《06》「立て看板」のない大学なんて!
○140826《07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
○140904《08》5年も経てば激変する大学の内実
○140922《09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
○140929《10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
○141007《11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!
○141016《12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち
○141025《13》学園祭で「SMショー」は芸術か?ワイセツか?
○141030《14》学園祭のトラブルは大学職員が身体を張って収束させる
○141104《15》北星学園大学を追い詰めた「閾下のファシズム」
○141106《16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!
○141112《17》学園祭の「ミスコン」から芸能界へ、という人生
○141114《18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
○141115《19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
○141119《20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ
○141210《21》本気で学ぶ大学の選び方─「グローバル」より「リベラルアーツ」
○141220《22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
○141226《23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

《脱法芸能34》石川さゆり──ホリプロ独立後の孤立無援を救った演歌の力

長年、所属していたホリプロから独立した石川さゆりも、干されたタレントのひとりである。

石川さゆりは、小学生の時に観た島倉千代子の歌謡ショーに感動し、歌手を志した。中学生になると、牛乳配達のアルバイトをして貯金を貯め、歌謡教室に通った。14歳の時にフジテレビの『ちびっこ歌謡大会』で優勝し、それがきっかけとなって、1973年、『かくれんぼ』でアイドル歌手としてデビューを果たした。所属事務所は、ホリプロだった。

そして、77年に『津軽海峡・冬景色』が大ヒットとし、レコード大賞歌唱賞を始め、歌謡賞を総ナメした。演歌歌手として一気にスターとなった石川は、その後も『波止場しぐれ』『天城越え』など、ヒット曲をコンスタントに出し、『紅白歌合戦』でもトリを務めるほどの実力派に成長した。

◆96年独立後の試練──民放各社が「さゆりはずし」の包囲網

明日大晦日の「紅白歌合戦」に出る女性歌手の中で石川は和田アキコ(38回)に次いで出場回数が多い37回目。紅白曲は『天城越え』(1986年7月日本コロムビア)

石川は96年いっぱいで、24年所属していたホリプロから退社し、個人事務所、ビッグワンコーポレーションを設立した。独立の構想は長年温めていたもので、満を持しての再出発となるはずだった。だが、大手事務所から独立した他のタレントと同様、石川にも大きな試練が待ち受けていた。

97年1月23日、石川は事務所開きのささやかなパーティーを開いたが、案内状に名前があった統括プロデューサーが欠席した。そのプロデューサーは、前日に「一緒にはやっていけない」と、突然、通告してきたのだという。数日前まで新しい仕事の打ち合わせで燃えていたプロデューサーの脱落により、パーティーはまるでお通夜のように静まりかえってしまった。

さらには、NHK以外の、決まっていたテレビの仕事も相次いでキャンセルとなった。「構成上の理由」とのことだったが、何者かが糸を引いているのは明白だった。

『女性セブン』(97年4月17日号)に「あるテレビプロデューサー」の談話として次のようなコメントが紹介されている。

「10日ほど前のことなんですが、社の上層部の方から、“石川さゆりを使わないように”という話が降りてきたんです。それも歌番組だけじゃなく、バラエティーやワイドショーに至るまで同じことが伝えられたんです。驚きましたね、あまりの徹底ぶりに。

知り合いの他局のプロデューサーなんかも同じ事をいわれたみたいで、どうもNHKを除く全民放で、“さゆりはずし”が進行しているんですよ」

それと同時に、「石川は自己主張が激しく、スタッフ泣かせで有名だった」という報道が増えていった。ホリプロとの確執の発端は、81年に石川がホリプロの社員と結婚したことだったという。芸能界には「社員は“商品”に手を出してはいけない」という掟がある。ホリプロは石川に思いとどまるよう説得したが、石川は「結婚させないなら事務所を辞める」と主張し、結婚を強行した。

石川にとって苦しい芸能活動が続いた。テレビに出られなくなったため、「演歌の女王」としてのプライドを捨て、ミニコミ誌の表紙モデルや地方でのサイン会など、どんな小さな仕事でもやった。

97年の秋には、石川の窮状を見かねた民放キー局のプロデューサーが芸能界との手打ちの席を設けようとしたが、石川は「こちらは円満退社しているのに、どうして頭を下げなくてはいけないの?」と言って拒んだ。

◆99年の紅白出場危機──国民銀行のカミパレス不正融資事件への関与で揺れる

芸能界では孤立無援の状態が続いたが、カラオケでは石川の人気は根強く、97年末には『紅白』に20回目の出場を果たした。これに芸能界は、いらだちを強めていった。

だが、99年には、その『紅白』への出場に黄色信号が点った。その年の『紅白』は50回目という記念すべきものであり、NHKとしても人気のある石川を出したいと願っていたが、土壇場で起用を決めかねていた。

というのも、その年の4月に経営破綻した国民銀行のカラオケ会社への乱脈融資疑惑に石川の名が出ていたからだった。

国民銀行は、経営難に陥っていたカミパレスというカラオケボックスチェーンの倒産を回避するため、迂回融資や飛ばしなどの手段を使い、270億円もの不正融資を行っていたが、このうち120億円が焦げ付いていた。カミパレスは、80年代に石川の個人事務所が立ち上げた事業で、後に石川のスポンサーだと言われていた、実業家の種子田益夫が関与した。また、迂回融資に使われた7社の中にも、石川が社長を務める個人事務所の名前が出ていた。カミパレスは99年10月20日に破産宣告を受け、石川も迂回融資に協力していたのではないかと目され、警察から事情聴取を受ける可能性があった。

石川を起用して後で問題が発覚すれば、『紅白』の権威に傷が付くことになる。NHKは社会部を動員して、石川が事件に関与しているかどうか取材したという。『紅白』の出場歌手発表は、遅れに遅れた。当初は、11月11日に発表される予定だったが、3週間も遅れた。

ワイドショーも週刊誌もこぞってこの問題を報じたが、芸能界では「事務所を独立した石川を快く思っていない勢力が情報をリークしたのではないか」という説まで流れた。

結局、石川は出場を決めたが、当初は大トリの有力候補だったが、スキャンダルの影響もあり、最後から3番手となった。大トリに起用されたのは、ホリプロ所属の和田アキ子だった。

99年は、石川にとって受難の年で、『紅白』出場だけでなく、レコード会社移籍問題も騒がれた。石川が所属していたポニーキャニオンが売上の低迷する演歌部門から撤退を表明し、石川もリストラされることになったのだ。本来ならば、石川ほどの実力があれば、どこでも引く手あまたのはずだが、独立問題はまだくすぶっていた。各レコード会社は、ホリプロの機嫌を損ねることを恐れ、石川獲得になかなか名乗りを上げられなかったという。

多数のヒット曲を持ち、長年、『紅白』に出場する実力派の石川ですら、所属事務所から独立した途端に、このような辛酸をなめるのである。

アイドルの独立問題に関する報道で必ずといっていいほど「芸能プロダクションはタレントに投資をしていて、それを回収しなければならないのだから、勝手な独立や移籍は許されない」という芸能評論家のコメントが出てくるが、これはまったくの嘘である。

そもそも「投資」というものが何なのかが不明だし、アイドルだけでなく、投資の回収が終わったはずのベテランでも、大手事務所を敵に回して独立すれば一律に干されるのだ。

石川さゆりオフィシャルウェブサイト

▼星野陽平(ほしの ようへい)

フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

『芸能人はなぜ干されるのか?』大晦日紅白のお供にこの一冊!在庫僅少お早めに!

 

星野陽平の《脱法芸能》

爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折

中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)

中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)

松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説

薬師丸ひろ子──「異端の角川」ゆえに幸福だった独立劇

《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書

《脱法芸能33》浅香唯──事務所と和解なしに復帰できない芸能界の掟

加勢大周の独立事件で司法は、タレントに芸名の使用を認める判断を下した。だが、その後も芸名使用問題はくすぶり続け、1994年、浅香唯の芸能界復帰で、再び注目を集めることとなった。

浅香唯は、もともと芸能界には関心がなかった。芸能界入りのきっかけとなったのは、84年に『少女コミック』(小学館)主催のオーディションでグランプリを獲得したことだった。応募したのは優勝者に贈られる「赤いステレオ」が欲しいためだったという。だが、その後、多くの芸能プロダクションからスカウトの電話があり、芸能界入りを決めた。六本木オフィスに所属し、翌年、中学校を卒業し『夏少女』で歌手デビューした。

◆ファンクラブ会員数が山口百恵に迫る勢いだった88年の全盛期

TVドラマ「スケバン刑事Ⅲ」主題歌『STAR』(1987年1月マイカルハミングバード)

86年、テレビドラマ『スケバン刑事3 少女忍法帖伝奇』(フジテレビ系)で主役を務めると、ブレイクし、たちまちトップアイドルの座を獲得した。ピーク時の88年にはファンクラブの会員が2万8000人を超え、全盛期の山口百恵の2万9000人に迫る勢いだった。だが、次第に六本木オフィスとの関係が悪化していった。

六本木オフィスとの関係がこじれるきっかけとなったのが、89年9月発覚したバックバンドのドラマーで7歳年上の西川貴博との交際だった。2人の関係を知った六本木オフィス側は、西川に音楽活動を支援しようという名目でお金を支払った。これを知った浅香は、マネージャーにお金を返したが、結局、社長から浅香のところに戻ってきてしまった。

この頃を境に浅香と六本木オフィスとの関係がギクシャクするようになってしまった。六本木オフィスは「そろそろ年齢相応にセクシーな面を打ち出すべきだ」と言って仕事を持ってきたが、浅香はすべて断った。

荒木経惟撮影による川崎亜紀 (浅香唯) 写真集『FAKE LOVE』 (1994年KKベストセラーズ)

そして、93年2月末に六本木オフィスとの契約が解消となり、浅香は活動休止を宣言した。引退説も流れたが、94年1月、アラーキーこと写真家の荒木経惟が撮影した浅香の写真集『FAKE LOVE』(ベストセラーズ)が出版された。

六本木オフィスは、この写真集を問題視した。浅香は独立にあたって六本木オフィス側と「1年間は芸能活動をしない」「芸名の浅香唯を使用しない」という約束を交わしていたが、写真集の発売は契約切れから1年未満だったし、写真集の名義は本名の「川崎亜紀」だったが、帯には「浅香唯」の名があった。

◆「事務所と和解なくして復帰なし」が音事協の本音

六本木オフィス側が問題とした「芸名の使用禁止」については、加勢大周に対して元所属事務所が起こした裁判で争点となり、93年6月に言い渡された高裁判決で加勢に芸名の使用を認められていた。また、そもそも、「浅香唯」の名前は、『少女コミック』に連載されていた『シューティングスター』の主人公の名前であり、六本木オフィスの所有物ではない。

だが、六本木オフィスは、これが「道義的」に問題だとして、音事協に提訴した。これを受けて、音事協は「この問題は双方でよく話し合い、発展的に事を進めてほしい」と提案した。これに基づいて、六本木オフィスは、復帰のための条件を出したが、浅香はこれを拒絶した。

一見すると、音事協の裁定は和解を提案しただけにすぎないようにも見えるが、実際のところは「六本木オフィスと和解しなければ復帰は認めない」ということに等しい。もちろん、法的な拘束力があるわけではないが、業界は音事協を中心に強いつながりがあり、その裁定には絶対的な力がある。芸能界で孤立した浅香は、何年も自宅にこもってパソコンをいじって暮らした。

当時の浅香は雑誌のインタビューで、こう語っている。
「自分を哀れだと思ったら何もできない。自分を哀れむこと、哀れまれることだけはしたくないと思って……」
「結局、私が芸能界の仕組みやオキテそのものをわかっていなかったってことですね。本当、芸名のことにしても、後になって人づてにこういうことだと教えてもらいましたし、いろんな事務所がわかるにつけて、前の事務所には迷惑をかけたんだが、申し訳なかったと……」(『微笑』95年12月16日号)

浅香が芸能界に復帰したのは、六本木オフィスとの和解を経て、休業宣言から4年が過ぎた97年のことだった。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
加勢大周[Ⅲ]──悪名に翻弄され続けた二人の「加勢大周」
加勢大周[Ⅱ]──裁判で事務所社長に芸名を奪われる
加勢大周[Ⅰ]──独立で勃発した竹内社長との「骨肉の紛争」
爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折
中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)
中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)
松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
薬師丸ひろ子──「異端の角川」ゆえに幸福だった独立劇
《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書

『芸能人はなぜ干されるのか?』大晦日紅白のお供にこの一冊!在庫僅少お早めに!

 

《紫煙革命15》発がんリスクが低い「スヌース」は煙草より健康的か?

前回の記事で、スウェーデンで伝統的に愛用されてきた嗅ぎタバコ「スヌース」を紹介しました。唇と歯茎の間に挟んで口の粘膜でタバコを楽しむものですが、「煙を吸わないので健康的だ」とでもいうような能書きが多いので非常に胡散臭いのもまた事実です。

◆EUではスヌース販売禁止

スウェーデン以外のEU欧州連合加盟国ではスヌースは販売禁止されています。理由は「公衆の健康に脅威である」ということです。ASHスコットランドが2007年に発表した『欧州連合はスヌース禁止を取りやめるべきか?』という調査報告からいくつか紹介していきましょう。

スヌースは口に入れて使用する無煙タバコ製品であり、現在ヨーロッパ連合全域で販売が禁止されている。しかしスウェーデンはこの禁止措置を免除されている。スヌースが harm reduction の方策として役立つかどうか、およびヨーロッパ連合が現在行っているスヌースの販売禁止を解除すべきかどうかについて世界中のタバコ規制運動陣営の中で論争が巻き起こっている。

※harm reduction=ダメージを軽減するという意味のドラッグ用語。肺ガンなどのリスクが指摘されている紙巻きタバコの代替品として有効かどうかを議論しているということ。

ASH(Action on Smoking and Health)=禁煙健康増進協会。喫煙の危険を訴える広告キャンペーンなどを展開している団体。1967年設立。本部はワシントン。

◆スヌースの有害成分

スヌースには、発ガン性タバコ特異的ニトロソアミン類(TSNAs)をはじめ多くの有害な物質が含まれており、(中略)スウェーデンのスヌースは北アメリカ、スーダン、インドで売られているさまざまな無煙タバコ製品よりもTSNAs含有量が少なくなっていることがわかっている。

スウェーデン・マッチタバコ会社は、自社のスヌース製品に関して、硝酸塩やTSNAs、鉛、ヒ素、ニッケル、クロムなどの「望ましくない」成分の許容上限値をはじめとした GothiaTek standard 35という品質基準を作り公表している。

スウェーデンのスヌースはニトロソアミンという発ガン性物質が生成されないように製造方法に工夫がなされているということのようです。

嗅ぎタバコに含まれる有害物質のポスターを紹介したサイトがあったのですが、なんだかもう笑っちゃいます。無煙タバコが危険だというよりも、工業化による環境汚染と農業の危険を喧伝しているように思いましたが一応紹介しておきます。

無煙たばこは口腔ガン発生の最大の引き金

ポロニューム210(放射性物質)
ウラニューム235(核兵器の原料)
ニトロサミン(発がん物質)
アセタルデハイド(刺激物質、炎症起爆物質)
カドミウム(自動車のバッテリー剤)
ヒドラジン(毒薬)
ニコチン(中毒性麻薬)
ホルムアルデヒド(防腐薬、シックハウス原因薬)
ベンゾフィレン(発がん物質)

◆肺ガン以外はどうよ?

ASHの報告によると、

・スヌースは紙巻きタバコに比べて、ガンを発生させるリスクは極めて低い。肺ガンリスクを増やすという報告は見られない。

・スヌースと口腔癌に関する研究には明確さが欠けているが、先に述べたように、紙巻きタバコをやめてスヌースに切り替えた喫煙者が喫煙を続けた者より口腔癌リスクが低くなることを証明した研究はない。

・スヌースと膵臓ガン、心臓血管疾患、糖尿病との関連については今までのところ明確な結論が出ていない。

・現在までに発表された研究結果に一貫した結論が出ていないため、スヌース使用者において膵臓ガン、糖尿病、心臓血管疾患が増える恐れを否定することはできない。

大雑把にまとめると、「スヌースによる健康被害を証明できるような証拠はまだない」ということのようです。

リック・ベンダーという口腔ガンの手術で下顎を切除した男性の写真を紹介しておきます。「スヌース 害」で検索したサイトでは必ずこの人の写真が登場します。

口腔ガンの手術で下顎を切除したリック・ベンダーさん

◆結論=ASHの論文は面白い

健康リスクを評価するにあたって、「科学的な証拠」よりも「政治的な運用」が優先されているということを理解するのが重要だなと納得するような文があったので紹介しておきます。

研究者が無煙タバコ会社あるいはそれより大きなタバコ産業とのつながりを申告しているため、それによって生じうるバイアスにより、スヌース使用に伴う健康リスクについての調査結果の透明度と明確さが損なわれている。タバコ産業の資金援助を受けたあるいはタバコ産業と明確なつながりを持つ研究者が行った研究を真の意味で独立の研究とみなすことはできない。それゆえ、研究結果を慎重に解釈する必要がある。起こりうるすべての健康影響についての理解を今後手に入れるには、スヌース使用がもたらす健康影響を検討するために完全に独立の立場で行われた研究を実施する必要がある。

政府も規制官庁も医療業界も、国民の健康よりも企業との利害関係を優先するものであるということですね。世に溢れる「科学的」とされているもののほとんどは、あくまで「意図的で政治的」な何かだと断言します。

それでは次回お楽しみに!

▼原田卓馬(はらだ たくま)
1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。
ご意見ご感想、もしくはご質問などは?twitter@dabidebowie
このコーナーで調査して欲しいことなどどしどしご連絡ください

《紫煙革命14》スウェーデンに学ぶスヌース──煙ばかりがタバコじゃない
《紫煙革命13》世界の男女別喫煙率から見えてくるカラフルなタバコ・カルチャー
《紫煙革命12》実録!タバコ工場見学の巻(後編)
《紫煙革命11》実録!タバコ工場見学の巻(前編)
田中俊一委員長自宅アポなし直撃取材を終えて

いつも何度でも 福島を想え! 『NO NUKES voice』Vol.02

 

《脱法芸能32》加勢大周[Ⅲ]──悪名に翻弄され続けた二人の「加勢大周」

◆93年6月の控訴審判決──加勢側が逆転勝訴

1993年6月30日、加勢大周の独立に絡んで提起されていた訴訟の控訴審判決が言い渡された。控訴審判決では、業界中から大きく注目されていた争点であり、1審では認められた「加勢大周」の芸名使用禁止が覆り、加勢側が逆転勝訴した。

加勢を訴えた元所属事務所、インターフェイスプロジェクトの社長、竹内健晋は、雑誌のインタビューで「そのときほど、人を殺したいと思ったことはなかった」と明かしている。判決に反発した竹内は、新たな対抗策をぶち上げた。

「加勢大周という芸名はわたしが付けたもの。ウチに所属するタレントを“加勢大周”の芸名で近々デビューさせる!」

7月7日、竹内は港区白金台の八芳園にNHKを含めた80人の報道関係者を集め、元祖加勢大周と同姓同名の「新加勢大周」をお披露目した。

◆デビュー会見20日後に「新加勢」は「坂本一生」に芸名を変更

「新加勢大周」こと坂本一生

元祖加勢大周に勝るとも劣らない二枚目の新加勢大周は180センチで72キロの20歳で、高校時代には水泳をでインターハイにも出場したというスポーツマンだという。竹内はたまたま東京近郊にあるスポーツジムにいた彼を発見して、スカウトしてきたという。

「歌もうたえるし、英語にも堪能。スポーツで発散するタイプですから、川本くん(加勢の本名)のように“女性に走る”ということはない」
と、竹内は自信満々に豪語し、黒いタンクトップを着た青年を紹介した。

元祖加勢大周は、この報道にうろたえ、「第2の加勢クンがボクより売れたらまずいよなァ。名前の1字を変えてほしい。裁判を何回もやったんだから……」と困惑気味にコメントした。

元祖加勢側は、新加勢の動きを封じようと手を打った。「加勢大周」「元祖加勢大周」「東京加勢大周」の4つの名前を商標登録し、新加勢の出鼻をくじいたのだった。

7月27日、竹内は再び記者会見を開き、「川本伸博クンに『加勢大周』の名前をプレゼントする!」と宣言した。新加勢は登場してから20日後に「坂本一生」に芸名を変更し、芸名戦争は一応の決着を見た。だが、加勢と竹内の確執は続いた。

◆「新加勢」坂本一生も竹内との金銭トラブルで移籍独立

だが、新加勢大周こと坂本一生も、95年4月、竹内のもとを去り、他の事務所に移籍してしまった。原因は金銭トラブルだった。坂本はこう語っている。

「ただ働きでした。はっきりいって、(竹内社長のもとにいるときは)ただ働きだったんです。もちろん、通常のタレントの方と同じで、給料はギャラの何パーセントといった形式で、契約を交わしていました。でも、1度もギャラとしておカネをもらったことはなかった。

おカネがないので、仕事のないときは部屋にひとりでこまりっきりで、宅配ピザやカップラーメンをすすってました。ホント、毎日が不安で、みじめで……」(『アサヒ芸能』95年6月8日号)

坂本は、2年間、肉体派タレントとしてテレビのバラエティ番組で活躍してきたが、給料が支払われないどころか、600万円もの持ち出しを余儀なくされたという。竹内にギャラについて尋ねても、「次の仕事をとるために金が必要なんだ」と言うばかりで埒があかなかった。

もっともショックだったのは、坂本が番組のゲームで優勝し、100万円の賞金を獲得したときのことだった。坂本は他のチームのキャプテンと相談し、賞金を山分けすることにしていた。番組が終わって楽屋で他の出演者とともに和気あいあいと待っていたが、とうとう賞金は届かなかった。

給料を払わないだけでなく、竹内は坂本に女性との交際を禁じた。それが高じて、坂本のホモ説まで報じられる事態となった。心底うんざりした坂本は、事務所を飛び出す決意をした。

◆「いわく付きの名は更正の原動力になった」──服役を終えた元祖加勢の告白

一方、加勢の方も竹内との抗争で疲弊し、芸能活動は長期間低迷し、その挙げ句、2008年10月5日、覚せい剤取締法違反(所持)と大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕され、芸能界を引退した。

服役を終えた加勢は、都内でバーテンとして働いた。『週刊新潮』(11年12月29日号)に新加勢大周騒動を振り返り、こう語っている。

「こんなエピソードをほかに誰も持っていないでしょうから、ボクが死ぬとき、生きていておもしろかったことのひとつに挙げられると思います。『加勢大周』はいわく付きの名前になってしまいました。それを使ってまた仕事を始めることは、今は考えられません。ただ、この名前は自分のモノだという思いはあります。こんなボクでも、待ちで『加勢大周さんですよね。一緒に写真撮ってください』と話しかけられることがあります。こうして覚えていてくれる人がいることが、いい意味で足かせになり、更正の原動力になる」

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
加勢大周[Ⅱ]──裁判で事務所社長に芸名を奪われる
加勢大周[Ⅰ]──独立で勃発した竹内社長との「骨肉の紛争」
爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折
中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)
中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)
松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
薬師丸ひろ子──「異端の角川」ゆえに幸福だった独立劇
《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書

『芸能人はなぜ干されるのか?』大晦日紅白のお供にこの一冊!在庫僅少お早めに!

 

《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

青山学院大学(高校・中学を含む)教職員の285人(総数の約2割)の人々が原告になり、同学校法人を相手取り一時金の減額を巡り、提訴がなされていたことが明らかになった。

毎日新聞の報道によると、「教職員の一時金は1953年以降、就業規則で定める規定に基づいた額が支給されていた。しかし学院側は2013年7月、『財務状況が非常に厳しい。取り崩し可能な資金にも余裕がない』などとして、規定の削除と一時金の減額を教職員の組合に提案。その後、組合の合意を得ないまま就業規則から規定を削除した。2014年夏の一時金は、規定より0.4カ月分低い2.5カ月分にとどまった。学院側は教職員側に対し、少子化や学校間の競争激化を理由に挙げ、『手当の固定化は時代にそぐわない』などと主張。一方、教職員側は『経営状態の開示は不十分で、一方的な規定削除には労働契約法上の合理的な理由がない。学院と教職員が一体となって努力する態勢が作れない』などと訴えている」そうだ。(毎日新聞2014年12月25日付

なるほど。組合との合意がないままの一方的一時金の減額というのが表面上事件の様相だ。

このような「一時金」あるいは「給与」の一方的カットは、本当に経営状態が思わしくない大学では、珍しいことではない。だが青山学院大学は定数割れを起こしている学部があるわけでもなく、「MARCH」(明治、青山学院、立教、中央、法政)と呼ばれる東京の人気私大の一角を占める、いわば「勝ち組」大学だ。ではなぜ青山学院でこのような争議が起こっているのか。

◆国会議員、ファンド、裏社会まですり寄ってきた青学経営陣の拝金主義

私は「《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち」(2014年10月16日)の中で名前を「AG大学」と伏せて青山学院大学の不祥事を予告していた。

青山学院大学の理事会と理事長は数年前から視野狭窄、拝金主義に走っていた。とりわけ理事長周辺には実に多彩な人間がすり寄っていた。現職の国会議員や新興ファンドの経営者、果ては裏社会の人間までが列をなしているという話を議員会館で何度も耳にした。私にこう教えてくれた人物は自身も企業の社長を務める民主党の議員だった。「金に汚いですよ」と顔に書いてあったし、その腹の内も隠さなかった。彼もおこぼれにあずかろうと息まいていたが、今では落選し落ち穂拾いをしているようだ。理事長はここ10年で数人代わっているけれども、その中でも青山学院の経営を大きく方向転換させたのは2005年から2010年まで理事長を務めた松澤建氏だった。

歴史があり、偏差値も高く、ましてやセンスがいい大学という評判の青山学院大学は、普通の経営をしていれば「財政状況が非常に厳しく」なることはない。大学の財務諸表は、専門知識のある人であれば、収入と支出を簡単に操作できるので、実際は安定的な財政状況であっても、短期的に「厳しく」見える指標を作り出すのはいとも簡単な操作である。が、2012年と2013年の青山学院の財政状況を見たが、収入、支出とも前年度より伸びており、特段の問題は見当たらない。「厳しい」どころかむしろ「拡大路線」まっしぐらだ。

◆拡大路線が引き起こす大学の瓦解

だとすると、ここで起きていることは、この連載コラムの第1回(8月19日)第2回(8月20日)でも紹介した立命館大学での事件、川本八郎氏が引き起こした「一時金減額」事件と同様の性格を帯びていると考えるべきだろう。大学内での歪な権力集中、経営者の暴走が止まらないのだ。

青山学院大学は2015年4月から「地球社会共生学部」を発足させるという。学部のコンセプトとして「青学らしいグローバル人材育成」と謳われている。今年、新興宗教団体である幸福の科学が大学を設立しようと文科省に申請をしたが却下された、設立を目指した幸福の科学大学の学部名には「人間幸福学部」や「経済成功学部」があった。「地球社会共生」も学部に冠する名前としては、不思議な語感と匂いが漂う。幸福の科学大学に似ていなくもない。混迷に陥った大学でしばしば起こる現象ではある。「独りよがり」によりバランス感覚を失ってしまうのだ。

私の知人に青山学院大学の「地球社会共生学部」の受験を考えている人がいれば、迷わず止める。もう合格票を手にしていても他大学への進学を勧める。

青山学院のスキャンダルはこの事件に止まらないだろう。

青山学院は理事長の専制と理事会の正常化が図られなければ、数年以内に凋落が明らかになることは明白だ。「青学ブランド」を経営者自らが壊すのはもったいない話である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち」
速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

いつも何度でも福島を想う

 

《脱法芸能31》加勢大周[Ⅱ]──裁判で事務所社長に芸名を奪われる

所属事務所のインターフェイス・プロジェクトから独立した加勢大周だったが、これまでに本連載で紹介してきた他のタレントのように業界からの圧力で干されることはなかった。加勢の仕事場にインターフェイス側と加瀬側のマネージャーが何人も現れて混乱するということはあったものの、加勢に仕事の依頼が止まらず、ドラマやCMに出演していた。

その理由の1つには、インターフェイスが小さな芸能事務所だったことが挙げられる。インターフェイスは、加勢との契約で音事協の統一契約書の体裁を採っていたが、インターフェイスは音事協には加盟していない。契約書では「社団法人音楽事業者協会」とあったが、「社団法人日本音楽事業者協会」が正しい。音事協の名前を出して、加勢を威圧することが目的だったのだろうが、こけおどしにすぎなかった。

◆「自業自得」とも囁かれた竹内健晋社長の悪評

加勢大周主演のTVドラマ「POLE・POSITION 愛しき人へ…」(1992年日本テレビ)

また、業界では、インターフェイスの社長、竹内健晋の評判も良くなかった。竹内はもともとモデルプロダクション上がりで、芸能界でのタレントの売り出しノウハウがなかった。そこで、加勢のプロモーションについて大手事務所に協力を要請したが、加勢の人気が高まってくると、利益を独り占めしようと謀り、大手事務所を激怒させていた。加勢が竹内から逃げ出しても、業界では「自業自得」という非難の声が上がり、竹内を応援しようという者は現れなかったのである。一部報道では、竹内が右翼を頼ろうとしたという話もあったが、相手にされなかったという。業界を味方にできなかった竹内は、加勢を潰すためにひたすら司法の手を借りたのである。

逆に加勢の方が業界の実力者の力を借りようとしたのは、加勢の方だった。インターフェイスの元社員で独立した加勢についた業界の大物として知られる廣済堂プロダクションの長良じゅんに調停を依頼し、いったんは長良の預かり、加勢が竹内に2億円を払って和解するという調停案が示され、解決しかかったが、加勢側は別にスポンサーを探して、独立の道を突き進んだ。

長年、芸能事務所を経営してきた長良としても、全面的に加勢を支援するわけにもゆかなかったのだろう。『FOCUS』(91年5月17日号)で、長良は次のようなコメントを出していた。

「たかだかデビュー8ヶ月目くらいで人気が出たから独立なんて、芸能界はそんな甘いモノではない。そういう行儀の悪いことをするんなら彼も終りだ」

◆「商標登録された芸名は事務所の所有物」と認めた92年判決の衝撃

一方、インターフェイスが訴えた裁判は、92年3月20日に判決が言い渡された。その要旨は、被告、川本伸博は加勢大周なる芸名を使用して、第三者に対し、音楽演奏会・映画・ラジオ・テレビ・テレビコマーシャル・レコードなどの芸能に関するすべての役務の提供をしてはならない、というものだった(新事務所との専属契約の禁止、5億円の損害賠償請求は棄却された)。

この判決は、業界全体に大きな衝撃を与えた。判決に影響を与えたのは、竹内が加勢大周の名を商標登録していたことだったが、加勢の裁判が判例として定着すると、事務所が所属タレントの芸名を商標登録した場合、タレントは独立や移籍の際、いちいち芸名を返上し、新しい名前で芸能活動をしなければならなくなる。明らかに芸能事務所側に有利な判断がなされたが、これはタレントにとっては死活問題だった。

ただちに加勢は控訴した。高裁での判決は93年6月に言い渡され、今度は加勢に芸名使用の許可が出た。だが、これで一件落着とはならず、94年になってから、インターフェイス側はまた訴訟を起こし、独立してから1年間の損害があったとして、3億7000万円を請求した。

さらにトラブルは続き、加勢が独立した際、協力をした顧問、安西一人が新事務所、フラッププロモーションの社長を務める加勢の母親とマネジメントをめぐって対立し、事務所を辞任すると、週刊誌が「加勢はマザコン、無気力、女にうつつを抜かしている」という安西の暴露インタビューを掲載した。

こうしたトラブルが何年にもわたって続いた結果、加勢のイメージは極端に悪化し、ピーク時には11本あったCM契約も、すべてなくなってしまった。

そして、加勢大周の独立スキャンダルの極めつけは、芸名の所有権を主張する竹内が嫌がらせとしてぶつけてきた「新加勢大周」の登場だった。(つづく)

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》

加勢大周[Ⅰ]──独立で勃発した竹内社長との「骨肉の紛争」
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《脱法芸能30》 加勢大周[Ⅰ]──独立で勃発した竹内社長との「骨肉の紛争」

1988年7月、芸能事務所インターフェイス・プロジェクトの社長、竹内健晋は世田谷区駒沢にある喜多呂という焼き鳥屋に入った。すると、アルバイトをしていた抜群にハンサムな少年に目が止まった。

竹内はその少年と目が合うなり、上半身がガタガタと震えだした。芸能界生活25年の間に70人ものタレントを育てた経験から竹内に、「これはモノになる」という直感が降りてきたのだった。

少年は都立多摩川高校の3年生で、教材会社に就職が決まっていたが、翌月から竹内の事務所に所属し、目指すことになった。コンタクトレンズ会社の営業部長をしているという父親は、「仕事がら新製品を売り出すことのむずかしさはわかっています。社長さんのご恩は一生忘れません」と言った。

少年は名前を川本伸博といったが、竹内は芸名として「加勢大周」と名付けた。

◆デビュー当初の月給は9万円──工事現場で働き、身体を鍛える

加勢大周写真集『ライバル』 (1990年ワニブックス)

最初の1年間に入ってきた仕事はCMモデルの仕事がたったの2件しかなく、加勢の稼ぎはたったの6万円だった。身体を鍛えることも兼ねてよるの工事現場でアルバイトをした。その間、竹内は毎月9万円の給料を払ったが、事務所の経営は苦しく、加勢が「給料のうちから5万円を使ってください」と申し出たこともあった。

ところが、90年に入ると、桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』で主役として抜擢され、コカコーラのCMが決まり、次々とドラマから出演オファーが舞い込んできた。たちまち人気に火が付いた加勢は、吉田栄作、織田裕二とともに「トレンディ御三家」と呼ばれ、売れっ子俳優になった。

◆母親が立ち上げた事務所に移籍したとたん始まった竹内社長との法廷闘争

だが、ほどなくして、加勢は事務所から独立し、竹内と対立した。

まず、加勢は4月4日付でインターフェイスに対し、契約解除の通告書を送付した。そして、6月1日、母親を社長とする新事務所、フラッププロモーションを設立し、数人のスタッフとともに移籍した。

これに対し、インターフェイス側は、「契約上、契約解除の意思表示は契約が満了する5月末の3ヶ月前までにしなければならないのに、加勢はそれを怠った。従って契約は自動延長されるので、契約解除は無効」と反発し、91年8月1日、加勢と新事務所との契約は無効だとして、加勢にテレビなどへの出演禁止、芸名の使用禁止、5億円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に提起した。

竹内は、提訴した翌日、記者会見を開いた。記者からギャラについての質問が出ると、竹内は加勢への支払明細書を見せた。それによれば、90年6~12月の給与は税込で17万5000円、91年1~6月は25万円で、1年間の合計は247万5000円。ただし、歩合給与として、年間2107万6576円を支払っていた。トータルで2355万1576円だった。そして、次のように言った。

「(給料は)新人時代の小泉今日子、工藤静香は、3年間は11万円以下ですよ。まわりの業界人からは、そんなに払うとナメられるからといわれたぐらいです。加勢本人は、仕事や金のことをとやかくいわない好青年でしたよ」

「(芸名は)姓名判断、血液型、人相から調べて、勝海舟が好きだった私が、力、勇気、アイディアをもってもらいたくてつけた名前です。当初、本人は外国人みたいな名前でイヤだといってましたが……。もし、話し合いがつかない場合、彼には使わせたくない。第2の加勢大周を探したい。彼には、本名でステップしてくれといいたい」

「(5億円の損害賠償については)取ろうとは思いませんが、もしほかでやっていくというなら、それ以上も……」

「おまえも早く……男らしく、一発ひっぱたかれてもという気持ちをもって会いにきてほしい……。裸になってサウナで語りあいたいですね」

一方、加勢サイドは、訴訟代理人を務める弘中惇一郎弁護士が記者会見を開き、「相手の主張は80%がウソです。いい加減で、違法性の高い契約書を根拠に、加勢クンを拘束しようとしているだけ。こちらが提出した異議文書も無視されています。それに加えて、加勢クンの妹役募集と称して応募者4000人から総額240万円を集めたり、21歳の女性をムリヤリにアダルト・ビデオに出演させたり……」などと反論した。

加勢側の主張によれば、2000万円とされた歩合給にしても、加勢の取り分は10%に過ぎず、また、実際に支払われたのは、竹内が公表した金額より1000万円低い、という。

加勢の独立は、まさに骨肉の紛争へと発展していった。(つづく)

▼星野陽平(ほしの ようへい)

フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》

爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折

中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)

中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)

松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説

薬師丸ひろ子──「異端の角川」ゆえに幸福だった独立劇

《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書

『芸能人はなぜ干されるのか?』大晦日紅白のお供にこの一冊!在庫僅少お早めに!