2022年回顧【経済・社会編】戦後77年と資本主義の限界 横山茂彦

◆戦後77年 ── 過剰な変革と拡散(多様化)の時代を経て

今年は戦後77年でした。編集部の求めもあり、戦後史をふり返る記事を書いていました。やはり「激流の時代」と呼ばれた「昭和」の社会の激変がすさまじく、文化の変容も激しいものだったと、あらためて回想されます。

このあたりを強調しすぎると、戦後世代特有の大げさな言説。あるいは老人の回顧と批判されそうですが、現在の停滞を生み出した過剰な変革と拡散(多様化)は、40年代後半から80年代にかたちづくられたことを再確認しておく必要があると思うのです。

そしてそれは、歴史考察がつねに底辺に哲学として持っているべき、今現在が最高の状態ではなく、過去により良いものを発見するものとして考えられるべきでしょう。

そのキーワードは戦後革命であり、世界的な68年革命、80年代のポストモダニズムです。このうちポストモダニズムは建築と現代思想の中で行なわれた、いわばコップの中の嵐のように思われがちですが、89年からの東欧・ソ連社会主義の崩壊、および80年からの中国の資本主義経済導入という歴史的な流れを、生産力批判として具現化するのです。

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代」(2022年8月16日)

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈2〉1960~1970年代 価値観の転換」(2022年8月23日)

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈3〉1980年代 ポストモダンと新自由主義」(2022年8月30日)

◆資本主義の限界と再分配構造の転換

その後、バブル経済の崩壊が資本主義の限界を露呈させました。とくに日本においては労働編成の再編、すなわち終身雇用制の崩壊によって、非正規という労働市場の自由化が行なわれます。つまり労働者のパート・アルバイト化によって、低賃金労働が常態化するのです。

資本と労働組合に表象されてきた階級社会が消滅し、高所得者層と非正規の低所得層への階層分岐が顕在化していきます。この構造はデフレスパイラルの中で、資本蓄積の内部留保によって固定化され、勤労者の可処分所得の減少によって、ますます経済を失速させるという事態を生みました。時の総理大臣が、資本家階級に対して「賃上げをお願いする」という、伝統的な階級社会では考えられない事態をも生み出したのです。

この階層分化の社会構造は、現代的な構造改革である経済民主主義、政府の側も再分配構造への転換を期待せざるを得ない「新しい資本主義」つまり、社会主義的な分配へと踏み出さざるを得ないところまで来ていると言えます。

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈4〉 ── 1990年代 失われた世代」(2022年9月17日)

◆自公政権そのものが、政教一致の政体である

安倍晋三元総理銃撃事件は、日本社会に二つの命題を突き付けたと言えましょう。その一つは、政治と宗教の問題である。自民党の選挙における強さ、とりわけ選挙に強いがゆえに独裁的に党内を支配してきた安倍政権が、じつは統一教会信者の力に支えられていたこと。そして自公政権そのものが、政教一致の政体であることを、あらためて認識させたことです。

国民の15%弱とされる自民党の政治基盤は、国民の10%とされる公明党(創価学会)の得票力に支えられ、なおかつ数万人とはいえ抜群の献身力で選挙を戦う、統一教会に支えられていた。すなわち、憲法に明記された信仰の自由・政教分離の原則を、そもそも逸脱していることを意味するのです。

政治の場においても、論壇においてもタブー視されてきた政治と宗教の闇に、厳しいメスが入れられる時代が来たのだといえましょう。

それは同時に、人間にとって宗教とは何なのか、政治とは何なのかを問い直すことになるでしょう。デジタル鹿砦社通信はこれからも、タブーなき論壇ステージの一端を担うことをお約束したいと思います。

「政教分離とはどのような意味なのか? ── 安倍晋三襲撃事件にみる国家と宗教」(2022年8月5日)

「《書評》『紙の爆弾』11月号 圧巻の中村敦夫インタビューと特集記事 「原罪」をデッチ上げ、「先祖解怨」という脅迫的物語を使う統一教会の実態」(2022年10月8日)

「《書評》『紙の爆弾』2023年1月号 旧統一教会特集および危険特集」(2022年12月14日)

国防費がGDPの2%越え、金利政策の変更と物価高で国民生活はいっそう厳しい時代を迎えそうです。またいっぽうで原発の稼働延長が画策されています。来る2023年の厳しい世相を睨みつつ、闊達な批判と批評で読者の期待に応える所存です。よいお年を。

横山茂彦「2022年回顧」
【政治編】戦争と暗殺の時代
【経済・社会編】戦後77年と資本主義の限界

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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2024年大幅改悪は先送りされたものの、矛盾がますます深刻化する介護保険制度 さとうしゅういち

介護保険制度の見直しをめぐり、厚生労働省の社会保障審議会は12月19日、2024年度の改正に向けた意見書を大筋で了承しました。利用者負担の原則2割への大幅負担増と「要介護1、2を介護保険から外す」給付の大幅カットについて、結論を先送りしました。

他方で、利用者負担割合が2割となる対象者を拡大するなどの一部の項目について、「遅くとも来夏までに結論」を出すよう要望しており、厚生労働省は2023年の年明け以降も議論を継続するそうです。

◆「ヤングケアラー爆増」の危機はひとまず回避

当初、財務省などは、厚生労働省に圧力をかけ、
・利用者負担は原則2割にする
・要介護1、2の訪問・通所系サービスは介護保険から外す。
・ケアプラン作成は有料化
などをもくろんでいました。

利用者負担原則2割が実施されれば、多くの人がサービスを受けることが無理になります。

実を言えば、「デイサービスへ親を通わせているが現状でも負担は大きい」(親がデイサービスを利用している関東地方の女性)「妻が利用しているが、やはり負担は重い」(県内の70代男性)という声も強くあるのです。それが、2割負担となれば、余計利用しにくくなるのは当然です。

その結果何が起きるか? ご家族を介護している人の負担が増えます。特に、懸念されるのがいわゆるヤングケアラーの増加です。

家族の中で「主軸」で働いている父母世代(要介護の祖父母から見れば子ども)は仕事が忙しいため、学生とか、新社会人くらいの子ども世代(要介護の祖父母から見れば孫)への負担が重くなることが想定されます。

昔は、介護は「嫁」の仕事とされ、夫の父母の面倒も、妻が見るのが当たり前、という男尊女卑の時代がありました。その上、要介護の父母が亡くなったら、介護を任せていた妻を捨てて不倫相手の若い女性と再婚、という酷い夫も少なからずいたのも事実です。介護保険制度のおかげで、そうした嫁の負担が軽減され、女性の社会的活躍が後押しされ、男尊女卑の解消につながっていったのも事実です。

介護保険制度が後退すればどうなるか?先進国の中ではまだまだ男尊女卑が強いとはいえ、昔に比べると改善される中で、さすがに母親=嫁に押し付けるということは難しい。しかし、そのかわり孫世代に負担が重くなる、ということが想定されます。

筆者も利用者のお孫さんで、よく見舞いに来られている方を拝見することもあります。当人は、責任感をもってがんばっておられるのもよくわかります。それでも、ご本人がおかれた客観的な状況から「大学生なら勉強、新社会人なら仕事をおぼえることを優先された方がいいのではないか」という思いが口から出かかることもあります。後々、学業や仕事に支障が出るなどを通じてご本人の、さらには、社会全体の損失にもなることが懸念されます。今回の改悪回避でそうしたヤングケアラーの爆増は、とりあえず、回避できたのかもしれません。

◆お金持ちには利用料負担割合増加より保険料引き上げ・増税を

こうした中、負担割合を二割に引き上げる人の範囲を増やす議論は続くそうです。そもそも、保険給付割合で差をつけるというのは筋が悪い議論と感じます。もし、お金持ちに負担をいただきたいなら、税金をしっかり負担していただく方がよいと思います。負担割合が異なる人がいるために、現場の事務処理も煩雑化しています。元の一割負担で統一して、お金持ちの保険料率や所得税負担率を引き上げる、という方向の改革を望みます。

◆総理支持率低迷と署名運動が「大幅改悪」撤回の原動力

2021衆院選で与党が3分の2を超え(これにより、反対する野党が参院で粘っていても、衆院で再可決されれば介護保険改悪案は成立してしまう。)2022年参院選でも自民党が圧勝する中で、上記のような財務省がもくろむ案が法案になってしまえば、阻止するのは極めて困難な客観的な情勢もありました。

しかし、安倍晋三さん暗殺を契機に旧統一協会問題が噴出し、岸田総理の支持率は暴落しました。これにより、介護保険大幅改悪はやりにくくなったのは事実です。

ただ、総理支持率暴落だけでは、改悪は阻止できなかったという思いも筆者はあります。

例えば、軍事費倍増とそのための増税は、総理は「支持率が低迷しているからこそ、蛮勇を見せつけて求心力を高めてやろう」と暴走した面が否めません。実際、歴史を振り返っても内政の失敗をごまかすために、対外的に緊張を高めようとした為政者は古今東西枚挙にいとまがありません。

やはり、今回の介護保険大幅改悪の断念の背景には、署名運動もあったのは間違いありません。認知症家族の会など、ご家族を介護する当事者の方が中心に署名運動を展開。「これを強行したら統一地方選2023は持たない」ということを自民党側も感じたのでしょう。

また、軍事費はまだ「国家の専管事項」という理屈もあり得ますが、介護保険に関しては市町村が保険者です。統一地方選では重要な争点になってしまうからです。

総理が暴走を加速する軍事費倍増・増税問題、あるいは原発の問題ではそれはそれで、きちんと野党がまとまって対抗軸を打ち出さないと反対の世論も盛り上がらないし、むしろ支持率低迷の中で総理の暴走は加速するだけにも思えます。

◆現場労働者の待遇改善、サービスの安定供給……課題は山積

そして、もうひとつ、強調しなければいけないのは、現場労働者の待遇改善などは、この改悪の先送りに関係なく、まったく進んでいないということです。要は、今でも矛盾だらけの介護保険制度が、せいぜい、これ以上悪くなるのが防がれただけの話です。

岸田総理は、介護労働者の給料アップを公約しました。ふたを開ければ3%。しかも、必ずしも、労働者の手元に来るとは限らない仕組みでした。その上、10月からは国費投入ではなく、介護報酬に上乗せすることを事業者=経営者が申請しないと給料アップにならない仕組みです。要は、給料アップがお年寄りの負担増になるし、事業者の事務負担増にもなってしまうということです。

こうした中で、広島の介護現場からは外国人労働者がより高い給料を求めて東京へ流出しています。

※参照=広島の外国人労働者が流出する理由 「労組代表」の筆者の説明で納得の町幹部

こうした経過をみれば、どうあがいても、実際のところ現在の介護保険の枠の中で、現場労働者の待遇改善を十分に行い、人手を確保するのは無理と言わざるを得ません。

また、コロナのもとで、一時的な利用者の急減が、経営に打撃を与え、事業者が倒産。お年寄りが路頭に迷うという事態も生じています。費用は保険で出し、介護報酬は国が決めるが、あとのことは市場原理任せ、という介護保険制度でサービスの安定供給ができるのか?という問題もつきつけられています。

※参照=介護事業所の倒産が過去最多! 市場原理でサービスの安定供給は確保できない! 

◆介護保険の限界認識し、対抗軸を!

結局のところ、当面は思い切った財政出動を行いつつ、介護は基本的には税で賄うという、欧州では一般的な方向での改革に向かうしかないのではないでしょうか?その場合は、現在は異常に甘すぎる超大金持ちへの課税を強化するなどの方向が、格差が広がってしまった現代日本ではふさわしいでしょう。

介護保険改悪阻止だけでなく、むしろ、その限界を認識し、市場原理に寄らない方向、例えば(特に広島のような労働力が流出する地方圏では)公務員として人手を確保して、責任をもって自治体が介護を供給する、などの方向性を野党側、あるいは労働側は打ち出し、自民、維新や資本側に対抗するべきです。

筆者も、統一地方選2023へ向け、暴走を加速する岸田総理の地元・広島でその先頭に立ちます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
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サラ金・商工ローンによる取り立てから、「押し紙」代金の取り立てへ、毎日新聞・網干大津勝原店の改廃事件 黒薮哲哉

企業には広報部とか、広報室と呼ばれる部門がある。筆者のようなルポライターが、記事を公表するにあたって、取材対象にした企業から事実関係や見解などを聞き出す時にコンタクトを取る窓口である。新聞社の場合は、ある程度の記者経験を積んだ者が広報の任務に就いているようだ。

 
毎日新聞大阪本社(出典:ウィキペディア)

今月に入って、兵庫県姫路市で毎日新聞・販売店の改廃にともなう事件が起きた。店主が、新聞の仕入れ代金などで累積した約3916万円の未払い金の支払いを履行できずに、廃業に追い込まれたのである。公式には双方の合意による取引の終了である。

請求は、さやか法律事務所(大阪市)の里井義昇弁護士が販売店主に内容証明で催告書を送付するかたちで行われた。里井弁護士は、催告書の中で、店主が積み立てた信認金(約80万円)を未払い金から相殺することや、12月分の読者からの新聞購読料は毎日新聞社のものであるから、店主が集金してはいけない旨も通知していた。

集金した場合は、「株式会社毎日新聞社としましても、民事上のみならず、それにとどまらない刑事上のものを含めた法的対応を講ずることを検討せざるを得ませんので、たとえ購読者の方より申し出がありましても、一切収受等することなく、後任の販売店主への支払いをと伝えられるようご留意ください」と述べている。
 
かりに請求金額に「押し紙」による代金が含まれていれば、実に厚かましい話である。

◆「押し紙」問題に向き合わない毎日新聞の社員

 
毎日新聞の「押し紙」。ビニール包装分が「押し紙」で、新聞包装分が折込広告。記事とは関係ありません

毎日新聞社は、この販売店に対する新聞の供給を15日から停止している。そして別の拠点から配達を始めた。

毎日新聞が請求している約3916万円の中身については、今後、筆者が調査して、「押し紙」が含まれていれば、「押し紙」裁判を起こす方向で検討する。クラウドファンディングで裁判資金を募る予定だ。

また、里井弁護士に対しては、懲戒請求を視野に入れる。「押し紙」であることを認識していながら、高額な金銭を請求した可能性があるからだ。里井弁護士は過去にも「押し紙」裁判にかかわった経緯がある。従って「押し紙」とは、何かを知っている可能性が高い。

筆者はこの改廃事件についての毎日新聞の見解を知るために、同社の東京本社・社長室広報ユニットに対して2度に渡って問い合わせた。(質問状は、文末)しかし、返ってきた答は、いずれも「個々の取引に関することは、お答えできません。」というものだった。たったの1行だった。回答者は、石丸整、加藤潔の両社員である。

わたしは2人の社員が「押し紙」問題から逃げていると思った。自分たちが制作した新聞を配達してくれる人が、借金を背負ったまま露頭に放り出されようとしているのに、何の声もあげない冷酷さに驚いた。

筆者は、「押し紙」問題は、商取引の問題であると同時に、人権問題である旨を2人にメールで知らせ、再度回答するように求めたが、やはり回答しなかった。筆者は、2014年12月17日にしばき隊が起こしたリンチ事件の後、識者の多くが事件の隠蔽に走ったことを思い出した。

これは日本が内包する深刻な社会病理なのである。企業社会の中で身体にしみ込んだ処世術に外ならない。

ちなみに日本新聞協会の会長は、毎日新聞社の丸山昌宏社長である。

◆弁護士が資金回収の最前線に

かつてサラ金や商工ローンの厳しい取り立てが社会問題になったことがある。「目の玉を売れ」とか、「腎臓をひとつ売れ」といった罵倒を浴びせて、借金を取り立てることもあった。幸いにこの問題には、メスが入った。武富士は倒産し、同社の代理人を務めていた弘中惇一郎らに対する信用も堕ちた。

かつて社会問題の矢面に立ったサラ金の武富士(出典:ウィキペディア)

「押し紙」の取り立ても、サラ金や商工ローンと同様に凄まじい。毎日新聞・網干大津勝原店の場合は、弁護士が資金回収の最前線に立っている。幸いに現時点では、催告書の送付以外に毎日新聞社の目立った動きはないが、今後、どのような手段に出てくるのかは予断を許さない。

店主には、妻子がいる。

「自分はどうなってもいいが、妻子を露頭に迷わすわけにはいかない」

と、話している。

失業の不安が頭から離れないらしく、毎日、筆者のところに電話がかかってくる。筆者も新聞業界の裏金問題を取材していて業界紙を解雇された体験がある。失業後は、未来が描けないことが苦痛だった。店主も同じ気持ちではないか。

これまで何人もの店主がみずから命を絶っている。失踪者もいる。週刊誌もたびたび店主の自殺を報じているので、新聞社の社員が「押し紙」の悲劇を知らないはずがない。だが、毎日新聞の2人の社員は、自社の問題であっても、逃げの一手なのである。

筆者は2人に対して、会社員としてではなく独立した個人として「押し紙」を告発するように書き送ってみたが、やはり回答はなかった。

この問題は、今後、内部資料を精査し、現地を取材して、続報を出していく。筆者が毎日新聞社に送付した2通目の質問状は次の通りである。回答は、既に述べたように、「個々の取引に関することは、お答えできません。」の1行だった。

筆者は、新聞社の社員が1行の作文しかできない事実に驚愕した。

◆毎日新聞社に対する公開質問状

               公開質問状

毎日新聞 社長室
石丸整様
加藤潔様

発信者:黒薮哲哉
連絡先:xxmwg240@ybb.ne.jp 電話:048-464-1413

 先日、毎日新聞・網干大津勝原店の改廃問題について問い合わせをさせていただきました。これに対して、貴殿らは「個々の取引に関することは、お答えできません。」と回答されました。

 改めて質問させていただきますが、貴社の「押し紙」問題をわたしが報じる際に、今後、貴社の見解を確認する必要はないと理解してもよろしいでしょうか。この点について、必ず回答していただくようにお願い申し上げます。

 さらにこの機会に、「押し紙」問題について貴社社長室の見解を教えてください。

社長室は、毎日新聞社で最も功績があるジャーナリストで構成されている機関だと理解しております。特に毎日新聞グループホールディングス社長の丸山昌宏氏は、日本新聞協会の会長を兼任するなど、日本を代表する新聞記者です。それを前提に次の4点についてお尋ねします。書面でご回答ください。貴社のジャーナリズムの信用性にかかわる重大問題なので、必ず回答ください。

1、貴社が網干大津勝原店に対し、里井義昇弁護士(やさか法律事務所)を通じて請求されている金額は、約3915万円になります。店主は、この金額は残紙の代金が大半を占めていると話していますが、同店に残紙があったことは認識しておられたのでしょうか。それとも残紙以外の請求なのでしょうか?

2、貴社長室が考える「押し紙」の定義を教えてください。

3、仮に網干大津勝原店の残紙が「押し紙」であっても、貴社は今後も店主に対する新聞代金の請求を続ける方針なのでしょうか? 残紙が「押し紙」であることを知りながら、請求を続ける行為は、サラ金業者の借金取り立てと性質が変わらない蛮行だとわたしは考えています。まして貴社は過去の「押し紙」裁判の中で、和解というかたちで販売店に慰謝料を払ったことが繰り返しあり、「押し紙」の存在を認識しているはずです。実際、貴社の出身である河内孝氏も『新聞社』の中で、「押し紙」の存在に言及されています。

4、貴殿らのジャーナリストとしての「押し紙」についての見解を教えてください。会社員としてではなく、ジャーナリストとしての見解です。

※なお必要であれば、貴社の販売政策を裏付ける内聞資料等を提供させていただきます。
 
回答は、12月22日(木)の夕方までにメールでお願いします。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
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とある団地で実際に起きた隣人同士の裁判の背景を、詩的で絵画的に描き切った映画『[窓] MADO』 林 克明

詩的で絵画的な映画だ。12月16日から「池袋HUMAXシネマズ・シアター2」で上映が始まった映画『窓』のことである。とある団地で起きた隣人同士の裁判を背景に、夫婦と娘の三人暮らしの家族が、外部から閉ざされた空間で過ごす日常が描かれている。

映画『[窓]MADO』は12月29日(木)まで池袋HUMAXシネマズ・シアター2で公開中

三人が住む自宅が、まるで閉ざされた牢獄のように感じるのだ。それも、彼ら自ら作った牢獄の中に彼ら自身を押し込めるように。その牢獄内で寄り添って暮らす摩訶不思議な家族の姿が映し出される。

ある団地に住むA家は、年金暮らしのA夫、その妻A子、一人娘のA美の三人暮らである。A夫は、娘が階下から流れてくるタバコの煙害で体調を崩していると思い、第三者を介して団地の集会室で、斜め下に住むB家のB夫とB子夫妻に対し改善を求める。

その後もA美の症状は悪化の一途をたどったため、父親のA夫は、娘の体調やB家とのトラブルを日記につづり始めた。

〇月×日、B夫の車が見えない……、〇月×日△時、B家方面から甘い外国タバコの香り……というように。B家の三人だけに見えている風景や心情が、日記につづられていく。映画はB夫の日記と同時並行で進む。

A夫演じる西村まさ彦の独白音声が流れるのだが、日記の朗読というより詩のように聞こえてくる。それにしても、西村まさ彦は味がある。

その中で、A夫は娘に化学物質過敏症の疑いがあると知り、その原因がB夫のタバコの副流煙だとして、B家に対し4500万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたのだ。

この事件は、横浜・副流煙訴訟という実際に行われた裁判をもとにしており、事件そのものは『禁煙ファシズムー横浜副流煙事件の記録』(黒薮哲哉著・鹿砦社刊)に詳しい。

この裁判では、副流煙被害を訴えるA家の夫が実は最近まで四半世紀にわたり喫煙していたことがわかったり、娘の診断書を書いた医師が実は直接診察していなかったことが発覚するなどの問題が明らかになった。

あるいはA夫が書く日記の内容と、実際のB家がからむ事実とは大きく矛盾していることが多々明らかになっている。
 
禁煙イコール善、喫煙イコール悪という風潮は確かにある。もちろん受動喫煙の問題はあるし、化学物質過敏症の難しさもある。

しかし、実際に起きた訴訟は、目的が正しければ強引なことは許される、すなわち禁煙社会を実現するには理不尽なことも許されるという一部の風潮がなければありえなかった。

実は本作を世に出した監督の麻王MAOは、訴えられたB家の長男(親とは別居)である。自分の家族に起きた実際の事件をフィクション化したわけだ。

公開日舞台挨拶(12月16日 池袋HUMAXシネマズ)

この映画を観る前、同じ集合住宅の隣人であるA家とB家をパラレルに映し出すと筆者は勝手に思い込んでいたが、本作のメインは、煙草の煙で化学物質過敏症をわずらい苦しんでいると主張したA家だ。

映画冒頭から団地の「窓」が多数映される。B夫は窓に向かい延々と日記を書く。その窓の外には、多数の窓が見える。

窓は解放するもので、団地の集合住宅は窓の面積が大きく、構造的には解放感があるはずだ。それなのにスクリーンに映し出される窓には、見えない鉄格子が組み込まれているようなイメージが湧いてくるのである。

鉄格子の内側のA家には、何台もの空気清浄機が設置され、煙草の煙を浄化するための観葉植物の鉢だらけになる。

平凡な団地が異様に美しく撮影されており、しずかな音楽と相まって独特な雰囲気を醸し出す。

ただ、できれば実際の裁判の内容を伝える部分をもう少し入れ、絵画のように異様に美しく幻想的な映画との落差を伝えると、より面白味と怖さがましただろうとは思う。


◎《予告編》映画 [窓]MADO 12/16(金)公開 @池袋HUMAXシネマズ

●12月16日(金)~12月29日(木) ※池袋HUMAXシネマズ8F シアター2
池袋HUMAXシネマズ公式ホームページ 
映画[窓]MADO 公式サイト
映画[窓]MADO 公式ツイッター  

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
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2022年回顧【政治編】戦争と暗殺の時代 横山茂彦

毎年恒例の1年の総集編ですが、わたし自身があまり記事を書かなかったこともあって、扱ったテーマが絞られます。というよりも、政局の動きや経済の分析をドラスティックに覆す事件によって、焦点がおのずと絞られてしまったと言えるのではないでしょうか。事件があまりにも強烈すぎました。

ロシアのウクライナ侵攻、および安倍晋三元総理銃殺事件です。

◆18世紀型の戦争に驚嘆する

すでに昨年末から、オリンピック明けにロシアがウクライナに侵攻する観測はあった。マイダン革命からクリミア併合、ドンバス紛争と8年にわたって繰り広げられてきた内戦に、ロシアが公然と介入する。かつてのベトナム戦争、アフガン戦争を想起させたものだ。

だが、ふたを開けてみると北部からキーウへ、黒海から南部諸州へ、そして紛争地である東部にも20万をこえるロシア軍が殺到したのだった。もはや地域紛争ではなく、全面的な総力戦といえる。のちに明らかになったことだが、この緒戦の3方面からの侵攻がロシア軍の戦力を分散し、各個撃破される原因となったのだ。驚愕の全面戦争は、ロシアの戦力と国力を越えていた。

当初われわれは、アメリカNATOによるロシア圧迫が、もっぱら産軍複合体の要請による、いわば数年に一度は戦争をしなければならない事情によるものと考えた。このアメリカによる戦争論は、現在も謀略論として流布されている。

「風雲急を告げる、ウクライナ戦争の本質 ── 戦争をもとめる国家・産業システム」(2022年2月23日)

ところが、プーチンという人物を詳しく知る中で、現代のヒトラーというべき独裁者だと判ってきた。クリミア併合でG8から排除されて以降、ロシア帝国の復活を夢見てきたことも。

考えてみれば、プーチンが政権に就いた時期の、謎の爆破事件は、1933年のドイツ国会議事堂炎上事件(共産主義者の犯行とされた自作自演)に匹敵する謀略だった。まさに「たいていの人間(大衆)は小さなウソよりも大きなウソにだまされやすい」(ヒトラー『我が闘争』)を21世紀に実行してみせているのがプーチンなのだ。

「核兵器使用を明言した妄執の独裁者、ウラジーミル・プーチンとは何者なのか? ── 個人が世界史を変える可能性」(2022年2月26日)

「第三次世界大戦の危機 プーチンは大丈夫か?」(2022年3月14日)

ウクライナ戦争の実態は、剥き出しの古典的帝国主義戦争である。20世紀的な帝国主義戦争どころではない、プーチンは18世紀のピョートル大帝やエカチェリーナ女帝の拡張主義を賛美し、実践しようとしていることが判明したのだった。

したがって破壊はもとより、虐殺や略奪、性犯罪など、あらゆる戦争の悪が露呈している。18世紀的な戦争犯罪は、21世紀の国際法において裁かれるべきであろう。
そのいっぽうで、第三次世界大戦の危機は左派勢力のなかにも混乱をもたらした。とりわけ反戦主義にどっぷりと浸かった新左翼系の反戦市民運動において、アメリカ主導の戦争と規定することで、プーチンの開戦責任を免罪する傾向が顕著となったのだ。

そのバリエーションは、ユダヤ財閥を基点とするディープ・ステートによる謀略、レーニン1914年テーゼ「自国帝国主義打倒」、米ロの代理戦争論、社会主義の祖国ソ連を懐かしむ反米帝論などさまざまだ。

「ウクライナ戦争への態度 ── 左派陣営の百家争鳴」(2022年4月26日)

◎「ウクライナ戦争をどう理解するべきなのか
〈1〉左派が混乱している理論的背景(2022年5月5日)
〈2〉帝国主義戦争と救国戦争の違い(2022年5月13日)
〈3〉反帝民族解放闘争と社会主義革命戦争(2022年5月19日)
〈4〉民族独立と救国戦争(2022年6月8日)

個人的には理路整然と、何とか問題を整理しようとした末に、対外的な論争(党派を名指し)にも挑みました。一般社会とは隔絶された「新左翼」の論争です。興味のある方は、左翼の伝統文化顕彰としてお読みいただければ幸甚です。

「『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください〈後編〉」(2022年10月26日)

だが前述したとおり、21世紀の今日、無法な戦争の発動者を人類と平和の名において裁かない理由はない。かつて第二次大戦のドイツ占領下のワルシャワで、国内軍とレジスタンスが蜂起したとき、双方で処刑の応酬になった。

このワルシャワ蜂起に対して、呼応するはずのソ連軍がなぜか待機し(カチンの虐殺いらい、ソ連はポーランドを完全に属国化する計画だったとされる)、レジスタンスはナチスのSS軍団に抑え込まれる。さらなる処刑(虐殺)が行なわれんとするときに、イギリス放送が「無法な処刑は戦争犯罪になる」と警告宣伝したのだった。いらい、ナチスの虐殺は一時的にせよ止んだ。

その意味では、国際的な法的キャンペーン(戦争犯罪の警告)が虐殺を止める効果を持っているといえよう。

Резня – военное преступление, не убивайте ! (虐殺は戦争犯罪だ 殺すな!)

これをSNSに発信するだけで、戦争における虐殺は抑えられる可能性がある。

「戦争の長期化は必至 ── 犯罪人プーチンとロシア軍が裁かれる日」(2022年6月18日)

ところで、日本ではウクライナ戦争が台湾有事とリンクして語られている。ひとつの中国を国際社会が認めているとはいえ、武力による現状変更はゆるさない。香港において、ウイグルにおいて、民主主義を圧殺している中国共産党の独裁的な支配に反対し、台湾の自治を擁護する立場。

あるいは沖縄をはじめとする、日本を舞台に中米が軍事対決するのに反対する。戦争一般に反対する立場もふくめて、日本人の政治的な立場が問われるであろう。
そのような中で、ロシアが日本侵略の計画を検討していたことが明らかになっている。これまで、一部のロシア議員が発言してきたのとは違う、驚愕するべき事実の一端が明らかになっている。

ロシア連邦保安庁(FSB)の関係者がリークした電子メールによって、プーチン政権はウクライナ侵攻を開始する数ヵ月前、日本に攻撃を仕掛ける計画を立てていたらしいことが判明したというのだ。

奉じたのはスペインの流行系のサイトだが、純粋に軍事的な検討が行なわれるのは、ある意味で当然と言えるのかもしれない。ロシアは「国防のために」ウクライナに侵攻したのだから。

◆安倍元総理射殺事件の愕き

ウクライナ戦争と原材料不足による物価高が憂慮されるなかで、参院選挙が行なわれた。結果は維新の会や参政党など「ゆ党」の躍進だった。既成野党(立民・共産・社民)の後退と「ゆ党」の躍進は、政治および政治家に賞味期限があることを改めて知らしめたといえよう。

そのような中で、歴史的な事件は起きた。安倍晋三元総理が銃撃され、死亡したのである。あらためて、哀悼の意を表したい。本通信も、不肖わたくしをはじめ論者たちが安倍批判をくり返してきた。だが、安倍なんか死んでもいいとは、けっして書いてこなかったように、言論による闘い以外に、われわれが手にする武器はない。あらためて、演説中の政治家を銃撃する暴挙を、語をつよめて批判するものです。

「追悼 安倍晋三元総理大臣」(2022年7月11日)

さて、同時期に世界史的な人物が逝去した。エリザベスⅡ世が亡くなったのだった。女王が君臨した時代は、大英帝国の植民地支配が終焉する時期であった。それゆえに、過酷な植民地支配への癒しが治世の要件となった。

いまもなお、ポストコロニアルの世界にあって、英連邦からの離脱をもとめる動きはつづいている。ウクライナ戦争に見られるように、21世紀は民族の自決と自治へと、旧世紀を克服するムーブメントが世界史的なテーマなのかもしれない。

イギリスと日本の国葬において、際立って違っていたのは伝統文化の厚みだった。明治以降、欧米化する流れの中で伝統文化を見失ったわが国は、警備陣が剥き出しの威力を見せつけることで、国葬を刺々しいものにしてしまった。国論を二分したことよりも、そもそも警備の威力で実現される葬儀とは何なのだろうか。レポートにおいても、この点を強調したかった。

「エリザベス女王追悼と安倍国葬 元総理の業績と予算への疑義」(2022年9月11日)

「《9.27 TOKYO REPORT》安倍晋三国葬儀 ── 英エリザベス女王国葬との痛々しいほどの落差で際立った伝統文化の貧困と過剰警備のグロテスク」(2022年9月28日)

ところで、安倍元総理射殺事件は旧統一教会問題、すなわち政治と宗教の問題を俎上にあげた。このテーマについては「2022年をふり返る(社会編)」で顧みたい。政教分離という、わかっているようでわかっていない議論である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

何故、今さら昭和のプロレスなのか?〈3/3 最終回〉プロレスはカウンターカルチャー(対抗文化)だったのだろうか 板坂 剛

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の最終回です。

昭和という特殊な時代に、大衆的な人気を獲得したスポーツ(と敢えて言っておく)の代表がプロ野球とプロレスであることに異論の余地はないと思われる。

しかし両者には大きな違いがあった。プロ野球には外人選手はチラホラといたが、日本人のチームに助っ人として参加していただけしていただけで、外人選手ばかりのチームがあったわけではない。

プロレスはそこが違った。昭和のプロレスは最初から日本人対外人の構図が売りだった。そこで大衆(観戦者)心理は当然民族主義的になる。

「無敵黄金コンビ敗る 日大講堂の8500人、暴徒と化す」

 
「無敵黄金コンビ敗る 日大講堂の8500人、暴徒と化す」(1962年2月3日付け東スポ)

こんな見出しの記事が出ているスポーツ紙をトークショーの当日に私はターザン山本と観客の前に提示した。昭和37年2月3日に日大講堂で行われたアジアタッグ選手権試合で力道山・豊登組がリッキーワルドー・ルターレンジの黒人2人組に敗れ、タイトルを失った「事件」の記録だった。

「決勝ラウンドは『リキドーなにしてる、やっちまえ』という叫び声の中で豊登がレンジの後ろ脳天逆落としで叩きつけられフォール負け。無敵の力道山・豊登組が敗れた。一瞬……茫然となった8500人の大観衆は、意気ようようと引き揚げるワルドー、レンジに”暴徒”となって襲いかかった。『リキとトヨの仇討ちだ』『やっちまえ』『黒を生かしてかえすな』とミカン、紙コップを投げつけ、イスをぶつける。怒り狂ったレンジとワルドーが観客席へなだれこみ、あとは阿鼻叫喚……イスがメチャメチャに飛び交い、新聞紙に火がつけられてあっちこっちで燃え上がる。『お客さんっ、お願いしますっ、必ずベルトはとりかえします。お静まりくださいっ』力道山がリング上からマイクで絶叫する」

記事の文面から察するとかなりの反米感情が当時の大衆にはあったように思われるが、そう簡単に割り切れる状況ではなかった。

昭和37年と言えば、マリリンモンローが死んだ年であり、後に『マリリンモンロー、ノーリターン』と歌った作家がいたように、大半の大人たち(男性)はアメリカの美のシンボルの死に打ちのめされていた。われわれ当時の男子中学生がその死を超えることが出来たのは、既に吉永小百合が存在していたからである。

一方、女子中学生たちはやはり同年公開された『ブルーハワイ』のテーマ曲を歌うエルヴィスの甘い美声に酔いしれていた。アイゼンハワー米大統領(当時)の来日を阻止した全学連の闘いが、全人民の共感を呼んだのは2年前のことだったが、所謂60年安保闘争の標的は岸信介であってアメリカ政府ではなかった。二律背反という言葉が脳裏をよぎる。

当時の日本の大衆心理を簡単に定義すれば、政治的には反米、文化的には親米ということになるだろうか。もちろん双方にマイナーな反対派はいた。

昭和のプロレスは力道山時代に限って言えば、アメリカの下層大衆の娯楽であるプロレスを日本に持ち込んだので、文化の領域に属するわけだが、第2次世界大戦の軍事的敗北を根に持っている大衆が昭和30年代まではまだまだ多かったのだろう。軍事は政治の延長という説に基けば、その種の怨恨も政治意識とは言えないこともない。故に文化的であって政治的な変態性ジャンルとしてのプロレスが成立し成功したのだろう。

プロレスとは正反対の健全な娯楽性を維持していたプロ野球の世界でも、シーズンオフに米大リーグからチームを招いて日本選手の代表チームとの「日米親善」と銘打った試合が行われたことはある。プロレスの場合、日米対決は定番だったが、しかし「日米親善」という雰囲気が会場を包んだことはなかった。

前述した暴動が起こったアジア・タッグ選手権試合の現場写真を見ると、まるで数年後にブレイクした学生運動の乱闘場面かと思わせる迫力が感じられる。(場所が日大講堂だっただけに……)

その写真はプロレスが秩序を否定する文化、即ちカウンターカルチャー(反抗的文化)であることをはっきり示していると思われる。

それにしても、力道山・豊登組を破ったリッキーワルドー・ルターレンジの2人が黒人だったからと言って……「黒を生かして生かしてかえすな」はないだろう。

カウンターカルチャーにだって品格というものがあるんじゃないかね。刺される直前に「ニグロ、ゴーホーム」と叫んだ力道山と同様に、こういう発言を口にする者には相応の裁判が待っていると考えるべきなのかもしれない。

◆ミスター・アトミック(原子力)はプロレス界の悪役だった!
 

 
ミスター・アトミック(原子力)

プロ野球とプロレスの大きな違いに悪役の存在がある。と言うか悪役が存在するプロスポーツなんてプロレス以外にはないことは明らかなのだが、実は『昭和のプロレス大放談』の最中に、私はある1人の悪役レスラーのことを思い出していた。

その名をミスター”アトミック”という。私の知る限り、来日した最古の覆面レスラーである。まだ原発など大衆の視野にはなかった時代だから、最初から力道山の好敵手として悪役を演じた彼が日本では”アトミック”と名乗ったのは、やはり日本人にとって忌まわしい思い出となっている原爆をイメージさせようとしたからだろう。

昭和のプロレスは他のプロスポーツよりはるかに多量のエネルギーを、同時代人に与えてくれた。そのエネルギーは悪役の存在があったからこそ放出された。

今思えば悪役の1人だったミスター”アトミック”は、原子力が悪のエネルギーであることを正直に表明していたとも言える。今さら「原子力はクリーンなエネルギーである」と開き直る奴らに、彼の試合のビデオがあったら見せてやりたいものである。

ミスター”アトミック(原子力)”は決して、一度たりともクリーンなファイトをしなかった。(完)

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、本日12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

広島県議選2023 ── 河井案里さんの地元・安佐南区でれいわ新選組が筆者を推薦 さとうしゅういち

2023年4月執行の統一地方選挙・広島県議会議員選挙安佐南区選挙区(定数5)において筆者は立候補を予定しています。12月14日付で筆者に対してれいわ新選組から推薦をいただきました。

 
中筋駅前で演説する筆者

「核禁条約が発効した今こそ、暮らしに冷たく、利権や旧統一協会にまみれた広島県政を、平和都市にふさわしいあなたにやさしい広島県政にリニューアルしたい。防災や医療・福祉、教育など公務員を増やす。ケア労働者や非正規公務員は、給料大幅アップはじめ待遇の抜本改善を早急に行う。県内でお金を回し、人口流出を止める。緩すぎる産廃規制を強化し、水や食べ物を守る。給食無料化含む食料安全保障、教育費負担の軽減、子ども医療費補助の拡充、国保料など引き下げ、ご家族を介護・ケアする方の応援、住まいの権利保障に全力を挙げる。」

以上が、筆者がれいわ新選組の推薦をいただくにあたっての決意表明要約です。

◆案里さんの地元で捲土重来

安佐南区は「あの」河井案里さんの地元です。筆者は、2011年1月、広島県庁を退職。県知事選挙2009後に変質が目立った河井案里さんと対決するために安佐南区で立候補し4278票をいただきましたが及びませんでした。

あれから12年。案里さんは、ご承知の通り、参院選広島2019での買収事件を引き起こして逮捕・有罪確定・当選無効となりました。その案里さんの当選無効に伴う参院選広島再選挙2021に筆者も立候補。6人中3位の20848票をいただきました。

しかし、案里さん失脚後、広島県内の政治・行政も日本の政治も、全く改善されていません。もう一度、筆者は、この案里さんの地元でもある安佐南区で捲土重来、腐りきった広島県政をひとりひとりにやさしい県政にリニューアルすべく、力を尽くします。それとともに、総理の地元の広島から暴走する総理に向けてガツンと声を上げて参ります。

◆新自由主義で暴走する県知事とチェック機能無き議会

広島県では、2021年11月に四選を果たした県知事の湯崎英彦さんの新自由主義方向での暴走が加速しています。

2022年11月には、突然、住民を置き去りにした全国でも例を見ない病院統廃合を発表しました。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44909

また、湯崎さんは2023年3月末で、広島県内の貴重な種を保存していた「広島ジーンバンク」を廃止します。一方的な説明会を開いただけで、県民の合意形成を図ることもせずに強行しようとしています。

そして湯崎さんの腹心の平川理恵・県教育長は12月6日に外部の専門家による調査で官製談合防止法違反、地方自治法違反が明らかになったにも関わらず居座っています。さらに、出入りの業者を自宅に宿泊させていたことも明らかになりましたが、12月17日現在、辞任の気配すらありません。

また、広島県全体で公立学校の非正規の先生が1000人以上おられます。裏を返せば正規の先生が不足し、授業にも支障が出ている学校も多い状態です。こんな状況を、「予算がない」と放置する一方で、現場に負担を強いる「改革」に暴走しているのが平川教育長であり、バックの知事の湯崎さんの実像です。

こうした、湯崎さん、平川さんを甘やかしてきたのが県議会であり、自民、公明は言うに及ばず、立憲、国民も知事与党としてほとんど監視機能をはたして来ませんでした。

筆者はこうした県議会に緊張感をもたらしたいと思います。

◆噴出する過去の新自由主義の「負の遺産」

広島県は実は、大阪顔負けの新自由主義政策を取ってきました。例えば広島県内の市町村合併は86あった市町村を23に減らすものでした。そして、県職員は「合併後の市町に権限を委譲するから」と削減し、市町の職員も「合併するから」とダブルで公務員を大きく減らしました。また、保健所は21から7に激減。全国平均の半減と比べてもひどい。

しかし、大阪維新の会のようには、広島県政の新自由主義は知られていません。これは、大阪府の橋下徹知事(当時)が派手なパフォーマンスで喧嘩を売ったのに対して、広島県の前知事の藤田雄山さん(故人)、現知事の湯崎英彦さんは、「こそこそ決めてこそこそ実行する」傾向があったために、県民に気づかれにくかったというのはあるでしょう。だが、さすがに長年のつけはいま、噴出しています。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44493

上記で紹介した教員不足のほかに、行政職員不足で、広島土砂災害2014、さらには西日本大水害2018からの復旧・復興や、コロナ対応にも支障がでています。

また、公務員を減らしすぎたことが、広島県内でも特に周辺部、特に吸収合併された旧市町村地域の衰退に明らかに拍車をかけています。そのことも人口流出は広島がワーストワンであることの背景にあるとみられます。

◆アップデート遅れる県政 暮らしや環境を守れぬ

また、全国的には子どもの医療費補助を18歳までやる都道府県も多いのですが、広島県はいまだに就学前までです。国保への補助も拒んでいます。経済格差が広がる中で、それに対応しなければいけないのですが、広島県は後れを取っています。

さらに、産業廃棄物対策でも広島県は後れをとっています。他の都道府県では水道水源条例などを制定し、産業廃棄物処分場が簡単にできないようにルールをつくっています。しかし、広島県にはそういう条例はありません。書類さえ整っていれば許可。こんなことだから、安佐南区の上安の産廃処分場では一時期汚染水が流出する問題が起きました。さらにその同じ事業者が三原市の水源地のど真ん中に産業廃棄物処分場を計画。県もこれを許可してしまいました。

◆現役県庁職員時代から地域衰退やケア労働者の低すぎる給料に憤り

筆者は、現役の県庁職員時代、特に山間部や島嶼部の介護や医療、福祉などの行政を担当させていただいていました。その中で、地方交付税カットを含む当時の小泉純一郎政権による新自由主義で地方が衰えていく様子に憤りをおぼえました。

また、介護事業所の指導をさせていただく中で、あまりにも低すぎる現場労働者の皆様の給料に「こんなことでいいのか?」と憤るとともに、「日本は大丈夫なのか?」と日本の将来を心配しました。20年近くたったいま、筆者の懸念は現実のものになっています。

いまや、広島の介護現場から外国人労働者も東京へ流出しています。そして、介護現場労働者の高齢化が深刻になっています。筆者は、現在では労働組合(広島自治労連)執行委員としてケア労働者の待遇改善にも力を入れています。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44761

◆故・安倍さん以上の新自由主義・軍拡・原発推進で暴走する総理に地元から「ガツン!」

また、岸田総理は新自由主義脱却と当初はいいながら、経済政策面では故安倍晋三さん以上に新自由主義的です。

現役の介護福祉士であるわたくし・さとうも期待していたケア労働者の待遇改善も3%といわば、物価上昇の前では焼け石に水です。さらに、国費投入も打ち切られて現在は保険料負担・利用者負担になっています。

そして、岸田総理は安倍晋三さんでさえやらなかった武器倍増、原発を推進など暴走が止まらない状況です。

こうした中で、新自由主義に原則的に反対する政治家が、総理の地元広島で増えて、ガツンと総理にモノ申せば、総理の判断にも少なからず総理の暴走を減速する方向で影響を与えるでしょう。

◆これまでの筆者の活動内容に最も近い政策のれいわに推薦依頼

筆者は、現存する政党・政治勢力の中ではれいわ新選組が新自由主義への対抗軸を最も徹底しておられると評価しています。このことから、筆者は同党を衆院選2021,参院選2022で全面支援させていただきました。こうした経過もあり、広島県議選2023において同党の推薦をお願いし、このほど承認いただいたものです。

わたし自身の政策・政治姿勢などについては、何ら変更はありません。最もスタンスが近いところに推薦をお願いしたものです。

例えば、わたし自身、特に労働組合役員としてケア労働者の待遇改善と人員体制の改善、教員含む非正規公務労働者の正規化・待遇改善を最優先とした必要な公務員増に注力してまいりました。

東京のような巨大都市ならいざしらず、広島の場合、公務員を増やしたりケア労働者の待遇を改善したりすることが、県内の経済底上げ、そして若者の地元定着、人口流出阻止にもつながります。今後、労働組合役員としてだけでなく、県議会内でも全力で取り組んでまいりますとともに、国政レベルで意識を共有するれいわを中心とする国会議員と連携してまいります。

なお、筆者は、労働組合全般を否定するものではなく、あくまで「労働者の票を食い逃げして裏切る」ような「労働貴族」を批判してきました。

◆「カバン」が最も不安材料! 遠方の方はご来援よりカンパを!

 
リアル、zoom両方での支持者を前にあいさつする筆者。昔は一人でいろいろなことを仕切っていた

さて、選挙において、どうしても必要とされるのは「地盤、看板、カバン」とされます。

過去に筆者が挑んだ選挙の時と比べると、皆様のご協力のおかげ様で、明らかに地盤=支援組織、看板=知名度の面では充実しています。改めて深く感謝を申し上げます。

しかし、問題はカバン=お金です。

もちろん、筆者は「お金がなくても堂々と参加できる政治」を掲げています。そうでなければ、格差はますます拡大してしまうからです。

とはいえ、現実問題、最低限のお金がかかるのも事実です。例えば、政治活動用ポスターにしても屋外用のものは1800円/枚かかり、筆者にとっては相当な負担です。れいわ新選組の推薦をいただきましたが「推薦」では資金面の支援は現時点では頂けない状況です。

特に遠方の皆様方におかれましては、ご来援も大変うれしく存じますが、それよりましてうれしいのがやはり交通費分、カンパしていただくことです。

◎カンパ先
郵便振替口座 01330-0-49219 さとうしゅういちネット
広島銀行本店(店番001) 普通 口座番号3783741 さとうしゅういちネット

ただし、ご寄付頂けるのは日本国籍の方、そして一人年間150万円以下に制限されます。また、
・年間5万円を超えてご寄付頂いた方
・筆者への寄附による所得税の控除を受けられたい方

については、法の定めるところにより、政治資金収支報告書等で筆者からご住所・ご氏名・ご職業を広島県選挙管理委員会に報告させていただきます。何卒ご了承ください。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
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何故、今さら昭和のプロレスなのか?〈2/3〉力道山は何を言いたかったのか  板坂 剛

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の第2回です。

昭和のプロレスについて語る時、どうしても創始者である力道山の存在について解明しなければならないと思う。多くのカリスマ的ヒーローがそうであったように、この人にもまた出生から死に至るまで「謎」という字がつきまとっていた。

関脇になった時点で将来は横綱にまでなれる実力があると評価されながら、突然自宅の台所で包丁を手にして髷を切り、相撲界と決別した。たった独りの断髪式に込められた彼の思いとはどのようなものであったのか?

「相撲協会の幹部が『朝鮮人を横綱にはしない』と発言したことに怒った力道山が、発作的に髷を切った」

……と、そんな噂話を複数の人たちから聞いたのは力道山の死の直後、私はまだ中学生だったが、二重のショックを受けたのははっきり記憶している。

 
日本選手権、対木村戦勝利後の力道山(1954年12月1日付け『週刊20世紀』より)

その頃まで多くの日本人は力道山が在日朝鮮人であることを知らなかった。もっとも力道山の出生当時は朝鮮半島は日本の領土だったから、彼の出身地が北朝鮮であったとしても日本を代表して先勝国アメリカの選手を叩きのめし、敗戦国民の屈辱を解消するパフォーマンスを演じる必然性がなかったわけではないが、当時の南北朝鮮と日本の国民感情は、そんなに甘いものではなかった。とりわけ在日朝鮮人に対する日本人の差別意識は酷いもので、またその反作用としての差別された側の憎悪に近い感情にも凄まじいものがあった。

しかしもし力道山が相撲協会幹部の差別発言を気にもとめずに力士生活を続けていたら、私は彼が必ず栃若時代の前に一世を風靡する名横綱になり、引退後も親方として相当な地位におさまっていたと思う。つまりプロレスをアメリカから持ち込むような難事業に手を出すようなことにはならなかったはずである。

またもしプロレスに転向後、力士時代の四股(しこ)名に過ぎない力道山という呼称を棄て、敢えてカムアウトして本名でリングに立ったとしたら、当時の日本の大衆は彼を救国のヒーローの如くもてはやしはしなかっただろう。

言い換えれば日本に於けるプロレスは差別から始まったということであり、差別がなければ力道山という稀代の英雄は存在しなかったと断言できるのである。だからと言って、差別が必要だったとは言えないが、自分をあからさまに差別した相撲協会の幹部や、力道山という虚名を用いなければ時代を象徴する逸材として自分を認知することはなかったと思われる偏った日本の社会に対して、言いたかったことがあったに違いない。

晩年(と言っても30代だが)の力道山は酒に溺れアル中状態でしかも酒乱であった。アル中になった人間を何人か知っているが、皆本音を口にすることが出来ず、過剰なストレスをアルコールで紛らわせているように見えた。酒乱の人間は特に粗暴な感情をむき出しにして周囲に迷惑をかけることがあったのだが、多くの場合過去に自分が受けたダメージを他人に転嫁するようだった。

酒は被害者意識を加害者意識に変えられるものなのか。暴漢に腹部を刺された赤坂のニューラテンクォーターでも、ステージ上の黒人のジャズメンに対して、「ニグロ、ゴーホーム」と叫んでいたという。力道山ほどの人物になれば、不品行をたしなめるのもナイフで刺すしかなかったのかもしれない。

それにしても刺された原因が「ニグロ、ゴーホーム」という差別発言だったとすれば、逆に力道山の心に差別に対する憤懣がくすぶり続けていた結果が証明されていたという言い方も出来る。若い頃に差別に苦しんだ人間が成功者になった時、人を差別することで自分の優位性を確かめ、プラスマイナス=ゼロにして精神の均衡を保った例は幾らでもある。

ついでだから書いておくが、「在日朝鮮人」という言い方に、私はかねてから疑問を持っている。「在日」という言葉には今たまたま一時的に滞在しているだけで、本来在住すべきでない人々という嫌らしいニュアンスが感じられる。

日本には現在世界各国の人々が混在してはいるが「在日アメリカ人」「在日イギリス人」「在日フランス人」「在日ドイツ人」等とは言わない。欧米に限らずアジア人に対しても「在日ベトナム人」「在日マレーシア人」「在日ミャンマー人」「在日ネパール人」とは言わない。中国人に対してさえ「在日中国人」とは言わないのに、隣国であるにもかかわらず、「在日韓国人」とも言わずに「在日朝鮮人」……しかもただ「在日」と言っただけで特定の国の人々を揶揄する響きを持つ表現が残っている限り、日本は「かの国」から謝罪を要求され続けることになるのだろう。(つづく)

『昭和のプロレス大放談』で激論するターザン山本さん(左)と筆者(2022年4月4日 於新宿ガルロチ)主催:ファミリーアーツ 製作協力:小西昌幸

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

《追悼》真のジャーナリスト・山口正紀さんを悼む 田所敏夫

記憶力が悪いと自覚しながらも、人との出会いのきっかけや出来事はほとんど記憶しているのに、なぜか山口正紀さんと最初にお会いしたのが、いつ、どこでなのかを思い出すことが出来ない。身勝手な立場から想像すれば、それほど自然な成り行きの中で、いつしか親しくしていただき、お付き合いの度合いが深まっていたということであろうか。

フリージャーナリストで元読売新聞記者、山口正紀さんが逝去されたとの報にふれた。2022年12月7日にお亡くなりになったと伺った。

山口正紀(やまぐち まさのり)さん。1949年大阪府堺市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業。1973年読売新聞に入社し、2003年12月末に退社。以後、フリージャーナリストとして活動。2022年12月7日逝去。

山口正紀さんのお名前は、一定程度ジャーナリズムの世界に足を踏み込んだ者、あるいは日本の報道界の悪癖「顕名報道」や「記者クラブ」、「冤罪に便乗する報道界の醜態」を知るものにとっては、いわば常識的に知られている。読売新聞記者として通常の記者同様「サツ廻り」から出発したものの、事件報道やマスコミのあり方、果ては日本社会の在り方の根本にまで問題意識を広げ、そしてそのように発言した結果、山口さんは読売新聞で記事を書くことができなくなり、不本意にも定年前に退職された。しかし、その判断はむしろ僥倖であったともいえる。会社の縛りがなくなった山口さんは、冤罪、壊憲(この言葉は山口さんが作り上げた造語である)、折々の日本の右傾化や政府の暴走に、反論を許す余地なく緻密な論を構成し鋭い批判の矢を向け、同時に民事で争われる事件の多くについても裁判官や弁護士以上に細部にわたる事実分析や論評を多数行ってこられた。

冤罪被害者に寄り添い、現在進行形の不当な行政・司法の横暴にもできうる限りご自身が現場に出向き取材なさっていた。ジャーナリストとして「現場で取材する」ことは基本中の基本であるが、山口さんはご健康を崩しても、無理に無理を重ね、最後まで「不当」、「不正義」について緻密かつ正確に批判の筆鋒を向けられた。

数多く手がけられた事件の中で、結果的には最後の大事件として山口さんが結実させたのが「滋賀医科大病院問題」であろう。本通信でたびたび取り上げたが(http://www.rokusaisha.com/wp/?m=20180802)、病院の不正に怒った患者会の皆さんが、毎週滋賀医科大病院前で抗議のスタンディングを行い、2度にわたるデモ行進を草津市で敢行するに至ったのは、山口さんのアドバイスがあってのことである。

「滋賀医科大病院問題」は井戸謙一弁護士を弁護団長として滋賀地裁に2018年8月1日、4名の患者及びその遺族が、滋賀医科大附属病院泌尿器科の河内明宏科長(当時)と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件であるが、短期間でここまでの動きを牽引したのは社会活動豊富な山口さんと、たまたま滋賀医科大病院で追放の危機にあった、岡本圭生医師に前立腺がんの治療を受けた三国ケ丘高校時代の同級生、そして奇遇にもその後輩にあたる井戸謙一弁護士のチームワークが成立したからだ。

2018年8月1日、山口さんは既にステージⅣの肺がんに罹患していたが、ご自身に自覚症状はなかったし、周辺の我々誰一人として山口さんが重篤ながんに罹患しているなどとは思えなかった。

「滋賀医科大病院問題」は京都新聞の裏切りをはじめ、多くのマスコミが無視する中、MBSが鋭い視点で着目し1時間のドキュメンタリーとして放送するに至る。そしてフリージャーナリストの黒藪哲哉さんが『名医の追放』(緑風出版)を世に出し、静かながらも大きな波を引き起こした。

裁判闘争が幕を切って間もないころ、山口さんはご自身の体調変化に気が付き、診察を受けた先の病院で、肺がん罹患を知らされる。じつは同年の春に山口さんは健康診断を受診しており、肺のレントゲン撮影も受けていた。「健康診断では問題なかったのにどうしてですか」との山口さんの問いに医師は「健康診断のエックス線撮影ではがんが解らないこともあるのです」と答えたという。当該医師に責任はないが、健康診断を受けていながらそう長くも経っていない時期に重度の肺がんを宣告された理不尽を、山口さんは「じゃあ何のための健康診断なのかってね。いいたかったけど言いませんでした」と筆者には語っておられた。

そうなのだ。山口さんはよほどのことがあっても口調や文体を乱すことなく、つねに冷静な立脚点から他者や対象を観察し分析することが身についている、「紳士」でもあった。ご本人にとって絶対に承服しがたい理不尽や不当な扱いがあっても、自分の内側にしまい込み耐え忍ぶ。優しさの裏側には命を削ってしまった「忍従」の重さがあったのかもしれない。

山口さんの生涯にわたる業績や社会的なお仕事をこのコラム1本で紹介するのは到底不可能だ。筆者は山口さんが読売新聞の記者時代からの活躍を知っているが、ここでは、偉大な先輩が最後に命がけで取り組んだ「滋賀医科大病院問題」でのお姿を紹介するにとどめる。山口さんのお仕事を包括的にご紹介する資格や能力など筆者には備わっていないと自覚する故である。

2019年1月12日JR草津駅前を出発点にして250余名によるデモ行進がおこなわれた。この時期山口さんは嚥下(食べ物を飲み込む)に困難があり、体重も相当減ったご様子であったが、東京からわざわざ駆け付け、デモとその後の集会まですべてを取材なさった。既にご自身の病状については関係者に明かしておられたものの、旧知の仲である筆者としては文字通りジャーナリストとして「鬼気迫る」精神を感じさせられた。

山口さんはマスクを装着されているが2019年1月はコロナ禍の前だ。ご自身の呼吸が乾燥すると苦しいことと、インフルエンザの罹患を注意してマスクをされていた。
 
舗道から俯瞰したり、デモ隊の中に入って体感を取材する山口さん

「滋賀医科大小線源患者会」は発足から数か月で会員数が千人を超え、いわば社会現象化したのだが地元も大手もほとんどのメディアが報道しない。大手メディアでは朝日新聞(出河記者)と前述のMBSが取材報道しただけで、日頃静かな草津駅前で行われた、異例のデモ行進にはNHKすら取材に来なかった。

このような状態にご自身が重篤ながんを患っていらっしゃる山口さんの闘志は、逆に掻き立てられた。国会議員(議員会館)と厚労省に患者会のメンバーが陳情に出向いた際のことである。本来は取材者であるはずの山口さんが、紳士的な口調ながらも「患者の立場」からあまりにも行政の姿勢がおかしいのではないか、と理路整然とした発言を始められたのだ。

後に筆者に向けた私信で、山口さんは「横で聞いていて官僚のあまりにも表面をなぞっただけの回答に堪忍袋の緒が切れて、ついつい発言してしまいました」と回想なさっていた。

滋賀医科大病院前では、毎週患者会のメンバーにより「スタンディング」抗議が続けられていた。これは滋賀医科大が不当にも岡本医師を追放しようと画策していることに対して、同病院の関係者や患者さんたちにわかりやすい形で訴える方法として、山口さんが提案されたものでもある。「スタンディング」の現場にも山口さんは取材兼激励に訪れ、参加者に笑顔で声をかけておられた。

裁判期日の開廷前集会では「私もがん患者になってしまいました。皆さんは治療法があるけれども、私の場合はまだ見つかっていない。ある意味で羨ましいんですけど……。それとこれとは問題が違います」とご自分の健康状態を二の次にしても社会的不正を許さない言葉と、態度で原告をはじめとする患者会のメンバーを支援し続けておられた。

そして新聞記者であれば当然なのかもしれないが、山口さんは自分が発言しないときは、つねにノートにペンを走らせていた。会議でも山口さんに記録をお願いすると、2、3時間の議事録は会議が終わったころには完成している。というのが山口さんのジャーナリストとしての基礎だった。少々の喧噪でも録音に頼らず自分の耳と記録で記事を構成する。記者として当たり前のことかもしれないが、実行できる現役記者がどれくらいいるだろうか。

肺がんに罹患されて以来、治療方法や治療病院をめぐっても想像を絶する苦難と痛みに山口さんは見舞われた。全身麻酔で開腹手術をしている最中に麻酔が切れ「気を失いそうに痛かった」ことすらあったが、いつもメールの最後には「元気になってまた皆さんと楽しく食事できる日を」と読む者への配慮を忘れない優しさが添えられていた。

12月7日山口さんはご家族がお揃いの中、闘いを終えられた。

優しい山口さんに対して、彼が生きた最後の20年はあまりにも激烈で、冷酷な時代だった。そのことを常々彼と話していたが、山口さんは筆者と異なり、いつもユーモアや希望を持ち続けていた。

こんな時代だからこそ、豊かな人間性と鋭い批判精神、そして行動力が備わったひとは、筆者にとっては宝物だった。宝箱が空っぽになりそうで弱気になる筆者に、きっと山口さんは、「田所さん、僕は田所さんやみなさんだったら、きっとうまくやれると思います。敵の攻撃がどんなに厳しくても。みなさんの力を信じます」

そうお声をかけてくださるような気がする。優しい激励に応える自信はない、などと泣き言を言ってはいられない。

山口正紀さん、ありがとうございました。御恩は決して忘れません。微力ですが私も死ぬまで闘います。

追伸:山口さんには筆者だけではなく、鹿砦社も筆舌に尽くしがたいお世話になった。2005年に社長松岡が名誉毀損で逮捕勾留されて以来、公判を毎回傍聴してくださり、報告記事を『週刊金曜日』に掲載していただいた。また近年では、多くの人が関心を向けない中「大学院生リンチ事件」について鋭敏に反応頂き、重篤な体調の中、裁判所へ提出する重厚な意見書を書いていただいた。鹿砦社にとって、これ以上ない恩人である。社長松岡のショックは大きく、まとまった文章を書くにはいましばらく時間が必要なようなので、僭越ながらここでその旨を紹介させていただき、山口正紀さんへの深い感謝の意を表したい。


◎[参考動画]山口正紀・元読売新聞記者渾身のスタンダップトーク『山口敬之を記者と呼ばせない』(2019年12月24日 憲法寄席)

◎《レイバーネット不定期コラム》山口正紀の「言いたいことは山ほどある」
第18回(2022年1月17日)ジャーナリズムを放棄した「監視対象との癒着」宣言――『読売新聞』が大阪府(=維新)と「包括連携協定」締結

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

何故、今さら昭和のプロレスなのか?〈1/3〉プロレスに象徴される昭和の意味 板坂 剛

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の第1回です。

4月4日という少々不吉な感じのする日の夜に、新宿の『ガルロチ』というライブハウス風のレストランで『昭和のプロレス大放談』というマニアックなイベントが行われた。

アントニオ猪木の死期が近いという噂が広まった頃から、猪木に関する評伝を中心にした昭和のプロレスを検証する出版物が数多く出回った現象をふまえて企画されたイベントだった。

『昭和のプロレス大放談』で激論するターザン山本さん(左)と筆者(2022年4月4日 於新宿ガルロチ)主催:ファミリーアーツ 製作協力:小西昌幸

ここで元『週刊プロレス』編集長のターザン山本と私の対談トークショーが行われてしまったのである。両者とも昭和のプロレスにはまって人生を狂わせたはぐれ者で、最初は熱烈な猪木信者であったがある時点で猪木から離反することになったところに共通点がある。私については鹿砦社刊『アントニオ猪木 最後の真実』を参照していただくとして、ターザン山本の蹉跌に関しては、今も当時もあまり語られることがなかったのでひと言書き添えておきたい。

この人は週刊誌の編集長という立場を逸脱して当時幾つもあった団体の選手たちを無差別に寄せ集め『4.2ドーム夢の懸け橋』なんていうとんでもない企画を実現。それが元で、週刊誌の編集長の分際でプロモーターぶりやがってとバッシングを受け、新日本プロレスからも取材拒否されたあげくに編集長を解任されてしまった。

1999年8月に鹿砦社から発行された『たかがプロレス的人間、されどプロレス的人生』という奇書の中で、当時の様相についてターザン山本は次のように述懐している。

「あの取材拒否は、わかりやすい例えをすると、アメリカという世界の大国がNATO軍を使って『週刊プロレス』に空爆したようなものですよ。空爆を仕掛けて、自分のところだけやると説得力がないので、UインターとWARと、さらに夢ファクトリーの3つを抱えて、新日本プロレス連合軍……NATOみたいなものが『週刊プロレス』をつぶしにかかってきたわけです。要するに大国のエゴイズミというか」

今のウクライナの状況等に重ね合わせてみると、ギョッとするような発言ではある。

ターザン山本さん

また、鹿砦者の松岡社長とのやり取りの中で興味深い(私好みの)発言もしている。

山本 だから、ジャーナリズムの理念と精神というものを抹殺しようとしているんだよね。プロレス界はずっと。

松岡 プロレス界だけじゃないんでしょうけれどもね。

山本 一言で言うと、日本にジャーナリズムってないから。あるわけないですよ。だれも真実を教えていないんだから、政治、経済、文化……。日本にジャーナリズムがあるって考えてるやつは本当に……

松岡 能天気

昭和のプロレスの現場で苦渋を味わった人間の言葉が、今ひしひしとわれわれの胸に響いてくるのは、あの時代にプロレスのリングの内外で展開されていた「揉め事」が戦後日本の偽善的な市民秩序に対する不協和音を奏でていたからだろう。

「われわれ『昭和のプロレス』にかぶれた人間は、今、世界で起っている様々な紛争もプロレスをやってるようにしか見えないんだよね」

トークショーでつい口を滑らせて不謹慎とも思えるそんな発言をしてしまった私に対して、ターザン山本が同調してくれたのも、異端者同士に通い合う血の感触が認識されたからだろう。

彼は言った。

「プロレスを見ていると、世の中の争いごとの裏まで見えるようになるんですよ」

そうなのだ。われわれが昭和のプロレスに学んだのは、人間(特に男性)は「揉め事・争い事」つまり諍いが好きな動物であるという真理である。だからアメリカの大統領選挙を見ても、ウクライナの紛争を見ても「プロレスやってるだけじゃん」と感じてしまう。

彼等は平和が嫌いなのである。わざわざ揉める理由を探し出し(あるいは創り出し)、争いに没頭することで興奮状態になり、緊張感に酔っているようにしか見えない。社会の平和と安定のために設定された様々なルール(法律・倫理・道徳その他)を無視する快感、人を殺す自由、略奪する自由、破壊する自由。

ターザン山本はいみじくも言い切った。

「プロレスの常識=世界の非常識」

昭和40年代にはトレンディーだった言い回わしである。そして今、世界は非常識に充ちている。つまり昭和のプロレスは、政治家がプロレスをやっているようにしか見えない今世紀を先通りしていたとも言えるのだ。(つづく)

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号