広島から東京へと流出する介護施設の外国人労働者たち 円安も背景に加速する労働現場の崩壊 さとうしゅういち

◆日本人の時給より1割高い外国人労働者たちが東京の介護施設に引き抜かれる現実

最近、筆者の勤務先の介護施設で外国人労働者が、東京の介護施設に引き抜かれる動きが加速しています。

筆者の勤務先では、実を申し上げると外国人労働者の時給は日本人直雇用職員より1割程度高めです。

なお、筆者自身はピンチヒッターの派遣社員ということで派遣手数料を引いた手取り時給でも、外国人労働者よりさらに高めの時給をいただいております。それでも、県庁職員時代に比べたらはるかに低いし、はるかに仕事がきついことは体感しております。

日本人よりも高めの時給を外国人に出している介護施設。しかし、それでも、外国人が東京へ流出してしまうのです。この秋、複数の外国人労働者が辞めて、東京の大手医療法人系介護施設に転職することになりました。筆者も彼女たちとは長い間一緒に仕事をさせていただいたので、一抹の寂しさは感じます。

利用者様はもっと感じておられます。「**ちゃんは辞めるのではないよね?」と何度も筆者に質問してこられ、筆者も困惑してしまいます。外国人労働者ご本人も慣れているところの方で仕事するほうが、やりやすいとはおもいます。

他方で、彼女たちの選択はやむを得ないと思います。それはそうです。東京の介護現場では、介護職員が世間一般のから比べたら給料が低いと言っても、地方の我々から見たら驚くべき給料の高さです。

彼女たちは、ここでもそうですが、会社の寮で生活しています。遊びに行くこともほとんどありません。休みも取らずに、ずっと真面目に働き、お金をためて故郷に送金しているのです。

もちろん、東京は広島に比べたら物価は高い。ただ、遊ばずに暮らすだけであれば、そんなにお金を使うわけではない。給料が高い東京で働いて故国に送金した方が効率的なのは明白です。

現在、ご承知の通り、大変な円安です。広島の給料のままでは、故郷への送金が大きく目減りしてしまいます。

そこで、より給料が高い東京へ目が向くのも当然です。

◆東南アジアの労働者から見れば、働く場としての日本の魅力は低い

また、東京のこの大手医療法人系介護施設では研修体制も充実しています。実を言うと、彼女たちの母国は政情不安です。日本で長く働くことを視野に入れると、なおさら資格を取りやすいところへ、というのもわかります。

そういう要素はあるにせよ、やはり、円安で、広島の給料では、故郷に十分な送金ができないというところが、東京への移動の背景にあるのは、ご本人と話していてもよくわかります。ご本人のためを思えば仕方がありませんし、東京でのご活躍をお祈りするとともに、故郷の政情安定化(独裁で安定するという意味ではなく健全な民主主義という意味で)を心からお祈り申し上げる次第です。

しかし、このままいけば、外国人労働者が東京へと流出し、広島の介護現場はさらに崩壊しかねません。ほかの業種でもそういう動きになる可能性は高い。さらに、彼女らの場合は日本語を最初の外国語としておぼえたということで、日本になるべく居たいとは思います。だが、これから、外国で働こうという例えば東南アジアの労働者から見れば日本は選択肢として著しく魅力は低い。

それどころか、マスコミでも報道されている通り、オーストラリアなどに、いわゆるワーキングホリデーで行き、日本では考えられないような給料を稼いで戻ってくる、という日本人も増えるのは必至です。

新たに外国人労働者を入れるどころではありません。

◆きちんと労働者のために動く労働運動が必要

まず、介護現場を維持していくには、岸田政権は、これまでの3%にとどまらず、介護労働者の給料を引き上げることです。冷静に考えれば、日本人がしたがらないような給料・労働条件の仕事は結局、外国人もしたがらないのは当然すぎます。

もうひとつは介護業界だけに限らず、日本全体を見ても、「どうせ、外国人労働者を安く入れればいいから、給料は低くても大丈夫」という時代は終わったということです。

日本がいわゆる実質実効為替レートで最も円高だった1994年に当時の日経連(現・経団連)が「新時代の日本的経営」で派遣社員や有期雇用を増やすことを打ち出しました。それ以降、円高対応として、とにかく、労働者の給料を低く抑えることに日本の経済界は狂奔。それを前提とした企業経営や経済の在り方をつくってしまいました。

本来であれば、技術革新や時代に合わせた新機軸を打ち出すなどすべきだったのをサボってしまった。労働者を安く使い捨てることに依存してしまった。その結果、技術者はどんどん流出し、いつのまにか技術力でも韓国や中国に逆転されてしまった。

介護にしても、例えばオーストラリアでは、要介護者を介護者が持ち上げるような介護はさせていません。日本は逆に言えば腰痛を引き起こす特攻隊のようなことを介護労働者にさせています。日本は低賃金労働を前提とした古臭い国になってしまったのです。

過去20~30年のこうした誤りを総括する。ただ、資本側はそれを自分からやることはない。岸田政権が、賃上げとか、所得倍増とか言っていたのが、あっという間にしりすぼみになり、むしろ、安倍政権さえよりも新自由主義的になってしまったのは良い例です。

野党、それも労働組合に支援されているのに公務員賃下げに賛成するような「労働貴族」ではない野党が強くなる必要がある。そして、きちんと労働者のために動く労働運動が必要である。そのことも、この秋の「外国人労働者流出事件」を契機に強く感じました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号
『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

『紙の爆弾』最新12月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

コロナワクチンの生後6カ月~4歳を対象にした無料接種が10月から始まっています。子どもの重症化例はきわめて少ないことが報告されているなか、接種の理由はない、というよりも、感染症防護とは別の目的があることは自明と言っていいでしょう。厚労省は保護者に接種を検討する「努力義務」を課しています。副作用が出ても、自ら被害を訴えられない子どもへの強制接種(自分で接種するかを選べない)の残酷さはもちろん、そもそもワクチンの「主作用」とは何なのかについても、あらためて考えなければなりません。

厚労省はワクチンについて、「感染予防」「発症予防」「重症化予防」という「効果」の説明をあいまいにしてきました。そして、ワクチン接種が人々の間で進んだ時期と、陽性者の増減のタイミングに関連性はみられない一方、接種が進んだ時期に死亡数が増加するという現象が起きています。今年でいえば2~3月、接種の増加にあわせて死亡者数も増加、4月に接種数が低下すると死亡者数も減少。7~8月にも、接種拡大に合わせて死亡者数が増加しています。そんななか、世界に目を向ければ、ワクチン、そしてコロナ禍そのものへの人々の見方に、少しずつ変化が生じているようにも見えます。10月22日にはカナダ・アルバータ州のダニエル・スミス州首相が、ワクチン未接種の労働者に対する差別を「不適切」と認め謝罪しました。

今月号でも、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題を特集、自民党政治家との関係に注目するとともに、なぜメディアにおいて「空白の30年」が生まれたのか、9月号で執筆の鈴木エイト氏の講演内容を収録しました。連日のマスコミ報道のなかで、ジャーナリストや弁護士らが活躍を続けていますが、鈴木氏が一貫しているのは徹底して被害者に寄り添うこと。その視点に立つからこそ、メディアがこの問題を放置し、政治家がそれを見越して旧統一教会と協力関係を結んできたことが、信者らへの被害を拡大させ、被害者による安倍晋三元首相の銃撃事件につながったという一連の経緯が理解できます。それを具体的に説明した今月号記事は、日々報じられるニュースを受け取るうえでの基礎として、ぜひ多くの方にお読みいただきたい内容です。

さて、旧統一教会問題では精力ぶりが評価されるマスコミでも、ことワクチン問題、そして今月号で重点的に採り上げたマイナンバーカード“義務化”に関する報道を見れば、(報道しないことを含めて)完全に政府広報に徹していることが見て取れます。「デジタル社会」の名のもとで、国民監視・管理体制が着々と構築されています。また11月号で、日本ですでに進んでいる「戦争準備」について特集しましたが、「国民監視」がそのキーワードであることを、あらためて指摘しておきたいと思います。

その他、多様な視点を盛り込み、『紙の爆弾』は全国書店にて発売中です。今月号も、ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

森井翼が海老原竜二を倒し、龍太郎と杉山空が決勝へ ── 2000年世代の躍進! 堀田春樹

NKBバンタム級タイトルマッチ、海老原竜二は初防衛成らず。森井翼が王座奪取、テツジムから5人目のチャンピオン誕生。

田村聖が剱田昌弘に戦略勝ちで有終の美、引退テンカウントゴングに送られた。

フライ級王座決定トーナメントは龍太郎と杉山空が決勝となる王座決定戦出場へ、2000年代生まれの躍進が目立った。

テンカウントゴングを聴く田村聖、胸中は「実感が無かった」

◎喝采シリーズ Vol.6 /10月29日(土)後楽園ホール17:30~21:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第11試合 NKBバンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.海老原竜二(神武館/1991.3.6埼玉県出身/ 53.1kg)25戦14勝(6KO)11敗
      VS
挑戦者同級2位.森井翼(テツ/2000.5.31/大阪府出身/ 53.25kg)8戦7勝(1KO)1分
勝者:森井翼 / TKO 5R 2:07
主審:前田仁    

初回、両者のパンチと蹴りで主導権支配へ探り合いから森井のストレートがヒットし、森井にやや印象点が優る中、第2ラウンド終盤に海老原が左ローキックに入ったところで森井の左ストレートで海老原がノックダウン。形勢は森井に大きく傾いた。

森井翼の左ストレートで海老原竜二が最初のノックダウンを喫する

中盤は大きな差は無いが、次第に森井の左右ストレートが有効にヒットする回数が増え始める。海老原もクリンチワークで森井の勢いを止めようとするが、森井は逆転狙う海老原の攻撃をかわしていく中、ラストラウンドに左ミドルキックが海老原のボディーをえぐると海老原はうずくまるようにノックダウン。苦しそうに立ち上がるも、森井のパンチを避けようと、くの時になったところを顔面にヒザ蹴り連打を浴び、凌ぎ切れず2度目のノックダウンしたところで、レフェリーがノーカウントで試合を止めた。

森井翼は「この日はバッティングが起こる試合が多かったので、それだけは避けたいと意識しながら打ち合いに行きました。海老原さんは打ち合いには応じてくれましたし、KOできたのは嬉しいです。」と語った。森井翼は第10代NKBバンタム級チャンピオンと成る。

ラストラウンド、前進する海老原竜二のボディーへ左ミドルキックヒットで勝負を決定付けた
最後は森井翼のヒザ蹴りの猛攻、この後、海老原が崩れ落ちるとレフェリーが試合ストップ
テツジム、武本哲治会長と大阪支部長のISSAY氏とスリーショットに収まる森井翼

◆第10試合 田村聖引退試合 75.0kg契約 5回戦

NKBミドル級チャンピオン.釼田昌弘(テツ/1989.10.31鹿児島県出身/ 74.8kg)
20戦6勝(1KO)11敗3分
      VS
同級1位.田村聖(拳心館/1988.7.23新潟県出身/ 74.95kg)26戦15勝(10KO)10敗1分
勝者:田村聖 / 判定0-3
主審:加賀見淳      
副審:高谷47-49. 鈴木47-48. 前田46-50

両者は2018年4月21日に初対戦し、田村聖が判定勝利(ランカー3回戦制)。今年6月18日には王座決定戦(5回戦)で対戦。剱田昌弘が柔道や総合格闘技経験で撹乱し、際どくも僅差判定で王座戴冠している。

第1ラウンド、田村聖はローキックと前蹴りで間合いを取り、剱田昌弘は間合いを崩そうとする展開。田村の左フックが軽くヒットし、剱田はバランス崩しスリップ気味に後方に倒れノックダウンとなるが、ダメージもほぼ無くすぐに立ち上がる。

第1ラウンドのスリップ気味のノックダウンとなった田村聖のフック気味ストレート

第2ラウンド、剱田は右ミドル、左ストレートの組み合わせで自分のリズムを作ろうとするものの、田村のクリンチワークで作り切れず、見せ場がないままラウンドが終了。

中盤以降、剱田は自分のペースを作れないまま時間が過ぎ、ラストラウンドはラスト30秒でパンチの打ち合いになるが両者とも決め手に欠き終了。田村の戦略勝ちで6月の屈辱を晴らした。

剱田昌弘は「第1ラウンドのダウンは効いていませんしスリップだと思いました。しかし負けは負けですので、最初からやり直しです。」とコメント。謙虚さと愛想の良さは会長の教えが行き届いている様子がありました。

メインイベント終了後に田村聖の引退セレモニーが行われ、「現役後半は、身体の不調で満足な練習が出来ませんでした。それでも気遣いながら練習に付き合ってくれた拳心館の仲間達、先輩方には本当に感謝しています。皆さん有難うございました。」と挨拶。

関係者からの記念品贈呈とテンカウントゴングに送られてリングを去った。

テンカウントゴングを聴いている時の感想は、「実感がないです。目線のやり場も迷って。これまでいろいろ声掛けてくれた渡辺会長の印象も強くて、そんな想いが過っていた感じでした。」と言った回答。

主導権奪って得意の強打で攻め、リズムに乗れば強い田村聖

◆第9試合 第8代NKBフライ級王座決定4名トーナメント3回戦

NKBバンタム級5位.則武知宏(テツ/1994.12.5岡山県出身/ 50.65kg)
16戦8勝(4KO)6敗2分
      VS
杉山空(HEAT/2005.1.19静岡県出身/ 50.65kg)5戦2勝1敗2分
勝者:杉山空 / 負傷判定0-2 / テクニカルデジション 3R 0:33
主審:亀川明史      
副審:前田28-30. 高谷30-30. 加賀見29-30

アグレッシブな蹴り合いと組み合ってからの転ばせる崩しと蹴りで、僅かながら杉山空が優勢な展開を見せる。偶然のバッティングは第3ラウンド開始からわずかな時間で起こり、右目上のカットと、頬骨辺りの骨折の疑いで試合続行不可能となった杉山空。負傷判定となって攻勢を保った杉山空が勝利。12月24日の決勝となる王座決定戦は龍太郎vs杉山空となった。ただ、杉山空の負傷具合がどう影響するか分からない。

則武知宏のハイキックを受け止め、足を掬って転ばせた杉山空、この時点で負傷していたか?
偶然のバッティングと裁定された杉山空の負傷、12月への影響が心配

◆第8試合 第8代NKBフライ級王座決定4名トーナメント3回戦

NKBバンタム級3位.龍太郎(真門/2000.12.25大阪府出身/ 50.65kg)
9戦4勝(1KO)4敗1分
      VS
佐藤勇士(拳心館/1991.8.12新潟県出身/ 50.7kg)16戦6勝(2KO)10敗
勝者:龍太郎 / 判定2-0
主審:鈴木義和      
副審:加賀見30-29. 前田30-29. 亀川30-30

様子見の時間も少なく、アグレッシブなパンチと蹴りの展開はわずかに龍太郎のコンビネーションの見映えが優り、僅差判定を導いた。  

龍太郎が攻勢を印象付け、僅差ながら勝利を掴んだ

◆第7試合 60.25kg契約3回戦

NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/1990.3.27東京都出身/ 59.96kg)
22戦9勝(5KO)11敗2分
      VS
半澤信也(Team arco iris/長野県出身/ 60.1kg)24戦9勝(4KO)12敗3分
勝者:半澤信也 / 判定0-2
主審:高谷秀幸      
副審:亀川30-30. 前田29-30. 加賀見28-30

野村怜央はパンチと蹴りでリズムを作るも、半澤信也のタイミングをずらした反撃でリズムを掴んでいく。後半もパワー衰えず、僅差ながら半澤が判定勝利。

◆山本太一欠場でTAKERU出場のエキシビジョンマッチ2回戦

TAKERU(=大脇武/GET OVER)
      VS
KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/ 58.7kg)

◆第6試合 フェザー級3回戦

七海貴哉(G-1 TEAM TAKAGI/1997.4.17東京都出身/ 57.1kg)8戦5勝(2KO)3敗
      VS
石川翔(BIG MOOSE/1999.7.4千葉県出身/ 56.85kg)5戦5勝(1KO)
勝者:石川翔 / KO 3R 0:40 / 飛びヒザ蹴りによる10カウント
主審:加賀見淳      

◆第5試合 ライト級3回戦 木村郁斗(BIG MOOSE)欠場で齊藤鷹也が代打出場
蘭賀大介(ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/ 61.0kg)3戦2勝(2KO)1NC
      VS
齊藤鷹也(ストライブル茨城/1993.9.22茨城県出身/ 60.85kg)3戦1敗1分1NC
無効試合 1R 2:15
蘭賀大介が偶然のバッティングにより試合続行不可能。第1ラウンドまでは無効と成るルールの為、勝敗無し。

◆第4試合 バンタム級3回戦

シャーク・ハタ(=秦文也/テツ/1987.10.20大阪府出身/ 53.25kg)5戦2勝2敗1分
      VS
山本藍斗(GET OVER/2005.5.27愛知県出身/ 52.65kg)2戦1敗1分
勝者:シャーク・ハタ / 判定3-0 (30-28. 30-29. 30-29)

◆第3試合 63.5kg契約3回戦

青山遼(神武館/1999.2.5埼玉県出身/ 62.8kg)1戦1敗
      VS
折戸アトム(PHOENIX/1982.3.1新潟県出身/ 63.25kg)4戦3勝(1KO)1敗
勝者:折戸アトム / KO 2R 0:46 / 3ノックダウン

◆第2試合 54.0kg契約3回戦

笠見るい(team O.J/2001.10.18茨城県出身/ 54.0kg)5戦2勝(3KO)3敗
VS
橋本悠正(Katana/1997.4.21福島県出身/ 53.75kg)2戦1敗1分
勝者:笠見るい / TKO 2R 1:20 / ヒジ打ちによる額のカット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆第1試合 フェザー級3回戦

堀井幸輝(ケーアクティブ/1996.11.7福岡県出身/ 56.85kg)1戦1勝
      VS
龍一(拳心館/1955.11.17新潟県出身/ 56.7kg)5戦3勝1敗1分
勝者:堀井幸輝 / 判定3-0 (30-26. 30-26. 30-26)

《取材戦記》

瞬間的ダウンと成るフラッシュダウンは取らない傾向があるキックボクシング界で、まだ古い体質が残っている感があるレフェリングがあります。NKBグループは若い世代のスタッフが運営する時代となっており、レフェリーの若返りも必要な時期かもしれません。身体が動くなら高齢となってもレフェリングは任せられますが、新しい感性も必要でしょう。

蹴りに行ったところへパンチを貰って足を滑らすか、押されるようにバランス崩して尻餅ついて、ダメージは軽い場合等がフラッシュダウンと言われます。剱田昌弘が第1ラウンドのノックダウン扱いとなったのは客観的にフラッシュダウンと見え、海老原竜二が第2ラウンドに森井翼の左ストレートで倒れたのはノックダウン。どちらがどれほど効いていたかは計れませんが、レフェリーが様子見した場合、ノックダウンを認めたくなければ瞬時に立ち上がる必要があり、スタミナ切れて立てないだけでもノックダウンとなるのは仕方無いでしょう。

「田村選手の引退セレモニーが全試合終了後に行われたのは、観衆がまばらに残る程度で可哀そうだった。」という意見がありましたが、セミファイナルで田村聖引退試合が行われ、メインイベントにNKBバンタム級タイトルマッチの重みを位置付けたのも適切なマッチメイクでしょう。引退式は全試合終了後に行なうこと多い日本キックボクシング連盟興行で、後に控える試合が無いのは、ゆとりを持ったセレモニーとなる気がします。

次回、日本キックボクシング連盟興行喝采シリーズは12月24日(日)に後楽園ホールで開催されます。

NKBフライ級王座決定戦は、2010年4月24日に鈴木和樹(真門)が牛若丸将之(テツ)との王座決定戦に勝利した試合以来、12年8ヶ月ぶりの王座始動と成ります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

7日発売 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ〈6〉森 奈津子

以前より、私は世間の皆様方に向けて「しぱき隊界隈の反差別チンピラに成功体験を与えてはいけません」と繰り返してきた。

成功体験というのは、具体的には、彼らに「差別だ! 差別だ!」オラつかれてびびって、謝罪する必要もないのに謝罪すること。あるいは、そんなオラつきを評価してしまうこと。

つまり、そのような「成功体験」が、彼らしばき隊界隈活動家をますます調子づかせ、勢いづかせるのである。

立憲民主党の尾辻かな子氏の印象操作ツイートを発端に、しばき隊界隈とLGBT活動界隈の共闘によって盛りあがった杉田水脈氏叩きは、マスコミの愚かしいヨイショ報道によって、反差別チンピラにとって大いなる成功体験となった。

ここで、ちょっと笑える朝日新聞のしばき礼讃記事をご紹介しよう。

杉田水脈氏に対する抗議活動が各地で行われたという2018年8月6日のニュースであり、現在も2パターンの記事がウェブ上で確認でき、うち一本は動画つきである。

◎[参考記事1]杉田水脈議員に抗議、各地で “生産性ない”主張「謝罪を」

◎[参考記事2]杉田水脈議員の発言「差別だ」「まず謝罪を」 抗議デモ(動画あり)

記事内の動画の中に、しばき隊界隈活動家・谷口岳氏がコンビニのネットプリントを利用して配布した物騒なデザインのプラカードを掲げた女性がいるという事実だけでも、事情を知る者の失笑を誘うというものだが。

[左]プラカードを配布する谷口岳氏のツイート/[右]谷口岳のプラカードも大活躍!(朝日新聞ウェブ版の動画の一シーン)

さらには、記事内の抗議活動参加者へのインタビュー部分を以下に抜粋し、その香ばしさを読者諸氏と共有したいと思う。

都内から聴きに訪れたフリーライター、竹内美保さん(57)は「『生産性』の発言は議員以前に人としても失格。それなのに杉田氏は謝罪すらしていない。まずはそこから求めたい」と話した。

竹内美保さん(57)、朝日新聞にご登場!

しぱき隊ウォッチャー諸氏は、ここで「ん?」と引っかかりを感じることであろう。

竹内美保さん? 竹内……美保……さん? たけうち……みほ……さん? ズバリ、しばき隊系活動家じゃねーかよーっ!(絶叫)

おそらく、朝日新聞の記者氏は竹内氏の「正体」を承知のうえで、コメントを掲載したのであろう。こういうところから、私は「一部マスコミとしばき隊はズブズブである」と申しているのです。

なお、私はこの竹内美保氏とは一度もやりとりしたことはないのだが、ツイッターでブロックされている。いわゆる「予防ブロック」である。大物活動家様にそんなに警戒されてしまっては、ちょっと照れてしまいますね。てへっ(笑)。

[左]ツイッターで確認できる竹内美保氏のプロフィール/[右]筆者を予防ブロックする竹内美保氏

ところで、しばき隊系の抗議活動においては、しばしばドラムを叩いて仲間を鼓舞する女性活動家がいらっしゃるとの噂が、私の耳にも届いている。なんでも、その女性はウォッチャーから「太鼓ババア」と呼ばれ、畏怖の念をいだかれているのだとか。

その太鼓ババアが竹内美保氏であるか否かは未確認だが、もし、それが竹内氏であったなら、そのニックネームの「ババア」部分には「差別主義者によるエイジズム、セクシズム、ルッキズムに抗議します!」との声をあげていただきたいと、同じ女性として願うばかりである。

旧レイシストをしばき隊、現C.R.A.C.代表の野間易通氏に「おばさん」と呼ばれた私も、その点においては竹内氏と共闘したいと思う。

さて。この渋谷での抗議集会だが、ツイッター上では「 #0805杉田水脈議員の差別発言に抗議する渋谷ハチ公前街宣 」なるハッシュタグが存在する。

この手のハッシュタグは、時として、いい感じにデジタルタトゥー収集道しるべと化すのであるが、今回は、最後に、このハッシュタグをたどり、しばき隊系活動家およびその界隈とつながる政治家・文化人の皆様のツイートをご紹介したい。

しばき隊系活動家およびその界隈とつながる政治家・文化人の皆様のツイート

立憲民主党の有田芳生氏(やっぱりいましたね)、共産党の池内さおり氏(もう、こっち来ないでください)、ANTIFAやTOKYO NO HATEなどの関連団体、あの界隈と仲良しのソウル・フラワー・ユニオン(アカウント運営は中川敬氏でしょうか?)、その他活動家の皆々様……。

繰り返しますが、LGBTの人権を守ると称してオラついておられるのは、実に迷惑です。運動手法を再考してしただきたいものですが、無理なら無理でいいので、別のところでやってくださいね!

なお、ここでマスコミが成功体験を与えてしまったものだから、しばきアクション(苦笑)はさらにまずい方向へ突っ走るのであった。

次回では、それを皆様にご紹介せねばと考える次第である。(つづく)

◎[過去記事リンク]LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40264
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40475
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40621
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40755
〈5〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=40896
〈6〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44619
〈7〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45895
〈8〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=45957
〈9〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46210
〈10〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46259
〈11=最終回〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46274

 

▼森奈津子(もり・なつこ)

作家。立教大学法学部卒。90年代半ばよりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラーを執筆。『西城秀樹のおかげです』『からくりアンモラル』で日本SF大賞にノミネート。他に『姫百合たちの放課後』『耽美なわしら』『先輩と私』『スーパー乙女大戦』『夢見るレンタル・ドール』等の著書がある。
◎ツイッターID: @MORI_Natsuko https://twitter.com/MORI_Natsuko

◎LGBTの運動にも深く関わり、今では「日本のANTIFA」とも呼ばれるしばき隊/カウンター界隈について、LGBT当事者の私が語った記事(全6回)です。
今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー

《関連過去記事カテゴリー》
森奈津子「LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ」

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

ピョンヤンから感じる時代の風〈10〉国益第一、自国第一のイタリア新政権誕生に思う 魚本公博

◆国益最優先、自国第一への期待

10月22日、イタリアで国益最優先、自国第一主義を掲げるジョルジャ・メローニ氏を首班とする新政権が発足した。9月25日に行われた上下院の総選挙で26%を獲得し第一党になったメローニ氏率いる「イタリアの同胞」にベルルスコーニ氏の「フォルツァ・イタリア」、サルビーニ氏の「同盟」を加えた3党連立政権である。

日本のマスコミはメローニ氏が青年時代にネオファシスト政党「イタリア社会運動」ので活動していたことをもって「イタリアの同胞」は、その流れを継ぐ極右政党だとし、新政権がロシア制裁の足並みを乱すことへの警戒と懸念を説く。

メローニ氏自身は、選挙公約でロシア制裁を続けるとしているが、連立を組む、ベルルスコーニ氏はロシアのプーチン大統領と互いに「親友」と呼び合う仲であり、選挙中もロシア制裁を批判する発言をしている。そして、メローニ氏は、ベルルスコーニ政権で、史上最年少の31歳で入閣し、ベルルスコーニ氏を「政界の師」だと公言しており、今後、ロシア制裁継続の公約もどうなるか分からないということである。

メローニ氏は、選挙ではロシア制裁継続を表明し、これを争点化せず、物価高騰にあえぐ国民の生活問題を争点にした。イタリアでも、ガソリンやガス、食料が高騰しており、物価上昇は10%に達し、電気代は5倍にもなっている。そして、その原因は、ガスの40%を占めるロシア産の供給が滞るなど、ロシア制裁にあると見なされている。こうして元来、親露的で、国益最優先を掲げるメローニ氏の「イタリアの同胞」への期待が高まったのだ。 

イタリア総選挙でメローニ氏の「イタリアの同胞」が勝利した日、国益第一、自国第一と主張を同じくするフランスのマリーヌ・ルペン氏、ハンガリーのオルドバン首相、スペインの右派政党Vox(「声」)などが祝電を送った。

EUで第三の国力をもつイタリアに国益第一、自国第一の政権が誕生したことの歴史的意義は大きい。イタリアの勝利を追い風に、欧州では国益第一、自国第一の政権が各国に生まれ、欧州の政治地図は激変するのではないか。

◆全欧州がその志向を強めている

そう思うのは、国益第一、自国第一の政治への期待が全欧州で高まっているからだ。今、欧州各国で、ロシア制裁の結果、エネルギーや電気、食料価格が高騰する中で、国民生活を犠牲にして戦争を継続する自国政府への抗議デモやストライキが各地で展開されている。それは、「凍える冬」を前に、このままでは、大勢の凍死者を出しかねないという状況の中で切迫したものになっている。

そのスローガンを見れば、フランスでは「マクロン、お前の戦争を我々は望んでいない」「NATOからの脱退」「ウクライナへの武器供給を停止せよ」、ドイツでは「国益第一」「我々にはロシアの石油とガスが必要だ」「NATOは武器を送るな」「いい加減にしろ-凍えるより抗議しろ、暖房とガスと平和を」、英国では「燃料の貧困を終わらせろ」「福祉ではなく戦争を切り捨てろ」、イタリアでは「我々にはガスブロムが必要だ、ヤンキーゴーホーム」などなどである。そして、抗議の波は、オランダ、チェコ、モルドバ、ギリシャにも波及し全欧州を覆うものになりつつある。

このデモの呼びかけは、フランスではルペンの「国民連合」から出た「愛国党」、ドイツでは「ドイツのための選択肢」(AfD=Alternative für Deutschland)だが、英国は労働組合や社会運動団体で結成された「いい加減にしろ」キャンペーンであり、イタリアは労働組合総同盟が主催者であり、極右云々とは関係ない左右の垣根を越えた国民的なものになっている。

ロシア制裁は、米国が主導している。力を落とし、その覇権的地位を失いつつある米国が、欧州、日本に米国を支えさせ、米国中心の覇権秩序を維持・回復させるためのものである。米国とそれに追随する欧州の現政権は、ウクライナに武器を送り込んで代理戦争をさせながら戦争を長引かせて、国民に生活苦を強いている。

欧州でも新自由主義改革の結果、1%が99%を支配する社会になっており、99%が貧困層に追いやられ、ロシア制裁で、その「返り血」をもろに被らされている。デモのスローガンにロシア革命でレーニンが提起した「平和、土地、パン」を髣髴させる「暖房とガスと平和を」があるなど、その怒りが現体制転覆というほどの「革命」的なものと見るのは行き過ぎだろか。英国の「いい加減にしろ」キャンペーンは、「私たちはこの国を変え、国民のために勝利する」と述べている。

◆日本にこそ問われている

こうした中で、欧州ではロシア制裁を機に米国が自国のガスを高値で売りつけていることやロシアと欧州の長年の経済協力関係を分断して欧州市場を犠牲にして自国経済を立て直そうとしている、との声が起き、対露制裁の継続は「欧州の自殺」ということが実感をもって捉えられるようになっているという。

それは、日本にも当てはまる。日本は、石油や食料をもって他国を支配する米国の国家戦略の対象にされ、石油、ガス、食料の多くを米国に依存しており、高騰した、それらを買い続けている。米国が提唱する米中新冷戦の下で日本は中国との長年の経済協力関係を切ることを強要されており、軍事的にも対中対決の最前線に立つことを要求されている。そこでは、日本の力を軍事的にも経済的にも米国の下に統合する日米統合が進められている。こうして日本経済は米国経済建て直しの犠牲にされ、国土は米国防衛のための戦場にされようとしている。それは、まさに「日本の自殺」であろう。

しかし、「同盟こそ国益」とする自民党政権は、頭から米国に追随するだけである。それで良いのか、それで日本はやっていけるのか。

ロシア制裁に参加し、それを実質的に行っているのは、欧州、日本だけである。中国はもちろん、米国が民主主義陣営の一員として期待するインドも制裁に参加しようとはせず、逆にロシアから安価な石油、ガス、資源、食糧を大量に輸入している。トルコ、イランも米国の裏庭と言われた中南米の国々も中国、ロシアとの関係を深めており、ロシアからの資源輸入を拡大している。

そして、これらの諸国は、上海協力機構、拡大BRICsなどに結集しつつある。そこでは、米国覇権に反対するだけでなく、覇権そのものに反対し、覇権ではない、「公平で民主的」な新しい国際秩序形成が目指されている。

 
魚本公博さん

その共通理念は「主権擁護」である。これらの国々は、かつて欧米日の植民地にされ、それとの血を流しての戦いを経て独立を勝ち取った国々であり、「主権擁護」を確固不動の国家理念にしており、それは本質的に国益第一、自国第一主義である。

日本でも物価高騰が国民生活を直撃しており、これに空前の円安が追い討ちを掛けており、生活苦は今後益々、過酷になるだろう。こうした国民の生活地獄を救うためにも、これまでの日米同盟基軸、米国覇権の下で生きる生き方を見直し、世界的な脱覇権、主権擁護の流れ、欧州で強まる国益第一、自国第一の流れを直視し、この時代的な流れに合流することを真剣に考えなければならない時にきていると思う。

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』
『一九七〇年 端境期の時代』

4人のオランダ人ジャーナリストの殺害から40年、元防衛大臣らを逮捕、エルサルバドルで戦争犯罪の検証が始まる 黒薮哲哉

「戦後処理」とは、戦争犯罪の検証と賠償のことである。現在、進行しているNATO-EU対ロシアの戦争は、いずれ戦後処理の傷を残すことになる。戦争が終わる目途は立っていないが、和平が実現した後も憎悪の記憶は延々と続く。

1980年から10年に渡り続いた中米エルサルバドルの内戦の戦後処理をめぐる興味深い動きが浮上している。去る10月13日に、エルサルバドルの裁判所が、内戦時に防衛大臣を務めたギジェルモ・ガルシア将軍と警察のトップだったフランシスコ・アントニオ・モラン大佐に対する逮捕状を交付したのだ。そして翌日、2人を拘束した。

さらに数人の元軍関係者にも逮捕状を交付した。この中には米国に在住する人物も含まれており、エルサルバドル政府は米国に対して身柄の引き渡しを要求するに至った。

殺害された4人のオランダ人ジャーナリスト(出典Telesur)

◆広がる軍部の暴力

事件は今からちょうど40年前の3月17日に起きた。内戦を取材していたオランダのフォトジャーナリスト4人が、エルサルバドル政府軍に殺害されたのだ。この中にはラテンアメリカ報道で定評のあるクース・コースタ―氏も含まれていた。

エルサルバドル内戦は、米国をバックにした政府軍と民族自決主義を掲げるFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の間で勃発した。前年に隣国ニカラグアでFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が、やはり米国を後ろ盾としたソモサ独裁政権を倒し、その影響が中米諸国に伝染していた。

エルサルバドルは元々、社会運動が盛んな地域で、平和的な方法で社会変革をめざす運動が広がっていたが、1980年3月、政府に批判的なオスカル・ロメロ大司教が軍部に暗殺された。さらに大司教の葬儀に集まってきた大群衆に軍が無差別に銃弾を浴びせるに至り、平和裏の社会変革は完全に閉ざされた。この年10月、5つのゲリラ組織が統合して、FMLNを結成した。ラジオ・ベンセレーモス局も開設された。

ラジオベンセレーモス局

FMLNは結成後、ただちに首都サンサルバドルへ向かって大攻勢をかけた。政府軍は戦意を喪失して、エルサルバドルが「第2のニカラグア」になる公算が確実視された。ところが米国のレーガン政権がエルサルバドルに介入してきたのである。直接的な軍事介入ではなかったが、政府軍に対して莫大な軍事費を提供し、隣国ホンジュラスの基地で米軍が政府軍の軍事訓練を指導するようになった。

1980年の12月、政府軍は米国から布教にきていた4人のキリスト教関係者を殺害した。81年にはエルモソテ村でジェノサイドを断行した。978人の住民が殺害されたのである。エルサルバドル全土に暴力が広がっていた。

こうした状況の下でエルサルバドルは、国際政治とジャーナリズムの表舞台に浮上してきたのである。オランダから入国した4人のジャーナリストが殺害されたのもこのような時期だった。

◆FMLNのゲリラになった理由

政府と対立関係にある解放区の取材には、命の高いリスクが伴う。4人のオランダ人ジャーナリストは、あらかじめFMLNとコンタクトを取り、エルサルバドル北部のチャラテナンゴ県でFMLNの案内役と待ち合わせすることにしていた。ところがこの情報が政府軍にもれていたようだ。政府軍は待ち合わせ場所の直近に、あらかじめ兵士を配置し、4人のジャーナリストとFMLNの案内役を殺害したのである。そして交戦により死亡したと発表した。

わたしがこの事件を知ったのは、事件から数年後の1985年ごろである。中米紛争の取材の準備をする中で知ったのである。当時、米国にはエルサルバドルに関する正確な情報があった。直接の「証言者」となる避難民も多かった。

たとえばカリフォルニア州の診療医が、農場で働いているエルサルバドルからの移民の中に、拷問の傷跡がある者や精神に異常をきたしている者が多いことに気づいた。医師は、エルサルバドルの解放区へ入り、帰国後にメディアを通じて実情を訴えた。

ある時この医師は、FMLNの戦士に、「ゲリラになった理由」を尋ねたという。するとこんな答えが返ってきた。

「自分は内戦が始まる前は、地主の家で雑用係として働いていた。仕事のひとつに番犬の世話があった。毎日、犬に肉を与えていた。しかし、自分の子供に肉を食わせてやったことはなかった。犬が病気になった時は獣医のところへ連れていった。しかし、自分の子供が病気になっても、薬も買ってやれなかった」

エルサルバドルの全学連の代表から、大学で実情を聞く機会もあった。こんな話があった。

「村に電気も水道も来ていないので、村人が教会の牧師に相談した。するとその報復に軍隊がトラックで村に入って来て、住民運動のリーダーを次々と殺害した。銃声があちこちに響き、村に霞のような煙が立ち込めた。多くの村人が着のみ着のままで逃げてきた」

全学連の代表は、エルサルバドルに帰国すると空港で拘束された。米国側の受け入れ団体が抗議の電報を送って釈放された。

エルサルバドルは危険極まりない国だったのである。同時にジャーナリストの好奇心を刺激する土地だった。エルサルバドルを舞台とした映画や演劇も制作された。

FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の部隊

◆戦争犯罪の検証

1992年に内戦は終結した。翌93年に国連が4人のオランダ人ジャーナリストが巻き込まれた事件の調査を実施した。そしてギジェルモ・ガルシア将軍らが関与していたとする報告書をまとめた。

しかし、FMLNと政府の間で交わされた和平協定に、元軍人の「恩赦」が盛り込まれた。これによりギジェルモ・ガルシア将軍らは、起訴を免れた。将軍は米国へ亡命して、生きながらえていたが、その後、国外追放になりエルサルバドルに戻った。

2016年になって、エルサルバドルは「恩赦」を無効とする決定を下した。これにより埋もれていた戦争犯罪の検証も可能になったのである。ギジェルモ・ガルシア将軍らの逮捕と起訴が司法当局の視野に入ってきたのだ。

そして事件から40年目の2022年10月、関係者が逮捕され、法廷で事件の検証が行われることになったのである。

40年前のエルサルバドルは、殺戮の荒野だった。数年前、コロナ禍の最中にわたしは、インターネットのSNSである写真を目にした。コロナワクチンを届けるために、エルサルバドルの国際空港に降り立った中国航空機の写真だった。それを見た時、わたしは時代の激変を感じた。かつては想像だにできなかった光景だった。長い歳月の海を経て社会進歩とは何かを実感したのである。

元将軍らを裁く法廷の開廷は秒読みに入っている。


◎[参考動画]米国のフォトジャーナリストらが制作したエルサルバドル内戦のドキュメンタリー  「In the Name of the People」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

《11月のことば》今を生きろ 鹿砦社代表 松岡利康

《11月のことば》今を生きろ(鹿砦社カレンダー2022より。龍一郎揮毫)

2022年のカレンダーも残すところ2枚となりました。いつまでも終息しない新型コロナ禍、これに苦しめられながらアップアップの日々でした。加えて台風、水害などの自然災害、知床観光船の沈没事故、沖縄「本土復帰」50周年、安倍前首相暗殺、目を世界に転じれば、2月に始まったロシアによるウクライナ侵略戦争……目まぐるしくいろいろなことが起きました。あまりに日々の生活に追われ気づきませんでしたが、じつは本年は歴史の転換点だったのかもしれません。

目を背けたくなるような出来事が続き、また酷暑、コロナ禍などに苦しめられてきましたが、現実から逃げることなく「今」を精一杯生きようではありませんか!

「鹿砦社カレンダー2023」の制作も、校了し今月末の完成予定です。『紙の爆弾』『季節』定期購読の皆様方には、12月発行の本誌と共にお届けいたします。まだ定期購読をなされていない方は今からでもよろしくお願いいたします。毎年好評で品切れになりますので、お早目にどうぞ!

(松岡利康)

『紙の爆弾』と『季節』──今こそタブーなき鹿砦社の雑誌を定期購読で!

ロックと革命 in 京都 1964-1970〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命 若林盛亮

◆はじめに

デジタル鹿砦社通信編集担当のKさんは1980年代京都の学生時代、ロックバンドをやっていたという。私も同志社時代の一時期、水谷孝ら「裸のラリーズ」と行動を共にした人間、そんな共通体験から音楽を中心に「OffTime 談義」をするようになった。そんな談義の中で「あの時代の京都と音楽」的なものを「デジ鹿」に書いてみませんかとの提案があって、「そうやねえ」ということで「ロックと革命 in 京都 1964-1970」といった手記風のものを月1本程度、書かせて頂くことになった。今回はその第1弾。

◆長髪、それは青春期の私そのものだった

私は今年75歳、ボブ・ディラン初恋の人スーズの言葉を借りれば、「長い歳月を経て若き日々の感情やその意味、内容を穏やかに振り返ることのできる」年齢になった。

半世紀前、よど号ハイジャック闘争決行を目前にして私は高三以来の数年間、私のアイデンティティそのものだった長髪をばっさり切った。「目立ってはならない」という「よど号赤軍」活動上の理由からだったが、私にはちょっとした決心だった。いま思えば、それは当時の私にとっては新しい領域、新しい次元に一歩踏み入る覚悟、「革命家になる」! その決意表明、と言えばカッコよすぎるがまあそんななものだった。

長髪、それは青春期の私そのもの、「ロックと革命は一体」、そんな感じだった。

ロックと長髪は自我の確立、あるいは自分を知るための自分自身の革命、さらにそこから一歩踏み出して社会革命へ、それが高三以来の私の青春の下した結論であり、1964~70年という「あの時代」の音楽体験、革命体験だったと古希を過ぎたいま思える。

ウクライナ事態を経ていま時代は激動期に入っている。戦後日本の「常識」、「米国についていけばなんとかなる」、その基にある米国中心の覇権国際秩序は音を立てて崩れだしている。この現実を前にして否応なしに日本はどの道を進むのか? その選択、決心が問われている。それは思うに私たちの世代が敗北と未遂に終わった「戦後日本の革命」の継続、完成が問われているということだ。

かつて闘いを共にした同世代にはいまいちど奮起を願い、若い人には新しい日本の未来を託したいと強く思う。そういう意味で私の「ロックと革命 in 京都」、「あの時代」を語ることを単なる追想、青春の思い出懐古にはしたくない。自分自身の革命と社会革命-戦後世代の青春体験が「戦後日本の革命」に役に立つならばというささやかな願いを込めてこのエッセーを書こうと思っている。

私自身について言うならば、自分の原点に立ち返っていまを振り返る、瀬戸内寂聴さん風に言えば、いまいちど恩人達に思いを馳せ「だから私はこの道を歩み続ける責任がある」ことを胸に刻む機会にしたい。

◆「抱きしめたい」から「ならあっちに行ってやる」へ

1947年2月生れの団塊世代第一号の私は、滋賀県下の進学校、膳所高校に通うごく平凡な高校生、いわゆる「受験戦争」が始まった最初の世代だ。高三を間近にして否応なしに進路選択が問われた私は、自分はどの大学、学部を選ぶべきか? 果たして自分は何をやりたいのか、やるべきか? これまでまともに向き合ったことのない人生選択の岐路に立たされて私は少し当惑していた。親や教師の言うままに「優等生」をめざした自分だったけれど、それが実は惰性で自分の頭で何も考えてこなかったことにとても不安を感じていた。

そんな私の高二も16歳も終わる1964年初冬1月頃のこと、受験勉強中の私の耳に突然飛び込んできたラジオからの異様な音楽「ダダダーン……」! が私の脳天を直撃した。 

その曲は「抱きしめたい」、歌っているのはビートルズ、イギリスの港町リヴァプール出身のグループだった。

すぐにそのシングル盤を買った。レコードジャケットにも度肝を抜かれた。丸首襟の揃いのビートルズ・スーツ、ボサボサ髪のマッシュルーム・カット、やけに挑戦的な目、ゾクッときた。自分で作詞作曲した歌を歌う、ロックが自己表現の手段であることも知った。理屈抜きにそれらはひたすらカッコイイ! に尽きた。


◎[参考動画]The Beatles – I Want To Hold Your Hand(英1963年11月、日本1964年2月発売)

 
マッシュルーム・カット高校生

私は散髪屋に行くのをやめた。別に何かに反抗してやろうという意識はなかった。ただ明日も今日と変わりがない「日常の連続」という現実を少し変えてみたかっただけ。夏近くになると前髪が目元に垂れ耳が髪で隠れて女の子のショートカット風のビートルズヘアになった。いまではどうってことのないものだが、当時は女性にのみ許されるヘアスタイルだった。制帽が頭に収まらないので校門前の検査時にちょこんと頭の上に載せたりしていた。

そんな時に事件は起こった。

体育授業で運動場に出た私に向かって体育教師は言った-「女の子の授業はあっちだ」! この言葉になぜか私の反抗心がむらむらとせり上がってきた。「ようし、ならあっちに行ってやる」! 私の何かがはじけた。 

私は体育授業をボイコットしたばかりか必要ないと思った授業は早退するようになった。

 
進学校デビューのビートルズ

余談だが運動会でクラス毎に応援席のバックに大きな背景画を設営することになった。私はダメ元で「ビートルズでいこう」と提案した、ところがなんとみんなも面白いと賛成してくれ私が絵を描くことになった。私が小バカにしていた受験勉強一筋のクラスの面々、彼らにも意外な一面があることを知った。

こうして進学校、受験勉強からのドロップアウト、17歳の革命が始まった。

単に「勉強嫌い」になっただけじゃないかとちょっと不安はあったけれど、なぜか躊躇はなかった。なぜこうなるのか理由は自分でもよくわからない、でもおかしいと思うことにずるずると流されていくことの方がよっぽど怖かった。私の中で微妙な変化が起こり始めていた。

長髪ひとつで世界は変わる! それが私の17歳の革命、その第一歩だった。

「ならあっちに行ってやる」! そんな無謀な決心を「いいんじゃない、若林君はぜんぜん悪くないよ」と言ってくれる女子高生が現れた。

 
高三の終わり頃

◆女子高生OKとの出会い

ある日、友人から彼のガールフレンドが託されたというノートの切れ端に書かれた手紙を受け取った。ビートルズ風の長髪高校生の噂を聞きつけてよこした「文通申し込み」だった。どこにでもある高校生の文通、それがOK(彼女のニックネームの略称)との運命的な出会いのきっかけだった。

OKは1学年下の16歳、県下の別の高校に通う名古屋からの転校生、母親を早くに結核で亡くし、その母親の結核サナトリウムのあった母の出身地でもある私の故郷、草津市に移ってきた女子高生だった。

友人を介しての数回の文通の後、「一度会ってみない?」との仰せがあって彼女の母親の実家が経営する喫茶店で会うことになった。その日の記憶はいまも鮮明だ。

私はOKに会う前に本屋に立ち寄った。公開間近のビートルズ映画“A Hard Day’s Night ”掲載の映画雑誌を買っていこうと思ったからだ。広い店内だったが映画雑誌を探す私はふと視線を感じて顔を上げた。するとレコード売り場にいた女子高生風と目が合った、瞬間バチバチッと視線のショート! でもそれはほんの一瞬、私は映画雑誌を持ってレジへ、彼女は店員との話に戻った。一瞬の視線ショートだったが、長髪男子高校生の出現に「これだ!」と彼女は思っただろうし、私はこの子だとほぼ直感した。

案の定、喫茶店にいたのはその子だった。時は初夏、背中にかかる長い髪、白い夏のワンピース姿はまさに都会育ちの女の子、デートなど初体験、以前の田舎の「真面目な優等生」の私だったらどぎまぎしたことだろう。でも「長髪ひとつで世界は変わる」、異端視の視線に鍛えられていた若林君はうろたえることなく「やあ」と声をかけた。すでに文通で気心は知れてるので映画雑誌のビートルズの話題で盛り上がり、意気投合は一瞬だった。

夏休みには二人でビートルズ映画を京都会館で心ゆくまで観戦、嬌声の絶えない映画館で「ちょっとあの女の子達うるさいよね」と言いながらも「リンゴ、かわいい!」と思わず口にする彼女、理知的なOKの意外なアナザーサイドも新しい発見だった。


◎[参考動画]映画 “A Hard Day’s Night”(1964年)

 
アメデオ・モディリアーニ「子供とジプシー女」。教科書にも掲載されるような画だが、これはOKとの私書箱に貼り付けた記念品

初面談以降、文通は直通便になった。互いの家の玄関にボール紙手製の「私書箱」を設定、私はモディリアーニの絵を貼り付けた。互いの「私書箱」に細い鎖を取り付けてそれが垂れてたら「手紙在中」の印、学校帰りに鎖が垂れてるか確認するのが楽しみになった。

ビートルズのヒット曲“From Me to You”にならって手紙の末尾には「From M.Lenon to George OK」と署名、彼女の署名はその逆。私はジョン・レノン、彼女はジョージ・ハリソンのファンだった。私のには必ずジョン・レノンの横顔イラストを入れた。たわいのないお遊びだが、それは「二人だけの小さな世界」、私とOKのとても大事な儀式だった。

互いの家でレコードを聴いたりしたけれど、いつしか昼夜別なく町を徘徊しながらの路上トークが二人の習慣になった。古い世界を飛び出そうとする二人には家の狭い空間は窮屈だったのかも知れない。

ビートルズの話題が中心だったと思うが、私の大好きな画家、モディリアーニの話にも彼女は乗ってきた。「奥さんのジャンヌさんって素敵だよね」とOK。モディリアーニは貧苦の中でも「自分の絵」を追求、それを描き続け、持病の結核、アルコールとドラッグ漬けの果てに失意のまま早世した画家、画家でもあり妻だったジャンヌ・エビュテルヌさんは最愛の人を亡くした直後、後を追ってアパルトマンの窓から投身自殺を遂げた。ジャンヌさんの父親は敬虔なカトリック教徒、ユダヤ人の男との結婚を認めず墓は別々にされた、そして十数年の歳月を経てペール・ラシェーズ墓地に合葬され、二人はやっと結ばれた。そんな不遇の画家とその波乱に満ちた純愛ドラマの生涯は私たち二人を興奮させた。

ある時、OKが「睡眠薬自殺はやらないほうがいいよ」と私に言った、名古屋の中学時代に自殺未遂を見つかって胃の洗浄をやられたのが死ぬほど苦しかったそうだ。自殺など私には別世界の話、この子は私の知らない世界を知っている人だ、そう思った。
 
そんな感じで路上トークは延々と草津の狭い町を大通りから路地、天井川の堤防へと続き、家の前まで来ても「じゃあまたね」を二人とも言いそびれて、またもと来た道に戻ったりを繰り返した。別に腕を組んだり恋を囁きあっていたわけじゃない、堰を切ってあふれる目覚めた自我がその発散場所を求めていたのだと思う。

そんな二人を「高校生の異性交際?」と怪しむ町の大人たちの視線もあったけれど「僕らの大まじめがわかってたまるか」と上目線で無視した。こんな「抵抗運動」も二人の絆を強めたのかも知れない。


◎[参考動画]The Beatles – From Me To You(1964年)

 
ボーヴォワール『他人の血』(新潮文庫1956年)

◆「特別な同志」になった理由

ある日、「これ読んでみない?」とOKは1冊の文庫本を貸してくれた。

その本は『他人の血』。フランスの実存主義女流作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの小説だった。平凡な駄菓子屋の娘が大ブルジョアの息子という出自に悩む労働運動指導者と恋に落ち紆余曲折の末に恋人の指揮する反ナチ・レジスタンス運動に参加、彼女は短い生涯を閉じるという物語だが、私は最後まで読めず途中で放棄した。自分の運命の決定権は自分自身にあるという自己決定権賛美の書だが、フランスの知識人の描く複雑な社会相、人間世界は当時の私にはまったく理解不能の世界だった。

私はただ「ありがとう」とだけ言って本をOKに返した。
 
これは少なからずショッキングな体験だった。進学校でもない高校に通う年下の女子高生の読む本を読めない自分は何なんだ!? 自意識過剰といえばそれまでだが「進学校の優等生」というものを考えさせられた事件だった。

後で実存主義に関する解説書を読んだりしたが私にはさっぱりわからなかった。主体的な社会参画? 自己決定権? 教科書や受験参考書ではわからない世界があることを思い知らされた。もっと新しい世界を知りたいと切実に思った。それはあくまでいま考えればということで、当時そんなことは恥ずかしくて彼女には話せなかった。

自分の無知、アホウぶりを知らしめてくれたのがOKだった。それこそが彼女が私の「特別な同志」たる最大の所以(ゆえん)だったといまは言える。

こうしてOKは私にとって「特別な同志」になった。そんな彼女に私は恋をした。

ビートルズ「抱きしめたい」に始まる「ならあっちに行ってやる」の17歳の革命は、自分を知るための革命になり、その「同志」を得て革命はさらに一歩前に進んだ。

これが今日に至る私の革命の原点、いまそう思う。(つづく)

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」成員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』
『紙の爆弾』と『季節』──今こそタブーなき鹿砦社の雑誌を定期購読で!

進撃蹴人の逆襲、TITANS NEOS.31 堀田春樹

重森陽太は前回7月のヒジ打ちによるTKO負けからの再起と共に、ムエタイ路線を目指した5回戦での泥臭い試合で勝つ。

高橋亨汰は攻めの多彩さで圧勝。NJKFから乗り込んできた吉田凛汰朗に格の差を見せ付けるTKO勝利。重森に続く主力メンバーとして存在感を示した。

新日本キックに於いて、久々のタイトルマッチは瀬戸口勝也の初防衛戦。剛腕で初挑戦の瀬川琉を沈める。

前・日本ミドル級チャンピオンの斗吾がエキシビジョンマッチと引退セレモニー。“有蹴の美”を飾る。

期待の木下竜輔はムエタイのヒジ打ちに散る試練の敗戦。

組み合ってからの重森陽太のヒザ蹴りがヒット

◎TITANS NEOS.31 / 10月23日(日)後楽園ホール17:43~21:07
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第11試合 62.5kg契約 5回戦

重森陽太(伊原稲城/ 62.05kg)
      vs
キヨソンセン・フライスカイジム(タイ/ 62.35kg)
勝者:重森陽太 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:椎名49-48. 宮沢50-48. 仲50-48

※重森陽太はWKBA世界ライト級チャンピオン
※キヨソンセンはWMCインターコンチネンタル・スーパーフェザー級チャンピオン。
過去、日本では梅野源治と1勝1敗。健太に判定勝利。

重森陽太はローキック中心の様子見からミドルキックへ、やや増して距離を計るけん制。静かな流れが続く中、距離を詰めて来たキヨソンセンに前蹴りで突き放しが効果的にヒット。パンチもヒットし、キヨソンセンの右目下頬骨辺りが腫れだす。後半は組み負けない攻防を続け、首相撲からの崩しなどジワジワしつこい圧力で自分の流れを保った重森。

第5ラウンドの残り20秒ほどはムエタイでは有りがちな、打ち合わず流しに入る、あまり好ましくない終わり際ではあったが、泥臭い試合をすると言った重森の拘りは貫いた試合だった。

重森陽太の鋭い前蹴りが何度もキヨソンセンを突き放した
重森陽太が呼び掛け、この日集められる範疇の主力メンバーが揃った

◆第10試合 62.5kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.髙橋亨汰(伊原/ 62.4kg)
      vs
NJKFスーパーライト級2位.吉田凛汰朗(VERTEX/ 62.2kg)
勝者:高橋亨汰 / TKO 3R 2:02
主審:桜井一秀

高橋亨汰の左ストレートが効果的に圧力掛けた流れ。吉田凛汰朗は警戒しつつ打ち返して一進一退的流れを保つも、先を読む戦術に長けていた高橋はパンチと蹴りのコンビネーションが優った。第3ラウンドにはカウンターの左ヒジ打ちをアゴにヒットでノックダウンを奪い、吉田は立ち上がれず、カウント中のレフェリーストップとなった。

フェイントから高橋亨汰の左ハイキックが吉田凛汰朗にヒット
左ヒジ打ち直撃から吉田凛汰朗が崩れ落ちる

◆第9試合 日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.瀬戸口勝也(横須賀太賀/ 56.8kg)
      vs
挑戦者同級1位瀬川琉(伊原/ 57.1kg)
勝者:瀬戸口勝也 / TKO 2R 1:38
主審:椎名利一

序盤は瀬川琉の先手打つパンチと蹴り。瀬戸口勝也は強打を温存して様子見。徐々にタイミングを見極め強打を振るい出す瀬戸口。

第2ラウンドも瀬川が先手を打って蹴りで出るが、瀬戸口が瀬川の動きを読むと強打で追って、ロープ際でボディーから左右フックを振るう連打で瀬川は凌ぎ切れず、脆くもノックダウンを喫し足下おぼづかず、カウント中のレフェリーストップとなった。瀬戸口勝也は初防衛に成功。

様子見から瀬戸口勝也が次第に距離を詰めていく

◆斗吾引退エキシビションマッチ2回戦(2分制)

斗吾(前・日本ミドル級チャンピオン/伊原)
EX
緑川創(前・WKBA世界スーパーウェルター級チャンピオン/RIKIX)

斗吾はかつて戦った緑川創とエキシビジョンマッチ。緑川のパンチ攻勢に立つ流れを受け止めながら斗吾は踏ん張りを見せた。5年ほど前に左膝の半月板損傷と前十字靭帯を切る怪我が影響してから復帰したものの、完全な回復には至らない為の決断の様子。

引退セレモニーで挨拶を述べた後、テンカウントゴングに送られリングを去った。

エキシビジョンマッチで充実の打ち合い蹴り合いを闘った斗吾
斗吾が会長や選手仲間への感謝と共に、「オカン、妻、有難う!」はインパクトがあった

◆第8試合 58.0kg契約3回戦

木下竜輔(伊原/ 57.7kg)vs ラット・シットムアンチャイ(タイ/ 57.45kg)
勝者:ラット・シットムアンチャイ / TKO 2R 2:30
主審:仲俊光

木下竜輔は新鋭らしさが出た粗削りながら積極的攻勢。しかしラットはベテランムエタイ選手。返しの技が際立ち、狙った右ヒジ打ちを振り下ろすと、鮮やか一発ヒットで木下竜輔の額をカット、ドクターチェックドの勧告を受入れ、レフェリーストップとなった。

決定打ではないがラットの狙ったヒジ打ちが木下竜輔を襲う、最後もこんな形

◆第7試合 58.5kg契約3回戦

ジョニー・オリベイラ(トーエル/ 58.45kg)vs 仁琉丸(富山ウルブズスクワッド/ 57.95kg)
勝者:ジョニー・オリベイラ / 判定3-0
主審:宮沢誠
副審:仲30-28. 桜井30-28. 少白竜30-28

第1ラウンド終盤に右ハイキックでノックダウンを奪ったジョニー。仁琉丸はラウンド終了ゴングに救われ、その後持ち直したが、巻き返しには至らない展開で判定に縺れ込んだ。

◆第6試合 スーパーフライ級3回戦

NJKFバンタム級6位.吏亜夢(ZERO/ 52.1kg)
       vs
NJKFフライ級1位.谷津晴之(新興ムエタイ/ 51.7kg)
勝者:吏亜夢 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:宮沢30-28. 仲30-27. 少白竜30-28

NJKF枠が設けられたカード。吏亜夢が徐々に手数と蹴りの的確差が優り勝利を導いた。

◆第5試合 スーパーライト級2回戦

勇生(富山ウルブズスクワッド/ 62.45kg)vs 梅沢遼太郎(白山/ 62.75kg)
引分け 0-0 (19-19. 19-19. 19-19)

◆第4試合 63.5kg契約3回戦

山田青空(GOD SIDE/ 63.55→63.5kg)vs yusei(グレイシーバッハ姫路/ 62.35kg)
勝者:山田青空 / KO 2R 2:53 / 3ノックダウン

◆第3試合 女子(ミネルヴァ)52.5kg契約3回戦(2分制)

YURIKO SHOBUKAI(尚武会/ 52.3kg)vs MEGUMI KICK SPARK(KICK SPARK/ 52.15kg)
勝者:YURIKO SHOBUKAI / 判定3-0 (29-28. 29-28. 29-28)

◆第2試合 アマチュア女子34.0Kg契約2回戦(90秒制)

西田永愛(伊原/ 33.6kg)vs 野中あいら(HIDE/ 33.5kg)
勝者:西田永愛 / 判定3-0 (20-19. 20-18. 20-19)

◆第1試合 アマチュア43.0kg契約2回戦(90秒制)

西田蓮斗(伊原/ 42.45kg)vs 山下夢歩(LEGEND/ 42.4kg)
勝者:山下夢歩 / 判定0-3 (19-20. 19-20. 19-20)

瀬戸口勝也の勝負に出た右ストレートが瀬川琉のアゴから顔面を突き上げる

《取材戦記》

重森陽太が勝利のリング上で語ったのは「皆さんが求めるようなノックアウトする勝ち方は出来なかったですけど、前回の負けから考えて、自分らしく戦う試合をしようと思いました。僕はこんな泥臭い試合をします。それで皆さんが感動や次の日を頑張れるといった励みに繋がればと思って一生懸命試合しますので応援お願いします!」と原点に返った戦い方をアピール。

控室では「重森は5回戦の選手です。来年はラジャダムナン王座を視野に突き進みます。その為に今回、5回戦をお願いしました。」と熱っぽく語った。

毎度テーマの無いノンタイトル戦では、何に向かって進んでいるのか分からない試合が多いが、今回は明確にラジャダムナン王座を視野に、直々にはタイでの遠征試合も計画していると応えた。

今年5月にBBTV(タイ7ch)チャンピオンと3回戦での引分け。7月に真吾YAMATOとヒジ打ちの積極的打ち合いで敗れる不覚はあったが、今回、日本で実績あるキヨソンセンに5回戦での戦略勝ちしたことで調子を上向きに戻した。

重森陽太は現在、新日本キックボクシング協会のエース格となって、ファンは今後の進路に興味が湧くものでしょう。泥臭い試合をすると言う発言は、元々のヒジ打ち有り首相撲有り5回戦の長丁場での総合力が試される原点に戻ると言う意味があります。

重森陽太が「このメンバーで引き続き新日本キックを盛り上げていきます!」と宣言し、記念撮影に収まった斗吾を含む選手達。ここから進撃蹴人の逆襲というテーマが始まります。

来年の新日本キックボクシング協会興行予定は、2月19日(日)、4月23日(日)、7月9日(日)、10月15日(日)にTITANS NEOS、またはMAGNUMが予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

LINE Pay(ラインペイ)の異常で夕食が買えない! 賃金の電子マネー支払いは時期尚早! さとうしゅういち

◆LINE Payが立ち上がらない! このままじゃ夕食が買えない!

2022年10月17日夕方。広島県安芸郡内の介護現場での仕事から帰宅途中のわたしは、広島駅構内の飲食店でテイクアウトを注文しました。

事前にラインで連絡を受けた妻の希望通りの弁当をお店の人に注文。支払いは、いつも通り、電子マネー「LINE Pay(ラインペイ)」で行おうとしました。

ところが、画面がいつまでたっても立ち上がらないのです。何度試しても「正常に起動しませんでした」というものメッセージが出るばかりです。

LINE Payはリアルの銀行のATMと違い、電話の窓口もありません。お店の人に何度も謝りながら試してみました。

まず、筆者のスマホがおかしいのかと思い、立ち上げなおました。しかし、ダメです。

「ここは、電波が悪いのでは?」というお店の人の指摘で、店外にいったん移動して試しました。だが、どうあがいてもうまくいきませんでした。結局、LINE Payでの支払いをあきらめ、クレジットカードで決済しました。

これらのトラブルのおかげで、帰宅が遅くなり、妻に苦言を呈される(笑)など、散々な一日でした。

◆電話の窓口もないLINE Pay

LINE Payには電話の窓口もありません。わかりやすいところに問い合わせ窓口の表示もありません。帰宅後、筆者は、カスタマーサポートをネット検索でようやく発見しました。そこで、夕方のトラブルについて、問い合わせを行いました。すると、翌朝になって以下のような返事をいただきました。

LINEおよび関連サービスをご利用いただきありがとうございます。

LINE Payカスタマーサポートです。

このたびはご不便をおかけし大変申し訳ございません。

2022年10月17日(月)18:00~19:18の間、LINE Payのサービス画面が全般的に表示できない不具合が発生しておりました。

なお、現在は復旧し、正常にご利用いただける状態です。

万が一現在もご利用に問題が発生している場合には、お手数をおかけいたしますが、あらためて問題の詳細をご連絡いただけますと幸いです。

お客さまには大変ご迷惑をおかけしてしまいましたこと、また、ご連絡が遅くなりましたことを重ねて深くお詫び申し上げます。

今後とも、弊社サービスをよろしくお願いいたします。

おりしも、この日は、みずほ銀行のネットバンキングのシステム障害のニュースもまた流れていました。

やはり、現金というものはそうはいっても、ありがたい。そのように痛感しました。

◆給料を電子マネー支払い?!

さて、岸田政権は、今年度にも給料を現金払いから電子マネー支払いに変える制度を導入することを検討しています。

9月19日、「電子マネー」による賃金の支払いについて、厚生労働省は、従業員の同意を前提としたうえで「電子マネー」を扱う業者が安全性を担保した場合に認めるとした新たな制度の案を示しています。

労働基準法では賃金は現金で支払うことを原則としています。ただし、過去に起きた強盗事件などの教訓もあって、口座振り込みを労働者の利益のために認めているというのが現状です。今回は、厚生労働省は「利便性を高めるために、今年度に「電子マネー」で行うことを認める」としています。

同省の案では、企業が従業員の同意を得た場合は電子マネーを扱う「資金移動業者」が開設した口座への賃金の支払いを認めるとしています。「同意を得た場合」といいますが、労働組合がこれだけ弱いいま、制度が導入されれば、企業経営者のいう通り、導入されてしまうのは目に見えています。

また、資金移動業者は、安全性を担保するために一定の要件を満たしたうえで、厚生労働大臣から指定を受ける必要があるとしています。

この要件の案には、業者が破産したときに全額または100万円以上が数日以内に支払われるなど速やかに保証されること/不正に引き出される被害があったときに利用者に過失がなければ全額補償されること/少なくとも1か月に1回は手数料の負担なく換金できることなどが含まれています。

しかし、10月17日の夕方に筆者が遭遇したようなアプリの不調で買い物ができなくなる事態が起きる現状が、今年度末までに改善することはまず考えられません。しかも、電話ですぐ対応してもらえる窓口すらないのです。

とてもではありませんが、LINE Payを含めて電子マネーはまだまだ現金と同等の扱いは難しいと感じます。そんな中での給料の現金払いではなく電子マネー払いはちょっと怖すぎます。

また、そもそも、コンビニの店頭での公共料金にしても、家賃などの支払いにしいても、電子マネーではなく現金でしかできない状況があります。

給料は現金支払いを原則とし、実際は強盗対策などもあって、銀行口座に振り込みとする。電子マネーには本人が銀行口座からチャージしたい額だけチャージする。

こうした現状を変更することに生じるリスクやコストを上回る便益は今の段階では見出せません。

◆リスクを上回る便益がないものまで先走る岸田政権

岸田政権は、デジタル化を看板政策の一つにしています。筆者もデジタル化そのものを否定はしません。例えば、筆者も、政治活動や市民運動では、zoomを利用した会議など、デジタルの便益を大いに受けています。そして、いろいろな産業でもデジタル化は必須です。例えば、ロシアのウクライナ侵略などを背景に食料価格が暴騰する中で、食料自給率の向上のためにも、農業でのITの活用は必要でしょう。はっきりいって、IT化が必要な分野では日本はむしろ遅すぎるくらいです。

しかし、給料の電子マネー払いは、現時点では、リスクを上回る便益はないのです。問題は、こうしたリスクを上回る便益がないようなことまで、岸田政権が先走っていることです。筆者は、引き続き、労働者の暮らしを守る立場からこの問題について注目していきます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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