《殺人現場探訪10》 飯塚事件 現場に行けば誰でもわかる目撃証言の嘘

1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」では、一貫して無実を訴えながら2008年に死刑執行された久間三千年氏(享年70)について、足利事件同様のDNA型鑑定のミスによる冤罪だった疑いが根強く指摘されている。現在は福岡高裁(岡田信裁判長)で再審請求即時抗告審が行われているが、その実質的な審理も終わり、福岡高裁が再審の可否をどのように判断するのかに注目が集まっている。

私は過去、この飯塚事件の関係現場を何度か訪ねて回ったが、中でも印象深かったのは、被害者の女児たちのランドセルや衣服など遺留品が遺棄されていた現場だった。久間氏の裁判では、ある人物がこのあたりで久間氏やその車を目撃したかのような証言をしており、有罪の根拠の1つにされている。しかし、現場を一度でも訪ねてみれば、この目撃証言には微塵の信用性も認められないことがすぐわかるのだ。

このカーブの脇の山中に女児2人の遺留品が遺棄されていた

◆不自然なほど詳細な証言

その目撃証言は一体どんなものなのかを見る前に、まずは事実関係を整理しておこう。

福岡地裁が宣告した確定死刑判決によると、久間氏は1992年2月20日朝、登校中の小1の女児2人を車で連れ去って殺害し、2人の遺体を「八丁峠」と呼ばれる峠道脇の山中に遺棄したとされた。そして遺体遺棄現場から八丁峠を数キロ上方に進んだあたりで、女児2人のランドセルや衣服、下着をやはり道路脇の山中に遺棄したとされている。問題の目撃証人は地元の森林組合で働いていた男性だが、その男性は事件当日の午前11時頃、このあたりを車で通過した際に目撃した人物とその車について、次のような証言をしている(長いので、読み飛ばして頂いても構わない)。

〈軽四輪貨物自動車を運転して国道三二二号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約二〇〇メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、四〇代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた〉(確定死刑判決より引用。原文ママ)

おそらく多くの人が読み飛ばしただろうが、この目撃証人の証言内容が驚くほど詳細だったことは十分にわかったろう。しかし実際には、この目撃証人は急カーブが相次ぐ八丁峠の山道を車で下りながら、すれ違う際にせいぜい10秒程度、問題の人物や車を見ただけだった。それでいながら、これだけ詳細な証言ができたというのはあまりにも不自然だ。

遺体遺棄現場には小さな地蔵が祀られている

◆現場を車で走ってみたところ……

私は2015年3月、弁護団が現場で行った一般参加OKの実験に参加し、自分も目撃証人と同じように現場を車で走り、視認状況を確認したことがある。その際、遺留品遺棄現場あたりに停車していた車やそのかたわらにいた人物の存在こそ確認できたが、あまりに一瞬のことで、車や人物の特徴などほとんど覚えられなかった。そして私以外の多くの参加者たちも同様の感想だった。それゆえに私は、現場を一度でも訪ねてみれば、この目撃証言には微塵の信用性も認められないことがすぐわかる――と言ったのだ。

この目撃証人については、裁判中から捜査官の誘導により、久間さんの車を目撃したかのような証言をするようになった疑いが指摘されてきた。再審請求即時抗告審では、弁護側が捜査記録を再検証したことにより、捜査員があらかじめ久間さんの家を訪ねて車の特徴を確認したうえで目撃証人に事情聴取していた疑いも浮上している。ぜひとも再審が始まり、この目撃証言に関する警察、検察の捜査も再検証されて欲しいものである。

なお、私が目撃証人と同じように現場を車で走り、視認状況を確認した際の動画をここに紹介した。


◎[参考動画]飯塚事件 目撃証人の視認状況の実験(片岡健2015年03月07日公開)

3分10秒過ぎに出てくるのが「仮想の久間氏とその車」だが、読者の方々もこの動画を観れば、目撃証人の証言内容の詳細さがいかに不自然かが改めてよくわかるはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《鳥取不審死・闇の奥07》 有力な目撃証言をした「同居男性」の苦難

借金の返済を免れるためなどに2人の男性を殺害するなどした罪に問われた上田美由紀被告(43)が最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定することになった鳥取連続不審死事件。裁判の最大のキーマンは、上田被告と同居していた男性A氏だった。

A氏は事件前、上田被告と共に取り込み詐欺を繰り返し、窃盗にも手を染めて実刑判決を受けたという人物だ。上田被告の裁判では検察側の最重要証人として法廷に立ち、上田被告が2件の殺人を実行したことを裏づける重要な証言をしている。このA氏も上田被告に関わって以来、何かと大変な目に遭っているのだが、今回はそのことを紹介したい。

◆有力な目撃証言をした同居男性

裁判の認定によると、上田被告は09年4月、270万円の債務の返済を免れるために交際していたトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませ、海の中に誘導して溺死させた。同10月には家電の代金約53万円の支払いを免れようと、電化製品販売店を営む圓山秀樹さん(同57)も同様の手口により川で殺害したとされる。

このような事実認定がなされるうえで欠かせなかったのが、A氏の次のような証言だった。

【矢部さん殺害事件に関するA氏の証言の要旨】

「私は事件当日、矢部さんと行動を共にしていた上田被告から電話で連絡をうけ、事件現場の砂浜まで車で迎えに行きました。すると、上田被告は全身がずぶぬれ状態で、一緒にいたはずの矢部さんの姿は見当たりませんでした。その後、しまむら倉吉店まで上田被告と一緒に行き、上田被告が着替えるための衣類を私が購入し、上田被告はラブホテルで着替えをしました」

【圓山さん殺害事件に関するA氏の証言の要旨】

「私は事件当日、上田被告に言われるまま、眠そうな状態の圓山さんを車で事件現場の川の近くまで連れて行きました。その後、私は上田被告に言われて一度現場を離れましたが、上田被告から迎えに来て欲しいという電話をうけて再び車で事件現場の近くまで行きました。すると、上田被告は下半身が濡れた状態で、『圓山さんと話していたら突然殴られ、圓山さんがいなくなった』と言っていました」

このような上田被告の犯行を目撃したに等しいA氏の証言は、携帯電話の記録やしまむら倉吉店のレシート、カーナビの履歴などの客観的証拠により裏づけられていた。私はこれまで被告人が無実を訴える殺人事件を数多く取材してきたが、これほど有力で、信ぴょう性の高い目撃証言が存在する事件を他に知らない。

では、そんなA氏が上田被告と関わって以来、一体どんな大変な目に遭っているのか。A氏は現在、上田被告と一緒に犯した取り込み詐欺や窃盗の被害者に1人で償いをしているのである。

上田被告が矢部さんを殺害後、着替えるために利用したとされるホテル

◆1人で矢面に立たされている同居男性

私が最初にそのことを知ったのは、事件当時、上田被告やA氏と近所づきあいをしていた男性B氏に取材した時のことだ。というのも、取り込み詐欺を繰り返していた上田被告とA氏はB氏に対しても米や車を売ってやると嘘を言い、多額の金を騙し取っていたのだが、B氏は次のような話を聞かせてくれた。

「私は事件後、騙し取られた金を取り戻すためにAを相手取り鳥取地裁に損害賠償請求訴訟を起こしました。その結果、Aに対し、私に100万5400円を支払うように命じる判決が出たのですが、Aは出所後、ちゃんと仕事を見つけて働いており、私に毎月1万円ずつ支払い続けているのですよ」

また、上田被告とA氏は共謀し、上田被告が働いていたスナックのママの家に侵入して現金約35万円などを盗んでいたのだが、スナックのママによると、A氏はママにも少しずつ盗んだ金を返しているという。

こんな話をすると、「犯罪者が被害者に償いをするのは当たり前」と思う人もいるかもしれない。そういう考え方を否定するつもりはないが、A氏も上田被告との関係で言えば、被害者だということは指摘しておきたい。

というのも、A氏は元々、自動車の販売店に勤めていた妻子持ちの真面目な人間だった。しかし、上田被告と知り合って肉体関係を持ったことから上田被告に「三つ子を妊娠した」と嘘をつかれ、「養育費を支払って解決したいならば、3000万円を支払うように」などと求められて1000万円以上を渡しているのだ。そればかりか妻子のいる家を出て、上田被告と同居し、取り込み詐欺をやるようになったのだが、2人を知る人たちによれば、明らかに主導権は上田被告が握っていたという。事実関係を見る限り、A氏は上田被告に金を得るための道具として使われていた感が否めないのだ。

さらにこんな話も聞いた。

「Aは殺害行為に関与していないとはいえ、被害者遺族から見ればAは上田被告の共犯です。そのため、被害者遺族の1人がAの家をつきとめ、怒鳴り込んだのですが、Aは必死に謝っていたそうです」(関係者)

一方、B氏やスナックのママによると、上田被告からは償いどころか謝罪1つないという。つまり、A氏は上田被告に人生をボロボロにされた挙げ句、現在は上田被告と一緒に犯した罪に関し、1人で矢面に立たされているわけである。

A氏は現在、再び妻子と一緒に生活している。私はそんなA氏に対し、上田被告への思いなどを聞くべく取材を申し込んだが、A氏は電話口で「私には生活がありますんで」などと言うばかりで、結局、取材には応じてくれなかった。しかし、その語り口から元々は真面目な人間だったというのが改めてよくわかった。だからこそ、A氏も上田被告との関係では被害者だと私は自信を持って言えるのだ。

ネット上などでは、A氏について、あたかも裁判で上田被告を貶める虚偽の証言をしたかのように言っている人が散見される。そういう人はおそらく、A氏が上田被告と一緒に取り込み詐欺などを繰り返していたため、警察や検察に弱みにつけこまれた可能性を疑っているのではないかと思う。しかし、単なる憶測でそういうことを言うのはやめて欲しいと切に願う。上田被告との関係では、A氏も被害者なのだから。

上田被告は矢部さんを殺害後、A氏がこの店で購入した衣類に着替えたとされる

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部で控訴棄却、今年7月に最高裁で上告棄却の判決を受け、死刑が事実上確定した。

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」
《06》被害者遺族が語る 死刑が確定する被告への思い
《07》有力な目撃証言をした「同居男性」の苦難

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《鳥取不審死・闇の奥06》 被害者遺族が語る 死刑が確定する被告への思い

一、二審共に死刑とされながら、無実を訴え続けていた鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)の上告審で、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は7月27日、上田被告の上告を棄却し、死刑を事実上確定させた。2009年に事件が表面化してから8年。ようやく裁判が終結しつつある今、被害者の遺族は何を思うのか。上田被告に殺害された2人の男性のうち、圓山秀樹さん(享年57)の次男・賢治さん(42)に話を聞いた。

7月27日、上田被告の上告審判決があった最高裁

◆「とうとうこの日が来た」

「予想通りで、わかりきったことでしたが、やはり結果を聞くと、こみ上げてくるものがありましたね」

上田被告の上告審判決は仕事の都合で最高裁まで傍聴に行けなかったという賢治さん。当日は兄たちと一緒に鳥取市内でマスコミの取材に応じ、「上告棄却」の第一報は会見場で記者から聞かされたという。その時のことを振り返る言葉には万感の思いが込められていた。

賢治さんの父・圓山秀樹さんは2009年10月、上田被告に睡眠薬を飲まされ、川の中に誘導されて溺死させられた。上田被告がこのような犯行に及んだ動機は、家電代金約53万円の支払いを免れるためだったとされる。事件当時、上田被告は同居していた男性と共謀し、取り込み詐欺を繰り返しており、電器店を経営していた圓山さんからも「代金後払い」の約束で洗濯機など家電6点の交付を受けていたという。

そんな圓山さんは事件前、周囲の人に「代金を支払わない女性客がいる」と漏らしていた。そして事件当日の朝、上田被告から電話をうけ、「集金に行く」と言って出かけたまま、行方不明に。翌日、川で遺体がうつぶせ状態で浮かんでいるのが見つかったのだが、実は賢治さんはその現場に駆けつけ、遺体の発見者にもなった。「上告棄却」の報を聞いた際はその時のことも思い出したという。

「それから8年間ずっと毎日、父の仏壇に手を合わせてきました。『とうとうこの日が来た』『長かった』と思いましたね」

被害者の遺族にとっては、上田被告の死刑判決が確定することはまさに悲願だったようだ。

話を聞かせてくれた被害者遺族の圓山賢治さん

◆上田被告は「血も涙もない」

「父は母と離婚しているんですが、そのぶん僕や兄のことを気にかけてくれていました。僕や兄同様、父もバイクなどの乗り物が好きで、趣味も合った。だから、僕や兄は事件当時もよく父のところに遊びに行っていたんです」

賢治さんは圓山さんとの思い出をそう振り返る。生前の圓山さんは「『よく商売ができるな』と思うほど、とにかくむちゃくちゃ優しい性格で、まったく怒らない人」だったという。ただ、人が良いためか、経済的なことでは何かと苦労が絶えなかったようだ。

「今は量販店がありますから、父のような個人経営の電器店は家電の販売では儲かりません。父の仕事は主に電気工事でした。ずっと日曜日も関係なく働いていて、お酒を飲まないので、お客さんから修理のために夜呼ばれることもありました。そのうえ、自宅で祖母の介護もしていましたから生活は大変だったはずです。父にとっては、1万円でも大事なお金だったと思います」

上田被告はそんな圓山さんから「代金後払い」の約束で約53万円の家電を購入し、結局、代金の支払いを免れるために殺害してしまった。賢治さんはそんな上田被告について、「血も涙もないですよね」というが、遺族がそう思うのは当然のことだろう。

「父は甘いところがあり、支払いについても『待って』『待って』と言われたら、待ってしまう性格でした。だから、上田に狙われてしまったんじゃないかと思います」

◆「とにかく上田が死ぬのを待つだけ」

この連載の第1回で書いたことだが、上田被告は私と面会や手紙のやりとりをする中、まったく悪びれた様子もなく不自然きわまりない主張をし、「冤罪」を訴えながら様々な人を貶めることを述べていた。賢治さんによると、裁判中も上田被告はケロッとした様子で罪悪感を一切覚えていないように見えたという。

だからこそ今、賢治さんは上田被告に対して、こう思う。

「僕はとにかく上田が死ぬのを待つだけです。上田が生きているうちは、事件が解決したとは思えないので。上田は人の生命を粗末に扱ったのだから、自分も同じ報いを受けて欲しいです」

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」
《06》被害者遺族が語る 死刑が確定する被告への思い

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《殺人現場探訪09》 奈良小1女児殺害事件「隠す意欲」が窺えない死体遺棄現場

2004年に奈良市で起きた小1女児殺害事件は、犯人の男の異常性が社会を震撼させた。下校中に失踪した少女は、通っていた小学校から遠く離れた町の側溝で見つかったが、歯が数本抜かれた状態だった。さらに犯人から親族の携帯電話に「娘はもらった」「次は妹を狙う」などというメールが届いたが、メールには被害者の画像が添付されていた。

検挙された犯人の小林薫は、毎日新聞の販売員として働いていた男だが、幼女ポルノや女児の下着を多数所持していた小児性愛者で、小さな女の子に対する性犯罪の前科もあったという。

小林は奈良地裁で2006年9月、わいせつ目的で女児を誘拐し、自宅の浴室の湯船で溺死させたとして求刑通り死刑判決を受けたのち、自ら控訴を取り下げて死刑が確定。2013年2月に収容先の大阪拘置所において、44歳で死刑執行されている。

手前が小林の住んでいた部屋。ここで女児は命を奪われた

◆小林が住んでいたマンションは今……

私がそんな事件の関係現場を訪ね歩いたのは、昨年5月のことだった。

最初に訪ねたのは、JR王寺駅から徒歩7、8分の場所にある小林が住んでいたマンションだった。その3階建てのマンションは、小林が働いていた毎日新聞の販売所と隣接していたが、人が住んでいる気配はほとんど感じられなかった。小さな女の子が殺害された現場ということもあって入居者が集まらず、今は空き室が多いのかもしれない。

周囲の様子を見て回ると、マンションの近くには、〈不審者を!! 見たらその場で110番〉と書かれた、のぼり旗がはためいていた。過去に痛ましい殺人事件があった現場を歩いていると、こういう防犯を促すものをよく見かけるが、近所の人たちも2度とあのような悲劇があってはいけないとナーバスになっているのだろう。

小林が住んでいたマンション(奥)の近くには、防犯を促すのぼり旗

◆一体なぜ、こんな場所に……

小林が被害者の遺体を遺棄した平群町菊美台という町の側溝は、小林宅から北に5キロの場所にある。その側溝は、住宅街のかたわらに広がる田んぼ沿いの坂道にあったが、私はその場所を見て、少々違和感を覚えた。側溝は周囲から遮るものが何もなく、小さな女の子の遺体などを遺棄すれば、すぐに見つかってしまうことは明白な場所だったためだ。

小林はなぜ、こんな場所に遺体を遺棄したのか。犯行の発覚を防ぐために遺体は山の中に捨てようとか、埋めてしまおうとかという発想はなかったのだろうか。小林は親族に犯行を誇示するようなメールを送りつけるなど劇場犯的なところがあったから、あるいは遺体もあえて見つかりやすいように捨てたのだろうか・・・。私は色々考えさせられた。

小林は、控訴を取り下げて死刑が確定したが、その後、控訴の取下げは無効だと訴えたり、確定死刑判決には事実誤認があるとして再審請求を行ったりしている。再審請求では、「確定判決では、被害者を湯船に沈めて殺害したように認定されたが、本当は、わいせつ行為をしようと睡眠薬を飲ませて入浴させていたら、気づいた時には被害者が溺死していた」と訴えていたという。しかし、その主張が司法に認められることはなかった。

私は事件当時や裁判中、小林に直接取材する機会に恵まれなかった。もしも、そのような機会があれば、「なぜ、あんな場所に遺体を捨てたのか」ということを聞いてみたかった。

被害女児の遺体が遺棄されていた側溝

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「警察庁長官を撃った男」中村泰からの手紙──深刻さ増す高齢獄中闘病生活

1995年3月に國松孝次警察庁長官が自宅マンション前で何者かに狙撃され、瀕死の重傷を負った事件から22年の月日が流れた。事件はすでに2010年に公訴時効が成立して迷宮入りしているが、その犯人である説が根強い中村泰(ひろし)という80代の老受刑者の存在は有名だ。中村は獄中にいながらメディアの取材を次々にうけ、「長官狙撃事件の犯人は私だ」と訴え続けてきたが、一昨年に直腸ガンの手術を受けていたことは当欄で既報の通りだ。そんな中村がこのたびまた新たな重病に冒されたことがわかった――。

◆震えていた手紙の文字

2002年に名古屋市で銀行の現金輸送車の警備員を狙撃し、現行犯逮捕されたのをきっかけに長官狙撃事件の捜査線上に浮上した中村泰(87)。現在は岐阜刑務所で無期懲役刑に服しているが、東大を中退したインテリでありながら高度な射撃能力を有し、20代の頃には警察官を射殺する事件も起こした特異な経歴の持ち主だ。結局、逮捕も起訴もされなかったが、警察の取り調べに対し、長官狙撃事件の犯行を詳細に自白していたと伝えられている。

私はこの中村と4年以上、手紙のやりとりを続けてきたが、中村が一昨年初めに直腸ガンの手術を受けて以降は手紙をやりとりする回数が少なくなっていた。そんな中村から今年初めに年賀状をもらって以来、約半年ぶりに手紙が届いたのだが――。

パーキンソン症のため、文字が震えていた中村の手紙

手紙の文字が震えていたので、一体なぜかと思いきや、次のように説明されていた(以下、〈〉内は引用)。

〈謹啓 とりあえず最近の体調について申し上げます。

開腹手術によって患部は完全に切除されまして、現在に至るまで再発の兆候は見られないのですが、やはり八〇歳を過ぎてからの大手術の負担は大きいようでして、以後少なからず体力の低下を自覚させられています。

それに加えまして近頃は手首の震戦(ふるえ)が高じてきて神経科の医師による二度の診察ではパーキンソン症と診断されています。回復の見込みは薄いとのことでした。齢が齢だけに諦めるほかなさそうです〉

「Yahoo!ヘルスケア」によると、パーキンソン症(病)とは、手足が震えたり、筋肉がこわばったり、動作が遅くなるなどの症状が徐々に進行する病気で、10数年後には寝たきりになる患者もいるという。有病率は、人口10万人に対し100人程度というから珍しい病気と言えるが、中村は直腸ガンの手術後に闘病生活を送る中、また新たな重病に陥ってしまったわけである。

大丈夫だろうか……。私は最悪の事態まで想像し、少し重たい気持ちになってしまった。

中村のことを長官狙撃事件の犯人であるかのように伝えたフジTV「奇跡体験アンビリバボー」(2017年6月29日放送)のHP

◆元気だった頃と変わらない様子も

だが、手紙を読み進めると、元気だった頃と変わらない中村らしいことも書かれていた。

〈このほどテレビ番組制作会社から「奇跡体験アンビリバボー」なる番組で長官狙撃事件を取り上げる旨、通知を受けました〉

これまでも中村はテレビで自分のことを長官狙撃事件の犯人として取り上げる番組の放送が決まるたび、私に連絡してくれていた。今回も闘病中にも関わらず、義理堅く番組情報を伝えてくれたのだ。

6月末に放送されたこの番組は中村が長官狙撃事件の犯人である可能性を強く示唆する内容だった。そのためか、番組放送以来、ツイッターなどネット上では中村泰のことを長官狙撃事件の犯人であるかのように言う声を多く見かけるようになった

「警察庁長官を撃った犯人は自分」と世の人々に知らしめることを目標に闘病生活を送る中村にとっては、病と闘う活力になったことだろう。取材を通じて中村のことを長官狙撃事件の犯人だと思うようになった私としても、中村が少しでも多くの人に長官狙撃事件の犯人だと認識されることを願っている。

《関連記事》
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか(2015年1月4日)
◎ガンから生還!「国松警察庁長官を撃った男」から届いた決意表明の手紙(2015年10月29日)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《殺人現場探訪08》今市女児殺害事件 自白の「嘘」を如実に示すわいせつ現場

2005年12月に栃木県今市市(現・日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃんが何者かに連れ去られ、無残な刺殺体となって見つかった「今市事件」。殺人などの罪に問われた被告人の勝又拓哉氏(35)は昨年4月、宇都宮地裁の裁判員裁判で無実を訴えながら無期懲役判決を受けたが、捜査段階の自白以外にめぼしい証拠はなく、冤罪の疑いを指摘する声が少なくない。

かくいう私も裁判員裁判の全公判を傍聴したほか、勝又氏本人をはじめとする関係者、関係現場への取材を重ね、この事件は冤罪だと確信するに至っている。当欄でも今年4月16日、警察が捜査段階に栃木県内のあちこちに貼り出していた情報提供募集のポスターに基づき、勝又氏の自白調書の内容に信ぴょう性など無いに等しいことを記事にした。

そして実を言うと、勝又氏の自白が嘘であることは、「ある現場」に一度でも行けば、一目瞭然なのだ。

◆明らかに嘘だった「わいせつ行為」

東武日光線の樅山駅から車で数分。県道15号線沿いにある2階建ての何の変哲もないアパートが、この事件では大変重要な現場の1つだ。勝又氏は事件当時、このアパートの2階の一室に住んでいたのだが、その自白調書によると、ここに有希ちゃんを連れ込み、わいせつ行為をしたことになっているからだ。

「私は、部屋の中で有希ちゃんを全裸にしたうえで自分も裸になり、デジタルビデオカメラで撮影しながら、有希ちゃんの顔にキスしたり、陰茎を有希ちゃんの尻にこすりつけたり、有希ちゃんに陰茎を握らせてしごかせて射精するなどしました」(自白調書の要旨)

この自白は一見、迫真性のある内容だが、客観的事実をもとに真偽を検証すれば、すぐに嘘だとわかる内容だ。というのも、勝又氏が本当にこれほど濃厚なわいせつ行為をはたらいたなら、有希ちゃんの体には当然、相当量のDNAが付着したはずだ。しかし事件後、有希ちゃんの遺体から勝又氏のDNA型は一切検出されていないのだ。

そして、わいせつ行為をした後のことに話が及ぶと、勝又氏の自白調書の内容はさらにわかりやすく不自然な内容になる。

◆「手足を縛った全裸の被害者を車まで運んだ」という不自然

「私は自宅アパートで有希ちゃんにわいせつ行為をした後、全裸の有希ちゃんの両手足をガムテープで縛って拘束し、ジャンパーをかぶせただけの姿で駐車場に停めていた車まで連れて行きました。そして有希ちゃんを助手席に乗せ、車で茨城県常陸大宮市の山中まで赴き、有希ちゃんを車から降ろしてサバイバルナイフでメッタ刺しにして殺害しました。それから、遺体を林の中に投棄したのです」(自白調書の要旨)

この自白が嘘であることは、現場に行けば一目瞭然だ。

勝又氏が当時暮らしていたのは、アパートの2階の奥の部屋だった。ここに掲載した写真で言うと、向かって左側の部屋である。勝又氏が自分の部屋から、車を停めていた地上の駐車場まで行くには外廊下を通り、さらに外階段で下に降りなければならない。勝又氏が自白内容通り、「両手足をガムテープで縛って拘束し、ジャンパーをかぶせただけの全裸の有希ちゃん」を自分の部屋から車まで連れて行くのは極めて困難であることは自明だろう。

勝又氏が住んでいたアパート。2階の左の部屋から、手足を縛られた全裸の女児を地上まで運べるだろうか?

有希ちゃんが手足を縛られているのであれば、地上の駐車場の車まで連れて行くにはダッコして運んだり、引きずっていくしかないはずだ。小1の女の子ゆえに体重は大したことがないとはいえ、そんなことが可能だろうか。仮に可能だとしても、勝又氏が本当に犯人ならば、いかに有希ちゃんを駐車場の車まで運んだかは重要なことなので詳細に供述するはずだが、勝又氏の自白にはそのあたりのことが一切出てこない。極めて不自然なことである。

その他にも勝又氏の自白調書の内容は、「有希ちゃんを殺害後に車で家に帰る際、手を洗うためにコンビニや公衆トイレに立ち寄った」と供述しながら、そのコンビニや公衆トイレが特定されていないなど不自然な点は枚挙にいとまがない。東京高裁で行われる控訴審の日程は現時点で未定だが、控訴審では公正な審判が下されることを私は強く願っている。

勝又氏が住んでいたアパートの外階段。ここを全裸の女児を連れて降りる犯人がいるだろうか?

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「共謀罪法」施行2日後に金田法相が死刑を執行した理由

共謀時審議の中で、散々な無能ぶりを発揮した法相金田勝年が7月13日、2名の死刑を執行した。金田自身が死刑執行を命じたのはこれで3名となる。この島国ではいまだに「復讐権」を国家に委ねる、前近代的な人権感覚が幅を利かしている。

2017年7月13日産経新聞

死刑とは、いかなる理由を付与しようとも「国家による殺人」にほかならない。

主として被害者感情を利用して、または、まったく効果などない「犯罪予防」を理由に「国家による殺人」がまた行われた。しかも西川氏は再審請求中であり、再審請求者への死刑執行は異例中の異例である。

金田はなぜ2017年7月13日に2名の死刑を執行したのか。それは7月11日に「共謀罪」が施行されたことと無関係だろうか。相次ぐ国会審議の中での失態により、内閣改造では法相を更迭されることが確実な金田に、この際最後の一仕事を法務省は押し付けたのか。

理由はどうでもよい。唯一にして最大の問題は、ようやく日弁連も「死刑廃止」に舵をきり、死刑についての議論が高まる機運が生じたことへ、国家意思は「再審請求中の人にも死刑を強行する」ことを国民に見せつけた、そして庶民レベルではまだまだ「死刑廃止」に対する意識の高まりがみられないことである。

「人を殺したのだから殺されて当然」という、当たり前のように聞こえてその実何の思索も行われていない感情論を耳にすることがあるが、「人を殺したら殺されて当然」だろうか。

金田勝年法務大臣

◆「殺人」行為と「死刑」を短絡的に結び付ける大いなる誤解

戦争はどうだ? あらゆる戦争で戦勝国の兵士が敗戦国の兵士や民間人を殺戮したことにより、裁かれ「死刑」になることがあるだろうか。「戦争」だから殺人は免罪されるのか。また、まったくの不幸なめぐりあわせによる交通事故はどうだ。運転手に微塵の殺意がなくとも、意識不明に陥ったりして複数人の犠牲者が出ることがある。それでも加害者は「死刑」に相当するか(判例上このような加害者で死刑になった人はない)。つまり「殺人」という行為と「死刑」を短絡的に結び付けることは大いなる誤解であるということである。

そして、仮に大量殺人の真犯人であっても、その人に死刑を執行することにより、被害者の生命が回復するのか。被害者感情は本当に回復されるのか。殺人でなくとも、加害者に復讐心を抱くことは日常的に起きているのではないか。そのような個人の復讐心の物理的遂行をとどめる為に、近代法は構成されているのではないか。

そうであるので「死刑」制度の存置自体が近代法の精神にはそぐわず、むしろ前近代的な制度であると、近代法を導入した多くの国家は認識し、「死刑」を廃止したのだ。欧州のほぼ全域、そして制度上は廃止されてはいないが、韓国も死刑の執行を行わないことにより、実質的な死刑廃止国となっている。

金田勝年法務大臣

◆特定秘密保護法・共謀罪のすぐ向こうには「死刑」がある

さらにあまり知られていないが、「一人として人を殺さなくとも」「死刑」以外の処罰がない罪がある。「外患誘致罪」だ。外国の軍隊を国内に招き入れたり、外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者を罰するのが「外患誘致罪」だ。この容疑で逮捕された人は、冤罪であっても死刑を覚悟せねばならない。

おかしくないか。日本には米軍が駐留している。日米安保があるとはいえ、条約は法律よりも優位なのか。米軍が日本に駐留しているのが当たり前になっているので、こんな珍説を説く人はいないが、歴代政権は「外患誘致罪」を継続的に実践してきている。さらには集団的自衛権容認により、よりいっそう外国の軍隊がこの島国に上陸する可能性が増した。これは国家的「外患誘致」導入への地ならしではないか。しかし当然のことながら、国家への「死刑」などは制度上存在しない(例外的に、「革命」が起きればそれに相当しよう)。

売り物が無くなったマスコミが安倍政権に背を向けだした。政権へのマスコミの風向きは月刊『文藝春秋』の特集を注視していると解かりやすい。安倍政権批判が全面解禁されたのは今回も6月9日発売の『文藝春秋』7月号「驕れる安倍一強への反旗」が掲載されて以降だ。右派も含め安倍政権叩きが本格化している。

長きにわたった不幸極まりない安倍政権末期にあり、強行された死刑について我々はわすれてはならない。特定秘密保護法・共謀罪のすぐ向こうには「死刑」がある。他人事ではない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

《殺人現場探訪06》 未解決の習志野女性殺害事件 献花から窺える遺族の思い

全国に未解決の殺人事件はあまたある。その中でも4年前に千葉県習志野市で起きた女性殺害事件は、特異な経過をたどった事件として印象深い。

現場は、習志野市茜浜1丁目の遊歩道脇の緑地帯。女性が仰向け状態で倒れ、死んでいるのを清掃員が発見したのは2013年6月24日の朝だった。千葉県警の調べにより、ほどなく女性は派遣社員の廣畑かをりさん(当時47)と判明。解剖の結果、死因は首を圧迫されたことによる窒息死の可能性が高いと判定され、財布から金を抜き取られているのもわかった。こうした状況から千葉県警は行きずりの強盗殺人の可能性を疑い、捜査を展開したと伝えられている。

そんな事件は多数の捜査員が動員されながら、4年経った今も未解決。だが、この間には一度、被疑者が検挙されたことがある。

現場近くには多くの人が暮らす団地もあるが、有力な目撃情報はない

◆一度は被疑者が検挙されたが……

千葉県警が廣畑さん殺害の容疑で中国籍の男を逮捕――。事件発生から3年近く経った2016年3月初め、マスコミ各社は一斉にそう報じた。報道によると、被疑者の男は、別の窃盗事件の容疑で有罪判決をうけ、関東地方の刑務所に服役。現場に残されていた遺留物の鑑定の結果、男が事件に絡んでいる疑いが浮上したとのことだった。

そんな報道が出れば、事件は解決に向かったと誰が思う。しかし捜査の結果、千葉地検は「起訴に足る証拠が集まらなかった」と男を釈放し、不起訴に。男は中国に帰国し、事件は再び未解決の状態となり、今に至るわけである。

殺人の容疑で逮捕された被疑者が嫌疑不十分で不起訴になること自体が珍しいが、これほどの重大事件ともなると、警察は普通、検察に相談したうえで逮捕に踏み切るものである。そういう意味でもこの中国籍の男が不起訴となったのは特異なことだった。

現場の遊歩道。夜は暗く、死角になる場所も多い

◆暗く、死角になる場所も多い夜の遊歩道

派遣社員だった廣畑さんは事件当時、現場近くの食品加工会社で働いており、遺体で発見される前日も夜10時から出勤予定だったが、無断欠勤していた。そのため、廣畑さんは夜9時台に出勤していたところを犯人に襲われたとみられている。そこで私もちょうどそのくらいの時間に現場の遊歩道を歩いてみた。

すると、現場は暗いだけならまだしも、生け垣や公園など死角になる場所も多かった。この道を夜9時台に歩いていたとされる廣畑さんが突如、隠れていた犯人に襲われた場面が鮮明に想像できた。遺体が見つかった緑地帯には、花と水が供えられていたが、まだ花は新しく、遺族がこまめに訪れていることが窺えた。遺族は広畑さんの冥福を祈ると共に犯人が検挙されることも切実に願っていることだろう。

一方、千葉県警のホームページでは、様々な未解決事件に関する情報提供が求められているが(http://www.police.pref.chiba.jp/so1ka/safe-life_coop-vicious.html)、中国籍の男が逮捕されて以来、この事件に関しては情報提供が求められなくなっている。

おそらく千葉県警としては、自分たちが逮捕した中国籍の男こそが不起訴になろうとも犯人で間違いないという思いから、この事件の捜査は打ち切っているのだろう。これでは犯人が検挙される可能性はきわめて乏しいと言わざるをえず、廣畑さんや遺族が気の毒でならない。

遺体が見つかった緑地帯に手向けられた花。遺族がこまめに訪れていることが窺える

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《鳥取不審死・闇の奥05》 上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」

2人の男性を殺害するなどしたとして一、二審共に死刑とされながら、無実を訴え続ける鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。その上告審を担当している最高裁第一小法廷はこのほど、6月27日午後3時から判決公判を開くと決めた。

私は当欄でお伝えしてきた通り、上田被告に対する一、二審判決の有罪認定は妥当だと思っている。そして去る6月29日、最高裁第一小法廷で開かれた上告審弁論を傍聴した結果、もはや何かの間違いで一、二審判決が覆る可能性も皆無になったと思った。上田被告の無罪を主張する弁護人の弁論がかえって上田被告の「クロ」を動かしがたく証明していたからである。

◆あっというまに終わった上告審弁論

6月29日の午前10時30分から最高裁第一小法廷で始まった上田被告の上告審弁論。傍聴券の抽選こそ行われなかったが、最終的に48の傍聴席は満席となり、この事件に関心を持つ人が世間にはまだそれなりに存在することが窺えた。

だが、いざ開廷すると、上田被告の無罪を主張する弁護人の弁論は約20分、上田被告を有罪・死刑とした控訴審までの判断は妥当だとする検察官の弁論は10分もかからず、公判はあっというまに終わった。そんな最終審理で何より印象深かったのは、弁護人の無罪主張の内容があまりに苦しく、かえって一、二審判決の有罪認定にスキがないことを際立たせていたことだ。

6月29日に上田被告の上告審弁論が開かれた最高裁

◆睡眠薬の薬効が出たことは証明されていないと言うが……

一、二審判決によると、上田被告は2009年4月、借金270万円の返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろうとさせたうえ、海に誘導して溺死させた。さらに同10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で殺害したとされる。

弁護人がそんな一、二審判決を覆すため、上告審弁論で示した「無罪の根拠」は2点ある。

1点目は、「2人の被害者に睡眠薬の薬効作用が発現していたことが証明されていない」ということだ。弁護人は、2人の遺体の血液中における睡眠薬成分の濃度などが調べられていないことを根拠にそのような主張をしたのである。

しかし、事実関係を知る者からすると、この弁護人の主張はかなり無理がある。捜査段階に行われた鑑定によると、矢部さんも圓山さんも血液や胃内容物などから睡眠薬や抗精神薬の様々な成分が検出されているし、2人が海や川で溺死した事情が自殺や事故であることは現場や遺体の状況から考え難かった。客観的事実は2人が何者かに睡眠薬を飲まされ、意識もうろう状態で海や川に誘導されて溺死したことを動かしたく裏づけていたのである。

しかも、2人の遺体から検出された睡眠薬や抗精神薬の成分の組み合わせは、上田被告の知人男性が鳥取市内の病院で処方され、上田被告の手に渡ったとされる睡眠薬や抗精神薬の成分の組み合わせと一致していた。この睡眠薬や抗精神薬を上田被告の知人男性に処方した主治医は「私がこれまで1000人以上診察した患者の中には、同じ組み合わせで睡眠薬や抗精神薬を処方した患者はいなかった」と証言している。

2人の被害者が睡眠薬を飲まされて殺害されたことや、飲まされた睡眠薬と上田被告が結びつくことがこれほど確かな根拠をもとに認定されているのである。弁護人の主張するような根拠で、睡眠薬を使った殺害行為を否定するのは無理だと言わざるをえない。

◆「再現実験」もしていたが……

弁護人が上告審弁論で示した無罪の根拠の2点目は、「一、二審判決が認定したような犯行は架空の物語で、上田被告には不可能」ということだ。矢部さんが海の中に誘導されたとされる砂浜、圓山さんが川の中に誘導されたとされる橋の下はいずれも足場が悪かったり、段差があったりするため、上田被告が意識もうろう状態の被害者を誘導し、そのような犯行に及ぶのが「不可能」だというのだ。

しかし、私は両方の現場を実際に訪ねてみたが、いずれの現場も一、二審判決が認定したような犯行が不可能だとはまったく思えなかった。弁護人たちは圓山さんが殺害されたとされる川では再現実験もしており、「男性の我々でもそういうことはできなかったのに、女性の上田さんにそういうことは不可能」とも主張していたが、この主張にいたっては逆に上田被告を有罪に追い込んでいるように思えた。

というのも、当欄でお伝えした通り、上田被告は控訴審の公判において、事件当時に同居していた男性A氏が真犯人であることを明言したに等しい供述をしている。「男性でも犯行が不可能」という弁護人の主張は、この上田被告の控訴審での主張を否定しているに等しい。

圓山さんが殺害された場所は橋の向こう側。道幅は狭いが、歩けないほどではない

◆「弁護人が『クロ』を証明した」という意味

さて、ここまで上告審弁論における弁護人の主張を否定してきたが、実を言うと私は上田被告の2人の弁護人のことをむしろ熱心で、優秀な人たちなのではないかと思っている。

私は主任弁護人とは会って話したことがあるが、東京の弁護士なのに、上田被告が拘禁された松江刑務所までしばしば面会に行っているようなことを言っていた。わざわざ東京から鳥取まで行って、殺害現場の川で実験をしたという話にもよくもまあ、わざわざ・・・と本当に頭が下がる思いだった。2人の弁護人は国選である。金銭的に大赤字だろう。

そんな熱心で、優秀な弁護人たちでもこのような無理筋の無罪主張しかできないのだ。だからこそ、私は弁護人の弁論がかえって上田被告の「クロ」を動かしがたく証明したというのである。

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《殺人現場探訪05》米原汚水タンク殺害事件 冤罪疑わせる「夜は見えない現場」

滋賀県米原市でこの事件が起きたのは8年前に遡る。2009年6月12日の朝、伊吹山のふもとを走る農道脇に設置された2つの汚水タンクの1つから作業員が被害者の女性A子さん(当時28)の遺体を発見。A子さんは2日前から行方不明になっており、家族が警察署に捜索願を出していた。

この事件が当初からセンセーショナルに報道されたのは、まず何よりA子さんの亡くなり方があまりに痛ましかったためである。A子さんの遺体は派遣社員として勤務していた大手メーカーの工場の作業着姿だったが、鈍器のようなもので頭部や顔面を頭蓋骨が陥没するほど乱打されており、両手の防御創を合わせると、30回以上も攻撃を受けていた。そして瀕死の状態で汚水タンクに突き落とされ、し尿を吸引して窒息死していたという。

加えて、容疑者として検挙された男性B氏(当時40)は、A子さんが勤める大手メーカーの正社員だったが、妻子がある身でありながら独身のA子さんと不倫関係にあった。そのために報道はいっそう過熱し、A子さんが事件前、B氏のDVを友人に訴えていたという疑惑も報じられるなどして事件は社会の耳目を集めたのだった。

B氏はその後、2013年2月に最高裁で上告を棄却され、懲役17年の判決が確定している。B氏は裁判で無実を訴えていたのだが、その訴えを正面から報じたメディアは皆無に近かった。

事件現場となった汚水タンク

◆裁判で浮かび上がっていた有罪を否定する事情

実を言うと、私はこの事件を取材し、B氏のことを冤罪だと確信している。B氏がA子さんを殺害した犯人であることを否定する様々な事情があるからだ。

まず、B氏の車の血痕の付着状況だ。B氏はA子さんが行方不明になった日、その直前まで自分の車でA子さんと一緒にいたのだが、車の左後輪ブレーキドラムの内側からA子さんの微量の血痕が検出されたことが有罪の大きな根拠の1つとされている。しかし、A子さんの遺体の状況からすると、犯人は返り血を浴びていることが濃厚であるにも関わらず、B氏の車の運転席やその周辺からは一切の血痕が検出されていなかったのだ。

一方、左後輪ブレーキドラムから検出されたA子さんの微量の血痕について、B氏は「A子さんがタイヤ交換をした際、足を怪我したことがあるので、その時のものではないか」と説明していたのだが、この説明はとくにおかしくない。こうしてみると、B氏の車の運転席やその周辺から血痕が一切検出されていないにも関わらず、左後輪ブレーキドラムの微量の血痕を有罪の根拠にするのは無理がある。

また、A子さんに対するB氏のDV疑惑については、たしかにA子さんは事件前、友人に「殴られ、首を絞められるなどしている」「このまま殺されるかもしれない」などと訴えていたようだ。しかし、裁判で明らかになったところでは、友人たちはA子さんのこのような訴えを深刻には受け止めておらず、A子さん自身も警察に相談するなどの対策を講じていなかった。むしろメールの履歴を見ると、A子さんはB氏に何か不満があれば、積極果敢に伝えており、B氏がA子さんに暴力をふるっていたような兆候は見受けられなかったという。

事件現場の汚水タンクのある場所。昼間は走行中の車からもよく見える

◆一見有力な目撃証言は存在するが……

私は2010年に大津地裁でB氏の裁判員裁判が行われた頃、現場の汚水タンクがある場所を訪ねている。事件当日の夜10時30分頃、この場所をトラックで通過した運転手が「B氏の車と似た車」が汚水タンクのかたわらに停まっていたのを目撃したと証言し、この証言も有罪の根拠の1つとされている。

しかし、このトラック運転手の証言は、夜間に時速60キロくらいで走行中のもので、視認状況が良いとは言えないうえ、車種に関する証言内容の変遷も激しかった。そこで私も実際、この時間にレンタカーで汚水タンクがある場所を走ってみたのだが――。

結論から言うと、視認状況は思ったよりはるかに悪く、汚水タンクやその周辺の状況など何も見えなかった。昼間は目印になる汚水タンク脇の「ポイ捨て あカン!!」の大きな看板も闇の中に沈み、間近に迫るまで一切見えないほどだった。目撃証人の運転手は「B氏の車と似た車」について、「ヘッドライトを切った状態で停まっていた」と証言しているが、ヘッドライトを切っている車など通りすぎる際に到底見えないだろうと思わざるをえなかった。

B氏の裁判では、裁判官や裁判官が実際に汚水タンクがある場所まで足を運び、自分の目で現場の状況を確認するような検証は一切行われていない。そういう検証が行われていれば、私はトラック運転手の証言が有罪の根拠として裁判でまかり通ることはなかったろうと思えてならない。

控訴審段階で弁護側から提出された証拠によると、事件以前からインターネット上にA子さんを誹謗する書き込みが多数あったことも確認されており、B氏とは別の真犯人が存在しても何ら不思議はない。被害者やその遺族のためにも、B氏が犯人だということで片づけていい事件ではないと思う。

夜になると、走行中の車から現場の汚水タンクがある場所はまったく見えない。目撃者によると、実際には車はヘッドライトもつけていなかった

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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