第二次世界大戦後の戦争を象徴した朝鮮戦争は休戦後70年、いまだ継続している。同じく冷戦のさなかに戦われたベトナム戦争は15年、新冷戦のなかで行われたソ連のアフガニスタン侵攻は10年。パレスチナ紛争も、イスラエル建国(1948年)によるシオニストの侵略を発端とするならば、じつに74年間におよぶ。

そしていま、ウクライナ戦争も一時的な紛争にとまらず、長期にわる本格的な戦争となった。ロシアのクリミア併合以降の紛争を数えれば、すでに9年目ということになる。

その長期にわたる災禍の中で、本通信でも指摘してきた反戦運動の理論的な混乱は、いまなお続いている。ロシアも悪いが、アメリカ(NATO)とゼレンスキー政権も悪い、というものだ。どっちもどっちなのだから、ウクライナとその人民を支援する必要もないと。何と冷淡なことだろうか。

かつてベトナム戦争において、日本の反戦運動はアメリカの軍事介入・北爆に反対してきた。南ベトナム民族解放戦線と北ベトナムがたとえ、中国やソ連(当時はスターリン主義と呼ばれた)に支援されていたとしても、帝国主義の植民地主義に反対するべきであると、闘うベトナム革命勢力を支援してきた。

それゆえに、多少の温度差はあれ、75年4月30日の解放勢力の勝利(アメリカの敗退)を、誰もが祝福したのだった。

ところが、そのベトナムがカンボジアに侵攻したとき、これを批判する反戦運動は数少なかった。さらに中国がベトナムを懲罰(国境侵犯)したときも、中国を批判する反戦運動はさらに少なかった。ソ連のアフガニスタン侵攻を批判した反戦運動は、中国派とされる一部の左翼だけだった。

こうしてみると、かつて世界の警察官を自認したアメリカ帝国主義は批判しても、元社会主義国のロシアや中国の覇権主義には、何となく批判の矛先が向きにくいということになるようだ。

とくにわが国においては、アメリカ・NATOの世界支配に反対し、アメリカに追随する日本政府の軍事大国化を批判する、ここに視点が置かれがちなのがわかる。けだし当然である。わが国が米軍の駐留下(沖縄米軍基地)におかれ、日米安保体制においてアメリカの戦争に加担することが、憲法9条をはじめとする反戦平和主義に反するからにほかならない。

だが、アメリカを批判するあまり、プーチンの戦争を免罪する。あるいは習近平の中国帝国主義を批判しない傾向もまた顕著である。これはきわめて危険だと思う。その結果、第二次大戦時のヒトラー政権にも匹敵するプーチン独裁、習近平独裁にも批判が向かない。やがて国論が戦争挑発国家の擁護となるのだ。

旧ソ連派の一部には、アメリカよりも民主主義がなくても、ロシアのほうがましだ。たとい中国や北朝鮮が独裁国であっても、日本はかつて侵略国だったのだから、それを反省して中国や北朝鮮を尊重すべき、などと。結果的に、歴史的事実(侵略)と現状の国家(個人独裁)を混同してしまう傾向も顕著である。

あるいはアメリカ帝国主義を批判するあまり、プーチンの侵略戦争を免罪する。その典型的な例を、このかん私が批判してきた共産同首都圏委員会を例に、できるだけわかりやすく解説しよう。

新左翼内の論争という、いまやニッチなジャンルに興味のある方は、ぜひどうぞ。

◆改ざんの釈明・誤記の訂正拒否を「組織的に決定」した(?)首都圏委

わたしは『情況』誌、および本通信において、共産同首都圏委のウクライナ戦争への見解を批判し、なおかつ「反批判」における論旨改ざん(論文不正)と誤記(出典文献の誤記・版元名間違い)を指摘してきた。

『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください〈後編〉(横山茂彦2022年10月26日)

ところが、ある人を介して聞いたところによると、首都圏委は「横山の批判には反論しない」「論争はしない」と「組織的に決定した」のだという。

『情況』(2022年夏号)でほぼ完全に論破されているのだから、論争に応じたくないのは勝手だが、誤りはきちんと訂正しなければならない。彼らの機関紙の最新号「radical chic」(47号=12月末日発行・1月末配送)には、論旨改ざんの釈明はおろか、引用文の誤記(引用の誤読・誤植・版元名の間違い)についても訂正がないのだ。これはダメだろう。

にわかには信じがたいことだが、もしも組織的に「論旨改ざん、誤記の訂正もしない」と決定したのならば、「radical chic」は、ただちに廃刊されてしかるべきである。

論文不正や誤記を訂正できないのであれば、およそ報道や主張を発信する資格はない。単に倫理的なことを言っているのではない。デマや誤報が読み手をまどわし、思想表現の自由を阻害するからである。歴史的な記録としても、後世の読者を欺くことになるのだ。

ロシアや中国、北朝鮮といった専制独裁国家においては、報道の自由や思想表現の自由はない。フェイクと言論弾圧、そして事実の捏造、誤報の放置である。

その意味で、いかに政権に腐敗や堕落があるとはいえ、日本には民主主義的基礎として報道の自由が健在である。その報道の自由とは、事実の報道・誤報を訂正できる情報発信者の原則、絶え間ない努力に担保され、支えられているのだ。首都圏委の誤記の訂正放棄という行為は、これらを掘り崩すものにほかならない。

この件について、首都圏委が何ら対応できないのであれば、上記の批判と警告をくり返さざるを得ない。ジャーナリストとして、あるいは出版人として、首都圏委の諸君の厳正な反省と善処をもとめたい。

◆政治論文の基本を教えよう

さて、その首都圏委の主張を検証してみよう。

その前にそもそも政治主張になっているのかどうかを、吟味する必要があるだろう。およそ政治論文というものは、「主張」が明確でなければならないからだ。主張が明確であるためには何をしなければならないのか、論文作法の基本に立ち返って解説しておこう。

まずは、論文の初歩から教示する。論文であれば、他の研究者の主張・論脈と自分の主張を明確に区分する必要がある(正確な引用・引用した文責の明確化)。そのうえで、研究論文には独自の「考察」「研究」が求められる。この考察・研究がない論文は、査読段階で引っかかる。論文の要件を満たしていないからだ。

その考察・研究の要件とは、どのようなものか。単に仮説を主張するだけではなく、それを裏打ちする論証がなければならない。この論証のために、他の研究者の研究や見解が引用(援用)されるわけだが、そのさいにも自分の評価や見解を述べる必要がある(先行研究のレビューをふくむ)。独自性が必要なのだ。引用についても独自の研究のない論文、論証を欠いた論文はしたがって、落第点ということになる。

いっぽう政治論文には、研究論文以上に求められる重大な要件がある。まず第一に必要なのは、政治主張が明確であることだ。ここが鮮明であればあるほど、すぐれた訴求力が求められる政治論文の要件となる(例文は後掲)。逆に言えば、いかに情勢分析や情報量にすぐれようと、主張のない政治論文は落第点なのである。

情勢分析において「全面的な政治暴露」をすると同時に、政治主張として「宣伝・煽動」すること。すなわち打倒すべき対象、連帯・支援すべき相手が明確にされなくてはならないのだ。以上が政治論文の要件である。
※「」内の引用はレーニン『何をなすべきか』(全国的政治新聞の計画について)。

そしてその政治主張はかならず、行動(任務)方針に結実されなければならない。具体的なスローガン、行動方針を欠いた政治論文は、ただのお喋りである。評論家の単なる批評ではない、国家と革命に責任を持つ革命党派の政治主張とは、そういうものだ。

それでは「radical chic」(47号)の「幾瀬仁弘論文」を、以上の観点からみていこう。

◆幾瀬論文はウクライナの敗戦と自治領化を主張している

幾瀬論文は資本主義の崩壊の危機が、中心部から周辺へのさらなる搾取と収奪による利潤で延命され、その究極の現われが戦争であるとする。これ自体は誤りではないが、ウクライナ戦争にはまったく当てはまらない。

ウクライナ戦争は19世紀的な帝国主義の顕現であって、プーチンが目指すものは資本主義の延命ではなく、絶対主義帝国(絶対的君主=皇帝による、複数の地域民族の独裁的支配)の復活なのである。したがって論文の基本骨格から、論軸をはずしたものになってしまっていると指摘しておこう。

そして幾瀬は、戦争の基本動因が軍事産業およびエネルギー資源であると云う。それもロシアのではなく、アメリカの目論見であると明言するのだ。残念ながら、その論証は何もない。いや、そもそも論証できるはずがないのだ。

軍需産業のために、バイデンが兵器供与で戦争を継続させていると云うのなら、なぜバイデンは「F16は供与しない」と断言したのか。エイブラムス戦車1輌が対価9億円に対して、F16戦闘機1機は20億円以上である。自衛隊も次期主力としている最新式のF35が125億円、中国の気球を撃墜して名をはせたF22ステルス機は、じつに350億円以上である。軍需産業のためなら、なぜこれらの高額兵器を供与しないのか。この事実を取材したうえで論証してみるといい。

エネルギー戦略がもたらした戦争だと云うのであれば、今回の戦争にセブンシスターズをはじめとする石油メジャーがどのような動きをして、戦争を画策したのか。これにも論証がない。すべての「政治暴露」が、幾瀬という人物の脳内世界の出来事なのである。その脳内世界を支配している陰謀論(ディープステート)については、稿を改めたい。

そして肝心の政治主張なのだが、ほとんどそれらしきものはない。この点でも、幾瀬論文には落第点を付けざるを得ない。

わずかに「われわれに課せられた任務は、日本における若者たちの決起を促し物質化することである」と、組織方針らしきものが書かれているが、具体的ではない。

そもそも首都圏委自身がウクライナ戦争反対に「決起」していないのに、どうやって「若者たちの決起を促し物質化する」というのだろうか。任務方針もまた、幾瀬の脳内世界の産物なのだ。

幾瀬論文の中から「政治主張」らしきものを抽出するとしたら、以下のくだりから主張の一端が得られないこともない。今回の戦争に対する態度である。

「戦争が続く(続けられる)のは、米国をはじめNATO諸国がウクライナに兵器を供与するからだ」(幾瀬論文)というものだ。

つまり米国とNATOが兵器の供与をやめれば、戦争は終わると幾瀬は主張しているのだ。すなわちロシアの侵略がウクライナ全土におよび、ゼレンスキー政権の崩壊によって、ロシアがウクライナを自治領化すること。プーチンの勝利にこそ、戦争終結の展望があるというのだ。

幾瀬論文はつまり、ウクライナに敗戦をもたらすために、アメリカの兵器供与反対を主張しているのだ。その結果、プーチンの移民奴隷化政策や戦争犯罪は不問にすることまで、考えをおよばしていない(無自覚な)のは明白である。

この無自覚な主張においてもなお、最初にわたしが問いかけた「この戦争が(首都圏委の主張する)帝国主義観戦争であれば、ゼレンスキー政権は傀儡政権として打倒対象になるのではないか?」という設問には、答えられないであろう。本当に自分の主張に自信があるのなら、ゼレンスキー政権打倒というスローガンを掲げてみてはどうなのか。

このように首都圏委は、ある種の自家撞着に陥っているにもかかわらず、ウクライナの敗北とロシアへの隷属化にしか、平和の展望はないと云うのだ。

幾瀬は「radical chic」(45号)論文においても「(ゼレンスキーが)ミンスク合意を無視しながら、NATO加盟をちらつかせてロシアを刺激したことがこの戦争の原因であった」とし、ブチャでのロシア軍の虐殺も「その原因をつくり出したのはゼレンスキーである」と主張していた。

この主張を維持するのであれば、幾瀬はプーチンのほぼ完全な代弁者であると指摘しておこう。ちなみに、わが国で幾瀬と同じ主張をしているのは、鈴木宗男や森喜朗ら親ロシア派の政治家だけである。

早川礼二も「radical chic」(46号)の「【補論】グローバル化時代の民族問題と戦争論」(これが改ざんと誤記誤植論文である)において、中井和夫(ウクライナ史)の著書を論拠にしながら、こう述べている。

「民族自決に基づく『国家の急増』が国際社会に与えている負荷・コストの大きさ」に触れ、「民族自決」を「民族自治」にかえていくこと「他(ママ)民族の平和的統合の政治システムとしての連邦制の可能性」を論じている。我々の時代認識が問われている。

と、ウクライナの「民族自決」を否定し、ロシア連邦内「自治領化」の必要を主張しているのだ。

これが首都圏委の政治主張であるのならば、在日ウクライナ大使館に「ウクライナはロシアに降伏せよ」「米帝の支援を断り、ロシアの自治領になれ」とデモをかけてみてはどうか。

もちろん、かれらにはそんなことも出来ないであろう。政治的な実践とはかけ離れた、客観主義的な批評家集団に陥っているからだ。そうなった理由も、つまびらかにしておこう。

◆「次世代共産主義者の輩出」に失敗した共産同首都圏委

「若者たちの決起を促し物質化する」のが任務だとする共産同首都圏委員会は、2000年を前後するころから「次世代共産主義者の輩出」を組織的なスローガンにしてきた。

60年代・70年代を闘ってきた先行世代の党員が高齢化し、組織の維持に危機感をもった、何となく情けないスローガンだったと記憶する。

ここ10年ほどで、相次いで指導的な党員が逝去したことから、しかしこのショボい組織拡大のスローガンは現実的だったと振り返ることができる。サロン的にではあれ、組織を維持してきたことには敬意を表したい。

しかしながら、70・80年代の苛烈な闘争(狭山・三里塚・沖縄・学園をめぐる党派闘争)を経験した世代の厳しさが失われ、穏和的な環境の中で継承された「次世代共産主義者の輩出」は、ほとんど失敗したと考えざるを得ない。

このかんの首都圏委との「論争」でわかったのは、まがりなりにも革命党派の構成員であれば必要な初歩的な知識、マルクス・レーニンの基本文献、国際共産主義運動の総括といった、70・80年代の学生活動家なら常識の範疇だった理論的な基礎がない、ということだった。

幾瀬仁弘がコミューン原則(常備軍に代わる全人民武装)を理解していないとか、早川礼二がひたすら「戦争国家」を批判することで、戦争と革命における政治論文の論軸、すなわち打倒対象と連帯の相手を定められないなど、彼らがまともな政治論文を書けなかったのも、それなりの理由がある。これが私の感想だ。

現代思想の脈絡でガタリやドゥルーズ、ネグリやジジェクをいかに語ろうとも、そこにマルクス哲学の基礎やレーニンの実践を媒介にした理論的な地平、社会運動の歴史的知識を検証させる体験がなければ、死んだ学習にすぎないのだ。

とりわけ理論が実践において検証されることもなくなった時代に、狭山闘争や三里塚といった党の立脚点だった大衆運動から召還し、現実に対して客観主義的な批評家集団にしてしまった、前世代の責任は大きいと指摘しておこう。

◆簡潔で方針が鮮明な、政治論文の好例がこれだ!

このままではあまりにも悲しいので、市民運動に埋没し「あらゆる戦争国家に反対する」(早川礼二論文)などと、小ブル的な反戦運動のスローガンに収束する首都圏委が思いもよらない、プロレタリア階級と共産主義者の戦争に対する原則的な態度を引用しておきたい。

以下は、同じ共産同(ブント)系の党派で簡潔にまとめられた、ウクライナ戦争に関する政治論文の引用である。まっとうな政治論文である証左として、具体的な行動方針が盛り込まれているのに注目されたい。

【ロシアのウクライナ侵略において、左派は被侵略民衆と政府の抗戦を徹底支援すべきである】

埴生満 ※共産主義者同盟(火花)『火花』461 号(2023年2月)所収

「今般のプーチン=ロシアのウクライナ侵略と労働者・民衆虐殺は人権、民主主義および階級闘争の観点から一切許せる余地はなく、怒りとともにこれを弾劾する。我々共産主義者はプーチン=ロシアの侵略と虐殺に反対し、米国・NATO 諸国を含む世界各国の民衆と政府にウクライナ民衆・政府への全力での支援を求め、また自身でも実践する必要があり、それに向けた行動を呼びかける。この際、西側帝国主義国政府の過去の愚行・蛮行を理由にしてそのウクライナ支援を阻害しようとすべきではない。
(中略)
全世界の共産主義者に対し、各自の活動条件に合わせて以下のような種々の行動に参加し、あるいは自らそのような行動を組織して、周囲の労働者・民衆に働きかけそれを拡大していくことを呼びかける。

■自国政府に対し、ウクライナの労働者・民衆およびそれを代表する民主主義的政府への全面的(人道的か軍事的かを問わない)かつ最大限の支援を要求する。その一部として、ウクライナとロシアからの難民・亡命者を最大限受け入れることを求める。

■ウクライナ現地での活動、自国社会での募金・街頭行動、インターネット上の活動などあらゆる手段で、ウクライナの労働者・民衆、あるいはそれを代表する政府への直接的支援を行い、現地と国際社会におけるその力と立場の強化を図る。

■ユニセフなど国連の人道機関、「国境なき医師団」などを含む国際NGOのウクライナや周辺諸国での活動を支援する。

■インターネット上かリアルの現場かを問わず、プーチン政権およびその出先諸機関や追随者によるディスインフォメーション(虚偽情報)を含めたプロパガンダの欺瞞を徹底的に暴露し、それらを無効化していく。

■左派内部を含め存在している「プーチンの侵略は悪いが NATO・ウクライナも悪い」といった、事実経過を無視した日和見主義的な「どっちもどっち」論を批判し克服していく(以下略)。※(引用文責・横山)

いずれ「台湾有事」「米日帝の中国侵略反革命戦争」にさいして、米帝の戦争には反対だが、台湾人民の反帝(反中国)独立闘争に、いかなる態度を取るのか、が問われる。その意味で、ウクライナ戦争は左派の理論闘争が不可欠なのだ。

※なお、ウクライナ戦争論争については2月20日発売の『情況』(第6期創刊号)において、渋谷要の寄稿ほかで扱っているので参照されたい。

プーチンの戦争を止めよう! ウクライナに連帯を! 2.23新宿デモ 2023年2月23日(木)13時半~ 新宿駅東口アルタ前広場 (呼びかけ団体=ウクライナ連帯ネットワーク)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2023年3月号

ちょっと驚いた向きもあるのではないだろうか。成田(三里塚・芝山)空港用地の強制収用である。

成田市天神峰で、機動隊による闘争拠点破壊(強制収用)が行なわれた。支援活動家3人が逮捕され、市東孝雄さんの畑に設置されていた櫓(やぐら)が撤去されたのである。


◎[参考動画]成田空港反対派の農家の建物撤去などを地裁が強制執行(朝日新聞デジタル)

反対運動にかかる設置物への強制収用は6年ぶりだが、反対同盟農民の田畑にかかる土地収用は、大木(小泉)よねさん宅(71年9月)いらい、じつに52年ぶりになる。今回は看板と櫓の撤去だったが、いずれは畑そのもの、市東さんの自宅が強制収用の対象となる可能性が高い。

土地そのものが借地であるとはいえ、営農している農家の土地を奪う、日本の農政(食糧自給の促進)と逆行する土地収奪は、天に唾して土地を殺すにひとしいものだ。裁判における成田空港会社の主張は、農地法を論拠にしているが、農地法自体が農民の土地保護を目的とした立法趣旨であることから、空港会社側の不法行為が指摘されている。

市東孝雄さんの家と畑が、B滑走路の誘導路の真ん中にある。(※画像は前進社ホームページから)

三里塚空港(成田空港)は高度成長期に計画され、1978年5月に滑走路一本で「開港」した。その後、90年代に政府と反対派の「話し合い」が行なわれ、強制的な土地収用や強硬手段は採らない、と円卓会議で「和解」した経緯がある。

その意味では、法的にも道義的にも成田空港は違約したというべきであろう。そもそも土地明け渡しの訴訟(裁判による強制手段)を訴えたこと自体、約束違反ということになる。

和解に至るまえに、大地共有化運動(反対同盟農民の土地を、支援者で分割名義にして共有する)をめぐって、三里塚芝山連合空港反対同盟は分裂している(83年3月)。この事情は当時、革マル派との党派戦争を行なっていた中核派が、大地共有化運動に参加できない(住所を公開することになる)ことで、猛烈に反対した経緯がある。

この分裂をめぐって、中核派が第4インターの活動家を襲撃する(のちに足の切断を余儀なくされた人もいる)ことで、反対運動に大きな禍根を残した。

中核派から分裂した関西派(革共同再建協議会)は、この件を自己批判している。

しかるに、分裂した反対同盟熱田派(現柳川代表派)が結んだ「空港建設に強制的な手段は用いない」という和解協議を論拠に、強制収用の違法性を批判することになったのだ。

現在、移転に応じた近隣農家(元反対同盟)もふくめて、空港の騒音訴訟という条件闘争、用地内の反対同盟(旧北原派)、木の根ペンション(プール)、三里塚物産など、様々な立場から反対運動が継続されている。その意味では、日本住民運動の管制高地といわれた三里塚闘争は、まだ北総台地で生きているのだ。

◎[参考記事]反対同盟(旧北原派)の旗開き(中核派のホームページから)
 市東さん畑で盛大に旗開き(2023年1月16日付け週刊『前進』

◎[参考記事]三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)の旗開き(第4インターのホームページから)
2023年三里塚反対同盟旗開き&東峰現地行動(2023年1月18日付け週刊かけはし)

三里塚はもともと、日本のバルビゾンと呼ばれたほど風光明媚な土地で、その耕土は黒いビロードのようだと言われる。かつての反対運動を追体験したい若者たちが援農を体験したり、夏のプール(元は水利用の風車の水源地=わたしも学生時代に掘り方として参加した)、秋の収穫にいまも集まる。可動力の7割ほどの需要しかない空港を縮小・廃港にして、農業復興・自然観光の土地に造り変える。そんな展望をもった運動の継続に期待したい。

◎[参考情報]木の根ペンションFacebook 

◎[過去記事リンク]三里塚 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=63

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。3月横堀要塞戦元被告。

月刊『紙の爆弾』2023年3月号

ロシアの侵攻・ウクライナ戦争の危機を、この通信で報じたのは、昨年(2022年)の2月23日のことだった。あれからあと10日で1年になる。経緯を振り返りながら、戦争の今後を展望しよう。

◆プーチンの戦争は近代以前のスタイル ── 力押しに兵力を前線に送り込み、兵士たちを消耗品のように使い尽くす

※[参照記事]「風雲急を告げる、ウクライナ戦争の本質 ── 戦争をもとめる国家・産業システム」(2022年2月23日付けデジタル鹿砦社通信)

当初われわれは、アメリカの軍産複合体による戦争の必要、ロシアの覇権主義による帝国主義的併呑として、この戦争の本質をみてきた。多数の人種が混住する東ヨーロッパに特有の、したがってボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のような内戦状態になるであろうと。そしてアメリカの介入で長期化は避けられないと。

この見方はしかし、プーチンという独裁者を分析するにつれて、誤りであると結論せざるを得なかった。

それというのも、ウラジーミル・プーチンがかつてのアドルフ・ヒトラーとほぼ同じ、好戦的な独裁者であり謀略家であること。さらにはヨシフ・スターリン以来の民族併合主義であり、強権的な独裁者であることが明白になったからだ。

いや、ヒトラーやスターリンに擬するのはふさわしくないかもしれない。プーチンの戦争は力押しに兵力を前線に送り込む、兵士たちを消耗品のように使い尽くす、近代以前のスタイルである。

あにはからんや、開戦後のプーチンはピョートル大帝やエカチェリーナⅡ世を理想とするものだった(プーチン談話)。かれは21世紀に18世紀の戦争を持ち込んでいるのだ。そして、その心性も明らかになっている。

※[参照記事]「核兵器使用を明言した妄執の独裁者、ウラジーミル・プーチンとは何者なのか? ── 個人が世界史を変える可能性」(2022年2月26日付けデジタル鹿砦社通信)

◆スターリンを彷彿とさせるプーチンの強権

ヒトラーがウィーン時代に感じたユダヤ人への敵意と同じように、プーチンは東ドイツ時代(シュタージの一員として暗躍)に壁の崩壊を体験し、大衆の反乱に恐怖を抱くようになった。それゆえに言論統制と対立政党の非合法化をもって、ロシア連邦の復活を強権的に行なった。その姿は鉄の人スターリンを彷彿とさせる。事実、ロシアではスターリン像の再建が進んでいる。

※[参照記事]「第三次世界大戦の危機 プーチンは大丈夫か?」(2022年3月14日付けデジタル鹿砦社通信)

そしてこの戦争が、アメリカとロシアの中東派兵などとは違い、国境接した国同士の本格的な領土侵略として顕現した以上、そして片方の国が核大国であることから、第三次世界大戦の勃発につながりかねないと指摘してきた。第三次世界大戦の勃発とはすなわち、核熱戦争の招来にほかならず、人類の滅亡をもふくむ災禍であると。

しかし、その後の展開は核戦争の脅しと恐怖はありつつも、やはり核兵器は使えない兵器であることが明らかになりつつある。専門家のあいだで想定されていた戦術核もウクライナ国内(ロシア占領地)に配備されることはなかった。おそらく本格的な核熱戦争を怖れているのは、当のプーチンであるのだろう。

したがって、南部・東部地域においても通常兵器での応酬がもっぱらとなったのである。

※[参照記事]「ウクライナ戦争 ── 戦況総括と今後の展望」(2022年5月23日付けデジタル鹿砦社通信)

◆ウクライナ戦争は数年単位の長期化が必至

ところで、それ以前にロシアの戦争計画の杜撰さも明らかになっていた。当初、ロシア軍は南部(クリミア半島方面)・東部ドンバス地域、北部からウクライナの首都キーウを、3方面から急襲する作戦だった。このうち、北部から一気呵成に首都を陥れ、西側観測筋にもあったゼレンスキー政権の亡命を促す作戦だった。

その作戦は北部からの機甲部隊の圧力、および空挺部隊で空港を支配下に置くことで、首都キーウを包囲するというものだった。

しかし空挺部隊の空港制圧は、事前にウクライナ軍に読まれていた。ウクライナ軍の待ち伏せにより、ロシア軍空挺部隊は孤立、初期の段階で壊滅した。いっぽう、戦車を先頭にした機械化部隊も、ウクライナ軍がキーウ北部の河川堤防を決壊させることで、泥濘の中に動きを止められた。

そして地対地ミサイル、ジャベリンによって、動けなくなった戦車が砲塔上部を破壊される事態が多発した。ために、ロシア軍の戦車は砲塔の上に鉄製のバリケードをくっつけて走るという、珍無類の戦闘風景が現出したのである。


◎[参考動画]ウクライナジャベリン対戦車ミサイルが5両のロシア戦車を破壊-ARMA3

戦車であれ戦闘艦であれ、兵器の弱点は武器庫である。ロシア戦車は砲塔に弾薬庫が併設されているために、真上からミサイルを受けたさいに自爆する。ウクライナの戦争報道で、砲塔が吹っ飛んだ戦車が赤茶けるまで焼けているのは、弾薬の爆発→軽油(ディーゼル燃料)の炎上の結果、剥き出しになった鉄甲が赤く錆びるという現象なのだ。

速戦圧勝という、ロシア軍が想定した作戦は頓挫した。北部から東部へと部隊を移動せざるをえなくなり、そのかんにロシア軍の大部分が部隊としては崩壊してしまったのである。プーチンの予備役招集、新たな徴兵はその証左にほかならない。

そしていま、ドイツ製レオパルド1・2の供与など、NATOのウクライナ支援が継続、拡大している。ポーランドが100輌供与するレオパルド1については、ロシア製のT72など前世代戦車に属するが、赤外線暗視装置や渡河可能なシュノーケルなど、50年前は最新鋭とされたものだ。

レオパルド2は普及型としては最新鋭だが、現代戦車の優劣はソースコードによるとされている。ようするに、クルマでいえばマニュアル式のギアミッションとオートマの違い、ナビゲーションシステムの有無、後方確認システムなど、最新の電子システムを備えているかどうかの違いである。

そのレオパルド2、アメリカ製のM1A2エイブラムス、イギリス製のチャレンジャーなど最新戦車が投入されたならば、戦局は長期化する。かくして、ウクライナ戦争は数年単位の長期化が必至となったのである。


◎[参考動画]これが、どの国もレオパルト2戦車と戦うことを望まない理由です。

※[参照記事]「戦争の長期化は必至 ── 犯罪人プーチンとロシア軍が裁かれる日」(2022年6月18日付けデジタル鹿砦社通信)

◆21世紀を生きる我々に何ができるのか

プーチンの戦争に反対し、ウクライナの人々を支援する以上に、21世紀を生きる我々に何ができるのか。ウクライナ大使館を通じた支援、ユニセフやアムネスティを通じた支援もさることながら、国際法違反を声高に発信するのが、じつは歴史的には有効である。ロシアに対して、虐殺や国際法違反を警告するのである。

この点はSNSを通じて、あるいは国際的に影響力のある報道機関をつうじて、研究者や識者の提言を送ることで、プーチン政権の動揺を誘うことが可能であろう。それはわれわれにも出来る活動だ。

街頭行動も準備されているので、紹介しておこう。1周年の2月23日には、ロシア大使館行動もあるようだ。

プーチンの戦争を止めよう! ウクライナに連帯を! 2.23新宿デモ 2023年2月23日(木)13時半~ 新宿駅東口アルタ前広場 (呼びかけ団体=ウクライナ連帯ネットワーク)

さて、今回の戦争は反戦平和を訴える左翼陣営において、思いがけない混乱が生じた。ロシアもウクライナも、どっちもどっちだ。アメリカ(NATO)とロシアの帝国主義間戦争論、ウクライナは降伏するべきだ、などなど。これについては私が批判した共産同首都圏委の沈黙、論争回避の決定など思わぬ事態に発展しているので、後編としてお伝えしたい。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2023年3月号

新年、明けましておめでとうございます。厳しい政治経済状況のなか、皆様の一年が良い年でありますよう、心から祈念いたします。

 

好評発売中! 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

さて、われわれの社会は批判的な視点、批判の武器こそが発展の糧であります。その意味では活字を媒介にした雑誌メディアは、創造的な社会・文化の原動力とも言うべき役割を果たすものと思料します。

一般論で言っているわけではありません。政治批判・社会批判の切っ先を鈍らせ、あらかじめ企業批判の制約をかけるシステムが、メディアの中にも存在するからです。そう、その元凶は電通をはじめとする広告代理店、イベント代理店の存在にほかなりません。広告スポンサーの威力をもってジャーナリズムの機先を制す。この悪習はいまだ、わが国の前途を覆っているといえましょう。

『紙の爆弾』2月号は、まさにこの悪習が東京五輪という公共性を持ったイベントを食いものにしてきたこと、その中枢で電通が果たした悪行を暴露する記事が巻頭を飾りました。以下、読みどころを掻い摘んでご紹介しましょう。

『紙爆』2月号では、本間龍と片岡亮の論考「電通のための五輪がもたらした惨状」「東京五輪グッズ 新たな汚職疑惑」が、電通の犯罪的な立ち回りをあますところなく暴露している。あらためて、広告収入に頼らない本誌ならではの記事と称賛を贈りたい。

まず、電通が単体で世界最大の企業、グループで第6位に入るコングロマリットであることに、あらためて驚かされる。同じく男性衣料のトップメーカーである青木、出版界における最大手KADOKAWAと結びつくことで、電通の東京五輪は巨大疑獄へと発展したのだ。

広告代理店のシステムは、そもそも業界内提携にある。ビッグイベントに対しては、スポンサー契約という枠組みで利権の配分を「オフィシャルサポーター」としてグッズの販売、関連商品の販売特権をスポンサーに付与する。今回の場合は高橋治之被告が元電通役員であり、五輪組織委員会理事という立場を利用した贈収賄・官製談合だったところに、構造的な利権が露呈した。

かつて、電通のキャッチフレーズに「電通には人いがいに何もありません」というものがあった。そう、広告代理店業界は人脈と業界内の提携があるのみで、あとは芸術家づらをしたデザイナーと制作会社があるだけなのだ。小さな代理店に友人が居たら、その事務所に行ってみるといい。壁に代理店の電話・ファックスの一覧表が貼ってあるはずだ。

もちろんデータ通信、Eメールでも業務は行なっているが、主要なやり取りは電話とファックスである。なぜならば、広告クライアントの代理店同士のやり取り(年間広告費管理)は、すべて人対人の交渉力で決まるからだ。ほとんどすべての代理店が、電通と博報堂、東急エージェンシーなどの大手代理店に系列化されている。

その意味で、電通に「人いがいに何もありません」は実態を照らしているが、その人脈が国家レベルの巨大イベントに係る、人と人の関係、すなわち贈収賄であれば看過できない。本間は電通談合ルート構造がオリンピックの発注金額の膨張につながったこと、それを看過してきた大手メディアの責任を問いただす。大手メディアがスポンサー(電通)に慮るのであれば、司直の厳しい追及をうながすためにも、われわれのような在野メディアが奮闘するしかない。

片岡亮の「東京五輪グッズ疑惑」も、その背後に電通という「本丸」があることを指摘するが、取材は公式グッズの販売現場からだった。片岡はクアラルンプールの日系ショッピングモールで、一枚のTシャツを発見する。そのTシャツには、東京五輪のエンブレムとタグが付いていたが、胸のエンブレムは別のデザインで塗りつぶされていた。別デザインで塗りつぶしたのは東京五輪が終わったからだが、片岡が取材したところ、そこにはマネーロンダリングと旧エンブレム(デザインのパクリ疑惑で取りやめ)という、いかにも利権がらみの背景が判明したのだ。マネーロンダリングは日本から輸出することで、名目的な売り上げが五輪関係者に計上される、いわば伝票上の予算消化である。旧エンブレムの塗りつぶしは、あらためてデザイン選考が出来レースだったことを露呈させた。

これら五輪スポンサードに係る利権、グッズ販売における不透明な構造は、膨大なものになった建設予算とその後の管理費をふくめた収支決算として、情報公開が求められるところだが、大手メディアには期待できない。内部告発をふくめた、電通城の攻略こそジャーナリズムの使命ではないか。

◆左派の新党を待望したい

ほかに、統一教会被害の救済新法をめぐる各政党の思惑、公明党と立憲民主党の内幕が明らかにされています。「創価学会・公明党 救済新法骨抜きの重いツケ」(大山友樹)「ザル法に賛成した立憲民主党の党内事情」(横田一)。創価学会・公明党の場合は自公路線による支持者の減少、立憲民主党の場合は維新との共闘による独自性(および野党共闘)の喪失ということになるが、れいわ新選組を除いて野党共闘に展望があるとも思えない。共産党や社民党など、賞味期限の切れた党に代わる、たとえば参政党のような求心力のある左派の登場が待たれる、と指摘しておこう。

◆レールガンは脅威か、平和の使者か

小さな記事だが、マッド・アマノが注目する「レールガン(電磁砲)」が気になる。究極の防衛システムは、電磁波を発生させることで、誘導ミサイルや戦闘機など、電気で動く兵器を無力化するものだ。通常は核爆発による電磁波の発生で、電子系の兵器は無力化されると考えられている。そんな武器が手軽に、3Dプリンターで製作できるというのだ。ミサイル制御の精密電子装置の有効性は、ウクライナ戦争でいかんなく証明された。そして超高速兵器の脅威やドローン(パソコン誘導)の有効性も明らかになっている。最前線が電子機器である以上、それらを無力化する兵器が待望される。願わくば、すべての武器を無力化する「レールガン」の登場を。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

◆戦後77年 ── 過剰な変革と拡散(多様化)の時代を経て

今年は戦後77年でした。編集部の求めもあり、戦後史をふり返る記事を書いていました。やはり「激流の時代」と呼ばれた「昭和」の社会の激変がすさまじく、文化の変容も激しいものだったと、あらためて回想されます。

このあたりを強調しすぎると、戦後世代特有の大げさな言説。あるいは老人の回顧と批判されそうですが、現在の停滞を生み出した過剰な変革と拡散(多様化)は、40年代後半から80年代にかたちづくられたことを再確認しておく必要があると思うのです。

そしてそれは、歴史考察がつねに底辺に哲学として持っているべき、今現在が最高の状態ではなく、過去により良いものを発見するものとして考えられるべきでしょう。

そのキーワードは戦後革命であり、世界的な68年革命、80年代のポストモダニズムです。このうちポストモダニズムは建築と現代思想の中で行なわれた、いわばコップの中の嵐のように思われがちですが、89年からの東欧・ソ連社会主義の崩壊、および80年からの中国の資本主義経済導入という歴史的な流れを、生産力批判として具現化するのです。

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代」(2022年8月16日)

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈2〉1960~1970年代 価値観の転換」(2022年8月23日)

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈3〉1980年代 ポストモダンと新自由主義」(2022年8月30日)

◆資本主義の限界と再分配構造の転換

その後、バブル経済の崩壊が資本主義の限界を露呈させました。とくに日本においては労働編成の再編、すなわち終身雇用制の崩壊によって、非正規という労働市場の自由化が行なわれます。つまり労働者のパート・アルバイト化によって、低賃金労働が常態化するのです。

資本と労働組合に表象されてきた階級社会が消滅し、高所得者層と非正規の低所得層への階層分岐が顕在化していきます。この構造はデフレスパイラルの中で、資本蓄積の内部留保によって固定化され、勤労者の可処分所得の減少によって、ますます経済を失速させるという事態を生みました。時の総理大臣が、資本家階級に対して「賃上げをお願いする」という、伝統的な階級社会では考えられない事態をも生み出したのです。

この階層分化の社会構造は、現代的な構造改革である経済民主主義、政府の側も再分配構造への転換を期待せざるを得ない「新しい資本主義」つまり、社会主義的な分配へと踏み出さざるを得ないところまで来ていると言えます。

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈4〉 ── 1990年代 失われた世代」(2022年9月17日)

◆自公政権そのものが、政教一致の政体である

安倍晋三元総理銃撃事件は、日本社会に二つの命題を突き付けたと言えましょう。その一つは、政治と宗教の問題である。自民党の選挙における強さ、とりわけ選挙に強いがゆえに独裁的に党内を支配してきた安倍政権が、じつは統一教会信者の力に支えられていたこと。そして自公政権そのものが、政教一致の政体であることを、あらためて認識させたことです。

国民の15%弱とされる自民党の政治基盤は、国民の10%とされる公明党(創価学会)の得票力に支えられ、なおかつ数万人とはいえ抜群の献身力で選挙を戦う、統一教会に支えられていた。すなわち、憲法に明記された信仰の自由・政教分離の原則を、そもそも逸脱していることを意味するのです。

政治の場においても、論壇においてもタブー視されてきた政治と宗教の闇に、厳しいメスが入れられる時代が来たのだといえましょう。

それは同時に、人間にとって宗教とは何なのか、政治とは何なのかを問い直すことになるでしょう。デジタル鹿砦社通信はこれからも、タブーなき論壇ステージの一端を担うことをお約束したいと思います。

「政教分離とはどのような意味なのか? ── 安倍晋三襲撃事件にみる国家と宗教」(2022年8月5日)

「《書評》『紙の爆弾』11月号 圧巻の中村敦夫インタビューと特集記事 「原罪」をデッチ上げ、「先祖解怨」という脅迫的物語を使う統一教会の実態」(2022年10月8日)

「《書評》『紙の爆弾』2023年1月号 旧統一教会特集および危険特集」(2022年12月14日)

国防費がGDPの2%越え、金利政策の変更と物価高で国民生活はいっそう厳しい時代を迎えそうです。またいっぽうで原発の稼働延長が画策されています。来る2023年の厳しい世相を睨みつつ、闊達な批判と批評で読者の期待に応える所存です。よいお年を。

横山茂彦「2022年回顧」
【政治編】戦争と暗殺の時代
【経済・社会編】戦後77年と資本主義の限界

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

毎年恒例の1年の総集編ですが、わたし自身があまり記事を書かなかったこともあって、扱ったテーマが絞られます。というよりも、政局の動きや経済の分析をドラスティックに覆す事件によって、焦点がおのずと絞られてしまったと言えるのではないでしょうか。事件があまりにも強烈すぎました。

ロシアのウクライナ侵攻、および安倍晋三元総理銃殺事件です。

◆18世紀型の戦争に驚嘆する

すでに昨年末から、オリンピック明けにロシアがウクライナに侵攻する観測はあった。マイダン革命からクリミア併合、ドンバス紛争と8年にわたって繰り広げられてきた内戦に、ロシアが公然と介入する。かつてのベトナム戦争、アフガン戦争を想起させたものだ。

だが、ふたを開けてみると北部からキーウへ、黒海から南部諸州へ、そして紛争地である東部にも20万をこえるロシア軍が殺到したのだった。もはや地域紛争ではなく、全面的な総力戦といえる。のちに明らかになったことだが、この緒戦の3方面からの侵攻がロシア軍の戦力を分散し、各個撃破される原因となったのだ。驚愕の全面戦争は、ロシアの戦力と国力を越えていた。

当初われわれは、アメリカNATOによるロシア圧迫が、もっぱら産軍複合体の要請による、いわば数年に一度は戦争をしなければならない事情によるものと考えた。このアメリカによる戦争論は、現在も謀略論として流布されている。

「風雲急を告げる、ウクライナ戦争の本質 ── 戦争をもとめる国家・産業システム」(2022年2月23日)

ところが、プーチンという人物を詳しく知る中で、現代のヒトラーというべき独裁者だと判ってきた。クリミア併合でG8から排除されて以降、ロシア帝国の復活を夢見てきたことも。

考えてみれば、プーチンが政権に就いた時期の、謎の爆破事件は、1933年のドイツ国会議事堂炎上事件(共産主義者の犯行とされた自作自演)に匹敵する謀略だった。まさに「たいていの人間(大衆)は小さなウソよりも大きなウソにだまされやすい」(ヒトラー『我が闘争』)を21世紀に実行してみせているのがプーチンなのだ。

「核兵器使用を明言した妄執の独裁者、ウラジーミル・プーチンとは何者なのか? ── 個人が世界史を変える可能性」(2022年2月26日)

「第三次世界大戦の危機 プーチンは大丈夫か?」(2022年3月14日)

ウクライナ戦争の実態は、剥き出しの古典的帝国主義戦争である。20世紀的な帝国主義戦争どころではない、プーチンは18世紀のピョートル大帝やエカチェリーナ女帝の拡張主義を賛美し、実践しようとしていることが判明したのだった。

したがって破壊はもとより、虐殺や略奪、性犯罪など、あらゆる戦争の悪が露呈している。18世紀的な戦争犯罪は、21世紀の国際法において裁かれるべきであろう。
そのいっぽうで、第三次世界大戦の危機は左派勢力のなかにも混乱をもたらした。とりわけ反戦主義にどっぷりと浸かった新左翼系の反戦市民運動において、アメリカ主導の戦争と規定することで、プーチンの開戦責任を免罪する傾向が顕著となったのだ。

そのバリエーションは、ユダヤ財閥を基点とするディープ・ステートによる謀略、レーニン1914年テーゼ「自国帝国主義打倒」、米ロの代理戦争論、社会主義の祖国ソ連を懐かしむ反米帝論などさまざまだ。

「ウクライナ戦争への態度 ── 左派陣営の百家争鳴」(2022年4月26日)

◎「ウクライナ戦争をどう理解するべきなのか
〈1〉左派が混乱している理論的背景(2022年5月5日)
〈2〉帝国主義戦争と救国戦争の違い(2022年5月13日)
〈3〉反帝民族解放闘争と社会主義革命戦争(2022年5月19日)
〈4〉民族独立と救国戦争(2022年6月8日)

個人的には理路整然と、何とか問題を整理しようとした末に、対外的な論争(党派を名指し)にも挑みました。一般社会とは隔絶された「新左翼」の論争です。興味のある方は、左翼の伝統文化顕彰としてお読みいただければ幸甚です。

「『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください〈後編〉」(2022年10月26日)

だが前述したとおり、21世紀の今日、無法な戦争の発動者を人類と平和の名において裁かない理由はない。かつて第二次大戦のドイツ占領下のワルシャワで、国内軍とレジスタンスが蜂起したとき、双方で処刑の応酬になった。

このワルシャワ蜂起に対して、呼応するはずのソ連軍がなぜか待機し(カチンの虐殺いらい、ソ連はポーランドを完全に属国化する計画だったとされる)、レジスタンスはナチスのSS軍団に抑え込まれる。さらなる処刑(虐殺)が行なわれんとするときに、イギリス放送が「無法な処刑は戦争犯罪になる」と警告宣伝したのだった。いらい、ナチスの虐殺は一時的にせよ止んだ。

その意味では、国際的な法的キャンペーン(戦争犯罪の警告)が虐殺を止める効果を持っているといえよう。

Резня – военное преступление, не убивайте ! (虐殺は戦争犯罪だ 殺すな!)

これをSNSに発信するだけで、戦争における虐殺は抑えられる可能性がある。

「戦争の長期化は必至 ── 犯罪人プーチンとロシア軍が裁かれる日」(2022年6月18日)

ところで、日本ではウクライナ戦争が台湾有事とリンクして語られている。ひとつの中国を国際社会が認めているとはいえ、武力による現状変更はゆるさない。香港において、ウイグルにおいて、民主主義を圧殺している中国共産党の独裁的な支配に反対し、台湾の自治を擁護する立場。

あるいは沖縄をはじめとする、日本を舞台に中米が軍事対決するのに反対する。戦争一般に反対する立場もふくめて、日本人の政治的な立場が問われるであろう。
そのような中で、ロシアが日本侵略の計画を検討していたことが明らかになっている。これまで、一部のロシア議員が発言してきたのとは違う、驚愕するべき事実の一端が明らかになっている。

ロシア連邦保安庁(FSB)の関係者がリークした電子メールによって、プーチン政権はウクライナ侵攻を開始する数ヵ月前、日本に攻撃を仕掛ける計画を立てていたらしいことが判明したというのだ。

奉じたのはスペインの流行系のサイトだが、純粋に軍事的な検討が行なわれるのは、ある意味で当然と言えるのかもしれない。ロシアは「国防のために」ウクライナに侵攻したのだから。

◆安倍元総理射殺事件の愕き

ウクライナ戦争と原材料不足による物価高が憂慮されるなかで、参院選挙が行なわれた。結果は維新の会や参政党など「ゆ党」の躍進だった。既成野党(立民・共産・社民)の後退と「ゆ党」の躍進は、政治および政治家に賞味期限があることを改めて知らしめたといえよう。

そのような中で、歴史的な事件は起きた。安倍晋三元総理が銃撃され、死亡したのである。あらためて、哀悼の意を表したい。本通信も、不肖わたくしをはじめ論者たちが安倍批判をくり返してきた。だが、安倍なんか死んでもいいとは、けっして書いてこなかったように、言論による闘い以外に、われわれが手にする武器はない。あらためて、演説中の政治家を銃撃する暴挙を、語をつよめて批判するものです。

「追悼 安倍晋三元総理大臣」(2022年7月11日)

さて、同時期に世界史的な人物が逝去した。エリザベスⅡ世が亡くなったのだった。女王が君臨した時代は、大英帝国の植民地支配が終焉する時期であった。それゆえに、過酷な植民地支配への癒しが治世の要件となった。

いまもなお、ポストコロニアルの世界にあって、英連邦からの離脱をもとめる動きはつづいている。ウクライナ戦争に見られるように、21世紀は民族の自決と自治へと、旧世紀を克服するムーブメントが世界史的なテーマなのかもしれない。

イギリスと日本の国葬において、際立って違っていたのは伝統文化の厚みだった。明治以降、欧米化する流れの中で伝統文化を見失ったわが国は、警備陣が剥き出しの威力を見せつけることで、国葬を刺々しいものにしてしまった。国論を二分したことよりも、そもそも警備の威力で実現される葬儀とは何なのだろうか。レポートにおいても、この点を強調したかった。

「エリザベス女王追悼と安倍国葬 元総理の業績と予算への疑義」(2022年9月11日)

「《9.27 TOKYO REPORT》安倍晋三国葬儀 ── 英エリザベス女王国葬との痛々しいほどの落差で際立った伝統文化の貧困と過剰警備のグロテスク」(2022年9月28日)

ところで、安倍元総理射殺事件は旧統一教会問題、すなわち政治と宗教の問題を俎上にあげた。このテーマについては「2022年をふり返る(社会編)」で顧みたい。政教分離という、わかっているようでわかっていない議論である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

政治と宗教の議論、および旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題の議論は、ようやく端緒についたばかりだ。わが「紙の爆弾」も特集といえる論攷、レポートが並ぶことになった。

 

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

いくつかの視点があると思う。政教分離を信教の自由における法的担保とする考え方は、戦前の国家神道(内務省による神社神道の国教化=官幣社制度)の批判、その下に行なわれた宗教弾圧である。

もうひとつの視点は、宗教団体といえども政治的自由は有しているので、他の圧力団体(各業界の生産者団体・労働団体・文化団体・各種企業)と同等に、政権への働きかけ、政党との提携・協定は自由であるというものだ。

前者を過度に強調すれば、宗教団体への規制となりうる。しかるに、宗教団体が支持母体の政党が政権を担ってよいのかどうか、議論は分かれるところだ。言うまでもなく、この議論の延長上には公明党が与党であることの可否が浮上する。議論の本格化を期待したい。

「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」(片岡亮)は、自民党が統一教会被害者への「守り」にとどまり、悪質な宗教団体の取り締まり、すなわち「攻め」に消極的であることを批判する。

さらに教団と癒着する萩生田政調会長が、ほかならぬ教団との窓口(調整役)を務めていると指摘する。前述したとおり、創価学会を支持母体とする公明党と自民党の現政権が、旧統一教会の規制(解散)に消極的なのは言うまでもない。そのうえ、ステルス信者となった教会員が自民党の選挙運動をになう動きが指摘されている。

あらためて言うまでもなく、自民党にとって韓国に本部を置く旧統一教会の「理念」ではなく、その会員の選挙運動力が「役に立つ」から癒着を断てないのである。政治は「政治理念」ではなく、敵の敵は味方という「政治の原理」で成り立っている。

また、片岡は幸福の科学が「自殺防止相談窓口」や駅頭での自殺防止キャンペーンに乗り出していることを指摘する。参政党の支持基盤でもあるというわjクチン反対運動の神真都Q、内部での厳格さが指摘されるエホバの証人など、新宗教の動きも気になるところだ。ほかに「統一教会『救済新法』めぐる与野党攻防」(横田一)が新法の問題点をあばき出している。

「旧統一教会における信仰とは何か」(広岡裕児)は、セクト(破壊的カルト)の判別規準をフランスの例から解説している。旧統一教会が多額の献金をさせるから問題なのではない、と広岡は指摘する。既成仏教でも多額の献金はあるし、それを伝統的な仏教宗派だからいいのだとすれば、それは新宗教への差別にほかならない。

それではマインドコントロールだからダメだと言えるのか? このテーマを、広岡はオウム裁判の判決理由から解説する。自由意志をどこまで確認できるのか、オウム被告(元死刑囚)たちの告白は迫真である。

「統一教会政界汚染と五輪疑獄をつなぐ闇」(藤原肇)の副題は「火だるまになる自公ゾンビ体制」である。その筆致は快刀乱麻ともいうべき痛快なものだ。描き方は陰謀論だが、旧統一教会が満州人脈をテコに、アメリカと日本の中枢に拠点を築き、日本そのものを乗っ取ってしまったというものだ。

キーパーソンは言うまでもなく岸信介であり、岸の娘婿安倍晋太郎亡き後は、安倍晋三に焦点を絞って政権乗っ取りを画してきたという。陰謀論だからといって、暗いばかりではない。やがて大掃除が始まり、大疑獄事件のすえに日本は生まれ変わるのだと。読んでいるうちに、楽しみになってきた。

「偽史倭人伝『プランA』」(佐藤雅彦)は危険な記事だ。

なにしろ第三次世界大戦のプランが進行しているというのだ。そして、そのプランを知ったうえで第三次大戦を欲しているのが、現在ロシアと戦火を交えているウクライナのゼレンスキー大統領だというのだから、危険きわまりない。評者もゼレンスキー政権の救国民族解放戦争を支持する立場だが、その祖国防衛戦争の延長に第三次大戦が招来するのであれば、話はまったく別ものになってくる。

いや、戦争は成り行き(敵と味方の攻防の弁証法)なのだから、やむを得ないものとしよう。問題は「プランA」がどこまで具体的で、現実性のあるシナリオなのかであろう。ロシアの解体という、いまだ誰も議論の俎上には上げていないものの、世界の新秩序を安定化させるキーワードの一つが「プランA」なのだ。すなわちプーチン政権の転覆であり、広大な国土と資源を持つロシア連邦の解体である。これまた読んでいるうち背筋が冷たくなり、しかしその恐怖が楽しみになったと告白しておこう。危険、危険。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2023年1月号 目次

紙爆の最新号を紹介します。今回も興味を惹かれた記事を深読み、です。取り上げなかった記事のほかに、テレ朝の玉川徹処分の背景(片岡亮)、ヒラリー復活計画(権力者たちのバトルロワイヤル、西本頑児)が出色。読まずにはいられない情報満載の最新号でした。

◆安倍晋三の旧悪を追及することこそ、真の弔いになる

 

最新刊 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

国会における野田佳彦元総理の安部晋三追悼演説が好評だった。とりわけ、安倍晋三の「光」とその先にある「影」を検証することこそ、民主主義政治の課題だというくだりが、議員たちの政治家魂を喚起させたことだろう。

だがその検証は、安倍晋三の旧悪をあばき出し、現在もなお続いている安倍トモ政治を批判することにほかならない。それを徹底することにこそ、安倍晋三という政治家の歴史的評価が議論され、真の意味での弔いになるのだ。

その第一弾ともいうべきレポートが「旧統一教会と安倍王国・山口」(横田一)である。

安倍晋三が地元下関の市長選に並々ならぬ力を入れてきたのは、市長前職の江島潔の時代に「ケチって火炎瓶」(自宅と事務所への火炎瓶事件)、すなわち暴力団(工藤會)との癒着までも明らかになっていた。ちなみに、江島元市長は現在参院議員であり、統一教会のイベントに参加したことが明らかになっている。

◎[参考記事]【急報‼】安倍晋三の暴力団スキャンダル事件を追っていたジャーナリストが、不思議な事故に遭遇し、九死に一生を得た! 誰かが謀殺をねらったのか?(2018年8月18日)

安倍晋三の元秘書である現職の前田晋太郎市長もまた、旧統一教会の会合に参加していたことを定例会見で明らかにした。子飼いの政治家たちが、ことごとく元統一教会とズブズブの関係だったところに、「安倍晋三の影」(野田佳彦)は明白である。票のためなら相手が反日カルトであろうと斟酌しない、安倍晋三の選挙の強さは、ここにあったのである。

さて横田一の記事は、前田市長のあと押しで下関市立大学に採用され、今年4月に学長になった韓昌完(ハンチャンワン)が統一教会と深い関係にあるのではないかという疑惑である。

その疑惑を市議会で共産党市議に追及された韓学長は、事実無根として「虚偽告訴罪」での刑事告発を検討していると返答したのだ。

だが、韓学長が所属していたウソン(又松)大学を、安倍晋三と下村博文(安倍の子飼いで、元文部科学大臣)が訪問していた事実に、接点があったのではないかと横田は指摘する。

というのも、単科大学(経済学部)だった下関市立大学が、突如として「特別支援教育特別専攻科」なるものを新設し、教授会の9割以上の反対を押し切って韓教授を採用したからだ。

この事件がおきた2019年以降、下関市立大学では3分の1の教員が中途退職・転出しているという。学園の私物化が告発されてもいる。具体的には新設学部の赤字、市役所OBの天下りなどである。これはしかし、氷山の一角にすぎないのではないだろうか。

◆鈴木エイト×浅野健一 ── 旧統一教会問題

9月号につづいて、鈴木エイトの記事である。講演会をともにした浅野健一が鈴木の講演録を、わかりやすく紹介するスタイルだ。ちなみに、講演会の司会は「紙の爆弾」中川志大編集長が務めた。

まず第一に読むものを原点に立ち返らせるのは、カルト問題が政治と宗教の問題以前に、人権問題であるという鈴木の一貫した視点である。

そして第二に、信者たちを利用して「ポイ捨て」する政治家たちの「カルトよりもひどい」実態である。

全体にカルト統一教会の触れられなかった10年間を顧みて、ジャーナリズムが執着を持つことが必要だったのではないか。持続的、継続的な取材こそ、組織の闇を解明できるとの印象を持った。

この運動に関連する事件にも、少々触れておこう。

記事では触れられていないが、この連続講座の一か月後に開かれた「10.24国葬検証集会」において、浅野健一も参加した鈴木エイトの講演があった(記事中に記述あり)。このとき、機器の不具合で発言時間をオーバーした浅野にたいして、佐高信がクレームを付けたという。詳細は下記URLの浅野健一ブログを照覧してもらいたいが、声帯をうしなった障がい者(浅野)に、発言時間のオーバーを批判したのは明白な事実のようだ。

おそらく佐高において、初対面の障がい者ならばこのようなクレームはつけなかったであろう。かりに政治的慮りでクレームが左右されるようなら、明らかに障がい者差別である。浅野によれば佐高は過去にセクハラ事件(同志社でのイベント後の飲み会)を起こしているという。運動内部の批判は遠慮するべきではない。日ごろから批判的な論評をもっぱらとする者ほど、自分が批判されたときに謙虚になれないものだ。佐高は浅野の抗議に何も反応していないという。

◎[参考記事]10・24国葬検証集会エイトさん講演 佐高氏が浅野非難 : 浅野健一のメディア批評 (livedoor.jp) 


◎[参考動画]2022.10.24 安倍「国葬」を検証する ―講演:「自民党と統一教会の闇をさぐる」鈴木エイト氏(ジャーナリスト)、浅野健一氏(無声ジャーナリスト)、スピーチ:佐高信氏(評論家)

◆氷川きよし「活動休止」と「移籍説」の裏側

喉のポリープの手術後で、長期休養に入るとされていた氷川きよしの、事務所事情である(「紙爆」芸能取材班)。

2019年の芸能生活20周年を機に、自分らしく生きたいと(ジェンダーレス)表明したkiinaこと氷川きよし。舞台での女装や松村雄基との恋愛関係、プロ並みの料理など、スキャンダラスで華やかな魅力がファンを魅了してきた。


◎[参考動画]氷川きよし「革命前夜」in 明治座【公式】

肥った男性の女装は勘弁してほしいと思うことがあっても、kiinaの場合は別だという方は多いのではないか。LGBTQとは無縁なつもりでも、誰でもアニマ(内的女性性)・アニウス(内的男性性)があると言われている(ユング心理学)。

たとえば艦隊これくしょんや美少女ゲームに興じる男性には女体化願望があり、その願望がゲームの中の少女に同化するのだ。女性の場合はもっと露骨で、ボーイズラブ志向として、やおい小説・やおい漫画に熱中することになる。

このようなアニマを体現するリアル系が、氷川きよしの女装化だと言えるのだ。Kiinaの場合は、おそらく誰もが受け容れる美貌のゆえに、イケメン演歌歌手からロック女装、舞台での女装が歓迎されてきたのであろう。

しかるに長期休養の裏側に、事務所(神林義弘社長)の暴力的な体質があるというのだ。氷川きよしの自宅の抵当権(3億4500円)も長良プロが設定しているという。

問題は休養後に、長良プロからスムースに移籍できるか、であろう。記事のなかで氷川きよしの名付け親を、ビートたけしとしている(大手プロ役員)が、じっさいは長良プロの神林義忠会長(故人)である。ということは、芸能人がプロダクションを移籍するときに起こりがちな、芸名の商標登録をめぐるトラブルの可能性である。来年からのKiinaの休養が、つぎの活躍へのステップになるのを期待してやまない。記事ではほかにGACKTのスキャンダルもあり、美形歌手たちの危機が気になるところだ。 


◎[参考動画]氷川きよし / 限界突破×サバイバー ~DVD「氷川きよしスペシャル・コンサート2018 きよしこの夜Vol.18」より【公式】

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

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終刊のお知らせだった記事の後半ですが、新たな創刊(『情況』第6期)のお知らせとなりました。68年に創刊し、「新左翼の老舗雑誌」と呼ばれてきた『情況』が、来年1月に第6期を創刊することを、謹んでお知らせいたします。これまで同様のご支援、ご愛読をいただければ幸甚です。

 

『情況』2022年夏号

本稿の前半では、中核派と共産同首都圏委員会の「米帝の戦争論」批判を紹介してきた(『情況』7月発売号の拙稿を抄録)。

ウクライナ戦争はロシアの侵略戦争であって、アメリカ・NATOは参戦していない。したがって、共産同首都圏委の「帝国主義間戦争」論は、ゼレンスキー政権が傀儡政権でなければ成り立たないと批判したのだった。

戦争と革命という、一般の読者から見れば浮世離れした議論かもしれないが、新左翼の論争とはこういうものだと。覗き見をしたい方はどうぞお読みください。

◆首都圏委員会の論旨改竄(論文不正)

この「侵略戦争論」と「帝国主義間戦争論」は現在、新左翼・反戦市民運動をおおきく二つにわけている。ところが、相手を名指しで批判(論争)しているのは革マル派(中核派の小ブル平和論の傾向を批判)、革共同再建協議会(いわゆる関西中核派=中核派のウクライナ人民の主体性無視・帝国主義万能論を批判)だけであり、論争らしいものにはなっていない。

『情況』は左派系論壇誌として、この論争・議論のとぼしい路線的分岐という運動状況に、一石を投じるものとして「特集解説 プーチンのウクライナ侵略戦争をどう考えるか? 真っ二つに割れた日本の新左翼・反戦運動」を、15頁にわたって掲載したのだった。

とくに帝国主義間戦争論を前面に掲げた、共産同首都圏委員会(「radical chic」44号)には、前回抄録紹介したとおり、全面的な批判を行なった。

ここまで批判しつくされたら、さすがに反論は出来ないであろうという読者の評判だった。だが腐っても、組織ではなく理論に拠って立つブント系党派である以上、沈黙することはないであろう。と思っていたところ、反論らしきものが出た。わたしの解説に対する正面からの批判ではなかったが、「radical chic」(46号・以下引用は号数で記す)に、「早川礼二」の筆名で「『情況休刊号』のコラムを読む」という文章が公表されたのだった。その意気やよし。

まず笑わせてもらったのは、本文15頁・1万8000字にわたる「特集解説」(二部構成で、目次付き)を、「コラム」と称していることだ。解説の筆者も「文責・編集部横山茂彦、編集協力・岩田吾郎」と明記しているにもかかわらず、早川は「コラム筆者」としているのだ。

つまり、自分たちが全面的な批判にさらされたのを何とか覆い隠し、コラムで扱われた程度のことにしたい、のであろう。その心情には、こころから同情する。

だが、論文作法としては、他者の記事や論文を引用するのであれば、タイトルと筆者を明記しなければならない。これをしないので困るのは、読者が容易に出典を引けないからだ。早川が雑誌情況の「コラム」と一般名称にしてしまっているので、読者は『情況』の30本前後ある記事の中からタイトルをもとには探し出せない。そもそも当該の論攷は「解説」であって、いわば雑誌の論説記事である。コラム(囲み記事)ではないのだ。原稿用紙換算45枚、大仰な目次まで付いたコラムなど、どこの雑誌にあるというのだろうか。まぁでも、これはどうでもいいだろう。

問題なのは、批判する相手の論旨を「改ざん」していることだ。他者の文章を引用する場合は、それが部分的なものであっても、絶対に論旨を改ざんしてはならない。これは論文だけでなく、文章を書く上での大原則である。

論旨の改ざんは論点をずらし、議論を成り立たなくする。それはもはや議論ではなく、論争をスポイルする不正な作為である。

蛇足ながら、他者を批判するときに、論証をともなわない批判は、単なる誹謗中傷となる。素人の文章にありがちな傾向である。

それでは、早川礼二による「特集解説」の論旨改ざん、みずからの文章の改ざんを具体的に見てゆこう。

◆核になるフレーズの削除で、180度逆の結論に

早川礼二は云う。

「コラム筆者は『米軍が直接参戦していない以上、首都圏委の言う「帝間戦争論」は成り立たない』とし、『反帝民族解放闘争の独自性を承認するのは、国際共産主義者の基本的責務である』と批判する」

「第一の疑問は、コラム筆者がウクライナ戦争で米軍が果たしている役割については触れようとしないことだ。米帝・NATOによるロシア封じ込め、米帝と結託したゼレンスキー政権の軍事的挑発に触れることが『プーチンの開戦責任を免罪することになる』という。」

早川の愕くべき論旨改ざんは「米帝が直接参戦していない以上」の前にある、わたしのフレーズ「ゼレンスキー政権が米帝の傀儡でなければ」を意識的に削ったことだ。このことで、わたしの主張の結論は180度ちがってくる。

首都圏委を批判するわたしの問いの冒頭は「それでは問うが、この戦争が帝国主義間戦争であれば、ゼレンスキー政権は米帝の傀儡政権・買弁ブルジョアジーとして、打倒対象になるのではないか?」なのである。

つまりここからは、ゼレンスキー政権が傀儡政権であれば、帝国主義間戦争は成立する、という結論がみちびかれる。それが誤った認識であれ、論としてはいちおう成立する。早川は論旨の改ざんに手を染めることで、みごとに180度違う結論を偽造したのだ。

わたしは帝国主義間戦争論が成り立たないと批判しているのではなく、ゼレンスキー政権の階級的な性格を明らかにせよ、傀儡政権として打倒対象なのか否か、と指摘していたのだ。

早川はこの質問には答えられないまま、「ロシア帝国主義による明らかな侵略戦争」であることを前面に主張しつつも、「かつ米帝・NATOによる帝国主義間戦争」だと、さらに言いつのる。くり返すが、ゼレンスキー政権が米帝・NATOの傀儡でなければ、代理戦争としての帝国主義間戦争論が成立しないのは言うまでもない。

いっぽうで「ロシアの侵略戦争」ならばなぜ、ウクライナ人民の救国戦争(民族解放闘争)を評価できないのか。「この戦争の基本性格はウクライナを舞台とした欧米とロシアによる帝国主義間戦争」(44号)としていた早川は、ウクライナ人民の救国戦争への連帯には、けっして心がおよばないのである。

およそ革命党派のしめすべき指針は、打倒対象と連帯するべき味方を明確にすることだ。ゼレンスキー政権を支持するウクライナ人民、ロシア帝国主義の侵略と戦うウクライナ人民への連帯を承認・支持できないがゆえに、早川の帝間戦争論は砂上の楼閣のごとく崩壊するのだ。

いま、全世界でウクライナ避難民が抗露戦争への支援を訴え、あるいはロシア連邦からの政治難民(ブリヤート人など)が「プーチンストップ!」を訴えている。抽象的な「世界の被抑圧人民・プロレタリアートと連帯」(46号・早川)などという抽象的な空スローガンではなく、具体的な指針を示すべきなのだ。現にロシア帝国主義と戦っているウクライナ人民との連帯、かれら彼女らがもとめる軍事をふくむ支援なのだと。

「あらゆる〈戦争国家〉に反対する」(44号・早川)も市民運動の理念としてはいいだろう。だが、首都圏委は革命党派なのである。そもそも民族解放戦争の大義、社会主義革命戦争の大義を語れなくなった党派に、共産主義者同盟の名を語る資格があるのか。この党史をめぐる議論に乗って来れない首都圏委には、稿をあらためてブント史論争として、議論のステージを準備したいものだ。

◆論旨の改ざんは、論争の回避である

さて、上記の引用中で早川は、もうひとつ大きな改ざんを行なっている。

「(横山の主張は=引用者注)ゼレンスキー政権の軍事的挑発に触れることが『プーチンの開戦責任を免罪することになる』という」(46号・早川)。

「触れる」? そうではなかったはずだ。44号論文から再度引用しよう。

「米帝・NATOの東方拡大によるロシアの軍事的封じ込め政策、多額の軍事支援とテコ入れにより二〇一五年の『ミンスク合意』を無視してウクライナ東部のロシア系居住区域への軍事的圧迫と攻勢を強めたゼレンスキー政権の強硬策がロシアを挑発し、今日の事態を招いた直接的な原因」だと。

ハッキリと、ゼレンスキー政権の強硬策が「直接的な原因」だと述べているではないか。「要因(factor)」などではなく「直接的な原因(direct cause)」だ。

「直接的な原因」とした以上、プーチンのウクライナ侵攻は「結果」にすぎないことになる。これが「プーチンの開戦責任の免罪」でなくて何なのか。

開戦の責任をプーチンにではなく、ゼレンスキーにもとめていた早川は、「直接的な原因」を「触れる」と言い換えることで、自分の論旨を改ざんしたのだ。

まともに論争をしようと思えば、自分の前言撤回も厭うべきではない。そこに相互批判による議論の深化があるからだ。論軸をずらさずに、誠実に議論することで新しい理論的地平も切り拓けるのだ。今回の早川の改ざんは、論争を回避する恥ずべき行為だと指摘しておこう。

◆太平洋戦争の原因は「ABCD包囲網」か?

かつて日本帝国主義は、中国戦争における援蒋ルート(蒋介石政権への欧米の支援=4ルート)を封じるために、フランスが宗主国だったインドシナに進駐した(仏印進駐・1940~1941年)。これに対して、アメリカ・イギリス・オランダが政治経済にわたる包囲網を敷いたのだった。この三国と中国をあわせて、日本に対するABCD包囲陣と呼ばれたものだ。

とりわけアメリカの対日石油禁輸が、日本経済を苦しめた。追いつめられた日本は、真珠湾攻撃をもって開戦に踏み切ったのである。これを歴史修正主義者は「アメリカが日本を戦争に追い込んだ」とする。まさに共産同首都圏委の主張(米帝・ゼレンスキー原因論)は、旧日本帝国主義を弁護するネトウヨなど、歴史修正主義者のものと同じ論理構成だと言えるだろう。

だが、ABCD包囲網をつくり出したのは、ほかならぬ日本帝国主義の中国侵略、傀儡国家(満州国)の建国にある。ウクライナにおいても、ロシアによる2014年のクリミア併合以降、欧米のウクライナ支援ロシア包囲陣が生じたのは、ほとんど日中戦争と同じ政治構造である。

1994年のブタペスト合意でのウクライナの核放棄(世界で三番目の核保有国だった)、ロシア・アメリカ・イギリスをふくむ周辺諸国の安全保障が、もっぱらロシアによって反故にされたこと。すなわち、兵士に肩章をはずさせたロシア軍による、クリミア・ドンバスへの軍事的圧迫が、ウクライナ人民をして、マイダン革命をはじめとする反ロシア運動の爆発となって顕われ、欧米の支援が「東方拡大」のひとつとして顕在化したのである。ロシアによるクリミア併合・東部・南部諸州併合は、日帝の満州国建国と比して認識されるべきものだ。

このような流れの中では、首都圏委が金科玉条のごとく持ち出す「ミンスク合意」(二次にわたる)は、ロシア軍が介入した内戦停止のための休戦協定にすぎないのである。何度ミンスク合意がくり返されても、ロシア帝国主義のウクライナ侵略は終わらない。なぜならば、ロシアはウクライナそのものを併合・併呑しようとしているからだ(プーチン演説)。

◆改ざんだけでなく、誤記満載の「反論」

共産同首都圏委員会は、わたしへの「反論」の中で、いくつかの論点を新たに提示している。ひとつは、わたしが主張した反帝民族解放闘争への疑義である。

中井和夫(ウクライナ史)の『ウクライナ・ナショナリズム』(版元は岩波書店ではなく東京大学出版会)から引用して、民族自決への疑問をこう呈している。

「中井も『国家の急増』が国際社会に与えてきている負荷・コストの大きさ」に触れ「民族自決」を「民族自治」にかえていくことと「他(ママ→多)民族の平和的統合の政治システムとしての連邦制の可能性」を論じている。(46号・早川)

そうではない。この「民族自治」と「連邦制」こそが、ソ連邦時代の「民族の牢獄」を形づくってきたものなのだ。中井和夫がいみじくも「帝国の復活を現代考えることは無理である」とする前提を見落として、早川が「民族自治」に着目することこそ、プーチンの帝国のもとにウクライナ人民をはじめとする諸民族を封じ込める発想。すなわち民族解放闘争の否定にほかならない。

レーニンの「分離の自由をふくむ連邦」を継承しながらも、スターリン憲法およびそれを継承したロシア連邦憲法は、分離の手続きの不備によって、事実上独立をゆるさずに、諸民族の自治に封じ込めてきたのだ。プーチンのクリミア併合以降は、領土割譲禁止条項によって、分離そのものが違法となったではないか。

ソ連邦の崩壊後のなだれ打った旧ソ連邦内国家の独立は、米・NATOの東方拡大だけではなく、東欧人民の反ロシア革命(民族独立革命および人民民主主義革命)だった。首都圏委が暗に主張する帝国主義の陰謀ではなく、これが人民による民族自決の体現にほかならない。

その反ロシア革命の動因は、膨大なエネルギー資源をもとにした軍事大国による圧迫への抵抗であり、世界最大の核兵器保有国による覇権支配への人民の恐怖と大衆的反発である。つまりロシアの帝国主義支配への民族的な抵抗なのである。したがって、21世紀のいまも帝国主義と民族植民地問題として、20世紀型の戦争と革命が継続しているといえよう。いや、プーチンにおいては18世紀型の帝国なのである。

70年代なかばのベトナム・インドシナ三国の反帝民族解放戦争の勝利、社会主義革命戦争とウクライナ戦争を比較して、早川は自信のなさそうな書き方でこう提起する。

「端的に言って、米ソ冷戦体制の下、帝国主義の植民地支配からの独立をめざしたベトナム人民の民族解放闘争と、グローバル資本主義が全世界を蓋い(ママ)、〈戦争機械〉と結託した帝国主義諸国の利害が複雑に絡み合いつつ、国境を越えて介入し他国の支配階級と結びついて暗躍し、権益拡大のために他国を容赦なく戦場化する時代のウクライナ戦争を、同列に論じることはできないのではないか。」(46号・早川)。

長いセンテンスで現代世界の複雑さを強調したからといって、何ら説得力があるというものではない。ベトナム戦争とウクライナ戦争の違いを、早川は上記の文章以上に論証することができないはずだ。

なぜならば、ベトナム・インドシナにおけるフランスの植民地支配、のちにはアメリカの介入を、現在のウクライナ戦争におけるロシアに置き換えれば、まったく同じ政治構造だからだ。ソ連のアフガニスタン侵攻、アメリカのイラク侵攻もまったく同じ、帝国主義の覇権主義的侵略戦争である。

第一次大戦以降、列強の利害は複雑に絡み合い、第二次大戦以降も、そして現在も、米ロをはじめとする帝国主義は「国境を越えて介入し他国の支配階級と結びついて暗躍し、権益拡大のために他国を容赦なく戦場化」(早川)しているのではないのか。

そして帝国主義の侵略が、ほかならぬ人民大衆の闘いと民族自決の奔流に強要された、悪あがきであることに着目できないからこそ、早川は現代世界の複雑さだけを、論証抜きで強調したくなるのだ。そこには大衆叛乱への信頼や共感は、ひとかけらもない。

それにしても、上記の引用における誤記・版元の誤り(別掲文献の版元名も間違えている)をみると、早川の論旨改ざんは意識的なものではなく、文章そのものを正確に判読できていない可能性もある。首都圏委においては、この頼りない主筆に代わり、組織的な討議を経た文章で、改ざんの釈明および誤記・版元間違いを訂正してもらいたものだ。

◆ウクライナ戦争はロシアの敗北でしか決着しない

いま求められている戦争の停止、もしくは終了がどのように展望できるのか。降伏の勧めや無防備都市の提案は、そのままロシアへの隷属・大量処刑を意味する。だが現実的ではないにせよ、すくなくとも具体的である。

もっとも具体的なのは、ゼレンスキー政権とウクライナ人民が、侵略者ロシアを国境の外に追い払うことである。いまそれは、第三次大戦の危機をはらみながらも、実現に向かっている。

ところが、あらゆる〈戦争国家〉に反対し、ゼレンスキー政権と闘うウクライナ人民(どこにいるのか?)に連帯するべきだと、首都圏委は呼び掛けるのだ。

ロシアの侵略に反対し、米帝・NATO・ゼレンスキー政権の戦争政策に反対する、世界プロレタリアートと連帯せよという。このきわめて原則的な反戦運動の呼びかけはしかし、現実に有効な階級闘争ではない。かれらの頭の中に創造された、死んだ抽象にすぎないからだ。

そして、現実のウクライナ戦争をになっている人民を無視するばかりか、ウクライナ人民の戦争支援の要求(兵器の供給)に反対しているのだ。このままでは、プーチンの侵略戦争の代弁者となり、ウクライナ人民の反帝救国戦争の敵対物に転落するしかないと指摘しておこう。

なお、1月創刊の『情況』第6期においても、ウクライナ戦争論争を他の論者を招いて掲載する予定である。われわれの「解説」の評価(賛意)や、早川礼二の民族解放闘争への不理解を指摘する声も上がっている。乞うご期待。(了)

◎『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44351
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44456

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

『紙の爆弾』と『季節』──今こそタブーなき鹿砦社の雑誌を定期購読で!

わたしが編集長を務めていた雑誌『情況』が休刊しました。この場をかりて、読者の皆様のご支援に感謝いたします。同時に、広告スポンサー(表3定期広告)として支援いただいた鹿砦社、および松岡利康社長のご厚情に感謝するものです。ありがとうございました。こころざしの一端を等しくする鹿砦社のご支援は、いつも勇気を与えてくれる心の支えでした。

 

『情況』2022年夏号

なお、情況誌第6期が若い編集者を中心に準備されています。時期はまだ未定ですが、近い将来に新しいコンセプトを背負った第6期創刊が達成されるものと熱望しています。そのさいは、変わらぬご支援をお願いいたします。

さて、総合雑誌の冬の時代といわれて久しい、紙媒体構造不況の昨今。しかし専門的雑誌は、いまも書店の棚を飾っています。

ということは、21世紀の読者がもとめているのが総合雑誌ではなく、シングルイッシュー(個別課題的)に細分化されたニーズであるのだと思われます。

その意味では、ロシア革命100年、68年特集、連合赤軍特集といった、社会運動に特化した特集が好評を博し、このかんの情況誌も増刷という栄誉に預ったものです(増刷による在庫過多という経営的な判断は別としても)。

いっぽう、情況誌(というよりも左派系紙媒体)に思いを寄せてくれる研究者や論者、たとえば五木寛之さんなども「少部数でも、クオリティ雑誌をめざすという手があるのではないですか」と、ご助言くださったものです。

クオリティ雑誌といえば、高級商品の広告を背景にしたお金持ち相手の趣味系の雑誌や男性ファッション誌などしか思い浮かべられませんが、フランスの新聞でいえば「リベラシオン」(大衆左派系雑誌)に対する「ルモンド」のイメージでしょうか。人文系では岩波の「思想」や「現代思想」「ユリイカ」(青土社)あたりが情況誌の競合誌となりますが、学術雑誌(紀要)よりもオピニオン誌系をめざしてきた者にとっては、やはり左右の言論を縦断した論壇ステージに固執したくなるものです。

新しい編集部がどんなものを目指すのか、われわれ旧編集部は決定には口を出さず、アドバイスも控え目に、しかし助力は惜しまないという構えです。

さて、結局いろいろと模索してきた中で、新左翼運動の総括や政治革命、戦争への左派の態度など、おのずと情況誌にもとめられるものがあります。ちょうど50年を迎える「早稲田解放闘争」「川口君事件」つまり内ゲバ問題なども、他誌では扱えない困難なテーマで、本来ならこの時期に編集作業に入っていてもおかしくないはずでした。このあたりは、残された宿題として若い人を主体に考えていきたいものです。

もうひとつ、第5期の終刊にあたって心残りなのは、ウクライナ戦争です。いよいよロシアが占領地を併合し、侵略の「目的」を達しようとしている情勢の中で、早期終結を提言するべきだが、ウクライナ人民にとっては、停戦は「緊急避難」(ミンスク合意の焼き直し)にすぎないはずです。その意味ではロシアが併合を「勝利」として、停戦に応じたからからといって、プーチンの戦争犯罪が許されるわけではない。

また、ウクライナ戦争は台湾有事のひな型でもあり、日本にとっても重大なテーマと言えましょう。そこで、情況誌第5期休刊号において、新左翼・反戦市民運動の混乱(大分裂=帝国主義間戦争か侵略戦争か)について、解説記事をまとめて掲載しました。その核心部分を紹介することで、本通信の読者の皆さまにも問題意識を共有いただければ幸甚です。

なお、新左翼特有の激しい批判、難解な左翼用語まじりですが、ご照覧いただければと思います。筆者敬白

◆休刊号掲載のウクライナ論争

まずは記事の抄録です。中核派批判から始まり、筆者も過去に関係のあったブント系の分派(共産同首都圏委員会)の批判につづきます。

『情況』2022年夏号 21p-22p

 

『情況』2022年夏号 23p

【以下、記事の抄録】

中核派はこのように主張する。

「ウクライナ戦争は、『プーチンの戦争』でも『ロシア対ウクライナの戦争』でもなく、本質的にも実態的にも『米帝の戦争』であり、北大西洋条約機構(NATO)諸国や日帝も含む帝国主義の延命をかけた旧スターリン主義・ロシアに対する戦争であることが、ますます明らかになっている」(「前進」第3242号、5月2日「革共同の春季アピール」)と。

アメリカとNATO、そして日本までがウクライナ戦争に参戦し、ロシアに戦争を仕掛けているというのだ。事実はちがう。日本は北方開発と漁業でロシアと協商しているし、アメリカは武器支援にこそ積極的だが、軍隊を送り込んでいるわけではない。中核派は政治的な深読みである「米帝の戦争」を強調するあまり、プーチンの犯罪(開戦責任)を免罪してしまっているのだ。

中核派の「アメリカ帝国主義の戦争」を的確に批判しているのが『未来』(第342号、革共同再建協議会)である。革共同再建協議会はこう断じる。

「彼らは、今回のロシアの侵略戦争を米帝バイデンの世界戦争戦略が根本原因で、『米帝・バイデンとロシア・プーチンの代理戦争』と言い、さらには『米帝主導の戦争だ』とまで言う。そこには米帝の巨大さへの屈服はあっても、ロシア・プーチンの侵略戦争への批判は一切ない」と。

「プーチン・ロシアからの解放を求めて闘うウクライナ人民の主体を全く無視している。彼らの『代理戦争』の論理は、帝国主義とスターリン主義の争闘戦の前に、労働者階級や被抑圧民族は無力だという帝国主義と同じ立場、同じ目線であるということだ。ロシア・ウクライナ関係、ウクライナ内部にも存在する民族抑圧・分断支配に接近し、マルクスのアイルランド問題への肉迫、レーニンの『帝国主義と民族植民地問題』を導きの糸に解決していこうとする姿勢はない」と、厳しく批判する。

まがりなりにも「帝国主義間戦争」と言い切っているのは、共産同首都圏委員会である。だが米帝とゼレンスキー政権の強硬策が直接的な原因だとして、これまたプーチンの開戦責任を免罪するのだ。云うところを聴こう。

「この戦争の基本性格はウクライナを舞台とした欧米とロシアによる帝国主義間戦争であり、米帝・NATOの東方拡大によるロシアの軍事的封じ込め政策、多額の軍事支援とテコ入れにより2015年の『ミンスク合意』を無視してウクライナ東部のロシア系住民居住区域への軍事的圧迫と攻勢を強めたゼレンスキー政権の強硬策がロシアを挑発し、今日の事熊を招いた直接的な原因」(「radical chic」第44号、早川礼二)であると。

それでは問うが、この戦争が帝国主義間戦争であれば、ゼレンスキー政権は米帝の傀儡政権・買弁ブルジョアジーとして、打倒対象になるのではないのか? ベトナム・インドシナ戦争におけるグエン・バン・チュー政権、ロン・ノル政権と同じなのか。旧日本帝国主義の中国侵略戦争における、汪兆銘政権と同じなのだろうか。

「ゼレンスキー政権の民族排外主義、ブルジョア権威主義独裁に頑強に抵抗しつつ、ロシアの帝国主義的侵略に立ち向かうウクライナの人々に連帯する。ブルジョア国家と労働者人民を峻別することは我々の原則であり、自国も含めたあらゆる〈戦争国家〉に抗う労働者人民の国際連帯こそが求められている。」(前出)と云うのだから、わが首都圏委においては、戦争国家のゼレンスキー政権打倒がスローガンになるようだ。

だが今回の戦争の本質は、ロシア帝国主義の侵略戦争とウクライナの民族解放戦争である。抑圧された民族の解放闘争が民族主義的で、ときとして排外主義的になるのは、あまりにも当為ではないか。中朝人民における日帝支配の歴史的記憶が、いまだに民族排外主義的な抗日意識をもたらすのを、知らないわけではあるまい。ウクライナ人民のロシア(旧ソビエト政権)支配に対する歴史的な憤懣も同じである。

第一次大戦と第二次大戦も、帝国主義間戦争でありながら、植民地従属国(セルビア=ユーゴ・東欧諸国・フィンランド・中国・インド・東南アジア諸国など)の民族解放戦争という側面を持っていた。

それは支援国が帝国主義国(第二次大戦におけるアメリカの中国支援など)であるとかは、まったく関係がない。反帝民族解放闘争の独自性を承認・支持するのは、国際共産主義者の基本的責務である。

侵略戦争に対する民族解放・独立戦争はすなわち、プロレタリアートにとって祖国防衛戦争となる。それは侵略者に隷属することが、プロレタリアにとっては二重の隷属になるからにほかならない。だから民族ブルジョアジーとの共同闘争が、人民戦争戦術として必要とされるのだ。したがって首都圏委のように「ブルジョア国家と労働者人民を峻別する」ことは必要ないのだ。中国における抗日救国戦争(国共合作)がその典型である。

「民族生命の存亡の危機に当たって、我等は祖国の危亡を回復救助するために平和統一・団結禦侮(ぎょぶ=敵国からのあなどりを防ぐ)の基礎の上に、中国国民党と了解を得て共に国難に赴く」(中国共産党「国共合作に関する宣言」)。

わが首都圏委によれば、マイダン革命も米帝の画策ということになる。そこにはウクライナ人民が民族主義者に騙され、米帝の関与によって政変が起きたとする陰謀史観が横たわっている。世界の大衆動乱はすべて、CIAやダーク・ステートの陰謀であると──。

人間が陰謀史観に支配される理由は、自分たちには想像も出来ない事態を前にしたときに、安心できる説明を求めるからだ。自分たちの経験をこえた事態への恐怖にほかならない。シュタージの一員としてベルリンの壁崩壊に直面して以来、プーチンに憑りついた恐怖心は民衆叛乱への怖れなのである。おなじ恐怖心が首都圏委にもあるのだろうか。

オレンジ革命とマイダン革命に、国務省のヌーランドをはじめとするネオコン、NED(全米民主主義協会)などの支援や画策があったのは事実だが、数千・数万人の大衆行動が米帝の画策だけで実現するとは、およそ大衆的実力闘争を体験したことがない人の云うことだ。おそらく実力闘争で負傷したことも、逮捕・投獄された経験もないだろう。

陰謀史観をひもとけば、ジェイコブ・シフらのユダヤ資本がボルシェヴィキに資金提供したからといって、ロシア革命がユダヤ資本に画策されたと見做せないのと同じである。われわれは大衆の行動力こそ、歴史の流れを決めると考えるが、いまの首都圏委はそうではないようだ。

記事の抄録は以上です。ここからさらに、ブント(新左翼)史に引きつけて、革命の現実から出発してきた共産主義運動の軌跡、ロシアと中国を官僚制国家独占資本を経済的基礎とする覇権主義的帝国主義であると理論展開する。

ここまでボコボコに批判すれば、およそ反論は難しいであろう。この記事を読んだ市民運動家や元活動家の感想はそういうものだった。

しかし、他党派の批判など気にしない中核派(大衆運動が頼み)とちがい、ブント系(組織が脆弱なので理論だけが頼り)において、批判への沈黙は党派の死である。どんな反論をしてくるのか楽しみにしていたところ、それはもの凄いものだった。

なんと、首都圏委員会は相互の論旨を「改ざん」してきたのである。わたしの言い分を部分的に引用することで歪曲し、自分たちの主張も核心部(わたしの批判の核心部)を隠すことで、みごとに(いや、臆面もなく)論軸をずらしているのだ。つまり論文不正を行なったのである。あまりの愕きに、おもわず笑い出してしまったものだ。(愕きと爆笑の後編につづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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