成年後見制度法制審議会にモノ申す! 主客転倒の立法主旨!? Nothing about us without us.(私たちのコトを私たち抜きで決めないで)〈前編〉

高貴高齢者の会 鈴木慎哉

70年もの付き合いになる畏友(一級建築士A君)との雑談から急に成年後見制度に話題が転換し、今更あらためて〈法〉とは何かと真顔で問われ「秩序を保ち国民の権利と安全を守り安心して暮らせる社会をつくる」ルールと解しているが、と答えたことから話は思わぬ方向へ飛び、事実かフェイクかはともかく、いつもの冷静な彼らしくない話が飛び出した。
 
〈冥土のみやげ〉にと話してくれた余談話のあらましは、バブル(1986年12月から1991年2月までの約5年間)が弾けた翌年頃から彼自身身をもって感じた経済パニック現象だった。

それまで連日登記事務に追われ好きなゴルフの付き合いにさえ参加できないほど多忙を極めていた友人の司法書士が事務所を縮小したり、中小零細企業は言うに及ばす不況の煽りなど関係ないと思っていた法曹界にまでかなりバブルショックが広がっていた当時の惨状だった。   

私も当然当時のことは鮮明に覚えており、特に日本興業銀行事件の料亭女将(尾上縫)や北海道拓殖銀行の倒産など、いまだに信じ難い思いで話は弾み話に花が咲いた。

ここまではよくあるジジイの余談話、ところが我が畏友はこのバブルの崩壊の余波が[成年後見制度]にかなりのインパクトを与え法制化された形跡があるのではないかとその友人(司法書士)から聴いた推測を語ってくれた。

さすが親友そこまで私のことを心配し考えてくれているのか? と感謝し相槌を打ちながらも「まさか!」の念は拭えず二の句を告げずにいたところ、彼はその推測の根拠を示し「どうや? お前もそう思わんか!?」と私の顔を覗き込みニタリと微笑んだのです。
 
◆法曹界のハローワークと新市場
 
バブルが弾け弁護士業の必要性と需要が(民事訴訟が2分の1)司法書士に於いても、命綱とも言うべき〈登記〉が半減した。そのうえ資格試験の改革に伴う合格率のアップによる資格者(競業相手)が増大するという前代未聞の現象が発生し、日本一難しく難関と言われ、中には5年10年の歳月をかけ青春の総てを六法全書に賭けて合格した弁護士資格者に収入源を無くさせてはならないと法務省が先頭に立ち探し出し、見つけ出したマーケットが改定を求められていた(禁治産者法の)成年後見制度への移行だったのでは、という推測です。

禁治産では認めていなかった本人の意思を尊重するというキモ中のキモと身上監護、その当時流行し出したオレオレ詐欺などを未然に防ぐための財産管理を金科玉条の旗印に、その担い手として弁護士や司法書士が行政市場に入り込んでくるトリガーとなったというのです。

その解説を聴きながら不思議なコトに違和感や反発すべく何事もなく私の頭や心にストンと収まり、むしろ同感共感納得が全身に広まっていった感覚のほうか強かったような印象が今も残っています。

しかし、冷静に考えれば、あの誇り高き弁護士に、高齢者や障害者の意思や要望をじっくり聴き、その実現にどれほどの時間かかけられるか? さらにそれに必要な報酬が与えられることは可能なのか?を考えれば、ボランティアならともかく、高収入を目指して取得した資格が泣くと受け手がないのではないかという危惧を誰もしなかったのだろうか?

事実私自身も何回も何度も繰り返し主張しているように、利用者が増えない要因は法案そのモノにあるのでなく運営と運用にあるのであり、裁判官、弁護士といったプレイヤーに根源的原因があるコトの自覚と反省がなければ、いくら推進キャンペーンを張ろうが条文いじりだけでは絶対に普及発展はしないと忠告しているのですが……。

何はともあれ理屈と詭弁で法案は成立してしまった。形だけでも推進しなければならない。困った行政は、困った司法に(罪刑法定主義の枠外で)性善説を順守すべくグルのトライアングルを形成し見切り発車したのが、不幸な法律=〈成年後見制度〉だった、のです。
  
とはいえ、かなりのイジメから根性のひん曲がってしまった私の邪推の部分もあるだろうがと思いながら、このかん心情を記事にしてきたのは、何とか後見人を排除し、妻のたっての願望である自宅での生活を実現すべく過去4回の家裁・地裁・高裁の裁判を通じて、「この法は、この制度は、この裁判は、後見人制度は一体誰のための何の為の制度なのか」と訝しく思い悩み考えていたコトが常に私の全身に覆いかぶさっていたからなのです。
  
◆沈黙の拒否
  
そして関わってきてくれた弁護士たちは言外に「勝ち目は無い、せめて相手に逆らわず対応をするように」と私を諭し、結果が出た日にはサッサと契約を解除し去って行きました。

アレやコレや7年間の裁判所,行政相談所,公証人役場等の対応・態度、後見人弁護士の所業を思い返すに、まさに今更ながら〈法〉とは何かと逆に問い返したくなりました。

法は「秩序を保ち国民の権利と安全を守リ安心して暮らせる社会をつくる」ためにあるのみならず、誰か特定の地位や資格のある特権階級の人々の不労所得、不当収入のハローワークとなるコトさえできるのか?……。

そしてその典型的実例が弁護士や司法書士に〈後見人〉という名称を与え、バブル崩壊と粗製濫造の結果、過当競争でパイの増殖がなくなった法曹界のマーケットを禁治産法を発展的に廃止し〈成年後見制度〉という市場を創設したのであろうか?

彼は私にそのように示唆を与えているのだ!!
まさか!?とは思う。しかしそう考えれば辻褄が合い納得できる。

しかし、当事者までもおとなしく誰もなにもできない。マスコミすら見て見ぬふり、知っているのに知らぬふり!

胸騒ぎと喉の渇き口の中がカラカラになり、果てさて『書いてはならない』(森永卓郎)の向こうを張って〈書かねばならない〉と書くことにした。必ずいつかこの制度は行き詰まり正義の覇者も現れよう。

(つづく)