大坂なおみ、張本智和、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウン…… 多様な出自のアスリートたちが〈ニホンジン〉を変えていく

女子テニス全豪オープンで大坂なおみ選手が優勝した。昨年の全米オープンでは日本人として●●●●●●初めて優勝したのに続き四大大会二連勝で、世界ランキング1位に昇りつめた(大坂選手のお父さんはハイチ出身の方で、ハイチでも「ハイチ系日本国籍の大坂選手が優勝して豪州でのハイチの認知が広まるのではないか」と報道されている)。卓球の張本智和選手は若干15歳で世界的な活躍を見せている。陸上短距離ではケンブリッジ飛鳥、サニブラウン両選手が400mリレーのメンバーで活躍し、野球界もカタカナの名前を目にすることは珍しくはなくなった。

なにが言いたいかといえば、「日本人」という概念が確実に変化を見せているということである。かつて大相撲で高見山が活躍していた時代に「高見山は髪が黒いからいいけど白人や欧米人が入ってきたらどうするんだ」とテレビ放送で言い放った解説者がいた。大相撲も一応の「外国人枠」を設けているが、番付表を見ればわかる通り、外国出身力士なしには上位の取り組みは組めない。国技だのなんだのといっても、実体的な国際化はすでに目の前で進行している。


◎[参考動画]カップヌードルCM 「謹賀新年 金がほしいねん 篇」/ 錦織圭・大坂なおみ(日清食品グループ 2018/12/31公開)

◆カタカナ姓名のアスリートたち

日本代表として、カタカナの姓名を持つ褐色の肌をしたアスリートが、競技後のインタビューに流暢な日本語で(あるいは英語で)答える様子を目にすると、気持ちが楽になる。日本国内にいながら「日本」から解放されたような気分になる。彼や彼女が関西弁であったらば、余計にうれしくなる。どう見てもネイティブアフリカンのアスリートが「日本代表」として活躍する。

悪いことではない。1936年のベルリン五輪マラソンで優勝した孫基禎選手と3位になった南昇竜選手はいずれも、日本帝国主義植民地時代の朝鮮半島の選手である。今でも記録のうえでは「日本人メダリスト」として刻まれている痛ましさと、本格的に「多民族化」してきた「日本人」のありようは極めて対照的だ。

世界には200ほどの国があるのに、近隣諸国との友好関係も築けない外交無能な政府とは異なり、「日本人」のかたちは変化する。都市部へ出かけると制服を着た中高生の顔の中に、アジア系ではない多彩なルーツを簡単に見つけることができる。タガログ語を話す団地住民の姿は、もうまったくこの国で違和感がなくなった。


◎[参考動画]グランドファイナル2018 男子シングルス 決勝 張本智和vs林高遠(テレビ東京 2018/12/16公開)

◆アフリカ系、中東系、アジア系の日本人がますます増える

彼ら・彼女らのお父さん・お母さんがどうして日本へやってきたのかについてまで、思いを巡らせれば、必ずしも幸せな理由ばかりではない。まだ日本が経済大国だった頃の「日本」を目指してやってきた方がほとんどであろう。しかし、いまやアフリカ系、中東系、アジア系の日本人がますます増える。「日本書紀」の神話や天皇制、君が代、日の丸と大坂なおみ選手や張本智和選手(両親は中国出身)は、どう無理をしても釣りあわない。国威発揚や「大和魂」の復権に利用されるスポーツの世界で「日本語を話せない日本人」や「褐色のアスリート」の活躍は、当人の意識にかかわらず、スポーツが纏わされる宿命の政治性を否が応でも粉砕してしまう。

「どんな脳みそをしているのか」覗いてみたい衝動に駆られる、ファナティックな国粋主義一色の月刊誌の平積みを書店で目にするにつけ、世界を見ず内向きな自慰行為的言論の横行にげんなりさせられるたびに、そうはいっても大坂なおみ選手や張本智和選手、サニブラウンやケンブリッジ飛鳥選手の存在をありがたく思う。思考が前には決して進まない国粋主義者たちは彼らの存在・活躍をどう感じるだろうか。多様な出自のアスリートにはしかしながら、政治的ななにものも背負ってくれというつもりはない。自由に発言し、思うとおりに活躍をしてくれればよいだけだ。


◎[参考動画]日本を代表するスプリンター!ケンブリッジ飛鳥(TBS Yeahhh!2019/01/22公開)

◆外的要因が「くにのかたち」を変えていく

芸能界(言論界にも)には外国出身者なのに、ほどほどの日本人以上に「日本好き」を演じて稼いでいる連中がいるらしい。それも自由といえば自由ではあるが、一部庶民のレベルの低いファシズム感情に上乗りし、稼ぐという節操のなさは、状況が変わればたちまち、己の身にブーメランとなって返ってくるだろう。親日家は否定しないし、するつもりもないが月刊『Hanada』や『Will』に登場する人物は、出身の如何を問わず信用ならない人物である。

日帝本国人(普通の日本人)は、なかなか自らの力と思想で悪しき「日本人」を解体することができずにいたが、やはりここでも「くにのかたち」を変えるのは外的要因ということであろうか。まことになさけのないない話ではあるが、ありがたい変化はすでに目の前で躍動している。


◎[参考動画]【日本陸上選手権】男子200m決勝 サニブラウン2冠達成(NHK 2017/06/2公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

私の内なるタイとムエタイ〈52〉タイで三日坊主!Part.44 還俗迫る時

藤川さんをこの寺に導いた人の親族との撮影がこの寺での最後となった藤川さん(1995年1月中旬)
私も撮って貰った仏陀像と共に

◆還俗前日

1月24日、藤川さんとネイトさんはバンコクへ旅立った。分岐点となった別れの朝、私は私の進む道の第一歩、バンコクでお世話になっているアナンさん宅へ電話する為、大通りにある公衆電話へ向かった。タイの電話事情は前に述べたとおり、街の公衆電話は壊れっぱなしのものが多い。今電話しておかねば後々予定が狂うかもしれないので、使える公衆電話見つけたら並んででも電話しようと思うが、一人順番待っていたお兄さんが笑顔で私に順番を譲ってくれた。これもタンブンだろう。私は修行とは関係ない、還俗後のムエタイの用で電話するので申し訳ない気分になる。黄衣を纏っているうちはこの比丘の身だから仕方無いか。

電話では「オオ、サバイディーマイ?(元気かあ)」と言うアナンさんの懐かしい声に出家した頃を思い出す。「明日還俗したらすぐ帰るから」と言うと、「還俗したら三日ほど残って寺のお世話していくものだが帰って来てもいいのか?」と言われる。そういえばそうだった。しかし、過去の仲間も半日か翌朝までしか残っている者はいなかったから「和尚さんには断ってある」と伝えると、とりあえずチェンマイ行きの貸し切りバスには私も乗せて貰えることになった。

電話を終え、寺へ帰ろうとした時、私の得度式で親代わりとなってくれたオジサンと偶然出会った。いつもの儀式で読経を先導する俗人側の人で、明日還俗することを伝えた。

「寺入りから得度式、日々の儀式、そして今日まで有難うございました」と御礼を言う。このオジサンの経歴を軽く聞くと、「ワット・タムケーウで出家して、14年ほど仏門生活を送り、還俗して15年経つんだ」と言っていた。読経は上手いし、私の得度式での先導もしっかり務めてくださった。有難かったと思う。

オジサンに「寺まで送ってやる」と言われて、乗っていたバイクに跨らせて貰らって寺に帰った。

寺ではこの日も特に葬儀も無く通常の一日。寺の周りの掃き掃除、足洗い場の水換え、我が部屋の片付けなど、いつも以上に念入りに行なう。要る物要らない物分けて、洗剤はいろいろ教えてくれたイアットさんにあげて、托鉢で受けたミロやお菓子はもう食べないからデックワットにあげた。ミロ飲んだ湯飲みカップなど一部の食器、儀式用の黄衣は藤川さんに返す物だが、もう会えないだろうから貰っておこう。

カティン祭で寄進された日用品セットの西洋皿は日々飯食った皿だが、日本に持って帰って、ボンカレーでも食べながら寺で使ったことを懐かしく振り返ろうと思う。
明日の還俗に際して、和尚さんに相談すると、「いつものように托鉢に行きなさい。朝食もいつもどおりに食べなさい。還俗式は9時にここでやるから」と和尚さんがいつも座る定位置を指す。ブンくんらが還俗した時と同じ場所である。
夜は引越しのように纏まった多くの荷物に囲まれながら、ここでの最後の就寝となった。

◆最後の托鉢

いつもどおり、目覚まし時計が4時30分に鳴った。この“ピピピピッ”を繰り返すアラームも耳に残ってしまう朝の音色となった。クティの下で歩き回るお寺の風物詩、鶏の鳴き声も毎朝の響きだった。

洗面を済ませて、いつもどおり5時30分に寺を出て、最後の朝は一人托鉢となった。お世話になったなあと思う常連の信者さんに、心の中でお別れを言う。施しを受けに歩く比丘の務めで、お世話したことになるのはこちら側だが、にわか僧の私には日本人流に考えてしまう。お菓子オバサンには「今日還俗します」と伝えた。明日から現れないから気にされてもいけないと思ってのことだった。前々から「還俗したらどうするの? 日本の地震は大丈夫? 貴方の田舎は? 御両親は?」なんて聞かれていたから、「震源地から遠いですから大丈夫です」とか「後日、チェンマイに仕事で向かいます」と話した。

比丘たる者が、還俗後のことなど寺の外で軽々しく言うものではないが、息子を見守るような目線のオバサンで、毎日御飯とは別に、修行の合間に寛げるようにと気持ちがこもったお菓子を余分にサイバーツしてくれていたような、そんな感情が読み取れて、我が身の事情も話していたのだった。

托鉢に野良犬と遭遇することは毎日だった。殴りつけてはいけません(撮影は出家前)

◆托鉢での出来事

裸足で歩くと痛かった足の裏もさほど気にならないほど慣れていた。そういえばタイの道路は汚いものだが、ガラスや金属片などが落ちていることは少ないと思った。朝方はいつも道路脇を掃いている清掃業者さんや子供を見たことあるし、托鉢僧の足下を考えた地域のボランティアかもしれない。

食べ物の匂いを嗅ぎ付けた、おとなしい野良犬が小走りに付いて来るのも日々の光景だった。しかしある日、唸り声を上げた野良犬2匹が後ろから追って来たことがあった。

“ヤバッ、噛まれる”と思ったところが、私を追い越し、前を歩く藤川さんの前に回り込み、藤川さんに向かって凄い勢いで吠えたことがあった。頭陀袋を振り回して追い払っていたが、ノンカイで藤川さんに聞いた話では、以前、藤川さんがこの煩い犬が鬱陶しく、思いっきり殴り付けたことがあるらしい。比丘が動物虐待である。それを覚えている犬も賢いものだ。

托鉢中に、道の向かい側で待つ年頃の可愛い女の子に「ピー、ニーモンカー!(寄進を受けてください)」と叫ぶ声で気が付き、うっかり見落としたことで申し訳なく苦笑いして近づくと、一緒に笑顔になった女の子たちにまた癒されたり、寺を出たばかりの朝、暗い空を見上げて歩くと星が綺麗で、我が地球も宇宙空間の星のひとつで、歩いている自分の地面から滑り落ち、宇宙に放り出されるような錯覚を起こし、心許無い足取りとなったこともあった。最初の頃は厳しい托鉢行だったが、余裕出てきてからは、いろいろオモロイことがあったなあと思う。

月や星が綺麗に見える日も多かった。フィルムの付着ゴミか星か分からないが

◆還俗式に向けて

そんな托鉢から帰ると最後の務めも終わった達成感に対し、寂しさもこみ上げてきた。

托鉢後の食事もいつもどおりに進む。皆と輪を囲むのもこれで最後だ。

ヒベが「還俗したらすぐ帰るのか?」と問い掛けて来る。「うん!」と頷くもヒベは「礼儀知らずめ!」と不快感を持ったかもしれない。

ワット・マハタートから頻繁に訪れているベテラン比丘のポンさんにも「キヨヒロ(藤川)とカンボジア行くのか?」と聞かれ、「もう別々の道を歩んでいるから行きませんよ」と愛想良く応えたが、この先も藤川さんと一緒だろうと思われているのか、そんな親子のような関係に見えていたかもしれない。

朝食後、アムヌアイさんが気を遣ってくれて、還俗式に使うお盆や得度式でも使ったような飾り、ローソクなどを用意してくれた。

「仏陀像に三拝して、和尚さんに三拝してから還俗式は始まるから、そこで白ワイシャツと腰巻をお盆に載せて和尚さんに捧げるんだ」と言ってくれた。自分が着るシャツだから授けられることになるのだろう。最後の纏いとなるホーム・サンカティはキチンとした纏いへ、アムヌアイさんが手伝ってくれた。

そして誰も居なくなったクティ内。「忘れられているんじゃないか」と思うほどクティ内がガラ~ンと静まり返っていたが、みんな外のいつもの作業に掛かっていただけ。私は一人ホーム・サンカティに纏ったまま、その時を待つ。もうすぐ黄衣を脱ぐ秒読み段階に入った還俗式前だった。

中央がワット・マハタートのポンさん(撮影はまだ11月中旬)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

自動車は〈凶器〉である ── 堺市「煽り運転」殺害裁判で殺人罪適用


◎[参考動画]あおり運転で大学生殺害 元警備員の男に懲役16年(ANNnewsCH 2019/01/25)

司法の重刑化には反対の立場だが、この事件は特筆しておかなければならないだろう。大阪府堺市で起きた煽り運転の裁判である。公判では煽り運転をした「未必の故意の殺人」とする検察側の事実関係がみとめられ、懲役16年の実刑判決がくだった(求刑18年)。

事実関係をたどっておこう。昨年7月2日の午後7時35分ごろ、被害者(22歳の大学生)が乗った大型バイクに追い抜かれた被告(40歳)が腹を立てて、パッシングをするなど煽り運転をしている。クラクションやハイビームで煽ったうえ、時速100キロで約1キロメートル追跡し、最後は96キロで追突したのである。15秒後に「はい、おしまい」とつぶやいた被告の言葉が、ドライブレコーダーに残されている。速度制限60キロの一般道での出来事である。

裁判で争点になったのは、殺意があったかどうかである。被告側弁護人は「被告には殺人の動機がない」「殺意はなかった」と検察側に反論している。そこで「死んでしまっても仕方がない」すなわち、相手が死ぬかもしれないと認識して、その行為を行なった、という未必の故意が成立するかどうかである。

被告が車線変更をして被害者を追跡しているのは事実であり、追突の直前にブレーキをかけたとはいえ、速度は4キロしか低減していない。

結果的に「殺人事件」となったことで、自動車が法的にも凶器とみとめられたことになる。これは画期的と言っておくべきことだろう。わたしは10年前に自動車から自転車に乗り換えた。自分の健康と環境問題という意識もあったが、それよりも自動車が危険な乗り物だという認識からである。時速100キロというスピードは、一秒間に27メートルも進んでしまうのだ。それが標準速度である高速道路は、生死をかけた場所といわなければならないはずだ。じっさいに、初心者教習で高速道路に出た教習者は、口をそろえて「怖かったですねぇ」という感想をもつはずだ。27メートルをわずか一秒で判断し、処理する能力を誰もが持っているわけではない。そのスピードは今回の事故でわかったとおり、一般道でもふつうに行われているのだ。

◆なぜ危険運転致死罪ではなかったのか

懲役18年と、量刑的にはほぼ同じになったが、6月に起きた東名高速での煽り運転事故では、自動車危険運転致死罪が適用されている。煽って走路妨害をしたうえ、追い越し車線でクルマから降ろして暴行をふるい、さらには後続車の衝突によって2人を死なせた「事件」である。この事故の場合にも「走行中の車両が衝突して、死んでしまう可能性」は認識されていたはずだ。いや、仮にそういう認識がなかったとしても、客観的にみて認識できるはずだという評価は可能であろう。にもかかわらず、殺人罪の適用を見送ったことは、検察庁に失策として記憶されていたのではないだろうか。今回の判決が判例(上訴審での最終判決)になれば、交通行政に与える影響も少なくない。

自動車免許は筆記試験では30%前後の不合格率があり、それなりに交通法規の遵守が講じられている。そのいっぽうで、適性検査および運転時の心理カウンセリングはないがしろにされている。今回の事故も東名高速の事故も、加害者の「カッとなった」末に起きた事件、事故である。さらには、合宿免許やオートマ免許によって、免許取得は容易になっているとみるべきであろう。

◆自動車社会への警鐘になるか

自動車運転は「自我の拡張」という人格変化の現象をともなう。たとえば高級車に乗ればゆったりとした運転で、コクピットでの気分も落ち着いたものになる。スポーツカーや高速走行に適したエンジンを搭載したクルマの場合、いつもよりも攻撃的な運転になるし、大型トラックでは居丈高な態度になりがちだという。いつもは排気量の大きいクルマで高速道路をかっ飛ばしている人も、軽自動車で買い物にいくときは街をゆっくりと走る。自動車が運転する人の自我を決める、自我の拡張行為がそこにはあるのだ。そういう観点から、煽り運転の防止は、厳罰化だけでは達成できないのである。

今後、完全な自動運転化が進むとして、その場合の事故は誰が責任をとるのか、今回の判決で「自動車は凶器」と認められた以上、自動車社会は新たな課題を与えられたといえよう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

嘘つきは泥棒の始まり ── 新自由主義の矛盾と官僚主義の崩壊

「嘘つきは泥棒の始まり」。言い古された故事であるが、今日的には「高級官僚は泥棒の始まり」と言い換えないといけないようだ。厚労省による「毎月勤労統計調査」が2004年から不適切に実施されていたことが判明。同調査は雇用保険などの支給額に直結することから、不正に低い額しか受け取ることのできなかったひとびとが数えきれないほど存在することが判明した。

あれは何年前だったろうか。年金記録5000万件の紛失事件が旧社会保険庁によって引き起こされていたことが分かり、看板が社会保険機構にかけ変わったけれども、いまだに「消えた年金記録」(2007年2月16日以降)の全貌は明らかになっていない。


◎[参考動画]安倍 消えた年金が再燃「ギブアップすることは絶対あってはならない」(2020 summer 2015/06/17公開)

◆「私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」

そういえば、つい最近も「私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」と盗人猛々しく、言い放った安倍晋三が陰に陽に関与した森友学園問題では、やはり公文書の改竄が行われていたが、責任者(本当は犯人と呼びたい)佐川宣寿国税庁長官は「懲戒免職」ではなく「退職」で逃げ切り、高額の退職金を手に入れている。この事件では近畿財務局のまじめな職員が自死するという悲劇を生んでいるが、権力者にとっては末端兵隊の命や内心などは、関心の範疇にはないのである。


◎[参考動画]総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい(kokikokiya 2017/05/05公開)

◆安倍がどのような交渉をしようとも「北方領土」は返還されない

かつて、「2島返還」と言ったら「とんでもない!」と大方の自民党議員は大反発していたくせに、「平和条約」(?)締結を目指す安倍は「4島返還は現実的ではない。2島返還で交渉する」とのたまっている。本通信で過去何度か、この件については触れたが再度断言する。安倍がどのような交渉をしようとも「北方領土」は返還されない。唯一の禁じ手はアンダーテーブルでの金での交渉だろうが、これまで既に莫大な経済協力をロシアとの間に結んできた安倍としては、いくら、機密費を持ち出したところで「島を買い返す」余裕はないだろう。

中国の経済成長率が前年比6.6%だったと報じられた。これもおそらく相当水増しされた数字だろう。「世界の工場」だった中国の時代はとうに終わり、中国の経済成長は急激な下降側面に入っている。インフレと農村を核とする地方との貧困格差は、やがて大きな混乱局面を迎えることが必至だろう。


◎[参考動画]父の墓前で誓い 安倍総理が日ロ関係進展を強調(ANNnewsCH 2019/01/06公開)

◆小泉純一郎と竹中平蔵の「新自由主義」から生まれた「毎月勤労統計調査」の歪み

というわけで、お偉い官僚は嘘をつくことが習慣化しているようだ。役人の仕事は法律に従い、しこしこと書類づくりに励むことだと思っていたが、2004年から「毎月勤労統計調査」は、急に不適切な調査方法に変わっている。さて、2004年とはどんな年だった、どんな時代だったろうか。そののちに安倍晋三という大災害を生み出すことになる、「新自由主義」の旗頭、小泉純一郎が、竹中平蔵とともに、めったやたらと「規制緩和」の名のもとに大資本の自由度を無原則に広げていた時代じゃないか!


◎[参考動画]竹中元大臣「責任ある試算を」郵政民営化見直しで(ANNnewsCH 2009/10/25公開)

おそらくは、あの頃から(もっと昔からもあったろうが)、公文書の改竄や、調査の手抜きなどが、横行しだしていたのではないか。「新自由主義」の要請にこたえるためには、現実を曲げないことにはつじつまがあわないのだから。

けれども「新自由主義」が横行しだした1990年代から、この国はどのような状態を辿ってきたのだろうか。消費税が導入される。3%から5%さらに8%から今年はついに10%へ上がる。消費税は「社会保障目的税」と言われているが、消費税がなかった時代に比して社会保障が10倍充実した実感はどこにもない。

かつては特定業種に限定されていた、派遣労働が、「雇用の多様化」の美名のもと、これまた2004年に、港湾運送、建設、警備、医療以外の全職域に解禁される。派遣労働者の激増により、同一労働同一賃金の原則は完全に崩壊し、今や非正規雇用の労働者が約4割に達している(その上前を「パソナ」の竹中平蔵がはねているのだ)。

つまり官僚が書類を偽造することによって、「新自由主義」という資本主義末期の社会矛盾を、なんとかごまかせないかと、悪あがきする。しかし、そんなものは絆創膏程度の役にも立たないから、良くも悪くも「官僚主義」の崩壊を誘因する。かくして、いにしえの多くの賢人が予想した通り、資本主義も官僚主義も終焉を迎えるのだ。


◎[参考動画]【麻生太郎閣下】分かりやすい官僚操縦法(2011年2月19日福岡市にて)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

会見で何も語らなかった竹田JOC会長の贈賄疑惑が日仏外交問題に発展する日

◆不正や虚偽を糺せない国

日本という国は、不正や虚偽を糺せないようになってしまったかのようだ。官僚によるデータ改ざんや公文書の廃棄など、中枢において腐食が絶えなくなっている。それは日本オリンピック委員会(JOC)においても同様であった。フランスの司法当局が予審に入ったJOC竹田恒和会長の贈賄疑惑である。すなわちシンガポールのコンサルティング会社(ブラックタイディングス社)に支払った2億3000万円の一部が、国際オリンピック委員会の関係者に流れた問題である。同社の代表の親友の父親が、IOCの選考委員だったことによる疑惑だ。これが事実なら、東京のオリンピック・パラリンピック招致は不正行為によるものだったということになる。

フランス当局の捜査は、元日産会長ゴーン氏逮捕への「報復」とも取れるものがあるにしても、問題なのは2016年にこの問題が発覚したさいに、JOCのおざなりな身内調査で事件の真相が隠蔽されてきたことだ。いや、雇われ弁護士による「違法性はない」とのお墨付きで、疑惑を不問にしてきたことである。

◆何も語らない会見

1月15日、岸記念体育館で行われた会見で、竹田会長は「わたし自身はブラックタイディングス社との契約に関して、いかなる意思決定にプロセスにも参加していない」と、責任者であることを否定し「日本の法には違反していない」と、メモを読み上げるだけで終了した。疑惑を招いたことへの遺憾の意も表明することなく、疑惑を晴らすとも言明しなかったのである。記者の質問も受け付けなかった。そもそも契約書にはJOCの責任者たる竹田会長の印判が押されているにもかかわらず、知らぬ存ぜぬと言い放つ。いや、単にメモを読み上げたのだった。こういうトップをいただく組織に、われわれは国民は血税を使わせているのだ。竹田恒和会長とは、そもそもどんな人物なのであろうか。


◎[参考動画]JOC竹田会長が会見、汚職疑惑改めて否定(日本経済新聞2019/01/15公開)

◆わが国の特権階級

竹田恒和会長は明治天皇のひ孫で、平成天皇とはハトコにあたる。いわば皇族につらなる血縁でスポーツ界に君臨しているのだ。というのも、若いころ馬術選手であった竹田会長は、自動車事故で若い女性をひき殺したことがあるのだ。事故は国体に出るために、会場に向かっていた時のことだった。この事故で竹田氏が所属していた東京都チームは、馬術競技の全種目の出場を辞退している。事故の原因は対向車のライトに目がくらんだ、竹田氏の過失責任であった。

事故は40年前の出来事だが、その本人がオリンピック委員会の会長職にあることに驚きを感じないわけにはいかない。死亡事故を起こした竹田氏は、事故から2年後に馬術競技に復帰(モントリオール大会に出場)していたのだ。そして1984年のロサンゼルスオリンピックではコーチングスタッフで参加し、バルセロナオリンピックでは選手団の代表監督を務めるなど、JOC内部で出世の道を歩んできた。そこに「宮家」の威光が働いていたとみるのが普通であろう。したがって、今回の贈賄疑惑事件の実相はこうである。生徒会の不正支出疑惑を問いただされた生徒会長が「ぼく、この問題には関わっていませんからね」と責任回避の言い訳をしているのだ。お前が責任者だ!

昨年は日大アメフト部、女子レスリング、体操女子、柔道と、アマチュアスポーツ界の組織的な腐敗や暴力問題があぶり出されてきた。東京オリンピックへの「国を挙げて」の準備過程がまさに、組織の問題点を暴露しているかのようだ。その意味では、高額な会場建設費問題などで批判の絶えない東京オリンピックも、あながち積極的な意味がないとは言えないのかもしれない。

◆出処進退をわきまえよ

いっぽう、このままフランス当局がこの贈賄事件での司法手続きを続けるとしたら、日仏間に犯罪容疑者の身柄引き渡し協定がないことから、外交問題に発展する怖れがある。あるいは身柄の引き渡しがない場合には「国際手配」されることになる。ときあたかも、フランス政府(ルノーの大株主)によるルノーと日産の統合が要望されているさなかだ。国益を考えろとは言わないが、わずかでも日本人らしい(?)恥やプライドがあるならば、即刻辞任するべきであろう。


◎[参考動画]2013年9月8日の竹田恒和招致委員会理事長のプレゼンテーション(ANNnewsCH 2013/09/07公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

《殺人事件秘話13》今市事件:隠ぺいされた被告人以外の人物の「不審車両」

重大事件の発生当初に「有力証拠」が見つかったように報道され、それがその後に被告人の裁判でガセネタだとわかることは珍しくない。だが、たまに逆のパターンもある。事件発生当初に報道された「有力証拠」は確かに実在するのに、検察官が自分たちの主張の立証に邪魔になるため、裁判では隠ぺいしてしまうパターンだ。

当欄で何度も冤罪の疑いを伝えてきた、あの「今市事件」でもまさにそういうことが起きている。

◆今見ても興味深い2005年の読売新聞のスクープ

2005年12月1日、栃木県今市市(現在は日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が下校中に失踪し、茨城県の山中で遺体となって見つかった今市事件。2014年に逮捕された台湾出身の男性・勝又拓哉氏(36)は、裁判で一、二審共に有罪(無期懲役)とされたが、本人は無実を訴えており、有力な証拠もないことなどから冤罪を疑う声が非常に多くなっている。

そんな今市事件が起きたばかりだった2005年12月5日、読売新聞が東京本社版の朝刊1面で、今見ても興味深い次のようなスクープ記事を掲載していた。

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女児乗せた白いワゴン
栃木・小1殺害
日光道の料金所
ビデオ記録 運転席に男
両県警特定急ぐ

当初は“白いセダン”ではなく、“白いワゴン”が疑われていた(読売新聞東京本社版2005年12月5日朝刊1面)

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この記事によると、有希ちゃんが下校中に行方不明になった後、現場近くにある有料道路「日光宇都宮道路」の大沢インターチェンジ入口の料金所のビデオカメラに、有希ちゃんとみられる女児と男の乗った「白いワゴン車」が映っていたという。

では、なぜこの記事が今見ても興味深いのか。それは、勝又氏が当時乗っていた車は、「白いワゴン車」ではなく、「白いセダン車」だからである。

さらに読売新聞はその後も、《日光道ICの白いワゴン 午後3~5時通過》(同12月6日朝刊1面)、《「白い箱型の車見た」 一緒に下校の女児 別れた直後に》(同12月20日朝刊39面)などと、白いワゴン車が犯人のものであることを示唆する情報を次々に報道。また、朝日新聞も同年12月11日の東京本社版朝刊39面で、「『栃木』ナンバーの白いワゴンを2日朝に(遺体遺棄)現場付近で見た」という内容の目撃証言が捜査本部に寄せられたことを報じている。

つまり、これらの報道が事実なら、「有希ちゃんが行方不明になった現場」と「有希ちゃんの遺体が遺棄されていた現場」の両方で、犯行時間帯と近接する時間に、犯人が運転していた可能性がある「白いワゴン車」を目撃した証人が存在するわけだ。

◆栃木県警は目撃証言に関する証拠を「廃棄済み」

「別の真犯人」が存在する可能性を示す警察の情報募集のポスター。原本は警察が廃棄していた

そして実を言うと、この「白いワゴン車」の目撃証言は実在するものであると確かな「証拠」によって裏づけられている。

ここに掲載した、「懸賞金上限額500万円」と書かれたポスターがそれだ。今市事件は2005年に発生して以来、2014年に勝又氏が逮捕されるまで長く「未解決」の状態が続いていたが、これはその時期、栃木・茨城両県警の合同捜査本部が町中に張り出していた情報募集のポスターだ。

このポスターは原本ではなく、ネット上に浮遊していたものだが、「現場付近で目撃された不審車両です」として「白いセダン車」と「白いワゴン車」が両方紹介されている。先に述べたように勝又氏が事件当時に乗っていた車は「白いセダン車」なので、勝又氏が犯人だとしてもこのポスターの情報とは矛盾しない。しかし、「白いワゴン車」のほうが真犯人の車である可能性は、勝又氏の裁判の一、二審で一切検証されていないのだ。

そこで、私は過去に栃木県警が作成したこの事件の情報募集のポスターを全種類集めるべく、行政文書の開示請求を行ったのだが、栃木県警の回答は「廃棄済みである」の一言だけだった。これでは、栃木県警が別の真犯人の存在を示す証拠を隠滅した可能性を疑わざるを得ない。

勝又氏は現在、逆転無罪を勝ち取るために最高裁に上告中だ。最高裁で無罪判決が出るハードルは高いが、「白いワゴン車」が真犯人のものである可能性が検証されないまま、勝又氏の有罪が確定していいわけはない。

日光市(旧今市市)にある有希ちゃんのお墓

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

冤罪のない社会をめざして 布川事件冤罪被害者、桜井昌司さんインタビュー〈3〉

安倍政権の秘密保護法や戦争法案、原発再稼働には反対だが、反対デモや集会を規制する警察は「市民を守る良い人たち」と考える風潮が相変わらず根強い。しかし冤罪事件を1つでも知れば警察始め検察、裁判所など日本の司法が組織としていかに腐敗しているかが良く分かる。そして冤罪は、決して過去のことではなく、今も身近に起こり続けている。布川事件(1967年茨城県で発生した強盗殺人事件)の冤罪被害者にされ、29年間千葉刑務所に囚われていた桜井昌司さん(71歳)へのロング・インタビューを3回に分けて公開する。今回はその3回目で最終回。(聞き手・構成=尾崎美代子)

お話は大阪市浪速区の社会福祉法人ピースクラブで昨年11月18日にお聞きした。同日14時より開催の「矢島祥子とともに歩む集い」に出席した桜井さんは自作の歌も披露した

── 2回目は桜井さんが8月訪れた台湾の国全体で冤罪をなくそうという動きについてお聞きしました。証拠閲覧権などの法改正も含め、警察、検察の不正や誤りを社会全体で正していこうという動きですね。日本ではまだまだですが、その一歩としていま「冤罪被害者の会」を作ろうとしていると。あと再審法について、現在超党派で制定しようという動きがあるということで、桜井さんは「かなり希望が見える」とブログに書かれていましたが。

桜井 この間、そういういろんな機運がでてきたね。再審法についてはもともと無いというのがあり得ない。それについては「再審にはいろんなケースがあるから、きちんと法で決めるものではない」といわれてきた。でもこういうシステムなんかを作るのは簡単な話なんです。殺人であろうが窃盗であろうが警察、検察、裁判所が冤罪をつくるやりかたは一緒。だから「いろんなケースがあるから再審法制定は無理」なんて屁理屈なんだよ。要するにかれらがつくりたくないだけ。

── それが今、制定に向け準備が始まった?

桜井 ええ。九州再審弁護団の人たちを中心にしてね。再審を闘おうという人たちには闘いやすいシステムをつくろうとしています。

── 最高裁で審理されていた、松橋(まつはぜ)事件に再審決定が下されるも、その後検察が抗告をしていた、それがようやく棄却され再審開始が決定した訳ですが。宮田さんはもう85才、時間がかかり過ぎる。桜井さんはもともとこうした検察の抵抗に道理がないと?

桜井 そう道理がない。なぜかというと、検察という組織はすべての証拠を見たうえで有罪にしたのだから、そのあと再審が決定された際には、彼らの側に抵抗する権利などない。当たり前じゃないですか? 力関係が同等ではないのだから。彼らは被告も原告も力関係が同等だと主張するが、それがそもそも間違いだね。

── 検察の上訴権を認めるべきではないと?

桜井 それは認めるべきではない。戦前は不利益再審があった。新しい証拠があれば無罪になった人を、もう1度訴追出来た。でも戦後は一事不再理となり、いっぺん判決がでた者には新たに訴追できないシステムになった。昔は不利益再審もあった。だから検察官に抵抗権もあった。最良の証拠で訴追した人に無罪判決が出たり、再審開始決定が出たならば、検察は従うべきなんです。「転落自白」という本の中に詳しいことが書いてあります。

── で、その冤罪をなくすためにということで桜井さんは取り調べの全面可視化や証拠の全面開示が必要だと主張されていますが。

桜井 閲覧権だね。あと俺が感じるのは冤罪被害者の悲しみは誰も同じなんだからということ。死刑囚はまた別だがね。だからそういう悲しみを救うための活動を誰かがやらなくてはならない。でもおれは自分のためにやっているんであって、人のためにやってるというつもりでやっている訳じゃないけどね。

── でも獄中から「桜井さん、話を聞いてください」と手紙などあったら会いにいくのですね?

桜井 基本、全部会いに行くね。本当に多いよ、冤罪事件が。びっくりするよ。

── むかしは冤罪事件というと、なかなか犯人がみつからない凶悪事件で、犯人を捜さなければと焦る警察が、暴力使って無理やり犯人にしたてるというイメージでしたが、今はそうしたことだけではない。桜井さんも良く言われますが、大きい小さいではなく、例えばsun-dyuさんの事件(泉大津コンビニ強盗事件)や金沢地裁で争われている「盛一国賠」などあらゆる場面で冤罪が作られている。

桜井 そうだね。でもどこも一緒。冤罪のやり方とか、犯人にされた人の苦しみは。

── 本当にそうですね。私は最近ようやく「志布志事件」の本を読み終えましたが。ふつう冤罪事件というと事件が起きて、冤罪で犯人にされるというパターンですが、志美市事件はそもそも事件がおきていないという……。

桜井 ほんとうに、あれは事件の捏造、陰謀です。山中貞則という防衛庁長官もやった自民党の国会議員が、中山信一さんが町会議員から県会議員選挙に出るときに「出るな」と言った。「うちの県議はもう3人いるから」という理由でね。でも中山さんは出馬し当選した。すると山中本人が中山さんに電話して「よくやったね。ぼくの派閥に入らないか」と言ったが、中山さんは「冗談じゃない」と断った。そしたら山中さんが激怒したらしい。それで志布志警察署長の黒健治が忖度したのか、指示があったのかは知らないが、そこから志布志事件が作られたらしい。そこで山中派の県会議員の地盤が四浦で、買収事件があるみたいにして、志布志事件がでっちあげられた。森義夫県議が夜中に道路にとびだして車にひき殺され死んで、しかもひき殺した女性はヤクザの女だったと噂されたり、彼女もその後自殺したり、いろいろある、大変な謀略的な事件ですね。確かかどうかわからない点もたくさんあるが。

── 事件の現場になったのは田舎の小さな村、犯人ででっちあげられた12名の方は結構高齢な方々。よく最後まで闘えたなと驚きましたが……。

桜井 それは誰も選挙違反なんかやっていないからだよ。それを朝日新聞の記者の、大久保さんがかぎつけて報道し始めてくれ、事件になった。むちゃくちゃ怖い事件だよ。

── 本当ですね。しかもそれが平成の時代に起こったという……。
ところで先日青木恵子さんのホンダ訴訟に残念な判決がでました。私もその場にいましたが、青木さんはじめ弁護団も「なにがおこったの?」という感じでした。

桜井 要するにホンダ側に過失はないから、20年の時効が成立するから、青木さんの訴えは認めないということだね。^

── 過失というか悪意がなかったという訳ですよね。

桜井 悪意があろうがなかろうが関係ないんだよね。法律とはそもそも弱いもののためにあるんだから。当たり前でしょ。法律は弱い者のためにあるのだから、強い者に過失もクソもないでしょ。青木さんは20年の間、無実なのに刑務所に囚われていたんだから、訴えを起こすとか何もできるわけがない。裁判官という法律家がそれをわかっていない。法律はそもそも弱い者のためにあるということをね。

── 青木さん自身は、あの裁判官は、逃げたといっていました。じっさい判決を言い渡したあと裁判長が青木さんの方を向いて「終局判決となりましたので、ご検討下さい」と言っていましたが。

桜井 逃げたも何も、その裁判官には裁判官の資格がないよ。法律は弱い者のためにあるんだという意識があれば、ああいう判決は書けないよ。自分は「時効成立」なんて絶対ありえないと思っている。

桜井さんとは2016年8月10日、東住吉事件の冤罪被害者、青木恵子さんに再審無罪判決が下された大阪地裁で初めてお会いし、昨年9月も釜ケ崎にお話会に駆けつけて下さった

── 日野町事件にも桜井さんは非常に怒っていましたね。

桜井 あれもめちゃくちゃだ。犯人の決め手となった証拠写真が続き番号で何枚かあるが、じつはその順番が入れ替えられていたことがわかった。それを警察官は「よくあることですよ」とふざけたことをいう。バスの運転手が道を間違って「良くあることなんですよ」と言ったら、運転手やめたほうがいいでしょ。普通そんなこと言えないですよ。

── ましてや犯人にされた阪原さんは、無罪を訴えながら獄死された。

桜井 そう。彼らに人の命にかかわる仕事をしているという意識がない。それが許されると思っている。だからおかしい。

── そこで桜井さんがずっと主張している警察官を取り締まる法整備が必要になってくるんですね。

桜井 そうですね。じっさい警察は大事な組織ですよ。でも、いまのように、何をやっても許されるというような組織では駄目なんですよ。だから我々が糺すしかないと。大事な組織だからこそ、ちゃんとさせなくてはならない。間違ったら罰則も与えないとだめだということです。

── 諸外国ではそういう法律はあるんですかね。

桜井 わからないけどね。日本の警察や検察はあまりに嘘をつき過ぎる、酷すぎるから、日本でまずそういう法律をつくらなくてはならないと思うね。それはなにかの形で、違う法律になってもいいが、でもなんかの法律をつくらんとだめです。明らかに過失、明らかに嘘とわかっていても許されるというのはだめだね。

── 今日桜井さんとお話ししていて「法律は弱い者のためにある」という言葉についてしみじみと考えさせられました。実際はそうなっていないし、私たちの側にもそう思えていない点がある。「お上の言いなり」「長いものに巻かれる」、日本人のそういう気質がこの国を桜井さんのいう「人権後進国」にさせている。自分たちのそうした意識も変わらなくてはならない。そのうえで、警察、検察、そして裁判所含め日本の司法を変えていくために、今後桜井さんはどのような活動を続けていくのか?最後にお聞かせください。

桜井 今の日本は余りにも噂が横行してます。良く「韓国は酷い国家だ、歴代大統領が逮捕されてる最悪の国!」とか語る人がいるけど、違うよね。日本は警察と検察が政治の番犬、自民党で番犬だから逮捕出来ない、逮捕しないだけでしょう!韓国ならば、安倍晋三なんて無期懲役でしょう?法治国家日本と言われるが、これも嘘ですよ。せめて司法の世界くらいは当たり前に正義が通用する日本にしたいと思って、そのために活動したいと思ってます。

── 今日は長い時間、どうもありがとうございました。(了)

◎冤罪のない社会をめざして 布川事件冤罪被害者、桜井昌司さんインタビュー
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28887
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28894
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28898

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

海賊版漫画誘導サイト運営者に実刑判決 抜かれた伝家の宝刀──著作権法の威力

「リーチサイト」という漫画海賊版サイトに案内するサイトを運営していた3人に、懲役2年4か月~3年6か月の実刑判決が下された(大阪地裁1月17日)。人気漫画の「ナルト」など68点が読めるサイトのリンク先を掲載したことに対して「多数の著作権者らに総体として大きな被害が発生している」(飯島裁判官)としたものだ。実際に海賊版サイトを作ったのではなく、リンク集を作った被告たちに実刑が下ったことは、驚きをもって迎えられている。

官民事業体のコンテンツ海外流通促進機構(CODA)によると、漫画やアニメなど3つの海賊版サイトだけでも、2018年の2月までの半年で4000憶円をこえる被害が出ていると推定している。サイトの数がいくつあるのかはわからないが、当局の取り締まりに期待したい。

◆著作権法違反の罰則は、1000万円以下の罰金もしくは10年以下の懲役

それにしても、リンク集を運営しただけで実刑判決とは、驚かれる向きも多いのではないだろうか。リンクサイトの運営は、広告バナーの獲得で莫大な利益が出るのは知られるところだ。18禁サイトのリンク集ならそれだけ食べていける利益が出るという。気軽な副業気分でリンクサイトをやっていたところ、臭い飯を食う羽目になったというわけだが、著作権法の罰則は1000万円以下の罰金、10年以下の懲役と、じつは厳しいものなのだ。今回の判決をつうじて、一般にもその威力が知られるのはいいことだと思う。

たとえば、講演会などで自身の著作をコピーして配布する研究者や著名人を見かけるが、著作権にかかる複製権の違反である。著作物のコピーは自分の研究に使う目的でのみ許されているのだ。それも図書館において、複製申請書を提出し、司書の許可を受けなければならない。

じっさいに私も雑誌を編集する立場として、目を覆いたくなるような光景に出会う。高名な学者先生が最新号の記事を平気でコピーして、数十人の聴衆に配布している。発売したばかりの雑誌掲載の論文が、ご本人のサイトに掲載されているとか。あるいはゲラのやり取りの中で、親しい人たちに配布したいので完成PDFを送って欲しい等など。論文作法は教え教えられてはいても、著作物の複製が違法であることは日本の学界では軽んじられているのだ。

◆訴えがないかぎり、不法に放置されている著作権侵害

唯一、自分の研究以外に複製が認められているのは教育現場だが、これもじつはグレーだと指摘しておこう。条文は以下のとおり。

著作権法第35条「教育に携わる者、教育を受ける者(著作権法35条)複製画できる」となっているが、制限・配布がどの範囲なのか。じつはグレーなのだ。小学校や中学高校の義務教育の現場なら、試験対策として文芸作品のコピーが練習問題として複製されても、35条の範囲内なのであろう。大学のゼミでの研究を「教育」と言えるのかどうか。著作権法に詳しい法律家は頭を悩ませることだろう。裁判になった例は、管見のかぎり知らない。たぶんこの例(教育)での裁判は、教科書のそものに著作権者が引用不可の裁判を起こした件以外に、刑事も民事もないと思われる。

編集・出版サイドでは、雑誌の最新号や刊行から6ヶ月の新刊は、複製権が有力であるという考え方で、図書館も最新号の貸し出しやコピーを認めない所が多い。このあたりは、新薬とジェネリックの関係に似ている。

 
脱ゴーマニズム宣言事件の概要(三枝国際特許事務所HPより)

いっぽう、著作物からの「引用」は、かなり裁量の範囲が大きい。2頁以上の引用は著作権侵害との判例があるようだが、引用された側が訴えないかぎり、放置されているのが現状だ。上杉聡氏と小林よしのり氏の「脱ゴーマニズム」裁判で、引用ならほぼ制限なく可能(裁判では同一権保持=引用の不完全が違法とされましたが)となっている。

おりしも、TPPにかかる著作権期間は50年から70年に延長される予定だ。漫画家はページ当たり数千円の原稿料で、膨大な時間をかけて作品を描いている。コミックスが出なければ、アシスタントも雇えないのが実情だという。かさねて、当局には違法サイト取り締まりの実を上げることを訴えたい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

私の内なるタイとムエタイ〈51〉タイで三日坊主!Part.43 お別れの分岐点

モノレールの中でのネイトさん

◆ネイトさんと托鉢

翌朝は、いつもどおり5時30分に藤川さんの部屋をノックする。「おはようございます」と返答してくれたのはネイトさん。若いだけに体力回復も早い。わがまま藤川ジジィが言ったように、3時間でも熟睡すれば、オロナミンCでも飲んだように元気ハツラツのようだ。

今日の托鉢は3人縦列。ネイトさんは私の後ろに着いた。暗闇の中、1件目の寄進者を見つけると「居た!」と小さな声を上げるネイトさん。「喋らんでいい」と心の中で呟く私。

常連の信者さん達の前に立つ。お菓子オバサンは私に「どこの国のお坊さん?」と聞かれ、「アメリカです。タイ語は完璧です!」と言った後、ネイトさんもタイ語で応えていた。そんないつもと違う顔に興味津々の信者さんが多かった。

朝方、托鉢に出る前、藤川さんもこの寺と決別する決心したような、「もしかしたらノンカイの寺に移るかもしれん」と言う。私は内心、「それは困る、また向こうで一緒かい」と先のことは分からないが、心で拒絶する。

でも朝食後、藤川さんの部屋の前で、和尚さんとネイトさんと藤川さんが談笑しているのが見えた。「お前も来い」と私を呼ぶ和尚さん。

日々やって来る信者さんの訪問もあり、和尚さんは定位置に戻ると、藤川さんとネイトさんはまた部屋に篭る。午後は街へ出て行った。旅に必要なものでも買いに行ったのだろう。

私はコップくんらと外で喋って居ると、和尚さんに呼び止められ、「朝方、アメリカ人とは何喋った? 言葉通じるのか」と言い出す。3ヶ国語ペラペラだったのは分かっているはずで、あの談笑は他愛も無い話ばかりで心の探り合いだったように伺えた。

寺から見える山の頂上

◆プラ・ナコーン・キリーを訪れる

ネイトさんらは意外と早く帰って来た様子だったが、ネイトさんが寺から見える山の上にある「ナコーン・キーリー」へ行こうと言う。15時40分を回った頃だったが、「えっ、今から?」と思う。陽が暮れる頃には閉門されると聞いていたからである。

今迄何回か、コップくんらにも誘われたことはあったが、一度も行っていなかった。「マズイな」と思いながら、彼らはいつもの作業に掛かっているし、こっそり行くことにした。境内のベンチに居た和尚さんに許可貰いに行くと「行って来い!」と予想どおり簡単に許された。

ノンカイに居た時の旅の途中のような外出。寺の隣となる敷地の “ロッラーンファイファー”と言われるモノレールに乗る為、切符を買おうとすると、窓口で「比丘はタダ」と言われる。他の客は居らず、我々比丘2僧と、その窓口から乗務員の若い可愛い女の子が2人も乗って来た。この状況はいいのかな。

この女の子らに「どこのお寺に居るの?」と聞かれて「すぐ隣のワット・タムケーウだよ、こちら(ネイトさん)は昨日ノンカイから来たばかりだよ」と言っている間に、ほんの2分ほどで頂上に到着。

「プラ・ナコーン・キーリー」と言う歴史公園。仏塔や寺などがあるが、ペッブリーの街の麓が眺められる絶景であった。帰りのモノレールが17時がラストだと言われていたので散策は少々のみ。この時は予備知識も無く、ネイトさんとの単なる散歩になってしまったが、デートコースには良い場所と思う。

帰りのモノレールも来る時と同じ乗務の女の子が乗っていた。「ワット・タムケーウは行ったことあるけど、お兄さんは見たこと無いよ、けど今度タンブンに行くよ」と言う女の子たち。私も会った覚えは無い。でも私は「明後日に還俗するんだけど、還俗したらまた来るよ」と言っておく。笑う仕草の可愛い子たち。こういう出会いは楽しいものだった。修行の合間のわずかな時間だが、藤川さんが居ないと女の子との出会いが多いなあ。

モノレールからの風景(1995年1月23日)
頂上にて仏塔を背景に(Photo by Nateさん)

◆運命の分岐点

ナコーン・キーリーでネイトさんに聞いた旅の予定は、翌日(1月24日)、バンコクへ行ってカンボジアの入国ビザを申請して、一旦この寺に戻った後、藤川さんと共にノンカイに帰り、2月初旬、ワット・ミーチャイ・ターの祭りに参加。その後、コーンケーンへ向かい、ビザ取得後の中旬以降カンボジアに向かうようだ。

ちょっと羨ましい気もするが、私も自分の予定を組んでしまった。還俗後にチェンマイでの伊達秀騎のムエタイ試合の取材態勢に入っていたが、ここが運命の分岐点だった。欲を捨て修行に専念し、「私も行かせてください」と言っていたら、私もカンボジアに行っていただろう。

「俺はノンカイの寺で再出家するんだ」という我がままも藤川さんとの決別を推していたようにも思う。

心の弱い人間は、迷いが生じ、楽な方へ誘われてしまうのだろうか。これは後々還俗後、しばらくして気付いたことであった。

ネイトさんも朝の和気藹々とした談笑は、勿論、本音での話し合いではなかったと言う。和尚さんに改めてのカンボジア行きの話はしなかったらしい。

◆別れの朝

翌朝の托鉢に出た時、寺の隣のバスターミナルの前に差し掛かると、藤川さんは「8時以降のバスの時間聞いて来てくれ」とネイトさんに頼む。もう寺を出た托鉢中と言える立ち位置で、こんな雑用に使われるネイトさん。これからも使われるだろう。特に英語圏では。バス時刻は8時、8時半と30分毎にバンコク行きが出ているようだった。

托鉢はいつもとほぼ同じ顔触れの信者さんの寄進を受けて帰って来た。藤川さんと二人の、ネイトさんも加わった三人体制は今日で最後である。そんな藤川さんの後姿も脳に焼き付けておく。こんな姿を約3ヶ月見て来たのだ。あまり話さなかったのに、それでもいろいろなことがあったなあと思う。1年半前は単なるオッサンだったのに。後ろのネイトさんも1ヶ月半前は単なる旅行者だったのに。この世のものは日々変化して行くのであろう。

朝食時、ホーチャンペーン(食事の壇上)でネイトさんには、ノンカイの寺の様子を教えてくれるように、私がバンコクでお世話になっているアナンさんのジム住所と電話番号を教えておく。「分かりました。連絡します。またノンカイでお会いしましょう!」と応えたネイトさん。

黄衣を纏い、旅の準備をしている藤川さんの部屋へ行くと、永遠か、一時的か分からないが、本当のお別れがやって来た。

「今迄お世話になりました。この格好でお会いするのは、もしかしたらこの先もあるかもしれませんが、比丘としても俗人としても、またお会いできる日には宜しくお願いします」

私の言うことに一つ一つ「ハイ、ハイ!」と応えながら旅の準備を進める。「また遊びに来いや!」と言う言葉は最後の思いやりのような温かみがあったが、もう比丘として見る厳しさは無く、寂しさを感じる贈る言葉に聴こえた。

「1週間後にもう一回だけ来て、借りている黄衣や食器類などお返しします」と言うと、「居らんかもしれん、ノンカイ行くかもしれんから」と言う藤川さん。それもここで会うことはもう無さそうな言い回しだった。

やがて出発準備が整い、後ろを振り返ることなく、ネイトさんと旅立たれた。藤川さんとの別れの頃などの写真は無いが、旅に出た時以外は撮れるものではない寺での藤川さんだった。

ここから私はまた新たな旅立ちがある。藤川ジジィに負けてはいられない。アナンさんのジムへ、チェンマイ行きの予定を聞く為、電話しに出掛ける今、私の人生、何度目かの分岐点となった朝だった。

ナコーン・キリーでのツーショット

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

患者1000名のカルテを組織的に不正閲覧!院長も手を染めた滋賀医大附属病院、底なしの倫理欠如

滋賀医大小線源治療患者会のメンバーが1月16日、厚生労働省を訪れ、滋賀医大附属病院泌尿器科の医師らが中心となり、約1000名にのぼる患者カルテの不正閲覧が行われていた‟事件“についての対応を申し入れた。

松末吉隆=滋賀医大附属病院院長(同病院のホームページより)

患者会が厚労省へ提出した文章には、
《先日、滋賀医大附属病院での、泌尿器科 河内明宏教授の指示のもとに施行されたFACT-P と呼ばれるQOL調査に関してさまざまな不正について貴省に調査を要請したところです。
その後、FACT-P問題とは別に、滋賀医大附属病院院長をはじめ、多数の泌尿器科医師、そして事務職員による、約1000名に上る患者カルテの不正閲覧があった、との情報をわれわれの担当医である岡本圭生医師から通報を受けました。(注:太文字筆者)(中略)法律にも抵触する行為であり、早急に、調査を頂き、その結果をご回答頂きたいと思います。》
と記述されている。

厚労省記者クラブで開かれた記者会見では、滋賀医大附属病院の院長、10名の泌尿器科医師、さらには事務職員までが、カルテの不正閲覧を行っていた事実がの詳細が、患者会メンバーから明らかにされた。

患者会からは、担当医である岡本圭生医師が、2018年11月29日に患者とは無関係な者による「カルテ不正閲覧」の事実を同病院の公益通報窓口に通報したが、同日から泌尿器科医師らによる「不正閲覧」が確認できる範囲で止まっている「不思議な現象」も報告された。公益通報がなされた日を境に「不正カルテ閲覧」が「突如行われなくなった」のは偶然であろうか。院長から事務職員までが手を染めた「カルテ不正閲覧」は、組織ぐるみで隠ぺいを図ろうとされている可能性が排除できないだろ。このような組織的な、カルテ不正閲覧は極めて悪質であるばかりか、懲役を含む刑罰の対象になる場合さえある。

記者会見での患者会のメンバー
安江博さん

消費者庁のガイドラインで、公益通報には基本20日に、通報者への対応が明記されている。しかし、11月29日の公益通報から20日経過しても、通報者(岡本医師)へ公益通報窓口からの回答はなかったことから、岡本医師は厚労省へ公益通報を行い、被害者である患者会へも「カルテ不正閲覧」の事実を伝達したという。

会見の席で安江博さんは「問題が起きているわけでもないのに、顔を見たこともない、まったく関係のない院長がカルテを不正閲覧しているのは、『人権侵害』以外の何物でもない。とんでもない行為だ。個人的意見だが、滋賀医大附属病院の対応如何では、将来的に刑事告訴も検討することになるかもしれない」と、強い怒りをあらわにした。

石井裕通(ひろみち)さん

石井さんは「業務に関係ない人が私のカルテを見たということを聞いております。非常に憤って、とんでもないことだと思っています。滋賀医大附属病院は経営理念の中に『患者との信頼関係を大切にする』と謳っていますが、現実には全く逆の患者を裏切る行為を続けている。なぜこういった不正が行われるのか。その背景も含め厚労省には調査をお願いしたいと切に思います」と述べた。

「岡本先生の小線源の治療を受けた約1000人の患者、ほとんどすべての人が閲覧されています。病院側の意図を感じます。医局(泌尿器科)12人のうち10人が、手分けをして見たような印象がある。FACTのこともそうだし、今回のこともそうですが、われわれ患者は『丸太棒』と同じなんです。(注:太文字筆者)無機質な『丸太棒』のように、人権を認めていない。だからこういうことをする。我々を軽視しています。患者会が病院に質問などをしても、ほとんど回答されません。無視です」と牧野さんは語った。

牧野一浡(かずおき)さん

会見後牧野さんに質問したところ「滋賀医大附属病院のホームページには『患者らによる』という言葉があります。あれがすべてを物語っていますね。人権無視です」と言われていた。

QOL調査の改竄についで、1000名に上る患者カルテの不正閲覧。しかも院長を含む組織的な「不正閲覧」は、法律上も倫理上も決して許されるものではない。
ここまで不正行為を重ねている滋賀医大附属病院は、厚労省の指導を待つことなく、しかるべきアクションを速やかに行うべきことは言を俟たないが、果たして自浄作用は期待できるであろうか。

自身も不正閲覧を行った松末吉隆院長の責任が強く問われる。

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

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◎滋賀医科大学に仮処分の申し立てを行った岡本圭生医師の記者会見詳報(2018年11月18日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか