わかりやすい!科学の最前線〈09〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた病害微生物の検出 安江 博

これまで、クマなど、哺乳類由来の大気中の生物デブリについて述べてきました。そして、クマのデブリの解析では、空気中のデブリの量を数値化できるようにしたこともお伝えしました。この結果を応用して、空気中の病害微生物の量も捕捉可能ではないかと考えました。そこで、今、問題となっている鳥インフルエンザについて考察してみたいと思います。

◆鳥インフルエンザウィルスの捕捉

鳥インフルエンザは、現在、我が国のみならず世界の鶏舎で猛威を振るっています。鳥インフルエンザは、鳥インフルエンザウィルスによって引き起こされる鳥の感染症です。農林水産省のサイト(サイト1)に、「鳥インフルエンザは、A型インフルエンザウイルスが引き起こす鳥の病気です。鳥に感染するA型インフルエンザウイルスをまとめて鳥インフルエンザウイルスといいます。これを、家畜伝染病予防法では、家きん(ニワトリ、七面鳥等)に対する病原性やウイルスの型によって、「高病原性鳥インフルエンザ」、「低病原性鳥インフルエンザ」などに分類しています。家きんで高病原性鳥インフルエンザが発生すると、その多くが死んでしまいます。一方、低病原性鳥インフルエンザの発生では、「症状が出ない場合もあれば、咳や粗い呼吸などの軽い呼吸器症状が出たり産卵率が下がったりする場合もあります。」と記載されています。そのため、鳥インフルエンザが発生した養鶏場では、感染拡大を阻止するため、そこで飼育されているニワトリすべてを殺処分します。2022/23年シーズンは、10月末に岡山県倉敷市、北海道厚真町で確認されて以降、23県で57事例が発生。1シーズンの殺処分数としては過去最多だった2020年度の987万羽を超え、1月10日時点で1008万羽となっています(サイト2)。

その結果、物価の優等生と言われてきた鶏卵も価格高止まり状態が続いており、我々の家計には大きな負担となっています。

そのうえ、1997年香港において、当時、生きた鳥を売買している市場で流行していた高病原性の鳥インフルエンザA(H5N1)ウイルスが、ヒトに伝播し感染者が18人確認され、そのうち6人が死亡した (サイト3)例があり、今年2023年にもカンボジアで少女が死亡、その父親も感染しました。

このように、人間に対する病原性にも注意が必要です[図6.1]。

[図6.1]

インフルエンザウイルスはエンベロープ(外套膜)(直径80-120nm)に覆われた球形のウイルスで、粒子内部には直接メッセンジャーRNA(mRNA)とはならない8 分節したRNA、及びA、B、Cの型を担う核タンパク(NP)、並びに膜タンパク(M1)などを持っています[図6.2](サイト3)。RNAは、8個の分節からなっており、その全体の長さは約13キロ塩基です(サイト4)。感染経路は、感染した渡り鳥の糞、体液が大気中に拡散し、浮遊物となって、鶏舎等に侵入し、鶏舎内のニワトリに感染が広がると思われます。

[図6.2]

もし、我々が使っている大気中の生物デブリ捕集システムを使って、ウイルスの存在・量を解析すると仮定したなら、先ず、集めた大気中の生物デブリからRNAを抽出します。この場合、抽出したRNAをすぐに鋳型として解析することはできないので、コロナウイルスの場合と同様に、一旦RNAリバーストランスクリプテースと呼ばれる酵素を用いて、DNAに変換しその後、PCR法で解析することになります。以前は2ステップ法、つまり試験管操作が二回必要でしたが、2006年に一回の試験管操作で、ウイルスRNAをDNAに変換し、そのままPCRを進めて、その解析結果の取得まで行える方法が開発されました。

これにより、サンプル以外のRNA、DNA(例えば操作をするヒト由来とか)などの混入 (コンタミネーション)が起こる可能性も低く抑えることが出来ました。この時同時に、この解析に必要なプイラマーセットも作製されました(論文1)。

ワンステップ逆転写 (RT)-PCR システム と 高病原性の鳥インフルエンザA(H5N1)ウイルス特異的プライマー (フォワードプライマー:5′-ACTATGAAGAATTGAAACACCT-3′ および逆プライマー:5′-GCAATGAAATTTCCATTACTCTC-3’)を用いて解析する方法です。この方法では、高病原性の鳥インフルエンザA(H5N1)ウイルスが特異的に検出されています[図6.3]。

[図6.3]

現在、我々は、実際に解析したデータは持ち合わせていませんが、近い将来、捕集した大気中の生物デブリを用いて、高病原性の鳥インフルエンザA(H5N1)ウイルスの検出にトライしてみる予定です。トライした結果が出ましたら、改めてご報告したいと思います。

野外からの鳥インフルエンザウィルス感染阻止の対策として、現在私が考える方法は、コロナウイルス感染防止で医療者が使用しているマスクのN95フィルター、或いはさらに、目の細かい、我々が生物デブリの捕集に使用しているHEPAフィルターを使って、鶏舎に入る外気をろ過して清浄化し、かつ、出入りや隙間を防ぐ目的で鶏舎内を陽圧に保つことです。しかし、それにかかる費用は高いと思われ、畜産農業生産に見合うかどうかは難しいところです。

サイト1 https://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/tori/know.html
サイト2 https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01560/
サイト3 https://www.cas.go.jp/jp/influenza/backnumber/kako_11.html
サイト4 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/data-hub/taxonomy/11320/
論文1 Specific detection of H5N1 avian influenza A virus in field specimens by a one-step RT-PCR assay. Lisa FP Ng, Ian Barr, Tung Nguyen, Suriani Mohd Noor, Rosemary Sok-Pin Tan, Lora V Agathe, Sanjay Gupta, Hassuzana Khalil, Thanh Long To, Sharifah Syed Hassan and Ee-Chee Ren. BMC Infectious Diseases2006, 6:40

◎安江 博 わかりやすい!科学の最前線
〈01〉生き物の根幹にある核酸
〈02〉ヒトのゲノム解析分析の進歩
〈03〉DNAがもたらす光と影[1]
〈04〉DNAがもたらす光と影[2]
〈05〉生物種の生存圏
〈06〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いたアルゼンチンアリの生存圏の解析 静岡市にはまだアルゼンチンアリが生息していた!
〈07〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた、ドブネズミ(ラット属)の生存圏の解析 この環境にドブネズミはいるのか、いないのか?
〈08〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた、クマ(クマ科)の生存圏の解析
〈09〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた病害微生物の検出

▼安江 博(やすえ・ひろし)
1949年、大阪生まれ。大阪大学理学研究科博士課程修了(理学博士)。農林水産省・厚生労働省に技官として勤務、愛知県がんセンター主任研究員、農業生物資源研究所、成育医療センターへ出向。フランス(パリINRA)米国(ミネソタ州立大)駐在。筑波大学(農林学系)助教授、同大学(医療系一消化器外科)非常勤講師等を経て、現在(株)つくば遺伝子研究所所長。著書に『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』(鹿砦社)等

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格闘群雄伝〈31〉酒寄晃 ── 繊細な心と拳で頂点に君臨した強面レジェンド! 堀田春樹

◆渡邊ジム初のチャンピオン

酒寄晃は1953年(昭和28年)4月、茨城県出身。第4代、第8代全日本バンタム級チャンピオン、第7代全日本フェザー級チャンピオン。現在も続く名門・渡邉ジム最初のチャンピオンとして、キックボクシング界黄金期から斜陽化時代に、強面でパワフルにKOを狙う負けん気の強さでチャンピオンの座に長く君臨した。

1972年(昭和47年)4月、19歳でデビューした酒寄晃は、元々プロボクシングの経験があったが、芽が出ずキックボクシングに転向してきた経緯があった。新人時代は伸び悩んだりジムから遠ざかったりと周囲から期待も小さかったが、それまでの下積みが基盤となって徐々に実力開花していった。

1974年11月6日に茨城県水戸市での全日本バンタム級王座挑戦では、所属する渡邊ジムが一丸となって酒寄晃をバックアップ。ジム設立5年目にして初のチャンピオン誕生を目指していた。そして俊善村正(烏山)をパンチで4ラウンドKOして王座獲得。当時の全日本・協同プロモーション系は日本テレビ系で放送されていた時代。現在と違い希少価値あるチャンピオンの名は全国に轟く効果があった。そんな全盛期、毎月の試合も志願した酒寄晃だったが、誰もが通る試練もやって来た。

◆スランプから開花

1975年7月7日、茨城県笠間市で俊善村正との再戦に薄氷の引分け初防衛したが、1976年4月24日、茨城県下館市で渡辺己吉(弘栄)に4ラウンドKO負けで王座陥落。

1977年6月17日、日本武道館で渡辺己吉と再び王座決定戦を争うが、判定負けで返り咲き成らずも、渡辺己吉の引退で1978年2月10日、酒寄晃は王座決定戦で隼壮史(栄光)に2ラウンドKO勝利して王座返り咲き(以後・後楽園ホール)。減量苦もあったが、スランプを脱したその勢いで同年7月22日、全日本フェザー級王座決定戦で、花井岩(雷電)に判定勝利して二階級制覇。第7代全日本フェザー級チャンピオンとなる。バンタム級王座は返上。

酒寄晃が更に自信を深めたのは1979年9月、タイの二大殿堂ジュニアライト級元・チャンピオンで、長江国政や藤原敏男も下している上位ランカーだったビラチャート・ソンデンをパンチでKOしたことだった。

渡邉信久会長も後に、「酒寄はごく普通の入門生で、気は強そうだったがムラッ気があって成長に時間が掛かったが、こんなに強くなるとは思わなかった。」と語るほどだった。

とにかくブン殴れば倒れない相手はいないと自信を深め、KOを狙う試合が増えていった。

翼五郎(東洋パブリック)、金沢竜司(金沢)、佐藤正広(早川)、少白竜(萩原)、甲斐栄二(仙台青葉)らを退けた中、1981年元日の挑戦者だった、当時まだ18歳の現・レフェリーの少白竜氏は、

「50戦を超える獰猛なゴリラみたいなベテランの酒寄さんはとにかく強かった。パンチ躱すのが速く、違うところから素早く蹴られ、重いパンチでわずか2分あまりで倒されました!」と恐怖?体験を語る。全日本フェザー級王座は5度防衛に達したが、当時はキックボクシング界が低迷期に入り、1981年は業界分裂・新団体設立が始まった年だった。

◆頂上決戦

1982年1月4日、日本プロキック・フェザー級王座決定戦で、玉城荒次郎(横須賀中央)に4ラウンドKO勝利で新王座獲得。

1982年7月、日本ナックモエ・フェザー級王座決定戦で、佐藤正広(早川)に判定勝利して新王座獲得。

細分化していく業界だったが、酒寄晃は分裂の度に王座決定戦を制し、常に頂点に君臨。現在のような、戦わずにチャンピオン認定など行わない正当な制度だった。
その実力を証明する1983年3月の1000万円争奪オープントーナメント56kg級決勝7回戦は事実上の日本フェザー級頂上決戦の構図となり、年齢もデビュー時期も近く、同時代を生きつつも戦うことは難しかった日本系(旧TBS系)で成長して来た松本聖(目黒)と拳を交えた。

初回、酒寄が先にフラッシュダウンはするものの、逆にパンチで三度のノックダウンを奪いながら、第2ラウンド以降、松本のパンチとローキックで酒寄はリズムを徐々に崩し、セコンドからの「お前の方がパンチ強えんだからパンチで行け!」という声も、解っているけど当たらない、もどかしい表情で松本に向かうが、歴史に残る名勝負となる激戦を残しながら5ラウンド逆転KO負けを喫した。松本よりパンチも蹴りも、打たれ強さも兼ね備えていながら敗れたのは、「慢心から来るものだった」と深く反省したという。

強いパンチと蹴りで松本聖を苦しめたがKOには繋げず(1983.3.19)
松本聖のローキックに苦しめられたのは酒寄晃(1983.3.19)
酒寄晃のパンチは重かった。第1Rには圧倒したが……(1983.3.19)
気が強い酒寄晃、心機一転、甲斐栄二戦に臨む(1983.9.10)
本領発揮、右ハイキックで甲斐栄二を苦しめる(1983.9.10)
強打者同士、鼻血を流したのは甲斐栄二(1983.9.10)
まだまだ全盛期、引退の陰りは無かったが……(1983.9.10)

◆昭和のレジェンド

その後、日本統一王座を決する計画が進められ、松本聖との再戦が浮上したが、組織の細分化は再集結には難しい不運な時期だったこともあり、統一戦は実現に至らず、1984年夏、長年のライバルの佐藤正広(早川)にKO勝利した試合をラストファイトとして引退を決意。

同年の1984年11月、業界が急好転し期待された4団体統合の日本キックボクシング連盟設立で、酒寄晃の再度の活躍が期待されたが、すでに31歳。長年の激戦からくる故障もあってモチベーションを高めるには至らなかったようだ。同門の新鋭・渡辺明がタイトルを争うまでに成長して来た影響もあっただろう。

そして翌年の6月7日、盛大に引退式を行ないリングを去った。

[写真左]引退セレモニーでの御挨拶、風貌に似合わず優しい口調で感謝の言葉を述べられた(1985.6.7)/[右]テンカウントゴングに送られる酒寄晃、13年の現役生活だった(1985.6.7)
 
引退興行の当日プログラムはポスターとともにインパクトがあった(1985.6.7)

強面顔の酒寄晃は、近寄り難いタイプながら仲間内では明るく振る舞うムードメーカー的だったとも言われ、渡邉会長の厳しい指導もあっただろうが、「性格は繊細でジムでも練習道具は整理整頓し、試合で使用するバンテージも鮮やかなほどキレイに巻いていた。」と言われるほど几帳面だった。

引退後は若い職人を従えての内装建築業を営み、その繊細な心で事業を展開していた様子。

「引退当時はジムによく来ていたよ。」という渡邊会長も、事業が忙しくなった様子で後には姿は現さなくなったという。「今は何しているのかなあ!」という古い時代の渡辺ジム関係者達である。

全日本系列では歴史上、藤原敏男、大沢昇、島三雄、岡尾国光、長江国政、猪狩元秀といった名チャンピオンが名を連ねる中、後に分裂で道は分かれたものの、酒寄晃は昭和の名チャンピオンに並ぶレジェンドだったと言えるだろう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

「冤罪被害者」袴田巌さんの無実の訴えを退けた存命の裁判官たちに公開質問〈02〉2018年に再審を取り消した東京高裁の裁判官・菊池則明氏(現在は新潟家裁所長) 片岡 健

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

2人目は菊池則明氏。2018年6月11日、その4年前に静岡地裁(村山浩昭裁判長、大村陽一裁判官、満田智彦裁判官)が認めた袴田さんの再審を取り消す決定を出した東京高裁(裁判長は大島隆明氏)の裁判官の一人だ。

現在は新潟家裁の所長をしている菊池則明氏(裁判所のwebサイトより)

◆「菊池氏の略歴」と「菊池氏への質問」

菊池氏は1959年5月13日生まれ、茨城県出身。大島裁判長らと共に袴田さんの再審を取り消す決定を出した約10か月後の2019年4月1日に千葉家裁に異動し、2021年9月20日から新潟家裁の所長を務めている。

なお、裁判所のウェブサイト上の新潟家裁のページでは、菊池氏が同家裁の所長として以下のような挨拶をしている。

家庭裁判所は、令和元年に70周年を迎えました。発足から現在までの間に社会経済状況は著しく変化し、家族形態の変容、個人の権利意識の高揚、少子高齢化の進行等を背景に家族内紛争の様相も大きく変わっています。また、件数こそ減少傾向にあるとはいうものの、少年の非行問題は複雑化し、より困難な事例も後を絶ちません。このような諸問題に取り組み、家庭内の紛争や悩みを解決し、未来を担う少年の健全育成をはかるという家庭裁判所の役割に対する国民の皆さんのご期待はますます高まっているといえましょう。

新潟家庭裁判所が、このような皆さまのご期待に十分応えることで信頼を寄せていただけるような存在になりますよう、所長として精一杯力を尽くしていきたいと考えています。よろしくお願い申し上げます。

そんな菊池氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、新潟家裁に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

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【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。菊池様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

裁判所のwebサイト上の新潟家裁のページでは、菊池様が同家裁の所長として以下のような挨拶をされています。

〈家庭裁判所は、令和元年に70周年を迎えました。発足から現在までの間に社会経済状況は著しく変化し、家族形態の変容、個人の権利意識の高揚、少子高齢化の進行等を背景に家族内紛争の様相も大きく変わっています。また、件数こそ減少傾向にあるとはいうものの、少年の非行問題は複雑化し、より困難な事例も後を絶ちません。このような諸問題に取り組み、家庭内の紛争や悩みを解決し、未来を担う少年の健全育成をはかるという家庭裁判所の役割に対する国民の皆さんのご期待はますます高まっているといえましょう。

新潟家庭裁判所が、このような皆さまのご期待に十分応えることで信頼を寄せていただけるような存在になりますよう、所長として精一杯力を尽くしていきたいと考えています。よろしくお願い申し上げます。〉

菊池様は、袴田さんの再審を取り消した決定について、国民の期待に十分応える決定だと思われますか? また、東京高裁がこの決定により国民から信頼を寄せられる存在になったと思われますか?

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※菊池氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

《6月20日追記》

6月20日午前9時26分頃、新潟家庭裁判所事務局総務課の課長補佐・信田英樹氏から筆者のスマートフォンに電話があり、以下のような回答を伝えられた。

「先日文書でご依頼のあった当所・菊池所長への取材には、応じられません。同封頂いた返信用の封筒については、後日、郵便でお返し致します」

筆者は新潟家裁ではなく、菊池氏に取材を申し込んだのだが、信田氏によると、この回答は「新潟家裁としての回答になります」とのこと。そのため、信田氏に対し、「菊池氏には確認していないということか」「そもそも、菊池氏は筆者の取材依頼の文書を見たのか」などと質したが、信田氏の回答は「これ以上の詳細についてはお答えできません」だった。

そこで、「これ以上の詳細を答えられない理由については説明できないか」とも聞いてみたが、信田氏は「そちらについてもお答えはできません」と回答した。

菊池氏については、追加取材をすることを検討している。(片岡 健)

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

《6月のことば》人生 旅の途中 夢の中 鹿砦社代表 松岡利康

《6月のことば》人生 旅の途中 夢の中(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

6月になりました。── 時の経つのは速いです。今年も5カ月が過ぎました。GWが明けてからも、あっというまに6月になりました。

短期間でもこの調子ですが、物心がついて1960年代、70年代、80年代、90年代……あっというまでした。

齢70を過ぎ、私の人生も黄昏期に入ったと感じていましたが、龍一郎が言うように、まだまだ「人生旅の途中」の気持ちで、初発の「夢」を求め果たして行きたいと思います。

まずはコロナ禍でガタガタになった会社を建て直し(かなり回復基調)、まだまだ果たせていない仕事をやり切りたい。

コロナ禍で2年遅れましたが、当面は2年後の『紙の爆弾』創刊─出版弾圧20周年を一里塚として目指し失地回復に努めます。

「人生」という「旅の途中」にはこれまでいろいろなことがありました。これからもひと山、ふた山、み山あるかと思いますが、「夢」を求め続けて行きたいと思う昨今です。

(松岡利康)

月刊『紙の爆弾』2023年6月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)

ロックと革命 in 京都 1964-1970〈08〉“ウェスカー‘68”「スミレの花咲く頃」→東大安田講堂死守戦「自己犠牲という花は美しい」 若林盛亮

◆ウェスカー‘68

菫(すみれ)ちゃんとの再会は、偶然とはいえ五里霧中にあった「革命家の卵」にはとても幸運な出会いになった。

「Bちゃんはアホやなあ」! と“True Colors” 「あなたの本当の色は美しい」を歌ってくれる「俳優の卵」菫ちゃん。

彼女と過ごす時間、それは互いの志や夢が凍(こご)えないよう「卵」を温め合う孵化促進の時間、「卵同士」のとても大切な恋時間になった。

「アホやなぁ」に背中を押され、また1968年という熱い政治の季節が秋頃にはさらに熱気を加える幸運もあって、「戦後日本の革命」に向かって私は前に進むことができた。

 
“ウェスカー‘68”のポスター

その年の10・21国際反戦デー闘争は、東京では社学同による防衛庁突入闘争や騒乱罪の適用された新宿駅一帯の群衆を巻き込んだ学生、市民一体の大衆的暴動として、関西では大規模な御堂筋デモとしてますます闘いの火に油を注ぐものになっていった。もちろん私は御堂筋デモの中にいた。

この頃になると「しゃんくれ」で知り合った立命社学同系学生ら政治の話ができる仲間ができた。でもいかんせん彼らは他大学の学生、私は組織のない根無し草に変わりはなかった。

東大、日大全共闘の闘いは全学バリケード封鎖に向かい「バリケード封鎖維持か解除か」を巡り日大では刃物や凶器を持った体育会系右翼学生との暴力的衝突、東大では組織をあげての共産党系民青解除派との闘いを同伴しながら闘争は激烈化していた。学生たち自身の創造物である東大、日大闘争の行方は他人事とは思えなかった。私は居ても起ってもおれない気持ちで推移を見守っていた。でも当事者でもない私は傍観するしかなく、ましてやまだ「革命家の卵」の私にはどうしようもなかった。

「卵からの孵化」は菫ちゃんのほうが早かった。

「スミレの花咲く頃」は多くの少女達がスターを夢見る宝塚歌劇団の歌だが、「菫ちゃんの花」は晩秋の演劇イヴェント“ウェスカー‘68”で大きく花咲いた。この舞台で「いい役に抜擢されるのが目標」と言っていた菫ちゃん、彼女は見事に目標達成、大役を射止めた。

それは東大、日大闘争も天王山を迎えた時期、彼女にとっては演劇人生の天王山、10月下旬から11月中旬にかけての頃のお話し。

“ウェスカー‘68”-それは労働者階級出身という英国劇作家、アーノルド・ウェスカーを招いて日本の主要都市で行われたウェスカー作品の演劇と作家を交えたシンポジウムが同時に行われる演劇イヴェント、東京では新宿紀伊国屋ホールでやるというビッグイヴェントだった。そんな晴れ舞台に菫ちゃんは立つことになった。

菫ちゃんからチケットをもらった、「観に来てね、きっとだよ」!-「ゼッタイ行くよ」! 

まるで自分が出演するみたいにはやる胸を押さえながら私は彼女の舞台を観にいった。四条通りをちょっと入った所、たしか大丸百貨店関連のけっこう大きな劇場だった。演劇もウェスカーという劇作家もよくわからない私は、へえ~、こんな大舞台に菫ちゃんが出るんやと正直、驚いた。

 
スミレの花咲く頃

演目はA.ウェスカーの左翼色の強い代表作「大麦入りのチキンスープ」、そして題名は忘れたが併演のもう一本。彼女は「大麦入りの……」では端役、でも併演の舞台で主人公の恋人役に抜擢された。

併演のその作品は、ドイツの若い兵士が軍を脱走し恋人と森に逃げ込むという反戦劇だった。

脱走兵士と森の逃避行を共にする恋人役を演じる菫ちゃん、舞台の彼女はまるで別人だった。

軍規を破って脱走という国家反逆行為に及んだ恋人とあえて行動を共にする、そんな恋する強いドイツ娘になりきる菫ちゃん、私は劇の進行よりもそのドイツ娘だけを見ていた。

兵営脱走に伴う苛酷な運命を恋人と共にするドイツ娘、苦境の恋人を愛おしむ切ない感情や恋人の決断を支える強い意志、また葛藤、それらをセリフの言いまわしとちょっとした身の仕草など自然体で表現する、その菫ちゃんの演技はまるで波乱の純愛渦中のドイツ娘が目の前にいるよう、舞台のドイツ娘に愛おしささえ覚えた。

「ゼッタイ舞台女優になる」! と言っていた菫ちゃん、なるほどこういうことだったのかと少しわかった気がした。

演劇後のシンポジウムでは菫ちゃんはマイクを持って会場の声を拾う大任もこなした。これにも私は驚かされた。劇団は彼女にシンポジウムでも重要な役割を与えたのだ。晴れの舞台を終え、生き生きと会場からの様々な意見を拾っていくスーツ姿の菫ちゃんはほんとうに輝いていた。演劇論のよくわからない私だったけれど、それがとてもカッコよくて我が事のように晴れがましかった……スゴイよ、菫ちゃん!

「卵からの孵化」では私より一歩前に出た菫ちゃん。「あなたの色はきっと輝く」、それを実際の形で私に見せてくれたのだ。そんな彼女に私はちょっと嫉妬した。

この日から彼女は私の「よきライバル」になった。菫ちゃんには負けられない! そう思った。

◆東大安田講堂籠城を求められて

「よきライバル」に刺激をもらった“ウェスカー‘68”からほどなくして私は、11月22-23日にかけて東大安田講堂前での日大、東大闘争勝利全国学生総決起集会に誘われたわけでもないのに同志社赤ヘル学生らと共に上京、参加した。どうしても自分の身を東大、日大の闘いの現場に置きたかった、身体がうずいて仕方なかった。それまでのデモ参加とは違う、自分でも抑えられない衝動に突き動かされた。

名目は集会だったが実質的にはバリ解除派の民青系学生らとの対決示威だった。私もそれを意識した。対する相手も黄色のヘルメットにゲバ棒で武装した実力部隊が結集、でも小競り合いはあったけれど全面的衝突には至らなかった。

しかしながら安田講堂前で開かれた総決起集会、日本全国から結集した赤、白、青、緑のヘルメット学生が党派を超えて一堂に会し講堂前広場を埋め尽くすその光景は壮観だった。これだけの学生が全国で闘っているのだ、自分たちがこの日本を変える! そんな熱い志の大きな塊みたいなものを実感した。その中に自分がいることが誇らしかった。

私はといえばいまだに誰からも誘われない一志願兵だったが、そんなことは問題じゃない。京都から常に行動を共にした同志社の赤ヘル学生たち、特に文連サークル系の学生の中には顔馴染みもできた。彼らは観光研、広告研といった文化サークルの学生、プロ活動家ではないが一応は学友会傘下組織の一員だ。個人で来ている私を向こうは変な長髪4回生だなと思ったかもしれない。でもそんなことはかまわない。みんなで闘うこと、勝利することが重要、その中に自分がいればそれでいい。

東大闘争は年末から年始にかけ「入試実施か中止か」を巡って大紛糾の末、明けて‘69年1月14日「入試実施のため機動隊導入も辞さず」と加藤総長代行が言明、これに対抗し1月15日には“全国労農学総決起集会”が安田講堂前で持たれ、17日に加藤代行はついに「機動隊出動を要請」、18-19日にかけての安田講堂バリケード死守戦へと事態は進む。

私は前年11月の時のように当然のごとく“全国労農学総決起集会”参加のため同志社赤ヘル部隊と一緒に上京した。

総決起集会後の事態の展開は、バリ封鎖解除に導入される機動隊との激突、攻防戦になることはわかっていたが、地方からの支援学生は集会参加だけでまさか安田講堂に立てこもることになるとは考えもしなかった。しかし17日夜になって地方からの支援学生にも安田講堂死守戦参加を求められた。それは逮捕が前提の籠城戦、しかも騒乱罪適用の10・21闘争の弾圧ぶりから起訴、長期拘留が予想されると説明を受けた。

各自の決心が問われた。政治に転進して以来、私の志が最も試された時だった。

誰からも指図を受ける立場にない私だったが、私には籠城戦参加以外の選択肢はなかった。もちろん躊躇がなかったといえば嘘になる、でも逮捕、投獄の不安よりも東大のバリケード死守の闘いに身を置くことの方が私にはもっと大切なことだった。

そしてたぶん、「菫ちゃんに負けてたまるか」魂も作用したと思う。“True Colors”を歌ってくれる恩人を裏切るような真似はしたくない! そんな気持ちもあったのは確かだ。

一夜明けるとやはり人数は減っていた。でも同志社からの学生は10人ほどが残った。それも観光研、広告研など政治と無縁の文化サークル所属の学生が多かった。「上等じゃないか」! と思った。

東大安田講堂死守戦(1969年1月24日付け『戦旗』より)

◆自己犠牲という花は美しい

安田講堂籠城戦のことを書くと単なる武勇伝になりかねないのでそれは控える。ただ私の心に響いた一場面だけには触れたいと思う。

我々の世代の歴史を語ること、正しく伝える必要があると思うからだ。

我々は全共闘世代と一括りに言われるが、多くは過激派、極左、暴力分子など否定的な評価、それには「連合赤軍事件」や「内ゲバ殺人」による印象の悪さもあるが、私たちの闘いの未熟さ不十分さにも要因があるのは事実だ。「愛することと信じることはちがう」と水谷が歌ったのもその辺のことを言ったのだろう。だから当事者の多くは語れない、語ろうとしない。

でも全国であれだけの学生、無名の若者が立ち上がったこと、青春の熱気、正義感に満ちていたこと、それも事実なのだ。逮捕起訴、長期拘留覚悟の安田講堂籠城戦にあれだけ多くの若者が残ったのも「大義に殉じる志」があったからだ。そんな同世代の良心を私は信じたい。だから、その一端だけでも当事者として語っておきたいと思う。

 
東大安田講堂死守戦

当時の安田講堂籠城戦で胸を熱くした体験が一つある。

私たち同志社の学生は講堂ホールに昇る階段を受け持った。機動隊が階段を上ってきたら劇薬を投げ、鉄球状の小さな球ころを階段に撒く役目だったが一日目は何もすることがなかった。そこで二日目、私は勝手に持ち場を離れ、バルコニーに出て闘う東京の赤ヘル学生達の持ち場に行ってみた。そこは「激しい戦場」だった。

地上からの高圧放水をベニヤ板で防ぎながらレンガ、コンクリート片や火炎瓶を投げる、頭上のヘリコプターからは催涙液がバルコニーに向かって散布される。みんなはずぶ濡れだ。そんな中でまだ高校生のような童顔の学生が機動隊に向かって叫んでいた。

「お前らは金のためにやってるんだろ! 俺たちは違うぞっ」

私はエライ単純な論理やな~と思ったが、なぜか心に響いた。それがあの時の私たちの心情を単純明快に表現してくれてる言葉だったからだ。

あのバルコニーでの闘いは、まさにそれだった。

1月の冬の身を切るような寒風にさらされながら放水を浴びれば全身ずぶぬれ、ふだんなら誰もそんな目には遭いたくはない。交代時には部屋に小さな石油ストーブがあって束の間の暖をとれた。みんなぶるぶる震えている。口がガチガチ震えて声も出せない。でも服が乾く間もなくリーダーの「次ぎっ」という指示でバルコニーに飛び出る。私も経験したが、いったん暖をとったらお終いだ。また水を浴びに寒風の外に出るというのはかなりの決心がいる。登山で疲れて重たいリュックを降ろし座り込めば、もう立ち上がれなくなる、あれと同じだ。ジャンパーからまだ湯気が立っている状態で放水の待つ外に出ていくのは簡単じゃない。あの時、誰かがリーダーに「もうイヤだ、アンタが行けばいいだろ!」と言ったら誰も立ち上がれなかったかもしれない。

でも誰もそんなことは言わなかった。「次ぎっ」の指示に黙々と従って、躊躇なくバルコニーに出ていった。些細なことかもしれないが、あれは間違いもなく「大義に殉じる自己犠牲」だった。それが誰の心にもあったのだと思う。

大義に殉じる自己犠牲、「自己犠牲という花は美しい」! 私はそのことをあの現場で体験し、実感できた。個々人は豪傑でも英雄でもないひ弱な人間かもしれない、でも個々の志が一つの塊になったとき、皆が英雄になる、美しい花になる!

私が今日までこの道を続けて来られたのもこの時の体験は決して小さくない、そう思っている。同世代のために、このことだけは語っておきたい。(つづく)

東大安田講堂死守戦(1969年1月24日付け『戦旗』より)


〈08〉“ウェスカー‘68”「スミレの花咲く頃」→東大安田講堂死守戦「自己犠牲という花は美しい」

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』

故・後河内麻季先生の労災認定を却下! 広島地裁「権力忖度」判決の常習犯 吉岡茂之裁判長の不当判決 さとうしゅういち

◆裁判長遅刻の挙句の不当判決

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

5月16日(火)13時12分頃、吉岡茂之裁判長による不当判決の代読をした男性裁判長の声が広島地裁201号法廷に響き渡り、傍聴に来ていた筆者らは茫然としました。

判決は本来13時10分から言い渡しの予定でしたが、所定の時間になっても裁判長は現れず、筆者らがじらされていると、書記官が慌てて、裁判長席の後ろのドアを開けて裁判長らを呼びに行きました。そして、遅れて現れた挙句に不当判決。余計にがっくりきました。

 

◆軽く扱われた非正規労働者の命

広島の私立の高校・広島国際学院高校の英語科非常勤教師だった後河内麻季先生は、精神疾患を発症して自死に至りました。

採用されてからは任期3年間という有期雇用契約でした。しかし、いつまでも非正規というわけではなく、それ以上契約を延長する場合は、いわゆる正規雇用(期間の定めのない雇用)にすることが期待される状況でした。そして、3年の期限がくる前年の秋には「来年もよろしく」と声がかかっていました。しかし、期限が来ても非正規のままで、しかも自分よりも後輩が先に正規になるという有様でした。仕事ぶりもご両親から見ても大変熱心でした。

しかし、正規教員になかなかなれない、また、周囲の先生方からのパワハラなどもあって、自死に追い込まれました。

また、後河内先生が亡くなられた翌日、同僚の先生が花束を後河内先生の机に手向けたら、校長がすごい剣幕で激怒したそうです。

「次に来る人が困るじゃないか」

というのです。亡くなってすぐに、次の人が来るはずもありませんから、周囲の先生方も「校長はおかしくなったか?!」と思ったそうです。

非正規労働者を弔うのがご法度。そういう異常な雰囲気だったのです。

もちろん、ご両親などの遺族が、労働災害の認定を求めました。しかし、国は、学校経営者側の主張を丸呑みする形で精神疾患と業務との関連性を認めず、認定を却下。ご両親がその却下処分の取り消し=労災認定を求めて国を提訴していました。

◆原告の訴えに正面から答えず、国の主張なぞるだけの薄っぺらな判決文

この日の判決の判決文は、弁護人の佐藤真奈美先生によると20ページと、この手の裁判では異例の薄さだったそうです。要は、原告の主張には正面から応答せず、国の主張をなぞるだけ、というものだったのです。

この日、ご両親は勝つつもりで麻季先生の遺影を持ち込まれていました。ご両親は今後ともご支援をお願いしたいと頭を下げられました。

裁判後の交流会でも、筆者も含めて、今後ともご両親を支援していくことを申し合わせました。

筆者からは、筆者がかつて大阪府内で非正規の行政関係の労働者の雇止め裁判を支援した経験をご紹介・地裁では不当判決だったが、2007年ごろから人格権侵害が認められるようになる流れが勃興し、人格権侵害の主張により、2010年の高裁では逆転勝訴、2011年最高裁で勝訴確定しており、あきらめずに支えていきたいという思いを申し上げました。

◆原発、産廃……「権力忖度」の常習犯 吉岡茂之裁判長

今回の裁判を担当した吉岡茂之裁判長は、実は、「行政に忖度した」判決や決定が目立つ裁判官です。

2017年3月31日、筆者ら「伊方原発広島裁判」の原告が四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求めた仮処分申請を吉岡茂之裁判長は却下しました。原告が高裁に抗告すると、高裁は、阿曾山大噴火により伊方原発に危険が及ぶ可能性があるなどとして、運転差し止めをいったんは認めたのです。

その後、被告・四国電力側から異議が申し立てられてしまいました。そうした中で、原告側も再度仮処分申請を申し立てました。しかし、2021年11月4日、またまた、吉岡茂之裁判長により、阻まれてしまいました。この決定は、被告の四国電力に十分な安全性の立証を求めずに、住民側に、伊方原発の地盤特性などを比較するよう求めるものでした。戦後最悪ともいえる不当決定でした。(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41158

そして、三原の産廃処分場問題でも吉岡茂之裁判長が登場します。2022年6月30日に広島地裁は、いったん認められていた産廃処分場差止の仮処分への業者による異議申し立てを認めてしまったのです。この時の裁判長が吉岡茂之さんです。「住民が利用する井戸まで有害物質が含まれる水が到達する可能性があると認めるに足りる資料がない」という理屈でした。環境問題におけるいわゆる予防原則を無視する暴論でした。

◆重要な論点含む訴訟、引き続き支援したい

ただ、逆に言えば、吉岡裁判長の決定は、高裁によって覆った例もあります。あきらめてはいけません。

この裁判が問うている精神疾患の労災認定はあまりにも労働者に厳しい運用のままです。かつては、心臓脳血管疾患についても厳しい運用でしたが、労働者側の運動で改善させています。引き続き、取り組んでいきたい。

また、日本・広島の学校現場が公立・私立問わず、あまりにも労働者、ことに非正規労働者である先生方を使い捨てる状態が続いています。最近では文科省もようやく重い腰を挙げつつありますが、実効性は上がっていません。人を育てる学校こそ人を大事にしてほしい。そうした声も粘り強く上げ続けたいものです。

この判決があった5月16日は、この判決の直後、河井案里さんの腹心だった県議・渡辺典子被告人の公選法違反(被買収)事件の裁判の初公判もありました。

金権腐敗政治を糺す市民団体(写真)の皆様も裁判所にお見えになっていました。筆者からも、後河内先生の裁判があることをお知らせし、市民団体の皆様にも一緒に連帯して傍聴いただきました。

広島県民の皆様にもぜひともこの裁判にご注目いただき、ともに声を上げていただきたく伏してお願い申し上げる次第です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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横浜副流煙事件「反訴」、平田晃史裁判官に対する忌避申立で中断 黒薮哲哉

横浜副流煙事件が、原告による忌避(きひ)申立で中断している。忌避申立とは、裁判官が公平中立に裁判を進行させない場合、裁判官の交代を求める法手続きである。

既報してきたように横浜副流煙事件は、煙草の副流煙による健康被害をめぐり、同じマンションに住む住民同士が、横浜地裁を舞台に繰り広げている事件である。発端は2017年11月。Aさん一家(夫、妻、娘)は、下階に住む藤井将登さんに対して、副流煙で健康被害を受けたとして4518万円の支払いを求める裁判を起こした。警察もこの住民トラブルに介入した。

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

しかし、横浜地裁はAさん一家の訴えを棄却した。Aさん一家の体調不良の原因が、将登さんの煙草の煙に因果するという証拠がないのが棄却理由である。Aさんは東京高裁に控訴したが、高裁も訴えを棄却した。

将登さんと妻の藤井敦子さんは、勝訴が確定した後、Aさん一家と裁判に積極的に関与した日本禁煙学会の作田学理事長に対して、不当な裁判提起により経済的・精神的な苦痛を受けたとして、約1000万円の支払を求める裁判を起こした。俗に言う反スラップ訴訟で、現在、横浜地裁で審理が続いている。

ちなみに将登さんが煙草を吸っていた場所は、自宅の音楽室である。ベランダで煙草を吸っていたわけではない。音楽室は防音のために二重窓になっており、煙は外部へはもれない。しかも、1日の喫煙量は、2、3本程度である。

◆尋問に耐えうる客観的な証拠

この裁判を担当しているのは、平田晃史裁判官である。裁判は順調に進み、2023年2月には、作田医師と藤井敦子さんに対する尋問が行われた。当初、平田裁判官は、A夫も尋問の対象にする予定だった。ところがA夫の代理人である山田義雄弁護士が、A夫の体調不良を理由に尋問の免除を申し出た。

これに対して平田裁判官は、A夫の出廷が困難であることを立証する診断書を提出するように命じた。しかし、山田弁護士は診断書を提出しなかった。その理由を、「車椅子で生活している」とか、「家の中で這うように生活している」などと説明した。医療機関を受診できる状態ではないという。山田弁護士が提出したのは障害者手帳だった。平田裁判官は、事情を理解してA夫を尋問の対象から外した。

そこで藤井敦子さんは、山田弁護士の説明の信ぴょう性を確かめるために、「張込み」を行った。自家用車の中に身を潜めて、A夫を待った。そしてビデオカメラにA夫が歩いている場面を撮影したのである。

古川弁護しは、敦子さんが撮影した動画を平田裁判官に提出して、A夫の尋問を行うように求めた。しかし、平田裁判長は、尋問を実施しなかった。

忌避申立の理由は、平田裁判長がA夫の尋問を行わないという判断をするにあたり、A夫に対して客観的な証拠の提出をあくまでも求め続けなかったことである。尋問を実施しなかったことではない。

忌避申立の理由は次の通りである。

忌避申立書(本画像をクリックすると全文のPDFにリンクします)

しかし、横浜地裁は5月22日に、忌避申立を棄却した。これを受けて、藤井さんは、異議を申し立てる。裁判は中断して、現時点では再開の目途は立っていない。

◆裁判の公平性の欠落

ちなみに前訴の中で、A夫に約25年の喫煙歴があったことが判明している。それを知っていながら、隣人の副流煙で健康被害を受けたとして、藤井将登さんに対して4518万円を請求したのである。つまりA夫は、能動喫煙で体調を崩した可能性が高いことを知りながら、その責任を将登さんに押し付けたのである。

A夫に対する尋問を免除するのは、著しく公平性に欠ける。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)
黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

7年ぶりの市原興行、メインイベントは睦雅! 堀田春樹

睦雅と大地・フォージャーはいずれも王座獲得後初戦となる。

睦雅はヒジ打ちで初戦を飾り、大地・フォージャーはムエタイ戦法に攻め倦み、持ち味を殺された決定打の無い引分けに終わる。

◎Road to KING / 5月21日(日)市原臨海体育館 / 開場15:00、開始16:00~18:47
主催:市原ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

※試合順は西原茉生vs花澤一成を省いています(プログラムと異なります)

◆第8試合 62.0kg契約 5回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(ビクトリー/ 61.85kg)18戦12勝(6KO)4敗2分
      VS
チュ・ギフン(元・韓国格闘技ライト級Champ/韓国/ 61.5kg)39戦22勝12敗5分
勝者:睦雅 / TKO 1R終了 / ヒジ打ちによるカットによる顔面負傷で棄権。
主審:少白竜

睦雅の様子見の右ミドルキック、次第に圧力を増していった
睦雅が左ヒジ打ち、これがヒットかは微妙ながら、この後すぐ、チュ・ギフンが流血

今回の試合で引退と発表しているチュ・ギフンと、3月19日の王座獲得後、最初の試合になる睦雅。前日計量では髪の毛を金髪にしてイメージチェンジをした睦雅。タイトル奪取と試合に向けてのコメントは「有難うございます。明日は必ず勝ちます。」と語った。チュ・ギフンは同国の選手と軽い談笑はしていたが緊張気味であった。

第1ラウンド、睦雅が蹴り主体に攻め、チュ・ギフンが対抗し一進一退の攻防で進むが、残り30秒辺りに睦雅の左ヒジがチュ・ギフンの左瞼をカット。ドクターチェック後、睦雅はパンチ、ヒジ打ちでチュ・ギフンの負傷箇所を襲うが、チュ・ギフンも反撃しながら凌いでラウンド終了もインターバル中、チュ・ギフンサイドからタオル投入。負傷箇所が悪化で続行出来ないと判断した様子。

睦雅はメインイベントをKO勝利で締めたこともあり、「王者として興行を締める責任を果たせたと思います。有難うございます。」とコメント。チャンピオンとしての責任感を何度も意識していた睦雅は、「先輩の永澤サムエル聖光選手の姿を見たり、直接指導を受けて学びました。」と語った。

◆第7試合 67.0kg契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.大地・フォージャー(誠真/ 66.95kg)
17戦7勝(5KO)9敗1分
VS
コンデート・ギャットプラパット(元・タイ7ch・フェザー級Champ/タイ/ 66.5kg)
107戦82勝(11KO)21敗4分
引分け 三者三様
主審:松田利彦
副審:少白竜29-30. 仲29-29. 桜井29-28

両者探り合いの展開から大地は体格差を活かしパンチを主体に攻めていく中、コンデートは手数は少ないものの、大地に攻め込ませないように上手くリング(広さ、奥行き)を使った距離を取る戦法。大地はラッシュをかけるも決定打を打たせて貰えず終了。

時折コンデートが技を見せ、左ハイキックが大地を襲う
追う大地とロープに詰まりながらも余裕のコンデート

◆フライ級3回戦 -中止-

JKAフライ級2位.西原茉生(治政館/ 50.4kg)vs花澤一成(市原/ 50.7kg)

前回3月19日の、偶然のバッティングによる負傷引分けとなった再戦も、花澤一成が前日計量はパスしているが、急な発熱による体調不良の為、ドクターストップ(検診時)。西原茉生はリング上で「フライ級の王者を目指す」と宣言。再戦は7月16日のKICK Insist.16へ延期。

◆第6試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級2位.皆川裕哉(KICK BOX/ 57.1kg)21戦10勝9敗2分
        VS
ユン・ソン(韓国/ 56.7kg)14戦9勝(2KO)5敗
勝者:皆川裕哉 / 判定2-0
主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 松田30-29. 仲30-29

試合前、皆川裕哉はリラックスした表情で、「勝ちます。もちろんKOで、楽しんで来ます。」とコメント。

初回、皆川裕哉は得意の多彩な蹴りで自分の距離に持ち込もうとするが、ユン・ソンは受け身となりながらも回転回し蹴りで会場を沸かせ、皆川はしっかりブロックをしてダメージを受けず。その後、皆川のパンチとキックのコンビネーションにユン・ソンは打たれ強さで耐え、重いパンチで反撃をして来ると皆川が攻め倦むシーンもあった。最終ラウンドも皆川のローキック中心で優勢な展開の中、再びユン・ソンの回転回し蹴りが仕掛けられるが皆川は冷静に対処して判定勝利。
試合後、ユン・ソンは終始無言。皆川裕哉は「試合は楽しめました。相手の選手の回転蹴りは驚きました。いい経験でした。」と語っていた。

攻勢の中でも危険な打ち合いに出ること多い皆川裕哉
大技を繰り出すこと多い皆川裕哉、勢い付いて左ミドルキックヒット

◆第5試合 55.0kg契約3回戦

JKAバンタム級4位.樹(いつき/治政館/ 54.9kg)9戦5勝(2KKO)3敗1分
      VS
キム・テゴン(韓国/ 55.0kg)12戦7勝(4KO)4敗1分
勝者:樹 / 判定3-0
主審:松田利彦
副審:桜井30-27. 少白竜30-27. 仲30-27

樹は同日の岡山ジム興行に出場している麗也(治政館)を意識し、「負けられない、勝利を約束します!」と力強くコメント。

初回、樹のローキックが効果的に決まり、キム・テゴンはパンチで応戦するも、ラウンドが進むにつれ、樹の圧力で前に出難い状況になる。樹はキム・テゴンへのローキックの効果を確信し、パンチの連打でコーナーに追い込むが、キム・テゴンはタフネスぶりを発揮し、ノックダウンを許さない。

最終ラウンドには樹はセコンドの指示(キム・テゴンのタフネスさから深追いさせない)によりKOを狙わず、ポイントを守るスタイルに切り替え、キム・テゴンの最後の追い込みを躱して終了。

主導権奪って右ハイキックで出る樹、フルマークで圧勝

◆第4試合 バンタム級3回戦

紫希士(=きしと/Formed/ 53.3kg)2戦2勝
     VS
河村秀和(ラジャサクレック/ 53.3kg)7戦3勝4敗
勝者:紫希士(赤コーナー) / 判定3-0 (29-28. 29-28. 29-28)

開始早々に紫希士のパンチの連打が河村秀和の顔面を捉え会場がどよめく。特に紫希士のやや離れた距離からのストレートは効果的だった。河村秀和も久しぶりの試合ながら、紫希士の攻撃に応じて打ち合いになり、会場が盛り上がる。第3ラウンドに紫希士のヒジ打ちが河村選手の右頬をカットするが、最後まで打ち合う展開で終了。

紫希士はまだ2戦目ながら積極的に攻めて僅差ながら判定勝利

◆第3試合 ミドル級3回戦

西田絋佑(ビクトリー/ 72.3kg)2戦1敗1分
     VS
白井大也(市原/ 72.0kg)1戦1分
負傷引分け / TD 2R 1:22

白井大也がパンチを主体に攻め、西田絋佑はクリンチをしながら主導権を握らせない展開であったが、第2ラウンドの半ばあたりの偶然のバッティングにより、白井大也が流血し試合続行不可能となる。

◆第2試合 女子スーパーバンタム級3回戦

大内咲(市原/ 55.0kg)1戦1敗
     VS
珠璃(闘神塾/ 54.3kg)2戦1勝(1KO)1分
勝者:珠璃(青コーナー) / TKO 2R 終了

初回から珠璃のパンチが大内咲を的確にとらえ、珠璃のストレートが顔面に当たる度に大内咲の顔が後方に反る。大内咲も蹴りやパンチで返すも珠璃の圧倒的な手数に圧され、劣勢のまま第2ラウンド終了後、大内咲サイドからタオル投入による棄権で終了。

この日の女子キック、終始、珠璃が圧倒

◆第1試合 ライト級3回戦

菊地拓人(市原/ 60.6kg)1戦1敗
     VS
龍将(TRY HARD/ 61.0kg)1戦1勝
勝者:龍将(青コーナー) / 判定0-3 (28-29. 27-29. 28-29)

初回から龍将の蹴りヒットで菊地拓人のペースを奪っていく。龍将のミドルキックに意識がいったか、菊地は一瞬ガードが下がったところへ龍将の左ストレートがヒットし、ノックダウンを喫する。菊地は立ち上がり、龍将の左ミドルキックを貰い動きが止まるが、更なるノックダウンは免れる。

第2ラウンド、菊地が反撃をし、龍将は右ストレートを貰いながらもミドルキックで反撃。最終ラウンドでは、菊地の右ストレートが龍将のコメカミにヒットするも単発で終わり、龍将は一発狙い、菊地はスタミナが切れている状況でノックダウンを奪う打ち合いにまで至らず終了。

チュ・ギフンの棄権ではあるが、完全勝利でメインイベントを締め括った睦雅

《観戦記》岩上哲明

7年ぶりの市原興行は成功したと思われます。市原ジムのOBであった須田康徳さんや真鍋英治さん、蘇我英樹さんなどの姿には懐かしさを感じました。

睦雅選手が最後を締めてくれて、王者としての責任を果たしたと思いました。去年の11月の試合で左ヒジ打ちでのKO勝ちをして上昇気流に乗り、今年の3月19日に王者になり、今回の興行でメインイベントを締めてくれたのを嬉しく思いました。
大地・フォージャー選手はコンデート選手の戦い方に合わせ過ぎてしまった感があり、実力を発揮出来なかったでしょう。

他団体も含めて、「打倒ムエタイ」の傾向が続いていますが、タイだけではなく、今回出場した韓国の選手のように世界には多数の外国人選手がいます。団体のカラーもあると思いますが、そのカラーに合った外国人選手を興行に合わせることで、団体としての力もアップするのではないかと感じました。

《取材戦記》堀田春樹

睦雅と対戦したチュ・ギフンは2016年4月10日に当時、日本フェザー級4位.拳士浪(治政館)に判定負け。日本では市原ジムを拠点とし、在日韓国人として幾らか試合出場している様子。

市原ジム前会長の玉村哲勇氏が2019年5月に肺癌で亡くなり、追悼興行はまず2020年に予定されながら、コロナ禍の影響で暫く開催出来なかったようです。他、市原ジム顧問の鈴木熊男氏、中岡優治氏が逝去された模様で、3名にテンカウントゴングで送られました。

昭和の市原ジムから伝説のチャンピオン須田康徳氏をはじめ、四元伸一郎氏、松田勇氏や当時トレーナーだった太田浅男氏の御来場、玉村会長の奥様、長男・長女さんの顔触れがありました。私がキックボクシング関係者と家庭的なお付き合いがあったのは40年前に、この市原ジムと玉村会長家が初めてでした。その懐かしさと温かい心配りに感慨無量でした。

また、市原臨海体育館も2016年4月の蘇我英樹引退興行以来となりましたが、ツイキャス中継用のセッティングで、ビッグマッチイベントの大会場のような雰囲気があり(照明は明るくはなかったけど)、以前の外光が入る体育館とは違った印象がありました。昔はここで沢村忠さんの試合も行なわれた会場です。市原ジムの今野顕彰選手は引退の意向のようで、メインイベンターとしての出場は無くなってしまいましたが、ビクトリージムの睦雅はチャンピオンとしてメインイベンターを務め、しっかり責任を果たしたと言える勝利でした。

今後の市原ジム興行は誰がメインイベンターとなるか、今回欠場となってしまいましたが、花澤一成には期待が掛かるでしょう。

次回のジャパンキックボクシング協会興行はビクトリージム主催「KICK Insist.16」が新宿フェースにて開催されます(昼夜二部制の可能性あり)。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

勇者たちは地獄に堕ちるのか? ロシアの民間軍事企業「ワグネル」創設者プリゴジンはプーチンに粛清されるかもしれない 横山茂彦

反プーチン勢力(ロシア義勇軍・自由ロシア軍など)がウクライナから越境攻撃するなど、ウクライナ戦争は緊迫の度を高めている。

ロシアの内戦のきざしとともに、注目を集めているのがワグネルのプリゴジンの発言(映像パフォーマンス)である。

「弾薬が70%足りない。ショイグ(国防相)、ゲラシモフ(参謀総長)! 弾薬はどこにあるんだ」「あれほど要求したのに、送られてきたのは、たった10%だ!」
と、軍首脳を罵倒してきた民間軍事会社ワグネルのプリゴジンは、バフムトを完全制圧したとして(ウクライナ軍部はこれを否定し逆包囲を示唆)、前線からの撤退を表明した。

投降したワグネルの兵士(懲役囚)の話では、ウクライナ兵の位置を知るために丸腰で最前線の標的にされたという。ワグネルに「退却はない」のだそうだ。その戦い方はしかし、弾薬不足を証明しているのかもしれない。


◎[参考動画]ワグネル「バフムト撤退」表明 ロシア軍に陣地を引き継ぎ(2023年5月25日)

◆クーデターを怖れている?

ロシア軍がワグネルに弾薬を送らない理由が、プリゴジンのクーデターを怖れているのではないかという説がある(中村逸郎「現代ビジネス」ほか)。

独裁者がみずからと対抗するナンバー2を許さないのは、ナチスドイツのヒトラーとエルンスト・レームの関係に明らかだ。

二人の関係を描いた戯曲『わが友ヒットラー』で、三島由紀夫はレームに「軍隊は男の楽園」と語らせ、その軍隊を統制する政治が左右の過激分子を排除する権謀術策であることを証していく。

その三島が激賞した映画「地獄に堕ちた勇者ども」は鉄鋼王の一族が、ナチスに乗っ取られていくドラマの中に、レーム粛清の「長いナイフの夜」を挿入している。休暇先でのドイツ人らしからぬ陽気な乱痴気騒ぎと、眠りこけている朝、SSを中心とした正規軍に虐殺されるシーンの対比が凄まじい。


◎[参考動画]「地獄に堕ちた勇者ども」La Caduta degli dei〈The Damned〉(1969伊・西独)

ちなみにイタリアの原題は「La caduta degli dei(神々の堕落)」で、西ドイツでは「Die Verdammten(くそ野郎)」。共同制作国でも、ナチスを扱う分だけ表現が違うわけだが、アメリカはドイツの原題をそのまま「The Damned(くそったれ)」である。品がなさすぎる。邦題がいちばん相応しいと思う。

◆緩慢なる粛清

ところで一説には、プリゴジンに届けられたのは弾薬だけではなく、「バフムトの陣地を離れたら、祖国に対する国家反逆罪になるという脅し付きだったのだ」(前出、中村)という。

ロイターは「 ロシア民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏は、ウクライナ東部ドネツク州の要衝バフムトから部隊を撤退させれば祖国に対する反逆と見なすと示唆されたと明らかにした」と報じている。だとしたら、これは緩慢な粛清ではないのか。

「この戦争のみならず、シリア内戦の時も、プリゴジン率いるワグネルはロシアの正規軍よりも最前線に立って戦ってきました。それもすべては、『盟友』プーチンのために他なりません。しかし、ここ最近のやり取りから、プーチン側はプリゴジンを切り捨てたように見えます」(中村)

プーチンとプリゴジンの関係は、プーチンがサンクトペテルブルク市第一副市長だった頃からだという。プリゴジンは継父とともに始めたホットドッグ店のネットワークからレストラン経営に転じたころ、プーチンが店に通うようになったという。

公式の記録では、2001年にプーチンとシラク仏大統領が、プリゴジンが経営する「ニューアイランド(船上レストラン)」で食事をしている。このときプリゴジンは、個人的に料理を提供したという。2002年にはジョージ・W・ブッシュ大統領を迎え、2003年にはプーチンが同レストランで誕生日を祝っている。

◆戦争を商売にする者たち

ワグネルは約5万人とされているが、ロシア軍の先鋒隊として世界各地で戦闘を行なっている。

提携する軍隊は、ウクライナドンバスの親ロシア派だけではなく、シリア正規軍・イランのイスラム革命防衛隊・中央アフリカ軍・モザンビーク国防軍・マリ軍・リビア革命軍など。そして派遣先でワグネルグループの子会社を通じて権益を得ているのだ。かつての関東軍がアヘン利権で戦費をおぎなったように、独立した政商軍隊なのである。それゆえに派遣先では戦争犯罪行為を訴追され、国際犯罪組織に指定されてもいる(アメリカなど)。

このことはまた、現代世界が21世紀の今日もなお、戦争(侵略と内戦)という経済実体を持っていること、グローバル資本主義のもとでもなお、ナショナリズムと国家主義の堅牢さがあることを雄弁に物語っている。

独裁政権をめぐる権力闘争もまた権謀術策にまみれ、戦争の中で人命を食い物にしながら残虐に行なわれるのだ。プリゴジンとプーチンの関係から目を離せない。


◎[参考動画]【ドキュメンタリー】“プーチンの料理人”がウクライナに「囚人兵」を派遣 ロシア軍事企業「ワグネル」の暗躍【TV TOKYO International】(2023年1月27日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2023年6月号

中核派現役区議会議員、洞口朋子氏に聞く「LGBT法案」の問題点〈2〉絶えざる差別・抑圧を産み出す今の社会を表層的に変えれば良くなるとのものの見方は、甘いのではないか 田所敏夫

本通信ですでにお伝えした通り「LGBT平等法」が国会で審議されている。国政政党の中に明確な「反対」は見当たらず、自民党から共産党までがこの法案に関しては「推進勢力」である。時あたかも「広島G7」。「G7の中でLGBT法がないのは日本だけ」との言説も聞かれるが、果たして「グローバルスタンダード」(?)はこの国のひとびとを幸せにするのだろうか。

ある筋から「中核派がLGBT法に反対しているよ」と教えてもらった。マスコミでは「過激派」と称される中核派であるが、中核派が「LGBT平等法」に反対する理由はどのようなものだろうか。中核派であることを隠すことなく杉並区会議員として2期目の再選を果たしたばかりの洞口朋子さんに電話でお話を伺った。後編の〈2〉を公開する。

 
洞口朋子=杉並区議会議員

洞口 たしかに性的マイノリティーをどう考えるかについては、私たち中核派の中でも、かなり討論し学習を重ねているのが正直なところです。その中で杉並区議会に「性の多様性条例」が出されましたので、私たち中核派の見解を2、3月の議会で出しました。

田所 わたしは共産党にもこの件で質問をしました。「バイセクシュアル」の人はいまのでデメリットを被っているでしょうか」と質問したところ、共産党のお答えは「バイセクシュアルについては考えたことがない」でした。LGBTとの言葉で括られていますが「多様性」とは文字どおり「多様」なのだからLGBTに収まらない人もいます。今の社会通念からすれば逸脱する人もいるが、仮に法律を作ればそのような指向の人をどう考えるのか、との議論が欠如していませんか。

洞口 表面的な「改善」や啓発活動をすれば差別がなくなるかのような、幻想を描いている。国政政党で言えば与党から野党まで皆さんが推進している。分裂がありながらも国として進めていく。広島でのG7を控えて「LGBTの制度がないのは日本だけだ」と言っていますが、私たちがまったく評価しないG7に向けて進んでゆこうとしている。しかも野党の人たちが進んで行っている疑問はもちろんあります。

女性や性的マイノリティーに対する絶えざる差別・抑圧を産み出す今の社会を表層的に変えれば良くなるとのものの見方は、甘いのではないかと思います。根本的な部分を変えないと。根本的な部分により絶えざる差別・抑圧が生み出される、と私は考えていますので政治的であれ経済的であれ社会的であれ、根本を問題にしないと、社会の構造として性的な差別・抑圧を産み出している根拠を経つことは出来ないのではないかと思います。

その立場から国が進めている、また杉並区や自治体が進めている「性の多様性」には反対です。

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洞口氏からは「LGBT法案」の問題点だけでなく、杉並区政の現状についての見解や、社会全般についてのも意見を伺ったが、今回の議論からやや論旨が離れるのでその部分は割愛させていただだいていることをお伝えする。一見左派、リベラル層が賛成で保守層が反対しているかの様相を呈している「LGBT平等法」についての議論は、洞口氏(中核派)が見解を明示したように必ずしもそのような構図ではない。そもそも性自認と身体的性差、あるいは性指向と性趣向の区別すら冷静に考えず、若しくは知らずなんとなく「LGBT平等法」は論じられているのではないか。日本共産党と洞口氏へのインタビューを通じてそのことを感じた。

かたわらで原発推進法であるGX法が成立し、近く「少子化対策のために」社会保険料が増額されるらしい。国民総背番号制であるマイナンバーカードに健康保険と免許証の記録まで統合するという無茶を通すために、国民を2万円(マイナポイント)で釣って国民情報・資産の完全管理を進めているが、早くも住民票や健康保険で過誤が発生している。「武器ではないから」といいながら自衛隊の車両をウクライナに提供し、NATOの事務所を日本に設置する計画もあるという。これらどれをとってもわたしには「LGBT法案」より重大な課題に感じられる。けれどもことの軽重が完全に逆転しこの国の「総論」は迷走している。(了)

【付記】本通信5月20日掲載の《中核派現役区議会議員、洞口朋子氏に聞く「LGBT法案」の問題点〈1〉「性の多様性」の名の下に、これまで女性が勝ち取ってきたものが解体されようとしているのではないか(聞き手=田所敏夫)》の洞口氏の発言で、

「『性自認』よりも身体的な性差を上位に置いてしまうと」、との記載は、

「身体的な性差よりも性自認を上位に置いてしまうと」が正しい見解であると洞口氏から掲載後に訂正要請を受けました。本原稿で洞口氏の真意を伝えるとともに、20日掲載原稿の当該部分を訂正いたします。

◎中核派現役区議会議員、洞口朋子氏に聞く「LGBT法案」の問題点
〈1〉「性の多様性」の名の下に、これまで女性が勝ち取ってきたものが解体されようとしているのではないか
〈2〉絶えざる差別・抑圧を産み出す今の社会を表層的に変えれば良くなるとのものの見方は、甘いのではないか

◎洞口朋子(ほらぐち ともこ) 1988年宮城県生まれ。法政大学経済学部除籍。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)幹部。都政を革新する会(旧:杉並革新連盟)メンバー。2019年より杉並区議会議員(2期目)。公式HP https://horaguchitomoko.jp/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』