一般的に大学職員と言えば、市役所の窓口職員など、いわゆる官吏的な定型業務が中心で、お堅い保守的な仕事をイメージされる方が多いのではないだろうか。国公立大学大学の職員は確かにそのような側面が強いことは確かであるし、私学でも大規模大学の職員は、業務が細分化されているのでその印象もあながち外れてはない。

何を隠そう私自身、大学職員に転職した本当の動機は「会社より楽そうだから」が本音だった。

ところが、学生と密に接触をする学風の小規模大学の場合、事情はかなり異なる。

大学の事務室で仕事をしていると、実に多彩な人々から電話がかかってくる。また普通はお目にかからない職種の方が訪ねてくる。

◆オウム真理教との遭遇

1993年頃、私の机の電話が鳴った。かけてきた主は「留学生をイベントに招待したいのだけれども、大学にポスターを貼らせてくれないか」と言う。

ケースによってはありがたい話である可能性もあるから一応「どのような団体の方ですか」と問うと、「オウム真理教と申します」と(!)。

当時はまだオウム真理教が発展期で麻原彰晃が北野武とテレビで語らったり、特段危険団体とは認識されておらず、宗教学者の中沢新一は「オウム真理教は宗教のディズニーランドだ」などと、後で取り返しのつかないような軽薄さでオウム真理教を賞賛するエッセーを書いたりしていた時代であった。が、すでに「空中浮遊」(あぐらをかいたまま床から浮き上がる)などというオカルト振りを既に発揮していたこともあり、私は丁重にお断りをした。

電話の主は「またよろしくお願いします」と礼儀正しく会話を終了したのだが、会話の際に私が名前を名乗ったためであろうか、後日15キロはあろうかと思われる段ボールが私宛に送られてきた。中にはオウム真理教の教義をマンガにした本や信者の修行の様子の写真集、極めつけは麻原彰晃の「空中浮遊」の写真集まで多彩な書籍が詰め込まれていた。

麻原彰晃「空中浮遊」写真集(勿論、写真集の名前はもっと意味ありげだったと思うが、覚えていない)では、これでもか、これでもかと長い髪の毛を振り乱しながら力任せにとしか思えない「飛び上がり」を撮影した写真だけで構成されていて、「空中浮遊」が「空中への飛び上がり」であることをわかりやすく見て取ることができた。

麻原彰晃には失礼だが、どう見ても力任せに「ぴょん」と瞬間的に飛び上がっている写真の羅列に「これ、絶対図書館に入れとこな。歴史的な資料になるで」と同僚と腹を抱えながら笑った。誰かに頼んで図書館に運んでもらったはずだが、果たして蔵書として残っているであろうか。

◆公安警察官とのお付き合い

所轄の警察から電話がかかってくることも年に数回は必ずあった。学生の事故、落し物などは序の口で、窃盗、麻薬、密輸、偽造パスポート、果ては地下銀行から殺人まで。警察からの電話は勿論訪問アポの取り付けで、こちらも学生が事故、事件に巻き込まれている以上、訪問を断るわけにはいかない。かくして私と所轄警察署の付き合いは年々増加してゆき、担当の公安警察官は御用聞きのように頻繁に現れるようになった。

私の勤務していた大学は当時「学生を罰しない」と言う不文律があり、たとえ刑事犯罪を犯しても何とかして救済し更正させ、卒業まで面倒を見る、という良い過激とも言ってよいヒューマニズムに徹していた。これといって明文化されたスローガンや理念があるわけではないが、それこそ空気として「何があっても学生は守る」のが学風であった。

なので、誤解をされると困るのだが、私が警察官、取り分け公安警察と懇意な関係となったのは全て学生の利益のためであり、そのためには警察へどうでもいい情報は提供する、その代りそれを超える情報を頂く。この原則は絶対に崩さなかった。

「田所さん、○○君と言う学生さんどんなもんでっしゃろか」と電話がかかってくる。

「Qさん、お約束は?」

「あ、クスリですわ」

「この学生は直接面識ないなー。調べますから2,3日時間くださいな」

「はい、よろしゅうたのんます」と言う具合だ。

早速学生を呼び出して面談をする。何年か問題学生との面談をしていると、その学生がクロかシロかだいたいの感触はつかめるようになる。そのケースは明らかに学生がドラッグをやっていることが面談中に直ぐわかった。しかも単純使用ではなく、どうやら学内で売りさばきをしているらしい。学生名まで特定されて令状を持ってこられたらこちらの対応も難しくなる。

「警察が君の名前で連絡してきたんや。このままなら確実に逮捕や。しかも単純使用じゃないから、執行猶予はつかない。どないする?」と冷たく言い放つ。

「どうしたらええんですか? 俺、自分では確かにやってるけど、人には売ってません」

「嘘つけ!こら!ここが大学やからて眠たいことゆうてたらお前明日にはわっぱ(手錠)はまんねんぞ!わしの言う通りにせなお前は逮捕されるんや。それだけちゃう。お前から買った学生も引っ張られる。ワシはそうはさせん!ごちゃごちゃ言い訳ぬかさんと持ってるクスリ今すぐ下宿に取りに帰れ!1時間以内にワシにもってこい。それから売った学生名前全部書き出せ!ええか!」

「はい」

学生は複数種類のドラッグを素直に持ってきた。

「よく言うことを聞いてくれたね。ありがとう。絶対これ以上もってへんな?」

「はい、これで全部です」

目を見れば嘘ではないのがわかる。

「売った学生のリストは?」

「これです」

「こんなにようけおんのか!」

「・・・」

「今貯金いくらある?」

「え?」

「今自由になる金ナンボあんねん?」

「3万くらいです」

「ちょっと待ちや」

まず担当の警察官に電話をかける。

「○○の件です。今お母さんが入院してはってで実家に帰ってますわ。1週間くらいで戻る言うてますから、帰ってきたら私が聞いときますわ」

「はいはい、ほな先生よろしゅうに」

このケースはたぶん「学生を挙げる(逮捕する)よ」と言うメッセージを親心で警察官が流してくれたのだろう。日頃付き合いがなければこうは行きはしまい。

私は手持ちの3万円を学生に手渡し、

「九州かどっか遠い場所に一週間行って来い。毎日サウナに泊まってサウナに入りまくれ。一週間したらこの番号(事務室の私の電話)に電話を必ずかけるように、後はその時指示するから」

自白した学生は正直なもので、その足で私の指示通り九州に出向きサウナに泊まり、1週間後に電話をかけてきた。彼からの電話かかる前に、私はクスリを買っていた学生をひとまとめに集めてそちらの処置はすませていた。

「君らが○○君からクスリ買ってやってたことはわかってる。もう今後絶対やったらあかんぞ。警察も動いてる。君らが約束を守ってくれたら大学は何があっても君らを守る。その代り嘘をつかれたら大学は責任持てない。まだ未使用のクスリ持ってる人手を挙げて」

学生たちは不安そうにお互い顔を見合わせて逡巡しているが、やがてぱらぱらと手が上がる。この連中は単純使用なので、やはりすぐに私に所持しているクスリを持参させ、私宛の念書を書かせる。

きれいな顔になって九州から学生が戻ってきた。再度強く注意し彼にも私宛の念書を書かせる。仕上げは警察への報告だ。

「今日○○帰ってきましたので面談しました。シロですわ」

「そうでっか、お手数かけましたな先生」

「いえいえ、こちらこそお世話になりました」

全て実話である。

(田所敏夫)

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