2011年3月11日まで、80の駅を総距離343.1kmで繋いでいたJR常磐線はその後5年が過ぎたいまも、竜田駅─原ノ町駅間および相馬駅─浜吉田駅間が運行休止のままでいる。今年1月、水戸・いわき方面からの下り終着駅「竜田駅」とその周辺を歩いてみた。地震と原発で分断された鉄路の景色を3回連載で紹介する。前回は駅構内を見回した。今回は少し外に出てみよう。


駅舎の外にあるバス乗り場からは、常磐線の代行バスが発着している。
1時間15分をかけて福島県南相馬市に位置する原ノ町駅へ向かうのだが、途中に所在する常磐線の駅には停車しない。
 


福島第一原発付近を通過するため、放射線被曝に関する注意事項等が記されている。
 


駅正面の学習塾は荒廃しており、明らかに無人だ。
駅付近にとどまっていた半時間に見かけた人は、駅務員と乗客それぞれ1人づつ。
バスが発着する駅前広場と小ぶりながら設備の整った駅舎からは、もっと多くの人々に利用されていただろう印象を受ける。
 


線路上を歩いて北上しよう。と考えたのだが、それは叶わなかった。
下り方面の線路が枯草に覆われており、こんな具合だからだ。
佇む黒猫は、左奥に見える鎮守の森から抜け出してきたのだろうか。
 


駅のすぐ近くを走る福島県道244号線に入る。同線を1kmほど北上すると、北東に伸びる県道391号線に入ることができる。同391号線を500mほど歩いたところに「環境省波倉仮置場現場」を指示する表示を見つけた。陽光を受けた真新しい看板は違和を感じさせる。
 


391号線を歩いていると、右手に仮設住宅風の建物を発見した。用途を知る手がかりとなるような表示は見当たらない。中央のバンは沖縄ナンバー。岩手やいわきに加え、横浜ナンバーの乗用車も停まっていた。
写真左奥の長屋風建物にある、窓口を兼ねていると思われる小部屋には20代半ばの男性。どんな施設なのかと訊ねると「いろんな企業の方が泊まる所です」と受付窓を空けずに回答された。
「どのような業種の方が泊まるんでしょうか」
「いろいろです」
「除染作業員の方でしょうか」
「まあ、そういうことですね」
「この先で除染作業を行っているのですか」
「行ったことがないので分かりません」
ぶっきらぼうではあるが、敵意なく答えてくれた。先へ歩いてみよう。
 


「ストックヤード」とある。画面奥に見えるフレコンバッグと合わせ、除去された汚染土壌の一時保管場所だろうと推察される。391号線沿いにはこのような施設がいくつも存在した。
 


こちらの施設看板には「鹿島」「環境省」「廃棄物処理」の文字が見える。(つづく)
 

▼大宮浩平(写真家)
1986年東京生まれ。
個展情報 : 大宮浩平写真展「態度」 / 新宿眼科画廊 /
2016年4月15日~2016年4月20日 12:00~20:00(最終日のみ12:00~17:00)/ 入場無料
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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

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猫ブームだという。テレビCMでも映画でもドラマでもとにかく「猫」が出てくる。猫カフェはいつ行っても満杯だ。 

さて、まったく興味がないが、「猫カフェ」なるものに出かけたみた。そこまで人気があるなら、覗いてみようというのがジャーナリストの好奇心というものだ。ある都会の片隅に1時間1000円で、延長は10分ごとに100円取られるという猫カフェがあった。

◆「猫が嫌がるので体を触らないでください」などと注意を受ける

ここでは、某アイドルグループのように「人気投票」が行われている。1位の猫は、常に客が離さないのでなかなか触れることができないという。入口で「猫ちゃんを抱っこするのはやめてください」「この猫は、嫌がるので体を触らないでください」などと注意を受ける。まるでキャバクラのキャストへの注意事項を聞いているようだ。

猫と遊びにきている客はカップルが多い。
「猫が好きなんですが、今のアパートでは飼えないので来ています」と20代OLは言う。また、巷では、「猫友」なんていうものが増えていて、そこで友達になったり、「猫カフェナンパ」で恋人を作る男もいるそうだ。

猫カフェにいるような連中はヒマラヤンやスコテッシュなどのブランド猫で購入すれば10万円ほどする種類だっている。
「猫カフェにいるようなスター猫は病気をしやすんです。それに人間に物怖じしないような種類を選んでいる。いわゆる本当の猫じゃないです」と愛猫家は言う。

◆ボトルを入れると機嫌がよくなるキャバ嬢のように

確かに「人間慣れ」しているためか、オモチャでじゃらしても反応しないし、まったく鳴かない。触っても「また人間か」というような飽きた表情をする。それでもちゃっかり「エサの時間です」という店員の呼び込みがなされると客に媚びてくる。まるでボトルを入れると突如として機嫌がよくなるキャバ嬢のように。

そんなわけで「作られた」動物愛護空間がそこにあるが、違和感が満載だ。

だれかが言った。
「こんなところに閉じ込められて猫は幸せなのかね」
それは猫に聞いてみないと〝ニャンとも〟わからない話だ。

だが少なくとも、僕には、街中で鼠を追いかけている野良猫のほうが生き生きとしているように見えるのはなぜだろう。本当は「獲物を追う」のが猫の本能だからか? その答えはまた次回にしよう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

「がんばれ、ひでりん」。これはかつて存在したリングネームなのですが、さすがにこの手の応援ニックネームは流行りません。「○」。これもかつて存在したリングネーム。かなり前の話ですが、さすがに記号はやめてもらいたいと思いました。「○が勝ったら○○、負ければ○●では活字原稿では表現できません。下手に 、。「 」も( )も補助し難いですね。

タイガー大久保=大久保貴司。タイガーマスク全盛期、タイガー名も流行った頃(1983.3.19)

過去、キックボクサーのリングネームは多種多様に存在しました。ただし、もし仮にJBC管轄下のプロボクシングだったら却下されるリングネームは多く存在します。昭和の時代には本名であっても硬い名前が多かったように思います。実際にアグレッシブな試合に打たれ強さが伴う骨太の体格と闘志がある選手が大勢いました。

昭和50年代の日本フライ級チャンピオンの、佐々木小次郎(千葉)も10度防衛する実力で名勝負を展開していました。因みに宮本武蔵も大成しませんでしたが存在しました。

キックボクシングの代名詞となった「沢村忠」は空手家の中村忠氏からアレンジしたリングネームでした。欠場選手の代打として名前だけがポスターやチケットに刷り込まれ、その沢村忠となる選手が決まっていなかったというキックボクシング初興行のエピソードも存在しましたが、白羽秀樹という空手家が出場し、沢村忠として、全国的スターに成長しました。

外来語がファーストネームに入るパターンは、創生期初期は比較的少なく、後には名選手となって日本ライト級チャンピオンに上り詰めたロッキー藤丸(西尾)がいました。他に、アトム鈴木(後にチュー千景)とミッキー鈴木の双子の兄弟、ポパイ貞夫、シーザー武志、スネーク佐保田、バズーカ岸浪、レイモンド額賀、タイガー大久保などがいましたが、リングネームとはわからない一般的姓名型リングネームも多く存在しました。稲毛忠治は松田忠が本名でした。

富山勝治の本名は勝博。花形満との日本ウェルター級王座決定戦から改名。リー・チャンゴンレフェリーの日本名は岩本信次郎(1983.11.12)

現在、宮越宗一郎、慶二郎の本名でチャンピオンとして活躍する兄弟の父親は、ベニー・ユキーデとも対戦した内藤武でした。プロレス技で翻弄したのは翼五郎、その他、一字違いや読み方違いなど含めると数限りなく存在するでしょう。

ひとつの名称を継承していくパターンでは仙台青葉ジムに「ヤンガー」を4代目まで引き継がれた例もあります。1974年(昭和49年)頃から初代として、ヤンガー石垣を名乗った全日本フェザー級ランカーで、後の轟勇作。1978年のデビュー後、2代目となるヤンガー舟木を名乗った後の船木鷹虎は本名が船木実。全日本ウェルター級チャンピオンとなり、平成に入り3代目となったヤンガー秀樹は後に小国ジムに移籍し、伊達秀騎に改名しています。4代目が現役のヤンガー真治で、藤原ジムに移籍後、J-NETWORKスーパーライト級チャンピオンに就いています。

時代が混沌としていき、だんだん緩やかになっていったのは、現役選手が引退した後、ジム運営し、会長として仕切りだした1990年代からでしょう。ひとつのエピソードですが、元・日本ウェルター級チャンピオンの向山鉄也氏が引退後の1993年春、所属していたニシカワジムを引き継ぎ、元々所有していた「キングジム」と改名後、開設してから、選手に独断でユニークなリングネームを付け出しました。

田中信一は田中小兵太のリングネームでも戦っています(2001.11.9)

小出万吉、北川銀次郎、童子丸、杉本金太郎、寺井桃太郎、佐藤塩吉、トムヤムくめ、赤十字竜、東京ポンタという選手は、リングアナウンサーが「コールするのが恥ずかしい」と却下され、嵐ポンタに落ち着いたようで、デビューしなかった練習生にも的を得たリングネームを着け、災難を逃れたのはキングジムの前身、ニシカワジムでデビューし、日本フライ級チャンピオンに就いた赤土公彦選手でした。向山会長が選手の名前(本名)をすぐ忘れるため、ユニークネームを付けたがるという理由が隠されていたという古い裏話があるようでした。

この辺はまだまとまっているリングネームですが、業界内は、より一層自由奔放なリングネームが広まっていきました。

苗字を省いた、個人名だけとなるもの。マサル、アタル、テヨン、健太、一輝、勝次、志朗、日菜太。アルファベットを並べたMOMOTARO、TOMONORI、TOMOYUKI、HIROYUKI、TATSURO、SEIITSU、などもここ数年で流行り出しました。

個人名だけでは他人として呼びにくい心の距離感や「苗字から読める祖先の由来が感じられない」という日本人特有の声もあります。この単独の個人名だけや、アルファベットを並べたものはプロボクシングJBC管轄下では認められません。姓・名や外来語による2単語以上が原則のようです。

志朗の本名は松本志朗。タイと日本で活躍中(2016.1.10)

キックボクシングでは各団体とも、そこまでルールが徹底しておらず、競技としての進化は著しいものの、リングネームに限らず、直接試合とは離れた部分のルール面の分析力が疎いのが現状でしょう。「それにしても最近は外来語が頭に付くリングネームが少なくなりましたね」とはあるジム会長の声でした。

タイ選手の場合は日常からニックネームで呼ばれることがほとんどで、本名で呼ばれることは公共の場のみでしょう。ムエタイではリングネームがジムから与えられ、頭に個人選手名、下はジム名やスポンサー名が付く場合がほとんどです。昔の有名選手で、センサック・ムアンスリンは、ムアンスリンジム所属、パーヤップ・プレムチャイは、レムチャイジム所属、パークタイ・リポビタンディーというスポンサー名が付く選手もいました。

ゲーオ・フェアテックスはフェアテックスジム所属。フェアテックスはタイでも有名なボクシング用品メーカー

竹山晴友を下した、アルンサック・チャイバダンはその名前どおり、チャイバダンジム所属、その後、タイでは廃業状態で、日本ではアルンサック・ユーバンルンと呼ばれましたが、「ユーバンルン」は本名(ファミリーネーム)という、こんなあまりないパターンも存在しました。日本で結婚したユタポン・ウォンウェンヤイは、ユタポン前田というリングネームでプロボクシングで全日本新人王を獲るまで戦いました。

プロボクシング世界ランキングでは、最初にランクインしたリングネームをそのまま継続される習慣があるようで、タイ選手が頻繁に名前を替えるので、収拾がつかない為という規制があるようです。

各国の習慣や仕来たりはあるでしょうが、日本では基本的に本名で戦って頂きたいと思う高齢者の愚痴が増えそうなこの頃ですが、願い叶わず、更に変化して行くのが自然の摂理で、今後どんなリングネームが流行りだすか、予想するのも楽しい時代になるかもしれません。しかし、○×や記号数字などはやめてもらいたいところです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

東京荒川の日暮里駅から千葉、茨城、福島の太平洋側を経由して宮城の岩沼駅までを結ぶJR常磐線──。
2011年3月11日まで、80の駅を総距離343.1kmで繋いでいたこの路線はその後5年が過ぎたいまも、竜田駅─原ノ町駅間および相馬駅─浜吉田駅間が運行休止となったままでいる。

今年1月、水戸・いわき方面からの下り終着駅「竜田駅」とその周辺を歩いてみた。
地震と原発で分断された鉄路の景色を3回連載で紹介する。


いわき駅から常磐線に乗車し、30分ほどで「竜田駅」に着いた。同駅は1909年(明治42年)、貨物駅として開業し、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となった。2011年(平成25年)、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け休業したものの、2014年(平成26年)には営業を再開。当時、同駅が所在する福島県双葉郡楢葉町はその全域が避難指示解除準備区域に指定されており、避難区域内の鉄道路線としては初の営業再開だった。2016年(平成28年)3月現在、水戸・いわき方面からの下り終着駅である。
 


駅務員の大須賀さんにお話を伺ってみた。
「以前は駅周辺に7000人ほどが暮らしていました。現在は500人くらいだと聞いています。お年寄りが多いですから、ほとんどの方は避難先で暮らしているのでしょう。」
1日の利用者数は(乗降者合わせて)約70人。事故前と比べると半分以下だそうだ。
 


終着駅になったこと、利用者数が減ったことなどにより、3つの線路のうち2つはいまも使用停止中。
残された3番線に到着するのがいわき方面への下り列車だ。(つづく)

▼大宮浩平(写真家)
1986年東京生まれ。
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たまたま参加したセミナーで意外な発言に接した。表題の通り「資本主義の終焉」と演者は断言した。

榊原英資×水野和夫『資本主義の終焉、その先の世界』(2015年12月詩想社)


この言葉が、たとえば反体制側の運動家の口から発せられたのであれば、何も驚きに価しない。けれども、本発言は旧大蔵官僚で「ミスター円」の異名を取った榊原英資氏によるものだから驚いた。常々「末期資本主義」や「帝国主義」といった言葉を乱発している素人の私ではなく、体制のど真ん中で金融政策に関わっていた榊原氏の発言には、腰を抜かしそうになった。

役人時代も異色なキャラクターや発言で話題になることが少なくなかった榊原氏ではあるが、その日の発言は「資本主義の終焉」との言葉だけでなく、その根拠や論旨が私の持論と酷似(否、同じとすら言える)していたのだから、極端に表現すれば「驚愕」ですらあった。

◆500年位の歴史スパンで捉えると「一つの時代」は終わった

榊原氏曰く「先進国が高い成長率を目指すのは現実的ではないし、そんな時代は終わった。安倍さんは『成長戦略』なんてまだ言ってますけど無理です。歴史を500年位のスパンで捉えると一つの時代は終わったと考えられる。産業革命以降の経済成長時代は、少なくとも先進国の中では終わった。それが解っている欧州の国々はもう高成長を前提に考えてはいない。低成長の中でどのように豊かさを維持してゆくかを考えるべき時代です」

その通りだ。もっともこの発言の前には「憲法を改正して現存する自衛隊は軍隊なんだから、ちゃんと認めるべきだ」や「最終的には法人税を下げ、消費税を20%に上げるべきだ」といった、予想を外さない発言もあるにはあった。だが、そんなものは「資本主義の終焉」宣言の衝撃に比べれば聞き飽きた常套句であり、「ああ、またか」程度にしか耳に残っていない。

驚きは体制側の人間から、禁句とも言うべき「資本主義の終焉」が発語されたことだ。昨年にわかにピケティが流行ったが、表現に多少の差異はあれ、榊原氏もピケティも私も共有している概念があった。それが「資本主義の終焉」だ。

◆「資本主義終焉後の世界」を構想し、議論すべき時代

それではその後の世界はどうなるのか、どうなるのが望ましいのか、についての議論は非常に貧弱だ。榊原氏の指摘に的確な部分も見当たったが、新しい世界を規定する概念までには程遠い。無理もない。今日一部の左翼を除き、正面切って「資本主義の終焉」などと発言する人間はいないし、そのような命題の存在すらほとんど無視若しくは否定されているのだから。

目前の具体的諸課題への個別の議論も軽視は出来ないけれども「資本主義終焉後の世界」、つまり全く新しい枠組みの世界を構想し議論すべき時代なのではないだろうか。

マルクスは指針を描いたが、その限界が現実により示された。

片方で急速に戦争化する世界に「宿命的破滅」を感じる。未来などあるものか、とやけっぱちになりながらも「資本主義終焉後の世界」を考察することの価値は高い。日頃構想したこともない高い視点から未来を考える営為は刺激に満ちた知的行為だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

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この2月に大騒ぎとなった「学費の値上げデマ」について市民団体が検察に告発しそうな動きをキャッチした。東京地検特捜部にこの告発が届くにはまだ先のようだが、「参議院選挙」を睨んで告発合戦の火ぶたが切られたといってもいいだろう。この動きについては後日、詳細に伝える。

共産党の学費値上げ糾弾チラシについては、新聞でも大きく報じられた(産経新聞)が、参議院選挙を前にして、手練手管の勢力が暗躍しているようだ。

「そもそも、この日本共産党のデマのチラシは、『安倍政権が国立大学の学費を毎年値上げし、16年後に現在の年間53万円から93万円に値上げする』というもので、共産党としては、財務省の審議会が提示した、国立大学への運営費交付金の削減案に注目したものです。『仮に交付金を減らして、自己収入を増やす際、その増えた部分の全額を学費でまかなったらどうなるか』という試算を政府に出させて悪用しただけの話です。現実は、財務省審議会の提案には自民も公明も反対し、昨年11月の建議からは、学費値上げの数字は消えて、安倍政権としては例年とおり、交付金を削らないことを決議しています」(週刊誌記者)

つまり、学費の値上げ話などは、露程もないのだ。さすが、かつての石原都知事に「ハイエナ政党」と断罪された姑息な手腕やアジテーション癖はまだこの党には残っているようだ。

2月3日の衆議院予算委員会では、安倍首相がチラシを見て「まったくのデマ」「ただちに公党としては責任をもって訂正してほしい」と答弁。すると、チラシの「安倍政権が値上げ」が「安倍政権のもとで狙われる」と修正された。
修正前修正後

まさに、「ビフォーアフター」の世界だとあきれるばかり。国民が政治に不信感を持つ訳だ。国民の不安を煽って選挙へ誘導する共産党のやり口と、こんなものに振り回される馬鹿で無能な与党との競り合いは「目くそ鼻くそを嗤う」という程度のものだが、共産党は、参議院選挙では1人区はあきらめ、民主党+維新の党と連携して、与党に対抗しようという作戦のようだ。民主党と維新の党は合流して「民進党」となったが看板のすげ替えにすぎない。中身はふぬけそのものなのは時間がたつとともにわかるだろう。

『志位委員長は頭がやわらかい男です。自民を倒すためなら、柔軟に味方を作っていくのではないかな。まあ例のシールズを取り込んで票にしてしまっている時点で、彼らの手練手管は老獪だといえます』(同)

こうした動きを見ていると、共産党にはデマを平気でまく蠕動組織としての一面と、老獪な戦略家としての一面が同居している摩訶不思議な政党だ。まあ、若者が減少し、弱体化している共産党は、もはやなりふりかわっていないとも見れるが。
「そうじゃない。志位としては、忸怩たるものがあっても、民主党や維新の党と連帯しないと共産党の支持者があきれて離れていかざるを得ないと考えているのですよ」

さて、18歳と年齢が下がった魑魅魍魎、そして国民が「無関心」な争点なき参議院選挙がひたひたと近づいてくる。

(伊東北斗)

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福島原発事故5年の現実と社会運動の行方を総力特集『NO NUKES voice』Vol.7!

「ナベツネ」こと渡辺恒雄=読売巨人球団最高顧問をも辞任に追い込んだ野球賭博──。その闇を探るべく作家・影野臣直氏が、かつて胴元をしていた男性のインタビューに成功した。タレントや有名人はなぜかくも野球賭博にはまるのか? その理由の一部始終を3回に分けて公開する。今回がその最終回。

── では、野球賭博へのヤクザの関与は?

堂本 野球賭博も博打ですから、必ずどこかの博徒が絡んでいることは確かでしょうね。まぁ、あくまでも想像ですが、関西は山口組で関東は住吉か稲川かな、という推測はできますがね。

── 噂では弘道会の名前があがっていて、巨人選手の事件が表に出たのは山口組の分裂の影響という説がでていますが、なぜなんでしょう?

堂本 ボクは、まったく関係ないと思います。だいたい、賭けたカネが払えなくて球場まで来たってことですが、行った方もバカだし、来られた方もバカですね。これは、客が野球賭博に関与していることに対して胴元のコンプライアンスが疑われる。

警察関係では名前が挙がったのは、巨人の1軍選手にコーチ、中日の有名選手やフロントの職員の関与。
中日=(イコール)名古屋=(イコール)弘道会、の式ができあがったのではないだろうか。そこから尾ひれがついて分裂の余波との話が推測される。
少々のカネを集金にキャンプにいくってのは、世間を騒がせるのを分かってやったのか。いまだ今回の事件は謎が多い。

── なぜ、巨人にいるようなスター選手がハマるんでしょうか。どうやって、巻き込んでいくんでしょう?

堂本 たぶん、他の博打が関係してると思いますよ。ボクなら麻雀とか、もっと一般的な博打から進展していったんじゃないかな、と予想します。ただ、巨人の選手だっていえば、知らなくても張らせますよ。

日本一の人気球団である、巨人の現役選手。その利用価値は莫大だという。
先発選手の近況や、監督やコーチの不仲説。
それを得れば、博打を優位に進めることができる、さまざまな情報まで入手できるのである。

堂本 野球賭博にハマるヤツって、間口の広い博打から間口の狭い賭博に入ってきますよね。たとえば、雀荘ではテレビで野球中継や競馬中継やってるじゃないですか。そんなところからはじまるんですよ。もしかしたら、ハメられている可能性も感じますよね。博打が好きなんですね、アイツらは……。

最近では、野球賭博に関与する客の年齢層が下がっているという。
客の中には学生もいるし、オレオレ詐欺で稼いだ若手の実業家モドキなども野球賭博の太い客なのだそうだ。

2020年、東京オリンピックで正式種目となる野球競技。
メジャーリーグの日本選手の流出や、WBCやプレミア12などの国際大会などの増加。
これからの野球賭博は、国際化していくのかも知れない。(了)

[文]影野臣直+[プロデュース]小林俊之

◎元胴元が語る──野球賭博〈闇〉のからくり《1》
◎元胴元が語る──野球賭博〈闇〉のからくり《2》
◎元胴元が語る──野球賭博〈闇〉のからくり《3》

小林俊之+影野臣直!強力タッグの短期連載ルポ[全8回]
新宿・歌舞伎町ぼったくり裏事情──キャッチ目線で見た「警察の対応変化。
《1》「ぼったくり店。はどうやって生まれるのか?
《2》なぜ銀座のクラブにはゴタがないのか?
《3》メニューに金額明示があれば違法性はない?
《4》東京五輪を前に警察が浄化作戦を始動?
《5》御一人様51万円「クラブ・セノーテ」事件の衝撃
《6》ベテランキャッチが語る「ぼったくり」の世界
《7》「ガールキャッチ。復活と増えるプチぼったくり
《8》警察の弾圧が盛り場の「食物連鎖」を増殖させる

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!

福島原発事故5年の現実と社会運動の行方を総力特集『NO NUKES voice』Vol.7!

東日本大震災・東京電力第一原子力発電所の事故から5年。2016年3月11日(金)、福島県郡山市で催された集会「3・11 反原発福島行動」の現場に足を運んだ。

10:30。開会を前にJR郡山駅前にてプレイベントとしての演説が行われていた。横断幕を背に力強く声を張る女性。地面に置かれた拡声器から響く声は、広々とした駅前広場のどこからでも聞くことができる。これを耳にした人々の反応はどうか。と、辺りを見渡すも、立ち止まる人の数は極めて少ない。写真を見ていただければ一目瞭然、この様子だ。

郡山駅は利用者の多い駅であるにもかかわらず、である。原発事故後の福島県は異常であり、その異常性は現地に住まう人間であれば必ず感じ知ることのできるものだ(と信じている)。であるならば、無関心の表れとして片付けるには極端にすぎる風景である。これはなにか、現地だからこその結果なのではないか。現地であるがために生じる反対運動の困難というものがあるのではないか。そんな思いと共に眺めていた。

12:20。「3・11 反原発福島行動」のメイン会場である開成山公園野外音楽堂に到着。立派な会場に集まった多くの人々と幾種もの赤色旗が、「戦い」の様相を演出している。駅前とは打って変わった賑やかさだ。

ギターの弾き語りやアルトサックスの演奏を経て、演説者が順にステージでマイクを握る。驚いたのは、演説への相槌だ。「ナンセンス!」とか「(短く)そうだッ」といった掛け声を、ステージからの言葉の間に差し挟む。会場に集まる人々を眺めると、なるほど若年層にくらべ圧倒的に老年層が多い。そして赤色旗のほとんどが労働組合のものだ。チラシを見てフラッと足を運んだ一般人というのは少ないのではないか、という印象である。

同じ思いを抱いた仲間が集まり、交流の中でその思いを固め、より強くしてゆく。これは素晴らしいことだし、非難するには当たらない。しかし、社会を変革するには数の力が必要だ。だとすれば、国策に圧殺されつつある反原発の主張は、意を異にする相手にこそ伝えるべきものではないだろうか。この点では残念ながら、郡山市の「3・11 反原発福島行動」から、やや閉塞的な感を得たのも事実である。

▼大宮浩平(写真家)
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キックボクシングにおいて、長身で脚が長い選手に対し「背が低い選手がどう戦う」のか。長身の選手を攻略する 「お手本のような試合」を見た。

喜入(右奥)VS二朗(左)

2月7日、16時から「新宿FACE」で行われた「ムエタイ・オープン34」(センチャイムエタイジムhttp://www.saenchai-gym.com/主催)のファイナル、第9試合のムエタイオープンタイトルマッチにして、「ルンピニー・ボクシングスタジアム・オブ・ジャパン」のウェルター級ランキング査定試合「喜入衆(フォルティス渋谷ジム・ムエタイオープンウェルター級王者)VS二朗(日進会館)」(5回戦、肘有り)は、プロフィール上は喜入が170センチ、二朗が178センチと8センチ差だが、二朗は19戦目の32歳のベテランで脚が長い。失礼ながら、中肉中背の喜入と相まみえると、長いコンパスでしばしば「当たれば即KO」ともいえる重いキックがすぐにでも飛び、KOしそうだ。

喜入(右奥)VS二朗(左)

その長いコンパスでの蹴りで、二朗は喜入を強くハイキックで何度も威嚇する。1ラウンドから3ラウンドまで、二朗が積極的に攻勢に出て、喜入が隙を見て首相撲に持ち込み、膝蹴りをたたき込む展開。二朗はしばしば首相撲をいやがり、強引に喜入を投げ捨てる。二朗が大振りのキッ クで喜入の頭、脇腹を狙い、そのたびにこの試合が60戦目の36歳となる老獪な喜入が横にぐるりと半円状にまわり、距離をあけてかわしつつ、タイミングを見て飛び込む。喜入はまったく二朗の間合いにさせないまま、じりじりと時間をかけて、右ストレートとローキックを確実に 二朗に入れていく。

喜入(右)VS二朗(左)

二朗の陣営から「キックを当てろ、当ててからパンチ出せ」と悲鳴まじりの声援が飛ぶと、反射的に喜入陣営か ら「回れ、回って(キックを)よけて飛び込め」とアドバイスが送られる。

3ラウンドが終わると「ジャッジ3名とも赤コーナー、喜入選手を優勢とみています」と途中経過のアナウンスが流れると、一気に二朗が上から、斜め下から、そして低いキックを繰り出していく。喜入は腕2本を折りたたみ、頭の上に十字に掲げて上からのハイキックを防ぎ、横からまわってくる横腹狙いの蹴りはエルボーで防ぎ、ローキックはくるぶしを当てにいって防ぐ。

「当たっているようでまったくヒットしていない」状態の防御は、見ている記者たちをうならせた。

「うーん、長身で脚が長い相手に身長で劣る選手がどう対処するか教科書のような防御ですね」(ベテランの格闘技ライター)

喜入(左)VS二朗(右)

かくして4ラウンドは、一気に勝負に出た二朗が打ち合いを挑み、左右のフックを連打するが喜入はしゃがみこんでかわしつつ、カウンターでローキックを当てて抱きつき、二朗のリズムにさせない。最終の5ラウンドに突入すると、接近戦でパンチを打ち合い、場内から「二朗! 二朗!」のコールと「喜入! き~い~り!」のコールがこだまする。この日、もっとも大歓声が入り乱れたまま 両者は、戦いを終えて判定へなだれこんだ。エプロンでは、セコンドからバケツのような水が両者に浴びせられる。外はコートが必要だが、リング上だけ真夏のようだ。

50-47,49-48,50-47と三者のジャッジは喜入の優勢を指示し、「喜入選手の判定勝ちです」と アナウンサーが歓喜とともに絶叫した。

喜入衆

喜入選手は勝利してマイクを手にすると「今日は応援に来ていただいてありがとうございました。自分たち年配ががんばることで、あとに続く若い人たちが奮起して、いい形でバトンを渡せばいいと思います」と締めた。

それにしても、鳴り物入りで昨年の夏に記者発表したのはいいが、「ルンピニー・ボクシングスタジアム・オ ブ・ジャパン」は、ランキング査定試合ばっかりやっているが、いったいいつランキングが発表されるのか。問い合わせるたびに「そのうちに発表します」と主催側は言うが、次回の大会は7月17日のディファ有明で、また間があく。ルンピニーの権威を汚さないためにも、すぐにでもランキングを発表しないと、ランキング上位を狙って決死の試合をしている喜入や二朗ら選手に失礼だと思うが、どうだろうか。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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「ナベツネ」こと渡辺恒雄=読売巨人球団最高顧問をも辞任に追い込んだ野球賭博──。その闇を探るべく作家・影野臣直氏が、かつて胴元をしていた男性のインタビューに成功した。タレントや有名人はなぜかくも野球賭博にはまるのか? その理由の一部始終を3回に分けて公開する。今回は第2回。

── ハンデは、いつ連絡してくるんですか?

堂本 試合当日の16時~17時くらいに、直接ハンデ師から電話がきて、ハンディを知らされます。だいたい、試合がはじまる2時間くらい前かな。それから顧客に連絡し、プレーボールの受けつけの締め切りまで待つわけですよ。

ハンデ師からの連絡がくると、胴元から顧客全員に連絡がいく。客はすぐスポーツ新聞等で情報を集め、試合開始直前ギリギリに勝ちチームを決める。野球賭博にハマっている連中は、このときが最高の楽しみなのだという。

── カネの流れは、どうなっているのですか?

堂本 野球賭博は、シーズン144試合あります。その全試合、開帳されています。だいたいの1週間の流れは、金土日の3連戦の分を翌週の月曜に集金する。火水木の3連戦では、金曜に集金です。勝った客に配当を渡すのは、当日ですね。もちろん、テラを1割引いてね。

── 集金方法は? また、そのとき、払わない人はいないのですか?

堂本 もちろん、自宅や会社までいって対面で手渡しです。口座はアシがつくから使えない。もし、現金がないっていったら、『つくらせるか、貸しつけるか』ですね。 

ここで、賭博の収入だけでなく、金融としてシノギも生じる。だから家も商売も、身柄のしっかりしている人にだけしか張らせないのだ。

── この稼業に入ったきっかけは?

堂本 もともと、16歳でヤクザの部屋住みになったのですが、賭場の見習いの一つとして野球賭博を始めたのは25歳から……おいしいシノギだと思ったから、1年くらいで独立しました。それから、3、4年はやってましたね。

もともと、才覚があったのだろう。堂本氏にはタニマチ(=スポンサー)衆がいたうえに、当時は暴排条例もなく景気も良かったうえに、ヤクザがメシを食うのが楽だった時代だった。堂本氏は巨万の富を築いた。

── そんなに儲かっていたのに、なぜやめてしまったのですか。

堂本 そりゃ、摘発されたからです。最後は、なんと高校野球でパクられてしまいました(笑)。

逮捕され、堂本氏は野球賭博から足を洗った。
堂本氏は実刑にいくことなく、執行猶予を科せられ社会復帰した。

── では、同じように逮捕された、ダルビッシュの弟も胴元だったのですか?

堂本 いや、胴元は人脈がないとできないですね。彼は『中継(ちゅうけい)』と呼ばれる、客をまとめて手数料を抜く業者だったと思いますよ。胴元と違い、簡単に開業できるのが特徴です。

中継も、やってることは胴元と同じである。ただ抜ける額が、胴元には遠く及ばない。

堂本 それでも、逮捕されたときは賭けさせた金額が問題になる。いくら儲かったかは、罪状に関係ないから、ダルビッシュの弟も胴元として賭博開帳図利で起訴されるでしょうね。ま、初犯だったら、執行猶予で出てきますね。

よく人数を集めまとめて買うグループがいるが、もし捕まったら胴元でなくてもグループの代表者が逮捕される。それが、今回のダルビッシュの弟の事件ではないかという。

── ただ、ダルビッシュの弟の場合、ハンデメールが出てましたが……

堂本 ハンディは関西と関東では違うんです。だからといって、ハンデ師がメールでハンディを報せるわけがない。証拠が残るから。

ハンデ師は口頭でしか、ハンディを知らせない。そこには博徒ならではの徹底した守秘義務が守られている。

── それでは、そんなハンデ師への報酬はどのくらいなのでしょう?

堂本 胴元の仲間内でも、ハンデ師がどこの誰か知っている人は少ない。ヤクザでも大きな組織の親分か、それに準ずるクラスの幹部連だけでしょう。それくらいトップシークレットですから、ハンデ師への報酬は胴元クラスではわからないでしょうね。

ハンデ師によって、売り上げが大幅に変動するという野球賭博業界。ハンデ師は、野球賭博をシノギとする組織の命運さえ握っているといっても過言ではない。(つづく)

[文]影野臣直+[プロデュース]小林俊之

◎元胴元が語る──野球賭博〈闇〉のからくり《1》
◎元胴元が語る──野球賭博〈闇〉のからくり《2》
◎元胴元が語る──野球賭博〈闇〉のからくり《3》

小林俊之+影野臣直!強力タッグの短期連載ルポ[全8回]
新宿・歌舞伎町ぼったくり裏事情──キャッチ目線で見た「警察の対応変化。
《1》「ぼったくり店。はどうやって生まれるのか?
《2》なぜ銀座のクラブにはゴタがないのか?
《3》メニューに金額明示があれば違法性はない?
《4》東京五輪を前に警察が浄化作戦を始動?
《5》御一人様51万円「クラブ・セノーテ」事件の衝撃
《6》ベテランキャッチが語る「ぼったくり」の世界
《7》「ガールキャッチ。復活と増えるプチぼったくり
《8》警察の弾圧が盛り場の「食物連鎖」を増殖させる

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