―― まずは今回の感想を

「そうですね。力及ばずでした。応援して頂いた皆さんにお詫び申し上げます」(パシャ、パシャ、シャッター音とフラッシュを浴びながら)

―― ノミネートされた時点で手応えはありましたか。

「いやぁ。あの時は正直びっくりしましたね。正確にはノミネートされたことを知ったのはかなりあとで、仲間から聞かされたんです」

―― ノミネート直後には知らなかった。

「ええ、こう見えて結構忙しいんですよ。貧乏暇無しってやつ。あ、この表現差別になっちゃうかな(笑)。直後に知っていたらアクションはもっと早かったでしょうし、そうすれば結果もね……」

―― 受賞決定前の数日はかなり注目が集まりました。

「はい、激励や叱咤もたくさん頂きました。でも、こういう言い方はどうかなとは思うけど、ノミネートを知ってからは僕たちなりに必死だった。全力で走りぬけた感はありますね。とにかく『受賞』の一助を担いたいと。発表を聞いた時、僕ら全員泣きましたもん」(「本当か?という無言の質問が矢のように飛んでくるが、会場は一応静まっている)。

―― 気鋭の社会学者が芥川賞受賞実現すれば、ボブディランのノーベル文学賞受賞に似ている、という話題もありました。

「あ、それ、かなり意識はしていたんです。あれ見てカッコイイなと。ボブディランは授賞式に参加しなかったじゃないですか。だから彼も『東京で控えてください』と言われていたらしいんですけど、あえて大阪に縛り付けた。詳しくは言えませんが色々考えたわけです。最後はご本人の意向もありますけど」

◆上昇志向を隠しきれない本性を取材班は見抜いていた

―― 受賞の確信はおありになった?

「うーん、確信なんて持てませんけど、なんか天啓(受賞しない)みたいなものはあって。だから僕らは動いたのかな。僕らの中で議論したんですけど、実は彼がかなりの上昇志向なんだと読み解いたんです。たぶん無意識に。 」
  

 

 

  
「『地味に』とか『片田舎でひっそりと』とか『無名』とかそういう言葉が出ちゃうってことは、脳のどこかで真逆のことを発信している神経細胞、生理というか、もうこれは生得的なモノなんでしょうけどそういうものを『持っている』。だから『紀伊國屋じんぶん大賞』受賞のコメントでも『この本の最大の特徴は、何の勉強にもならない、ということだと思います。いちおう社会学というタイトルはついていますが、これを読んでも社会学や哲学や現代思想についての知識が増えることはありません。これは何の役にも立たない本なのです』と書いているんですが、直後に『この本で書いたことは、まずひとつは、私たちは無意味な断片的な存在である、ということと、もうひとつは、そうした無意味で断片的な私たちが必死で生きようとするときに、「意味」が生まれるのだということです』ってかなり断定的な言い方してるじゃないですか。押し付けがましいほどに。僕らから見たらこれは明らかな矛盾ですよ。決定的ともいえる意味の亀裂です。けど彼は矛盾と感じてはいない。これはかなり重要なポイントで、おそらく多くの読者も気づいていないと思うな。でも僕らは、それを見逃さなかった。あ、話それちゃったごめんなさい。確信はなかったけど、受賞に向けて最大限に力を尽くした。これは言い切れます」

―― 作品自体はお読みになりましたか?

「いや、あんなもの読んでる暇ないですよ。それほど悠長な暮らしはしていませんよ(笑)。だって僕たちは毎日、毎日原稿書いて、1本いくらの生活しているわけですから。日雇労働みたいなものです。世間には『読まなきゃ批評しちゃいけない、現場にいなきゃ発言しちゃいけない』と厳しいことを言う人がいるのは知っています。でも選挙で人柄に惚れて候補者に投票するなんてことは、日常的にあるわけです。『小泉現象』なんかまさにそうだったわけじゃないですか。作品から作家に興味を持つ場合もあれば、作家の人となりから作品の受賞を応援することだって許されていいんじゃないでしょうか。まあそのきっかけが僕らの場合偶然にも『M君リンチ事件』への彼の関わりだった訳で、これは大学教員としての見解を聞くべきだ、と思いましたね。僕らはジャーナリズム論を声高に掲げるつもりは全然ないけど、他のメディアが酷過ぎるるでしょ。それは申し訳ないけど断言しますよ。鹿砦社特別取材班なんかたかが10人足らずですが、今の報道状況への疑問は共有していますね。それが取材の根源を支える力にもなっている」

―― 受賞にはいたりませんでしたが、どのくらい貢献されたと思いますか。

「それはわからない、としか言えませんが、言えないこと、書けないことを含めて皆さんが想像される以上に頑張った。まあ、このくらいで勘弁してください」

―― 次回作が気になりますが。

「うーん。ギャラ次第ですかね。冗談ですよ(笑)。だって大学からの給与もあるし、共稼ぎですから、経済的には全然困っていないわけです。テレビ出演なんか準備はそんなにいらない割にギャラはいいし。僕ら日雇いとは違うんです。それからこれは強調したいんだけど、たぶん彼は本業の手を抜く気はないんですよ。研究者としてという意味です。だから次回作は未定でしょうね。と思ったらツイッターで『このたび残念な結果になりましたが、心からほっとしております(笑)。ここまで来ただけでもすごいことだと思います。みなさまのおかげです、ありがとうございました。今後も書き続けていきたいと思います。よろしくお願いします』とか『さあ、飲みに行くで!!!!(笑)みんなほんとにありがとー! また書くから絶対読んでね!!!』とか書いている。このあたりが僕らにはひっかかる。まあ正直と言えば正直な気落ちの吐露でしょうが、こういう言行不一致から人間性が見えてくるわけです」

―― これからも書き続けるということは芥川賞受賞を狙った大学教授ということになりますね。

「それを狙っていたわけです。彼には是非階段を上がって頂いて、著名になって欲しかった。経歴はだいぶ異なるけど、同じ大阪出身の高橋和巳を目指してほしいですね(「無理だよ無理!」の声が飛ぶ)、ああ、じゃあ高橋源一郎くらいにしときましょうか(爆笑)。でも毎年ノーベル文学賞候補になって、何年たっても受賞できない村上春樹って惨めだと思いません?そりゃ本出だしゃ売れるし、海外での翻訳も多いけど、あの露骨な『ノーベル賞欲しいよー』にはこっちが恥ずかしさを感じる。彼にもそうならない保証はないし、そのあたりは今後も注視しますよ」

―― ここまで熱心に応援された理由は何でしょうか。

「たぶん次の編集長には私がなると思っていた。それもありますね」

―― ちょっと意味が解らないんですが。
  

 

 

 
「僕らも解りませんよ。業務時間中のほとんどを『ネットパトロール』に費やしていて、国会前集会の決壊の準備までしていた藤井正美さんにはかないません」

―― ますますわからないんですが。

「しばき隊にそんなこと言ったら『ボケ』、『カス』、『死ね』と言われちゃいますよ(笑)。僕らは体張って仕事してますけど、笑いを大切にしているので(ただうちわネタ過ぎて解りにくいでしょうけど)、時に数人しか笑ってもらえなくても、死ぬほど笑わしたいという変な欲求があるんです。鹿砦社には吉本も手が出せませんしね(笑)」

―― 受賞応援以外にも何か目的があるようにも思えますが。

「『なおさらノーコメント』って言わせたいんでしょ(爆笑)。もちろんありますが、それは鹿砦社の出版物を読んで頂ければわかるのであえて発言するのは控えます」

◆鹿砦社特別取材班の地道な取材は続く

―― 特別取材班の次のターゲットは。

「引き続きこの問題に取り組まざるを得ないでしょう。というよりも、すでに今手一杯なんですよ。もちろん中心は『M君リンチ事件』。問題意識に変わりはありませんが、彼を襲った『しばき隊』が、そろそろ実質的にも力を失ってきている。これはかなり確信を持って言えます。彼らの相方であった『在特会』がおとなしくなって存在意義が揺らいじゃった。そこに『M君リンチ事件』が世に広まったでしょ。一部のコアな人を除いてそりゃ離れますよ。理念なき野合、しかもヒステリックじゃなきゃはじかれる訳でしょ。それからこの取材をしていると最近痛感するんだけれど、事件や自然災害にしてもそこへ向けられる人びとの注目、関心の期間・スパンがすごく短くなっている。これは社会的には良くない傾向だと思います。たぶんマスメディアの影響が大きいのでしょうが、大事件でも、年中行事でもニュースの価値・意味付けに対する感覚が、根元の部分で歪んでしまっている。しかも、マスメディアが持ち札を切るスピードは増すばかり。だから『風化』というのは、あらゆる事象に共通する現代的な問題だと思います。それに抗う意味でもわれわれは原則的に問題を追います。これは本当に地味な作業ですが『M君リンチ事件』は最後までフォローしますよ」

―― ありがとうございました。受賞おめでとうございました。

「いやいや、受賞できなかったじゃないですか」

―― 記者クラブから「芥川賞アシスト特別賞」を鹿砦社特別取材班に授与します。

「え!本当ですか?」

―― はい、副賞は岸政彦氏へ再度の取材依頼です。

「光栄です。次回は前回のように簡単には引き下がりませんよ。岸先生にお伝えください。他のメディアがやらなくて、提灯持ち記事ばかり書けば書くほど、僕たちは燃えるんです。僕たちは権威も権力も怖れませんから。『M君リンチ事件』隠蔽に彼が果たした役割も追い続けます」

(鹿砦社特別取材班)

 

残部僅少!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

1月24日に3年の任期切れで退陣を表明しているNHKの籾井勝人会長については、契約世帯ならずとも世間からさまざまな理由で嫌われていたが、NHK職員たちからも「退陣万歳」の声が出ている。

「NHK近くの居酒屋やカフェバーなどはNHK職員やスタッフの『MS会』と呼ばれる隠語で予約が満杯のようです。『MS会』とはずばり、『籾井会長、さよなら会』のことですよ。とにかく何か籾井会長が暴言や失言をやらかすたびに、友人や知人から嫌味を言われる生活から解放されると思うと安堵のひとこと」(NHK関係者)

NHK全体では「1万人近い職員が働いてるが、地方局のスタッフも渋谷の本部の職員からの誘いで上京して『MS』会に参加する連中もいるようですよ」(同)

そもそも、2014年1月25日の就任会見では「政府が右というものを左というわけにはいかない」「(従軍慰安婦は)どこの国にもあった」「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」など大放言を連発した。ネットは大炎上し、国会でも議員からさんざん追及され、NHK予算は3年連続で全会一致の承認を得られない異例の事態となった。

「例年だとこの時期には、NHK会長が最後に勤務する日は、花束で送りだそうとか、そんな話が局長クラスから持ち上がるのですが、そんな話すらも出ずに『ようやく消えてくれるのか』という声ばかりを聞く。これは極めて異様な事態です」(同)

さかのぼれば、2015年3月には私的なゴルフで乗車したハイヤー代金をNHKに請求していたことが発覚し、マスコミの餌食に。

前出のNHK関係者は「籾井さんでは、マスコミの前に出ていくたびに、受信料の徴収率が落ちるといわれていた。このまま続投されていては組織が持たないので本来、会長を支えるはずなのに胸をなでおろしている経営委員は多いです」とひそかに語る。

「とにかく籾井会長は悪代官の印象が強かったです。携帯の保有者からワンセグ携帯の受信料について裁判を起こされて負けたのに、ただちに控訴。即座に高等裁判所に控訴して『受信料の支払いを主張していく』と昨年10月に息巻いたタイミングでは相当、NHK職員たちが世間にたたかれました。そして無理とわかっているのに執拗に『SMAPの紅白出場』へとこだわり続けた。あれこそ『皆さまに愛される』どころか『皆さまに嫌われる』NHKを作っていくだけ」(同)

さらに、2025年から一部運用していくという新社屋に約3400億円もかけるというバブルな計画も『籾井離れ』を加速させた一因だ。

報道局にいる40代社員は「籾井時代は、彼の覚えがめでたい幹部は、やたらと経費が落ちやすかったようだ。そうした情報にいつもいつも現場の僕らはカリカリしていた。いまだに籾井さんの印鑑がないと経費が落ちずに精査にまわっている、『M経費』と呼ばれるグレーな製作費が数百万あると聞いているが、まあそのまま藪の中だろうな。つぎの上田新会長がまともな運営をしてくれることと祈るよ」と語る。

かくして、NHK本部近郊の居酒屋では「籾井退陣、万歳」の乾杯の声がさぞかし聞かれることだろう。

それでも、籾井会長を評価する声も確かに一部ある。籾井会長は実績として「リオパラリンピックのネットライブ配信」「国際放送の強化」「受信料支払い率80%達成」などと局内で評価して、退任を残念がる職員がいることも確か。

「8Kに加えて4K放送の実施を決断したり、ネットによる同時送信の推進も打ち出した。受信料値下げも検討するはずだったが、やりとげてほしかった」という声もあり「最後の日は式典などで声を聞きたい」という局内から出ているという。

NHK広報に「籾井会長を送り出す式典や花束贈呈はやるのですか」と聞いてみたが、5分近く保留されたうえに「籾井会長に関してそのような情報がきていません」(1月6日18:33)とのこと。

次期会長には、三菱商事の副社長で現職のNHK経営委員・監査委員の上田良一氏が就任となるが、「籾井体制」の垢を洗い流せるか。注目したい。

(伊東北斗)

 

商業出版の限界を超えた問題作!

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

 

 

  
芥川賞第一回は1935年、石川達三の『蒼氓』が受賞している。『蒼氓』が芥川賞第一回の受賞作とは知らなかった。筆の早い石川達三は後に押しも押されぬ文壇の大御所となり、日本ペンクラブの会長まで上り詰めた。ただ、「芥川賞」=「作家としての将来を保証される」かといえば、かならずしもそうではなく、文学の世界では新人作家の登竜門的色合いが濃いとされている。芥川賞に対して直木賞は「受賞すれば生涯食うのに困らない」と言われるだけあって、作家の中でもすでに一定の評価が定まった候補の中から受賞者が決まる。

さて、ごたくをならべるのはここまでだ。いよいよ本日17時に第135回芥川賞の受賞者が発表される。英国のブックメーカー(英国ではあらゆることが賭けの対象となる)が芥川賞受賞者予想を賭けの対象にしているか、英国在住の友人に聞いてみたが「聞いたことないよ」とのことだった。まあそうかもしれない。英国人にとっては賭けるにしても、判断材料が少なすぎるのだろう。

◆宴の場は大阪、十三の「美味しいホルモン焼いている」店にしたかった

でももし、日本で同様の賭けが合法であれば、特別取材班は迷いなく、岸政彦先生の『ビニール傘』にどーんと張る。そして受賞のあかつきには、払い戻し金を手に、受賞記念パーティーを独自に準備する。場所は大阪、十三の「美味しいホルモンを焼いている」店にしたかったが、あいにく昨年10月末で閉店してしまったので、コリアNGOセンターに場所をお借りしてまずは一次会だ。パーティー参加者には『反差別と暴力の正体』で取材対象となった方々も招待しよう。

祭りだ! 祭りだ! 岸先生が文豪への第一歩を歩みだされた記念の日、これを祝わなくて、何を祝う。岸先生の洋々とした前途を祝し、著名人もたくさん招待しよう。有田芳生参議院議員、作家の先輩中沢けい氏、なにかと話題の香山リカ先生、取材班の田所敏夫は絶縁したけれども、この際のりこえねっとの辛淑玉さんにも声をかけよう。あんまり関係ないけど合田夏樹さんも呼ぼう。司会進行は元鹿砦社社員の藤井正美氏にお願いするのがいいだろう。撮影係りは秋山理央氏をおいてほかにはいまい。特別取材班は黒子に徹する。社長松岡もこの日ばかりは裏方だ。

◆お祝いスピーチのトップは李信恵さんしかいないだろう

岸先生「受賞の喜びのご挨拶」に続くスピーチのトップは、やはり先生に一門(ひとかど)ならぬお世話になっている李信恵さんしかいないだろう。李さんも「やよりジャーナリスト賞」受賞作家だからこれで受賞作家同士、さらに友情と信頼が深まることだろう。李信恵さんの『鶴橋安寧』を出版した「編集者の罪は重い」と李さんに憎悪を抱いていた朴順梨さんも、受賞者が岸先生ならば文句はあるまい(あれ? 朴さんが李さんを嫌っていたことって内緒だったっけ?)。先輩作家の中沢けいさんからは「何か不都合な取材や質問を受けた時は『なおさらノーコメント』よ」とユニークなアドバイスが飛び会場が笑いに包まれる。岸先生の笑顔が絶えることはない。

 

 

  

◆「文学におけるヘイト」をテーマに野間さんだって語ってくれる

宴たけなわで登場は、ソウルフラワーユニオンの中川敬さんだ。プロのミュージシャンの生歌が聴けるのも、やはり岸先生の人徳がなせる技だ。中川さんは「騒乱節」を披露してくれ、会場の盛り上がりは最高潮に。参加者の酔いがほどよく回ったところで、「NO HATE TV」でおなじみの安田浩一さんと野間易通さんが「文学におけるヘイト」をテーマにトークショーを披露だ。最近ツイッターで何を書いてもリツイートが激減している野間さんだが、この日ばかりは張り切っている。「調査なくして発言権なし」と国会議員になってもジャーナリスト魂を忘れない有田先生は、控えめにも会場の隅でメモをとっている。スピーチも固辞された。なんと謙虚な方だろう。有田先生の横には寺澤有氏の姿がある。必死で何かを有田先生に語り掛けているようだが、有田先生は取材に忙しく寺澤氏に構っている暇はないらしい(無視か)。合田夏樹さんはいつも通り綺麗どころを口説きまくって、いや、楽しませている。

懐かしいあの顔が見える。シースルーじゃなくてブルーシールでもなくてなんだっけ・・・。えーっと、シズル、違う。シールズだ! 憲法9条2項改憲主義者にして「民主主義ってなんだ」と自問しながら一橋大学の大学院に進学した奥田愛基氏だ。「民主主義ってなにか」わかったのだろうか? 時代の寵児としてもてはやされたけど関西では、司会の藤井正美氏らがコントロールしていて、「極左探し」の名のもと何の関係もない学生2人を「極左認定」しパージ(追い出し)していたシースルー、じゃなかったシールズ。見通しも風通しも悪かったよな。まあいいか。

◆芥川賞受賞記念パーティーのサプライズ

さあ、これで終わると思ったら大間違い。芥川賞受賞記念パーティーにはサプライズがなくてどうする。会場の照明が消えた。ざわつく会場に音声が流れ始めた。

「どっちや!どっちやゴラァ。言うてみぃ オラ(一発大きな殴る音)。言うてみんかい!(一発)。こっち来いコラクソガキ。どヘタレ」、「訴えたらええやんけそれやったら。徹底的にこっちもやったろやないけ。それで俺がパクられても上等やんけお前。売るか売れへんか見てみろや。頭下げへんで。お前なんかに。訴えられたって。あん?お前の味方してくれる奴何人おんのやろのぅ。これで。京都朝鮮学校の弁護団? お前の味方になって もらえると思うか?」

物騒な怒鳴り声が会場にこだまする。闇の中、聞くに堪えないと会場から出ようとする人もいる。怒声はさらに続く。
  
「KさんとかMさんでも誰でもええわ。今おるあいつらも。Iさんでも、Tさんでも男組でも。お? 勝負したろやないけ、それやったら。やるか!? どっちや!? 訴えてみぃやお前!(ドスッという音)おぉ、いつ起訴する?やってみぃ。(一発)コラ。いつや? 明日か? 明後日か? どないすんねん。弁護士事務所ドコ行くねん? どの弁護士行くねん。やってみぃや!コラ (一発)。クソが。やってみぃ、やってみぃ言うとんのやぁお前(一発)。おい。腹くくったから手ぇ出しとんねん、こっちはお前。あぁ? やったらええやんげ、やんのやったらぁ。受けたるからぁ。とことん。お前その代わり出た後、お前の身狙ろて生きていったんぞコラ」

「もうやめましょうよ」岸先生の声が響いた。その時だ。会場の正面左側にスポットライトが照射された。顔を腫らした男性が立っている。「キャー」参加者から幽霊でも見たような奇声があがった。無理もない。男性の顔は腫れあがっているだけでなく、唇は切れて血が滴り、鼻血も出している。男性は無言だ。またしても会場に女性の声が響いた、少し酔ったような口調だ。

「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」

 

 

  

スポットライトを浴びた男性は顔から血を流しながら、岸先生の方へ向かう。手に何かを持っているようだ。岸先生の顔が心なしか蒼褪めている。男性は小さな封筒から紙を取り出した。静まり返った会場で彼はその紙を読みだした。

「『李信恵さんの活動再開は、Mさんが最初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております。どうぞご理解いただき、ご了解いただきますようお願いいたします』これ、受け入れられませんのでお返しします」

紙を封筒に戻すと、少し血の付いた手で男性は岸先生に封筒を手渡した。岸先生の手が震えている。そして先生は消え入りそうな声で男性に語り掛けた。懇願しているようだ。

「これインターネットとかに出さんといてくださいね」。男性は黙って首を横に振った。

しまった! 寝過ごした。変な夢を見た。今日は岸先生の受賞発表の日じゃないか、記者会見抜かりなくこなすぞ。

 

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

増刷出来!『ヘイトと暴力の連鎖』

 

 

  

If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive.
If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.

人は強くなければ生きてはいない。
優しくなければ生きているに値しない。

レイモンド・チャンドラーが、代表作『プレイバック』で登場人物に語らせた有名なセリフだ。ハードボイルドの雰囲気を吹かせながら「優しくなければ生きている資格はない」と締めるあたり、チャンドラー節全開で読む者を唸らせる。

さて、このセリフがぴったり当てはまる岸政彦先生がノミネートされた芥川賞受賞者の発表がいよいよ明日17時に迫って来た。謙虚で物静かな岸先生は発表を控えてどんなお気持ちだろうか。岸先生の謙虚さを示す格好のテキストがあった。「紀伊國屋じんぶん大賞2016」を受賞された岸先生のコメント、お人柄がにじみ出ている。

◆「とつぜんこのような大きな評価をいただき、戸惑い混乱するばかりです」

「このたびは過分な賞をいただき、ありがとうございます。これまで、アカデミズムの中心からは遠く離れた大阪の路地裏で地味に生きてきましたが、とつぜんこのような大きな評価をいただき、戸惑い混乱するばかりです」。

「地味に生きてきましたが」、なんて岸先生ファンが見たら「ウソ!! マサヒコ!」と絶叫しそうだ。

「この本の最大の特徴は、何の勉強にもならない、ということだと思います。いちおう社会学というタイトルはついていますが、これを読んでも社会学や哲学や現代思想についての知識が増えることはありません。これは何の役にも立たない本なのです」。

クー!しびれる。凡人の頭には浮かばないセリフだ。「これは何の役にも立たない本なのです」などという「自己否定」と等価な断言。みずからの著作に「いたらぬ部分が多々あって」とか「自分の勉強不足が恥ずかしいです」くらいの恥じらいを見せる人は多々見受けられるが、全共闘の「自己否定」、「大学解体」にも通じそうな(?)この全否定に取材班を含め読者は一発で、ノックアウトされるのだ。

◆「私たちがこの世界に存在することに意味はありません」

「私たちがこの世界に存在することに意味はありません。私たちは路上に転がる無数の小石とまったく同じなのです」。

ウォー! これ後世に残る名セリフじゃないか。フランシス・ベーコンや、カント、サルトルに匹敵する思想の域に岸先生は既に達している。そうか、長年解らなかったけど「私たちがこの世界に存在することに意味」はなかったんだ。「路上に転がる小石」と同じなんだ。なんという大胆な哲学。西田哲学、黒田哲学にも負けない「岸哲学」の真骨頂にただただ感服するばかりだ。

「この本で書いたことは、まずひとつは、私たちは無意味な断片的な存在である、ということと、もうひとつは、そうした無意味で断片的な私たちが必死で生きようとするときに、『意味』が生まれるのだということです」。

なるほど「私たちは無意味な断片的な存在」なんだ。だから「必死で生きよう」としない人はいつまでたっても「無意味」な存在。含蓄が深い。こんな怖い言葉を投げつけられたら「必死で生きよう」なんて普段考えてもいない、取材班のメンバーは「無意味な存在」だらけだと恥じ入るしかない。

何十発も殴られても、ひたすら耐えたM君

 

 

  
◆何十発も殴られても、ひたすら耐えたM君の「生きる意味」

でも、取材班は「必死で生きよう」としている若者を知っている。集団リンチ被害者のM君だ。M君は殴られて右目が腫れて、見えなくなっても、何十発も殴られても、顔を蹴られても、ひたすら耐えに耐えた。

彼は顔をボコボコに殴られたためか、あるいはPTSDのためか、殴られたことは覚えていたが、顔を蹴られたことを忘れていた。刑事記録を紐解く中で、取材班が「おいM君、君殴られただけじゃなくて顔を蹴られてるがな!」と伝えるまでM君にそのことは記憶になかった。「命を守る」のに必死だったのだろう。

岸先生おっしゃるところの「生きる意味」を体現しているのがM君であるが、そんなM君の「生きる意味」をさらに強固にする試練を、岸先生は過去にお与えになっている。事件直後加害者の「聞き取り」に岸先生が同席したことは昨日述べた通りだ。そしてその後加害三者からの「謝罪文」がM君に届く。李信恵氏は謝罪文の中で、「反省の気持ちを表すため、ツイッターもフェイスブックも休止しました。また、新規での講演を引き受けないことにしました。(中略)Mさんの気持ちを考えると自粛することが最善だと思ったからです。それが償いになるとは思っていませんが、自分なりに考えて行動に移しました」2016年(2015年の書き間違いだろう)2月3日付、李信恵氏手書きの「謝罪文」には上記を明言している。

 

◆岸先生が事務局長を務める「李信恵さんの裁判を支援する会」の言

ところが、2015年4月8日付「李信恵さんの裁判を支援する会」の名前で「李信恵さんの活動再開について」と題された文書が代理人を通じて一方的にM君に届けられ、累々言い訳を述べた上で最後は以下のように結ばれている。繰り返すが岸先生は、「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長だ。意思決定に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。

「李信恵さんの活動再開は、Mさんが最初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております。どうぞご理解いただき、ご了解いただきますようお願いいたします」

さすがである。取材班はこれまで「岸哲学」を学んでいなかったのでこの通告がたんにM君への約束を踏みにじる、無茶苦茶な行為としか理解できなかったが、そうではなかった。これは「私たちは無意味な断片的な存在である」前提に立った、岸哲学の真髄がなし得た、ある種の弁証法だったのだ。

常人には理解できないだろうけども、理解できない人がいるとすれば、「岸哲学」を学び直すべきだ。M君がより『意味のある』存在として成長してほしいと願う岸先生が、われわれの思いつかない深い愛情でM君に試練をお与えになったのだ。必死で生きることを余儀なくされた『意味のある存在』であるM君にとって、岸先生は恩師かも知れない。

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

 

 

  
岸政彦先生は龍谷大学で教鞭を取る社会学者として有名だ。『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(2013年)、『街の人生』(2014年)、『断片的なものの社会学』(2015年)と毎年優れた著作を出版しておられる。『断片的なものの社会学』では「紀伊國屋じんぶん大賞2016」を受賞されている。CiNii(学術論文検索データベース)で検索すると59件の論文がヒットする。非常に研究熱心な岸先生は業績も秀でているといえよう。

◆たぐいまれなる情熱と能力に脱帽

学生に講義をして、専門分野の研究に汗をかき、さらに小説まで手掛けておられるのだから岸先生のたぐいまれなる情熱と、能力には脱帽するしかない。テレビ出演や新聞への寄稿も多い。

そして忘れてはならないのがそんな多忙の合間を縫って、「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長まで引き受けておられる献身性だ。学者たるもの机上で論文を書き連ねるだけでなく、それを社会に還元するのが使命だろうが、岸先生はそれを実践している。ご立派、研究者のかがみだ!

しかも岸先生は勇敢だ。「M君リンチ事件」直後にコリアNGOセンターで行われた加害三者(李信恵、エル金、凡各氏)への「聞き取り」にも足を運んでいる。社会学者にとってフィールドワークや「聞き取り調査」は基本中の基本。岸先生はその場で加害者達から「真実」を聞き出したに違いない。そして加害三者は過ちを認めM君に「謝罪文」を伝えることになる。

◆2014年大晦日の不思議な出来事

でも、岸先生が加害三者に「聞き取り」を行ってから、M君に謝罪文が届くまでにちょっと不思議な出来事があった。「聞き取り」は2014年12月30日に行われたのだがその翌日、12月31日に凡氏がインターネットで配信していた「凡どどラジオ」に岸先生はゲスト出演していたのだ。「聞き取り」では「真実」を知ったであろう岸先生がその翌日に加害を認めた凡氏の配信に出演しているのは??

この件については辛淑玉氏も凡氏の行動をきつくたしなめている(詳細は『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』をご参照頂きたい)。でも前日に「聞き取り」という名の「民間取り調べ」に参加した岸先生が翌日に罪を認めた人物の配信に出演するのはなんかおかしくはないか? M君がどう思うかをお考えにはならなかったのだろうか。

あ、そうだ、「推定無罪!」。警察に逮捕されても、送検されても判決確定までは皆さん「推定無罪」が社会の常識。だから岸先生は罪を認めた凡氏をも、分け隔てすることなく「事件など無かったかのように」平気で配信に参加されたのだ。そうだ。そうに違いない! でなければ単に言行不一致の誠実ならざる人格となるが、そんなことはない。岸先生の人権原則を踏み外さない「推定無罪」を体現して下さった姿勢に、取材班はあらためて先生の偉大さを痛感する。

え? でも凡氏は関西大学で岸先生が教えていた頃の教え子だって? 嘘でしょ。公正な社会学者として、岸先生がそんな個人的事情を優先するはずがない。絶対にない! じゃあこの写真を見ろって?

え? これ岸先生「紀伊國屋じんぶん大賞2016」祝賀会での凡氏との2ショット? 事件のあと? うそだ。信じない。この写真は加工されたものに違いない! 凡氏はM君への謝罪文で活動停止を約束していたじゃないか。

岸先生はそんな人じゃない(はず)。まだきょうは芥川賞候補者だけど、19日の17時には、晴れて「芥川賞受賞作家」になるんだ。岸先生は清廉潔白、公正無比な聖人だ!

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

 

 

ドイツは、第二次大戦で犯した蛮行を反省し、戦後はナチ戦犯を徹底的に訴追したことで、本当にナチスと決別し、反省したと世界に評価された。しかし、それは戦後すぐにできたわけではなかった。敗戦直後、戦勝国によるニュルンベルク裁判が行われナチ高官らは裁かれたが、将官クラス以下の元ナチ党員らは市井に紛れ、政府の要職や教職につく者までいた。その数は膨大で、誰が元ナチなのか、口にできない雰囲気が国民の間に立ち込めていた。

それを破り、アウシュビッツをはじめとするユダヤ人虐殺を指揮したルドルフ・アイヒマン逮捕に執念を燃やし、元ナチ党員の徹底追及に道を開いたのが、ヘッセン州検事長であったフリッツ・バウアーである。現在公開中の映画「アイヒマンを追え!」は、バウアーが元ナチ党員たちの妨害に耐えながら、命をかけてナチ戦犯を追い詰めていった過程を描いている話題作だ。

 

 

◆検事長バウアーに立ちはだかったドイツ社会の「集団忘却願望」

だが映画の中でバウアーが戦うのは、元ナチ党員だけではない。新生ドイツの復興を急ぐあまり、ナチの蛮行に触れたくない、できれば忘れたいとする政府や国民の「集団忘却願望」も大きな壁となって立ちはだかった。自身はユダヤ人で戦時中はスウエーデンに潜伏していたバウアーは「これは復讐ではなく、正義のために行うのだ」と調査を嫌がる若い検事たちの尻を叩く。その執念は凄まじく、アルゼンチンに逃亡したアイヒマンを自国で裁けないと知ると、当時まだ国交が無かったイスラエルのモサドに情報を流し、彼らにアイヒマンを捕まえさせることさえ厭わなかった。

あの世紀のアイヒマン裁判の裏には、そんな驚愕の事実が潜んでいたのだ。そしてアイヒマン裁判を機にナチの蛮行が世界に発信され、ドイツ人自身によるアウシュビッツ裁判を筆頭としたナチの徹底的な追及が行われる事になるのだが、その流れを作ったのがバウアーだったのだ。

 

 

 

 

◆原発ムラの面々を裁けなかった日本

この映画を見ながら、敗戦直後にナチを追及できなかったドイツ社会が、原発事故後に原発ムラの面々を裁けなかった日本とダブって見えた。広範囲な国土を放射能汚染させ、千人以上の原発事故関連死を引き起こした法的責任を、まだ誰も取っていない。それは、東電を主犯とする原発ムラの裾野が広大で、実に多くの人々が共犯者だからだ。現に、今も活動を続ける「原子力産業協会」名簿に記載された企業の多くが、日本を代表する一流企業である。これら原発ムラは、311以前は巨額の宣伝費で原発プロパガンダを展開していたが、事故直後に一斉に証拠隠滅に走った。そして事故後2~3年経つと、ほとぼりが冷めたとしてまたぞろ原発礼賛をあちこちで再開し始めた。

これは結局のところ、彼らの悪事がきちんと記録されず、多くの国民がその悪行を知らないため、時間の経過とともに集団的忘却に陥っているためではないだろうか。敗戦直後にナチスの蛮行の詳細を多くのドイツ人が知らず、その後それを忘却しようとしたのと酷似している。現在、福島県は避難地域の縮小を急ぎ、自主避難者への生活支援を今年3月に打ち切ろうとしているが、これなどは「早く原発事故を忘れたい、無かったことにしたい」という忘却願望の表れそのものだ。いまだ9万人を超える避難者の数を減らし、一刻も早く原発事故を想起させる対象を消去したいというグロテスクな集団願望が蠢いている。

 

 

◆原発事故を起こした私たちは、過去と向き合わなければならない

こうした加害者側の忘却願望に抗するために、私はこれまで311以前のメディアの論調や原発礼賛広告を調べ、記録してきた。その成果を「原発広告」や「原発プロパガンダ」などの著作にまとめてきたが、近い将来、記事や広告掲載の日時データに加え、高額の報酬を貰って原発広告や推進イベントに出演していたタレントや学者などの氏名を網羅したデータベースを作り、ネット上で公開したいと思っている。彼らは笑顔で原発礼賛を繰り返し報酬を得ていた「原発ムラの共犯者」なのに、事故後はその事実を語らず、事故で苦しむ人々に何の援助もしていない。もちろん、貰った報酬を返却したという話も聞いたことがない。これは、日本社会がそうした事実を記録せず、責任追及もせず忘却するがままにしているからだ。しかし、そのまま放置していて良いはずがない。データベース公開によって関心のある誰もが事実を知ることが出来るようになるのが、私の願いだ。

完成形としては当時の雑誌や新聞の紙面も全部見せたいのだが著作権上の問題もあり、当初はテキストデータだけになるだろう。しかし検索機能を備え、例えば「星野仙一」で検索すれば「福井新聞2009年12月12日掲載・15段・関西電力」と分かるような設計にしている。もちろん、全部で何回、どこの広告に出演していたかも分かる。そして名前を掲載される規模は数百人に及ぶだろう。いわば原発事故版オデッサ・ファイルのようなものだ。

 

私はこの作業をほぼ個人でやっていて、ここ数年はある大学の補助も受けたが、実に膨大なデータ量と作業量と格闘している。データ取得は国会図書館でのマイクロフィルム精査、コピーの連続であるから当然お金もかかり、資金の欠乏で作業に遅れが出ている。しかし、「アイヒマンを追え!」を見てバウアー検事長を知り、この作業を絶対に完遂させるという決意を新たにした。

原発事故を起こした私たちは、過去と向き合わなければならない。そのためには過去を振り返る資料を誰もが見ることの出来る環境が必要だ。私に出来ることは小さな事だが、それが社会正義に繋がることを願って、今日も作業を続けている。


◎[参考動画]『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』予告篇

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

『NO NUKES voice』10号本間龍さん連載「原発プロパガンダとは何か?」新潟知事選挙と新潟日報の検証

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

鹿砦社特別取材班は1月19日17時を心待ちにしている。『反差別と暴力の正体』巻頭グラビアに登場した、あの岸政彦先生の『ビニール傘』がノミネートされている、第156回芥川賞受賞者が発表されるからだ。今年のノミネートは岸先生のほかに加藤秀行氏『キャピタル』、古川真人氏『縫わんばならん』、宮内悠介氏『カブールの園』、山下澄人氏『しんせかい』と力作ぞろいである。

特別取材班としては、是が非でも龍谷大学社会学部教授にして、「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長である岸先生に受賞して頂き、全国から絶大な注目を浴びる「芥川賞受賞作家」として確固たる地位を築かれることを切に願う。

岸先生は謙虚な方でおられるので、下の写真で受賞を固辞されているようにも見えるが、違う、違う!! これは特別取材班が、岸先生の研究室に「M君リンチ事件」についてお話を伺いに行った際に質問にはお答えを頂けず、記者のIDをスマートフォンで撮影したくせに、「この写真インターネットとかに出さんといてくださいね」と記者に懇願されたお姿である。

 

特別取材班は岸先生のこんなみっともない姿を二度と見たくはない。1月19日には堂々と「芥川賞受賞作家」として持ち前の甘いマスクから、満面の笑顔を見せて欲しい。そして受賞記者会見では記者の質問に堂々と答えてもらおう。天下の芥川賞受賞作家だ。2度もの「ノーコメント」はないであろう。岸先生! 授賞式には伺いますからね。

でも誰が事件について質問するかをここではまだ明かさない。特別取材班はこのかん、社外の大手メディアにも協力者を獲得してきている。司会者が「事前注意」で「今回の受賞に関係のない質問はご遠慮願います」と注意しようがしまいが、受賞会見の様子はニコニコ動画で生中継されるのだ。偉大なる尊師によればドワンゴはけしからん会社だそうだが、そこで中継される岸先生はどんなご様子だろうか。

今から授賞式での岸先生の姿を想像すると興奮を抑えきれない。芥川賞は公営財団法人日本文学振興会、まあ実質的には文藝春秋が仕切っている。芥川賞の選考委員は小川洋子、川上弘美、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美、吉田修一、高樹のぶ子、奥泉光、島田雅彦(順不同)の各氏だ。

特別取材班はどこかの団体とは違うので「文藝春秋に岸先生を推薦するFAXを送ろう」とか「選考委員じかにメールでプッシュしてください。割り振りは以下の通りです」などと読者の皆さんに間違えてもお願いするようなまねはしない。しかし、世は因果なもの。何が起こるかわからないとだけ予測しておこう。

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

蹴りが速かった麗也、グッサコーンノーイの圧力に負けず

パンチ、ヒジ、蹴りの連打で心折った麗也の勝利

柴田春樹vsジェイ・ボイカ。ウェイト差、パンチ力、連打力が優ったジェイ・ボイカ、再戦に期待したい

間の取り方が上手かったブンピタック、石川直樹は学ぶこと多かった

かつては治政館ジムの若く将来有望だった志朗は、今やムエタイランカークラスにインパクトあるKO勝利を収めるメインイベンターに成長、今後、日本キック界のエース格を争わせるイベントに出場しても、人気と好ファイトを確信できる存在となりました。

ファイトマネー総取り額は150万円。決して高い額ではありませんがタイ側にとっては魅力的だったでしょう。

◎WINNERS 2017.1st
1月8日(日)後楽園ホール17:00~20:55
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会
放送:テレビ埼玉. 1月28日(土)20:00~20:55

《主要4試合》

◆54.0kg契約 5回戦

麗也(元・日本フライ級C/治政館/54.0kg)
           VS
グッサコンノーイ・ラーチャノン(元ルンピニー系SF級2位/タイ/53.0kg)

勝者:麗也 / TKO 3R 1:35 / カウント中のレフェリーストップ
主審:椎名利一

実質大トリメインイベントを初めて務めた麗也はアグレッシブに攻めてくるグッサコンノーイに速いローキックと地道に当てるパンチで徐々にダメージを与え、打ち負けることなく倒して勝つ、そのメインの役目をしっかり果たしました。

◆ヘビー級3回戦

日本ヘビー級チャンピオン.柴田春樹(ビクトリー/93.0kg)
           VS
ジェイ・ボイカ(元・J-NETWORKヘビー級C/ブラジル)

勝者:ジェイ・ボイカ(=楠木ジャイロ)/ TKO 2R 1:40 / カウント中のレフェリーストップ主審:和田良覚

日系ブラジル人のジェイ・ボイカは分厚い上半身で一気にラッシュするパンチの圧力が凄い。柴田はローキックで勝機を掴むも、踏ん張るジェイ・ボイカのパンチで崩れ去りました。ジェイ・ボイカは弱点はありつつも日本の人材不足のヘビー級には必要な存在でしょう。

◆52.5kg契約3回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/52.5kg)
VS
ブンピタック・クラトムブアカーウ(タイ/52.0kg)

勝者:ブンピタック・クラトムブアカーウ
判定0-3 (27-29. 27-30. 27-30)

チャンピオンになって初戦の石川にムエタイ技が圧し掛かる。圧力に負けない積極性が増した石川でしたが、3ラウンドに左フックでダウンを奪われ、ヒジで額をカットされる大差判定負け。一瞬の隙を突いたムエタイ技に過去にない経験をした石川はこれからも続くムエタイ対策に磨きをかけなければいけません。

志朗のローキックでジワジワとパカイペットの戦力を弱めていった

パカイペットの強い蹴りに決して下がらなかった志朗の返しの蹴りに、パカイペットも焦りの表情に変わる

意識朦朧のままコーナーへ引っ張られリングを降りたパカイペット、蹴られた太股も志朗以上に傷が残る

◆ファイトマネー勝者総取りマッチ 56.0kg契約 5回戦

ISKAムエタイ世界バンタム級(-55kg)チャンピオン.志朗(治政館/55.7kg)
VS
ルンピニー系スーパーバンタム級6位.パカイペット・ニッティサムイ(タイ/55.7 kg)

勝者:志朗 / KO 5R 3:10 / テンカウント / 主審:少白竜

ファイトマネー総取りマッチはタイではよくある賭け試合です。パカイペットは総額30万バーツ(約95万円)を賭けた試合を行ない勝利したこともあるという意欲ある選手。1年前に日本バンタム級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー)を左ミドルキックでTKOに追い込んだタイのランカーで、志朗にとって過去最強の相手とされていました。

骨の硬くて重くて速いパカイペットの左ミドルキックとローキックで志朗を攻める。志朗はブロックしてパンチやローキックを返す蹴りも負けていない志朗だが、骨同士が当たると素人目にはいかにも痛そうな蹴りは、貰い続けては動けなくなりそうな予感。

賞金が懸かると本気になるタイ選手らしく、中盤から組み合ってのヒザ蹴りも勢いが落ちないが、志朗もローキックを強く返し、パンチが何度もパカイペットの顔面を捉える。

キックボクシングとして、3ラウンドまでの公開採点によるポイントはパンチで優る志朗が僅差で上回るも、後半に勢いが増すパカイペットに微妙な判定か、または延長戦か、または暴動寸前の猛抗議か、そんな予想も見事に不要となったラストラウンド終了間際1、2秒前の志朗の隙を突いたパンチがアゴにヒットしグラつくと更に連打しパカイペットが崩れ落ちる。完全に効いた重いダメージでほぼテンカウントを聞いてもしばらく立ち上がれないパカイペットに完勝した志朗でした。

志朗はWINNERS,2nd.5月興行でISKAムエタイ世界バンタム級王座の防衛戦が予定され、志朗の後輩の麗也も後に続く成長を遂げ、今春、ベルギー遠征が予定されており、ISKAオリエンタルルールの世界ランキング査定試合が行なわれます。いずれもISKA路線ですが、タイで名の売れた二人はタイ二大殿堂スタジアムでの試合も増えるでしょう。

運命を分けたラストのほんの数秒の出来事、劇的勝利の瞬間

◆翔栄(元・日本ライト級C/治政館)引退セレモニー

翔栄は外傷性くも膜下血腫の為、引退することになりました。2011年に16歳でデビュー。元・日本フェザー級チャンピオン.雄大の弟としても、兄と比べられる現役生活でした。2014年5月に王座決定戦で、現チャンピオンの勝次(藤本)と対戦、判定勝利で王座に就いていますが、ここで身体の異変に気付きドクターストップが掛かると、これがラストファイトとなり、22歳での惜しまれる引退となりました。

以下、9試合は割愛します。

麗也と志朗。二人ともKO賞を獲り、志朗はベストファイト賞も獲ってのツーショット

《取材戦記》

私がタイにいた1988年頃のジムで、賞金総取りマッチがありました。ファイトマネーというより、陣営が出す金額そのまんま掛け金となったと思います。なので、「ハルキも賭けるか?」と言われましたが、その試合に出場するダウヨット・チャイバダンという選手の技量からいって勝つ気はしましたが、相手のことがわかりません。

我が陣営が言うには「ノム(ダウヨット)は負けないよ、大丈夫」と言われつつも弱気な私は賭けませんでした。ジム仲間の選手達は皆少ないながら持ち金を賭けていました。試合には勝って我が陣営は総取りに成功。1万バーツほど賭けていたジム仲間は、その後しばらく姿をくらました奴もいて、彼女と遊び歩いたのかもしれませんが、たかが2倍になるだけ。負ければ賭け金すべて失うのでリスクが高い遊びです。スタジアムに足を運ぶ群衆もこんなことが道楽で、山に囲まれた田舎でも夕暮れ時に村人が集まって、鶏の喧嘩に賭ける遊びがあったりしますから、人生ゲームを地でいく欠かすことのできないタイ人ならではの文化なのでしょう。

そもそも我々の人生の節目節目が賭けの連続で現在があり、例え負けても“生きているだけで丸儲け”なのかもしれません。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

講談社の漫画雑誌「モーニング」の編集次長が妻を殺害した容疑で警視庁に逮捕された事件が世間の耳目を集めている。まだ冤罪を疑う声はほとんど聞こえてこないが、私はこれまでの冤罪取材の経験からこの事件はとりあえず、冤罪を疑いながら動向を注視すべき事案だと思っている。そこで、この事件に関する報道の情報を読み解くポイントをいくつか挙げてみよう。

警視庁は朴氏が妻の殺害を自殺と偽ったと疑っているという(TBS「News i」より )

◆警視庁は事件の構図をどう描いたか?

報道によると、妻殺害の容疑で逮捕された編集次長は、東京都文京区の自宅で妻や4人の子供と暮らしていた韓国籍の朴鐘顕(パク・チョンヒョン)氏、41歳。2009年に編集長として「別冊少年マガジン」の創刊に携わったほか、様々なヒット作に関与した優秀なマンガ編集者なのだという。

そんな朴氏の逮捕容疑は、昨年8月9日に自宅で妻の佳菜子さん(当時38)を殺害した疑い。朴氏は同日午前2時45分頃、自ら119番通報し、当初は警視庁に「妻は階段から転落した」と話していたが、その後に「自宅にある服で首を吊って自殺した」などと説明が変遷。司法解剖により佳菜子さんの首に絞められたような跡が見つかり、部外者が侵入した形跡もなかったことから、警視庁は他殺との見方を強めていたという。

また、朴氏が子育てのことで佳菜子さんとトラブルになっていたとか、佳菜子さんが3年前、文京区の子育て支援センターに「夫が子育てを手伝ってくれない。教育観の違いからけんかになり、平手打ちをされた」などと複数回相談していたなどの情報も報道されている。朴氏は容疑を否認しているとされるが、警視庁は朴氏が子育てをめぐるトラブルから佳菜子さんを殺害したとみているのだと思われる。

◆警視庁が5カ月も逮捕に踏み切れなかった事情は何か?

では、こうした報道の情報からどのような冤罪の疑いが見出させるのか。

何よりまず、非常に単純なことだが、警視庁が妻の死亡から朴氏の逮捕まで5カ月も要していることである。報道されているような証拠が仮にすべて実在するとしても、その大半は事件から1カ月もあれば収集できるようなものである。にも関わらず、警視庁が5カ月も朴氏を逮捕できなかったのは、朴氏が妻を殺害したとは断定しがたい事情があったということだ。

では、その事情は何なのか。

それは第一に、朴氏には、妻の佳菜子さんを殺害する確たる動機が見当たらないことではないかと思われる。先述したように警視庁は子育てをめぐるトラブルを殺害の動機とみていると思われるが、子育てをめぐるトラブルなど、どんな夫婦にもあることだ。まして事件の起きた時間帯は深夜だから、佳菜子さんが死亡した時、家には4人の子供も在宅していたと思われる。そんな状況下で、朴氏がたとえ佳菜子さんと子育てのことでトラブルになって頭に血がのぼったとしても、殺害行為にまで及ぶかというと疑問だろう。

また、朴氏が「自宅にある服で首を吊って自殺した」と供述する前、「妻は階段から転落した」と証言していたことも疑われた理由になったとみられるが、妻に自殺された夫が妻は事故死だったと偽ろうとするというのは、良し悪しは別として普通にありそうなことである。朴氏が「妻にヘッドロックをした」と供述しているとの報道もあるが、この供述は司法解剖で見つかった妻の首の傷について、朴氏が妻の首を絞めたことをごまかすために嘘の弁明をしていると解釈できる一方で、朴氏が自分に不利になることを承知で真実を告白しているとも解釈できるものである。

警視庁は「子育てをめぐるトラブル」が動機とみているようだが……(毎日新聞HPより)

◆逮捕の決め手と考えられるのは2点

こうやって報道の情報を1つ1つツブしていくと、警視庁が朴氏の逮捕に踏み切る決め手となった証拠や事実関係もおのずと浮かび上がってくる。それはおそらく、

(1)佳菜子さんが亡くなった時間帯、朴氏宅に外部から第三者が侵入した形跡はないという「現場の密室性」、

(2)佳菜子さんの死因は首つり自殺ではなく、他者に首を圧迫されたことによる窒息死だとする「法医学者の鑑定意見」の2点だろう。

このうち、(1)の「現場の密室性」については、裁判になれば検察は、防犯カメラの映像や子供たちの証言から何の問題もなく立証できると思われる。そもそも朴氏側も「妻は自殺した」と主張している以上、外部から第三者が侵入した可能性がないことにはついては、特に争わないだろうと考えられるからである。

そこで裁判になれば、最重要争点になるのではないかと思えるのが、(2)の「法医学者の鑑定意見」だ。これについては、現時点では確たることは言えないが、一般的に法医学者の見解というのは裁判で争いになりやすいのものだ。それはすなわち、この事件においても、司法解剖を手がけた法医学者が「死因は他者に首を圧迫されたことによる窒息死だ」という見解だったとしても、別の法医学者が解剖所見などをみれば「死因は首吊り自殺と推定しても矛盾はない」という見解になっても何ら不思議ではないということだ。

いずれにせよ、ここまでの報道を見る限り、有罪証拠が乏しい事件であることは間違いないと思われる。動向を継続的に注視したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

2007年1月15日、京都市左京区岩倉幡枝町の歩道上で京都精華大1年生の千葉大作さん(当時20)が通りすがりの男に殺害された事件は容疑者が検挙されないまま、この15日で発生から10年を迎える。このほど事件現場を訪ねたところ、改めてミステリアスな事件だと思えたが、何より印象的だったのは現場に花と共に供えられた1冊の本だった――。

犯人に関する情報は多いのに未解決

事件が起きたのは2007年1月15日の午後7時45分頃だった。千葉さんは自転車で帰宅中、通りすがりの男とトラブルになり、胸部や腹部を刃物で10カ所以上刺された。そして通行人に「救急車を呼んでください」と助けを求めたが、搬送先の病院で亡くなったのだった。

千葉さんは当時、全国で京都精華大にしかないマンガ学部の1年生。マンガ家になる夢を叶えるため、故郷の仙台を離れて進学していたのだが、その夢は生命と共に凶刃に奪われてしまった。

目撃情報によると、事件直前、千葉さんは現場で犯人の男とトラブルになり、「あほ」「ぼけ」と怒鳴られていたとされる。男は20~30歳で、身長は170~180センチ。髪はボサボサだがセンター分けで、上下黒っぽい服装をしており、黒っぽいママチャリ風の自転車に乗っていた。目の焦点があっていなかったという。これだけ多くの犯人に関する情報がありながら、事件は10年経った今も未解決というのは不思議である。

現場を訪ねたところ、本当にのどかな田舎町で、よそ者がふらりとママチャリで訪れる場所とは思い難かった。犯人はどうやって逃げおおせたのか。そもそも、一体どこからやってきたのか。実際に現場を訪ねてみて、わかったのは事件が謎めいているということだけだった。

現場には今も献花が絶えない

◆事件は風化していない

そんな現場には、命日でもないのに複数の花や飲み物が供えられており、生前の千葉さんが友人にめぐまれた青年だったことが窺えた。そんな中、目を引かれたのが花と共に供えられた1冊の本だった。透明なプラスチックケースに入れられているのは、雨などをしのぐためだろう。この本のタイトルは――。

「君にさよならを言わない」

私は恥ずかしながら知らなかったが、ライトノベルの人気作品だった。おそらくは千葉さんの友人が、この本はタイトルが千葉さんに贈る言葉としてふさわしいと思い、供え物にしたのだろう。さらに調べてみると、この本の著者である七月隆文さんは京都精華大のOBらしく、学校全体で千葉さんの死を悼んでいるような雰囲気が伝わってきた。

年月が経つうちに証拠は散逸していくものだと言われるが、事件はまだ風化していない。それはつまり、犯人は決して逃げ切れたわけではないということだ。

花と共に供えられた本は「君にさよならを言わない」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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