あの時、小学校に入学直前だった子供が中学校へ進学する。小学校6年生で卒業式を終えた児童の大半は高校を卒業したことだろう。20歳だった青年も26歳。皆年齢だけは、毎年1つづつ平等に重ねてゆく。彼らの中であの日の記憶はどうなっているのだろうか。震災直後東京の少なくない高校生は「原発反対デモみたいに」という言葉を、異形のものを示す侮蔑表現として使っていたが、成人した彼らの認識に変化はあるだろうか。

◆6年の年月を経ても変わらない(変えることのできない)風景

高木俊介さん(精神科医)1957年、広島県生まれ。京都大医学部卒業。日本精神神経学会で、精神分裂病の病名変更事業にかかわり「統合失調症」の名称を発案。2002年に正式決定された。04年、京都市中京区にたかぎクリニック開設。著書に「ACT-Kの挑戦」(批評社)、「こころの医療宅配便」(文藝春秋)など

6年の年月を経ても変わらない(変えることのできない)風景がある。15日発売の『NO NUKES voice』に登場して頂いた精神科医、高木俊介氏は、震災後何度も福島に足を運び、診察所の開設や子どもの保養を独自に進めてきた方だが、その高木医師が震災5年後(昨年12月)、国道6号線の光景を目にしてあっけにとられたという。

まったく手が付けられずに放置された膨大な地域。道路だけは名目上「除染」されたことになってはいるが、その周辺には人の手が及ばない。本当は人が入ってはならないほど汚染はいまでも深刻だが、国道6号線は「開通」してはいる。ただし通行を許されるのは車両のみで、バイクははいれない。言わずもがな、いまだに空間線量が高いので「体が剥き出しのバイクは危険」というのが、国(あるいは県)の判断だ。だが飛んでくる放射線は、紙一枚で止められるアルファー線だけではない。車の薄いボディーやガラスなど無関係に透過してしまうベーター線やガンマー線だって飛んでるだろう。それに空間の数値とは関係なく、地面には膨大な核種が積もっているのだ。

色も、匂いも、手触りもない。いや、正確にはそれらが感じられるほどの量を目視できる場所に立てば、人間は即死してしまうから知ることが出来ない。それが放射性物質の猛烈な「殺傷力」の本質だ。

◆この国は持つのか?

どうするつもりなのだろうか。政府や東京電力は。さしあたり除染や廃炉、補償に必要な額として「20兆円貸してくれ」と東京電力は国にすがりついている。20兆円は2016年度国家予算の約25%に相当する。そんな巨額を1私企業に無担保で貸し付けても大丈夫なのか。

しかもこの金額は「さしあたって」のものであり、これだけで済むものではない。最近になって「本当は40兆円」という噂が流れている。40兆円なら国家予算の約半分弱。国家予算の半額を1私企業の犯罪を贖(あがな)うために投入するような予算は、さすがに表向きできない。そうでなくとも公債(国・地方あわせ)の発行残高が1500兆円を超え、国民総資産を間もなく凌駕(りょうが)しようという、破産寸前の財政状態にあって、この国は持つのか。

◆私たちが生きている国の政権は「愚か」の極みである

高木医師は自分自身が被災地に関わる中から体感した、被災地の惨状と、原発への危機感、さらにはこの国の行く末について、重大な警鐘を語りかけてくれている。

「どうすればよいのかを、誰か知っていたら教えてください」

脱原発に長年かかわる人びとは、示し合わせたようにそう口にする。でも、そう語りながらも原発の危険性を一人でも多くの人に理解してもらおうと、血のにじむような思いで、何十年もひたすら語り、行動することをやめたり、あきらめたりはない。おそらくその行動の中にしか回答はないのだろう。

ドイツや台湾のように人間として標準的な判断力を有している政府であれば、「こんな危険なものは国を滅ぼし人びとに惨禍を与えるだけだ」、と福島第一原発事故を見て気が付く。真逆に残念ながら事故を起こしたこの国の政権は、それでも原発を続けるという。日本語でこの様な行為を「愚か」と表現する。しかしながら残念なことに私たちが生きている国の政権は「愚か」の極みである。そうであるのであれば「愚か」さに相対してゆくしか方法はない。

◆被災当事者の痛みを私たちはまだ十分に理解していない

1月21、22連日大阪で「再稼働阻止全国ネットワーク」主催による、「全国相談会」と集会、デモ、関電包囲行動があった。「全国相談会」は毎度のことではあるが参加者の平均年齢が高い。平均年齢をぐっと引き下げているのは福島から避難してきたお母さんや子供たちだ。避難して「闘う」ことを決意したお母さんたちの目の奥にはある種の「覚悟」がある。「全国相談会」で議論が散逸しそうになると、「私たちさっきから議論を聞いていて、本当に大丈夫なのかなというのが正直な感想です」と厳しい批判をで議論を軌道修正する。

そうだろうな、と同感する。まだ被災当事者の痛みを私たちは、十分に理解していないのだ。自省を迫られた気がした。しかし「十分理解できていなかった」ことを認識することは大きな前進であり、社会運動の成長はそれを構成する個々の人格的向上や、専門知識の吸収度合いと軌を一にするのであろう。

「全国相談会」の参加者200名は集会で400名に、デモと関電包囲行動には1000人に膨れ上がった。雨中のデモであったがあの長い列は、組織動員もない中、圧巻であった。しかしその様子を伝えたマスメディアはない(本誌を除いて)。震え上がるほど気温は低かったが「原発を止める」い熱い意志に揺るぎはないことを再度認識する2日間であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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