自動車の「運転席に座ったとたんに性格が一変」するひとがいる。これは昔から言われ続けていることだ。加えて最近マスコミが「あおり運転」キャンペーンに、嬉々として取り組んでいるので、自動車を運転しないかた、あるいはそういった場面と遭遇したことのないかたには、「あおり運転」が喫緊の課題のように思われるかもしれない。がそんなことはない。

◆30年前から頻発していた「嫌がらせ運転」

「あおり運転」などという言葉はなかったけれども、同様の脅迫的運転はわたしが経験した限りでも30年前から、頻発していたし、悪質さはいまの比ではなかった。今日最初から誰かを狙って「あおり運転」をしてやろう、と準備しているひとはおそらく、極めて少数(あるいはいないかもしれない)だろう。

だが、30年前にはある種、運転を職業とする人の中で、無線で連絡を取り合いながら、自家車(主として女性が運転してる)を前後から挟み撃ちにして、嫌がらせをする行為が頻発していた(関西では、例えば国道176号線の山間部が有名だった)。本通信読者には身に覚えのあるかたはいないだろうが、176号線では事故には至らずも、猛烈な前後からの嫌がらせ運転(いま「あおり運転」と言われる行為)が、毎日のように行われていた。

あんなものは、自動車に乗ったら「変身するように、自分の力が何倍にもなるんだ」と思い込んでいる、お馬鹿さんの行為に過ぎず、したがって、今日でも同様の場面(すなわち「あおり運転」)にわたしが被害者として、遭遇することも珍しくはない。地方都市に住んでいると、公共交通機関があまり便利ではないので、自家用車の利用者が増える傾向にある。山手線の内側や大阪環状線の中とは利便性に、天と地ほど差があるのだ。

◆「おとなしい市民」と思われやすいハイブリッド車の運転者

わたしの住む住宅街は、公共交通機関の便はよくない。だから買い物や通院では自家用車を利用する。わたしの所有している自家用車は、日本一有名な自動車製造販売会社が生産した、いわゆる「ハイブリッド」車だ。こういった車種を購入するひとや運転者は「おとなしい市民」と見なされやすい。実際現在所有している車種は同じ名前の、2代目であるが、この車に乗り出してから、あわや交通事故になろうかと思われる危険運転に、何回遭遇したことだろうか。

自動車を頻繁に運転する方には、お分かりいただけるだろうが、運転者は、自分の周りを走っている車の「車種」で、自分の運転態度を決める傾向がある。わたしが所有している「おとなしい市民」が多数利用している、と思われる車種には、たとえばBMWやメルセデスベンツ、国産の大型車が、強引に接触すれすれで割り込んできたり、広い道にでようと待っていると、わたしの前に2台待っている車があるにもかかわらず、やかましくクラクションを鳴らしてくる。

あまりの失礼さに、わたしがサングラスをかけて車を降り、クラクションをやかましく鳴らしたBMWの運転席の窓をノックすると、ご婦人が急に顔色を変え「どうしよう!?」と焦っている。それでもわたしはノックを続ける。ようやくご婦人が窓を開ける。

「わたしが動けないのに、クラクション鳴らされてもしょうがないじゃありませんか。やかましいですよ」

「急いでいたものですから……すみません」

「急いでいたって、わたしの車は動けないでしょ。あなたは、『どうせおとなしい運転者だ』とおもって、気軽にクラークション鳴らしたのでしょうけど、わたしのような人間が運転していることもあるんですよ」

「すみません! 二度と鳴らしません」

毎日車を運転するわけでもないのに、平均すると、月に一回はこのような場面に遭遇する。

◆「あおられる方」の運転態度に問題があるケース

それから、文字通りの「あおり運転」には、「あおる方」だけではなく、「あおられる方」の運転態度に問題があるケースが少なくない。どなたが採った統計だったか忘れたが、大阪では赤から青信号に変わって、0.4秒経っても信号待ちしている先頭の車のブレーキランプが消えないと、後続車がクラークションを鳴らす、という(本当に科学的かどうかわからないが)調査結果をむかし耳にしたことがある。

たしかに、大阪中心部の運転は荒いし、せっかちな人が多い。逆にわたしの居住地では、赤信号が青にかわって、5秒くらい発進しない車がざらにみられるし、こちらが右折しようとしているのに、前方から直進してくる自動車が、交差点内で、停止して右折を譲ってくれることしばしばだ。親切といえば親切ではあるが、交通法規上は、「直進優先」が原則だから、このように交差点で直進しようと思い、信号が青だと確認していても、前の自動車が急停止することがある、実はこれは非常に危険な行為で、この近辺ではこのような運転による事故も多い。が全国的な問題ではないから、報道されるほどのことではない。

つまるところ「あおり運転」は、マスコミがこぞって問題にしなければならないような重大問題ではない。消費税の引き上げ、年金の引き下げ、原発事故による健康被害や汚染水問題。それらに比べればはるかに社会性の低い問題だ。社会性の低い問題を過剰に報道し、社会性の高い問題を報じない。これもある種の道義的罪ではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!