田所敏夫さんの「私の山本太郎観」(2019年12月17日本欄)を読んで、つまり山本太郎の評価をめぐって、誌上論争ともいうべき議論が必要だと感じました。わたしの名前も出されたことだし。しかるに、これを論争とするには大げさな、基本的な理解の問題ではないかと思う。そこで、拙い論考を記してみます。

◆政治運動は「独裁者」によって成立する

 

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

田所さんは「(山本太郎が)ある種アジテーターとして優れた能力を持っている」「それは下手をすると結果的に『独裁』と紙一重の危険性を孕むことと大きく違いはない」と言う。そのとおりだと思う。

そもそも、政治家が個人の言説を前面に押し立てて、どこか支配的(独裁的)な言説を振りかざすのは、選挙運動においてはふつうのことである。そして政治の本質は「強制力(ゲバルト)」なのだ。演説においては、打倒対象への憤激を組織するのが目標とされる。街頭行動(デモ)や集会においても、スローガンを唱和して大衆的な憤激を一点の主張に絞り込む。これは政治的な大衆運動の基本であって、アジテーター(政治的主催者)が扇動するのを否定してしまえば、もはや運動として成立しないのは自明だ。

したがって、あらゆる政治家は大衆の前において、独裁者のごとく振る舞うのだ。なぜならば、彼の前にしかマイクがないからである。目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう。それは政治の死滅を標榜する革命運動、あるいは反独裁・反ファシズムの大衆運動においても同様である。大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ。

それは経営者が社員たちを前にして、あるいはその対極にいる労働組合の指導者が組合員大衆を前に扇動するのと、ひとつも変わらない風景なのである。もしもこの、基本的なアジテーターと政治的大衆運動の関係いがいに、田所氏が山本太郎に危険なものを感じるとしたら、おそらくアジテーターとして傑出した能力にほかならないと、わたしは直感的に思う。事実、田所氏はそう述べている。いいではないか。日本の左派にもようやく、大衆を扇動できる政治家(ポピュリスト)が登場したと、山本太郎の登場を歓迎することはあっても、危険な爪を隠す必要はないと思う。

演説の天才はフランス革命のダントンやナチスのアドルフ・ヒトラー、ゲッベルスなどを想起するが、わが安倍総理もなかなかのものだ。内容を本人がわかっていなくても、何の迷いもなく扇動するアジテーター(おそらく深層心理はサイコパス)である。政治的な手腕や学際的な中身において、安倍総理を凌駕するはずの、たとえば小沢一郎(政治的工作手腕)や石破茂(法律家的なセンス)がまるでポピュリストとして安倍の敵ではないのは、ひとえに安倍の演説力によるものだ。もうおわかりだろう。安倍総理に対抗できる政治家が山本太郎なのである。

そしてそもそも、独裁一般が悪いわけではない。金融資本のテロリズム独裁(=コミンテルン7大会、デミトロフのファシズム論報告)なのかプロレタリア独裁なのかという、古典的なシェーマを持ち出すまでもない。政治運動とは、一定の「独裁力」を必要とするのだ。※参考図書『左派ポピュリズムのために』(シャンタル・ムフ、明石書店)。

 

『NO NUKES voice』Vol.22より

◆政策は戦術である

田所さんは「山本氏が100人単位の議員を抱える政党の党首に就任したら」「必ず『現実路線』の名のもとに、原発廃止などの政策は『2030年に廃止を目標とする』などといった後退を強いられるだろう」と言う。けだし当然である。すでに山本太郎は、昨年初めのたんぽぽ舎における講演で、原発廃止を選挙公約の前面に立てないと広言している。当然のことながら、参加者たちの批判を浴びたものだ。

そして票をとりにくい反原発の代わりに、選挙で戦いやすい「消費税廃止」「若年層への教育支援」「時給1500円」をマニフェストにし、その財源は日銀の買いオペによるリフレだと明言した。田所さんはリフレに批判的なので再論しておこう。リフレの主柱である赤字国債は、現実に日本の戦後復興から高度成長までこれでやってきたのだから、現実性はあっても懐疑が生じるほうが不思議というものだ。富の源泉(価値)が原理的には労働であっても、現実の貨幣の実体性は造幣局が握っているのだ。労働ではなく、貨幣をもって価値が交換されるのは言うまでもない。

問題は富の配分なのである。安倍総理は大企業が収益を上げることによって、社員の所得が向上し、傘下の企業も潤うはずだとしてきた。したがって国民全体が豊かになる、としてきた。結果はしかし、そうではなかった。年間40兆円という内部留保に企業は安住し、社員はもとより下請け企業に利潤は還元されなかったのだ。ピケティが云うとおり、富の独占者は富を手放さないのである。じっさいに平均賃金・実質賃金の落ち込みは、日本経済を後進国なみに陥らせたではないか。格差たるや昨年の大企業の一時金が90万円台(経団連集計)で、中小零細をふくめたそれが30万円台という事実に顕われている。

とりわけロストゼネレーション(40~50歳代)において、時給1000円(年収200万円未満)の派遣労働が強いられているのだ。せめて年収300万円(時給1500円)という山本太郎の公約は、それを保障するものが同じくMMTによる経済政策でありながら、それこそ安倍政権とは「180度ちがう」結果をもたらすはずだ。消費税廃止、最低賃金アップ、若年層支援と、いかにも大衆受けする政策こそ、その延長にある多数派形成によって、原発廃止などの政策を可能にすると、山本太郎に代わって断言しておこう。※参考図書『そろそろ左翼は〈経済〉を語ろう』(松尾匡ほか、亜紀書房)。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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