《我が暴走02》「刑務所は更生の場でなく交流の場」マツダ工場暴走犯面会記[上]

引寺が服役している岡山刑務所

JR岡山駅から路線バスで約20分。「牟佐下」という最寄りのバス亭で降り、5分ほど歩くと、金網で囲まれた岡山刑務所の白い建物が見えてくる。このあたりは山あいに田園と住宅が混在する田舎町だが、多くの凶悪犯を収容している建物はのどかな周辺の景色に案外違和感なく溶け込んでいる。

2010年6月に12人が死傷したマツダ工場暴走事件の犯人、引寺利明(47)と面会するため、この刑務所を訪ねたのは9月初旬のことだった。引寺とは、彼が裁判中に広島拘置所にいた頃から面会、手紙のやりとりを重ねてきた。だが昨年秋、無期懲役判決が確定し、引寺が岡山刑務所に移されて以降は手紙のやりとりだけの関係になっていた。

前回紹介したように、引寺は手紙に無反省のまま、楽しそうな刑務所生活を送っているように書いてきた。だが、これまでに直接取材してきた印象として、この男には偽悪的な一面があるように筆者は感じていた。実際には、刑務所で他の受刑者にいじめられたりして、落ち込んでいたりしないだろうか――。そんな想像をしながら訪ねた面会だった。

◆げっそり痩せていた暴走犯

岡山刑務所に到着後、面会の受け付けを済ませて、待合室で待機すること10数分。「18番の方、1号面会室にお入りください」と呼ばれ、面会室に通じる重いドアをあける。すると、廊下に5つの面会室のドアが並んでおり、1号面会室は一番奥だった。

面会室に入り、まもなく透明なアクリル板の向こう側に引寺が姿を現した時、筆者は思わず、「うわっ……」と声が出そうになった。頭を丸め、緑色の作業服に身を包んでいた引寺がげっそりと痩せこけていたからだ。広島拘置所にいた頃はむしろ肥満気味だったのに……いや、痩せているだけではなかった。「片岡さん。よう来てくれたね」と引寺が口をあけると、前歯がごっそりと抜け落ちていたのである。

本当に、いじめに遭っているのか……と思ったが、引寺によると、そうではないらしい。痩せたことを指摘した筆者に対し、引寺は事情をこう説明した。
「刑務所に来たら、みんな痩せるんよ。理由の1つは、運動をせんこと。もう1つは、好きなもんを食べれんこと。刑務所の食べ物は低カロリーじゃけえねえ。刑務所の中には、メタボはおらんのんよ。ワシ自身、逮捕の時は90キロ近くあったんが、広拘(広島拘置所)で70キロ半ばくらいまで落ちた。それからここにきて、最近、体重を測ったら60キロちょいじゃったわ。じゃけえ、シャバにおった時からすりゃあ30キロくらい痩せたね」

そして引寺は、いじめられているのではないかと想像した筆者の心中を察したのか、うち消すようにこんなことを言った。
「片岡さんら外の人が思うような陰湿ないじめや暴行は刑務所に無いんよ。そういうことしたら、すぐ懲罰に行かされるけえね。刑務所にも気の合う人間はおって、よう話もしよるよ。誰とは言えんけど、広拘におった人も一緒に働きよるしね。同じ出身じゃったりすると、話が合うよね。ああ、そういえば、今回の土砂災害はびっくりしたね。食事しよったらニュースが流れてきて、最初は小規模なやつかと思うとったら、大きなやつじゃったねえ」

引寺は事件を起こす前、8月に土砂災害に遭った広島市安佐南区にあるアパートに住んでいた。実家も安佐南区だ。それだけに、刑務所の中にいながら土砂災害のニュースが気になっていたようだ。12人を死傷させた男もやはり人の子なのである。

◆前歯が無い理由

では、前歯がごっそりと無くなっているのはなぜなのか。引寺は事情をこう説明した。
「歯は元々、シャバにおった時から差し歯じゃったんが、ごっそり抜けたんよ。ごつい差し歯しとったんじゃけどね。最初は逮捕されて、警察の留置所におった時じゃった。そん時は歯医者に連れて行ってもろうて治ったんじゃけど、広拘に移れされてからまた抜けてね。それからはもうマスクをすることにしとったんよ。マスコミが面会に来た時もそうじゃし、弁護士面会の時もそうしとったんじゃけど、ここ(岡山刑務所)じゃマスクができんのよね」

筆者はそんな話を聞き、「ああ、そういえば」と思い出した。広島拘置所にいた頃の引寺は常にマスクをしていたな、と。当時、引寺がいつもマスクをしていたのは、ほこりや病原菌などに神経質な性格なのだろうと勝手に想像していたが、引寺は前歯が無いのを隠すためにマスクをしていたのだ。そのマスクが無くなったことにより、ようやく筆者は引寺の前歯の状態に気づいたわけである。引寺は岡山刑務所に来てから前歯を無くしたのではなく、元々、前歯が無かったのだ。

「片岡さん、お土産無いん?」と引寺が聞いていた。「お土産」とは、本や雑誌のことである。引寺は広島拘置所にいた時から、面会に行くたび、「お土産」を催促してきた。刑務所や拘置所で拘禁された被告人、受刑者を取材していると、本や雑誌の差し入れを頼まれることは多いが、引寺はとくにそうだった。そのことをすっかり忘れ、筆者は手ぶらで面会に来てしまったのである。

引寺は「お土産は無いんかあ。楽しみにしとったんじゃけどのお」と心底残念そうに言うと、こう続けた。
「じゃあ、日用品の差し入れを頼んでええかね。80円切手を何枚か。それと、ボールペンの替え芯。三菱とゼブラのやつがあるんじゃけど、三菱のほうね。間違えんとってね。あと、石鹸が1個欲しいんじゃけど、ええかね」

筆者は「ええ、いいですよ。わかりました」とメモしながら、ふと気になったことを引寺に尋ねた。
「家族は誰も面会に来てないんですか?」
広島拘置所にいた頃は、父親がよく面会に来てくれていると聞いていた。それが判決が確定し、岡山刑務所に移されて以降は誰も家族が面会に来なくなったのではないか。だから、筆者に日用品の差し入れを頼んできたのではないか――と思ったのだ。引寺はこう言った。
「親父が3月に1回、面会に来ただけじゃね。そん時は1万円入れてくれたけどね。広拘おった時みたいに毎月は来てくれんのんよ。まあ、遠いけえね」
父親も大変だな、と思わずにはいられなかった。

◆「逮捕当時の思いはまったく変わらない」

筆者は引寺に対し、引寺から届いた手紙の当欄への掲載許可を求め(※前回紹介した手紙のこと)、承諾を得るという用件を済ませると、今回の面会でどうしても訊いておきたかったことを質問した。
「被害者や遺族に悪いことをしたという思いは、まだ無いんですか?」

引寺は筆者の目を見すえ、きっぱりとこう言い切った。
「逮捕当時の思いはまったく変わりません」
引寺は逮捕当時、「マツダで期間工として働いていた頃、他の社員たちから集スト(集団ストーカー行為)に遭い、恨んでいた」と犯行動機を語っていた。その当時の思いが今もまったく変わらないというのは、つまり、引寺は今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い、ということだ。

引寺は「(反省しているなどと)嘘ついても、しょうがないけえね」とシレっと付け加えると、今度はこんな話を始めた。
「ワシはここに来てわかったんじゃけど、刑務所ゆうのは“更生”する施設じゃのうて、(他の受刑者と)“交流”する施設じゃね。まあ、贖罪の気持ちを持っとる人(=受刑者)も少しはおるんじゃろうけどね。(受刑者は)みんな、心の中では、『出たい』『出たい』ばっかりよ。みんな仮釈(放)が欲しいんじゃと思うわ」

そして引寺はこのあと、被害者や遺族が聞いたら卒倒してしまいそうな本音発言を次々に繰り出してきたのである。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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《屁世滑稽10》松島みどり法相はなぜエリマキ着用で国会登壇できるのか?…の巻

屁世滑稽新聞(屁世26年10月12日)

松島みどり法務大臣は

なぜエリマキ着用で国会登壇できるのか?……の巻

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

犬エッチケーテレビの「花子とアン」は終わってしまいましたが、
こちらは終わりません。あちらは作り物のお芝居ですけれども、
こっちは現実世界のお話しなのですもの。
お話しのおばさんは、これからもますます、がんばりますわよ。

さて今日のお話しですが、このあいだの続きで、やはり永田町の
国会動物園のお話しです。

国会動物園が、先月末に再開されましたが、そこでちょっとした騒動が起きました。
ボボ・ブラジルとの名勝負で知られるプロレスラーのアントニオ猪木さんも
いまや71歳とすっかり高齢者のお仲間入りをされたわけですが、
そういう理由からでしょうか、現在は「爺世代の党」所属の参議院議員を
やっておられます。

……え? あゝ、うっかりしておりましたワ。ここまで書いて、わたくし、
間違いに気づきましたワ。「爺世代(ぢいせだい)の党」でなくて「次世代の党」でした。
老人ホームみたいなお顔ぶれなのですもの。どちらを名乗っても同じなのにね。

で、お話しに戻りますが、アントニオ猪木先生は真っ赤なマフラーを
“闘魂のシンボル”として、いつも着用していらっしゃいます。

アントニオ猪木さんは、昨(2013)年夏の参院選挙で「日本維新の会」
から出馬し、18年ぶりに政界復帰を果たしました。
しかも今回は議員名として「アントニオ猪木」を名乗ることも
許されたの。当選直後の開催された臨時国会には、もちろん
“燃える闘魂”を象徴するマフラーを着用してやってきたの。
だけど参議院規則では「襟巻は着用禁止」なので、やむなく
マフラーを外して入場したのよ。きゅうくつで理不尽な規則よねえ。
まるで出来のわるい小学校みたいだわ。

ところが参議院には、こんな規則があるのよ……。

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第16章 紀律及び警察
第1節 紀律

第207条 議員は、議院の品位を重んじなければならない。
第208条 議員は、議場又は委員会議室において、互いに敬称を用いなければならない。
第209条 議場又は委員会議室に入る者は、帽子、外とう、襟巻(えりまき)、傘、つえの類を着用し
又は携帯してはならない。ただし、国会議員及び国会議員以外の出席者にあつては
議長に届け出て、これら以外の者にあつては議長の許可を得て、歩行補助のため
つえを携帯することができる。
第210条 議場においては、喫煙を禁ずる。
第211条 何人も、参考のためにするものゝ外は、議事中、新聞紙或は書籍の類を閲読しては
ならない。
第212条 何人も、議事中、濫(みだ)りに発言し又は騒いで、他人の発言を妨げてはならない。
第213条 何人も、議長の許可がなければ、演壇に登つてはならない。
第214条 議長が振鈴を鳴らしたときは、何人も沈黙しなければならない。
第215条 散会又は休憩に際して、議員は、議長が退席した後でなければ、退席してはならない。
第216条 すべて紀律についての問題は、議長が、これを決する。但し、議長は、討論を用いないで、
議院に諮りこれを決することができる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

お読みになればわかるように、議場や委員会室では「帽子、外とう、襟巻、傘、つえの類を
着用し又は携帯してはならない」ことに決まっているの。たとえ“闘魂のシンボル”でも、
真っ赤なエリマキを着けたままでは、議場に入れないってわけなの。
これって、たとえ“日本の国家と国民のシンボル”の天皇陛下でも、銭湯じゃ、服を脱がなきゃ
洗い場に入れないのと、同じようなことよね。
……え? 同じじゃないって? こりゃまた失礼いたしました。

それにしてもこの参議院規則って、よい子たちが守らなきゃならないお行儀ごとを
細々(こまごま)と書き連ねたどこかの小学校のコーソクみたいだわ。
ここに書かれたことなんて、ふつうに礼儀が身についている大人なら、誰に言われなくても
守れることでしょ。それをこうやっていちいち列挙しなきゃ成り立たないのなら、「参議院」
なんて名乗るのをやめて「矯正院」とか「教護院」とか「少年院」に呼び名を変えなくちゃ
ならなくてよ。なかの議員センセイのお歴々の顔だけみれば「養老院」なのですけどね。
「元老院」じゃなくて「養老院」ね。
なのに行儀やしぐさが「少年院」並みだなんて、悲しすぎるわ。

さて、参議院にはこんな細々(こまごま)した規則があって、生徒さんたちは守らなくちゃ
ならないの。でもこうやって規則をながめてみると、実際の国会議事堂で、お年を召した
生徒さんたちは、実際には日常的に規則違反を繰り返していることがわかるわ。
とくに目立つのはヤジ。ちゃんと参院規則で「議事中、濫(みだ)りに発言し又は騒いで、
他人の発言を妨げてはならない」と定められているのに、まったく守られていないどころか、
今年の春にはセクハラ野次騒動がきっかけで国会での野次罵声が問題化したおりに、
安倍総理みずから答弁に立って、こう言ってヤジを擁護したほどですものね――「ヤジにも
いろいろありまして、これは議場の華とも言われる場合もありますし、正直、私も若いころは
けっこうヤジった方でございます」。……ルール違反を自慢してどうしたいのでしょうね?
これじゃ不良少年が仲間に吹聴する“万引き自慢”と変わらないわ。……やっぱり衆議院でも
参議院でもなく、「少年院」と呼ぶべきよね。

鳩山由紀夫さんが首相だったときなんか、総理大臣みずからが、議事の真っ最中にみっともない
“内職”をしていたほどですもの。
このときの新聞記事と写真を、あらためて掲げておきますわね。
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誰へのサイン?=鳩山首相
(時事ドットコム 2009/11/26)
鳩山由紀夫首相が26日午後の衆院本会議の最中、扇子に「鳩山由紀夫」「友愛」などと書き込むのに熱中する場面があった。首相は周囲も目に入らずサインに没頭していたが、カメラを向けられると、上を見上げて思わず手で覆い隠した。
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ご自分のファンのために議会で“サイン扇子”づくりの内職にはげんでいた、落第坊主みたいな
鳩山首相の体裁の悪さは、当時インターネット上ですぐに“絵文字”マンガにされておりましたわ。
それがこれよ。

こんなぐあいに、鳩山総理みたいに自分から率先してルール違反をやらかし、安倍総理みたいに
ヤジ暴言で無法地帯に成り果てた国会のルール無視の悪習を讃える不届き者までいるのですもの。
いっそのこと参議院規則の「規律」の定めなんて、やめてしまうのはどうかしら?
とにかく、規則をやぶることが風習になっている不良高校みたいな国会なのですもの。
ヤジを飛ばすチンピラたちが、他人の規則違反をとやかく言うなんて、チャンチャラ可笑しいと
思うわ。

ところが猪木センセイ、お可哀想に、“闘魂マフラー”のことで因縁をつけられて、
けっきょくマフラーをはずして議場に入ることになったのよ。……大人の態度よね。

★          ★          ★

……と、ここまでのお話しも、常識的な大人の目から見てじゅうぶんに馬鹿バカしいと
思うのですけど、今回は国会冒頭から、もっと阿呆くさい騒動がおきたってわけ。

この阿呆くさい事件の主人公は、なんと日本のルールをつかさどる法務大臣、
松島みどり法務大臣だったのよ。

松島みどりセンセイも、シンボルカラーは赤なんですって。「アカが大好き!」とか
「あたしのシンボルカラーは赤よ!」なんて公言したら、世が世なら特高警察に逮捕
されて拷問されて殺されちゃうわ、小林多喜二さんみたいに。……それはともかく、
みどりさんが赤をシンボルカラーにするというのは、あたかも「黒ずくめの岸部シロー」
みたいで面白いわよね。名前と正反対の色を好む心理状態というのは、どういうもの
かしら? あまり赤いものばかり身につけて「赤色」を強調しすぎると、選挙のときに
「松島アカ」って書く人がふえて、無効票ばかりで落選するかもしれませんわね。
よけいな心配ですけれども……。

さて、松島みどり法務大臣は、このたびの国会に、規則で禁じられている真っ赤な「襟巻」を
着けて登場したのです。当然、彼女の襟巻すがたをみた議員たちが、そのルール違反を咎(とが)め
ましたが、この法務大臣は奇妙キテレツな反論をして、開き直ったのでした。


自民党の松島みどり議員については、大臣に任命されて
参議院規則で着用が禁じられているハズのスカーフを
着けて登壇することが許されたのでした。これは後進国の
政界にありがちな、理不尽なえこひいきなのでしょうか?
……いいえ。たぶん違います。彼女にかぎっては、この格好
で国会登壇しても許されるのです……動物愛護の精神ゆえに。

なにが 馬鹿バカしいって、彼女の言い分ほど可笑(おか)しなことはないわ。
騒動後の記者会見で、松島みどりさんは、自分は猪木議員のような「マフラー」ではなく、
「スカーフ」を着用しているのだ、と主張したうえで、こんなふうに自己弁護したのよ。

「女性が洋服にセットで付いているスカーフを巻くことは、(参院規則にある)
『外套および襟巻の禁止』にはまったく当たらない。日本の女性のファッション
からスカーフというものを全部追放したいとおっしゃる方なら、そうでしょうけど。
(猪木議員がトレードマークにしており議場で外さざるを得なかった)マフラーは
だめですよね。女性のファッションのためのスカーフとマフラーは違う。」

この反論の意地の汚さと、あまりの無知蒙昧(もうまい)ぶりには、呆(あき)れてしまうばかりだわ。
「スカーフ」もやはり立派な「襟巻」だということを、法務大臣はご存じないのかしら?

ご参考までに、「襟巻」のことを英語でなんと言うのか、ここに列挙しておくわね。
—————————————-
「襟巻」を意味する英単語
(典拠:研究社リーダーズ英和辞典)

【1】muffler〔マフラー〕:マフラー, 襟巻, 首巻 (【4】のSCARFを参照); 《古》 《顔をおおう》ベール, スカーフ; 二叉手袋 (mitten), ボクシングのグラブ
【2】neckerchief〔ネッカチーフ〕:首巻, 襟巻, ネッカチーフ.
【3】neckpiece〔ネックピース〕:《毛皮などの》襟巻; 《甲冑の》首隠し, 喉輪(のどわ).
【4】scarf〔スカーフ〕:スカーフ; 襟巻, マフラー; ネクタイ (necktie, cravat); 【軍】 飾帯, 肩章 (sash); テーブル掛け, ピアノ掛け《など》; 《古》 【英国教】 頸垂(けいすい)帯《祈祷の際に牧師が着用する黒の長いスカーフ》
【5】wrap〔ラップ〕:包み, 包装(紙), 外被, おおい, ラップ, 肩掛け, 襟巻, ひざ掛け, 外套; 毛布
—————————————–
これを見ればお分かりのとおり、マフラーもスカーフもネッカチーフも「襟巻」なのよ。
それにしても松島みどりセンセイは、「日本の女性のファッションからスカーフというものを
全部追放したいとおっしゃる方なら、そうでしょうけど」などという、まったく論理性のない
言いがかりを、どうして言ってしまったのでしょうか? 40年前のウーマンリブのゲバルト
闘士じゃないんだから、こんな捨て台詞を吐くこともないでしょうに……。これってヤクザ語
に翻訳すると、こんな含蓄をもつのでしょうね――「ワシを責めたら日本中の女を敵にまわす
ことになるデぇ、ワレ!」

★          ★          ★

……と、まあ、たかが参議院の規則とはいえ、この法務大臣にかかったら、そんなもん
端(はな)から無視なのですからコワイものです。
規則や法律を、自分の都合でどうにでもネジ曲げる法務大臣……。腐りきったニッポンに
ついに最凶最悪の法務大臣が出てきましたわ。今年の夏はハリウッド版ゴジラ映画が
大ヒットしましたが、国会動物園にもゴジラ並みのバケモノが発生した、ということでしょう。

でも、私はこうも思いますの。
衣服はからだから着脱可能なアクセサリーにすぎません。
その意味では、たとえば「かつら」は脱いだり、かぶったり出来るわけです。
けれども地毛だと着脱するのは無理ですわ。

松島みどり法務大臣の真っ赤なエリマキが、彼女のからだの一部だとしたら……。
からだの一部なら着脱なんて出来なくてよ。

きらびやかなエリマキをもつ動物として、みなさんはエリマキトカゲをご存じでしょう。
オーストラリアの北部と、その北にひろがるパプアニューギニアの南部に暮らしている
イグアナの仲間です。そういえば、イグアナの形態模写で知られるタモリさんは
郷里の福岡に移住されるそうよ。「笑っていいとも!」で一世一代の富を築き上げ、
虚飾の人間関係にも飽き、東京そのものだって最近ではデング熱や、舶来の毒グモの
セアカゴケグモや、さらに加えて福島方面からいろいろな形で入り込んでくる放射能汚染物質
のせいで生活環境が劣悪化していますから、“最暗黒の東京”を見限って落ち着いたところに
引っ越すというのは、人として賢明な選択だと思うわ。


みなさんはエリマキトカゲをご存じですか?
今からちょうど30年前、三菱自動車のテレビCMに、豪州原産の
珍獣エリマキトカゲが登場して、日本では国民的な人気者に
なったのでした。
—————————————————–

★エリマキトカゲが主役の、三菱ミラージュのCM

あゝ、イグアナじゃなくて、エリマキトカゲの話でしたわ。
エリマキトカゲは、いまから190年ちかく前に大英博物館の動物専門学芸員だった
ジョン・エドワード・グレイさんが正式な学名をつけたの。動物分類学では
「クラミドサウルス・キンギイ(Chlamydosaurus kingii)」というのよ。
英語では「フリルド・ネック リザード(Frill-necked lizard)」と呼ばれてきたの。
日本語になおせば「首をフリルで飾ったトカゲ」、文字どおり「襟巻とかげ」という意味よ。

そのエリマキトカゲの変種が、なんと日本の国会に現れたようなの。
この珍動物には、「クラミドサウルス・ミドリイ」という学名がつけられたわ。


これは貴重な映像です。エリマキトカゲの亜種「クラミドサウルス・
ミドリイ」です。現在、東京永田町の国会動物園に収容されています。

エリマキトカゲの「ミドリ亜種」は本来は大自然のなかで暮らす動物ですから、
不健康な国会動物園に入れておくのは、可哀想だと思うの。
人知れぬ野原で気楽な暮らしをするのが、野生動物のしあわせだと思うの。


エリマキトカゲの「ミドリ亜種」が、エリマキを広げて
疾走しているところです。エリマキトカゲはめったに
こうした疾走をしません。生死を分ける危機的状況のもとで
命がけで疾走するのです。

……そういう事情ですから、エリマキトカゲの襟巻をむりやり剥(は)がして
動物園の大型オリに入れる、というわけにはいきません。
動物愛護の精神に反しますからね。

★          ★          ★

それにしても国会動物園というのは奇妙なところね。
どうせ服装規定をつくるのなら、日本の国会なのだから、男子は羽織袴(はおりはかま)、
女子は晴れ着を「制服」にすればいいと思うの。国民の代表である議員さんたちが
率先垂範(そっせんすいはん)して和服を着れば、もうそれだけで生糸生産から始まって
和服屋さんに至るまで、和服の生産・流通・販売にたずさわる人々が安心して生業を
営めるし、髪結いさんや着付け師さんのような和装のプロフェッショナルたちの生活も
安定するのにね。日本では大人が、それも国会議員がそういうことをせずに、成人式に
参加する子供たちと、その親御さんにぜんぶ負担を押しつけているのですから非道いものです。
それでいて「日本文化を守れ!」とか叫んでいるのだから、国会議員センセイたちの
恥知らずな愚かさを見るにつけ、オヘソでお茶を沸かしてしまいそうになるわ。

日本の国会は、本来、イギリスの議会制度をマネたものです。
イギリスでは議会のことを「パーラメント(Parliament)」というけれど、
この呼び名は、「話す」という意味のフランスの昔ことば「パルレ(parler)」に由来してるの。
だから「パーラメント」を日本語に直訳すると、まあ「シャベリ場」ということになるわね。
実際、イギリスでは「会議や交渉を行なう場」として議会が発達したわけですから。

イギリスでは裁判所や国会では、お歴々がカツラをかぶるという歴史的な風習が今も
残っているのよ。銀髪のカツラは「権威のシンボル」ということになっているから、
大事な場所でのカツラ着用は、少なくとも男子の「正装」なのです。
マナーとかドレスコード(服装規定)というのは、つまらない人たちが顰(しか)めツラして
鹿爪(しかつめ)らしく、他人に強制する“大層なもの”になっていますが、それらの
起源をさぐると案外、たわいのないものなのよ。
西洋の“権威づけのカツラ”にしても、元々は、世の中が不潔でノミやシラミが蔓延していた
時代に、頭に毛ジラミがはびこるのを防ぐため、地毛を短く刈って、人毛を編んで作ったカツラを
かぶった、という習慣から始まっているのですから。

そんなたわいのない“権威づけのカツラ”ですけれども、日本がお手本にしたイギリスで
いまだに続いている伝統なのですから、洋装好きの政治家さんたちは、いっそのこと
これも真似すりゃいいじゃない。
すだれ頭のセットで苦労しているセイセイがたには朗報ですわよ。


国会の服装規定は、さすがに後進国の議会だけあって、
問題が山積しています。議会政治の先進国であるイギリスでは
開会日に、昔のように金髪のカツラをかぶって出席するという
奇習が残っていますが、日本の国会もここからパクった制度なの
だから、イギリスみたいにカツラをかぶればいいのです。

きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5035)から引用》と明記して下さい)

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《紫煙革命04》知られざるタバコの真実―─タバコの巻紙の正体に迫る!(2)

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆様、こんにちは。愛煙家の原田卓馬です。

百害あって一利なしと声高に喧伝されるタバコ。2005年にWHO(世界保健機関)によって発効された国際条約の、通称『たばこ規制枠組条約』。それ以降の愛煙家に対する逆風は猛烈に吹き荒れている。

たばこ税の値上げをきっかけに、『わかば』や『エコー』など200円台の旧三級品タバコに切替えた人もいれば、やむを得ず禁煙という選択肢を選んだ人もいる。喫煙が習慣化しただけで、旨くもないのに吸ってしまっていたという人にとっては好機だっただろう。コストアップを理由に嗜好品の質を下げるというのは人間としての品性を欠いた低俗なことのように想えて不愉快なことが多い。タバコがニコチン摂取のためのツールに成り下がってしまっては文化が廃れる。

そこで、たばこの健康被害説の裏に隠れている真相を暴きだし、安心して美味しく楽しくエレガントにタバコを嗜むのが本連載の目的の一つである。

前回に引き続き、タバコの巻紙と巻紙のりのお話であります。JT(日本たばこ産業)のホームページにある材料品添加物リストは何回も紹介しているが、化学的な成分表示ばかりで何がなんだかさっぱりわからない。

「こいつは参った!」

お手上げして、JTに電話して直接聞いてみた。ちなみに原田は某カード会社でコールセンター勤務歴5年であります。

「はい、JTお客様センターのYが承ります。」

── もしもし、原田です。タバコの巻紙の添加物のことを詳しく聞きたいです。
「はい、マキシのことですね。」

JTではホームページでも、電話対応でも一貫してタバコの巻紙をマキシと呼称しているらしい。社内用語としてマニュアルがしっかり整備されているのだろう。Yさんは発音が綺麗で落ち着いた声のお姉さん。

── はい、巻紙の添加物リストの内容について解説をお願いしたいです。

「少々お待ちくださいませ」

突っ込んだ質問には咄嗟の返答ができない様子だ。こういった案件はコールセンターでの通常業務には盛り込まれていない特殊対応のようだ。

── 今、ホームページにある材料品添加物リストを閲覧しながら電話してるんですが、どれがどんな目的で添加されているのか知りたいです。

「全部ですか?」

── とりあえず巻紙の添加物について全部。

「全部、、、ですか。」

・セルロース 16.3
・炭酸カルシウム 7.2
・水酸化マグネシウム 0.4
・クエン酸カリウム 0.4
・クエン酸ナトリウム 0.4
・塩化カリウム 0.3
・リンゴ酸 0.08
・水酸化カリウム 0.08
・グァーガム 0.07
・カルボキシメチルセルロースナトリウム 0.07
・酢酸カルシウム 0.06
・酢酸カリウム 0.02
・酢酸マグネシウム 0.005

これが巻紙の添加物一覧であります。右横の数字は紙巻たばこ1本に対する最大使用割合(%)です。シガレット100gあたり、最大で16.3gのセルロースが巻紙に使用されているということですね。

13種類もあるのでコールセンターのYさんもびっくり。心の中では、「うわ~、こいつ、めんどくせ~」とつぶやいたことだろうが、そこはプロのJT企業戦士のYさんだ。

「どの添加物についてお知りになりたいですか?」

── じゃあ、上から順にいくとしてまずはセルロースってなんですか?

「はい、セルロースはマキシとフィルターに使用されており、フィルターのアセテートは植物由来のため生分解が可能で、うんぬんかんぬん」

なんかフィルターの話とごちゃまぜになってしまった。

── すいません、フィルターのことは別の機会にということで、巻紙のセルロースことを詳しくお願いします。セルロースって何でできているんですか?

「木材パルプや麻、穀物の繊維で紙の主成分です。」

── 具体的に原料とか産地とかはわかりますか?

「申し訳ありませんが、こちらの部署ですとすぐにはお答えできません。よろしければ折り返しご連絡いたします。」

── はい、お願いします。

折り返し対応になってしまった。電話の向こうでYさんは上司に助けを求めていることだろう。過去の対応経験から、マニュアルには載っていないイレギュラー情報にも詳しい上司よ。

10分程経って、折り返し連絡を受けた。

「先ほどのYの上席のNと申します。マキシの添加物についてご質問ということですが、どういったことでしょうか?」

── 添加物のことがよくわからないので、もっと詳しく知りたいんです。たとえばタバコには燃焼促進剤として火薬が入っているという都市伝説みたいな噂がありますけど、実際それって本当はよくわからないなーと思ったので、お電話しています。

「燃焼促進剤ですか?それはクエン酸塩でございます。」

── クエン酸ですか?

たばこの燃焼促進剤はクエン酸だったのか。とりあえず手元にあったシガレットを舐めてみたが別に酸っぱくはなかった。レモンやミカンのような柑橘類の酸味の成分はクエン酸だが、ここで出てくるのはクエン酸ナトリウム、クエン酸カリウムのクエン酸塩である。

「クエン酸カリウム 燃焼促進剤」でググってみたらJTの出願中特許のページを発見!

『シガレット巻紙の製造方法、その製造機及びシガレット巻紙(WO 2012131902 A1)』によれば

「近年、シガレットに使用される低延焼性巻紙が知られており、巻紙の所定領域に燃焼抑制剤が塗布されている。一般に、たばこの紙(巻紙)には抄紙工程で助燃剤が加えられている。助燃剤としては、クエン酸ナトリウムやクエン酸カリウム等の有機酸塩が付与され、これら助燃剤は燃焼を促進するため、燃焼速度の調節剤として用いられている。」

となっている。長くなったので次回に続く。

(原田卓馬)

 

《我が暴走01》手紙公開!無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

《まあーわかりやすく今のワシの心境を一言で片岡さんに伝えるとすれば、刺激のない決まりきった日常生活を送っている為、何だかなーーーーー!!って感じであります。刑務所にキッチリ管理されている決まりきった日常生活が、これから先、10年、20年、30年と延々続くのかと思うと、ホンマ、マジで、何だかなあ~~~~~!!と思ってしまうのが、ワシの正直な気持ちであります。》

この文章は今年5月、岡山刑務所で服役中の男から筆者に届いた手紙の一節だ。男の名は引寺利明(47)。4年余り前、広島市南区にあるマツダの本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人をはね、うち1人を死亡させた男である。

[写真]服役中の引寺利明から筆者に届いた手紙

引寺は犯行後、すぐに自首して逮捕されたが、犯行動機については、「現場の工場で期間工として働いていた時、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭った」「そのため、マツダに恨みがあった」などと特異なことを主張した。精神鑑定を経て起訴されたが、裁判中も法廷で不規則発言を連発。結果的に昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役の判決が確定したが、責任能力を認められる一方で妄想性障害と認定されるという非常に微妙な裁判だった。

筆者は裁判が控訴審段階にあった昨年春頃からこの引寺と面会、手紙のやりとりを重ねてきた。この特異なキャラクターの持ち主を継続的に取材し、人物像やその時々の様子を世に伝えていくことに意義があるように思えたからである。

では、判決確定から一年経過した今、引寺は一体どんな様子なのか。それを伝えるには、冒頭に引用した手紙の続きを見てもらうのが手っ取り早い。

◆「ポリ24時」にケラケラ笑う

《ここでは雑居房でテレビが見れますが、決められた時間帯にしかテレビが見れない為、本当に見たい番組やドラマ(消灯時間中となる午後9時以降の番組やドラマの事です)を見る事が出来ず、ヒジョ~~~に残念であります。

シャバの人々からすれば、塀の中でテレビが見せてもらえるだけでも感謝しろ!!と思われるかもしれませんが、テレビを見るのが当たり前になっている懲役連中の立場からすれば、テレビの視聴時間が少ない事に関して、不満だらけという事です。

ごくたまーに、テレビでポリ24時を見る事がありますが、ちかんや盗撮犯や窃盗犯が警察官に現行犯逮捕されるシーンがあると、同席のみんなと一緒に「ドジじゃのーー」「何をやっとるんやあーー」「ホンマ、アホじゃのー」などと言い合って、みんなでケラケラと笑いながら見ております。

片岡さん、ぶっちゃけた事を言いますと、ワシを含むここの懲役連中の方が、ポリ24時で逮捕されている奴らより、罪状的には、はるかに凶悪犯な訳です。(笑)。塀の中の住人達が、ポリ24時を見ながらケラケラと笑っている姿というのは、我ながらシュールな光景だと思いますよ。(笑)》

一読しただけで、おわかり頂けたことだろう。引寺が自分の犯した罪について、今も何ら反省せず、そもそも罪悪感すら抱くことなく、刑務所で案外楽しそうな日々を過ごしていることを。引き続き、8月に届いた手紙も紹介しよう。

◆獄中運動会で安全運転リレーに出場

《こちらでの生活は、以前の手紙に書いた通り、変わりばえのない単調な日常生活ではありますが、9月の中旬頃に運動会があります(……中略……)競技の種類としましては、通常のリレーの他にスウェーデンリレーや綱引きや玉入れ、ラムネ早飲み競争などがありまして、なぜかワシは安全運転リレーなるものに出る事になりました。

この競技は、戦時中から昭和時代にかけての子供達が遊びでやっていたであろう、木の棒でチャリンコの車輪を回しながら走って行くやつであります。周りの人達からは「マツダに突っ込んで暴走した引寺さんが安全運転リレーに出ちゃーいけんよーー」とか「引寺さんは前を走っとるランナーをはねとばしてでも自分が勝つつもりなんじゃろー」などと言われてひやかされております。(笑)

ワシ的には、運動会は参加する事に意義があるんじゃけえー楽しくやりゃーえーわ。ぐらいに考えて、かるーい気持ちで安全運転リレーに出る事にしたのですが、そのリレーに出場するメンバーの方々は「勝つ事に意義がある!!」といった感じで、目がマジです。(笑)その為、運動会の一ヶ月も前から、競技に使用する車輪と棒を使って、運動時間に練習しております。

(……中略……)話はかわりますが、シャバでは一万円の臨時福祉給付金(※1)なるものが国から出るという事らしいのですが、塀の中のこちらでは、このネタで盛り上がっております。どうやら塀の中にいる我々凶悪犯にもこの金が支給されるらしく、周りのみんなは、自分の住民票がある区役所宛に「手続きするけえーーその金よこせえーーーー!!」といった手紙をガンガン送っております。(笑)ワシも安佐南区役所(※2)に手紙を送りました。

(……中略……)シャバでの一万円は大した事はありませんが、ここでの一万円は大金であります。なんせ給料5ヶ月分ですから。ハハハハハハハハハーーーーーーーーーーーー!! そういった訳で、みんなこの一万円をゲットするべくガチでマジになっております。(笑)》

もしかすると、この引寺の手紙を読んで、はらわたが煮えくり返った人もいるかもしれない。だが、引寺のような重大事件の犯人が実際はどういう人物で、現在どういう様子なのかを世に伝えることには意義があると筆者は確信している。この手紙も引寺の人物像や現状を伝えるうえで一級の資料価値があると思うからこそ、こうして紹介しているのである。

◆知られざる暴走犯の新主張

この手紙をここで紹介するに際しては、当然、引寺本人の承諾も得ている。引寺から交換条件として示されたのは、「ワシが主張しているマツダ事件の真相」についても書いてくれ、ということだった。筆者は現時点で、その引寺の主張に信ぴょう性を感じていないが、この場で紹介する価値がある主張だとは思っている。引寺本人が「マツダ事件の真相」として現在どういう主張をしているかは、いまだマスコミで一切報じられていないからである。

実を言うと、引寺は今、自分のアパートに侵入する集団ストーカー行為を行っていたのはマツダの関係者ではなく、「おやじ(父親)とアパートを取り扱っていた不動産屋の社長」だったと主張しているのである――。

引寺によると、それは20年来の付き合いである知人男性からの情報により、判決確定直前に判明したことなのだという。筆者は一応、引寺の父親に直接、事実確認をしたが、「(引寺のアパートの部屋に)入っていません。入る用事なんて無いんですから」とのことであった。この時、携帯電話の向こう側の父親が嘘をついているような気配は感じられなかった。しかし、引寺は今も自分の父親と不動産屋の社長こそが集団ストーカーだったと確信しているのである。

それにしても、仮にそれが事実だとすれば、引寺は自分を悩ませた「集団ストーカー」と何の関係もないマツダの工場で暴走し、人の命を奪ったことになるわけだ。にもかかわらず、今も何ら反省していない引寺とは、どういう人物なのか――。筆者は今年9月、岡山刑務所を訪ね、およそ1年ぶりに引寺と面会してきたのだが、そのことはまた次回以降お伝えしたい。

※1、今年4月からの消費税率の引上げに伴い、所得の低い人たちに臨時で支給される給付金。支給額は1人につき1万円。申請先は今年1月1日の時点で住民登録がされている市町村。

※2、引寺が事件前に住んでいたアパートは、土砂災害に見舞われた広島市安佐南区にある。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

 

《脱法芸能11》西郷輝彦・独立の代償──睡眠2時間で過酷日程を乗り切る

西郷輝彦「星のフラメンコ」(1966年7月クラウン)

西郷は独立で干されることはなかったが、プレッシャーが重くのしかかった。
独立後間もなくして、西郷の背後を黒い背広を着た傷だらけの集団がつけ狙うようになった。西郷が車に乗ると、その後ろを男たちの車が追い、さらにその後ろを警察官と相澤が乗った車が追い、3台並んでテレビ局に向かった。私服警官が見守る中、西郷はスタジオで歌ったという。また、西郷をめぐる駆け引きの中で出てきたのか、スキャンダルもたびたび流された。

独立後の西郷の仕事は、太平洋テレビとクラウンが分担し、さらに独立から1年は独立の代償として東京第一プロも興行権を握るという約束になった。だが、ブッキングを担う三者は西郷の利権をめぐって激しく対立した。三者が強調せず、それぞれ勝手に仕事を入れたため、異常なまでの過密スケジュールとなってしまった。

たとえば、1965年4月の西郷のスケジュールは、以下のようなものだったという。

・午前9時から午後5時までは、松竹映画『我が青春』収録(第一プロの仕事)。
・午後7時から翌日午前4時までは、日活映画『涙をありがとう』収録(クラウンレコードの仕事)。
・午前6時から午前9時までは、大映映画『狸穴町0番地』収録(太平洋テレビの仕事)。

当時、18歳だった西郷が寝られるのは、2時間の移動時間だけだった。スケジュール調整の話し合いがつかないと、各社の社員たちが西郷を監視するため、マネージャーを名乗ってゾロゾロと現場にやってきた。その数は多いときで20人にもなったという。そんな中で、太平洋がクラウンに3000万円で西郷を返還するという人身売買のような話まで進められたが、独立後1年間は、連日、文字通りの殺人スケジュールだったという。誰しもが「西郷は潰れるだろう」と思った。

だが、西郷は潰れなかった。
疲労のためレコーディングでも声が出ず、スタジオ内に机を並べてその上で10分だけ眠ると、少しだけ声が出た。それで一節歌い、また10分寝て一節歌う。そうして出来上がった『涙をありがとう』という曲がが大ヒット。そればかりか、デビューから2年間に出した20枚以上のレコードのすべてがヒットした。西郷はタフだった。

そうした独立の苦労をともに分かち合ったマネージャーの相澤と別れる日がやってきた。直接のきっかけは、西郷の人気に陰りが見えてきたことに不安を覚えた相澤が「新人を育成したい」と西郷の父親に相談したところ、断られたことだった。相澤は西郷と袂を分かち、1971年、サンミュージックを設立。西郷の方はそれから日誠プロを解散し、舟木一夫の育ての親である阿部裕章の第一共永に移籍。1973年、三度独立して、西郷エンタープライズを設立した。

(星野陽平)

《脱法芸能01》私が『芸能人はなぜ干されるのか?』を書いた理由
《脱法芸能02》安室奈美恵「独立騒動」──なぜ、メディアは安室を叩くのか?
《脱法芸能03》安室奈美恵の「奴隷契約」発言は音事協「統一契約書」批判である
《脱法芸能04》安室「奴隷契約」問題が突きつける日米アーティストの印税格差
《脱法芸能05》江角マキコ騒動──独立直後の芸能人を襲う「暴露報道」の法則
《脱法芸能06》安室奈美恵は干されるのか?──「骨肉の独立戦争」の勝機
《脱法芸能07》小栗旬は「タレント労働組合の結成」を実現できるか?
《脱法芸能08》小栗旬は権力者と闘う「助六」になれるか?
《脱法芸能09》1963年の「音事協」設立と仲宗根美樹独立の末路
《脱法芸能10》1965年、西郷輝彦はなぜ独立しても干されなかったのか?

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』堂々6刷発売中!

 

 

《罪の行方03》宮崎家族3人殺害事件 遺族が「死刑破棄」を訴える理由

被害者遺族Yさんの上申書を読み上げる支援者の女性

2010年3月に宮崎市で同居していた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、養母(同50)を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受け、現在は最高裁に上告中の奥本章寛被告(26)。減刑を求める支援活動が盛り上がる中、被害者遺族までもが最高裁に対し、死刑判決を破棄し、裁判を第一審からやり直して欲しいと訴える内容の上申書を提出する異例の事態となっている。その遺族は、奥本被告が殺害した妻の弟であるYさん。Yさんの視点から見ると、この事件は義兄によって母、姉、甥が殺害された事件ということになる。

「奥本章寛君を支える会」が制作した小冊子『青空―奥本章寛君と「支える会の記録」―』によると、このような事態になるターニングポイントは、原田正治さんとの出会いにあったという。原田さんとは、実弟を保険金目的で殺害された犯罪被害者遺族でありながら死刑制度廃止を訴える活動をしていることで有名な人だ。

原田さんの視点に出会い、奥本被告の支援をしていくことは「償う」ということを共に考えていくこと、行動していくことだと考えるに至った「支える会」の主要メンバーが宮崎を訪ね、奥本被告が殺害した妻の父であるKさん、弟であるYさんとの会談を相次いで実現。Yさんについては、本人の希望もあって奥本被告との面会、奥本被告の実家の訪問などまで実現したという。こうして加害者側と被害者側の交流が進む中、今回の上申書提出に至ったという経緯のようである。

◆死刑と無期は五分五分という気持ちだった

その上申書は、8月に大分県中津市であった「支える会」主催の集会で読み上げられたが、被害者遺族が死刑判決の破棄を求めるという異例の内容だ。筆者が抜粋や要約をするより、Yさんの言葉をそのまま伝えたい。そこで以下、当日読み上げられた全文の書き起こしを紹介する。

* * * * * * * *

上申書

最高裁判所御中

【上申の内容】

上申の内容は一言で述べると、事件を第一審に差し戻して、もう一度深く審理して欲しいということです。今から自分の考えを述べます。

【第一審の時の自分の考え】

私はこの事件の第一審、宮崎地方裁判所での裁判に遺族として参加して意見を述べました。第一審裁判の通り、3人の家族を一瞬にして失うという事件のあまりもの重大さから強い怒りを感じていました。また、奥本が法廷で、「わからない」と繰り返す様子を見て、反省していないと感じました。そのため、気持ちとしては死刑と無期懲役とが五分五分でしたが、「極刑を望む」と言ってしまいました。

なぜ気持ちが五分五分だったかというと、殺害された母貴子の日頃の言動から、奥本を追い込んでいったのは、そして、最後にあの事件を起こさせてしまったのは、むしろ母貴子のほうではなかったかという思いがあって、被告奥本だけが悪いわけではないということを家族である自分は感じていたからです。母貴子のほうが悪かった部分については、自分のほうから被告奥本に謝りたいという思いもあったくらいです。

つまり、第一審の時も被告奥本は死刑以外にありえないというふうに意見が決まっていたわけではなかったのです。自分は母貴子の暴言が事件の原因になったのではないのか、奥本だけが悪いわけではないのでは、ということがとても気になっていたからです。結局、第一審では奥本の本当の動機はわからずじまいでした。第一審に参加した自分にも、どうして奥本がこのような事件を起こしたのか、その考えははっきりしませんでした。

【今の自分の考え】

その後4年も経ち、自分の境遇も大きく変わりました。この事件で母、姉、甥を亡くし、その後、祖母も亡くし、心のよりどころを失い、孤立感にとらわれてきました。
最近になって、被告人との面会も果たしました。面会の時には、奥本も自分もお互いに素直に話すことはできず、奥本が反省しているのか、謝罪の気持ちがどこまで深まっているのか、今ひとつはっきりとはわかりませんでした。

その後、奥本を支える会の人たちとの出会いもありました。交流を重ね、支える会のみなさんとの会話の内容から奥本の家族の思いも知りました。今回奥本が描いた絵をポストカードにして販売したお金を奥本からの謝罪金の一部として受け取りました。前に述べたように自分の考えとしては、奥本は死刑以外考えられないと確信していたわけではなかったのです。

命は大切で、とても重要なものです。それは奥本の命にしてもそうです。この奥本の命の重要性を考えると、奥本が死刑になるべきとか無期懲役になるべきとか、すぐには判断できないと感じています。

【終わりに】

自分としては、第一審の裁判員裁判をやり直して欲しいと感じています。その中で慎重に、十分な審理、判断をしてもらうことを望んでいます。今、自分は死刑と確信しているわけではありません。死刑か無期懲役かを判断するために、さらに慎重に十分な判断をしてもらいたいと思います。自分自身もその裁判への参加を通じて、気持ちをはっきりとさせたいと思います。

* * * * * * *

以上がYさんの上申書の内容だが、当欄でこれまでに弁護人の話をもとに伝えた事件の概要――奥本被告が日々、養母から理不尽な叱責を受けるなどし、心理的に追い込まれていき、犯行に及んだという経緯――が遺族の立場から見ても決して被告人側の一方的な主張でないことがよくわかる内容だろう。

奥本被告が描いた絵で製作されたポストカード

◆ポストカードの製作に夢中の被告

ちなみに、Yさんの上申書の文中に出てくる奥本被告の絵で製作されたポストカードだが、それは中津市であった集会の会場でも販売されていた。暖かみのあるタッチが特徴だが(写真参照)、奥本被告は現在も収容先の宮崎刑務所で被害者への弁済に充てるため、このようなポストカード向けの絵を描くことに夢中になっているという。

そんな奥本被告とはどんな人物なのか。筆者はすでに一度面会に訪ね、その人となりに触れているが、それはまた別の機会に報告したい。

(片岡健)

 

 

 

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《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!

朝日新聞が従軍慰安婦問題に関する「吉田発言」の掲載について謝罪を行ったのは読者にも周知の事実だろう。これに関しては「朝日新聞叩きの本質」で既に私見を述べた。批判は全く不当であり、些細な問題に過ぎないというのが私の意見だ。

ところが悪質なテロリストどもの矛先は朝日新聞だけでなく、朝日新聞を退職して教員として大学に籍を移した人たちにまで攻撃が及んでいることが明らかになった。当該大学のHPによれば「なぜ嘘を書いた記者を雇うのか」といった多数の苦情に止まらず、「学生が痛い目にあうぞ」果ては「爆破してやる」という「脅迫罪」に明確に該当する脅しまで受けていたという。

◆卑怯な攻撃者を喜ばせる手塚山学院大学の対応

現在、そのような被害にあったと大学名を公表しているのは手塚山学院大学と北星学園大学だ。この両大学には共通項がある。いずれも元は女子短期大学からスタートし男女共学の大学に発展しているという点だ。だが悪質な脅迫に対して、両大学の対応ははっきり分かれた。手塚山学院大学に勤務していた元朝日新聞の教員は騒ぎの渦中退職をしている。手塚山学院大学のHP「教員の退職について」(9月13日付)によると、

「教員の退職について

○○○○氏について多数のご意見、お問い合わせを頂戴しておりますが、同氏は9月13日を以て、本人の申し出により退職しましたことをお知らせいたします。」

とのみ掲載されている(本文中の○○○○は実名)。通常この手の文章には作成者名(学長であったり理事長)と日付が書かれているのだが、それらの記載は一切ないことから、教員退職同日に大急ぎで作成されたものだろうと推測される。

手塚山学院大学に在任した元朝日新聞記者は社内でも要職を歴任した人物だが、勿論彼一人が「吉田証言」をスクープしたわけではない。「朝日新聞憎し現象」はこのような形で権力側からだけではなく、それを下支えする「草の根ファシズム」によっても補完されていることを解り易く示す事件となった。

現在の社会状況、言論状況を見るにつけ、手塚山学院大学の稚拙な対応とそこを去った教員を軽々しく批判することは出来ない。「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ!」というプラカードが何の咎めもなく街中を闊歩出来る時代なのだ。暴力は言論の域を超えてすぐにでも現実のものになるという恐れを脅迫された大学や教員が持っても不思議ではない。

それでも、と思うのだ。

最高学府として大学であれば、暴力をちらつかされても、大量の脅し電話がかかろうが「体を張って」大学の自由、学生の安全を守る気になってはくれなかったのかと・・・。教員の退職ではあたかも非が大学にあったような印象を与えるし、卑怯な攻撃者を喜ばせるだけではないのか。HPの文章にしてもあれより他に表現方法は無かったものかと・・・。

◆「大学人」のあるべき姿を示してくれた北星学園大学長の声明

そのような暗澹たる気分を全て払拭してくれる括目すべき判断を、行動で示してくれたのが北星学園大学だ。北星学園大学はHPで10月1日付「本学学生及び保護者の皆様へ」と題した学長田村信一氏の文章を発表している。

このコラムではこれまで大学の「不甲斐なさ」ばかりを叩いてきた。まだ叩きたい大悪、いや大学は数知れない。が、この北星学園大学学長の声明は近年稀にみる格調の高さと、暴力で脅迫されても動じない腰の据わった本物の「大学人」のあるべき姿を示してくれている。そう長い文章ではないので是非読者にはご覧頂きたい。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20140930.pdf

北星学園大学には5月以来様々な脅迫や政治団体(たぶん右翼であろう)の街宣車が抗議に押し掛けたりしていたそうだ。それでも報道機関に発表をすることなく、警察への連絡と大学自身の判断で元朝日新聞記者で非常勤講師を勤める教員の講義を続けてきた。それはごく当たり前のことなのだが、前述の手塚山学院大学の例が示す通り、今日大学ではその根幹にかかわる問題を「当たり前」に実行することにすら「勇気」が要るのだ。

そして多くの場合「当たり前」を妨害する匿名の電話、ファックスや抗議者への対応に大学は敗北し、どんどん思索領域を後退させている。

北星学園大学の田村学長は明言する。

「本学は建学の精神に基づき、『抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ内外のあらゆる人を隣人と見る開かれた人間』を要請することがわれわれの教育目標であることをふまえ以下の立場を堅持します。

①学問の自由・思想信条の自由は教育機関において最も守られるべきものであり、侵害されることがあってはならない。したがって、本学がとるべき対応については、本学が主体的に判断する。

②従軍慰安婦問題並びに植村氏(著者注:元朝日新聞記者)の記事については、本学は判断する立場にない。また、本件に関する批判の矛先が本学に向かうことは著しく不合理である。

③本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑怯な行為であり、毅然として対処する。一方、大学としては学生はもちろんのこと大学に関わる方々の安全に配慮する義務を負っており、内外の平穏・安全等が脅かされる事態に対しては速やかに適切な態度をとる。」

至極真っ当な姿勢表明である。しかし実質的に言論暴力と実際暴力の境界が極めてあいまいな現在、「大学の自治」、「学問の自由」といった基礎概念が希薄化する中で、北星学園大学田村学長の気概と勇気に満ちた意見表明は想像を超える困難覚悟の上である。極めて深い感慨と称賛そして連帯のエールを送る。

北星学園には系列校に北星余市高校がある。北星余市高校は不登校や一度高校を退学した生徒を積極的に受け入れる特色のある教育を行う高校として有名だったので、私は学生募集のために何度か同校へ赴いたことがある。札幌でレンタカーを借りて小樽を超え人里離れた海岸線をかなり走ってようやく到達できるのが北星余市高校だ。先生も生徒も熱心だった。

北星学園には「人間」としての精神がいまだ健在のようだ。

全国の大学人!北星学園大学田村学長のマニフェストを括目せよ!

とりわけ、田村学長の出身大学である法政の総長に就任した田中優子!週刊金曜日編集委員としてリベラルの仮面を被りながら「監獄大学」維持強化を推し進める自身の姿を深く恥じ入れ!

注:かつて学生運動が盛んであった法政大学は2000年以降120名を超える逮捕者を出し、退学、除籍無期停学処分を連発している。今では学内を公安警察が堂々と闊歩し、大学当局は学生自治を蹂躙し尽している。本年4月総長に田中優子氏が就任し対学生の大学としての変化が期待されたが、田中氏は堂々と弾圧を継続している。法政大学の無茶苦茶ぶりはいずれ本コラムで詳報したい。

(田所敏夫)

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《罪の行方02》宮崎家族3人殺害事件 被告はなぜ「最悪の選択」をしたか

中津市であった支援者開催の集会で事件の概要を説明する黒原弁護士(左から2人目)。会では、映画監督・作家の森達也氏(同4人目)も講演した。

2010年3月に宮崎市で同居していた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、養母(同50)を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた奥本章寛被告(26)。すでに上告審も結審し、最高裁の判決を待つばかりだが、その減刑を求める支援活動が盛り上がり、被害者遺族までもが「裁判のやり直し」を求めて最高裁に上申書を提出する事態になっている。

一体どんな事件で、奥本被告はどんな人物なのか。前回に引き続き、弁護人の黒原智宏弁護士が大分県中津市であった支援者主催の集会で説明した事件の概要を紹介する。同居していた養母から自衛隊を辞めたことなどで日々厳しい叱責を受け、実家の両親のことまで非難され、我慢に我慢を重ねる生活だったという奥本被告。自衛隊に再入隊することを決め、厳しい家計を助けるために夜のバイトもして問題を解決しようとしていた中、妻と実家の間で、ある「トラブル」が起きたという――。

* * * * * * * *

トラブルとは、(長男の)5月の初節句を(奥本被告の実家がある)福岡でするのか、(妻や養母と暮らす)宮崎でするのかということでした。今考えると、大きなトラブルになることではないと思われるかもしれませんが、ここまで述べた背景を踏まえると、トラブルの深刻さがおわかり頂けると思います。福岡の実家を遠ざけようとしていた義理のお母さん側と、なんとか(孫に)会いたいという思いの奥本君の実家側との溝は奥本君が認識している以上に大きくなっていたのです。

メールのやりとりでそのような諍いが起きていたまさにその時、何も知らない奥本君が自宅に帰ってきます。奥本君は「何か起こっているぞ」と思いますが、トラブルの意味がわかりません。節句の意味もわからないし、節句というのが福岡でしなければならないのか、宮崎でしなければならないのかということもわからない。「どちらでやってもいいじゃない」という気持ちでした。しかし、対立は深刻になっていて、義理のお母さんから「あんたはそっちへ行かせないよ。なんで、こっちがそっちへ行かんといけんのじゃ。おかしいじゃろうが」と怒鳴られました。これは平成22(2010)年2月23日の出来事です。

◆養母の侮辱

深夜ということもあり、義理のお母さんも興奮が増し、「(夫である奥本君の)親がお米、お金を送るのは当然じゃろう」と怒鳴りつけ、「あんたのところはうちを舐めとる」「やることはちゃんとやれよ。結婚したら、こんなもんじゃないだろう」「部落に帰れ。これだから部落の人間は」「離婚したければ離婚しなさい。慰謝料ガッツリ取ってやる」という言葉を述べながら、奥本君のコメカミあたりを両手で力の加減をすることなく10数回殴打しました。

ここまでずっと我慢を重ねてきた奥本君もこの時、大きな心の糸が切れてしまいました。自分のことは我慢できる。自分の両親も我慢している。しかし、彼にとって古里の集落は誇りでした。それを悪く言われるのは、耐えられなかったのです。彼は1人、その思いを抱えます。この時、両親や兄弟に相談した形跡は残っていません。

◆「意識狭窄」に追い込まれ……

彼はその後5日間、ずっと孤独に悩みますが、最初に考えたのは自殺でした。自殺すれば、このようなことから逃れられると考えたのですが、「それは解決じゃない」と考え直します。それから、離婚や失踪も考えますが、そのような彼のアイディアを打ち消したのが義理のお母さんの最後の言葉でした。「慰謝料ガッツリ取ってやる」。その言葉が彼には引っかかります。自分がいなくなったら、義理のお母さんは自分の実家に行くに違いない。そうなると、自分の替わりに今度は両親が責められるに違いない……と思い悩みました

今、我々がこんな話を聞いたら、「いやいや、他にも解決方法はあるんじゃないの?」と色々な解決方法が思い浮かぶと思います。しかし、ここに至るまで奥本君はほぼ8カ月に渡って、睡眠時間は1日4時間を超えることなく、土曜日曜も休むことは許されず、そして食事も先ほど述べたような状況でした。選択肢、思考は狭められていました。心理学で意識狭窄というのですが、そういう状況で彼自身が最悪の選択に至ってしまったのです。

* * * * * * * *

最悪の選択――つまり、妻と生後5カ月の息子、養母を殺害するという選択をし、2010年3月1日未明に実行してしまった奥本被告。黒原弁護士によると、事件が起きるまでのこのような事実経過は第一審の頃から明らかになっているという。しかし、宮崎地裁であった第一審の裁判員裁判では、奥本被告は同年12月7日、「自由で一人になりたいなどと考えて家族3人全員の殺害を決意するに至ったものと認められる」「自己中心的で人命を軽視する態度が著しい」などという内容の死刑判決を宣告された。

そして控訴審段階になり、弁護側は2人の臨床心理士に依頼し、犯罪心理鑑定を実施。それによると、奥本被告は事件当時、精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態で、自己の実在を脅かす養母から解放されたいという欲求から3名の殺害を決意したのだと判断された。しかし、福岡高裁宮崎支部の控訴審ではこの鑑定が証拠採用されながら、奥本被告の控訴は棄却され、死刑判決が維持された。この後、上告審段階になり、黒原弁護士に話を聞くなどして事件の詳細を知った人たちが「奥本章寛君を支える会」を立ち上げ、減刑嘆願書を求める支援の輪が広がっていったのだが、そのような事態になったのも事件の経緯を聞けば、多くの人が得心できるのではないだろうか。

では、被害者遺族が最高裁に提出した「裁判のやり直し」を求める上申書とは、どんな内容なのか。それは次回、詳しくお伝えしたい。

(片岡 健)

<参考文献>
奥本章寛君を支える会編『青空―奥本章寛君と「支える会」の記録―』

 

告発の行方2

 

《紫煙革命03》知られざるタバコの真実―タバコの巻紙の正体に迫る!(1)

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆様ごきげんよう。政府によって推進されたタバコ・ネガティヴ・キャンペーンに対抗して、勝手に『吸って応援、タバコ・ポジティヴ・キャンペーン』を実施中の原田卓馬です。パープルヘイズレヴォリューションであります!今回はタバコの巻紙のお話です。

◆情報とは五感で感じるもの

と、本題に入る前に、情報のお話をします。21世紀に突入してからコンピュータ・ネットワークの技術革新は凄まじく、人類史に未だかつてない超高度情報化時代の到来といったような現在であります。ネットインフラの普及により、文字や音声や映像など情報と呼ばれるものなら、パソコンが一台あればなんでもすぐ手に入る時代のような感もあります。現代人が一日に得る情報量は、江戸時代の人の一生分とも云われているようですね。

ここでいう情報というのは人間の五感を通じて得られる様々な刺激のことだと思いますが、インターネットを通じて得られる情報というのは圧倒的に視覚・聴覚に特化しており、触覚・嗅覚・味覚を刺激することは難しいようです。

秋も深まりつつあり、ちょうど金木犀の花の香りがどこからともなく漂ってきて、集団感染みたいに一億総センチメンタルな時季がやって来ましたが、嗅覚を通じて引き出される記憶というのはやっぱり凄いですね。酒の席で金木犀の話題になり、「便所の芳香剤みたいな臭い木のこと?」と発言した友人が満場一致でヒンシュクを買って、非難轟々、大ブーイングの嵐が巻き起こりましたが、江戸時代から便所の近くに金木犀を植えるという文化があるので、便所と金木犀の関連付けることは鋭い嗅覚の証拠かもしれません。

さあ、強引な文脈で情報→嗅覚→タバコ、と本題に入る準備がそろそろ整いました。(とっくにバレてる)

◆匂いは情報の宝庫

好きな匂いってありますか? 天日干しした布団とか、夕立ちの前の土の匂いとか、キュウリを折った時の青臭さとか、腐りかけた牛肉とか、納豆とか、ナンプラーとか、ワキガとか、脱ぎ捨てた靴下とか、おじさんの加齢臭とか、人の好みは千差万別ですね。好き嫌いは大きく分かれるところだと思いますが、嗅覚情報に良し悪しはありません。

情報の取捨選択・価値判断というのはまさしく情報化社会で問われる情報リテラシーそのものであります。朝日新聞のでっちあげ記事謝罪騒動でマスコミはお祭り騒ぎをしていますが、情報というのは送る方も受け取る方も勝手に解釈するべき(せざるを得ない)ものだと思います。

感じたことは自分だけのものですから。

◆ある瞬間を境に、悪臭に変わる

さて、当連載の最初の記事にも書きましたが、原田は思いつきでシガーバーとういうのに行き、2時間かけてゆっくりと葉巻の香りを楽しんだ後に市販の紙巻タバコを吸ってみたらボンドのような酸っぱい匂いと紙の焦げ臭さしか感じなかったわけです。タバコの香りを邪魔するけったいな悪臭にそれまで無頓着だった原田でありますが、この時ばかりは流石に「こんなに臭いならタバコやめようかしら?」と少し悩んだであります。葉巻タバコの甘い香りとは程遠いあの悪臭はなんだったのだろうかと調べてみると、これはどうやらタバコの巻紙と、紙を接着するための糊が原因のようでした。

JTのホームページで開示されている、『たばこ材料品添加物リスト』によれば、

巻紙の原料

セルロース
炭酸カルシウム
水酸化マグネシウム
クエン酸カリウム
クエン酸ナトリウム
塩化カリウム
リンゴ酸
水酸化カリウム
グァーガム
カルボキシメチルセルロースナトリウム
酢酸カルシウム
酢酸カリウム
酢酸マグネシウム
(最大使用重量順)

こ、これは、ちっとも紙じゃないじゃないか!

原田は化学の知識が中学生レベルなので、さっぱりわからないながら調べてみた。セルロースというのは木材パルプから作られる植物性繊維のことで、一般的な紙の主原料になるようだ。ふむふむ、これは紙だ。

次いで量の多い、炭酸カルシウム。これは貝殻、卵の殻、チョークのような石灰のようだ。薬の錠剤のベースや、歯磨き粉、他には食品添加物としても使用されているらしい。

巻紙のりの原料

エチレン-酢酸ビニル樹脂
ポリ酢酸ビニル
カルボキシメチルセルロースナトリウム
酢酸ビニル-ビニルアルコール樹脂

酢酸ビニル?図画工作や日曜大工でお馴染みの木工用ボンドの原料ではないか。こんなもん吸っていいのか?

JT に電話問い合わせしてみようと思ったら平日しか対応してくれない!締切が間に合わない!これは参った!次回、JTさんに電話取材の巻、乞うご期待!

(原田卓馬)

 

《罪の行方01》遺族が「死刑破棄」を求める宮崎家族3人殺害事件の実相(片岡健)

8月30日に「奥本章寛君を支える会」が中津市で開催し、200人以上が参加した集会の様子

2010年3月に宮崎市で家族3人を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた男性が現在は最高裁に上告している事件で、その男性の減刑を求める支援活動が盛り上がっている。8月に大分県中津市で男性の支援者らが開催した集会には200人以上が参加。会では、被害者遺族の1人が最高裁に対し、死刑判決を破棄し、裁判を第一審からやり直して欲しいと訴える内容の上申書を提出していることも明らかにされた。

その死刑判決を受けている男性は奥本章寛被告(26)という。すでに上告審も9月8日の公判で弁護側が第一審への差し戻しか、死刑回避を求めて結審し、10月16日の判決公判を待つばかりだが、そもそもどんな事件で、奥本被告はどんな人物なのか――それを何回かに分けてレポートしたい。まずは8月の集会で、弁護人の黒原智宏弁護士が事件の概要について語った要旨を2回に分け、紹介する。

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この事件は平成22(2010)年3月1日未明、母子を含めて一家の3名が殺害された事件です。被害者は被告人・奥本章寛君の妻・くみ子さん(当時24)、長男・雄登くん(同生後5カ月)、義理の母・貴子さん(同50)の3名です。被告人にとって、この3名は同居していた家族でした。

なぜ家族の間で、こんな惨劇が起きたのか。被告人に関わっているすべての人々にとって大変不可思議に思える事件でした。それはとりもなおさず、誰もが奥本君はこういった事件と最も遠いところにある(人物)だろうという思いで、しっくりこなかったからだろうと思います。

◆「29名の社員の中でもピカイチ」

皆さんの周りに、こういう青年がいるだろうかとイメージして頂きたいと思います。いつも明るく、声をかけると、大きい声で挨拶を返してくれる青年。小中高と剣道部のキャプテンをしている人間。会社に入ってからは、社長が「うちには29名の社員がいるが、その中でもピカイチである。どこの現場にも自信を持って送り出せる」と評する青年。これらの人物のすべてを重ね合わせると、奥本章寛君その人になります。仕事も一生懸命でした。最後の仕事は土木作業員でしたが、宮崎とこの地(中津)を結ぶ高速道路、東九州自動車道の一部は奥本君の手によって舗装されています。

そのように仕事にも一生懸命でしたが、家族との間で難しい歪みが生じてしまいました。その背景には、奥本君が元々自衛官で、自衛官だったことが結婚の大きな理由だったという奥さん方の事情があります。(結婚する前に)奥本君は家族で協議の末、自衛官を退官し、宮崎で仕事に就き、妻のくみ子さん、その母である義理のお母さんの貴子さんと同居生活を始めることになりました。しかし、義理のお母さんは娘の幸せを祈る気持ちから、奥本君に自衛官を続けて欲しいという思いがありました。そして、奥本君はことあるごとに「なぜ自衛隊を辞めたんか」「自衛隊を辞めたお前は好かん」と厳しく叱責されます。

そのような同居生活に大きな変化が生じるのは、子供が生まれ、家族が1人増えてからです。アパートでは手狭だということで、家族は一戸建ての借家に引っ越し、4人での同居生活が始まります。4人の中で働き手は当時21歳の奥本君1人でしたので、奥本君は1人で家族4人の生活を支えようと一生懸命働きました。しかし、21歳の青年では大きな収入が得られるわけではありません。生活面、経済面で厳しい中、支えてくれたのは奥本君の古里である福岡県豊前の方々でした。両親が届けてくれるお米や野菜。「使いなさい」と渡してくれるお金。それらを奥本君はすべて、妻のくみ子さんに渡しており、そういう実家の支えがあって、なんとか家族4人の同居生活が始まったのです。

◆厳しい性格だった養母

ところが、義理のお母さんは性格的に厳しいところがあり、ことあるごとに先ほどのように奥本君を叱責します。奥本君は「自衛官を辞めたことがどうして、そんなに悪いことなんだろう」と考えますが、思い当たりませんでした。また、義理のお母さんは「(奥本君の)実家はなかなか援助をしてくれない。手伝ってくれない」ということも述べるようになりました。奥本君は「いや、野菜をもらったりしているじゃないですか」などと内心思いますが、性格上、そのことを口に出せませんでした。彼は「優しさ」「気配り」「気遣い」と共に「忍耐強さ」を備えていて、我慢に我慢を重ねる性格だったのです。

日々、奥本君が仕事を終え、夜自宅に帰ると、すでに家族の食事は終わり、ご飯はジャーからどんぶりに移してあり、それが流しに置いてありました。奥本君にとって、それは両親が届けてくれたお米だから、捨てるわけにはいかない。また、彼は小さい時、お婆ちゃんから言われていた「お米を粗末にしてはいけない。残してはいけない」という言葉を心に秘めていました。ですので、その流しに置いてあるご飯を食べます。そしてご飯の半分はその場でお弁当箱に詰め、翌日、お弁当として仕事に持っていっていました。

奥本君の帰宅時間は段々遅くなり、深夜10時、遅い時は11時を回るようになりました。そして土木作業員ですから、朝は4時に起きて、5時には現場に着いている。彼なりにお母さんとの衝突を避けようとして、そういう生活になったのです。

◆両親のことまで悪し様に言われ……

また、奥本君のご両親が雄登君のために、お古のベビー用品を持って来てくれたことがありましたが、義理のお母さんはこの時、目を合わせようとせず、当初は家にも上げようとしませんでした。子供のお下がりを渡すというのは愛情、親しさの表現であり、喜ばしいと感じるのが一般的だと思いますが、義理のお母さんはそうではなかったのです。そして奥本君のご両親が帰った後、奥本君に対し、「お前の両親は何しに来たんだ」「こんな物はいらん。お下がりはいらん」「バイ菌がついとる。汚い」「雄登がかわいくないんか」「普通は新しい物を買うじゃろうが。常識がないんじゃ」「(お前の実家は)雄登に何もしてくれん。くみ子にも結婚以来、何もしてくれん」と厳しく叱責を重ねました。

そんな中、奥本君はすくすく成長を続ける雄登君をなんとか実家に連れて帰り、両親のみならず、お爺ちゃん、お婆ちゃんに一度見せたいという夢を持っていました。そのチャンスは何回かありました。まず、平成21(2009)年の暮れ頃、家族で築城の航空自衛隊に航空ショーを見に行った時です。そこから豊前の実家までは目と鼻の先だったのですが、義理のお母さんは実家に行くのを許しませんでした。それから平成22(2010)年の1月には、家族で九州をほぼ一周する旅行をしています。その時も国道10号線を車で北上し、豊前の実家のすぐ近くを通るのですが、やはり義理のお母さんは実家に寄るのを許しませんでした。もっとも、この時は奥本君も「(自分の実家に)寄りましょう」という提案すらできませんでした。それは、(養母と自分の実家が)衝突することで家族の空気が悪くなるのを避けよう、みんながイヤな思いになるのを避けようという気持ちだったからです。

そしてこの頃、奥本君は1つの決断をします。「すべての原因は自分が自衛隊を辞めたことにある。ならば、自分が自衛隊に再入隊しよう。そうすれば、家族みんなが仲良くやっていけるんじゃないか」。奥本君はそう考えるようになり、実際に自衛隊のパンフレットを手に入れ、「一緒に自衛隊に入ろう」と友だちを誘い、自衛隊の試験の問題集も手に入れていたのです。また、厳しい家計を助けるため、夜のバイトを始めようと面接を受けに行ったりもしていました。彼はなんとか、問題の改善をしようとしていたのです。

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ここまでの話だけ見ても、奥本被告の減刑を求める支援活動が盛り上がっている事情はなんとなく察せられるのではないだろうか。そして黒原弁護士の話はいよいよ佳境に入る。このように奥本被告が問題の改善のために動き出していた中、今度は妻と実家の間で、あるトラブルが起きたというのだが――ここから先の話はまた次回お伝えする。

中津市の集会で事件の概要を説明する黒原弁護士

(片岡  健)