「絶歌」騒動で見過ごされている問題

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会1979年4月)

犯罪加害者が自分の起こした事件を題材に本を出していいのか――。神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aが上梓した著書「絶歌」(太田出版)をめぐり、そんな議論が続く中、私は大変不思議に感じていることがある。

この議論では、永山則夫や加藤智大、市橋達也ら著名な殺人事件の有罪確定者たちの著書があちこちで引き合いに出されている。それなのに、この議論に参戦する人たちはナゼ、以下のような本の存在を黙殺しているのだろうか?

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会)1979年4月発売 ※発売元は徳間書店
袴田巌著「主よ、いつまでですか」(新教出版社)1992年8月15日発売
菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版)2009年8月20日発売
須田セツ子著「私がしたことは殺人ですか?」(青志社)2010年4月6日発売
高橋和利著「『鶴見事件』抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた」(インパクト出版会 )2011年5月発売
林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版)2014年7月発売

菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版2009年8月)

すぐにピンときた人は少なくないだろう。ここで挙げた6人はいずれも「殺人事件の有罪確定者」という立場でありながら著書を上梓している。ただし、のちに再審で無罪を勝ち取った足利事件の菅家利和をはじめ、世間的には冤罪だと確信されているか、もしくは冤罪の疑いが根強く指摘されている。この6人の出版行為を否定する者はいないだろう。つまり、絶歌をめぐり議論になっていることの多くは、冤罪問題を入口に考えれば、議論せずとも答えが出ることなのだ。

こう言うと、「冤罪被害者の人たちを酒鬼薔薇のような犯罪加害者といっしょくたにするな」と思った人もいるだろう。しかし、「冤罪被害者」と「犯罪加害者」を完璧に見分けることは現実的に不可能だ。げんに、菅家をはじめ、ここに挙げた6人の著者たちも当初は世間の大多数の人たちから「正真正銘の犯罪加害者」だと認識されていたのである。

したがって、冤罪被害者が公に向けて無実を訴える機会を保証されるには、正真正銘の犯罪加害者が本を出す程度のことは当然に容認される社会である必要がある。もちろん、本を出すのに実名を明かす必要などないし、遺族に話を通す必要もない。冤罪被害者には、報道などを通じて無実を訴える際に匿名を望む人は存在するし、冤罪被害者が本を出すために遺族に話を通す必要がないことは論じるまでもないだろう。

林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版2014年7月)

表現の自由は、ヘドの出るような表現にも保証されるものだ――というのは、よく言われることである。「絶歌」騒動を見ていると、まったくそのとおりだと改めて思う。ヘドの出るような表現を弾圧すると、一緒に真っ当な表現まで弾圧されることになる。だからこそ、ヘドの出るような表現も、表現の自由のもとに守られなければならないのだ。

絶歌騒動をめぐっては、「市の図書館では購入しない」と宣言し、書店に販売への配慮を求める発言までした明石市の市長という権力者が世間の多くの人から賞賛された。表現の自由をないがしろにする発言をした権力側の人間たちが大バッシングされている百田尚樹騒動より、こちらのほうがよほど表現の自由が危機にさらされている状況だと私は思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎献花が絶えない川崎中1殺害事件と対照的すぎる西新宿未解決殺人事件の現場
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか

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福島原発被曝の現実から目をそらさない「DAYS JAPAN」と広河隆一氏の在野精神

「DAYS JAPAN」と言う月刊誌をご存知の方も多いであろう。
今月号の特集は「福島の小児甲状腺異常多発の発表」だ。

「DAYS JAPAN」2015年7月号

悲しいニュースだが直視を避けられない現実が詳細に報告されている。本号は発売直後よりアマゾンをはじめとするネット上の図書販売サイトでは完売となり、書店でも残部僅かのようだが、増刷されるとのことであるのでまだご覧になっていない方にはご購読を強くお勧めする。

「DAYS JAPAN」はかつて講談社が発行してたが休刊となり、2004年にフォトジャーナリストの広河隆一氏が会社を立ち上げ編集長に就任し復刊した。表紙の右下には発刊以来毎号「一枚の写真が国家を動かすこともある」との腰の据わったメッセージが記されていたが、その場所には編集長が丸井春氏に代わった昨年からは「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」と、より明確な「宣言」が掲載されるようになった(「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」はそれ以前にも時に表紙に書かれていたメッセージではある)。

◆発刊以来、原発問題に深く取り組んできた「DAYS JAPAN」

この雑誌の最大の特徴は現在世界でも希少となった「フォトジャーナリズム」を実践し続けていることだ。同時にパレスチナ、イラク、中東など世界中の紛争地帯(それが脚光の当っている場所であろうがなかろうが)の問題を取り上げ、視覚に訴えると同時に卓越した視点から解説を行うことだ。国内問題も同様である。一貫して在野の立場から権力監視を続ける骨太の編集方針は「ジャーナリズム」の原点から全くぶれていない。

また同誌が主催する「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」は世界的に権威のある写真コンテストとなり、ここでの受賞者がピューリッツアー賞などを後に受賞することも珍しくない。実は世界のフォトジャーナリストから注目されている雑誌でもある。世界的な注目を浴びる雑誌はこの島国に「DAYS JAPAN」だけである。

「DAYS JAPAN」2015年7月号より

前述の通り今月号の特集は「福島の小児甲状腺異常多発の発表」である。同誌は発刊以来一貫して原発問題に深く取り組んでおり、2011年の1月号(大震災の2カ月前)特集は「浜岡原発爆発は防げるのか」だった。事故直前まで月刊誌でこれだけ原発問題に警鐘を鳴らしていた雑誌は他にはない。スリーマイル島やチェルノブイリで原発事故取材経験豊富な広河氏は福島事故発生後3日目には現地入りしている。そこで持参した放射線測定器がチェルノブイリでも経験したことのない高い値、針が振り切れる経験を初めてする。目前には何も知らない人々がマスクもつけずに危機感もなく往来している姿を見て、取材を止め高線量地帯へ向かう人々の車を止め引き返すように説得を始める。


◎[参考動画]「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part2
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)綿井健陽氏2011年7月18日公開

◆「DAYS JAPAN」行動原理の体現者・広河隆一氏

「DAYS JAPAN」の行動原理はこの時の広河氏が体現している。ジャーナリストとして現地へ赴くがある時期「人間として」何をすべきかと感じた瞬間に彼らは「行動者」へと転身する。広河氏がレバノンの難民キャンプ取材から難民支援を始めて20余年が経つ。チェルノブイリ取材を50回ほど行っている広河氏は1991年に「チェルノブイリ子供基金」を設立し、保養施設「希望21」を各国のNGOと政府の協力により設立し、そこで保養を行った人の数は7万人を超えたという。

福島原発事故のわずか2か月後、早速保養所設立プロジェクトは動き出し、早くも翌年2012年7月には久米島に「球美の里」を設立し福島から子供達(親同伴の場合もあり)の受け入れを開始する。常人には想像できない発想と行動力は編集長が代わっても引き継がれている。

原発や被曝については「付け焼刃」ではなく長年の取材経験と人脈、知識と実践を持つこの雑誌に敵うものはないだろう。いや違った。「NO NUKES voice」ははるか後ろを走っているけれども志だけは負けたくないと編集長以下腹を固めている。
◎「DAYS JAPAN」Facebook
◎広河隆一氏のtwitter


◎[参考動画]DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展 特別講演会「震災と原発問題」
2012年11月20日京都造形芸術大学 学校法人瓜生山学園公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論

『NO NUKES voice vol.4』原発いらない!全国から最前線の声を集めた脱原発情報マガジン!
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《ウィークリー理央眼006》戦争法案に反対する若者たち VOL.2 札幌

「戦争したくなくてふるえる。」というワードを見聞きした時、それがデモの名称だと分かる人は果たして何人いるだろう。
しかし、これがデモの名前だと分からなくても全然構わない。
自分の好きな歌手、西野カナの曲から着想を得てネーミングしたデモが街に出現したということが重要なのだ。
安倍政権が進める「戦争法案」(安保関連法案)が人々の眠っていた気持ちに火をつけたことは間違いない。

6月26日(金)、札幌市中央区で「戦争したくなくてふるえる。」というデモがあった。
呼びかけ人は、北海道札幌市在住・19歳フリーターの高塚愛鳥(まお)さんだ。
彼女が地元での行動を思い付いてから、たった9日後に700名もの人を集めたデモを行なった。


[動画]戦争したくなくてふるえる。 デモ行進 – 2015.6.26 北海道札幌市(5分13秒)

サイトには、「Stupidな政治家たちに自由で楽しいあたし達の暮らしを奪われてたまるか!絶対に戦争なんかさせない!絶対に絶対に。」と、自分の言葉で「戦争法案」への反対の思いが綴られている。
私はサイトを見てスッキリした思いがあった。
このデモの名称の最後には「。」が付けられていてるのだけど、これはかなり大事なポイントの一つだと感じたのだ。
「戦争したくなくてふるえる。」を表記する時に、「。」が抜けていたり「!」を付けたりしているのを見かけるが、それは主催者の持つ感覚や雰囲気を理解していないし、何よりも主催者の言葉は大事にした方が良いだろう。

この日、愛鳥さんは喋ったりコールをしている時以外つまらなそうな顔をしていたのが非常に印象的だった。
私は写真を撮る為に彼女のことを追っていたのだけれども、彼女はデモが本当につまらなかったように思えた。
しかし誤解しないで欲しいのだが、私はそこにこそ彼女に対して強い共感を覚えた。
デモを行なうことで承認欲求を満たしたり、そこを居場所にしたりしている人々とは違うことが分かり、安心したと同時に尊敬もした。
彼女は本当にエモーショナルな部分からデモを呼びかけたのだと感じた。

この「戦争したくなくてふるえる。」は「新しい」という言葉で表現したり評価するのは安直な気がしている。
新しいもなにも、デモに正解はなくそれぞれの運動がそれぞれの動きをするのは当然だし、自然とやっているのだ。
旧来のデモが嫌な彼女は、せめて自分の好きな西野カナの要素を入れてみたり、コールをラップ調にしてデモを企画した。
映像を観てもらえればわかるのだけど、主催者の思い描いていたリズミカルなシュプレヒコールになっていないブロックもあって、おっさんコーラーが西野カナ感ゼロのフローで「ふるえるっ!」とコールしていたりする。
それは彼女の想いが彼女のもとを離れて広がっていた結果なのだから、かえって素晴らしいと私はデモを見ていて思った。
また、デモには学校帰りでやってきた制服姿の高校生たちもいて、安倍首相が進める国づくりに対する若者たちの危機感・不安感がひしひしと伝わってきた。

デモ行進は大通西8丁目公園からすすきのまで1時間弱のコースで行なわれた。
「戦争ッ、したくなくてふるえるっ!」「戦場ッ、行きたくなくてふるえるっ!」「さっさと辞めろっ、安倍晋三ッ HEY!」「調子に乗るなっ、自民党ッ HEY!」などの若者たちの想いが込められたシュプレヒコールが街に響いた。
ゴール後、すすきの交差点(ニッカ前)に移動し、愛鳥さんら若者たちはマイクを持って街頭アピール行動を行なった。
街宣の映像は他のメディアに任せることにし、私は写真撮影のみに専念した。
以下に3枚の写真を掲載してその様子をお伝えする。

ローカル・ムーブメントの始まりを思わせる片鱗が全国各地で見受けられるようになってきた。
この動きが更に広がることはもう時間の問題だ。

[2015年6月26日(金)・北海道]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

《ウィークリー理央眼》
◎《005》戦争法案に反対する若者たち vol.1 京都
◎《004》若者に影響された沼津の戦争法案反対デモ
◎《003》自民党街宣へのカウンターin福岡・天神
◎《002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動
◎《001》150回目の首相官邸前抗議

『NO NUKES voice vol.4』原発いらない!全国から最前線の声を集めた脱原発情報マガジン!

 

731部隊を隠蔽し続ける米日の密約──近藤昭二さん講演報告

731部隊の残虐な歴史を追跡し続けることでは右に出る者がいない、とまでいわれるジャーナリストの近藤昭二さんの講演会に出かけた。

この日、6月13日は《731部隊の国家犯罪を裁く》と題して、731部隊にいた2人の生の証言をビデオに流していたが、聞いていて胸くそが悪くなってきた。

ジャーナリスト近藤昭二さんの講演風景(2015年6月13日)

◆「パンだけだと人は20日で死ぬが、水を与えると1ヶ月くらいは生きる」

一人目の、石井四郎部隊長の運転手をしていたという越定男氏は「パンだけだと人は20日で死ぬが、水を与えると1ヶ月くらいは生きるね」という人体実験の様子を臆面をなく話していた。

越氏は『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)という本で過去の罪を「告白」している。ちなみに、森村誠一著「悪魔の飽食」で出てくるKとは、彼のことだ。その書籍で彼はこう懺悔する。

石井四郎部隊長の運転手をしていたという越定男氏

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「あなた方は、そんなひどいことをして・・・・、中国へ行って謝ってください」
おかっぱ頭の女子高校生の熱気を帯びた厳しい眼差しに、私は思わずたじろいで、言葉を失ってしまった。
それは1982年7月7日、長野県の松本勤労福祉センターで開かれた「日中不再戦の夕べ」で同じ731部隊にいた小林寿雄さんとともに証言に立った時のことである。そこで私は『悪魔の飽食』(森村誠一著)の舞台となった関東軍防疫給水部本部第731部隊の元隊員として自分自身が見たり、手を下したりした幾つかの‘実験’をありのままに話をした。
確かにいままでも、戦争という「公認の殺し合い」の中とはいえ、731部隊が犯した罪は決して消えないと思ってきたが、その女子高校生の率直な問いかけに、改めて’私の罪’の重さを感ぜずにはいられなかった。しかしまた、私はその女子高校生を見て、再び語り始めた。(序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない)より。)
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まあ、ここで内容を語るよりは、近く、このホームページにアップされる越氏が語る映像を見て、その悲惨さを見てほしい。

◆731部隊をめぐる米国と日本の密約

さて、近藤氏は、米国と日本に731部隊について密約があったと何度も語り、右翼筋や自称保守派からひんしゅくをかっているようだ。だが僕が賛同するのは、このことを言い続けないと、この731部隊の闇は歴史からかき消されてしまう、という点にある。たとえば、「人民網」に近藤氏は以下のごとく語る。

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731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る ?2015年04月27日人民網日本語版

「NPO法人731部隊・細菌戦資料センター」の共同代表、近藤昭二氏(ジャーナリスト)はこのほど、取材に対して、「第二次世界大戦後、昭和天皇や細菌戦の責任者に対して戦争責任を追及しないことを条件に、日本は731部隊の全ての研究資料を米国に渡すという密約を、米国と交わした。その資料を、米国は今に至るまで公開していない」と話した。新華社が報じた。
近藤氏によると、「戦後の日本を統治するために、米国は日本の天皇制を維持する必要があった。天皇の戦争責任を追及しないという点では、日本と米国の利益が一致した。また、ソ連と戦う必要があった米国は、731部隊の研究資料がソ連の手に渡ることを望まなかった。731部隊の創設者・石井四郎もそれに乗じ、『日本が731部隊のデータを全て米国に渡す代わりに、米国は昭和天皇や自身らの責任を追及しない』という密約を成立させた」という。
「以前、極東国際軍事裁判に関わった米国の検察官と接触する機会があった。その検察官は、『東京に来る前に、上司から天皇の責任を追及することはないと告げられた。米国は初めから天皇制を維持することを決めていた』と言っていた」と近藤氏。
また、「当時、中国の東北地域に設置された捕虜收容所には、米国人捕虜もおり、731部隊軍医の実験対象になった。それにより死亡した米国人も、後遺症が残った米国人もいる。戦後、それら米国人兵士は経験したことを、米国政府に訴えたが、米国は日本との密約があったため、それらを覆い隠した」という。
近藤氏は、「米国が、自国の兵士も731部隊の迫害を受けたことを知っていたにもかかわらず、それを覆い隠し、密約を交わしたことを、世界に知られたとすれば、結果は大きく変わっていた。米国政府にとって不利になる。現時点では推測にすぎないが、日本にとっても、米国にとっても、731部隊の事は秘密にしておきたい問題。今でも密約は密約で、両国ともに関連の資料を公開することは今後もないだろう」との見方を示している。(中略)
細菌戦を十数年にわたって研究する過程で、近藤氏は、現在の日本社会に存在する学術的腐敗や、現在の医療ミスと戦時中の医学犯罪の原因は非常に似ていることなどを発見した。731部隊と軍医の間にも、論文や学術成果を競う姿勢が存在していたという。日本は当時の医学犯罪に対する歴史的検証を行ってこなかったため、今でも同様の犯罪が依然として存在しているという。
「どのような審査機構を構築するのか、効果的な審査をどのように展開するのかという問題の答えを得るには、過去の間違いを分析、検証しなければならない。『過去の事』と言い訳し、何もしないのではなく、当時の歴史に対する研究、検証を一から行い、日本はどうして間違った道を歩んだのかを知らなければならない。歴史検証の過程で、その答えが見つかる」と近藤氏。
近藤氏は最後に、「中国が最近、歴史資料の再発掘に力を入れているため、資料館に眠っていた資料が公開されるようになっている。日本が731部隊の資料を隠し続けるとすれば、自分の立場がいっそう受動的になってしまう」と指摘、「したことはしたと、日本は認めなければならない。歴史的事実を認めなければ、日中外交など、何も始まらない。日本はまず、歴史的事実を明らかにし、それを認めたうえで、外交活動を行わなければならない。これがすべての前提となる」との見方を示した。(編集KN)
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◆政府が731部隊を隠蔽する限り、引き継がれる「魔性」

僕が「731部隊」ついて追跡したいのは、森村誠一著「悪魔の飽食」があまりにもノンフィクションとして優れていたからだ。僕にとってこの作品は「教科書」である。森村は、「人間の証明」で得た膨大な資金をつぎこみ、この「政府が隠蔽した」悪魔の部隊の功罪を暴いた。

後に、731関連の被害者の写真として使用した写真がまったく731部隊と無関係だったとして批判されたようだが、そんなのは枝葉にすぎない。

そして日本政府よ。よく聞け。私も貴殿たちの「戦争責任」を追求していく。戦争責任者は、当然のごとく草の根をわけてでも裁く。首を洗って待っているがいい。もぎとりたいのは、「戦争の根っこ」だ。実力のあるなしは関係ない。私を敵にまわしたのは当時の軍部であり、今もそれを引き継ぐ「戦争を起こす魔性」にとらわれた今の政府を含む馬鹿どもである。

※「731部隊映像コンテスト ホームページ」(http://731-vc.wix.com/compe
※「731部隊 細菌戦資料センター」(http://www.anti731saikinsen.net/

(小林俊之)

◎追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して
◎占領期日本の闇──731部隊「殺戮軍医」石井四郎はなぜ裁かれなかったのか?
◎731部隊の「ガチンコ人体実験」跡をユネスコが「世界文化遺産」と認める日
◎「731部隊」の存在を証明した「金子論文」の発見者、奈須重雄さんに聞く!

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百田懇談会で「マスコミを懲らしめる」と語った大西英男議員らの秘書に一問一答

暴言を吐き続けて、自民党内ですらテンヤワンヤに陥れた百田尚樹に「沖縄タイムス」が直接取材を行っている。まず、その全文を引用紹介する。

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◆百田尚樹氏に一問一答 「沖縄2紙は嫌い」「つぶれてほしい」 沖縄タイムス2015年6月27日

作家の百田尚樹氏(59)が、自民党の会合で発言した米軍普天間飛行場の成り立ちや沖縄の2紙に対する内容について26日、沖縄タイムスの電話取材に応じ、発言の真意と持論を説明した。(社会部・聞き手=吉川毅)

―米軍普天間飛行場の成り立ちについての発言は。
「住民が騒音などの精神的に苦痛があり、補償しろと言う。苦しみは当事者にしか分からないこともあるだろう。それを踏まえた上で、違和感を覚えると発言した。なぜかと言えば、住んでいた場所に基地が引っ越してきたわけではない」

―普天間の現状認識は。
「地権者には、膨大な地代が払われている。六本木ヒルズに住んでいる大金持ちと同じ。それはメルマガで書いた話だ。普天間が返還されたら、あっという間にまちは閑散とする。ぬくぬく暮らしていた地権者も困るはずだ」
「滑走路のそばに小学校があるが、いまだに移転していない。移転に反対の運動も起きているが、本末転倒。基地批判のために小学校を置いている。何がしたいのか分からない」

―「沖縄の島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」の発言の真意は。
「絶対、あってはならないことで仮定の話をした。沖縄の人は中国を歓迎している。(辺野古の新基地建設反対など)翁長雄志知事が言っていることも意味が分からない。沖縄の人の総意は何なのか。中国の危機意識がない人も見受けられる」

―沖縄戦について。
「沖縄は戦争で犠牲になったと言うが、東京も大空襲があり、犠牲を払っている。沖縄だけが犠牲になったわけではない。大阪も大空襲で多くの人が死んだ」

―「沖縄2紙をつぶさないと」の発言について。
「沖縄の新聞をしっかりと読んだことはないが、ネットで読むと、私と歴史認識が違う。全体の記事の印象から私が嫌いな新聞だ」
「オフレコに近い発言で、冗談として言った。公権力、圧力でつぶすとの趣旨ではない。私も言論人。言論は自由であるべきだ。私と意見が違う2紙を誰も読まなくなり、誰も読者がいなくなってつぶれてほしいという意味での発言だ」
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この男全く反省していないことがわかるだろう。反省どころかより一層救い難く悪辣な本音が吐露されている。こんな考えを持つ人間が出入りしているのが自民党であり、百田は自民党の本音を代弁していると言っても過言ではないだろう。

大西英男衆議院議員のfacebook

◆大西英男議員政策秘書の亀本正城氏との一問一答

私は26日以降「マスコミをこらしめるのには広告収入がなくなるのが一番」と発言した大西英男、「スポンサーにならない。これが一番こたえる」の井上貴博、「沖縄メディアは左翼勢力に乗っ取られている」の長尾敬各議員に取材を試みた。28日現在いずれも本人と話すことは出来ていないが大西議員の政策秘書亀本正城氏と話すことが出来た。以下は私と亀本氏のやり取りである。

秘書 「あくまで議員ではなく私の理解だが、中国の『脅威』を強調したくてあのような言葉になってしまったのではないか。前後の文脈があるのでそれを見て頂ければご理解いただけると思う」

田所 「前後の文脈がどこかで確認できるのか」

秘書 「それはなかなか難しい」

田所 「では国民は理解することは出来ないということにならないか。衆参両院で圧倒的多数を握る自民党の議員が明らかな言論弾圧発言、とりわけ沖縄の新聞を攻撃することが許されると思うか」

秘書 「そのような意図と取られても仕方ない発言であった点は反省すべきだと思う。議員にもそう伝えたい」

田所 「集団的自衛権行使や『戦争法制成立』の方が『中国』の脅威より余程戦争の危機を高めるのではないか。米国債を最も多く保有しているのが中国で二番目が日本だ。米中は最近接近しているようにも見えるが、そのような状況下で中国が日本に戦争を仕掛けてくることがあると思うか」

秘書 「中国が全面的に戦争を仕掛けてくることは現実にはないと思う。但し尖閣諸島などでの小さな衝突の可能性はあるのではないか。それに対するために現在安保法制の議論が行われている」

田所 「『近年我が国を取り囲む国際的な緊張が高まっている』と自民党は言うが近隣諸国との緊張は冷戦時代の方がはるかに高かったのではないか。尖閣問題は前石原都知事が『都が尖閣を買う』と言い出すまで(しかもその発言を米国で行うまで)実質的に棚上げされており、緊張はなかった。かつて政府は仮想敵国として『ソ連』を上げたことがあったが現在の具体的な仮想敵国はあるのか」

秘書 「仮想敵国ではないが中国や北朝鮮の脅威があると思う」

田所 「『日中平和友好条約』と言う条約があるがあれは無効なのか、また近年は『戦略的互恵関係』等という言葉で両国首脳が関係を示しているがそれでは脅威を感じる国に対する表現なのか」

秘書 「政治にお詳しいですね」

田所 「私が質問をしている」

秘書 「大変紳士的に貴重なご意見を伺ったので必ず議員に伝えておく」

◆火消に必死な自民党内とは裏腹に燃料投下に励む百田尚樹という「愉快犯」

次いで長尾敬事務所公設秘書の河村氏(女性)は取材に対し「特にコメントは準備していません」と述べ、「議員は地元に帰っているので詳細は判らない」とだけ語ってくれた。

井上貴博議員の政策秘書伊藤重雄氏は「私の発言が誤解を招いたとすれば申し訳なく思います。発言内容は青年会議所時代の事業を紹介したものです。私自身報道を規制するとか企業に圧力をかけるとか、そういった考えはございません」が正式なコメントだと教えてくれた。

「青年会議所時代の事業」とは何かと質問すると地元「マスコミとの意見交換会」の事だそうで、「意見交換会」を「事業」と呼ぶのか、結局マスコミと癒着しているか利用しているとも取れるが、の問いには「コメントの通りです」との回答だけだった。

自民党内ではこの事件の火消に必死の様子だが、表面を取り繕おうとも本質的な「沖縄差別」と「戦争猛進政策」を改めない限り意味はない。百田はその後も「あの時は冗談だったが今は本気でつぶさなければいけないと思っている」と追い打ちをかけている。こんな人間が経営委員に任命されるのがNHKだということも忘れてはならない。


◎[参考動画]沖縄2紙、作家・百田尚樹氏に抗議声明(2015年6月26日TBS News-i)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

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「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論

本コラムでご紹介した関西大学での講義「人間の尊厳のために」がいよいよ終盤を迎えている。6月19日には小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)の二回目の講義が行われ、原発だけでなく戦争へ向かう時代への警鐘が語られた。

6月26日には先の講義を受けて鹿砦社松岡社長へのグループ討論の発表と質疑が行われた。松岡社長は講義にあたりA4用紙にして、5枚のレジュメを準備し、その中では講義中より踏み込んで「表現の自由とプライバシーの関係」等への松岡社長の考えが紹介されていた。

◆討論前には「松岡社長の逮捕は当然」を主張する学生グループも

鹿砦社松岡社長

この日の討論に先立ち準備的に行われたグループ討論の中から「松岡社長の逮捕は当然だった」という意見のグループがあった。これまで出版物やその言論活動に様々批判を浴びてきた松岡社長だが、その逮捕については必ずしも同じ立場ではない学者、出版人からも「逮捕の必要性はない」との意見が殆どであったため、いささかこの「松岡逮捕は当然!」の主張には驚いたようで、先週の講義の際に逮捕のきっかけとされた「アルゼ王国はスキャンダルの総合商社」を多数持参し「一度これを読んでおいてください。その上で私の逮捕が妥当なものだったかどうか意見を聞かせてください」と「松岡逮捕当然!」と議決したグループの学生さんたちに無料で当該の書籍を手渡していた。

26日は28あるグループの中から9グループが松岡社長の意向で選ばれ、グループ討論の意見発表と質疑が行われた。講義中に紹介されたPaix2(ぺぺ)への評価を行ったグループ、「琉球の風」などのへの関わりに関心を寄せたグループの他「表現の自由とプライバシー」の問題についての討論を発表したグループが多く見られた。

その中には「松岡逮捕は当然!」を主張していたグループも含まれており、先週手渡された「課題図書」読後、どのように意見が変化したか注目された。当該グループの発表者は「最初講義で配られた資料(新聞記事)だけを読んで『逮捕されても仕方ない』と考え、グループの意見もそうなったが、先週本を貰い読んでみると、その内容は記事を書いた人が取材記録を淡々と書き綴っているような内容で、特に過激でもない、取材日記のような感想を受けた。この内容で逮捕されたとは知らなかったし、今は逮捕の必要ないと思うようになった」と語った。事実を示すことで松岡社長は誤解を解くことに成功したようだ。

「表現の自由とプライバシー」については様々な意見が発表されたが、受講生のほとんどがまだ1年次生ということもあり、暗中模索の感もあった。しかし皆が真剣に考え個々の問題として捉えていった事ははっきりうかがえた。

◆私たちが厳しい目を向けるのはあくまで社会的強者であるということ

鹿砦社松岡社長

学生グループ発表の後、松岡社長は「私が大学1年生の時、皆さんのように物事を真剣に考えていたかどうかと言うと、恥ずかしい気持ちになります。ただ今後の人生の中で皆さんは必ず私がお話ししたことと関係することに直面する場面があるでしょう。『表現の自由』について様々真剣な議論の発表がありました。誤解して頂きたくないのは、私たちは決して一般市民や社会的に弱い立場の人々のプライバシーを暴いたり、踏みにじったりしてはいないということです。社会的強者である政治家や上場企業など、いわゆる『公人』については厳しい目を向けますが、一般市民にも対してはそのような態度ではありません。資料にも詳細を書きました。これは是非理解しておいて下さい。今後の人生でたぶん皆さんもこの問題に直面することがあると思います。「生き恥をさらして」と言いましたが、皆さん個々がどうお考えになるかは別にして、その時『私(松岡)のような考えと体験をした人間がいたな』と思い出して頂ければ幸いです。ではこの講義はこれで終わります」と結んだ。教室は拍手に包まれた。

来年度も行われる予定のこの講義、松岡社長は初の大学での講義プラス討論だったためか、最初は「スロースタート」の感もあったが、講義2回目中盤から語り口も俄然熱を帯び出し、「生き恥晒す」覚悟は討論と質疑を経て学生さんに確実に伝わったことだろう。予想外の「逮捕は当然!」というグループ出現も、かえって議論の深みを持たせる役割を果たす事となり、漠然と「表現の自由」と言い名の講義を受講するよりも「生きた現実」を示された学生さんたちは深く考えざるを得ず、自分自身の問題として考えることが迫られたのではないか。

学生さんには「知」と「体験」を聞き考察することにより、机上論ではない実践を基とした「生き証人」を前にして思索を巡らせる貴重経験となった事だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「大阪都構想」住民投票を否決し、姑息なファシスト橋下に退場の鉄槌を!

月刊『紙の爆弾』──タブーなきスキャンダルマガジン
『NO NUKES voice』──世代と地域を繋げる脱原発情報マガジン

《ウィークリー理央眼005》戦争法案に反対する若者たち VOL.1 京都

SEALDs KANSAI(自由と民主主義のための学生緊急行動 – 関西)による「安保関連法案」に反対する大規模デモが行なわれた。
6月21日(日)、約2200名の参加者が京都市内を4km・2時間15分にわたって行進したのだが、もしかしたら、それは学生たちによる街の占拠が行われたと言っても良いかもしれない。

以下はその全容を捉えた映像で少しばかり長いのだけど、テンポ良く撮影~編集がしてあるのでまず観て頂きたい。

[動画]戦争立法に反対する学生デモ/SEALDs KANSAI – 2015.6.21 京都市(19分17秒)

自分の話で恐縮だが、「ここでダメならどこへ行ってもダメ」というのが私の信条で、そう思いながらずっと創作活動や仕事を全力で続けてきた。
「関西には(あるいは東京以外には)国会や国の行政機関が存在しないから、デモや抗議をいくらやったって無駄だ」と言われることがあるが、日本のどこであろうと彼らのように本気で叫び、何かを変えたいという気持ちがあれば人を動かす力になると私は思っている。
このような考えの持ち主ということもあり、私は全国各地のローカル・デモを精力的に撮影している。

デモというのはもう既に「今、そこにいる人に訴える」という、「その場」だけのものではなくなった。
携帯からでさえもデモは実況・配信され、どこにいてもリアルタイムで観ることができる。記録された写真や動画はいつでもどこでも繰り返し再生できる。
プラカードひとつとっても、優れたデザインのおそろいのものが全国のコンビニで安価に出力でき、市民にとって意思表示をする場が日本中のどこでも良くなった。

永田町や霞が関、人であふれかえる東京の繁華街でやったって意味がない行動はいくらでもあるし、「自分たちの住んでいる場所で、自分たちのできることをやる」というのは正しい選択だ。
更に言えば、自分たちのやりたいような方法で意思表示をしているSEALDsは等身大で信頼できる存在だと思った。
自分たちがやってるスタイルで主張が届く相手がいると信じることは大切なのだ。

「一般の人」を意識し過ぎたり気にし過ぎたりしている運動も多いが、市民感覚とはむしろ自分たちと「一般の人」を分けて考えないことなのではないだろうか。
自分たちは「ここ」で暮らしているから「ここ」で声をあげる、この選択をし、全力で行動を起こした関西の学生たちに最高の敬意を表したい。

このデモではスマートなプラカードを手にした学生たちが先頭を軽やかに歩き、彼らから「アダルトチーム」と呼ばれた大人たちは、彼らを後ろから支えるかの如く、デモの後方を歩いていた。
こんな学生たちの動きを大人は頭数で、言葉で、特に寄付で支えよう。
自ら先頭に立つことを選んだ彼らを居丈高に批評・非難する恥ずかしい大人の群れが、今の日本を作ってきたのだから。

SEALDs KANSAI:サイト / Twitter
SEALDs:サイト / Twitter / Facebook

[2015年6月21日(日)・京都府]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

◎《ウィークリー理央眼004》若者に影響された沼津の戦争法案反対デモ
◎《ウィークリー理央眼003》自民党街宣へのカウンターin福岡・天神
◎《ウィークリー理央眼002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動
◎《ウィークリー理央眼001》150回目の首相官邸前抗議

『NO NUKES voice vol.4』原発いらない!全国から最前線の声を集めた脱原発情報マガジン!

「目が覚めた」人たち──抗議行動はいろんなカタチがあっていい

戦争法案の審議と国会会期延長、更には辺野古での基地建設、TPP推進などの市民を虫けらとも思わない安倍政権に対して全国各地で様々な抗議活動が行われている。6月24日(木)には国会前に3万人が集まり「戦争反対」、「安倍政権倒せ」の声を上げた。またここへ来て若者の街頭活動も見られるようになってきた。


◎[参考動画]「とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ6・24国会包囲行動」

◆反対する契機は「純粋な怒り」

同意できない政策を推し進めようとする、政府や行政への抗議行動は時代により形や規模が異なりながらも綿々と続いてきた歴史がある。2011年3月11日、福島第一原発の事故で初めて街頭行動に足を運んだ人の中には、「原発爆発」という脅威により初めて「目が覚め」て「居てもたってもいられず」行動を起こした方々が少なくなかっただろう。

そういった「普通」の人はそれまで「市民運動」に関わっていたわけではなく、ましてや政府に対する抗議行動などとは無縁の方々で、「どうしてくれるんだ!」、「政府・東電は責任を取れ!」という純粋な怒りと恐怖が街頭行動の動機となっていた。少なくとも私が直接知る複数の人々はそうだ。

原発に限らず、戦争反対の前段階である自衛隊の海外派兵や、教育基本法改悪への反対、国家国旗法制定への反対行動は3・11以降「目が覚めた」人々がまだ、あまり興味を抱かない頃から、一般市民には異端視されながらも行われていた。

3・11以前、街頭での抗議行動が低調であった頃には「デモに行く」と言えば、極端に危険な行為に加担するような偏見で見られることは当たり前だったし、あらゆるテーマを掲げて集会を行っても、組織動員がなければ東京でも万の単位の集会開催はほぼ皆無に等しかった。


◎[参考動画]爆笑!偽安倍晋三──2006年12月6日ヒューマンチェーン第3波に偽の安倍さんが現れた!

◆「冬の時代」から声を挙げ続けてきた人々

でも、忘れてはならないのはそういう「抵抗冬の時代」から怯むことなく声を挙げ、時に権力に不当弾圧されながら、一般市民から「変わり者」と蔑視されようと、この島国の権力者たちが推し進めようとする悪意に満ちた政策と正面から闘っていた人々の存在だ。


◎[参考動画]なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち

抵抗や闘争のテーマは数限りなくある。「改憲」はいよいよここにきてその危険性が広く認識されることになったけれども、1955年、保守合同により発足した自由民主党の党是が当初より「自主憲法制定」=「改憲」であることを知っていた人々は早期から各地に「九条の会」を立ち上げ地道な活動を行って来た。

千葉県に位置する空港は、そこに住む農民の意見を聞くこと一切なく建設が決定され、その反対運動は熾烈を極めた。自分の生活の糧である農地や家が一方的「国策」により奪われる、と聞かされた農民は実力闘争に踏み切らざるを得ず、学生や労働者も空港建設反対の運動を支援した。多くの死者も出した。

そこではあからさまな「暴力」が数々繰り広げられた。「強制収容」という名で農民の家が重機により取り壊された。それに抵抗する農民達は家や立木に自分の身体を括りつけ機動隊の暴力に抵抗した。

◆不合理な国策への抵抗は自然

ここで読者の皆さんに問いである。世界のあらゆる場所、あらゆる地帯で「無用」な暴力は排除されるべきだと私は考える。

だが、ご自身の住居が合理性のかけらもない「国策」により取り壊されたら、何も言わず、何もせずに沈黙していられるだろうか。「住居取り壊しをやめろ!」と叫びそれに身を持って抵抗するのは不自然だろうか。

千葉県にある空港は「国際化に伴い羽田では敷地が手狭になるから」と言う題目で建設が強行されたが、一時国際線を控えていた羽田空港(正式名称は「東京国際空港」)はその後拡張工事を行い、現在乗り入れている国際便を運航する航空会社の数は30社に上っている。国際線専用ターミナルも人であふれている。一時「新東京国際空港」が正式名称であった千葉県の空港は国際線の発着を羽田から引き継ぎ、専門に担うはずだったが現在国際線乗り入れ航空会社数は43社止まりであり、名称も2004年に「成田空港」と変更され、実質的に首都エリアで「国際空港」の名は通称「羽田」の「東京国際空港」だけである。

この現実を見て土地を奪われた農民や、反対運動で傷つきあるは亡くなった反対派、推進派の方々はどうお感じになるだろうか。国が引き起こした無茶非道理を尽くした「空港政策」の犠牲になった方々の多数はもうお亡くなりになっているけれども、現在も農地を国に奪われることを阻んで闘っている農家の方が存在する事実を前にどう申し開きするのか。

「極端な例を出して」とソッポを向かれる読者もいるかもしれない。でもこの構造は何変わることなく今日に引き継がれているじゃないか。

先に霞が関で抗議行動最中に不当逮捕された被害者の方から直接お話を聞くことが出来た。その方は勾留されている間にネット上や批判的な人々から「逮捕される方が悪い」、「警察が逮捕したのは当たり前」などの言葉が交わされているのを接見した弁護士から知らされ、「とても残念に感じた」という。「逮捕を肯定する人は『権力』の本質がわかっているのでしょうか」とも語っていた。

◆抗議行動には様々な形態があっていい

本質的な対立が生じれば国家権力は当然反対者を弾圧(逮捕)する。いくら「非暴力直接行動」などと言っていても、そんなことに一切配慮はされない。「反国家」、「非暴力」は市民が定義するものではなく、国家がその時の都合で一方的に決めつける。そのことは70余年前の戦争時代に何が起きたかを振り返れば明らかだ。

6月27日渋谷ハチ公前SEALDs街頭アピール行動に参加した山本太郎さん(山本さんのfacebookより)

抗議行動には様々な形態があっていいと思う。その方が画一的な運動より健康だろう。だが、最終的に国民の「抗議・抵抗」に対して国家は「非和解」であること私は考える。

私は戦争に反対する。だから抗議する。
私は原発に反対する。だから抗議する。
私は差別に反対する。だから抗議する。
私の目的は「抗議」ではない。
受け入れない政策や行動の阻止だ。

「抗議を続ける」ことは長期戦では重要だ。でもそれ自体が目的になっている人がいるとすればもう一度考えてほしい。本当に獲得すべきものは何なのかと。


◎[参考動画]BO GUMBOS「目が覚めた」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

『NO NUKES voice』Vol.4──世代と地域を繋げる脱原発情報マガジン!

 


百田尚樹「沖縄2紙を潰せ」発言で強まる「琉球独立」という島唄の風

自民党の安倍に近い若手議員議員懇談会に呼ばれた作家の百田尚樹が「政治家は国民に対してアピールが下手だ」、「沖縄の二つの新聞はつぶさなければならない」と発言した。会に出席した議員からは「経団連に働きかけて広告を引き揚げさせてもらっては」など、報道批判の意見が相次いだそうだ。

また、6月25日に予定されていた自民党の「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」が講師に漫画家の小林よしのりを呼ぶ行う予定だったが自民党幹部の「安保法制審議批判に火をつける」との理由で中止になった。小林よしのりは「ああ負けたんだなと思った。自民党は全体主義になっている」と感想を述べている。

もうこれだけ書けば本当は付言することはない。誰にでもわかるだろう。言論弾圧はこれまでも山ほどあったけれども「沖縄の二つの新聞はつぶさなければならない」という言葉には、単なる敵意以上に琉球を侵略、支配してきたこの島国支配層の差別と選良意識が隠すところなく吐露されている。


◎[参考動画]安倍晋三「沖縄慰霊の日」全戦没者祈念式典スピーチ(2015年6月23日)

◆「沖縄2紙をつぶせ」の百田尚樹は「呼べば暴言」の自民党腰巾着

もっとも百田は確信的な歴史修正主義者であり、これまでも数々の暴言を吐いてきた。NHKの経営委員に就任するも都知事選に出馬した田母神俊雄の応援演説で、「南京大虐殺はなかった」、「他の主要候補は人間のくずみたいなもの」と語るなど品位の欠片も名無い発言を連発し、任期途中で退任に追い込まれた経歴がある。関西ファシズム牽引役芸能人だった「やしきたかじん」没後の経緯を書いた「殉愛」では遺族から名誉棄損だとして「出版差し止め」と1100万円の損害賠償請求も起こされている。

百田を呼べば暴言を吐くことは織り込み積みで自民党の連中は講師にしたに違いない。そして奴らは馬鹿だから、百田が大問題発言をしてもその重大性に気が付くどころか、それに乗じて「経団連に頼んで広告を引き揚げさせよう!」とこれ以上ない報道弾圧発言を何はばかることなく吐き続けたのだろう。

「つぶさなければならない」と名指しされた「琉球新報」と「沖縄タイムズ」はむしろこのような連中から本気で恐れられている新聞だということが逆に証明された訳で、これは皮肉ではなく「喜ばしい」事態と言っていいだろう。本土のほとんどのメディアが「官報」と変わりない体たらく振りの中で「琉球新報」と「沖縄タイムス」にはジャーナリズム精神が残っていると誌面を読むたびに感じてきたけれども、それほど敵にとっては目障りであり「脅威」の対象だということが図らずも証明されたということだ。


◎[参考動画]翁長知事「沖縄慰霊の日」全戦没者祈念式典スピーチ(2015年6月23日)

◆沖縄の怒りの度が増し、「琉球独立論」は加速するかもしれない

けれども、それは事件を斜めから見た私の感想であり、この発言に沖縄の人々が更に怒りの度を増すことは違いない。そこここで議論されている「琉球独立論」が加速するかもしれない。先の衆議院選で自民党は沖縄の小選挙区で1人の当選者も出せなかった。たった2割の得票で当選できるいびつな「小選挙区」システムですら全く支持が得られていなかったのだ。そのことへの思慮や洞察すら自民党の連中は持ち合わせてはない。

百田や自民党議員の意見には言わずもがな100%反対だが、恥ずかしくも同じ島国に生まれ沖縄を苦しめる「本土」に居住する人間としては恥ずかしく、申し訳ない気持ちが一層つのる。政権もろとも歴史修正主義者を徹底的に糾弾しなければならない。


◎[参考動画]宮沢和史 慰霊の日に 沖縄の唄者と共に『島唄』熱唱(NEWS ZERO 2015年6月23日放送)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

 

通信傍受法の適用拡大次第で携帯電話は容易に「盗聴」される時代へ

1999年、当時勤務していた大学である企画を準備していた時、私は携帯電話による通話を「盗聴」されたことがある。ややデリケートな国際問題にも関係する企画だったので、外務省や政治家との折衝のため霞が関や永田町に何度も出向かねばならなかった。ある時通話が明らかに「盗聴」されたと分かった時には本当に驚いた。まだ「盗聴法」もなかったし、そもそも「携帯電話の盗聴技術」は相当な資力と技術力のある団体でなければ無理だろうと考えていた時代だった。私の通話を「盗聴」したのは、某国の諜報機関であった。日本の捜査機関ではない。わざわざその証拠を私達に解る形で残して行ったから間違いない。

◆1999年にはすでに確立されていた携帯電話の「盗聴」技術

その時、私は議員会館の某議員の事務所で通信社の記者と待ち合わせする予定になっていた。私と彼は共に周りに誰もいない場で、携帯電話により落ち合う場所と時間を確認していたから当事者2人以外にその打ち合わせ時刻と場所を知る人間はいないはずだ。しかし議員の事務所に定刻の15分ほど前に見知らぬ人物が現れて「ここに田所さんが来ると聞いたんですけれども」とだけ言い残し去っていったと秘書に伝えられた。打ち合わせは議員を含め1時間を超えたがその間その人物が戻って来ることはなかった。

私も通信社記者も、もう一度その待ち合わせについて誰か他人に話をしていなかったかを思い返した。かなりセンシティブな内容でもあったので誰にも話していない事が再度確認された。そうであれば可能性としてはどこかで通話を聞かれたと考えるしかない。固定電話の「盗聴」はいとも簡単だけれども、1999年の時点で携帯電話の「盗聴技術」もその筋では確立されていたわけだ。

◆威嚇するかのように尾行され、通信妨害も企てられた

「盗聴」はともかくその時は打ち合わせを終えて、私は次の場所へ徒歩で移動した。ところがどうも背後が気になる。普段感じた事のないような視線のようなものが、勘違いかもしれないが背中に張り付いている。霞が関の昼間は大きなビルが林立する割に舗道を歩く人の数はさほど多くはない。幾度か後ろを振り返るとかなり後方にだが2人が等距離で付いてきている。試しに地下鉄の階段を下るとやはり彼らも距離を詰め、後ろからやってきた。

明らかな尾行であることが判明したが、いかんせん人目の多い場所だ。精神的に圧迫を加えるのが目的だろうが、それ以上に手出しは出来まいと考えたし、実際にそうだった。私は地下鉄のホームから再び地上に上がり次の目的地へ向かった。

だが彼らの攻撃はそれでは終わらなかった。イベント当日私達はゲストの移動や進行の把握に携帯電話での通話を予定していたのだが、電波が弱い地域でもないのに、いくらダイアルしてもどこにもかからない。私の携帯電話だけでなく、連絡を取り合うことになっていた全ての携帯電話(皆至近距離にいたのだが)が通話不能になっていた。

電話会社のシステムトラブルであろうかと、最初考えたが身内の関係者が複数のアンテナを車の後ろに立てた不思議な自家用車が周辺を行き来しているのを発見した。その不審な自家用車が遠ざかると携帯電話の発信が可能となる。また近づいてくると全く携帯電話は使い物にならない。いわゆる「妨害電波」を発信することによって彼らは我々の通信妨害を図っていたのだ。

と、ここまでは私の昔の経験である。読者の中にこれまで「盗聴」をした(されたではない)経験の持ち主はいるであろうか。仮にいても「あるよ!」と名乗り出られることはないであろう。

◆「盗聴」されていることは固定電話よりも携帯電話の方が分かりにくい

私も「盗聴」ではないが、法で定められた範囲で他人の電話会話を「傍受」した経験がある。

日本に電話会社が一つしかなかった時代、そこへ勤務していた時のことだ。当時は電話局と呼ばれていたその場所には「局内」と呼ばれる場所が主として地下に位置していた。電話回線を交換機に結ぶいわば電話機能の心臓部があり、「ジャンパー」と呼ばれる細い線が「収容位置」により各固定電話が認識され、交換機と接続され通話が可能となる仕組みであった。当時電話の交換機には旧型の機械的なものからコンピュータ化された最新型への入れ替えが盛んであり、古い交換機は中国などへ輸出されてもいた。

電話回線は自然災害や不慮の事故がない限り概ね安定的なものであったけれども、時にそれを確認するためにランダムな電話番号を短時間「チェック」(傍受)して安定性を確認する業務があった。勿論「通信の秘密」を厳守すべきことは先輩方から厳しく指導され、その上で業務にあたるわけだが、同時にその場所は新たな固定電話を設置した際に現場から回線が問題なく開通しているかなどの試験を行う場所でもあり、その確認作業も行うので、そこそこ賑やかな場所でもあった。

通話が安定的に保たれているかは交換台に座り所定の手続きを行えば、特定の電話番号を一時的に傍受が可能となり、それにより問題がなければ速やかに切断することになる。私がこの仕事に従事していたのは「盗聴法」が施行されるはるか昔のことだで、この業務は「盗聴」ではなくあくまでも通信回線の安定性を確認するためのものだった。

実は警察や捜査関係者あるいは「犯罪者」でなくとも、固定電話の「盗聴」は技術的にはたやすい。少し電気の知識と技術それに簡単な器具が準備できればさほどの困難なく「盗聴」は可能だ。実際私も前述の企画を進行中に関係者宅が一斉に「盗聴」されて困惑した経験がある。詳細は犯罪防止のために省くが特定の方法で「盗聴」をされると通話の音質が変わり、エコーのような反響が起こるので、予備知識のある人間には直ぐに判明する。だが、「局内」からの「傍受」の際にはそのような通話状態の変化は起こらない。

他方、今日は固定電話よりも携帯電話が主流となっている。携帯電話の「傍受」技術はとうの昔に確立されているだろうが、固定電話と異なり、携帯電話は電波により通話をしているため、話者が「盗聴」をされていても通話音質の変化などで「盗聴」に気が付くことはない。

通信傍受法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)」により理由づけが行われば誰の電話が「盗聴」されても、技術的にも法的にも不思議ではない時代になった。万が一程度の可能性だろうが注意をするに越したことはない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「チャイナスクール」出身外務官僚の不思議な価値観への違和感
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
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