格闘群雄伝〈39〉新妻聡 ── 肉体言語を貫いた野武士[前編]

堀田春樹

◆「先生と呼ばれるよりチャンピオンと呼ばれたい!」

元・WKBA世界スーパーライト級チャンピオン、新妻聡は1967年(昭和42年)3月27日、東京都三鷹市出身。沢村忠に似た風貌と言葉少なに肉体言語を貫き、日本ライト級王座に君臨。更に日本人初のWKBA世界王座奪取を達成。ファンの記憶に残る数々の名勝負は、かつての昭和の泥臭さが漂っていた。肉体言語を貫く拘りには、マイクアピール、パフォーマンスは一切やらない、戦いで語る信念があった。だが、言葉少ない中でもプライベートでは明るく、お茶目で人懐っこい人物である。

幼い頃はあまり勉強せず身体動かすのが好きだったという。小学校から中学3年生までは野球。高校から柔道を習い、日本体育大学へ進学。教員になることを勧められていたが、「先生と呼ばれるよりチャンピオンと呼ばれたい!」という希望からプロ格闘技の道を選んだ。

キックボクシングを選んだ理由は「メジャーとかマイナーとか関係無く、キックボクシングが一番強いだろう!」という強さへの憧れだった。

大学の柔道部の合宿所に泊っていた頃、合宿所のすぐ脇の通りを目黒駅行のバスが走っていた。そのバス一本で目黒駅まで行ける路線の、その手前の権之助坂で降りるだけ。目黒ジムを選んだのはそれだけの理由で、大学4年になる前の1988年3月、迷わず入門した。

◆痛いスタート

入門すると、柔道で鍛え上げられた基礎体力もあって半年後、同年9月に早くもプロデビュー戦を迎えた。

「柔道部合宿所で結構ボロクソに痛めつけられているから、どうってこと無いだろうと思っていたらプロの世界は厳しかった。バックドロップを試みたが、背中から落ちるだけでダメージを与えられるものではなく、柔道の内股かけて投げたらレフェリーに厳重注意され、その後ボコボコに殴られてKO負けでした!」という痛いプロデビューだった。

同年11月、第2戦目は当初、新人王トーナメント戦で、相手の欠場で代打出場となったが、デビュー戦で負けてるのに出場はカッコ悪く辞退するつもりが、ジムの先輩、日本バンタム級チャンピオンの鴇稔之さんが自身のV2防衛戦控えているのに、時間掛けていろいろ指導してくれていた中、その熱意に応える為にも出場に踏み切ったという。相手は3戦3勝だった。

「投げは反則だけど、2回投げたら減点取られるから1回だけやれ!」とトレーナーらの暗黙の了解があった。それを鵜?みにして内股掛けて投げたら相手は後頭部打って立てなくなってしまった。勝ったと思って「やった~!」とガッツポーズしたところが反則失格負けを宣せられ、これで2戦2敗である。

1989年に入ると団体側(隆盛を誇った時期もあったMA日本キックボクシング連盟)の運営崩壊で新春から興行が無くなった頃だった。新妻聡は名門目黒ジムが進む先に興行は必ずあると見込み、逆に徹底的に練習量を増やした頃だった。その成果で興行再開後の3戦目はKO勝ち。4戦目は判定勝利。5戦目は粘り強い相手に第3ラウンドに劣勢になって際どくも判定で逃げ切った試合だったが、これで5戦3勝2敗でようやく白星先行となったところでタイ遠征に向かうことになった。

飯塚健(治政館)戦、この試合に勝って1位に上昇した新妻聡(1990.12.15)

◆タイ遠征から躍進

当時の目黒ジムの野口和子代表には「タイでは試合しないように!」と忠告されていたが、向かったチューワタナジムは試合を控える強い選手が多く、皆トレーナーは忙しくて、新妻聡には誰もミットも持ってくれなければ首相撲の相手にもなってくれない。これではタイに来た意味が無いと考えた末に、「試合したいです!」とチューワタナジムのアンモー会長に直訴した。それはすんなり受け入れてくれたが、ここから選手やトレーナーの寄ってたかって思った以上の鬼のようなしごきが始まったという。

やがてアンモー会長から「ラジャダムナンスタジアムで試合が決まったぞ!」と言われた時は緊張が走った。当時はとてつもない強豪が集まる殿堂スタジアムという先入観があり、「日本で5戦3勝2敗の俺がラジャダムナンスタジアム出場なんて、アンモー会長はマイペンライナ(大丈夫、大丈夫!)としか言わないし、本当怖かったですよ!」と当時の心境だった。

でもラジャダムナンスタジアムと言っても日曜日の昼興行は新人戦で、それは後で知ったことだった。

初めてのタイ、初めてのラジャダムナンスタジアムでの試合。新人戦でも選手層の厚さからレベルは高いのは当然だった。けど全力で立ち向かえば為せば成ると、「第1ラウンド、左フック一発でKOしちゃった!」と語る。

帰国第一戦がタイ行く前に対戦した相手だったが、今度は5回戦だった。長丁場になると相手から見ればはスタミナ的に有利だったかもしれない。でもタイで勝って自信付いたのか、しごかれたことで実力アップしたのか、圧倒の第1ラウンドKO勝利。実力急上昇が実証された試合だった。

セコンド後ろ姿はトレーナー時代が長かった藤本勲氏、沢村忠時代から目黒の象徴であった(1991.5.24)
日本ランキング戦は負けることなく長く1位をキープ(1991.5.24)
タイの実力者、日本人キラー、パントーン・ソムチャイにも勝利した新妻聡(1992.5.23)

◆メインイベンターへの道

その後も上位ランカー飯塚健を下し、日本ライト級1位に上昇。当時のチャンピオンは同門の先輩、飛鳥信也で、この1位留まりは3年ほど続いた。同門対決は基本的には行なわれないが、トーナメント戦やタイトルマッチは例外とされる。しかし新妻聡は「尊敬する先輩と戦う気は無い!」という姿勢も見せていた。練習を共にし、多くの指導をしてくれた先輩との対戦を想定することは出来ない様子だった。

1994年7月16日には、世界挑戦に向けた飛鳥信也が返上した日本ライト級王座をハンマー松井(花澤)と争い、判定勝利で初の王座獲得となったが、それまでも日本人ランカー、階級を越えた対決や、伝説のスーパースター、サーマート・パヤックアルンやラジャダムナン系ライト級チャンピオン、ゲントーン・ギャットモンテープ(タイ)、オランダのノエル・バンデン・ファウベルら名声有る強豪と激闘も残すことが出来、マッチメイクに恵まれた時代でもあった。

日本ライト級王座決定戦でハンマー松井と対戦、激闘を制して初の王座獲得(1994.7.16)
目黒ジム色が強いスリーショット、当時のMA日本キック連盟代表の藤本勲、新妻聡、小島弘光レフェリー(1994.7.16)

次回、後編ではその戦いの軌跡を紹介します。(つづく)

《格闘群雄伝》バックナンバーリンク https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=88

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

6月22日(日)原口剛氏講演 ── 釜ヶ崎から考える「反万博論」にお集りを! 大阪・関西万博の何が問題かをとことん考えてみよう!!

尾﨑美代子

大阪・関西万博だが、開幕前に予想していた以上の問題が噴出している。中でも釜ヶ崎に関わる者として気になるのは下請け業者への工事費未払い問題だ。アンゴラパビリオンを請け負った5次下請けの業者には約4300万が支払われないままだ。その下はひとり親方の業者だ。すぐに支払いがないとメシも食えないぞ。アンゴラのほかにもネパール、マルタ館も未払いだそうだ。もとは業者が集まらない中、「どうにかして、助けて」と呼び掛けていたくせに、国も大阪府・市、そして万博協会もしらんぷりだ。余りに無責任ではないか! 

「今回の万博は酷いが70年万博は良かった」という人もいる。しかし、それは大間違い!万博や五輪などメガイベントはずっと労働者を犠牲にしてきたのだった。

2019年1月5日西成区民センターで開催した「日本一人情のある街、西成が無くなる!?」、私も進行をさせて頂いたシンポジウムのコーナーで、島和博さん(大阪市立大人権問題研究センター)がこう話していた。

「一番大事なのは、釜ヶ崎は行政によって作られてきたということです。証拠ははっきりあります。70年大阪万博の前に、大阪府の労働局が『労働者を送ってくれ』とお願いをだした。その結果として大量の若い労働者が西日本を中心に釜に集められた。釜ヶ崎は国家によってつくられた。そうして作られた労働者が『もういらない』といわれている。これは絶対おかしい。普通の企業なら大問題になり、闘争が起こります。センターの撤去に象徴されているのは端的にこれは首切りです。釜の場合、個々の労働契約は個々に結んではいませんがね。『必要だから釜ヶ崎に来てね』といわれ集められたのに、今度は『もう必要なくなったから野たれ死んでね』といわれている、それの象徴的なあらわれがセンターの撤去です。『お前らが来い言うて釜ヶ崎に働きに来たのだから、死ぬまで面倒みろよ』ということでしょう。最盛期には約3万人の日雇い労働者が働いていた。国が呼び寄せた。それをさんざん安くこきつかって、『もういらないからどっかに消えて』という。あるいはせいぜいよくて3畳一間の福祉マンションに囲い込んで飼い殺しにする。普通の労働現場では『新しい機械入れたから、あんたは首や』などとは絶対できないが、釜ヶ崎では言えている。そこのところをぜひ皆さんには理解してほしいなと思います。」

そして22日、お話をされる原口さんも、70年万博当時も大量の労働者が犠牲になったと話されている。70年万博の工事では、尻無川水門事故で11名が生き埋め死亡、会場造成工事で17人が死亡、開幕後も万博関連事業の一環である地下鉄天神橋筋六丁目の建設工事では、ガス爆発で79名死亡、420名重軽傷の犠牲を出すなど、多くの労働者が犠牲になっている。

今回も万博だけを見ていてはわからない。万博開幕と同時に工事が始まったIR・カジノ事業の建設工事など、その前後に関連事業がやまほど行われる。それもすべて私たちの税金、そして、そこでどんだけ労働者が犠牲になることかわからない。 
そう、「70年万博は良かったのに……」ではないのだ。

そして万博などメガイベント開催と共に強化される差別と排除、釜ヶ崎でも露骨に進んでいる。

「万博は社会的弱者を排除する装置として機能しているのだ」

「万博の何が問題なのか?」

開催されている今だからこそ、みんなでとことん考えてみよう!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

同志社大学・此春寮先輩の前田良典さんが著書『野の人』を出版

鹿砦社代表 松岡利康

私たちの尊敬する先輩の前田良典(1962年度生)さんが、おそらくその人生において最初で最後の著書『野の人』を出版されることになり、僭越ながら編集・制作・発行を任せていただくことになりました。目次と前田さんの抱負は別記をご参照ください。

前田良典さんと言っても、一般的には無名に近いですが、1960年代、60年安保と70年安保の、いわゆる<二つの安保闘争>の端境期の時代の同志社大学の学生運動を支えた方です。

四六判、240ページほどで、非売品ですが、ご希望の方には郵送料プラスカンパ程度で私のほうから送らせていただきますので、お知らせください。8月末から9月頃の完成予定です。

【追記】前田さんや私、それに、かの藤本敏夫さんがいた寮は此春寮(ししゅんりょう)と言って、定員20数名の小さな寮です。同志社大学今出川キャンパスの近く、相国寺の裏に今でも在ります。

寮母の砂野(いさの)文枝さんは母親の代から寮母を勤め、学徒出陣を見送ったことで極めて反戦意識の強い方で、デモの日に寮にいたら叱られたほどです。

画像は、寮母さんの退職を視野に入れて刊行された寮誌『プロテスト群像――此春寮三〇年史』(1977年刊、B5変形判、306ページ,上製,箱入り)です。砂野さんは本書刊行を見届け1979年3月に退職されました。(松岡利康)

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関係者OB・OGの方々へ近日発刊のお知らせ

エゾフクロウ

前田良典小論選集
『野の人』(同大此春寮30年史のその後) 
                    

今までに後輩から何度か要請されても、私は「大義いなぁ」とその気にならなかったのですが今回改めての此春寮後輩からの要請で本を発刊することになりました。今まで「紙つぶて」のように出して来た私のバラバラの文章をつながるように後輩たちが何とか直して編集してくれて出版の運びになりました。これまでの文章には70年以降身辺に起きることへの対処と同時に「69年」への無念と不遜ながら原因と責任を書いて来ました。出版に当たってはそれを追悼文に集約しました。ここで私の根拠・拠点はやはり同大此春寮・同大学友会であり京都地方「地域労組(反帝労組)」だと改めて噛み締めました。90年頃までのものは引っ越しで捨てたりパソコンを買い替えてなくなっていましたが、辛うじてフロッピーやCDやUSBメモリーを掘り返したりしたら時代評論や歴史を含めると350頁どころか1000頁を超える文章を書いていました。それを350頁くらいに選定しました。田所追悼は既に発刊済ですので、内容は①藤本(同大)・大森(市大)・堂山(同大)・バラ均(京大)追悼②同大ブント③此春寮④東北大震災⑤書評⑥歴史です。

本のタイトル「野の人」は序文からの採用で9月頃出版です。       
(非売品・出版費と送料へのカンパ自由・拒否も可)
(カンパ振込用の「野の人」刊行会の口座は以下の通り)  
(京都中央信用金庫百万遍支店(010)総合 1083146 前田良典 です) 

2025年6月11日 前田良典

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野の人 目次   

(序)野の人 「前田良典小論選集」作成にあたり                  
第一章 追悼集
① 藤本敏夫氏 個と共同 (2003年)
② 大森昌也氏 追悼(2016年)
③ 堂山道生氏 思い出ボロボロ (2021年)
④ 中島・望月・片山氏 同志社の先輩達(2024年)
⑤ 境毅氏 ばら均さん追悼(1)(2)(2024年)

第二章 同志社ブント記
① 同志社大学学生運動私記(1960年代の記憶)(2003年)
② 同志社ブント黎明期(2011年)
③ 1969年ブントに何があったのか(2019年)

第三章 同志社此春寮(砂野寮母と寮生)
① 砂野ママ葬送一周年(2011年)
② 同志社リベラル(2013年)
③ 深草墓参(2013年)
④ 此春寮OB会で思い出すこと(2014年)
⑤ 館山君への手紙1、2、3 

第四章 書評
① 吉本「マチウ書試論」について(2003年)
② 私達は前近代を活きている(デカルト・スピノザ)1、2(2019)
③ 斎藤幸平「人新世」について(2021年)
④ 上間陽子「海をあげる」書評(2021年)
⑤ 柄谷行人「力と交換様式について」(2023年)

第五章 時代論評
① 時代は回る (2010年)
② 3,11大地震・津波・原発被災(2011年)
③ 南相馬への旅(2012年)
④ 「反原連運動(しばき隊)はスピリチュアル運動か(2015)
⑤ 「慰安婦と非正規労働」問題(2016)
⑥ 原発・沖縄・天皇・障碍者(2016)
⑦ 年頭にあたって(2017)
⑧ 安倍総理が国難である(2017)
⑨ 2018年年頭の思い(2018)
⑩ 「2018年お金と政治の流れ」(2018)
⑪ 擬態国家の頓挫1,2(2022)ウ古代史のこと(2014)
⑫ 小林古代史は単なる夢物語か(2016
⑬ 長州政治は「闇討ち」と「神隠し」の連続である(2016)
⑭ 「明治六年の政変」=近代日本の骨格(2018)
⑮ 藤原さんへ1.2(2020)

編集後記に付して

新聞特殊指定に関する情報公開期限を延長、公取委が通知

黒薮哲哉

2025年4月21日付けで筆者が公正取引委員会へ申し立てた新聞特殊指定に関する情報公開請求に対して、同委員会は、5月27日付けで「開示決定等の期限の延長について(通知)」と題する文書を筆者宛てに送付した。延長の期間は、開示請求があった日から60日以内である。延長の理由は、「行政文書の精査及び開示の可否の検討に時間を要するため」としている。

通知文書の全文は次の通りである。

開示決定等の期限の延長について(通知)
http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2025/06/IMG_0001.pdf

◆公取委と新聞協会はなぜ、1999年の新聞特殊指定で「押し紙」政策を加勢する改定を行ったのか

メディア黒書で繰り返し報じてきたように、公正取引委員会は1999年7月に新聞特殊指定を改定した。その発端は、1977年に公取委が北國新聞に対して「押し紙」の排除勧告を行うと同時に、日本新聞協会に対しても、「押し紙」の事象が確認できる旨を申し入れたことである。

これを受けて公取委と新聞協会は、解決の方向性で協議を重ねた。しかし、その果実として改定された1999年の新聞特殊指定は、かえって新聞社の「押し紙」政策を加勢する内容になっていた。

そこで筆者は、両者がどのような話し合いを重ねたのかを検証するために、情報公開請求を行ったのだ。

この件については、次のYouTubeでも解説している。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年6月3日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

特区民泊が増え続ける西成区、大丈夫か?

尾﨑美代子

大阪市内に増え続ける特区民泊、なかでも西成区は突出して多い。ほかに中央区、浪速区も多く、それぞれ1000件を超えている。確かに、ここ数年、ちょっとした道路に面して建設される多くの建物が民泊だ。全体的に日本家屋っぽい造り、入口にのれん、猫の額ほどの庭に、これまた日本っぽい樹木が植えられている。

しかし、民泊の名前が微妙だ。明らかに日本人がつけた名前ではない。知らない感じも使われている。実際、6割が中国人経営だそうで、香港、台湾を含めると8割にも上るそうだ。中には移住する人も。

ひとつき程前、毎日通うスーパー近くの小路に大きめなキャリーバッグをゴロゴロ転がした白人系のインバウンド客が10人ほどで入っていくのを目撃。「おいおい、どこいくんだよ。行き止まりじゃないのか?戻って来いよ」とのんびり見てたのだが……。

先日、そのスーパーに行ったついでに小路に入ってみた。写真は出さないが、古い一般住宅の間に民泊、また民泊。空き地もあるが、ここにも民泊が出来るのだろうか?この小路を突き抜け、左に曲がると、民泊ブランド「住一」が手掛けた一棟建て民泊が10数件立ち「住一VILLA花園町」もある。

このように、民泊名に日本では使われない文字が入っているのも特徴だ

それにしても、近隣住民の皆様はなんとも思わないのか? いや、中国人、外国人が危ないというのではない。ただ、ゴミを放置、昼夜構わず、キャリーバッグごろごろ、入室方法がわからず、隣の家にピンポンで「どーやってはいるのですか?」と尋ねるとか、様々な苦情も報道されている。「民泊建設反対」の声をあげる地域もあるほどだ。さきごろ、大阪市が売り払った土地に、14階建て200室以上もの部屋を有する民泊が建設済みで、まもなく運営されようとしているとの報道が。この規模の民泊なら、実質ホテルといってもいいくらい。しかし、ホテルや旅館より縛りが緩いため、さまざまな問題が起こるのではと近隣住民からは反対の声もあがっている。

こうした背景について、安倍政権時の2015年に「経営管理ビザ」を規制緩和したことがきっかけではないかとのことだ。

※編集部:2015年4月1日施行の入管法により、それまで「投資・経営」ビザと呼ばれていたものが「経営・管理」ビザに変更された。この改正により、外国資本との結びつきに関する要件がなくなり、国内資本企業の経営・管理を行う外国人にも「経営・管理」ビザが付与されるようになった。
※[参考]外国人経営者の在留資格基準の明確化について(出入国在留管理庁)
 https://www.moj.go.jp/isa/applications/resources/nyukan_nyukan43.html

いずれにしても、今後、何らかの規制が必要なのではないか? いや、「もう、これだけ出来てるのだから、もうおせえよ」なのか。

しかし、この小路の住民は大変やなあ。誰も文句言わないのかな?と見てたら、小路入口の店舗が維新の会のメンバーのご実家だった。関係あるのか、ないかは定かではない。

◎[参考動画]テレビ大阪ニュース【急増する民泊と中国人】大阪を飲み込むチャイナマネー…500万円で日本に住める!?「経営管理ビザ」の実態とは?

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

恒例の市原ジム興行、今年のメインイベンターは勇成!

堀田春樹

一昨年のメインイベンターは睦雅。昨年は皆川裕哉。今年は、皆川裕哉からタイトル奪取した勇成が務めて圧倒のノックアウト勝利を飾った。
市原ジムの主力選手である菊地拓人はアグレッシブな攻防の末、判定負け。

◎Road to KING3 / 5月25日(日)市原臨海体育館16:00~19:10
主催:市原ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

戦績は主催者発表にこの日の結果を加えています。

◆第11試合 57.5kg契約 5回戦

ジャパンキック協会フェザー級チャンピオン.勇成(Formed/2005.8.17福岡県出身/ 57.4kg)11戦10勝(7KO)1敗
        vs
ヌアシラーS.R.K(タイ/23歳 57.25kg)89戦60勝27敗2分
勝者:勇成 / KO 2ラウンド 33秒
主審:椎名利一

ヌアシラーS.R.Kは元・タイ国True4Uバンタム級8位で、True4Uはテレビチャンネルの一つです。

先手を打つ勇成の左ミドルからハイキック。ヌアシラーは蹴り返しても勇成に圧され気味。組み合っても離れても勇成が先手を打つ前進が目立つ。ヌアシラーは不意を突くヒジ打ちや、組み合った際の崩し転ばしは上手を行くが、勇成もヒジ打ちは上手く、前蹴りから左ボディブローも入れて落ち着いて捌く。

左ボディブローも何度も強くヒットさせた勇成

第2ラウンドにも勇成が前進気味の中、接近戦でヒジ打ちの相打ちのような流れで勇成が左ヒジ打ちをヌアシラーのアゴに打ち込み、効いてしまったヌアシラーはゆっくり立ち上がるもカウントアウト。勇成が圧倒した展開でノックアウト勝利となった。

重なって見えないが、最後は左ヒジ打ちがヌアシラーのアゴにヒット
勇成のヒジ打ちヒット後、ヌアシラーは後方に崩れ落ちた

勇成は試合後、応援団に囲まれながら「1ラウンド目はちょっと固かったんですけど、2ラウンド目は少し修正出来て上手く倒せて良かったと思います!」という感想。

次戦については「次の試合は決まって無いですけど、怪我も無いのですぐやれるのでまた頑張ります!」と応えた。

◆第10試合 65.0kg契約3回戦

ペップンミー・ビクトリージム(タイ/24歳/ 64.75kg)66戦51勝(16KO)15敗
        vs
中尾満(エイワスポーツ/ 1984.1.18千葉県出身/64.7kg)62戦22勝(8KO)34敗6分
勝者:ペップンミー・ビクトリージム / KO 1ラウンド 2分8秒
主審:少白竜

ペップンミーは元・タイ国ムエサヤーム・イサーン地区フライ級2位。
中尾満は新日本キック協会での元・日本ライト級暫定チャンピオン。

両者ローキック中心の蹴りの牽制から、中尾満がいきなりボディーへ左ストレートを打ち込むと、ペップンミーはカウンターの右ミドルキックが交錯。中尾は大きくバランスを崩して吹っ飛ぶように後退。更に蹴りの攻防が続く中、中尾は更に左ストレートを打ち込みヒットを狙う。

中尾満の左ボディブローにペップンミーは右ミドルキックを合わせた

ペップンミーは読みが深く、まともには喰わない。そんな打ち合いの距離の中、ペップンミーの左ヒジ打ちが中尾のアゴにカウンターヒットすると、中尾は倒れ込み立ち上がれずカウントアウトされてしまった。

これも重なってしまったが、ペップンミーの左ヒジ打ちで中尾満は崩れ落ちた

試合前の煽り映像で、「百戦錬磨という意味で目標は100戦。ムエタイスタイルの中での、パンチで倒しに行くスタイル(ムエマッド)で戦っていきたいと思います。」と語っていたとおりのパンチを打ち込む踏込みは勢いがあったが、捌くペップンミーも上手かった。

◆第9試合 ライト級3回戦

ジャパンキック協会ライト級2位.菊地拓人(市原/千葉県市原市出身25歳/ 61.0kg)
9戦6勝(3KO)3敗
        vs
NJKFスーパーフェザー級6位.匠(=小林匠/キング/東京都出身23歳/ 60.9kg)
10戦7勝(2KO)2敗1分
勝者:匠 / 判定0-2
主審:勝本剛司      
副審:椎名29-29. 中山28-29. 少白竜29-30

先手を打った菊地拓人が、パンチで圧力掛けて匠をロープ際に追い込むが、匠は蹴りでジワジワ前進。菊地の出方に合わせて蹴りとパンチで巻き返す匠。更に組み合ってからの足払いで菊地を引っくり返すテクニックも見せた。

菊地拓人がアグレッシブに前進も、匠も応戦して巻き返した

第2ラウンドも菊地が攻めても匠は怯まず攻め返して来る圧力に攻め倦む菊地。

第3ラウンドに入っても流れは変わらずも、終盤は菊地がパンチラッシュを仕掛けるが、流れを変えるに至らず、匠は巧みに攻めた技で判定勝利。

菊地拓人の出方に合わせてヒザ蹴りもヒットさせた匠

勝利した匠は「最初は自分がコントロールして後半勝負の戦略も、相手が最初からガンガン来て呑まれちゃって、対抗するしかないなと何とかローキックとパンチで我武者羅に打っていただけなんですけど、練習で散々追い込まれて来たので、そのスタミナ成果が出せたかなと思います。最後は結構グダグダしちゃったんでもっと練習します!」と応えました。

試合前の煽り映像でも「噛み合うと思っているんで、ヌルイ試合しないでバチバチにやり合いましょう!」と言っていたとおりの好ファイトになった。いずれ再戦しても見応えある展開になるだろう。

◆第8試合 女子ミネルヴァ・ピン級3回戦(2分制)

アトム級1位.祥子JSK(治政館/1983.12.3埼玉県出身/45.3kg)31戦10勝19敗2分
         vs
ペーパー級4位.Uver∞miyU(T-KIX/静岡県出身25歳/45.25kg)17戦5勝11敗1分
勝者:祥子JSK / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:椎名30-28. 勝本30-28. 少白竜30-28

長身の祥子の蹴りの距離感が良く、タイミングよくミドルキックがヒットする。距離が近づくとパンチもヒットし、ウーバーミユの左目辺りが腫れだした。

第2ラウンド以降も祥子の主導権は変わらず距離感掴んで蹴り中心に攻め優って判定勝利。

蹴りの距離感掴んだ祥子JSKが右ミドルキックヒット、主導権を完全に掴んだ

◆第7試合 ミドル級3回戦

白井大也(市原/千葉県市原市出身22歳 72.35kg)5戦2勝(1KO)1敗2分
      vs
MOTOKI(レジェンドドラゴン/愛知県出身22歳/ 67.85kg)5戦3勝(1KO)2敗
勝者:MOTOKI / KO 2ラウンド 1分45秒
主審:少白竜

初回は互角に蹴り合う両者。第2ラウンドもアグレッシブに蹴り合い、組み合った際のMOTOKIのヒザ蹴り、もしくはミドルキックか、白井大地のボディーにヒット、後退りするように赤コーナーに向かって蹲るとそのままテンカウントされ、MOTOKIのノックアウト勝利となった。

MOTOKIが白井大地へのボディー攻め、ノックアウトへの感触を掴む

◆第6試合 バンタム級3回戦
 
花澤一成(市原/2004.4.9千葉県市原市出身/ 53.4kg)11戦2勝(2KO)6敗3分
      vs
木部晴太(尚武会/三重県出身21歳/ 53.2kg)1戦1敗
勝者:花澤一成 / KO 1ラウンド 2分35秒
主審:椎名利一

花澤一成は蹴りで距離感を保ち、ローキック、ミドルキック使い分けリズムを掴んだ試合運びが上手い。前蹴りで突き放し、飛びヒザ蹴りも高く二度繰り出し、三度目はやや低くも飛び上がり気味のヒザ蹴りで木部晴太のボディーにヒットさせノックダウンを奪うと、そのままテンカウントされ、花澤一成が久々のノックアウト勝利となった。

最後に仕留めた花澤一成のヒザ蹴り、木部晴太は後方に崩れ落ちた

◆第5試合 JKA女子アマチュア-45kg級王座決定戦2回戦(2分制/延長1分)

田中心結(市原/千葉県出身12歳)vs 髙澤希愛(BANG BANG/千葉県出身14歳)
勝者:田中心結 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

上下の蹴りとヒザ蹴り、組み合っても圧力掛けて優った田中心結がフルマークの判定勝利。アマチュアでも両者は幼い頃から始めた体幹でスピーディーにバランス良く蹴って攻め切った。

◆第4試合 58.0kg契約3回戦

海士(ビクトリー/山形県出身36歳/ 57.9kg)4戦3勝1敗
      vs
石井隆浩(尚武会/東京都出身28歳/ 57.0kg)4戦4敗
勝者:海士 / 判定3-0(30-26. 30-26. 30-26)

◆第3試合 65.0kg契約3回戦

アキト・オー・チャロンチャイ(TEAM KUNTAPアキトムエタイ/千葉県出身29歳/ 64.7kg)3戦3勝
      vs
中山裕登(JKI花澤/千葉県出身21歳/ 64.2kg)3戦1勝2敗
勝者:アキト・オー・チャロンチャイ / 判定2-1 (29-28. 29-28. 29-30)

◆第2試合 ウェルター級3回戦

三澤悠多郎(市原/千葉県出身34歳/ 65.35kg)1戦1分
        vs
ユウキ・オー・チャロンチャイ(TEAM KUNTAP/千葉県出身24歳/ 65.7kg)
5戦1勝3敗1分
引分け 1-0 (29-29. 29-29. 29-28)

◆第1試合 ライト級3回戦

西山天晴(治政館/千葉県出身18歳/ 61.1kg)1戦1敗
      vs
前田歩(YSS/千葉県出身26歳/ 61.35→61.28→61.05kg)2戦1勝1敗
勝者:前田歩 / 判定0-3 (28-29. 28-30. 28-30) 

《取材戦記》

蘇我英樹以来、メインイベンターを任せられる選手が不在の市原ジム。菊地拓人は昨年のジャパンキックボクシング協会新人賞受賞選手だが、この日は圧勝で存在感を示したかっただろう。

花澤一成は2021年7月25日の、JKイノベーション千葉キック興行でのデビュー戦をKO勝利して以来の勝利を今回もKO勝利となった。連敗し大きく遠回りした年月だったが、ここから浮上出来るか、打たれ脆さの懸念はあるが回復力は早く、市原ジム伝統の名選手への期待が掛かります。菊地拓人と花澤一成、早くメインイベンターに成長せねばならない。

タイ選手の肩書は二大殿堂と言われるラジャダムナンスタジアムやルンピニースタジアムの他、台頭して来たスタジアムやテレビチャンネル等があります。

ペップンミーの「元・タイ国ムエサヤーム・イサーン地区フライ級2位」の“ムエサヤーム”も以前掲載した記憶があり、何らかの組織名でしたが、ちょっと曖昧でまた調べておきます。

有名タイトルに限ると、無名のノーランカーが多くなるので、肩書は主催者発表どおり、一つの目安として書き入れますが、しっかり調べないとその価値が高かったり、無いに等しいものだったりする場合があります。そんな拘りも時間があれば(暇だったら)今後も調べていきたいと思います。

市原臨海体育館はJR内房線五井駅から直線で3km程ある市原臨海競技場内にあります。五井駅からタクシーで大凡1400円。歩くとスピードにもよるが30分少々。都心から行くだけでも大変な道程です。昔は市原でも君津でも木更津でも東金でもキックボクシング興行は沢山行なわれたものでした。現在は関西や東北、九州で行なわれる興行が増えましたが、東京西部埼玉辺りから見れば千葉県内という地理的距離は行こうかやめようか微妙な位置にありますが、毎年導かれるように行っています。といった本日の脱線話でした。

次回のジャパンキックボクシング協会イベントは、7月13日(日)に後楽園ホールに於いてKICK Insist.23が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

『紙の爆弾』7月号に寄せて

中川志大(『紙の爆弾』編集長)

40年前の1985年8月12日に起きた「日本航空123便墜落」の再検証を求める世論が、ここ数年、あらためて高まっています。一方で4月10日、真相究明をリードしてきた元日航国際線客室乗務員の青山透子氏の著作に対し、自民党の佐藤正久参院議員が外交防衛委員会の質疑で「フェイク情報」であり「全国学校図書館協議会の推薦図書に選ばれているのはおかしい」などと発言。即座に青山氏と遺族の吉備素子さんが言論弾圧であるとして抗議声明を発表しています。そこで、今月号で青山氏にインタビューしました。現在の世論の盛り上がりのきっかけとなった故・森永卓郎氏は、墜落を自衛隊反対論に繋げないため日本政府が米ボーイング社に泥をかぶってもらい、引き換えに同85年のプラザ合意、翌年の日米半導体協定など、米国言いなりの政策を日本政府は呑まされ、戦後好調だった日本経済を低迷に向かわせたと指摘。その森永氏が称賛したのが青山氏の著作群で、彼女からは膨大な資料に向き合い事実を積み重ねる姿勢を感じました。

7月号では「川崎ストーカー」「立川小学校侵入」など、最近に起きた事件をいくつか扱いました。川崎では警察とマスコミの動きに焦点を当てた一方、立川では、この騒動を利用した「モンスターペアレント」のレッテル貼りを懸念しています。さらに、近年やたらと強調される「カスタマーハラスメント」(従順な消費者)と監視・管理社会の関係は、ジャーナリストの高橋清隆氏が指摘してきたところでもあります。教育現場に限らず、正当な要求が「モンペ」「カスハラ」扱いされて封殺される。すでに杞憂ではないかもしれません。

物価高騰、特に米の暴騰が、生活を直撃しています。ただし米については、小泉進次郎新農相が就任早々に備蓄米について「5キロ2000円」を打ち出しました。「古古米、古古古米で2000円は当たり前」また「できるのならもっと早くやれ」という声が聞かれるものの、実現すれば「レジ袋」で落とした評価が逆転、小泉首相の目も出てくるのでは。そもそも、小泉氏が次期首相アンケートにリストアップされ続けること自体が疑問でしたが、何らかの“筋書き”が見えてきそうです。さらに、米価以外の政策課題や不祥事が吹き飛んだ現状にも、違和感を禁じえません。

この「令和の米騒動」において、「家畜の餌」発言でさらに評判を落としたのが国民民主党・玉木雄一郎代表。本誌レポートのとおり、山尾志桜里・足立康史の両元衆院議員や、脱原発派・新型コロナワクチン懐疑派から変節した須藤元気・前参院議員ら、参院選比例区の候補者選定で国民民主党支持者からも反発の声がやみません。問題の「確認書」を読むかぎり、むしろ憲法破壊と原発推進こそ国民民主党の第一の目的なのではないかと思われます。

ほか7月号では、作家・広瀬隆氏によるディープ・ステート(DS)解説、大規模再エネ発電と電気自動車製造が農業に与える被害、2025年7月5日「大災害」説の真相など、今月も独自目線のレポートをお届けします。『紙の爆弾』は、全国書店で発売中です。未見の方も、ぜひご一読ください。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年7月号

『紙の爆弾』2025年 7月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年6月7日発売

青山透子氏インタビュー「日航123便墜落」真相究明に政治の言論封殺
トランプ大統領への“お土産探し”石破茂首相 東南アジア訪問の裏目的 浜田和幸
飛松五男解説 川崎ストーカー事件は警察の犯罪である
“原発ゼロ”から変節の石破政権を延命「原発推進党」という国民民主党の正体 横田一
両国ジャーナリストが語る インド・パキスタン対立激化が日本にもたらす大影響 片岡亮
「暴騰歓迎」JAと自民農林族発言の符合 米価異常高騰の謎を読み解く 青山みつお
「ひめゆりの塔」西田昌司発言に表れた自民党の本質 足立昌勝
大規模再エネ発電と電気自動車が農業を滅ぼす 平宮康広
下田条約締結170年・訪露報告 ロシアは「停戦」ではなく「終戦」を求めている 木村三浩
ゼロからわかるディープ・ステートとは何か? 広瀬隆
7月5日 令和「大津波」の真相 エドワード・ホラー
フジテレビ幹部が戦々恐々 中居正広“反論”が明かす事実 本誌芸能取材班
NHK100年の呪い「英語会話」という名の奴隷教育放送(後編) 佐藤雅彦
モンスターは保護者だけか?「モンスター校長・教委職員」の実態 永野厚男
原発をなくすための石炭火力発電推進論 平宮康広

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FBLW18LD/

しばき隊の活動家が森奈津子氏と鹿砦社を訴えた裁判、実名報道の是非が争点、東京地裁立川支部で結審

黒薮哲哉

しばき隊の活動家・A氏が、作家の森奈津子氏と鹿砦社に対して、プライバシーを侵害されたとして、110万円を請求した裁判が、6月2日、東京地裁立川支部で結審した。判決は、7月14日に言い渡される。

提訴の背景は、森氏とA氏の間で行われていたツイッターでの交戦である。しばき隊についての論争の中で、森氏が、A氏が過去に起こした暴力事件の事実を立証する略式命令書をツイッター上で公表したことである。そこには、「被告人を罰金40万円に処する」などと記されている。改めて言うまでもなく、この罰金はA氏が起こした暴力事件の代償である。

略式命令の入手元は、鹿砦社である。鹿砦社は、A氏とその「仲間」が、起こしたある集団暴力事件を断続的に取材してきた唯一の出版社である。これまでしばき隊関連の本を6冊出版している。その中には、森氏が投稿したルポも含まれている。こうした背景があったので、森氏とA氏によるツイッター上の交戦に鹿砦社も注視していたのである。

ちなみに前科に関する事実は、公表が認められる場合と認められない場合がある。認められる場合は、実名を使用する意義と必要性がある場合である。それが認められないケースでは、プライバシー侵害が認定される法理となっている。

◆2024年12月深夜、大阪市北新地で

A氏らしばき隊のメンバー数人が関与した事件は、2014年12月の深夜、大阪市の北新地で起きた。メンバーの中には、当時、カウンター運動の旗手としてマスコミが賞賛していた李信恵氏も含まれていた。暴力事件の背景には、組織内の金銭をめぐるもめごとがあったようだ。

ワインバー(酒場)に入ったA氏らは電話で、当時、大学院の博士課程に在籍していたM君を呼び出した。M君が店に入ると、興奮した李信恵氏がM君の胸倉を掴み威嚇した。一旦は、仲間が割って入ったが、その後、A氏がM君を店外へ連れ出し、およそ40分にわたって殴る蹴るを暴行を加え、瀕死の重傷を負わせたのである。

リンチ直後の被害者М君

これら一連の経緯については、大阪高裁は、判決の中で次のような事実認定を行っている。

「被控訴人(注:李氏)は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、AとMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMがAからの暴行を受けて相当程度負傷していることを確認した後、「殺されるなら入ったらいいんちゃう。」と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。

 この間、BやCはAに対し暴力を振るわないよう求める発言をしているが、被控訴人が暴力を否定するような発言をしたことは一度もなく、被控訴人は遅くともMが本件店舗内に戻った時点では、MがAから暴行を受けた事実を認識していながら、殺されなければよいという態度を示しただけで、本件店舗外に出てAの暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲食を続けていた。このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人がAによる暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる。(略)(控訴審判決、7P)」

この事件について、森氏と鹿砦社を訴えたA氏の代理人・神原元弁護士は「街角の小さな喧嘩にすぎない」と訴状に記しているが、事実とは著しく異なる。そのことは事件後のM君の顔写真で確認できる。また、M君が録音していた暴行の際の罵声(CD有)からも凄まじい暴力の実態が推測できる。

第一、「街角の小さな喧嘩」であれば、簡易裁判所が40万円の罰金を課すはずがない。また、M君がA氏らに対して起こした民事裁判でも、約110万円の支払命令が下されている。

確かにこの事件をマスコミが報じることはなかったが、それをもって、「街角の小さな喧嘩にすぎない」とは言えない。報道されなかった背景には、カウンター運動に参加している著名人や記者クラブによる組織的な隠蔽工作があったのである。『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の著者で、弁護士の師岡康子弁護士も隠蔽工作に関与した一人である。知人に充てて、事件の隠蔽を依頼するメールを送付している。

筆者の推測になるが、隠蔽工作の背景に国会で、ヘイトスピーチ解消法が成立直前になっていた事情があった。A氏が主導した暴行事件は、どうしてももみ消す必用があったのだ。そこで事件を「無かったこと」にしたのである。

◆しばき隊が関与した暴力事件で、M君は人生の軌道を狂わされた

さて、A氏の暴行を受けたM君は、その後、どのような軌跡をたどったのだろうか。ノンフィクション作家で精神科医の野田正影氏が行った精神鑑定書は、「外傷事件から6年が過ぎているが、被害者は典型的な『精神的外傷後ストレス障害』(PTSD=Post Traumatic Stress Disorder)の精神障害に苦しんでいる」。「本件例は、WHOの診断ガイドラインに基づいても、アメリカ精神医学会の『精神疾患の分類と診断の手引き』(DSM-5)に基づいても、疑う余地のない『精神的外傷ストレス障害』である」と結論付けている。

実際、M君は事件後、PTSDに悩まされて、博士論文を執筆できなくなった。事件の残像に苦しめられたのである。そのために内定していた大学での研究職も断念せざるを得なくなった。しばき隊が関与した暴力事件で、人生の軌道を狂わされたのである。その最大の責任が主犯のA氏にあることは論を待たない。

7月14日に言い渡しが予定されている判決で、東京地裁立川支部がどのような判断を示すかは不明だが、ジャーナリズムの記録性を重視するという観点からすれば、A氏の実名報道は何ら問題がない。過去に連合赤軍の永田洋子らが起こした集団リンチ事件で主犯格の実名が公表されているわけだから、この事件も例外ではない。M君も、ひとつ間違えば命を落としていた可能性もあるのだ。

◆神原弁護士は、M君の現在を想像したことはあるのか?

なお、この裁判の原告代理人は、神原元弁護士である。神原弁護士は、自由法曹団の常任幹事を務めている。自由法曹団といえば、健全な社会進歩に貢献する人権派弁護士の集まりのような印象があり、事実、素晴らしい仕事をしてきた弁護士も少なくない。

しかし、北新地でのしばき隊による事件のように、自由法曹団の常任幹事が、重大な集団暴力事件を起こした組織を全面的に擁護する姿勢には疑問を感じざるを得ない。どこか歯車が狂い始めているのではないか?「街角の小さな喧嘩にすぎない」と訴状に記すこと自体がM君に対する侮辱である。犯罪者にも人権はあるが、客観的な事実だけは曲げてはいけない。一体、神原弁護士は、M君の現在を想像したことはあるのだろうか?

判決後はしゃぐ加害者ら。右端が神原弁護士

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《関連過去記事カテゴリー》  

M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/

鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」にお集りを!

尾﨑美代子

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」にお集りを! 私も発起人になっています。

私と鹿砦社の関係をお話します。鹿砦社の松岡氏は以前から知っておりましたが、2005年松岡氏が不当逮捕された時期にはほとんどつきあいはありませんでした。なので一番大変な時期に救援も支援も出来てませんでした。

ふたたび、知ることになったのは、3・11以降でしょうか。月刊『紙の爆弾』も読ませていただきました。そんなおり、鹿砦社から反原発季刊誌『NO NUKES voice』(2014年8月創刊。現在の『季節』)が発刊されました。3・11以降、釜ヶ崎の仲間と反原発、反被ばく問題に取り組んでいた私は気になって購入しました。

ところが、内容は、いわゆるミサオ・レッドウルフ氏率いる「首都圏反原発連合」(以下、反原連)関係の記事が大半でした。松岡氏は反原連に結構な額のカンパを送っていました。のちに聞いたところ、反原連に送ったカンパは、鹿砦社が信頼し、懇意にしている「たんぽぽ舎」にも流れていると勘違いしていたそうです。

記事の中でも極めつけはミサオ氏へのロングインタビュー、ロングとあるだけにかなりの紙幅でした。ミサオ氏はそこで、「被ばく」のひの字を一回も使わずに反原発を淡々と論じてました。ある意味、すごい「芸当」だと感心したものです。3・11以降は小泉純一郎だって反原発です。では、私たちはなぜ原発に反対するか? それは、被災者に住民に労働者に無用な被ばくを強い続けるからではないですか?

その後、ある事件をきっかけに反原連と鹿砦社は袂を分かつことになり、以降、鹿砦社の反原発誌は、反原発と同時に反被ばくを強く打ち出すようになりました。反原連と袂を分かつきっかけとなったのが、また衝撃的でした。その後、松岡氏、鹿砦社で、大々的に支援を始めることになった、カウンター内でのM君リンチ事件でした(筆者注・2013年東京新大久保、大阪鶴橋などで、在特会などによる、「朝鮮人殺せ」などとヘイトスピーチ[憎悪表現]を煽るデモが増えた。これに対してカウンター[対抗]行動を行う人たちがでてきた)。

じつは、偶然ですが、2013年鶴橋で行われたネトウヨらの差別的なデモ行進には、私もカウンターの一員として参加していました。M君はカウンターに最初から参加していました。私はその後、あることがきっかけで参加を止めてました。いわゆる鹿砦社のM君リンチ事件本に、私のそのいきさつを寄稿しています。関心のある方はぜひお読みください。

詳細は省きますが、その後、M君へのリンチ事件が発覚します。松岡氏らはM君への支援を始めます。その経緯もリンチ本でご確認ください。

私は特に、反差別、反権力を訴える方々が、リンチした側に付いたことに非常に驚き、M君裁判を傍聴するなどして支援してきました。

長々書きましたが、私は反原発や野宿者問題、そして冤罪事件などに関わっていますが、その中で、とりわけミサオ氏らの被ばくを矮小化、あるいは被ばくに反対する人たちを攻撃するような反原連の反原発運動に反対であることと、その反原連運動の延長線上にあるかと思いますが、次のターゲットであるカウンター行動に移ってきては、反差別、反権力を訴えながら、仲間・同志にリンチを加えた人たちを擁護することに絶対納得できず、鹿砦社に賛同してきました。松岡氏とは意見の違う点もあります。しかし、松岡氏と鹿砦社の「間違いがあったら、いつでも指摘してください」との対応が本当に素晴らしいと考えております。私もまた、死ぬまで間違いを指摘して欲しいと思っているからです。松岡氏とは意見の違う点もあります。しかし、松岡氏と鹿砦社の「間違いがあったら、いつでも指摘してください」との対応が本当に素晴らしいと考えております。私もまた、死ぬまで間違いを指摘して欲しいと思っているからです。

今回の集いは、『紙の爆弾』20周年、『季節』10周年の記念の集いです。私は『紙の爆弾』の「日本の冤罪」シリーズに執筆させて頂いたり、『季節』は編集委員で関わらせて頂いております。この2冊は、このような時代だからこそ、絶対続けていかなくてはと考えております。

どうぞ、皆さま、お集りください。また支援をお願いいたします。

参加できる方は尾崎までご連絡ください。
宜しくお願いいたします。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年6月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「広島県は産廃フリーパス」それを象徴する三原本郷産廃処分場の惨状

さとうしゅういち

広島県三原市と竹原市の水源地のど真ん中に広島県(湯崎英彦知事)が2020年設置を許可し、2022年秋から稼働が始まってしまった三原本郷産廃処分場(安定型処分場、事業者=JAB協同組合)。

2023年7月に広島地裁は、広島県に対して産廃処分場の設置許可取り消しを命じる判決を出しました。しかし、湯崎英彦知事は控訴。そして、24年1月に始まった控訴審では湯崎県政は業者のJAB協同組合を県側で補助参加させています。本来、県民のために業者を規制すべき立場の県が、業者と一体化して県民と敵対しています。

そうこうするうちにも、汚染水が何度も出て、そのたびに県は「指導」「警告」の行政指導を出して処分場へのゴミの搬入を止めるのですが、しばらくすると「安全が確認できた」として、再開を許してしまう。その繰り返しです。

直近では2024年11月に行政指導が行われ、ごみの搬入は停止されました。しかし、25年4月25日、県は安全が確認されたとして、汚染水の原因も解明されないまま、稼働再開を認めてしまいました。そして5月19日からゴミの搬入が確認されています。

また、福島原発事故で放射能汚染が懸念されている12の都県からのゴミが、広島県内ではこの三原本郷産廃処分場と、黒瀬産廃処分場(東広島市)に入っていることが、原告住民側の情報公開請求で明らかになっています。

こうした中、5月28日、広島瀬戸内新聞取材班は三原本郷産廃処分場許可取り消しを求める住民裁判の原告団の方のご案内で現地を取材しました。

筆者が24年7月に伺った時には、凄まじい汚染水が産廃処分場下流の日名内川を流れており、筆者が採水して舐めたところ、しょっぱい味がしました。原告団の方によると、当時の川底付近の土壌からカリウムやカルシウムなどもかなり入っていたそうです。おそらく、このあたりの物質が他の塩素系の物質と化学反応して塩分を形成していたのでしょう。

5か月間、産廃の搬入を停止したために、そうした状況は改善されている、とのことです。ただ、汚染水の原因がわからないまま、また搬入を再開しているのです。

◆展開検査もせずにバンバン捨てられる恥ずかしい実態

実際、再開された搬入の様子を見て、「だめだこりゃ」と筆者らは早速思わされました。

遠目にも法律で義務つけられている展開検査をせずにトラックからゴミをバンバン捨てている様子が見られました。

廃掃法違反です。しかし広島県には展開検査のマニュアルさえないのです。お隣の山口県も岡山県もきちんとマニュアルを整備し、山口県は抜き打ち検査を県がしているのです。

マスコミがドローンなどで、展開検査なしで捨てている様子を「現行犯」でキャッチして撮影していますが、それでも県は動こうともしないのです。

「広島県は産廃フリーパス」これが広島県の産廃行政の方針なのです。

◆水質検査もお手盛り

日名内川ではとくに24年夏にはすさまじい汚染水が流出。複数のコメ農家が作付けを断念しています。にもかかわらず、産廃処分場内の汚染水を集約して日名内川に放流する調整池の水質は検査しないそうです。

県は場内の4カ所の「井戸」(下の写真左の鉄板の下)の数値だけを定期的に測るのみです。しかも検査は予告ありです。

基準値を上回らないよう中を掃除するように指導がある始末。検査の意味がまったくありません。

こんな産廃に甘い広島を目指して全国から産廃が広島に押し寄せています。特に、福島原発事故の放射能汚染が懸念される12都県から三原本郷と黒瀬に産廃が行っていることが住民側の情報公開請求で明らかになりました。

◆三原停止の間は上安に?! やっぱり舐められている広島

また、同じJAB協同組合がかつて所有して外資系の「エクイス」に売却したものの実務を行っている安佐南区の上安産廃処分場には、このところ、凄まじい量の産廃が殺到。覆土すら行わないいい加減な捨て方で、周辺の道にビニールゴミが飛んでくるなどの惨状が、マスコミなどでも報道されています。

広島市は政令指定都市ですので、上安産廃処分場は広島市の管轄です。この上安産廃処分場についても、県も市も対応をやる気はあまりありません。三原本郷産廃処分場計画が持ち上がった時に、三原の人たちがJAB協同組合とはなんぞや?ということを勉強するために上安を視察し、汚染水に気づいて広島市に通報する始末だったのです。

また、保安林が地番を変更するというセコイ手法で解除され、その上に不適切な盛り土がされ、その上に産廃処分場が拡張されているという危険な状況です。これについては、県が、周りを囲むなどの対応をしていますが、産廃本体については市に丸投げ。そして、その市も、文書で東京のエクイスジャパンに指導するだけです。

そのエクイスジャパンは、一応、上安産廃について対応は始めていますが、6月中旬までかかるとのこと。そんなぬるいことでは、被害が拡大する一方です。三原の原告団の方は「24年11月から半年の間は、三原に搬入できなかった産廃を上安に回していたのではないか?」と推測しています。

◆竹原側にも拡張、残土を宅地開発名目で三原側に捨てる

また、現在は竹原側でも処分場の拡張工事が進んでいます。面積で言えば三原が3割、竹原が7割。本丸は竹原とも言えます。その竹原側で削った土砂を、三原側に運んで、「宅地開発」と称して、盛り土を行っている場所もあります。筆者らが取材している間にも、残土を運ぶトラックがバンバン通過していました。

失礼ながら、こんな場所にわざわざ宅地を買う人はいません。残土捨て場にするために、宅地開発と称しているだけなのです。もはや、やりたい放題です。

◆産廃無策・県民に敵対 湯崎英彦知事は御勇退を!

やはり、広島県知事・湯崎英彦先輩には御勇退いただくしかありません。2025年11月の広島県知事選挙で湯崎英彦知事の首を取り、湯崎知事から広島の水と食べ物を守る庶民革命を断行しなければ広島はゴミの山になってしまいます。
                                     また、国においても、廃棄物処理法を改正して、都道府県で産廃行政に差が出ないよう、きちんと規制を強化すべきです。現地の方は「立憲の宮口治子議員(25年1月離党)、三上えり議員にも現地に来てもらうようお願いしたが反応が鈍い。」「立憲系の県議にも連絡しているが反応が鈍い」とのことです。

目前に迫った参院選。広島県選挙区では自民・立憲の二大政党=湯崎知事の与党が2議席を独占してきました。この湯崎与党に厳しい審判を下せるかどうか?これも問われます。

◆失笑しかない立て看板

さて、三原本郷産廃処分場付近の立て看板には失笑しかありません。

広島県の湯崎英彦知事が許可した産廃処分場ならバンバン捨てていいのですよね?

その結果コメ作りができない農家続出なのですが? 将来的には下流や瀬戸内海にも悪影響が出るのですけど?そんな結果になっても何のおとがめもない。これが広島県なのです。

さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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