読売新聞『押し紙』裁判〈3〉「押し紙」の定義をめぐる公正取引委員会と新聞協会の密約疑惑 黒薮哲哉

大阪地裁が4月20日に下した読売「押し紙」裁判の判決を解説する連載の3回目である。既報したように池上尚子裁判長は、読売による独禁法違反(「押し紙」行為)は認定したが、損害賠償請求については棄却した。

新聞拡販で使用される景品

読売が独禁法に抵触する行為に及んでいても、原告の元店主に対しては1円の損害賠償も必要ないと判断したのである。

連載3回目の今回は、「押し紙」の定義をめぐる争点を紹介しておこう。結論を先に言えば、この論争には2つの問題を孕んでいる。

①池上裁判長の「押し紙」の定義解釈が根本的に間違っている可能性である。

②かりに解釈が間違っていないとすれば、公正取引委員会と新聞業界の「密約」が交わされている可能性である。

◆新聞特殊指定の下での「押し紙」定義

一般的に「押し紙」とは、新聞社が販売店に買い取りを強制した新聞を意味する。たとえば新聞購読者が3000人しかいないのにもかかわらず、新聞4000部を搬入して、その卸代金を徴収すれば、差異の1000部が「押し紙」になる。(厳密に言えば、予備紙2%は認められている。)

しかし、販売店が、新聞社から押し売りを受けた証拠を提示できなければ、裁判所はこの1000部を「押し紙」とは認定しない。このような法理を逆手に取って、読売の代理人・喜田村洋一自由人権協会代表理事らは、これまで読売が「押し紙」をしたことは1度たりともないと主張してきた。

喜田村洋一自由人権協会代表理事(出典:自由人権協会HP)

これに対して原告側は、新聞の実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義し、それを超えた部数は理由のいかんを問わず「押し紙」であると主張してきた。たとえば、新聞の発注書の「注文部数」欄に4000部と明記されていても、実配部数が3000部であれば、これに2%を加えた部数が新聞特殊指定の下で、特殊な意味を持たせた「注文部数」の定義であり、それを超過した部数は「押し紙」であると主張してきた。

この主張の根拠になっているのは、1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目である。そこには新聞の商取引における「注文部数」の定義が次のように明記されている。

「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。

当時、予備紙は搬入部数の2%に設定されていた。従って新聞特殊指定の下では、実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義して、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」とする解釈が成り立っていた。発注書に記入された注文部数を単純に解釈していたのでは、販売店が新聞社から指示された部数を記入するように強制された場合、「押し紙」の存在が水面下に隠れてしまうからだ。従って特殊な「押し紙」の定義を要したのだ。公正取引委員会は、「注文部数」の定義を特殊なものにすることで、「押し紙」を取り締まろうとしたのである。

1999年になって、公正取引委員会は新聞特殊指定を改訂した。改訂後の条文は、次のようになっている。読者は従来の「注文部数」という言葉が、「注文した部数」に変更されている点に着目してほしい。

3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。

二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

◆「押し紙」の定義の変更

 池上裁判長は、「押し紙」の定義について、改訂前の定義であれば、販売店側の主張する通りだと判断したが、改訂後の条文で、「注文部数」が「注文した部数」に変更されているので、「押し紙」の定義も従来通りではないと判断した。つまり
販売店が新聞の発注書に記入した外形的な数字が「注文部数」に該当するとする認定したのである。それを理由に、残紙の存在は認定していながら、それが「押し紙」に該当するとは認定しなかった。言葉を替えると、公正取引委員会が1964年に「押し紙」を取り締まるために定めた特殊指定の運用細目における「押し紙」の定義を無効としたのである。

※ただし連載(2)で述べたように、原告の元店主が販売店を開業した2012年4月については、「押し紙」の存在を認定した。

その主要な理由は「注文部数」と「注文した部数」では、意味が異なるからとしている。はたして実質的に「注文部数」と「注文した部数」に意味の違いがあるのだろうか。社会通念からすれば、これは言葉の綾の問題であってが、意味は同じである。

それに1999年の新聞特殊指定の改訂時に公正取引委員会は、新しい運用細目を設けていない。従って、運用細目に関しては変更されていないと見なすのが自然である。ところが池上裁判長は、1964年の運用細目は無効になっているとして、販売店が注文書に書き込んだ部数が注文部数にあたると認定したのである。

改めて言うまでもなく、新聞特殊指定の目的は、特殊な条項を設けることで、新聞の商取引を正常にすることである。独禁法の精神からしても、「押し紙」を放置するための法的根拠ではないはずだ。

販売店の店舗に積み上げられた「押し紙」

◆公取委と新聞協会の「密約」の疑惑

仮に池上裁判長の判断が正しいとすれば、1999年の新聞特殊指定改訂の際に、公正取引委員会は、新聞社がより「押し紙」をしやすいように特殊指定を改訂して便宜を図ったことになる。実際、その可能性も否定できない。と、言うのもその後、急激に「押し紙」が増えたからだ。今や搬入部数の50%が「押し紙」と言った実態も特に珍しくはない。

公正取引委員会が新聞特殊指定を改訂した1999年とはどのような時期だったのだろうか。当時にさかのぼってみよう。まず、前年の1998年に公正取引委員会は、北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を出した。その際に新聞協会に対しても、北國新聞だけではなく、多くの新聞社で「押し紙」政策が敷かれていることに注意を喚起している。

これを受けて新聞協会と公正取引委員会は、話し合いを持つようになった。わたしは、両者の間で何が話し合われたのかを知りたいと思い、議事録の情報公開を求めた。ところが開示された書面は、「押し紙」に関する部分がほとんど黒塗になっていた。「押し紙」に関して、外部へは公開できない内容の取り決めが行われた可能性が高い。

1999年の公正取引委員会が改訂した新聞特殊指定は、新聞社が「押し紙」政策を活発化させる上で、法的な支えになっていることも否定できない。池上裁判長が示した新しい新聞特殊指定の下における「押し紙」の定義が正しいとすれば、両者は話し合いにより「押し紙」の定義を1964年以前のものに戻すことにより、新聞社が自由に「押し紙」を出来る体制を構築したことになる。

しかし、それでは特殊指定の意味がない。特殊指定が存在する以上は、「押し紙」の定義も、それに即した解釈すべきではないか。

このように池上裁判長が示した新しい新聞特殊指定(1999年)の下における「押し紙」の定義をめぐる論考は、2つの問題を孕んでいるのである。(つづく)

読売新聞『押し紙』裁判
〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動
〈2〉李信恵を勝訴させた池上尚子裁判長が再び不可解な判決、読売の独禁法違反を認定するも損害賠償責任は免責
〈3〉「押し紙」の定義をめぐる公正取引委員会と新聞協会の密約疑惑

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

ジャニー喜多川未成年性虐待問題はどうなっておるのか? 鹿砦社代表 松岡利康

本年3月7日に英国営放送BBCが、生前のジャニー喜多川の未成年性虐待の実態をドキュメンタリー映像として報じ、この反響が時折日本のメディアでも報じられている。


◎[参考動画]Why is J-Pop’s Johnny Kitagawa still revered in Japan despite being exposed for abuse? – BBC News

 
在りし日のジャニー喜多川

BBCからは3年ほど前に協力要請の連絡があり、即快諾、これまで出版してきた書籍などを送ったり簡単なレクチャーを行ったりした。秘密の厳守を指示されたが、その直後コロナで英国からの取材班の来日ができず企画は止まっていた。そのまま、なし崩し的にうやむやになるかと思っていたら、昨年突然企画の再開の連絡があった。そうして今年に入り作品が完成し放映になったわけだが、今回は、これまでになく反響があった。

その後にNHK、朝日新聞から取材要請があり、NHKは記者2人がわざわざ東京からやって来た。私は未見だがNHKは数分ほど放映し、朝日は社説で採り上げている。今後も取材を続けるとのことだが、水面下でどう動いているのかはわからない。

そうこうしているうちにGW前に「弁護士ドットコムニュース」からも取材協力要請があり、求められる書籍を送ったり取材を受けた。それが、5月12日の同サイトに私の発言と共に掲載されている。数回記事にしている。なかなか力の入った記事だった。

弁護士ドットコムの記者から指摘されて気づいたのだが、「ジャニーズの問題を追及する本を長年継続的に出しているのは鹿砦社だけですよ」ということだった。スキャンダル系だけで数十冊出している。ジャニーズ、あるいはジャニー喜多川のスキャンダルを知ろうとしても、普通だったらどこから始めたらいいのかわからないだろう。彼らが異口同音に言う所だが、例えば『ジャニーズ50年史』を紐解けばジャニーズの歴史の概略を知ることができる。『本当は怖いジャニーズ・スキャンダル』を読めば、最近のジャニーズ・タレントの不祥事やスキャンダルを知ることもできるだろう。だから、まず私に連絡してくるわけだ。思い返せば、1995年、出版差し止めされた『SMAP大研究』以来、われながらよくやってきたものだ(苦笑)。四半世紀以上だ。

たかが一地方小出版社がここまでやれたのだから、『週刊文春』以外の大手メディアも頑張ってほしいところだね。

[左]『ジャニーズに捧げるレクイエム』表紙[中央]唯一ジャニーズの歴史を詳述した書籍『ジャニーズ50年史』(増補新版。鹿砦社刊)[右]たびたび出版されたジャニーズのスキャンダルをまとめた書籍『本当は怖いジャニーズ・スキャンダル』(増補新版。鹿砦社刊)

鹿砦社や文春が頑張ったのはジャニー喜多川がピンピンしていた頃で、これだけでも価値があると自負している。BBCにしろNHK、朝日にしろ、ようやく採り上げたのはジャニー喜多川の死後だ。「死人に口なし」で、直接本人に当たり追及できないので、このままうやむやになりそうな気がする。今後の動きに注目していきたい。

そうこうしているうちに、ジャニーズ「ファン」4名で「PENLIGHTジャニーズ事務所の性加害を明らかにする会」をいう会を作り署名活動を開始、1万6千筆余りを集めジャニーズ事務所に提出したという(下記朝日新聞記事参照)。

2023年5月12日付け朝日新聞


◎[参考動画]元ジャニーズJr.の男性らが性被害証言 ジャニーズ事務所「今週末公式にお伝えする」(TBS NEWS DIG)

ところが、この「PENLIGHTジャニーズ事務所の性加害を明らかにする会」なる団体、”なにか臭う”ので調べてみた。

当初の署名を求めるアピールでは、
「賛同人
北原みのり(作家)
仁藤夢乃(一般社団法人Colabo代表)
太田啓子(弁護士)
辛淑玉
李信恵(フリーライター)
安積遊歩
三井マリコ
小川たまか(ライター)
石田郁子
塚原久美
青木正美(医師)
坂井恵理(漫画家)
長田杏奈(ライター)
雨宮処凜(作家)
賛同団体
フラワーデモ東京」
らの名前がずらり並んでいる。

なあんだ、”例の人たち”か。雨宮処凜は、なぜか即日離れたという。おそらく、なにか“嫌な空気”を感じたからだろう。

「ファン」4人を表に出し、バックに控えているのか。大学院生リンチ事件に連座した李信恵、彼女を支持した辛淑玉らが、いつからこの問題に関わったのか? いま話題になっているから? ご都合主義としか言いようがない。

いやしくも四半世紀余りに渡りジャニーズと創始者ジャニー喜多川の問題について追及してきた私(たち)からすれば噴飯物だ。

(松岡利康)

【追記】上記を寄稿した後(14日夜)にジャニーズ事務所社長・藤島ジュリー景子が、叔父で先代の創業者社長ジャニー喜多川による未成年性虐待問題について動画と書面でコメントを出した。これに対しても追って私見を述べるつもりです。


◎[参考動画]【速報】性加害問題でジャニーズ事務所・藤島ジュリー景子社長“謝罪”(日本テレビ)


◎[参考動画]BBC《獵食者:日本流行音樂的秘密醜聞》- BBC News 中文

月刊『紙の爆弾』2023年6月号

《書評》『戦争は女の顔をしていない』から考える〈2〉祖国のために立ち上がる女、子を殺めることすら選ばされる女 小林蓮実

前々回、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)を取り上げた。これは戦争に関わり巻き込まれたソ連従軍女性たちの隠されてきた声を発掘した、ノーベル文学賞作家によって記される貴重な記録だ。その続きの書評をお届けしたい。

◆理想のため、そして祖国防衛のため、立ち上がる女たち

 
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

二等兵で土木工事を担当していたタマーラ・ルキヤーノヴナ・トロブの父について、「あの人たちが信じたのはスターリンでもレーニンでもなく、共産主義という思想です。人間の顔をした社会主義、と後によばれるようになった、そういう思想を。すべてのものにとっての幸せを。一人一人の幸せを。夢見る人だ、理想主義者だ、と言うならそのとおり、でも目が見えていなかった、なんて決してそんなんじゃありません」と語る。彼女自身は共産党員を継続しており、「私が信じていることは当時からほとんど変わっていません。一九四一年から……」とも述べているのだ。

「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、出来もしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。『その通りだ』と」という、チェ・ゲバラの名言すら思い浮かぶ。

1941年といえば、第二次世界大戦中、独ソ不可侵条約を破棄したドイツの大兵力がソ連に侵攻したことを機に、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国(連合国と戦った諸国)とソ連間との「独ソ戦」が始まった年。ソ連軍は大きな犠牲を払ったが、スターリングラードの戦いでドイツ軍が43年に降伏してソ連軍が反撃。ドイツ国内に侵攻して45年、ドイツの無条件降伏によって幕を閉じた。

本書に登場する女性の多くに、燃え上がるような闘志を目の当たりにする。装甲車の野戦修理工だったアントニーナ・ミロノヴナ・レンコワは、「こんなかわいい子たちは惜しいからな」と言われて書記にさせられそうになると、「かわいいかどうかなんか関係ないじゃない!」「私たちは志願兵です! 祖国の防衛に来たんです。戦闘員でなけりゃやりません」と断言。そして修理工として従事するが戦後、24歳にして自律神経のすべてが破壊されていることがわかり、全身の痛みに悩まされる。内蔵の位置もずれたものの、学業に専念し、インタビューの終わりには「『くそっ! てめえの×××!』って感じ」と捨て台詞のような言葉も伝えているのだ。

◆当時としてはいわゆる「男勝り」な面と、恋する女性の顔

女性たちが悩まされたのは、「女の子扱い」や自律神経の破壊だけではもちろんない。電信係に携わったナヂェージダ・ワシーリエヴナ・アレクセーエワはシラミに吐き気すら催しながら、「凍傷になると頬が白くなるって聞いていたけど、私のほっぺは真っ赤だった。私は、色白なほうがいいからいつも凍傷だったらいいのになんて思った」と口にする。

曹長で砲兵中隊衛生指導員だったソフィヤ・アダーモヴナ・クンツェヴィチは、這ってばかりでズボンは破れていたが、シャツやズボン下を脱いで裂いてくれる男たちを前に恥ずかしさを感じることもなく、「私は少年のようでした」と振り返るのだ。

軍曹で高射砲兵だったクララ・セミョーノヴナ・チーホノヴィチは、「看護婦が不足なら看護婦になる、高射砲の砲手が足りなければ砲手になるだけのこと」「初めのうちはとても男と同じになりたかった」と言う。いっぽうで3枚以上の下着は捨てさせられるため、生理の際には草で脚を拭き取り、トップスの下着の袖をもぎ取ってボトムの下着にしたようだ。

愛する人との別れを体験した女性も多い。大尉で軍医だったエフロシーニャ・グリゴリエヴナ・ブレウスは、通常すぐに埋葬される夫の遺体を持ち帰ろうとし、「あたしは夫を葬るんじゃありません、恋を葬るんです」と口にし、それができない場合、「私もここで死ぬわ。彼なしで生きる意味がありません」と思いを伝える。結局、棺を持ち帰ることになったが、彼女は特別な飛行機の機内で気を失ってしまう。衛生指導員だったソフィヤ・Kは、戦地・現地妻であり第二夫人だった。彼女はおそらく「売春宿」のかわりに男たちを相手にし、その中で恋に落ち、子どもも身ごもったのだ。同様に衛生指導員だったリュボーフィ・ミハイロヴナ・グロスチも、少尉に恋をしている。

◆両脚を奪われ、乳飲み子の命を自ら奪う女たち

ドイツの侵攻に対し、女たちがどのように向かっていったのかも描写される。連絡係だったワレンチーナ・ミハイロヴナ・イリケーヴィチは、精神の均衡を失った女性の話を説明。その女性は5 人の子どもと一緒に銃殺に連れて行かれ、その際、乳飲み子に対し、「空中に放りあげろ、そしたらしとめてやるから」と身振りでうながされた。その女性は、自ら赤ん坊を地面に投げつけて殺したのだ。そして、「この世で生きていることなんかできない」と話したという。別の女性の話ではドイツ軍は、少年を四つん這いにさせ、投げた棒きれを口にくわえて取ってこさせたそうだ。

パルチザンだったフョークラ・フョードロヴナ・ストルイは、負傷した両脚を切断。計5回の手術に耐え、「あんな人は初めてだ。悲鳴1つあげない」と医師に言わしめた。

女たちは決死の覚悟で戦場へと踏み出すも、女性であるからこその悩みを抱えさせられ、そして愛する人を失う。さらには、健やかな心身を奪われ、自ら子どの命を殺めることすら選ばされた。国家や政治の都合によって巻き込まれる戦争の現場には、当然1人ひとりの人間がおり、生々しい現実が存在する。これらの記録は、女性の口だからこそ集められた赤裸々なものだ。

現在進行形の戦争についても触れながら、次回を最終回とする予定だ。(つづく)


◎[参考動画]映画『戦争と女の顔』予告(原案『戦争は女の顔をしていない』)

◎《書評》『戦争は女の顔をしていない』から考える
〈1〉 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチと戦場に向かう女性たちの心境から
〈2〉祖国のために立ち上がる女、子を殺めることすら選ばされる女

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』4月号に「全国有志医師の会」藤沢明徳医師インタビュー「新型コロナウイルスとワクチン薬害の真実」寄稿。
Facebook https://www.facebook.com/hasumi.koba

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股間を守れ! キックボクシングでのノーファールカップの必要性 堀田春樹

◆試合の必需品、ノーファールカップとは?

キックボクシングにおいて、必要不可欠となるものがマウスピースとノーファールカップでしょう。

ムエタイのノーファールカップ、長年愛用される必需品

ローキックやヒザ蹴りが繰り出される中、股間への蹴りは偶然にしても故意であっても、脛ブロックやバックステップで全てを防御しきれるものではなく、自分自身の為、ノーファールカップはしっかりと装着しなければならない、ルールに定められた防具でもあります。

ムエタイのノーファールカップは金属製(ジュラルミンが多い)で、肌に当たる淵部分はゴムやスポンジなどの柔軟な素材で保護されていますが、昔は保護部分が無い、金属が直に股間辺りに食い込んで痛かったというものでした。更にズレないように紐で強く締め上げるので、保護面があっても股間と腰に食い込む紐などによる痛さはある程度は仕方無いところです。

◆防具していても苦しいダメージ

現在でのムエタイでは、股間を強く蹴られた場合、中断や反則裁定を取る傾向がありますが、昔は「ノーファールカップしているんだから大丈夫だろ!」と当たり前のように強烈なヒザ蹴りを喰らっても、「蹴られる方が悪い」と言わんばかりにレフェリーは試合続行し、股間ローブローで倒れてもノックダウン扱いでした。

更に股間を蹴られて割れた金属カップが睾丸を覆う陰嚢に突き刺さる悲惨な負傷もありましたが、あるジム関係者に聞くと、そんな事態に備えてカップの内側にバンテージテープを厚めに貼り付けておくと言います。割れても急所に突き刺さらないよう最悪の事態を想定した工夫のようです。

1988年のタイにて。試合前のノーファールカップ装着する姿

日本での試合中に破損した場合は取り換えに控室に戻る事態をたまに見かけます。昭和時代にはリング上の自軍のコーナーでセコンド陣が選手の下半身をタオルで覆って、その場で取り換える光景もテレビに映っていましたが、大体は観衆の目に入らないリングから離れた位置に移動します。最近は不正を防止する為、非番審判が立ち会うことが多く、その監視役が居ないと水分を摂ったり、ダメージ回復に加療する時間となるので改善が必要とされていました。

以前、再三の股間ローブローを受けながらも続行した試合があって、何度も受ければ数分休んだぐらいでは激痛が和らぐものでなく、アグレッシブさが激減。ノーファールカップで保護されているとはいえ、ヘルメットのように衝撃を軽減する防具であって、ある程度はダメージに繋がります。

プロボクシングでは故意のローブローによる試合続行不可能となれば、打った側の失格負けで、故意ではない偶然と認められれば、打たれた側は最大5分のインターバルを与えられ、試合続行不可能となればTKO負けとなります。それはリング上では患部を確認できない為、効いたフリをして勝利を拾う為の演技の防止でもあります。

キックボクシングでは各団体、興行によって対処は違いますが、最近では偶然のアクシデントとして負傷判定が採用されたり、プロボクシングに準ずる適切なルールが無いが為の無効試合になる場合が多い感じがします。

最近の前日計量において、「股間ローブローはノーファールカップで守られているから“ノーファール、つまりファールとしない”という意味で、少々のヒットでは止めません」というルール説明される場合があります。流れの中で当たってしまうことはよく起こりますが、極力試合を中断しない、観衆を白けさせない配慮があります。

アラビアンにやられたらやり返したソムチャーイ高津、衝撃は倍返しだった(1998年頃)

以前には「相手が明らかにワザと蹴って来たから股間蹴り上げてやった」という、やられたらやり返す展開もあり、推奨できないものの偶然を装うテクニックも必要な競技かもしれません。

◆起こり得るのはジムワーク

股間ローブローによる負傷は公式試合より、ジムでのスパーリングが多いようです。それはジムメイトに故意に狙われることはないという安心感で、ノーファールカップを自分で装着するが為の強く縛れない緩めの装着や、練習用のアンダーウェア型簡易防具、或いは全く装着しないスパーリングなどが多いでしょう。思いがけない強い蹴りを受け、カップが緩い為にズレて隙間に睾丸を挟んでしまい、そこを蹴られてモガキ苦しむ姿も見受けられます。ある元・選手は睾丸がテニスボールぐらいに腫れ上がって、会長に病院に連れて行って貰ったという事態もありました。

「昭和時代や平成初期までは、脛当てパットもノーファールカップも着けないでスパーリングしていました!」という話は特別なことでなく、過去には多くのジムで起きているアクシデントのようです。

「蹴られてキンタマ一個無くした奴、あのジムのあいつもそう、こいつもそう、昔の選手ではこの選手もそう!」といった話を聞くと、過去のキックボクシングの歴史の中で探せば結構居そうな片玉キックボクサー。

因みに睾丸二個とも無くなれば男性生殖機能は消滅し、外見の男らしさも低下するでしょう。現在は練習においても各自ノーファールカップを持たせ、持って来るのを忘れた奴にはスパーリング禁止と諭しているジムは多いようです。

股間ローブローを受けて悶絶の姿、佐藤勇士vs義由亜戦(2022年1月9日)
インターバルを与えられる時間は少ない中、呼吸を整える(2022年1月9日)

◆後悔無きよう!

公式試合においてノーファールカップをしっかり縛れるセコンド陣営が居ない場合、他のジムトレーナーに依頼することも必要でしょう。緩い装着で試合中にズレた上に蹴りを貰ったら、観衆の前で上記のような悲惨な事態になりかねません。

トレーナーからすれば、選手のバンテージ巻くのとノーファールカップ装着を完璧にやらねばならない責任が大きいものの、自らも痛い経験があるだけに数多くこなしてきた紐を縛り上げる装着は上手く、特にタイ人ベテラントレーナーに委ねられる場合が多いようです。

試合に於いてはマウスピースとノーファールカップは必需品。無かったら試合に出られません。ジムにおいてはあのような痛い想いは二度としないよう、古い時代の先輩に「俺らの時代は何も着けずにスパーリングしたんだ、無くてもいいだろ、早くスパーリング始めろ!」とせかされても後悔しないように、昨年のテーマで拾ったマウスピースとノーファールカップの準備は万全な態勢で掛かりましょう。

試合続行不可能となった大場一翔vs小林亜維二戦、この時は負傷判定による引分け(2022年3月13日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランスとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家した。

産育休中にリスキリング?! 総理こそリスキリングが必要だ! 低賃金を「自己責任」に転嫁する総理の迷走が止まらない さとうしゅういち

まず、全国の皆様に対しては、筆者の地元・広島選出の岸田総理の暴走や迷走により、多大なご迷惑をおかけしていますことを心からお詫び申し上げます。

 
迷走が止まらない岸田総理と腹心で旧統一協会との関係も明らかになった市議の政治活動用ポスター

軍拡やそのための増税、あるいは、介護保険改悪、医療費負担増についてはまさに暴走です。

一方、核廃絶をライフワークとしながら、核兵器禁止条約に入らない、それどころか、オブザーバー参加すらしないのは「迷走」と言えるでしょう。

その総理の迷走がもうひとつ増えました。「産育休中にリスキリング」です。「子どもが小さい時の育児中に勉強どころではない。」という怒りの声が上がったのは当然です。筆者には子どもはいません。しかし、それでもその程度のことは7歳下の妹が生まれた時の我が家の様子などから想像がつきます。「聞く力」があると自慢する総理なら、「異次元の少子化対策」とおっしゃる総理なら、当然、その程度のことは認識しておられるのではないか?どこに耳をつけておられるのでしょうか?

◆総理こそリスキリングが必要だ

そもそも、育児休暇を「休暇」と称することが間違いかもしれません。筆者は、広島県が主催する男女共同参画を学ぶエソールひろしま大学を長年受講してきました。そこでお世話になった大学教授(男性)は「『育児労働』と呼んだ方がいいのではないか?」とおっしゃっていました。筆者が河井案里さんに選挙で挑む2011年以前のことですから、12年以上経過しています。

◆育児そのものがリスキリングという発想転換も必要

また、そもそも、育児とは、真面目にやれば、いわゆるマルチタスクでしないといけない。そういう訓練を経ていることは、実は会社での仕事にも生きてくる部分も大いにある。そのことも最近では注目されています。すなわち、育児そのものがリスキリングになるともいえるのです。また、商品・サービスの開発の面でも「近頃の子どもの需要」をつかむことは大事です。

総理の議論は、「育児休暇=無為な期間であり遊んでいる期間」のような前提が暗黙のうちにあると言わざるを得ません。全く問題外であり、総理こそ、リスキリングが必要なのではないでしょうか?

◆低賃金を自己責任に転嫁する総理は「重症の新自由主義患者」だ

上記の論点については、マスコミや野党はもちろん、若手や女性の議員を中心に自民党内からさえも突っ込みが入っています。筆者は、今回強調したいのは、総理が賃上げ、特に(男性の育休取得促進が事業者に義務付けられた今でもそうはいっても育児の多くを担わされている)女性の賃上げを「リスキリングしない女性の自己責任で解決すべき」ととらえていることが明らかになったということです。

広島弁でいえば、「あんたら、勉強せんけん、給料が上がらんのじゃ。育児休暇中に遊んどらんと勉強しんさい!」ということです。

これは実は、インターネット上で自称お金持ちの人が低賃金の介護労働者や保育労働者、あるいは非正規公務員に「文句があるなら勉強したらいいのに」というのと一緒です。まさに新自由主義だ。総理は、「新自由主義脱却」を一時は叫んで自民党総裁選挙、そして衆院選2021を勝ち抜いてこられました。しかし、今の総理は正真正銘の新自由主義者である、と言わざるを得ない。というか、新自由主義者であることの自覚症状もない「重症患者」かもしれません。

◆ケア・教育・食料etc. 確保へ「有無を言わせぬ賃上げ」の勢い必要

いま、例えば、広島の介護現場などは給料が低すぎて外国人労働者(ほとんどが20-30代の女性)がどんどん東京に流出しています。こういう中で、サービスの崩壊を防ぐには勉強どうのこうのではなく、有無を言わさず給料を上げるくらいの姿勢が必要です。

あるいは、教員も含む公務員も非正規が多くなっています。自治体によっては(民間への業務委託、指定管理者も含むのでしょうが)「6割が非正規」(当該自治体の市議)というところもあります。教員など仕事がきついのに、安い給料でこき使われたら定着しないのは当然です。「だめだ!こりゃ!と塾の先生になる人も多い」(前出市議)なのです。

その結果、介護や保育、あるいは教育、そして市民、県民の悩みにこたえるサービスが確保できなくなる。それにより、「自分はお金持ちだから大丈夫」と高をくくっていた人たちも含めて、慌てることになるのです。

民間に目を転じても、第一次産業(広島の場合はカキ打ちが代表的)がこのままだと労働者流出で成り立たなくなくなる農業や漁業への所得保障、コスト補償などによる食料安保政策で労働者の給料を上げられるようにすべきでしょう。

◆賃上げと教育無償化で基本は十分

また、そもそも、賃上げをして労働者が経済的な余裕を持つ。教育を無償化する。これにより、リスキリングをしたい人はしやすくなるでしょう。現状では、そもそも、育児中の人でなくとも、賃金が低すぎるうえ、時間がなくて学びなおしどころではありません。

ありていに言えば「貧乏暇なし」状態です。これを打破することで、育休中の人ももちろん、勉強したい人はしやすくなるでしょう。「ことさらに」育休中の人をターゲットにしてリスキリングなどと迷走する必要はないのです。

◆「政商コンサルばかり儲かるだけ」恐れ

皆様も「職場や地域で外部講師による研修を受けたけど、全然仕事に役立たなかった」というご経験がある方も多いのではないでしょうか?

例えば、広島県の平川教育長がお友達の会社に研修を多数、外部委託しています。教育委員会には教員の研修の為に指導主事がたくさんいるにもかかわらずです。

「平川教育長は、何のために県費を使っているのだかさっぱりわからん」という声が県内で噴出しています。

現状の日本や地元広島の政治の腐敗ぶりをみると企業が国の補助を受けて行う「リスキリング」においても、広島県教委で起きているようなことが起きる可能性は極めて高いと言わざるを得ません。何のことはない。

企業なら売り上げの改善、行政なら住民サービス、教育ならこどものためになっていなくても、漫然と政治や行政の「えらい人」たちと親しい業者は儲かる。そんな事になりかねません。

◆欧州では職業教育は行政と労組の仕事

なお、欧州では、ざっくり言えば職業訓練、職業教育は行政の仕事であり、また、労働組合の仕事でもあります。国によっては労働組合から職人を派遣する、という形式を取っている場合もあります。

日本のように「勉強しないと給料が上がらんぞ」と総理が脅し、そして、効果が怪しいコンサルが儲ける、という構図とは雲泥の差があります。

労組の再生については、筆者も労働組合の幹部として取り組んでいきますが、総理は政治家です。筆者も政治家として、行政がもっと教育に責任を持つよう、教育無償化含めて全力を挙げていく覚悟です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
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月刊『紙の爆弾』2023年6月号

日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?〈後編〉 田所敏夫

近年、不思議な国際社会が牽引して日本でも「LGBT」なる言葉が流布している。それに関する立法も急速に進んでいるようだ。弱者の権利擁護はよいだろう。だが、それは戦争に向けた軍事費倍増や原発延命・新設のように明日にでも命にかかわる問題であろうか。あるいは文化や歴史に照らして無理はないものか。

この問題についての最先頭と思われる日本共産党に素直な質問を投げかけた。回答してくださった方は誠実ではあったが、こちらが腰を抜かすほど問題の本質に対して鈍感(あるいは無知)であった。以下、前編に引き続き、わたしと「日本共産党ジェンダー平等委員会」の方とのやり取りの後編である。

◆「B(バイセクシャル)のことは考えたことがない」!

田所 一番象徴的な疑問は、バイセクシャルの方がヘテロと比べてデメリットを被るということが私は論理的に理解できないのです。

共産党 バイセクシャルまでなんで認めなくてはいけないのか?

田所 いえ。認めなくてはいけないのではなく、いいんですよ。でもバイセクシャルの方々がヘテロの人と比べてどういうデメリットを受けていて法律で守られなければいけないのかがわからない。

共産党 法律で守るというより今当事者の皆さんが求めているのは、自分たちの性的指向もね、要は異性愛の人たちと存在としては対等なわけですよね。

田所 対等というより、対等以上に異性愛と同性両方できるわけでしょこれ彼ら彼女ならは。

共産党 そうですね。

田所 だから優越してるんじゃないかと思うんですけど。

共産党 まあ、その具体的ないろんな場面で、例えば学校の中でね非常に異性愛だけが恋愛のあり方なんだ、みたいなことを言われたときに、まあバイセクシャルということは同性を愛する時もあるわけですから……。

田所 ですからその人たちはそれで非常に自由なわけでしょ。同性愛の人が肩身の狭い思いをするのはよく理解できます。でもバイセクシャルの人は異性愛もできるし同性愛もできる。ならば異性愛が基本となって法律で認められる社会において異性愛者より何かデメリットを被るでしょうか。

共産党 まあね。純粋にね。ちょっと私も当事者の方にもっと話を聞いてみなければいけない、と思うんですけれども。

田所 私も若干は自分でお尋ねしたり調べているのですが、皆さんバイセクシャルの問題になると歯切れが悪いんです。私はレズビアン、ゲイとバイセクシャルの方を並列して「性的マイノリティ」という形でくくるのは間違ってるんじゃないかと思うんです。だから、教えていただいてるセクシャリティの専門の方でも、私がバイセクシャルのことをお尋ねするとちょっと歯切れが悪くなるのではないかと思うんです。

共産党 あんまりバイセクシャルだけを取り出して考えたことは、言われてみればなかったと気づきます。

田所 明らかに違うでしょ。だってバイセクシャルの方は今の性的概念とか法的概念の中で生きることもできるし、それプラスアルファ違う感覚も持っている。同性愛の人たちは今の法的概念の中からは、逸脱とまでは言わないけれども法律的には包含されないところにいる。立場が全然違う。

共産党 まあね、なぜLGBTというふうになってきたのかがね。もうちょっとよく調べなければいけないのかもしれませませんね。

田所 私はちょっと不自然だなと思います。

共産党 そういうご意見はすいません、初めて伺いました。

田所 ああ、そうですか。初めてですか。はあ。性の平等や自由を実現していただくのは私は大いに結構だと思うのですが、そこでちょっと問題の混在がないかなということは懸念しますね。

共産党 バイセクシャルの方がどういう悩みを持っているか……?

[画像左]東京レインボープライドでは、しばき隊界隈文化人・香山リカ氏と共産党・池内さおり氏がツーショット! [画像右]東京レインボープライドにTOKYO NO HATEのフロートで参加する池内さおり氏

◆多様性に例外があるのか?

田所 いや、バイセクシャルと同性愛者を並列に並べるのであれば、たとえば先ほど対象にならないよとおっしゃった一対多の関係というケース。男性であれ女性であれですよ。それが不承認によって行われている場合、不承認というのはその単一の人とその対象の多数の人の間での関係性、あるいはパートナーとの関係性が不承認、あるいは納得がいかない関係性であれば自由の範囲を逸脱する関係だということは言えると思うんです。けれども、仮にそれが関係者全員の承認のもとに行われているのであれば、それは多様性の中に入りませんか。

共産党 そういう議論もできますよね。

田所 議論ができるという話ではなく、今の社会観念からはたぶん褒められたことではありませんけれども、そういう人たちはもうずいぶん前からいるわけです。

共産党 そうですね。

田所 閉じられた世界でサークルを作ったりしている人たち。社会的に見ればちょっとへんてこな人ですけれども実際いるわけです。バイセクシャルの人たちは救済の対象と言うとおかしいですけれども、法的保護の範疇に入って、1対多数とういう指向を持っている人たちは「性的指向の自由」の範囲には入れてもらえないという線の明確な引き方が果たしてできるのかどうか。

共産党 バイセクシャルという場合、私のこれまでのイメージは、ずっとそれまで異性と付き合ったこともあるし結婚したこともあるし、だけどふと気づいたら女性を愛したいということで、女性と再婚する方っていらっしゃいますよね。

田所 結婚は社会制度の話であって、性についての指向、感覚は内面的な部分も多分あるのでやや異なるのではないでしょうか。例えば中学生とか高校生の時に恋愛感情とは違うけれども、同性の先輩に憧れると。恋愛というところまで行かないけれども憧憬の念を抱くことは別段珍しいことではない。中には性的な感覚に近い人もいるかも分からないですよね。男女の結婚生活を送ることに直結しないレベルで言ったら、多くの人は両性具有のメンタリティーを抱えてるかもわからないですよね。けどそれは一生懸命法律で何とかしなければいけないような問題なんでしょうか。

◆LGBTは分かりやすい略称なのか?

共産党 LGBTというのが性的マイノリティの分かりやすい略称としてね、使われているのでLGBT平等法とか……。

田所 私には分かりやすくないですね。私には混乱をきたす略称です。

共産党 えええ。まあ歴史的な経過でそうなってきたというのもあるんだけど。

田所 でも今私にお答えいただいている方もバイセクシャルについては、私がお尋ねすると「そこまで考えたことはなかった」とおっしゃっていただきましたでしょ。

共産党 それだけを取り出して、Lはこうだ、Bはこうだみたいに分けて考えたことはなかったです。大きくは性自認と性的指向ということで。LGBとT。LGBはひとまとまりっというか。そんな自覚でいましたので。

田所 そんなに明確なものかどうなのか、と思いますね。明確というかそんな簡単に既成の分け方があるからそれで分けられるというものなのか。どうしてこれを尋ねしたかというと最近共産党の街に掲げてあるポスターに頻繁にその文字が書かれてるんですね。

共産党 共産党は日本国憲法を全面的に実現する世の中を目指しているんですよね。その中にある両性の平等、個人の尊厳これを考えたときに、性的少数者の皆さんが声をあげて運動していらっしゃる、その声はきちっと受け止められる政治にしてゆく必要があると思って、10年くらい前ですかね、共産党はこの問題を掲げ始めているんですけど。運動によって私たちが気付かされて、私たちが取り組まなきゃいけないということで掲げているんです。

◆共産党がどうして「資本主義の矛盾」より「性の問題」を重視するのか?

 
ANTIFAのTシャツを着用する共産党・池内さおり氏と吉良よし子氏

田所 私は性の問題が課題ではないと言っているのではないです。共産党はもともと社会主義とか共産主義の社会作ろうというところから出発されたと思うんですけど、現在その問題はますます可視的に拡大してるんではないかと思うんですね。階級格差です。はっきり言えば、金持ちと貧乏人の差が私たちの毎日の生活の中では拡大してるのではないかと思います。それを資本主義の方法で果たして解決できるかということが1つは世界的な問題ではないかと思うのです。確かに性の問題も重要ですけれども、他の政党で資本主義の根本矛盾を問題視している政党は残念ながらないですね。

共産党 そ、そうですね。

田所 資本主義の根本的な矛盾、搾取の構造というようなことを考えてる政党が残念ながらないわけで、だから共産党こそがですね100年ぐらい歴史があるんでしたっけ。

共産党 ちょうど今年で100年です。 

田所 100年ですか、100年前に比べても今もっと資本主義の悪弊と末期症状は進行しているのではないかと私は思うのですけれども。

共産党 そういうのは共産党掲げ続けていますし、それとジェンダー平等を掲げることはね矛盾するどころか……。

田所 そうです。私は性的な問題を取り上げるなと言っているのではありません。丁寧に教えていただいたので考えていらっしゃることないは分かりました。けれどもせっかくお時間いただいてお相手いただきましたので性の問題に取り組まれるのも結構ですが、今こんな時代で他の野党も頼りないところばかりです。出発点に帰ってしっかり傾注していただくほうが応援しやすいですね。ご丁寧に対応いただきましてありがとうございます。

共産党 私もBのことはもう少し自分で勉強して、そういう疑問に答えられるように。

※        ※        ※        ※

日本共産党が革命を指向する政党だとは思わないけれども、政党名からはそれが良いか悪いかは別にしても、社会主義、共産主義をイメージさせられる。その日本共産党が、どうして格差、階級が拡大し転落の一途が明らかである今日の日本社会で、ここまで熱心に性の問題に力を入れるのか、共産党の方のお話をうかがっても、依然としてわたしには理解ができない。社会制度としての婚姻などに不合理・差別があれば制度を変更し、同性婚は認めればよいとわたしは考える。しかし、婚姻(社会制度)と性指向は似ているようであって、本質的には区別すべきテーマではないか。性指向は内面の問題であり、極めてでデリケートであるがゆえに、簡便な分類などは困難ではないか。

「人に迷惑」をかけなければどんな性指向だって、当事者が納得すればいいだろう。けれどもそのような内面にかかわることに、法律を持ち出すべきであろうか。

繰返すが、制度的差別に苦しむひとがいるのであれば、制度が救済すべきだ。しかし、内面に関する法律や規則は、可能な限り少ないに越したことはない、とわたしは考える。

その理由?不思議なことにLGBT平等法は共産党だけではなく、他の野党もこぞって賛成であり、さらには、与党自民党、公明党までもが意欲を見せている不可思議な様相に、不健全な意図を感じるからである。

この議論、わたしの視点に偏りはあるであろうか。

◎日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46514
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46519

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

官僚出身・ネオリベ広島市長の暴走が止まらない!〈続編〉条例もなく学童保育を有料化! さとうしゅういち

広島市長の松井一実さん。厚生労働省官僚のご出身で新自由主義色が濃い市政をされています。

※[過去記事]官僚出身・ネオリベ広島市長の暴走が止まらない! 中央図書館移転問題で市民の声を完全無視! 

 
広島市学童保育連絡協議会の田中富範さん

特に子どもに関する福祉に対しては完全に背を向けていると言わざるを得ない対応を取っておられます。

その一つが学童保育=広島市では放課後児童クラブと呼ぶ=の有料化です。実は広島市の学童保育は全国でも珍しく、無料です。もちろん、指導員は非正規の会計年度任用職員ばかり、使っている建物も老朽化が進んでいるなど、問題は多くあります。それでも、無料はありがたいという声は強くあります。

その学童保育の有料化を2023年度から松井市長は強行する姿勢です。年収800万円世帯で月5000円。減免される世帯でも(年収240万円の場合)月3000円の負担になります。240万円の世帯の場合、3000円でも結構負担は大きいものがあります。

それに対して、許さないと声を上げておられる広島市学童保育連絡協議会の田中富範さんのご講演を、1月22日(日)、筆者は「ひろしま自治体学校」(広島自治体問題研究所主催)でお聞きしました。田中さんのお話しなどによると、以下の市長の暴走ともいえる状況が起きています。

◆学童保育料金徴収の根拠条例がない

何事も、市が市民からお金を取る以上は、市民の代表である議会の決議を経た条例が必要です。国の場合でも、例えば「消費税率は10%」などと法律で定めています。それらと同じことです。

ところが、広島市の場合、驚くべきことに学童保育の料金の根拠となる条例がないのです。条例どころか規則さえないのです。あくまで、要綱を根拠に徴収するというのです。そして、「広島市は私人として、保護者と契約しているから条例無しで徴収できる」というのが市幹部のスタンスだったそうです。私人と言えばどこかで聞いたことがあります。辺野古の問題では、沖縄県に埋め立てを不許可にされた国(防衛局)は私人として、不服申し立てをしたのです。

一方で、国はもちろん、強大な権力を持っています。市ももちろん、学童保育の指導員の任免権を持っています。権力者があるときは私人を装う。あるときは、もちろん、強大な権力者として労働者や市民、国民を押さえつける。セコイし脱法行為としかいいようがありません。

◆国の考えを過剰に忖度

私人としてふるまう広島市は一方で、国の考えを過剰に忖度します。国は昔から予算編成にあたって、一応、学童保育の費用は、半分を保護者負担、半分を国、県、市で賄うとしています。しかし、これはあくまで国の予算編成にあたっての考えであり、市に対して「こうしなさい」という指示をするものではまったくありません。実際に広島市は独自に無料=保護者負担分を市がカバーする=を続けてきたのです。ところが2011年に松井市長が市長に就任されてから、「まるで国の出先機関のように」振舞っています。

実は、松井市長は筆者の父が厚生労働省の医系技官だった時代の部下だったそうです。父によると若き日の松井市長は非常に真面目な方だったそうです。国の官僚であるならば、それはそれでいいでしょう。さすがは労働委員会の事務局長まで上り詰められた方です。

しかし、いまの松井さんは選挙で選ばれた「市民の代表」です。いつまでも「国の官僚」のような態度では困るのです。困るのですが、現に、ネオリベ方向で国の考えを過剰に忖度し、実行しようとしておられます。

◆将来は8700円まで引き上げの構え

そして、広島市は、将来は8700円まで学童保育の保護者負担を引き上げる構えです。市側の言い分としては、「国の言う通り、半額を保護者負担にするのであれば、8700円になる。だから、現状でも高所得者家庭は8700-5000=3700円、低所得家庭でも8700-3000=5700円「配慮している」」というのです。

だが、本人がどこまで本気かどうかは別としても、地元選出の岸田総理も「異次元の少子化対策」とぶち上げておられるときです。わざわざ、それに逆行するような方向での学童保育の有料化、さらなる値上げというのもいかがなものでしょうか?実際のところ、松井市政の国を都合の良い時は隠れ蓑にして、こどもへの支援はサボタージュしたい、という本音が透けて見えます。

◆「サービス向上」が招く指導員の執行体制崩壊

さて、値上げするならサービスの向上がなければ、利用する保護者も子どももたまったものではありません。古びた施設の修繕は当然としても、そのほかのサービス向上の内容は「いままで休所していた第二土曜日を開所する」というものです。

ところが、学童保育の指導員の執行体制は現状でもボロボロです。2022年度当初は72人欠員が生じたので補充はしています。しかし、15人がすでに2023年1月現在で退職。2割以上が1年どころか10か月もたたずに退職とは筆者の勤務先の介護現場は別として、異常事態です。

安い給料でもやりがいだけでなんとかモチベーションを維持してきた指導員たちも限界です。そこへ来て、これまで休みだった第二土曜も開所しろという。しかも、労使合意もないままです。このままいけば、「有料になるわ、サービスは崩壊するわ」で保護者や子どもも地団駄を踏むしかなくなります。

◆いい加減すぎる市長、議会で追及を

今回のイベントでコメンテーターを務めた田村和之広大名誉教授は、「松井市長は就任以降細々な負担引き上げをし、それで数千万円の歳入増はするが、しかし数百億規模の事業で無駄遣いをしている。」と指摘します。

学童保育の根拠は民主党政権が方向性をつくった2015年の児童福祉法改正でできた。その第21条の10に「市町村が放課後児童健全育成を行う」と定められており「私人」扱いはない。」。

「公の施設は条例を定めないとできない。広島市は保育料も規則でさだめている。違法の疑いがある。学童保育は規則でさえなく要綱でやろうとしている。こんないい加減なことをやっている市を法を根拠に追及する議員が議会にいないのか?」と田村名誉教授は嘆きます。統一地方選で、松井市長を打倒できればいいのですが、市長打倒にいたらずとも、市長をガツンと追及する市議もふやしていく必要があると痛感しました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
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月刊『紙の爆弾』2023年6月号

日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?〈前編〉 田所敏夫

ロシアのウクライナ侵攻により発生した長期にわたる戦争を視野に入れながら、たった12年前に現実であった、東日本壊滅の危機を忘却しそうな日本国。いま最優先に目を向けるべき課題は何なのか。日々の報道は情報の垂れ流しに過ぎず、議会制民主主義の中には「現状へ異議あり」の選択肢は見当たらない。

近年、不思議な国際社会が牽引して日本でも「LGBT」なる言葉が流布している。それに関する立法も急速に進んでいるようだ。弱者の権利擁護はよいだろう。だが、それは戦争に向けた軍事費倍増や原発延命・新設のように明日にでも命にかかわる問題であろうか。あるいは文化や歴史に照らして無理はないものか。

この問題についての最先頭と思われる日本共産党に素直な質問を投げかけた。回答してくださった方は誠実ではあったが、こちらが腰を抜かすほど問題の本質に対して鈍感(あるいは無知)であった。以下わたしと「日本共産党ジェンダー平等委員会」の方とのやり取りである。

大学院生リンチ事件加害者人脈にしてColabo熱烈賛同者で共産党支持者の自称フェミニスト・北原みのり

◆LGBTありきの議論への疑問

田所 ジェンダー平等委員会の方に教えていただきたいのですが、共産党が最近重要テーマに掲げていらっしゃるLGBTについて教えていただきたく電話を差し上げました。

共産党 はい。

田所 今LGBT法の制定を目指していらっしゃるということですね。

共産党 LGBT平等法ですね。

田所 LGBTという概念はあらゆるセクシャリティーを認めるということでしょうか。

共産党 性自認とか性指向によって差別されない。

田所 あらゆる性指向によって差別されない。そこなんですが、性的指向というのは、とてもデリケートな問題ではないかと思うんですね。人に告げるようなこともありますが、人に言えないような事柄もあるのではないかと思います。それを含めてすべての性的指向の自由を保証すると。

共産党 性的指向は趣味で選ぶもんじゃない、ということなんですよね。

田所 性的指向は趣味、勝手で選ぶものではない?

共産党 「しこう」というのがたぶん違っているんではないでしょうか。指という字に向かうという字を書くんです。今マジョリティーは異性愛が前提で、世の中が動いていますよね。

田所 はい。

共産党 カップルは男と女だと。だけども中には同性に対して性愛を感じる人たちもいますし、両性に対する場合もありますし。あるいはどこにも向かわないという方々もいると。特に今、性的指向で問題になっているのは同性愛の皆さんです。

同性愛がおかしい、異常だとみなされてばかにされたり差別されたりということが続いてきたわけですよ。そういうのを差別しないで欲しいと。そういう性的指向もあるんだと認めてほしいという声が上がってきて、また制度という点では日本の結婚・婚姻制度が異性婚しか認めていないと。それは憲法に違反するんじゃないか。

個人の尊厳を侵害するということで、裁判が戦われてます。だから性的指向は個人の尊厳の問題としてきちんと尊重する。そういう社会にしてゆこうと目指して今LBGT平等法を進めているのです。

田所 だから異性婚しか認められていない世の中で、同性婚を含めて認めて、というようなことが一番の大きな問題と理解したらいいんですか。

共産党 現実問題として一番差し迫った所ではそうだと思います。

◆「戸籍制度」を残したままの「家族形態の多様化」?

田所 同性婚を認めさせるとことを私も理解できるんですね。同性婚を認めている国はいっぱいあることも知っているのでわかるのですが、それは家族形態の問題にも関わってくることではないでしょうか。

例えば男同士が結婚しても子供が作れませんよね。女性同士でもそうです。子供が欲しい場合はいわゆる養子というかどこかからお子さんをもらってくるという形をとるわけですよね。生物学的に残念ながら男と男、女と女で子供はできないわけですから。

共産党 はい。

田所 同性婚で子供を持った家族形態を求めるのであればそういう方法しかないですよね。少し話はそれますがヘテロのカップルの中でも妊娠ができないとかしにくい方々が「代理母」と言って他の女性に結合卵子を預けて出産をするということもあります。

多分ご存知だと思うんですけれども。性的指向を実現するとそこから家族形態が多様化していくということも、現に同性婚を認めている国では、発展的と捉えればそうですし新たな課題と捉えればそうなのかもしれないんですけれども、たくさん報告はあることはご存知だと思います。そこまで考えると、日本の場合もちろん婚姻制度もそうなんですが「戸籍制度」の方がむしろ大きな弊害で個人を縛っていないかなとも思うのですが共産党の方はどうお考えでしょうか。

共産党 戸籍制度については、そういう見地から将来的に検討がなされる必要があるんじゃないかという見解を、党としては持っているんですけれども……。

田所 「戸籍制度」はまだ将来的な課題? これまで戸籍制度が焦点化されて問題とされたことはなかったですか。

共産党 戸籍制度ですか? まあ選択的夫婦別姓制などが議論されている中では……。

田所 いえいえ「戸籍制度」というのは中国と韓国と日本にしか世界中でない制度です。いわゆる封建的な家制度を守るための制度ということではないのでしょうか。昔の共産党の中で議論になったことはないのでしょうか。

共産党 封建制を支える制度?

田所 日本の封建制度や家制度を支える一つの法的根拠として、律令制と同様に導入されたのが戸籍制度であるという分析があります。共産党的な考え方でなくても、社会学、歴史学の中でも議論がありますが、戸籍制度の問題についてはあまり問題を感じていらっしゃらないということでしょうか。

共産党 共産党がジェンダー平等を掲げたことで、日本の法律に残るジェンダー不平等、家制度の名残を無くしてゆこうという大きな方向性は掲げていますのでね。そういうものの一つに戸籍制度も含まれてくるだろうと。

田所 戸籍制度については将来的に考えられるということですね?

共産党 今すぐ戸籍制度を無くしましょうということを掲げているとかそういう状態ではないということです。

◆「一夫一妻婚」を基本とした「多様な性の指向」?

田所 私が感覚的にわからないので論理的にお尋ねできるかどうかわからないのですけれども、「多様な性の指向」を認めるということですね。

共産党 認めるというより、それは現にあるものですからね。

田所 そこの線引きが私は難しいのではないかと個人的に思っているのです。「多様な性の指向」というのは文字通り多様であって、LGBTというところで示されるものは説明可能でわかる範囲の性指向なんですけれども、性指向の感覚は頭の中と体感の問題ですから、可能性はとても広いと思います。私たちが想像してあまり口にしたくないような指向を持っていらっしゃる方も現にいるのを私は知ってるんですけど、そのような指向も含めて全てを許容するということでしょうか。

共産党 例えば私も質問を受けたことがあるのは、一度に複数の人に恋愛を感じると、それも認めるのか。あるいは小児性愛のようなもの含まれるのかと聞かれたことがありますが、この二つに関してはそれを認めると、それによって著しく人権を侵害したり、尊厳を冒されることが起きてしまうので、いくら「個人の性愛は色々ある」としても、それまで含めて全部認めなければいけないという話ではないですよと。

田所 小児性愛は合意の上ではないですからね。合意の上でないのでなければ明らかに排除しなきゃいけなければいけない。犯罪かもしれません。

共産党 犯罪ですよ。何があろうとこれまでも性的指向の名の下に受け入れよう、などということは絶対に受け入れられない。複数のもね、それは男性一人に対して奥さん2人、3人とか言った場合に女性の側が、不倫というんですか、そういうことで苦しむ人が出てくる話なんで。

田所 だから男の人が浮気をするというイメージのことですかね。

共産党 そうですね。逆でもいいですけど。とりあえず私たちが目指しているのは「一夫一婦婚」というのですかね、そういう制度の中での話です。

田所 そこなんですよ。一夫多妻制はよく聞きますね。でも一妻多夫制も世界にあるわけです。少なくはなりましたが特にアジアにはあるんですね。それは「多様性」の中からは排除しなければいけない概念ですか。

共産党 多様性の中から排除する? だからねー、うーんと。

田所 一夫多妻制の封建性は広く西洋社会でもありますし日本でもあったことです。その封建性が排除されるべきだとお考えなのはわかるのですが、母系家族とか一妻多夫制という社会も世界にはある。それはどう考えお考えでしょうか。

共産党 まあそれは、私は何というかな、日本共産党がこうあるべきだと言える話ではないと思いますのでね。そういう価値判断というのか、歴史の中でね、そこは変わったり発展したりということはあり得るはなしなので。そこまで価値判断をいま、するっていうことはしないですね。懸念されているのはそういう話ですか? (つづく)

暴言の限りを尽くす共産党熱烈支持者にしてゲイのしばき隊員・平野太一(その1)
暴言の限りを尽くす共産党熱烈支持者にしてゲイのしばき隊員・平野太一(その2)
共産党大会で挨拶し同党機関紙「赤旗」に掲載された平野太一。同じ人物の発言か!?

◎日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46514
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46519

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

読売新聞『押し紙』裁判〈2〉李信恵を勝訴させた池上尚子裁判長が再び不可解な判決、読売の独禁法違反を認定するも損害賠償責任は免責 黒薮哲哉

4月20日に大阪地裁が下した「押し紙」裁判の判決を解説しよう。前回の記事(「読売新聞『押し紙』裁判〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動」)で述べたように、判決は裁判を起こした元店主の請求を棄却し、逆に被告・読売新聞の「反訴」を認めて、元店主に約1000万円の支払いを求める内容だった。

5月1日、元店主は判決を不服として大阪高裁へ控訴した。

この判決を下したのは池上尚子裁判長である。池上裁判長は、カウンター運動のリーダー・李信恵と鹿砦社の裁判に、途中から裁判長として登場して、原告の鹿砦社を敗訴させ、被告・李信恵が起こした「反訴」で鹿砦社に165万円の支払い命令を下した人物である。幸いに高裁は、池上判決の一部誤りを認め、賠償額を110万円(+金利)に減額し、池上裁判長が認定しなかった李信恵らの暴力的言動の最重要部分を事実認定した。(※池上尚子裁判長が関わった鹿砦社対李信恵訴訟に関しては本記事文末の関連記事リンクを参照)

読売「押し紙」裁判の池上判決で最も問題なのは、読売による「押し紙」行為を独禁法違反と認定していながら、さまざまな理由付けをして、損害賠償責任を免責したことである。読売の「反訴」を全面的に認め、元店主の濱中勇志さんに約1000万円の支払いを命じた点である。読売の「押し紙」裁判では、「反訴」されるリスクがあることをアピールしたかったのだろうか。

池上判決のどこに問題があるのか、わたしの見解を公表しておこう。結論を先に言えば、木を見て森を見ない論理で貫かれており、商取引の異常さから環境問題、さらにはジャーナリズムの信用にもかかわる「押し紙」問題の重大さを見落としている点である。評価できる側面もあるが、わたしは公正な判決とは思わない。判決は間違っていると思う。

◆「押し紙」による独禁法違反を認定

既に述べたように判決は読売に「押し紙」があったことを認定した。

たとえば濱中さんがYCの経営をはじめた2012年4月の段階で、読売の社員らは新聞の搬入部数(定数)が1641部で、このうちの760部が残紙であることを濱中さんに知らせた。しかし、濱中さんは、

「新規の新聞購読者を獲得して残紙を有代紙に変えることで対応できるなどと考え、そのことを承知の上で本件販売店の経営を引き継いだ」(24P)。

この事実に基づいて、判決は次のように述べている。

「原告が本件販売店の経営を引き継ぐに当たり、本件販売店の定数にいついては、従前の定数を引き継ぐことを当然の前提とされていたものと推測され、定数に関する原告の自由な判断に基づく意向を反映する形で決定されたものであったとは考え難い」(33P)

つまり池上裁判長は、販売店には注文部数を自由に増減する権利が保障されていなかったと認定したのである。

また読売は、普段から販売店に対して「積み紙」(折込広告の水増しや補助金を目的とした部数の水増し)をしないように指導しており、それが守られない場合は販売店を強制改廃することができた。実際、わたしも「積み紙」を理由に販売店を改廃させられた店主らを知っている。「積み紙」を禁止することで、販売店を拡販活動に追い立てる構図があると言っても過言ではない。

こうした販売政策があるわけだから、濱中さんが「自ら、井田(注:読売の社員)が把握していた実配数の2倍近くの定数で被告に対して新聞を注文するようになったとは考え難」いというのが裁判所の判断だ。そして「被告(注:読売)があらかじめ定めた定数を前提に、(注:濱中さんが)新聞を注文するようになったと考えるのが合理的である」と結論づけた。それをふまえた上で、次のようにこの事実を認定している。(33P)

「以上からすると、被告が、原告に定数を指示して当該部数の新聞を注文させたことが推認され、この推認を覆すに足りる証拠は認められない。」(33P)

池上裁判長は、この行為が独禁法の新聞特殊指定(平成11年告示)の3項2に該当すると判断した。次の条項である。

3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

以上を前提として、池上裁判長は読売の独禁法違反を次のように認定した。

「前記のとおり、被告の指示した定数は本件販売店の実配数を2倍近く上回るものであったところ、そのような新聞の供給が正常な商慣習に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数との乖離を認識していたのであるから、被告がその指示する部数を原告に注文させたことに正当かつ合理的な理由がないと認められる。また、被告は、上記のとおり実配数を2倍近く上回る部数の新聞を原告に有代で供給している以上、販売業者に不利益を与えたといわざるを得ない」(34P)

「よって、被告には、平成11年告示3項に違反する行為があったといえる。」(34P)

ただし独禁法違反があったと認定した期間は、2012年の引き継時だけで、その他の時期については認定しなかった。

◆損害賠償も公序良俗違反も認めず

さて、独禁法違反を認定したのであれば、それに対して何らかの制裁を課すのが社会の常識である。取引の実態そのものが異常を極め、しかも被害が広告主にも及び、さらには環境問題(資源の無駄づかい)も含んでいるわけだから、社会通念からすれば、少なくとも「押し紙」は明らかに公序良俗違反になるはずだ。

ところが池上裁判長は、読売に対する一切の損害賠償責任を免責にしたのだ。その理由は、濱中さんが補助金などの支給により、大きな経済的損害を受けていなかったうえに、「押し紙」を前提としたビジネスモデルを承知していたからというものだった。

こうした論法が認められるのであれば、たとえば窃盗で得た金銭が1円とか10円とか、少額であれば返済は不要だと言っているに等しい。商取引の通念からすれば、たとえ数字の誤りが1円でもあれば、返済するのが常識である。

さらに残紙により広告主らから不正に広告料を騙し取る行為-折込広告の水増し行為に関しては、池上裁判長は驚くべき見解を述べている。

「被告の行為が広告主や社会一般に対する詐欺に当たるという点については、仮に詐欺に当たると評価されるとしても、原告との関係において直接問題となるものではないから、被告の行為について、直ちに本件契約を公序良俗に反するものであるとするほどの違法性があることを根拠付けるものとはいない」(35P)

「押し紙」により広告主に被害を与えていても、販売店に対する被害は発生していから、公序良俗違反を適用するには及ばないと言っているのだ。巷では、折込広告(広報も含む)の水増しが社会問題になっているのだが。

◆折込広告の水増し問題も直視せず

池上判決が2012年の販売店開業時について、独禁法違反を認定していながら、その他の時期については認定しなかったのは論理の整合性に欠ける。他の時期についても大量の残紙が存在したことは判決で認定したわけだから、同じ「押し紙」を柱とした同じビジネスモデルの下で、商取引が行われたと解釈するのがより整合性があるはずだが、池上裁判長はなぜか2012年の引き継時だけに独禁法違反を限定したのである。木を見て森を見ない論理を露呈した。

◆「押し紙」を柱としたビジネスモデル

さらに判決は、濱中さんがショートメールで「押し紙」を断っていたことを認定しているが、これについてもあれこれと理由を付けて、読売を免責している。

減紙の要求を受け入れない読売に業を煮やした濱中さんは、ショートメールで「押し紙」を減らすように申し入れた。その記録は、裁判所へ提出されている。次のようなやり取りだ。

(社員)「いきなり整理(注:部数を減らすこと)できないので、次回の訪店でお話しましょ!お互いの妥協策をかんがえましょ。俺をとばしたいなら、そうしますか。」(29P)

(社員)「書面出したら、昨日言った通り、全て担当員のせいになります。俺の管理能力が問われるから、部長ではなく、俺が全て責任とらされます。」「明日から会社でるので、部長と相談するな。少し大人しくしててな。おれに一任しておくれ。」(29P)

(濱中)「溝口社長に話し聞いてもらわないと解決しないでしょう。このままでは」(29P)

(社員)「社長にそれをすると、俺が飛ぶって!どばしたかったらやってくれ!」(29P)

(濱中)「紙の整理どうします?」(29P)

これらのメールから「押し紙」制度の中で、社員が上司と販売店の板挟みになっていることが読み取れる。「俺が全て責任とらされ」るとまで言っているのだ。「押し紙」を柱としたビジネスモデルの中で、読売の社員も苦しんでいる様子が読み取れるのである。ある意味では、社員も「押し紙」制度の被害者なのである。

ところが池上裁判長は、メールの文面から、「押し紙」制度の被害が社員にまで及んでいる実態を読み取ることなく、切り捨てているのである。

たとえば、

「①原告は、被告の担当者とメールのやり取りすることもあったにもかかわらず、平成30年3月以前において原告が減紙を申し出る内容のメールを被告の担当者に送信したことを裏付けるメール等の証拠がないこと、②原告は、前記3(5)アのとおり被告の読者センターに対して苦情等を直接伝えるなどしていたのであるから、本件販売店を担当する被告の担当者に対して継続的に減紙を申し出ていたにもかかわらず一向に応じてもらえない状況にあったというのであれば、被告の本社に対して何らかの働き掛けを行うことが想定できるにもかかわらず、原告が被告の本社に直接減紙を求めたような事情が証拠上認められないこと、③前期3(5)オの平成30年4月の原告と梶原とのメールのやり取りには、『いきなり整理できない』などと、原告が急に減紙の話を持ち出したことがうかがわれる内容が含まれること」

などである。

ちなみに社員が記した「いきなり整理できない」という表現は、これまでの「押し紙」を柱とした商慣行を「いきなり」変えることはできないと、解釈するほうが自然だと、わたしは思う。

なお、日経新聞の「押し紙」裁判でも類似した司法判断(京都地裁、2022年)があった。原告の元店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていたにもかかわらず、販売店と新聞社がこれらの書面を前提に販売店と新聞社が話し合ったから、「押し紙」とは認定できないとする内容だった。判決の方向性を最初から新聞社の勝訴に決めているから、「押し紙」の決定的な証拠を突きつけられると、次々とブラックユーモアのような詭弁を持ち出してくるのである。裁判の公平性に疑問が残るのである。

◆控訴審で補助金制度の検証が必要

濱中さんに対して、約1000万円の支払いを命じた件に関しては、補助金の性質を池上裁判長がよく理解していないとしか言いようがない。濱中さんが補助金の架空請求をしていたので、それによって得た額を返済するように命じたのだが、新聞のビジネスモデルの全体像の中で補助金の役割を考える必要がある。

補助金というものは、ビジネスモデルの構図の中でみると、「押し紙」の負担を軽減すると同時にABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を上げる役割がある。濱中さんの販売店には、常時大量の残紙があったわけだから、それに相応した補助金の額も大きかった。
 
読売裁判のケースは再検証する必要があるが、一般論で言えば、新聞社はさまざまな名目を付けて補助金を支給する。昔は、封筒に現金を入れてどんぶり勘定で支給したのである。従って領収書があるとは限らない。新聞社が開き直って販売店に「架空請求をしていた」と言えば、販売店は反論ができない。毎日新聞では、1986年に補助金制度を利用した裏金作りも発覚している。(『毎日新聞百年歴史』)

濱中さんのケースが、一般論に該当するのか、控訴審で再検証する必要がある。

改めて言うまでもなく裁判官には、人を裁くただならぬ特権が付与されている。従って公正な判決を故意に捻じ曲げた場合は、司法界から除籍されるべきだろう。(つづく)

※この裁判では、「押し紙」の定義も重要な争点となったが、若干内容が複雑なうえ、新聞業界と公正取引委員会の「密約」の疑惑も含めて、かなり重大な問題を孕んでいるので日を改めて解説する。「密約」の疑惑は、情報公開請求によってわたしが入手した黒塗り文書で浮上した。この点に関しては、筆者の新刊『新聞と公権力の暗部』(鹿砦社)でも言及している。

《池上尚子裁判長が関わった鹿砦社対李信恵訴訟=関連記事》

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【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈1〉】 対李信恵訴訟控訴審判決について思うこと ── 反差別運動の未来にとって隠蔽や開き直りは許されない!(2021年8月2日)
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▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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『紙の爆弾』2023年6月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

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解散・総選挙の可能性も取り沙汰されています。“爆発物事件”が暗い影を落とすのは、それが選挙を妨害するからではなく、議論すべき争点をぼかすことにしかならないからで、解散風とともにこの事件が活用されるのではと、マスコミ報道も気になるところ。自公政権におもねるマスコミこそ選挙妨害に加担しているのではないか、との検証こそ必要です。放送法解釈変更問題とは、その観点から論じられるべきものでしょう。事件については与野党が「民主主義の破壊」と非難する一方、容疑者も過去に起こした訴訟の中で、「安倍国葬」の強行を「民主主義への挑戦」と批判していたそうです。後者はともかく前者については、選挙があれば民主主義なのか、ということも、考えなければなりません。

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