《NO NUKES voice》【東日本大震災・原子力災害伝承館】(上)館長選びの時点ですでにこうなる事は決まっていた 展示で伏せられた原発事故被害の実相 民の声新聞・鈴木博喜

福島県双葉町に9月20日、オープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(JR常磐線・双葉駅から徒歩約30分)は大方の予想通り、原発事故被害の実相を後世に語り継ぐような施設にはならなかった。県内在住の来館者からは「原発事故直後の記憶がよみがえった」との声があった一方、県外から訪れた人は「展示がきれいすぎるというか優等生すぎますね。原発事故が発生した当時のエグさをもっと出さないと伝わらない」と物足りなさを口にした。それもそのはず。初代館長を選ぶ段階で、既に施設の性格が決まっていたのだ。

「伝承館」の初代館長に就任したのは、アーカイブ施設とは全く無縁の高村昇・長崎大学教授。原発事故直後に山下俊一氏とともに福島入りし、県内を巡って〝放射線被曝の心配は無用講演会〟をした人物だ。

1993年長崎大学医学部を卒業。講師、助教授、准教授を経て、2008年度から長崎大学大学院・医歯薬学総合研究科の教授。2013年度からは長崎大学原爆後障害医療研究所の教授を務めている。原発事故直後の2011年3月19日、山下氏と福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」に就任した。

初代館長に就任した高村昇氏。福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際、取材陣に「復興」を何度も口にした
高村氏は山下俊一氏とともに原発事故直後に福島県入り。県内を講演して巡って「安全安心」を説いた

当時の講演では、「放射性セシウム137 が体に入った場合の半減期は30年では無い。子どもであれば2カ月、大人でも3カ月程度で半分になる」、「100ミリシーベルトを下回る場合、現在の科学ではガンや疾患のリスクの上昇が証明されていない。一方、煙草を吸う人のガンになるリスクは、1000mSvの放射線を被曝するのと同程度のリスクと考えられている」、「鼻血が止まらなくなったとか…そのような急性の症状が出現する被曝線量は500から1000mSv以上と言われている。福島の人がそのような線量を被曝しているとは考えられないので、放射線の影響ではないと思う」と、放射線被曝への不安を鎮静化させる事に終始した。甲状腺検査など原発事故による健康影響を調べる「県民健康調査」の検討委員も務めている。

高村館長は今年7月、福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際の囲み取材で、筆者の質問に「私も最初、この依頼があった時はかなり驚きました。まさに今おっしゃったとおり、私はアーカイブの専門家ではありませんので、自分で良いのかなと確かに思いました」と答えた。日本原子力文化財団が発行する月刊誌「原子力文化」8月号でも「私自身は医療の専門家であり、いわゆるアーカイブス学の専門家ではなく、昨年福島県から伝承館の館長就任を打診されたときには大変驚きました」と綴っている。ではなぜ、このような人物を館長候補に選んだのか。

「伝承館」の指定管理者である「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」(斎藤保理事長、以下機構)は、福島県からの推薦を受けて高村氏に館長就任を依頼したと説明している。機構に推薦した側の福島県生涯学習課の担当者は今年4月、取材に対し、次のように説明した。

「3つあります。まず、人格的なものが1つあると思います。考え方に偏りが無い、人格的に温厚で高潔な方である。これが1つ目の理由です。もう1つは本県の復興、避難地域等の支援に関わってこられた方であるという事です。そして、伝承館の運営に必要な能力を持っている方であるという事。これらの3点が推薦理由です。検討過程で何人かの名前が候補に上がりましたが、最終的に高村先生が適任だろうという結論に至りました。高村先生には数カ月前に推薦の打診をし、『ご協力出来るのであれば』と快諾していただきました」

これでは、福島県立博物館長を務めた赤坂憲雄氏など、適任な専門家を押しのけて専門外の高村氏が選ばれた理由が分からない。しかし、高村氏自身の発言に答えがあった。キーワードは「復興」だ。

「伝承館」の基本理念には「福島県の光と影を伝え」とあるが、実際には「光」の部分に重きが置かれている

就任要請を受諾した理由について、囲み取材で筆者に「伝承館というのは原子力災害からの復興という事を主眼としていると聞きましたので、それであれば、この9年間福島で地域の復興に携わってきた者としてお手伝い出来る事があるんじゃないかと考えました」、「この伝承館の1つの主眼というのが、原子力災害からの復興に関する資料収集という目的がある。それを展示する。収集して展示して情報発信するという目的がある。原発事故直後の説明会から、地域の復興、県民健康調査もそうですが、そういった形で原子力災害からの復興に多少なりともかかわった人間としてですね、そういった側面から伝承館の館長としての役割を果たしていきたい」と話した。

月刊誌「原子力文化」でも「福島の復興に多少なりともかかわってきた者として、福島の復興の証をを次の世代に伝え、福島の経験を活かして国内外の人材を育成するという伝承館のミッションに共鳴」したと書いている。つまり、原発の〝安全神話〟はどのように醸成されてきたのか、原発事故をなぜ防げなかったのか、住民たちはどのような苦しみを味わったのか、事故後の施策は正しかったのかなど、原発事故がもたらした怒りや哀しみ、苦痛などを後世に語り継ぐ施設ではそもそも無いのだ。〝復興五輪〟開催に合わせて「原子力災害から立ち直った福島の姿」を国内外に発信する施設であるならば、発生直後から放射能汚染や被曝リスクを否定し続けて来た高村氏が館長に選ばれるのもうなずける。

内堀知事に対し、高村館長は「ぜひイノベーション・コースト構想の一翼を担って行きたい」、「学校教育と連携しながら、今後の福島を担っていくような若い世代に、福島がどのように復興して行ったかをきちんと学んでいただく。人材育成も重要なミッションだと考えております」と〝決意表明〟した。

「復興のあゆみ」を展示するのが主眼だから、原発事故の生々しさも被害の実相も伝わらない。これが53億円かけて建設した施設の本当の顔だった。(つづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記12》対照的だった「それぞれの父親」後編

今年3月に広島地裁で行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋は、それぞれの父親との関係が対照的だった。

前回は、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介したが、聡美さんが父親から愛されていたことがよく伝わってきたはずだ。今回は鹿嶋の父親が法廷でどのような証言をしたのかを紹介したい。

◆血のつながりがない鹿嶋に、無関心だった父親

「あなたと学さんは血がつながっていますか?」

3月5日、広島地裁。証言台の前の椅子に座った鹿嶋の父親に対し、弁護人は鹿嶋父子の最もセンシティブな部分に踏み込んだ質問をした。父親が「はい」と答えると、弁護人はさらに「戸籍では、学さんはあなたの子供ということになっていますが、なぜですか?」と重ねて質した。

これに対し、父親は──。

「妻との交際中、妊娠が発覚しましたが、自分の子供ではないことがわかりました」

質問と答えがかみ合っていないことがわかるだろう。弁護人は、血のつながりがない鹿嶋のことをなぜ、「実子」として戸籍に入れたのか、と問うたのだが、父親は理解できなかったのだ。

弁護人はすかさず、「つまり、奥さんと交際中、奥さんがあなたとは別の父親の子供を妊娠していることがわかったが、自分の子供として育てようと決意したということですか?」と誘導するように聞き直した。すると、父親は「はい」とだけ言い、この件に関する質問はこれで終わった。

父親が自分以外の男の子供を妊娠した妻と結婚し、その子供を実子として戸籍に入れることを決めるまでには相当な葛藤があったはずだ。しかしそれはあまり深掘りされず、ほとんど放置されたのだ。

ただ、その後の弁護人と父親のやりとりを聞いていると、案の定と言うべきか、父親が鹿嶋を育てる中、鹿嶋に愛情を持てていなかったことがよく伝わってきた。

たとえば、弁護人から「学さんの学校の成績はどうでしたか?」と聞かれた時のこと。父親は「良くも悪くもなく、普通の成績だったと思います」とだけ言った。そして「学さんは真面目に学校に通っていましたか?」と問われると、今度は「通っていたと思います」とだけ言った。答えがいずれもあっさりしていて、具体性がなく、父親が鹿嶋のことに関心を持っていなかったことが察せられた。

さらに「学さんの学生時代の交友関係はご存じですか?」という質問にも、父親は「知りません」と言った。「女性関係はどうでしたか?」と聞かれても、「なかったと思います」と答えるのみだった。

鹿嶋は高校卒業後、就職して家を離れた時期が数年あるものの、それ以外はずっと実家で生活しており、35歳で逮捕された時も実家暮らしだった。一般的な父親であれば、息子がそんな年齢になっても未婚で実家暮らしをしていれば、結婚はどうするのかとか、孫の顔は見られるだろうかとか、色々気になるものだ。しかし、父親は鹿嶋にそんな関心は抱いていなかったわけである。

広島地裁に入る、鹿嶋を乗せているとみられる車両

◆鹿嶋と会話をほとんどしていなかった父親

鹿嶋が中学時代、本当は剣道部に入りたかったのに、父親に言われるままに陸上部に入ったという話は、この連載の2、3回目で触れた。この父親の証人尋問では、鹿嶋の進学する高校も父親が決めていたことがわかった。

「学校からのアドバイスで、マラソンをすれば、伸びると聞かされたのです。そこで、高校は当時、陸上が盛んだった高校を勧めたのです」

父親は、鹿嶋の高校を決めた理由をそう説明したが、鹿嶋に対しては、学校側からそのようなアドバイスを受けたことを教えていなかったという。鹿嶋は何も知らないまま、父親に決められた高校に進学し、言われるままに陸上部に入ったというわけだ。練習には出なかったようだが、わけもわからないままに父親にやらされた陸上が面白くなかったことは想像に難くない。

父親は家で鹿嶋とほとんど会話をしていなかったそうで、「もう少し会話するように努めていればと反省しております」と証言していたが、子供への愛情があれば、おのずと関心がわくし、会話をするのに努力など不要だ。父親は、母親と結婚した際にお腹の中にいた「自分以外の男の子供」まで一緒に引き受けたことを後悔していたのではないか…と思わずにいられなかった。

鹿嶋は高校卒業後に就職し、勤務先の工場がある萩市で寮生活をするようになってからは、休日に実家のある宇部市に戻ってきても、あまり実家には寄りつかなかったという。父親はこの当時の鹿嶋について、「何回か実家に帰ってきたと妻から聞きましたが、私は顔を合わせることがありませんでした」と言った。その言葉からは、鹿嶋が高校卒業後に家を出ても、まったく寂しくなかったことが窺えた。

息子が1カ月も行方不明なのに、捜索願を出さずじまい

すでに触れた通り、鹿嶋が事件を起こしたのは、寝坊がきっかけで会社を辞め、自暴自棄になったのがきっかけだった。あてもなく原付で東京に向かう中、路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと思い立ち、聡美さんの家に侵入した挙げ句、結果的に聡美さんに凶刃を向けたのだ。

この直前、鹿嶋の父親は宇部市で妻を乗せて車を運転中、原付で東京に向かおうとしていた鹿嶋と路上でばったり会っている。それを最後に鹿嶋は、東京に向かい、1カ月間も行方が途絶えたのだが、この間のことに関する父親の証言にも気になる点があった。鹿嶋が1カ月以上も失踪していたにも関わらず、父親は行方を探すための努力をほとんどしていなかったようなのだ。

父親は一応、何度か鹿嶋に電話したそうだが、検察官から「電話以外に何か息子さんを探すためにしましたか?」と問われると、「していません」と言った。さらに「捜索願を出そうとは考えなかったのですか?」と重ねて質されると、「はい」と一度言い、それから少し思案し、思い出したようにこう言った。

「妻と捜索願を出そうかと相談したことはありました。そうしたら突然息子が帰ってきたので、結局、捜索願は出さなかったのです」

21歳(当時)の息子が突然会社を辞め、1カ月も連絡が取れないのに、この間、捜索願を出さなかったというのはやはりさほど心配していなかったからだろう。

◆「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ってはいたが……

2018年4月に鹿嶋が逮捕され、この事件の犯人だとわかった時のことについて、父親は「突然のことで、信じられず、びっくりしました」と振り返った。それは親として一般的な感情だろうが、鹿嶋の逮捕以来、2年もあったのに、父親はこの間、3回しか面会に行っていないという。

弁護人が「今後、学さんとどう関わっていきますか?」と質問すると、父親は「体調が悪くなければ面会に行きますし、体調が悪ければ、手紙でやりとりしようと思っています」と言った。実際、父親は72歳と高齢で、腰痛なども抱えており、体調は悪いようなのだが、普通の父親ならありえないようなドライな答えだ。

父親は、「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ったりもしていたが、父親から本気で鹿嶋を自分の子供として愛していたことが感じられる言葉は最後まで聞けなかった。

筆者は、鹿嶋の父親のことを批判したいわけではない。結婚を前提に交際していた女性が、自分以外の男の子供を妊娠しているとわかりながら、中絶を求めたり、別れたりすることなく結婚し、生まれてきた子供を自分の子供として育てたのは、おそらく彼が優しかったり、責任感が強かったりするからだろう。

しかし、結果的に鹿嶋が血のつながらない父親に育てられたことで人格に問題を生じさせ、それがひいては事件の遠因になった可能性は否めない。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
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天皇制はどこからやって来たのか〈16〉古代女帝論-8 道鏡神託事件の真相とは

その事件の発端は、伊勢神宮の神官が慶雲を見たことにはじまる。

神官の尾張守は平城京の方角の空に、五色の瑞雲が浮かぶのを目撃した。五色の瑞雲とはおそらく、夕日に映えた雲の変色であろう。彼はその雲を絵に描いて、道鏡の腹心である習宣阿曽麻呂(すげのあそまろ)に伝えさせた。道鏡から善政の吉兆だと、これを見せられた女帝はおおいに喜んだ。

この道鏡と女帝は、よく男女の関係とみなされてきたが、史料的な裏付けがあるわけではない。宣命にのこる女帝の言葉、道鏡への賛美を挙げておこう。

「この禅師の行を見るに、居たりて浄く、仏の御法(みのり)を嗣ぎ隆(ひろ)めむと念(おも)はしまし、朕も導き護ります己が師」

道鏡は、わたしの偉大な仏の道の師である、というのだ。修行をおこない、徳を積むことこそ天子(帝)の進むべき途だと、女帝はこころの底から考えていたのであろう。

女帝が喜ぶのを見て、道鏡は習宣阿曽麻呂に命じた。宇佐神宮に行って、何か吉兆がないか問い合わせてほしいと。

なぜ宇佐神宮だったのだろうか。宇佐神宮は地方の神社ながら、そのころ八幡神の神託で売り出し中だった。大仏鋳造にさいして、聖武帝が新羅に銅と金をもとめようとしたところ、神託をもってこれを諌めたことがあった。ちょうど武蔵と陸奥で銅山と金山が発見され、宇佐神宮はおおいに面目をほどこしたのである。

その後、奈良の大仏が完成したおりに、大神杜女(おおがみもりめ)という尼僧が入京して八幡神を勧進した(石清水八幡宮)。なぜ大神杜女が尼僧なのかというと、彼女は宇佐神宮の禰宜でもあった。古代神道が仏教を受容した結果、神仏習合が行なわれていたからだ。その宇佐神宮では大神氏と宇佐氏が、それぞれ弥勒信仰と観音信仰の神宮寺を建てて派閥抗争をくり広げていたのだ。 ※「天皇はどこからやって来たのか〈07〉廃仏毀釈──そのとき、日本人の宗教は失われた」を参照。

そこにやって来たのが、道鏡の使者・習宣阿曽麻呂である。大神杜女はその求めをおもんぱかり、道鏡を帝位にとの偽託をもって応えたのだ。都でくり広げられている事態、すなわち道鏡を中心とした仏教勢力(吉備真備・道鏡の腹心である円興・基信ら)と藤原氏の政争を知っている大神杜女にとって、これは宇佐神宮を牛耳る上でも中央政界に進出する上でも、格好の政治テーマだった。

そこで「法王(道鏡)を帝位に就けよ」との八幡神の神託をねつ造する。

ところが、その目論見は察知されていた。女帝と道鏡を除かんとする藤原氏の謀略網が、待ちかまえていたのである。神託を手にした習宣阿曽麻呂が大宰府で上奏の手続きをしようとしたところ、半年も待たされることになった。太宰司の第弐(副長官)は藤原田麻呂で、弟の藤原百川から依頼されて神託を留め置いたのである。

というのも、大神杜女には藤原仲麻呂が健在のころ、橘諸兄一派の僧侶に誘われて厭魅(呪詛)に参加して追放された前科がある。呪詛は律令においては大罪である。そんな尼僧がたくらむことは、およそ底が知れているというわけだ。

しかし、謀略家の藤原百川は神託の写しをとった上で、習宣阿曽麻呂を平城京に帰還させた。つぎなる謀略が練られていたのであろう。

習宣阿曽麻呂が奏上した神託をきいて、愕いたのは道鏡だった。せいぜい吉兆があったという報告があればと思っていたところ、自分を帝位にとの神託がくだったのだ。女帝もこれを喜んだが、確認のために勅使を下向させることになった。女帝の侍僧・和気広虫の弟、和気清麻呂が宇佐に行くことになった。

こののちはご周知のとおり、宇佐八幡神は僧形で姿をあらわし「開闢いらい、臣下の者が帝位に就いた例はない。天つ日嗣(ひつぎ)には、かならず皇族を立てよ」とぞ、のたまへり。

道鏡は下野に左遷され、女帝は急速に求心力をうしなった。

◆太陽を堕した藤原氏の陰謀

じつはこの第二の神託は、藤原氏が大神杜女にねじ込んだものだった。その見返りは、宇佐氏に対抗できる宇佐神宮の宮司の地位だった。とばっちりを受けたのは和気清麻呂で、女帝の怒りを買って「別部穢麻呂」と改名されたうえ、大隅に流罪となった。清麻呂が復権するのは女帝の死後、桓武帝のもとで平安遷都の造都大夫となったときだ。

平安期に成立した『日本紀略』には、藤原氏が女帝の宣命を偽造したとの記述があり、だとすれば女帝は密殺された可能性が高い。その宣命には、藤原氏に近い白壁王を皇嗣にすると記されているからだ。

陰謀の理由も方法も、もはや明らかであろう。

藤原氏は聖武天皇いらいの大仏建立をはじめとする仏教政策、とりわけ全国で行なわれている国分寺・国分尼寺などの公共事業が民びとを苦しめ、国家財政を傾けさせている現実を肯んじえなかったのだ。そしてみずから経営する荘園禁止の法令を、一刻もはやく覆したかったのである。そのためには道鏡以下の仏教勢力の排除、そして女帝の退陣が何としても必要だったのだ。

同時にこれは、邪馬台国いらいの女王による呪術的な政治を、律令政治の中から排除することにほかならない。高度な官僚制を確立しつつある律令政権が、女帝の勝手気ままな政策(神託)で混乱をきたすのは、男性政治家たちにとって困る事態だったのであろう。

孝謙(称徳)女帝の死をもって、絢爛たる古代女性天皇の時代は終焉した。実務に秀でた男性貴族たちの陰謀によって、女性は太陽であることを禁じられたのだ。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

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鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記11》対照的だった「それぞれの父親」前編

今年3月に行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。全5回の公判を傍聴してから数カ月が過ぎたが、今も強く印象に残っていることがある。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋が「ある点」において、対照的だったことだ。

ある点とは、「親から注がれてきた愛情」である。そのことを説明するには、聡美さんと鹿嶋それぞれの父親が取り調べや裁判で自分の子供や事件について、どのように語ったかを紹介すれば、一番わかりやすいと思われる。

◆不妊治療で授かった初めての子供

今回はまず、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介する。

 * * * * * * * * * *

平成16年10月5日午後3時頃――今から13年前、この日、この時間、私は愛娘の聡美を失いました。

私と妻には、聡美とその妹、弟の計3人の子供がいました。だから、私は聡美のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。この「お姉ちゃん」が私たち夫婦にとって初めての子供として生まれた時のことを私は今も忘れません。

私と妻は結婚し、なかなか子供を授かることができませんでした。それで私たちは不妊治療をしました。

私は、早く自分の子供をこの腕に抱いてみたいと願い、妻と努力しました。そして4年後、神様から授かったのが、聡美という、私たち夫婦にとっては生命より大切な宝だったのです。聡美という名前は、「聡明で、美しい子になりますように」という願いをこめました。

この聡美が生まれ、私は生まれて初めて、我が子と会いました。「やった。これが俺の子か」と叫び出しそうになった気持ちを今でも覚えています。

生まれたばかりの子をどうやって抱いたらいいのかわからず、「私が抱いてケガでもしたらどうしようか……」と怖かったですが、それでも私は我が子をこの腕に抱きたくて、恐る恐るこの腕に聡美を抱きました。そのことを今でも覚えています。本当に嬉しかったです。

それから聡美は本当に元気に育ってくれました。「子供がいるだけでこんなにも人生が楽しくなるのか」と思うほど、私の生活は明るくなりました。聡美が幼稚園に入り、小学生になり、そんな様子を見ているだけで幸せでした。

「この幸せな時を絶対に守ってやろう」

私はそう思っていました。

判決公判後、報道陣の取材を受ける北口聡美さんの父・忠さん

◆「私の一生をかけて守ってやろう」と思っていた

小学生になった聡美は、少し引っ込み思案なところがあったので、「みんなとやっていけるかな」と少し心配していました。しかし、私の心配をよそに、聡美は友だちと楽しく、元気に育っていきました。父親は、心配しなくてもいいようなことでも、娘のことはつい心配になってしまうのです。

聡美にもやがて妹が産まれ、それから弟も産まれました。私は、自分の人生を幸せにしてくれた宝を3人も授かることができたのです。そして私はいつしか、聡美のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていました。

私も妻も、3人の子どもたちには本当に感謝しています。だから、私はいつも、「この子たちのことは私の一生をかけて守ってやろう」「この幸せがずっと続きますように」と思っていました。

お姉ちゃんは、やがて中学を卒業し、地元の高校へと進学しました。頑張り屋で、一生懸命勉強もして、私は何も心配することがありませんでした。しいて言えば、「勉強もいいけど、もっと友だちと遊べばいいのに」と思ったくらいです。勉強を頑張る子に、「もっと遊べば」と思う親もちょっと珍しいですが、そう思っていました。

◆事件の時の詳しい記憶が無くなってしまった

お姉ちゃんは16歳になり、そして17歳になり、少し大人になってきました。しかし、私の中では、「まだまだ俺が面倒をみなければいけない子供だ」と思っていました。

一方で、人からは「女の子がそんな年頃になると、父親とは話もしてくれないよ」と言われるので、「お姉ちゃんもそんな感じになるのかな」とも思っていました。でも、お姉ちゃんは、いつになっても、何歳になっても、私と普通に接してくれました。

そんなお姉ちゃんが、私に「お父さん、感謝しなさい」と言うのです。生意気に。俺がいないと、一人では生きていけないくせに。俺がまだまだずっと守ってやらなきゃいけない、俺の娘のくせに。

この娘を私は失いました。私は守れなかったのです。

平成16年10月5日、私はいつものように仕事に出ていました。すると突然、私のいとこの奥さんから電話があり、「家で事件があったみたいだから、すぐ帰ってあげて」と言われたのです。

その時はまだ事件の詳しいことはわからず、「なんだろう」くらいの気持ちで、家に向かいました。そして廿日市に住んでいる、私の妹に車で迎えに来てもらい、二人で家に帰ろうとした時、JA広島病院から電話で、「北口聡美さんのお父さんですか。すぐに病院に来てください」と言われたのです。

すみません、私にはそれからの詳しい記憶が無くなってしまいました。お話しできなくて、申し訳ありません。

私が憶えているのは、台に寝ている聡美を何度も、何度も、何度も、ゆすって起こそうとしたこと。何度も、何度も、「お姉ちゃん」と呼んで起こそうとしたけど、また私のことを「お父さん」と呼んでくれなかったことだけです。

全公判を傍聴した北口聡美さんの父・忠さんは毎回、娘の遺影を持参していた

◆犯人と闘う決意をした

この事件では、私の母も被害に遭い、生命の危険に陥りました。また、聡美の妹もその場で犯人と会い、危ないところでした。

その犯人はすぐには捕まらず、13年半が経ちました。長かったです。本当に長い時間でした。事件からまもなくは、「聡美の妹は犯人を見ているので、もし犯人が襲ってきたら大変だ」と思い、いつ来るか、もう来るのかと眠れない日が続きました。「犯人が来るなら、どうか俺がいる時にしてくれ」「もうこれ以上、幸せを奪わないでくれ」。その繰り返しでした。

それとは別に、お姉ちゃんの死を受け入れることができず、「あした起きたら夢だとわかるかも」と思って、なんとか寝ようとしても寝られず、そして朝になり、明日こそ夢から覚めるかもしれないと思い、また寝ようと頑張り、毎日がその繰り返しでした。

また、当時はまだ12歳と小さかった妹がお姉ちゃんの姿と犯人を見ていることがとても心配でした。あとから、妹に聞くと、「それは、怖い言うもんじゃなかったよ(=怖いという言葉で表現できるものではなかったよ)」と話してくれました。もしあの時、妹がその場で動けなくなっていたら、妹まで被害に遭っていたかと思うと、よく頑張って逃げてくれたと感謝するばかりです。

そんな怖い思いをした妹を守るため、事件のことは世間から隠しておいたほうが良かったのかもしれません。でも、私は、捕まらない犯人をどうしても放っておくことができませんでした。

「どうして聡美を襲ったのか」「その真実を知りたい」「犯人を絶対に許しておかない」。とても悩みましたが、大切な聡美のため、私も犯人と闘う決意をしたのです。

そのことを聡美の妹も応援してくれました。そして私はブログを始めたのです。ブログをやったことはなかったですが、人にも教えてもらい、自分でも勉強して、いろんな人から事件の情報を集めることにしたのです。そして警察の事件に関する広報活動にも参加させて頂きました。

この13年半、私は聡美のために行ってきたことを「しんどい」とか「苦しい」とか思ったことは一度もありません。聡美が受けた苦しみに比べれば、私など何でもありません。

ただ、怖かったのは、事件が忘れられ、犯人が捕まらないまま終わってしまうことです。それと、犯人がいつかまた襲ってくるのではないかということです。

この犯人が捕まったと警察から連絡を頂き、どれほど嬉しかったか。この犯人は、鹿嶋学という、事件当時は21歳だった男と聞きました。これまで聞いたことがない、私どもとは何の関係もない他人です。

◆13年半、聡美にずっと話しかけてきた

私は、犯人が捕まったことを聡美にも報告しました。この13年半、聡美にはずっと話しかけてきました。

お姉ちゃん、いなくなっちゃう前の9月、「お父さん、文系と理系、どっちに進んだほうがいい?」と相談してくれたね。お父さんは、「お姉ちゃん、理系が好きなら、そっちにすれば」と言うと、「じゃあ、そうする」と答えたよね。

今頃、お姉ちゃんはどんな仕事をしていたかな。そう言えばこないだ、お姉ちゃんの友達が来てくれたよ。もうお母さんになっていたよ。

そうそう、お姉ちゃんに謝らないと。いなくなっちゃう半年くらい前、「府中のショッピングモールに行きたいって言ったよね。お父さんは、「遠いからダメ」「もっと大きくなったらいつでも行けるから」と反対したよね。お父さん、今でもそのことがお姉ちゃんに悪いことしたって、忘れられない。

お姉ちゃん、犯人捕まったよ。

私が聡美と最後に会ったのは、事件前日、10月4日の夜です。その時、パソコンをしていた聡美に、「お父さん、もう寝るよ」と声をかけると、聡美は「ヒヒ」と答えてくれました。それが最後です。私の記憶の中で、聡美はそれ以上、大人に成長してくれないのです。

聡美を奪った犯人に言います。

「お前は人間じゃない。聡美の生命を奪った償いは、自分の生命で償え」

私が犯人に望むのは、死刑しかありません。最後に、お姉ちゃん、守れずに、ごめんなさい。

 * * * * * * * * * *

以上、検察官が朗読した被害者・北口聡美さんの父親・忠さんの供述調書だが、これを聞けばたいていの人が涙を誘われるのではないかと思われる。次回は鹿嶋の父親の公判証言の内容を紹介するが、忠さんの供述調書の内容とどのように対照的なのか、ぜひ読み比べて頂きたい。(次回につづく)

北口聡美さんが事件の半年前に行きたがっていたショッピングモール(2019年12月撮影)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

8月9日、大国町「ピースクラブ」で、ドキュメンタリー映画「ふるさと津島」の上映会と浪江町津島から兵庫に移住した菅野みずえさんのお話会を行った。以下、菅野さんのお話を全3回の短期連載で紹介する。今回が最終回。(取材・構成=尾崎美代子)

お話をする菅野みずえさん。テーブルの花束は、三木の自宅の畑から菅野さんが摘んできた。右側は本稿筆者の尾崎美代子さん

◆そんなものを日本中にばらまいていいわけがない

最初、映画「ふるさと 津島」を見て、皆さんが違和感持たなかったこと、これだけ原発に反対する皆さんが集まってもなお、気づかなかったというところに、私は原発事故の酷さと惨さを思います。

コロナウイルスにマスクするなら、同じ様に被ばくした土地に行ってもマスクしないといけないんです。触ってはいけないから手袋をする、そしてそれを捨ててくるんです。中で使ったものを持って帰ってはいけないことになっている。それほど汚染された場所だと、国が暗に認めているところで、防護しないということは何なんだと、私は思います。

最近飯舘村が「事故から10年経ったんだから、帰りたい人は、除染せずに帰ってもいいんじゃないか」などと言い始め、飯舘村が言っているということで、国まで除染しないと言い出しています。とんでもないことです。「ばらまいたものは仕方ないから、諦めてよ」というのはないと思うし、みんなで痛み分けしようと、8000ベクレル以下の土を持ってきて、高速道路の基礎に埋めようなんて話はとんでもないことです。いつ地震でひっくり返り、隆起して出てくるかもしれない。そんなものを日本中にばらまいていいわけがないと思っています。

自分の故郷が二度と帰れないところになるという理不尽さは、皆、一人一人持っています。原発は東にあり、津島では「東夕立」は来ることはなかった。だから8割の放射性物質は海へ落ちて、残りの2割が地上30メートルで大きな爆発を起こした。広島、長崎の何十倍の爆発です。そうしたらその膨大な熱量が冷たいところに一気に風が流れ込んだ。そこが津島だと思っています。

帰還困難区域特定拠点解除のための除染

そうしますと、皆さん、今、私たちの住んでいる関西の原発は、黄砂が吹いてくる根元にある。黄砂が吹く時期、原発事故が起きていたらどうします? 放射性物質が黄砂にまといついてやってくるのです。各ご家庭のものほしの隅々まで。そこも住めなくなるのではないですか? 8割が関西に流れるのだから。愛媛の伊方原発で台風のとき何かあったらどうなるか? 玄海原発で何かあったらどうする? あれだけ火山活動が活発な火山の近くの川内原発で目詰まりしたらどうするの? でも門司当たりにまだ原発作ろうとかいう。もう狂っているとしか思えません。事故を起こした国が造る原発は安全なんだそうです。私たちは本当にがんばって原発をとめていかないと、この先なんの未来もつくれないと思っています。

今日参加されたみなさんを見ておりますと、毎日時間がおありのような方が多い(笑)。だったら、今日も明日もあさっても、コロナはあっても原発に反対できます。街頭で反対運動などするのが不安だと思う方々は、市役所や府庁へいって、「おかしいんじゃないか? 避難計画はどうなっているの? うちの自治会に避難してくる人は、福井の京都府のどういう人たちなんだ?」ということを知って、そこの自治体の人たちと交流する、そういうことも大事ではないかと思っています。

◆ハローワークで募集されている「きれいな人の役に立つ仕事」

町中を走る除染土を運ぶ車両

私たちの地域では国の「避難計画」で、「この114号線では避難できないから拡幅してくれ」と要求が出ているなかで、原発事故がおきました。そしてあの雪道の中を逃げました。今は、放射性廃棄物を運ぶために道が広くなっています。ものすごく頑丈な道に変わろうとしています。小繋の峠というところがありました。そこを超えるとすごい車酔いするような峠、雪があるときなど福島で一晩泊まってくるというようなところでした。それが今、直線道路になろうとしている。原発があり、事故が起こったから、1日に放射性廃棄物を10トントラック2800台で運んでいます。2800台分のものを大熊町と二葉町で受け入れる能力があるからです。

家の前の、以前はのんびり通っていた道を、突如2800台のすべてではないが、少なくとも1400台のトラックが通る。15分計って58台とか通る。とんでもない汚染物がまだまだあるということです。今は風評被害をなくすためということで、福島市など町中にあった放射性廃棄物を山の中に隠して見えなくしています。そういう仕事をだれがするかというと、ハローワークで関西などにも募集がかかっています。息子が仕事を探しにいったら「きれいな人の役に立つ仕事」とあり、仙台事務所と書いてあったそうです。

浪江町の人口も増えていますが、それは還って来た人より、除染や廃炉作業の人たちです、なぜかというと、原発の仕事は地域優先なので、その自治体周辺に住民票のない人は雇わないことになっているからです。そのため、近隣自治体に簡単な宿舎を造って、そこに住民票を移して仕事をするわけです。浪江町も1000人超しました。役場で「元の住民は何人くらい?」と聞くと200~300人といってました。ほかは除染や原発に従事している人たちです。除染作業の人たちは簡単なマスク1枚です。私たちは除染労働をしてくれる、誰かの被ばくとひきかえに故郷を手に入れようとしている。そのことは本当にありなのかなと、本来は住民自身が考えなければならないことだと思っています。

原発事故は本当にあってはならないものです。原発そのものがあってはならないものと思っています。

上映会とお話会の最後に「山の歌」を歌う「アカリトバリ」。アカリさんは福島県出身。

◆日本中、どこでも明日、避難と被曝は生活の傍にある

原発事故は今は福島の人の事、関東以北の人の事ようにとらえられますが、明日は関西に済む皆さんの事。日本中に原発のあるのですから、何処でも明日避難と被ばくは生活の傍にある秘かな危機のはずです。

そのことに原発を許した世代のわたしたちが、頑張って行かなければならないことだと、思っています。

どうぞご一緒に、出来ることをできる力で頑張って行きましょう。(終わり)


◎[参考動画]福島ミエルカプロジェクト:自宅は帰還困難区域になり、関西へ避難した菅野みずえさん(FoEJapan 2020/03/10)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

天皇制はどこからやって来たのか〈15〉古代女帝論-7 孝謙帝(称徳天皇)── 生まれながらの実権派女帝の愛と死

孝謙女帝は、奈良の廬遮那大仏の建立で名高い、聖武天皇の実の娘である。母は藤原氏の光明子(光明皇后)、この方は貧民救済の悲田院で知られる。藤原氏から初めての后だった。

女帝の名は阿倍内親王、生まれながらにして帝になる皇女であった。しかし、彼女の幼少のころから、王朝は政変と疫病で再三にわたって揺れた。

長屋王(天武帝の孫)は光明子立后に反対する反藤原派だったが、厭魅(呪詛の罪)を誣告によって邸を包囲され、自害に追いこまれた。

最大の政敵を排除した藤原不比等の四人の息子たちは、いままさに全盛をきわめようとしていた。ところが、天然痘の流行がその栄華をはばんだ。四人ともあえなく病没してしまうのである。

長屋王事件から十年ほどのち、大和守から太宰の次官に左遷された藤原広嗣が、都の仏教勢力を批判した。

藤原氏一門の衰退に危機感を持ったのであろうか、同時にそれは仏教政策を推し進める聖武帝への批判と映った。追討軍が組織されると、広嗣も隼人の兵をあつめてこれに対抗する。叛乱は鎮圧され、藤原氏に代わって台頭したのが橘氏だった。

しかし、橘諸兄・奈良麻呂父子も、じつは大仏建立反対派だった。彼らも仏教勢力と対立することになる。このような政局の中で、聖武帝が逝去した。女性皇太子だった孝謙が即位して、父の遺業を継ぐことになったのだ。それを援けたのが、藤原の仲麻呂だった。ふたりは従兄妹同士である。男女の関係であったという説もある(女帝が仲麻呂邸田村第にしばしば宿泊)。

いっぽう、貴族たちの政争は終わらなかった。橘奈良麻呂が兵を動かそうとして、事前に鎮圧された。事件関係者はいちばん軽いはずの鞭打ちの刑で、無残にも打ち殺されている。ついで、孝謙女帝と蜜月の時期もあった藤原仲麻呂(恵美押勝)が、謀反の嫌疑で都を追われて近江に逃れようとするところ、琵琶湖で妻子もろとも殺された。

いずれの反乱も、仏教勢力に対する政争であり、その意味では孝謙女帝の仏教政策に対する批判でもあった。じつはその背景にあったのは、荘園の認可にかかわる律令制の根本問題だったのだ。「天皇はどこからやって来たのか〈03〉院政という二重権力、わが国にしかない政体」を参照。

聖武帝は生前、東大寺大仏(および国分寺・国分尼寺)建立のために、墾田永年私財法をみとめていた。荘園からの税収を期待したのである。律令制の根幹である公地公民制の土台を掘り崩してでも、大仏と国分寺の建立が聖武の仏教国家には必要だった。

ところが、孝謙女帝は天平神護元年(765年)に、墾田私有禁止太政官令を発して、荘園を禁止してしまったのだ。孝謙女帝の背後には、太政大臣禅師・法王となった弓削道鏡の存在があった。仲麻呂の乱を機に、孝謙は称徳帝として重祚する。仲麻呂とともに道鏡を批判していた、淳仁帝を廃したのである。これは火種となって、道鏡事件へとつながる。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

キックボクシング、“激動サバイバル”新時代へ! NJKF再開興行

コロナ禍の中、NJKF再開興行はWBCムエタイ日本タイトルマッチ3試合開催。

大田拓真は初防衛、一航は王座獲得と兄弟揃ってチャンピオンとなった二人は、昨年から比べて更にNJKFの新しいエース格的存在となった。一航はホームリングでの有利さでチャンピオンに就いた感が残るが、岩浪悠弥とは今後、倒す技を持って何度も対戦して欲しいところでもあります。

ライト級はNJKFチャンピオンの鈴木翔也がJKAチャンピオンの永澤サムエル聖光に敗れる。両者いずれも国内下部的存在の団体タイトルで、永澤は上位的タイトルのWBCムエタイ日本王座に就いたことは、過去敗れている相手とサバイバルマッチへ向かう大きな前進でしょう。

S-1レディース・バンタム級ジャパントーナメント決勝戦はSAHOとYAYAウィラサクレックが勝ち上がり、11月に決勝戦となります。

大田拓真(兄・左)と一航(弟・右)、来年が楽しみなNJKFを支える兄弟

◎NJKF 2020.3rd / 9月12日(土)後楽園ホール18:00~21:23
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟
認定:NJKF、WBCムエタイ日本協会

◆第8試合 WBCムエタイ日本バンタム級王座決定戦 5回戦

2位.岩浪悠弥(元・フライ級C/橋本/22歳/53.5kg)
    VS
4位.一航(=大田一航/新興ムエタイ/19歳/53.52kg)
三者三様の引分け / 主審:宮本和俊
副審:中山47-50. 松田49-48. 小林48-48
チェアマン:斎藤京二、竹村光一

ラウンドを増すごとに距離は縮まって攻防は激しくなり、互いに幼い頃から修練してきた技は上手いが相手を後退させるようなインパクトは無い競り合い。どちらが主導権を奪ったと見えるかの差で三者三様となった。チェアマン2名による審議の上、WBCムエタイ日本協会代表・斎藤京二氏の支持による一航の勝者扱いで第7代チャンピオンに認定。公式記録は引分け。

一航vs岩浪悠弥。一進一退の中、一航のハイキックが岩浪悠弥にヒット
一航vs岩浪悠弥。決定打は少ないが、競り合う攻防は見応えがあった

◆第7試合 WBCムエタイ日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

第7代チャンピオン.大田拓真(新興ムエタイ/21歳/57.15kg)
    VS
挑戦者同級4位.宮崎勇樹(相模原S/26歳/57.15kg)
勝者:大田拓真が初防衛 / 判定3-0 / 主審:小林利典
副審:中山50-47. 松田50-47. 宮本50-47

前半、差の無い展開から次第に大田拓真の蹴りのヒットが目立っていく。後半に入るにつれ、首相撲からの崩しは大田拓真が投げ勝つように優勢を維持するとヒザ蹴りも増え、リズムを掴んだ大田は宮崎の攻めをかわし完全に主導権を奪い、余裕を見せた後ろ蹴りもヒットは軽くても優勢をアピールして終了。

昨年飛躍を遂げた大田拓真が宮崎勇樹をテクニックで押していった
バランスを崩しながらも大田拓真が攻めの勢いで圧していく

◆第6試合 第6代WBCムエタイ日本ライト級王座決定戦 5回戦

2位.鈴木翔也(NJKF同級C/33歳/OGUNI/61.15kg)
    VS
永澤サムエル聖光(JKA同級C/30歳/ビクトリー/61.2kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定0-3 / 主審:中山宏美
副審:小林46-50. 松田47-50. 宮本46-50

前半、やや距離ある中での蹴り中心の探り合いから、第3ラウンド後半には距離が縮まり、パンチ、ヒジ打ちでのノックダウンに結び付きそうなスリルを増していった。鈴木のヒジ打ちで永澤の額をカットするが、更に蹴りを交えながら隙を狙った打ち合いが続き、第5ラウンドには永澤がパンチ一発タイミングよく鈴木からノックダウンを奪って判定勝利を導いた。

永澤サムエル聖光と鈴木翔也の接近戦の攻防、この打ち合いは一進一退

◆第5試合 S-1世界スーパーライト級挑戦者決定戦3回戦

WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン.健太(E.S.G/33歳/63.25kg)
    VS
WBCムエタイ日本スーパーライト級チャンピオン.北野克樹(誠至会/24歳/63.5kg)
勝者:北野克樹 / 判定1-2 / 主審:松田利彦
副審:小林28-30. 中山30-29. 宮本29-30

北野の先手を打つローキック、バック蹴り等で派手に攻める。組み合った際は健太の素早いヒジ打ちなどでベテランの上手さを見せるが主導権を奪うに至らず、北野の勢いを止めることが出来なかった。時代の流れも感じる若手の台頭であった。

珍しい健太の劣勢、北野克樹のハイキックがヒット

◆第4試合 S-1レディース・バンタム級ジャパントーナメント初戦(準決勝)3回戦(2分制)

NJKF女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級チャンピオン.SAHO(闘神塾20歳/53.15kg)
    VS
J-GIRLSフライ級チャンピオン.梅尾メイ(TEAM BARBOSA JAPAN/33歳/52.9kg)
勝者:SAHO / 判定2-0 / 主審:竹村光一
副審:小林29-29. 松田30-28. 中山30-28

僅差ながらSAHOがパンチの攻勢で順当に決勝進出を決めた。

20歳のSAHOと33歳の梅尾メイは優勝候補1番のSAHOが制す

◆第3試合 S-1レディース・バンタム級ジャパントーナメント初戦(準決勝)3回戦(2分制)

NJKF女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級4位.KAEDE(LEGEND/17歳/53.45kg)
    VS
J-GIRLSスーパーフライ級チャンピオン.YAYAウィラサクレック(WSR・F幕張/33歳/53.4kg)

延長戦による勝者:YAYA / 判定0-1(延長1-2) / 主審:宮本和俊
副審:小林29-29(9-10). 竹村29-29(10-9). 中山28-29(9-10)

公式本戦も延長戦も際どい展開を見せるが、タイでデビューした日本国内無敗のYAYAがアマチュア60戦を越えるプロ3戦目のKAEDEを下した。

17歳のKAEDEと33歳YAYAの僅差は人生経験の差でYAYAが制した

◆第2試合 スーパーバンタム級3回戦

日下滉大(OGUNI/25歳/55.2kg)vs雄一(TRASH/32歳/55.3kg)
勝者:日下滉大 / 判定3-0 (30-28. 30-28. 30-28)

◆第1試合 75.0kg契約3回戦

雄也(新興ムエタイ/25歳/74.9kg)vs鈴木健太郎(E.S.G/30歳/74.85kg)
勝者:鈴木健太郎 / 判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

敵地で日本を代表する王座奪取となった永澤サムエル聖光

《取材戦記》

WBCムエタイ日本王座は、2008年設立時の2団体間(NJKFと当時MA日本)に留まらず、好カード不足を補う事情もあるのか、現在は広域にタイトル挑戦の枠が広まった流れで権威がやや増した感があります。

しかしこの日のメインイベントの岩浪悠弥vs一航戦で、チェアマンによる採点集計に不備が生じ、発表から一旦訂正される慌ただしさが見られました。結果的に引分けが覆ることは無かったものの、これが勝敗が覆るとしたら大騒動になった可能性高いでしょう。

このWBCムエタイルールでのタイトルマッチでは引分けの場合、タイトルマッチの最高責任者とはいえ、チェアマンの支持によるチャンピオン認定というシステムには異論の声も多いところです。プロボクシング新人王トーナメント戦システムに倣うとしたら、優勢支持する権利は引分けを下した副審判に委ねるのが妥当でしょう。

また、トーナメント戦のような期限が限られる試合ではないので、本来なら時期を置いて再戦が望ましいところです。

今回も後楽園ホール1階入口付近でコロナ抗体簡易検査がありました。後楽園ホールの規定でリングサイドカメラマンのマスク、フェイスシールドかゴーグルの着用義務は、8月16日のジャパンキックボクシング協会興行と同じでした。フェイスシールドもゴーグルもカメラと擦れあってやっぱり傷だらけ。

リングアナウンサーのコンタキンテさんはこの時代の象徴のように、フェイスシールドを律義に最後まで付けてアナウンスしていたようで、将来皆がそんな画像や映像を見て「こんなこともあったね!」と懐かしく振り返るのかもしれません。

現在、マスクは絶対必要と思いますが、タイ・ラジャダムナンスタジアムでのカメラマンはマスクのみのようで、緩やかにでもコロナ終息に向かうならば、フェイスシールドは不要に向かって欲しいと願うところです。

次回、NJKF興行は11月15日(日)に後楽園ホールに於いて行なわれます。興行数から言えばまだ春先の雰囲気の中、早くも年内最終興行となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です

8月9日、大国町「ピースクラブ」で、ドキュメンタリー映画「ふるさと津島」の上映会と浪江町津島から兵庫に移住した菅野みずえさんのお話会を行った。以下、菅野さんのお話を全3回の短期連載で紹介する。今回は第2回。(取材・構成=尾崎美代子)

お話をする菅野みずえさん。テーブルの花束は、三木の自宅の畑から菅野さんが摘んできた

◆毎日東電がセシウムという肥料を与えてくれるから、花が咲き実が成る

あの映画見たら「わあ、きれいな緑」と思われるかもしれない。事故前はあんな緑で覆われてはなかったんです。家の前はどこも開いていた。西側に阿武隈山系から降りてくる「やませ」を防ぐ防風林はありましたがね。原野になるのがはぜ早いのか? それは放射性物質がまき散らかされたからです。セシウムというのは放射性カリウムです。カリウムは何かというと、花を咲かせるとか緑を濃くするものです。私は避難の家の畑で何か作るとき、実の成るものには骨粉などを与えます。これを東電が毎日やってくれるということです。そしたら緑は濃くなり花も咲く。津島の我が家で、事故前まではキュウイは剪定しないと実が成らなかったが、事故後10年近く剪定してないがキュウイがたわわに実っています。毎日東電が肥料を与えてくれるから、花が咲き実が成るのです。

福島県は南相馬に猪専用の焼却場を造っています。それを急いだのは、猪が凄いセシウムだらけだからです。埋める訳にもいかない。猟友会に駆除を頼み、檻を設置している。これまでは冷凍するしかなかったが、県の冷凍庫が一杯になって、ほかのものが入れなくなった。それで焼却場を造った。大変なことです。燃やしても放射能が濃縮された灰が残る、それをどうするかです。

今年のお盆に津島地区を訪問した。事故から9年過ぎた菅野さんの家(写真提供=Eiji.Etouさん)

◆国や東電が「処理水」と呼ぶ汚染水

汚染水も国や東電は「処理水」といって、タンクを置く場所がない写真ばかり見せる。すると善良な人たちは「場所がないなら仕方ないだろう。毎日増えるんだから流すのもしょうがない」と思ってしまう。でもあの一杯になったタンクの後ろの山は東電が新しい原発造ろうと買い占めた山です。そこを整地して、もっとコンパクトなタンクになるような技術でやればいいのに、それを一切言わない。だからそういう写真が出ると、いつも私は「土地はあるよ」と書き込むようにしています(笑)。

今、津島も大熊も双葉も、年間50ミリシーベルトの蓄積被ばくがある帰還困難区域です。そこを除染して住めるようにするということで、我が家もそのエリアに入りました。なぜ除染で家がなくなるかというと、家などそこにあるもの全てが放射性廃棄物だからです。だから今だったら公費で壊すが、それ以降は自費で、放射性廃棄物としての取り扱いをしないといけないという。こういう時だけ「放射性廃棄物だ」としっかり言うのですね、大事なことですが。解体は放射性廃棄物としての取り扱いだけで余分に1戸あたり750万~1000万円掛かる。そんな金のかかることを、子どもや孫に残すわけにはいかないので、皆さん一生懸命取り壊しています。我が家も母屋を除いて全部取り壊すことになって、先日打ち合わせに行ってきました。役場の職員と1時間くらい、家の中にいて、0.5マイクロの被ばくでした。今は葉っぱの表面について、それが毎日落ちてくるから高い。それまでのものは地面に落ちている。それが風で舞い上がる。やっぱり防護はしてほしいと思います。

津島の自宅。いつも菅野みずえさんが車を置いていた場所(写真提供=Eiji.Etouさん)

◆白血病の話

先ほどの白血病の話ですが、なぜかなと思いますが、あの時、そこでは果樹栽培の木を全部高圧洗浄器で洗ったんです。おっちゃんが上で水をかけ、母ちゃんが下で脚立を支えていた。1人でやって、何人も脚立から落ちて骨折したので危険なんです。それでも線量が下がらず、柿木の皮を全部剥いだそうです。そいういう作業をした人たちが、私は病気になっているのではないかと、勝手に思っています。たくさんの病人が出ています。一時期、福島でアフラックの宣伝がなくなったと聞きました。あまりにもペイしない話だからと。

私は2011年2月に東電の説明会を聞きました。東電は「いかなる災害にも耐えうる」と言い、「7人に1人がガンになる時代なので、原発で癌になるわけではありません。それは誤解です」と言っていました。事故が起きて避難している間には5人に1人が癌でした。私が甲状腺癌をした2016年頃は、3人に1人が癌でした。たかだか7年で統計学的、あるいは疫学的に「7人に1人の癌」が「3人に1人」になるだろうか? そう思うと私は、放射性物質というのは、そんなに能天気に笑っていれば大丈夫のものではない気がしています。

通り門を入ろうとするけれど、蜘蛛の巣と草ばかり

◆私は原発を許した世代

私は原発を許した世代です。被害者となって避難して思います。放射性物質は県境で「おっと」と言って、越えないものではないのです。去年は富士山麓の自然のキノコは食べられなかった。今年は長野のコシアブラから放射性物質が出ました。それだけ風に乗って広まったということです。だから私は、自主避難の人は相応性がないというのは、嘘だと思います。どこから避難したかは問題ではない。原発事故があったから、身を守るために、避難した。それは子供を守った偉大な話として浪曲になりそうな話ですよ。それが今では非難の対象になる。おかしな話です。

今、コロナの時代に原発はすぐさま止めるべきだという新たな裁判をやっています。福井県の石地優さんという男性がなぜ原告になろうと思ったか話しています。コロナで輸入できなくなったら、日本の食の自給率が問題になる。自分たち百姓が立ち上がらなければ、日本の食は守れない。外国から入ってこなくなったら、日本の人たちは何を食べるんだ。そういうことを考え、すぐさま原発は止めるべきだと立ち上がったそうです。7人が原告になりました。すぐさま止めてもらわないといけないので、2回くらいの裁判で結審してほしいと思っています。

次回審尋は9月14日にあります。私は、避難所はどういうところか、密にならない避難所はありえないし、避難そのものもができないではないかと訴えます。国はコロナ禍で原発事故が起きたら、換気しないで屋内退避すると主張しています。コロナウイルスよりも実は放射性物質の方が怖いんだと、暗に認めたということです。コロナウイルスが蔓延するなか、大きな事故は起きないかもしれないが、地震や台風が複合して起こらないとは言えない時代です。危ないものは元から絶たないとダメだと思います。経済活動というなら、原発を止めるべきと思います。原発事故が起こることが最大の経済危機だと思います。今だからこそ、「原発は止めないと」と頑張らなければと思います。特に避難者である私は、そのことがよくわかっていますので、これは何としても頑張らなければと考えています。

だから津島の上映会と聞いたら、もれなく私がついていくようにします(笑)。だってこれだけ見て違和感持たない人が増え、「津島の人たちは可哀そう」で終わったら困るんです。これが一人歩きしたらどうなるかと不安です。私たちは、ただ家を奪われただけではなく、撒き散らされたものが危なくて逃げている、還れないんです。それは危ないものだからです。それは防護してもらわないと困る話です。被ばくという点でおかしいと、100年後の人たちに伝えるなら、津島が何に汚されたか、何に追われて私たちは避難したかを伝えなくてはならないと思っています。(つづく)


◎[参考動画]DVD 「ふるさと津島」ダイジェスト映像(Media Laboノダグラ 2020/06/30)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

コロナ禍でヤクザ組織の延命策は「一本独鈷」か 山健組の神戸山口組離脱の現況

◆神戸山口組、二度目の分裂

神戸山口組の分裂が進んでいる。それも井上邦雄組長の出身母体である山健組およびその傘下の組が、そろって離脱するというのだ。すでに6月段階で獄中の中田浩司山健組組長から、離脱するとの意向がもたらされていたものだ。

この7月22日には、兵庫県高砂市内の喫茶店を借り切って、山健組の会合が開かれ、約二時間の話し合いののち「方向性が決まった」(参加した組長)となったという。参加者は20団体の組長で、それぞれが「一本独鈷(いっぽんどっこ)でやっていく」方向性だとされる。

織田絆誠(金禎紀)をはじめとする若手組長が、任侠山口組(現在は「絆會」)として離脱していらい、神戸山口組は二度目の分裂となりそうだ。離脱の理由は、任侠山口組のときと同じく、会費(上納金)をめぐってと観測されている。

◆高い会費がネックに

神戸山口組が六代目山口組から分裂したとき、100万円ちかい会費(上納金)と日用品の(本部からの)強制購入が負担になっているという理由だった。

分裂後の神戸山口組は、直参で月40万円から60万円とされていたという。コロナ禍でシノギもままならない中、会費以外にも盆暮れやイベントごとに支出を求められる。傘下組織にはかなりの負担になっていたようだ。そこで中田組長が会費減額を決めたところ、これに井上組長が異を唱えたのが実相だという。

ヤクザのシノギをめぐる、当局の締めつけは厳しい。フロント企業の公共事業からの締め出し。繁華街での用心棒代はもとより、組員直営の店への排除(暴力団お断りの店ステッカーなど、客への店の選別強要)も露骨なものがあった。さらにコロナ禍による繁華街の不況は組織の収益を直撃し、個々の組織の財政状態が組織離脱を決定的なものにしたようだ。

ところで、肝心の中田浩司山健組五代目は、昨年8月に起きた六代目山口組弘道会系の幹部銃撃に関与したとして、現在も拘留中の身だ。

警察関係者によると、「山健のトップ自らヒットマンとして報復に動いたと暴力団関係者は仰天しましたが、中田氏は否認を貫いています。本人は無罪を勝ち取り、数年で復帰できると自信を持っており、獄中から弁護士を通じて離脱の指示を出したとみられます」(文春オンライン、8月1日)だという。

◆「一本独鈷」という選択肢

山健組傘下の三次団体だとはいえ、約20団体がそろって離脱であれば、事実上の分裂ということになるが、関係者は「あくまでも個別の離脱です」と強調する。じつは「一本独鈷」というキーワードが事態を説明してくれそうだ。

というのも、暴排条例が施行されてから10年、指定暴力団は経済活動のみならず、組織運営でも身動きがとれない状態になっているからだ。そこで、一本独鈷(独立組織)となって指定から逃れる方法もないではない、という考えではないか。じっさいに、独立組織で非指定団体は少なくない。上部団体が指定を受けても、下部団体が独自に活動することも不可能ではない。

暴排条例の集中攻撃を受けた、北九州の工藤會の例で説明しよう。

本家およびその母体組織(田中組)の幹部(ナンバー3まで)が獄中に囚われ、実質的に本部機能が崩壊(工藤会館の売却など)し、傘下の組の事務所ものきなみに閉鎖命令。幹部会も公然とは開けない状態になっている。にもかかわらず、傘下の各組織は独自に活動を続けているのだ。

「個々バラバラですが、みんな元気にやっております。会議やら減ったぶんだけ、楽になっておりますね」(工藤會の二次団体の組長)という現状だ。

新たな抗争事件さえ起こさなければ、上部団体から離脱した組織が公然と活動できると、ヤクザ関係の弁護士は云う。非指定団体になる道だ。

工藤會の場合、事務所を使わずに活動継続できるのは、PCとスマホを駆使した活動方法を早くから取り入れていた(溝下三代目時代)からだという。

ただし、野村総裁・田上会長ら獄中幹部の公判は始まったものの、法曹関係者によると「元ヤクザが相手でも、一般人を対象にした殺傷事犯ですから、長期刑は避けられない」との観測である。えん罪事件の上高謙一組長が実刑だったこともあり、獄中の最高幹部が社会不在のままの状態は、ながく続きそうだ。

いずれにしても、改正暴対法・暴排条例のもとでのヤクザ組織の在りようは、昔ながらの一本独鈷というスタイルになりそうな気配だ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感

8月9日、大国町「ピースクラブ」で、ドキュメンタリー映画「ふるさと津島」の上映会と浪江町津島から兵庫に移住した菅野みずえさんのお話会を行った。以下、菅野さんのお話を全3回の短期連載で紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆浪江町津島の風土

私が住んでいた浪江町津島では、少し前までは13人から18人とかの家族がざらに一緒に暮らしてました。夫の母親は子供を11人産んだと言ってました。いつも腹が膨らんで、乳が張っていたと。津島は非常に寒いところで、私が一番寒いと感じたときはマイナス19度でした。普通は夏至になると「ああ暑い夏がくる」と思うけど、私たちは夏至がくると「ああもうすぐ冬だ」思う。季節感がすごく違っているかもしれません。

そういうところだから、子供が風邪をひくと助からないことがあった。だから沢山子どもを産むしかないと母は言ってました。11人目を産んだ時、これが最後と思い、死んでしまった一番最初の子の名前を付けたといってました。それが私の夫(の昭雄)です。母は、生きられなかった子供と同じ名前つけて生きてもらおうと思ったと言ってました。だから夫は2人分の人生を生きなくてはならないのですが、何故か家に住めなくて避難しているわけです。

お話をする菅野みずえさん。テーブルの花束は、三木の自宅の畑から菅野さんが摘んできた。右側は本稿筆者の尾崎美代子さん

◆映画への違和感

そこが非常に理不尽な思いをもっているところですが、皆さん、今日の映画を見て何か感じませんでしたか? 違和感ありませんでしたか?(会場しーん)

私はこの映画見たとき「なんじゃこりゃ」と思いました。しかもこれを裁判資料にすると聞いて「やめてくれ」と思ったんです。私は津島の家に帰るとき、国の出先機関に連絡し、何人でどの車で入ると言って許可とります。入る前スクリーニングで、防護服と線量計をうけとり、頭に白い不織布のキャップを被り、マスクして二重手袋します。汗をかくので布手袋はめて、その上に薄いゴム手袋はめて、何か触るときにはもう1枚厚手の手袋をはめる。家に上がるとき汚染を持ち込むので、ビニールの足キャップを履いて上がる。

でも映画では誰もそんな格好していなかった。帰還困難区域でものを食べてはいけないと法律で決まっているのに、映画の中では食べてましたよね。周囲で大きな音がしていたのは、除染が始まり、家を壊しているからです。家に降り積もった放射性物質が巻き上がっている。映画では、そんな中、窓を開けてご飯を食べている。「なんじゃこりゃ」と思いました。

またガイガーカウンター持っている人は1人もいませんでした。最初に出てきたはるえちゃんだけが蓄線量計をもっていました。国から貸与され、おおむね2時間いて何マイクロ被爆したと記録して、自分の被ばく記録として持つのです。それは帰還困難区域に線引きされてからです。それまでは線量はもっと高かったのに、そういうことはなかった。その間に映画にでてくる人は「家に帰っていた」「寝泊りしていた」と言ってましたよね。どれくらい被ばくしているかもわからない状態です。当時は余震が続いていたので、屋根がずれたりして、非常にかびて、動物被害が多くなっています。でも避難は被ばくするから。でも映画では誰もそれを言わなかった。不思議でたまりません。

◆映画の中で防護服を着ないのは、100年後の子孫に見られたら嫌だという気持ちがあったかもしれない

また最初、津島に入ってきたのは、(映画でいうような)動物ではなく、泥棒です。泥棒がものを盗んであけっぱなしで出た入口から動物が入ったんです。

映画にでていた佐々木さんは、ここで「20ミリシーベルトになっていいのか」と言ってましたが、そこで一晩寝て20ミリではなく、多分20マイクロシーベルトの被ばくだと思います。赤宇木の仮設住宅の近くのおっちゃんが「運転しにくい」というので、私が皆を乗せて自宅の見回りに行きました。4年もたつのに、おっちゃんの家で1時間当たり40マイクロシーベルトありました。

私が止めたのに、おっちゃんが外を見回ったら、積算線量が2時間で140マイクロ超えました。私が100ちょっと。スクリーニングの職員 彼らは仕事がなくなった東電の職員で、給料は復興予算から出ます。東電が黒字になるのは当然と思います。「140なんてたいしたことないですよ。原発構内はね……」と言いだしたら、おっちゃんが「なにおー」と殴りかかろうとした。私が必死でとめて車に乗せて、今度は私が「ここ(津島)は原発構内と同じか!元はゼロだったんだ」と怒り出してしまい、おっちゃんに止められた(笑)。そんなことがありました。

映画のなかで彼らが防護服を着ないのは、100年後の子孫に見られたら嫌だという気持ちがあったかもしれない。だけど現実に起こっていることを正確に伝えるなら、私は防護服を着て、自分の身を自分で守って欲しかったと思います。この記録は住民がいかに被ばくについて、国から何も知らされてないかの証だと思います。レントゲン室でまんま(ご飯)食う人はいないです。それを見て「なにをやってるの?」と私は思いました。それくらい被ばくについて、私たちは教えられてない。「年だから、ちょっとくらい大丈夫」ということでしょうか。

前に東大の先生が飯館村の松川第二仮設住宅にきて「皆さん、松茸食べれないのはストレスでしょう。ストレスはないほうがいいから、ちょっとくらい食べてストレス解消したほうがいい」といったそうです。そこで管理人をやっていた私の友達が「私たちにストレス溜まるのは、こんな生活させられているからだ。そんな汚れた松茸食って、何年もここに留め置かれるストレスが解消できると思っているのか?頭いい人が何故そんなこというのか?」と怒ったそうです。菅野村長に辞めさせられそうになりましたが、頑張って最後まで管理人をつとめました。

そんなものなんです、私たちに施された教育というのは。ちょっとくらい食っても構わない、ちょっとくらい家に泊まっても構わない……と。それは被ばくのことを全く無視しているのです。

津島地区、菅野さんの自宅近くの放射線モニタリングポスト(写真提供=Eiji.Etouさん)

◆近所で5人が白血病になり、今年までに全員が亡くなりました

名前はいいませんが、福島の小さな町で、私が知っているだけで、近所で5人が白血病になり、そのうちの私の友人が一番最初に亡くなり、今年までに全員が亡くなりました。5人という数は私が知っている人だけです。それまで白血病なんてきいたこともなかった。

映画で出ていたTOKIOの「DASH村」で世話していた三瓶明雄さんも白血病で亡くなりました。彼はしょっちゅうDASH村に通ってました。我が家から2キロくらいの線量が高い所。この前も城島君が笑って福島の桃を食べ「旨い!」と宣伝していました。それは美味しいと思う。でも「あなたは大丈夫?」と私はテレビに向かって言ってました。彼らは本当に素朴で、今でも町の人たちと交流してくれる。明雄さんに何度も見舞いに通ってました。でも、彼らは守られているのかなあと、若いだけに心配です。そういう状態があの映像です。

国や東電の代理人が、こんな事実を見逃すわけはないんです。これを証拠資料としてだしたときに「帰還困難区域はあんなに普通に家に出入りしてる、だったら自主避難なんて笑止千万だということだ」と言い出しかねない。そうして裁判資料は他へ流用されます。そんなふうに使われては堪らない。

映画に出てきた石井ひろみさんはうちの隣の家の人です。彼女が公民館に勤めていた時にチェルノブイリの事故があり、いわきの教会の依頼で子供たちを公民館活動のなかで受け入れました。だから被ばくがどういうものかわかっている。彼女は防護服を着るべきだとか、映像を裁判資料にしていいのかと訴えてくれてますが、全体のものにはなっていません。彼女は「私はいやだった。みずえちゃん怒ると思ったから、みずえちゃんに知らせたくないと思ってたら、みずえちゃんの名前がエンドロールがあってさ」と言ってました。私は彼女に「映画見たとき愕然とした」と言いました。だから私はこの映画の上映会があるとしたら、もれなく付いて回ろうと思っていると言いました。

「おらっちの故郷はこんな風に人の入れるとこでねえ」と話しながら。ドアノブ開けて入るシーンでは「イヤ、そこ触ってはだめ」と思わず思ってしまう。コロナウイルスと一緒ですよ。(つづく)


◎[参考動画]ふるさと津島を映像で残す会予告編(Media Laboノダグラ 2020/01/19)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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