わかりやすい!科学の最前線〈02〉ヒトのゲノム解析分析の進歩 安江 博

ヒト(人間)のゲノム(遺伝子情報集合体)は約30億塩基の配列で構成されています。ヒトのゲノムの解読は1990年に米国のDOE(Department Of Energy: 米国エネルギー省 エネルギー、核、科学研究、技術開発、環境、および、それらの管理等を担当)とNIH(National Institutes of Health: 米国の保健福祉省公衆衛生局に所属する 国立衛生研究所 医学生物学の予算を統括し、研究も行う)によって、15年間で30億ドルの予算で、ヒトゲノム完全解読を目指したプロジェクトが始まりました。

その後、プロジェクトは国際的協力の拡大と、ゲノム科学の進歩(特に配列解析技術)、およびコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)が2000年に完成と報告されました。

2003年4月14日には”完成版”が公開されました。そこにはヒトの全遺伝子の99%の配列が99.99%の正確さだとされていました。ヒトゲノムの”完成版”でも、まだ、1%の配列は未知の状態だったのです。この”完成版”をもとにして未知の配列は残っているものの、遺伝病の解析、遺伝子発現の解析においては、全く問題なく多くの成果が生み出されました。

しかしながら、完全解読に向けて、地道な努力が続けられ、”完成版”が公開されてから約20年後、ヒトゲノムプロジェクトが開始されてから、33年の時を経て2022年4月1日にThe Telomere-to-Telomere (T2T) consortium からヒトゲノムを「完全」解読したとの論文が発表されました(文献1-4)。

ヒトを始めとする多くの生物種のゲノム解読の中で、解析技術は、革命的な進歩をとげました。現在、一つの解析機器で一日に、100億塩基(3人分)以上の解読が可能になっています。また、技術革新による機器の進歩に伴い、解析に要する費用も格段に低減化しました。現在200億塩基の解析に要する費用は、約6万円です。単純に計算すると、1980年代の始めのころに比べて、解析速度は1千万倍、費用は、塩基あたり、100万分の1になっています。

結果として、我々は、ゲノム配列情報の洪水の中にいるような感じです。そして、今、現在も、おびただしい数のゲノム配列情報が世界のあちこちで生み出され、DNAデータバンクに登録されています。2022年8月現在、DNAデータバンクへの塩基配列の登録数は20兆塩基に達しています(サイト:1-5)。

研究者としては、ゲノム配列解析を行うことも重要ですが、それにもまして、如何に必要な情報を取り出し、利用することが重要です。情報がいくら手に入ってもその有効な活用法を的確に見出すことが出来なければ、情報の山は「宝の持ち腐れ」になる可能性があるのです。

この現象は、皆さんの日々の生活でも同様でしょう。20年前と現在では、私たちが使うことのできる、情報機器(特にコンピューター)の性能は、飛躍的に進化しました。インターネットにさえ接続できれば、膨大な情報とその活用方法を知ることができる時代が今日です。でも、いくら高性能なパソコンやスマホを持っていても、情報収集の目的や、利用法が明確でなければ、目的に沿った結果を得ることは出来ません。

ヒトのゲノム解析は多彩な薬剤開発や、治療法の確立という分野で、たしかな成果をあげました。今後も未開発分野での難病治療薬開発などに資することでしょう。さらに、ゲノムだけではなく生活習慣などとの関係性から、新たな健康法や予防医学が開発されつつあります。

【文献】

1-4 The complete sequence of a human genome. Nurk S, Koren S, Rhie A, Rautiainen M, Bzikadze AV, Mikheenko A, Vollger MR, Altemose N, Uralsky L, Gershman A, Aganezov S, Hoyt SJ, Diekhans M, Logsdon GA, Alonge M, Antonarakis SE, Borchers M, Bouffard GG, Brooks SY, Caldas GV, Chen NC, Cheng H, Chin CS, Chow W, de Lima LG, Dishuck PC, Durbin R, Dvorkina T, Fiddes IT, Formenti G, Fulton RS, Fungtammasan A, Garrison E, Grady PGS, Graves-Lindsay TA, Hall IM, Hansen NF, Hartley GA, Haukness M, Howe K, Hunkapiller MW, Jain C, Jain M, Jarvis ED, Kerpedjiev P, Kirsche M, Kolmogorov M, Korlach J, Kremitzki M, Li H, Maduro VV, Marschall T, McCartney AM, McDaniel J, Miller DE, Mullikin JC, Myers EW, Olson ND, Paten B, Peluso P, Pevzner PA, Porubsky D, Potapova T, Rogaev EI, Rosenfeld JA, Salzberg SL, Schneider VA, Sedlazeck FJ, Shafin K, Shew CJ, Shumate A, Sims Y, Smit AFA, Soto DC, Sović I, Storer JM, Streets A, Sullivan BA, Thibaud-Nissen F, Torrance J, Wagner J, Walenz BP, Wenger A, Wood JMD, Xiao C, Yan SM, Young AC, Zarate S, Surti U, McCoy RC, Dennis MY, Alexandrov IA, Gerton JL, O’Neill RJ, Timp W, Zook JM, Schatz MC, Eichler EE, Miga KH, Phillippy AM. Science. 2022 Apr;376(6588):44-53. doi: 10.1126/ science.abj6987. Epub 2022 Mar 31. PMID: 35357919.

1-5 https://www.ddbj.nig.ac.jp/statistics/ddbj-release.html

▼安江 博(やすえ・ひろし)
1949年、大阪生まれ。大阪大学理学研究科博士課程修了(理学博士)。農林水産省・厚生労働省に技官として勤務、愛知県がんセンター主任研究員、農業生物資源研究所、成育医療センターへ出向。フランス(パリINRA)米国(ミネソタ州立大)駐在。筑波大学(農林学系)助教授、同大学(医療系一消化器外科)非常勤講師等を経て、現在(株)つくば遺伝子研究所所長。著書に『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』(鹿砦社)等

◎[過去稿リンク]わかりやすい!科学の最前線 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=112

安江博『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』

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四六判/カバー装 本文128ページ/オールカラー/定価1,650円(税込)

ニューソク通信が不正な診断書交付の問題を報道、舩越典子医師が実名・顔出しで内部告発 黒薮哲哉

YouTube配信サイトであるニューソク通信は、1月8日、診断書の不正交付をめぐる問題をクローズアップした。タイトルは、「内部告発で医療界に激震!! 安易な診断書交付が悲劇を生む!! 化学物質過敏症の深い闇!! 横浜副流煙裁判との共通点とは…?」。

番組のキャスターはジャーナリストの須田慎一郎さんで、出演者は舩越典子(典子エンジェルクリニック、大阪府堺市)医師と筆者(黒薮)の2名だった。

周知のように横浜副流煙裁判では、日本禁煙学会の作田学医師が原告のために交付した診断書が問題になった。客観的な事実とは異なる所見が記された診断書が争点のひとつに浮上した。しかも、その診断書を根拠に、被告に対して原告が4500万円を請求したのである。

この裁判では、宮田幹夫・北里大学名誉教授(そよ風クリニック)も、原告のために診断書を交付していた。それは「化学物質過敏症」の病名を付したものであった。

この診断書自体に何か問題があるわけではないが、昨年の暮れごろから、舩越典子医師が、宮田医師の診断書交付行為そのものを疑問視する声を上げた。

「化学物質過敏症」の病名を付した診断書を容易に交付しているというのである。筆者も、このような宮田医師に対する評価は、取材先でよく聞いていた。

「宮田先生のところへ行けば、診断書を交付してもれる」
 と、言うのである。

◆そよ風クリニックへ患者を送れ

発端は、舩越医師の外来を受診した女性患者だった。舩越医師は、問診や眼球の動きをみる検査などを実施した。検査結果の評価については、外部の専門家にも相談した。その上で化学物質過敏症とは診断しなかった。それでも念のために患者を宮田医師に紹介した。宮田医師はこの患者を診察して、化学物質過敏症の病名を付した診断書を交付した。

患者に対する所見は医師によって異なるのが普通だから、最初、舩越医師は宮田医師による診断を疑問視することはなかった。ただ、宮田医師が実施した検査の結果を知りたいと思ったという。

ところがその後、宮田医師が舩越医師に対して書簡を送付し、その中で前出の患者について、精神疾患か化学物質過敏症かを判断できないまま、「化学物質過敏症」の病名を付した診断書を交付した旨を伝えてきたのである。しかも、今後、舩越医師が化学物質過敏症の診断に迷う時は、患者を自分のクリニックへ送るように言ってきたのである。検査結果は添付されていなかった。

昨年末、筆者は現場に足を運びそよ風クリニックを確認した。左の建物の2階がクリニックで、右の1階がコインランドリー

◆顔出し・実名による内部告発
 
わたしは、横浜副流煙裁判(反訴)の原告・藤井敦子さんを通じて舩越医師と面識を得た。藤井さんは、不正な診断書交付により被害を受けたこともあって、この診断書の不正交付には敏感だった。そこでニューソク通信にネタを持ち込んだ。

ニューソク通信は、宮田医師の診断書交付をテーマとしたYouTubeを制作することを決めた。最初は筆者がひとりで津田信一郎さんのインタビューを受ける予定になっていた。と、いうのも舩越医師が顔出し・実名による内部告発を嫌ったからだ。

しかし、藤井さんが、実名で告発するように舩越医師に強く勧めた。それに応じて、舩越医師がカメラの前で実名を名乗り、事件の詳細を語ることを決意したのである。

◆日本の言論の自由度

いつの時代からか、メディアに登場する際には、顔と実名を隠すのが半ば当たり前になってしまった。ドキュメンタリーの原則が無くなっていた。その悪しき影響をわたしも受けていたのか、最初、舩越医師の名前を匿名にすることに疑問をさしはさむことはなかった。

しかし、冷静に考えてみると、特別な事情がある場合は別として、実名で顔をだして内部告発するのが常識なのである。何も悪いことはしていないうえに、他人を批判するときは、自身の責任を伴うからだ。

ちなみに横浜副流煙裁判(反訴)の原告・藤井夫妻は最初から実名主義を貫いている。それが功を奏して、裁判を通じて禁煙ファシズムに対する批判はどんどん拡散している。強い説得力を発揮している。

舩越医師が藤井さんとコンタクトを取れたのも、実名を名乗り素顔を出していたからにほかならない。こんな当たり前のことが困難に張っている背景に、日本の言論の自由度が現れていないか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

旧友・白井順君の死を悼む 鹿砦社代表 松岡利康

昨年師走、旧友・白井順君と研究会をやっていた方から手紙が届き、白井君の死を知らされた。亡くなったのは8月6日で、急に連絡が取れなくなり皆で心配していたところ親族の方から知らされたという。毎号送っていた『紙の爆弾』もここのところ宛先不明で返送されてきていたので確認しようと思っていた矢先だった。ショックだった。

 
白井順編著『思想のデスマッチ』(エスエル出版会発行、鹿砦社発売。1986年。在庫僅か)

白井君とは、おそらく1979年だったと微かに記憶しているが、装幀家にして活字研究家である府川充男さんの紹介で知り合った。

府川さんは当時『同時代音楽』という雑誌を編集・発行されていて突然に送ってこられた。私たちが創刊した『季節』に第一次ブント(日本共産党から脱党し結成された、60年安保闘争の新左翼主流派)の資料を復録したことに気づかれ、偶然にも『同時代音楽』にも復録されていたからだ。

府川さんは編集者としても優秀で、右も左もわからず出版の世界に入ろうとしている私たちを見兼ねて装丁を引き受けていただき、編集や校正の基礎から教えていただいた。今でも思い出すが、府川さんがなされた校正紙は、まさに芸術品といえるもので、教えられることが多かった。

白井君は私よりも1歳年下ということもあり、ほとんどが私よりも年上で、錚々たる方々だったことで、年下ということや、彼の飾らない脱力系の人となりに自然と仲良くなった。それなりに学識もありながら決して威張ったり見下したりはしない男だった。

温厚で、彼が意見の対立で口角泡を飛ばして怒鳴り合っていることなど見たことがない。

印象的だったのは、『同時代音楽』に「愛の執念の経済学」という文を掲載し、「連載」という触れ込みだったが1、2回で頓挫したと思う。雑誌自体が休刊したからだ(その後府川さんは『リベルタン』という雑誌を創刊するが、これも創刊号が廃刊号になってしまった)。「愛の執念」とは、歌手・八代亜紀の初期のヒット曲である。それと「経済学」がどう結び付くか、けっこう難解な文だったと記憶がある。

今や、マルクス経済学とか宇野経済学とかいっても知らない人のほうが多いだろうが、当時はまだ神通力を持っていた。哲学者・廣松渉先生(元東京大学教授。故人)も白井君を高く評価されていたが、白井君は修士を修了しているので、彼ほどの学識だったら、どこかの大学に潜り込むことは優に可能だったはずだ。しかし彼には出世欲とか、世俗での栄誉などとは無縁だった。家庭教師などアルバイトで最小限の収入を得ながら、自由に好きな分野の研究に勤しんでいた印象だ。

 
松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都  学生運動解体期の物語と記憶』(鹿砦社。2017年。現在品切れ)

もう一つ思い出されるのは、2011年の東日本大震災の前々日だったか、かねてから病と闘っていた府川さんを一緒に見舞いに行ったことだろうか。府川さんは、かつては恐れを知らない強いイメージがあったが、この時の別人のような形相にもショックを受けた。病はこれほど人を変えるのか……。世界的なミュージシャン・坂本龍一は「府川軍団」の一員だった。

ここに来て、少なからずの知人や友人が黄泉の世界に旅立って行った。惜しい人ばかりである。晩年15年ほど密なお付き合いをさせていただいた山口正紀さんもそうだし、お連れ合いが広島被爆二世で若くして亡くなったことで反原発を信条とした納谷正基さん、『週刊金曜日』の社長(発行人)だった北村肇さん(私と同期)、そして白井君もそのひとりである。

「埋葬の日は、言葉もなく/立会う者もなかった、/憤激も悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった/空に向かって眼をあげ/きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。/「さよなら、太陽も海も信ずるにたりない」/Mよ、地下に眠るMよ、/きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」(鮎川信夫「死んだ男」より)

白井君がただ一度「デジタル鹿砦社通信」に寄稿してくれた一文を以下再録しておきたい。──

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

白井順「『同時代音楽』― 廣松渉研究会」の記憶
2018年1月13日付け「デジタル鹿砦社通信」より再録)

昨年(引用者注:2017年)出版された松岡利康+垣沼真一編著『遥かなる一九七〇年代―京都』を読んでいたら、巻末に、懐かしい『季節』誌の表紙画像が並んでいました。

『季節』5号、6号、7号(エスエル出版会発行、鹿砦社発売)
『季節』8号、9号、10号(エスエル出版会発行、鹿砦社発売)
 
『同時代音楽2-1』(ブロンズ社。1979年)

1980年代、5号、6号あたりから『季節』誌と関係ができていった、東京の「『同時代音楽』― 廣松渉研究会」について、以下、主に府川充男『ザ・一九六八』(白順社。2006年)から引用しながら思いだしてみます。

私がこの読書会に参加したのは「廣松渉研究会という名称」となってからのことでしたが、それまでの経緯を、府川氏から引用しておきましょう。

「高橋(順一)に遣ろうかと呼掛け、早大の運動仲間水谷洋一や更に白井順も加わって此酒場(「新宿三丁目の酒場セラヴィ」)を中心に行われた読書会が「廣松渉研究会」の前身である」(府川『ザ・一九六八』)

「高橋(順一)と早大時代の運動仲間水谷、音楽ライターの後藤美孝等に読書会でもしないかと持掛けた。/「何を遣ろうか」/「デカルトから遣り直したい」/そう言えば坂本龍一も交ぜろと言っていたのだが、スタジオ・ミュージシャンとして売れ出していた頃で結局一回も来なかった。慥か最初はハイデガー『存在と時間』で先ずは「読書会の勘」を取戻そうと云う事になった。続いてデカルト『方法序説』『省察』『哲学原理』等と併せて勁草思想学説全書の所雄章『デカルトI・II』や永井博『ライプニッツ』、岩崎武雄『カント』等を読んだ。取分け所雄章の『デカルトII』は現象学の先駆の如き存在としてデカルトを読込む可能性を示唆していて新鮮だった」(同上)。

1970年代にもなると、マルクス読みの作法にも変化があらわれてきていました。それまでマルクス読みの「異端」とされていた宇野弘蔵の「マルクス経済学」の方法や、「関係論」にもとづく「実体観」からマルクスを読み込んだ廣松渉の「物象化論」などが、むしろマルクス読みの主流となってくるなかで、からっとマルクスを読むことも可能となっていた。

一般に流通していたアドラツキー版を「”偽書”に等しい」とし、70年代、河出書房から訳書と原書の豪華箱入り2冊セットの廣松版『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』まで出版されていた時代でした。

 
府川充男『ザ・一九六八』(白順社。2006年)

「疎外論から物象化論へ」のフレーズで一世を風靡した廣松渉の、大風呂敷のゆえに年代を飛び越えたかのような「四肢的存在論」は、詩心を排除し徹底的に抽象化することでかえって、「曖昧な」現代世界も人類史上の他の諸世界と遜色ない「人間」世界とみなすことを可能にした。だからこそ「絵に描いたようなはっきりした世界」だけを特別あつかいしてきたそれまでの「疎外論」「人間主義」「主体性」などへの批判としても通用したのだろう。

もともと「学校の授業」などとは無関係に、当時のマルクス経済学の「宇野(弘蔵)理論」にハマっていた私は、いわば「武者修行・腕試し感覚」で法大の経済学専攻修士課程に在籍していました。廣松渉が東大教師になる前、一年間だけ法政にきていた時期とたまたま重なっていたので、『ドイツ・イデオロギー』を扱った哲学専攻の廣松ゼミの単位も取れたのでした。

法政時代の「マル経」専攻の友人たちのなかには高校時代に府川氏のグループだったひとも何人かいました。しかし、もともと音楽マニアだった私は『音楽全書』(『同時代音楽』の前身に相当する)誌の巻末にあった「廣松渉研究会の参加者募集」の呼びかけをみて、参加したのでした。新宿の喫茶店『プリンス』の地下、多いときには隔週くらいの読書会だったと記憶しています。

「途中から白井順も参加してきて、デカルト以前の中世的世界像の輪郭を辿る為にアレクサンドル・コイレ『コスモスの崩壊』等も繙いた。第三世界論の議論になった時には湯浅赳男『民族問題の史的展開』『第三世界の経済構造』、いいだもも『現代社会主義再考』等を題材にした。此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった。『マルクス主義の地平』『世界の共同主観的存在構造』『事的世界観の前哨』『資本論の哲学』等の読書会を次々と遣ったと記憶している」(同上)。

「此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった」(府川充男「「六八年革命」を遶る断章」、さらぎ徳二編著『革命ロシアの崩壊と挫折の根因を問う』)。

70年代の、廣松のこの感覚での受容のされかたは、なかなか対象化されていません(かろうじて、70年代を区切りに「廣松さんの場合は個人のアイデンティティから人々を解放したし、山口(昌男)さんの場合は共同体の持っている価値とか規範の重みから人々を解放した」という大澤真幸『戦後の思想空間』があったし、最近岩波文庫化(2017)された『世界の共同主観的存在構造』への熊野純彦による「解説」も、同じ熊野じしんによる「講談社学術文庫」版(1991)への解説と比較すると変わってきているとはおもいますが)。

詩心ゼロの文体。立ち位置の必然性のなさ。読者にうっとり感情移入させない主人公設定(学知的立場?)。少なくとも私にとっては廣松のこの部分こそが画期的だったのです。

▼白井 順
1952年生れ。法政大学大学院(修士)修了後、高橋順一、府川充男、坂本龍一などと共に「廣松渉研究会」に参加。著書に『思想のデスマッチ』(エスエル出版会)など。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

[引用者注]

当時のエスエル出版会は松岡と駒見俊道(故人)が創業し、単独取次口座開設ができず、鹿砦社を発売元としていた。その後(1988年)、鹿砦社の経営を松岡が引き継ぎ本店所在地を兵庫県西宮に移転する。長年「エスエル出版会発行、鹿砦社発売」と表記していたが、1994年頃から鹿砦社単独の表記にする。そのため一時エスエル出版会は休眠状態となるが、『紙の爆弾』創刊後に雑誌の独立性を堅持するために復活、鹿砦社と一定の距離を置くことになった。中川志大が代表取締役となり本店も東京に移転し現在に至り、『紙の爆弾』は、「エスエル出版会発行、鹿砦社発売」である。

また、当時の『季節』は思想史・運動史専門誌であり、現在反原発雑誌として発行されている『季節』とは主旨が異なるが、かつて一世を風靡した『宝島』がリニューアルする毎に主旨を変えたことと同じと考えられたい。

あまりの素人っぽい造本に見かねて府川さんは5号から装丁も引き受けてくれた。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

何故、今さら重信房子なのか?〈前編〉 板坂 剛

◆出所前夜の恐れ

20年という不当に長い刑期を終えて、重信房子が出所する日が近づくにつれ、私の精神状態は少しばかり不安定になっていた。

出所後は「謝罪と療養に専念する」なんて弱気なコメントを本人が口にしているという情報を耳にしてしまったからだ。マスコミを通じて大衆向けに流布された公式見解とは思えば、これは警察にフェイントをかけるニセ情報、と解釈すればすんだ類の話だが、どうもそうではなかったようで、支援者たちから伝わって来るのは重信房子が本音で「謝罪と療養」の余生を過そうとしているという……当惑せざるを得ない「噂の真相」だった。

およそファンの心理として、憧れの対象であるアイドルに「謝罪」なんかされたらイメージダウンどころの騒ぎじゃない。アイドルはファンの絶対的な精神の規範であるべきで、その絶対性をアイドル自らが否定する「謝罪」という行為は、ファンに対する裏切りであるとも言えるのだ。

では、重信房子の「謝罪」が精神的に不安定な状態を作り出すことを恐れた私は、重信房子のファンだったのかと自問すればそうだったとしか言いようがない。ただし隠れファンと言うべきだったかもしれない。

重信房子

「謝罪と療養」発言で逆に自分が彼女のファンであったことに気づかされたような気もしている。ファンの心理はファンでない人たちから見れば子供っぽい過剰な美意識に過ぎないだろうが、実はそこから生じるエネルギーが人間の精神力の中では最も純粋で無限の熱量を秘めていることを、私は既に幾度となく感受している。

思い起こせば1969年2月、東大安田講堂での徹底抗戦に呼応して「神田解放区」の市街戦を貫徹した翌月に、さて母校日大のバリケードは解除され流れ者となったわれら日大全共闘は、お茶の水の明治大学の学生会館の1室に身を寄せていた。その頃の神田駿河台近辺の緊迫した空気が、今懐かしく思い出されるのは、あの当時はまだ無名であった重信房子と、明大周辺の路上や『丘』という学生の溜り場になっていた古風な喫茶店で一度や二度は顔を合わせていたに違いないなんて、後づけの創作的回想に浸ってしまえるからか。


◎[参考動画]神田カルチェ・ラタン闘争 1969年

私が重信房子の存在を知ったのは70年代になって以降ではあったが、当時はもう日本にいなかった重信房子とそれ以前の一時期、同一の地域で別個に活動していたという事実が、記憶に新しい意味を添加さする淡い倒錯に導く。その偏向は、やはりファン心理と呼ぶべき現象ではないだろうか。

そんなわけで重信房子が獄中にいる間、私の心の片隅には、もし無事に満期の務めを終えて出所されるならば、願わくば日本赤軍を再結成してもう一度、「世界同時革命」の旗を掲げてほしいと、無責任に勝手な夢想を抱いてしまう欲求が生じては消えていったのだ。

今でこそ、いやずっと以前から「世界同時革命」等「荒唐無稽」な観念の暴走に過ぎないというメディアの押しつけ総括が、1億総保守リベラル化した現代日本の大衆を洗脳してしまったように思えるが、重信房子のアラブでの大活躍が報じられていた頃、日本の若者たちの熱狂的な支持を集めていたロックバンド頭脳警察は『世界革命戦争宣言』『赤軍兵士の歌』『銃をとれ』等々、日本赤軍への共鳴を露骨に表現していた。

『赤軍兵士の歌』はブレヒトの詩をそのまま歌っただけの言わばカヴァー曲だが、あの時期にこんなタイトルの曲を持ち出されたら、どうしても日本赤軍への讃歌としか聞こえなかった。

今、パンタ(頭脳警察のリーダー)がどういう心境であるのかは知らないが、よもやかっての楽曲にこめられた思いを否定するようなコメントを口にするとは考えられない。もちろん20年の獄中闘争を貫徹し、医療刑務所内で数回も癌の手術を受けたという重信房子への評価が変ったとも思えない。かって日本赤軍=重信房子の信奉者であり、自らもロック・バンドを率いてアイドルの立場にいた彼も出獄後の重信房子の「謝罪」を恐れていたのではないかと思われる。

アイドルが「謝罪」したり「反省」したりすることが、かって自分に追従して来た多くのファンを見棄てる「転向」に繋がるのは、ファンとしても辛いところなのだ。
 
◆しかし、重信房子は天才だった!

 
重信房子

私自身は自分が天才であるという自覚を持ったことは一度もないが、天才もしくは天才的人物を認知し、天才が時代の中で果たした役割とその存在意義を解明する慧眼については人後に落ちぬものがあると自負している。

これまで鹿砦社からだけでも、三島由紀夫、アントニオ猪木、X-JAPANのYOSHIKI、あるいは飯島愛、そしてローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー等の評伝やフォト・エッセイ集を出版しまくった。

皆、時代を画期する天才ばかりだった。(約1名を除いて)職業は作家、プロレスラー、ミュージシャン、AV女優と様々だが、単なるエンターテイナーという以上の影響力を大衆の一部に与えることで一定程度の社会的混乱状態を作り出したと言える。

恐らくそれが天才の定義と合致するのだろう。天才とは第一に発想が新鮮であり、第二に時代に対してアンチであり、第三に他人の批判に耳を貸さない強い確信に支えられているというのが私の自論である。

もちろん重信房子はかつてこの天才の定義にぴったりあてはまっていた。そして今は、出所後の重信房子が不安定になっていた私の精神状態を一応安定させてくれたことを報告しておきたい。

刑務所の門前で、重信房子は確かに「謝罪」という言葉を口にした。しかしそこには「50年も前のことではありますが」という前置きがあった。そこから「もう昔のことだから謝罪の必要なんかないんだけども」というニュアンスが伝わって来た。

そして当日は予想通り右翼団体の街宣車が押しかけて、やかましく奏でられる軍歌をバックに「極左テロリスト」「人殺し」等の罵声を浴びせられ、それが逆に重信健在を印象づけたことも否めない。

仮釈放でもないのに「今後も監視し続ける」という警察官僚のコメントも、重信房子御当人を勇気づけたことだろう。少なくとも「長い、長い獄中闘争、本当にお疲れ様でした。しかもそれが、癌との闘いを伴ったのですから、筆舌に尽くせないものだったと拝察します」「出所したばかりの貴方の前には、解決しなければならない問題が山積していることでしょう。まずは、メイさんをはじめ愛する人々の中でゆっくり体を休め、その問題の解決から始めながら、闘いの鋭気を養ってください」(小西隆裕=在ピョンヤン)というような励ましともいたわりとも区別出来ない種のメッセージよりずっと、闘士をかきたてられたはずである。(つづく)


◎日本赤軍・重信房子元最高幹部が出所会見ノーカット(2022年5月28日)

◎板坂 剛「何故、今さら重信房子なのか?」〈前編〉
     「何故、今さら重信房子なのか?」〈後編〉
※本稿は季節33号(2022年9月11日発売号)掲載の「何故、今さら重信房子なのか?」を再編集した全2回の後編です。

▼板坂 剛(いたさか ごう)

作家。舞踊家。1948年福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

「言論」論〈01〉言論は「暴力の一種」である 片岡 健

私はこれまで様々な事件や裁判、冤罪などを取材してきて、巷で流布する「言論に関する言論」を空論のように感じ、釈然としないことが少なからずあった。そこで、この場で個人的な経験に基づく個人的な「言論」論を開陳させて頂くことにした。広く共感を得るのは難しそうなことや、反感を買いそうなことも忌憚なく述べていきたいと思うので、異論・反論も遠慮なくお寄せ頂きたい。

◆「我々は暴力に屈しない。言論の自由を守る」と声高に宣言する人に嫌悪感を覚える理由

「暴力で“言論”を封じることはあってはならない」

報道機関や著名な言論人、政治家に対し、殺害予告などの暴力的な脅かしがなされたり、実際に暴力による攻撃が行われたりすると、こういうことを言う人が必ずあちこちに現れる。とくに新聞は紙面において、判で押したようにこのような意見を表明するのが常である。

たとえば最近だと、安倍晋三元首相が選挙演説中に銃殺された時がそうだった。毎年、朝日新聞阪神支局襲撃事件(発生は1987年)が起きた5月3日になると、社員である記者を射殺された朝日新聞はもちろん、他の新聞もこのような意見を表明するのが恒例だ。

私も暴力で“言論”を封じようとすることが悪いことだという意見に対しては、とくに異論はない。だが、新聞をはじめとする報道機関の人たちが、我こそは正義とばかりに「我々は暴力に屈しない。言論の自由を守る」などと声高に宣言する様子を目にすると、いつも嫌悪感を覚えずにいられない。

私には、そういう人たちは報道機関の報道が言論であると同時に「暴力の一種」であるという認識が欠如しているとしか思えないからだ。

私はこれまで、新聞をはじめとする報道機関の報道により回復不能の被害を受けた人たちを数えきれないほど見てきた。しかも、そういう報道が実際は誤報だった場合も、謝罪はもちろん訂正すらされずに放置されていることがほとんどだった。さらにそういう報道をした記者個人に取材を申し入れても、「個人では、取材を受けられないので、取材は会社の広報部に申し入れてくれ」と逃げてしまうのだ。

自分は会社に守られつつ、他者に対して、会社の力を使って言論という名の暴力をふるう。一方で、暴力で言論を封じようとする者を他人事のように批判するのは、どう考えても辻褄が合っていない。

私は、立派ではない人間が立派なことを言ってはいけないと思っているわけではない。私自身もまったく立派な人間ではないからだ。しかし、普段何らかの言論活動を行っている人間は、言論は「暴力の一種」である認識を常に心の片隅に置いておくべきだと思う。その認識が欠如しているように感じれる人の言葉は、まったく説得力を感じない。

◎[過去記事リンク]片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

※著者のメールアドレスはkataken@able.ocn.ne.jpです。本記事に異論・反論がある方は著者まで直接ご連絡ください。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)
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《書評》『紙の爆弾』2月号 諸悪の根源、電通を叩け 横山茂彦

新年、明けましておめでとうございます。厳しい政治経済状況のなか、皆様の一年が良い年でありますよう、心から祈念いたします。

 
好評発売中! 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

さて、われわれの社会は批判的な視点、批判の武器こそが発展の糧であります。その意味では活字を媒介にした雑誌メディアは、創造的な社会・文化の原動力とも言うべき役割を果たすものと思料します。

一般論で言っているわけではありません。政治批判・社会批判の切っ先を鈍らせ、あらかじめ企業批判の制約をかけるシステムが、メディアの中にも存在するからです。そう、その元凶は電通をはじめとする広告代理店、イベント代理店の存在にほかなりません。広告スポンサーの威力をもってジャーナリズムの機先を制す。この悪習はいまだ、わが国の前途を覆っているといえましょう。

『紙の爆弾』2月号は、まさにこの悪習が東京五輪という公共性を持ったイベントを食いものにしてきたこと、その中枢で電通が果たした悪行を暴露する記事が巻頭を飾りました。以下、読みどころを掻い摘んでご紹介しましょう。

『紙爆』2月号では、本間龍と片岡亮の論考「電通のための五輪がもたらした惨状」「東京五輪グッズ 新たな汚職疑惑」が、電通の犯罪的な立ち回りをあますところなく暴露している。あらためて、広告収入に頼らない本誌ならではの記事と称賛を贈りたい。

まず、電通が単体で世界最大の企業、グループで第6位に入るコングロマリットであることに、あらためて驚かされる。同じく男性衣料のトップメーカーである青木、出版界における最大手KADOKAWAと結びつくことで、電通の東京五輪は巨大疑獄へと発展したのだ。

広告代理店のシステムは、そもそも業界内提携にある。ビッグイベントに対しては、スポンサー契約という枠組みで利権の配分を「オフィシャルサポーター」としてグッズの販売、関連商品の販売特権をスポンサーに付与する。今回の場合は高橋治之被告が元電通役員であり、五輪組織委員会理事という立場を利用した贈収賄・官製談合だったところに、構造的な利権が露呈した。

かつて、電通のキャッチフレーズに「電通には人いがいに何もありません」というものがあった。そう、広告代理店業界は人脈と業界内の提携があるのみで、あとは芸術家づらをしたデザイナーと制作会社があるだけなのだ。小さな代理店に友人が居たら、その事務所に行ってみるといい。壁に代理店の電話・ファックスの一覧表が貼ってあるはずだ。

もちろんデータ通信、Eメールでも業務は行なっているが、主要なやり取りは電話とファックスである。なぜならば、広告クライアントの代理店同士のやり取り(年間広告費管理)は、すべて人対人の交渉力で決まるからだ。ほとんどすべての代理店が、電通と博報堂、東急エージェンシーなどの大手代理店に系列化されている。

その意味で、電通に「人いがいに何もありません」は実態を照らしているが、その人脈が国家レベルの巨大イベントに係る、人と人の関係、すなわち贈収賄であれば看過できない。本間は電通談合ルート構造がオリンピックの発注金額の膨張につながったこと、それを看過してきた大手メディアの責任を問いただす。大手メディアがスポンサー(電通)に慮るのであれば、司直の厳しい追及をうながすためにも、われわれのような在野メディアが奮闘するしかない。

片岡亮の「東京五輪グッズ疑惑」も、その背後に電通という「本丸」があることを指摘するが、取材は公式グッズの販売現場からだった。片岡はクアラルンプールの日系ショッピングモールで、一枚のTシャツを発見する。そのTシャツには、東京五輪のエンブレムとタグが付いていたが、胸のエンブレムは別のデザインで塗りつぶされていた。別デザインで塗りつぶしたのは東京五輪が終わったからだが、片岡が取材したところ、そこにはマネーロンダリングと旧エンブレム(デザインのパクリ疑惑で取りやめ)という、いかにも利権がらみの背景が判明したのだ。マネーロンダリングは日本から輸出することで、名目的な売り上げが五輪関係者に計上される、いわば伝票上の予算消化である。旧エンブレムの塗りつぶしは、あらためてデザイン選考が出来レースだったことを露呈させた。

これら五輪スポンサードに係る利権、グッズ販売における不透明な構造は、膨大なものになった建設予算とその後の管理費をふくめた収支決算として、情報公開が求められるところだが、大手メディアには期待できない。内部告発をふくめた、電通城の攻略こそジャーナリズムの使命ではないか。

◆左派の新党を待望したい

ほかに、統一教会被害の救済新法をめぐる各政党の思惑、公明党と立憲民主党の内幕が明らかにされています。「創価学会・公明党 救済新法骨抜きの重いツケ」(大山友樹)「ザル法に賛成した立憲民主党の党内事情」(横田一)。創価学会・公明党の場合は自公路線による支持者の減少、立憲民主党の場合は維新との共闘による独自性(および野党共闘)の喪失ということになるが、れいわ新選組を除いて野党共闘に展望があるとも思えない。共産党や社民党など、賞味期限の切れた党に代わる、たとえば参政党のような求心力のある左派の登場が待たれる、と指摘しておこう。

◆レールガンは脅威か、平和の使者か

小さな記事だが、マッド・アマノが注目する「レールガン(電磁砲)」が気になる。究極の防衛システムは、電磁波を発生させることで、誘導ミサイルや戦闘機など、電気で動く兵器を無力化するものだ。通常は核爆発による電磁波の発生で、電子系の兵器は無力化されると考えられている。そんな武器が手軽に、3Dプリンターで製作できるというのだ。ミサイル制御の精密電子装置の有効性は、ウクライナ戦争でいかんなく証明された。そして超高速兵器の脅威やドローン(パソコン誘導)の有効性も明らかになっている。最前線が電子機器である以上、それらを無力化する兵器が待望される。願わくば、すべての武器を無力化する「レールガン」の登場を。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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ウィキリークスの創立者ジュリアン・アサンジをめぐる問題、言論弾圧という西側諸国の汚点 黒薮哲哉

ウィキリークスの創立者で著名なジャーナリストであるジュリアン・アサンジの動静は、日本ではほとんど報じられていない。皆無ではないにしても、新聞・テレビはこの話題をなるべく避ける方向で一致している。

アサンジが直面している人権侵害の重さと、ジャーナリズムに対する公権力による露骨な言論糾弾という事件の性質からすれば、同業者として表舞台へ押し上げなければならないテーマであるはずなのに、地球の裏側で起こっているもめごと程度の扱いにしかしていない。その程度の認識しか持ち合わせていない。

メディア関係者にとっては我が身の問題なのだが。

 
「だれにも知る権利、質問する権利、権力に抗する権利がある」(写真出典:Defend Assange Campaign)

ウィキリークスは、インターネットの時代に新しいジャーナリズムのモデルを構築した。内部告発を受け付け、その情報を検証した上で、内部告発者に危害が及ばないように配慮した上で、問題を公にする。ニューヨークタイムズ(米国)、ル・モンド(仏)、エルパイス(西)などの大手メディアと連携しているので、ウィキリークスがリークした情報は地球規模で拡散する。

CIAの元局員のエドワード・ジョセフ・スノーデンが持ち出した内部資料なども、ウィキリークス経由で広がったのである。西側の公権力機関にとっては、ウィキリークスは大きな脅威である。

ジュリアン・アサンジは、ウィキリークスを柱とした華々しいジャーナリズム活動を展開していた。たとえば2009年には、ケニアの虐殺事件をスクープしてアムネスティ・インターナショナル国際メディア賞を受賞した。2010年には、米国の雑誌『タイム』が、読者が決める「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の第1にランクされた。

ちなみにインターネットという媒体は、報道の裏付け資料を記事と一緒に紹介できるメリットがある。それにより記事の裏付けを読者に示すことができる。それを読んで読者は考察を深める。これこそが最新のジャーナリズムの恩恵にほかならない。

このような機能は、紙媒体ではない。その意味では、インターネットの時代がアサンジを生みだしたと言っても過言ではない。

なお、アサンジはコンピュータに入り込んで情報を盗み取るハッカーだという誤解があるが、ハッキングに及んだのは高校生の頃である。知的好奇心に駆られたのが原因とされている。後年、彼が設立するウィキリークスの活動とは無関係だ。

◆アサンジに対する弾圧、スェーデンから米国へ

しかし、アサンジのジャーナリズムが国境を越えて脚光を浴びてくると、水面下でさまざまな策略が練られるようになった。とはいえ、テロリストでもない人間をそう簡単に逮捕できるわけではない。西側諸国が大上段に掲げている民主主義や言論の自由の旗の下では、暴力に訴えることはできない。そこで西側の公権力機関が行使したのは、別件によるでっち上げの逮捕だった。

2010年、まずスェーデンの刑事警察が、アサンジに対する逮捕状を交付した。そして国際指名手配の手続きを取った。スェーデンで2人の女性に対して性的暴行を犯した容疑である。アサンジは、女性たちとの性的関係は認めたが、それは合法的なものであると主張した。

この年の12月にイギリスのロンドン警察庁は、スェーデンの要請に従ってアサンジを逮捕した。翌年には裁判が始まり、イギリスの最高裁は、2012年6月、アサンジをスェーデンへ移送することを決めた。

これに対してアサンジは、ロンドンにあるエクアドル大使館に駆け込んだ。大使館への亡命であった。当時、エクアドル大統領が、左派のラファエル・コレアであたっことが、亡命が認められた要因だと思われる。エクアドル本国への移送は不可能だったので、アセンジは数年にわたり建物内部に留まったのである。

メキシコへの亡命受け入れを提案しているメキシコのロペス・オブラドール大統領(写真出典:Defend Assange Campaign)

しかし、エクアドル大統領が交代した後の2019年、イギリス警察がアサンジを逮捕した。大使館へ踏み込んだのである。大使館も承知の上だった。

アサンジの逮捕を受けて、米国の司法省は機密情報漏洩などの罪でアサンジを起訴し、イギリスに対してアサンジの移送を求めた。スェーデンはアサンジの捜査を打ち切ったので、以後、アサンジの事件は、米国による移送要求を柱とした構図に変わったのである。

ちなみに、スェーデンはアサンジを国際指名手配をした段階で、身柄を拘束した後、米国に引き渡す計画だったのではないかとの推測もある。

かりにアサンジが米国で裁判にかけられた場合、禁錮175年の判決を受ける可能性がある。

イギリスの裁判所は、アサンジの米国への移送を認めるかどうかの審理に入った。審理は紆余曲折したが、最終的に2022年6月に、内務大臣の承認により移送が決まった。アサンジは、現在、欧州人権裁判所へ上訴している。

◆ノー天気な日本の新聞・テレビ
 
アサンジの救出運動は、欧米で広がっている。2022年11月28日には、ニューヨークタイムス(米)、ガーディアン(英)、シュピーゲル(独)、ルモンド(仏)、パイス(西)が、アセンジの起訴を取り下げるように求めた共同声明を発表した。いずれもウィキリークスと共闘関係にあったメディアである。出版は犯罪ではなく、このような前例を作ってはいけないとする主旨である。

言論弾圧といえば、旧ソ連のイメージが付きまとうが、西側諸国でもメディアに対する弾圧が行われているのである。それに最も鈍感なのは、日本の新聞・テレビではないか。自分たちは、「自由社会」で言論の自由を謳歌していると勘違いしている。もっと広い視野で世界を見るべきだろう。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

日本のキックボクシング界・2022年の回顧と2023年の展望 堀田春樹

新年明けましておめでとうございます。年明けながら、まずは2022年の日本キックボクシング界を振り返ったうえで、2023年の見どころを検証したい思います。

キックボクシングを引退した那須川天心(2016年)

◆[1]世紀の一戦

2022年上半期、世間的には中心的話題一番の那須川天心(TARGET)vs武尊(K-1 SAGAMI-ONO KREST)戦は、6月19日に東京ドームでの「THE MATCH 2022」に於いて5万人超えの観衆の中、58.0kg契約3回戦(ヒジ打ち無し/延長は1R迄)で、那須川天心が3ラウンド判定5-0で勝利。世間的には歴史的な名勝負と言われる中、業界内では「周囲が煽った割には名勝負には至らない」と辛口批判する声があったのも事実でした。

那須川天心はすぐにプロボクシング転向に動き出すと見られた2022年下半期でしたが、その展望は今年からの活動となってどういう展開を見せるかが注目です。

◆[2]入場制限解除とは関係なく……

コロナウィルス感染する選手、濃厚接触者となる選手はわずかながらやや続き、カード変更や中止はありましたが、観衆50パーセントの入場制限は緩和された一年でした。

それより最終試合のメインイベントにかけ、仲間内の選手の試合が終わって観衆が帰って閑散としていく会場はコロナの観衆制限に関係なく寂しいものがありました。那須川天心vs武尊の試合を観ずに帰ったファンはいないでしょうし、あれほどの注目されるメインイベントがもっと必要なキックボクシング界であることは、ジム会長さん達共通の想いであるようです。

コロナの影響でなく、最近の閑散とするメインイベント前の客席

◆[3]51年続いた千葉ジム閉鎖

閉鎖するジムあれば近代的設備整ったフィットネス感覚のジムオープンが激しい時代。かつてプロを目指す殺伐とした雰囲気だった千葉(センバ)ジムは古めかしいトタン屋根のジムで、1971年(昭和46年)に前身の国際ジムから移転して建てられました。暑い夏はエアコンは無く、寒い冬はストーブが焚かれました。昨年は雨漏りするも修繕はせず解体を待つだけとなり、かつて国鉄(現JR)総武線車窓から見えた「TBSで放送中」といった昭和40年代からある看板が古びて色褪せしても、時代が流れた2000年以降も目立っていました。

ジムそのものは比較的広い空間でしたが、解体され更地となった敷地は「ここにジムがあったのか?」と思うほど狭い感覚に陥ったという元・所属選手らの声でした。
他の古くからあるジムは移転したり、改築されたりで元の建屋は無くなっていきますが、千葉ジムだけは51年間そのままの姿だっただけに、放っておいては老朽化し倒壊に繋がるだけでも、世界遺産にしたいほど勿体無い建屋でした。

熊本から上京してキックボクシングに導かれた運命を辿った戸高今朝明会長も解体前にはジムの中でポスターやチラシを見ながら「この時は稲毛忠治が40℃の熱出してボロボロでなあ……」といった話もして、苦労話も語り口が楽しそうでした。

その反面、何か言葉にならない感情でジムの中を見渡す姿もあって、特に一昨年からはコロナで活動が停止してしまい寂しそうでもありました。2020年1月にはキックボクシング最初の藤本ジム(旧・目黒ジム)が閉鎖し、そして2022年7月にも解体された千葉ジムで、昭和がより一層消えゆく年でした。

解体一ヶ月前の千葉ジム(2022年6月12日)
更地となった千葉ジム跡地(2022年7月31日 撮影:吉野道幸)

◆[4]ガルーダ・テツ東京進出

関西に留まらず、東京進出という報告には何か野望があると言えるガルーダ・テツ氏の昨年の発表。2月20日から京成立石駅近くのアーケード街にジムオープンされました。

拠点が東京にあるだけでイベント開催や他のジムとの交流もやり易いというガルーダ・テツ氏。その活動からテツジム6人目チャンピオン誕生も狙っている現在、NKB認定下の日本キックボクシング連盟の今後の中心的存在になる可能性は高く、日本列島テツジム計画は着々と進行中。その勢いで、平成時代からやんちゃな話題を振り撒いたガルーダ・テツ氏の今後のプロ興行とアマチュア大会にまた新たな展開が見られるでしょう。

東京進出を果たしたガルーダ・テツ氏(2022年10月15日)

◆[5]原点回帰の武田幸三氏のチャレンジ

語り口は熱かった武田幸三氏。「“ヒジ打ち有り”が圧され気味になっています。」の言葉にインパクトがありました。那須川天心vs武尊戦がヒジ打ち無し3回戦であったように、K-1から影響したヒジ打ち無しルールが台頭して来た勢いが止まりませんでした。

「ヒジ打ち有り、首相撲有り5回戦の本来のキックボクシングに戻す」と言った武田幸三氏の興行テーマ「CHALLENGER」は昭和の殺伐とした雰囲気を持ちながら令和時代のモトヤスック(21歳)や馬渡亮太(22歳)などの活躍した興行が続きました。治政館では後輩となる二人は「ヒジ打ち有り、首相撲有りの5ラウンド制」を受け継ぎ、最強を証明していく意気込みを感じられました。

6月19日に行われた格闘技ビッグイベント「THE MATCH」。あの立場に辿り着くにはどうしたらいいか。何をすべきかが今後の課題。元祖キックボクシングの戦いを浸透させることが出来るか、武田幸三氏を信じましょう。

毎度の御挨拶で選手に檄を飛ばす武田幸三氏(2022年1月9日)

◆[6]世代交代への流れ

梅野源治(PHOENIX)や森井洋介(野良犬道場)などのベテラン名選手らの活躍はやや陰りを見せつつも続く中で、若い世代の台頭も押し寄せ、特にオーラがある存在が、4月24日に名古屋で、IMSA世界スーパーバンタム級王座決定戦を制した福田海斗(キングムエ/23歳)。

7月3日には横浜で、タイ国ムエスポーツ協会フライ級王座とWPMF世界フライ級王座を2ラウンドKOで制した吉成名高(エイワスポーツ/21歳)は過去、二大殿堂も制している選手。

9月3日には大田区総合体育館でのWBCムエタイ世界スーパーフライ級王座決定戦で、1ラウンドKOで王座獲得した石井一成(ウォーワンチャイ/24歳)。

彼らはすでに5年ほど前からタイ国でも人気ある存在で、タイ国発祥の世界的なムエタイ王座に名を残していますが、更にその飛躍が目立った一年でした。

更に女子キックの中でも、今までに無いズバ抜けた反射神経としなりあるキックを繰り出す藤原乃愛(ROCK ON)も女子ミネルヴァ王座を獲得するまで台頭して来ており、世界を狙っている今年の注目株でしょう。

[左]日本とタイで活躍する福田海斗(2016年)/[右]ムエタイ二大殿堂を制した吉成名高(2022年11月20日)
高校生キックボクサーとして女子キックのチャンピオンに上り詰めた藤原乃愛(2022年11月20日)

たまたま六つに纏まった今年の振り返りでしたが、那須川天心無きキックボクシング界は上記の若い選手の台頭や、それ以外にも埋もれた実力者が幾らか存在します。今年の見どころは各団体、プロモーション関係者がスーパースターを生み出す腕の見せどころとなるでしょう。

希望的観測ながら、プロモーターとして知名度有る武田幸三氏、ガルーダ・テツ氏、小野寺力氏の歩み寄りもあれば面白いところで、更にここ数年増えた感のある、各団体興行に似た思想を持った他団体の首脳が顔を見せる光景は、あらゆる可能性に期待を掛けてしまいます。また今年中に何らかの進展があればその都度取り上げ、進展無ければそれなりの纏まり無い業界であったと振り返ることになるでしょう。好転を祈って2023年の展開を追いたいと思う年越しでした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

『紙の爆弾』2023年2月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

2022年末、安保3文書の改定が閣議決定されました。ただし、本誌がたびたび問題提起してきたように、これは降ってわいたものではありません。岸田文雄首相は今年1月にさっそく訪米し、“成果”をバイデン大統領に報告します。一方で、昨年12月にはウクライナのゼレンスキー大統領が電撃訪米。ただしゼレンスキー大統領の場合、眼前の戦争に関して軍事的協力を求める目的がはっきりしています。岸田首相はいったい何をしに行くのか。まさにアメポチとしか言いようがありません。

 
1月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

「専守防衛」の政策転換という問題とともに、その背後の国民世論形成についても、本誌2月号記事は重点を置いて分析しました。たしかに防衛費倍増の財源は問題です。所得税・法人税は市民の経済活動にともない徴税されるもの。たばこはやめられても、こちらは避けられるものではなく、強制的な戦争協力と言って過言ではありません。旧統一教会の問題がかまびすしいなか、宗教法人課税をここで俎上にあげてみてはどうでしょうか。だいたいの宗教は平和を看板に掲げているもので、有意義な議論が展開されるのではと思います。

話を戻すと、マスコミでは財源が問題とされても、軍事増税の前提である“有事の危機”がつくられたものである、あるいは軍事以外の方法で解消すべきであることには、ほとんど触れられていません。安倍国葬に反対する世論が軒並み50%を超えた一方、敵基地攻撃能力の保有に賛成する世論も50%を超えているのも、マスメディアの世論形成の結果といえます。自衛隊の増強の必要性も強調されているなか、「入隊すれば三食三六五日無料で食べられます」「ひとり一個ケーキ、ステーキがひとり一枚」との自衛隊の説明会の様子が話題になっていました。ネットでは「実は給料から天引きされている」とのツッコミもありましたが、それも含めて今を反映しているように思います。

さらに現在、注目がますます高まるのが、コロナワクチンによる薬害の問題です。2月号では10月に結成会見が開かれた遺族会「繋ぐ会」の活動についてレポートしました。11月25日には同会と超党派議員連盟により、衆議院議員会館で厚生労働省を相手に勉強会を開催、ワクチン接種の中止を訴えています。そのなかでは、福島雅典・京大名誉教授が一部で「10%しかない」といわれる厚労省職員の接種率の開示を求めるシーンもありました。少し調べればわかりそうなものですが、現時点でも厚労省側は開示せず。本誌1月号では免疫低下など、このワクチンの「3つのリスク」を解説。感染防止についても、ファイザー社が実証テストをしていないことが明らかとなっています。接種回数を重ねるほど健康被害のリスクは上がるといわれており、これ以上の接種拡大は避けるべきです。1月号、2月号をあわせてお読みいただければと思います。

戦争準備と国民管理、原発と「環境問題」など、扱うテーマは増えるばかりであるとともに、その一つ一つが身に迫ったものとなっています。今月号も、『紙の爆弾』は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

月刊『紙の爆弾』2023年 2月号 目次

日本はもう五輪に関わるな「電通のための五輪」がもたらした惨状
逮捕の元電通専務の背後に〝司令塔〟「東京五輪グッズ」めぐり新たな汚職疑惑
自公野合「軍拡政策」とバーター 創価学会・公明党 救済新法〝骨抜き〟の重いツケ
旧統一教会被害者救済法「ザル法」に賛成した立憲民主の党内事情
東日本大震災を越える「ワクチン死」コロナワクチン遺族「繋ぐ会」の訴え
防衛増税に自民党内の反発 それでも首相に居座る岸田文雄の皮算用
メディアの政権協力を暴く 戦後軍事政策の大転換は自公野合のクーデター
戦需国家・米国への隷従を具現化する改定三文書 世論操作と情報統制で進む対米一体化の「戦争準備」
右も左もまともな分析なし 中国共産党第20回大会は何を示したか
中世の残滓 絞首刑は直ちに廃止すべきである
日本を操る政治とカルトの蜜月 旧統一教会とCIA・KCIAの関係
全体主義を求める現代社会 市場原理主義というカルト
ジャニーズ事務所と〝文春砲〟のバトル 2023年芸能界 越年スキャンダル
シリーズ 日本の冤罪34 二俣事件
弱者に寄り添い続けた ジャーナリスト・山口正紀さんを悼む

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
ニュースノワール 岡本萬尋
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
キラメキ★東京漂流記 村田らむ
裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
権力者たちのバトルロイヤル 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

1月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

わかりやすい!科学の最前線〈01〉生き物の根幹にある核酸 安江 博

デジタル鹿砦社通信読者の皆様、はじめまして。私は現在「つくば遺伝子研究所」で所長をしている安江博です。これからこのコラムで現在私が取り組んでいる、遺伝子をはじめ最近の科学で明らかになった事実をご紹介してゆきます。

私は大学で理学を学んだあと農林水産省/厚生労働省に技官として、また、大学の職員して、国内外の研究機関で33年、化学、生物学、医学などの分野で研究を重ねてきました。私も年齢が70歳を超え、人生の集大成の時期に入ったと自覚しています。これまで得てきた知識や、最新の科学的知見をわかりやすく読者の皆さんにご紹介することは、私だけの知識を広く社会の財産とし、皆さんのお役に立てていただきたいとの思いから今回この連載を担当させていただくこととなりました。鹿砦社からは『一流の前立腺がん患者になれ』を出版したご縁もあります。

この連載はまず「核酸」についての解説からはじめます。私は色々なことを研究しており、また様々なアイデアが浮かぶので、最初の話題に「核酸」を選んだのは、必ずしも今後の連載の順番を考慮してのことではありません。その折に触れなるべく生活に身近で、でありながら最先端の情報をわかりやすくご紹介したいと思います。

では早速「核酸」のお話をはじめましょう。

生き物が、生まれて、成長して、さらに、世代を超えて進化していくうえで、その根幹となっているものは核酸と呼ばれる化学物質です。核酸は、RNA(リボ核酸)とDNA(デオキシリボ核酸)の二種類に分けられます。両者の違いは、核酸の構造体に酸素原子が入っているかいないかです。哺乳類をはじめとするほとんどの生物は、DNAに遺伝情報が蓄えられています。そしてDNAの遺伝情報が、環境の変化等に応じて、RNAに伝えられ、さらに、タンパク質に変えられて、遺伝情報が機能します。

一方DNAを持たず、RNAに遺伝子情報を格納している生き物もあります。RNAだけしか持たない生物の代表格は、一部のウイルスです。

今、話題になっている、コロナウイルスもRNAしか持っておらず、また、一本鎖であることから、ウイルスの複製過程で、変異が起こりやすい性質を有します。そのため現在、度重なる変異に対応するためのワクチンを作りなおしていく必要が出てきているのです。ワクチン接種を4回、5回と受けた皆さんもいらっしゃると思いますが、上記のようなウイルスの性質が、異なるワクチン接種を必要とさせているのです(ワクチン接種については別の問題がありますが、ここでは仕組みを理解していただくことに留めます)。

DNAは二本鎖で、鎖のお互いが相補性であることから、複製に間違いが生じても、修正されます。従って、遺伝情報を二本鎖のDNAの形でもつ生物は、細胞増殖による遺伝情報の複製、次世代への遺伝情報の伝達過程での複製において、RNAだけの生物に比べ、複製間違いが極めて低いわけです。しかし、複製間違いがないわけではなく、この間違いが、がん、遺伝病の原因となるわけです。また、世代間の複製の間違いは、長い目でみると、生物の進化となって表れてきます。

遺伝の概念は、1865年Mendelが初めて示し、その後、1900年になってオランダのde Vries、ドイツのCorrens、オーストリアのTschermakによって、それぞれ別の材料を使って独立にMendelが示した「遺伝」の概念を再度しめし、そのあと、遺伝学は概念の形で、発展しました。1953年になって初めて、WatsonとCrickが遺伝を担う物質はDNAの二重らせんであることを報告し(文献1-1: ノーベル賞)、以降、遺伝物質としてのDNA、RNAが注目され、その解析技術の開発が進められ、現在へと繋がっています。

DNA研究の軌跡については、後述することにしますが、核酸が遺伝物質の根幹であることが1953年に判明し、以降は、遺伝物質の情報解明に注力されてきました。遺伝情報はA, C, G, Tの塩基の並び方によって決まっていることから、どのようにしたら、効率よく、塩基の並びかたを調べることができるかという研究が続けられてきました。

DNAの塩基配列を調べる方法としては、1975年にジデオキシ法(文献1-2: 別名、サンガー法.ノーベル賞)、続いて1977年にマキサム・ギルバート法(文献1-3: ノーベル賞)が発表されました。1970年代終わりから1980年初めごろは、私も、塩基配列を解析する仕事をしていました。この頃は、放射性同位元素である32Pや35S用いた解析でした。塩基配列の解析する一連の操作に約3日かかり、一回の解析で、2400塩基の配列を決めていました。この一連の操作で掛かる費用が、5万円ぐらい掛かっていたと記憶しています。ここには、人件費は含まれていませんので、1000塩基当たり、約2万円となります。その後、放射性同元素ではなく、蛍光色素を用いることが可能になり、それに伴い、解析の自動化が進められました。それにより現在、塩基配列の解析は以前より安価で行うことができます。次回はヒトの塩基分析についてご紹介します。

【文献】

1-1 Molecular Structure of Nucleic Acids: A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid
J. D. WATSON & F. H. C. CRICK Nature volume 171, pages737-738 (1953)
https://dosequis.colorado.edu/Courses/MethodsLogic/papers/WatsonCrick1953.pdf

1-2 DNA sequencing with chain-terminating inhibitors
F. Sanger, S. Nicklen, and A. R. Coulson Proc Natl Acad Sci U S A. 1977 Dec; 74(12): 5463-5467.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC431765/pdf/pnas00043-0271.pdf

1-3 A new method for sequencing DNA
A M Maxam and W Gilbert Proc Natl Acad Sci U S A. 1977 Feb; 74(2): 560-564.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC392330/pdf/pnas00024-0174.pdf

▼安江 博(やすえ・ひろし)
1949年、大阪生まれ。大阪大学理学研究科博士課程修了(理学博士)。農林水産省・厚生労働省に技官として勤務、愛知県がんセンター主任研究員、農業生物資源研究所、成育医療センターへ出向。フランス(パリINRA)米国(ミネソタ州立大)駐在。筑波大学(農林学系)助教授、同大学(医療系一消化器外科)非常勤講師等を経て、現在(株)つくば遺伝子研究所所長。著書に『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』(鹿砦社)等

安江博『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』

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