こいつら原発推進バカとつきあうのもいいかげんに疲れるが、見逃せないので斬り捨てよう。
「原発に対する意見聴取会」にまぎれこんだ、二人の電力会社社員についてだ。
まず、6月15日、政府のエネルギー・環境会議(議長・古川元久国家戦略担当相)は、国の中長期のエネルギー政策に関する第2回の意見聴取会を仙台市で開き、公募で選ばれた9人が意見表明した。発言者の1人として東北電力の企画部長(執行役員)が原発を推進する意見を述べたことで「当事者は入れてはダメだろう」と不満の声が上がり、進行が一時中断するハプニングが起きた。
発言者の中に首都圏在住者が3人含まれていたことにも、「震災被災地の意見を聞く会ではないのか」などの異論もあった。出席した細野豪志環境相は終了後に「(発言者の人選は)ランダムな抽選の結果でやむを得ない」と弁明に終始した。
「抽選で選んだといっても、身分のチェックをするべきだろう。100%、ガチの原発推進派から意見を聴取してどうするのか」(参加者)

懲りない政府は、6月16日、将来のエネルギー政策に関する3回目の国民の意見聴取会を名古屋市で開いたが、今度は、中部電力社員が、原発を擁護する意見を表明。会場から「やらせだ」「回し者」といった批判が飛んだ。
聴取会では、2030年の原発依存度を0%、15%、20~25%とする政府が示した三つの選択肢について、それぞれ3人、計9人が賛成理由を説明。中部電力社員と自己紹介した男性は3番目に発言し、電力の安定供給と経済への影響を重視する立場から原子力発電の必要性を主張した。また東京電力福島第1原発事故に関し「放射能の影響で亡くなった人はいない」と述べている。

低線量被曝の蓄積による被害は、数年後、数10年後に出ることは常識だ。被害が顕在化するのはこれからだ、ということを、電力会社社員でありながら知らないとでも言うのか。ふざけるな!
福島第1原発から5キロにあった双葉病院は、津波の被害を逃れたにもかかわらず、原発事故によって避難を余儀なくされ、その過程で寝たきりだった老人など50人が死亡している。原発が放射能を放出したがための避難で亡くなったのだから、まぎれもなく「放射能の影響で亡くなった人」たちだ。
この回し者ははしなくも、電力会社社員というものの責任感のなさと、人間性の低さをさらけ出した。

「抽選で簡単に電力会社の社員がこんなに入れるとしたら、いったい、何人の候補を電力会社は送り込んでいるのかね。エントリーの段階から抽出のしかたを考えたほうがいいのではないだろうか」(福島県民)
電力会社の社員に「意見を言うな」とまでは言わない。
しかし、意見聴取会で「原発が必要だ」と主張する前にやることがあるのではないか。
たとえば仙台であるいは名古屋で発言した男性たちは、福島の原発周辺の閑散とした街並みと、狭苦しい仮設住宅を見たのだろうか。
意見聴取会にもぐりこんだ発言者たちよ、狭く、薄い壁の仮設住宅で冬を越してみよ。

「ふざけた話ですね。電力会社の発言者たちは、いっそのこと核廃棄物処理場の地下で暮らしたらどうかね。だって原発は必要なんでしょうから」(福島第一原発事故の避難住民)
しごくあたり前の話である。
テレビで意見聴取会を見ていて、思い出したことがある。
「地下鉄サリン事件にオウム関与か」と騒がれる中での記者会見で「サリンは出てない、サリンはなかった」と説明に終始した当時のオウム広報、上祐 史浩氏(宗教団体ひかりの輪代表)の態度と、周囲の反応である。
あのとき、外国人通信記者は「ライヤー(嘘つき)!」と上祐を罵った。

必死に反論しているがまったくまともにだれも取り合わない、逮捕寸前のオウム信者たちと、この後におよんで原発推進を主張する電力会社の社員たち。
この2つは私の中で見事に重なっている。「95年のオウムの信者たち=現在の電力会社の社員たち」という構図である。顔つきまでも似ている。

しかしこれまで、この手の公聴会では、電力マネーにものを言わせて、一般の人々に原発推進を語らせていたものだ。
原発の危険性を目の当たりにし、お金をもらっても原発推進は言いたくないという人ばかりになり、電力会社社員が出てこざるをえなくなったのか。

裸の電力社員。もとより、言論は自由である。電力会社の社員が、どこで何を言ってもかまわない。
ただし全国に散らばる、能面のような表情で、命を奪わんとする原発推進の電力会社員たちよ!
あなたたちの言葉は、誰も聞く耳をもたない。
聞く耳をもたない話は、ひとりごとであり、騒音と同じである。

結論する。ゆえに、電力会社の社員たちよ! 放射能廃棄物処理場の地下にこもって、ひとり言を繰り返していただきたい。
そこで原発推進の論理をふりかざしてこそ、「言行の一致」となるのだから。

(渋谷三七十)