両親との関係が良くなかった鹿嶋学は、宇部市の私立高校を卒業後、「寮生活ができるから」という理由で選んだアルミの素材メーカーに就職した。そして萩市の工場に配属され、工場の前にある従業員寮で一人暮らしを始めると、親の目が無いのをいいことに好きなゲームに没頭し、エッチなビデオをほぼ毎日観ていたという。

3月4日、広島地裁で行われた被告人質問。鹿嶋はそのよう会社の寮生活について、自分なりに楽しんでいたように語ったが、会社の仕事では大変な思いをしていたことを明かした。

「定時の出勤時間は午前8時でしたが、実際には、午前6時に出社しなければなりませんでした。午前8時に機械を動かせるようにするために暖気運転をするなど、仕事の段取りをしないといけなかったからです。終業時刻も定時は午後5時ですが、実際は午後6時くらいになっていました。遅い時は午後8時や8時半、部署によっては午後10時まで仕事が終わらないこともありました」

このように会社では、日常的に大幅な時間外労働を強いられたうえ、第1、第3、第5土曜日は出勤せねばならず、休日も少なかった。そのため、鹿嶋と同じ寮にいた同期入社の同僚3人は全員、2年もしないうちに会社を辞めていた。そんな中、鹿嶋は我慢して会社で働き続けたが、通常業務以外にも辛いことがあったという。

「作業効率や生産性を上げるための改善案を2カ月に1回、300人くらいの前で発表しなければならなかったのです。案を考えるのがしんどかったですし、作業でクレームを受けていた時には、発表の場でみんなに謝罪しなければなりませんでした。しかも、会社の偉い人が『何か言うことは無いか』と言って、その場にいる者を指名し、謝罪する人に注意をさせるのです。自分は、みんなの前で発表をするのも嫌でしたが、謝罪をする人に注意をしなければならないのがもっと嫌でした」

会社としては、社員の意識を高めるためにやっていたことかもしれない。しかし、このような社員同士で糾弾させるセレモニーのようなものが2カ月に1回もある職場は、確かに社員にとってきついだろう。鹿嶋の場合、「元々、人に怒るのが苦手」だったそうだから、なおさらだ。こうして鹿嶋は就職後、ストレスを蓄積させていった。

鹿嶋が裁判中に勾留されていた広島拘置所

◆作業中にケガをしたら、心配してもらえずに怒られた

たとえ仕事や職場での人間関係が辛くとも、会社から大事にされているという思いを持てれば、まだ精神的に救われる。しかし、鹿嶋の場合、そういう思いも持てなかった。逆に、こんなショックな出来事があったという。

「右手の親指を機械に挟まれてケガをしたことがあるのですが、工場長に『何しよるんか!』と怒られたのです。俺のことを心配してくれんのか…と思いました。病院に行き、何針か縫ったのですが、会社も心配してくれませんでした」

このように会社は鹿嶋に対して冷たかったが、寮は工場の前にあったため、深夜に「作業員が足らんけえ」と呼び出され、仕事をさせられたりもしたという。こうした鹿嶋の話が事実なら、「ブラック企業」と呼ばれても仕方のない会社だったのだろう。

そんな会社で働きながら、鹿嶋は誰にも相談せず、愚痴も言わず、問題を一人で抱え込んでいた。相談する相手がいなかったからだ。先述したように同じ寮にいた同期入社の同僚は全員辞めていたし、宇部の両親は一緒に暮らしていた頃から必要最低限の会話しかしない関係だった。友人がまったくいないわけではなかったが、その友人にも相談しづらかったのだという。

「週末にはいつも原付で3時間かけて宇部に帰っていましたが、実家に寝泊まりすることはなく、ほとんど友だちの家に行っていました。その友だちに会社のことを相談しなかったのは、その友だちが年下だったので、相談するのは恥ずかしいという思いがあったのかもしれません」

◆3年半、1回もゴミを出さずに寮の部屋がゴミ屋敷に…

鹿嶋は就職後、こうしてストレスを蓄積させる中、次第に生活が荒んだ。会社に勤めた期間は3年半に及ぶが、この間、ゴミ出しを1回もせず、「ゴミ屋敷」のような状態にしてしまったという。

弁護人から「他にも寮生活のことで何か覚えている出来事はありますか」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「風呂に入ろうと思って火をつけたのに、つい寝てしまい、ガスが出なくなったことがありました。そのことも恥ずかしくて、しばらく誰にも言えませんでした。会社の人が気づいてくれ、ガスが出るようになるまで1カ月か、2カ月か風呂に入らずに過ごしました」

ガスが出なくなったのは、おそらく安全装置が作動したためで、それを解除すればガスはすぐにまた出る状態になっていたはずだ。鹿嶋は人に相談できず、その程度のことになかなか気づけなかったわけである。いずれにしても、風呂に入れない状態を「1カ月か、2カ月か」という期間も我慢するというのは、ある意味、我慢強い性格でもあるのだろう。

鹿嶋は会社についても、ストレスをため込みながら、辞めることは考えなかったという。その理由をこう明かした。

「会社を辞めなかったのは、父から辞めてはいけないと言われていたからです」

鹿嶋が父と血がつながっておらず、複雑な関係にあったことは前回触れた通りだ。鹿嶋は小さい頃から父のことを「怖い」と思い続けて育ち、中学時代には、本当は剣道をやりたかったのに、父に言われるまま陸上部に入部したりした。そして「ブラック企業」のような会社で、ストレスを溜め込みながら辞めずに働き続けたのも父の存在があったからだったのだ。

しかしある日、鹿嶋は会社を突然辞めてしまう。そしてその翌日、萩市の従業員寮から遠く離れた広島県廿日市市で高校2年生の北口聡美さんを殺害する事件を起こすのだ。そのきっかけは実に些細なことだった――。(次回につづく)

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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