総選挙の総括として、自民党の総裁選パフォーマンスによるメディア露出の効果とともに、共産党との野党共闘が立民・共産両党の独自性を毀損した。あるいは自民党に比して立民の党内選挙の不活発、共産党においては党内選挙がないことを、その理由に挙げた。選挙の顔が「飽きられている」のである。

◎「自民党の単独過半数確保が意味すること ── 総選挙を総括する」2021年11月2日

11月16日、立憲民主党の泉健太政調会長(47)、逢坂誠二元首相補佐官(62)は、枝野幸男前代表の後任を決める代表選に立候補する意向を表明した。19日告示、30日投開票である。

逢坂誠二は16日夜、党内最大グループ「サンクチュアリ」(所属議員27人)の会合に出席。同グループから立候補を求められ、「今の党や日本の状況を総合的に考え、出馬を決意した。我が党が正念場なだけでなく政治そのものが曲がり角にある」と述べた。同グループはリベラル系議員が多い。所属する小川淳也元総務政務官(50)の立候補は流動的とされている。

いっぽう、泉政調会長は16日午後、国会内でみずから率いるグループ会合で立候補の意向を表明した。会合後、記者団に「非常に厳しい環境だが、誰かがこの党を引っ張らなければいけない」と述べている。

党内から立候補を求める声がある江田憲司代表代行(65)は16日、自身のグループ会合で不出馬を表明した。「自民党総裁選で2人の女性が立候補したのはすばらしい」と、西村智奈美(元厚生労働副大臣・54)が立候補表明したものの、自民党に比べて知名度も低く、やや寂しい代表選挙になりそうだ。これが立民党の現状なのであろう。

◆一党独裁と政教一致

さて、維新の会の大躍進(11議席→41議席)は、大阪における反中央気質(阪神タイガース)。自民党批判の受け皿(改革志向)とみてきたが、ではなぜ野党共闘が受け皿足り得なかったのか、という問題に拘泥しないわけにはいかない。それは上に挙げた立民党の代表選挙の地味さ、ショボさにそれは表象されている。

だがそのいっぽうで、共産党の議席減(-2)に注目しておくべきであろう。党内選挙のない党の衰退という意味である。党の代表がほとんど変わらないという意味では公明党も同様で、無選挙で代表が交代する(池田大作の意向を反映)。

党首選出選挙については、「公明党規約第20条」で規定されているが、1964年(昭和39年)の結党以来(2名以上の)複数の候補者による党首選挙が行われておらず、無投票での党首選出が続いている。

こちらは「政教一致」の憲法違反の政党であることを指摘しておこう。ちなみに、67年(初めての選挙)の25議席、69年の47議席から、200年代の30議席前後が、支持団体創価学会の持てる力なのであろう。中央幹事会代表になってからは、神崎武法が8年間、太田昭宏が3年間、山口那津男が12年(~)といった任期である。

戦後の共産党は、徳田球一がレッドパージ下をふくむ書記長として8年間、野坂参三が3年間。その後は、宮本顕治が24年間(書記長・委員長)、不破哲三が村上弘の2年間をはさんで16年間、志位和夫の委員長はすでに21年間におよんでいる。

いずれも党内選挙のない、一党独裁と政教一致の政党なのである。共産党が政権を取れば、中国や北朝鮮のように党首が変わらない政権になる。公明党が政権を取れば、宗派の教主が政治を決める、イランのような政体になるであろう。いわば日本社会から分離された、特殊な政党であることを有権者は知っているのだ。

◆共産党とレーニン主義

じつは筆者の連れ合いの両親が共産党員で、初めて岳父・岳母と会ったのは赤旗祭であった。まだ右翼の街宣車が押し掛ける時代で、会場周辺はすこぶる緊張感があったものだ。このときの呼び物は、ソ連からきたピアニストのブーニンだった。赤旗祭はいわば物産展などを出し物にした党の文化、歌声喫茶などの出店、総じて党員たちの愉しみを演出するものだった。

さて、その共産党が「中立・自衛」という国防上の立場をひるがえしたのは、2000年前後である。「武装・中立」とも言い換えられる国防論は、マルクスの「フランスの内乱」レーニンの「4月テーゼ」に由来する。常備軍に代わる全人民武装、全国家権力を労働者代表ソヴィエト(コミューン)に移す必要、議会制共和国ではなく、労働者・雇農・農民代表ソヴィエトの共和国。警察、軍隊、官僚の廃止といった内容である。

このうち、軍隊(常備軍)をコミューン(自治組織)の武装に置き換えるという、ジャコバン革命当時、ロシア革命当時の原則を突き出せば、党が軍隊を持つことになる。この問題を共産党指導部は、ひそかに取り下げ、「非武装・中立」という旧社会党のスローガンに置き換えたのである。

わたしとの討論で、岳母が「武装をするとまでは言ってないんだよ」と漏らしたことがある。つまり共産党は国防政策の転換にさいして、全党を動員した議論をしないまま、看板を掛け変えたのであろう。この問題について、共産党中央委員会幹部会に取材を申し入れたところ、媒体が「情況」であることをもって「将来にわたって、君たちとの討論はあり得ない」という回答だった。明言こそしなかったが「君たちはトロツキスト暴力集団だから」、あるいは「ニセ左翼集団」。いや、分派(ブント)であることを論拠にしたのであろう。

開かれた国民政党どころか、レーニンの1921年の分派禁止令(フラクションの禁止)を固持しているからなのだ。

いま、若い人たちのなかに「共産党支持」が、わずかながら増えているという。国会論戦での原則的な主張、それなりに説得力のある政府批判を見ていれば、共産党議員団を支持するのはうなずける。社民党も頑張ってはいるが、なにしろ質問時間が短すぎて、福島みずほがスローガンを唱えるだけの質疑では、とうてい支持は得られないのではないか。

とはいえ、マルクス・レーニン主義を墨守するあまり共産党という党名を変えられず、党員の構成比がかぎりなく老人党となりつつある現状を変えられないかぎり、真の国民政党になる日は来ないと断言しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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