わが鹿砦社を、ジャニーズを敵に回して、徹底的に闘った出版社として知る向きも多いであろう。確かにその通りだ。「これは〈戦争〉なのだ! ジャニーズとの永続的戦争に勝利するぞ!」「奢りわめくジャニーズに死闘を宣言!」「われわれは既に、ジャニーズ事務所に対して死闘(デスマッチ)を宣言している」。『紙の爆弾 縮刷版鹿砦社通信』をひもとくと、そんな荒々しい言葉とともに、ジャニーズとの闘いの有様が克明に綴られている。

「鹿砦社通信」とは、1998年からマスコミ・出版社や芸能関係者に送り続けられたファックス通信である。それをまとめたのが、『紙の爆弾 縮刷版鹿砦社通信』だ。
鹿砦社が闘ったのは、ジャニーズだけではない。宝塚、中坊公平、大蔵省、厚生省、はては田口ランディの盗作疑惑暴露にまで及ぶ。

ジャニー喜多川が美少年趣味を持ち、デビューと引き替えに、いたいけな未成年のタレントの卵たちに性交渉を強要してきたことは、20年以上も前から公然の秘密だ。
昨年、ギネス・ワールド・レコーズに「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」と認定された、ジャニー喜多川。その影響力の大きさゆえに、芸能界はもちろん、出版界にも、彼に刃向かおうという者はほとんどいない。

今では弁護士を廃業してしまった中坊公平だが、小渕内閣では特別顧問を務め、かつては「平成の鬼平」と呼ばれた。「住友銀行」や「オンワード樫山」などの粉飾と脱税を暴いた『破綻』を鹿砦社が出版した折に、出版妨害に乗り出してきたのが、中坊公平だった。
当時、この話を朝日新聞社系のマスコミに話したところ、中坊公平という名前にビビっていたというエピソードも、この中に書かれている。

そんな巨大な敵と、なぜ闘い続けて来られたのか。それも、『紙の爆弾 縮刷版鹿砦社通信』を読むことで知ることができる。

ジャニーズとの闘いは、鹿砦社が純然たるSMAPの研究本を発刊しようとしたことが、発端だ。写真を借りようとジャニーズ事務所に連絡すると、「ゲラを見せてくれ」と言われゲラを送った。すると突然、内容証明で出版を取りやめろ、とジャニーズ側が迫ってきた。喧嘩を売ってきたのは、ジャニーズのほうだったのだ。

出版と法廷を舞台にして、緻密に地道に闘ってきた様相が、『紙の爆弾 縮刷版鹿砦社通信』からは浮かび上がってくる。
相手側の出方は実に姑息で、自ら墓穴を掘っていく。宝塚などは、スターを出廷させざるを得なくなった。そこにファンの追っかけの姿もなく、人気低落の現実があからさまになってしまう。

読んでいて、とにかく面白い。それでいて、言論とは何か、社会とは何か、人間とは何か、深く考えさせてくれるのだ。

(FY)