布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!〈前編〉尾崎美代子

3月15日、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市内)で「桜井昌司Specialday」を開催した。布川事件の冤罪被害者である桜井さんが29年の刑を終えて千葉刑務所から出所し、普通の生活を取り戻しながら再審を闘う姿を追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)の上映会と、桜井さんのトークライブの2部構成。昨年秋にがんを宣告され、現在食事療法を続ける桜井さん。かなり痩せられたが、トークも歌もこれまで以上の迫力。冤罪を無くすため、全国を駆け回る桜井さんにエールを送るつもりで企画したが、逆に「もっと頑張れよ」と背中を押された1日。迫力満点のトークの書き起こしを前編・後編2回に分けて紹介します。(構成=尾崎美代子)
※字数の関係で一部削除したほか、分かりやすく加筆、訂正しています。

3月15日大阪市内で開催された「桜井昌司SpecialDay」のポスター

◆どうせ刑務所に行くなら頑張ろうと

皆さん、こんにちは! 映画「ショージとタカオ」、久々に見ました。23年前にシャバに出てきて、ドラマチックな自分の人生を確認したところです。「桜井昌司でよかった。刑務所に行ってよかった」と改めて思っています(笑)。多分ひと様には経験できない人生を確実に歩みましたからね、間違いなく。人生というのは真面目に生きていても、いいことばかりあるわけでもない。でも一生懸命やらなければ何も味わえないと、自分で思いました。29年刑務所に入りましたが31歳で千葉刑務所に行く時、突然パッと「人生は一度限り、今日は一度限りだ」と思ったんです。

刑務所は働くところ、どうせ働くなら一生懸命に働こうと思った。シャバでまともに働いたことなかったから(笑)。毎日真面目に靴を作って、3年目に法務大臣賞を貰いました。音楽クラブに入ってトランペット吹いて、佐藤光政さんに指導して頂き作詞作曲するようになりました。29年の刑務所生活は何も無駄になっていなかったと確信持って言えるようになりました。

刑務所生活は大変ですよ。看守は煩いし、意地の悪い奴もいる。千葉刑務所に入っているのは、人を殺めた人がほとんど。ちょっと肩に触ったりするとニコッとして「肩触んないで。俺、肩触られると殺したくなっちゃうから」なんていう人もいる。怖いですよ。でも自分はそういう人でも仲間だと思って付き合ってました。

そういう日々から考えるとシャバに出てなんでも自由にやれることが素晴らしいと感じた。出てから23年経って私は幸せや楽しさを感じない日はない。毎日が楽しい。刑務所29年入って本当によかったと思っています。

質問あったらどうぞ。なんでも正直に「自白」しますから(笑)


◎[参考動画]ショージとタカオ予告編 NEWバージョン1

質問 自白というのは、「私がやりました」というのですか?

桜井 そうです。出てきたとき「なんでやったと言ったの? やってないと言えば、警察が調べるじゃん」と良く言われた。でもそれは警察を知らない人。警察という職業は、捜査はするが真実を見抜くという職業ではない。あの人たち、一人一人は皆、真面目と思います。中にはどうしようもない警官もいるが。真面目な警官が、なぜ無実の人を犯人にしてしまうかというと、彼らはいつも人を疑うからです。警官が交番などで立ってますよね。何考えてるかというと、「何か悪いことしている奴はいないか」なんです。いつもいつも人を悪く見ている人間に、人の真実を見極める力はない。コイツは絶対やっているとしか思ってない。私が「やってない」というと「お前の言っていることは嘘だ」と必ずいう。そんな警察に朝から夜中まで「お前だ、お前だ」と言われる。

結婚している方、夫婦喧嘩したら、最後どう解決します?その喧嘩が解決せずにずっと続くようなもの。イジメにあっている方、そのいじめが毎日毎日続くと思ったらいいです。それを狭い部屋の中でやられると耐えられなくなってくる。人は信じてくれるから、本当のことが言える。「やってない」と言っても「いや、お前だ」「見た人がいる」とずっと言われる。そのいつ終わるかもしれない痛みに人間は負けてしまう。これは経験のない方にはわからないと思います。

警官たちは一旦疑いを持ったらなんでもやる。日本の警察組織は犯罪組織ですから。これは本当ですよ。一人一人はいい人かもしれないが……。経験しないとわからないこともあるが、本当に警察は悪いと思わないとダメです。

質問 無罪を勝ち取ったあと警察、検察、裁判官は桜井さんに謝りましたか?

桜井 僕たちが再審無罪になった時、検察は「無罪になったが、あれは裁判長が間違った」と記者会見で言いましたよ。映画で杉山(一緒に逮捕された杉山卓男さん。2015年死去)が「国賠は勝てない」と言ってましたね。日本の権力は間違いを認めない。だから杉山は国賠をやらないといったが、私はそう思わなかった。だって酷すぎるでしょ。無実の証拠を隠しておいて謝罪もなく「あいつの最初の自白が正しい」なんてダメでしょう。それで私は国賠やって、昨年勝ちました(大拍手)。

3月31日に再審無罪判決を勝ちとった西山美香さんもかけつけてくれた

税金で食ってる警察や検察が証拠を隠したりしたらダメです。でも私は警察、検察、裁判所も恨んでない。ただ、証拠を隠していたことが認められるようだと、今日会場にきている西山美香さん(湖東記念病院事件の冤罪被害者、3月31日日再審無罪判決を受けた)みたいに、やってないのに犯人にされてしまう人がまたでてくるから。検察が無実の証拠を隠したら、その責任を取らないとダメ。

真面目な警官が冤罪をいいとは思っているとは思わない。なぜ警官が嘘を言うかというと、嘘を言わないと警官でいられなくなるからです。組織として冤罪を作ったら、組織として有罪にしないとおかしいとなるから、嘘の証拠も作るし、裁判にで堂々と嘘が言える。もしそれが許されるとなったら、真面目な警官は嫌でしょう。私は真面目な警官を助けるためにも、嘘をついた警官は責任を問うべきと思います。証拠を隠したり、捏造した警官は責任取るという法律を作ってあげたい。

映画を久々に見て、23年前は私も本当に若かったですね。今、私は73歳になりました。私、年の取り方がわからなくて困っていたんですよ。29年も刑務所に入ってましたから(笑)。どうやってジジイになったらいいんだろうと。実は去年秋に癌が見つかり、食事療法で12キロくらい痩せました。それで今は「ああ、年寄りっぽくなったな」と思っています(笑)。

今日はまず「夜明けのさっちゃんズ」という、毎月西成の難波屋で14日前後にライブをやっていて、私も少し歌わせてもらっている皆さんの演奏で、2曲ほど歌わせてもらいます。

私、子供の頃から美空ひばりさんが好きでした。今日はシャバに出てきて初めて美空ひばりさんの「りんご追分」を歌います。「刑務所バージョン」で歌います。(「りんご追分」熱唱)

「夜明けのさっちゃんズ」の伴奏で歌う桜井さん
ピアノ(きゅうちゃん)とサックス(swing masaさん)の伴奏で歌う桜井さん

◆苦しみ、いつでも来い!

本当にお袋を思い出すとダメですね。親父の時はそうでもなかったが。お袋が死んだ時、悲しくて体の中を風が吹いて行きましたね。帰る故郷を失ってしまった。お袋が死んだ時、春風が吹いていたんです。「なんでお袋が死んだのに、春風が吹くんだって」。それが「記念日」という詩になりました。

刑務所の中で、私、詩人だったんですよ。刑務所の中では、例えば、寒さが見えるんです。寒い時、自分の体温と外から寒さが押し合いするのが見える。辛いですね。暑い時は暑いと眠りながら感じる。でも本当に辛いのは人の心です。看守の意地悪さとか仲間同士の諍い、それが本当に辛くって。でもそんな中で、私は国民救援会から「頑張りなさい」と支援していただいた。その人たちの心の優しさが嬉しい。辛い中で嬉しい。それで詩を作りました。

今はなかなか詩が作れない。奥さんは優しいし美人だし(笑)。いつも仲間たちと支えあって、好きな時に風呂入れて、好きなもの食べれて。そういう中で詩はわかない。だから私はいつもいうのです。「苦しみ、いつでも来い」と。幸せなんか価値がない、いや、幸せも大事だが、それだけでは詩とかは生み出さない。辛いことがあったら、それを乗り越えるから、人間はいろんな思いが出るのです。

もしも今、辛いことがある人は喜んでほしい。何かがあなたの中で生まれるでしょう。苦しいことに出会ったらラッキーと思ったらいいです。乗り越えたら、人生の中に絶対いいことがあると思ってます。でもなかなかそうこないです、苦しみって。わたしは23年間シャバで生きていて、苦しいことがなかなかない。でも毎日幸せだったら、つまんないでしょ? こんな人生。だから今、癌になって嬉しいんです。だってこれを乗り越えたら、なんかいいことあるじゃないですか。(後半に続く)


◎[参考動画]【アンコール上映】ドキュメンタリー映画『ショージとタカオ』予告編

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

天皇制はどこからやって来たのか〈08〉朝鮮半島からの血が、皇統をかたちづくっている

保守系の論者や天皇主義者のみなさんは「ひとつの民族、ひとつの王朝」と、ことさらに日本史を「美化」するのが好きだ。なんと狭い島国根性であろうか。日本の歴史はもっと汎アジア的であり、心を躍らせるほどダイナミックなのである。今回は万世一系とされる天皇家に断絶(王朝交代)があり、しかもその断絶が朝鮮半島からの「血」によって行なわれた史実を明らかにしよう。

あまりにも高齢であるがゆえに、神代の天皇たちは神話のフィクションであろうと考えられている。しかし中国の史書や日本の「記」「紀」に事蹟が明確に残されている天皇たちを、居なかったことにするわけにもいかない。そこには天皇家のルーツが秘められているに違いないのだから。

実在したとされる十代崇神天皇をはじめ、応神天皇ら事蹟の明白な天皇たちにおいてもしかし、困ったことに干支と年号(大化以前は、天皇の名前が元号)でしか、編年がたどれないのである。

第十四代仲哀天皇は「古事記」では、52歳で亡くなったとされる。在位は9年間であり、その末年に息子の応神帝が生まれたとされる。ところが、没年の干支(壬戌の年)を西暦に換算してみると、おかしなことになってしまうのだ。仲哀の崩御年を302年とし場合、応神の生誕年は330年ということになる。元号と干支の不便きわまりない点である。そこで、神話物語の脈絡から、ナゾを解いて行こう。

三韓征伐の神話では、西(朝鮮半島)に行けば「金銀をはじめとして、目燃えかがやく珍宝の国あり」という神託があったとされる。神功皇后はそれを信じたが、仲哀帝は「熊襲を討つべし」と主張した。仲哀は神の祟りに遭い、熊襲に討ち取られてしまう。神功皇后は熊襲を討ったのちに、朝鮮半島に三韓征伐をおこなう。半島の陣中で臨月を迎えるものの、そこはグッと我慢して(石を腰に巻いて)九州に帰還してから応神を産んだ。半島で2年ほど過ごしたとすると、神功皇后は半島で身ごもったことになる。そこで「応神の父親は誰だ?」ということになるのだ。

応神が九州で生まれたことから、応神王朝は九州の勢力だとする説が有力である。なぜならば、神功皇后は故仲哀天皇の腹違いの息子たち(香坂王・忍熊王)の二人を、琵琶湖に追い落として殺しているのだ。これは王朝交代劇である。九州の勢力が大和にのぼり、旧王朝を打ち倒す。三韓征伐の神話は、半島出兵と畿内への帰還という二つの物語で構成されているのだ。ここから明らかになるのは、神功皇后が朝鮮半島で妊娠したこと、九州の勢力が「東征」したという暗喩だ。神武東征の再版であろうか?

この神話を、現実の史実(ナゾの四世紀)と照らし合わせてみよう。三世紀の卑弥呼が死んだのは248年とされている(倭人伝)。そして男性王のもとで乱があり、台与が女王として邪馬台国を統(す)べた。ここで倭人伝は「倭国」の様子を伝えるのをやめる。中国も大乱の時代となったからだ。

四世紀の記録としては、366年に倭国が百済に使者をおくり、369年ごろに任那(日本府)が成立したことが明らかになっている。そして381年と404年に倭国が百済と新羅を攻めているのだ(広開土王碑)。これが神功皇后の三韓征伐であろう。そしてこの時期から巨大な前方後円墳が造られ、馬の埴輪が出現する。卑弥呼の時代には「倭には馬がいない」(魏志倭人伝)とされていたのに、日本に馬があらわれたのだ。どこからか? 

大陸もしくは半島からであろう。銅鐸が作られなくなり、鉄器が盛んに造られる。つまり応神王朝は馬と鉄器をもった勢力で、大和に攻め上ったのであろう。江上波夫氏の「騎馬民族説」である。おそらく百済および任那にいた、馬と鉄器をあつかう人びとが日本にやって来て、大和王朝を創ったのであろう。応神天皇は朝鮮半島系である、ということになるのだ。天皇家のルーツの少なくとも半分は、朝鮮半島だったことになる。

◆天皇家が認めた朝鮮半島の血

もうひとつは、平安遷都で知られる桓武天皇の母親が、百済人の末裔だった史実である。その史実は、平成上皇の天皇時代に日韓ワールドカップのときの所見(お言葉)としてマスコミに報じられ、保守派のとりわけ嫌韓派に衝撃をあたえたものだ。引用しておこう。

日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。(平成天皇談)

桓武天皇の母親は、高野新笠(たかののにいがさ)という女性である。光仁天皇の側室となり、山部王(のちの桓武帝)と早良王(のちに藤原種継事件に巻きこまれ自殺する)を生んでいる。父親は和乙継で、百済系の渡来人である。平成上皇が言うとおり、武寧王の子孫とされる。百済人がふつうに貴族の高官だった時代から、200年ほどを経た時代のことだ。日本の皇室が中国王朝と朝鮮王朝とふたたび交差するのは、清朝および李朝の時代である。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

私の内なるタイとムエタイ〈72〉タイで三日坊主!Part64 藤川さん、日本移住へ

◆タイから日本へ

ペッブリー県のワット・タムケーウから、1997年春、サムットソンクラーム県のワット・ポムケーウに移った藤川さんはその後、旅がし易くなっただろう。活動が幅広くなり、多くの出会いを重ねることが出来た。

藤川さんの活動を知らぬ者からは、単に人の金で遊び回っているように捉えられがちだが、タイ国内はもとより四国八十八箇所お遍路の旅や、ミャンマーに出向いてメッティーラに行き着いたこと。北朝鮮に渡るまで成し得た活動は多かった。

これまで私とネイトさんを出家に導き(実質、他2名)、数々の人を説法してきた藤川さん。やがてアジアの旅も一段落ついたところで、「人間には帰巣本能がある!」と言ったことも当てはまるのか、やがて、出家する為に京都に捨てて(残して)きた日本の娘一家のことがことが気になりだしたようだ。まだお釈迦様が歩いたシルクロードの旅を残しながらも、「いつでも何があっても飛んで行けるところに居た方がいい!」という結論に達し、比丘のまま帰国を決意。

在籍するワット・ポムケーウの和尚さんから「出家者と在家者の関係が成り立たない日本で生きていけるのか!」と心配されながらも、「やれるだけやって見させてください!」と願い出て、2006年10月26日、正式帰国。住居は新大久保駅から歩いて5分程の、支援者が用意してくれたアパートへ入居。藤川清弘庵となった。

新大久保駅近くを歩く藤川さん(2007年5月24日)

◆新大久保から活動開始

ここでは前々から計画していた「悩める日本人を救いたい!」という想いがあったことから“悩み相談室”なるものを開き、破天荒な人生を送った藤川さんの生き様をテレビやインターネットで知った相談者が藤川庵に訪れること多くなった。またオモロイ坊主を囲む会などから発信されるパソコンでの人生相談も、タイに居た時からメールが入るようになっていた。すでにフジテレビのスーパーニュースの取材も舞い込んでおり、夜の新宿と渋谷の街へ向かった。

新宿歌舞伎町にタムロする若者。そこへ黄衣を纏ったオッサンが現れれば、いつも以上に違和感ある存在となった。道を歩いて若者に声を掛けようと近づけば皆に避けられ、「みんな逃げよるやないかい!」と言葉を漏らす。道路脇でダンボール敷いて寝ようとしているホームレスのオッサンには「ここで寝るんか? 風邪引くなよ!」と声掛けるが、まともな返事は無い。渋谷センター街の地べたに座り込んでいるカラフルなメイクの女子高生に「素顔が見えへんやんけ!」と声掛ければ「ブッ殺すぞテメー!」と野次られた。日本に着いて、新宿を眺め歓楽街を歩いて、「何に飢えとるか言うたら、心に飢えとるな、今の日本は。悩むというより、何をしたらいいんか(どう生きたらいいのか)分からんのちゃうか?」という感想。

京都に住む娘さんとお孫さんにも再会。幼かった4歳の男の子は高校生になっていた。娘さんは父親らしい生き方には納得していて、藤川さんの「出家の為に京都に捨ててきた」というわだかまりも解けたような親子だった。元々仲が悪い訳ではなく、私が出家する前も藤川さんの托鉢姿を撮った写真を「娘に送るからパネルにしてくれ!」と頼まれたこともあった。タイからも日々こんな黄衣姿で頑張っている証を見せたかったのだろう(タイの寺から帰国まで、夜の歓楽街、娘さんとの再会までが放送の内容)。

支援者に支えられ、新大久保生活が続いた藤川さん。ある日、新大久保駅に向かう途中の路上でツッパリ兄ちゃんと肩がぶつかって因縁つけられたという。脅されてもビクともしない藤川さんだが、少々の説教を言ったところでボディブローを一発喰らい、“ウッ”と一瞬後退り。若者は走って逃げて行ったが、下手な素人パンチ、効いたパンチではなかった。藤川さんも「ワシの若い頃と同じやな!」という。あの若者もこの先行きが何も分からない、ツッパルだけしかない幼稚な存在だろうと。

藤川庵でオモロイ説法する藤川さん(2007年5月24日)

◆やがて体調に異変が

日本に移ってからもミクシィを使って多くの出会いあり、オモロイ坊主の説法へ各地へ向かうこと増え、インドのヨガを源流に持つヴィパッサナー瞑想も実践して勧めるなど、充実した日々を送っていたようだった。もう私は会いに行くことは滅多に無かったが、その翌年(2007年5月)、仏門での私と藤川さんの絡みに興味を持っていた私の友達を連れて、新大久保の藤川庵へ向かった。狭い部屋ながら生活必需品が揃ったタイの寺の部屋のような感じだった。そこでも笑いを誘いながら人の身になった指導をしてくれる藤川さん。言葉に落ち着きが増し、以前の喋りだしたら止まらない鬱陶しさは消えていた。

その後(2009年5月)、新宿での待ち合わせで、一度だけ昼飯に呼び出されたことがあったが、その時は黄衣は纏わず、肌色系の羽織物を着て杖を突いていた。老化で右膝が痛くなってきたのだという。黄衣を纏わないことは戒律違反。寒い日本に来たり、北朝鮮に渡った時は靴下を履いたり、シャツやモモヒキを穿き、毛糸の帽子を被ったりもしていたが、これも戒律違反。寒い時期は仕方ないと思うが、これ以外はしっかり戒律を守ってきた藤川さん。

そんな羽織物姿で「小便横丁行こう!」という。思い出横丁のことを小便横丁と呼ぶ藤川さん。その由縁は想像に難しくない終戦後の飲み屋街の環境だろう。

向かう途中、「ワシの母親は早うに呆けてしもうたからな。ワシも歩けんようになったら終わりやと思うで、呆けんように無理してでも歩くようにしとるんや!」と言い、以前より明らかに歩くスピードは落ちていた。

◆深刻化する病状

私と最後の昼食となった日の藤川さんの姿(2009年5月9日)

前年(2008年7月)には尿路結石破砕手術を受けていた。タイでの寄進から得る食生活は栄養が偏りがちだろうと思う。「タイは生野菜を食べる習慣が無いから果物で補うしかない!」と言っていたこともあった。

小便横丁で昼食を摂る藤川さんの手が、やたらデカく見えた。「手、デカくなっていませんか?」と聞くと、「全身浮腫んどるんや!」と言う。次第に老化からくる免疫力の衰えがあるのだろうか、帯状疱疹も患っていた。腕や背中に発疹ができ始め、それが黄衣が擦れると凄く痛いのだという。だから極力痛みを抑えられる羽織物に替えていたのだ。俗人時代から抱える糖尿病も影響していたかもしれない。

更には胃癌を発病した藤川さん。胃の内側でなく、胃壁の中に出来る腫瘍ですぐには見つかり難くかった進行癌だという(と言う解釈だったと思う)。

もしかしたら、藤川さんは何らかの身体の異変に気付き、医療を受け易い日本に帰ろうと思ったのではないか、そんな想いも過ぎった私であった。タイも医療は発達した国であるが、主要都市の大病院に限るだろう。

そんな状況でも、手術や抗ガン剤などの治療で入院生活に縛られることを拒みながら「あと1~2年の命を貰えんか!」と医者に懇願した藤川さん。まだまだやり残した仕事があるのだろう。

2010年1月末、連絡も少なくなった藤川さんから珍しく私に電話が入った。「また近いうちに会えんけ? もう長うないんや!」という弱々しい発言。

私はすぐに空く日は無く、「また暇になったら行きますよ!」と冷たい言い分を残して電話を切ってしまった。毎度の一方的な要求には何度も応じて来たし、体調は悪くても、そんな切羽詰まった状況とは思わず、もう少し暖かくなったら行って来ようと思っていたところだったが、これが最後の会話となってしまったのだった。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

よき出会いはよき結果を生み、よき関係を作る! 鹿砦社代表 松岡利康

人と人の出会いというのは、時に不思議なことがあります。

新谷英治関西大学教授との出会いは、新谷教授が偶然に「西宮ゼミ」にわざわざ京都から参加されて以来のお付き合いです。もう何年になるでしょうか。

新谷教授は、ことのほか沖縄に関心を持たれ私的にたびたび沖縄、特に離島を訪れておられます。「西宮ゼミ」(隔月5期30回開きました)では、沖縄関係の企画はありませんでしたので、何のテーマで参加されたのか、覚えていません。

関西大学での講義後、宮原知子さんと

その後、郷里・熊本で高校の同級生・東濱弘憲君(故人)が、いわばライフワークとして始めた島唄野外イベント「琉球の風」に、私たち鹿砦社が協賛し資金的にも援助していることを申し上げると、これに関心を持たれ、3度でしたか一緒に熊本まで赴いたこともあります。一家で来られたこともあったかな。

この縁もあって、新谷教授の引きで関西大学で2年間非常勤講師を務めさせていただきました。テーマは「人間の尊厳のために~人権と出版」で小出裕章さん、浅野健一さんとの共同講座でした。私は、①Paix2の活動、②「名誉毀損」事件、それに③「琉球の風」を採り上げました。動画も交え有意義なものでした。2年目には、私も調子に乗って、この講義を取ってくれた約150人全員に書籍を配布し(タダだよ、タダ!)、最終講義には事前告知なしにPaix2に来ていただきミニコンサートを行いました。手前味噌ながら、学生諸君の記憶に残った講義になったと自負しています。

この講義を、先の冬季オリンピックで、メダルには届かなかったものの4位入賞した宮原知子さんも取ってくれました。宮原選手は、直前まで怪我で長期休養してましたので万全であればメダルを獲得していたものと思います。若い学生との交流など想い出深いものとなりました。こういう機会を与えてくださった新谷教授に心から感謝いたします。

左から小出裕章さん、松岡、新谷教授
朝日新聞3月28日朝刊
平良さん講演会案内

ところで、新谷教授は異色の方や話題の方を外部から招き講義や学内イベントを意欲的になされ、昨年秋、沖縄テレビのキャスター・平良(たいら)いずみさんを招いて講演会をやるというので、先の講義以来久しぶりに関大を訪れました。

この時、平良さんは自らが制作したドキュメント『菜の花の沖縄日記』が2つの賞を獲り話題になっており和気藹々としたイベントでした。

その後、『菜の花の沖縄日記』は映画化され『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』になり、3月28日の朝日新聞を開いて平良さんが「放送ウーマン賞」を受賞したという記事を発見しました。素直に喜びたいと思います。

さて、沖縄といえば、前出の「琉球の風」、これを始めた高校の同級生(3年の時に同じクラス)・東濱弘憲君を思い出しますが、彼の店で乞われて大手百貨店を辞め一時働き、これが閉店後独立し、日本に、当時はまだ無名だったPaul Smithという人気ブランドを持ってきた有田正博君は中学の同級生(3年の時に同じクラス)でした。

この話には驚きました。これを知ったのは、「琉球の風」の記録集『島唄よ、風になれ!』の出版の過程で、記事の中に「有田正博」という名前を発見したことでした。

この記事を書いた、当時地元・熊日新聞記者だった星原克也さん(今は熊日新聞を退社し小さな焼酎バーを営んでいます)の手を煩わせ、中学を卒業して以来40数年ぶりに再会を果たすことができました。今では帰郷するたびに会っています。

 
坂本菜の花・著『菜の花の沖縄日記』(書影クリックでamazon.comへ)

有田君は、くだんのPaul Smithで(これだけではありませんが)大儲けし一時はビル3つ取得し、2年余り釣り三昧の生活をしていたそうで、さすがにお連れ合いや娘さんから三行半を突き付けられ離婚、ビル3つとPaul Smithのライセンス一切を渡したといいます。「お前は熊本の嵐寛寿郎か!?」と言ったところです(往年の時代劇スター・嵐寛寿郎は、数度結婚‐離婚を繰り返していますが、そのたびごとに財産全てを妻に渡したといわれます)。中学の頃のイメージでは、こんなに剛毅には思えませんでしたが、人は見かけによらぬものです)。

有田君は熊本の有名人らしく、地元・熊日新聞でその半生を1カ月連載で語っています。日経新聞の『私の履歴書』のようなものですね。

さらに物語は展開します。私は同志社大学の此春寮(ししゅんりょう)という小さな寮に居たことは、これまで何度も書き記していますが、この寮の先輩・石渕博人さん(1967年度生。私は70年度生)は、卒業後郷里・熊本で長年、熊本では著名な某高校の教師をされていていました。

今は無事定年まで勤め、悠々自適の老後を過ごされていますが、昨年7月、此春寮の同窓会で数年ぶりに再会し、「いちど熊本で飲もうや」ということになり、本年1月24日、帰郷した際に実現しました。

 
田尻久子・著『橙書店にて』(書影クリックでamazon.comへ)

待ち合わせ場所は、市内繁華街にある「橙(だいだい)書店」というカフェ&書店でした。「先輩はなんでここを指定したのか?」と思っていましたが、教え子の女性が経営されているということでした。

そして意気揚々と、この店を営む店主の田尻久子さんを紹介してくれました。驚いたことに田尻さんは東濱、有田両君をよくご存知で、仕事前によくコーヒーを飲みに来ていたということを聞き、これまたビックリです。先輩の石渕さんも大層驚いておられました。有田君が田尻さんを紹介してくれるのはわからんでもありません。京都の大学の寮の先輩が教え子として紹介してくれ、その田尻さんが東濱、有田両君をご存知とは、これも奇妙な縁です。人の繋がりが不思議なのか、熊本という地が狭いのか……。

橙書店は、熊本のリベラルな方々が集まる拠点のようになっているそうですが、同じ出版に関わっている私は、出版の領域が異なることもあり、失礼ながら橙書店は存じ上げませんでした。

作家の村上春樹さんが来られイベントを行ったことや、谷川俊太郎さんや黒田征太郎さんらも来店されたり、全国的にも知る人ぞ知る存在になっているようです。田尻さんご自身著書も3冊あり、そうした活動で「サントリー地域文化賞」も受賞されたこともあるとのことです。

……と、くだんの石渕さんから手紙が届きました。熊日新聞のコピーが同封され、田尻さんが「熊日出版文化賞」を受賞されたと、教え子が受賞したことを自慢げに書かれていました。

熊本日日新聞2月27日朝刊

ここまで来ると、自分で言うのも僭越ながら、なにか神がかったものを感じさせますが、人と人の出会いと繋がりというものは不思議なものです。

最近私と出会った2人の女性に幸運が続きました。かの新谷教授は「松岡さんは福の神ですよ」と仰っていましたが、あながち否定はしません(苦笑)。

東濱君が多くのミュージシャンの協力を得て開催した「琉球の風」
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

コロナ恐慌「経済対策総額108兆円」のイカサマに安倍政権の末路が見えた!

◆中小企業支援・生活給付金は6.3兆円と予算総額108兆円の0.58%に過ぎない!

「戦後最大の経済危機」に対して「かつてない、世界的にも最大級の経済対策をとりまとめ」と豪語、いや「やっているフリ」をくり返す安倍政権の、新型コロナウイルス不況への経済対策の全貌が明らかになりつつある。やはり「やっているフリ」のようだ。


◎[参考動画]現金給付が柱 過去最大108兆円の緊急経済対策(ANNnewsCH 2020/04/08)

もともと通常予算(昨年末に決定)であるのに加えて、総額108兆円の内訳は税金(固定資産税や社会保険料)の支払い猶予分の26兆円のほか、新型コロナ対策では、収束後の観光振興などの一般財政なのである。

そもそも、真水の支援金はどのくらいなのだろう。いわゆる直接給付である。個人事業主に最大100万円、中小企業(資本金10億円以下)に最大200万円(決算書で5%以上の減収)の支援金が2兆3176億円。そして、当初は一律10万円とされていた個人給付は、住民税免除の低所得世帯にかぎり30万円。予算総額で、わずか4兆206億円となりそうだ(児童一人にたいして1万円をふくむ)。安倍の言う108兆円の経済支援は、まったくの嘘だったのである。国民を直接支援するのは、下限で4兆円、上限で6.3兆円なのだ。

その世帯給付金も1月以前の月収比の半減が条件であって、生活保護世帯よりも低収入でなければ支給されない。具体的に住民税免除世帯の数字を挙げておこう。収入が低ければ住民税が免除される、従来からの仕組みである。

[表]世帯構成別住民税免除世帯の年収と月収

月収8万円以下の単身者、21万余円で4人家族がふつうに生活できるとは思えないが、今回の世帯給付はわずか30万円なのである。これではそもそも、生活保護世帯に向けた支援ではないか。しかも2月~6月のいずれかで、それまでの月収から50%に減っていなければ要件を充たさないというのだ。

◆現実性のない1000万世帯給付

菅義偉官房長官は「5000世帯のうち、1000世帯を想定している」というが、絶対にありえない想定だ。不定期のアルバイト(フリーター)で、たとえば筆者の友人にもいるが、料理店の皿洗い(時給1000円)で月収16万円(8時間労働×20日)のケースのみ、これに該当するかもしれない。そんな世帯が1000万世帯もあるとは到底思えない。しかも自己申告制なのである。不正受給がないように申請を審議する、そんな煩雑な作業がこの外出禁止要請のなかで行なえるというのだろうか。給付は具体的にいつなのか。けっきょく、われわれ納税者が手にできるのは、安倍総理の肝いりの2枚の布製マスクということになりそうだ。

すくなくとも我が家では、4月末納付の固定資産税の支払い延期を決めた。外出禁止(要請)で仕事が動かない日々、この欄の読者諸賢におかれても、税金の不払いを検討されたい。法律用語でいえば、“同時不履行の抗弁権”(相手が支払うべき義務を履行しない=給付金を寄こさない。なので、その原資たる税金の支払いを拒否する)である。

◆内部留保460兆円を抱える大企業に、不況対策支援?

そのいっぽうで、政府は新型コロナの影響を受けた大企業に対し、日本政策投資銀行の「特定投資業務」を活用する形で1000億円程度の出資する案を検討しているというのだ。

思い起こしてほしい。わが国の大企業は安倍政権の法人減税や円安政策によって、460兆円もの内部留保(過去最高)を抱えているのだ。月収8万円の単身者(フリーター)が日々の生活に苦しみ、月収21万円余の4人家族がおそらく教育において子供の貧困にあえいでいるいっぽうで、大企業には惜しみなく投資するというのだ。資本家と株主など富める者を富ませ(株価の高騰を誇る)、フリーターなど貧しい者は生活苦を舐めさせる(雇用率を誇る)、これこそ安倍政権の経済政策が達成したものにほかならない。いままた、危機に際して貧富の格差を拡大させようというのだ。

ドイツではフリーランス(英語教師)が、申請後2日で60万円(5000ユーロ)の支援金が得られたという記事を目にする。ドイツでは従業員5人までの小企業、個人事業主に対して105万円、10人までの小企業で175万円を3カ月間支援している。もともと国民が支払ってきた税金の使い方なのだから、ある意味では当然の支援といえる。おそらくドイツ経済は、感染病収束とともに復活するであろう。

大企業が内部留保を持っているから、経済は好況なのではない。国庫にカネがあるから国が豊かなのでもない。経済の好況とは現実に消費が行なわれ、おカネが市場を回るかどうかなのだ。個人消費が経済全体の60~70%を占める、現代消費社会の経済原理をいまだに理解できない財務官僚および安倍政権の経済政策において、日本経済は泥沼に足を踏み入れようとしている。


◎[参考動画]【緊急事態宣言前夜】政府対策108兆円のカラクリ れいわ新選組代表 山本太郎(れいわ新選組2020年4月6日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『ホントに効くのかアガリスク』『走って直すガン』『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』『ガンになりにくい食生活』など多数。

最新刊!月刊『紙の爆弾』創刊15周年記念号【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他

新型コロナはむしろ安倍政権にとって「神風」になっていないか? 片岡 健

感染拡大が止まらない新型コロナウイルス。安倍晋三首相は4月7日、特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令したが、「首相の決断の遅れが感染を拡大させた」と批判する意見は少なくない。緊急事態宣言の発令に伴う「補償」も不明確なままだ。

そのため、新型コロナに関する安倍首相の責任を問う声があちこちから噴出しているが……よくよく考えれば、新型コロナをめぐる現在のパニックはむしろ安倍政権にとって「神風」になっているのではないか。新型コロナに国民の関心が集中して以降、安倍政権のそれ以外の問題が目立たなくなっているからだ。


◎[参考動画]安倍総理会見「1カ月でこの緊急事態宣言を脱出することが可能となる」(ANNnewsCH)

◆赤木氏の手記と妻の提訴は凄まじい反響だったが……

まず、安倍首相の妻・昭恵夫人との関係が取り沙汰されてきた森友問題の公文書改ざん事件をめぐり、自殺した財務省の元職員・赤木俊夫氏(享年54)の妻が国と同省の元理財局長・佐川宣寿氏を提訴した一件。週刊文春の報道により、赤木氏が手記などで「文書の改ざんは佐川氏の指示だった」と告発していたことが判明、凄まじい反響を呼んだのは3月中旬だから、つい最近だ。
(※『週刊文春』2020年3月26日号 ※文春オンラインで全文公開中)


◎[参考動画]森友「再調査せず」に遺族抗議(テレ東NEWS)

だが、その後に新型コロナの感染が爆発的に広がった中、この件はあまり話題にならなくなった。昭恵夫人が新型コロナの感染拡大リスクがある花見をしていたことが明るみに出て、そちらのほうに国民の関心が集まった感すらあるほどだ。

また、赤木氏の件が報道される少し前には、東京高検の黒川弘務検事長の前代未聞の定年延長が閣議決定され、「政権寄りの人物を検事総長にするための違法の措置だ」との批判が渦巻いていた。だが、新型コロナの感染が拡大する中、この件もほとんど話題にならなくなっている。

緊急事態宣言発令の前日である6日、日本弁護士連合会の荒中(あらただし)会長が「定年延長の撤回」を求める声明を出したが、このことに気づかなかった人も多いのではないか。


◎[参考動画]【暫定字幕表示】山添拓(日本共産党)VS森まさこ法務大臣 (Makabe Takashi)

◆河井議員夫婦の事件もとんでもない事態になっているが……

そして、もう1つは、自民党の河井案里参議院議員の陣営による選挙違反事件だ。この件では、すでに案里議員の秘書が公職選挙法違反の罪で起訴されたほか、同議員の夫である河井克行前法務大臣の秘書も同罪で起訴されている。

さらに最近になり、安芸太田町の小坂真治町長が案里氏が自民党候補として公認された後、克行氏から現金20万円を受け取っていたことが判明し、辞職。ほかにも複数の広島県議が克行氏から各30万円の現金を受け取っていたことや、三原市や大竹市、廿日市市の市長が地検の任意聴取を受けていたことが報じられている。


◎[参考動画]河井案里参院議員の秘書ら2人を起訴 公選法違反(ANNnewsCH)

だが、かくもとんでもない事態になっている河井議員夫婦の問題も地元メディア以外ではさほど大きく報道されていない印象だ。法務大臣まで務めた有力現職議員とその妻の現職議員の大問題であるうえ、2人の疑惑は自民党本部が出した1億5千万円の選挙資金にも及んでいるにも関わらず……。

仮に新型コロナの問題が存在せず、以上のようなことが連日、大きく報道されていたら、さすがに今度こそ「政権交代」の機運が高まっていただろう。そう考えてみると、新型コロナに関する安倍首相の対応への批判が高まるほど、実は安倍首相としては、その他の問題が国民の記憶から薄れ、むしろ助かるのかもしれない。


◎[参考動画]「緊急事態宣言」を発令 安倍総理が会見【ノーカット】(テレ東NEWS)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

絶賛発売中!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《NO NUKES voice》今こそかみしめたい。詩人アーサー・ビナードが解説する福島「アンダーコントロール」と東京「五輪」のまやかし 民の声新聞 鈴木博喜

〝復興五輪〟と銘打たれた東京五輪の「延期」が正式に決まった。新型コロナウイルスの世界的感染拡大が理由だが、そもそも五輪と「原発事故からの復興」を結び付け、「原発事故から立ち直った福島の姿」を国内外に発信する場として利用する事には批判の声が多かった。

しかも、2013年9月の招致プレゼンで安倍晋三首相が「フクシマについて、お案じの向きには私から保証をいたします。状況は統御(アンダーコントロール)されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません」と言い放って、原発事故被害者の怒りを買った。五輪延期を機に改めて3年前の講演を振り返り、「アンダーコントロール発言」の意味するところを考えたい。

「アンダーコントロール発言」を解説したのは、アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードさん(52)。2017年7月30日に福島市内で行われた「全国作文教育研究大会 福島大会」の中で講演した。講演の終盤、アーサーさんはこう切り出した。

2017年7月、福島市内で行われた講演会で「アンダーコントールなのは国民だ」と語ったアーサーさん
2017年7月、福島での講演会の様子

「時局はいつでもあるんです。今、僕らも時局の中にいる。安倍政権が崩壊するのか続くのか。稲田朋美防衛大臣(当時)がどういうところに再就職するのか。時局は動いているんです。この『時局』は、僕らが最近、体験した事の中にも出てきます。実は今、日本の政治家は本当に大きなごまかしをやりたいときには英語でしゃべります。覚えていますか? ブエノスアイレスで大事な会議(IOC総会)が開かれて、滝川クリステルさんが『おもてなし』って言ったんだよね。あの時に一番輝いていたのが安倍総理大臣で、たぶん2週間くらい英語の特訓をしたんだと思いますよ」

「その時に安倍総理は、大量に漏れている放射性物質を含んだ水の事に微妙に触れるふりをして、それで Let me assure you. the situation is under control と言った。私は皆さんに保証します。約束します。間違いないんですよ、皆さん大丈夫なんですよと」

首相官邸のホームページによると、安倍首相の発言はこうだった。

Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)

この時のメディアも含めた反応をアーサーさんは「違う」という。

「これを日本のマスコミとかはunder controlに注目して『under controlじゃ無いだろう』と批判的に取り上げた。だって汚染水は漏れてるじゃないかと。コントロール下に置かれているっておかしいじゃないかって皆言ったんだよね。それは僕も理解は出来るけれど、読解力の全く無い、文脈を理解していない奴の批判だと思う。『アベコベ語』をちゃんと学んでからでないと、あの発言は理解出来ない。これ『アベコベ語』だからね」

アーサー・ビナードさん

そして、話は太平洋戦争の敗戦を告げた玉音放送にさかのぼった。

「あの発言は、ちゃんと8月15日の玉音放送の流れを汲んでるんだ。これは『時局ヲ収拾セムト欲シ』という玉音放送からの直接の引用なんだよ。『時局』って何?玉音放送の時の『時局』って何かというと、東京都千代田区0番地の人たちが処分される事無く再就職出来るための『国体護持』ですよ。革命とか暴動が起きないように収拾するための放送だったんです。世界の情勢とかでは無くて、日本の特権階級の再就職が保証される事。安倍晋三がおじいちゃんの後を継ぐ事が保証される事。吉田茂の孫も総理になれるのが保証される事が『時局ヲ収拾セム』という事だったんだ」

アーサーさんの言いたい事は「コントロール下に置かれている国民」だった。

「じゃあ、安倍総理は何を言ってるかというと『汚染水』じゃ無いんです。福島の問題じゃ無いんです。福島はもう放置。彼の知ったこっちゃありません。the situation つまり『時局』なんです。分かりやすく翻訳すると、日本国民が福島第一原発の1号機、2号機、3号機がメルトダウンしてメルトスルーして手がつけられない人類最悪の袋小路に入ったとしても立ち上がりませんから。どんなに被曝させられても、どんなに馬鹿にされても、どんなに共謀罪で脅かされても日本国民は抵抗しませんから。つまり、日本国民はコントロール下に置かれてますから大丈夫です。だからオリンピックちょうだいって。で、オリンピックを使えば日本国民はより操作しやすいから、ぜひお願いしますって。まあ、僕の翻訳が100%正しいかどうか分かりませんけど。時局ってそれくらいの物を含むんですよ」

騙されてはいけないよ、とアーサーさんは警告する。

「the situationはいろんな場面でまやかしの言葉として見事に使われます。オリンピックが日本にやって来るのは福島第一原発でメルトダウンが起きた時に既に決まっていたんです。なぜかというと、原発事故は100年、1000年の問題。決して明るい話題じゃ無い。そこで明るい話題を用意して、皆をだまくらかさなきゃならないから。広島の中国新聞には先週、『夢の祭典まで3年』って載ってたよ。良かったね、夢の祭典。夢の祭典が新聞の1面だよ。広島の新聞だよ。いやーこれは深刻です。時局があまりにも収拾されちゃって、コントロール下に置かれているのです」

浪江町を視察し、小女子を食べる安倍晋三首相。こうやって被災地の食べ物を口にするのも、民をコントロール下に置く手段の1つなのだろうか

そして、まるで今回の延期を〝予言〟するかのように、こうも語っていた。

「皆、東京オリンピックを語る時に1964年の事を言いますね。あの時はいろいろなまやかしがまかり通って成立しました。でも今回のオリンピックは、僕は1964年じゃなくて1940年のオリンピック(日中戦争などの影響で日本が開催権を返上)に似ていると思います。ヒトラーの鶴の一声もあったという話ですけど、東京でやるやると言って、とうとうキャンセルになった。やるやる詐欺。1938年の夏にやめた。その代わりに何をやったかというと、奈良県の橿原神宮で1万人の集団体操をやった。ラジオ体操の前身です。直前まで英語でも世界中にやるやるとメッセージを発していて、それで最終的にやらなかった。運動会すら開催できない組織が、その3年後にパールハーバーを攻撃したんです。僕らは先人たちの体験から矛盾を見抜く力を身に付けなければいけません。その視点を大事にしていけば見抜けます。でも、夢の祭典にいつまでも注目しているとコントロール下に置かれます。大事な視点は僕らの周りにたくさんあるんですよ」

今回も、日本政府は五輪を「やるやる」と強気の姿勢を見せ続けていたが、すでに「延期」は決定された。私たちは一度、頭を冷やして〝復興五輪〟について再考するべき時に来ているのだろう。為政者のコントロール下に置かれないためにも。


◎[参考動画]「オリンピックのつくりかた」アーサー・ビナード Radio Bhim!:02 前編(歌島舎 2019/11/28)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

緊急事態宣言の本日発売!『紙の爆弾』創刊15周年記念号! 特集「『新型コロナ危機』安倍失政から日本を守る」 コロナ経済被害は安倍首相が原因の人災だ!

『紙の爆弾』5月号は、久々の「特集」となった。総合雑誌ならワンテーマの特集が編集になじみやすい。とはいえ、本誌のように政治・芸能・経済・社会全体をカバーする「暴露雑誌」「批評雑誌」の場合は、時事的なテーマの煮詰まりが特集内容を決める。それほど「新型コロナ危機」が日本社会にとって喫緊のもの、いや全世界的・人類的な危機をもたらしている、ということになるのだろう。

とりわけ大言壮語のいっぽうで、危機管理にからっきし弱い安倍政権のもとでは、その対応を批判するのみならず、防疫の道筋を提案することが、われわれ国民の「生き延びる権利」となる。どの記事も誌面に惹き込む力をもっているが、例によって筆者の好みで紹介していきたい。

◆安倍晋三の元ブレーン・藤井聡が主張する
「新型コロナウイルスによる経済被害は安倍首相が原因の人災である」(構成・林克明)

 
緊急事態宣言の本日7日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』創刊15周年記念号

まずはリフレ論者で、MMTの推進派として安倍政権の元ブレーンでもある藤井聡氏(京大教授・「表現者クライテリオン」編集長)のインタビュー。林克明さんがやってくれた。

最初に藤井は、安倍政権が1月末にいたるまで「多くの中国人の皆さまが訪日されることを楽しみにしています」(在中国日本大使館)と、中国人感染者を招き入れていたことを指摘する。インバウンドを期待した、安倍政権の浮かれた経済重視がウイルスを招き入れたのだ。ちなみに、武漢が閉鎖されたのは1月23日である。じっさいに、春節期の中国人来日者数は、前年比で22.6%増の92万4800人だった。水際で止めていれば、日本にコロナウイルスが上陸することはなかったのだ。

その後、専門家の意見を無視したパフォーマンス的な休校要請、中途半端なイベントの延期や中止要請で、自粛劇を蔓延させてしまった。藤井は計量経済学も守備範囲なので、消費税のよる経済変動についても、数値を挙げて解説してくれる。結論から言えば、やはり消費税は上げるべきではなかったのだ。

いま、経済対策として必要なのは消費税ゼロ、所得をうしなった人々への補償、そして思いきったリフレである。藤井はさすがに書いていないが、財務省を中心としたプライマリーバランス論者の「宗教」(藤井)を打破することこそ、日本経済救出のカギであろう。

◆フランスからの視点
「フランスから見た安倍政権の異常性」(広岡裕児)

フランス在住のジャーナリスト、広岡裕児さんがコロナ対策の日仏比較で警告を発する。フランス政府の徹底した情報開示、大統領と首相が国民に語りかける危機管理能力にたいして、安倍政権はいかにも鈍重である。とくにフェイクニュース「人から人へ、次から次に感染が広がるわけではありません」(1月段階)と語っていたのだ。事態はまさに、安倍総理の言明とは正反対になった。これが戦争であると明言したフランス政府の機敏な対応に対して、わが安倍政権はようやく本日(4月7日)、緊急事態宣言を発する。

これら安倍政権の対応の遅れ、危機管理の甘さは法整備にも顕著である。民主党時代に成立していた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の発動の遅れ、改正法「新型コロナ特措法」の遅れに結果した。

しかも安倍政権は「緊急事態条項」を盛り込むことで、改憲へとみちびく意図が入っていると、足立昌勝さんは指摘する(「新型コロナ特措法と自民党改憲『緊急事態条項』」)。この期におよんでも、安倍総理はウイルスとの戦いを政局寄りに展開してしまうのだ。フェイクによる政治的パフォーマンスと政権維持のための国会対応、法整備、そしてマスク2枚という漫画的な防疫対策。これではウイルスに勝てないだろう。

「『ダイヤモンド・プリンセス』号 乗客に聞く『14日間』」は、編集部による乗客インタビューをもとにしたドキュメントだ。監禁された人々の切羽詰まった状況が、苛酷な船内風景とともに、いま明らかになる。乗員や救命スタッフの献身、人身御供にされた乗客の声を聴け。

コロナ特集はほかに「感染拡大で露見した日本社会が抱える弱点」(森山高至)、「内閣記者会は『安倍独裁』の共犯者」(浅野健一)、「野党第一党の弱腰で“大政翼賛会”の危険性」(横田一)、「安倍政権の『責任逃れ』でアジアで進む『日本離れ』」(片岡亮)など。

次号で、ウイルス封じ込めに成功した台湾の事例を、誰かレポートして欲しいと、編集部にリクエストしておこう。民主化運動で誕生した政権は、人材登用にしても政策運用においても、じつに手際が良い。

◆連載「NEWSレスQ」から

警察と住吉会の蜜月から、とんだ下半身スキャンダルが露見した。警視庁組織犯罪対策本部の警部補(51歳・第3課)が、住吉会の幹部と会食後に、幹部が紹介した女性とラブホテルに出入りするところを「フライデー」に撮られたのだ。

記事中でジャーナリストの中東常行さんが語っている通り、この叩き上げの警部補は、対立組織にハメられたのかもしれない。

警察官が暴力団関係者と密接交際するのは、親密に付き合わなければ情報が取れない、という表向きの理由だけではもちろんない。カネとオンナが付いてくる交際に、何のためらいがあろうか。警察官にかぎらず、官僚・役人というのは昇進・昇格によって生涯賃金がほぼ完全に計り出せる。そうであるがゆえに、出張費や諸手当、相手の心づけに弱いのである。暴対法・排除条例は警察官僚(警察庁)のものであって、そもそも警視庁の末端には及ばない法規なのである。

もうひとつ、「NEWSレスQ」から。「このハゲー! ボケー!」の豊田真由子元議員がタレント(ワイド番組)に転身とのこと。真由子サマのイメチェンが好評らしい。藤村太蔵元議員のタレント的な成功は周知のとおり、政界専門家としても、イジリやすいキャラとしても元議員は受ける。

夫の宮崎謙介元議員の浮気発覚の余波で、自らも落選した元衆院議員の金子恵美も芸能事務所に所属し、本格的にタレント活動を始めた。ほかに上西小百合(元維新)なども期待されるところだ。政治をお茶の間の話題にという意味では、民主的な政治におおいに貢献するのではないか。

◆東陽片岡の「シアワセのイイ気持ち道講座」

店(経営するスナック)の現状と引きこもり生活を活写。これはいよいよ、絵の吹き出しにあるベーシックインカムへの道か。本気でAIとベーシックインカムを議論する時代が来そうだ。

◆市民が阻止した天皇“奉迎”児童再動員(永野厚男)

2019年4月、昭和天皇陵における平成上皇の「退位報告」のさい、八王子市教育委員会が児童を「奉迎」に動員した。12月3日には令和天皇の「即位の報告」が予定されていたところ、八王子市民の粘り強い取り組みで、児童の動員を阻止したレポートである。

このような具体的な活動によって、われわれは天皇制イデオロギーの支配に抗することができると証明された。地域の粘り強い活動こそ、万言を擁する論評よりも強い、天皇制廃絶への道である。

◆巻末には松岡利康本人による圧巻の「創刊15周年記念」追想レポート

昨日の本欄で、松岡利康みずから触れた「本誌創刊15周年記念」の記事「『紙の爆弾』が創刊された二〇〇五年に何が起きたのか?」圧巻の追想レポートである。読みごたえがある。

とくに個々の局面で、誤ってしまった判断、同業雑誌関係者をふくむメディアの反応。絶望的な状況にもかかわらず、獄中(拘置中)での思いが伝わって興味ぶかい。

逮捕から三か月も接見禁止(ふつうは、23日間の取り調べが終われば接見禁止は解かれる)には、あらためて驚かされた。黄色の上質紙に印刷された本稿は、永久保存版である。

『紙の爆弾』創刊15周年記念号の表紙画像と、別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部
『紙の爆弾』創刊15周年記念号別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『ホントに効くのかアガリスク』『走って直すガン』『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』『ガンになりにくい食生活』など多数。

本日発売!月刊『紙の爆弾』創刊15周年記念号【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
※松岡代表の逮捕と鹿砦社弾圧事件をめぐっては、板坂剛氏による「松岡逮捕の衝撃と教訓 鹿砦社への出版弾圧十五年によせて」が4月15日発売の『情況』4月号に掲載されます。

4月7日、『紙の爆弾』創刊15周年! 創刊直後の出版弾圧を怒りを込めて振り返ると共に、ご支援に感謝いたします! 鹿砦社代表 松岡利康

15年前の4月7日、『紙の爆弾』は創刊いたしました。2005年のことです。新卒で入社した中川志大(創刊以来の編集長)は、『噂の眞相』休刊(事実上の廃刊)後、約1年間、取次会社に足繁く通い、取得が困難とされる「雑誌コード」を取得し、『紙の爆弾』は創刊いたしました。

『紙の爆弾』創刊15周年記念号の表紙画像と、別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部
『紙の爆弾』創刊15周年記念号別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部
出版弾圧10周年の集い(於・西宮)で。大学の後輩で書家の龍一郎から贈られた書

創刊号巻頭には、悪名高い「〈ペンのテロリスト〉宣言」が掲載され、独立独歩、まさに死滅したジャーナリズムとは違った道を歩み始めました。創刊部数は2万部でした。

確かに(今でもそうですが)、『噂の眞相』の足元にも及ばず、拙いながら気持ちは意気揚々としていました。

いわく、

「われわれの“出番”がやって来た!」「たかが『暴露本出版社』と思うなよ!」
 と叫び、文中では、

「私たちの出版活動に対して、ある社会的犯罪企業から『ペンの暴力』などと非難されたことがありますが、タブーや巨悪に対して、私たちは力一杯『ペンの暴力』を行使します」

「逆説的に言えば、巨悪に対しては、時に“極悪”でもって立ち向かわなければなりませんし、“過激派”であり“武闘派”であらねばなりません」

「ペンという武器を取り、返り血を恐れず闘わん!」

「『表現の自由』も『言論の自由』も、黙っていて守れるものではなく、タブーや巨悪に立ち向かい、闘うことによってしか守ることはできません」

……などと、まさにアジテートしています。今から想起すると赤面物ですが、当時の私たちの想い、決意だけはご理解ください。

そうして創刊から3ヵ月後の7月12日早朝、忘れもしない出来事が起きます。これを知ったのが当日配達されたばかりの朝日新聞朝刊でした。1面トップに大きく出ていたので気づかないわけがありません。一斉に、まずは松岡の自宅が家宅捜索され松岡を連行、その後、神戸地検に連行され逮捕されました。同時に鹿砦社本社、東京支社にも家宅捜索が入りました。

平賀拓哉記者がスクープした2005年7月12日朝日新聞朝刊(大阪本社版)

これは、当時の神戸地検特別刑事部による朝日へのリークでなされた、いわば“官製スクープ”です。この記事を署名記事として書いたのは朝日大阪社会部の平賀拓哉記者でした。あたかも、私たちの出版活動を理解しているかのように近づき、手持ちがない書籍を持ち帰ったりし、私も「朝日が私たちの出版活動を理解してくれた」と感じ積極的に協力しました。私が提供した書籍の画像や発言が掲載されています。当日の朝刊、夕刊共に大きな扱いでした。他紙も続きました。

地検の一行が自宅のドアを開けても、「シャワーぐらいさせてほしい」と言い、その時間を待たせるほど落ち着いていました。

それから延々192日もの予想以上の長期勾留が続くわけですが、このことによって、会社は壊滅的打撃を受けました。こうした経緯は4月7日発売の『紙の爆弾』5月号の巻末別冊綴じ込み付録「本誌が創刊された2015年に何が起きたのか?」をご一読いただきたく願います。16ページにわたり画像30枚余りを駆使し、15年後の現在、私なりに総括しています。この事件について、これだけ長い文章を書くのは、これが最後だという想いで根性を入れて執筆しました。

この事件に関与したキーマンらには続々と“不幸”が訪れています。当時の主任弁護人の中道武美弁護士は先日、「まさに『鹿砦社の祟り、松岡の呪い』やな」と仰いましたが、まさにそうです。当時の神戸地検特別刑事部長・大坪弘道検事、同主任検事・宮本健志検事、岡田和生創業者社長らの行く末を見ると、この事件は決して潔癖健全な人たちが起こした事件ではなかったことがわかるでしょう。

ところで、去る4月1日朝日朝刊1面トップに湖東会記念病院の西山美香さん再審無罪の記事が出ています。それを見て驚いたことがあります。15年前の朝日記事を書いた平賀拓哉記者が「大阪社会部司法担当キャップ」の肩書きで記事を書いています。いわく、──

「捜査関係者は『今回は特異なケース』と片付けたいかもしれない。だが、ほんとうにそうだろうか。(中略)
 無辜の市民が不条理な刑に処せられた歴史を直視すれば、今回の事件が特異でないことは明らかだ。」

15年後、平賀記者による朝日新聞記事(2020年4月1日朝刊)

 よく言うわい(苦笑)。朝日大阪社会部や司法記者クラブ所属記者らは、「カウンター大学院生リンチ事件」について、私たちの取材に真摯に対応せず、ことごとく逃げを打ちました。メディアの記者として恥ずべき態度と言えるでしょう。早速、15年前に聞いた携帯に電話してみましたが、今は使われていませんでした。

しかし、私は執念深い男です。生来鈍愚で、頭脳もさほど良くない私の武器は、この悪魔のような執念深さです。

15年の年月を越えて、あらためて平賀記者へ取材を試みるつもりですが、果たしてどういう対応をするのでしょうか? 興味津々です。“落とし前”はまだついていない!

7日発売!月刊『紙の爆弾』創刊15周年記念号【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
※松岡代表の逮捕と鹿砦社弾圧事件をめぐっては、板坂剛氏による「松岡逮捕の衝撃と教訓 鹿砦社への出版弾圧十五年によせて」が4月15日発売の『情況』4月号にも掲載されます。

天皇制はどこからやって来たのか〈07〉廃仏毀釈 ── そのとき、日本人の宗教は失われた

かつて日本人は、仏壇と神棚を同じ部屋に飾っていた。生活にもっとも近い場所に仏壇があり、その上に神棚が飾られ、さらに天井近くに御真影。すなわち天皇皇后の写真という祭壇の構成が、明治以降の一般的な家庭の風景であった。それ以前、江戸時代の日本人は神社を訪ねては、そこにある絢爛たる寺院の本堂にある阿弥陀如来像に、あるいは弥勒菩薩像、不動明王像や毘沙門天像に手を合わせていたのだ。その寺院を「神宮寺」という。古代いらい連綿と続いてきた、神仏習合の風景である。

われわれ日本人は、結婚式や七五三を神社および神道形式で祝う。お正月には三社参りをして、一年の平安と健康を祈願する。まるで宗旨は神道のようだ。しかるに、末期のことは菩提寺である寺院にまかせる。死んで仏になる日本人は、まちがいなく仏教徒であろう。仏式で結婚式を挙げる人は、お寺さんはともかく、あまり一般的ではない。ぎゃくにお葬式を神式で行なう家は、代々が神道信仰の家しかないはずだ。これらはすべて、明治以前の生活習慣のなごりなのである。

祭の神輿は、神社ゆかりの氏子会や崇敬会が中核で、町内会(自治会)と重なっている。盆踊りはお寺と町内会のコミュニティをもって成立する。この町内会こそ自民党の支持母体の基礎なのだが、今回はふれない。クリスマスはいかにも盛大に街を飾るが、そもそも信仰の範囲ではないはずだ。にもかかわらず、われわれ現代の日本人は神道と仏教、キリスト教の三つの宗教に等距離をたもち、何ら矛盾を感じていない。これはしかし、あまりにも信仰に深みのない、不信心であるがゆえの宗教生活の空白とは言えまいか。われわれ日本人にはキリスト教における安息日、あるいはイスラム教における日々の礼拝やラマダンなどの習慣がない。じつは明治維新による廃仏毀釈および国家神道化こそ、日本人から宗教心を抜き去ったと言っても過言ではないのだ。

◆そもそも、神仏習合とは何なのだろうか?

六世紀なかばに伝来した仏教は、大陸の先進文化として受け容れられた。単に経典だけではなく、渡来人による建築様式や美術をはじめ、仏教はさまざまな技術とともに受容された。

いっぽう、わが国には自然崇拝としての古神道があり、仏教の受容に反対する勢力も少なくなかった。物部守屋・中臣勝海(かつみ)らがその急先鋒で、仏教を庇護する蘇我馬子と激しく対立した。とくに守屋は、わが国最初の僧侶である善信尼ら三人の尼僧の袈裟を剥ぎとって全裸にし、公衆の面前で鞭打ちの刑に処したという。やがて仏教支持派と廃仏派は朝廷を巻き込んだ政争にいたり、その争いは軍事衝突に発展した。丁未(ていび)の乱である。この戦いで物部氏が滅びると、仏教は蘇我氏と推古天皇および聖徳太子のもとで隆盛をきわめた。

仏教が急速に受け容れられたのは、神道の弱点である死や病気(穢れ)への対処があることだった。古来の神道においては、神といえども死ねば黄泉の国に行かねばならない。現世の穢れをいくら祓い清めても、仏教のように高度な悟りには到達できない。ましてや極楽浄土には行けない。このことに気づいたのかどうか、道に迷った神々が仏教に帰依するようになるのだ。桑名の多度神宮寺には、つぎのような縁起が残されている。奈良朝の天平宝字7年(763年)のことである。

「われは多度の神である。長いあいだに重い罪業をなしてしまい、神道の報いを受けている。願わくば長く神の身を離れんがために、三宝(仏教)に帰依せんと欲す」

聖武天皇による大仏建立が行なわれ、国分寺・国分尼寺が全国に建てられていた時期だから、本朝が仏教国家に生まれ変るのに合わせて、多度の神も仏道に入ったのであろう。

これら神道から仏教への宗旨変えは、つぎのように解釈されている(『神仏習合』美江彰夫)。大規模な土地や荘園を持つことで、神を祀る立場だった「富豪の輩(ともがら)」に罪の意識が芽生えたが、その罪悪感は神道では癒せない。なぜならば、彼らは神を祀ることで私腹を肥やしてきたからだ。そこで彼らは神々を仏門に入れることで、救済をもとめたのである。やがて平安時代になると、仏が仮に神の姿で現れるという、本地垂迹説で神仏習合が理論づけられる。神社のなかに寺が建てられていたのは、およそこのような事情である。

具体例をふたつほど紹介しておこう。大分の宇佐八幡神宮は、渡来系の辛島氏が女性シャーマンを中心に支配してきたが、六世紀の末に大神氏が応神天皇の神霊として「誉田別命(ほんだわけのみこと)」を降臨させる。これが僧形の八幡神(のちに八幡大菩薩)である。

やがて大神氏は宇佐神宮内に弥勒寺を営み、宇佐神職団の筆頭に躍り出る。奈良の大仏建立に協力し、朝廷の庇護を受けたからだ。そして宇佐神宮が豊前一帯を配下に置いたのは、弥勒寺が周囲の寺院を通じて民衆を支配したからにほかならない。しかしながらその弥勒寺の伽藍は、明治維新によって破壊された。破壊された跡地には、料亭や土産物屋が甍を並べたという。宇佐神宮弥勒寺の信徒たちは、寄る辺をうしなったのである。明治四年の太政官布告によって、宇佐神宮は官幣大社となり、内務省の統制下に入る。八幡神社の総本山宇佐神社は、戦時中は神都と呼ばれた。

いっぽう藤原氏の氏寺である興福寺は、伽藍こそ壊されなかったものの、僧侶たちは同じく藤原氏の氏神である春日大社の神職団に編入させられている。しかし宇佐神宮では失われたものが、いまも春日大社と興福寺には残っているのだ。神職と僧侶が相互に祝詞を唱え、読経するシーン。すなわち神仏習合の原風景である。

◆かくして国家神道は、宗教であることを否定した

明治新政府出発のマニフェストは、木戸孝允の主導で定められた「五箇条の御誓文」だといえよう。天皇みずからが公家諸侯の前で「天地神祇」を祀り、公家を代表して三条実美が御誓文を読み上げたのが慶応4年3月15日。その13日後に「神仏判然令」が布告されたのである。のちに大日本帝国憲法に「万世一系ノ天皇ノ統治ス」とされるのものが「御誓文」には「大いに皇基を振起すべし」とある。天皇が治める国の基礎を奮い起こすべきだ、という意味だ。

その「五箇条の御誓文」の発布の翌日、一般庶民にむけて「五傍の高札」が掲げられた。高札の第三札には「切支丹邪宗門の厳禁」とある。じっさい岩倉使節団が訪米する直前(明治四年)に、伊万里(佐賀)県のキリスト教徒67人が捕縛されている。すぐに諸外国の抗議で撤廃されたものの、豊臣秀吉いらいのバテレン追放令をそのまま継承せざるをえなかった、明治政府の異教への恐怖と国際感覚のなさが露呈したかたちだ。これ以前(明治二年)にも、長崎の大浦天主堂に出入りするキリスト教徒3400人が逮捕されている。

かように、明治政府の宗教政策は、太政官府および内務省による強引な統制であった。法的には憲法第二八条の「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」つまり、安寧と秩序を妨げるようであれば、いつでも弾圧される「信教の自由」なのである。その宗教統制のなかで、神道のみが行政化されたのだった。

行政上は、神祇官(のちに神祇省)の復活が行なわれた。この神祇官は職階こそ太政官よりも上位だが、位階は従五位の下と低い。とても天皇を頂点にいただく新政府の中枢として、耐えられるものではなかった。やがて神祇省は廃止されて教部省となり、のちに内務省社寺局に統合される。そして宮中において、天皇をいわば最高神祇官とする体制がつくられたのだ。天皇祭祀の業務はしたがって、宮内省式部寮が執り行なうことになる。祭祀が役所から禁裏に移され、ここに神代天皇制への復帰が行なわれたのである。

明治33年になると、内務省の社寺局が神社局と宗教局とに分離された。これは官幣社および国幣社などの神社が、行政的には宗教ではないという意味である。

いっぽうでは小さな神社や民間信仰の祠などが統廃合され、神道は国家の行政機関に組み込まれたのである。国家の行政組織になることを拒否する民間神道(教派神道)はすくなからず弾圧の憂き目をみている。

祭祀は伝統的な行事であり、神道教育は道徳を教育するものであって、宗教ではないというのが政府の立場である。そして天皇の地位は政治から相対的に分離され、大元帥となり、「政権」からは分離された「統帥権(兵権)」が憲法に明記される。これが軍部ファシズムへの法的な根拠となったのは周知のとおり。その意味では本来、議会政治から分離された「神国」の政体こそ、天皇を中心にした「国体」と呼ぶべきものであろう。

こうした皇室神道(儀式)は戦後も国家(国事行為)と分離されることなく、その一方では政治権力とは分離(政治的権能の排除)されることで、統合の象徴(アイドル化路線)をひた走ることになったのである。だがアイドル(人間)であることと、国体(象徴)という形式のあいだには、かならず亀裂が生じる。この欄でも何度か明らかにしてきたが、皇族の叛乱(三笠宮家・秋篠宮家)は、その崩壊のきざしなのである。

◎《連載特集》横山茂彦-天皇制はどこからやって来たのか
〈01〉天皇の誕生
〈02〉記紀の天皇たちは実在したか
〈03〉院政という二重権力
〈04〉武士と戦った天皇たち
〈05〉公武合体とその悲劇
〈06〉日本人はなぜ武士道が好きなのか?

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

7日発売!月刊『紙の爆弾』創刊15周年記念号【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他