玄関ホールより先はナンバーロックになっていて、ガラスのドアが閉まっている。部外者はそこより先に入れない。社長の部屋ナンバーを押して呼び出してみるが、反応はない。鞄に入っていたコピー用紙をドアの下の隙間から突っ込んでみる。内部のセンサーが反応して開かないかと思ったのだ。折り曲げたり、横一列に並べたり、丸めてみたりと七、八枚滑り込ませたが効果はなかった。紙の回収も出来なくなった。ポストは外側から投函することはできるが、物を入れるだけの隙間しかなく外から中を確かめられない。
右脇に警備員室の窓があるが、常駐ではないらしく人の気配はない。誰か居れば、
「ウチの社長と連絡取れないんです。会社が赤字続きなので、早まった真似をしていないか心配なんです。開けてくれませんか」
といったセリフを用意していたのだが、披露するチャンスはなかった。
昨年10月12日午後10時過ぎ、反骨と反権力の映画監督、若松孝二氏(本名・伊藤孝)が、新宿区内藤町の外苑西通りを横断しようとしてタクシーに撥ねられ、搬送された病院で同月17日に亡くなった事故は、監督の映画ファンや関係者にとっては、大きなショックだった。
長崎に行ったので、丸山に行ってみた。
沖縄を旅していて石垣島に行った時のことだ。