【カウンター大学院生リンチ事件】カウンター/しばき隊の理論的支柱・師岡康子弁護士による犯罪的言動を批判する! 前田朗教授に良心があるのなら、師岡のような輩と一緒に行動してはいけない!

先日、本通信で鹿砦社代表の松岡が、前田朗教授批判を展開した。前田教授の「豹変(コペルニクス的転換)」(松岡評)には驚かされた。一部の方からは「言い過ぎだ」との指摘も受けた。さほどリンチ事件の真相(深層)を知らない方ならそうかもしれない。

 

しかし、3年余りリンチ事件を徹底取材し5冊もの本にまとめ上げ、前田教授による『救援』紙上での2度にわたる厳しい、リンチと、この加害者、隠蔽に走る輩への批判(特に上瀧浩子弁護士らに対して)を知る者にとっては大ショックだったので、松岡の論評には、われわれも同感だし、リンチ被害者M君も同感だと言っていた。

ところで、先に紹介した6月7日の関西での集会に先立ち東京でも4月6日に前田教授の『ヘイト・スピーチ法研究原論』(版元は、われわれの世代には馴染み深い三一書房)の「出版記念会」が開かれている。

ここで、いまや「カウンター」/「しばき隊」の“宣伝部長”となった感のある香山リカ氏に加え「師岡康子」の名が出ている。岩波新書『ヘイト・スピチートとはなにか』の著者にして弁護士である師岡康子である。

師岡康子が何をやったか?「ヘイトスピーチ対策法」成立のためであれば「リンチ被害者」をも「犯罪者」扱いした人間を再度断罪せねばならない。口先では「人権」を騙りながら、その実、首尾一貫反人権的な師岡に対しては徹底的に糾弾しなければならない。

本稿ではあえて師岡に敬称付さない。師岡の行為は弁護士以前に、人間として失格であり、われわれは一切の敬意を抱けないからだ。師岡の人となりが、余すことなく明らかになったのは、リンチ事件直後の2014年12月22日(リンチ事件が発生したのは同年12月17日深夜)、金展克氏が師岡から受け取った「メール」を自主的に公開されたことによる。下記に師岡から金展克氏への「メール」を再掲する。

 
さらなる言論弾圧法を画策する師岡康子弁護士

俗に「師岡メール」といわれ存在が噂されながら公開されたのは、われわれがリンチ事件の取材を開始して3年余り後、リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』出版後だったので、これまでのリンチ関連本には収録されていない。噂はあったが、取材班は、「やはりないだろう」と諦めていた矢先で、超A級資料であり、なんでもう少し早く公開されなかったのか、と今でも悔やむ。

金展克氏にも事情があったのだろうが、これが、たとえば第1弾か2弾目あたりで公開されていたら、また違った展開になっていただろう。それぐらい貴重な資料なのである。みなさん方にあっては、まず虚心に一読されたい。

◆「ヘイトスピーチ対策法」成立しか頭になかった師岡

師岡が、目の前の「ヘイトスピーチ対策法」成立に向け、並々ならぬ意欲を燃やしていたことはわかる。それはメールを受け取った金展克氏も同様であり、事件後しばらくは「リンチ被害者M君」もそうであった。

しかし、われわれの見解はまったく違う。目に見える現象を法律で取り締まっても、人間の心は変えられない。それどころか理念法とはいえ「表現規制」を盛り込んだ同法は、必ずや権力によって〈弾圧〉に利用されるだろう、とわれわれは考えていた。例えば「凶器準備集合罪」は暴力団を取り締まるために作られたが、実際には新左翼運動を取り締まるために使われている。

同法成立後、現に差別表現を批判する意図で差別表現を引用した人が、アカウント凍結に遭うなどの被害は、既に顕在化している。一般市民や街頭活動で差別言辞は問題にされるが、同法によっても、日本国や政治家の差別的政策や、他国蔑視が改められることはない。「北朝鮮の人権問題を考える週間」。毎年人権週間に合わせて、政府が展開する国家的「差別事業」である。「ヘイトスピーチ対策法」成立に熱心であった方々から、この国を挙げての「朝鮮民主主義人民共和国」への差別に対して、強い批判の声を聞いたことがない。

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(民進党=当時)

末端で「言葉狩り」をいくらやったって、本質的な差別はなくならないどころか、ますます陰湿化、巧妙化するだけではないか。それは犯罪を摘発する法の施行と類似する。なにより「ヘイトスピーチ対策法」は、最終段階で有田芳生議員と、確信的アジア蔑視主義者、自民党の西田昌司議員との握手で成立した点を、少しくらい政治や社会に興味のある人間であれば問題視しなければならない。そうではないのか、前田教授、師岡康子!

西田はこれでもか、これでもかと、国会で「差別意識丸出し」の質問を繰り返してきた議員だ。右翼方面から「西田砲」などと持ち上げられてもいる。そういう人物が、一朝一夕に「差別に反対」する考えに変わることがあると、師岡らは考えたのか? そうであれば軽率の極みとの批判からは逃れられない。

師岡は「メール」の中で「在日コリアンへの差別は、戦後日本の体制の根幹の一部であり」と述べている。そうであろうか? 在日コリアンへの差別は戦中や戦前、もっと言えば朝鮮民族への蔑視や差別は1900年頃からこの国には、明確に存在していた。誰もが知る1910年の「日韓併合」に至るまでも当時の日本政府は様々な謀略を巡らし、大韓帝国内に「親日派」を育成することに力を割いている。

「戦後日本の体制の根幹の一部」というのは、歴史認識が浅すぎないか。このような歴史的な短史眼が、今日的社会に対してどのように対応すべきかへの具体策の誤りへと繋がっているとも考えられよう。

言わずもがなであるが、われわれはあらゆる差別に「原則的に反対」である。日本のアジア差別も、WASPのヒスパニックへの差別も、スリランカ仏教徒のムスリムへの差別も、イスラム諸国での女性差別も。そして世界にはわれわれの知り得ない数々の価値観と、それにより引き起こされる差別があろうことも心しておかなければならないと考える。

◆被害者を加害者にすり替える、犯罪的示唆

さて、師岡は「メール」の中で怖ろしい内容をいくつも発している。

・「その人(取材班注:M君)は、今怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負い続けることになります

師岡は事件のかなり詳しい情報を聞いていて、このように発言しているのだ。集団暴行傷害(集団リンチ)被害者に対して「運動の邪魔だから泣き寝入りしろ」と金展克氏を通じて、恫喝を発している。

・「反レイシズム運動にも関わることができなくなるでしょう

明らかに刑法に抵触する、違法行為、集団暴行傷害(集団リンチ)被害にあっても「泣き寝入りしろ」などという「反レイシズム運動」とは一体何なんだ!? そんな運動に被害者が復帰したいと思うとでも師岡は考えていたのか。弁護士でありながら犯罪行為を正当化し、被害者に「泣き寝入りを迫る」態度は大日本帝国がアジア侵略で犯した暴虐の数々に匹敵する。

・「告訴を勧める人がいるなら、同様に扱われるでしょう

被害者に寄り添うものも同罪だと師岡は断じている。

・「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人なら、そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか

ここに至り「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人」は一般的な遵法意識がない「カルト」であることを師岡は表明しているが、自身が「カルト」の牽引者であるとの意識はどうやらないようだ。「そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか」とは恫喝にしても、ずいぶんドスの利いた表現だ。よほどの〈悪意〉がなければこのような表現まで用いることはできないであろう。師岡にとって「ヘイトスピーチ対策法」の前では、「集団リンチ」事件が起ころうが、内部粛清があろうが関係なし。「自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えない」ファナティックな心情に陥っていたことが証明される。

・「展克さんは『犯罪ですよ』と言いました。でも、形式的に犯罪に当たることは山ほどあります。実際その人がやったという、エル金さんのうわさを流したことは、『虚偽の風説を流布し・・人の信用を毀損し、三年以下の懲役または50万円以下の罰金』となる信用棄損にあたります

風説の流布は「しばき隊」の得意とするところだ。鹿砦社も数えきれないほどの風説の流布被害にあっているが、そうか。片っ端から訴えて「三年以下の懲役」を食らってもらえばよい。そういうことだな!? 「形式的に犯罪に当たることは山ほどあります」から「集団リンチ」が免責されるのであれば、われわれが(決してそのような愚かなことに手を染めはしないが)、風説の流布に手を染めた人物に同様の行為に及んでも、師岡は鹿砦社の行為を正当化するのに間違いはないな?弁護士としてその判断に自信が持てるのだな!?

・「凛さんがやった生活保護の事件でも

と軽々しく書いているが、師岡も指摘している通り、これは明らかな運動潰しを画策する公安事件であり「凛さんがやった」のではなく「凛さんがでっちあげられた」と書くのが妥当だ。

・「なかでも共産党系の人たちなどは、ヘイト・スピーチを『犯罪』とすると、運動内部の敵対関係にある人たちが、相手をつぶすために、悪用する危険性があると主張しています」

ここでの「共産党系」の人たちの主張は正しいし、立法以前の2014年にすでに「リンチ事件隠蔽」という実例が出来てしまっている。そして「ヘイトスピーチ対策法」があろうが、なかろうが、師岡のようにこの運動にかかわった人間の多くは「自分と意見の違う人間を過剰に攻撃する」習性をもとより身に付けていた。あるいはそういった性格の人間が、運動のヘゲモニーを握ったことが“不幸中の不幸”であったのだ。師岡はもとより、金展克氏、そしてM君までが「ヘイトスピーチ対策法」の危険性と誤謬に気が付くことができなかったのであるから。

・「その人がやろうとしていることは、客観的には、運動内部の敵対する相手(この場合エル金)を現行法の『犯罪』規制を使ってつぶすことです

こういうとんでもないことを、しらふで書ける弁護士が岩波新書から本を出版するのだから、油断も隙もあったものではない。何を言っているのだ! 顔面骨折、数十発顔を殴るけるされた被害者が、どうして被害届を出すことが批判の対象になるのだ。

・「そのような人たちが主張する法規制は、真のレイシスト規制ではなく、運動内部の敵をつぶすためにその人たちが使うのではないか、との批判に反論できなくなります」

言い回しがややこしいが。その通りである。ここでの「その人たち」には師岡も含まれるし、師岡はレイシスト規制以前に、「極めて深刻な人権蹂躙」を重ねて主張していることに、まったく気がついていない。

「その人が被った不利益、エル金の被った不利益、その人が告訴することによってもたらされるあまりにも甚大でとりかえしの非常に困難な運動上の不利益(略)告訴という方法は絶対に取るべきではないと思います

師岡はM君だけでなく、エル金も本心ではどうなってもいいと考えていることを吐露している。何よりも「運動の利益」至上主義。そのためには個人は犠牲になっても泣き寝入りをしろ」これが師岡の本心だ。

その後もあれこれ御託を並べているが、はっきりしているのは、師岡が「ヘイトスピーチ対策法」成立のためには、周辺の人間がどのように傷つこうが、一切お構いなし、と考えていたことだ。

こういう輩の暗躍によって成立した言論弾圧法(ヘイトスピーチ対策法)は、皮肉にも師岡に向かっても「矢」となって飛んでゆく可能性がある。それを受け止める覚悟があるからこそ、ここまでの暴論を展開できたのであろうから、充分心して自らが身磨いた鏃が突き刺さる日を待たれよ。

さらに師岡は、同法の強化、もしくはもっと厳しい新法の成立を公言している。

「カウンター」/「しばき隊」の理論的支柱とされる師岡の心は倒錯している。人間としてここまで酷い吐露には眩暈さえ感じる。

師岡らは、『ヘイト・スピーチ法研究原論』にまとめ上げた前田朗教授を「ヘイトスピーチ対策法」の強化、あるいはもっと厳しい内容の新法の成立に向けて抱き込みを図っていることは明らかだ。

前田教授よ! 上記の「師岡メール」を読んで、どう思われますか? まさに名文中の名文である、『救援』での2つの論評、そしてそこで溢れ出た怒りに立ち返っていただきたい。「反ヘイト」運動も、このリンチ事件を隠蔽するのではなく、社会的に公開し主体的反省をしない限り間違った方向に行くであろう。これを止揚するのがリンチ事件に対する真正面からの取り組みだし、これから逃げることは歴史を逆に戻すことに他ならない。

(鹿砦社特別取材班)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

象徴天皇制の終わりの始まりか? 小室氏の「有資格問題」は、憲法違反である

小室圭さんがフォーダム大学のロースクールで学位を取得し、来年度からの弁護士基礎コース(英語で受講)に備えて、夏休みを返上して講座を受けることになった。夏休みを大学で過ごすことで、母親の借金問題を「先送りした」と批判的に報じられている。


◎[参考動画]小室圭さん 卒業式は欠席 夏休みも日本に戻らず?(ANNnewsCH 2019/5/21公開)

テレビのワイド番組は、アメリカ留学事情と併せて、覗き見的に小室氏の動向を報じているが、大半の視点は借金問題でのバッシングである。皇室の子女に「ふさわしからぬお相手」というわけだが、視聴者は必ずしもそうではない。眞子内親王と小室氏の結婚を支持するというアンケート結果が出ているのだ。

テレビ朝日のモーニングショーの街頭アンケートでは、100人中で「応援できない」は、わずか19人だった。「応援できる」が42人、金銭問題の解決が条件で39人である。じつに80%の人々が二人の結婚を応援しているのだ。言うまでもなく、恋愛・結婚は個人の意思によるものだという、近代的な人権感覚による自由恋愛を支持するからであろう。昨年の秋篠宮の「納采の儀」の延期、上太皇后による不快感という報道にもかかわらず、自由恋愛を認めよという「世論」が圧倒的なのである。

本欄でも触れたとおり、秋からの女性宮家の創出、女性天皇および女系天皇の可否をめぐる議論に、小室氏問題は大きな比重を占めてくる。すなわち、天皇家に皇統以外の男子の血が入ることを、たとえば安倍総理は蛇蝎のごとく嫌っている。その象徴として、小室氏のような母親に借金がある男が皇族になってもいいのか。というロジックが浮き彫りになるのだ。ただし、議論の前提として女系女性天皇(元明女帝の娘である元正天皇)女系男性天皇(元正の弟の文武天皇)が皇統に存在することは、あらためて指摘しておきたい。

◆自由恋愛の禁止は、憲法違反である

象徴天皇制の矛盾として、対米関係で指摘されているのが憲法9条との安保バーター論がある。現人神から人間天皇となり軍備を持たない代わりに、安保条約で「日本を属国化」したというものだ。沖縄の現実を考えるごとに、この象徴天皇制が日米安保とリンクしているのは明白となってくる。国家の暴力装置を米軍にたよる、わが国は半植民地なのである。もうひとつ、人間天皇自体の矛盾である。人間でありながら、あらかじめ一般国民とは分離された、特権的な身分を持った存在なのである。であるがゆえに、基本的人権があるのかどうか、よくわからない存在なのだといえよう。憲法上はどう考えたらいいのだろうか。憲法学者の横田耕一九大名誉教授は、こう語っている。

「根本的に、皇族に人権を認めるかについては議論がありますが、私は認めるという立場です。よって皇族女子の結婚は自由でいいと考えます」

「結婚は、あくまでもご本人たちの自由意思によります。お相手の小室圭さんについて色々言われているからといって、お二人の結婚に何らかの制約をすることは憲法違反となるのです」

「象徴天皇制において『象徴』とされるのはあくまで天皇だけで、皇族はそれに含まないというのが私の考えです。眞子さまの結婚に関しても、皇族という概念を持ち出す必要はなく、あくまで個人のこととして扱われると思います」(以上「女性自身」5月3日)。

横田氏の立場は、天皇(国民の総意としての象徴)いがいの皇族には、基本的人権が適用されるべきというものだ。おそらく国民レベルの意識では、天皇もふくめて基本的人権はあるべきだというものではないか。2016年8月8日の平成天皇の「お言葉」つまり、退位の自由を国民に訴えたのを、国民は厚意的に受け容れたことが、その証左である。

かりに眞子内親王と小室氏の結婚に、一億円の一時金(税金)が支障になるのなら、それを放棄すれば国民は納得するのだろうか。元皇族の品位を保つのがその目的なのだから、おそらく放棄しなくとも国民の多数は納得するはずだ。筆者のように天皇制に反対する立場であっても、この婚姻で象徴天皇制の矛盾が露呈し、あるいは皇族の減少で政治と天皇家の分離に向けた議論が始まるのを期待したい。その意味では、小室氏と眞子内親王の婚儀は、ぜひとも自由恋愛の立場から貫かれるべきだと思う。いまの若者たちが恋愛で傷付くのを忌避するように、恋愛というものが美しいロマンばかりではなく、政治(制度)や社会(差別など)の制約と戦い、勝ち取られるものだということを、ぜひとも眞子内親王と小室圭氏には実践していただきたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

今後を占うジャパンキック協会、プレ旗揚げ興行開催!

最後のフィニッシュで再びヒザ蹴り猛攻を掛ける石川直樹

ファンが見極める技量審査場所とも言えるジャパンキックボクシング協会プレ旗揚げ興行の見せ場。MA日本キックボクシング連盟、NKB、フリーのジムとの交流戦、日本vsタイ国際戦で盛り上げました。

もう交流戦なくして新鮮な好カードは成り立たない時代になってきました。それほど一つの団体だけでは鎖国的で、置かれたレベルが分かり難くなり、切磋琢磨するレベルの高い試合は臨めないということでしょう。また、分裂細分化によって特定の団体と交流し易くなったという声もあり、「分裂する傾向を上手く利用した方が話が纏まり易く好都合」と言えるのも時代は変わったものです。

ヒザ蹴り猛攻に入った石川直樹

そんなこの団体での次の時代を担う者、石川直樹、瀧澤博人に続く、馬渡亮太と皆川裕哉には期待が掛かるところです。

「ジャパンキック協会は僕が盛り上げていきます」

ほぼ同じコメントを残し、エース格を自覚する瀧澤博人と馬渡亮太。また石川直樹と皆川裕哉も同じ気持ちでしょう。石川直樹は8月4日の旗揚げ本興行でもメインイベントを務めたい意向を示し、更に前・日本フェザー級チャンピオンの石原将伍も居るこの新団体でのメインイベント争いも勃発しそうなところです。

ジャパンキックボクシング協会代表は長江国政氏(本名・長江國正)が就任しましたが、足の怪我による車椅子での移動でリング上での御挨拶はありません。8月4日の旗揚げ本興行にて行なわれることでしょう。

◎KICK-Origin / 2019年5月12日(日)後楽園ホール17:00~21:10
主催:治政館ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

ヒザ蹴りでロープの外へ吹っ飛ばした石川直樹

◆第12試合 52.5kg契約 5回戦

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/52.3kg)
   VS
儀部快斗(エクシンディコンJAPAN/52.4kg)
勝者:石川直樹 / TKO 5R 2:23 / 主審:仲俊光

第1ラウンド、ローキックで先手を打った儀部快斗。石川は表情に表れないが、このまま攻め続ければ儀部が主導権を握りそうな勢いだが、石川も組みついてのヒザ蹴りを狙い、これが儀部へのプレッシャーとなっていく。

第2ラウンド以降も石川のヒザ蹴りが厄介そうで、儀部は蹴る見映えはいいものの、ローキックを更に効かせていく積極さは無く、突破口を開こうと時折バックハンドブローをみせるようになる。

石川はヒザ蹴りの圧力を掛け続け、徐々にタイミングを掴むもまだ圧倒まで至らず、第4ラウンドまでは三者三様の採点だった。39-38.39-39.39-40(後の公式記録より)。

第5ラウンドには組み合った状態からヒザ蹴りが入って儀部快斗が怯むと一気に攻勢に転じ、組み付いてのヒザ蹴りラッシュを掛けた石川がノックダウンを奪った上、更にヒザ蹴り猛攻を続け、動きが止まった防戦一方の儀部快斗をレフェリーが止めるTKO勝利に導いた。観る側のストレス発散となるような劇的ノックアウトで設立興行のメインイベンターの大役を果たしました。

パンチからヒザ蹴りヒットでKOへ繋ぐ馬渡亮太

◆第11試合 チェンマイスタジアム・バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.馬渡亮太(治政館/53.35kg)
   VS
挑戦者同級1位.ペットモンコン・ソー・ジンンジャルンカンチャン(タイ/52.75kg)
勝者:馬渡亮太 / KO 5R 0:45 / 主審:椎名利一

第1ラウンド、ムエタイ特有のリズムで探る静かな様子見。蹴り中心から馬渡が圧力掛け始め、ペットモンコンは強い蹴りを返すがロープ際に下がり気味。馬渡のリズムが優っていくと組み合う展開多くなり、パンチからヒジ、ヒザ蹴りへ繋ぐ。ペットモンコンは馬渡の前進を止められない。

第4ラウンドまでは馬渡が優っていたと見えたとおり、40-37、40-38、40-38の採点(後の公式記録より)。

第5ラウンドには一瞬の隙をついて出た馬渡の猛攻。ペットモンコンのハイキックをかわしてパンチで攻めると後退したペットモンコンのボディーにヒザ蹴りを突き刺し、ノックダウンを奪う。ペットモンコンは苦しそうな表情で立ち上がるも、そのダメージを深いと見たレフェリーはテンカウントを数えた。

技でジワジワ圧倒、馬渡亮太の右ハイキックがヒット
ノックダウンへ繋いだ馬渡亮太、崩れ落ちたペットモンコン
ニシャオの額が陥没

◆第10試合 フェザー級3回戦

瀧澤博人(元・日本バンタム級C/ビクトリー/57.15kg)
   VS
ニシャオ・ソー・ジンジャルンカンチャン(タイ/56.8kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 3R 2:21 / 主審:松田利彦 

第1ラウンド、長身の瀧澤が距離感を上手く掴み、ローキック、接近するとパンチ、ヒジで距離をとって迎え撃つ。

第3ラウンドにはニシャオが右ストレートを打って出たところに瀧澤は右ヒジ打ちカウンターさせ、ニシャオの額にヒットすると、すぐそこが窪んだ跡が見えた。

瀧澤のアピールと共にレフェリーが気付きドクターチェックされ、試合続行不可能が勧告されるとレフェリーが受入れ試合終了となった。

右ヒジ打ちカウンター、ニシャオの額が凹む
長身の瀧澤博人がニシャオに覆い被さるように攻める
タイ選手との対戦は2戦目、ペットワンチャイのハイキックを受ける皆川裕哉

◆第9試合 58.0kg契約3回戦

JKAフェザー級1位.皆川裕哉(KICK BOX/57.85kg)
   VS
ペットワンチャイ・ラジャサクレックムエタイ(タイ/57.75kg)
勝者:ペットワンチャイ / 判定1-2 / 主審:少白竜
副審: 椎名30-29. 仲29-30. 松田29-30

皆川の蹴りからタイミングを見計らった右ストレートが軽いがヒット。スピーディーな蹴り合いにテクニシャンのペットワンチャイも勢い衰えない余裕の応戦。

皆川は打ち負けてはいないがペットワンチャイは蹴りの的確さと崩し技で優ったか。判定は1-2だが、第1ラウンドは三者とも10-10の後、三者共通のポイント差は無く、内容的には互角か皆川がやや優った印象は受けた。

左ストレートをカウンター気味に打つ皆川裕哉

◆第8試合 63.0kg契約3回戦

JKAライト級5位.興之介(治政館/62.95kg)vs MA日本ライト級2位.翼(菅原/62.9kg)
勝者:興之介 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名30-28. 少白竜30-29. 松田30-28

◆第7試合 54.0kg契約3回戦

JKAバンタム級3位.幸太(ビクトリー/53.85kg)
   VS
NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館/53.8kg)
勝者:海老原竜二 / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:桜井28-29. 少白竜28-29. 松田29-30

◆第6試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級2位.櫓木淳平(ビクトリー/56.9kg)
   VS
JKAフェザー級3位.渡辺航己(JMN/56.85kg)
勝者:渡辺航己 / 判定0-3 / 主審:椎名利一
副審:桜井28-30. 少白竜28-30. 仲28-30

◆第5試合 バンタム級3回戦

JKAバンタム級5位.田中亮平(市原/53.3kg)
   VS
JKAバンタム級6位.翼(ビクトリー/53.4kg)
勝者:翼 / TKO 3R 1:07 / カウント中のレフェリーストップ / 主審:松田利彦

◆第4試合 63.0kg契約3回戦

JKAライト級4位.林瑞紀(治政館/62.8kg)vs HARUKA(JMN/63.1→63.0kg)
勝者:林瑞紀 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-27. 松田30-26. 仲30-27

◆第3試合 ウェルター級3回戦

モトヤスック(治政館/66.4kg)vs山本大地(誠真/66.5kg)
勝者:モトヤスック / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-28. 松田30-28. 少白竜30-29

◆第2試合 フェザー級2回戦

又吉淳哉(市原/57.0kg)vs花塚ノリオ(E.D.O/56.6kg)
勝者:又吉淳哉 / 判定3-0 (20-17. 20-17. 20-18)

◆第1試合 59.0kg契約2回戦

都築憲一郎(エムトーン/59.05→59.0kg)vs井上昇吾(白山/58.6kg)
勝者:都築憲一郎 / 判定3-0 (20-19. 20-19. 20-19)

《取材戦記》

ラウンドインターバル中に流れる曲はパートタイムラバー。この曲はマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟の初期(日豊企画・石川勝将代表)時代のラウンドインターバル中に流された曲で、その頃、運営スタッフだった足立聖一(現タイムキーパー)さんがこの日、復活させました。インターバルでは気持ちが落ち着くリズムの、かなり有名ないい曲ですが、この曲であのMA日本キック初期を思い出す人が何人居たでしょうか。

元々、治政館ジムは20年以上の興行実績があり、興行運営は慣れたもの。タイトルの在り方、ルールの曖昧さなど、どこの団体でも見られる綻び部分を、この団体だけは確立して欲しい。そんな願いは1996年の日本系復興時に持ったものですが、ジャパンキックボクシング協会への期待も高まる船出したばかりの団体です。

ジャパンキックボクシング協会次回興行は8月4日に後楽園ホールで旗揚げ本興行が行なわれます。ダブルやトリプルメインイベントといった意味でなく、トリを務めるメインイベンターは誰か気になるところです。

新団体での復活をヒジ打ちでの完勝で飾った瀧澤博人

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

大相撲「トランプ占拠」は神事の政治利用 露わになったみじめな属国の「国体」

G20に参加するトランプ米大統領が、大相撲の千秋楽を観戦する。それ自体はスポーツ好きであれば何の違和感も感じさせないが、おどろくべき準備が進められているという。観戦にあわせて急遽「アメリカ合衆国大統領杯」あるいは「トランプ杯」がでっち上げられ、正面升席を数百単位で「占拠」するというのだ。

これまでにトランプ大統領が相撲好きだという報道は、管見のかぎり聞いたことがない。視聴率の高い千秋楽を狙って、あるいは「国技(法的根拠はない)」である相撲に親しむパフォーマンスをもって、親日ぶりをアピールする。これは神事(相撲)の政治利用ではないのか。とって付けたような親日家ぶりに不快な感情を抱く日本人は少なくないはずだ。

政治家が何ごとかすれば、かならず政治利用になるという意味では、単にスポーツや神事の政治利用それ自体が非難されるべきではないかもしれない。しかし今回の「トランプ杯」はあまりにもご都合主義であり、メッキが剥がれるような厭らしさがある。


◎[参考動画]トランプ大統領来日時 大相撲で賞の授与検討(ANNnewsCH 2019/04/12公開)

◆大相撲ファンに溶け込んでいたシラク大統領

たとえば、来日回数がじつに46回。縄文土器を愛し、麦焼酎を飲み、芭蕉の句や万葉集を諳んじたフランス大統領ジャック・シラクならば、その在職中(7年間)に「フランス共和国大統領杯」が設けられたのもうなづける。シラクは在東京大使館員に特別任務として、毎日の取組結果(中入り後)をエリゼ宮の執務室にファックスさせていたという。1999年にフランスを訪問した小渕総理から、貴乃花が明治神宮に奉納した綱と軍配を贈られ「これほど嬉しいプレゼントは初めてのことだ」と語ったのも有名な話だ。その綱と軍配はしばらく、エリゼ宮の会議室を飾ったという。

来日時に大相撲を観戦するときも、わずかな側近をつれて一般の升席に座り、気づいた日本人も大統領一行が退席するさいに「シラク」コールを上げるなど、大相撲ファンに溶け込んでいた。その意味では、シラクの大相撲観戦とフランス共和国大統領杯は彼の個人的な嗜好の反映であって、政治的なパフォーマンスは従属的なものだったといえよう。

パリに日本文化会館がつくられたのもシラク時代だったし、興福寺展(1996年)や百済観音像特別展(1997年)には時間を割いて鑑賞し、専門的な質問をしたという。単に親日家というよりも、日本通であるシラクにわれわれは驚かされることのほうが多かった。大統領に就任する前の1994年夏には、夫人とともに日本に一か月滞在し、奥の細道の史跡をたどったという。ベルナルド夫人も日本通で、貴乃花ファンのシラクと曙ファンの夫人は、しばしば火花を散らしたと伝わっている。

◆升席に椅子を持ち込む?

しかるに今回のトランプ大統領の観戦は、安倍総理夫妻とのセットで、その親密ぶりを政治的にアピールしようというものなのだ。しかも300席以上が一般に売られないまま、千秋楽のチケットは完売している。ということは、正面席にポッカリと空席のまま、その中央に安倍総理夫妻とトランプ大統領夫妻が、関係筋によると椅子を持ち込んでの観戦になるという。升席に椅子である。神事(取組)が行われている土俵を、椅子席に観るというのだ。もはや観戦のマナーもあったものではない。せっかく貴賓席があるというのに、テレビに映りやすい升席を占拠したとしか言いようがないではないか。

◆みじめな属国のすがた

ここに至って、わが国の国体の正体があらわになったというべきであろう。白井聡が「国体論」で云うとおり、敗戦後にわが国は天皇制の存続と引き換えに、憲法9条を与えられ、アメリカの属国に組み入れられたのだ。

令和最初の国賓として、アメリカ大統領が天皇に迎えられ、しかも「国技」の場に土足(比喩)で礼儀も何もなく踏み込んでくるのだ。その大統領のしもべよろしく、わが安倍晋三は、その無礼きわまりない観戦方法を歓迎するのだ。

そこに政治的な理念はひとかけらもない。口ばかりとはいえ、核兵器の廃絶を世界に呼びかけ、ノーベル平和賞を受けたバラク・オバマ前大統領の功績を消し去り、ヘイトと軍拡、そして中国との貿易戦争を煽り立てるトランプを、まったく同じ位相で歓迎する無定見に、われわれはあきれ返るしかない。

ようするに、アメリカ大統領なら誰でもいい、相手が何を云おうと同じなのだ。みじめな属国のすがたを見るとき、われわれは思いがけず「自主独立」という言葉を記憶の向こうからすくい上げたくなる。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康

◆リンチ事件に対して的確に論評した前田朗教授

著名な法学者の前田朗東京造形大学教授は、ミニコミながら創刊50年を迎えた『救援』(月刊。救援連絡センター発行)紙に、2度にわたり「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」)に対して、研究者としての良心から(と思ったのは私たちの勘違いか?)怒りをもって言及されています。

「反差別運動における暴力」(『救援』580号。2017年8月10日発行)の公表は衝撃的でした。おそらく、そこで厳しく叱責されている李信恵氏や上瀧浩子弁護士らにとっても、別の意味で衝撃的だったと思われます。前田教授は、李信恵氏らの、いわゆる「反ヘイト裁判」で意見書も提出されているといいますから。

前田教授には、リンチ関連本3冊(この時点では4弾目、5弾目は未刊)を送り意見を仰いだところでの論評の公表でした。

ここで前田教授は、私たちの営為とこの事件について、次のように評価されていました。いささか長くなりますが引用しておきます。

「本書(引用者注:前田教授は3冊をまとめて「本書」と表現している)のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは、差別、暴力、差別の煽動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない。市民による実力行使が許されるのは、正当防衛や緊急避難などの正当化事由のある場合に限られる」

「C(引用者注:李信恵氏)が重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する」

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてCを擁護することはできない」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」

まさに至言です。「リンチはなかった」という戯言は論外として、リンチ現場にいた5人は連帯責任として真摯に反省し被害者に謝罪すべきということは言うまでもありません。

『救援』(580号。2017年8月10日発行)

さらに続いて同論考の「2」(589号。2018年5月10日発行)においても厳しく述べられています。――

「被告C」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも幸去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と断罪し、さらには、

「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」

と怒りが溢れる物言いです。全文は別途画像をお読みください。 

『救援』(589号。2018年5月10日発行)

◆私たちはなぜ前田教授に失望したのか?

ところが……
前田教授は先頃『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房刊)を上梓され、私のもとにも送っていただきました。A5判、上製、450ページ余りにもなる分厚い本で、本体価格も4600円という高価です。

『救援』紙に上記のような論評をされたので期待を持って紐解くと、期待に反し、リンチ事件については1行も記述されていませんでした。残念です。

なぜなら、このリンチ事件についての反省と教訓こそが反ヘイト・スピーチ運動を止揚する要だからです。いくら立派なことを述べても、身近に起きたリンチ事件という恥ずべき行為に対して真正面から取り組まない限り、虚妄であり空論でしかないでしょう。

また、前田教授が『救援』紙で強く叱責された方々に「感謝」を述べるに至っては、『救援』で述べられたことは一体何だったのか、と遺憾に思いました。

『ヘイト・スピーチ法研究原論』あとがき

さらに、6月7日の集会の案内(別紙参照)が出回っています。私のところにも回ってきました。一瞥して驚きました。すでにお送りしているリンチ関連本5冊を読まれたのならば、前田教授が豹変(コペルニクス的転換とさえ申し上げます)されたのか、と感じざるをえません。リンチ関連本5冊をつぶさに読まれたならば、リンチ関連本でも断罪した人物が中心的に関わっている集会にホイホイと出るということは常人にはできないことです。そうではないでしょうか?

6・7集会案内

実はこの文章、この集会が終わってから明らかにするつもりでしたが、瞬間湯沸かし器のように怒りが込み上げ、悠長に時が過ぎ去るまで待っておれず、本日公開に踏み切った次第です。

趙博氏は、一時はリンチ被害者のM君を庇うかのような振る舞いをしながら突然掌を返しM君や私らを大いに失望させました。M君は趙博氏を信用し貴重な多くの資料を渡しています。これらの資料を入手するためにM君に近づいたのかと思うとスパイ行為と断じます。私に言わせればリンチ事件隠蔽と二次加害のA級戦犯です。(趙博氏の裏切りについてはリンチ本第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』P74~79、第4弾『カウンターと暴力の病理』P100~106をご覧ください)

仲岡しゅん弁護士も、一時はM君と昵懇でありながら、彼が当時務めていた法律事務所(この所長のK弁護士は私もかねてより知己があり、数件弁護を依頼したこともありました)にM君が弁護を相談するや独断で断り、これを批判されるや各所でM君や私たちへの誹謗中傷を述べています。(仲岡弁護士については第3弾『人権と暴力の深層』P105~110をご覧ください)

さらに元大阪門真市議の戸田ひさよし氏は、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)を突然訪れN氏の業務を妨害しています。N氏は一般市民で下級公務員、こうした業務妨害行為でN氏が職場にいずらくなることが判っているのに平気で行い、これを意気揚々とネットで流しています。

これを受け拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏はN氏に訴えられ敗訴しています(静岡地裁2019年3月29日判決言渡。久保田代理人は神原元弁護士)。久保田氏は悪名高い「はすみリスト」の作成者として有名ですが、戸田氏や久保田氏の行為は、とても賛同できません。社会には、仮に相手が逆の意見でも、常識的なルールというものがあり、これを踏みにじってはいけません。そう思いませんか?

戸田氏とはかつて(10年余り前)交流がありましたが、こうしたことを平気でやったり、有田芳生参議院議員はじめ「カウンター」/「しばき隊」のメンバーと親密にしていることなどから最近は距離を置いています。

こうした人物が3人も中心的に関わる集会に前田教授が出られるということについては、前田教授にもなんらかの“意図”があるものと察しますが、ご説明いただきたく望みます。

また、前田教授は、リンチ事件隠蔽活動の拠点と化したともいえる「のりこえねっと」の共同代表ですので、ここを改革するとか、他の共同代表の方々にリンチ事件の内容を知らせ議論を惹起するように努めることに、まずは手をつけるべきではないでしょうか。なんのための「共同代表」でしょうか。

前田教授の最新著と、前田教授が講師として参加される6月7日の集会について、私見を申し述べさせていただきました。あまりに失望しましたので、いきおい表現が直截的になりました。

上記のような内容で資料を付け、去る5月21日に前田教授に手紙を出しました。真摯な説明を待ちたいと思います。

手紙の返信を待たずに、あえて公開しました。読者の皆様方は、今後の前田教授が、私の物言いをどう受け止め、どう説明されるのか――留意して待っていただきたいと思います。私たちの「勘違い」であればいいのですが……。

この3年余り、リンチ事件の真相究明と被害者支援の活動で見えた問題の一つとして「知識人」の存在があります。リンチ事件という凄惨な事件が身近で起きたのに、有名無名問わず多くの人たちが、隠蔽に加担したり沈黙したり、うまく逃げたりしたことなどを見ました。

「知識人」とは、こういう時にこそ存在理由があり真価の是非がわかろうというものです。「みんなずるい!」というのが私の率直な感想です。1980年代前半から長年付き合いがあった鈴木邦男氏とは義絶せざるをえませんでした。鈴木氏は、ああ見えても結構計算高い人で、私など小物よりも、辛淑玉、香山リカ、金明秀、安田浩一氏ら「のりこえねっと」に蝟集する著名人を選択したのだと思います。

この「反差別」運動において起きた問題について、常に私は「私の言っていることは間違っているか?」と自らにもみなさん方にも問いかけています。今回は中途半端に済ませることはできません。将来ある一人の大学院生が村八分(これは差別ではないのでしょうか?)にされ正当な謝罪や補償もなされず、マスコミも報じず、事件そのものが隠蔽され、極端に言えば闇に葬られようとしてます。ですから、取材も、私の長い出版人生の中で一番徹底して行いました。それは5冊の本に結実しています。

私は愚鈍・愚直な田舎者ですから、許せないことは許せません。齢を重ねて、少しは丸くなりましたが、それでもやはり生来染み付いた体質は変わりません。

これまでの人生を、人間として出版人として私なりに精一杯闘ってきたという自負ぐらいあります。「反差別チンピラ」(作家・森奈津子氏のしばき隊/カウンター評価)如きには負けません!

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「領土を戦争で取りもどす」政治家丸山穂高のせこい現実

あえて「戦争で失われた領土は、戦争でしか取りもどせない」という暴論にも、政治の真理があると評価しておこう。元維新の会、衆議院議員の松山穂高の発言である。「戦争で」という発言も、ある意味では正しい。領土交渉で相手国に遅れをとる政治家を、国民はけっして許さない。外交的な方法でおこなう領土交渉では、絶対に何も解決しないからだ。

例外的にあるならば、ヒトラー執政下のドイツがチェコのボヘミア地方をスデーテンとして割譲した、いわばドイツ系住民の民族自決権行使がある。それ以前にも、オーストリア併合がある。現在のロシアによるクリミア併合問題に見られるように、大陸は多民族が混住するがゆえに、民族問題と領土問題が不可分なのである。


◎[参考動画]「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか反対ですか」維新・丸山議員の音声データ(朝日新聞社 2019/5/13公開)

 
丸山穂高議員のHPより

◆平和憲法の否定

しかし、日本の領土問題は島嶼である。領土それ自体が意志を持っているわけではなく、住民の意志であれば北方領土はロシア人のものだ。そこで、ロシアの混乱につけ込んで四島を取りもどしてしまえ、戦争でしかどうにもならないですよね。ということになったわけだ。そしてその言動が、平和憲法にそむく。したがって、国会議員にふさわしくないものであるのは自明だ。

丸山穂高は稚拙なその意図はともかく、戦争という外交手段を扇動することで平和裏にすすめられてきた日露交渉、積み重ねられてきた経済交流を破壊しようとしたのだ。維新の会が即座に除名処分としたのは、至極当然の話である。もしも過去の砲艦外交や領土問題の困難で戦争に言及するのなら、紛争島嶼の共同統治論(過去に本欄で筆者が提言した)を考えてみるべきであった。

除名された丸山議員はしかし、野党の辞職勧告決議案を批判し、徹底抗戦のかまえを見せている。それはそれで、政治家の出処進退はみずから決すると、ある意味では思想信条は譲らない見識というものかもしれない。しかしながら、その丸山議員に不正蓄財の噂があるのだ。

◆通信交通費を政治団体に還流か?

政治家がなかなか議員辞職をしないのは、辞職が失職を意味するからだ。失職するのは、ひとり議員だけではない。3人いる公設秘書、すくなくとも数人はいる私設秘書も、同時に失職するのだ。歳費は年棒だが、支給は月単位である。丸山議員およびそのスタッフは、辞表した翌月から給与がなくなるわけだ。

 
日刊ゲンダイ(2019年5月18日付)より

そしてそれ以上に、丸山議員を執着させているものがあるようだ。日刊ゲンダイが報じるところを紹介しよう。

問題ではないかとされているのは、月額100万円支給される「文書通信交通滞在費」である。日刊ゲンダイ(2019年5月18日付)によれば「丸山議員は15年10月から毎月74万~90万円の幅の文通費を『資金管理団体の繰入(寄付)』として計上。主な内訳は『事務所賃料』『駐車場代・複合機リース費・等』と記載している。ところが、丸山議員の資金管理団体『穂高会』の政治資金収支報告書のうち、現在閲覧可能な15~17年分をどれだけめくっても、『複合機リース費』なる支出は一切、出てこない」というのだ。日刊ゲンダイの云うところをつづけよう。

「報告書に計上されている月々5万円の『事務所賃料』と月々1万6,000円の『駐車場代』を差し引くと、15年10月~17年12月の27カ月間で総額2,016万9,676円の税金の使途が『宙に浮いている』状況である」という。2年3カ月で2,017万円、つまり月額約75万円をプールしているのだ。これを不正蓄財と呼ばずして何であろう。

日刊ゲンダイの調査によると、資金プールには穂高会が利用されているようだ。上記の架空の「複合機のリース料」などとして蓄財されるにつれて、穂高会の繰越金が多くなっている。

「穂高会の収支報告書をチェックすると、新たに不可解な点が浮かび上がった。穂高会の収入が14年末からの3年間で急増しているのだ。15年分の収支報告書を見ると、『前年からの繰越額』には約374万円と記され『翌年への繰越額』には、約1,709万円と記載があった。それが16年末には約2,989万円となり、17年末は約3,701万円に。3年間で10倍近くに膨れ上がっている」というのだ。

◆ツィート(つぶやき)だけではなく、記者会見を

辞職勧告が「この国の言論の自由が危ぶまれる」「言論府が自らの首を絞める行為に等しい」(丸山議員のツィート)というのなら、テレビでもラジオでも、あるいはネットメディアでも「北方領土問題についての意見」を堂々と論じればよい。じっさいに「議員辞職勧告」に対しても「言われたまま黙り込むことはしない」と言うのだから、記者会見を開くべきであろう。そのさいに、歳費の政治資金への流用、および使途不明金についての質問がおよぶのは間違いないと指摘しておこう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

司法が画期的判断! 滋賀医大附属病院を相手取り「治療妨害の禁止」を求めた岡本医師と患者7名の仮処分申立て、大津地裁が請求を認める決定下す!

決定を前に勝利を確信して語る宮内さん

5月20日、滋賀医大小線源講座で岡本圭生医師の治療を希望しながら、病院側の一方的な通告により岡本医師の手術を受けることができない、ハイリスク前立腺がん7名の患者さんと岡本医師が「治療妨害の禁止」を求め、大津地裁に仮処分を申し立てていた事件について、大津地裁(西岡繁泰靖裁判長)は、岡本医師の申立てを全面的に認める決定を下した。

患者さんと岡本医師には、代理人を通じて「(5月)20日に決定を出す」と5月17日に連絡が入っていたそうだ。

決定の発表を控えて申立人の宮内さんは、既に勝利を前提とした心境を明かしていた。

裁判所に入る宮内さんと鳥居さん

「たぶん常識的な判断を裁判所はしてくれると思います。でもこれで終わりじゃないんですよね。文字通り『同病相憐れむ』ではないですが、我々の後に患者になられる方が、ほとんど確実に治る治療を受けたくなるのが当たり前です。そのためには岡本先生に大学に残って頂いて後進を育てていただきたいです。これはまだ一里塚で本当のゴールは『岡本メソッド』が全国どこでも不安なく享受できる姿になるべきだと思います」

これまで滋賀医大問題では行政への申し入れや、街頭活動も当初は朝日新聞を除き大手メディアは一切無視。黒藪哲哉さんが参戦していただいたころからようやくマスコミの注目が集まり始めた。

あの頃を思い返すとわたし自身、妥当な決定を確信していたが、宮内さんよりも内心、最悪のケースへの懸念が抜けなかったのが正直な心境だ。

軽快な足取りで駆け出してくる宮内さんと鳥居さん

13時30分、弁護団と申し立て患者、鳥居さんと宮内さんが大津地裁に入った。

13時36分頃、裁判所内で決定書を受け取った鳥居さんと宮内さんが、裁判所玄関から正門へ向かい駆け出してきた。

二人は朗らかな表情で「待機患者の救済認められる!」のメッセージを裁判所の外で待つ患者会メンバーと、マスコミに掲げた。

「おめでとう!」の声と拍手が沸き起こった。鳥居さんは、決定内容への質問に対して「われわれ7人だけではなく、現在岡本先生の治療を受けて手術を希望している患者の11月までの手術も認められました!」と満面の笑顔で語った。

文字通りの完全勝利であった。

笑顔で勝利のメッセージを掲げる
「裁判所は病院に強い警告を発した」と解説する小原弁護士

16時30分から教育会館で岡本医師も参加し記者会見が開かれた。弁護団の石川賢治弁護士と小原弁護士が決定内容とその意義を解説した。

小原弁護士は、決定について、「岡本医師の申立てははほぼすべて認められた一方で患者側の訴えは却下ですが、内容を拝見しますと、患者も治療を受けられる結果に変わりはありません。したがって我々から見ると、『病院が医師の治療を制限した』措置に対して『そのような制限は許されない』と裁判所が、強い警告を導いたと理解しています。前例のないケースについて画期的な判断をしていただいたと理解しております。今回大津地裁の決定に対して深い敬意を表したいと思います。特に待機患者の方々は高リスクの前立腺がんを抱えた方々です。こうした人々の治療が放置されることに対して、裁判所としても強い警告を発したといっていいのかと思います。患者に寄り添った判断をしていただいたと思います。個人的な感想ですが最近の裁判所は、ともすると大きな組織に対してはその措置を覆すことに、ためらいがちだという印象を持っておりましたが、今回の大津地裁は果敢な判断をしていただき、きちっとした患者の立場に立った判断が行われたと考えております。大学あるいは病院に、是非要請したいことは、裁判所がメッセージとして発した『患者を第一に考える』を強く受け止めていただいて、是非この決定に対しては、異議の申し立て等をせず、すぐさま7月以降治療にとりかかれるよう強く要望したいと思います」と評価した。

決定への感想を述べる岡本医師

続いて岡本医師がコメントを求められた。

「今回私の治療を頼って、全国から来られている患者さんに対して、私の治療を認めるという判断が司法からなされたことで、前立腺癌で私を受診し治療を待望し、今や遅しと待って頂いている方にとって、大変ありがたい判断をしていただいたと思っております。担当医として裁判所の適正な判断に、心から敬意と感謝を表したいと思います。今回の仮処分においてわれわれが提起した問題はなにかということは、そもそも『医療とは誰のものなのか』。『医療とは誰のために行われるものか』という、根本的な問いであります。いうまでもなく医療は患者さんのために存在し、患者さんを救うために行われるべきです。医療を守っていく立場の人間の一人として、今回、医療の秩序を守るべき決定がなされたこと今後社会的にも大変重要な意義を持つのではないかと考えます。やはり医師の使命は『患者ファースト』であり『患者さんの命を救う』ことです。それが阻害される医療環境、あるいは教育機関であっては医療は立ち行かないと思います。これを機に医療の在り方を、メディアの方・社会もしっかり考えていただいて、あるべき姿に戻していただきたい、と強く望む次第です」と岡本医師は断言した。

喜びと覚悟を語る鳥居さん

続いて待機患者の鳥居さんが感想を述べた。

「今回こういう結果になって本当に喜んでおります。弁護士の先生方には深くお礼を申し上げたいです。それ以上に患者会の皆様。『待機患者のために』と本当にいろいろなことをしていただいたことに、頭が下がる思いでございます。ありがとうございました。皆様のおかげでこういう結果を勝ち取れたと思っています。ただ個人としては喜んでいますが、11月26日ということはそれ以降のことは、まだ未定なのでその点では心配しています。というのも非常に多くの方が岡本先生の治療を受けたいという声が上がっているからです。たくさん待っておられる方のことを考えると、これからが勝負のしどころ、と肝に銘じています。治療が終わって完治しましたら、今度は患者会の方々がわたしたちにしていただいた、それ以上の行動をして、前立腺がんで苦しんでいる患者のためにできることをしてゆきたいと思います」と将来への展望も含め感想を語った。

ついで宮内さんも「患者に寄り添った命令を出していただいた裁判所に感謝申し上げます。弁護団の先生方、マスコミの方々にもお力添えを頂き、同僚といったらおかしいですが、患者会の皆さんにも、自らの治療が終わっているにもかかわらず我々患者のために動いていただいたことを心から感謝申し上げます」と感謝の念を述べた。宮内さんは続いて、決定が出る前に伺ったの同様の内容とコメントした。

このニュースは関西地方で同日の夕刻、MBS、ABC、関西テレビ、琵琶湖テレビで放送された。ところがNHKテレビカメラの姿は、裁判所前にも、記者会見の席にもなかった。また、記者会見で京都滋賀に大きな力を持つ新聞の記者は、決定の意味を意図的に薄めようとしているかのような質問を発していた。

滋賀医大がこの決定を不服と判断すれば、法的には「仮処分異議」をおこなうことができる。しかし、その行為はすなはち「司法の判断を受けても、患者に治療をさせない=命の大切さを度外視する」ものであることは理解されよう。この決定が確定し、ごく当たり前に手術を受ける権利を持つ患者さんたちが、安心した健康を取り戻す日を切望せずにはいられない。弁護団、マスメディアの誰もが口にしていたが、歴史的な決定が出た一日であった。

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

君には「狼」の咆哮が聞こえるか ──『赤軍と白軍の狭間に』『反日革命宣言』など、革命のオルタナティヴを問う鹿砦社の歴史的名著を風塵社が続々復刊!

「反日」──。この言葉だけで、理屈も史実もへったくれもなく、「叩く対象」と決めてかかっている「ネトウヨ」が日本には約59万1,301人ほどいるらしい。

「約」としながらも、細かい数字までわかったのは最近、公安調査庁が開発した「ネトウヨセンサー」によって、割り出された数字がもたらされたからだ。

風が吹けば塵が飛ぶ──。そんな名前の出版社がある。大方赤字の出版社がひしめき合う、東京・文京区の一角。湯島にも本郷にも近い好立地に、「風塵社」はひっそりと居を構えている。

資本金、年間売上高、社員数などは知らない。ただし最近(といっても数か月前だが)、『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線戦の戦闘史』が復刊されたニュースは読者にお伝えせねばならない。

そもそも鹿砦社は、創立時代に硬派左翼書籍を多数出版していた。その世界では知る人ぞ知る出版社でもあった。

現在の社員は社長を除いて誰も左翼経験はないが、「鹿砦社を知らなければ左翼ではない」なあぁんて言われた時代もあったのだ。

「反日」攻撃が約59万1,301人を中心に荒れ狂う時代に、風塵社は、「火中の栗」を拾う覚悟を決め、鹿砦社に「古く硬い書籍の版権を○○万円で譲ってくれないか」との話を持ち掛けてきたという(版権の額については諸説あり、明らかではない)。

この申し出は、鹿砦社社内で慎重に検討された結果、無償で風塵社の要請に応じることが決定された。

鹿砦社から版権を譲り受けた風塵社は、2017年7月に『赤軍と白軍の狭間に』(トロツキー著、楠木俊訳)、同年8月に『赤軍 草創から粛清まで』(ヴォレンベルグ著、島谷逸夫・大木貞一訳)、同年9月に『赤軍の形成』(レーニン、トロツキー、フルンゼほか著、革命軍事論研究会訳)、同年11月に『マフノ叛乱軍史』(アルシーノフ著、奥野路介訳)、12月に『クロンシュタット叛乱』(イダ・メット、トロツキ―著、湯浅赳男訳)、『ブハーリン裁判』(ソ連邦司法人民委員部編、鈴木英夫訳)を矢継ぎ早に復刊。まさに白軍に迫る赤軍の勢いさながら、毎月復刊を続けていた。

書影左から『赤軍と白軍の狭間に』(トロツキー著)、『赤軍―草創から粛清まで』(エーリヒ ヴォレンベルク著)、『赤軍の形成』(レーニン、トロツキー、ベルクマン、スミルガ、ソコリニコフその他著)
書影左から『マフノ叛乱軍史―ロシア革命と農民戦争』(アルシーノフ著)、『クロンシュタット叛乱』(イダ・メット、レオン・トロツキー著)、『ブハーリン裁判』(ソ連邦司法人民委員部/トロツキー著 )

上記に紹介した書籍は、いずれもロシア革命関連の、いわば「史料」であるが、レーニンの登場はあるものの、ロシア革命の真実をスターリンではなくトロツキーなどの視点から検証し、記録するという意志が貫かれており、「ロシア革命100周年」を迎えた出版界においても、異色のラインアップということができよう。

 
『反日革命宣言』東アジア反日武装戦線KF部隊(準)(著)/風塵社(編集)、講演 太田昌国 (その他)

そして本年1月、ついに『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線戦の戦闘史』が復刊された。ロシア革命の側面史を記したシリーズとは異なり、『反日革命宣言』は、日本における現代史であり現代詩である。

そしてまぎれなく、『反日革命宣言』は2019年5月中盤の日本人に「あなたはどうなのだ?」と胸ぐらをつかむような問いかけを重ねる。

“いま、日本に生きることの意味は、歴史的文脈によっても解析されねばならない”

『反日革命宣言』のどこを探しても、そのような記述はない。が、本書を読了された諸氏は、必ず上記の設問に胸を絞めつけられるはずだ。なぜならば、繰り返すが『反日革命宣言』は、歴史書ではなくわれわれが、日頃目を背けるか、あるいは無知にして知らないだけの近現代史を、実に忠実に掘り起こし、その主体に対する「オトシマエ」までつけた「行動の報告」でもあるからだ。

詳細は実際に『反日革命宣言』を手に取って確認されたい。紹介するにあたり最後に断言しよう。これほど真摯に歴史と世襲的罪に向き合った日本人が、かつていたであろうか。将来現れるであろうか。あなたは、真に誇らしい「歴史処理(オトシマエ)人」の存在に打ちひしがれるであろう。

またこの先、風塵社は、鹿砦社から過去に刊行された左翼社会革命党関連の復刊を予定しているらしい。

▼小松右京(こまつ うきょう)
ライター兼日雇い労働者。初老にさしかかり体のあちこちにガタがきて、仕事にあぶれる日が多いのが心配事。ネットカフェ愛好者。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』
 
板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

老いの風景〈14〉自分から行きたいと言い出したデイサービス

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

朝の住宅街、デイサービスの名前が書かれた車を当たり前のように目にするこの頃です。年寄り扱いをされるのが大嫌いだった民江さんが、自分からデイサービスへ行きたいと言い出したのは、2年前87歳の時でした。他の人と交流することで少しでも認知症の進行を抑えられるのではないかという思いで、週に3日お世話になることにしました。とても気に入ったとのことで徐々に増やし、現在は週に5日ほど通っています。デイサービスは、ご高齢の方にとっても、お世話をしているご家族の方にとっても、大変有り難いものです。今日はそのデイサービス(通所介護施設)のお話をします。

◆デイサービスでの民江さんの一日

朝9時頃、スタッフが玄関までお迎えに来てくれます。何人かをピックアップして施設に到着すると、看護師さんによる体温や血圧測定などの健康チェックがあります。朝の挨拶と日課の説明が済むと、毎日まずお風呂です。スタッフはたった2人か3人で利用者は10人以上。歩行や自立が難しい方のための機械浴、感染防止のための個浴、その他の一般浴、それぞれの状態に合わせて安全にお風呂に入れていただきます。

お風呂から上がると、テーブルの上に名前の付いたコップが置かれ、スポーツドリンクが準備してあるそうです。これを飲みながら周りの方と談笑しているのかなと思います。毎日ぬり絵や漢字クイズなどを持ち帰ってくるので、これらもそんな時間にやっているのかもしれません。

運動器具を使った軽いトレーニングや指先を使う折り紙や貼り絵、日替わりのレクリエーション(ペットボトルや風船を使って体を動かす簡単なゲーム)、カラオケや映画鑑賞などのお楽しみ、移動スーパーが来てお買い物、お習字や手芸、おやつを手作りすることもあります。

昼食は月に一度はバイキング形式ですし、ちょっと豪華な日もあります。そうそう、3時にはおやつタイムがあり、食後はかならず歯を磨くようです。園児やコーラスグループなどの慰問を受けたり、車で近所の公園へ出かけたり、お誕生日会や季節のイベントなどなど……たくさんの行事が組み込まれていることが、毎月の予定表からわかります。

スタッフの方々はサンタクロースになったり、鬼になったり、法被を着たり、浴衣を着たり……これらも毎月の写真入りのお便りから見て取れます。そして夕方5時頃、玄関まで送っていただき、別途注文(希望者のみ)した夕食用のお弁当を受け取って終了です。連絡帳には、必ずその日の体温と血圧、入浴の有無とその日の様子が記されています。

平均的かどうかはわかりませんが、民江さんが利用している全国展開のデイサービスはこんな感じです。行き始めたころに感想を聞くと「幼稚園みたいだわ」とのことでした。確かにそうですね。

◆費用について

デイサービスに係る費用はいろいろな条件(介護度、地域、利用時間、収入、施設)によって変わってきます。介護サービスというのは、その内容によって単位で表され、単位数に地域ごとの人件費を調整する係数(単価)をかけたものが料金となります。介護度が高くなると手がかかるので単位が上がります。が、支給限度額が上がるので利用できる回数は増えます。

施設によって入浴や機能訓練のサービス加算が異なります。それらを合算し、利用者が支払う金額はその1割(一定以上の収入があると2割)です。支給限度額を超えた分は実費となりますが、高額になると払い戻し制度があるので、ある程度返ってきます。

さて、年金暮らしで要介護1の民江さんの場合、一日約2300円です。先にご説明した介護費用(本人負担1割)が約800円、そして食事代(昼食・おやつ・夕食)が実費1500円です。週に4回、朝から夕方までお世話になって、2食いただいて、4万円でお釣りがくるぐらいでしょうか。デイサービス以外に介護保険を利用していないので、週に4日は十分限度内で通所可能です。大変有難いです。

以上が民江さんの通うデイサービスです。

一般的なデイサービスは男女比が2:8ぐらいと言われています。中には移動や食事や排泄に必ず介助が必要な介護度の高い方もいらっしゃいます。わがままを言う人もいるでしょうし、喧嘩も起きるでしょう。現に民江さんも喧嘩をしてきています。そんな中で皆が安全に心地よく過ごすことができるのは、スタッフの方々のお陰です。

残念なことに民江さんは認知症なので、デイサービスで何をしてきたか、家に着いた頃には忘れています。帰宅すると電話がかかってきますが、いつも「お弁当食べたから寝るね」と言うだけ。せっかく公園へお花見に行っても、ゆず湯に入っても、テラスでバーベキューをしても、民江さんの口から「今日はね……」と聞いたことはありません。でも、毎日楽しみにしていることが、心地よく過ごしていることの証です。施設長のお人柄とスタッフの心配りには頭が下がるばかりです。

地域によっては施設の数が少なくて満足のいくサービスが受けられないこともあるようですが、もし利用してみようと思われた方は、まずケアマネージャーさんに相談をして、個々の希望に合った施設を探してもらってください。まだケアマネージャーさんとお付き合いのない方は、役所の福祉課や地域包括支援センターへ行き、要介護認定の申請をすることから始めることになります。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
大学関係者必読の書 田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私の内なるタイとムエタイ〈58〉タイで三日坊主!Part.50 ブンカーンで思い出す藤川さんの言葉

ブンカーンののどかな風景
ブンカーンで見たお寺のひとつ、ワット・シーソーポン

◆ブンカーンに到着

ブンカーンへの寄り道は仏門とは関係ないが、過去に藤川さんが語った話題の中には、やや関連してくる人間模様があった。

ノンカイの都市部から昼頃出発した暑くて窮屈なバスは、だんだん人里寂しくなるような田舎道を通って、2時間近く掛かってブンカーンに着いた。今、横浜で出稼ぎ労働しているプット(仮称)という友達に5年前に連れられて来たバスターミナル広場に到着すると、見覚えある小さな時計台があって間違い無く着いたことが認識できた。

すると、地元民とは見えないのであろう私に近づくトゥクトゥクの運ちゃん。私が先に「この辺にホテルはあるか?」と聞くと「ある!」と応えられた。ならば泊まるところの心配は無さそうだ。ホテルに行くと思ってトゥクトゥクを出そうとした運ちゃんに「この辺に郵便局はあるか?」と尋ねた。「あるがどうした?」と言う運ちゃんに「そこに行ってくれ!」と指示。

プットのお姉さんが勤めるのがその郵便局であるはずだった。郵便局は日本の田舎の古い木造の郵便局とさほど変わらない造りの局内で、窓口でお客さんの応対をしていた職員の顔を見てすぐプットのお姉さんと分かった。次に並んだ私と対面となり、プットから送られていた手紙にあるお姉さんの名前を尋ね、私の身分を明かすと、5年前に私が訪れたことを思い出して笑顔になって、すぐ窓口の内側に招いてくれた。

ここはタイの田舎の郵便局。日本のような警備上の仕切り線は緩い。旦那さんもここに勤めていて、早速「今日は泊まって行け!」と言ってくれた。先日に続き“そう言って欲しかったよ”と心で思いつつお世話になることにした。

夕方4時30分まで勤務と言うので近くを散策。メコン河沿いを歩くと、ノンカイ都市部から見る対岸とあまり変わらないのがラオスの風景。近くのお寺も2ヶ所覗いて見た。小奇麗で静かな佇まい。「ここで再び出家できたら誰にもバレずに過ごせるなあ」といった悪知恵も頭を過ぎってしまう。そこは私の知り合いの誰もが、とてもここまで来る縁は無いだろうと思える人里離れた静かな集落なのである。

ブンカーンから見た対岸ラオス
時計台があるブンカーン中心部、懐かしい風景となった

◆家族の心配

夜はこのプットの家でしっかり御馳走になった。飲めぬビールも一杯だけ付き合い、家族は他にプットとソックリの妹さんと、前回来た時はまだ2歳ぐらいだった女の子も大きくなっていた(親戚のオジサンや子供も出入りして、もう記憶が曖昧で家族構成は分からない)。

プットが日本でどんな環境で仕事しているか、ただ元気にしているかという、どこの国の親兄弟も同じような心配。手紙のやり取りや国際電話は来るので、様子が分からない訳ではないが、私が持って行ったわずかながらの写真と、直接知るその暮らしの様子を話してやると興味津々に聴き入り、辻褄合う話に置かれている環境は安心できるものと喜んで貰えた。

もし私の両親が、私がタイで出家したことを知ろうものなら、安心できる環境か、ちゃんと帰って来られるのか、その様子を詳しく知る者を探して食い入るように聴くだろう。もしそんな事態に陥っていたとしたら応えてくれるのは高津くんと春原さんしかいないな。そんな親が思う心配を考えてしまった。無事にタイの旅を終えようとしている今、帰国後は実家に行かねばならないとも思ってしまう、この一家に促されるような思いだった。

ブンカーンの広い大地
お寺ふたつめ、ワット・ブップラーソン

◆貧困の国とは!?

タイで最も貧困のタイ東北部から日本へ出稼ぎに来る“じゃぱゆきさん”といった女性の話題が続いた1990年代でもあったが、フィリピンボクサーやタイボクサーによる不法就労が増えた時代でもあった。

「日本で稼いだお金を持ってタイの田舎に帰り、両親に捧げる。生活苦だった両親や幼い兄弟達が潤い、進学できたり、車やバイク、電化製品が買え、家も建て替えることが出来た。」といった貧困の中での親孝行物語が本に書かれたり、テレビなどの報道で語られたりして、藤川さんは「ワシはそんなもん信じとらん」と言っていたものだった。

私も比丘の姿でバンコクに出た時、藤川さんが町田さんや小林さんに話していたのが、「イサーン(タイ東北部)の人は本当に貧しいんか? 自然に適った風通しのいい高床式住居があるのに出稼ぎした奴らによって綺麗で密閉された日本式住居が増えて、その結果エアコンが必要になるやろ。我々日本人の高度経済成長で作り上げた文明が彼らを羨ましがらせて、本来の幸せを壊して来たんやないか? 毎朝、坊主(比丘)に寄進する飯は、貧乏な家でも一人の一日分は用意できる訳や。これが本当の貧しさか?」と言っていた話が蘇える。

このブンカーンの街を歩いてみても、それなりに雑貨屋や市場はあり、友達の家で頂いた料理は、私がお客さんだからそう振舞ったのかもしれないが、アナンさんの家と変わらない質と量があり、家は木造の古そうな家だが広く、犬も飼われていて貧乏とは言えない中流家庭であった。

プットはなぜ出稼ぎ労働することになったのだろうか。以前、「仕事が無いから」とは言っていたが、バンコクでのムエタイ関係のビジネスを辞めた後、グレード低くなる暮らしはできないプライドがあったのかもしれない。

藤川さんが言っていた、「出稼ぎしたお金で“まず両親を楽させる”という奴は、ほんの2~3パーセントや。他は“まず自分が贅沢したい”為の出稼ぎ労働者、バンコクに出ておる娼婦も同んなじやな」。

私が比丘であった期間、お金を払って食事したことは一度も無かった(飲み物は買ったが)。タイは貧富の格差が広がり、干ばつで農作物が育たないタイ東北部では貧困が続くと言われた1990年代前半に、「本当の意味では貧困ではない」というのが、藤川さんの考え方で、“本当の幸せとは何か”を説いていたのも長き比丘生活での課題だった。藤川さんと会わなくなってからいろいろ思い出すが、各地を歩いた藤川さんの話は信憑性があるものばかりだった。

ブンカーンの映画館

◆三度ラオスへ渡る

この地にも暫くのんびり過ごしてみたい気もあったが、ひとつ役目も果たしたところで他人の家に意味無く長居も出来ないから、もうラオスに渡ることにした(後に考えればこの地域からラオスに渡る道は無かったかなと思うが、当時は限られたルートしか分からなかった)。

旦那さんにバスターミナルまで送られる中、「今度来た時は4~5日泊まって行け!」と言ってくれた。「じゃあ今からもう暫く居ていい?」と思っても口には出さずも、こんな僻地はお寺も含めていいもんだった。

またバスに乗ってノンカイ都市部へ戻り、トゥクトゥクに乗って、そのままタイ・ラオス友好橋へ向かった。あまり遅くなってはいけない。ホテルには極力泊まらないケチケチ旅行だから、行く先は前回訪れたワット・チェンウェーなのである。

3度目の国境越えであるが、職員かただのオバサンか分からぬ人達の指で示す方向へ行って、タイ出国手続きを経てバスに乗り、橋を越えればラオス入国手続きを経てタクシーの運ちゃんに群がられることになる。もうすっかり慣れた感じもあるビエンチャンに三度渡ったところだった。

プットの家の近く、ラオスと似た風景だった

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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