福島「中通りに生きる会」52人の原告たちは本当に東京電力に「勝った」のか? 原発事故損害賠償訴訟・6年間の闘いで得たもの、得られなかったもの〈前編〉 民の声新聞 鈴木博喜

2020年2月19日。福島地裁で1つの判決が言い渡された。原発事故による精神的損害が十分に賠償されていないとして東電を相手取って起こされた裁判。福島県で「中通り」と呼ばれる、東北新幹線沿いの市町村に暮らす52人による「中通りに生きる会」が原告だ。

福島地裁の遠藤東路裁判長は東電に対し、計1200万円余の支払いを命じた。避難者訴訟ではなく、居住者訴訟で精神的損害を認めた「画期的な判決」として全国ニュースにもなった。地元メディアは概ね好意的に報じた。原告たちも、閉廷後の記者会見では〝前向き〟な発言が目立った。だが、原告たちは本当に「勝った」のだろうか? 提訴前の準備から数えると6年にも及んだ裁判闘争で52人は何を得て何を得られなかったのか。きちんと確認しておきたい。

「陳述書を28ページも書きました。これを基に闘ってきたんです。すごく長い闘いでした。皆まとまって一生懸命にやってきたつもりです。(判決で示された賠償額は)私たちが請求した金額とはずいぶん違いますが、これまでの闘いが一応、認められたと思ってホッとしています。東電がこの判決を受け入れてくれる事を心より願っております」

会の代表として奔走してきた平井ふみ子さん(71歳、福島市在住)は、記者会見でそう語った。

2014年10月に福島市内で開かれた陳述書作成の勉強会であいさつする平井ふみ子さん。原告たちの闘いは6年に及んだ。もう余力は残っていない

379ページに及ぶ判決文で遠藤裁判長は、「自主的避難等対象区域に居住していた者の慰謝料の目安は、避難の相当性が認められる平成23年12月31日までの期間に対応する慰謝料額として、30万円と認めるのが相当である」と定義。30万円から東電からの既払い金(8万円)を引き、個々の損害に応じた賠償額を算出した。その結果、50人が既払い金を上回る賠償を認められ、東電が控訴しなければ、2万2000円から28万6000円までの賠償金に遅延損害金を加えた金額が原告たちに支払われる事になる。なお、2人の原告は請求を棄却された。

原告の代理人を務めた野村吉太郎弁護士は陳述書作成では何度も何度も書き直させ、時には原告から恨まれもした。厳しかったが、最後は大きな拍手で原告たちから感謝を伝えられた

原告の代理人を務める野村吉太郎弁護士は、判決内容について「いわゆる〝自主的避難等対象区域居住者〟に対する慰謝料としては過去最高額であるという点は高く評価したい」と一定の評価をしつつ、「原告らが訴訟準備期間を含めると約6年の歳月を費やし、原則として原告全員の本人尋問を経て個別の損害を訴えた末の結果としては不十分。闘いに報いる金額では無い。苦労に苦労を重ねた挙げ句の判決にしては、物足りないものがある」とも語った。

また、「精神的損害に対する評価は非常に厳しいというか、原告の皆さんの精神的損害を汲み取る感性が裁判官には欠けているのではないかと思う。そこは残念だが、他の訴訟と比較すれば、ある意味では画期的な判決なのではないか。もろ手を挙げて喜ぶ事は出来ないが、それなりに受け止めなければ仕方が無いのかなという想いです」とも話した。会見場には複雑な心情が漂っているようだった。

原告たちはそもそも、和解による決着を望んでいた。年齢層が高く、陳述書を書き上げるだけで疲労困憊になり、いざ提訴したらしたで、今度は本人尋問が待っていた。野村弁護士とリハーサルを重ねたが、慣れない法廷での尋問に戸惑い、満足に答えられない原告も少なくなかった。

それでも主尋問はまだ良い。反対尋問では、被告東電の代理人弁護士が牙を剥いた。

原告が被曝リスクへの不安を口にすれば、原発事故直後に行われた山下俊一氏の講演を掲載した福島市の広報紙を提示し、「専門家は問題無いと言っている」と全否定した。原告が家庭菜園を断念したと言えば、「誰も家庭菜園を禁じていない」と一蹴した。避難指示が出されない中で〝自主避難〟するべきか逡巡した苦悩を原告が口にしても、「原告は自己の判断によって避難するかどうかを決めたものであって、中通りにとどまり生活せざるを得なかったという事実は認められない」と反論した。まさに、〝ああ言えばこう言う〟のやり取りが法廷で繰り返された。
当時の想いを、原告の1人はこう振り返る。

「二度と想い出したくない震災と原発事故。いざ原発事故が起きたらどれだけ大変な災害になるかという事を子や孫に残したいと考えて原告に加わりました。人前で話すのも苦手なのにあの場で尋問されるというのは、被害者ではなく何か犯罪者のような気持ちでした。東電が和解勧告を拒否したと聞き、長い間闘ってきた事が認められなかったような気がして東電の非情さと理不尽さに憤りました」

原告一人一人の陳述書に対する膨大な反論の準備書面も提出された。そのたびに法廷には原告の怒りと徒労感に包まれた。46人の原告に対する本人尋問が終了した2019年3月の時点で、原告たちに余力は残っていなかった。

野村弁護士は法廷で裁判所に和解勧告を求めた。原告の1人は当時、筆者に「陳述書を書き上げるのに要した2年間が、もう涙と汗の結晶というか、これ以上は書けないというところまで野村先生に見ていただいて提訴したんです。もう、これ以上は出来ません」と語っていた。

当初は和解勧告に消極的だった裁判所も、原告たちが福島県庁で記者会見を開くなどして世論に訴えた事もあり、昨年12月に和解案を提示した。和解内容は公開されていないが、判決と大きくは変わらないとみられる。原告たちは当初からの方針通りに受諾したが、東電は年明け早々の1月7日に拒否を伝えた。(後編につづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

井手洋子監督の新作ドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ」関西上映! 1978年に始まった障がいを持つ子どもの放課後支援活動の先駆的施設を1年半にわたり撮り続け、問いかける「子どもたちそれぞれの世界」

井手洋子監督のドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ」の関西上映(大阪・神戸・京都)が、2月15日大阪・シネ・ヌーヴォから始まった。障がいを持つ子どもの放課後活動の草分け的存在である東京都小平市の「ゆうやけ子どもクラブ」(以下、ゆうやけ)を1年半追い続けた作品である。

1978年、養護教育の義務化で、障がいを持つ子どもたちにようやく学校教育が保障されるようになったが、ゆうやけ(遊びの会)はその1年前、様々な障がいを持つ子どもたちが、放課後や夏休みに過せる場所が欲しいという親たちの切実な願いから始まった。現在ゆうやけの代表を務める村岡真治さんは、ボランティアで関わっていた当時の様子をこう話している。

ゆうやけの代表を務める村岡真治さんと子どもたち(C)井手商店映画部

「放課後や夏休み期間中に、遊び・生活を中心とした活動を行って。子供たちの成長を促そうとすることは、大変勇気のいることだった。先輩の親からは『若い親を甘やかすな』と苦情をいわれた。市に補助金を求めにいくと『学校に通っているのに、どうして放課後までお金を出す必要があるのか』と返された。だが私たちは、子供の権利や発達に照らして,障がいのある子どもにも放課後活動は必要だということを、実践しながら社会に訴えていった」。

その村岡さんが、今も現役で子どもたちの輪の中心にいることに、まず驚かされる。「今日のおやつ作りは何にしますか?」「えーと、ゼリー」といわれ、村岡さんがずっこけるシーンから映画は始まる。

学校から次々とゆうやけに帰ってくる子どもたち。「おかえりなさい」と迎える職員たち。小学校から高校生まで、全員が知的障がい、発達障がい、自閉症など様々な障がいを持っている。子ども1人か2人に、指導員が1人つき、「おやつづくり」、「フォークダンス」、「段ボール遊び」などで遊ぶ。紙いっぱいにその日の買い物リストを書き、村岡さんにおもちゃ電話で注文してもらう女の子。「えー柴犬4匹、メスが普通で黒がオスですね。4匹です」。もうこの場面から、ワクワク感がとまらなくなる。

◆「ゆうやけ子どもクラブの活動をとってほしい」と依頼された井手監督

井手洋子監督

井手監督が、ゆうやけに関わったきっかけは「40周年記念のコンサート」で夕やけを紹介する映像を頼まれたことからだった。当初、井手監督は、障がいをもつ子どもたちの「放課後活動」がどんなものか全く知らず、何をどう撮ればいいかと戸惑ったという。

「職員さんたちは、子供のいない午前中、何をやっているのだろうか?」と気になっていたある日、職員の研修会を撮影する機会があった。職員は、毎日子供たちに何があったか記録し、迎えに来た親にも、それを丁寧に説明する場面がある。研修会では、1人の障がいを持つ子について書かれた3年分の記録から、気になる個所を抜き書きし、5人の職員が話し合っている。

「ここにも同じのがあった」と、資料の同じ言葉の箇所にマーカーで線をひき、彼がその時何を考えたのかと、謎解きをしていくような作業。「子供たちとの関わりの背景には、こんなにも丁寧な作業があったのだ」と驚きながら、カメラを回したという井手監督。そうした事実を掘り起こしていく作業は、ドキュメンタリーの取材にも通じるという。そして「このシーンを映画の中でいかした。こうしたことの積み重ねで、暗闇から少しずつ取材の糸口となる光のようなものがみえてきた」と、作品のとっかかりを掴んだきっかけを、井手監督は語っている。

◆親たちの孤独が解消されるような社会をめざして

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画では、障がいを持つ子どもたちの親たちが話す場面も多い。障がいを持つ子の苦労話や、子どもの変わり様を屈託なく、時には笑って話す親たちの姿は、とても強く印象に残った。

「とくに母女親が孤立して、とっても孤独な方がすごく多いと思うので、それが改善していく世の中になってほしい」と話す父親。「ほかの子どもたちには、なかなか構ってやれない」と笑って話す母親。「ここに来ることが一番の楽しいみたい。学校のあとにゆうやけだから、そのために学校へ行くみたいな…。家に帰ったらバタンキューですよ」と話す父親。

昨年、両親が、障がいを持つ我が子を長期に亘り監禁し、死なせた事件が起こった。障がいがあったり、引きこもりを続けるわが子の存在を周囲に隠し、行政にも相談できず、最終的に自身の手で殺(あや)めるという痛ましい事件も発生した。なぜ、可愛いわが子の存在を隠さなければならないのか?殺めなければならないのか?そこには、障がいを持つ子どもと親たちに対する、社会のぬぐい切れない差別や偏見があるからではないか?

◆障がいを持つ子と親たちをとりまく社会の変化

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

2012年、「放課後等デイサービス」という国の制度が始まって以降、障がいのある子どもの放課後活動の場が爆発的に増えた。ゆうやけの3つの事業所も、2013年以降、この制度を利用して運営されている。そんななか、公費を偽って請求するなどの不正を行う業者、「起業3年,年商3億年」「低リスク、高リターン」などとうたい、利潤追求を目的とした事業所なども増えてきた。私の住む釜ヶ崎で、生活保護者を狙って、「家賃、食費がゼロ、おまけに小遣いまでもらえるよ」とうたう「囲い屋」など貧困ビジネスが増えたことと同じだ。

さらに2018年には、施設に障がいが重い子どもたちが半分以上いないと、収入が大幅に引き下がるという新しい基準が加わり、ゆうやけも存続の危機に見舞われた。ゆうやけはどうにか認められたものの、全国の8割の事業所が減収から閉鎖に置きこまれたという。巷では「ダイバーシテイ」「多様性」などのきれいな言葉が溢れているが、実際の社会の足元には、こうした過酷な現実もあることを、この映画を通じて知りえた。

◆一人一人が自分らしく生きるために……

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画の後半では、障がいを持つ3人の子どもにフィーチャーしていく。自分の気持ちをうまく表現できないガク君。子どもたちの輪になかなか入れず、部屋の隅でひたすら積み木を積むヒカリ君。そして聴覚過敏の音に敏感すぎるため、ずっと給湯室にこもっているカンちゃん。テロップでは障がいには触れてないが、同じ自閉症でもまるで特性が違うことに驚かされる。

3ケ所あるゆうやけの施設を回って撮影を続けていた監督が、ある日ヒカリ君がどうなったか知りたくて会いに行く。それまで直線で作られていたヒカリ君の積み木の線路は、なだらかな曲線を描くようになっていた。そこに精巧な駅舎や改札口が作られ、やがてホームに動物をたたずませたヒカリ君。ヒカリ君の宝物は、鉄道好きなヒカリ君のために、職員が作ってくれた全国の鉄道名と駅名を書いた手帳だ。新しい線路と駅の名前を口にしていくうちに、ヒカリ君の声も徐々に大きくなっていく。撮影最後の日、子どもたちが遊ぶマットの相撲場に、積み木を置くようになったヒカリ君は、ダンスがはじまると、輪の後ろで身体をくねらせ、最後には皆の手を取ってダンスの輪に入っていった。「福祉は人間らしい人の輪」。映画の中で、村岡さんが語っていた。

子どもたちも親たちもこんなに変えていく、ゆうやけの輪は、こうして日に日に大きくなっていくことだろう。

最後に井手監督に「ゆうやけ子どもクラブ」を作った1番の目的をお聞きした。

「このような施設が存在することを多くの人たちに知ってもらうこと、映画を通して子どもたちそれぞれの世界を知ってもらい、私たち一人ひとりの心の中にあるバリアをとりはらうきっかけになれば、と思っています」。関西上映は以下のスケジュールで!

大阪・神戸・京都でのドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」上映スケジュール
大阪 シネ・ヌーヴォX 2月15日(土)~2月28日(金)
   シネ・ヌーヴォ  2月29日(土)~3月6日(金)
神戸 元町映画館    2月29日(土)~3月13日(金)
京都 京都シネマ    3月 7日(土)~
問い合わせ 井手商店映画部 03-6383-4472
公式ホームページ https://www.yuyake-kodomo-club.com/


◎ドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」予告篇ロング

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

3つのトーナメント戦、それぞれの運命! NKB交戦シリーズ Vol.1

PRIMA GOLD杯決勝戦は昨年10月12日の開催予定が台風19号による影響で延期され、準決勝の6月15日から約8ヵ月経ての開催。ウェイト的にやや不利と見えた清水武は筋力アップに時間を掛けることが出来たものの、その成果を活かすことが出来なかった。

Japan Sift Land杯は、予定どおりの日程で昨年12月14日から始まり、決勝進出かそれまでに敗れればそこで引退を宣言していたテープジュン・サイチャーンと村田裕俊の二人が12月の初戦(準々決勝)で対戦。敗れたテープジュンはその場で引退セレモニーを行なった。そしてこの日、「引退挨拶で喋ることを準備をしていた」と言う村田裕俊は遠藤駿平を僅差で破って決勝進出を決め、有終の美を飾りたい村田の決勝戦の相手は髙橋亮となった。

その髙橋亮はローキックでコッチャサーンの脚を殺し快勝。髙橋三兄弟がエース格を担うNKB興行に於いて順当な優勝へ、どちらにも大きな運命が掛かる一戦となる。

NKBウェルター級王座決定トーナメントは、また新しい時代を担う世代の戦いに移っている中、すでに若くない30~40歳代4選手によるトーナメントとなった。他(多)団体チャンピオンと競り合うことが出来るかは難しいところ、決勝戦で勝ち上がれば、NKBの面子を守る、その試練が待っているだろう。

◎交戦シリーズ Vol.1 / 2月8日(土)後楽園ホール 17:15~21:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆13. PRIMA GOLD杯ミドル級トーナメント決勝 5回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/31歳/72.3kg)
    VS
清水武(元・WPMF日本SW級C/sbm TVT KICK LAB/32歳/72.5kg)
勝者:田村聖 / TKO 1R 2:04 / 主審:前田仁

開始早々から田村の右ローキックが清水の右脚を狙うヒットが数発続くと、早くも足運びがおかしい清水。

田村聖もローキック狙い、開始から早くも右ローキックが清水武にダメージを与える
清水武の右脚に集中した田村聖の右ローキック

田村は蹴りの流れから右ストレートを打つと、清水はまともに貰いノックダウンを喫する。

ゆっくり立ち上がるも脚がふらつくとカウント中にレフェリーストップとなって、田村聖が優勝を果たした。

田村聖が蹴りを意識させ右ストレートを打つと清水武はバッタリ倒れた
PRIMA GOLD杯は田村聖が目出度く優勝

◆12. Japan Sift Land杯59kg級トーナメント準決勝3回戦

決勝戦で戦う村田裕俊と髙橋亮が健闘を誓った

NKBフェザー級チャンピオン.髙橋亮(真門/24歳/58.9kg)
    VS
コッチャサーン・ワイズディー(元・ルンピニー系SB級7位/タイ/21歳/58.5kg)
勝者:髙橋亮 / TKO 1R 1:13 / 主審:佐藤友章

髙橋亮も開始早々から左ローキックで鋭くコッチャサーンの脚にヒットすると数発で棒立ち状態。

連続してローキックを貰ったコッチャサーンは早くもノックダウン。立ち上がるも髙橋亮のローキック追撃にコッチャサーンのセコンドからタオル投入による棄権をレフェリーが受入れ試合は終了した。

あっけなくダウンしたコッチャサーン、髙橋亮の蹴りの強さ発揮

◆11. Japan Sift Land杯59kg級トーナメント準決勝3回戦

接近戦になれば村田裕俊のヒザ蹴りが炸裂

MA日本ライト級チャンピオン.遠藤駿平(WSR・F三ノ輪/21歳/59.0kg)
    VS
NKBフェザー級2位.村田裕俊(八王子FSG/30歳/59.0kg)
勝者:村田裕俊 / 判定0-2 / 主審:亀川明史
副審:仲29-29. 前田29-30. 川上28-29.

離れた距離での互角に渡り合う蹴りとパンチの攻防も、村田はいつもながら蹴りから接近してヒザ蹴りの連係が上手い。更にヒジ打ちで遠藤の眉間の上をカットする。

最終ラウンドは遠藤の前進でやや押されるも、崩し転ばす技や蹴りの的確さで僅差ながら村田裕俊が勝利を掴み決勝進出、この日の引退からは逃れた。

村田裕俊の左ストレートが遠藤駿平の胸板にヒット
ロープ際に押されても右ミドルキックで返す村田裕俊

◆10. NKBウェルター級王座決定トーナメント初戦(準決勝)3回戦

準決勝を勝ち抜いた村田裕俊に勝利者賞を贈呈したジャパンシフトランド代表

NKBウェルター級2位.稲葉裕哉(大塚/32歳/66.68kg)
    VS
同級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/44歳/66.68kg)
勝者:稲葉裕哉 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-29(10-9). 佐藤彰彦30-29(9-10). 佐藤友章28-30(10-9).
3R引分け三者三様 / 延長R 2-1

決定打の少ない中、笹谷がやや攻めの勢いがある流れ。審判構成によってはここで結果が出たかもしれないところ、三者三様の採点で延長戦が行われた。

ここから積極的に出た稲葉。執念が優った稲葉が勝利を掴む。

稲葉裕哉が執念で延長戦を制した
NKBウェルター級王座は稲葉裕哉と蛇鬼将矢で決定戦が行われる

◆9. NKBウェルター級王座決定トーナメント初戦(準決勝)3回戦

NKBウェルター級4位.蛇鬼将矢(テツ/30歳/66.68kg)
    VS
同級5位.SEIITSU(八王子FSG/41歳/66.3kg)
勝者:蛇鬼将矢 / KO 1R 1:01 / 主審:仲俊光

蛇鬼が蹴りからパンチの連打で早々にノックダウンを奪い、立ち上がったところを更にパンチ連打を浴びるとSEIITSUは蹲り、カウント中にタオルが投入される棄権となり、レフェリーが試合を終了させた。

蛇鬼将矢がSEIITSUを仕留めにかかる

◆8. ライト級3回戦

NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/29歳/61.2kg)vs聖(KSK/22歳/61.0kg)
引分け1-0 / 主審:川上伸
副審:佐藤彰彦29-29. 馳29-28. 佐藤友章30-30.

◆7. 59.0kg契約3回戦

KEIGO(35歳/58.75kg)vsガオパヤック・ワイズディー(タイ/21歳/58.6kg)
勝者:ガオパヤック / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:亀川27-30. 鈴木28-30. 川上27-30.

◆6. バンタム級3回戦

NKBバンタム級4位.海老原竜二(神武館/28歳/53.3kg)
    VS
古瀬翔(ケーアクティブ/24歳/53.5kg)
勝者:海老原竜二 / KO 3R 2:43 / 3ノックダウン / 主審:佐藤彰彦

◆5. フライ級3回戦

NKBバンタム級5位.則武知宏(テツ/25歳/50.75kg)vsTOMO(K-CRONY/37歳/50.6kg)
引分け1-0 / 主審:鈴木義和
副審:川上29-28. 仲29-29. 高谷29-29.

◆4. ライト級3回戦

NKBライト級5位.パントリー杉並(杉並/27歳/60.95kg)
    VS
マサ・オオヤ(八王子FSG/45歳/61.23kg)
勝者:パントリー杉並 / 判定3-0 / 主審:馳大輔
副審:佐藤彰彦30-26. 佐藤友章30-27. 亀川30-27.

毎度の打ち合いに出る激戦展開するパントリー杉並。ベテランのマサ・オオヤを苦しめ、ノックダウンを奪うもマサオオヤの有効打(パンチかヒジ)で額を切ったパントリーは流血しながらの攻勢。仕留めるに至らずもパントリー杉並が大差判定勝利となった。

◆3. ウェルター級3回戦

宮城寛克(/赤雲會/28歳/66.68kg)vsゼットン(NK/48歳/66.6kg)
勝者:宮城寛克 / KO 3R 0:52 / カウント中のタオル投入 / 主審:高谷秀幸

◆2. 55.0kg契約3回戦

龍太郎(真門/19歳/54.5kg)vs加藤和也(ドージョーシャカリキ/25歳/54.9kg)
勝者:加藤和也 / 判定0-2 / 主審:亀川明史
副審:鈴木30-30. 佐藤彰彦29-30. 佐藤友章29-30.

◆1. フライ級3回戦

會町tetsu(テツ/31歳/50.7kg)vs舟本空明(治政館16歳/50.4kg)
勝者:舟本空明 / 判定0-3 / 主審:前田仁
副審:川上29-30. 馳27-30. 仲27-30.

PRIMA GOLD杯トーナメント表

《取材戦記》

PRIMA GOLD杯は田村聖が晴れて優勝し、長引いた決勝戦を無事に締め括りました。
NKBウェルター級王座決定トーナメントも、昨年10月12日に予定されていましたが、今回の2月8日に延び、他にも延期やカード変更も起こる調整の苦労があったようでした。

PRIMA GOLD杯はミドル級で行われ、リミットは規定どおり160LBS(72.57kg)。ミドル級と言いながら“73.0kg契約”とか言わないか、昨年4月の初戦前に当時の広報担当に聞いたところ、「正規のミドル級で行われます。」と言う規定どおりの回答でした。

今回のJapan Sift Land杯は59kgリミットで開催。プロボクシングの階級呼称を使いながらリミットを変えるのは正しくはないが、スーパーフェザー級(-58.97kg)と言わないのはリミット超えしているという自覚があるのでしょう。数値(キログラム)で区切るならそれも結構なことだが、元からスーパーフェザー級でもよかったかもしれない。「ノンタイトルでも負ければ王座剥奪」のチャンピオンの義務から外れるには、もう少し幅を持たせて60kgリミットでもよかったかもしれない(この辺は外部者の勝手なひとりごと)。

Japan Sift Land杯トーナメント表

日本キックボクシング連盟も設立当初から、統一・分裂・合併、何度も起こった離脱の流れの中、当然ながら設立に至った当時の経緯を知らぬ若い世代が台頭してっ来ている中、小さな組織のイベントの範疇で統一戦には程遠いものの、若い世代による幾つかのトーナメント戦が盛り上げを見せました。今後も、かつて業界一丸となった昭和の「1000万円争奪オープントーナメント」に導かれるような発展に期待したいものです。

日本キックボクシング連盟次回興行「交戦シリーズ2nd」は4月11日(土)に後楽園ホールに於いて、二つのトーナメント、NKBウェルター級王座決定戦とJapan Sift Land杯決勝戦が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

天皇制はどこからやって来たのか〈02〉記紀の天皇たちは実在したか

◆神話のなかの天皇たち

権力闘争をなくすために、実力よりも血統に皇統の根拠がもとめられたこと。そしてそれは天の命令でなければならないがゆえに、ある壮大なフィクションが創られた。皇統が天から下ったという神話である。じっさいに、初期の天皇たちはその大半が『古事記』『日本書紀』にしか記録がない。

古事記

その神話のなかの天皇たちは、どこまでが真実なのだろうか。神話が過去の伝承をなぞり、伝承のなかの大王たちの事績を仮託したものだとしても、歴史学はどこまで史実に迫っているのだろうか。

わが国最古の公式な史書である『古事記』と『日本書紀』は、天武天皇の命で編纂され、持統天皇の末期に完成した。『古事記』は舎人の稗田阿礼という記憶力のすぐれた人物が口述し、太安万侶がそれを筆記した。『日本書紀』は川島皇子ら12人のプロジェクトチームによるもので、舎人親王が最終的に編纂した。

いずれも乙巳の変で焼失した帝記・旧辞という史料を諳んじる稗田阿礼の口述がもとになっているが、『日本書紀』においては豪族の墓記や個人の覚書、百済の文献なども参考にしている。編纂の目的は天皇による国家統一の偉業を讃えるものだ。皇祖を女性にすることで女帝(持統天皇)の正統性を描き、あるいは藤原氏をリスペクトするなどの編纂意図も随所にうかがえる。

神武天皇137歳

神代の記述はこうだ。皇祖とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)が高天原から日向の高千穂に降り、大山祇神(オオヤマツミ)の娘の木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と結婚して、山幸彦=火遠理命(ホオリノミコト)が生まれた。山幸彦が海神の娘である豊玉姫と結婚して生まれたのが、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズミコト)。その四男が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、すなわち神武天皇である。天照大御神から数えて五代目ということになる。神武以降の天皇たちはおそらく、伝承にいろどられた神話のなかの神々とかさなっている。

じつは『記紀』には明らかに、捏造と思われる記述もあるのだ。たとえば歴代天皇がきわめて高齢である点だ。崇神天皇の168歳をトップに、垂仁天皇153歳、神武天皇137歳、孝安天皇137歳、景行天皇137歳、応神天皇130歳と超高齢なのである。

高齢だからといって、その存在自体が捏造というわけではない。崇神天皇には王朝交代説もあり、事実上の初代天皇という説がある実在の天皇だ。応神天皇も朝鮮半島との外交業績や『宋書倭国伝』にある倭王「讃」に比定されるなど、あきらかに実在の天皇である。

実在を証明するには、考古学的な裏付けが必要となるわけだが、架空の人物ではと思われる欠史八代(二代綏靖天皇以下、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇)の各天皇にも、陵(みささぎ)が治定されている。ところがこの治定(じじょう)は、大半が江戸時代に行なわれたものなのだ。それを宮内庁が追認しているにすぎない。天皇の治世と陵の建築年代が、大きくずれていると、研究者たちから指摘されている。

現在の考古学的な知見で埋葬された天皇と陵が一致するのは、奈良王朝の天智・天武・持統陵など数か所にすぎないとされている。調査が期待されるところだが、宮内庁は学術的信頼度について「たとえ誤って指定されたとしても、現に祭祀を行なっている以上、そこは天皇陵である」と、治定見直しを拒絶している(『天皇陵論──聖域か文化財か』外池昇、新人物往来社など)。

雄略天皇

天皇陵が考古学的な裏付けにならないとしたら、われわれはどう考えればよいのだろうか。文献史学および考古学的な成果によるものを挙げておこう。文書と遺物である。

たとえば雄略天皇の場合のように、行田市の船山古墳出土の刀剣に「獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)」とある遺物は、記紀の「若健命(ワカタケルノミコト)」に符合する。

世界でも最大級の古墳である仁徳陵の被葬者、仁徳天皇はどうだろう。『古事記』にはオオサザキ(仁徳天皇)は83歳で崩御し、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓があるとされる。『日本書紀』にも、仁徳天皇は87年(399年)正月に崩御し、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬られたとある。平安時代の『延喜式』には仁徳陵が「百舌鳥耳原中陵」という名前で和泉国大鳥郡にあり、「兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟」の規模だと記述されている。敷地が群を抜いて広大であることから、ここに記される「百舌鳥耳原中陵」が仁徳陵を指していることは間違いない。陵の大きさから、仁徳天皇の実在性は明らかなのである。これで仁徳帝の存在は、陵と文献から証明されたことになる。

◆ねつ造された理由

前述した欠史八代の各天皇は系譜のみの記載であって、事績が伝わっていないことから不在説がつよい。八代とも兄弟相続ではなく父子相続になっていることも、『記紀』が編纂された天武・持統時代の嫡系相続を反映したものと考えられる。あるいは、辛酉の年に天命が改まる1260年に一度の辛酉革命にちなんで、神武天皇の即位を推古9年(辛酉)から1260年前(西暦紀元前660年)にするために、八代を編年したという説もある(那珂通世「上世年紀考」)。

時代が新しくなれば、実在の可能性が高いというわけではない。王朝交代が指摘される継体天皇の前の25代・武烈天皇の場合は、残忍な逸話ばかり記述されている。恋敵を山に追い詰めて殺し、その一族を館ごと焼き殺す。妊婦の腹を裂いて胎児を見る、生爪を剥がして山芋を掘らせるなど、思いつく限りの残虐さが伝わっている。おそらく王朝交代にさいして、悪行を尽くした皇統が断絶したと解釈する歴史思想の反映であろう。したがって、創作された悪逆の天皇と考えられるのだ。

◎《連載》横山茂彦-天皇制はどこからやって来たのか〈01〉天皇の誕生

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

「一年以上かかる」新型コロナウイルス「COVID-19」の対策薬剤製造はどれだけ短縮できるか?

菅義偉官房長官は2月18日の記者会見で、新型コロナウイルス(COVID-19)による肺炎の治療薬剤開発に関し、国立国際医療研究センター(東京都新宿区)を中心に抗エイズウイルス(HIV)薬剤の臨床試験の早期開始に向けて準備を進めていると説明した。


◎[参考動画]2020年2月18日(火)午前-内閣官房長官 記者会見

いまのところ対処療法しかない新型コロナウイルス(COVID-19)に対して、一部の抗ウイルスHIV薬剤の有効性が伝えられていた。HIV対策にはウイルスに感染した人に対する薬剤と、ウイルスの侵入を防ぐ薬剤など様々な薬剤が開発されている。今回新型コロナウイルスに有効であろうと見込まれているのは、現在VIIVという英国の製薬剤会社だけが、特許を保有する「ウイルスの侵入」を防止する薬剤である。


◎[参考動画]Living with HIV? Today, it’s just living.(ViiV Healthcare)

2月14日、本通信で報告した通り、新型コロナウイルスは「4つのインサートすべてのアミノ酸残基の配列は、HIV1 gp120またはHIV-1 Gagのアミノ酸残基のそれと同一または類似しています」との研究結果が示唆する挙動を見せていることが、ここ数日でも複数の研究者から明らかになった。

そこで、日本政府も同様の薬剤の臨床試験を行う姿勢を見せたということである。しかし、現在同様の薬剤剤は世界でVIIV社しか製造していないことから、特許や販売許可への障壁も考えられる(VIIV社には塩野義製薬も出資している)

「The Lancet」が非常に権威のある科学雑誌であることは、前回本通信でご紹介したが、通常有料でしか購読できない同誌が、新型コロナウイルス(COVID-19)に対しては、その緊急性と重要性を認識したためか、無料購読の許可を続けている。一般には「一年以上かかるだろう」といわれている対策薬剤の製造が、VIIVが保有しているHIV対策ウイルスの援用により、早まることが期待される。


◎[参考動画]ワクチン準備に18カ月(2020/02/12)

巷では、紙のマスクが店頭から姿を消している。けれども、罹患者が他者への伝染を防ぐ効果は紙マスクには期待できるが、ウイルスは極小さな粒子であるので、紙マスクをしているからといって「予防」にはあまり役に立たないことは、冷静に知られるべきだろう。紙マスクを利用すればわかるが、鼻と肌のあいだに、まったくマスクが覆わない部分が、よほど注意しないと生じるし、そもそもウイルスの粒子の大きさは、一般的(特殊に繊維の細かいものを除く)な紙マスクであれば、通り抜けてしまう。

売り切れた紙マスクが手に入らず、途方に暮れる方々は、綿の布を水に浸してその上からタオルを巻く(見かけは悪いが)などの手段をとる方が、簡単で有効だ。

(本稿は医学に造詣の深い複数のかたのアドバイスをいただき構成した)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

出荷制限解除へ道険しい信夫山のユズ  民の声新聞 鈴木博喜

2月になっても黄色い実をつけている信夫山のユズ。福島市のユズは出荷制限が継続している

毎年恒例の「信夫三山暁まいり」を翌日に控えた今月9日、福島市北部の信夫山(しのぶやま)中腹にはユズ(柚子)の黄色い実が冬枯れの木々の中で一層、鮮やかな色を見せていた。かつて「ユズ栽培の北限」と言われた信夫山。しかし本来であれば、この時期にユズの黄色い色が映える事は無いはずだ。熟しすぎて落下したユズの実には、鳥がついばんだ跡があった。季節外れの景色は一見、美しい。しかしこれもまた、2011年3月の原発事故がもたらした影響だった。信夫山ガイドセンターのガイドスタッフが残念そうに語った。

「原発事故が起きる前は、だいたい12月中にはある程度収穫されていました。でも、原発事故で国の出荷制限がかかっているから収穫出来ない。だから、2月になっても実がついてる。きれいかもしれないけど、これは本来の景色では無いんです」

今さら言うまでも無く、福島第一原発の爆発事故に伴う放射性物質の飛散は60km離れた福島市にも及んだ。2011年6月20日の福島市の測定では、信夫山ふもとの「所窪団地公園」で空間線量は2.61μSv/hに達した。福島県のホームページでさかのぼれる最も古いデータでも、2012年9月6日正午時点で「信夫山公園」の空間線量は1.46μSv/hだった。同日同時刻の「信夫山子供の森公園」では1.27μSv/h。事故が起きる前は0.04μSv/h前後だったから、原発事故から1年半が経過しても実に31倍から36倍もの汚染状況だったのだ。

信夫山のユズ畑の中には、いまだに空間線量が0・3μSv/hを上回る場所もある

「福島県福島市及び南相馬市において産出されたゆずについて、当分の間、 出荷を差し控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者等に要請すること」

2011年8月29日、当時の菅直人首相(原子力災害対策本部長)が佐藤雄平知事(当時)に対し、出荷制限を指示した。その5日前に行われたサンプリング検査で680Bq/kg、760Bq/kgという高い数値が検出されていた。国の指示は「当分の間」だったが、出荷制限は今も解除されていない。

福島県農林水産部園芸課の担当者は「出荷制限解除の考え方は、1本でも基準値を超えるユズの木が出てしまったとかそういう事では無くて、危険な物が含まれていないという事を示せなければいけません。そのためには、栽培の状況を確認した上でモニタリング検査をして、基準値を超過していない事を確認する必要があります。それがある程度確認出来た段階で県から国に解除を申請します」と説明する。

「でも、まだモニタリング検査をするまでに至っていないんです」と担当者は話す。

出荷制限を受け、福島県が作成した注意喚起のチラシ。出荷制限解除の見通しは全く立っていない

「そもそも、基準値を超えるようなユズの木がどのくらいあるのか分かっていないんです。しっかり管理されて栽培されているものばかりであれば把握しやすいのですが、庭先で小規模に育てているものもあります。ユズ栽培の実態がどうなっているのか、今は福島市やJAと調べている段階です。なので、今の段階で公表出来る数値はありません。まずは実態把握をしているという事です」

9年という歳月を経ても、出荷停止解除の見通しさえ立っていない。いや、見通し以前の段階だと言わざるを得ない。これが信夫山のユズを取り巻く現状だった。これが原発事故が奪ったものの大きさだった。

福島市農業振興課の担当者も「まだ出荷制限解除を口に出来る段階ではありません」と話す。だが、福島県の検査でも、2018年11月20日の段階で検出された放射性セシウムは5.70Bq/kgにとどまっている。何がネックとなっているのか。そこにはユズの特性があるという。

「リンゴやモモですと、1本の木になる実に含まれる放射線量はだいたい同じです。逆にユズはバラバラなんです。しかも規則性・法則性がありません。しかも、前年に『不検出』だった木でも、今年測ったら高い数値が出る場合もあるんです。他の果物だと、いったん数値が下がったら上がる事はほとんど無いのですが、ユズは残念ながらそうでは無いのです。仮に費用も人手もかけて全部の実を測ったとしても、もう放射性物質が検出されないと言い切れません。そこがユズの難しいところなのです」

現実的には、福島市内の全てのユズの実を検査する事など不可能だ。しかも、他の果物と違い、農園のようにきちんと管理された状態で栽培されている木ばかりでなく、庭で小規模に育てて直売しているケースもある。「JAを通してある程度、大規模に出荷しているようなものは追跡出来ますが、そうでない物はそもそも把握が難しい」(福島市農業振興課)。現在、栽培農家に調査票を配って把握に努めている段階だという。

信夫山に仮置きされている除染廃棄物。順次、中間貯蔵施設に運ばれる

過去には、当時の佐藤雄平知事が米の〝安全宣言〟を発した直後に基準値を上回る数値が検出されてしまった事もあり、福島市農業振興課の担当者は「全体として数値は下がる傾向にあり、その意味では安全だと言えます。でも、もし出荷制限解除後に100Bq/kgを超えるユズが出てしまったら、風評などより悪い結果を招いてしまいます。今の段階で焦って解除を求めてはいません。福島市にとってユズは大切なものですから、どうしても慎重にならざるを得ない部分はありますね」と話した。

信夫山を散歩する親子。被曝リスクを心配する人は表面的には少なくなった。一方で「心配してもしかたない」との想いもある

前述のガイドは、市街地を見下ろしながらこうも言った。

「原発事故直後は、面白半分と言うのかなあ、興味本位と言うべきか、われわれにとっては不愉快でしたけど『原発の状況どうですか?』なんて尋ねられる事も多かったですよ。そんな事を尋ねるためにわざわざ福島に来たのか、と面白くは無かったですよね。別にそれほどの影響というか、この辺りは浜通りに比べればそれほど放射線量が高かったわけでは無いのにね。食べ物にしたって、全部検査しているのは全国で福島県だけだから。店で販売されているものは全て検査をクリアして安全なもの。むしろ他県より安全なんだよ」

顔は笑っていたが、明らかに不快感がにじんでいた。

原発事故から2年後の2013年からは、「信夫三山暁まいり」の初日に「福男・福女競走」が行われるようになり、初代福女は中学生。今年も福島市内の中学生が福女になった。

地元で暮らす人々にとっては、街のシンボルである信夫山がいまだに汚染されていると思われるような状態は確かに不愉快だろう。だが一方で、信夫山中腹のユズ畑で、筆者が持参した線量計は場所によっては0.3μSv/hを上回った。さらに山を登ると、公園の奥には除染で取り除かれた汚染土壌などが仮置きされて搬出の順番を待っている。残念ながら、原発事故の影響は今も続いている。出荷制限などほど遠いユズの状況がそれを端的に物語っている。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に

特定危険指定暴力団工藤會本部事務所・工藤会館(北九州市小倉北区)の跡地の利用計画が決まったという(西日本新聞2月6日)。工藤会館は暴対法による使用禁止処分により、事実上の封鎖状態になっていたところ、北九州市のあっせんで民間業者が買い取っていたものだ。

工藤会館

四階建て鉄筋づくりの白亜のビルは、二階が事務所と応接機能、三階に広間、四階に会長室(ラウンジ仕様)があった。落成したのは80年代なかばのことになるが、当時すでに暴力団には会場を貸さないという行政指導が行なわれ、ヤクザは早晩、盃事の場所にも困ると考えられていた。当時の溝下秀男若頭が他に先んじて自前の施設をつくったのが、工藤会館なのである。

四代目工藤會継承式(溝下秀男から野村悟へ)の動画があるので、興味のある方は参照されたい。司会の玉井金芳氏は作家火野葦平の未子、先般アフガンで亡くなられた中村哲医師の叔父にあたる。


◎[参考動画]四代目工藤會 継承式1

西の隣が小倉競輪場(メディアドーム)で、わたしが取材していた当時は東側がラブホテルという立地なので、落ち着いた場所とは言えなかったかもしれない。事務所番に入る若い者たちは、なぜかウキウキしていたと、上高謙一秘書室長が語っていたものだ。

その理由とは、組織内ではほぼ御法度(溝下が賭け事を嫌った)の競輪ではなく、ラブホの窓が開いていれば部屋の天井がミラーになっているので、恋人たちのあられもない肢体が見えるというものだった。

◆不思議な機縁

さて、その跡地を業者から買い取ったのが、奥田知志氏が理事長をつとめる「抱樸(ほうぼく)」というホームレス支援のNPO法人なのである。同法人が生活困窮者の就労支援や子ども食堂といった弱者支援の施設を建設して「総合的な福祉拠点」を目指すという。資金は寄付金による。奥田理事長は「(工藤会本部事務所跡地に)新しいものを造る必要がある。北九州市の未来のため、重い歴史を、明るい歴史にしたい」と話した(西日本新聞)。

周知のとおり、奥田氏はシールズの奥田愛基さんの父親である。わたしは直接の知己はないが、奥田父は関西学院大学神学部の出身で、学生時代は釜ヶ崎支援の活動を行なっていた。

じつはわたしも、関西学院の成全寮に宿泊したことがある。関西学院から釜ヶ崎を支援するのは、ブント系某派の拠点活動でもあったのだ。

とはいえ、神学部の活動家は入学の頃から牧師になるのを志望しているので、釜の活動家になるという雰囲気ではなかったのではないか。新たに入信する牧師志望は、同志社の神学部(プロテスタント)か関学(カトリック)かという選択肢だったときく。牧師志望の関学の学生たちと、解放の神学(第三世界でのキリスト教の民衆運動)の研究会をやった記憶がある。

それにしても、工藤會の跡地がホームレス支援の拠点になるというのは、運命的なものを感じさせる。工藤會中興の祖というべきか、工藤組と草野一家を再統合した立役者というべきか。いずれにしても工藤會を九州一の組織に発展させたのが溝下秀男である。

工藤會を九州一の組織に発展させた溝下秀男名誉顧問

◆孤児院への支援

その溝下は、筑豊の孤児だったのである。溝下の幼少期は、ちょうど酒田に記念館がある土門拳が「筑豊の子供たち」という写真で筑豊を紹介し、観光客たちが写真を撮りに訪れるという、筑豊炭鉱の全盛時代であった。

幼い溝下にとっては、見世物にされることへの反発から観光客を追い返したこともあった。幼い妹たちを養うために、狸掘りという盗掘方法(本坑の横から狭い穴を50メートルほど掘って、夜間に石炭を盗掘する)で糊口をしのいだという。中学の時には会社をつくり、子分を従えていたという。

やがて門司の大長組をへて極政会を結成し、独立独鈷で一家をなす。ボクサーを志して上京ののち、田中六助(自民党幹事長・通産大臣など)に政治の世界に誘われるも、31歳での稼業入り(草野高明と親子盃)だった。

その溝下が心掛けたのが、孤児院への寄付や支援だった。北九州一円はもとより、遠くはドイツの孤児施設まで支援はおよんだ。前述した上高氏は「暑い中ですねぇ、鉄棒やらジャングルジムを組み立ててですね。たいへんな思いをしましたけど、子供たちが喜んでくれてですね」と語っていたものだ。

溝下氏と宮崎学氏の「任侠事始め」、上高氏と宮崎学氏の「小倉の極道冤罪事件」「極楽記」(いずれも太田出版)をわたしが編集したのは、もう20年近く前のことになる。2008年に溝下秀男が他界し、工藤會は急速に求心力をうしなう。

現在は中央機関(本家)がなくなり、情報交換のために幹部会がひらかれる程度だという。獄中の野村悟総裁の手記を見つけたので、興味のある向きはご覧ください。

◎工藤會 野村悟総裁「独占獄中手記」【前編】(2019年10月29日付週刊実話)

みずからの来歴と工藤會の歩みはそれなりに描かれているが、溝下没後に起きた粛清劇については何も書かれていない。全国のヤクザはおろか、警察のなかにも畏敬する信者がいた先代溝下にくらべて、野村氏の治世はあまりにも情けないと評しておこう。わたしもまもなく溝下の齢をこえる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

田所敏夫さんへの再々反論 ── 議論をする以上は、ちゃんと論証をしましょう

田所さんから1月27日付「反論」への「反批判」をいただいた。ありがたいことである。論争というものは、テーマと論点を鮮明にするのみならず、自分の論述にも厳密さを求めるようになる。文章修行には良いものだと思う。

とはいえ、田所氏の所論である「山本太郎の独裁体質」については、感覚的にそう感じる以上のものではない、政治論ではないことがほぼ了解できた。山本太郎の政策の変遷については、選挙戦術論と回答した以外の答えは当方にはない。それが選挙政治の現実だからだ。その他、細かい部分は後段にまわして、核心部から検証してみよう。天皇制と元号についてである。

前回の「反論」においてわたしは、
「個人の思いをこえて、元号に反動性があるというのならば、ぜひともそれを詳述して欲しい」と要請してみた。田所氏がいったいどのような理解において、元号を批判するのかを知りたかったからだ。

なにしろ「わたしはその党名(れいわ新撰組)を書けない」つまり、元号を書くことが出来ないというのだから、それ相応のディープな批判内容があるものと期待したのである。しかるに「いちいち学者や研究者著作からの引用を持ち出さなくとも、元号が天皇制と直結していることに争いはない」と至極あたりまえの回答しか得られなかった。せっかく挑発しているのに、いや、ぜひともと誘っているのだから、元号にかんする独自の論証があるものと期待したが、残念ながらそうはならなかった。

たとえば昭和天皇の重大な罪業らしきものを匂わせ、書けない理由を、
「それをここで書きたい。が、書けない。なぜか。いくら『タブーなき』鹿砦社のメディアであっても、『そのこと』を書けば、『そのこと』が事実であっても、鹿砦社業務に支障が出たり、わたし自身の身に危険が及ぶ可能性があるからだ」としている。ぜひともメールで、わたしにお知らせ願いたいものだ。何も心配する必要はない。前科(政治犯歴)のあるわたしには失うものはないし、日本には闘うべき言論の自由があるのだから、わたしの責任において本欄に公表しよう。

ちなみに、わたしは昭和天皇の戦争責任は戦犯として訴追され「処刑に値する」と考えるが、死刑廃止論者なので禁固刑がいいところだろう。田所さんは東アジア反日武装戦線の「虹作戦(爆殺未遂)」を評価しておられるが、これにもわたしは反対だと述べた。国民・人民がみずから天皇制を廃絶するのでなければ、イデオロギー装置としての天皇制は廃絶しないからだ。

◎[関連記事]NHKがキャンペーンする「昭和天皇の反省」 田島道治ノート「天皇拝謁録」(2019年8月19日付横山茂彦論考)

それにしても、、田所さんが書いている昭和天皇の戦争責任の法的な脈絡は、あまりにも粗雑に過ぎると指摘しておこう。大元帥としての道義的な責任(最高責任者)ということならば理解できるが、太平洋戦争中の昭和天皇の具体的な行動を論証する必要がある。

たとえば「生きて虜囚の辱めを受けず」(陸軍戦陣訓、東条英機)を、昭和天皇が兵に直接命じた事実があるのだろうか? あるいは「天皇制とみずからの命乞いのために、マッカーサーに泣きついた」とは、どの史料にあるのか、ぜひとも教えて欲しい。文献史学は史料に基づいてこそ、初めて立論となるのだ。

◆天皇制と元号について

田所氏はわたしに、こう問われている。
「元号と天皇制は結び付いていませんか?」(田所氏)と。元号が天皇制そのものであることは、誰もが自明のこととして了解しているであろう。この原初的で平易な問いかけはしかし、じつに好感を持てる。

そこで、あえて田所さんの平易な「疑問」に応えよう。元号と天皇制は必ずしも不可分ではない。天皇制と元号が機能しない歴史もあったのだと。

すなわち多くの時代において、元号(天皇)は、その時代の政治権力と結びつかなかったのだ。広義の天皇制においては、元号が単なる飾りにすぎなかったことを、わが国のながい歴史はおしえている。だからこそ、天皇制の廃絶は不可能と絶望する田所さんには意外なことかもしれないが、天皇制を崩壊させる展望もあると言いたいのである。

はて、天皇制には広義のものと狭義のものがあるのだという、わたしの概念設定に読者は驚かれるかもしれない。その区分に意味はあるのか? いや、そもそも天皇制の定義は、それでは何なのだろうか、と。そこで、まずは「天皇制」という言葉の定義から始めるべきであろう。

天皇とはそもそも、律令制(法律)の頂点に君臨する位階職制の認定者(人事権掌握)であり、その意味で政治権力である。天皇が政治権力と結びいて機能することを「天皇制」というのだ。これは天皇が自然な在り様であって、畏敬の念やその象徴的な具現である神事・祭祀が、単に伝統行事にすぎないとみる天皇崇拝者にとっては、左翼が云う「政治規定」ということになる。

つまり「天皇制」とは、天皇と政治が結合した政体であり、もともと左翼用語なのだ。天皇主義の右翼は、けっして天皇制という言葉をつかわない。安易に「天皇制」なる言葉を使う右翼は、左翼文化を刷りこまれた似非右翼と指弾されるはずだ。だがこのさい、左翼か右翼かはどうでもいい。政治権力と結びつくかぎりで、天皇(禁裏)と政治の結合こそが、天皇制権力(狭義の意味での天皇制)なのである。

しかしながら、天皇制権力は古代飛鳥王朝(乙巳の変以降)から奈良王朝(称徳帝)に健在であったものが、平安末期の院政、南北朝(建武の中興)を除いて近代にいたるまで、ほぼ完全に骨抜きにされてきた歴史がある。元号が連綿と続いてきたにもかかわらず、広義の天皇制は権力を失っていたのである。

平安前期は摂関権力に牛耳られ、鎌倉時代には承久の変によって天皇権力は京都から放逐された。初めての公武政権である室町幕府において、天皇家は日本国王の名称すら簒奪され(足利義満の外交文書)、江戸時代の幕藩体制によって禁裏は家職への逼塞を余儀なくされた。これら日本史の大半の時代において、天皇制は権力を喪失していたのである。

これで回答になっているだろうか。天皇制と元号は結びついている、どころか本来は一体のものである。にもかかわらず、かならずしも天皇制権力を体現してきたわけではないのだ。したがって、元号が天皇制そのものとはいえない。いまや元号は事件や事変の歴史的呼称として、日本史研究の道標になるという評価が妥当なところだろう。

田所氏は「その元号を書けない」というのだから、代わって令和という元号への批判をわたしの過去の投稿から紹介しておこう。『新元号「令和」には「法令の下に国民を従わせる」という意味もある』これを参考にして欲しい。

◆議論のためには、論証をしなければならない

ところで、最初の反批判で横山の「テーゼ」に同意したという田所氏は、しかし以下の質問には答えてくれていない。1月27日のわたしの疑問を再録しよう。

「『わたしが危険性を感じるのは、むしろこのテーゼが無効化された現在の状況を前提とした議論である。』(田所氏)というのだが、その中身がまったく展開されていないのだ。なぜ『(横山の)テーゼが無効化され』て「現在の状況』があり、それを『前提とし』なければならないのか、これではよくわからない。」

田所氏においては、文脈をとらえずに、論旨を理解できないまま書かれることが多い。具体例を天皇制批判の核心的な部分から引いてみよう。

「《むしろ天皇制が持つ融和性(汎アジア主義・国民的親和性)》と仰天するような評価を披歴なさっている。仰天するとい(う)のは、横山さんが『情況』という雑誌の編集長だからだ。個人の意見としてそのように考える人がいるであろうことは知っているが、『情況』という雑誌の性質を、わたしは完全に誤解していたのかもしれない。天皇制のどこに「国民的親和性」があると横山さんは主張なさるのであろうか。」

ここでは、天皇制の融和性と民族排外主義が相反するという論旨を捉えそこなっているうえに、語意の「国民的親和性」も理解できていない。

天皇制が「汎アジア主義」であるがゆえに、侵略戦争の思想的な背景になったことは、田所氏が云うとおり「アジアへの侵略」である。しかし天皇制を背景にした五族協和――大東亜共栄と民族排外主義、あるいはヘイトクライムのレイシズムは、そもそも相反する思想なのだ。

ネトウヨが平成天皇の汎アジア主義的(親韓的)な発言に対して「明仁は最悪な朝鮮人天皇です 泥棒 朝鮮人ばかり活躍させているゴキブリ天皇日本の敵 天皇死ね!」と罵倒するのは、いったいなぜなのだろうか。両者が相反するからなのである。この論旨を無視して、田所氏は「汎アジア主義」という言葉だけを取り出してしまうのだ。その汎アジア主義にも主戦論(侵略主義)と非戦主義(大アジア主義)があり、中国革命に尽力・寄与した宮崎滔天らの日本人義士、あるいはそれを受け皿に孫文ら中国の革命家たちが来日(留学や亡命)していたことを、田所氏は知らないのであろうか。

「国民的親和性」については、これを理解できないのではちょっと困る。国民に親しく和するからこそ、天皇制は「この島国の住民の内面にかなり深くべったりとしみついている『理由なき精神性』」(田所氏)なのである。これは戦後象徴天皇制の本質であろう。

しかし、排外主義の民族主義右翼は天皇が国民的な常識で自由に行動することを、けっして許さない(天皇夫妻の外交志向、三笠宮家の皇室離脱、秋篠宮家の婚姻問題)。ここに戦後天皇制崩壊のカギがあるのだ。

◆『情況』について

『情況』の編集長という話が出てきたので、これにも回答しておこう。田所さんは「『情況』という雑誌の性質を、わたしは完全に誤解していたのかもしれない」という。ここでも、どういうふうに「雑誌の性質」を理解し「誤解していた」のかを例証していない。それは誤解なのだから、いいとしよう。

前回の反論で「左翼であれば」というフレーズで山本太郎を批判していたことから察するに、雑誌『情況』を左翼雑誌と理解しておられたのであろう。それはあながち間違いではない。しかし『情況』は運動体の雑誌、例えば反天連と旧べ平連系の『ピープルズ・プラン』や新左翼系の『変革のアソシエ』、廃刊した『インパクション』のような運動情報誌ではない。小なりといえども、『文藝春秋』や『世界』と伍する論壇誌(雑誌のキャッチは、オピニオンのステージをひらく変革のための総合誌)である。岩波書店の『思想』や青土社の『現代思想』とともに、学術誌として大学図書館に合本保存される性格もあわせ持っている。

したがって、誌面構成は天皇制反対の論考ばかりではなく、たとえば一水会代表の木村三浩氏や『月刊日本』編集長の坪内隆彦氏にも寄稿いただいたことがある。彼らはれっきとした天皇主義者だが、議論に資するから論考を掲載してきたものだ。論壇誌の議論というのは、左右の思想傾向ではなく、内容ありきなのだ。左翼雑誌なら天皇を批判するのが当然で、天皇制批判には何も論証がなくてもいいだろうと考える浅薄さこそ、ネトウヨに何でも反対する内容のない「パヨク」「ブサヨ」などと侮られるのではないか。ちょっと言いすぎか(苦笑)。

上記につづく文脈で、田所氏は「『ゲルニカ事件』や『日の丸君が代処分』事件などを引き合いに出すまでもなく!…」と天皇制批判を論証しかかって、そこでやめている。「いや、もうやめたほうがいいのかもしれない。わたしは頭が悪いので、迂遠な表現が使えない。」と。頭が悪かろうが良かろうが、書く以上は論証しなければならない。

ゲルニカ事件も日の丸君が代処分も思想・表現の自由にかかわることであって、そもそも表現の自由は天皇制だけに固有のものではない。中国で毛沢東主席の画像に唾を吐けば罰せられる。朝鮮民主主義人民共和国で共和国旗を汚せば罰せられるだろうし、金日成主席の写真を踏みにじれば、悪くすれば機関銃で処刑されるかもしれない。ぎゃくに日本やアメリカでは、国旗を焼いても罰せられない(国旗および国家に関する法律よりも、表現の自由が上位にある。国旗冒とく法よりも、憲法第1条=自由権が上位にある)。天皇の写真を焼いても、火事にならなければ罰せられることはない。この違いは、たんに法律の違いなのである。

ゲルニカの絵を通じて平和を訴えたい学童たちの希望が奪われたこと、君が代を歌いたくない教師や生徒の思想表現の自由が奪われたことをもって、天皇制こそが諸悪の根源などという粗雑な論理では、天皇制の本質から逸れるばかりではないだろうか。日の丸君が代を義務化する教育現場の指導要領、それを企図した政治家・官僚にこそ原因があるのだ。

というのも、田所氏においては論証を抜きに、やや短絡的に書き飛ばしてしまう傾向があるからだ。本欄でそれを指摘するのは憚られると考えてきたが、わざわざ文中に『情況』誌の編集長というわたしの肩書を持ち出されたので、もはや触れないわけにもいかないだろう。

わたしが依頼した大学特集号(『情況』2019年冬号)の記事「『エンターテイメント』の観点からみた関関同立と近畿大学」(田所氏執筆)に対して、小波秀雄氏から「福島の現実は差別や偏見との闘いである――田所敏夫氏の浅薄な開沼博論」という記事が寄せられたことがある(同年春号掲載)。

誌上論争というものはテーマが鮮明となり、読者に論点を提示するという意味で大歓迎であるから、わたしは田所氏に当該の批判記事原稿をメール送信したうえで、掲載の了解と反論原稿のお願いをして諒解を得た。※小波氏の批判は雑誌を参照されたい。

しかしながら、現在にいたるも田所氏からの反批判は本誌編集部にとどいていない。小波氏が云う「雑駁なエピソードの羅列」「脈絡もなく結んで」「本誌の特集テーマである『壊れゆく大学』の分析や批判になっているのだろうか」。あるいは「『こういう教員がいるからこの大学はおかしい』というのは、大学というものを知らない人のすることである」などという批判はどうでもいい。問題なのは、ほかならぬ山本太郎の「トリックにまんまと引っかかっている」(小波氏)という批判である。

山本太郎が云う甲状腺がん1000人(福島県)は、小波氏によれば毎年200人の症例から異常な数字(5年間の累計)ではないという。これは過剰医療か原発被害かという論点で、国会でも取り上げられてきた。読者は知りたがっているに違いない。

「事実の検証もせずに他人に拡散させてしまうというのは、SNSでも常に見られるやっかいな行動」とまでこき下ろされているのだから、反証せずばなるまいと思う。ここで山本太郎の言辞がソースという小波氏の指摘を引用して、本欄の論点を混乱させる意図はない。けれども、これこそ記述には論証が必要という一例である。

そのいっぽうで、田所氏はせっかくみずから引いた引用(論証)について、自分のものではないと強調する。

「まず《田所さんは「左翼」をこう定義するという》と横山さんは勘違いしておられるが、わたしは自分の定義ではなく、一般的な理解に近いものとして「Wikipedia」からその定義を引用していると明示している。左翼の定義はわたしの定義ではない点はまずご確認いただきたい。」

ウィキからの引用であれ何であれ、定義のために引用論証されたのだから何の問題もないし、強いて言えばウィキに書いたのが誰かわからないのでカッコ悪いというほどのものだ(文責のない引用は、学術論文では認められない)。しかしこのような引用で論証することこそ、論文作法の基本なのであると評価しておこう。

◆天皇制を廃絶するロードマップを

田所さんは最後にこう述べておられる。

「『絶望』は横山さんが意味するような『あきらめ』ではない。『絶望』が深ければ深いほど、光明への渇望もまた強くなるのであり、わたしは強くなるのであり、わたしは『なにもかもあきらめようあきらめよう』などと主張しているのではまったくない。逆だ。」かなり観念的で抽象的だが、その意気やよし。

しかし、田所さんが「『皇室の民主化』が横山さんによる『賭け』の持ち札と想像されるが、わたしには見当違いとしか思えない。」というのであれば、具体的に天皇制を廃絶するロードマップを示す必要がある。日本の「左翼」がそれを持っていないことはすでに述べた。

田所さんは前の反批判で「田原総一朗の『対案を示せ』と同じだ」と反論されたが、対案をもとめるのは何も田原さんの専売特許ではない。論争には立論(論理構成)のための道筋、すなわち解決のための論拠をしめす必要があるのだ。田所敏夫さんのさらなる研鑽に期待したい。

[関連記事]
◎田所敏夫-私の山本太郎観──優れた能力を有するからこそ、山本太郎は「独裁」と紙一重の危険性を孕んでいる政治家である
◎横山茂彦-ポピュリズムの必要 ── 政治家・山本太郎をめぐって
◎田所敏夫-政治家・山本太郎に危険性を感じる理由を再び──横山茂彦さんの反論への反論
◎横山茂彦-天皇制(皇室と政治の結合)は如何にして終わらせられるか
◎田所敏夫-天皇制はそんなに甘いもんじゃないですよ── 横山茂彦さんの天皇制論との差異
◎横山茂彦-「左翼」であるか否かは、政治家・山本太郎への評価の基準にならない ── 田所さんの反論に応える
◎田所敏夫-山本太郎と天皇制をめぐる1月27日付横山さん論考に反論する〈前編〉
◎田所敏夫-山本太郎と天皇制をめぐる1月27日付横山さん論考に反論する〈後編〉

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

「東京2020オリンピック聖火リレーふくしま実行委員会」の議事録はほぼ全面黒塗り! 徹底した秘密主義下で進められる福島の聖火リレー 民の声新聞 鈴木博喜

「ご質問頂きました聖火リレーについてですが、ルート選定などの会議は全国統一でメディア非公開で行われております。決定までの経過などに関しましては、秘匿情報もございますし、違う形で情報が公開されてしまいますと、混乱のもととなります為に、決定事項のみメディアの皆さまへは発表させていただいております」

民の声新聞2月10日号(徹底した〝秘密主義〟のベールに包まれる聖火リレー。「ふくしま実行委」の議事録ほぼ全面黒塗り。背景に組織委の意向)の執筆にあたり、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の戦略広報課に質問をメールで送っていたが、その回答がようやく届いた。冒頭の文章が組織委からの回答だ。

 

だが、筆者が質問していたのは次の2点だった。

「福島県に聖火リレーのルート選定などに関して取材したところ、『大会が終了するまでは会議の内容や出された意見など一切公表しないよう組織委員会からお願いされている』 との事でした。これは事実でしょうか。また、実際にそのような依頼をされているとしたら、その理由は何でしょうか?」

その意味で、組織委員会は全く質問に答えていない。そもそも「秘匿情報」とは何を指しているのか、「混乱のもととなる」と言うが、どのような「混乱」を想定しているのか。全く分からない。

きっかけは、1月23日付での公文書開示請求だった。

福島県は2018年8月から今年1月までに計8回、「東京2020オリンピック聖火リレーふくしま実行委員会」(以下、実行委)を開いているが、その議事録はホームページなどで広く県民には公開されていない。そもそも議事録が存在するのか否かさえ分からない。そこで情報公開制度を利用して議事録の開示を求めたところ、ほぼ全面的に黒塗りされた状態で開示されたのだった。

別紙で示された「開示しない理由」には、

①「東京2020オリンピック聖火リレーの県内実施詳細等の審議、検討又は協議に関する情報であって、検討段階の情報を開示することにより、率直な意見交換若しくは意思決定の中立性が損なわれるおそれ、又は、不当に県民等に誤解や混乱を与えるおそれがあるため」、

②「県の機関、国及び他の地方公共団体等が行う事務又は事業に関する情報であって、当該事務又は事業の性質上、開示することにより、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため」と記されていた。

わずかに開示された部分からは、各委員にはメモや資料持ち帰りまでも禁じている事が分かる。聖火リレーの準備は徹底した〝秘密主義〟で進められていたのだった。

実は開示請求をした直後、福島県オリンピック・パラリンピック推進室(以下、推進室)の担当職員から筆者あてに電話があった。

「組織委員会の意向に従い、委員の発言はほぼ黒塗りで開示する事になりますが、それでも良いですか? 他からの開示請求でも同じ対応をしています。どうしますか? 請求を取り下げますか?」

もちろん、各委員の発言を伏せられるのは承服出来ないが、かといって取り下げる理由にもならないので改めて開示を請求した。県の担当者は、電話越しに「では、開示する事になると思いますが、大部分が黒塗りになりますので、何卒ご理解ください」と念押しした。そして、開示された83枚にわたる議事録は、〝予告〟通りに真っ黒だったというわけだ。

そもそもなぜ、聖火リレーのルートやランナーについて話し合う会議での発言が隠されなければならないのか。取材に応じた推進室の佐藤隆広室長はこう答えた。

「文書は特にいただいておりませんが、組織委が全国の都道府県に対して議論の過程は公表しないよう『お願い』していると聞いています。その『お願い』にどこまでの強制力があるかについては各都道府県の受け止め方にもよると思いますが、全国統一で組織委がそのような『お願い』をしている以上、それに沿った対応をしようという事です」

福島県は、〝復興五輪〟や聖火リレーを起爆剤として、国内外に「原発事故から立ち直った福島の姿」を発信したい考えだ。内堀雅雄知事は、事あるごとに「福島県の『光』と『影』の両方を正確に発信したい」と口にしているが、実際にはスポーツの祭典は「光」ばかりの発信に使われる。

 
福島県の市町村

公表された聖火リレーのルートからは、フレコンバッグの山や家屋解体でさら地が増えている様子などは伝わらない。浪江町に至っては、町民の帰還や生活と何ら結びつかない「水素工場」や「ロボットテストフィールド」がルートに選ばれた。また、著名人を対象とした「PRランナー」にはTOKIOやしずちゃん、大林素子など6人1組が選ばれたが、誰が、どの立場で彼らを提案し、それに対してどのような意見が出されたのか、他に候補者はいたのかなど、全く県民には知らされないまま結果だけが伝えられる。原発事故はもはや過去の話にされるのだ。

推進室の佐藤室長は、議事録は行政文書にあたると認めている。それであれば公開の是非は県の判断で決められるべきだ。だが、実際には公益法人であるところの組織委の意向が大きく影響している。これは、公文書開示の点からも問題があるのではないか。

組織委は全国統一での「非公開」だけは認めた。しかし、なぜ議論の過程を明らかにしないのかについては曖昧なままだ。五輪に乗じた〝復興推進〟の陰で、救済されずに泣いている人が存在する事など隠され、消されていく。原発事故の被害者たちは「オリンピックで何もかも終わった事にされてしまう」と言い続けて来たが、まさにそれを象徴するような議事録の黒塗り。徹底した〝秘密主義〟の下で都合の悪い事は黒く塗られていく。原発事故被害者の存在も。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

2020年は老舗逆襲の年となる! MAGNUM.52

◆老舗逆襲の年!

「老舗のキック初め」というタイトルが付いた2月に入っての新春興行。次の時代を担うタイトルマッチが二つと、今後のメインイベンター争いとなるチャンピオンクラスが主要カードを占めた。

大晦日、那須川天心に敗れた江幡塁、その業界への衝撃大きく、老舗の逆襲が始まる。

◎MAGNUM.52 / 2020年2月2日(日)後楽園ホール17:00~20:16
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会、WKBA

◆第11試合 63.6kg 契約 ノンタイトル5回戦

唯一の勝次の攻勢、飛びヒザ蹴りヒット、チャンスだった

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(=高橋勝治/藤本/62.35kg)
    VS
ロンペット・Y’ZD GYM(タイ/62.2kg)
勝者:ロンペット / 判定0-3 / 主審:少白竜
副審:椎名45-50. 仲45-50. 宮沢45-50
1R10-10.
2R 9-10.
3R 9-10.
4R 9-10.
5R 8-10
三者とも同様採点45-50.

初回からロンペットの左ハイキックが強烈に勝次を襲う。勝次は第2ラウンドの飛びヒザ蹴りが一発だけロンペットの顔面にかすったか、一瞬後退したロンペットだが、倍返しの左ハイキックが威力を増していき、勝次がガードする腕の上からでも構わず蹴り込み、脳にも響くヒットを続けた。

ロンペットの左ミドル、ハイキックは強烈に何度も勝次を襲った

勝次の度重なる飛びヒザ蹴りは読まれてしまい、クリーンヒットには至らず。勝次は劣勢続く中、第4ラウンド終了間際にはコーナーに詰まったところでロンペットの右ヒジ打ちを貰って左瞼を切られてしまう。

ブロックの上からでも蹴り込むロンペット

勝次は最終ラウンドも逆転を狙って打ち合いに出ていくと左フックをカウンターされ、踏ん張り利かずフラフラとマットにヒザを付きノックダウンとなってしまった。逆転の可能性はほぼ無くなっても、一発でも当てたい闘志むき出しで出ていく勝次だったが力及ばず。

ロンペットの左ハイキックが勝次にビンタする
ロンペットの左ボディーブロー、勝次は押されっぱなし
左の蹴りは威力ある重森陽太

◆第10試合 62.5kg契約 ノンタイトル3回戦

WKBA世界ライト級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/62.45kg)
    VS
デッパノム・チューワッタナ(元・ラジャダムナン・スーパーバンタム級C/タイ/62.25kg)
勝者:重森陽太 / TKO 3R 2:19 / 主審:桜井一秀

重森が小学2年生の頃からタイで指導を受けていたという恩師が今回の対戦相手。「テクニシャンでとてもやり難かったが、恩師だからと言って遠慮が出るといった意識は無かった」と言う重森陽太。

手口を読まれ、なかなか攻め難い展開で手数も少なかったが、しなりあるハイキックの威力を見せつけ、左ボディーブロー2連発は、この2発目がタイミング強く効いたであろう見事なノックダウンとなり、カウント中にレフェリーがストップを掛けた。重森は恩師に大きく成長した姿を見せた結果となった。

恩師デッパノムに力強く立ち向かう重森陽太

◆第9試合 WKBA JAPAN(日本)スーパーフライ級王座決定戦 5回戦

WKBA JAPANの幕開けは日畑達也が最初のチャンピオンへ

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.1kg)
    VS
J-NETWORKバンタム級1位.日畑達也(FKD/51.8kg)
勝者:日畑達也 / KO 1R 2:53 / 主審:椎名利一

泰史があっけなかった。九州を拠点とするKOS(King of Strikers)スーパーフライ級チャンピオンの日畑達也。地方でも実力は高い証明を残した。

開始の様子見けん制の蹴りとパンチの交錯から、日畑がコンビネーションブローの左ストレートで泰史がノックダウンを喫する。

更にコーナーに追い込んで顔面へ左ストレートを打ち込むと泰史はコーナーにもたれ掛かったまま立ち上がれず、2ノックダウン目でテンカウントを聞いてしまった。日畑は新設王座の初代チャンピオンとなる。

日畑達也がハイキックで徐々に泰史を追い詰める
日畑達也がサウスポーからの左ストレートが勝負を決めた
日畑達也が左ストレートで2度目のノックダウンを奪う

◆第8試合 日本フェザー級王座決定戦(新日本制定) 5回戦

1位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.85kg)
    VS
2位.平塚一郎(トーエル/57.05kg)
勝者:瀬戸口勝也 / TKO 3R 0:57 / 主審:宮沢誠
瀬戸口勝也が第11代日本フェザー級チャンピオン

やっぱり出てきた瀬戸口の強打。平塚が距離をとって蹴りで主導権を握れるか見所だったが、次第に瀬戸口が距離を詰めながら強打のタイミングを図っていく。

第2ラウンドに平塚を掴まえた瀬戸口は、連打から右ストレートでノックダウンを奪うが、平塚は強打を振るう瀬戸口をなんとか凌いで第3ラウンドに繋ぐ。勢い止まらぬ瀬戸口は猛攻を続け、平塚を2度ノックダウンを奪いレフェリーがノーカウントのストップを掛けた。

「鹿児島の地方公務員でもチャンピオンになれる姿を見せたい」と語っていた瀬戸口は先ずその第一歩目のベルトを巻くことに成功した。

瀬戸口勝也の強打炸裂
瀬戸口の強打を浴び続けてしまった平塚一郎
瀬戸口の強打でついに力尽きた平塚一郎、レフェリーが止めた

◆第7試合 55.5kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本/55.1kg)
    VS
NJKFスーパーバンタム級チャンピオン.久保田雄太(新興ムエタイ/55.5kg)
勝者:HIROYUKI / 判定3-0 / 主審:仲利光
副審:少白竜30-28. 桜井30-28. 宮沢30-28

技にゆとりがあったHIROYUKI。先手を打つ蹴りや、久保田の蹴り足を取って大きく押し飛ばすような崩し、軸足を蹴って転ばす崩し、一つ一つの技が鮮やか。

久保田も懸命に蹴り返し、HIROYUKIの脇腹を赤く腫れさせる意地を見せるが一発で終わり連打が少ない。試合の流れはHIROYUKIが安定したペースで勝利を掴んだ。

横須賀太賀ジムからのチャンピオン誕生は初か?

◆第6試合 61.5kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.髙橋亨汰(伊原/61.4kg)vsウ・スンボム(韓国/61.1kg)
勝者:髙橋亨汰 / KO 2R 1:30 / 主審:椎名利一

突進力あるスンボムに冷静に立ち向かった髙橋。第2ラウンドに髙橋がヒザ蹴りでノックダウンを奪い、更にパンチ連打でこのラウンド3度のノックダウンを奪って快勝。

◆第5試合 67.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原/66.75kg)
    VS
チェ・ジェウク(韓国/66.35kg)
勝者:リカルド・ブラボ / TKO 2R 1:16 / 主審:宮沢誠

ジェウクの突進力は厄介で我武者羅に打って出て来て接近戦になりがちな中、リカルドはヒジ打ちやヒザ蹴りを上手く使いジェウクの左頬をカットする。

最後はスリップ気味に倒れ込んだジェウクの顔面に蹴り込んだリカルド。やや効いた様子があったが反則裁定とはらず、それまでに左頬の傷の悪化がありドクターチェックの末、レフェリーストップとなった。

◆第4試合 57.5kg契約3回戦

日本フェザー級3位.瀬川琉(伊原稲城/57.35kg)vs田中銀次(Next零/57.2kg)
勝者:瀬川琉 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-27. 宮沢30-28. 仲30-28

◆第3試合 57.0kg契約3回戦

日本フェザー級7位.仁硫丸(富山ウルブズスクワッド/56.95kg)vsヨ・ソンミン(韓国/56.65kg)
勝者:仁硫丸 / KO 2R 1:17 / 3ノックダウン / 主審:桜井一秀

◆第2試合 59.0kg契約3回戦

甲斐康介(伊原/59.15→59.05→59.0kg)vs角☆チョンボン(CRAZY WOLF/58.75kg)
勝者:角☆チョンボン / 判定0-3 (28-30. 28-30. 29-30)

◆第1試合 女子48.0kg契約3回戦(2分制)

ラム(伊原/47.4kg)vs徳里鈴里奈(沖縄RIOT/47.4kg)
勝者:徳里鈴里奈 / 判定0-3 (28-30. 27-30. 28-30)

《取材戦記》

江幡ツインズが出場しない伊原プロモーション興行は珍しい。新日本キックボクシング協会は、昨年上半期の分裂脱退騒動の後、10月の江幡睦の4度目のラジャダムナン王座挑戦は引分けで奪取成らず、大晦日には那須川天心に完敗した江幡塁。ここでリフレッシュのインターバルに入ったかツインズ。

カラカルの鋭い顔つきがベルトに起用

そんな転換期にある新日本キックは、今年からWKBA JAPANの発足。そして勝次のメインイベント起用。WKBA世界王座に君臨する勝次、重森陽太、緑川創は今年のメインイベンターとなっていく可能性は高い。

新しく出来上がったWKBA JAPANのチャンピオンベルト。描かれたデザインはカラカルという、ネコ科カラカル属のネコの仲間で跳躍力があり、蹴る力が強いという。その強さを肖ってデザインに起用。両脇には現役時代の伊原信一氏がロッキー藤丸戦で見せた顔面を捉えるハイキックと、もう一方には沢村忠氏のハイキックが描かれている。

WKBA JAPANのチャンピオンベルトが披露された
チャンピオンベルトとカラカルの関連を披露
痛々しい右腕と左瞼、リベンジへ動き出す勝次

WKBA JAPANタイトルは、日本キックボクシング界どこの団体でもフリーでも有資格者と認められれば挑戦可能な門戸を開いた広域タイトルで、新日本キックボクシング協会で制定されている日本タイトルは従来どおり、この団体に加盟するジム所属の選手で争われるタイトルです。元々はこちらが老舗を継承し、日本を代表するべきタイトルという位置付けでしたが、多団体化とタイトル乱立する中ではその存在感も薄れがちで、改めてWKBA傘下となる上位王座を作った形でしょう。また新たなタイトルが出来たことで賛否はあるところ、活気あるタイトルとなるよう願いたい。

勝次と対戦したロンペットは沖縄のY’ZD豊見城ジムのトレーナーを務めるタイ選手で、かなりの実力者という関係者の話。勝次のガードを吹っ飛ばすような、腕を折るかのような蹴りが何度も襲ったことにはムエタイの凄さを改めて見せつけられた試合だった。昭和の終わり頃のムエタイボクサーも伝説となる名選手が大勢居たものである。

勝次のこんな完敗でもその現実を見せる試合は、より日本選手の巻き返しが面白くなるでしょう。

新日本キックボクシング協会の次回興行は、3月8日(日)後楽園ホールに於いて、REBELSとの合同興行、TITANS×REBELS 1stが開催。

勝次出場予定の他、HIROYUKI(藤本)vs岩波悠弥(橋本)、小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)vs壱センチャイジム、宮元啓介(橋本)vs鈴木寛太(ONE’S GOAL)、内田雅之(藤本)vs羅向(ZERO)戦が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!