《飯塚事件発生30年》冤罪処刑の責任者たちを直撃〈2〉裁判官編 片岡 健

1992年2月20日、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」は、犯人として処刑された男性・久間三千年さん(享年70)に冤罪の疑いがあることで有名だ。久間氏は一貫して容疑を否認していたうえ、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定が実は当時技術的に稚拙だったことが発覚したためだ。

私は2016年に編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社・2021年に内容を改訂した電子書籍も上梓)を上梓した際、この事件の捜査や裁判に関わった責任者たちを特定し、この事件にどんな思いや考えを抱いているかを直撃取材したことがある。事件から30年になる今、同書に収録された責任者たちの声を改めて紹介したい。

第2回は裁判官編(所属・肩書は取材当時)。

◆確定死刑判決を宣告した裁判官は強固な姿勢で取材拒否

一貫して無実を訴えた久間氏に対し、裁判の第一審で死刑判決を宣告したのは福岡地裁の陶山博生裁判長だ。この死刑判決を控訴審で福岡高裁の小出錞一裁判長、上告審で最高裁の滝井繁男裁判長が追認し、久間氏の死刑は確定した。この3人の裁判長のうち、滝井氏は2015年2月に78歳で死去しており、残る2人に取材を申し入れた。

陶山氏は2013年3月、福岡高裁の部総括判事を最後に依願退職し、現在は福岡市を拠点に弁護士をしている。

私は以前、本書とは別の仕事で陶山氏に取材を申し入れたことがあり、その時は電話で取材を断られたため、氏が所属する羽田野総合法律事務所の入ったビルの前まで訪ねて再度取材依頼したのだが、「全然お話するつもりはありません」「黙秘です」「急ぎますので」などと頑なに拒否された。

そして今回、改めて取材依頼の手紙を出したうえ、返事を聞くために事務所に電話したのだが、陶山氏は電話にも出てくれなかった。取材拒否の姿勢がいっそう強固になった印象だった。

福岡高裁・地裁の旧庁舎。ここで久間氏は死刑判決を宣告された

◆控訴審の裁判官からは丁重に取材を断る手紙が届いたが……

一方、控訴審の裁判長だった小出氏は2006年2月に名古屋高裁の部総括判事を最後に依願退官。その後は2012年まで専修大学法学部で教授を務め、取材当時は大学生らに奨学金の給与などを行う中山報恩会という公益財団法人で選考委員に名を連ねていた。

手紙で取材を申し入れたところ、小出氏から以下のような返事があった。

〈お手紙の転送を受け、拝見いたしました。ご丁重なお手紙をありがとうございました。

担当した事件については、すべて、立場上、 取材をお受けすることはできないと考えております。これまで、担当した少なからぬ事件について、新聞社、放送局の記者、そのほかのジャーナリストの方々からこのような申し込みをいただいたことがありますが、趣旨如何にかかわらず、すべてお断りして参りました。担当しない事件などについてのコメントを退官後求められることも少なくありませんでしたが、小生としてはこれもすべてお断りしてきております。

そのようなわけで、取材のご希望は一切お受けすることはできませんので、今後はご放念いただきたく、よろしくお願しい申し上げます。

末筆ながら、今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。〉

誠実さを感じさせる文面だが、実を言うと、小出氏は名古屋高裁の裁判長だった2005年、世間の多くの人が冤罪と信じる名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚に対し、再審を開始する決定を出した裁判でもある(この再審開始決定は検察官の異議申し立てをうけ、同高裁の門野博裁判長に取り消された)。そのため、冤罪問題に詳しい人たちの間でも小出氏の評判は決して悪くない。

そんな裁判長でも飯塚事件のような酷い死刑判決を追認してしまうところに、事実を見きわめる難しさが示されている。(つづく)

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

貧困や政治の問題を赤裸々に描く ストリーミングサービス『Netflix』のドラマたち 小林蓮実

広告を挟めば無料から楽しめる『YouTube』、テレビ的に観ることが可能な『AbemaTV』など、インターネット上で鑑賞できる動画には多種存在する。筆者もTV自体はかなり昔に処分して以来、持っていないが、映画、報道、K-POPや韓流ドラマ、DIYを扱ったものなど、さまざまに楽しんでいる。

そのようななか、断続的に利用しているのが『Netflix(ネットフリックス)』だ。今回、最近、話題の2作品について触れてみたい。

◆貧困の問題にまっすぐに向き合ったヒリヒリするような人間ドラマ『イカゲーム』

まず、2021年9月より配信されている、韓国発「サバイバルドラマ」が『イカゲーム(오징어 게임)』。多重債務者や貧困にあえぐ456人が人生を逆転するため、命がけでだるまさんが転んだや型抜き、綱引きや綱渡り、ビー玉や飛び石といった子どもの遊びがモチーフとなっているゲームに参加する。最後まで勝ち残った1人には456億ウォンの賞金が支払われるが、1つひとつのゲームに負ければその場で死ぬことになるのだ。


◎[参考動画]『イカゲーム』予告編 – Netflix

監督・演出・脚本はファン・ドンヒョク。出演はイ・ジョンジェ、パク・ヘス、ウィ・ハジュン、カン・セビョクほか。複数の媒体で監督は背景を説明しているようだが、エンタメ業界紙『The Hollywood Reporter(THR)』の記事(https://hollywoodreporter.jp/interviews/1234/)を引用しておく。「脚本を手に資金集めをしていた時に、全く上手くいかず、漫画喫茶でひたすら過ごしている時期がありあました。そこで、『LIAR GAME』『賭博黙示録カイジ』『バトル・ロワイアル』などのサバイバル系のものや、自分自身も経済的に困窮していた為、借金を抱える主人公が生死を賭けた戦いに挑む様な作品に夢中になりました。本当にそんなゲームがあれば絶対参加して、今の状況から抜け出して大金を手にしたいと考えて没頭していたんです。そんな時にふと思ったんです。『監督なんだからそんな映画を作ってしまえばいいんじゃないか』と」。本作が全世界で公開されると、11月、94か国でランキング1位を獲得。シーズン2の制作も明らかになっている。

わたしが感じたことは、貧困の問題に対し、ある種まっすぐに向き合っているということだ。国内でもおそらく韓国でも、差別的な視線やバッシングはあるだろう。しかし本作では、きれいごとではすまされない現状と、そのいっぽうで人間性や1人ひとりの人間ドラマが描かれている。グロ映像が苦手な人には向かないが、10?20年前くらいには国内でもこのようなヒリヒリするドラマ映画が多数あり、個人的によく観ていた。このような作品が世界で鑑賞されたのは、やはり格差が拡大し、正直者がバカをみるような世界となり、資本主義の限界が露呈し始めたからではないかと考えている。ちなみに、脱北者の女性も登場し、ゲームのなかで特殊な友情を育む。思い入れが強くなった登場人物がゲームに負けたりして命を落とすシーンでは、涙も流してしまうだろう。

◆意味が深い作品だからこそ真摯に対応して手本を示してほしい『新聞記者』の問題

次に注目されたのが、『新聞記者』。19年公開の映画も話題になったが、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者による同名の著作(角川書店)を原案に、財務省の公文書改ざん事件をモチーフにした社会派ドラマだ。Netflixでシリーズ化され、映画と同様に藤井道人(なおひと)監督が手がけ、やはり全世界で配信された。キャスティングがなかなか絶妙で、米倉涼子さん、綾野剛さん、吉岡秀隆さん、寺島しのぶさん、吹越満さん、田口トモロヲさん、大倉孝二さん、萩原聖人さん、ユースケ・サンタマリアさん、佐野史郎さんなどが名を連ねる。


◎[参考動画]『新聞記者』 予告編 – Netflix

1月18日に『日刊ゲンダイ』(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300079)は、「Netflix『新聞記者』海外でも高評価 現実と同じ不祥事描写に安倍夫妻“真っ青”』と題し、「海外でも上位に食い込み、香港と台湾の『今日の~』で9位にランクイン(17日時点)。英紙ガーディアンはレビューに星5つ中3つを付け、〈日本が国民の無関心によって不正の沼にはまろうとしつつある国だと示している〉と評価した」と記す。実際に、安倍夫妻が真っ青になったという事実をつかんだという話ではないようだが。

しかし、1月26日付の『文春オンライン』(https://bunshun.jp/articles/-/51663)によれば、プロデューサーの河村光庸氏が2021年末、森友事件の遺族に謝罪していたことが『週刊文春』の記事によって判明。「公文書改ざんを強いられた末に自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんと面会し、謝罪していた」という。また、「赤木俊夫さんを診ていた精神科医に責任があるかのような河村氏の物言いなど、いくつかの点に不信感を抱いた赤木さんは“財務省に散々真実を歪められてきたのに、また真実を歪められかねない”と協力を拒否」とのことだ。さらに、「2020年8月以降、一方的に話し合いを打ち切り、翌年の配信直前になって急に連絡してきた河村氏に、赤木さんは不信感を強め、こう語ったという。『夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、今、あの時と同じ気持ちです。ドラマ版のあらすじを見たら私たちの現実そのままじゃないですか。だいたい最初は望月さんの紹介でお会いしたのだから、すべてのきっかけは彼女です。なぜ彼女はこの場に来ないのですか』 河村氏はこう返すのが精一杯だった。『望月さんには何度も同席するよう頼んだんですが、「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」と』」とも記されている。

そのうえ、遺族から借りた遺書を含む資料を返していないという疑惑も持ち上がった。このような状況に対し、『はてなブックマーク』には、「メディアにとって仮パクは当然のことよ。得ダネ関係は他所に資料が渡らないように積極的に仮パクするよ。俺も業界関係の取材受けたとき渡した資料未だに戻ってこないから 探してると返答あってからもう6年経つ」というような反応も寄せられた。

2月8日、望月衣塑子記者はTwitterで、「週刊誌報道について取材でお借りした資料は全て返却しており、週刊誌にも会社からその旨回答しています。遺書は元々お借りしていません。1年半前の週刊誌報道後、本件は会社対応となり、取材は別の記者が担当しています。ドラマの内容には関与していません。」とつぶやいた。しかし、これに対しても、「文春報道から2週間かけてこの回答。借用書がなかったのなら「返したことにするしかない」と決めたとしか思えないね。あれだけ森友に粘着してて、それで押し切るんだな。東京新聞も含め。」というようなコメントが人気を集めていた。

私は取材・執筆をする側が、勇気をふるって行動する被害者を応援しないどころか邪魔をするようなことをおこなうことは誤りだと考えている。新聞などの報道の現場に携わるわけでもないため、批判でなく支援になればとの思いがある場合、原稿内容が妨げとならないか、力となるかを確認してもらっている。そのうえで、問題提起として強い個所が削除になったり、わかりづらい内容になったとしても、当事者の思いを優先するよう心がけているつもりだ。

個人的には、望月記者を信じたい気持ちもある。また、ドラマだからこそ、わかりやすく、広く問題が伝わるという面ももちろんあるだろう。エンターテインメントの力というものも信じている。だが、本作はフィクションであるとうたってはいても、明らかに事実をとりあげているのだ。そして、会社の意向、ドラマ化に携わる側の意向、金のからみなどによって、真実がゆがめられることはよくある。私自身も取材を受け、意をくみ取ってくれて感心したこともあったが、おもしろおかしくされて怒りに震え、びっしりと赤字を入れて原稿を戻したこともある。

いずれにせよ、事実を正直に公開し、関係者は遺族に対して心からの謝罪をしたうえで今後の対応に関する希望を聞き、疑惑を残さずに、この問題を解決してほしい。東京新聞のことも監督のことも信じたい。問題を追及する側だからこそ、真摯に対応し、手本を示してほしいのだ。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年2月号に「北海道新幹線延伸に伴う掘削土 生活も水も汚染する有害重金属」、3月号に「北海道新幹線トンネル有害残土問題 汚染される北斗の自然・水・生活」寄稿。読者のリクエストに応じ、札幌まで足を伸ばしたものなので、ご一読いただけたらうれしい。全国の環境破壊や地域搾取について調べ続けていると、共通の仕組がわかってくる。

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連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈6〉なぜ暴力が用いられたのか? 横山茂彦

◆共産主義化とは何か?

森恒夫によれば、各自の革命運動へのかかわりを問い質し、みずからの活動の総括(反省)をもとめる。その「総括」を達成することで、銃と高次な結合(共産主義化)が果たせるのだという。

これが、連合赤軍の指導者森恒夫の「共産主義化論」である。もともと赤軍派は、組織的に「相互批判・自己批判」を行なってこなかった。

この「相互批判・自己批判」は、中国共産党が延安への「長征中」に行なった、整風運動の方法である。お互いに批判し合い、自己批判することで政治的態度を改める。それを通じて党員の思想傾向を改め、党風を整頓する。いわば党内の思想闘争である。

 
『情況』2022年1月号

この思想闘争はもともと、赤軍派にはないものだった。思想闘争にもとづいた、精緻な組織活動。その違いは、両派が遭遇した「同志の処刑」で露呈したものだ。

革命左派が呻吟ののちに「処刑」を実行したのに対して、赤軍派は曖昧なまま実行できない組織だったのである。

植垣康博はその違いを「真面目な革命左派にたいして、われわれはいい加減だった。その違いだった」と語っている(『情況』2022年1月発売号)。

だからこそ、森は「革命左派は進んでいる」と感じたのだ。そして森は、革命左派の「進んでいる部分」を巧みに摂取する。

森はこう記している。

「赤軍派に於て69年の闘争時から中央軍兵士のプロレタリア化(共産主義化=引用者注)の課題が叫ばれ、大菩薩闘争の総括では『革命戦士の共産主義化』が中心軸として出されてはいたが、その方法は確立されていなかった。私は革命左派の諸君が自然発生的にであれ確立してきた相互批判・自己批判の討論のあり方こそがそうした共産主義化の方法ではないかと考えた」(逮捕後の「自己批判書」)。

ところで、森の理論的な卓抜さに対抗できる指導者は、革命左派にはいなかった。

その結果、森の「共産主義化」の理論をそのまま受け容れることになるのだ。森は革命左派の組織内の相互批判を、上記の「共産主義化のための総括」に適用したのだった。
そこまでならば、山岳ベースで大量の死者が出ることはなかった。

いかに過酷な相互批判・自己批判であっても、討論をしているだけで人が死ぬことはない。同志たちが死んだのは、総括の「援助」として殴ったからなのである。食事を与えず縛り上げ、死ぬほど殴ったから死んだのだ。極寒の中で放置されたからこそ、かれら彼女らは死んだのである。

◆森の総括体験

その暴力は、どこからやって来たのだろうか。この連載の前回で、連合赤軍の「処刑」がどこから発想されたのは、いまも流布している「連合赤軍服務規律」(ニセ文書)を参考にしたのではないか、という公安当局の推測を批判してきた。それが共産主義政党の綱領的な部分に抵触するがゆえに、政治的な「服務規律」足りえないことも明らかにした。したがって、「処刑」は規約によるものではない。だがまぎれもなく、連合赤軍は「処刑」を実行したのだ。当初の「敗北死(総括をしきれずに、敗北することで死んだ)」から始まり、12名の同志が殺されたのである。

その「暴力的な総括支援」の思いつきは、じつは森恒夫の高校時代の体験にあった。高校時代の森恒夫は、剣道部の主将だったのだ。かれは剣道の稽古のさなか、転倒して後頭部を打ったことがある。脳震盪で意識をうしない、その後覚醒して「生まれ変わった気分だった」という。

剣道協会によれば、つばぜり合いのときに後ろ頭から倒れて脳震盪を起こす事故があるという。それを避けるために、倒れるときは腰を落として倒れるのが、事故防止のためには良いとされている。森はこの脳震盪を体験したのである。読者諸賢はいかがであろう、脳震盪の「意識喪失」の体験はありますか? 

ボクシングでダウンするのは、グローブでの打撃が脳を揺さぶり、脳震盪を起こすからだ。ラグビーもタックルで何度か、頭からぶつかるうちに脳震盪を起こす。かつては「魔法のヤカン」で頭に水を垂らすと、倒れていた選手が蘇生するシーンを見たものだ。あれはしかし、きわめて危険である。脳震盪をくり返すうちに、それがパーキンソー病の因子になる。

ともあれ、森恒夫は高校剣道部時代の体験から、気絶する(脳震盪を起こす)ことで、人間が生まれ変わると信じていたのだ。永田もそれを信じていた(『あさま山荘1972』坂口弘)。

◆「同志」を殺した戦後教育の体罰

じつは森恒夫をして、気絶させて蘇生させる「総括援助=体罰」は、戦後教育の遺産なのである。けっして戦前のものではない、戦後民主主義教育の体罰なのだ。

現在、60歳以上の男性なら記憶にあるはずだ。教室で早弁(お弁当を早めに食べる)しては、教師から往復ビンタを喰らい、野球部の部活では「ケツバット」の罰をお見舞いされた。昭和50年代までの日本では、体罰はふつうに行なわれていたのだ。

家庭でも同じだった。戦争(軍隊)を生き残った父親はすこぶる厳しく、ことあるごとに息子を殴ったものだ。筆者も同年齢を前後する3歳ほどの同輩の証言で「親父を殺したいと思ったことがある」というのを聞いたことがある。ちなみに、小学生のわたしを殴った父親は、片耳が聴こえなかった。予科練で教官に殴られたときに、鼓膜を失ったのである。

もともと野球やラグビー、サッカーなどの「外来競技」は、きわめて民主的でスポーツマンシップにあふれたものだった。少なくとも、戦前のスポーツはリベラルアーツ(教養主義)を体現したものであって、体罰などとは無縁のものだったのだ。

ところが、近代の市民革命を経なかった日本の軍隊は、上からの暴力的な畏怖をもって、農民兵(当時の国民の大半)を統制する必要があった。スパルタ式という体罰教育も、じつは旧軍由来のものなのだ。

陸軍における内務班暴力(公認された私的制裁)、海軍における精神注入棒。最も先進的とされた海軍兵学校ですら、上級生による問答無用の鉄拳制裁が容認されていたのである。

こうした旧軍における暴力が徴兵された男たちに叩き込まれ、戦後になって日本全国に伝えられたのだ。

それは息子を鍛える父親の家庭における教育、部活動の指導者の暴力的な指導であり、教室内でも教師の暴力制裁は行なわれた。運動会における軍隊式の行進、スポ根アニメの流行、応援団のシゴキ(内部リンチ)、そしてその暴力は左翼運動にも持ち込まれていた。
森恒夫の体育会的な「総括援助」はまさに、戦後教育がもたらしたものだったのだ。殴って教える、殴って総括させる……。

この森の総括援助は過酷な厳しさを求め、やがて食事を与えずに縛りあげ、極寒の山中で同志たちを死に至らしめたのである。連合赤軍の「同志」たちは、左翼の共産主義理論ではなく、旧軍隊ゆらいの暴力によって殺されたのだ。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

あえて提言する 女性差別撤廃へ議員定数は増やせ! さとうしゅういち

筆者は、以前にもご紹介しましたが、2000年度-2010年度の県庁マン時代に主に広島県内山間部の介護や医療、福祉などの行政に従事した時代の経験から、男女・女男平等の政治を進めることの重要性を強く認識しました。当時、介護保険事業所の指導をさせていただき、現場のみなさまの専門性や使命感に心を打たました。一方で、皆さんの賃金台帳を拝見して、「若造の役人の俺より専門性が高い皆さんの賃金が低いなんてことで日本は大丈夫なのか?」という激しい危機感を覚えました。その後、自分なりに勉強していくうちに、公務労働の現場でも、専門性が高い職種で非正規公務員が多く、女性がおおいこと、女性の仕事ということで軽視されてきたということに危機感を覚えました。

その後、全国フェミニスト議員連盟に所属し、全国で男女・女男平等に敏感な主に女性の政治家の選挙応援などにも北は秋田から西は九州までかけつけたものです。2009年には韓国を訪問して、当時の韓国がすでに、男女平等施策で日本を追い越していることに舌をまきました。2011年1月末に県庁を退職して、金権選挙で有名なあの河井案里さんと4月に対決した選挙以降は、「介護や保育などのケア労働者の抜本的待遇改善」「DV性暴力被害者支援を韓国並に充実」「非正規の差別と使い捨てを許さない」などを公約してきました。

◆与野党とも消極的な男女平等施策

だが、これらの施策は、正直、自公はもちろん、野党(2009-2012は与党)でも本気では取り組んでいただけなかった。だからこそ、コロナ災害のもと、生活に困る人が続出したり、医療や介護や保育の現場が疲弊したりしているのではないでしょうか?

結局は、「東大・京大出身高級官僚男性」や「安倍晋三さんのような世襲」ばかりの自民党にも、「大手企業男性正社員中心の組合中心」(とくに参院選広島で顕著)の野党第一党にも、「本気度」は感じられなかったと断じざるをえません。付け加えれば、県議でトップ当選をしてこられた時代の、また参院選広島2019での河井案里さんは、こうした従来型の与野党政治家に失望した方々の受け皿になったのです。

 与野党とわずして、女性議員をふやすことの効果はあります。実際にわたしの公約「DV性暴力被害者支援ワンストップセンター」設立は、2012年に公明党の女性県議が取り上げてくださったことで、広島県でも実現しました。当時も、広島県議会に非自公系の県議はおらず、わたしとしても公明党の女性を頼みの綱とせざるを得なかったのです。

◆衆院選2021でも、「年配男性のえらい人」中心の政治の無限ループ続く

しかし、衆院選2021でも、与党は論外として、野党、とくに第一党もこの点は不熱心でした。「ジェンダー平等」という看板はどこへ。女性の割合は野党第一党の候補者の2割にも達しないありさまです。結局、女性議員率は1割を切り、サウジアラビアの半分以下という惨状です。

日本は間違いなく、与野党関係なく「年配男性のえらい人」中心の政治です。それが、女性の経済力や時間的余裕を低下させる。その結果、女性がなかなか立候補しにくい。できたとしてもいわゆる名誉男性が多くなる。その結果、女性を軽視する政策決定がつづく。この無限ループに日本は陥っています。

政治分野における男女共同参画推進法はこの間できました。政党が男女同数の候補を出すべきという規定もできましたが、あくまで努力規定であり、現実にはまったく機能していません。

◆衆院比例定数(176)を倍増して、増えた部分を女性に割り当て

写真は2009年に筆者が韓国・安養市議会を訪問取材したときのもの。男性ばかりだった同市議会も2006年に比例区を増設して女性議員が複数誕生した

こういう惨状を受けて、どうすればいいのか?ずばり、申し上げます。

衆院比例定数(176)を倍増して、増えた部分を女性に割り当てる。

具体的には、韓国で行っているように、各政党の名簿は女性をかならず奇数番目に割り当てるようにする。

小選挙区での惜敗率女性の1位、男性の1位、女性の2位とする。あるいは、比例単独候補を出すなら、かならず女性を1位とすることを想定しています。

また、都道府県議会、政令指定都市議会は選挙区に分かれて選挙をしています。これについては、韓国を見習って、比例区を増設するのです。そして、女性を比例の奇数番目にするよう各政党に義務つけるのです。なお、この都道府県や政令指定都市議会は中央の政党の枠組みと会派の枠組みが違う場合もあります。会派で比例名簿を提出することも可能にします。

◆女性議員増で長期には好循環も

こうすると小選挙区の289と比例区の352をあわせて641議席となります。そのうち、176は確実に女性の議席となる。小選挙区でも石原伸晃さんを倒した吉田はるみさんら、女性当選者はおられますから、女性議員率は最低でも、現状の3倍にはなる。最低でも、と申し上げるのは、女性に比例区の増分の半数が割り当てられることにより起きる小選挙区での投票行動の変化も考慮にいれれば、もっと増える可能性があるということです。女性候補が比例でも当選の可能性が高い、となれば、それこそ「男性のえらい人」にばかり頭を下げてきたような団体の中にも、対立候補の女性にも少し票を流そうという動きも出てくるからです。衆院選2021において接戦で女性候補者が当選をのがしたような小選挙区でも結果が変わる可能性があります。

女性議員比率が3割~5割にせまる情勢では、法律や予算の使い方も長期にはかわってくるでしょう。育児や介護に関する負担も減ればさらに女性が立候補しやすくなるのは間違いないでしょう。

目に見える成果もでてくると「わたしもやってみようかな」と手を上げる女性も出てくるでしょう。いまでも、当然、若手で政治家としての潜在的な力はお持ちの女性は多いのです。しかし、「起業でもしたほうが世の中を変えられそう」という方も多いように思えます。現に女性が政治にすくなすぎて、なかなか物事が変わらないような状況がある。そこで、政治以外で社会をかえたほうがいいと思われるのは、今の制度を前提とすれば、個人としては最適の行動かもしれません。責められるべきことでもありません。

◆直接的な「男性のえらい人打倒!」よりも議席増の方が抵抗は少ない

議席増なんてできるのか?とおっしゃる方もおられるでしょう。

しかし、そもそも、自民党の党利党略ではありますが、参議院の比例代表を48→50にふやし、各政党が特定枠を設定するようにした例があります。現行の定数のまま、いわゆるクオータ制を導入させようとしても、「年配男性のえらい人」の抵抗は間違いありません。選挙制度は国会の議決を通して変えるしかない以上は「年配男性のえらい人」の席を奪わない形で女性の席を大幅にふやすほうがやりやすいのではないでしょうか?

さらに言えば、「年配男性のえらい人を打倒して女性や若手に席を」という運動は、いまの若い人の反発も買う面があります。一低年齢以下の方はポストモダンな「ほめて育てる」教育、(小中高はともかく、大学では)「多様性を尊重する」教育を受けています。それと、そうはいってもまだ根強い日本古来のムラ社会の気風がハイブリッドしている感じもします。「誰それ議員を打倒!」と受け取られる運動は敬遠されるのは、筆者が街頭で訴えていても感じるところです。

この、「議席をふやして増分はすべて女性に割り当てる」という案は、現代若者の気風にもあいますし、「維新」以外からそう強い反対も起きない案ではないか?このように思えます。

◆日本の議員数は人口比で少なすぎる

日本の国会議員数は人口比ではすくなすぎます。いわゆる第一院の定数はフランスが577議席。ドイツが最低でも598議席(選挙結果で変動)。イギリスが650議席。いずれも、日本より人口が少ない国です。人口が日本の4割の韓国でも定数が300あります。

連邦制で大統領制、中央政府の権力が相対的に弱いアメリカはここでは参考とはなりません。日本より弱い中央政府の大統領を直接選挙で選んでいる上での議会選挙ですから、定数が少なめでも機能はするのでしょう。

そもそも、有権者の代理で官僚をチェックして予算や法律をつくる人の数がすくなすぎれば行政の独裁が強まってしまいます。現状の日本の場合は、英仏独にくらべてもすくなすぎますので、国会議員の歳費の総額はそのままにして、議員定数をふやせばよいのです。

◆「削ることは善」の思い込みは弱者を苦しめるだけ

なんでも「削ることは善」という思い込みが、ものごとの前進を阻んでいるようにおもえます。そもそも、議員定数を減らしても結局は、選挙に強い、「世襲」(地盤がある)や「えらい人」(お金や権力がある)ばかりが生き残りやすくなり、状況が悪化する危険性のほうが高いといわざるをえません。

ちなみに、そもそも、議員の給料が税金で出ている、だから削れ、というのも不正確な認識です。そもそも、日本国に通貨発行権がある以上は、事実上、国が刷ったお金で議員の給料も出ているわけです。透明性を高めることは必要ですが、削ればよいという話ではないのです。

議員の給料を減らしたぞ、という大阪維新などの政治家は豪語しておられます。そうした維新的なものに、「年配男性のえらい人」の既得権益打破を期待しておられる女性の方も少なくはありません。

わたしは、ある女性国会議員と当選前に酒席をともにし、隣同士で話をさせていただく機会がありました。彼女は、「同僚の男性正規公務員が仕事をせずに高給を取っている。そういう既得権益を自民も組合もグルになって維持している。」ことへの苛立ちが政治活動の動機のひとつだ、という趣旨の彼女の本音は承りました。既得権益打破。そのために議員も公務員も減らす、というわけです。しかし、彼女はその後、維新、ついで自民党で代議士をつとめられ、男尊女卑的な発言で超有名です。「働かないで高給を取る」男性の既得権を打破するどころか、男尊女卑の急先鋒です。彼女が当選のためにあるときから安倍晋三さん系の復古主義的な団体に依存するようになったのが彼女の「変質」の背景にあると感じました。「削ることが善」という思い込みに囚われているから、結局は復古主義的な団体の組織票にたよらざるをえなくなる。その結果、当初の志はどこかへ雲散霧消してしまう、極端ですが教訓としなければいけない例です。

維新の「身を削る改革」も「俺たちも身を削ったのだから」と、社会保障なり教育なり危機管理なりの費用をけちることに悪用されてしまう。とくに、現状で政治力がよわいところ、例えば女性に関するところから削られていくのは明らかです。

それよりは、むしろ、議員の給料総額は変えずに、議員定数は増やし、増分はすべて女性に割り当てる、という方向性のほうが、生産的でしょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

選挙人名簿流出事件に揺れる神奈川県真鶴町、松本町長ら4人を刑事告発へ、超党派の運動が始まる 黒薮哲哉

何年にも渡って君臨した独裁政権が崩壊した後に選挙を実施する場合、国際監視団が現地入りして、選挙を厳しく監視する体制が敷かれることがある。汚点のない選挙の実現。わたしが知っている先駆け的な例としては、1984年のニカラグアがある。軍事独裁政権が崩壊した後、外国からの選挙監視団やマスコミが続々と乗り込んできて、この中米の小国は、初めて公正な自由選挙を実施したのである。

同じような制度と原理を導入するために、真鶴町の住民らが動きはじめた。住民の橋本勇さんが言う。

「外部の選挙監視団を入れて公正で清潔な選挙を実施できる制度を作る必要があります。その制度を真鶴から全国へ広げたいものです。そのために、汚職に関与した松本町長や選挙管理委員会の書記長など、4人の刑事告発を超党派で検討しています。また、選挙管理委員会も総入れ替えをする必要があります。不正を犯した書記長の残党が残っていますから」

橋本さんは、会社勤務を経て約40年前に真鶴に移り住み、光の海が一望できる岬に旅館とレストランを開業した。その真鶴が一部の人々の手で壊されていくことに心を痛めている。それが住民運動を始めた動機である。

選挙人名簿流出事件に揺れる神奈川県真鶴町

◆広がる選挙管理委員会に対する不信感、選挙監視団制度の導入が不可欠

汚職事件は昨年の秋、ひとりの勇敢な男性の内部告発にはじまる。森敦彦氏。真鶴町の役所に勤務した後、2017年に町議になった。しかし、再選を目指した2021年9月の町議選では落選した。

その後、選挙運動の残務整理をしていると、1通の大きな封筒が出てきた。開けてみると、中に真鶴町の選挙人名簿や住民基本台帳などが入っていた。森さんが言う。

「この封筒は、町の選挙管理委員会の尾森書記長(当時)が届けたものですが、事前に松本一彦町長から、あなたの選挙に活用できる資料を届けさせると連絡を受けていたので、中身は町長が作成した自分の支援者名簿だと思っていました。そのようなものは必要なかったので、わたしは封も切らずにそのまま放置していました。自分の基礎票だけで再選できると思ったのです。選挙が終わってから、封を切ったところ、中から選挙人名簿や住民基本台帳が出てきたのです。わたしはびっくりして、警察に届け出ました」

知人の勧めで、マスコミにも通報した。中央紙はほとんど報じなかったが、地元の神奈川新聞やローカル紙が熱心にこの事件を取り上げた。その結果、松本町長は10月26日に記者会見を開いて、自らの責任を認めた。選挙管理委員会の尾森書記長に選挙人名簿や住民基本台帳などをコピーさせ、外部に持ち出させたことを認め、辞任を表明したのである。また、その後、これらの書面を青木健議員と岩本克美議員(議長)にも配布したことを公表した。

不祥事により政治家が辞任すること自体は特に珍しいことではない。しかし、松本町長は、辞任した後、お詫び回りを続け、町長選がはじまる直前に再出馬を表明した。そして次点候補と88票の僅差で町長選に勝利したのである。この88票も、開票の最終ステージで逆転したものだという。そのために選挙管理委員会に対して再び不信感を募らせる市民もいた。

◆汚職を告発した者が悪者に、デマが拡散

わたしは松本町長が当選したことを知ったとき、正直なところ真鶴町の住民は無知ではないかと疑った。同時に、これは真鶴町だけの現象なのか、それとも国家の劣化の縮図なのだろうかと自問した。他の自治体でも、水面下で同じようなことが起きているのではないかと疑った。

1月28日、わたしは橋本勇さんを尋ねてJRの電車で東京から真鶴町へ向かった。海が一望できる橋本さん経営のレストランで、橋本さんの他にも2人の人物を取材した。この事件を告発した森敦彦さんと、真鶴町議会の天野雅樹副議長だった。

森さんは、告発後の予期せぬリアクションに戸惑ったという。

「一番悪いのは森だというデマが広がったのです。これは予想しませんでした」

森さん自身が松本町長から提供された選挙人名簿を使って、町議選の選挙活動をしたという噂を、だれかが町中に広げたのである。しかし、森さんの告発には、理由があった。みずからが真鶴町の職員として働いていた約35年の間に、職員らが町長の人事権の前に、自由にものが言えない実態を目の当たりにしたからである。森さん自身、職場を点々とさせられた。異動の繰り返しに悩まされたのだ。特に、住居を真鶴町から隣町へ移してからは、この種の差別的な扱いが顕著になったという。縦の人間関係を重視しなければ生きられない実態を目の当たりにしたのである。

町の職員たちは、町長の人事権に縛られて自由にものが言えない。その苦しみを森さんは知っていた。実際、この事件についても、町役場の職員らは、不快な思いをしているという。

このあたりの事情について、天野雅樹さんが次のように話す。

「事件後に、わたしのところにこの事件は公職選挙法違反に該当するのではないかという意見が多数寄せられました。そこでわたしから町の選挙管理委員会にその声を伝えたところ、選挙管理委員会にも直接、町民から苦情が来ていることが分かりました。それに対処する町役場の職員らも悩んでいます。町長との板挟みの状態です。内心では怒っています」

天野さんは真鶴町で生まれ、千葉県やロサンゼルスなどで働いたあと、結婚を期に真鶴町に戻った。30歳の時である。会社を経営した後、2017年に町議になった。天野さんが続ける。

「松本町長が再選された後、職員の退職が相次ぎました。たとえば加藤哲三教育長は、2022年1月末で辞任しました。消防団の団長と副団長も辞任しかねない状況です。1月の成人式では、松本町長が式辞を述べるのであれば、参加しないという町民が相次いで、松本町長が出席を辞退しました。さらに松本町長が、隣の箱根町の町長に面談を申し入れたところ拒否されました」

松本町長が再選されたとはいえ、多くの町民が名簿流出事件を許していないのである。

ちなみに、松本町長から、選挙人名簿などの持ち出しを指示され、それに従った尾森選挙管理委員会書記長は、11月11日に懲戒免職処分となった。名簿流出事件の責任を背負わされることになった。

◆選挙管理委員会と町長の汚職

真鶴町議会は、2021年11月30日に、名簿を受け取った青木健議員と岩本克美議員に対する議員辞職勧告決議を採択した。議員辞職勧告決議に法的な拘束力はないが、真鶴町議会は両議員が、町議としふさわしくないと決議したのである。

ちなみに青木議員は、元町長でもある。今回の事件に関与しただけではなく、みずからが出馬した2016年の町長選の際には、当時、真鶴町役場の職員だった松本現町長に選挙人名簿をコピーさせ、外部へ持ち出させた。本人はそれを否定しているが、松本町長は、メディアに対してそんなふうに事情を説明している。これに関して、たとえば神奈川新聞(11月5日)は次のように報じている。

 
「自らの利益のために住民の個人情報を漏洩させた 神奈川県真鶴町松本一彦町長に抗議の声を! 緊急」作成者:真鶴町個人情報漏洩被害者の会(まなづる希望)

【引用】松本氏によると、同年(2016年)の町長選前に青木氏から選挙人名簿を提供するように依願されたという。「上司と部下という意識が引きずり、青木氏の返り咲きを求める気持ちもあった」。役場庁舎内のロッカーの上に積まれていた全有権者約6800人分の名簿を別の職員1人とともに40分かけて庁舎内でコピー。青木氏に自ら名簿を手渡したという。

汚職は今に始まったことではない。従来から前近代的な人間関係が温床としてあった。

◆広がる超党派の動き、刑事告発は秒読み段階

この事件の核心にメスを入れて、正常な真鶴町を取り戻そうと、住民たちが動き始めている。それは橋本さんたちだけではない。真鶴個人情報漏洩被害者の会(まなづる希望)も運動体のひとつである。ウエブサイトをたちあげて、超党派で事件に関与した4人の刑事告発を予定している。橋本さんが言う。

「他にも4人の告発を検討しているグループがあるので、わたしはみんなをひとつにまとめていきたいと思います。真鶴町は先人らが築いた美しい町です。それを守るために動きます」

議会制民主主義は、戦争という不幸な歴史を経て、戦後日本が獲得したかけがいのない遺産であるが、それがいま形骸の様相を強め、崩壊し始めている。一旦、失ってしまうと取り戻すのに変な犠牲を強いられる。

その意味で真鶴の事件は、単なる一地方の問題ではない。思想信条の違いを超えて熟考しなければならない同時代のテーマなのである。

◎[参考記事]すでに崩壊か、日本の議会制民主主義? 神奈川県真鶴町で「不正選挙」、松本一彦町長と選挙管理委員会の事務局長が選挙人名簿などを3人の候補者へ提供


◎[参考動画]令和4年1月28日午後6時30分開催真鶴町第8回議会報告会(真鶴町公式チャンネル)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

「カウンター大学院生M君リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)隠蔽のA級戦犯・岸政彦(現立命館大学教授)をわれわれは許さない! 松岡利康

本年は沖縄返還(併合といったほうが適切)から50年にあたる。沖縄問題は、私(たち)にとって〈闘い〉である。学者の甘ったれた虚言を許さない。

返還前年の71年は返還協定調印ー批准阻止闘争に総力で闘った私たちは、「研究対象」(岸)として、〈沖縄問題は闘い〉だという認識を持たず、もっともらしいことをのたまう徒輩を断罪する。

2月2日の朝日新聞は岸政彦へのインタビューを一面を割いて掲載している。突っ込みどころが散見されるが、ここではこれに留める。

朝日新聞2022年2月2日朝刊
 
リンチ直後の被害者大学院生M君

ここで、かの大学院生リンチ事件が甦ってくる。2014年師走、大阪・北新地で、「反差別」運動の旗手と持て囃される李信恵ら5人による大学院生(当時)M君に対する凄絶なリンチ事件が起きたことは、この通信でもさんざん申し述べてきた。

裁判もいくつも争われたが、李信恵が鹿砦社に反訴した訴訟の控訴審判決において、裁判所はようやくリンチへの李信恵の連座を認定した。その後、なぜか李信恵らが、リンチ事件や関連訴訟について発言することは、ほぼなくなった。

リンチ事件以前から李信恵はネトウヨによるヘイトスピーチ、ヘイトクライムに対して訴訟を起こしており、その「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長という要職を務め、李信恵ら加害者の聞き取りの席にも同席していたのが岸政彦だった。岸は事件の詳細を知っている。

だからこそ、特別取材班は岸を直撃し、真相を問い質したが、なぜか逃げ回るばかりだった。

人の心を持つ者(特に、普段から「人権」という言葉を口にする「知識人」)は、身近に起きた深刻な問題に真摯に立ち向かうべきだ。それも被害者M君はリンチによって相当の重傷を負っていることはリンチ直後の写真を見れば一目瞭然だ。本来ならば、被害者に寄り添い、問題解決にあたるべきではないのか!? 私の言っていることは間違っていますか?

岸よ、歯の浮くようなことを言ってないで、今からでもリンチ事件の根源的解決に努めよ! リンチ事件はまだ終わっていない。

取材班の直撃取材に逃げ回る岸政彦

対李信恵訴訟の尋問が終わった、その夜、傍聴に来、またリンチの現場に連座した伊藤大介は、ふたたび暴行、傷害事件を起している(現在横浜地裁で刑事事件として係争中)。

ちなみに、去る2月5日に開催された「連帯ユニオン議員ネット第17回大会」で、岸につながるバリバリの親しばき隊の池田幸代(元・社民党福島みずほ秘書、現・駒ヶ根市議)と戸田ひさよし起案の特別決議「うち続くヘイトクライムを弾劾し、社会の意識変革に向けて実践する特別決議」の文中「2020年には反差別活動をしてきた伊藤大介氏を日本第一党元大阪本部長の荒巻靖彦が『このチョンコが』と怒号しながら、白昼の大阪北区の繁華街でナイフで刺す事件が起こった。」と記載されているが、これは正確ではない。深夜を「白昼」というのは笑えるとしても、実際は、くだんの尋問後深夜泥酔して荒巻を呼び出し複数人で暴行に及び、荒巻に小指骨折や顔面打撲などの重傷を負わせ、一方荒巻も自衛のために所持していたナイフを出し応戦し伊藤に全治1週間の軽傷を負わせたというのが事実で、よって荒巻は罰金の略式起訴、伊藤は傷害罪で現在横浜地裁で係争中(伊藤の弁護人は、例によって神原元弁護士ら)。右であれ左であれ事実関係には正確であらねばならない。事件後すぐに発行した『暴力・暴言型社会運動の終焉~検証 カウンター大学院生リンチ事件』の冒頭レポートを参照されたい。

『反差別と暴力の正体』本文
『反差別と暴力の正体』本文
『反差別と暴力の正体』本文
『反差別と暴力の正体』本文

ひょんなことで、この大学院生M君リンチ事件に関わることになり、M君救済と真相究明に奔走し、私たちは6冊の本を世に問うた。私たちは、岸政彦や伊藤大介はじめ、この事件を隠蔽したり蔑ろにしたり、セカンドリンチや村八分を行った徒輩を決して許すことはない。(松岡利康)

*1971年から72年5・15返還にかけての沖縄闘争については昨年に発行した『抵抗と絶望の狭間――一九七一年から連合赤軍へ』をご一読ください。

**「カウンター大学院生リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)については、早晩、総括本を出版する予定です。これに蠢いた人たち、特に知識人やジャーナリストらの姿は、「知識人とは何か?」「ジャーナリズムとは何か?」と問う場合の〝生きた負の見本”です。

本日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!
『暴力・暴言型社会運動の終焉』

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

ムエタイの伝統、「戦いの舞い」ワイクルーの存在 堀田春樹

◆ワイクルーの演奏

ムエタイにおける伝統や習慣として、長きに渡り続けられているものが幾つかあります。

波賀宙也は毎度、しなやかにワイクルーを舞う(2021年11月7日)

すでに取り上げたタイオイルもその一つでした。

タイでは試合前の、「戦いの舞い」と言われるワイクルーを踊る儀式があります。

普段からキックボクシングなど観ない一般の方々でも、過去、テレビでワイクルーを僅かながら観たことある人も居るかと思いますが、このワイクルーの起源は1774年、ビルマとの戦争が激化したアユタヤ王朝時代、ビルマに囚われの身となっていたナーイカノムトム戦士が、ビルマ戦士10名と戦い全員を倒し、捕虜の釈放とタイの自由を勝ち取った英雄として、小学校の教科書で紹介されるまでに語り継がれています。

ナーイカノムトムがワイクルーを舞った上で戦ったことから、ムエタイの試合前に必ずワイクルーを舞う伝統となって組み込まれてきました。

“ワイ”は拝むこと。“クルー”は主に先生、師匠を意味します。

ムエタイ試合での演奏をタイ語では、「ピームエ」と言い、ワイクルーの演奏は「ピームエワイクルー」で、試合中の演奏は「ピームエタイ」と言います。

“ピー”とはタイ式のパイプ笛で、「ピーチャワー」と呼ばれる管楽器を指す言葉で、これが中心となる演奏から、太鼓とシンバル(鐘)は省略されたような呼び方になっているようです。楽器隊のことを「ウォンピームエ」と言います。

4名で奏でる楽器隊ウォンピームエ。なぜか私が中央に居たのでボカシました(1990年5月)

◆キックボクシングに於いては

昭和40年代の全日本系(NTV、12ch)ではタイ選手との対戦ではワイクルーの儀式は組み込まれていたと思いますが、大半の日本側は踊らなかったとみられます。日本系(TBS系)ではキックボクシングとしての意地とプライドで特例を除き、ワイクルーは行ないませんでした。

後には日本人で、立嶋篤史がムエタイルールでの試合の際、サムライ風に踊ったこともインパクトを与え、他の日本選手も導かれるよう踊るようになっていきました。

現在のキックボクシング興行では、存在が定着したWBCムエタイや、ラジャダムナンスタジアム、ルンピニースタジアム公認試合等、タイ国発祥か拠点となる組織の認定でない限り、ムエタイルールとセットにする必要はないものの、キックボクシングルールに於いてもワイクルーを行なう場合有り、無しと、その興行主催者次第で何とも曖昧な儀式となっています。

ワイクルーを舞う、以前紹介の小林利典(1994年10月18日)
一般的モンコン。形や色、素材はいろいろ有り
モンコンを着けてロープを跨いで入場、決してくぐらない(1988年11月)

◆モンコンの意味

日本では、戦いのお守りとされているモンコンの扱い方の意味が浸透しないところはありますが、敬虔な仏教徒が多いタイでは、人の頭部は神聖なる魂が宿る部分と考えられている為、頭に着けるモンコンもそれだけ尊重されるもので粗末に扱う選手はいません。女性は触れてはならないもので、ジムや自宅に居る時は高いところに掲げ、選手がリングに向かう際、ジムの会長に祈りを捧げられながら着けて貰います。

その後も可能な限り他の物がモンコンより高い位置になることを避ける為、トップロープを跨いでリング内に入るところを見たことがある人は多いでしょう。決して格好よく入場しようという意図はなく、ロープを潜るのはタイの選手には居らず、日本では知らないか、拘りの無い選手はやってしまいがちです。

試合前のワイクルーを終えた後、祈りを捧げてモンコンを外すまでの役割を果たす会長は、前日から女性には触れないというほど厳しく扱う仕来りもあるようです。

タイでの結婚式で新郎新婦の頭を繋ぐ、製糸の輪っかが「モンコンラチャック」と言われ、モンコンそのものは幸福繁栄、または勝利をもたらす縁起の良いものと解釈されます。粗末に扱えば凶兆をもたらす恐れがあり、勝負事のムエタイで粗末に扱う者など居ないでしょう。

リングに向かう前、師匠が祈りと共にモンコンを選手の頭に捧げる(1995年3月24日)
試合直前、モンコンを外して貰う儀式(2021年1月10日)
四方のコーナーで祈って終わる日本選手は多い(2021年11月7日)

◆ワイクルーを踊る上での配慮

ワイクルーを踊る際はTシャツを着たまま踊らない方がいいと言われます。これはタイでも明確にルールで決まられている訳ではなく、神聖なリング上でのワイクルーに際し、仕来り的に嫌うタイのスタジアム関係者、プロモーターも居るということで、今後のタイでの活動にも不利に導かれないよう礼儀作法にも注意した方がいいでしょう。

昔、藤原敏男さんがラジャダムナンスタジアムでの試合で、ワイクルーが始まり相手が踊り終えるのを待っていたら、レフェリーに「あなたも踊りなさい」と促されているシーンがありますが、外国人から見れば慣れていないワイクルーは、心の準備がなければ、ぎこちない踊りとなってしまいがち。現在でも踊りが苦手な選手は、四方のコーナーへ、ロープ伝いで歩いてワイをして、キャンパスに跪いて三拝して終わるワイクルーが定着しており、簡潔ながらこれでも充分と言えます。

このワイクルーに義務付けられている型はありませんが、原型となる古代ムエタイから進化・変化していく中で、地方の伝統が特徴となるスタイルが定着している場合もあるようです。

タイ国の文化風習には外国人には理解し難い部分は多いものの、それぞれに深い意味があるもので、ムエタイ本場の仕来りに従うことなど学ぶべきところはしっかり学んでおきたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

《飯塚事件発生30年》冤罪処刑の責任者たちを直撃〈1〉捜査関係者編 片岡 健

1992年2月20日、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」は、犯人として処刑された男性・久間三千年氏(享年70)に冤罪の疑いがあることで有名だ。久間氏は一貫して容疑を否認していたうえ、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定が実は当時技術的に稚拙だったことが発覚したためだ。

私は2016年に編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社・2021年に内容を改訂した電子書籍も上梓)を上梓した際、この事件の捜査や裁判に関わった責任者たちを特定し、この事件にどんな思いや考えを抱いているかを直撃取材したことがある。事件から30年になる今、同書に収録された責任者たちの声を改めて紹介したい。

第1回は捜査関係者編(所属・肩書は取材当時)。

◆嘘をついて取材を回避した福岡県警本部長

まず、福岡県警が久間氏の逮捕に踏み切った際、県警本部長を務めていたのが村井温氏。取材当時は実父が創業した大手警備会社、綜合警備保障の代表取締役会長の地位にあった。私の取材依頼に対し、同氏の秘書はこう回答してきた。

「村井は警察時代の職務については、取材を受けないようにしているとのことです」

しかし調べたところ、「賢者グローバル」という無料動画配信サイトには、村井氏が同サイトの取材に応じ、福岡県警本部長時代に「一万何千人」もいた部下をいかにマネージしたか、当時の経験が今の会社でいかに役立っているかを笑顔で語っている動画がアップされていた。村井氏は嘘をついてまで取材を回避したわけで、それはつまり飯塚事件にやましい思いがあるということだ。

◆取材を断る理由も説明しなかった福岡地検検事正

一方、久間氏を起訴した福岡地検の村山弘義検事正はその後、法務・検察の世界では検事総長に次ぐナンバー2のポスト・東京高検検事長まで出世している。1999年に弁護士に転身後は三菱電機やJTに社外監査役として迎えられ、外部理事を務めた日本相撲協会では2010年の大相撲野球賭博騒動の際に理事長代行も務めている。

村山氏に手紙で取材を申し込んだうえ、返事を聞くために電話をしたところ、村山氏本人がこう回答した。

「実は昨日付けで返事を差し上げました。ご要望には沿いがたいということで、取材お断りの趣旨のことが書いてあります」

そこで取材を断る理由を尋ねると、「理由なんか申し上げることはありません。色々考えて、お断りしたということでございます」とのこと。この事件について何か語るべきことがないのかと尋ねても「そんなことを申し上げることもありません」、冤罪だと思っていないということかと確認しても「はいはい、すみません」という感じで、とりつく島がなかった。

後日、入れ違いで届いた返事の手紙には「取材お断りの趣旨」が簡潔に綴られているのみだったが、飯塚事件に関与した過去に触れられたくないという強い意思が感じ取れた。

◆問題のDNA型鑑定を行った科警研技官たちも沈黙

一方、有罪の決め手になったDNA型鑑定を行った科警研の技官は、坂井活子(いくこ)氏、笠井賢太郎氏、佐藤元(はじめ)氏の3人だ。警察庁によると、坂井氏は2007年3月31日付けで、佐藤氏は2011年3月31日付けでそれぞれ定年退職しており、同庁にはこの2人への取材の取次を依頼したが、断られた。

残る1人の笠井氏は取材当時も科警研で勤務していたが、手紙で取材を申し入れたうえ、意思確認のために科警研に電話をしたところ、総務課の職員に笠井氏への取次を頑なに拒否された。そこで笠井氏には再度、返信用の郵便書簡を同封した手紙により、取材を受けるか否かの返事をくれるように依頼したが、音沙汰はなかった。

以上の通り、久間氏を処刑台に送った捜査関係者たちの中には、冤罪処刑疑惑に関する取材に真正面から応じる者は皆無だった。(つづく)

福岡拘置所。ここで久間三千年氏の死刑が執行された

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

「平和の祭典」北京冬季五輪とウクライナの危機 横山茂彦

2月2日に先行する競技(カーリング)が始まり、3日にはフリースタイルスキーをはじめとする協議が開始。4日には開会式が行われる。北京冬季五輪である。

クリスマスと五輪開催中は、全世界で戦火がやむ。これが様々な批判を浴びつつも、現在のオリンピックが「平和の祭典」と呼ばれるゆえんだ。

というのも、年初いらい緊張の度を高めてきたウクライナ情勢が、ひとまず本格的な銃火をまじえる危機を回避したかにみえるからだ。北京大会閉会後にも予想される、東ウクライナ騒乱をどのように捉えるべきか。危機がいったん回避されたいまこそ、その詳細を解説しておきたい。


◎[参考動画]【コロナ禍五輪】開催国・中国の選手団ら「防護服」で選手村入り 北京オリンピック(日テレNEWS 2022年2月2日)

◆ドンバス戦争は内戦なのか?

おもてむきは「ウクライナのNATO加盟に対する防衛的な圧力」とされるロシア軍の国境集結は、いっぽうでウクライナのクリミア奪還という陣地戦を背景にしている。その意味では、2014年のウクライナ騒乱とロシアによるクリミア自治共和国の併合いらい、ウクライナ国内ではドンバス戦争(東部紛争)といわれる内戦がその核心部分なのである。

今回の「危機」も、単に米ロ対立を政治的な軸にした、ウクライナのNATO加盟問題ではないのだ。ウクライナ国内のドネツク人民共和国およびルガンスク人民共和国を自称する分離主義勢力とウクライナ政府側との武力衝突。これが現在も継続していることを、世界のメディアは報じてこなかった。

クリミア騒乱(2014年)のときは、国章をつけていない軍服を着てバラクラバ(覆面)を着けた兵士たちが「ロシア軍部隊とみられる謎の武装集団」と、西側のメディアでも報じられていた。その後、内戦を装いながら、ロシア軍の侵攻が行なわれていたことが明らかになっている。

これらの実態がよくわからないまま、ロシア軍の侵攻で半月後には、クリミア自治共和国最高会議とセヴァストポリ市議会によるクリミア独立宣言(2014年3月)が採択されたのだった。契機となったのは、親ロシア派のヤヌコーヴィッチ政権の崩壊だった。

その後、2014年6月には大統領選挙によってペトロ・ポロシェンコ(親欧米派)が大統領に就任したが、東ウクライナでは親欧米の政権側と親ロの分離独立派が上記のドンバス戦争をくり広げてきたのだ。その犠牲者は5000人以上とされ、旧ユーゴ内戦いらいの激戦といわれている。

島国に育ったわれわれには想像しにくい感覚だが、東ヨーロッパは民族の混住が戦争の原因となる。たびかさなる戦争の結果としての国境線と、住民(民族)の居住地域が一致しない、混住化しているからだ。たとえばナチスドイツのオーストリア併合、ズデーデン併合によるチェコスロバキアの解体は、ドイツ系住民の民族自決権がその論拠だった。

◆なぜロシアは「東側」なのか?

それにしても、なぜロシアはウクライナのNATO加盟を問題にするのか。ソ連崩壊後、ロシアは資本主義国家(自由主義)になったのではなかったのか。という疑問が、極東の島国に暮らすわれわれの疑問を惹起する。

その意味では中国も資本主義(市場経済)化し、政治こそ共産党独裁だが、国家資本主義と呼べるものに開放されたのではなかったか。政治が共産主義で、経済が資本主義という政治経済体制を、社会主義国と呼ぶべきかそれとも資本主義国と呼ぶべきか、従来の政治観では解釈できないところまできている。

いや、逆にいえば日本も戦後成長を経る中で、国家独占資本主義(金融資本主義)として、社会的には大いに社会主義化(古典的な意味での、王権主義に対する社会主義)されてきた。ヨーロッパ諸国はもともと、19世紀的な社会主義(社会民主主義)である。経済面だけでいえば、国民皆保険制度のないアメリカだけが、社会形態的には純粋な資本主義国家といえるのだろう。メディアはあいかわらず「西側諸国」と対立する「東側」とロシアとその同盟国を報じている。


◎[参考動画]「真の目的はロシアの発展阻止」プーチン氏・米側の回答に“不快感”(ANN 2022年2月3日)

◆民主主義と人権

ロシアに限って言えば、プーチンという独裁者(国民が選挙で選んだ専制者)が君臨し、大統領令という強大な統制力で独占企業体をコントロールする。そこに社会主義時代にはなかった国家独占資本主義(レーニンの帝国主義論における規定)が、イノベーションと致富欲動を源泉に、新たな社会主義体制を構築してきたとはいえないだろうか。

その体制は人的な資源をもとにした中国型の官僚制国家資本主義と、領土および天然資源をもとにしたロシア型の違いはあれ、国家独占資本主義=高度な社会主義体制と定義することが可能だ。

残されたものは「民主主義」ということになるが、高度なアメリカ型民主主義を導入したとされる日本においても、民主主義はかなりレベルが低い(選挙の投票率の低さに集約される)のだから、あとは「人権」ということになるのだろう。人権問題が大いに問題視され、「西側諸国」が外交的ボイコットを発動した北京五輪を通じて、その片鱗を見せてもらいたいものだ。オリンピックと戦争、そして人権。それが当面の注目すべきテーマである。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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広島では「平和公園」も直撃! 勤務先からも、友人からも「陽性」報告! 身近に迫るコロナ感染爆発の脅威 さとうしゅういち

正月明け以降、新型コロナウイルスのオミクロン株中心の感染爆発が続く広島県内。最近では東京都や大阪府も遅れて感染爆発が起きているため、全国的な注目は低下している感はあります。しかし、着実に筆者の身近に脅威が迫っています。

◆勤務先の介護施設入居予定者や山間部の友人も感染

1月24日(月)。筆者のまわりで激震が走りました。筆者はその日の朝、バイト先の介護施設で前日から夜勤をしていました。そろそろ、日勤で出勤してくる正社員にバトンタッチしようかなとおもっていると、正社員の人が息を切らして入ってきました。何事かと思ったら「きょう、入居予定の方がコロナ陽性で入居延期になった」ということでした。わたしは、背筋が凍る思いが致しました。

そして、会社を出て、妻とSNSで連絡をとろうと、スマホを取り出すと、県北部の山岳地帯に住む友人のSNSのタイムラインが目に入ってきました。なんと、その友人がコロナに感染したという報告でした。その友人は、17日ころからのどに異常を感じ、金曜日ころに38度の発熱で受診し、PCR検査の結果、陽性と判定。自宅療養で、保健所から食料を受け取った旨の投稿がされていました。画面には段ボール入りのカップ麺や即席味噌汁、お菓子などが映っていました。先ほどの入居予定者のこととあわせ、肝を冷やしました。

さらに翌日、別の勤務先の介護施設では新入社員が感染したという報告。まだ出勤していないのが不幸中の幸いでした。しかし、その人は、すでに退職した人の補充の意味もあったので、現場は目がまわるような状況になっています。

毎日、1000人以上、1週間で人口10万あたり300人以上感染している状況ですから、身近に事例が出てもおかしくはありません。

以下は、これまでの広島県内、そして広島県に隣接する岩国市、そして米軍岩国基地の感染数のまとめです。

今週に入って感染数は前週比では、さほど伸びていません。しかし、もともと、高い水準での感染数だったので油断できない状況です。

 

      県内-岩国-岩国基地
12/01~20 00-00-00
12/21   00ー00-01
12/22   02-00-01
12/23   03-01-00
12/24   01-00-00
12/25   05-01-00
12/26   01-01-00
12/27   01-01-08
12/28   01-01-05
12/29   03-07-80
12/30   06-07-27
12/31   23-08-23
01/01   21-14-00
01/02   57-13-00
01/03   40-44-50(岩国基地は3日分をまとめて発表)
01/04   109-62-47
01/05   138-70-182
01/06   273-81-115
01/07   429-61-91
01/08   547-77-71
01/09   619-80-05
01/10   672-45-12
01/11   588-71-71
01/12   652-79-34
01/13   805-54-29
01/14   997-79-26
01/15   1212-67-28
01/16   1280-67-0
01/17   973-59-0
01/18   900-45-8
01/19   1042-65-5
01/20   1569-37-77
01/21   1532-46-33
01/22   1585-52-13 
01/23   1476-44-0  
01/24   1056-53-0 
01/25   1099-44-30
01/26   1252ー63-17
01/27   1502ー52ー10

◆平和公園も直撃 「座り込み」も中止

感染爆発は平和公園も直撃しています。原爆資料館は2月20日まで、臨時休館です。原爆資料館の玄関には机がおかれ、その上に資料館のパンフレットがおかれ、自由に取れるようになっていました。被爆体験の継承のためのイベントももちろん、中止となってしまっています。こうした中、平和運動も感染爆発の直撃をうけています。

1951年1月27日、アメリカ・ネバダ州の核実験場が操業を開始。CTBT(核実験禁止条約)ができたあとも、未臨界核実験が行われています。この核実験場周辺では、ロケ中の西部劇の俳優らふくめ、多くの方が被爆。実際には放射能汚染は東部もふくめて全米に広がっていました。

1984年にとなりのユタ州の住民が反対運動に、たちあがり、全世界にひろがりました。広島でも、わたしが所属する広島県原水禁では、毎年1月27日は、日中に原爆慰霊碑前で座り込み、夕方から反核集会を取り組んできました。

コロナ災害が発生した2020年はまだ日本への影響は少なかったため、イベントは行われました。しかし、2021年は座り込みのみで、集会は中止。そして、2022年は座り込みも中止になりました。しかし、わたしや、複数の活動家は中止を知らずに原爆慰霊碑前にきてしまいました。定刻になっても、人がこないため、おかしいな、とおもい、主催者に近い人に電話をすると、中止になった、とのこと。仕方がないので、原爆慰霊碑に参拝して解散しました。

 

◆有権者との対話で痛感、災害指定の重要性

そのあと、せっかくここまで来たのだから、ということで、原爆ドーム北側の旧広島市民球場前で街頭演説をおこないました(写真)。ここは、あの河井案里さんもよく演説をされていた場所です。

わたしと友人が、れいわ新選組の消費税廃止やガソリン税廃止などを訴えていると、年配の女性が話しかけてこられました。

彼女は「カラオケ教室の先生をしていたが、コロナで生徒がまったくこなくなってしまった。ただ、収入が一定額にならないためにいわゆる持続化給付金を受け取れなかった。他方で、飲食店のような休業による協力金も受け取れなかった。年金だけでは生活は困難だ。」と窮状を訴えてこられました。

そして「消費税廃止はもちろんよいが、固定資産税、国保料なども減免してほしい。」
などと要望されました。いっぽうで、政治へのあきらめのようなことも口にされました。他方で激励もいただきました。

やはり、コロナは大震災や大水害が全国でおきたような災害であることを実感しました。それに対する手当てがあまりにも不十分だったために、あきらめや分断もひろがっていく、ということを感じました。憲法を変える議論をやっている場合ではない。コロナをいまからでも日本全土の激甚災害に指定して、大震災や大水害被災者なみの支援を全住民におこなうことが急務だと、会話を通じて実感しました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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