国際パレスチナ人民連帯デー 今年は原爆ドーム前でジェノサイド犠牲者一人一人を悼む さとうしゅういち

11月29日は国連が定めたパレスチナ人民連帯デーです。 

 

1947年11月29日、国際連盟によるイギリスの委任統治領だったパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割し、エルサレムは特別な都市とする決議が採択されました。ところが、アラブ人国家パレスチナはつくられず、ユダヤ人を中心とするイスラエルのみが1948年に成立しました。そして、イスラエルは数度の中東戦争でアラブ人地域とされた地域への侵略を繰り返して今日に至っています。

1993年には米国クリントン政権の仲介により、PLOアラファト議長とイスラエルのラビン首相がオスロ合意を締結し、二国家併存を定めました。しかし、イスラエルの政治はラビン首相が95年に極右青年に暗殺されたことを契機に、混迷・右傾化を加速。それでも労働党のバラク首相が和平へ努力していたのですが、2000年に右派リクードのシャロン元首相がエルサレムの聖地訪問を強行。日本に喩えれば、伊勢神宮や法隆寺に外国の首相が「ここは俺のものだ」と乱入してきたような話です。

当然、アラブ側の反発も強まり、交渉は暗礁に乗り上げました。そして、バラクが2001首相選でシャロンに敗れました。勝ったシャロンも一時はイラクやアフガンでの「対テロ戦争」に専念したい米欧の圧力もあって中道政党・カディーマを結党するなど一時柔軟化も、2006年1月に病に倒れて日本の田中角栄がそうだったように影響力を喪失。パレスチナ側では総選挙でハマスが圧勝(ファタハ側のクーデターで政権交代ができなかったが、ご承知の通り、ガザでは現在まで政府を形成している。)。

イスラエル側では右派権威主義的なネタニヤフ被告人が長期政権を築きました。ネタニヤフはオスロ合意に違反してパレスチナが治めるべき土地にユダヤ人入植という侵略を実施。ガザへも何度も武力攻撃を行い、多くのパレスチナ人を虐殺したり罪名もなしに不当逮捕・投獄したりしました。

そうしたなかでハマスが2023年10月7日に行った大規模な「反撃」を契機に、ネタニヤフはガザに侵攻し、14843人とも言われるガザの人々が殺戮されました。当初は総団結してイスラエルを擁護していた米国など日本以外の西側も、ついにネタニヤフをかばいきれなくなりました。

11月24日には戦闘休止が合意され、ハマスはイスラエル人やタイ人の人質を解放し、イスラエルはパレスチナ人の不当逮捕被害者を解放するという作業が行われている中、11月29日を迎えました。

◆パレスチナの若者からのメッセージ=モノローグを交代で読み上げる

広島では、11月26日に翌日からスタートした核兵器禁止条約締約国会議に合わせて、「NO GENOCIDE IN GAZA NO WAR NO NUKES」のキャンドルナイトが行われました。

こちらは「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」が呼びかけて行われたもので、主には被爆者団体の方が中心となって原爆ドーム前に集まりました。(筆者のXより

そしてこの11月29日は、TEARS FOR PALESTINE が開催されました。原爆ドーム前ではジェノサイドが終わるその日まで、広島市立大学の田浪亜央江准教授など、どなたかが17時半くらいからかならず待機し、スタンディングを行うそうです。この29日は12~19時という長時間でどの時間帯でもいいから参加できるよ、という趣旨でも行われたそうです。

筆者は、自分自身が原告である伊方原発広島裁判の第42回の口頭弁論がこの日のメインの活動であり、法廷が昼休みの時間帯に原爆ドーム前まで自転車を飛ばしてかけつけました。

この日は、広島市立大学の学生(留学生含む)らが、12時過ぎに原爆ドーム前に現れ、横断幕や受付、ハンドマイクの準備を開始されました。

そして、ガザ地区の若者が今回の戦争で体験したことをまとめたメッセージ(モノローグ)を、学生らが代読しました。

「世界でもっとも美しい都市になるのに必要なのは安全だけ」

という悲痛な訴え。モスクが爆撃されたり、街が破壊されたり自分たちの身近な友人が遺体となったり。生々しい、ガザの若者の悲痛なメッセージが原爆ドーム前に響きました。

◆岸田文雄様 イスラエルとの防衛協力を停止し、ジェノサイドを止めさせてください!

筆者は主催者に「何かできることはないか?」と声をかけさせていただきました。「はがきを出してほしい」と主催者がおっしゃるので、それではということでハガキを受け取り、「岸田文雄様」宛に、「イスラエルとの防衛協力を停止し、ジェノサイドを止めさせてください!」というメッセージを書き込み、原爆ドームから見て電車通りをはさんで斜め向かい(真向いは旧広島市民球場)の広島中郵便局の窓口に差し出しました。

窓口の局員の年配男性が「63円です」とちょっと緊張した面持ちでおっしゃっていたのが記憶に残っています。

やはり、広島といえば、岸田総理の選挙区です。総理に地元有権者の一人として物申す。当たり前のことです。

日本とイスラエルは残念ながら、安倍政権下で防衛協力を進めています。そのこと自体は憲法違反の疑いが濃厚であり、嘆かわしいのですが、この局面では「ジェノサイドを止めないと防衛協力を止める」ということは外交カードにはなります。日本はかつてときの福田赳夫総理が「人の命は地球より重い」と言った国です。今は、とりあえず、何でもいいからカードを使って虐殺を止めさせる。G7広島サミットでは「ヒロシマ」の名前を西側の核正当化に利用されてしまった岸田総理ですが、ここはひとつ、汚名を返上していただきたいものです。

◆犠牲者一人一人の年齢と名前を読み上げ、赤い涙を模造紙に描く

 
犠牲者の名前を呼びあげるのに合わせて赤い涙を模造紙に描いていく若者ら。門田佳子市議のXより

筆者が原爆ドーム前を去った後、地元・中区の無党派の門田佳子市議らが入れ替わりに来られました。門田市議は2003年のイラク戦争反対運動に筆者とともに無党派の若者として参加。2023年の広島市議選では市長に批判的な保守系会派の所属で5期つとめられた無所属女性市議の後継として見事当選されました。IT化社会における高齢者の生活支援などの課題に取り組まれているほか、松井現広島市長の市政を厳しくチェックする質問もされています。

犠牲者おひとりおひとりのお名前を読み上げ、そのたびに赤い涙を模造紙に描くという作業が行われました。(写真=門田佳子市議のXより) 
 

お名前が判明している方のみですが、とにかく、殺されたひとりひとりに名前があるのだ、ということを改めて確認していきたいものです。

ハマスのせん滅には市民の犠牲はやむを得ない!と暴走するネタニヤフ被告人の論理に対抗するにはひとりひとりの命の重みを大事にしていくしかありません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

老朽化原発の安全確保の理屈が成り立たない理由〈4〉一方的に決められた規則で無期限に動き出す老朽原発を止める力があるのは、市民だけである 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)

本稿は『季節』2023年夏秋号(2023年9月11日発売号)掲載の「老朽化原発の安全確保の理屈が成り立たない理由」を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。

◆設計の古さを問題としているが具体性はない

老朽原発を廃炉に導くはずだった新規制基準の運転年数制限が事実上撤廃されてしまい、これにともない古い原発の70年を超える運転がこれから可能になろうとしている。

設計が古いと建設時の知見も乏しく、地震や津波想定は甘く、さらに材料も悪い。良いことなど一つもない。複雑な構造物である原発では、いくら部品を交換し、耐震補強や防潮堤で繕ってみても土台の悪さを解決することはできない。例えば基礎杭を打ち直すことなどできないし、塩害で損傷している建屋を建て直すわけにもいかない。

規制委の長期管理施設計画では、交換可能な設備、装置を交換するためにサプライチェーンの維持を確保するとしている。それ以外に設計の古さを具体的に対策する方法は書かれていない。規制委は、現在でも「バックフィット」(遡って規制基準を適用すること)により安全性を維持する取り組みをしていることで、新知見に照らして安全上重要な対策を施していない原発は40年超運転を許可していないことから、設計の古さに起因する問題については現在でも規制しているとし、新たな規制基準を設ける必要はないと考えている。

結局、本当は重要だった運転期間の制限が撤廃された結果、老朽化した原発を一定の期限で確実に廃炉にする仕組みがなくなってしまった。

改訂法では、長期管理施設計画が認可されなければ次の10年は動かせなくなる。規制は厳しくなっていると規制委はいう。しかし運転は止まるかもしれないが廃炉にはならず、審査は延々と続けられてしまう。現在の敦賀2のように、見通しがなくても、書類を偽装しても、審査を受けたいと書類を出し続ければ廃炉にできないのだ。こんなところに巨額の電気料金(敦賀2の場合は原電の原発なので、関西、中部、北陸、中国電力の消費者がそれぞれの電気料金から負担している)が湯水のごとく使われているのである。

◆規制する側とされる側で検討する規制案とは何か

新・新規制基準の具体的な審査方法(規則等)を検討する「高経年化した発電用原子炉の安全規制に関する検討チーム」という会議体のメンバーに「ATENA」(原子力エネルギー協議会)が入っている。この団体は、電力会社とメーカーの協議体で、いわば原子力ムラそのものである。

規制側と机を並べて検討しているのは原発の安全審査の根幹に関わる「規則」だ。つまり法規制される側とする側が、どんな規制が良いですかと話し合っている。これで厳格な審査体制が作れると本気で思っている人がいるのならば愚かすぎよう。

ATENAは、BWRやABWRは冷却水投入(ECCSの作動など)でも加圧熱衝撃は発生しないので「評価不要」であると主張している。この主張に基づき、すでに試験片を使い果たして本来は圧力容器の健全性を評価できなくなった東海第二の運転継続ができるようになってしまうのである。

震災後に設置された国会事故調の報告書で黒川清委員長が指摘した「規制の虜」。これを打破しない限り、原発再開はあり得ないと指摘した黒川氏。ところが今起きているのは、規制される側が規制する側を取り込み、都合の悪い基準を作らせない目論見だ。

「規制の虜」とは、規制当局が国民の利益を守るために行う規制が、逆に企業など規制される側のものに転換されてしまう現象をいう(黒川清「原発事故から学ばない日本……『規制の虜』を許す社会構造とマインドセット」2021年3月8日付け読売新聞)。

GX法で定められた「新・新規制基準」は、法律が制定されても、それだけでは何もできない。規制の方法や基準を決めなければ実務ができない。新規制基準から、どう繋げていくのかが課題だが、その一つが現在議論されている「長期管理施設計画」だ。これを検討する会議で規制する側が規制される側と詰めの議論をしている。この場に第三者の専門家や、高い知見を持ち批判的な立場の科学者がいるというのならばまだしも(過去の耐震基準を決める会議ではあったし利活用を巡る原子力小委員会にもそういうメンバーは存在した)、この会議体は規制庁と、電力会社やメーカーなどのATENAしかいないのだ。

しかも、知見はほとんどATENA側にあり、規制庁が独自に検証し、実験するなど不可能。せいぜい文献調査くらいしか能力のない規制側が、大勢の技術者と実機を持ち、圧倒的な資金力を有するメーカー側に太刀打ちできるわけがない。対等な議論さえ望めないのである。

このような悲劇的な規制側の現実を国民の多くは知るよしもなく、一方的に決められた規則で事実上無期限に老朽原発が動き出す。それを止める力があるのは、市民だけである。(完)

◎老朽化原発の安全確保の理屈が成り立たない理由[全4回]
〈1〉脆性遷移温度が危険域に達した関電高浜1号
〈2〉運転実績や想定を超えている原発の「60年超運転」
〈3〉試験片が枯渇し、中性子照射脆化を評価できなくなった原発は直ちに廃炉にすべきである
〈4〉一方的に決められた規則で無期限に動き出す老朽原発を止める力があるのは、市民だけである

▼山崎久隆(やまざき・ひさたか)
たんぽぽ舎共同代表。1959年富山県生まれ。脱原発東電株主運動、東電株主代表訴訟に参加。反原発運動のひろば「たんぽぽ舎」設立時からのメンバー。湾岸戦争時、米英軍が使った劣化ウラン弾による健康被害や劣化ウラン廃絶の運動に参加。福島第一原発事故に対し、全原発の停止と廃炉、原子力からの撤退を求める活動に参加。著書に『隠して核武装する日本』(影書房 2007年/増補新版 2013年)、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社 2012年)、『原発を再稼働させてはいけない4つの理由』(合同出版 2012年)、『核時代の神話と虚像 ―― 原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史』(共著/木村朗、高橋博子編/明石書店 2015年)等多数。

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龍一郎揮毫

吉成名高、華麗なハイキックでTKO勝利、KICK Insist 17! 堀田春樹

ビクトリージムの主役、永澤サムエル聖光は薄氷の引分け。
瀧澤博人は元・世界覇者の牙城崩せず。
睦雅はベテラン健太をヒジ打ちで破る殊勲。

◎KICK Insist 17 / 11月26日(日) 後楽園ホール17:15~21:00
主催:VICTORY SPIRITS、ビクトリージム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA) 

◆第13試合 52.5㎏契約 5回戦

名高・エイワスポーツジム(=吉成名高/2001.1.8生/ 52.5kg)58戦52勝(34KO)5敗1分
        VS
ルンサックノーイ・シットニワット(タイ/ 51.7kg)大凡120戦超

名高は現・ラジャダムナンスタジアム・フライ級チャンピオン
ルンサックノーイは元・ムエサヤーム・スーパーフライ級チャンピオン

勝者:名高エイワスポーツジム / TKO 2R 0:25
主審:椎名利一

名高がどんな高度な技を見せるか注目の初回、蹴りの駆引きでのスピーディーな攻防は、名高がやや攻勢を維持。第2ラウンドには互いの左の蹴りが交錯。名高のハイキックがルンサックノーイのアゴにヒットすると、両者がダブルノックダウンのように倒れ込むが、名高はバランスを崩したスリップ。ルンサックノーイは失神状態で後方へ倒れ、マットに後頭部を打ち付け、ノーカウントのレフェリーストップとなった。ほぼ1分程、意識回復まで身体を起こせないダメージだった。

左の蹴り合い、しっかり狙っていた吉成名高のハイキックがヒットする
スリップした名高はすぐ立ち上がり勝利確信。ルンサックノーイは大の字

◆第12試合 61.4㎏契約 3回戦

永澤サムエル聖光(ビクトリー/ 61.4kg) 42戦28勝(12KO)10敗4分
       VS
ボム・ピンサヤーム(タイ/ 61.3kg)34戦27勝(10KO)4敗3分

永澤サムエル聖光は現・WBCムエタイ日本ライト級チャンピオン
ボム・ピンサヤームは元・ルンピニー系スーパーバンタム級チャンピオン

引分け 0-1
主審:少白竜
副審:椎名28-29. 仲29-29. 中山29-29

ローキック中心にパンチを繰り出す永澤サムエル聖光が主導権を奪いつつある中、ベテランのボムは永澤のローキックで効いた様子を見せながらも、BOMスポーツジムでトレーナーを務めるボムは簡単に勝負を捨てるボクサーではなかった。

永澤サムエル聖光の左ストレートがボムの胸元にヒット、いつもの勢いはあった

しぶとくパンチでジワジワ反撃に出て来るボム。第3ラウンドにはボムの右ストレートで永澤は腰砕け的尻餅ダウンしてしまう。プッシュ気味のパンチでダメージは無く、すぐ立ち上がったことでノックダウン裁定とはならず続行。残り時間は少ない中、パンチの交錯で終了。スリップ裁定のダウンはノックダウンとされても仕方無い流れで、レフェリーに救われた感もあった。

ボムの右ストレートで尻餅ついた永澤サムエル聖光、際どいダウン

◆第11試合 57.5㎏契約 3回戦

瀧澤博人(ビクトリー/ 57.4kg) 38戦25勝(13KO)9敗4分
VS
ペットタイランド・モー・ラチャパットスリン(タイ/ 56.9kg)大凡100戦超

瀧澤博人はWMOインターナショナル・フェザー級チャンピオン
ペットタイランドは元・WBC・IBFムエタイ世界スーパーフライ級チャンピオン

勝者:ペットタイランド / 判定0-2
主審:勝本剛司
副審:椎名29-30. 仲29-29. 少白竜29-30

初回、瀧澤博人はローキック中心にミドルキックとパンチの牽制で様子見。第2ラウンドには蹴りの攻防からペットタイランドの蹴りの勢いが増し、ハイキックが瀧澤を襲う。瀧澤はローキック中心に巻き返していくも、ペットタイランドの圧力に突破口が見い出せない。試合終了時の会場内は、瀧澤の勝利は難しい空気が漂っていた。結果、ペットタイランドの勢いを止められず、ポイント的には僅差判定負け。

負けられない瀧澤博人の右ストレートとペットタイランドの右ミドルキック交錯

◆第10試合 64.0㎏契約 3回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(ビクトリー/ 63.8kg)19戦13勝(7KO)4敗2分
           VS
健太(元・WBCムエタイ日本ウェルター級Champ/E.S.G/1987.6.26群馬県出身/ 63.8kg)
114戦65勝(21KO)42敗7分
勝者:睦雅 / TKO 2R 1:55
主審:中山宏美

パンチとローキック中心の睦雅。健太の出方を落ち着いて見て、睦雅の左ジャブで健太の前進を止め主導権を譲らず、睦雅の成長と強さが感じられた。

第2ラウンドにはパンチからヒジ打ちで健太の眉間辺りをカットし、飛びヒザ蹴りで圧力を掛ける睦雅。流血激しくなった健太にドクターチェックが入り、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

いきなり飛ぶからフレームから外れてしまったが、睦雅の飛びヒザ蹴りヒット

◆第9試合 52.0㎏契約 3回戦

JKAフライ級1位.細田昇吾(ビクトリー/ 51.9kg)19戦11勝(1KO)6敗2分
        VS
同級2位.西原茉生(治政館/ 52.0kg)12戦7勝(2KO)4敗1分  
勝者:西原茉生 / 判定0-3
主審:椎名利一
副審:勝本29-30. 中山29-30. 仲29-30

新鋭・西原茉生は先手を打つ蹴りで細田昇吾に主導権を与えず、互角以上の展開で成長を見せた。

西原茉生の左ハイキックで細田昇吾に圧力を掛ける

◆第8試合 67.0㎏契約 3回戦

JKAウェルター級1位.正哉(誠真/ 66.65kg)9戦6勝(2KO)3敗
        VS
NKBウェルター級5位.Hiromi(拳心館/ 66.75kg)8戦4勝(4KO)4敗 
勝者:正哉 / TKO 1R 0:31 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

正哉は蹴りから打ち合いに入ったところで左フックがヒット、この速攻の攻防でHiromiはノックダウンし、ダメージ深く、カウント中のレフェリーストップ。

これもいきなりのノックダウン。KOの気配はあったが速かった

◆第7試合 ウェルター級 3回戦

JKAウェルター級2位.政斗(治政館/ 66.68kg)31戦17勝(4KO)11敗3分
        VS
同級4位.我謝真人(E.D.O/ 66.6kg)13戦3勝(1KO)9敗1分 
勝者:政斗 / 判定3-0
主審:勝本剛司
副審:椎名30-27. 少白竜30-27. 仲30-27

序盤、我謝真人のパンチ、ヒザ蹴り、ミドルキックでの攻めがあったが、政斗は慌てず手数とヒット数で攻勢を維持した経験値が優った展開でジャッジ三者ともフルマークでの大差判定勝利。

政斗がベテラン技で我謝真人を圧して行った

◆第6試合 ライト級 3回戦

JKAライト級4位.古河拓実(KICK BOX/ 61.05kg)5戦5勝(2KO)
        VS
同級5位.林瑞紀(治政館/ 61.23kg)13戦6勝(1KO)6敗1分
勝者:古河拓実 / KO 2R 2:57
主審:中山宏美

第2ラウンド古河拓実が右ハイキックで林瑞紀からノックダウンを奪い、更にハイキックからパンチ連打で2度目のダウン、パンチ連打で3ノックダウンとなってノックアウト勝利。

古河拓実の前蹴りが林瑞紀にヒット

◆第5試合 56.5㎏契約 3回戦

JKAフェザー級4位.勇成(Formed/ 56.4kg)5戦4勝(3KO)1敗
       VS
石川智崇(KICK BOX/ 56.25kg)4戦2勝1敗1分
勝者:勇成 / TKO 2R 2:20
主審:椎名利一

初回に勇成が左フックで石川智崇からノックダウンを奪い、第2ラウンドにも左フックでダウンを奪い、右ヒジ打ちで頭部にヒットさせると、ダメージを見たレフェリーがノーカウントでストップをかけた。

◆第4試合 フライ級3回戦

花澤一成(市原/ 50.7 kg)6戦1勝(1KO)3敗2分
     VS
阿部温羽(チームタイガーホーク/50.9→50.85→50.8kg)6戦2勝3敗1分
勝者:阿部温羽 / 判定0-3 (29-30. 29-30. 28-30)

◆第3試合 ライト級 3回戦

岡田彬宏(ラジャサクレック/ 61.05kg)7戦4勝(1KO)3敗
     VS
勇(OU-BU/ 61.1kg)8戦3勝(1KO)5敗
勝者:岡田彬宏 / 判定3-0 (30-28. 30-28. 30-28)

◆第2試合 ライト級 3回戦

菊地拓人(市原/ 60.9kg)2戦2敗
     VS
隼也JSK(治政館/ 61.1kg)5戦1勝3敗1分
勝者:隼也JSK / 判定0-2 (28-29. 29-30. 29-29)

◆第1試合 ミドル級 3回戦

白井大也(市原/ 72.3kg)2戦1分1NC
     VS
久保英輝(MIYABI/ 71.8kg)2戦1敗1分
引分け 三者三様 (29-29. 29-30. 30-29)

《取材戦記》

吉成名高が1年ぶり2度目のジャパンキックボクシング協会KICK Insist出場。2018年のミニフライ級に続き、今年7月9日にラジャダムナンスタジアム・フライ級王座奪取し、二階級制覇。8月12日には本場スタジアムでKO初防衛。昨年同様に本来の主役、ビクトリージム勢とは違った会場の雰囲気変わるメインイベンターだった。

エイワスポーツジムの中川夏生会長は名高の今後について「三階級制覇は当然なんですけど、名高が行きたい方向へ行かせてやりたいですね。仮に一部で噂されるプロボクシングに行くとしたら、ムエタイに戻って来れなくなると思います。でも名高はあくまでムエタイを突き詰める方向を目指しています。名高が日本でムエタイをメジャーに出来なかったら、日本でムエタイがメジャーになることは100パーセント無いと思います。その名高がムエタイを日本で広める最後のチャンスだと思います。」

元々キックボクシングはヒジ打ち有りだったことを強調され、その原点に戻ってメジャーを目指さねばならないという信念があるでしょう。今後は階級を上げて行く予定という。

本場でムエタイ王座目指す、永澤サムエル聖光と瀧澤博人は主導権奪えず不完全燃焼。

7月16日のKICK Insist.16で「今年は勝負に向けた準備の年」と語っていた瀧澤博人は来年への足掛かりとなる試合だったが、攻めの攻防は互角も、圧倒に至る為の突破口を見い出せず、僅差判定でも負けは負けで出直しの来年となる。

永澤サムエル聖光も7月興行で「ラジャダムナンチャンピオンを倒さないと満足出来ない!」と語っていたが、今回は辛うじて引分け現状維持。来年初戦は仕切り直しのスタートになる。

スリップ裁定のダウンはノックダウンとされても仕方無い流れで、レフェリーに救われた感もあった。仮に、定期的にレフェリーを務める日本人レフェリーの判断だったら8割以上はノックダウン裁定としただろう。しかしタイ人レフェリーだったら逆に8割ぐらいはスリップ裁定としたかもしれない。「昔のリー・チャンゴン氏だったら確実にノックダウン裁定だな」とは思うが、「当たって倒れればノックダウン」と「クリーンヒットしててもダメージが無いなら瞬時に立ち上がればフラッシュダウン。ノックダウンとはしない」という裁定はレフェリーとして瞬時の判断は難しいでしょうね。プロボクシングの場合、いずれも最高権限者のレフェリーが判断したら、その場はその裁定に従うしかありませんが、ラウンド終了後、ジャッジによって審議に入ることは可能です。

睦雅はベテラン114戦目の健太にヒジ打ちでTKO勝利。3月に王座決定戦で内田雅之を破りチャンピオンとなって勢い付いて健太を破った今回。来年も注目株となりそうです。

2024年最初のジャパンキックボクシング協会興行は、3月24日(日)に後楽園ホールに於いてKICK Insist.18が開催予定となっています。今年度は武田幸三氏が抜けたことで、次の新春興行が無いのはやや痛いところか。

5月には日時未定ながら市原臨海体育館での市原ジム興行。

7月28日(日)に後楽園ホール、9月29日(日)に新宿フェイス、11月17日(日)に後楽園ホールで開催。現在のところ年5回の興行が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

官製談合疑惑、身内優遇で不祥事だらけの平川理恵・広島県教育長、それでも居直りのまま、また年越しか? さとうしゅういち

◆不祥事でボロボロも教育長に居座る劣化ウラン面皮

平川理恵・広島県教育長は、数々の不祥事にもかかわらず、教育長に居座ったまま年を越しそうです。

2022年夏に県教委が平川教育長のご親友のNPO法人パンゲアに発注した事業(合計金額2600万円)を巡る官製談合疑惑が『文春砲』で暴かれました。弁護士による外部調査でも地方自治法違反、官製談合防止法違反が指摘されました。さらに、その弁護士への依頼費用約3000万円は全て県民のお金で賄われています。また、2021年度には100万円、2018年度からの4年では700万円のタクシー代を使っていたことが明らかになりました。

これとは別に、大阪の企業で、平川教育長の別のご親友が社長の『キャリアリンク』との取引は『教育長案件』と職員に認識されていたことが、中国新聞の情報公開で明らかになりました。平川教育長自身は、キャリアリンクに発注したのは『自分の指示ではない』と否定していますが、そんな弁解は誰も信用していないような状況です。

また、平川教育長はさらに別のご親友の児童文学評論家の赤木かん子さんに学校図書館のリニューアルを委託し、旅費など646万円を支払いました。おまけに、図書を入れ替える際に、大量に赤木さんの著書を購入させていました。内部調査では法令違反ではないとされました。しかし、頭ごなしのリニューアルは、図書館の自由に関する宣言に反するものです。

2023年2月21日、平川教育長は一連の『事件』当時課長級だった職員一人を戒告処分としたうえで、自分自身は給料の自主返納という「処分にもならない」幕引きを図ろうとしました。

そして、横浜で民間出身校長だった当時の平川教育長を「一本釣り」してきた湯崎知事も教育長を罷免しようとはしていません。

最近では、赤木かん子さんが図書館のリニューアルから外されるなど、平川教育長の権力低下は著しいものがあるそうです。とはいえ、依然として県教育のトップに居座っておられるのは事実です。

鉄面皮、いや、劣化ウラン面皮とでもいうべき平川教育長に、怒りを通り越して、うっかり尊敬の念さえ抱いてしまいそうになるほどです。劣化ウランは鉄よりも硬いので戦車の装甲や砲弾に使われていますが、平川教育長は、その劣化ウラン並みに打たれ強いと言えます。

◆議会の追及は口先だけ⁈

一方、県議会でも追及は続いています。11月24日の広島県議会決算特別委員会では、日本共産党や保守系で湯崎知事に批判的な会派の議員だけでなく、湯崎知事に近い自民党会派出身の議員からも『中途半端な調査報告のために反省もない対応を、議会として認めることはあってはならないと考えています』との批判が噴出する有様です。

他方で、この決算特別委員会では結局、昨年度の県の決算を賛成多数で認定してしまっています。決算というのは認定されなくても実際には混乱は生じないのですから、平川教育長に対してノーを突き付ける意味で、決算認定をしないという手もあったはずです。しかし、それを県議会の多くの議員が選択しなかったということは、やはり、口先だけと言われても仕方がありません。

他の自治体では教育長に対する辞職勧告決議案も出ています。兵庫県太子町では2022年にセクハラ疑惑を起こした教育長に対して辞職勧告決議を町議会が検討。町議会が始まる1週間前の8月22日にこの教育長は辞任を表明しました。議会がその気になれば教育長を打倒することはたやすいことです。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202208/0015576441.shtml

◆不祥事で懲戒免職の教員も「平川教育長名」で処分の笑止

さて県内では一連の『事件』発覚後も、教員による不祥事が相次いでいます。広島市を除き、公立学校の教員の処分は県教委、すなわち平川教育長の名前で行われることになります。

2022年12月21日、県立高校の教諭二人が18歳未満の女性にわいせつな行為をしたとして懲戒免職になりました。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/513384.pdf

当時の広島県教育委員会の松下大海教職員課長は「教育の信頼を損なう事態が発生したことについておわび申し上げます。再発防止に取り組んでいきたい」と話したそうですが、「あなたの上司である教育長が一番教育への信頼を損なっているのでは?」とニュースを報じるテレビ画面に突っ込みを入れてしまったのを覚えています。

2023年3月24日には、コロナ休暇を不正に取得したとして県立学校の主事が停職2か月となりました。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/524711.pdf

直近では10月13日、18歳未満の女性への買春などの被疑事実で逮捕され、70万円の罰金が確定した廿日市市市立中学校教諭の宮本竜太被疑者(当時35)が懲戒免職になっています。

「教育公務員としての職の信用を著しく損なう重大な非違行為であり、信用失墜行為の禁止を定めた地方公務員法第 33 条の規定に違反する。」というのが処分理由です。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/552231.pdf

未成年者とのわいせつ行為や買春はとんでもないことです。それはそれとしても、これらの処分を受けた先生方も平川教育長の名前で処分されたくはないでしょう。平川教育長が居座れば居座るほど、教職員のモラルは崩壊していくのは間違いありません。

◆県外のお友達優遇止め、県内にお金を回すべき

平川教育長は県外のご親友ばかりを優遇してきました。そもそも教員の研修など、県教委に指導主事がいるわけです。その人たちを差し置いて県外に発注するのは、県費の無駄遣いではないでしょうか?

それよりも、例えば、『ホーユー事件』で明らかになったような低すぎる給食の単価を引き上げる。そのために入札制度を改革する。非正規の先生だらけの状況を正規への登用で是正していく。

そうしたことが今、必要なことではないでしょうか?

大阪の企業を振興したいなら、それこそ、広島県教育長などさっさとお辞めになって、今春の大阪府知事選挙にでも立候補されれば良かったのです。

◆地方衰退への危機感の勢い余って食い荒らす自称『新しい血』……平川問題の教訓

平川教育長については、マスコミが天まで持ち上げていたことは忘れてはなりません。もともと、広島は保守的な土地柄で、『年配男性中心』の意思決定が根強くありました。そうした中で、全国と比べても様々な面での遅れが目立っていたのは事実で、広島県庁在職中の筆者もそのことは痛感していました。

そうした中で、文科省官僚や教員上がりといった『既存型人材』、あるいは年配男性を中心とした地元の旧来型政治家への不信感、不安感も広がった。そこに、平川教育長は巧妙につけ込んだとも言えます。

そして『旧来型政治家』が多数を占める議会も、結局、平川教育長へのチェック機能は十分に果たしていません。

今後も、衰退する地方ほど、これまでの古臭さへの「焦り」から『女性』とか『若い』というだけで、平川教育長のような人に権力を与えてしまい、却ってドカ貧を招く、という恐れは十分にあります。
 
「年配男性」「天下り官僚」「地元旧来型政治家」といった『旧来型権力者』に対してだけでなく、平川教育長的な「外部の新しい血」を標榜する権力者に対しても、市民・県民が舐められないよう、きちんとチェックしていくべき。このことは大きな教訓です。

筆者と広島瀬戸内新聞では『湯崎知事や平川教育長らから広島を取り戻し、広島とあなたを守るヒロシマ庶民革命』『総理や知事や教育長になめられない広島県民をつくるヒロシマ庶民革命』を呼び掛けています。

2025年11月の広島県知事選挙へ向け、湯崎英彦現知事の打倒と庶民派知事・庶民派県議の誕生を目指しています。

◆住民訴訟、本格化

こうした中、平川教育長による疑惑幕引きを是としない頼もしい県民がおられます。8月29日、平川教育長に対して、県にパンゲアとの取引で生じた2645万円、弁護士費用3000万円、2021年度分のタクシー代100万円の計5745万円を返すようもとめる住民訴訟が広島地裁に提起されました。

第二回口頭弁論は以下の予定です。

県教委「官製談合」をただす住民訴訟
第2回口頭弁論は12月5日(火)13:30~
弁護団は県教委の「答弁書」に反論、詳述する書面を提出予定

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

《12月のことば》良心の充満したる丈夫となれ 鹿砦社代表 松岡利康

《12月のことば》良心の充満したる丈夫(ますらお)となれ(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

本年のカレンダーもあと1枚となりました。

1年経つのは本当に速いものです。

新型コロナ襲撃でのた打ち回り、読者やライター、取引先の方々の力をお借りし、無我夢中で頑張ってきました。

コロナ以前には左団扇状態で蓄えも少なからずありましたが、一気に変わりました。

潰れもせずにやって来れたのは、ひとえに皆様方のご支援のお蔭、あらためて感謝申し上げます。

今月の言葉は、龍一郎や私の母校の校祖の言葉から採っています。

果たして私たちは「良心」に恥じない生き方をしてきたであろうか? 今の世の中に「良心」というものがあるだろうか? 良心があれば、ウクライナやパレスチナ問題は起きないでしょう。あらためて想う。

来年のカレンダーが出来上がってきました。

毎年楽しみに待っておられる方々が多くおられます。

まずは『紙の爆弾』『季節』定期購読者の皆様には新たな号と一緒に送りますので今しばらくお待ちください。

本年一年、どうもありがとうございました。

(松岡利康)

尾崎美代子『日本の冤罪』
鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国 60年の興亡』
山下教介著『[復刻新版]ドキュメント タカラヅカいじめ裁判 ── 乙女の花園の今』
 

ピョンヤンから感じる時代の風〈35〉NTT法廃止問題から見えてくるもの 魚本公博

この間、貴誌には日米統合問題について何回か寄稿させて頂いた。この11月にも見逃せない問題が起きている。すなわちNTT法廃止問題である。今回はこの問題を考えてみたい。

◆NTT法廃止問題

11月8日の読売新聞に「NTT法見直し 白熱」の記事があった。今、自民党内でNTT法廃止議論が白熱しているという。

この論議は、6月頃、前幹事長の甘利氏が増大する防衛費をどう解決するかの問題で、NTT株を売却して、これに当てるという案を提起したことに端を発する。

甘利氏は、自民党内にこれを討議するプロジェクトチーム(PT)を作り、議論を牽引している。その案では、時価評価で5兆円になるNTT株を20年間、毎年2500億円で売却して、それを軍事費に当てるとしている。これに軍事費倍増のための増税で不評を買う、岸田首相が飛びついた。

しかしNTT法では「NTT株の3分の1以上を国が保有する」となっており、この条項をなくさなければ売却できない。だからNTT法を廃止するということである。

NTT法廃止論者の狙いは、それに止まらない。読売新聞は、甘利PTが重要なポイントと見ているのが、NTTに対する「総務省の関与度合いの縮小」だと指摘する。

甘利氏は「監督官庁による規制は日本の競争力への規制に他ならない」と述べ、荻生田政調会長も「NTTが海外と勝負できる会社に成長する可能性を阻害したのがNTT法だ」とし、その旨、衆院予算委員会で質問し、岸田首相は「規制を抜本的に見直す必要がある」と答弁している。

NTT法は、84年に「日本電信電話公社」が民営化され「日本電信電話株式会社」(NTTはその略称)になった時、その公共性を保障するための規制を定めたものである。

そのために3条で、会社の使命として、①固定電話をユニバーサルサービスとして全国一律に提供する。②電話通信技術の普及を通じて公共の福祉に資する研究開発を行い、その成果を公表する、としており、NTTが公共性を守り、営業本位に走らないように、「取り締まり役の選任」や「事業計画」で総務相の認可を義務付けるなどの規定が明記されており、その中には「外資規制」もある。

NTT法廃止については情報誌『選択』(11月号)が「NTT法廃止という亡国」という記事を出している。それは「杜撰なロジック、大義のない議論」だとして、その亡国性を突いたものである。

また、この議論の過程で、甘利PTがNTTや携帯電話業者のKDDI、ソフトバンク、楽天モバイルの4社の意見を聞く場を設けたが、廃止を主張するNTTに対し、他の3社が廃止はNTTの巨大化許し「公正な競争」を阻害すると反対し、議論が「公正な競争」を論議になったことも「巧妙な『論点外し』」と指摘する。

ただ、『選択』誌は、「NTT法廃止には外資規制の重要問題もあるが、紙幅も尽きた」として、これが米国外資への売却という点を述べようとせず、結論も「将来、ユニバーサルサービスが失われ、しかも通信インフラが中国資本に握られる・・・」などとと、中国が日本の情報インフラを握る危険性があるかのようになっている。

「米国隠し」は、日本マスコミの宿命とは言え、残念なことである。

◆米国への日本の統合を見てこそ浮き彫りになる問題の本質

『選択』誌が指摘するように、NTT法廃止議論は、「杜撰なロジック」「巧妙な『論点外し』で、物事の本質が見えにくい。しかし、この問題も米国が米中新冷戦での最前線に日本を立てるために、日本の全てを米国に統合するという政策との関係で見れば、その狙いと問題の重要性が浮き彫りになる。

それは米国が日本統合のために通信インフラまで掌握しようとしているということであり、甘利やそのPTメンバー、荻生田政調会長、岸田首相など自民党中枢は、それに応じてNTT法を廃止して、その株式を米国外資に売却しようとしているということである。

元々、甘利は、TPP(環太平洋貿易協定)交渉でデータ主権放棄を米国に約束した人物であり、TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れている。そして2020年1月に、安倍政権は、それを「日米デジタル貿易協定」として締結し、自らデータ主権を放棄している。当時、トランプ大統領は、この締結について「4兆ドル相当の日本のデジタル市場を開放させた」と自身の成果を誇っている。

NTT法廃止問題は、データ主権放棄の更なる深化である。

今、データに関しては、これを集約利用するクラウドが重要になっている。それ故、岸田政権は6月の骨太方針で「国産クラウド」育成の方針を打ち出した。それはデータを米国に握られる危険性を承知している日本経済界の要望を入れたものだろう。今、日本のクラウド市場では米国3社が60-70%のシェアを占める。その危険性は日本の大企業も充分承知しており、日本製のプラットフォームやシステムを採用している企業や地方自治体も多い。

「国産クラウド」が言われた時点では、マスコミなども、「日本勢の健闘が期待される」などと言っていた。そこで期待されたのは、NEC、富士通、そしてNTTであった。その中でも、かつて公社であり、NTTドコモなど高い技術力を持つNTTであった。

まさにNTT法廃止は、このNTTの経営権を米国に売ることで、「国産クラウド」の芽を潰し、日本のデータを日本勢が管理する道を阻害するものになるということである。

それだけに止まらない、NTTは日本の通信インフラ(固定電話回線、光ファイバー回線、電柱、管轄、局庁舎など)を握っており、米国は、それまで掌握しようとしているということなのだ。通信インフラ自体を握れば、徹底して日本の情報(データ)を握ることができるし、今後起こりうる「反逆」も潰すことができる。

今、米国覇権は崩壊の度を増している。ガザでのイスラエルの虐殺蛮行を容認する米国への非難の声が世界的に高まり、日本が米中新冷戦の最前線に立たされ「新たな戦前」が言われる中で、米国一辺倒、米国覇権をあてにした生き方が本当に日本のためになるのか、それで日本はやっていけるのかという声が高まっている。

「これを何としても阻止し、反逆は許さない」、NTT法を廃止して、社会のデジタル化の基礎である通信インフラを掌握しようとする米国の意図はそこにある。

NTT法を廃止して、NTT株を米国外資に売るということは、それだけの重大性を持っている。そこに「亡国」の本質がある。

◆「公共性」を守り、国民の財産を守る

NTT法廃止問題は、公共性を維持保障するための規制を廃止するかどうかの問題である。

84年制定のNTT法は公共性に基づいている。電信電話という情報インフラは公共のものであり、それは国民の財産であり、国として守らなければならないという考え方である。

NTT法が、「固定電話によるユニバーサルサービス」や「研究開発」を義務づけたのもそのためである。

これに対し、NTTの現経営陣は、固定電話によるユニバーサルサービスが加入者の減少によって赤字になっていることや研究開発義務が外国企業との共同研究の足かせになっていると主張する。

それは、まさに日本の通信をGAFAMに委ね、日本独自の研究を止めて米国との共同開発を進めるという米国の下への日本の通信の統合のためのものだ。

彼らは、それを「NTT法は40年前の時代遅れの規定」として正当化する。

40年前、「JAPAN AS NO.1」と言われた日本の競争力を削ぐため、米国は、日本の国営企業を問題視し、3公社(日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社)の民営化を要求してきた。

日本政府はその要求に応じて、日本電信電話公社を民営化したが、民営化されたNTTが営業本位に走り、公共性を放棄しないように、NTT法を制定したのであり、当時は、そうした考え方が健在であったのであり、「外資規制」も米国外資がNTTを買収する危険性を防止するためのものであったと見ることができよう。

NTTが所有管理している電柱、管轄、局舎などは加入者の使用料や国民の税金で作られたものであり、国民の財産である。

KDDI幹部の「民営化前に15兆円、現時価で40兆円の国民の資産を継承している責任は重い」、「許せば、NTTは過疎地や離島での固定電話サービスを止める」の指摘はもっともなことである。

これと関連して、イーロン・マスクが進めているグローバルな衛星通信網「スターリンク」との関係で、固定電話によるユニバーサルサービスなど時代遅れだとの論説が流れた際、総務省幹部が「馬鹿な わが国の緊急通報をイーロンマスクに委ねろというのか、スターリンクに低廉な料金やサービス維持の仕組みはない。明日やめるとマスクが言えば万事休すだ」と反論しているが、まったくその通りであろう。

 
魚本公博さん

公共とは皆のものということであり、NTTは国民皆のものである。それを米国外資に売却するなど許してはならないと思う。

岸田政権は、甘利PTの提案を受け、来年8月の国会に法案を提出したいとしている。

事は国民の財産を守るのか、米国に売り渡すのかの問題であり、甘利PTのような自民党内の狭い議論ではなく、国民的な議論にしなければならない。こうした議論の中で、「亡国」のNTT法廃止の法案を廃案にさせなければならないと切に思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』
『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

被害が深刻なほど被害者不利の不条理! 父親の娘への性虐待、「除斥期間」理由に慰謝料請求却下の不当判決 広島高裁 さとうしゅういち

子ども時代(保育園から中学2年生まで)の父親からの性的虐待により、大人になった現在、PTSDに苦しんでいるとして、広島市の40代女性が父親に慰謝料など3700万円を請求している「性虐待PTSDひろしま裁判」の控訴審判決が11月22日、広島高裁であり、原告=被害者女性の訴えを棄却する不当判決となりました


◎父親から性的虐待、女性が損害賠償求めた裁判 広島高裁が訴え退ける「請求権は消滅」女性は上告の方針(広島ニュースTSS 2023/11/23)

◆「人倫にもとる」と父親を断ずるも「除斥期間」を理由に却下

広島高裁の脇由紀裁判長は被告=加害者=父親による性的虐待行為は「人倫にもとるもの」認定しました。しかし、女性が10代後半にはPTSDの症状を発しており、不法行為から「除斥期間」である20年がたってからは請求する権利はない、として一審判決同様、女性の訴えを退けました。原告の女性は、この判決にあきらめずにただちに上告することにしました。

原告は、2020年に提訴。しかし、広島地裁は2022年10月に父親による性的虐待の事実や女性の被害を認定しましたが、「10代後半には精神的苦痛を受けていた」ので、「遅くとも20歳になったときから20年が経過した提訴前の時点で、賠償請求できる権利が消滅した」と判断して原告の訴えを棄却。原告が控訴していました。

◆苦しむ期間が長いほど不利になる理不尽な理屈

たしかに本件の性虐待自体は20年以上前ですが、被害者はそれによって大人になった後もPTSDに悩まされています。父親による被害が現在進行形で続いています。裁判長は、PTSDが10代後半で既に発症していたことも理由に、そこを起点に除斥期間を設定してしまっています。これは苦しむ期間が長いほど、被害者が不利になるという理不尽な理屈です。

そもそも時効とは法的安定性の確保のために「権利の上に眠る者は保護せず」というのが趣旨です。権利があるのに怠慢で権利行使を怠ってきた者にはもう権利行使は認めないのが民法の思想です。例えば、友人に貸したお金の返済を長い間催促しなかったとか、大家さんが借主に未払いの家賃を催促しなかったとか、そういう場合を想定しています。今回適用された法理は旧民法で定められていた除斥期間であり、不法行為の債権が20年で消滅するというものです。モノを壊された被害者が20年間損害賠償を請求しなかったとか、そういう類のものです。

しかし、本件では、被害者は権利を漫然と行使せずにきたのではなく、10代後半以降、ずっと苦しんでおられたが、父親の性暴力による被害であることさえ意識できなかった。そして最近、やっと被害を言い出すことができたという事情があります。この点が、一般の損害賠償請求訴訟とは異なります。さらに、その被害は今も継続しているのです。被害者が直面した事態は、除斥期間を旧民法に導入した立法者が想定していない事態です。旧民法の時代には、そもそも家父長制のもと、父親の権威は絶対です。それと連動して刑法には戦後も維持された尊属殺人という規定がありました。父親の虐待に耐えかねて父親を殺した娘にあわや死刑適用かという場面もありました。この時は尊属殺人の規定は違憲だという判断が示されました。この時は「裁判官が仕事をした」と言えます。

だが、脇裁判長は、尊属殺人の規定があった時代の考えをひきずって今回の判決を出した、すなわち「仕事をしなかった」とも言えます。

◆伊方原発広島裁判仮処分却下に続き期待を裏切った脇裁判長

今回の裁判長は女性の脇由紀裁判官であったことから、ひょっとしたら、原告勝訴の判決もあるかもしれない、と筆者も期待しました。しかし、その期待はもろくも打ち砕かれました。冷静に考えると、脇裁判長は、筆者も原告である伊方原発広島裁判において、筆者ら原告側が求めていた運転差し止めの仮処分申し立てを却下した裁判官でもあります。要は、従来の判例から踏み込んだ判断をされるような裁判官ではなかったということです。

不当判決を上告した原告を徹底的に支援するとともに、一方で、裁判官の質によって被害者の救済が左右されないよう、今回のような事案に対応した法改正も必要と感じます。

◆フラワーデモ「勇気をもって訴えた原告に感謝」

広島高裁による不当判決を受け、「フラワーデモ」が夕方17時から広島市中区の本通り電停前で行われました。フラワーデモは2019年3月に、性暴力で起訴された男性が相次ぎ無罪となったことを受けて、それに抗議するために2019年4月11日に東京駅前で始まりました。それにより性暴力の厳罰化など、一定の法改正が進んだのは皆様もご承知の通りです。

広島高裁による不当判決を受け、広島市行われた「フラワーデモ」

この日は11日ではありませんが、今日の判決日にあわせて被害者勝訴であろうが、不当判決であろうが、開催されることになっていました。広島市での開催は大都会の割に少なく、7回目です。それだけ広島が特に岸田総理の選挙区である中心部ほど保守的ということはあるのですが、そんな状況で開催されている皆様には敬意を表します。

フラワーデモでは、まず、寺西環江弁護士から本件判決についての報告が行われました。

また、夫婦同姓を義務付けた民法の規定は「法の下の平等」を定めた憲法に違反するとして、国を訴えていることでも有名な恩地いずみ医師は「勇気をもって提訴した原告に感謝する」と原告の勇気を称えました。

また、主催者を代表して岡原美智子さんからはフラワーデモの歴史などについて紹介。その上で「同じ広島県内で、男性塾講師から10年以上も洗脳の上、性暴力被害を受け続けた20代女性が、フラワーデモのニュースを見て勇気を得て、弁護士に相談。提訴をし、事実上勝利となる和解を勝ち取った」ことが紹介されました。

広島県内では、このほかにも、呉の海上自衛隊でセクハラ被害者の女性隊員が望まないのに、加害者に直接謝罪させ、女性隊員が退職に追い込まれる一方で、加害者や上司は停職処分で済まされるという理不尽な事件が起きています。

全国的に見れば、例えばジャニーズにおける性加害問題は、長年、鹿砦社を除いてほとんど追及されてきませんでした。

性暴力を許さない社会へ、今回のように声を上げた被害者を支援することで声を上げやすくするとともに、裁判官の質によって被害者の救済が左右されないような必要な法改正が引き続き求められます。

[追記]広島高裁による不当判決を受け、広島市で行われた「フラワーデモ」は、毎月11日に首都圏で行われているフラワーデモとは直接、組織的な関係はなく、今回の原告の支援者が不当判決に抗議して行った街宣です。(筆者)

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

老朽化原発の安全確保の理屈が成り立たない理由〈3〉 試験片が枯渇し、中性子照射脆化を評価できなくなった原発は、直ちに廃炉にすべきである 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)

本稿は『季節』2023年夏秋号(2023年9月11日発売号)掲載の「老朽化原発の安全確保の理屈が成り立たない理由」を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。

◆東海第二の現状

先の論文では運転期間は60年(定格出力運転相当年数・定格出力で連続運転したと仮定して計算した年数で48年)までしか解析されていない。東海第二は今のままでは72年近く運転する可能性がある。運転期間としても50年を大きく超えるだろう。また、材料の具体的な評価については記述がないため、どんな不純物が含まれているかわからない。

一般に、中性子照射脆化は材料に含まれる元素の種類や量で大きく変化する。そのため同じ材料(母材、溶接材)で試験片を作らないと意味がないが、たった5㎜では同じ材質の試験片になっているとは考えにくい。

東海第二と同型のBWRである敦賀1号(すでに廃炉)では加速試験(炉心内で炉壁よりも燃料体に近い場所に試験片を置くことで中性子照射量を多くして、寿命末期の状態を模擬して行う評価)を行ってきたところ、実際の炉壁の状態を模擬できなかった(少ない影響しかないように評価された)例もある。

東海第二も加速照射なので、これまで取り出した試験片が実際の炉壁の状態を正しく評価できるデータが取れているか疑問だ。

そういう状態であるにもかかわらず、中性子照射脆化と加圧熱衝撃の評価をしないなどというのは、都合が悪いから逃げているに過ぎない。しかし事故からは逃げられないということは知るべきだ。

試験片が枯渇し中性子照射脆化を評価できなくなった原発は直ちに廃炉にするべきである。

◆規制委は危険な原発を止められるのか

西村康稔経産大臣は国会で、原発の安全規制に懸念を持つ議員から、危険な老朽原発を事故前に的確に停止することが可能なのかを問われた。大臣は規制委が厳格な審査を行い、不合格になれば原発の運転ができなくなるのだから問題ないと繰り返し答弁した。

改訂前の炉規法では40(+20)年で廃炉となった。今後は事実上、制限がなくなる。老朽原発は規制委が危険性を未然に見つけて許可しないとの判断をしない限り、廃炉にすることができなくなる。

もともと炉規法に年数制限を入れたのは、古い設計で安全上不安のある原発の自主退場を促すことも目的だった。

改正前の炉規法では、よほどのことがない限り運転中の原発に運転停止を命ずることができなかった。しかし新規制基準ができたことで地震や津波、過酷事故対策に加え、特定重大事故対処等施設の建設と、大規模な設備投資が必須となった。

このような工事は100万キロワット級原発と50万キロワット級原発で、費用が倍も違わない。安全対策工事にかかる金額は、柏崎刈羽全部で1兆2000億円、東海第二で3000億円など、原発が1基建ってしまうほどの費用がかかる。同じ投資をするのならば、運転可能年数も長く、設計も建設も新しい原発に集中した方が経済性も良いことは常識である。

そのこともあって、今まで伊方1、2号機、美浜1、2号機など比較的小型で老朽化が進んだ原発が廃炉になった。震災後、東電福島第一と第二を除けば、11基が廃炉になっている。

しかし、ここにきて廃炉の波は止まっている。柏崎刈羽1~5や志賀1などは、新規制基準適合性審査を受けていないが、廃炉にもしていない原発がある。

「新・新規制基準」では、これら原発は動かないのに運転可能年数だけは無意味に伸びていく。老朽化が進んだ原発の退場を促すどころか、いつまでも「動くかもしれない」と、廃炉にもせず、再稼働準備と称して対策工事を延々と続け、経営を圧迫し地域を不安に追い込む。そんな原発が8基もある(柏崎刈羽1~5、志賀1、女川3、浜岡5)。(つづく)

◎老朽化原発の安全確保の理屈が成り立たない理由[全4回]
〈1〉脆性遷移温度が危険域に達した関電高浜1号
〈2〉運転実績や想定を超えている原発の「60年超運転」
〈3〉試験片が枯渇し、中性子照射脆化を評価できなくなった原発は直ちに廃炉にすべきである

▼山崎久隆(やまざき・ひさたか)
たんぽぽ舎共同代表。1959年富山県生まれ。脱原発東電株主運動、東電株主代表訴訟に参加。反原発運動のひろば「たんぽぽ舎」設立時からのメンバー。湾岸戦争時、米英軍が使った劣化ウラン弾による健康被害や劣化ウラン廃絶の運動に参加。福島第一原発事故に対し、全原発の停止と廃炉、原子力からの撤退を求める活動に参加。著書に『隠して核武装する日本』(影書房 2007年/増補新版 2013年)、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社 2012年)、『原発を再稼働させてはいけない4つの理由』(合同出版 2012年)、『核時代の神話と虚像 ―― 原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史』(共著/木村朗、高橋博子編/明石書店 2015年)等多数。

◎たんぽぽ舎 https://www.tanpoposya.com/
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〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年秋号

龍一郎揮毫

広島市長が真珠湾訪問へ 原爆投下の反省無き米国政府との「姉妹協定」既成事実化を急げば、「米国忖度都市 HIROSHIMA」へ変質 さとうしゅういち

広島市の松井市長は11月30日からハワイの真珠湾を訪問することを発表しました。これは、今夏、米国政府=エマニュエル駐日大使=との間で締結した真珠湾国立公園との「姉妹公園協定」を具体化するためとのことです。

広島市は9月の定例市議会で「原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図っていくために締結した」と答弁しています。 その答弁を具体化した形です。

◆「原爆投下を反省しない米国政府」と組んで良いのか?

 
真珠湾の戦艦アリゾナ(撮影=広島瀬戸内新聞関西支社の鈴木記者)

筆者は、そもそも論として、広島の平和記念公園とパールハーバー=真珠湾の「姉妹公園協定」に反対です。広島市とホノルル市は姉妹都市であり、ホノルル市は広島市が主導する「平和首長会議」にも加盟しています。平和首長会議は核兵器禁止条約推進の署名活動もしており、広島市とホノルル市はそうした意味で「同志」の自治体であります。その一環として松井市長がホノルルに行かれることには異存はありません。ただし、きちんと平和行政の推進に効果があるかどうか、説明責任を果たしていただきたい、というスタンスです。

だが、米国政府は、いまだに広島への原爆投下を反省していません。「必要だった」というスタンスは崩していません。もはや、原爆投下は戦争の犠牲を減らすためではなく、日本人をモルモットとした「実証実験」であり、戦後に米国の強力な対抗馬になることが確実だったソビエトへのけん制でもあったという議論が主流となった今でも、米国政府はまったく反省していません。オバマ大統領が2016年に広島に来た時もまるで他人事のような挨拶であり、反省や謝罪の言葉はありませんでした。

日本政府についていえば、基本的にはいわゆる村山談話を継承し、第二次世界大戦における加害責任について一定のお詫びをしています。必ずしも十分ではないと筆者は考えますが、それでもまったく反省も謝罪もない米国に比べればすべきことはしています。

そんな米国政府の原爆投下責任を棚上げにして組んで良いのだろうか?そのことは、「核兵器の使用を二度と繰り返してはならない」という国際世論を後退させてしまうのではないか? そう思うのです。

「広島が米国政府を許したのであれば、俺たちが核兵器を使っても構わないよね?」と、米国以外の中露英仏はもちろん、インド、パキスタン、朝鮮、そして今ガザ虐殺で非難を浴びているイスラエルまで言いだしかねません。すくなくとも核兵器使用のハードルを下げる方向に「米国政府の責任棚上げ」はなると思います。

◆G7広島契機に「平和都市ヒロシマ」から「米国忖度都市 HIROSHIMA」への変質

そして、繰り返し指摘したいのは、2023年5月のG7広島サミットを契機に広島が曲りなりも「平和都市ヒロシマ」だったのが「米国忖度都市 HIROSHIMA」に変質しているということです。

すでに、今年度から広島市の平和教育の教材から『はだしのゲン』(小学校)や『第五福竜丸』(中学校)が削除されています。広島市教育委員会はマスコミの取材に様々な弁明をされています。しかし、こんな変更をさせたのは誰か?松井市長以外にあり得ないでしょう。すでに、教育行政については、第二次安倍政権における法改定で首長の「独裁」が事実上可能になっています。広島県の場合は、湯崎英彦知事がお気に入りの平川理恵教育長を任命して彼女に独裁的な教育行政をやらせています。他方で広島市の場合は松井市長が教育長には影が薄い方を任命し、松井市長が強力なリーダーシップを発揮している感があります。

そうした中で、G7で広島にお見えになる米国のバイデン大統領の「お目を汚さない」ようにはだしのゲンや第五福竜丸を削除させたのは、この間の流れを見れば、見え見えではないでしょうか?

そして、G7広島サミットでは、西側の核保有は肯定する「広島ビジョン」が採択されました。

また、対ロシア戦争中のゼレンスキー大統領がまるで「乱入」するかのように途中参加し、まるで対露戦争会議のようになってしまいました。

「平和都市ヒロシマ」は、「米国忖度都市 HIROSHIMA」に変質してしまいました。

◆ガザ虐殺応援団サミットでもあったG7広島、恥ずかしすぎる

あれから半年。ガザでは、ハマス政権の「反撃」に対してイスラエル総理のネタニヤフ被告人が大軍をガザ地区に送り込み殺戮を続けています。そして広島に集ったG7のうち、日本を除く米英仏独伊加や欧州委員長らは核兵器保有国でもあるイスラエルべったりです。ゼレンスキーも核兵器保有国であるロシアによる侵略被害者のはずが、核兵器保有国かつ侵略者であるイスラエルを全面支持する始末です。G7広島サミットはまさに、ガザ虐殺応援団サミットだったことに結果としてなってしまいました。

また、これはサミット広島県民会議を管轄する湯崎英彦知事の暴走になりますが、平和記念公園内にG7広島サミットの常設展示コーナーを5000万円かけて設けるということです。恥ずかしいからやめていただきたい。

広島がガザ虐殺応援団サミットの場に結果としてなってしまった。そのことへの反省も松井市長の現時点での行動からはみじんも感じられません。松井市長には、どうせ訪米するならハワイへ行くよりも、それこそ、長崎市長とも歩調を合わせ、ワシントンやNYに行って、アメリカや国連にネタニヤフの暴走を止めるよう要求したらいかがでしょうか?

◆広島市は米国政府より、まずは市民と連携の「王道」を

ここで強調したいのは、広島市はあくまで自治体であるということです。そもそも、米国政府と組む、というのがおかしな話です。

むしろ、強化すべきは世界各都市(自治体)とそこに住む市民との連携です。11月27日からNYで第二回締約国会議が始まる核兵器禁止条約。この条約も市民運動が各国政府を動かしたのです。米国政府との連携を急ぐ前に、まずは各国市民との連携を密にする。そして、日本政府にもせめて核兵器禁止条約の会議にオブザーバー参加はするよう圧力をかけつつ、核保有国に迫っていく、というのが王道ではないでしょうか?

米国政府のエライ人に一生懸命に胡麻をすったところで、良いように利用されるだけではないでしょうか?

◆「サミット期待・評価」の野党政治家も反省を……平和都市ヒロシマ回復への道

また、くりかえしになりますが、G7広島サミットについては立憲民主党や日本共産党などの国政野党の県議も2023年統一地方選におけるマスコミや市民団体のアンケートに答える形で「G7広島サミットに期待」「G7広島サミット誘致を評価せず」と表明してしまいました。筆者自身は県議候補では唯一「サミットに期待せず」「評価せず」と回答しました。その後の広島ビジョン発表で、日本共産党などの県議はあわてて政府批判に転じましたが、遅すぎました。すでに、松井市長や湯崎知事はアメリカ忖度の方向で暴走を加速した後でした。G7という核保有&イスラエル応援団に悪用され、「米国忖度都市HIROSHIMA」に変質しつつある広島。

一方で、2023年統一地方選でも広島市議選の候補者では、日本共産党や保守系無所属の一部候補でも「サミットに期待しない、誘致を評価しない」という筆者と同じ回答をした方もおられます。

国政野党の皆様にもご反省をいただいたうえで、平和都市ヒロシマを取り戻すため、ともに進んでいただきたいと強く要望します。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

格闘群雄伝〈35〉足立秀夫 ── 「荒武者」と言われた、顔は怖いが心優しきキックボクサー 堀田春樹

2017年3月5日掲載の、「埋もれた勇者 ── 足立秀夫という男」というタイトルで掲載していますが、格闘群雄伝版でもう少し踏み込んだ展開にしてみました。

短い期間だった渡邉ジムでの練習風景、上り調子の頃(1981.12.21)

◆自衛隊から突如転身

足立秀夫(あだちひでお/1957年5月21日、静岡県袋井市出身)は1979年(昭和54年)4月、名門・目黒ジムからライト級でデビューし6連勝。後に移籍後もチャンピオンには届かなかったが、強い蹴りと強面の荒々しい試合で存在感が増して行ったキックボクサーだった。

子供の頃から走ることが得意だった足立秀夫はマラソンでは常に一番になり、高校卒業後は船に興味があったことや基礎体力に自信があったことで海上自衛隊に入隊。そこでたまたまキックボクシングをやっていた隊員に誘われ目黒ジムを見学すると、キックボクシングの凄さを実感。本能的にいきなり自衛隊を辞め、その目黒ジムに入門した。

子供の頃からの走り込みや自衛隊で鍛え上げられたパワーとスタミナで勝ち進んだデビュー1年後に、小泉猛(現・ジャパンキックボクシング協会代表/市原)と引分ける試合があった。

「このままではこの先勝てなくなる。技術を磨かねば」と一層そんな欲求に苛まれ、1981年春に単身、タイ修行に臨んだ。

それまでの目黒ジムでは、野口ボクシングジムとの交流も多かった縁でパンチの戦法が活かされたが、このタイ遠征した際に出会った元・東洋フェザー級チャンピオン、西川純氏の存在が大きく運命を変えた。

「タイ選手もビビるほどの強い蹴りを持てばタイのトップクラスでも通用する!」と言われた蹴り主体の戦法に変わり、帰国後は西川ジムに移籍し、磨きをかけた左ミドルキックは驚異的となった。

バンモット戦の試合直前、西川会長と出番を待つ(1982.1.4)

◆不憫な環境でも充実練習

足立秀夫が練習の場としていたのは西川ジムが間借りしていた、新小岩にあった渡邊ジムだった。この渡邊ジムとの縁は4ヶ月程だった様子。この年10月に発足した日本プロキックボクシング連盟が半年足らずで分裂が起きていることから大凡の事情は把握出来たものだった。

暫くは京成小岩駅近くにあった西川純会長宅前の路地を使って練習を続けていた。敷地内の二階建て木造アパートが合宿所となって、足立秀夫の他、数名の選手はこのアパートに住んでいた。流し台のある六畳一間でトイレ・洗濯場共同の風呂無しアパート。家賃五千円らしい。このアパートでは廊下でも会話が多い和気藹々とした雰囲気。当時の学生身分から見れば、充分住み易いアパートだった。

路地での練習は夕方の限られた時間しか集まれない為、選手が増え、賑やかになり過ぎた頃、近隣からの苦情で撤退を余儀なくされてしまった。すると夜の市場を借りたり、アパートの部屋の壁を撤去して二部屋分をジムにしてしまう工夫も見られたが、1982年12月半ばには国鉄小岩駅から200メートル程歩いたところの雑居ビルでジム開設に至った。港建設に支援され、暫く「港西川ジム」と改名されたのもこの縁である。開設披露日に業界関係者が祝福に訪れ、足立秀夫が藤原敏男氏とスパーリングを行なえたのも貴重な体験だったという。

バンモット戦の朝、計量前にフラッと散歩(1982.1.4 朝7時頃)

◆全盛期

足立秀夫は西川ジムに移籍後の1981年9月末、山梨県甲府市で日本ライト級チャンピオン、須田康徳(市原)に挑戦したが判定負け。この時すでに日本キックボクシング協会(旧・TBS系)は内部分裂していた様子が窺え、クーデターと言われた革命の日本プロキックボクシング連盟発足に繋がっていった。

同年10月25日、その設立興行で足立秀夫は過去一度勝っている長浜勇(市原)に判定勝利。

長浜勇戦第2戦はパンチには苦戦も主導権奪って判定勝利(1981.10.25)

翌1982年1月4日にはタイの元ランカーで来日4戦4勝の、バンモット・ルークバンコー(タイ)にKO負けしたが、序盤はアグレッシブに攻め、日本人が対戦した中で最もいい試合したと評価を得た試合でもあった。

この年11月には画期的な1000万円争奪オープントーナメントが始まり、翌1983年2月5日には藤原敏男(黒崎)と62kg級準決勝戦を行ない、第3ラウンド、右ストレートで倒されたが、ジム開設パーティーで藤原敏男とのスパーリングで得た手応えから気力充実で全力で挑んだ試合だった。これが藤原敏男氏の現役最後の試合となったことも後々映像で振り返る機会多い試合となった。

藤原敏男戦は最も緊張し、気力も充実した試合だった(1983.2.5)

気合いが入るというのは強さ倍増する自信となった足立秀夫。藤原敏男と戦った乗りに乗ったモチベーションは10日後の香港遠征で、タイから選抜されて来た選手に蹴りでKO勝ちしたという結果はより一層自信に繋がったという。

同年5月28日には日本プロキック・ライト級王座決定戦を須田康徳と争い、右アッパー喰らって3ラウンド終了時TKO負けで雪辱成らずとなったが、翌6月17日、内藤武(士道館)に逆転の判定勝利。連戦の大物との激闘に疲れが見えていたのも事実だったが、この頃までが一番輝いていた時期だった。

ヘビー級の斎藤三郎とエキシビジョンマッチ、意外と人気で盛り上げた(1983.9.18)

◆下降の原因

翌1984年1月5日、過去2勝している長浜勇に2ラウンドKO負け。同年5月26日にはサバイバルマッチと言われた内藤武戦で借りを返される判定負け。同年10月13日にはバンモット・ルークバンコーとの二度目の対戦もアゴにハイキック喰らってKO負け。

上り調子だった長浜勇に倒された第三戦(1984.1.5)

11月30日には統合団体、日本キックボクシング連盟設立興行で新鋭・飛鳥信也(目黒)に序盤先手を打つペースを握りながら巻き返され逆転KO負け。減量失敗でフラフラの状態で現れた朝の計量時、「駄目だ、落ちなかった。グローブハンデでも何を課されても仕方無い!」こんな弱気な、か細い声の足立秀夫は初めてだった。

サバイバルマッチと言われた内藤武戦。返り討ち成らず(1984.5.26)

それまでライバルを突き放し、上位へ挑戦し続けた現役生活。しかし次第に巻き返された昭和59年という現役6年目、この先のメジャーに向かう華々しい新・連盟イベントを最後に引退を決意。太く短く戦った現役生活だった。

引退前だが、気合い充分、雪辱に燃えたバンモット戦(1984.10.13)
ラストファイトとなった飛鳥信也戦、力尽きた戦い(1984.11.30)

「強い奴とやり過ぎたんだ!」とは一緒に練習していたジム仲間の言葉。タイの強豪と戦い、敵わなかったことが「本人も周りも気付かないうちに自信を無くしていったんだろう。」という周囲の声だった。選手を育てるには「勝ち癖を着けることが大事」と言われる。下位には勝てるが上位には勝てないその壁を上手く乗り越えていくことが大事で、強い相手ばかりを続けて当てると敵わないことで伸び悩んでしまうと言われる。しかし、閑散とした日本のリングとキックブームの香港、戦う場が限られていては止むを得なかったかもしれない。

引退後は故郷、静岡の同級生と結婚し、後に地元に帰って焼肉店「東大門」を開店した足立秀夫氏。焼肉店の隣に東大門ジムを開設し、2000年代に入った頃のニュージャパンキックボクシング連盟興行で出場選手を連れて現れた。現役時代に無かった笑顔を振り撒き穏やかな表情で「商売人は笑顔で居なくちゃ駄目だよ!」と焼肉専門店の先輩から教えられたことから「笑顔で居るのが癖になっちゃったよ!」と笑う足立秀夫氏。三人のお子さん(男の子)はいずれも立派に成人。

地方では練習生が少ないが、現在は焼き肉屋を若い者に譲渡し、ジムに顔を出す時間を増やし、そして現役時代のように自らも走り込む時間を送って鍛えることを楽しんでいるという。

現役時代、チャンピオンには届かなかったが、現在のような多乱立王座だったら、何らかのチャンピオンには成っていただろう。しかし、「須田康徳を倒してこそ真のチャンピオン」と信じた現役生活に悔いは無く、「須田康徳さんとも藤原敏男さんとも戦えたのは幸せな現役生活だったよ!」と語っていた。

足立秀夫の現役時、1983年6月に西川ジムに入門した赤土公彦氏は「ジム見学に行った時に前髪が長い独特なスポーツ刈りをしていた足立さんが居て、試合前で気合いが入っていて、体型、風貌も含めてミットやサンドバッグを蹴っている姿がカッコイイと一目惚れで入会したのを覚えています。現在のようなYouTubeや過去の試合映像も無かった時代で、身近に良い見本になる先輩が居たのは自分にとって今も受け継いでいる財産です!」という一発入門を決めたのが足立秀夫の強い蹴りだった様子だった。

私(堀田)が出会ったばかりの頃、試合1週間前に「俺、減量したら凄く顔変わるからビックリしないで!」と言っていた足立秀夫氏。実際の試合当日の朝、他の選手より眼がくぼんで頬がこけた足立秀夫氏の顔があった。毎度の試合の度にこんな苦労しているのかと目の当たりにした減量の厳しさを感じたものだった。

現役の頃に私がお渡しした試合写真は今も大切に持っているという足立秀夫氏。あんなボケボケブレブレの撮影で申し訳なかったが、「それでも俺らにとっては貴重な写真だよ!」と言ってくれたことが嬉しいものである。

「西川純会長は自分を育ててくれた恩人で、また東京へ会いに行くんだ!」という足立秀夫氏。また東京で私とも会えたら、今度はデジタルカメラで高画質の撮影をしてあげたいものである。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」