進む広島駅周辺再開発 このままネオリベ知事・市長の「独裁」でいいのか?〈2〉リスクだらけの新巨大拠点病院計画 さとうしゅういち

広島駅の南北でいま、大規模な再開発が進んでいます。その中で、広島県知事・湯崎英彦さんと広島市長・松井一実さんの暴走が目立ちます。松井市長の暴走は、以前ご紹介した中央図書館の『エールエールA館移転』問題です。

今回取り上げるのは湯崎知事の暴走です。湯崎知事は、広島県立広島病院、JR広島病院、中電病院、広島がん高精度放射線治療センターなどの機能を集約した1000床規模の巨大な新拠点病院建設を計画しています。

こうした中、広島県議会9月定例会は10月2日、212億円の補正予算案を可決しました。この補正予算案には、新拠点病院建設へ向けた予算も含まれています。もちろん、今回の補正予算案で可決されたのは病院建設へ向けた費用のほんの一部です。湯崎知事がすでに発表している基本計画によれば1300-1400億円の総事業費がかかるということです。

[左]広島県立広島病院(いわゆる「県病院」)。[右]JR広島病院。いずれも筆者撮影

◆試算根拠不明、議決に値しないボロボロの議案に賛成した国政与党と立憲

今回の補正予算案に賛成したのは自民党の多数派、公明党、立憲民主党などの県議です。逆に、自民党少数派(自民党広志会)など保守の一部と日本共産党は反対に回りました。広志会の女性県議は反対討論で総事業費の試算根拠が全く示されていないと指摘。これでは賛否の判断のしようがないと切り捨てました。日本共産党も、県病院周辺住民の合意が得られていないことなどから、反対に回りました。

他方で、立憲民主党所属のある県議は「まだまだ見通しが立っていないことや課題も多いことから今後も様々な角度で引き続き議論が必要」と認めながらも、賛成に回ってしまいました。そんなに課題があるなら、知事に顔を洗って出直してもらうべきだったのではないでしょうか? こんな議案に賛成してしまったことについて、立憲広島は恥を知るべきです。

◆『独裁』で突進してきた湯崎知事さえも早くも『逃げ』の態勢

湯崎知事は予算が可決された翌3日の定例会見で「病院の統合も含めた長期的な計画なので、事業や財務の計画には当然さまざまなリスクがある。物価のほか医療制度や技術も変化していくので、常に計画をアップデートして、発表していきたい」とおっしゃいました。

湯崎知事自身も早くも、逃げの態勢に入ったと言わざるを得ません。さまざまなリスク……すなわち、この病院計画案がボロボロであると知事自身が認めたようなものです。『常にアップデートして発表』といえば、いかにも柔軟そうで聞こえはいい。しかし、そもそも、県病院や中電病院など廃止される病院の周辺住民の合意をきちんとり、病院を作るうえで必要な様々なことを住民の意見も聞いて詰めていれば、こんな発言は出てきません。

ここまで湯崎知事の事実上の『独裁』で生煮えの計画をつくる。そんな計画に基づいて、補正予算案を出してしまう。そして、問題点が噴出すれば「常にアップデートします」と聞こえの良い言葉で逃げる羽目になったのではありませんか? そんな知事のいい加減な仕事ぶりにあきれ果てました。

◆リスク・疑問点だらけの計画

知事もお認めになった通り、この病院の計画にはリスクや疑問点が多すぎます。

第一に、新拠点病院はJR広島病院がある地区にできるから、JR広島病院を再利用するかと言えばそうではありません。JR広島病院は新しい建物になって10年もたっていないのに、解体して立体駐車場にするという。あまりにももったいない、と言わざるを得ません。

第二に、この広島駅北口地区は渋滞が慢性化しています。とくに朝夕の通勤時間帯やマツダスタジアムでカープの試合がある前後は酷い渋滞で、歩いた方が早いことがよくあります。筆者と妻が外食をして帰るとき、妻はバスで、筆者は自転車で帰りますが、筆者の方が圧倒的に早く家に到着し、筆者の帰宅を喜ぶ犬の写真を妻に送る余裕があるありさまです。そんな状況で、救急車がうまく病院に到着できるのでしょうか? 外来の患者さんも円滑に来院できるのでしょうか? 命に係わる一刻を争う時にこれはまずいと思われますが、筆者の友人が県の担当部局に問い合わせた時も納得できる回答は得られていません。

第三に、県立広島病院の現在地だと南海トラフ地震の津波のリスクがあると県は主張しますが、広島駅北口とて大差はないのではないでしょうか? 地震動についてはむしろ広島駅北口の方が強いというデータもあります。そもそも、現在地に津波で救急車が到着できないなら、広島駅新幹線口にも到着はできないでしょう。むしろ、何か所かに病院を分散しておいた方が災害時のリスク分散になり良いのではないか?

第四に、新拠点病院では過疎地で医療に従事する若手医師を育成するという。しかし、広島駅という県内でももっとも煌びやかな地域(東京にはもちろん及びませんが)に来たがる若い先生方が、そもそも過疎地に赴任したがるか疑問です。

第五に、県病院の医療スタッフは現在のところ公務員=広島県職員ですが、移転後は独立行政法人になります。この際、身分の不安定化から、今いる医師も、バカバカしくなって、もっと都会の給料が高い病院に流出する危険があるのではないでしょうか?そうなると、湯崎さんが掲げる高度医療の提供も画餅に帰すことになります。また、独立採算制になれば、儲け主義にも結局なりかねません。

第六にそもそも、県病院周辺の住民、あるいは同じく新病院に統合が予定されている舟入市民病院の小児救急周辺の住民の納得は得られていません。県病院が近いから、舟入市民病院が近いから、ということで、医療ケアが必要なご家族を抱える方が家を購入しているケースも多いのです。

◆病院の存続を求める市民団体

こうした中、県立広島病院の存続を求める市民団体「県病院問題を考える会」が3日、県庁で記者会見しました。黒川冨秋事務局次長は、「県病院は長く県民に親しまれてきた病院だ。新しい病院が出来ても地元の人はタクシーなどで通院しなければならず、病気の人には負担が大きい」「県病院を残して今までどおりの医療体制を維持するべきだ」と訴えました。 
その上で、「古い病院を壊すだけではいいものにはならない。お金の使いかたを充実させてほしい」と述べ、湯崎知事が新病院でやるとしている若手医師の育成については広島大学病院との連携を通じて図るべきと指摘しました。『県病院問題を考える会』の連絡先は以下です。 

〒734-0005 広島市南区翠町1丁目10番27号 
電話 082-250-3155 FAX 082-250-3157

ここまでこの問題で独裁的に猪突猛進してきた当の湯崎知事が『柔軟に見直す』と明言せざるを得ない状況です。あきらめずに知事をしっかり監視していきましょう。 

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

《BOOK REVIEW》梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』 美しく繊細な描写力と構想の精緻さに圧倒される 評者=田所敏夫

◆優美な文体による悲劇と描写のコントラスト

『広島の追憶』は悲しく痛みに満ち溢れた物語であるが、全編優しい表現で描かれている。物語の激烈さを優美な筆致で書き上げる、内容と表現の見事なコントラストにより、この物語が発するメッセージはさらに輝きを増している。

 
1梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』(鹿砦社)四六判、上製カバー装、本文192ページ+巻頭カラー4ページ、定価1650円(税込み)0月12日発売

物語の登場人物には、ついぞ意地悪や性根の曲がった人物が見当たらない。子ども、大人を問わず一人も現れない。他方情景や食べ物、心理の描写は、輪郭が明確で色鮮やか、しかも繊細である。まるで万華鏡を覗くようだ。わたしはさながら追体験をしているかの如き感覚を抱きながらページをめくった。この作品が児童文学への造詣が深い著者の実経験と筆力、そして力強い意思で貫徹された物語だからであろう、美しくも繊細でありながら重大なメッセージを込めた作品の力量と、構想の精緻さに読者は圧倒されるだろう。

本書の帯には「担当編集者が何度も泣いた。」とある。わかる。素直に悲しく、可哀そうで落涙したり、優美な文体による悲劇と描写のコントラストに涙する読者は少なくないだろう。

◆苦痛や煩悶を丁寧で穏やかに描写

物語は、原爆投下後12年を経た広島市(現広島市南区あたりだと思われる)で同じクラスの小学校6年生4人がまず登場する。物語で主役を演じ、おそらくは著者の実体に基づくであろう「由美子」、八百屋の父親を手伝う元気な「和也」、細身で音大進学を望む「裕」、勉強も運動も得意、優等生の「進」。

小学校6年生の4人に「病」と「死」は容赦なく近づく。苦しかっただろう、怖かっただろう、悲しかっただろう。が、物語の中で著者は死者にも生き残った者にも、ほとんど強いトーンの発言や行動をとらせることがない。押し殺したわけではない。苦痛や煩悶が丁寧で穏やかに描写される情景こそが、かえって読むものに惨状の実態を強く感じさせるのだ。

近年わたしは映像でも文章(物語)あるいは音楽、つまりは文化一般における、揶揄競争、激烈さ競争、さらには圧倒的な痴呆化に飽きてしまっている。『広島の追憶』はそんなわたしの欠乏感と欲求を、ものの見事に埋めてくれるどころか、驚くべき展開を見せてくれた。漢字さえ読めれば年齢に関係なく誰にでも読む価値があるし、心が揺らされるのは必至だ。数十年ぶりに文学の名著に出会うことができて、わたしは満たされた。

◆「由美子」はおそらく幼少時代に長崎で被爆している

上記が『広島の追憶』への一般的な感想である。以下は『広島の追憶』とわたしの個人的接点だ。

一般的に読者が文学作品に接する際、個人的経験との接点(共有・または共振)が作品への同一感を強化することはありがちである。本書とわたしの間にもそれは生じた。

まず物語冒頭の主たる舞台である広島市南区翠町。そこは1945年8月15日にわたしの母及びその家族の居宅があった場所である。当時5歳の母は疎開しており原爆投下の日、同所には居なかったが、叔父たちは近所に下宿していて原爆の直撃を受けた。

直後に死んだり大怪我した叔父は居なかったが、50歳を超えると不思議なことに叔父は癌を発病し、短い治療期間で死んでいった。被爆と癌発症の因果関係を科学的には証明できないのかもしれないが、彼らが「被爆手帳」を持って事実は重たい。

そして物語の主人公「由美子」が転居する道程である。「由美子」は長崎から大阪そして広島から再び大阪へ移動する。「由美子」はおそらく幼少時代に長崎で被爆している。

わたしの母は長崎で生まれ下関を経て広島そして神戸へと転居を重ねた。上記の通り広島原爆投下の日には広島市内に家がありながら疎開して直撃弾は免れた。しかし、祖母から聞いた話によれば原爆投下からほどなく家のあとかたずけに一家総出で翠町に赴いている。母は100万人に1人と言われる珍しい癌に数年前罹患した。つまり、本書のテーマである原爆、被爆とわたしは無関係ではいられないのである。

まだ存命であるが最近母の見当識は相当に怪しい。

わたしの母の名は由美子だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。


新刊おすすめ『広島の追憶』
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《工藤會レポート》最高幹部裁判の方針変更 工藤会館跡地を「希望のまち」に 横山茂彦

◆その後の工藤會

工藤會の最高幹部、野村悟総裁に死刑判決、田上不美夫会長に無期懲役の判決が下ったのは、一昨年(2021年)のことだった。

判決後に野村被告が「公正な判断をお願いしたのに、全然公正じゃない。あんた、このことを生涯後悔するぞ」と裁判長を批判し、田上被告も「ひどいな、あんた。足立さん(裁判長)」と発言したことで、メディアに波紋を呼んだ。

じっさいに弁護団のみならず、捜査関係者のあいだでも「共同正犯」は成立しないだろうとの見方が大半だっただけに、直接証拠(証言)のない犯行指示は、予想外のものだった。暴力団であれば、組員の犯行は直接の指示がなくても組長の責任が問われる、と推論によって刑法を拡大解釈した判決である(※刑法16条:教唆犯=人を教唆して犯行を実行させた者には、正犯の刑を科する)。

事件は一般社会、市民に対する無差別な暴力として、社会的な耳目を集め、全国から県域をこえた捜査員・警備陣を動員することで、警察庁主導の捜査・取り締まりとなった。いわゆる北九州方式である。

もともと事件それ自体が、梶原組元組長(山口組系)との利害関係で発生したこと、工藤會と関係のあった県警元警部への襲撃など、かならずしも「一般市民への攻撃」ばかりではなかったことを、筆者は本通信で明らかにしてきた。

したがって、警察組織の予算獲得、FBI型の広域捜査体制の確立が背景にあると指摘してきた。

《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[前編] 4つの事件の軌跡(2021年8月25日)

《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[後編] 「暴力団」は壊滅できるのか?(2021年8月26日)

そのいっぽうで、野村悟総裁をおもんぱかって犯行に及んだ看護師襲撃事件が、ペニス増大手術に関する不満という、ちょっと恥ずかしいものだったことにも、一連の事件の情けなさが顕われている。

2014年に開始した「工藤會頂上作戦」の時期に、筆者は工藤會執行部に取材を試みたことがある。溝下秀男三代目が総裁だった時期(2000年代初頭)から、宮崎学氏らとともに、工藤會を密着取材してきた(雑誌『アウトロー・ジャパン』太田出版)関係から、いくつかのインタビューには応じてもらえた。

しかし、現トップ(野村・田上)について、執行部の面々は「かならずしも私淑していない」「尊敬できん者(もん)を擁護するのは、嘘をつくことになります」と、内情と本心を明かしてくれたものだ。

「女の子(看護師)を襲撃するやら、極道のすることやないです」(最高幹部の一人)と、事件そのものに批判的であった。

その後、野村被告と田上被告は一審の弁護士を全員解任し、公判方針も変えている。田上被告が「自分が野村に相談することなく、独断で事件の犯行を指示した」と、つまり野村悟の死刑判決を回避するために、罪をかぶることを宣言したのである。

主張を変えた契機は「弁護士から被害者のこと、私の指示で長い懲役に行った(組員の)ことに向き合うことが本当ではないかと言われました。もう本当のことを話そうと思って、決めました」であると述べた(9月27日・控訴審の田上被告人質問)。

そのうえで、「(被害者に)本当に悪かったと思います」と謝罪し、獄死は覚悟していると述べた。

野村被告は「襲撃の指示もしていないし、事前に襲撃する報告も受けていない」と、改めて事件への関与を否定した。


◎[参考動画]工藤会トップは「父親のような存在」「好き」 ナンバー2が証言した野村被告への“心酔” 市民襲撃4事件裁判 福岡高裁(2023/09/27 福岡TNC)

◆新体制への移行はない

そのいっぽうで、工藤會はナンバースリーの菊池啓吾理事長も拘留中であることから、新しい理事長(若頭)代行を選出した。後藤靖田中組六代目である。またもや田中組を組織のトップに指名したのだ。野村悟、田上不美夫、菊池啓吾、そして今また田中組のトップが実質的に六代目(会長)候補となったのだ。つまり新体制への移行は、できなかったことになる。これではおそらく、組織は機能しないであろう。

山口組がながらく「山健組にあらざれば、山口組にあらず」という時代(1990年代~2010年代)をへて、クーデターとも言われる弘道会の執行部確保によって、2015年の組織分裂(神戸山口組との分裂)に至ったように、主流派団体の執行部掌握は、組織全体の求心力の低下をもたらすものだ。

じじつ、工藤會においても組織は温存しつつも、看板を下ろす(事務所を閉鎖)することで、企業活動や事業の地下化がはかられてきた。おもてむき、組を解散することで警察の取り締まりをのがれ、暴排条例下の新しい組織運営を模索してきたのが、工藤會の実態なのである。あるいは首都圏や関西に進出することで、北九州方式の弾圧網から抜け出す傘下組織(長谷川組など)もある。

ひるがえって、溝下秀男の時代に工藤會が取り組んできた街の治安維持、外国人の違法業務(風営法違反)の撲滅、あるいは違法薬物汚染の取り締まりなどを、現在の警察当局が現実に実行できるのかが、問われているといえよう。

そもそも北九州は、ヤクザがいなければ安全という土地柄ではない。工藤會という統制から外れた街に、危険はないといえるだろうか? ヤクザを締め出し、街の治安維持を取って代わる以上、警察当局には相応の成果がもとめられる。

◆その後の会館跡地

2019年に工藤會本部(工藤会館)が解体され、2020年にNPO法人の「抱樸(ほうぼく)」が1億3000万円で土地を購入したことも、本通信でレポートしている。

工藤會三代目の溝下秀男が建てた工藤会館の跡地に、生活困窮者の支援センターが出来るのは、ある意味で因縁を感じさせるとも指摘した。溝下が孤児出身で、孤児施設の支援に精力を注いできたからだ。

故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に(2020年2月19日)

その抱樸が、福祉拠点の建設を進めてきたが、物価高のおりクラウドファンディングで資金を集めると発表した(10月4日)。名づけて「希望のまちプロジェクト」である。

この福祉拠点は生活困窮者の救護施設、DV被害者の避難シェルター、誰でも使えるキッチンや図書スペースを備える予定だという。

規模は3階建て、13億1000万円ほどの予算で、そのうち日本財団の助成や金融機関の融資、市のふるさと納税によるCFなどで12億4000万円がまかなえるので、独自のCFで7000万円を目指すという。


◎[参考動画]2025年4月に新施設オープンへ 『希望のまちプロジェクト』寄付を呼びかけ(2023/10/04 FBS福岡放送ニュース)

抱樸の代表である奥田知志についても既報のとおり、息子さんがシールズの代表だったことから、共産党系の人脈ではないかとの噂もあるが、そうではない。

関西学院大学時代に釜ヶ崎支援の学生運動の周辺にいた人物で、その後、西南学院大学をへて日本バプテスト連盟の東八幡キリスト教会牧師、ホームレス支援の北九州越冬実行委員会に参加(代表)、NPO法人ホームレス支援全国ネット代表。

ほかにも、例のColaboの理事も務めている。2020年には赤坂御所に参内し、天皇皇后に新型コロナ渦での生活困窮者支援策を説明している。

バプテスト教会員でボランタリーな支援活動といえば、アフガニスタンで難民支援・医療活動に従事したペシャワール会の故中村哲を思い浮かべる。中村哲も皇居で天皇皇后(平成)にアフガンでの活動を説明している(のちに旭日双光章を受章)。

ジャンルもスタンスも違うが、人道支援という意味では奥田は中村哲の後継者にみえるような感じがする。

中村の出自は玉井金五郎(火野葦平の父親=若松のヤクザ)の系譜で、親族には工藤會幹部がいた。われわれも溝下秀男ほかの工藤會関係者と、中村医師の活動を支援する方途を検討した記憶がある。奥田にはそういう系譜はないが、北九州という土地に根ざす以上は、貧困による差別、部落差別問題や在日差別問題、DVなどの厳しい現実に立ち向かって欲しい。CFの成就を祈念する。


◎[参考動画]【実録・独自】「工藤会」元組員が語る“修羅の国”での25年間【ほぼノーカット】(2023/09/25 福岡・佐賀 KBC NEWS)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

《BOOK REVIEW》梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』子どもたちだけでなく大人にも知ってほしい物語 評者=さとうしゅういち

1944年にナガサキに生まれ、小学校から高校までヒロシマで過ごした著者による「明日へと生きる若い人たち」への物語です。著者は「長崎青海」というペンネームで鹿砦社から松岡社長の編集で「豊かさの扉の向こう側」という本というより小冊子を著したことを契機に、大学非常勤講師や家裁の調停委員なども務めることになり、一念発起。図書館のアルバイト職員から大学に入学して司書資格を取得、修士課程も修了したという努力家でもあります。今回、30年ぶりに松岡社長の編集でまた本書を出されることになったそうです。

◆仲良し小6・4人組を次々襲う悲劇をリアルに描く

 
梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』(鹿砦社)四六判、上製カバー装、本文192ページ+巻頭カラー4ページ、定価1650円(税込み)10月12日発売

原爆投下から12年がたった広島での由美子、和也、進、裕の小学校6年生4人組とその後を描く物語です。

運動能力の高い和也、勉強抜群の進、そして歌がうまい裕。この中で由美子だけは長崎生まれ、大阪経由で広島に引っ越してきたという経歴の持ち主です。絵がうまく、国語は得意だけど、算数は不得手。体が弱く、イントネーションが関西弁だったために、クラスでもからかわれ、進、裕は由美子を庇うけれども、和也は由美子をからかう側という展開があるところまで続きます。しかし、他のクラスの男子が由美子を筆頭にクラスの女子にちょっかいを出してきたのに和也が反撃してヒーローになるという事件を契機に変わってきます。

中学進学を前に、夏休みに四人が将来を話し合う。広大付属(湯崎英彦・広島県知事を輩出するなど現在もトップ進学校)中を志望する進。音大を将来志望するために市外の中学を志望する裕。公立中から卒業後に八百屋を継ぎたい和也。思いもかけず先生から受験を勧められた由美子。

その後、悲劇が次々と襲う。まず、原爆症で和也のお父さんが夏休みの終わりに亡くなり、中学卒業後には家業の八百屋を継ぐという計画が崩れてしまいます。小学校卒業後は八百屋をたたみ、おばさん(広島県廿日市市)の大きな店を継ぐために大学まで行くことになるという怒涛の展開。

ついで、裕が白血病で入院。さらに、由美子によく絵を教えてくれた担任の上内先生も入院。年明けに二人とも亡くなってしまいます。さらに、進の二番目のお母さん(もちろん、被爆者でお父さんの再婚相手)も妊娠したまま自死するという事件が起きてしまう。進はこのため、おばあちゃんの家に行くため広島を離れることになります。

「原爆を落とされた広島は、今まで由美子が想像もしなかった悲しみの街だった」という叙述。その前後に、今までは「ナイト」として由美子をかばってきた裕が亡くなり、同じく「ナイト」だった進が広島から出ていく。そういう状況で和也が由美子の(3人目の)「ナイトになってやる」というところで、小学校生活は終わります。

◆「なんで、こんとに人が死ぬん?」「ヒロシマじゃから」そして「私は死なない!」

由美子は広島市内でも名門とされる進学校の女子中高・N学園に見事に合格し、進学。江波(現中区南部)に引っ越し、和也と一年に一度、夏に会います。

長崎生まれながら、大阪で育ち、他の三人に比べれば広島を良く知らない由美子は和也に、「なんで、こんとに人が死ぬん?」と質問し和也は、「ヒロシマじゃから」と答えます。

物語中で描写されているように、それなりに街が復興している状況にある戦後12年。カープの本拠地、旧広島市民球場もこの年の7月完成しています。そんな状況でも、次々と原爆の影響で子どもも大人も亡くなっていく。子どもも、クラスの友達や先生が亡くなっていく中で、いつ、自分が原爆症を発症してもおかしくない。悲しみだけでなく、自分事である。そういう状況におかれていた。そのことが強く伝わってくるセリフです。

いつしか、高3を迎えた二人。由美子は広島大学を志望し、和也は野球の名門・広商から大阪の有名私大への推薦入学が決まります。それまで二人で毎夏、亡き裕の家を訪ねていましたが、裕のお母さんの申し出で、それもこの年で終わり。

しかし、今度は由美子自身の体調が悪化してしまいます。実は、幼いころに入院経験があり、「18歳まで生きられるかどうか」と宣告されていた由美子。由美子自身が長崎生まれでお母さんは被爆したが由美子は佐世保にいたから被爆していないというのが表向きでした。だが、和也は由美子のお母さんから重大な告白を聞き出してしまう。原爆を受けていることを隠さないといけないのか。差別されないといけないのか。和也の憤りが伝わってきます。和也を見送った後の由美子の「私は死なない!」という決意は泣かせます。

由美子は結局受験せず。和也は大阪の私大へ進学。そして、18歳を超えて19歳になった夏。由美子は通信制の大学、それも和也と同じ大学へ行くことが思いもかけず、決まりますが、また入院してしまいます。そうした中で、和也が帰省して入院中の由美子に再会し、瀬戸内海の島に行って由美子からの手紙に改めて目を通し、「元気になれよ、風になんかなってどこかへ行くなよ」とつぶやき、ハーモニカを吹き始めたところで物語は終わります。

◆大人にこそ読んでほしい

「戦後80年に届く日が来た。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この80年前の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように。」

筆者もその思いを心から共有しました。まさにそれぞれの人生のある一人一人が、放射能によって命を奪われていく悲惨さ。被爆しているというと差別される理不尽さ。そのリアルを伝えていく必要があります。

それとともに、この本は、子どもたちだけでなく、特にこれから将来、各国を指導していくことになる若手政治家ら大人にも読んでいただきたいものだと痛感しました。この本の著者も「世界中のおとなたちへのお願いです。どぞ、これからも放射能によって子どもたちを死へと向かわせないでください。おとなの責任を子どもたちに背負わせないでください。」とあとがきで述べておられます。

本書は、『はだしのゲン』など従来の本と比べれば具体的な被爆シーンなどはなく、ソフトな描き方ではありますが、人が次々と亡くなっていくという恐怖、そして、それが自分自身もそうなるかもしれないとずっと背負い続ける恐怖。これらをリアルに描き出すことに成功しています。はだしのゲンなど従来の本は大事にしつつ、本書も広げていきたい。

被爆から78年たった今となっては、大人も広島でこういうことがあったことを、頭では勉強していても、きちんと認識している人は少ないと思われるからです。

それも広島においてさえも、です。和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(下写真=広島市南区的場町)。でも原爆からの復興で建てられた建物はもちろん、その後建て替えられたモダンなビルもまた壊され、ポストモダンな高層建築物がニョキニョキとそびえています。ついつい忘れてしまうことがある。だけど、忘れてはいけないことがある。筆者自身には子どもはいませんが、その分、周りの大人に伝えていきたいと思います。

和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(広島市南区的場町で筆者撮影)

新刊おすすめ『広島の追憶』
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▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』〈3〉 看護師の言葉から辿る実践の「奇跡」 評者=小林蓮実

1人ひとりが、その人らしい人生を送り、最期を迎える。そのために、わたしたちは具体的に何ができるのか。今回も、地域医療に尽力する医師・松永平太氏の著書、『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の書評の第3回目をお届けする。

第2回目では、認知症の独居をも在宅で看取るという松永氏の覚悟が表現されたメッセージを紹介。また、孤独死を除く在宅死亡率は1割未満であって現在でも病院で亡くなる人が多いが、松永氏は予防医療も導入し、「穏やかな最期」の実現を目指していることも伝えた。

今回は、本書を追いながら、わたしの友人である看護師たちの言葉も紹介したい。それにより、理想の実現の尊さを感じてほしいのだ。

◆看護師の友人の話と、地域の山エリアの取り組み

 
松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

先日、がんの闘病中のS氏と、友人で看護師のM氏と話していた際、S氏は全国を巡ると語っていた。離婚はしていないが、妻への「財産分与」も終えたという。つまり、病院でも自宅でもない場所で最期を迎えたいのだろう。

後日、別の友人で看護師のY氏と話したときには、「まず、家族が高齢者を引き取りたがらない。また、本人も在宅で最期を迎える覚悟はなく、家族とそのような話もしていない」と言っていた。個人的には、いつでも自分の最期にまつわる希望を書き連ねて残しておきたいところだが、死について考えたり語り合ったりすることは現在もなおタブーであるか、本人も家族も向き合おうとしないものなのかもしれない。

本書で松永氏は、「診療所に自分の携帯番号を張り出し、患者にもその家族にも、困ったらいつでも電話をしてほしいと伝えて」もいることに触れていた。

南房総市内の山エリアの区長は、災害時には孤立するうえに高齢者が多いエリアだからと、押せば区長につながるブザーを各家庭に設置している。また、どこが災害にあっても、それぞれの家が避難所になるように設定しているのだ。さらにこの行政区は、太陽光の活用や水道の種類の多さなども誇り、テレビの取材も受ける先進エリア。地域には、本当に頼もしい存在や対策があり、学ぶことが多い。

◆デンマークの「高齢者福祉の3原則」を千倉でも実現

本書では、2017年のデンマーク視察についても書かれている。2022年の1人当たり名目GDPを調べてみると、デンマークが66,516米ドル、日本が33,822米ドルで、2倍近くの差があるのだ。デンマークの人は、25%の消費税を、「信頼」と「尊敬」を背景に支払っていると語る。

デンマークは2023年の世界幸福度ランキングでも第2位に輝いており、47位の日本との差は歴然。ここにも「信頼」と「尊敬」の有無が表れているのではないかと、松永氏は考える。そして、デンマークの高齢者福祉の3原則は、1. 人生、生活の継続の尊重 2. 自己決定の尊重 3. 残存能力の活性化 とのこと。独居の高齢者宅にもケアスタッフが1日数回訪れるという。

デンマークから千倉に戻った松永氏は、1. 病院に入院した高齢者を元気にし、優しく地域に突き返す 2. 地域全体で少しずつ弱っていく高齢者を見守り、支えていく 3. 本人が望めば、自宅で最期を看取れる地域をつくる の3つを実践することにした。その中で、家族を呼び寄せ、漁師町の酒盛りに包まれて旅立つことを支援していったわけだ。

◆「ひとりぼっちでは死なせない」ために、施設とサービスを拡大

QOL(Quality of life:生活の質・生命の質)が唱えられて久しいが、これについて「命の輝きは、笑うこと、食べること、そして愛されることに表れ」ると松永氏は述べている。特に「愛される」とは、「ひとりぼっちでは死なせない」ということだという。

前出の看護師のY氏は、「病院から高齢者を家に返せないのは、訪問看護・介護などを手がける施設がないエリアが地域に多いせいもあるのではないか」と口にした。そこでわたしは早速、松永医院について説明したのだ。

以前も触れたが、ここには外来・訪問で診察をおこないながらリハビリも手がける診療所、地域の人が集まって食事や入浴をするデイサービスセンター、高齢者を元気にして家に帰す老人保護施設、認知症の人を支える認知症専用デイサービスセンター、そして在宅療養者の生活支援から看取りまでを担う訪問看護・介護ステーションをそろえている。ここに住む人、そして移住してきたわたしは幸運だ(笑)。

また、地域通貨風の施設内通貨を用い、好みのサービスを提供している。やはり先進的なのだ。そして、老人保護施設は、「利用者の過去6カ月の在宅復帰率が50%以上、過去3カ月のベッド回転率が10%以上、入退所後の訪問指導割合が30%以上」の施設として「超強化型」老健に指定されている。

◆「夢人さん」も「夢追い人」にも施される「無色透明のごちゃまぜケア」

しかも、認知症にかかった人を「夢人さん」、かかっていない人を「夢追い人」と呼ぶ。適切で優しいケアにより、他の施設では大声で暴れていた人が、穏やかになって笑顔が増えていくそうだ。日々、したいこととしたくないこと、人生経験や思い出話に耳を傾けるとのこと。さらに、待つことの重要性も説く。

前出の看護師でM氏のほうは、認知症の人に手を上げたことのない看護師・介護士はいないだろう」とわたしに話したことがある。彼女は1人、認知症の人の話を聞き、ほかの人は距離を置くそうだ。その話を聞いたときに感じた悲しみと絶望は、本書によって癒やされる。互いに希望をいだくことは不可能なことではないのだ。

実際、松永氏は1日8軒をまわり、すれ違う高齢者にも声をかける。もちろん、多職種の連携も重視する。読み進めるほど、わたしの友人の看護師や作業療法士はみな、松永医院で働いてほしくなる。

そして、地域包括ケアシステムを提供していくうえで、在宅看取りを強化するため、看護小規模多機能サービスと定期巡回、臨時訪問介護看護サービスの充実を必要なものとして考えているという。これらであれば、利用料が包括的に決まっているため、必要なサービスを提供できるそうだ。松永氏は、これらの「無色透明のごちゃまぜケア」を通じ、「すべての人が人権と尊厳を保ちながら生きられる社会に変えていかなければ」と綴るのだ。(つづく)

◎地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』

〈1〉笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療
〈2〉命を輝かせ、独りぼっちにさせないための施設と取り組み
〈3〉看護師の言葉から辿る実践の「奇跡」

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。東京で二十数年暮らし、DIY、医療・看護、代替補完療法、落語、園芸、料理、パソコンをはじめとする実用書・雑誌・フリーペーパー、省庁や大・中小企業のツールの執筆や編集のほか、Webのコンテンツの執筆・ディレクションなども手がけてきた。2019年、南房総エリアに、Uに近いJターン。地域の高齢者と友情を育むことを松永氏は推奨しており、わたしも勝手に実践している(つもりだ)。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

格闘群雄伝〈33〉富山勝治 ── ポスト沢村忠を担った全国ネットの名チャンピオン![前編=戦歴編] 堀田春樹

◆「お前なら沢村忠に勝てるぞ!」

富山勝治(とみやまかつじ/1949年2月8日宮崎県延岡市出身)は4人姉弟の長男で、姉一人、妹二人。本名は富山勝博。キックボクシングの帝王、沢村忠の後継者として、飛び後ろ蹴りを必殺技に戦い続けたTBSキックボクシング全国ネットの代表的スター選手。花形満、稲毛忠治、サミー・モントゴメリーとの壮絶な戦いは今も語り草となっている。

初の回転バック蹴りヒットの姿、当時のプログラム裏表紙より

キックボクシングを始めた切っ掛けは、高校卒業後入隊した海上自衛隊での上司の森嶋日出春氏の言葉だった。

「富山くん、お前なら沢村忠に勝てるぞ!」

九州では当時まだキックボクシングの放送は無く、「沢村って誰?」と思うほど、まだキックボクシングの存在も知らなかったが、広島の呉港に停泊した時、初めてテレビで沢村忠vsポンニット・キットヨーテン戦を観て、「これが沢村か、なーにこの野郎なんか一発だ!」と思ったという。

後々、3年間の海上自衛隊を満期退職し上京し、目黒ジムに入門。

「お前は目黒ジムじゃないと駄目だぞ。」と森嶋氏に言われていたとおり、「野球で言えば、巨人の王・長嶋のように大手のジムへ行け!」という忠告に従ったとおりだった。

入門後、朝は早いが夜練習できる環境を作る為、神田の青果市場で働いた。全日本系のトップ選手、錦利弘(協同)も働いていたという。

キックボクシングの選手を見付ける度に「よーし、いつかこいつを倒してやるぞ!」と思うばかりの粋がった新人時代だった。

◆関門海峡渡れない

デビュー戦は1970年(昭和45年)8月9日。山梨県甲府市でKO勝利。当時は目黒ジム隆盛期。「沢村さんっていつ練習しているんだろう。」と思うほど、ジムでは出会わなかったという。また400人ほど居たというほど練習生や選手も多く、同門対決も多かった。

同門の先輩、神田昭広戦では遠慮ない足踏みつける荒技を使いながらのローキックでのKO勝利。

「富山の野郎、汚い野郎だ!」と囁かれる反響の中、野口プロモーションの野口修社長には「根性ある!」と言われ、これで当時、アメリカ進出を狙っていた野口氏にロサンゼルスへ連れて行かれ、将来性を買われた一歩抜きん出た存在となった分岐点でもあった。

1972年1月2日、先輩の斎藤元助が東洋ウェルター級王座獲得すると、富山勝治は同年2月19日、空位となった日本ウェルター級王座を花形満(東洋)と争った。痛烈なノックダウンを何度も喫する劣勢の中、試合前に母親から「お前が負けたら関門海峡渡れないぞ!」と脅かされていた言葉を思い出し、何とか起き上がっての逆転KOは感動を呼び、TBSでは2週連続で同カードを放送される特例の事態。富山勝治は地方区から全国区へ飛躍した、更なる人生の大きな分岐点となる名勝負を残した。

日本系(野口プロモーション)復興で久々の後楽園ホール登場(1996.6.30)

◆絶望感漂う敗戦

1973年(昭和48年)1月2日、初防衛戦は急成長して来た稲毛忠治(千葉)と引分け、ライバルがすぐ後ろに迫っている危機感に圧されながら勝利を重ね、1974年1月2日、東洋ウェルター級王座決定戦でサネガン・ソーパッシン(タイ)を倒し、沢村忠と肩を並べる地位へ上昇。

しかし1975年1月2日、東洋王座初防衛戦となった稲毛忠治との2年ぶりの対決は、初回わずか76秒、パンチで倒された衝撃の展開。正月早々からキックボクシングテレビ放映史上最もショッキングと言われるほどの落城だった。

その稲毛忠治戦で最初のノックダウンの際、右足くるぶしを骨折した為の療養で、5ヶ月ほど戦線離脱。復帰後、空位の日本ウェルター級王座決定戦で飛馬拳二(横須賀中央)にノックダウン喫する逆転成らずの判定負け。これでポスト沢村は一層遠のき引退が囁かれた。

しかし、当初から決定していたとされる稲毛忠治へのリターンマッチへ再浮上を懸けた戦いへ進んだ。

「稲毛忠治に親父と御袋の前で倒された後、ちょっと弱気になったけど、姉に電話した時に『勝坊、もう宮崎に帰って来い!』と言われて涙が出たけど、その言葉でもう一回考えて、もう一回やろうと思った。もう一回復活せにゃならんと!」。

“このままでは終われない”と奮起した復帰。飛馬拳二に敗れても辞める気は無かったという。

翌1976年1月2日の稲毛忠治とのリターンマッチは、どうしても勝たねばならない土壇場からのヒットアンドアウェイ戦法で僅差ながら判定勝利。評価はともあれ復活にファンは安堵した。

東洋王座復帰後も思うように勝てぬスランプは続いたが、同年、沢村忠が7月2日の試合を最後にファンの前から突如姿を消すと、富山勝治のテレビ登場はより増えていった。ライバル的存在のタイのランカー、チューチャイ・ルークパンチャマ戦は1勝1敗の後、1978年1月2日、TBSのキックボクシング2度目の生放送で、乱闘で熱くなる中、飛び後ろ蹴りで第4ラウンドKO勝利。

TBSテレビ運動部長の森忠大氏が試合後の控室を訪れ、「富山くん、やっと沢村を越えたな!」と言ってくれたその言葉は嬉しく、今も耳に残っているという。

「後ろ蹴りは田舎の先輩で空手の達人が居て、高校時代から習った後ろ蹴りはずっと意識していた技で、まだランカーの頃、タイ選手との試合で後ろ蹴りをやった時、軸足を蹴り上げられたから、飛んで回ればいいと考えて飛び後ろ蹴りを始めたもので、ずっと続ければいつか閃くものです!」と語る。

旧ゴング誌編集長、舟木昭太郎さんのトークショーで久々にファンの前に登場(2019.4.20)

そうしてポスト沢村を手中にした富山勝治は、同年5月8日に日本武道館での、TBS放送500回記念興行が3度目の生放送として、全米プロ空手を迎え入れることになった最初の興行にメインイベンターとして出場。USKFAジュニアミドル級チャンピオンのサミー・モントゴメリーに、第2ラウンドに右ストレートを受け、右肩から落ちて脱臼骨折。大ピンチから5ラウンドまでローキックで逆転寸前に追い込むも判定負け。この大怪我でまたも戦線離脱となってしまった。

しかしそれも3ヶ月で復帰し、8月20日のラスベガス興行に臨んだ。キックボクシングが世界的メジャー競技になる為のアメリカ全土征服は野口修氏がキックボクシング創設当初から狙っていた野望だったという富山勝治。メインイベンターとしてエディ・ニューマンを第4ラウンドKO勝利で存在感を示した。

◆富山勝治は健在!

沢村忠引退後、全国ネットでお茶の間に君臨したメインイベンターは富山勝治が担ったが、TBSで10年半続いた月曜夜7時枠のゴールデンタイムを離れ、諸々の事情はあったものの、深夜放送に移った1979年4月以降と放送完全打ち切りとなった1980年4月以降、活躍する姿を全国に届けることは極めて難しい時代に入ってしまった。ここからテレビ放映復活へ試行錯誤を繰り返した野口プロモーションであり、メインイベンターとして戦った富山勝治であった。

後のテレビ朝日での3度の特別番組の中、1981年1月7日には日本武道館で、野口修氏が老舗の威信を懸けたWKBA世界二大タイトルマッチ(10回戦)を開催。ウェルター級で富山勝治がその大役を任された。やがて32歳を迎え、体力的なピークも過ぎての過去最高峰の戦いは過酷だった。ディーノ・ニューガルト(米国)に初回から右ストレートでアゴを打ち抜かれてダメージを引き摺りながら第9ラウンドまで踏ん張ったが2分41秒、テンカウントされても動けないKO負けで、今までのような怪我とは違う、身体的ダメージと体力的限界が感じられたことは否めなかった。

日米決戦、ロン・ホフマン(米国)戦、テレビ朝日放映3戦目(1981.5.9)
ジョー・ヒギンス(米国)戦、テレビ東京放映2戦目(1981.11.20)

後のテレビ東京に移ったレギュラー枠も1982年1月7日のエドワード・ラメッツ戦でKO勝利後、「テレビ東京からあと何年かやってくれと言われたけど、もう闘争本能が湧いて来なかったから、やらなかったですよ!」と語る。

エドワード・ラメッツ(米国)戦、テレビ東京放映3戦目(1982.1.7)
エドワード・ラメッツ戦勝利後、インタビューを受ける(1982.1.7)

この現役最後の頃からスパゲッティ屋「がんがん石」を展開。渋谷、新宿、自由が丘、高円寺、小倉に3店、博多、宮崎と全部で9店舗。「店を広げ過ぎたな!」と言うほど長くは続かなかったが、実業家としての第一歩はビジネス拡大への縁も深く繋いでいった。

1983年11月12日、後楽園ホールでロッキー藤丸(西尾)を相手に引退試合を行ないKO勝利で有終の美。これで富山勝治だけでなく、TBS時代からのキックボクシングは寂しい終焉を迎えた時代の流れだった。

ラストファイト、ロッキー藤丸戦のリングに入場(1983.11.12)
全力を尽くしたロッキー藤丸戦(1983.11.12)

引退後はジム経営、プロモーター、トレーナーといった何らかのキックボクシング運営に一切関わらなかった富山勝治氏。

「沢村さんが一切マスコミなどメディアにもキックボクシング関係にも出なかったから、その貫く意思を尊重しました。沢村さんあっての自分の存在があったから、沢村さんがやらないなら私もこの業界に残ることはしませんでした。」と語られています。

続編では富山勝治さんの経歴の裏側とその語り口をお話致します。

有終の美を飾って祝福を受け、記念のチャンピオンベルトを巻いた富山勝治

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

《近刊案内》10月23日発売にて次の2点の新刊を刊行いたします! 鹿砦社らしい力の入った書籍です。『ジャニーズ帝国 60年の興亡』と『日本の冤罪』 今からご予約お願いいたします! 鹿砦社代表 松岡利康

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ジャニーズ帝国 60年の興亡 鹿砦社編集部=編

ジャニーズ帝国 60年の興亡
鹿砦社編集部=編
A5判 320ページ カバー装 定価1980円(税込み)

少年愛の館、遂に崩壊! ジャニーズ問題追及28年の執念、遂に実る!

本年(2023年)3月7日、英公共放送BBCが、わが国だけでなく全世界に放映した故ジャニー喜多川による未成年性虐待のドキュメント映像が話題を呼び、これをきっかけに、ジャニーズ問題が報じられない日はない。本年最大の大事件で2023年の重大ニュースのトップとなるだろう。

今やジャニーズ事務所に対するメディアタブーが一気に溶けた感がある。これまでジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川の未成年性虐待(性犯罪)やジャニーズ事務所の横暴を、ジャニーズ事務所に忖度し報じず、むしろ癒着しその所属タレントを重用してきたNHK、朝日新聞をはじめとする、わが国トップクラスの巨大メディアまでもが掌を返し連日大きく報じている。

しかし、これまで黙認、放置、隠蔽してきた(文春を除く)マスメディアの責任は大きい。

鹿砦社は、遙か28年も前、1995年にジャニーズ事務所から出版差し止めを食らって以降、多くの書籍でジャニー喜多川による未成年性虐待の問題やジャニーズ事務所の横暴などを報じてきた。一時期、芸能スキャンダルの一つとしてそれなりに報道されたりもしたが、ほとんどのマスメディアは無視した。わが国の代表的週刊誌『週刊文春』が1999年に追及を開始するまでに15点の告発系の書籍を出版し、今回の騒動でも、その中のいくつかの書籍が話題になった。

本書はその〈集大成〉としてジャニーズ60年の詳細な歴史、28年間の言論活動で経験してきたことなどをあますところなく記述し、これ一冊でジャニーズの歴史がすべて解るようにした。

今では貴重な資料も復刻・掲載、ジャニーズの60年の出来事を直近(10月2日の記者会見)まで詳細に記載し、ジャニーズ問題の本質をまとめた待望の一冊! ジャニーズ事務所からの3度の出版差し止めにも屈せず28年間の言論・出版活動を継続してきた鹿砦社にしかできない、類書なき渾身の書、緊急出版!

【主な内容】
Ⅰ 苦境に立たされるジャニーズ
 2023年はジャニーズ帝国崩壊の歴史的一年となった!
 文春以前(1990年代後半)の鹿砦社のジャニーズ告発出版
 文春vsジャニーズ裁判の記録(当時の記事復刻)
[資料 国会議事録]国会で論議されたジャニーズの児童虐待

Ⅱ ジャニーズ60年史 その誕生、栄華、そして……
1 ジャニーズ・フォーリーブス時代 1958-1978
2 たのきん・少年隊・光GENJI時代 1979-1992
3 SMAP時代前期 1993-2003
4 SMAP時代後期 2004-2008
5 嵐・SMAPツートップ時代 2009-2014
6 世代交代、そしてジュリー時代へ 2015-2019
7 揺らぎ始めたジャニーズ 2020-2023

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315290/

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日本の冤罪 尾﨑美代子=著

日本の冤罪
尾﨑美代子=著
四六判 256ページ カバー装 定価1760円(税込み)

「平凡な生活を送っている市民が、いつ、警察に連行され、無実の罪を科せられるかわからない。今の日本に住む私たちは、実はそういう社会に生きている。」(井戸謙一/弁護士・元裁判官)

労働者の町、大阪・釜ヶ崎に根づき小さな居酒屋を営みながら取り組んだ、生きた冤罪事件のレポート!

机上で教条主義的に「事件」を組み立てるのではなく、冤罪事件の現場に駆け付け、冤罪被害者や家族に寄り添い、月刊『紙の爆弾』を舞台に長年地道に追究してきた、数々の冤罪事件の〈中間総括〉!

8月に亡くなった「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司さんが死の直前に語った貴重な〈遺言〉ともいうべき対談も収める!

【主な内容】
井戸謙一(弁護士/元裁判官) 弱者に寄り添い、底辺の実相を伝える
《対談》桜井昌司×尾﨑美代子 「布川事件」冤罪被害者と語る冤罪裁判のこれから
[採り上げた事件]
湖東記念病院事件/東住吉事件/布川事件/日野町事件/泉大津コンビニ窃盗事件/長生園不明金事件/神戸質店事件/姫路花田郵便局強盗事件/滋賀バラバラ殺人事件/鈴鹿殺人事件/築地公妨でっち上げ事件/京都俳優放火殺人事件/京都高校教師痴漢事件/東金女児殺害事件/高知白バイ事件/名張毒ぶどう酒事件
[著者プロフィール]
尾﨑美代子(おざき・みよこ)
1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

『紙の爆弾』2023年11月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

 
本日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

8月24日に始まった、東京電力福島第一原発から発生する核汚染水の海洋放出。1回目が9月11日に終了。第2回が10月5日に始まり、2023年度は4回に分けて予定されています。9月24日付の福島民報は、「廃炉作業に必要な施設整備のためにタンクを撤去する方針だが、タンクの解体で出る廃棄物の減容化や置き場の見通しは立っていない」と報道。政府はこれまで汚染水海洋放出について、「廃炉作業を安全に進めるためには、新しい施設を建設する場所が必要となり、タンクを減らす必要がある」と説明してきました。しかし、そのタンクの処分方法が決まっていないということは、廃炉のプロセスが未定であり、少なくとも現在行なわれている海洋放出は、廃炉にまったく結びついていないということです。本誌9月号では小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教が、海洋放出の真の目的を「トリチウムが放出できないとなれば、核の再処理ができなくなるため」と喝破しました。そのとおり、日本政府はとにかく海に捨てたいだけです。

市民団体が9月1日に、海洋放出を強行した岸田首相、西村康稔経済産業相、小早川智明東電社長ら5人を刑事告訴したほか、「ALPS処理汚染水差止弁護団」(共同代表・広田次男、河合弘之、海渡雄一各弁護士)が9月8日、福島地裁で海洋放出を差し止めるため民事で提訴。その詳細を本誌でレポートしています。さらに今月号では、元『科学』(岩波書店)編集者で富山大学准教授の林衛氏に、トリチウムだけではない、「ALPS処理水」の危険性を示す科学的事実を聞きました。福島原発のデブリの処理は100年以上かかるといわれ、ならば汚染水海洋放出も100年を超えて行なわれることになります。これを止めることこそ、私たちが現在向き合うべき課題です。

麻生太郎自民党副総裁に「政権のがん」と言われた公明党。「平和の党」「政権のブレーキ役」を“金看板”として自称する彼らとすればお褒めの言葉となるのでしょうが、公明党は敵基地攻撃能力について専守防衛の立場から反対したことはないとして、麻生発言は「事実誤認」と弁解する体たらく。そして、軍事三文書が昨年末に易々と閣議決定したのは周知の通り。岸田軍拡で日本国民はすでに5年間で43兆円の支出を迫られ、“中国の脅威”でさらに増額となることも予測されます。しかも、日本政府はすでに発表しているウクライナへの総額1兆円の支援に加え、世界銀行からの復興支援金15億ドル(約2230億円)についても保証。国民の命と金を際限なく差し出すのが岸田政権、というより、すでに岸田首相の意図すら関係なく、事態が動いているのかもしれません。

今月号の足立昌勝氏の論考も指摘しているとおり、地域の平和は地域で、つまりアジアの平和を求めることこそ、あらゆる点で理にかなっているということでしょう。そのために、日本の戦後処理を総括する必要があります。関東大震災における朝鮮人虐殺も、もちろんそこに含まれます。ほか今月号では、“被災地”が高い壁に覆われたハワイ・マウイ島火災にまつわる大手メディアが書かない数々の“疑惑”、「XBB対応」のコロナワクチンが日本だけ接種拡大の“現実”など、ぜひ全ての方々に読んでいただきたいレポートを多数掲載しています。ジャニーズ以外にも「マスメディアの沈黙」といえる事例は社会に山積しており、そこに光を当てることこそ本誌の役割です。今月号も、書店でお見かけの際はぜひご一読をお願い致します。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

『紙の爆弾』2023年11月号

林衛富山大学准教授に聞く原発汚染水海洋投棄 
日本政府「安全」のウソ
原発事故汚染水 西村康稔経産大臣が無視する海洋放出の“損害額”
映画『福田村事件』原作者に聞く朝鮮人虐殺百年 
日本の“現在地”
ジャニーズ性加害問題 マスコミが触れない“本質”
ジャニーズよりも悪影響
創価学会に屈し続ける「メディアの沈黙」
旧統一教会「解散命令請求」めぐり自民党の“出来レース棄却”
辺野古裁判“敗訴”を機に日米地位協定の闇を問い直す
小渕優子・木原誠二起用の裏側
第二次改造内閣にみる岸田政権終焉の予兆
自然災害か、それとも人為的な破壊工作か?
日本企業も関与するマウイ島大火災の“疑惑”
立憲民主党・原口一博衆院議員インタビュー 
コロナワクチン「日本だけ接種拡大」の現実
米国覇権回復に向けた謀略的内実「統合の時代」と日本
アフリカで続く動乱の背景に欧米「新植民地主義」
“アメリカの戦争”への協力体制確立
合意された「米日韓軍事同盟」
茶坊主事務所のアイヒマン——
男色カルト集団を増長させてきた日本“令和の敗戦”
シリーズ 日本の冤罪43 続・日野町事件

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
ニュースノワール 岡本萬尋
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
キラメキ★東京漂流記 村田らむ
裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
権力者たちのバトルロイヤル 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

予算増加、工期先送り…… 本当に完成するのか?! 変更案可決も先行き不透明の広島高速5号線二葉山トンネル建設計画 さとうしゅういち

広島県議会は10月2日閉会の9月定例議会で「二葉山トンネル」(1.5km)を含む広島高速道路5号線(4.0km)の変更案を可決しました。

変更案の概要は、広島高速道路公社(広島県と広島市の折半出資)が事業主体の高速道路5号線について、
・完成時期は2028年度、供用時期は2029年度に先送りする
・総費用を30億円アップの1289億円とする
というものです。


◎[参考動画]広島高速5号線 事業費30億円増 完成も計画より4年遅れ(RCC NEWS DIG 2023/09/15)

◆費用便益比は『1』に限りなく近く『首の皮一枚』

 
高速道路5号線の工事現場。高架部分は完成も奥のトンネルが完成のめど立たず。広島市東区の筆者の自宅近くで筆者撮影

道路などの公共事業を行う際、費用便益分析、俗にいうコスパの分析を行います。費用で便益を割った比率である費用便益比が1を超えればその事業はやった方が良い、1を割ればやらないほうが良いという結論になります。今回の総費用のアップを込みにした場合、高速道路5号線は「ギリギリやった方がいい」事業ということに転落します。しかも、今後、例えば今夏も二度起きたようなシールドマシン故障などが起きて工期が延びるなどして、費用がさらにかさめば、コスパが悪くて『やらないほうがいい』事業になってしまいます。

◆広島空港への定時性確保も、岩国錦帯橋空港ができた今となっては……

もちろん、広島市中心部者ら広島空港へ車で向かう際、渋滞で定時性が確保できない現状はあります。『空港アクセスの定時性確保』は、高速道路5号線建設の大義名分でした。だが、そもそも、広島空港の場所が広島から50km以上も東という遠方で近くに駅もないのです。

同じように札仙広福と呼ばれる福岡市の福岡空港は博多駅から地下鉄で二駅ですから広島空港の不便さは明らかです。しかも、山岳地帯に位置するため、霧などによる欠航も起きやすい。これでは東京に行く時でも新幹線を使うか、広島から電車で40分の岩国駅から徒歩でも行ける岩国錦帯橋空港=米軍岩国基地を使った方がましです。

※参考 https://www.iwakuni-airport.jp/

◆シールドマシンの故障相次ぎ、遅々として進まぬ工事

必要性に疑問派が高まる中で、高速道路5号線のうち、二葉山トンネルの工事は2018年9月からシールド工法で開始しました。しかし、直後の2018年12月にシールドマシンが故障し、工事が中断しています。その後、2019年5月に工事は再開されました。しかし、その後もトラブル続きで、工期が再々延長された2022年7月12日時点でもトンネルの半分程度しか完成していない有様です。また、トンネルの上の東区牛田東地区で地盤の隆起や、それにともなう住宅や構造物のゆがみ、亀裂などが発生しました。

その後、2023年6月末、公社側(広島県と広島市)は、住民側のほとんどがボイコットする中で一方的に説明会(と称するイベント)を行って工事を再開。しかし、8月上旬、9月上旬の2度にわたってシールドマシンが故障する散々な状態です。そこで、今回、工期を2028年度まで延長。予算も30億円アップさせたという案配です。

◆本当に完成するのか?! いら立ち募るばかり

しかし、こんな状態で本当に完成するのか? 心もとないものがあります。

そもそも、このトンネルは1999年に都市計画決定されました。だが、東区福田・馬木地区のトンネル工事で地盤沈下が起きて工事が中止になったことから、二葉山トンネルの地元でも反対運動が盛り上がりました。そして2012年に地盤沈下のリスクが小さいとされるシールド工法に変更。湯崎英彦・広島県知事も「住民を犠牲にして工事を進めることはない」と住民に頭を下げに来られたのです。しかし、ご覧の有様です。

地盤隆起の被害がない地域の住民もいら立ちが募るばかりです。

「いつになったら完成するのか?」

東区の広島駅北口近くに住む50代男性はいらだちを募らせます。同じく東区に居住する筆者自身も、現在トンネルを掘り進んでいる個所からは少し距離があって、被害はないものの、自宅近くで行われている高速道路5号線関連の工事の影響で渋滞が激化。日常生活で迷惑をこうむっています。出勤の時、かなり余裕をもって出たはずなのに、渋滞でバスが全然来ず、ぎりぎりになるなどの事態も頻繁に発生します。

いつまで、この状況が続くのか?勘弁してほしいものです。潔くあきらめるならあきらめる。やるにしても、このままではそのうちまたマシンの故障でコストがかさみ、費用便益比が1を割り込むことも予想されます。完成の見通しがつく工事方法を検討すべきでしょう。正直、シールド工法がダメなら、まだナトム工法の方がまし、という意見の専門家もおられます。

※関連記事:予算超過、工期延長、地盤沈下……「問題のデパート」二葉山トンネル建設をめぐる広島県知事・市長らの無責任に住民の怒り爆発

◆そもそも疑問が多すぎる事業

そもそも、この高速道路5号線事業自体に多くの疑問があります。この事業では、以前にも工事の遅れにともない、工期の延長と予算増額が行われています。そのどさくさにまぎれて、広島から南の呉方面へ高速5号線をつなぐ道も計画に追加で盛り込まれています。いったい、これは何ですか?

広島市中心部からわざわざ北の方へ向かってそれから広島市の南の呉へ向かうという物好きな人がどれだけいるのでしょうか?距離が延びれば、それこそ、CO2排出量も増加します。全く意味不明な事業です。

◆施工業者が県・市を舐め、県・市が県民・市民を舐める構図

施工業者が県・市を舐め、知事・市長が県民・市民を舐め切っている。そんな構図が二葉山トンネルなど高速道路5号線を巡る問題でも見受けられます。

ひとつは、もちろん、産廃問題でも見られるように、湯崎英彦・広島県知事が完全に県民をなめ切っているということです。過去の知事選挙で湯崎さんが圧勝しまくり、県議選でも知事に批判的な議員がほとんど出てこないようでは当然と言えば当然です。

もうひとつは、今の広島県庁にも市役所にもトンネル技術がわかるような専門家の職員がいないということです。筆者が広島県庁に在職した00年代、当時の藤田雄山知事はとにかく職員の採用を極限まで減らし、人を育てるということも一切やりませんでした。市町村合併をどんどんすすめて、そこに仕事を丸投げするから、県には人はいらない、という考え方でした。しかし、現実には、2014年、2018年と大きな災害も発生する、今回のような二葉山トンネルのようなトラブルも発生する、そんな現実があるのです。今の広島県庁は、施工業者に完全に舐められています。

◆あきらめずに湯崎知事を監視し、空港アクセスについて総合的・県民的な議論を

この問題でも、あきらめてしまえば、湯崎知事の思うつぼです。彼は、確かに2012年に「住民を犠牲にして工事を進めることはない」と断言したのです。その言葉に責任を持たせようではありませんか?

そして、次の知事選挙や県議選のときでもまだ、二葉山トンネルは完成していない可能性も高い。筆者は、きちんとトンネルについての技術面の課題も含めた情報公開をすべきと考えます。また、広島空港と空港へのアクセスの在り方(新幹線や岩国錦帯橋空港との役割分担)について県民的な議論を促すべきです。その上で、住民投票で高速道路5号線の在り方を決めることを提案したいと思います。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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ピョンヤンから感じる時代の風〈31〉「ウクライナ汚職」から何を見るか 小西隆裕

◆「汚職大国」、ウクライナ

先日、ウクライナで兵役免除と引き換えに賄賂を受け取る汚職が続出し、全州の軍部委員会トップ全員の解任が行われた。

周知のように、今、ウクライナにおいて、成人男子の出国は禁止されている。兵役を免れるため、成人男子が海外に逃亡するのを防ぐためだ。

そのウクライナで兵役免除のための賄賂が横行しているというのだ。

これは、戦争の行方を左右する大問題だ。

だが、今日、ウクライナでは、こうした由々しき深刻な汚職問題が至る所で、日常茶飯事になっている。

兵士らの食料調達や軍服購入が小売価格、通常価格の2~3倍で行われていた事実、国防省の調達責任者が使い物にならない防弾ベストを購入、調達費を着服していた事件、等々、明るみに出た事実だけでも枚挙に暇がない。

一方、政府や軍部高官の特権を使った生活や遊興も目に余るものになっている。高級住宅や別荘、高級自動車の購入や海外行楽地、避暑地での豪遊、等々、国民が戦火の中、家を失い、命を危険にさらしながら飢えに苦しんでいる時、これはあり得ないことだ。

この間、戦争勃発以来その任にあった国防相、レズニコフが更迭になったのをはじめ、少なからぬ政府、軍部の幹部、高官たちが相次いで解任になっているが、その原因も、主としてそのためだという。

そうしたウクライナを指して言われている言葉がある。それは、「汚職大国」だ。

◆「汚職大国」、その原因を問う

これまで、ウクライナと言えば、「苦難に耐え、国民皆が一致団結して、ロシアに抗戦している」、そんなイメージだった。

だが、現実はそうではない。その落差は大きい。

なぜそうなのか。それを説明するものとして出されてきているのが「汚職大国」だ。

もともと「ソ連帝国」にはびこっていた官僚主義、それと一体だった「汚職大国」がこの戦火の中で蘇ったというのだ。

ソ連の一部だったウクライナがロシアともどもそうなるのは必然だ。少なからぬ識者がそう言っている。

それも一理あるかも知れない。人間過去と無縁ではない。かつての悪弊が蘇ることは十分にあることだ。

だが、現実に今生まれている問題の原因を過去にのみ求めるのはいかがなものか。やはり今起きていることの原因は、今ある現実の中に求めるのが基本だと思う。今ある現実を見ようともせず、過去にのみ原因を求めるのは間違っているのではないか。

今ある現実で決定的なのは、このウクライナ戦争が、その本質において、ウクライナとロシアの戦争なのではなく、米欧とロシアの戦争であり、ウクライナは、その狭間で、米欧に押し立てられ、代理戦争をやらされているという事実ではないかと思う。

この戦争が勃発する以前、米英をはじめとする米欧によるロシア包囲は、甚だしいものになっていた。

この30年近く続いてきた旧東欧社会主義諸国のNATO化の締めくくりとして、ロシアと国境を接する大国、ウクライナのNATO加盟が日程に上らされていたこと、米英がその軍事顧問団や大量の米国製最新兵器をウクライナに送り込み、その対ロシア軍事大国化を推し進めてきていたこと、さらには、東ウクライナに多数在住するロシア系住民へのファッショ的弾圧と虐殺が敢行されていたこと、等々。

これらが、米国家安全保障会議で、「現状を力で変更する修正主義国家」だと中国とロシアを名指しで決めつけたのに基づき、中国に対しては、「米中新冷戦」が公然と宣布され、その一方、ロシアに対しては、その包囲殲滅への準備が隠然と推し進められてきたのがこの間の歴史的な事実だ。

この分断と各個撃破の米覇権回復戦略に対して、プーチン・ロシアが米英覇権を中ロへの二正面作戦、引いては「グローバルサウス」など非米反覇権勢力全体を敵に回す戦争に引きずり出し、米英覇権との闘いに決着をつけるため敢行したのが先のウクライナに対する「特別軍事作戦」に他ならないと言えるのではないだろうか。

この戦争において、ウクライナは、米英覇権の矢面に立たされ、米英に代わって代理戦争をやる役を押し付けられている。

この押し付けられた代理戦争の傀儡指導部がどういう精神状態に陥るか、それは推して知るべしだと思う。

事実、2019年、「米中新冷戦」が宣言された年、奇しくもウクライナ大統領に選出されたゼレンスキーが数百万ドルの別荘、十数億ドルに上る預貯金を海外数カ国に分け持ち、自らの親族は、戦争勃発の前にイスラエルに退避させていた事実は、すでに公然の秘密になっている。

なぜウクライナが「汚職大国」になったのか。そのもっとも基本的な原因がどこにあるのかは、余りにも明白なのではないだろうか。

◆問われている日本の選択

「汚職大国ウクライナ」を前にして、今、われわれに問われているのは何か。

それは、何よりも、日本の進路ではないかと思う。

ウクライナの汚職と日本の進路、それは、米覇権の運命を通して、密接に結びついている。

一言で言って、ウクライナの汚職は、米覇権の崩壊を意味していると思う。

ウクライナ戦争でのウクライナの敗北、それは、米覇権の崩壊に直結していると思うからだ。

ウクライナ戦争が始まって以来、米覇権の崩壊は一挙に顕在化した。国連でのロシア非難、ロシア制裁決議、それは、最初のほぼ満場一致から棄権、反対の続出まで、米国の意思は急速に通らなくなっていった。

国際決済機構SWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication SC)からのロシアの排除など、ロシアに対する経済制裁は、ロシアの米欧市場からの撤退と中国を含む非米市場への参入から生じる世界的な物価高騰、欧米の経済危機など、むしろ米欧側により大きな被害を及ぼし、ロシアと中国など非米世界の結びつきを強め、その勢力拡大を生み出している。

BRICSやG20など世界的な諸会議でも米欧側の衰勢は顕著で、もはやその意思が影響を及ぼせるのはG7ぐらいしかなくなり、そのG7も、招請した「グローバルサウス」の国々のウクライナ戦争支持を取り付けることもできなくなっている。

ウクライナへのもっとも熱心な支援国、ポーランドまでその軍事支援中止を表明したこと、事態はここまで進展しているのだ。

こうした米欧覇権力の低下にあって、ウクライナ戦争の結果がもたらす影響は決定的だ。ウクライナ戦争での敗北は、すなわち、米覇権の最終的崩壊を意味している。

「ウクライナの汚職」に米覇権の呪縛から解き放たれた脱覇権日本の未来を見る。

それこそが今、日本に問われていることではないだろうか。

その時が近づいていると思う。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』