何故、今さら昭和のプロレスなのか?〈3/3 最終回〉プロレスはカウンターカルチャー(対抗文化)だったのだろうか 板坂 剛

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の最終回です。

昭和という特殊な時代に、大衆的な人気を獲得したスポーツ(と敢えて言っておく)の代表がプロ野球とプロレスであることに異論の余地はないと思われる。

しかし両者には大きな違いがあった。プロ野球には外人選手はチラホラといたが、日本人のチームに助っ人として参加していただけしていただけで、外人選手ばかりのチームがあったわけではない。

プロレスはそこが違った。昭和のプロレスは最初から日本人対外人の構図が売りだった。そこで大衆(観戦者)心理は当然民族主義的になる。

「無敵黄金コンビ敗る 日大講堂の8500人、暴徒と化す」

 
「無敵黄金コンビ敗る 日大講堂の8500人、暴徒と化す」(1962年2月3日付け東スポ)

こんな見出しの記事が出ているスポーツ紙をトークショーの当日に私はターザン山本と観客の前に提示した。昭和37年2月3日に日大講堂で行われたアジアタッグ選手権試合で力道山・豊登組がリッキーワルドー・ルターレンジの黒人2人組に敗れ、タイトルを失った「事件」の記録だった。

「決勝ラウンドは『リキドーなにしてる、やっちまえ』という叫び声の中で豊登がレンジの後ろ脳天逆落としで叩きつけられフォール負け。無敵の力道山・豊登組が敗れた。一瞬……茫然となった8500人の大観衆は、意気ようようと引き揚げるワルドー、レンジに”暴徒”となって襲いかかった。『リキとトヨの仇討ちだ』『やっちまえ』『黒を生かしてかえすな』とミカン、紙コップを投げつけ、イスをぶつける。怒り狂ったレンジとワルドーが観客席へなだれこみ、あとは阿鼻叫喚……イスがメチャメチャに飛び交い、新聞紙に火がつけられてあっちこっちで燃え上がる。『お客さんっ、お願いしますっ、必ずベルトはとりかえします。お静まりくださいっ』力道山がリング上からマイクで絶叫する」

記事の文面から察するとかなりの反米感情が当時の大衆にはあったように思われるが、そう簡単に割り切れる状況ではなかった。

昭和37年と言えば、マリリンモンローが死んだ年であり、後に『マリリンモンロー、ノーリターン』と歌った作家がいたように、大半の大人たち(男性)はアメリカの美のシンボルの死に打ちのめされていた。われわれ当時の男子中学生がその死を超えることが出来たのは、既に吉永小百合が存在していたからである。

一方、女子中学生たちはやはり同年公開された『ブルーハワイ』のテーマ曲を歌うエルヴィスの甘い美声に酔いしれていた。アイゼンハワー米大統領(当時)の来日を阻止した全学連の闘いが、全人民の共感を呼んだのは2年前のことだったが、所謂60年安保闘争の標的は岸信介であってアメリカ政府ではなかった。二律背反という言葉が脳裏をよぎる。

当時の日本の大衆心理を簡単に定義すれば、政治的には反米、文化的には親米ということになるだろうか。もちろん双方にマイナーな反対派はいた。

昭和のプロレスは力道山時代に限って言えば、アメリカの下層大衆の娯楽であるプロレスを日本に持ち込んだので、文化の領域に属するわけだが、第2次世界大戦の軍事的敗北を根に持っている大衆が昭和30年代まではまだまだ多かったのだろう。軍事は政治の延長という説に基けば、その種の怨恨も政治意識とは言えないこともない。故に文化的であって政治的な変態性ジャンルとしてのプロレスが成立し成功したのだろう。

プロレスとは正反対の健全な娯楽性を維持していたプロ野球の世界でも、シーズンオフに米大リーグからチームを招いて日本選手の代表チームとの「日米親善」と銘打った試合が行われたことはある。プロレスの場合、日米対決は定番だったが、しかし「日米親善」という雰囲気が会場を包んだことはなかった。

前述した暴動が起こったアジア・タッグ選手権試合の現場写真を見ると、まるで数年後にブレイクした学生運動の乱闘場面かと思わせる迫力が感じられる。(場所が日大講堂だっただけに……)

その写真はプロレスが秩序を否定する文化、即ちカウンターカルチャー(反抗的文化)であることをはっきり示していると思われる。

それにしても、力道山・豊登組を破ったリッキーワルドー・ルターレンジの2人が黒人だったからと言って……「黒を生かして生かしてかえすな」はないだろう。

カウンターカルチャーにだって品格というものがあるんじゃないかね。刺される直前に「ニグロ、ゴーホーム」と叫んだ力道山と同様に、こういう発言を口にする者には相応の裁判が待っていると考えるべきなのかもしれない。

◆ミスター・アトミック(原子力)はプロレス界の悪役だった!
 

 
ミスター・アトミック(原子力)

プロ野球とプロレスの大きな違いに悪役の存在がある。と言うか悪役が存在するプロスポーツなんてプロレス以外にはないことは明らかなのだが、実は『昭和のプロレス大放談』の最中に、私はある1人の悪役レスラーのことを思い出していた。

その名をミスター”アトミック”という。私の知る限り、来日した最古の覆面レスラーである。まだ原発など大衆の視野にはなかった時代だから、最初から力道山の好敵手として悪役を演じた彼が日本では”アトミック”と名乗ったのは、やはり日本人にとって忌まわしい思い出となっている原爆をイメージさせようとしたからだろう。

昭和のプロレスは他のプロスポーツよりはるかに多量のエネルギーを、同時代人に与えてくれた。そのエネルギーは悪役の存在があったからこそ放出された。

今思えば悪役の1人だったミスター”アトミック”は、原子力が悪のエネルギーであることを正直に表明していたとも言える。今さら「原子力はクリーンなエネルギーである」と開き直る奴らに、彼の試合のビデオがあったら見せてやりたいものである。

ミスター”アトミック(原子力)”は決して、一度たりともクリーンなファイトをしなかった。(完)

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、本日12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

広島県議選2023 ── 河井案里さんの地元・安佐南区でれいわ新選組が筆者を推薦 さとうしゅういち

2023年4月執行の統一地方選挙・広島県議会議員選挙安佐南区選挙区(定数5)において筆者は立候補を予定しています。12月14日付で筆者に対してれいわ新選組から推薦をいただきました。

 
中筋駅前で演説する筆者

「核禁条約が発効した今こそ、暮らしに冷たく、利権や旧統一協会にまみれた広島県政を、平和都市にふさわしいあなたにやさしい広島県政にリニューアルしたい。防災や医療・福祉、教育など公務員を増やす。ケア労働者や非正規公務員は、給料大幅アップはじめ待遇の抜本改善を早急に行う。県内でお金を回し、人口流出を止める。緩すぎる産廃規制を強化し、水や食べ物を守る。給食無料化含む食料安全保障、教育費負担の軽減、子ども医療費補助の拡充、国保料など引き下げ、ご家族を介護・ケアする方の応援、住まいの権利保障に全力を挙げる。」

以上が、筆者がれいわ新選組の推薦をいただくにあたっての決意表明要約です。

◆案里さんの地元で捲土重来

安佐南区は「あの」河井案里さんの地元です。筆者は、2011年1月、広島県庁を退職。県知事選挙2009後に変質が目立った河井案里さんと対決するために安佐南区で立候補し4278票をいただきましたが及びませんでした。

あれから12年。案里さんは、ご承知の通り、参院選広島2019での買収事件を引き起こして逮捕・有罪確定・当選無効となりました。その案里さんの当選無効に伴う参院選広島再選挙2021に筆者も立候補。6人中3位の20848票をいただきました。

しかし、案里さん失脚後、広島県内の政治・行政も日本の政治も、全く改善されていません。もう一度、筆者は、この案里さんの地元でもある安佐南区で捲土重来、腐りきった広島県政をひとりひとりにやさしい県政にリニューアルすべく、力を尽くします。それとともに、総理の地元の広島から暴走する総理に向けてガツンと声を上げて参ります。

◆新自由主義で暴走する県知事とチェック機能無き議会

広島県では、2021年11月に四選を果たした県知事の湯崎英彦さんの新自由主義方向での暴走が加速しています。

2022年11月には、突然、住民を置き去りにした全国でも例を見ない病院統廃合を発表しました。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44909

また、湯崎さんは2023年3月末で、広島県内の貴重な種を保存していた「広島ジーンバンク」を廃止します。一方的な説明会を開いただけで、県民の合意形成を図ることもせずに強行しようとしています。

そして湯崎さんの腹心の平川理恵・県教育長は12月6日に外部の専門家による調査で官製談合防止法違反、地方自治法違反が明らかになったにも関わらず居座っています。さらに、出入りの業者を自宅に宿泊させていたことも明らかになりましたが、12月17日現在、辞任の気配すらありません。

また、広島県全体で公立学校の非正規の先生が1000人以上おられます。裏を返せば正規の先生が不足し、授業にも支障が出ている学校も多い状態です。こんな状況を、「予算がない」と放置する一方で、現場に負担を強いる「改革」に暴走しているのが平川教育長であり、バックの知事の湯崎さんの実像です。

こうした、湯崎さん、平川さんを甘やかしてきたのが県議会であり、自民、公明は言うに及ばず、立憲、国民も知事与党としてほとんど監視機能をはたして来ませんでした。

筆者はこうした県議会に緊張感をもたらしたいと思います。

◆噴出する過去の新自由主義の「負の遺産」

広島県は実は、大阪顔負けの新自由主義政策を取ってきました。例えば広島県内の市町村合併は86あった市町村を23に減らすものでした。そして、県職員は「合併後の市町に権限を委譲するから」と削減し、市町の職員も「合併するから」とダブルで公務員を大きく減らしました。また、保健所は21から7に激減。全国平均の半減と比べてもひどい。

しかし、大阪維新の会のようには、広島県政の新自由主義は知られていません。これは、大阪府の橋下徹知事(当時)が派手なパフォーマンスで喧嘩を売ったのに対して、広島県の前知事の藤田雄山さん(故人)、現知事の湯崎英彦さんは、「こそこそ決めてこそこそ実行する」傾向があったために、県民に気づかれにくかったというのはあるでしょう。だが、さすがに長年のつけはいま、噴出しています。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44493

上記で紹介した教員不足のほかに、行政職員不足で、広島土砂災害2014、さらには西日本大水害2018からの復旧・復興や、コロナ対応にも支障がでています。

また、公務員を減らしすぎたことが、広島県内でも特に周辺部、特に吸収合併された旧市町村地域の衰退に明らかに拍車をかけています。そのことも人口流出は広島がワーストワンであることの背景にあるとみられます。

◆アップデート遅れる県政 暮らしや環境を守れぬ

また、全国的には子どもの医療費補助を18歳までやる都道府県も多いのですが、広島県はいまだに就学前までです。国保への補助も拒んでいます。経済格差が広がる中で、それに対応しなければいけないのですが、広島県は後れを取っています。

さらに、産業廃棄物対策でも広島県は後れをとっています。他の都道府県では水道水源条例などを制定し、産業廃棄物処分場が簡単にできないようにルールをつくっています。しかし、広島県にはそういう条例はありません。書類さえ整っていれば許可。こんなことだから、安佐南区の上安の産廃処分場では一時期汚染水が流出する問題が起きました。さらにその同じ事業者が三原市の水源地のど真ん中に産業廃棄物処分場を計画。県もこれを許可してしまいました。

◆現役県庁職員時代から地域衰退やケア労働者の低すぎる給料に憤り

筆者は、現役の県庁職員時代、特に山間部や島嶼部の介護や医療、福祉などの行政を担当させていただいていました。その中で、地方交付税カットを含む当時の小泉純一郎政権による新自由主義で地方が衰えていく様子に憤りをおぼえました。

また、介護事業所の指導をさせていただく中で、あまりにも低すぎる現場労働者の皆様の給料に「こんなことでいいのか?」と憤るとともに、「日本は大丈夫なのか?」と日本の将来を心配しました。20年近くたったいま、筆者の懸念は現実のものになっています。

いまや、広島の介護現場から外国人労働者も東京へ流出しています。そして、介護現場労働者の高齢化が深刻になっています。筆者は、現在では労働組合(広島自治労連)執行委員としてケア労働者の待遇改善にも力を入れています。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44761

◆故・安倍さん以上の新自由主義・軍拡・原発推進で暴走する総理に地元から「ガツン!」

また、岸田総理は新自由主義脱却と当初はいいながら、経済政策面では故安倍晋三さん以上に新自由主義的です。

現役の介護福祉士であるわたくし・さとうも期待していたケア労働者の待遇改善も3%といわば、物価上昇の前では焼け石に水です。さらに、国費投入も打ち切られて現在は保険料負担・利用者負担になっています。

そして、岸田総理は安倍晋三さんでさえやらなかった武器倍増、原発を推進など暴走が止まらない状況です。

こうした中で、新自由主義に原則的に反対する政治家が、総理の地元広島で増えて、ガツンと総理にモノ申せば、総理の判断にも少なからず総理の暴走を減速する方向で影響を与えるでしょう。

◆これまでの筆者の活動内容に最も近い政策のれいわに推薦依頼

筆者は、現存する政党・政治勢力の中ではれいわ新選組が新自由主義への対抗軸を最も徹底しておられると評価しています。このことから、筆者は同党を衆院選2021,参院選2022で全面支援させていただきました。こうした経過もあり、広島県議選2023において同党の推薦をお願いし、このほど承認いただいたものです。

わたし自身の政策・政治姿勢などについては、何ら変更はありません。最もスタンスが近いところに推薦をお願いしたものです。

例えば、わたし自身、特に労働組合役員としてケア労働者の待遇改善と人員体制の改善、教員含む非正規公務労働者の正規化・待遇改善を最優先とした必要な公務員増に注力してまいりました。

東京のような巨大都市ならいざしらず、広島の場合、公務員を増やしたりケア労働者の待遇を改善したりすることが、県内の経済底上げ、そして若者の地元定着、人口流出阻止にもつながります。今後、労働組合役員としてだけでなく、県議会内でも全力で取り組んでまいりますとともに、国政レベルで意識を共有するれいわを中心とする国会議員と連携してまいります。

なお、筆者は、労働組合全般を否定するものではなく、あくまで「労働者の票を食い逃げして裏切る」ような「労働貴族」を批判してきました。

◆「カバン」が最も不安材料! 遠方の方はご来援よりカンパを!

 
リアル、zoom両方での支持者を前にあいさつする筆者。昔は一人でいろいろなことを仕切っていた

さて、選挙において、どうしても必要とされるのは「地盤、看板、カバン」とされます。

過去に筆者が挑んだ選挙の時と比べると、皆様のご協力のおかげ様で、明らかに地盤=支援組織、看板=知名度の面では充実しています。改めて深く感謝を申し上げます。

しかし、問題はカバン=お金です。

もちろん、筆者は「お金がなくても堂々と参加できる政治」を掲げています。そうでなければ、格差はますます拡大してしまうからです。

とはいえ、現実問題、最低限のお金がかかるのも事実です。例えば、政治活動用ポスターにしても屋外用のものは1800円/枚かかり、筆者にとっては相当な負担です。れいわ新選組の推薦をいただきましたが「推薦」では資金面の支援は現時点では頂けない状況です。

特に遠方の皆様方におかれましては、ご来援も大変うれしく存じますが、それよりましてうれしいのがやはり交通費分、カンパしていただくことです。

◎カンパ先
郵便振替口座 01330-0-49219 さとうしゅういちネット
広島銀行本店(店番001) 普通 口座番号3783741 さとうしゅういちネット

ただし、ご寄付頂けるのは日本国籍の方、そして一人年間150万円以下に制限されます。また、
・年間5万円を超えてご寄付頂いた方
・筆者への寄附による所得税の控除を受けられたい方

については、法の定めるところにより、政治資金収支報告書等で筆者からご住所・ご氏名・ご職業を広島県選挙管理委員会に報告させていただきます。何卒ご了承ください。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
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何故、今さら昭和のプロレスなのか?〈2/3〉力道山は何を言いたかったのか  板坂 剛

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の第2回です。

昭和のプロレスについて語る時、どうしても創始者である力道山の存在について解明しなければならないと思う。多くのカリスマ的ヒーローがそうであったように、この人にもまた出生から死に至るまで「謎」という字がつきまとっていた。

関脇になった時点で将来は横綱にまでなれる実力があると評価されながら、突然自宅の台所で包丁を手にして髷を切り、相撲界と決別した。たった独りの断髪式に込められた彼の思いとはどのようなものであったのか?

「相撲協会の幹部が『朝鮮人を横綱にはしない』と発言したことに怒った力道山が、発作的に髷を切った」

……と、そんな噂話を複数の人たちから聞いたのは力道山の死の直後、私はまだ中学生だったが、二重のショックを受けたのははっきり記憶している。

 
日本選手権、対木村戦勝利後の力道山(1954年12月1日付け『週刊20世紀』より)

その頃まで多くの日本人は力道山が在日朝鮮人であることを知らなかった。もっとも力道山の出生当時は朝鮮半島は日本の領土だったから、彼の出身地が北朝鮮であったとしても日本を代表して先勝国アメリカの選手を叩きのめし、敗戦国民の屈辱を解消するパフォーマンスを演じる必然性がなかったわけではないが、当時の南北朝鮮と日本の国民感情は、そんなに甘いものではなかった。とりわけ在日朝鮮人に対する日本人の差別意識は酷いもので、またその反作用としての差別された側の憎悪に近い感情にも凄まじいものがあった。

しかしもし力道山が相撲協会幹部の差別発言を気にもとめずに力士生活を続けていたら、私は彼が必ず栃若時代の前に一世を風靡する名横綱になり、引退後も親方として相当な地位におさまっていたと思う。つまりプロレスをアメリカから持ち込むような難事業に手を出すようなことにはならなかったはずである。

またもしプロレスに転向後、力士時代の四股(しこ)名に過ぎない力道山という呼称を棄て、敢えてカムアウトして本名でリングに立ったとしたら、当時の日本の大衆は彼を救国のヒーローの如くもてはやしはしなかっただろう。

言い換えれば日本に於けるプロレスは差別から始まったということであり、差別がなければ力道山という稀代の英雄は存在しなかったと断言できるのである。だからと言って、差別が必要だったとは言えないが、自分をあからさまに差別した相撲協会の幹部や、力道山という虚名を用いなければ時代を象徴する逸材として自分を認知することはなかったと思われる偏った日本の社会に対して、言いたかったことがあったに違いない。

晩年(と言っても30代だが)の力道山は酒に溺れアル中状態でしかも酒乱であった。アル中になった人間を何人か知っているが、皆本音を口にすることが出来ず、過剰なストレスをアルコールで紛らわせているように見えた。酒乱の人間は特に粗暴な感情をむき出しにして周囲に迷惑をかけることがあったのだが、多くの場合過去に自分が受けたダメージを他人に転嫁するようだった。

酒は被害者意識を加害者意識に変えられるものなのか。暴漢に腹部を刺された赤坂のニューラテンクォーターでも、ステージ上の黒人のジャズメンに対して、「ニグロ、ゴーホーム」と叫んでいたという。力道山ほどの人物になれば、不品行をたしなめるのもナイフで刺すしかなかったのかもしれない。

それにしても刺された原因が「ニグロ、ゴーホーム」という差別発言だったとすれば、逆に力道山の心に差別に対する憤懣がくすぶり続けていた結果が証明されていたという言い方も出来る。若い頃に差別に苦しんだ人間が成功者になった時、人を差別することで自分の優位性を確かめ、プラスマイナス=ゼロにして精神の均衡を保った例は幾らでもある。

ついでだから書いておくが、「在日朝鮮人」という言い方に、私はかねてから疑問を持っている。「在日」という言葉には今たまたま一時的に滞在しているだけで、本来在住すべきでない人々という嫌らしいニュアンスが感じられる。

日本には現在世界各国の人々が混在してはいるが「在日アメリカ人」「在日イギリス人」「在日フランス人」「在日ドイツ人」等とは言わない。欧米に限らずアジア人に対しても「在日ベトナム人」「在日マレーシア人」「在日ミャンマー人」「在日ネパール人」とは言わない。中国人に対してさえ「在日中国人」とは言わないのに、隣国であるにもかかわらず、「在日韓国人」とも言わずに「在日朝鮮人」……しかもただ「在日」と言っただけで特定の国の人々を揶揄する響きを持つ表現が残っている限り、日本は「かの国」から謝罪を要求され続けることになるのだろう。(つづく)

『昭和のプロレス大放談』で激論するターザン山本さん(左)と筆者(2022年4月4日 於新宿ガルロチ)主催:ファミリーアーツ 製作協力:小西昌幸

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

《追悼》真のジャーナリスト・山口正紀さんを悼む 田所敏夫

記憶力が悪いと自覚しながらも、人との出会いのきっかけや出来事はほとんど記憶しているのに、なぜか山口正紀さんと最初にお会いしたのが、いつ、どこでなのかを思い出すことが出来ない。身勝手な立場から想像すれば、それほど自然な成り行きの中で、いつしか親しくしていただき、お付き合いの度合いが深まっていたということであろうか。

フリージャーナリストで元読売新聞記者、山口正紀さんが逝去されたとの報にふれた。2022年12月7日にお亡くなりになったと伺った。

山口正紀(やまぐち まさのり)さん。1949年大阪府堺市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業。1973年読売新聞に入社し、2003年12月末に退社。以後、フリージャーナリストとして活動。2022年12月7日逝去。

山口正紀さんのお名前は、一定程度ジャーナリズムの世界に足を踏み込んだ者、あるいは日本の報道界の悪癖「顕名報道」や「記者クラブ」、「冤罪に便乗する報道界の醜態」を知るものにとっては、いわば常識的に知られている。読売新聞記者として通常の記者同様「サツ廻り」から出発したものの、事件報道やマスコミのあり方、果ては日本社会の在り方の根本にまで問題意識を広げ、そしてそのように発言した結果、山口さんは読売新聞で記事を書くことができなくなり、不本意にも定年前に退職された。しかし、その判断はむしろ僥倖であったともいえる。会社の縛りがなくなった山口さんは、冤罪、壊憲(この言葉は山口さんが作り上げた造語である)、折々の日本の右傾化や政府の暴走に、反論を許す余地なく緻密な論を構成し鋭い批判の矢を向け、同時に民事で争われる事件の多くについても裁判官や弁護士以上に細部にわたる事実分析や論評を多数行ってこられた。

冤罪被害者に寄り添い、現在進行形の不当な行政・司法の横暴にもできうる限りご自身が現場に出向き取材なさっていた。ジャーナリストとして「現場で取材する」ことは基本中の基本であるが、山口さんはご健康を崩しても、無理に無理を重ね、最後まで「不当」、「不正義」について緻密かつ正確に批判の筆鋒を向けられた。

数多く手がけられた事件の中で、結果的には最後の大事件として山口さんが結実させたのが「滋賀医科大病院問題」であろう。本通信でたびたび取り上げたが(http://www.rokusaisha.com/wp/?m=20180802)、病院の不正に怒った患者会の皆さんが、毎週滋賀医科大病院前で抗議のスタンディングを行い、2度にわたるデモ行進を草津市で敢行するに至ったのは、山口さんのアドバイスがあってのことである。

「滋賀医科大病院問題」は井戸謙一弁護士を弁護団長として滋賀地裁に2018年8月1日、4名の患者及びその遺族が、滋賀医科大附属病院泌尿器科の河内明宏科長(当時)と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件であるが、短期間でここまでの動きを牽引したのは社会活動豊富な山口さんと、たまたま滋賀医科大病院で追放の危機にあった、岡本圭生医師に前立腺がんの治療を受けた三国ケ丘高校時代の同級生、そして奇遇にもその後輩にあたる井戸謙一弁護士のチームワークが成立したからだ。

2018年8月1日、山口さんは既にステージⅣの肺がんに罹患していたが、ご自身に自覚症状はなかったし、周辺の我々誰一人として山口さんが重篤ながんに罹患しているなどとは思えなかった。

「滋賀医科大病院問題」は京都新聞の裏切りをはじめ、多くのマスコミが無視する中、MBSが鋭い視点で着目し1時間のドキュメンタリーとして放送するに至る。そしてフリージャーナリストの黒藪哲哉さんが『名医の追放』(緑風出版)を世に出し、静かながらも大きな波を引き起こした。

裁判闘争が幕を切って間もないころ、山口さんはご自身の体調変化に気が付き、診察を受けた先の病院で、肺がん罹患を知らされる。じつは同年の春に山口さんは健康診断を受診しており、肺のレントゲン撮影も受けていた。「健康診断では問題なかったのにどうしてですか」との山口さんの問いに医師は「健康診断のエックス線撮影ではがんが解らないこともあるのです」と答えたという。当該医師に責任はないが、健康診断を受けていながらそう長くも経っていない時期に重度の肺がんを宣告された理不尽を、山口さんは「じゃあ何のための健康診断なのかってね。いいたかったけど言いませんでした」と筆者には語っておられた。

そうなのだ。山口さんはよほどのことがあっても口調や文体を乱すことなく、つねに冷静な立脚点から他者や対象を観察し分析することが身についている、「紳士」でもあった。ご本人にとって絶対に承服しがたい理不尽や不当な扱いがあっても、自分の内側にしまい込み耐え忍ぶ。優しさの裏側には命を削ってしまった「忍従」の重さがあったのかもしれない。

山口さんの生涯にわたる業績や社会的なお仕事をこのコラム1本で紹介するのは到底不可能だ。筆者は山口さんが読売新聞の記者時代からの活躍を知っているが、ここでは、偉大な先輩が最後に命がけで取り組んだ「滋賀医科大病院問題」でのお姿を紹介するにとどめる。山口さんのお仕事を包括的にご紹介する資格や能力など筆者には備わっていないと自覚する故である。

2019年1月12日JR草津駅前を出発点にして250余名によるデモ行進がおこなわれた。この時期山口さんは嚥下(食べ物を飲み込む)に困難があり、体重も相当減ったご様子であったが、東京からわざわざ駆け付け、デモとその後の集会まですべてを取材なさった。既にご自身の病状については関係者に明かしておられたものの、旧知の仲である筆者としては文字通りジャーナリストとして「鬼気迫る」精神を感じさせられた。

山口さんはマスクを装着されているが2019年1月はコロナ禍の前だ。ご自身の呼吸が乾燥すると苦しいことと、インフルエンザの罹患を注意してマスクをされていた。
 
舗道から俯瞰したり、デモ隊の中に入って体感を取材する山口さん

「滋賀医科大小線源患者会」は発足から数か月で会員数が千人を超え、いわば社会現象化したのだが地元も大手もほとんどのメディアが報道しない。大手メディアでは朝日新聞(出河記者)と前述のMBSが取材報道しただけで、日頃静かな草津駅前で行われた、異例のデモ行進にはNHKすら取材に来なかった。

このような状態にご自身が重篤ながんを患っていらっしゃる山口さんの闘志は、逆に掻き立てられた。国会議員(議員会館)と厚労省に患者会のメンバーが陳情に出向いた際のことである。本来は取材者であるはずの山口さんが、紳士的な口調ながらも「患者の立場」からあまりにも行政の姿勢がおかしいのではないか、と理路整然とした発言を始められたのだ。

後に筆者に向けた私信で、山口さんは「横で聞いていて官僚のあまりにも表面をなぞっただけの回答に堪忍袋の緒が切れて、ついつい発言してしまいました」と回想なさっていた。

滋賀医科大病院前では、毎週患者会のメンバーにより「スタンディング」抗議が続けられていた。これは滋賀医科大が不当にも岡本医師を追放しようと画策していることに対して、同病院の関係者や患者さんたちにわかりやすい形で訴える方法として、山口さんが提案されたものでもある。「スタンディング」の現場にも山口さんは取材兼激励に訪れ、参加者に笑顔で声をかけておられた。

裁判期日の開廷前集会では「私もがん患者になってしまいました。皆さんは治療法があるけれども、私の場合はまだ見つかっていない。ある意味で羨ましいんですけど……。それとこれとは問題が違います」とご自分の健康状態を二の次にしても社会的不正を許さない言葉と、態度で原告をはじめとする患者会のメンバーを支援し続けておられた。

そして新聞記者であれば当然なのかもしれないが、山口さんは自分が発言しないときは、つねにノートにペンを走らせていた。会議でも山口さんに記録をお願いすると、2、3時間の議事録は会議が終わったころには完成している。というのが山口さんのジャーナリストとしての基礎だった。少々の喧噪でも録音に頼らず自分の耳と記録で記事を構成する。記者として当たり前のことかもしれないが、実行できる現役記者がどれくらいいるだろうか。

肺がんに罹患されて以来、治療方法や治療病院をめぐっても想像を絶する苦難と痛みに山口さんは見舞われた。全身麻酔で開腹手術をしている最中に麻酔が切れ「気を失いそうに痛かった」ことすらあったが、いつもメールの最後には「元気になってまた皆さんと楽しく食事できる日を」と読む者への配慮を忘れない優しさが添えられていた。

12月7日山口さんはご家族がお揃いの中、闘いを終えられた。

優しい山口さんに対して、彼が生きた最後の20年はあまりにも激烈で、冷酷な時代だった。そのことを常々彼と話していたが、山口さんは筆者と異なり、いつもユーモアや希望を持ち続けていた。

こんな時代だからこそ、豊かな人間性と鋭い批判精神、そして行動力が備わったひとは、筆者にとっては宝物だった。宝箱が空っぽになりそうで弱気になる筆者に、きっと山口さんは、「田所さん、僕は田所さんやみなさんだったら、きっとうまくやれると思います。敵の攻撃がどんなに厳しくても。みなさんの力を信じます」

そうお声をかけてくださるような気がする。優しい激励に応える自信はない、などと泣き言を言ってはいられない。

山口正紀さん、ありがとうございました。御恩は決して忘れません。微力ですが私も死ぬまで闘います。

追伸:山口さんには筆者だけではなく、鹿砦社も筆舌に尽くしがたいお世話になった。2005年に社長松岡が名誉毀損で逮捕勾留されて以来、公判を毎回傍聴してくださり、報告記事を『週刊金曜日』に掲載していただいた。また近年では、多くの人が関心を向けない中「大学院生リンチ事件」について鋭敏に反応頂き、重篤な体調の中、裁判所へ提出する重厚な意見書を書いていただいた。鹿砦社にとって、これ以上ない恩人である。社長松岡のショックは大きく、まとまった文章を書くにはいましばらく時間が必要なようなので、僭越ながらここでその旨を紹介させていただき、山口正紀さんへの深い感謝の意を表したい。


◎[参考動画]山口正紀・元読売新聞記者渾身のスタンダップトーク『山口敬之を記者と呼ばせない』(2019年12月24日 憲法寄席)

◎《レイバーネット不定期コラム》山口正紀の「言いたいことは山ほどある」
第18回(2022年1月17日)ジャーナリズムを放棄した「監視対象との癒着」宣言――『読売新聞』が大阪府(=維新)と「包括連携協定」締結

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

何故、今さら昭和のプロレスなのか?〈1/3〉プロレスに象徴される昭和の意味 板坂 剛

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の第1回です。

4月4日という少々不吉な感じのする日の夜に、新宿の『ガルロチ』というライブハウス風のレストランで『昭和のプロレス大放談』というマニアックなイベントが行われた。

アントニオ猪木の死期が近いという噂が広まった頃から、猪木に関する評伝を中心にした昭和のプロレスを検証する出版物が数多く出回った現象をふまえて企画されたイベントだった。

『昭和のプロレス大放談』で激論するターザン山本さん(左)と筆者(2022年4月4日 於新宿ガルロチ)主催:ファミリーアーツ 製作協力:小西昌幸

ここで元『週刊プロレス』編集長のターザン山本と私の対談トークショーが行われてしまったのである。両者とも昭和のプロレスにはまって人生を狂わせたはぐれ者で、最初は熱烈な猪木信者であったがある時点で猪木から離反することになったところに共通点がある。私については鹿砦社刊『アントニオ猪木 最後の真実』を参照していただくとして、ターザン山本の蹉跌に関しては、今も当時もあまり語られることがなかったのでひと言書き添えておきたい。

この人は週刊誌の編集長という立場を逸脱して当時幾つもあった団体の選手たちを無差別に寄せ集め『4.2ドーム夢の懸け橋』なんていうとんでもない企画を実現。それが元で、週刊誌の編集長の分際でプロモーターぶりやがってとバッシングを受け、新日本プロレスからも取材拒否されたあげくに編集長を解任されてしまった。

1999年8月に鹿砦社から発行された『たかがプロレス的人間、されどプロレス的人生』という奇書の中で、当時の様相についてターザン山本は次のように述懐している。

「あの取材拒否は、わかりやすい例えをすると、アメリカという世界の大国がNATO軍を使って『週刊プロレス』に空爆したようなものですよ。空爆を仕掛けて、自分のところだけやると説得力がないので、UインターとWARと、さらに夢ファクトリーの3つを抱えて、新日本プロレス連合軍……NATOみたいなものが『週刊プロレス』をつぶしにかかってきたわけです。要するに大国のエゴイズミというか」

今のウクライナの状況等に重ね合わせてみると、ギョッとするような発言ではある。

ターザン山本さん

また、鹿砦者の松岡社長とのやり取りの中で興味深い(私好みの)発言もしている。

山本 だから、ジャーナリズムの理念と精神というものを抹殺しようとしているんだよね。プロレス界はずっと。

松岡 プロレス界だけじゃないんでしょうけれどもね。

山本 一言で言うと、日本にジャーナリズムってないから。あるわけないですよ。だれも真実を教えていないんだから、政治、経済、文化……。日本にジャーナリズムがあるって考えてるやつは本当に……

松岡 能天気

昭和のプロレスの現場で苦渋を味わった人間の言葉が、今ひしひしとわれわれの胸に響いてくるのは、あの時代にプロレスのリングの内外で展開されていた「揉め事」が戦後日本の偽善的な市民秩序に対する不協和音を奏でていたからだろう。

「われわれ『昭和のプロレス』にかぶれた人間は、今、世界で起っている様々な紛争もプロレスをやってるようにしか見えないんだよね」

トークショーでつい口を滑らせて不謹慎とも思えるそんな発言をしてしまった私に対して、ターザン山本が同調してくれたのも、異端者同士に通い合う血の感触が認識されたからだろう。

彼は言った。

「プロレスを見ていると、世の中の争いごとの裏まで見えるようになるんですよ」

そうなのだ。われわれが昭和のプロレスに学んだのは、人間(特に男性)は「揉め事・争い事」つまり諍いが好きな動物であるという真理である。だからアメリカの大統領選挙を見ても、ウクライナの紛争を見ても「プロレスやってるだけじゃん」と感じてしまう。

彼等は平和が嫌いなのである。わざわざ揉める理由を探し出し(あるいは創り出し)、争いに没頭することで興奮状態になり、緊張感に酔っているようにしか見えない。社会の平和と安定のために設定された様々なルール(法律・倫理・道徳その他)を無視する快感、人を殺す自由、略奪する自由、破壊する自由。

ターザン山本はいみじくも言い切った。

「プロレスの常識=世界の非常識」

昭和40年代にはトレンディーだった言い回わしである。そして今、世界は非常識に充ちている。つまり昭和のプロレスは、政治家がプロレスをやっているようにしか見えない今世紀を先通りしていたとも言えるのだ。(つづく)

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

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握手しようとしたら殴られた? 知っておくべき不意打ちの想定 堀田春樹

◆握手の罠

一般人には握手の際に殴られるなど、そんな経験は殆ど無いだろう。格闘技の試合に於いてもそうそう起こることではないが、握手(グローブタッチ)を求めて来た相手が握手せず、いきなり顔面を打って来てノックダウンを奪われたら、打たれた選手や観衆はどう思うだろうか。キックボクシングに於いては細かいルールが明確ではないから対応は違ってくるかもしれない曖昧な事態なのである。

かつて現役時代の、後にムエタイ王座を制した石井宏樹(藤本)が、ラウンド開始毎に握手より親密なハグしてくるムアンファーレック(タイ)に応じていたが、これは非常に危険なパターン。ムアンファーレックも性格がいいからスポーツマンシップに則り何事も無かったが、このルールを把握している悪質な戦略を持つムエタイ選手ならやり兼ねないヒジ打ちを狙う可能性が高くなるだろう。当時の石井宏樹ならそこは勘が良く、不意打ちを喰らうことは無かっただろう。

試合開始直後の心知れた仲の紳士的握手、でも警戒する足立秀夫vs長浜勇戦(1984年1月5日)
ムアンファーレックも後のムエタイと国際式チャンピオン、紳士だった(2000年5月5日)

◆輪島さん、不覚のアクシデント

プロボクシングでは明確なルールがあり、試合の遵守事項において、「両ボクサーは第1ラウンド及び最終ラウンド開始の前に握手をすること。この他は試合中に握手をしてはならない(2項に分かれている文言を纏めています)」と有り、2019年改訂現行ルールでは「第1ラウンド」が抜けているが、開始前にリング中央でレフェリーの注意を聞く際に握手が促され、内容意味合いは同様である。

上記の握手しなければならない場合以外で、握手を求め無防備になった相手に打撃を加えてもスポーツマンシップ精神には反するが、ルール的には反則にはならないでしょう。

1975年(昭和50年)6月7日に輪島功一さんが柳済斗(韓国)との防衛戦で、第5ラウンド終了ゴングが鳴ると、握手ではないが、人がいいから紳士的に愛想良くガードをやや落としたところをパンチを喰らって尻もち。ゴング後としてノックダウンではなく、柳済斗も流れのパンチとして減点には至っていないが、ダメージが響いて7ラウンドKO負け。油断してはならない距離であった。

2001年3月6日のアルマンド・トーレス(=大関一郎/協栄)の例では、最終8ラウンド開始に際して、レフェリーも握手を促したが、勢いよく相手の家住勝彦(レイスポーツ)にパンチを打ち込み、倒れ込んだ家住は立ち上がれず、アルマンド・トーレスは8ラウンド失格負けとなった。握手ルールなどすっかり意識から外れていたかもしれないが、この場合以外での試合中に、相手が握手を求めてきたところでパンチを打ち込んでも正当な打撃となるところである。

最終ラウンド開始前に握手をしなければならないのは、「悔いの無いよう全力を尽くせ」という戦意発揚や、「まだラウンドが続く」と力を温存する勘違いをさせない意識確認があるかと思いますが、最終ラウンド開始ゴングが鳴ってからの握手は、例えわずかでも時間が勿体無いと思う人も多いでしょう。アルマンド・トーレスのように、つい突っ掛けてしまう場合も悔いの無い全力への焦りかもしれません。

学生キック(アマチュア)も当然、プロ同様に紳士的握手で試合が始まる(2021年11月27日)
女子キックでも握手は同様である(2022年3月20日)

◆不意打ちに注意

現在、キックボクシング各団体や興行主催者側によって解釈の違いがあったり、元から握手ルールなど無いかもしれないが、JKBレフェリー協会の椎名利一レフェリーに聞いたところ、プロボクシングと同様の処置になるということだった。だが、業界全てのレフェリーが把握しているとは限らないのがキックボクシングの曖昧さである。

過去には攻防が噛み合わない試合でクリンチが増えたり、縺れ合って倒れたり、ブレイクが掛かるごとに、握手するのが当然かのように両者がいちいちグローブタッチしている姿があり、「いちいち応えずに空いた顔面狙って打ち込め、そんなに握手必要か?」と言いたくなるほど。第一線級を退いて年月を経たタイ選手に多い、スタミナ切れからくる時間稼ぎもあって、観る側には苛立つ展開がありました。

余談ながら、10年以上前、ブレイクに際して、相手に背を向けて距離を空ける選手がいました。この時のレフェリーはすでに“ファイト”を掛けており、その後ろから背中に飛び蹴り放った一方の選手でしたが、当然反則ではない。握手のタイミングとは異なる話ですが、ラウンド進行中に相手に背を向けるものではなく、不意打ちを喰らう隙という点では気を抜いてはいけない共通点です。

義由亜JSKvs皆川裕哉戦。御丁寧な低姿勢での義由亜の握手(2022年7月17日)

◆スーパースターの奇襲攻撃

昔、沢村忠さんはラウンド毎に相手のグローブタッチに応えている試合や、第1ラウンド開始早々、グローブタッチ求めてくるタイ選手に、いきなり右ミドルキックでノックダウン奪って早々にKOに繋ぐ試合もありましたが、ルール的には開始前のリング中央で握手しているので、試合開始早々の握手無視は反則にはならないパターン。重いミドル級相手に奇襲攻撃を掛けた試合で、テレビ観ていた私(堀田)の親父は「あれはイカン!」と文句言っていましたが、今、思い返せば全国の茶の間でどれだけ疑問視されたでしょう。これもスーパースターが戦った軌跡の一つ、ファンの懐かしい思い出でしょう。

キックボクシングの素朴な疑問は普段は思い付かないもの。「言われてみれば、こんな場合どうなるんだろう」といったフッと思い付く一人相撲的愚問愚答(雑論)が今後も続いていきます。

コンデートvs永澤サムエル聖光戦。気を抜いてはならない第2ラウンド開始時(2022年7月17日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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どこが「賢人会議」?! 武器倍増増税に医療費流用 広島「お国入り」で加速する岸田総理の暴走! さとうしゅういち

岸田総理は12月11日、核廃絶のための「国際賢人会議」を主宰するために、自身の選挙区である広島1区に「お国入り」しました。広島1区は爆心地や平和公園を含み、筆者の自宅もあります。

 
広島市内で見かける岸田総理の政治活動用ポスター

その総理が、「お国入り」を前後して、暴走が止まりません。前日の10日(土)の夜、突如、総理は記者会見を実施。このために、NHKの人気番組「ブラタモリ」が延期になりました。ネット上でも、非難ごうごうとなりました。筆者は一度も総理に投票したことはありません。ただ、全国の皆様に、地元選出の総理がご迷惑をおかけしているのは事実であり、深くお詫び申し上げます。

筆者は、特に以下のことについて、総理の暴走がひどいと感じました。一つは、軍事費倍増(次の5年間合計では1.5倍)へ向けて1兆円増税。これはとんでもないことです。近日中に軍事費倍増を閣議決定する見込みです。もう一つは、出産費用補助50万円への引き上げです。そのこと自体は良いが後期高齢者医療費に財源を求めていることが暴走です。

◆軍事費倍増そのものが間違いだ

まず、第一に、軍事費倍増の為に増税を行う、と総理は宣言しました。これに対しては自民党内・閣内からも、高市早苗大臣らから軍事費倍増には反対しないが増税には反対する文脈で反発が起きています。

そもそも、軍事費を倍増することに何の根拠もありません。その意味では「防衛費倍増のための増税」の総理も、「防衛費倍増を国債で賄う」の高市大臣も筆者は全く支持できません。

食料もエネルギーもほとんど自給できない日本が敵基地攻撃能力=先制攻撃も可能になる能力を持ったところで、何の役に立つというのでしょうか? 日本を倒すには、ミサイルはいりません。食料やエネルギーの封鎖です。封鎖まで行かずとも、いま、日本は食料やエネルギーを「買い負け」してピンチになっているのは皆様もご承知の通りです。

そして、日本の軍事費倍増は、結局、周辺諸国の軍拡の口実にもされる。そして、例えば中国を相手に軍拡競争になった場合、先に経済的に参るのは、今となっては、GDPが中国よりも少ない日本でしょう。

◆敵基地攻撃能力保有によるリスク

敵基地攻撃能力保持は、日本自身が挑発に乗って先制攻撃に走るリスクも発生します。最悪の場合は、相手国が、「日本を攻撃するかもしれない」という偽情報を流し、真に受けた日本が挑発に乗って、敵基地を先に攻撃する。そして、「日本が先制攻撃した」ことを理由に相手国が「自衛権行使」で正々堂々、臆することなく日本を焼け野原にする。こういうパターンがないと言い切れるでしょうか? 日本は、実際にアメリカの挑発に乗って真珠湾攻撃をしたという「前科」があるのです。

いくら、相手に非があっても先に手を出したほうが悪い。歴史を振り返っても、先に手を出した方が非難を大きく浴びるのです。ついつい忘れてしまうことがあります。

なお、報道によれば、防衛省は、AIで自国民を好戦的に洗脳する工作に取り掛かっています。例えば、対朝鮮ということを考えてみましょう。日本人が防衛省に煽られて、先制攻撃を支持→世界から非難ごうごう&朝鮮からの反撃で日本滅亡、ということもあり得ます。

◆「台湾有事」に介入?!

台湾有事に対応することが必要、という意見もあります。しかし、1979年に米中が国交正常化して以降は、同海峡での直接的な軍事衝突はありません。

台湾を人民解放軍が攻め取ろうとしても、軍事的にはかなり難しいと言われています。大軍を渡海させて上陸させ、なおかつその状況を維持するというのは非常に困難だからです。地続きで平原地帯のロシアvsウクライナとは状況が全然違います。

なお、究極的にはいまだ終結していない「国共内戦」の延長である「台湾有事」が万が一起きたとして、日本が介入すれば、これは内政干渉です。ロシアが、ウクライナの内戦に介入して侵攻したのと変わりはありません。

だいたい、米中が衝突すれば、世界、とくにアジアは大混乱になる。食料を輸入に頼っている日本は大変なことになります。絶対に米中衝突は回避するよう立ち回ることに全力を注ぐべきです。

◆原発を推進しながら「抑止力向上」

岸田総理は、GX=グリーントランスフォーメーションと称して、原発推進に大きく舵を切りました。原発の新増設も辞さない構えです。しかし、冷静に考えると、これは、安全保障上のリスクを増やします。もちろん、原発を攻撃することは、国際法違反です。だが、ロシアのウクライナ侵略でザポリージャ原発が何度も大事故の危機に陥ったように、何が起きるかわからないのが現実です。

武器を増やして挑発をしながら、敵の的を増やしてあげる。総理がしようとしているのはこのような愚行です。

◆緊張激化で遠のく核廃絶、賢人会議開催とも矛盾

総理は、軍事費倍増を進めるその口で、広島で主催されている「賢人会議」では核廃絶について世界に向けてご高説を垂れておられました。「どの口が言うか?」と突っ込まざるを得ません。

繰り返しますが、日本の軍事費倍増自体が、緊張を高めることになります。そして、さらなる周辺諸国の核の増強にもつながりかねないのです。総理がいつもおっしゃる核兵器廃絶への「現実的な取り組み」どころか、核兵器廃絶を遠ざける行動ではないでしょうか?

◆出産費用補助に後期高齢者医療保険流用?!

総理は、出産費用補助を50万円まで引き上げると10日の会見で発表しました。そのことについて異存はありません。しかし、問題は財源です。なんと、後期高齢者医療保険から流用するということです。これは、財源の目的外使用です。しかも、後期高齢者も医療費負担が今秋から爆増し、困っている中です。

世の中には大金持ちの高齢者ももちろん、たくさんおられます。それなら、資産所得への課税を強化すればいいのです。それを軍事費ではなく出産費用補助にも使えばよいのです。あるいは、軍事費倍増をまかなうための増税の軸とされる法人税増税を、軍事費ではなく、出産費用補助に使えばよいのです。

もうひとつは、今の状況で出産費用補助だけ増やしても子どもが増えるかどうかも疑問です。日本の場合、とくにこの数十年は給料が上がっていません。若者は奨学金返済に追われ、年配者は年金が少ないからハードに働かないといけない。こうしたことが人々から希望を奪っているのではないでしょうか?

この点が、いわゆる少子化対策に成功しているとされる欧米諸国とも、人口が増えているいわゆる発展途上国とも決定的に違う点です。そもそも、少子化を解消すべきかどうかも吟味されるべきだが、日本の現状は、それ以前の問題です。そんな状況で、軍事費を倍増ですか?総理。筆者はあなたの選挙区の一有権者ですが、あなたがなさろうとしていることは、意味不明です。

軍事費増加はあっさり決まるのに、社会保障については、内部でやりくりをさせられる。岸田政治の本質がここに現れています。

◆頼りない立憲、総理暴走のストッパーにならぬ

こうした総理の暴走にストップをかけるべきは、野党第一党です。だが、残念ながら、特に広島県内の立憲民主党は、「岸田暴走問題」について頼りないと言わざるを得ません。

個々の議員や支持者の中には、依然として敵基地攻撃能力には反対の方も多くおられます。しかし、広島県選出の立憲民主党の男性参院議員は、2019年の改選時にマスコミのアンケートに対して「憲法9条を変えるべきではない」「防衛力を増強すべき」の両方の回答をしておられました(設問の表現は社によって微妙に異なるが)。

また、筆者がかつて支援をさせていただいた立憲の現職県議も、参院選中の公開討論会の中で「武器を見せつけて抑止することも大事」という趣旨のことをおっしゃっていました。これは武力による威嚇です。日本国憲法違反どころではありません。お二方とも、広島県内で強い武器製造関連労組への忖度があるのでしょう。

もちろん、日本の安全保障上の最大の弱点ともいえる原発についても、広島の立憲民主党は事実上の原発推進労組(武器製造と原発製造は重なる)の「労働貴族党」です。岸田総理へのけん制などのぞむべくもありません。

立憲でも特に岸田寄りないし労働貴族色が強い議員については、「このままではあなたを次の選挙では打倒せざるを得ない」というメッセージを有権者は送っていくべきでしょう。筆者は、既に、立憲の現職県議への支援は中止、私自身が立候補する意向を支持者に示しています。続く動きを期待します。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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ピョンヤンから感じる時代の風〈13〉深刻なのは、デジタル主権を日本が放棄していること 若林佐喜子

このところ、「マイナ保険証」問題をはじめ、「TikTok」炎上問題など河野太郎デジタル相の言動が物議を醸している。そんな矢先、「アメリカ式か中国式か? ビッグデータと国家安全保障をめぐる『仁義なき戦い』勃発」(Newsweek 11/17)という記事が目に入った。

特に、興味深かったのは、中国による個人情報収集に警戒感が高まるが、世界的にみれば、ヨーロッパをはじめインドなど多くの国々は、米国と米国IT巨大企業こそが、最大の国家安全保障上の脅威だと捉えていることだった。

理由の一つは、2013年にエドワード・スノーデン氏が公表した米国安全保障局(NSA)の大量の機密文書の収集事件を忘れていないこと。機密文書には、米政府が世界各国の要人や一般市民の電子メール、ショートメッセージ、携帯の位置情報といった膨大な量の個人データの収集が示されていた。二つ目は、米国のIT巨大企業GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)が世界のユーザー、一般市民のデータを食い物にし、巨大化していることを挙げている。

欧州各国では、米巨大IT企業への監視を強め、2018年にデータ移転ルールなどを定めた「一般データ保護規則」を設けている。さらにこの5年で、62ケ国がデータの国外移送に制限を加え、国内にサーバーの設置義務を課すルールなどの「データ・ローカライゼーション」規則を設け、強化している。

記事は、デジタル世界は、「『グレートファイアウォール』(ネット検閲、情報統制システム)に守られた中国のインターネットと、アメリカ主導のインターネットだ。そしてヨーロッパやアフリカや中南米の国々は、どちらかを選ぶように迫られている」と結ばれていた。だが、注視すべきは、「データ保護ナショナリズムは激しくなる一方だ」との言葉に表現されているように、各国が、自国のデータ保護・管理を強化していることだと思う。

 
若林佐喜子(わかばやし・さきこ)さん

今日、デジタル化、AI化なしに社会の発展は望めない。そのデジタル化において、生命とされる決定的なものがデータであり、国の政治、経済、軍事、国民生活においてその重要性が増している。同時に、膨大なデータに莫大は価値があるとともに、国家と国民の安全保障が重要な課題でもある。この世界の動きを考えたとき、深刻なのは日本である。日本政府が自らデジタル主権を放棄しているという事実だ。

日本は、TPP交渉の過程で、「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年に「日米デジタル貿易協定」を締結している。言い換えれば、データ保護・管理などデジタル主権を自ら放棄させられている国なのだ。

2021年9月に発足した「デジタル庁」は、システムの標準化、統合を眼目とし、省庁とともに国と地方のシステム統合を目指してきた。その基盤として使用されているのが、米国のIT巨大企業アマゾンのプラットフォームである。国家と国民の安全保障に関わる政治システムを他国の民間企業に任せるケースは世界でも珍しく、さらに個人情報を管理するデータ設備を日本国内に置く要求もできない。これでは、デジタルを通じて日本と日本人の資産を自ら、米国と米国巨大テックに際限なく売り渡すのに等しい。

改めて、日本政府が米国に対してデータ保護・管理、デジタル主権を放棄させられている、している事実の深刻さに警鐘をならしたい。

▼若林佐喜子(わかばやし・さきこ)さん
1954年12月13日、埼玉県で生れる。保育専門学校卒業。1977年に若林盛亮と結婚(旧姓・黒田)。ピョンヤン在住。最近、舩後靖彦氏の持説「命の価値は横一列」に目からうろこ体験。「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

 

知覚できない新世代公害の顔、『[窓]MADO』が16日から池袋HUMAXシネマズで上映 黒薮哲哉

たとえば隣席の同僚が使っている香水が神経に障って、使用を控えるように要望する。同僚は、取り合ってくれない。けんもほろろに撥ねつけた。総務部へも相談したが、「あの程度の臭いであれば許容範囲」と冷笑する。

次に化学物質過敏症の外来のあるクリニックを訪れ、すがるような気持ちで診断書を交付してもらい、それを持って再び総務部へ足を運ぶ。やはり拒絶される。そこでやむなく隣席の同僚に対して高額な損害賠償裁判を起こす。

化学物質過敏症を訴える家族が団らんする場面

夜が深まると壁を隔てた向こう側から、リズムに乗った地響きのような音が響いてくるので、隣人に苦情を言うと「わが家ではない」と言われた。そこでマンションの管理組合に相談すると、マンションに隣接する駐車場の車が音の発生源であることが分かった。「犯人」の特定を間違ったことを隣人に詫びる。

新世代公害の正体は見えにくい。それが人間関係に亀裂を生じさせることもある。コミュニティーが冷戦状態のようになり、住民相互に不和を生じさせるリスクが生じる。

◆実在の事件をドラマに、ロケは事件現場

 
左から主題歌「窓」の作曲者:Ma*To、主題歌を歌う小川美潮、音楽を担当した板倉文の各氏。Ma*To氏は横浜副流煙裁判の被告として法廷に立たされた。

デジタル鹿砦社通信でも取り上げてきた横浜副流煙裁判をドラマ化した『[窓]MADO』(監督・麻王)の上映が、池袋HUMAXシネマズ(東京・池袋)で12月16日から29日の予定で始まる。

煙草による被害を執拗に訴える老人を西村まさ彦が演じる。また、煙草の煙で化学物質過敏症になったとして隣人から訴えられ、4500万円を請求されるミュージシャンを慈五郎さんが演じる。慈五郎さんは、上映に際して次のようなメッセージを寄せている。

「煙草がメインテーマになってくる話なのですが、今、煙草自体を吸うシーンが、あまり見られなくなっています。コンプライアンスの問題だと思いますが。その意味で、こんなに真っ向から煙草をテーマにした映画っていうのは、勇気もいるだろうし、共感できる部分も色々あります」

この映画は実際に起きた事件をベースにしたドラマである。ロケも事件現場となった横浜市青葉区のすすき野団地で行われた。その意味では、事件をドラマで再現したと言っても過言ではない。

しかし、法廷に立たされた被害者であるミュージシャンを擁護した映画ではない。ミュージシャンを訴えた家族の立場からも事件を考察して、新世代公害の複雑な側面を描いている。その意味では客観性が強い作品である。

◆新世代公害という未知の領域

かつて公害といえば、赤茶けた工場排水が海へ放出されている光景とか、工場の煙突から黒々としたスモッグが立ち昇る場面など、具体的なイメージがあった。従ってカメラは問題の所在を特定することができた。それゆえに映像化も容易だった。

ところが新世代公害は正体が見えにくい。それゆえにマスコミの視点もなかなかそこへは向かない。が、水面下では公害の世代交代が急速に進んでいて、新しい形の被害を広げている。コミュニティーの破壊をも起こしている。

米国のCAS(ケミカル・アブストラクト・サービス)が登録する新生の化学物質の件数は、1日で1万件を超えると言われている。複合汚染を引き起こす。

新世代公害の実態は大学の研究室の中ではある程度まで解明されていても、どのように人間関係やコミュニティーを分断していくのかという点に関しては考察されてこなかった。映像ジャーナリズムも、この点を凝視することを怠ってきたのである。背景に利権があるからだ。

『[窓]MADO』は、この未知の領域に正面から挑戦した作品である。


◎《予告編》映画 [窓]MADO 12/16(金)公開 @池袋HUMAXシネマズ

■『[窓]MADO』の公式サイト https://mado-movie.jp/

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

《書評》『紙の爆弾』2023年1月号 旧統一教会特集および危険特集 横山茂彦

政治と宗教の議論、および旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題の議論は、ようやく端緒についたばかりだ。わが「紙の爆弾」も特集といえる論攷、レポートが並ぶことになった。

 
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

いくつかの視点があると思う。政教分離を信教の自由における法的担保とする考え方は、戦前の国家神道(内務省による神社神道の国教化=官幣社制度)の批判、その下に行なわれた宗教弾圧である。

もうひとつの視点は、宗教団体といえども政治的自由は有しているので、他の圧力団体(各業界の生産者団体・労働団体・文化団体・各種企業)と同等に、政権への働きかけ、政党との提携・協定は自由であるというものだ。

前者を過度に強調すれば、宗教団体への規制となりうる。しかるに、宗教団体が支持母体の政党が政権を担ってよいのかどうか、議論は分かれるところだ。言うまでもなく、この議論の延長上には公明党が与党であることの可否が浮上する。議論の本格化を期待したい。

「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」(片岡亮)は、自民党が統一教会被害者への「守り」にとどまり、悪質な宗教団体の取り締まり、すなわち「攻め」に消極的であることを批判する。

さらに教団と癒着する萩生田政調会長が、ほかならぬ教団との窓口(調整役)を務めていると指摘する。前述したとおり、創価学会を支持母体とする公明党と自民党の現政権が、旧統一教会の規制(解散)に消極的なのは言うまでもない。そのうえ、ステルス信者となった教会員が自民党の選挙運動をになう動きが指摘されている。

あらためて言うまでもなく、自民党にとって韓国に本部を置く旧統一教会の「理念」ではなく、その会員の選挙運動力が「役に立つ」から癒着を断てないのである。政治は「政治理念」ではなく、敵の敵は味方という「政治の原理」で成り立っている。

また、片岡は幸福の科学が「自殺防止相談窓口」や駅頭での自殺防止キャンペーンに乗り出していることを指摘する。参政党の支持基盤でもあるというわjクチン反対運動の神真都Q、内部での厳格さが指摘されるエホバの証人など、新宗教の動きも気になるところだ。ほかに「統一教会『救済新法』めぐる与野党攻防」(横田一)が新法の問題点をあばき出している。

「旧統一教会における信仰とは何か」(広岡裕児)は、セクト(破壊的カルト)の判別規準をフランスの例から解説している。旧統一教会が多額の献金をさせるから問題なのではない、と広岡は指摘する。既成仏教でも多額の献金はあるし、それを伝統的な仏教宗派だからいいのだとすれば、それは新宗教への差別にほかならない。

それではマインドコントロールだからダメだと言えるのか? このテーマを、広岡はオウム裁判の判決理由から解説する。自由意志をどこまで確認できるのか、オウム被告(元死刑囚)たちの告白は迫真である。

「統一教会政界汚染と五輪疑獄をつなぐ闇」(藤原肇)の副題は「火だるまになる自公ゾンビ体制」である。その筆致は快刀乱麻ともいうべき痛快なものだ。描き方は陰謀論だが、旧統一教会が満州人脈をテコに、アメリカと日本の中枢に拠点を築き、日本そのものを乗っ取ってしまったというものだ。

キーパーソンは言うまでもなく岸信介であり、岸の娘婿安倍晋太郎亡き後は、安倍晋三に焦点を絞って政権乗っ取りを画してきたという。陰謀論だからといって、暗いばかりではない。やがて大掃除が始まり、大疑獄事件のすえに日本は生まれ変わるのだと。読んでいるうちに、楽しみになってきた。

「偽史倭人伝『プランA』」(佐藤雅彦)は危険な記事だ。

なにしろ第三次世界大戦のプランが進行しているというのだ。そして、そのプランを知ったうえで第三次大戦を欲しているのが、現在ロシアと戦火を交えているウクライナのゼレンスキー大統領だというのだから、危険きわまりない。評者もゼレンスキー政権の救国民族解放戦争を支持する立場だが、その祖国防衛戦争の延長に第三次大戦が招来するのであれば、話はまったく別ものになってくる。

いや、戦争は成り行き(敵と味方の攻防の弁証法)なのだから、やむを得ないものとしよう。問題は「プランA」がどこまで具体的で、現実性のあるシナリオなのかであろう。ロシアの解体という、いまだ誰も議論の俎上には上げていないものの、世界の新秩序を安定化させるキーワードの一つが「プランA」なのだ。すなわちプーチン政権の転覆であり、広大な国土と資源を持つロシア連邦の解体である。これまた読んでいるうち背筋が冷たくなり、しかしその恐怖が楽しみになったと告白しておこう。危険、危険。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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