◆今、改革が求められている

四月の統一地方選挙から分かったこと、それは、無投票選挙区の激増、議員定数割れ市町村の増加など、地方地域衰退の深まり、等々、いろいろある。だが、そうした中にあっても、地方地域住民の「改革」への要求の切実さは予測を超えていたのではないだろうか。

自民党の圧勝、立憲民主党の惨敗が言われる中、やはり際立ったのは、「維新」の躍進だった。大阪ダブル選挙での圧勝、奈良県知事選、和歌山衆院補選の勝利、そして市町村議選での七七五議席獲得は、目を引いていた。

問題は、なぜそうなったのか、その要因だ。そこで言えるのは、やはり「改革」の二文字ではないかと思う。

今の日本で「改革政党」として認定されているのは、共産党や社民党ではない。日本維新の会だ。選挙でも「改革」を前面に押し出し訴えたのは、「維新」だった。

「このままではだめだ」。「日本は変わらなければ」。人々のこの切実な願いを体現して見せたこと、そこに「維新」躍進の秘密を見出すのが、今回の統一地方選から得られる教訓だと思う。

◆「維新」の「改革」は日本にとって何なのか

日本維新の会が「改革」を唱えはじめてから久しい。大阪維新の会として出発した当初から唱えていたのが「改革」だった。

ところで、「維新」が唱えていた「改革」が新自由主義改革だったのは周知の事実だ。今、彼らがそれを声高に叫ばなくなったのは、それでは人心をつかめなくなったからに他ならない。

今、彼らが前面に押し出しているのは、御存知、「身を切る改革」だ。大阪の府と市、議員の定員、俸給の削減、大阪市職員、その定員と俸給の削減、等々、文字通り「身」を切っている。

その他にも、「改革」は目白押しだ。地下鉄民営化、関空業務民営化、小中高校の統合、そして、大阪府大と市大の統合や水道の民営化までが続々企画され、その多くが実行されて行っている。

この「改革」のオンパレードを見て気付くことがある。それは、その基本が「公営」の「民営」化、国から民間への転換、国の削減、等々、「国」と「公」をなくし、「民」に転換する「改革」だということだ。これは、大阪維新の会の時から追求されてきた「新自由主義改革」そのものだ。中身は何も変わっていない。

実際、「維新」の政治を見ていて思うのは、「国」が目の敵にされていることだ。今回の統一地方選でも、地方地域の「改革」を言いながら、二言目には、「国は関係ない。地方のことは地方で!」が繰り返された。

この「国否定の改革」が駅の便所の清掃など市民、府民の好評を得る木目の細かい改革と一体に推し進められていく。この辺りに「維新、改革政治」の人気の秘密があるのかも知れない。

◆日米統合と改革

今、「改革」を求めているのは、日本の国民、地方地域住民だけではない。他でもない、米国が一日も早い日本の「改革」を求めている。

周知のように、今、米国は中国とぶつかっている。このところとみに弱まった自らの覇権を脅かす者として、中国を目の敵にし、ウイグルや香港の人権問題を騒ぎ立てながら、「米中新冷戦」を引き起こし、貿易戦争、ハイテク戦争、対中包囲、封鎖、排除と戦いをエスカレートさせてきている。その対中対決戦の最前線に米国が押し立てているのが、他ならぬ日本だ。

日本がそれに応えるのは容易ではない。何よりも、非核非戦の国是では、米国とともに戦争できない。しかも相手は中国だ。防衛費倍増くらいでは太刀打ちできない。経済だってそうだ。中国と戦って、米国を支えるためには、経済の有り様自体を変えなければならない。外交も、米国に追随しているだけではだめだ。その手足になって中国と戦える外交力を備えることが求められる。一言で言って、米国と一心同体に中国と戦える国になってくれと言うことだ。

そこで言われているのが「日米統合」だ。軍事や経済、外交だけではない。すべての分野、領域での日米一体化、融合が求められている。

この場合、当然のことながら、この「統合」は、日米対等の統合ではない。米国自身が言っているように、米国の下への日本の統合だ。軍事も経済も、すべてが米国の補完、下請けだと言うことだ。 そして、何より深刻なのは、それが日本という国をなくすことを意味していることだ。

「統合」は、一言で言って、グローバリズムの焼き直しだと言える。国と民族自体を否定する究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義は、イラク、アフガン反テロ戦争の泥沼化、リーマン・ショックや長期経済停滞、それらにともなう一億難民の大群、そうした中、世界中に登場してきた新しい政治、自国第一主義の嵐などを通して、一時期見せた勢いを完全に失い破綻した。それをもう一度、かたちを変えて持ち出してきたのが、米覇権回復戦略としての「新冷戦」であり、その一環としての「統合」だと言うことだ。

実際、「統合」は単なる対日政策ではない。「民主主義VS専制主義」の「新冷戦」にあって、「民主主義陣営」内の同盟国、友好国すべてに対して、米国の下への「統合」を呼びかけたものだ。

こうして見ると、「新冷戦」が崩壊の危機に陥った米覇権を建て直すための起死回生の覇権回復戦略であるのが一層鮮明になる。中ロなど米覇権に敵対する勢力を「専制主義陣営」として、包囲、封鎖、排除する一方、返す刀で米覇権の同盟国、友好国を「民主主義陣営」として、国境を超え「統合」し、究極の覇権、国と民族それ自体を否定するグローバリズム覇権を実現する土台にすると言うことだ。

この米国が求める「統合」が日本の国を亡くす改革になるのは、自明のことではないだろうか。

◆求められているのは、国を創る改革だ

日本の改革の主体は、どこまでも日本国民自身だ。米国ではない。

米国が求める日本の改革が「日米統合」だとすれば、それを自らの改革として選択するかどうかは、あくまで日本国民にかかっている。

先の統一地方選挙は、その一環だったと言うことができる。そこでは、「維新」の「改革」が選ばれた。われわれはこれまで、それが「国を否定する改革」であり、米国の「日本の国を亡くす改革」に通じていることについてみてきた。

実際、先述したように、「維新」の「身を切る改革」は、元を正せば、大阪維新の会の「新自由主義改革」に他ならず、米国が求める「グローバリズム改革」、「国を亡くす改革」と一体だ。

日本の進路が問われる今、何より重要なのは、その改革がどういう改革なのか、その目的と性格が明確にされることだと思う。それが曖昧なままの選択は、日本にとって取り返しの付かない禍根を遺すことになる。

「国を亡くす改革か創る改革か」、ここに改革の是非を分ける決定的な分岐点があると思う。

改革の主体である日本国民にとって、日本の国をどうするかはもっとも切実な問題だ。それは、われわれにとって、国が自らの共同体、もっとも切実な拠り所であるからに他ならない。

その国を亡くし、米国の下に統合する改革なのか、それとも、自らの共同体、拠り所としてよりよい国をつくり上げる改革なのか、どちらが良いか、答えは言うまでもないと思う。

だが、「維新」の「国を亡くす改革」と対決する「改革案」を掲げ立ち上がる政党は一つもない。「改革」は「維新」の専売特許になっている。

なぜこういうことになっているのか。その根底には、これまで日本が、世界のどの国よりも深く米覇権と言う居心地のよいぬるま湯にどっぷりと浸かっていたという事情があるのではないか。「イエローヤンキー」という世界の揶揄には一定の根拠があったと言える。

そのぬるま湯が冷えてくる中、日本には、今、ぬるま湯から飛び出して新しい生き方を選ぶのか、それともぬるま湯の復活を期待してあくまでそこにしがみつくのか、選択が問われている。

これまで米国が敷いた路線を走り、自分で路線をつくってこなかった身には、未知の路線を切り開くのは容易ではない。新しい日本を創る改革案を生み出す政党、勢力が一つもないのには理由があると思う。

今、日本でもっとも切実に問われていること、それは、何よりも米覇権崩壊の現実を直視することであり、どこまでも日本と日本国民のため、新しい日本を創る改革案を広く国民大衆自身に求め、それをあくまで日本国民主体に実現していくことではないだろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

◆「日本の最大の弱点は、核に対する無知」!?

「日本の最大の弱点は、核に対する無知だ」!

これは「安全保障問題の第一人者」とされる兼原信克元内閣官房副長官補(同志社大学客員教授)が4月15日の読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウムで語った言葉だ。

5月に開催されるG7広島サミットを前に「核に対する無知」を正すための米国による対日“核”世論工作がすでに始まっている。

「核の脅威に対する知識を深め続ける」!

フジTV「プライムニュース」に出演したブラッド・ロバーツ元米国防次官補代理(オバマ政権で核・ミサイル防衛担当)は「核に無知な」日本人にこのように「提言」した。

この「提言」を行ったブラッド氏は、自分の研究所、グローバルリサーチセンターの所長として一つの「報告書」をまとめた。この「報告書」作成に米国人以外の唯一の外国人、高橋杉雄防衛庁防衛研究所室長を参加させた。この一事をとってみてもこの「報告書」が誰のために作られたものかがわかるだろう。

 

プライムニュースの「報告書」写真

一言でいってこの「報告書」は「核に無知」な日本人に「核の脅威に対する知識を深め」させるための「啓蒙の書」だと言える。

題して「第二の核超大国、中国の台頭-アメリカの核抑止戦略への影響」がそれだ。

「報告書」の内容は題名の通り「中国の核の脅威」を説くことと、これに対応する新たな米核抑止戦略について述べたもの。

まずは「ロシアの分析」。

そこではプーチン体制が続けば、ロシアは「核挑発を繰り返す」とし「核兵器への依存を高め、早期使用に頼る可能性が高い」と分析。

要するに、ロシアによる核戦争挑発の危険が高まっていますよという日本人への「警告」だ。

次に中国の「核軍拡」への警鐘。

中国は核大国として今後10年ほどで質量的にアメリカと同等の存在となる。現在の新型ミサイルの大量導入もいまある現実の脅威であること。

核弾頭数でいえば、中ロ合わせて3,000発に対して米国1,500発という不均衡が生じる。これが現在の深刻な「核の脅威」であると「警告」。

だから核戦争挑発のロシアと第二の核超大国、中国に対抗する新たな核抑止戦略として、米国はアジアと西欧の同盟国と協力して抑止力強化の役割分担を新たに定めるべきであること。

これが「報告書」の結論だ。

「プライムニュース」出演のブラッド氏は、特にアジアにおいて日本は「ミサイル防衛」でいちばん大事な同盟国であり、米国と共同で核抑止力を高める責任を負うべきであることを強調した。

この責任を日本に負わせる上で最大のネックになるのが「核に対する無知」な日本人の非核意識だ。だから5月開催のG7サミットで広島から発せられるメッセージは「核に対する無知」な日本人を啓蒙、覚醒させるものになるであろうことは明らかだ。


◎[参考動画]核超大国・中国の脅威と抑止戦略〈前編〉2023/4/17放送

◆「葛藤から逃げずに議論」、これが「広島の声」!?

5月のサミットを前にした4月15日、読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウムが「被爆地」広島で持たれた。

このシンポジウムへのメッセージで川野徳幸・広島大平和センター長は次のように呼びかけた。

「今後、核廃絶の理想と、米国の“核の傘”に守られている現実の隔たりが深刻化するかもしれない。それでも、その葛藤から逃げずに議論するべきだ」

この発言を受けて「葛藤から逃げずに議論」、これが「広島の声」だという形で読売新聞は伝えた。

「広島は核なき世界をかかげるシンボリックなまちで、これまで核抑止論を含む安全保障の問題を正面切って議論することは少なかった」、つまりこれまでは「核廃絶という理想と現実の葛藤となる」核抑止の議論を避けてきた、しかしいまは現実の核の脅威から「逃げずに核抑止を議論」すべきことをこの広島大平和センター長は訴えたのだ。

一言でいって、G7広島サミットを契機に、非核日本のシンボルの地からの訴え、「広島の声」として、「核抑止力強化」の議論を「葛藤から逃げずに」高めていこうということだ。

冒頭で上げた「日本の最大の弱点は、核に対する無知」なる兼原信克発言の意図するもの、それはいまや「核に対する無知」を克服すべき時、「核抑止力強化」を議論すべき時であること、これを「広島の声」として発信していこうということであろう。


◎[参考動画]G7広島サミット開催記念シンポジウム③ 被爆者の声 広島の声

◆「葛藤から逃げずに議論」すべきこととは?

「核に無知」な日本人が「葛藤から逃げずに議論」すべき課題については、すでに上述のブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理は語っている。読売新聞の取材に答えたものだ(2月15日付け一面トップ記事)。

「岸田首相は核廃絶という長期目標に向けた現実的なステップを踏みつつ、核兵器が存在する限り核抑止力を効果的に保つというアプローチを明確にすべきだ」と、まず議論の前提を述べた。

その「核抑止力を効果的に保つアプローチ」についてブラッド氏は具体的に二つの課題を提示した。

第一は、「アジアに核兵器が配備されていない核態勢は今日では不十分」だということ。

これは日本の「非核三原則」を見直し、せめて日本への核配備、「核持ち込み」を容認しないと危険なことになりますよという警告だ。ブラッド氏にとっては非核三原則は「核に対する無知」な日本のシンボルなのだろう。

第二は、NATOのような核使用に関する協議システム、「日米核協議の枠組みが必要」だということ。

この「日米核協議の枠組み」と関連して日韓首脳会談開催決定を受けて早速、動き出したものがある。 

読売新聞(3月8日朝刊)は一面トップ記事で米政府が「“核の傘”日米韓協議体」創設を打診していることをワシントン特派員がリークした。そこでは「韓国は有事に備えた核使用の協議に関心を示している」が問題は日本政府だとして岸田首相に「有事に備えた核使用」、すなわち日米「核共有」の議論に踏み込むことを暗に求めている。

これはNATOと同様に米国と日本との「核共有」システム、有事には自衛隊も核使用を可能にする協議システムが必要だということだ。

米国の狙いは、米国の核抑止力の一端を自衛隊に担わせること、自衛隊に核攻撃能力を持たせることだ。具体的には「核共有」実現によって新設された自衛隊スタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊に核搭載を可能にすることだ。

その先にあるのは米国が対中対決の最前線を担わせる日本の代理“核”戦争国化、「東のウクライナ」化だ。

これがG7広島サミットで発信される「広島の声」、「葛藤から逃げずに議論」する「核抑止力強化」論の帰結だ。


◎[参考動画]G7広島サミット開催記念シンポジウム① ブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理の基調講演「緊迫する安全保障環境 米国の核戦略は」

◆「非核の国是」放棄か堅持か、日本の性根が問われる時

読売TV「深層ニュース」出演の兼原信克・元内閣官房副長官補は「核に対する無知」な日本人をこう脅迫した。

「非核の国是を守ることが大切か、国民の命と安全を守ることが大切か、議論すべき時が来た。答は明らかでしょう」

非核の国是を日本の安全保障と対立するものとする「安全保障問題の第一人者」。まるで非核が「核に対する無知」の象徴かのような詭弁、国是の愚弄を許してはならない。国是を愚弄することは日本という国を否定することだ。まさに日本の性根が問われている。 

「核に対する無知」な日本の象徴として被爆地・広島を愚弄するG7広島サミット、そこから開始される「葛藤から逃げずに議論」せよという対日“核”世論工作を許してはいけないと思う。

非核の国是は日本の安全保障と対立するものではない、いや「非核の国是堅持」こそが強固な日本の安全保障であることを明確にすべき時が来た。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

ロシアによる「特殊軍事作戦」が始まって以来、1年という年月が経った。この間、世界は大きく変った。それは、これまでの米国覇権、米国中心の覇権秩序の崩壊が誰の目にも明らかになり、脱覇権が世界的な流れとなってきたということではないだろうか。

しかし日本政府は、この流れを見ることなく、米国覇権に従い、ロシア制裁の先頭に立ち米国が唱える新冷戦、対中対決の最前線を担い、敵国攻撃能力の保持や国防費をGDP2%にするなどと軍拡の道をまっしぐらに進んでいる。

それでいいのか、それをストップさせる力はどこにあるのか。それを考えてみたい。

◆二つの会談、浮き彫りになったのは?

この間、中露首脳会談と岸田首相のウクライナ訪問という二つの首脳会談があった。それを比較することから浮かび上がる日本の立ち位置、先ずそれを見てみたい。

その一つ、3月20日から3日間に渡ってモスクワで行われた中露首脳会談。

会談の冒頭、中国の習主席は「中露関係を強固にし発展させることは、中国の戦略的選択であり、それは中国自身の根本的利益にかなっている」と中国の立場を明らかにし、会談では「持続可能な発展分野」「農産物輸出の手続き簡素化」「宇宙開発、位置情報での協力」など広範な分野での経済・技術協力が協議された。

会談後の共同声明には「経済協力で2030年までに貿易や双方の通貨使用を拡大し、石油や天然ガスなどエネルギー分野の協力強化を図ること。軍事交流と協力の強化を図る」内容と共に「国連安保理の承認のない、一方的な制裁に反対」が盛り込まれた。

これに対し、米国は、「(訪問自体が)ロシアが犯罪を続けるための外交的隠れ蓑を提供しようとしている」(ブリンケン国務長官)などと批判。日本のマスコミも中露の協力の動きを「専制主義国家の提携であり、世界がロシアのウクライナ侵略を非難し、ロシア制裁に力を入れている中で中国のロシアへの接近は許されない」などと論陣を張った。

新聞の解説記事は、「米国の覇権に対抗 思惑一致」「米国の覇権による秩序を終わらせたい思いで一致」などと、「米国の覇権」、「米国の覇権による秩序」を中露両国が共同で対抗し終わらせることを目論んでいると分析している。

もう一つ、同日時に(3月21日)に行われた岸田・ゼレンスキー会談。

その目的を象徴したのは、例の「しゃもじ」。広島・宮島の「しゃもじ」を土産にというのは失笑物だったが、岸田首相の頭にあったのは広島サミットの成功だったようだ。

世界最初の被爆地で開かれる広島サミットは、「核のない世界」を掲げながら、「ロシアの核脅威」をもって、米国の包括的核抑止力の必要性を説き、その下での日本の抑止力としての敵基地攻撃能力の保持、核の共同所有を準備するものになりそうである。

一方,岸田首相は、広島サミットを「歴史的な転換点にある今、国際社会が共有すべき考え方を提供したい」として、「法の支配に基づく国際秩序の堅持とグローバルサウスと呼ばれる国々を含むG7を超えた国際社会のパートナーとの関係強化の二つの視点から国際社会が直面する課題を取り上げる」と述べる。

ウクライナ訪問はインド訪問からの連続だったが岸田首相はインドで「開かれたインド・太平洋のための行動プラン(新計画)」を発表した。それは「法の下での共存強調」、「平和の原則と繁栄のルール」などを提示しながら、これを試金石にインド太平洋地域諸国に750億ドルの支援を行うというものである。

岸田首相が言う、「法の支配に基づく国際秩序」とは、米国による覇権秩序のことであり、カネを餌に、ここにグローバルサウス諸国を取り込むというものである。

こうした広島サミットについて、国連の議論では、グローバル・サウス諸国が「G7なんて旧宗主国グループじゃないか。我々を植民地にした者が上から目線で、きれいごとを言える身分か」「G7が守りたい国際秩序とは、米国がわれわれにやりたい放題の謀略、軍事侵攻を仕掛けてきたやり方だろ。まっぴらだ」などと反発の声を上げているという(『選択』4月号の記事)。

以上、二つの国際会議を通して浮き彫りにされたのは、中露の米覇権反対にグローバルサウスも同調しているのに対し、米覇権秩序を支え、そこにグローバルサウス諸国を引き込もうとする米国の手先のような日本の姿である。

◆それが世界の流れなのだ

中露だけでなく、米国覇権秩序に反対することは世界的な流れになっている。

ウクライナに対するロシアの「特殊軍事作戦」が発動されて1年。マスコミはロシア制裁が「隙間だらけ」(2月20日付け朝日新聞)、「大きな『抜け穴』」(3月3日付け読売新聞)という記事を載せた。

「隙間だらけ、抜け穴」とは、制裁を行っているのは、米欧日だけであり、他の国々はロシアとの貿易を増やし制裁が効いていないことを指している。インドはロシアからの輸入は前年比5倍、中でも石油は10倍も輸入を増やしており、これを石油製品にして欧州に売っている。中国もロシアからの原油輸入は前年比1.4倍の584億ドルもの巨額であり、貿易量も2.4倍になっている。

トルコも輸出入共に増やしており、イランもロシアとの関係を深め武器も提供しており、エジプトもロシアからの食糧輸入を増やし武器輸出もこっそりと行っているようだ。

インドはグローバルサウスを自認する大国であるが、全てのグローバルサウスがロシアとの貿易を拡大している。

「抜け道」は、彼らだけではない。当の米国自身、肥料や資源の輸入を続けている。欧州もロシア産天然ガスへの依存度を10%に抑えると言いながら影では輸入を増やしており、ダイヤモンドやウランの輸入も続け、インドを経由したロシア産石油製品も輸入している。日本もカニ、ウニ、タラコを輸入し、日本の天然ガス需要の10%にもなる「サハリン2」の天然ガスを輸入している。

世界の大多数の国々がロシアとの貿易を拡大している。それも、こっそりではなく公然と。それは最早「抜け穴」ではなく、世界の「流れ」だと見るべきではないだろうか。そして、米欧日というロシア制裁を声高に叫ぶ諸国までもが「抜け穴」行為を行っているという事実は、ロシア制裁が如何に茶番であるかを物語っている。

米国覇権からの離脱では世界的なドル離れも注視される。

サウジアラビアは石油決済はドルで行うという米国との「秘密協定」を無視しドル以外の通貨での支払いを認める方向に梶を切った。またブラジルのルラ大統領がドルに変わる決済通貨として「スール」を提案し中南米諸国がこれを支持する動きになっている。

 今回の中露会談でも、「自国通貨による決済」が合意されている。すでにロシアの貿易決済の3分の1はルーブルであり、他国通貨を含めたドル以外の決済は50%になっている。インドの大量のロシア産原油輸入もインド・ルピーやルーブルが使われている。

俗に米国覇権は「核とドルによる支配」と言われたが、世界的なドル離れが進んでいるのだ。とりわけ、サウジアラビアと米国の「原油取引はドルで行う」という秘密協定破棄は、石油がドル価値を支える巨大な物質的基礎だっただけに、ドルの威信低下を決定的なものにする。そして、ドルの本国である米国では、銀行破産が続き、国際金融の最大手の一つ、クレディ・スイスも倒産した。金融界では1920年代の金融恐慌が起きるのではないかと囁かれている。最早、ドルの時代、米国覇権の時代ではないのだ。

◆世界の流れに呼応した国民の闘いが国を変える

米国離れ、ドル離れが世界の大きな流れになっている中、欧州では昨年来「いい加減にしろ」のデモが各地で起きている。ロシア制裁の結果、電気代やガソリン、食糧品が高騰して国民生活を直撃しており、「このままではホームレスになるしかない」ほどのものになっているからだ。

英国では、今年に入って、医療、鉄道、高速道路、港湾、郵便などの公共部門の労働者50万人が参加する大ストライキが起きている。スローガンは「賃上げ」と共に「生活と公共サービスを守れ」であり、サッチャーリズム以来の公共部門の削減政策、新自由主義政策の見直し要求になっている。

その上、スナク政権が「ストは人々を危険にさらす」として「反ストライキ法案」を可決したことで、「全国教員組合」の30万人の教員も参加し、多くの学校でストライキが決行されており、スナク政権の支持率は10%台で、ほとんど「死に体」である。

フランスでも、マクロン大統領の強権的(議会の承認なしの大統領決定)な「年金支給年齢の引き上げ」に全国的な激しいデモが起きている。

イタリアでは昨年、自国第一主義のメローニ政権が誕生した。この政権には、「プーチンとは親友」を公言するベルルスコーニ前首相が参加しており、ロシア制裁から一定の距離を置くことを期待されての政権誕生である。

こうした動きの原動力は、米国の言いなりになって、新自由主義改革を行い、いま又「ロシア制裁」によって、国民に塗炭の苦しみを強いる政治への怒りである。

日本でも物価高騰は激しく、その上、米国に言われての未曾有の軍拡で、増税や社会保障費の削減が予定されている。さらに日本は新冷戦の最前線にされ、ウクライナのような代理戦争を強いられるような状況にあり、まさに国民は「命と暮らし」を守るかどうか、死ぬか生きるかの瀬戸際立にたされようとしている。

しかし、「日米同盟基軸」であり「同盟が国益」という政府は、あくまでも米国覇権の下生きることしか考えず、いまだに新自由主義改革にしがみつき、社会保障の削減や米国式ジョブ型雇用の導入、公共の削減・民営化に躍起となっている。

 

魚本公博さん

野党も「民主主義を守れ」(それは多分に米国式民主主義)、「ロシアを制裁せよ」であり、それでは米国の覇権回復戦略政策に反対し、それに追随する自民党と闘うことなど出来ない。

「民主主義だ」「ロシア制裁だ」と言うのもよい、しかし、それで何故我々が苦しまなくてはならないのか。日本でもいい「加減にしろ」(enoughandenoughもうたくさん)の声が高まってくるのは必至だ。 

結局、この国の宿痾のような対米追随政治を変えるのは、国民しかいない。米国覇権に反対する世界的な流れ、欧州国民の運動に呼応する日本国民の闘い、それが日本を変える。

これから統一地方選の後半戦がはじまり、総選挙も噂されている。そうした中で、日本の国を変える動きが芽生えくることを期待している。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

◆ウクライナ戦争の本質を問う

今日、世界の政治はウクライナ戦争を離れてはあり得ない。

ウクライナ戦争がどうなるかで、各国の政治も少なからず、影響を受けるようになる。

それで、この戦争の行方を探る様々な試みがなされている。

この戦争がどうなるか、それを究明することは、この戦争がいかなる戦争か、その本質を離れてはあり得ない。

それについては、これまで多くの人々がプーチン・ロシアによるウクライナ侵略戦争だと思ってきた。

しかし、このところの戦争の進展は、どうもこの戦争が単純なロシアとウクライナの戦争ではないことを教えてくれている。

ウクライナに対する米欧各国による武器の供与、経済的支援とロシアに対する制裁、それに同調せず、陰でロシアを支える中国など非米諸国の動き、そしてそのどちらにもつかず離れずの動きを示す国々、どうやらこの戦争をめぐって世界は大きく二分裂、三分裂の様相を呈してきている。

ここで、米欧、それに日本を加えた勢力がいわゆる旧帝国主義諸国なのは誰の目にも明らかだ。

それに対して、中ロなど非米諸国は、何なのか。これについて、一つは、中ロを後進の新興帝国主義と見ながら、それと結びつく非米諸国を一つの帝国主義ブロックとしてとらえる見方、もう一つは、中ロなど非米諸国を中ロまで含め、一つの非米脱覇権、反覇権勢力と見る見方があるのではないだろうか。

この中ロ・非米諸国に関する二つの見方の違いはどこから生まれてくるのか。それは、主として時代のとらえ方の違いによっているのではないかと思う。前者は、現時代をいまだ帝国主義、覇権の時代ととらえており、後者は、帝国主義、覇権時代の終焉、脱覇権時代の到来ととらえているということだ。

この前者と後者、二つの見方の違いによって、ウクライナ戦争をどうとらえるか、その本質も全く違ったものになる。前者の見方からは、戦争は、先進帝国主義勢力と後進帝国主義勢力による帝国主義間戦争になり、後者の見方からは、覇権か反覇権か、その雌雄を決する戦争になる。

◆現時代をどう見るか

時代分析の基準はいろいろあると思う。

しかし、その中でももっとも規定的なものは、人々の意識ではないかと思う。

人々の意識が転換すれば時代が転換し、時代の転換は、人々の意識の転換にもっともよく現れるようになる。

今、人々の意識の転換でもっとも顕著なのは、米覇権に対する意識の変化だ。

かつては、米国が世界のリーダーだった。米ソの冷戦時代にあっても、リーダーは米国だった。ソ連東欧圏の人々の中でも、それが潜在的にあったのではないだろうか。

しかし、今は違う。

米国が世界のリーダーだと思っている人は、もはや決定的に少数派になっているのではないだろうか。

世界的範囲での自国第一主義の台頭は、偶然的な「ポピュリズム」ではない。確固とした世界史的趨勢になっている。

ウクライナ戦争にあっても、米国によるウクライナ支援の呼びかけに対し、それに従わない自国第一の風潮がヨーロッパだけでなく当の米国をはじめ全世界に生まれているのはそのことを示していると思う。

この時代的転換の時、ウクライナ戦争をどう見るか。

古い帝国主義間戦争と見るのは無理があるのではないだろうか。

◆ウクライナ戦争の行方を予測する

ウクライナ戦争の行方を見定める上で、そのメルクマールとしてよく言われるのは、ロシアとウクライナ双方の武装状況の比較だ。特に、米欧からのウクライナへの武器供与状況がどうなるかで戦争の行方が云々されている。

戦争において、武器が占める比重が大きいのは言うまでもない。しかし、それで戦争の勝敗が決定されるかと言えば、そうではない。戦後、米国が引き起こした戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争、等々で米国が勝てなかったのはなぜか。その原因が武装の劣勢にあったのでないのは自明のことだ。それは間違いなく、他国を侵略する者と自国を守る者との意識の違いにあった。

ここから見た時、ウクライナ戦争はどうか。

そこで確認すべきは、この戦争の本質だ。重要なのはこの戦争がロシアによるウクライナへの侵略戦争でも帝国主義間戦争でもないことだ。

プーチン・ロシアは、なぜあの「特殊軍事作戦」を起こし、ウクライナに攻め入ったのか。それについて、プーチン自身、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化をその目的として挙げている。すなわち、米欧覇権によるウクライナのNATO加盟の促進、対ロシア軍事大国化、ナチス化の推進を止めさせるための「作戦」だったということだ。

だが、ウクライナ戦争の進展は、先述したように、この戦争の持つ意味がそれに留まらず、より大きく広がっているのを示している。米欧日帝国主義覇権勢力と中ロを含む脱覇権勢力間の世界を二分する世界史的な戦いだと言うことだ。

実際、この数年間、米国は中ロを対象に衰退する米覇権を建て直すため、その覇権回復戦略として、「米対中ロ新冷戦」を、二正面作戦を避け、「米中」は公然と、「米ロ」は非公然に敢行してきていた。プーチン・ロシアによる「作戦」は、その米国を二正面作戦に引っ張り出し、覇権対脱覇権の世界的な戦いに決着をつける、そのような目的を持って引き起こされたのではないだろうか。

この目的は、若干の紆余曲折は経ながら、大きなところでは現実化されてきているように思う。そのような視点からウクライナ戦争を展望するとどうなるか。

この戦争が持つこうした本質は、米英覇権のプロパガンダがいかに巧妙であっても、それを打ち破り、ロシアの人々、ウクライナの人々の意識を変えていくと思う。この戦争は、ロシアにとってあくまで正義であり、ウクライナにとって、どこまでも米欧覇権に代理戦争をやらされる屈辱に他ならない。

 もちろん、こうした意識がロシアやウクライナの人々皆のものになるのには時間が必要かも知れない。しかし、何ものもこの戦争の持つ本質をごまかすことはできず、ロシアとウクライナ、そして全世界の人々の意識を欺くことはできないだろう。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆元海将の嘆き

自衛隊元海将が安保3文書、特に防衛力整備計画の内容を批判した『防衛省に告ぐ』という本を出した。帯には「目を覚ませ防衛省! これじゃ、この国は守れない」とある。この人の名前は香田洋二、海上自衛隊護衛艦隊司令官を務めた元海将だ。

 

香田洋二『防衛省に告ぐ』(2023年1月10日中公新書ラクレ刊)

現役当時、自身が防衛装備品計画策定に関わってきた経験から今度の安保3文書を「思いつきを百貨店に並べた印象」と強く批判している。

要は「現場のにおいがしない」というのが氏の批判の主たるもの。

「防衛力整備というのは会議室で考えるんじゃない、現場からつくりあげていくものなんです」

というのが香田氏の持論だ。

「現場のにおいがしない」とは例えばこんなことだ。

敵基地攻撃能力の目玉である長射程ミサイルの一つ「12式地対艦誘導弾」改良開発の場合。

「200キロの射程を1000キロに延ばして敵基地攻撃(反撃能力)と遠距離対艦攻撃の両方に使うという。搭載燃料を5倍にするなら、設計も初めからやらなくてはならない」

これを2027年度までに開発、生産するというが香田氏は

「そんなことが簡単にできるのか」

と強い疑問を呈している。

また、こうも語る。

「しかも全長、直径とも米軍トマホークの2倍程度の大きさになる。これでは世界一簡単に撃ち落とされるミサイルになってしまう」

そんなものが実戦で役に立つのか? ということだ。

また目玉の一つである「極超音速ミサイル」開発についてはどうか。

「推進力の問題(極超音速)を解決できてもその弾を目標に誘導しなきゃならない。でもマッハ5以上なんていう速度だと、ちょっとのかじ切りでえらく違ったところに飛んでいく」

だからこれには自動制御と飛行制御という複雑高度な技術を使った指揮管制システムが必要で、問題はそんなものを日本が構築できるのか?

「バクチをやるというなら別だが」

とまで断罪している。

「アメリカだって、20年かけてまだ十分できていないのに」、これから着手する日本にできるという保証がどこにあるのか? バクチで一国の防衛計画は立てられない。

なぜこうなるのか? 「現場のにおいが」しないからだ。

◆現場は「憲法9条下の自衛隊」で考える

「現場のにおい」に関して言えば、自衛隊防衛現場の感覚、考え方はこうだ。

例えば、長射程ミサイルを日本が独自開発するまでの「つなぎ」として米国の「トマホーク」をイージス艦に導入することについて香田元海将はこう語っている。

「トマホークをイージス艦に搭載して運用するなど、海上作戦を無視したど素人ぶりを暴露しています」

と言いながら、その理由を述べている。

「日本の場合、打撃を主任務とする米軍と異なり、イージス艦は対潜水艦戦のときに艦隊を守るのが第一義です。その任務を捨ててトマホークを撃ちに行くことなど外道」

つまり自衛隊は打撃(矛)ではなく専守防衛(盾)、国土防衛を基本任務と考えているということだ。

非戦を国是と考える国民に自衛隊への理解と支持を得るために永年、努力してきたのが戦後日本の自衛隊の歴史だった。元海将はそんな歴史を背負ってきた生粋の自衛官だ。

かつて安倍政権が専守防衛逸脱の新防衛大綱を閣議決定し、対潜ヘリコプター用の「いずも型」護衛艦を攻撃型戦闘機F35B積載可能な小型空母に改修するとしたとき、香田元海将は「国土防衛に穴が開く」とこれを強く批判した。

自衛隊の任務は打撃(矛)ではなく国土防衛(専守防衛)であるというのが元海将のみならず自衛隊現場の永年の立ち位置なのだ。

憲法9条下で戦後の自衛隊は「違憲的存在」と永らく国民から白眼視されてきた。ゆえに誰よりも国民の目線を考え、国民から理解を得る努力をしてきたのが自衛隊現場だとも言える。

香田氏はこう断言する。

「国民の信頼なしに、国の防衛なんてできませんよ」

なぜこのような現場を無視した安保3文書・防衛力整備計画になるのだろう?

日本の防衛現場から出た要求ではないからだ。元々、敵基地攻撃能力保有は「弱体化した米軍の抑止力を補う」という米国の要求であり、具体的には対中対決の最前線を担うとする「同盟義務」として日本に押しつけられて作成、決定されたものだ。

だから「思いつき(米国の要求)を百貨店に並べた」ものにしかならない。

日本の自衛隊の現場を無視した「防衛力整備」はこうした現場からの反発を呼ぶものにならざるをえない。自衛隊現場が納得しないで日本の防衛が果たしてできるのか?

自衛隊元幹部の中には「専守防衛、非核3原則を議論せよ」の折原良一元統合幕僚長、「核搭載の中距離ミサイルの日本配備」を唱える河野克俊・前統合幕僚長のような米軍のスポークスマンがいる。しかし現場を知る自衛隊幹部は非戦非核を国是とする「国民の信頼」に応えることを自衛隊の使命だと考えている。

「自衛隊を活かす会」(代表:柳澤協二元内閣官房副長官補)が最近「非戦の安全保障論」という本を出したが、この会の趣旨に賛同する元自衛隊幹部も多い。

「非戦の安全保障」、国土防衛に徹するという自衛隊の防衛現場を無視した安保3文書は「思いつき」、「絵に描いた餅」である。防衛現場の支持、国民の信頼がなければ日本の防衛は成り立たない。

香田元海将の嘆きは、自衛隊現場、そして国民全体の憂いでもある。これを単なる嘆き、憂いにしてはならないと思う。

ピョンヤン在留の私たちだが、一日本人としてこうしたことを強く訴えていきたいと思う。

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若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

私は、前回のデジタル鹿砦社通信への投稿で、昨年末に「デジタル田園都市国家構想」の総合戦略が閣議決定されたことをもって、それは日米統合一体化を進めるためのものであり、その下で、自治体が管理運営している「公営事業」を米系外資が民営化し、自治体そのものも民営化しようとしているという危険性について述べた。

今回は、この「自治体解体・民営化」に絞って、意見を述べたい。

◆自治体解体・民営化を進める動き

自治の解体・民営化と関連して今年に入って、二つの注目すべき動きがあった。

その一つは、1月23日に岸田首相が施政方針演説で「地方議会活性化のための法改正に取り組みます」と述べたことだ。

この方針は、地方制度調査会(首相の諮問機関)が昨年12月末に地方議会のあり方に関して「オンラインでの本会議」などを提言したことを提言したことを踏まえている。

今、4月に行われる統一地方選を前に、マスコミは「議員のなり手がない」「無投票の増加」「定員割れ」「低い投票率」など地方議会が抱える問題点を指摘するキャンペーンを張っている。選挙後の選挙総括も同様のものとなり、今の地方議会は時代に合わないなどと言いながら、「地方議会活性化のための法改正」を援護するものになるのではないだろうか。

問題は、「地方議会活性化」が本当に「活性化」のためのものになるかどうかである。

何故ならば、民営化を担当する米系外資にとって、議会は邪魔であり、そうであれば、この「地方議会活性化のための法改正」は、「議会の権限縮小」あるいは「議会廃止」を狙ったものになるのではないかと思われるからである。例えば、本会議をオンラインで行えば、議場での熱の入った対面議論はなくなり、さっさと採決が行われるなど議会は形骸化するのではないか。他にも、首長(自治体)が承認を求める案件について予算案採決(多くの地方議会ではこれが主な仕事になっている)以外の案件は議会の承認を必要としないとするとか。いずれにしても、「議会活性化のための法改正」は警戒しなければならないと思う。

 

総務省、IT人材確保で民間人材サービス会社とタッグ…地方自治体のDX化推進(2023年2月5日付け読売新聞)

もう一つは、2月5日に総務省が出した地方デジタル化の方針である。それは読売新聞の「IT人材確保 民間とタッグ 自治体DX促進」なる題目の記事で紹介されていたものだが、それによると、総務省は、市町村でデジタル人材を確保するのは難しく、また内部で育成するのは時間が掛かるとして、23年度から、民間の人材サービス会社と協力して都道府県にデジタル化の外部の人材を確保させ、それを市町村に派遣してデジタル化を推進し、25年度までに戸籍や地方税などの主要業務を処理するシステムの「標準化」を目指すというものである。

この総務省の方針も、自治の解体・民営化を進めるものになるのではないか。総務省が協力を求める人材サービス会社とは、竹中平蔵の人材派遣会社「パソナ」などであり、その人材とは、ゴールドマンサックスなど米国の投資銀行、米系ファンド、GAFAMやそれと関連するコンサルティング会社の人材、あるいは外国人人材になるからである。

実際、これまでの安倍政権での「地方創生」や「スマートシティ」作りでも、小さな自治体などは、自力でやるのが難しく、結局、コンサルティング会社に委託するようになり、「やらされ感」が蔓延したという。

その上で注意すべきは、地方のデジタル化の対象が市町村にされていることである。

それは日本の地方の公共事業は、基本的に市町村などの基礎自治体が運営しているからである。上下水道や道路や河川の整備管理、ガスやゴミ処理、公園や文化施設の管理運営、公共病院や学校の管理運営、子育て・介護・生活保護などの福祉事業など。

麻生副総理が2013年に米国で講演し、「日本には、こういうもの(公共事業)がたくさんあります。これらの運営権を全て民間に譲渡します」と述べた時、会場は色めきたったという。

米系外資が自治体のあらゆる公共事業を民営化していけば地方自治など消し飛んでしまい究極的には自治体そのものが民営化されてしまうだろう。即ち、米系外資が自治体を企業的に運営するようになるということである。

そうなればどうなるか。地域は彼らの食い物にされ、地域住民は、その隷属物にされる。その下では地域の発展など望むべくもない。地方格差はますます拡大し、地域は一層衰退していく。

◆注目すべき自治を守ろうとする動き

先の「デジ鹿」への投稿で私は地域第一主義の全国的な台頭は必然であることを述べた。

市町村など基礎自治体は、生活を守る最後の砦であり、日米統合一体化が進められる中、米国が要求する軍拡のために増税が行われ、社会保障・福祉予算の削減も予想される中でこの砦を守ることは、全国的な切迫してものになっているからである。

このことを示す、端的な例が、大阪でも起きた。それは、反維新の市民団体「アップデートおおさか」が推薦する谷口真由美氏が府知事選に、北野妙子が市長選に立候補を表明したことである。

「アップデートおおさか」は、2年前の「大阪市廃止」を問う住民投票で廃止反対の連合系労組が結成した「リアル オーサカ」が母体となり、これに大阪の経済人が参加した組織である(会長はサクラクレパスHD社長の西村貞一氏)。

谷口氏は法学者であり、北野氏は大阪住民投票で自民党市議団の団長を努め「大阪市をなくさない」として活躍した人であり、今回の立候補では自民党を脱退しての無所属での立候補である。

それは、左右の違い、党派の違いを乗り越え、地域の経済人、自治体職員も一緒になって、郷土愛、地域アイデンティティに基づき、自らが主体となって自分の地方地域を守り発展させようという、地域第一主義の運動だということが出来る。

ここで注目すべきは、彼らが「住民自治」を強調していることだ。

谷口氏は「地方自治の本旨は住民自治。住民が作り上げるもの」としながら、「地方自治の原点に帰って、住民自らが地域の政治や行政を作っていく」と言っている。

実際、維新による新自由主義改革によって、大阪の自治は大きく損なわれている。

彼らが売りものにする「身を切る改革」で、議員の数や報酬が削減され、自治体職員が削減され、街の自治会への補助金も減らされている。

また、「政治に企業活動の方法を導入する」として、地方自治体の民主的な手続きを無視した上からの強権的な行政が罷り通っている。決定するのは首長であるとして教育委員会も有名無実化させられた。

その上で、自治の解体・民営化が狙われている。すでに維新は関空の諸事業を民営化し、市営地下鉄も民営化している。維新の吉村知事は熱心な水道民営論者であり、今後、水道だけでなく、道路などのインフラ整備、医療、教育、文化、福祉などの分野でも民営化が進むだろう。IR(カジノ)も米系外資による文化事業の民営化であり、万博もその方向で進められるだろう。

病院、大学の統廃合、文化施設の削減、学校を統廃合しての小中一貫校の設立なども、こうした分野の民営化の布石だったと見ることもできる。

このような新自由主義的改革を維新は既得権の打破、そのための「改革」として一定の人気を得てきた。しかし、それは、米系外資のための、その民営化を進めるための「改革」であることをしっかり見なければならないだろう。

高知大準教授の塩原俊彦は、政府の地方デジタル化について、「新味なく住民より企業目線。元来の箱もので建設業界の癒着が、ICT関連業者、教育業者に代わった、利益誘導型政治」として新たな利権構造が出来ると指摘する。

維新は古い自民党的癒着を「改革」するとして人気を得たが、彼らが米系外資との新たにして巨大な利権構造に巣くう者たちであることを見落としてはならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大阪での反維新の闘いだけでなく、郷土愛、地域アイデンティティに基づき、住民自らが主体となって自分の地方地域を守るという闘いは、今後益々、全国各地で強まっていくだろう。

とりわけ、政府の米国に言われての軍拡で生活が脅かされる事態になっている今日、「生活を守る最後の砦」として、市町村を単位とする地域を守る運動は幅広く切迫したものになる。最早、左右の違い、党派の違い、階級の違いにこだわるときではない。地域住民、自治体職員、地域経済人などが一体になり、地域の自治を守り、地域を発展させていく地域第一主義の運動が切実に問われている。

 

魚本公博さん

この広範で切迫した地域第一主義の力で日本を対米追随一辺倒の日本ではなく、国民第一、自国第一の国に変える。そして、この国民第一・自国第一の政府の下で「住民自治」を発展させ、それによって地方・地域の真の振興をはかる。

この運動の先頭には若者が立って欲しいし立つべきである。今の若者世代であるZ世代は「みんなの喜ぶことをしたい。みんなのためになることをしたい」という志向が強いと言われる。実際、多くの若者が色々なアイデアを発揮して地域振興のために尽くしている。

こうした若者がより高い志をもって、地域の自治を守り地域を発展させる地域第一主義の先頭に立てば、大阪で磐石の基盤をもつ維新に勝つことも、米国による日本の自治解体・民営化策動を阻止することもできる。統一地方選を前に、いつにも増して、そのことを訴えたい。

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▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

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◆なぜ今「民主主義」なのか

今、盛んに「民主主義」という言葉が使われている。

先日は、ウクライナ側から、ウクライナ戦争を指して「一政権対民主主義の戦争」だと言う主張がなされた。

ゼレンスキー大統領が昨年12月の訪米の際、米議会の演壇で、ウクライナ戦争を「民主主義 VS 専制主義」の戦争だと改めて規定しながら、「民主主義の勝利のため」に軍事支援を要請したのに続く発言だ。

昨年、バイデン米大統領が「米中新冷戦」の本質が「民主主義VS専制主義」だと言って以来、これが米側の基本主張になっている。

しかし、それにしても今なぜ「民主主義」なのだろう。

「民主主義」が今、世界でそれほど切実に求められているのだろうか。

求められている兆候はほとんどない。その証拠に、鳴り物入りで昨年末開催が予定されていた「民主主義サミット」は流れてしまった。米側から何の発表もないところを見ると、開催できなかったのだろう。「民主主義陣営」として結集結束するのに従う国の数が予定の数を大きく下回ったためだと推測される。

米国式民主主義から民心が離れたのは、何も今に始まったことではない。

長期経済停滞や泥沼の反テロ戦争、そこから生まれた数千万難民の激増、等々が続く中、それらに対し完全にお手上げ、全く無力な二大政党制など「米国式民主主義」に対する民心は、世界的範囲で完全に離れたと言うことができる。

それは、それらの根元にあるグローバリズム、新自由主義に反対し、新しい政治を求める、「自国第一主義」の広範な大衆のかつてない政治への進出として現れた。

主として米欧側メディアや政界によって「ポピュリズム」のレッテルを貼られたこの新しい政治、「自国第一」「国民第一」の波は、各国の古い二大政党制、「民主主義体制」を突き崩し、いくつかの国では政権をとるまでに発展してきた。

グローバリズム、新自由主義の矛盾として顕在化してきたこうした傾向は、今、「新冷戦」の時代を迎えながら、一時的な「ポピュリズム」ではなく、一つの時代的趨勢になってきているように見える。

にもかかわらず、今なぜ「民主主義」なのか。

◆米国式民主主義というもの

米大統領バイデンが「米中新冷戦」の本質として、「民主主義 VS 専制主義」を打ち出したのは、世界の「民主主義」への要求に応えてのものではなかった。 

それは、すぐれて、米覇権の回復のため、米国自身が求めているものだったと言える。

2017年、米国家安全保障会議は、「現状を力で変更する修正主義国家」として中国とロシアを名指しで規定した。

それに基づき、米トランプ政権は、2019年、「米中新冷戦」を宣言し、中国を相手に「貿易戦争」を開始すると同時に、ロシアに対しては、ウクライナにゼレンスキー大統領を押し立て、ウクライナの対ロシアNATO国家化、軍事大国化を推進した。

この中国とロシアに対して、「二正面作戦」を避けながら、仕掛けられた陽と陰、二つの「新冷戦」、米覇権回復戦略で掲げられたのが、中ロの「専制主義」に対する米国の「民主主義」だった。

だが、トランプからバイデンへと引き継がれた中ロを包囲、封鎖、排除してその弱体化を図る一方、日本や欧州など「民主主義陣営」を米国の下に統合して、米国を強化することにより、米覇権の回復を図るこの目論見は成功するだろうか。

ほぼ確実にしないだろうと思う。

なぜか。それは、米国式民主主義が民主主義ならぬ専制主義だからに他ならない。

そんなまやかしが通用するほど世界は甘くないと言うことだ。

そもそも民主主義とは、古来、集団の意思をその成員皆の意思を集め、集大成してつくる政治のことだ。

そこで、当然のことながら、その集団は共同体であるのが前提だ。すなわち、集団の成員皆が対等な共同体であってこそ民主主義は成り立つ。

ところが、世界中から国と民族を超え人々が集まって来てつくられた新興国家、米国は、今、民族と人種が融合せず、差別と分断が横行する「サラダボール」と言われるような状況にある。

さらにその根底には、米国という国が個人主義の極致、資本主義の総本山として発展してきたという事実がある。

その米国にあって何より尊ばれたのは、個人の自由であり、民主主義も、共同体の意思をつくると言うより、個人の自由を保障するものとして発展してきたのではないか。

そこにあって、弱肉強食、富があり強い者が貧しい弱者を支配する自由も個人の自由だ。しかもそれに、「サラダボール」と言われる状況まで重なり、個人の自由は、支配と差別、虐待の自由、何をやっても構わない自由にまでなってしまっている。

今、米国の政治において、国という共同体が責任を持って人々の生活を保障する社会保障という考え方が極めて薄弱であること、大統領選が政策そっちのけの候補者相互間の誹謗中傷合戦の場に化してしまっていることなどとともに、GAFAMなど超巨大IT独占による独裁支配が目に余るものになり、「1%のための政治」になってしまっているのは、十分に根拠のあることだと言えると思う。

◆世界最大の専制主義国家、米国 

「1%のための政治」、自国民からそう呼ばれるような国の政治を民主主義だと言えるだろうか。世界が米国を「民主主義の国」「民主主義の総本山」として憧れ、敬う時代は遠の昔に過ぎ去った。

その米国が、今、「民主主義 VS 専制主義」を掲げ、「新冷戦」を世界の前に押し付けてきている。その結果、物価の高騰、軍事費拡大と財政難、等々、経済危機と生活苦が広がっているだけではない。戦争、それも熱核戦争の危険までが深まっている。

これは、専制主義以外の何ものでもないのではないか。自分が専制主義をやりながら、「民主主義 VS 専制主義」を掲げ、世界中を「新冷戦」、そしてウクライナ戦争に駆り立て、落とし込んでいる。これ以上に破廉恥で悪質な専制主義はない。

世界最大、最悪の専制主義国家、米国を覇権の座から引きずり下ろす時が来ているのではないか。そのために、「新冷戦」の最前線に立たされている日本がどうするかが問われていると思う。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

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◆森本敏・元防衛大臣の「予言」的中

昨年、12月16日、「安保3文書」閣議決定の夜の番組「プライムニュース」(フジ系)に出演した森本敏・元防衛大臣はこう断言した。

「米国が中距離ミサイルを日本に配備することはほぼありえない」

その約1ヶ月後の今年、1月23日の新聞は大見出しにこう伝えた。

「日本に中距離弾、米見送り」(読売朝刊)と。

その記事はこう続く。

「米政府が日本列島からフィリッピンにつながる“第一列島線”上への配備を計画している地上発射型中距離ミサイルについて、在日米軍への配備を見送る方針を固めたことが分かった」

森本氏の「予言」はまさに的中したが、これが意味することは、日本にとってまことに危険なものだ。この番組で森本氏は出演前日に「米国大使館でインド太平洋軍の陸軍司令官に会った」ことを明らかにしているが、彼の「予言」は米大使館でのインド太平洋軍司令官の意向を反映したものであろうことは容易に想像できる。

「日本に中距離弾、米見送り」に隠された米国の真意図は何なのか? このことについて真剣に考えてみる必要があると思う。

[左]1月23日付け読売新聞の記事見出し「日本に中距離弾、米見送り」/[右]「安保3文書」閣議決定夜のプライムニュースに出演中の森本敏・元防衛大臣

◆米軍の肩代わり部隊、「陸自にスタンドオフミサイル部隊の新設」

「日本に中距離弾、米見送り」、その理由はこうなっている。

「日本が“反撃能力”導入で長射程ミサイルを保有すれば、中国の中距離ミサイルに対する抑止力は強化されるため不要と判断した」と。

「安保3文書」で「反撃能力の保有」を決めた日本が米軍の肩代わりをしてくれるなら「在日米軍への中距離ミサイル配備は不要」ということを米国は言っているのだ。

「安保3文書」では「反撃能力保有」の具体化として「陸自にスタンドオフ(長射程)ミサイル部隊の新設」を決めた。「日本に中距離弾、米見送り」決定後は、この陸上自衛隊の新設部隊が「中国の中距離ミサイルに対する抑止力」として米軍の肩代わりをする役目を帯びることになるということだ。

 なんのことはない、「日本に中距離弾、米見送り」の真意は米軍に代わって自衛隊が対中ミサイル攻撃をやれ! ということだ。

◆さらに「厳しい宿題が待っている」日本

森本氏は同番組の最後にこう述べた。

「来年以降、(日本には)厳しい宿題が待っている」

その「厳しい宿題」とは何か?

これと関連して、河野克俊・自衛隊前統合幕僚長の発言がある。

昨年、バイデン訪日時の日米首脳会談で米国が日本への核による「拡大抑止」提供を保証したが、この時、河野克俊・前統合幕僚長は「米国から核抑止100%の保証を得るべき」だが、「それはただですみませんよ」と日本の見返り措置、その内容を示した。

「いずれ核弾頭搭載可能な中距離ミサイル配備を米国は求めてくる、これを受け入れることです」と。

この河野発言からすれば、対中・中距離ミサイル攻撃を自衛隊が米軍の肩代わりすることになった以上、次なる「米国の求め」が陸自のスタンドオフミサイル部隊のミサイルを「核搭載可能」なものにすべきという結論になるのは明確だ。

「安保3文書」実行の日本に待ち受ける「厳しい宿題」、それは自衛隊のスタンドオフミサイル部隊が対中「“核”ミサイル部隊」になることに他ならない。

“核”について言えば、安倍元首相の提唱したNATO並みに「米国の核共有」が実現すれば、自衛隊ミサイルへの「核搭載」は可能になる。それが米国の要求である以上、この実現にはなんの問題もないだろう。この実現で問題は日本側にある。

「核搭載」については「安保3文書」には書かれなかった、いや書けなかったものだ。日本の国是は非核であり、その具現である「非核三原則」に照らせば「核搭載」ミサイル保有は国是に反するからだ。これを可能にするためには非核の国是の変更、少なくとも「核持ち込みを容認する」ことが必須条件だ。

だがこれは非核を国是とする日本国民感情への挑戦となる、だから「厳しい宿題」と米国も見ている。

だがこの「厳しい宿題」解決のためにすでにこんな議論が今後の課題として打ち出されている。

兼原信克・同志社大学特別客員教授(元内閣官房副長官補、元国家安全保障局次長)は「被爆国として非核の国是を守ることが大事なのか、それとも国民の生命を守ることが大事なのか、国民が真剣に議論すべき時に来た」との二者択一論で国民に覚悟を迫った。

今後、日本政府に待ち受ける「厳しい宿題」はこの兼原氏の迫る二者択一を国民に迫ること、非核の国是の放棄、非核三原則の見直し、少なくとも「核持ち込みの容認」の選択を国民に迫ることになることはほぼ間違いない。

◆「米国の代理“核”戦争国化」という「新しい戦前」

米軍を肩代わりする自衛隊の中距離ミサイル部隊が「核搭載」実現で米軍の代理“核”戦争部隊になる。それは日本が米国の代理“核”戦争国になるということだ。これこそが米中対決の最前線を担うことを「同盟義務」としてわが国に強要する米国の核心的要求だと見て間違いはないだろう。

「日本に中距離弾、米見送り」、これを肩代わりする陸自スタンドオフミサイル部隊新設も決まった、残る「宿題」は自衛隊ミサイルへの「核搭載」を可能にすること、日本が非核の国是を放棄することだけとなった。

いま「新しい戦前」が言われるようになっている。今日の「新しい戦前」の特徴は、上記のように「代理“核”戦争国となる戦前」という点にある。かつての「戦前」とはまったく様相を異にする「新しい戦前」であること、ここに注目すべきだと思う。

それは米国も岸田政権も「厳しい宿題」と認識している「戦前」であり、逆に言えば日本国民が簡単には受け入れないであろう「戦前」だということでもある。いまは一方的に既定事実を押しつけられているのが不甲斐ない現実ではあるが、けっして悲観する必要はないと思う。

非戦非核を永らく国是としてきた日本国民を相手に「代理“核”戦争国」化を強要することを米国も「厳しい宿題」と見ている。だから国民に正しい議論が提供されればこの「新しい戦前」を「新しい平和日本」への勝機に転換することも可能だという積極的で主導的な対応も可能になると思う。

「日本の代理“核”戦争国化」という「新しい戦前」を「新しい平和日本」への転機に換える力は、ひとへに戦後日本が堅持してきた「非戦非核の国是」を日本人の魂として固守し、米国による理不尽な「代理“核”戦争国化」という新しい情況に対処し「非戦非核」を闘いの武器として発展させていく努力にかかっている。

このことを今後、国内の皆様と共に遠くピョンヤンの地にいる私たちも考えていきたいと思う。

若林盛亮さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

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『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

12月23日、政府は「デジタル田園都市国家構想総合戦略」を閣議決定した。総合戦略は、6月に岸田政権が閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」で「4つの柱」の一つとされた「デジタル田園都市国家構想」の数値目標と工程表を5ヵ年計画として定めたものである。

そこでは、実装自治体1500、「デジ活」中山間地域150地域、移動サービス100ヶ所以上、東京圏からの地方への移住者、年間1万人などを挙げ、それらを27年までの5年間で国の交付金を活用して実現するなどを中心に事細かく目標を挙げている。

総合戦略の趣旨は、日本は世界に類を見ない急速なペースで人口減少・少子高齢化が進行しており生産年齢層も減少しているが、東京圏と地方との転出均衡達成目標はいまだ達成されておらず、地方の過疎化や地域産業の衰退等が大きな課題となっているとしながら、デジタルの力によって地方創生の取り組みを加速化・深化させ、それが地方から全国へのボトムアップの成長に繋がっていくとし、「全国どこでも誰もが便利で快適に暮らせる社会」の実現を目指すというものだ。

果たして、それは、どういうものなのか。それによって本当に地域問題が解決されるのか、何が問われているのか、それを考えてみたい。

◆米国への日本の統合のための「デジタル田園都市国家構想」

「デジタル田園都市国家構想」の最大の問題点は、これによって、地方の米国への統合が決定的に進むということである。

今、米国は新冷戦戦略とも言うべき覇権回復戦略を展開している。中国、ロシアを敵視し、西側陣営の力を米国の下に結集するという戦略である。その戦略の下、日本を米国に統合する政策が進んでいる。「デジタル田園都市国家構想」は、日本のすべてを米国に統合するという米国の要求の下、地方から日本を米国に統合するものとしてあるのではないか。

その手段が「デジタル」である。地方のデジタル化は米巨大IT企業であるGAFAMの下で行われる。デジタル化において、成長エンジン、生命とされるものがデータである。それ故、世界各国はデータ主権を唱え、データを守り、保護することを重視している。しかし日本は、自らデータ主権を放棄している。TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年1月には、それを「日米デジタル貿易協定」として締結している。

データを集積利用するクラウドも、アマゾンの「アマゾン・ウェブ・サービス」(AWS)とマイクロソフトの「アジュール」を使う3社で60~70%のシェアを占め、NTT、富士通、NECなどの日本勢はシェアを落とし排除・駆逐されている。

2021年9月1日に発足したデジタル庁はプラットフォームとしてアマゾンのAWSを使用しており、それに基づき、米国ITコンサルティング会社のアクセンチュアが「全国共通のプラットフォーム」を作っている。

米国仕様で統合されたデジタル化によって、全ての地方・地域が丸ごとGAFAMの管理下に置かれる。個人情報だけでなく、自治体自体の情報、企業の情報が丸ごとGAFAMに管理される。そうなれば、自治体だけでなく地域産業、地域住民のすべてが米国に管理されるようになる。

◆地域自治体の解体と自治の否定、地域住民主権の剥奪

こうしたGAFAMによる管理によって、日本の地方・地域はどうなるのか。

先ず、基礎自治体である市町村の多くが見捨てられ切り捨てられる。

元々、自民党政権での地方政策は、「全ては救えない」として、中核都市を中心にした都市圏(圏域)を作り、そこにカネ・モノ・ヒトを集中させ、他は切り捨てるという「連携中枢都市圏構想」なるものであり、その下で、人口が1000万減少する2040年までに自治体職員を半減させ、公共サービスを民営化するという「自治体戦略2040構想」などの政策が立てられてきた。

「デジタル田園都市国家構想」は、こうした考え方に沿って、デジタル化で、それを促進するものになる。今回、閣議決定された総合戦略では、デジタル実装の自治体1500になっているが、その直前の骨子案では1000になっていた。今、基礎自治体の数は1727団体なので半数は見捨てるということだったが、反発が強くて1500にしたのだろう。しかし、弱小自治体は切り捨てるという思考は変ってはいない。交付金を減らすことで、多くの基礎自治体が切り捨てられていくだろう。まさに、それは堤未果さんなどが指摘する、自治体解体である。

そして何よりも問題なのは、自治体の民営化であり、これによって、住民自治・地域住民主権が剥奪されることである。

これまでも水道や空港、公営交通などの分野で外資に運営権を譲渡するコンセッション方式などで民営化が進められてきた。しかし、「デジタル田園都市国家構想」では、自治体そのものの民営化が目論まれている。

総合戦略では、1000のサテライトオフィスを置き、ハブとなる経営人材を100地域に展開する、などの施策を挙げている。それはGAFAMやその系列のコンサルティング会社や経営人材が地方を経営するためのものとなろう。

こうなれば、自治体活動そのものが少数のデジタル・マネージャーによって企画立案され執行されるようになる。まさに維新が「政治に会社経営の手法を持ち込む」とした政策の全国展開である。こうして議会は形骸化し、自治体職員も大幅に削減され、地域住民は只サービスを受けるだけの存在に、デジタル管理の対象者、隷属物にされてしまう。

今、解決すべきは、本当に地域を維持し振興させることである。そのためには、地域住民が主体となって自治体、地域産業をも巻き込み、地域全体の力で取り組まなければならない。多くの自治体を解体するばかりか、自治体を企業運営し、それをGAFAMやその傘下のコンサルティング会社や経営人材に任せるやり方では、米国企業の利益になる事業はやれても真に地域を振興させることなどできない。

◆問われる「地方から国を変える」闘い

岸田首相は「デジタル田園都市国家構想」について所信表明演説などで「このデジタル化は地方から起こります」と述べている。それは米国の意図が「地方から日本を変える」ものだからだ。

米国が日本を統合する上で障害となるのは、国家としての秩序、それを法的に保障する諸規制である。それを一挙に撤廃することは困難である。そこで地方から風穴を空ける。事実、安倍政権は、「岩盤規制に風穴を空ける」として、「特区」形式で、それを実現しようとした。

総合戦略では、安倍政権の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を「デジタル田園都市国家構想総合戦略」に衣替えするとしているが、それは特区だけでなく全地方で徹底した規制緩和を行うものとなろう。

総合戦略は、地方・地域全般の行政手続きの様々な規制を撤廃するとしており、水道業、建設業などの資格を緩和し、自治体ごとに存在する諸規制を「ローカルルール」として見直すとしている。

こうして地域から諸規制を撤廃し、それをもって国の諸規制をも撤廃していく。こうして日本の国としての秩序を破壊し、統合していくということである。

それを地方から行うのは、それがやり易いと見ているからである。それを岸田首相は「地方にはニーズがあります」と言う。しかし、地方の諸問題は、歴代自民党政権、とりわけ安倍政権時代の地方政策の結果なのであって。それを逆利用して「地方にはニーズがある」などと言うことは許せない妄言だ。

対米追随政治の果てに、地方を米国の管理下に置き、地方から日本を統合一体化するような現政治を何としても変えなければならない。米国とそれに追随する政権が「地方から国を変える」と言うなら、地域住民主体の「地方から国を変える」闘いが切実に問われていると思う。

◆自分の地域第一主義の台頭

市町村などの基礎自治体は、暮らしに直結する地域住民の生活の基本単位だ。その地方自治体が安倍政権の新自由主義改革で衰退市、更には岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」によって、自治体解体が進み、自治体民営化によって地方自治・地方住民主権が剥奪されようとする時、地域の主権者である地域住民が主体となって、自分たちの地域を守ろうとする動き、地域第一主義とも言うべき動きが起きるのは必然だ。

維新による大阪市廃止を巡る住民投票で大阪市民がノーを突き付けたように。6月の杉並区長選挙では、民営化に反対しコモンを追求する岸本聡子さんが当選した。12月には尼崎市長選で維新市長の誕生を阻止した、などなど、自分の地域を守る動きが各地で見られるようになった。

 

魚本公博さん

これから益々生活苦は深刻化する。それにもかかわらず、岸田政権は、軍事費増大と反撃能力強化を閣議決定した。そのために27年度までに43兆円を確保するとしており、更により多くの軍事費増大を目論んでいる。その財源には各種増税、後の世代に借金を背負わせる国債などが言われているが、軍事費以外の歳費削減も行われるだろう。社会保障、福祉だけでなく、教育、医療、文化分野の予算も削られる。そして地方交付税も。こうなれば、市町村という基礎自治体の大部分は、やっていけなくなる。

米国とそれに追随する政権によって、地域の破壊は更に進む。こうした中で、命と暮らしを守るために地域を守るための自分の地域第一主義への希求は強まる。それが全国各地に拡大し、自国第一主義に結合していけば、この国は変る。

来年は、4月の統一地方選があり、解散総選挙もありうる。こうした中で既成政党に頼らない地域住民主体の自分の地域方第一主義が大きなうねりになることを大いに期待している。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

このところ、「マイナ保険証」問題をはじめ、「TikTok」炎上問題など河野太郎デジタル相の言動が物議を醸している。そんな矢先、「アメリカ式か中国式か? ビッグデータと国家安全保障をめぐる『仁義なき戦い』勃発」(Newsweek 11/17)という記事が目に入った。

特に、興味深かったのは、中国による個人情報収集に警戒感が高まるが、世界的にみれば、ヨーロッパをはじめインドなど多くの国々は、米国と米国IT巨大企業こそが、最大の国家安全保障上の脅威だと捉えていることだった。

理由の一つは、2013年にエドワード・スノーデン氏が公表した米国安全保障局(NSA)の大量の機密文書の収集事件を忘れていないこと。機密文書には、米政府が世界各国の要人や一般市民の電子メール、ショートメッセージ、携帯の位置情報といった膨大な量の個人データの収集が示されていた。二つ目は、米国のIT巨大企業GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)が世界のユーザー、一般市民のデータを食い物にし、巨大化していることを挙げている。

欧州各国では、米巨大IT企業への監視を強め、2018年にデータ移転ルールなどを定めた「一般データ保護規則」を設けている。さらにこの5年で、62ケ国がデータの国外移送に制限を加え、国内にサーバーの設置義務を課すルールなどの「データ・ローカライゼーション」規則を設け、強化している。

記事は、デジタル世界は、「『グレートファイアウォール』(ネット検閲、情報統制システム)に守られた中国のインターネットと、アメリカ主導のインターネットだ。そしてヨーロッパやアフリカや中南米の国々は、どちらかを選ぶように迫られている」と結ばれていた。だが、注視すべきは、「データ保護ナショナリズムは激しくなる一方だ」との言葉に表現されているように、各国が、自国のデータ保護・管理を強化していることだと思う。

 

若林佐喜子(わかばやし・さきこ)さん

今日、デジタル化、AI化なしに社会の発展は望めない。そのデジタル化において、生命とされる決定的なものがデータであり、国の政治、経済、軍事、国民生活においてその重要性が増している。同時に、膨大なデータに莫大は価値があるとともに、国家と国民の安全保障が重要な課題でもある。この世界の動きを考えたとき、深刻なのは日本である。日本政府が自らデジタル主権を放棄しているという事実だ。

日本は、TPP交渉の過程で、「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年に「日米デジタル貿易協定」を締結している。言い換えれば、データ保護・管理などデジタル主権を自ら放棄させられている国なのだ。

2021年9月に発足した「デジタル庁」は、システムの標準化、統合を眼目とし、省庁とともに国と地方のシステム統合を目指してきた。その基盤として使用されているのが、米国のIT巨大企業アマゾンのプラットフォームである。国家と国民の安全保障に関わる政治システムを他国の民間企業に任せるケースは世界でも珍しく、さらに個人情報を管理するデータ設備を日本国内に置く要求もできない。これでは、デジタルを通じて日本と日本人の資産を自ら、米国と米国巨大テックに際限なく売り渡すのに等しい。

改めて、日本政府が米国に対してデータ保護・管理、デジタル主権を放棄させられている、している事実の深刻さに警鐘をならしたい。

▼若林佐喜子(わかばやし・さきこ)さん
1954年12月13日、埼玉県で生れる。保育専門学校卒業。1977年に若林盛亮と結婚(旧姓・黒田)。ピョンヤン在住。最近、舩後靖彦氏の持説「命の価値は横一列」に目からうろこ体験。「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

 

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